風のない夜 第六話 船のない港(2)

  • 2017.09.07 Thursday
  • 11:51

JUGEMテーマ:自作小説

海はいい。
特に波の音がいい。
かつて漁港だったこの港。
一昨年に潰れたそうだが、それ以前は賑わっていた。
あれはいつだったか、牡蠣を食いに来たことがある。
日当が入ったので、ちょっとばかり贅沢をしようと、港近くの店でカキフライを食ったのだ。
大ぶりな牡蠣の身には、旨味と苦味が凝縮されていた。
あの時、大勢の人間がここで賑わっていた。
それが今では閑散としている。
遠くに築かれた堤防のせいで、海が濁ったからだ。
主な収入源だった牡蠣は大打撃を受けた。
どうにか細々と漁をしていたみたいだが、潮の流れの関係で、そこまで魚が獲れないと聞いた。
それでも頑張って港を守ろうとしていたようだが、まさか潰れていたとは・・・・。
港の人たちはさぞ怒っただろう。
あんな堤防が必要なのかと。
無駄な公共事業だとか、地元の議員とゼネコンが癒着しただとか、色んな噂が流れていた。
しかし過去に大きな災害に見舞われたこともあり、強固な堤防が必要だろうという意見もあった。
南海トラフの大地震が起きれば、ここにも津波が押し寄せる。
東北の津波を見ては、海の怖さを実感せずにはいられない。
あの堤防が生まれたのはなぜか?
議員とゼネコンの癒着か?
それとも災害に対する備えか?
理由はどうあれ、この港は廃れてしまった。
かつてカキフライを食った店はもうない。
雑草の茂る空き地に変わっていた。
牡蠣を卸していた工場も、夜になれば幽霊が出そうな廃墟に変わっている。
人がいなくなると、たった二年余りでこうも朽ち果てるのかと思うと、奇妙な哀愁がこみ上げた。
人が賑わっていた港に背を向け、海を見つめる。
するとそこにも哀愁がこみ上げる物があった。
もう誰も乗らないであろう船が、三つほどプカプカと揺らいでいたのである。
碇にロープが巻き付けられてはいるが、主のいないその船は、行き場を失くして彷徨っているように見えた。
建物も船も、人が管理してこそ。
人の手が入らなくなった人工物は、人が消えるのと同時に、魂まで抜かれてしまうのかもしれない。
船へ近づき、窓の中を覗いてみる。
当たり前だが誰もいない。
隣の船も誰もおらず、三つ目の船も覗いてみた。
すると人影らしきものが見えて、思わず目を凝らした。
《オバケ?》
そう思ったが、今は昼前だ。
オバケが出るには早い。
じっと中を覗いていると、人影は視線から逃れるように姿勢を低くした。
「・・・・・・・。」
廃墟となった港の船に人がいる・・・・・。
考えられることは一つしかない。
《ホームレスか?》
俺も似たような身分なので気になってしまう。
このまま去るか?
それとも声を掛けてみるか?
迷っていると、後ろから「何してるんです?」と声がした。
振り向くとパトカーが停っている。
若い警官が顔を覗かせ、怪訝な目を向けていた。
「何って・・・・海を見に来ただけです。」
そう答えると、助手席側の警官が降りてきた。
白髪交じりの、いかにもベテラン警官といった風情だ。
「ちょっと幾つかお伺いしてもいいですか?」
口調は柔らかいが、目は笑っていない。
俺は「職質ですか?」と尋ねた。
「そんな所です。ちょっと最近この辺に不審者がいるって話があってね。」
「不審者?なんぞ悪いことした人がおるんですか?」
「いやいや、そうじゃないんだけど。ここに居ついてる人がいるんですよ。」
「ああ、船の中の?」
そう言って指差すと、「また・・・」と警官は顔をしかめた。
「お爺ちゃん、そこ入っちゃダメって言ってるでしょ。」
船に近づき、中を覗き込んでいる。
「それ人の持ち物だから。許可なしに入っちゃダメなんだよ。」
警官は中腰になって、中に隠れる人物に語りかける。
