風のない夜 第九話 先生と金(1)

  • 2017.09.10 Sunday
  • 11:34

JUGEMテーマ:自作小説

車の中で一升瓶を呷る。
背もたれを限界まで倒して、酒を含みながら寒空を見上げた。
今は二月。
あと一ケ月もすれば、俺は55になってしまう。
この歳になると一年なんてあっという間だ。
去年は色々なことがあったが、過ぎてみるとやはり早かったなと思う。
このまま10年、20年と時間が過ぎ、何も変わらないまま歳を取っていくのだろうか?
叶わない夢を抱えたまま・・・・・。
狭い車内で寝がえりをうち、酒を舐める。
年が明けてから、一度も論文を書いていない。
気力が沸かず、アイデアも出てこなくなったのだ。
これが歳を取るということなら、あと10年生きようが20年生きようが何も変わらない。
いや・・・それどころか気力も体力も脳ミソも衰えて、いつかし自分の名前さえ忘れるかもしれない。
一人で小便にも行けなくなり、助けてくれる人間もいやしない。
そんな未来へ突っ走るくらいなら、いっそのこと・・・・などとつまらない事まで考えてしまう。
「冬はアカンな・・・・嫌なことばっかり考えてしまう。」
寒く、暗く、そして陰鬱なこの季節は、家を持たない中年には堪える。
過去を嘆いても仕方ないが、自然と愚痴っぽくなってしまうのも、歳のせいなのだろう。
しかしその愚痴の聞いてくれる相手さえいない。
三分の一に減った一升瓶を抱きながら、ふて寝を決め込んだ。

          *****

翌日、川で洗濯していると、珍しい来客があった。
レジ袋を片手に、「登和さん」と手を挙げる。
「先生!」
ギュっとシャツを絞りながら、「珍しいでんな」と迎えた。
「先生の方から会いに来はるなんて。」
「最近顔を見せなかったからさ。どうしてるのかなと思って。」
そう言って「これ」と袋を掲げた。
「それは?」
「一杯やろうと思って。」
「おお!酒でっか。」
ありがたく受け取ると、中には高そうなワインが入っていた。
「・・・・・・・。」
「どうしたの?」
「すんまへん・・・・俺ワイン苦手で・・・、」
「そうなの?じゃあ別の買ってくるよ。」
「いやいや!そんな・・・飲ませてもらいます。」
「苦手なんでしょ?無理しなくていいよ。」
「せっかく先生が持って来てくれはったもんですさかい。」
余計なことを言ってしまったなと、「美味そうでんな」と笑って見せた。
「どうぞ座っとくんなはれ。」
いつも座る川原の岩に手を向ける。
先生はコートを翻し、ゆっくりと腰を下ろした。
「紙コップ入ってるからね。」
「はい。」
「それとキャビアも。」
「キャビアでっか?えらい高いもんを・・・・。」
「安もんだよ。気い遣わないで。」
袋から紙コップを取り出し、キャビアの瓶も横に置く。
「これがキャビアでっか・・・・。なんか高級な感じがしまっせ。」
丸い瓶には、気位の高そうなラベルが貼ってある。
「底にスプーンもあるから。コンビニで貰ったやつだけど。」
ワイン、紙コップ、キャビア、スプーン。
岩の上に、丁寧に並べる。
先生はワインを掴み、グリュと蓋をこじ開けた。
「ワインってそうやって開けるもんなんですか?なんかこう・・・ドリルみたいなもん使うんと違うんでっか?」
「だから安物だって言ったじゃない。」
「安いやつはそうやって開けるんでっか?」
「なに?ワインのウンチクを知りたい?」
「いやいや、飲み慣れてないもんで、ちょっと気になっただけで。」
金輪際飲むことのないであろう酒の知識など必要ない。
キャビアも今日限りのご馳走だろう。
「こっちも開けてもよろしいでっか?」
「いいよ。」
ビンの蓋を回すと、濃いグレーの小さなツブツブが現れた。
初めて見るキャビア。
正直なところ、あまり美味そうに思えなかった。
《日本酒とイクラの方がよかったなあ。》
ワインだのキャビアだの、そんな物より日本の方が美味いに決まっている。
しかし先生がくれた物に文句など付けられない。
「美味そうでんな」とおべっかを使った。
「美味くはないと思うよ。」
「そうなんでっか?高級やのに?」
「珍味と思った方がいいね。」
「はあ。」
先生はコップにワインを注いでいく。
一つを俺に手渡し、「乾杯」と掲げた。
俺もコップを掲げ、ひと口飲んでみる。
すると意外なことに美味いと感じた。
「先生!これいけますわ。」
「安い方が飲みやすかったりするんだよ。」
「ほおお、そういや昔に飲んだやつは、奮発して高いの買うたんですわ。あれは不味かった。」
「いいやつほど渋かったりするからね。安いやつはアルコールの入ったジュースだと思えば飲みやすい。」
「・・・・うん、これはいけますわ。」
先生の言う通り、確かにジュースに近い。
しかしジュースほど甘くなく、高いワインほど渋くない。
「先生、これも食べてええでっか?」
スプーンを持ち、キャビアを見つめる。
「どうぞ。」
「ほな・・・・。」
軽く掬い、恐る恐る口へ運ぶ。
するとこれも美味かった。
「先生、これもいけまっせ。」
「塩加減がいいだろ?本場のやつはもっとしょっぱいんだよ。」
「ほな日本人向けに作ってあるんでっか?」
「ていうか本物じゃないんだ。」
「え?」
「それ人口キャビアなんだ。魚介類のエキスを使って作ってあるの。色も後から着けたものだし。」
「ほおお・・・・人の手でキャビアが作れるんでっか。科学は進歩してまんねんなあ。」
「いやいや、だから偽物だよ。本物はチョウザメの卵。それは卵に似せた人工物だから。」
「ほうほう・・・・でも美味いでんがな。」
本物だろうが人工だろうが、美味いならそれでいい。
このワインも安物らしいが、人工キャビアによく合った。
「すんませんなあ、こんなええもん頂いて。」
「登和さんが思ってるほど高くないよ。貸した金の方が遥かに高い。」
「いつか必ず返しますよって。」
美味い酒と美味い肴。
家も持たない貧乏人にとって、これほどの楽しみがあろうか。
気がつけば自分ばかり酒がすすんでいた。
「まあまあ、先生も飲んどくんなはれ。」
ワインを注ぐと、グイと呷った。
「ねえ登和さん。」
「はい。」
「悪いんだけど、もう会ってあげられなくなる。」
「は?」
「貸した金は返さなくていい。その代わり、もう論文は見てあげられないんだ。」
一瞬何を言っているのか分からなかった。
もう会わないとはどういうことか?
「それはつまりアレでっか?俺がいつまで経ってもまともな論文を書かかへんから、見限るっちゅうことでっか?」
「違うよ。大学を辞めるの。」
「辞める?なんでまた?」
「そろそろ一人が辛くなってきたから。」
「一人がって・・・・ほなどなたかと再婚なさるんで?」
「こんなジジイを拾ってくれるお人好しな女はいないよ。」
「ほな・・・・なんで辞めるんでっか?」
「田舎に帰る。それだけだよ。」
「田舎にはご家族がおるんで?」
「いないよ。親はとうに死んだし、妻ともずっと昔に別れた。子供もいないしね。」
「じゃあご兄弟は?」
「それもいない。」
「ほな帰っても一人ぼっちやないですか。」
「そうだね。でもここにいるよりはいい。生まれ育った場所なら、