「ほら、早く出てきて。」
クイクイっと手を動かすと、中から腰の曲がった爺さんが出てきた。
小動物のように怯えながら、俺たちを見渡している。
「ほら、上がって。」
警官が手を伸ばすと、それを掴んで船から上がった。
「すんまへん。」
爺さんは曲がった腰をさらに曲げる。
そして「行くとこあらへんもんで」と言った。
「見逃したって下さい。」
「気持ちは分かるけど、これ人の物だから。勝手に入っちゃダメなんだよ。」
「でも住むとこあらへん・・・・。」
泣きそうな顔で訴える。
警官はなんとも言えない顔で俺を振り返った。
「あなたは知り合い?」
「いえ、たまたまここに来ただけで。」
「ふうん・・・・。」
「俺、もう行ってもええですか?」
「ちょっと待って。」
壮年の警官は、運転席の若い警官を呼ぶ。
彼に爺さんを預けると、「ちょっと幾つか質問させてね」と笑顔になった。
嘘くさい表情だが、職質する時はだいたいこういう顔をする。
俺は「なんでも聞いて下さい」と言った。
「免許証ある?」
「はい。」
財布を差し出すと、獲物を狙うような目で睨んでいた。
「車は?」
「あ、そこに。」
空き地を指差すと、しっかりとナンバーを確認していた。
「車検証も見ていいかな?」
「ええ。」
ダッシュボードを開け、車の説明書に挟んだ車検証を渡す。
警官は鋭い目でそれを睨みながら、「お仕事は?」と尋ねた。
「日雇いです。」
「家は?」
「ありません。」
「ん?でもここに住所があるじゃない。」
「ああ、それはお世話になっとる大学の先生ですわ。」
「大学の?」
「昔の恩師なんです。色々事情があって、今は居候させてもろとるんですわ。」
嘘をついた。
俺は先生の家になど住んでいない。
しかし住所がなければ色々と困るので、何かある時は先生の家の場所を書かせてもらっているのだ。
「じゃあその先生の連絡先って教えてもらっていいかな?」
「ええっと・・・・080の・・・・・、」
年に何回かはあることなので、もし警察から連絡がいっても、先生は上手く切り返してくれる。
警官はメモを取りながら、「よくこの辺に?」と尋ねた。
「今日はたまたまですわ。ちょっと落ち込んでたんで、海見て癒されよかなと。」
「ふうん・・・・。ここより隣町の浜の方がいいんじゃない。あっちの方が綺麗でしょ?」
「そうなんですけど、先生が言うには同調効果があるそうで。」
「何それ?」
「落ち込んだ時は、暗い曲の方が癒されるそうなんですわ。だから落ち込んだ時は、あえてこういう港の方が癒されるいうてくれて。
自分の気持ちと似たようなもんの方が、リラックス出来るらしいんですわ。」
「へええ、そうなんだ。」
少し驚いた顔をしながら、「でもアレだよ?」と笑顔を消す。
「この辺って私有地が多いからね。今あなたが車を停めてる所だって、人の持ち物だから。」
「え?そうなんですか?こんな荒地やのに。」
「ここが好きだからって、手放さない人も多いんだよ。いつかまた漁港を再開したいからって。」
「ああ、その気持ちは分かります。俺にもずっと追いかけとる夢があるから。」
「それいいことじゃない。夢があった方が人生楽しいよ。」
「お巡りさんもそう思いますか!」
思わず声が弾む。
「俺はね、夢の為に家庭まで捨てたんですわ。」
「そりゃまた。」
「でも全然上手くいかんでね。それで落ち込んでたんですわ。」
「それでここへ来たと?」
「はい。」
「う〜ん・・・・出来れば隣町の浜の方へ行って欲しいんだけどねえ。」
わざとらしく帽子を取って、演技臭く髪の毛を撫で付ける。
「ここ・・・入ったらあかんのですか?」
「そういうわけじゃないけど、私有地が多いから。漁港の再開を目指す人がいるから、土地を荒らされるのを嫌がるんだよ。」
「はあ・・・すでに荒れてますけど?」
どう見ても廃墟な港。
空き地だって草が茂っているし、店のあった場所だって荒野に変わっている。
「今さら荒れるもクソもないんと違いますか?」
「持ち主にとってはそうは思わないんだろうね。」
「でも港そのものは出入り禁止じゃあないんですよね?」
「まあね。でも余計なトラブルになることも多いから。」
「持ち主が文句言うて来たりとかですか?」
「そんなところ。」
また演技臭く帽子を被る。
パトカーに目をやると、若い警官が困った顔をしていた。
「すいません、泣き出しちゃって・・・・。」
爺さんはパトカーに寄りかかるように立っている。
目を押さえながら、「刑務所入れて下さい」と訴えた。
「行くとこも食いもんもない・・・・。」
「悪いことしてないのにそれは無理だから。」
「ほな悪いことします・・・・万引きでもなんでも・・・・、」
「またそういうこと言う。」
若い警官は辟易としている。
助けを求めるように壮年の警官を振り返った。
「あの人、ずっとここに住みついとるんですか?」
そう尋ねると、「今年の初めくらいからかなあ」と答えた。
「一度船の持ち主にすごい怒られてね。首根っこ掴まれて署に連れて来られたんだよ。」
「そこまでせんでええのに。あんな腰の曲がった爺さんを・・・・。」
「次に見つかったら殴られかねないなあ。」
心配そうに呟いて、「お爺ちゃん」と寄って行く。
「ここにいたらね、また怒られちゃうよ。前みたいに怒鳴り散らされるの嫌でしょ?」
「でも行くとこない・・・・。」
「あれは人の船だから。勝手に入っちゃダメなの。」
「ほなどうしたらええんや・・・・。せめて食うもん買うたって下さい。」
「そういうのは出来ないの。どうにかしてあげたいけど、警官がそういうことするとまずいから。」
「もうお金もない・・・・。」
ポケットに手を突っ込み、いくらかの小銭を取り出す。
あれでは今日一日で食費が尽きるだろう。
しばらく爺さんと警官の押し問答が続く。
助けてほしい爺さん。
助けてやりたいけど、助けられない警官。
じっと見ていると、痛ましい思いがこみ上げてきた。
「あの、ちょっとええですか・・・・。」
財布を開きながら、千円札を取り出す。
「これ・・・ちょっとしかないけど。」
爺さんの目の前に差し出すと、ギョッとした目で睨まれた。
「食うもんないんでしょ?」
「ない・・・・。」
「ていうか今までどうやって生きてきましたんや?」
「食べられる草とか、釣りしたりとか・・・。」
そう言って船を指差す。
「針とか糸とか残ってたから、それ使って。」
「でも餌がないでしょ?」
「ゴミ箱からパンくずとか弁当の残りカスとか持ってくるんや・・・・・。それ撒いてサビキして・・・・。
小アジとかやったら釣れるから、焼いて食うてた。」
「そんなんやったら腹膨れへんでしょ?」
「だから食うもんない言うてるんや・・・・。」
目を押さえ、嗚咽する。
俺は爺さんの手を取って、千円を握らせた。
「ちょっとしかないけど、よかったら生活の足しにして下さい。」
「・・・・ええんか?」
「そら俺も苦しいけど、お巡りさんとのやり取り見てたらね。胸になんかこみ上げて。
ここで会うたのもなんかの縁やし、遠慮せんと。」
渡した千円を、グッと握らせる。
爺さんは「貰ろてもええんかな・・・?」と警官に尋ねた。
「それはお爺ちゃんが決めることだから。」
「ほな・・・・ありがたく。」
千円を見つめ、仏様でも拝むように頭を下げた。
「ほな・・・・俺はもう帰っても?」
「いいよ。でもあんまりここへは来ないようにね。」
会釈を返し、港を後にする。
国道へ出るとき、ルームミラーにはまだ千円を拝む爺さんが映っていた。
「大変やなあ、あの歳であんな生活せなあかんとは。」
おそらく80は回っているだろう。
ああなるまでにどんな事情があったのか?
知りたいが詮索するわけにはいかない。
長く生きていれば、誰だって喋りたくないことの一つや二つはあるのだから。
「落ち着くつもりが、かえって妙な気持ちになってもたな。」
口直しに隣町の浜へ行く。
遠浅の干潟は穏やかで、いつまでも見ていられるほど心が安らいだ。
「同調効果より、やっぱ綺麗なもん見た方が落ち着くわ。」
先生もたまには間違うんだなと、ちょっとした優越感に浸る。
浜のベンチに座りながら、軽くなった財布を叩いた。

            *****

あの港へ行ってから三日間、軽くなった財布をどうにかする為に、仕事に精を出した。
と言っても日雇いなので、定職に就いたわけではない。
しかしそのおかげで財布は重みを増した。
論文の作成は進まなかったが・・・・。
まあこういう事もある。
人は持ちつ持たれつ。
困ったときはお互い様だ。
思いもよらない出来事ではあったが、おかげで気は紛れた。
・・・それからさらに一ヶ月、残暑が薄まる頃まで論文に勤しむことが出来たので、結果オーライとするべきだろう。
仕上がった新たな理論を引っさげ、大学へ向かう。
しかし結果はいつものごとく撃沈。
まあいい。
これも慣れている。
諦めずに続けている限りは、いつか道は開けるはずなのだ。
大学を後にして、ファミレスで赤魚の煮付け定食を頼む。
箸で魚をついばんでいると、ふとあの爺さんのことを思い出した。
「あれからどうしてるやろ。」
あの時の所持金は千円と小銭が幾らか。
とうに食費は尽きて、また小アジでも釣っているのだろうか。
「財布も重うなったし、もう千円くらいならあげてもええかな。」
ずっと面倒を看るつもりなどないが、もう一度くらいならと思った。
さっと飯を平らげて、あの港へ向かうことにした。
今日も国道は空いていて、赤信号でしか足止めをくらうことはない。
人生もこれくらい平坦ならば、あの爺さんのような人間もいなくなるのに・・・・現実は酷なものだ。
やがて港へ近づいて、手前で車を停めた。
また警官がいたら面倒臭い。
ザっと辺りを見渡して、パトカーがいないことを確かめた。
「おらんな。」
ホっとしながら船のある場所まで歩く。
そして窓の中を覗き込むと、この前と同じように爺さんがいた。
腕枕をして横になっている。
「爺さん!」
大きな声で呼ぶが、返事がない。
俺は周りを見渡し、誰もいないことを確認する。
そして船へと降りた。
ドアは開いていて、中が丸見えになっている。
千円を取り出しながら、「爺さん」と入ろうとした。
「これな、もういっぺんだけやけど、生活の足しに・・・・、」
そう言いかけて固まった。
中へ入ろうとしていた足が、重りを付けられたように動かなくなる。
ゆっくりと後ずさり、ヒクヒクと鼻を動かした。
「臭・・・・。」
部屋の中は異様な臭いが漂っていた。
何かが腐ったような臭いだ。
千円を握り締めたまま、恐る恐る中を覗く。
「・・・・・・・・。」
爺さんはこちらに背中を向けている。
一見するとおかしな様子はないが、前を覗き込む気にはなれない。
先ほどから鼻をつく腐敗臭。
部屋の中に腐るようなものはない。
ただ一つ、爺さんを除いては・・・・。
「爺さん。」
もう一度呼びかける。
やはり返事はない。
俺は船から上がって、吐き気のする胸を押さえた。
・・・・生きている人間が腐るはずがない。
爺さんから腐敗臭がするいうことは、つまりそういうことなのだ。
暦は秋、カレンダーは10月の半ば。
しかしまだ残暑は続いている。
以前にここへ来た時よりはマシだが、それでも長袖を着る気分にはなれない暑さだ。
当たり前のことだが、暑い中ではそれなりに腐敗も早いわけで・・・・。
「最近やな、亡くなったの・・・・。」
吐き気のする胸を押さえながら、車に戻る。
「どうしよ・・・・警察に言おか。」
遠くにある船を見つめながら、イライラと足踏みをした。
俺には前科がある。殺人という前科が。
しかも今はホームレスという身分。
免許証に書かれた住所は俺のものではない。
・・・もし警察に通報すれば、色々と話を聞かれるだろう。
その時、根掘り葉掘りと掘り起こされて、あらぬ疑いを掛けられる可能性は大いにある。
俺は何もやっていなが、面倒なことになるのは間違いない。
「・・・・・放っとくか。」
ボソっと呟いた一言は、そのまま決定事項となる。
脳ミソの中では、早くここから立ち去れ!と警報が鳴っていた。
俺は車を反転させて、急いで港を後にした。
「俺が通報せんでも、そのうちパトカーが見つけるやろ。」
ちょっとばかしの罪悪感はあるが、死んだ他人より自分の身が大事だ。
荒い呼吸を落ち着かせながら、信号の続く国道を睨んだ。
しばらく走り、港から離れる。
別れた嫁と会ったあの喫茶店へ入って、熱いコーヒーを流し込んだ。
「これやから不死身の研究は早く実現させんとあかんねん。
もし俺の夢が叶ってたら、あの爺さんかてまだ生きてたはずや。」
これで四度目の「死」の遭遇。
迷いが生じていた夢への道は、迷いのないまっすぐな道へと戻り始めた。
しかしそこでふと思う。
もし夢が叶わないまま、10年、20年と時間が過ぎたら?
いつか俺もあの爺さんと同じような末路を辿るのではないか?
・・・・俺は死にたくない。
だからこそ始めた不死身への夢。
もし・・・もしこの身が滅びる前に実現しなかったら、そこに待っている未来は・・・・。
「やめよ!そんなん考えたらあかん。」
また迷いが出て来る。
それを振り払うように、コーヒーに大量の砂糖をぶち込んだ。
夢が叶うかどうかは誰にも分からないが、続けている限りは可能性がある。
かつて先生が言っていたように、一瞬の閃で道が開けることもあるのだから。
とにかく迷うなと言い聞かす。
それでも消えない迷いは、数日の間俺を苦しめた。
これを払拭するには、また気を紛らわせるしかない。
俺は浜のある海へ行くことにした。
しかし気がつけば、なぜかあの港へ来ていた。
警察はもう爺さんを見つけただろうか?
それとも・・・・、
過呼吸になりそうなほど、心臓が波打つ。
鼓動が聴こえてきそうなほどだ。
ここで引き返せば何も見ないですむ。
早く浜のある海へ行って、余計なことは忘れよう。
・・・・そう思いながらも、足は港へと進んでいく。
まるで独立した生き物のように。
しかし途中まで来た時、「あれ?」と立ち止まった。
「無い・・・・。」
港には三つの船があったはずだ。
その一番右の船で爺さんは死んでいた。
だが今はどこにもない。
黒く澱んだ海水が、岸壁に打ち付けているだけだ。
「・・・・もう警察が見つけたんか。」
俺はこの前ここへ来た時のことを思い出す。
あの時、警官はこう言っていた。
爺さんが勝手に入るから、船の持ち主が困っていると。
もし警察が爺さんを見つけたなら、当然船の持ち主に連絡が行っているはずだ。
だとしたら、ここから船を撤去したとしてもおかしくない。
というより、それしか考えられなかった。
「なんにも失くなったわけか。」
後ろには廃工場がそびえているが、海には何もない。
魂を抜かれたようなあの船は、恐らくだが処分されたのだろう。
そして爺さんの肉体も、煤となって空へ消えたはずだ。
「なんにも失くなってしもたんか・・・・。」
人も物も、いつかは消えてなくなる。
自分がこの世にいたということを全否定されるかのように、姿かたちを残さずに葬られる。
・・・・また嫌な考えが首をもたげる。
10年、20年先の俺の未来。
あの爺さんは、それを映したものだったのではないか?
もうこの港には何もない。
漁港は潰れ、人は去り、船さえも消えてしまった。
いつか俺も、見果てぬ夢と共に、ここから消えてしまう・・・・。
別れた嫁も、克也や晋也も、そして先生も、みんな同じように消えて・・・・。
「死」は避けられないもの。
その死から逃れる為に始めた不死身への夢は、無駄な徒労に終わるのではないか?
馬鹿な夢を追い、家庭を捨てた間抜けな男という肩書きだけが、この首にぶら下がったまま・・・・。
「そんなんは・・・・嫌やな。」
同調効果を求めて、この港へやって来た。
しかし結果はどうだ?
癒されるどころか、かえって辛い気持ちになっただけだ。
足元から力が抜けて、碇の上に腰掛ける。
荒廃した港の光景は、さらに暗い気持ちへと引きずり込んでいく。
「先生・・・間違えてまっせ・・・・。暗い気持ちの時は、暗い場所に来たらあかん。
もう一回おんなじ事があったら、俺は首括るかもしれませんわ。」
ゴソゴソとポケットを漁る。
メモ帳を取り出し、同調効果という言葉を消し去る。
立ち上がることも出来ないまま、船のない港を見つめていた。

 

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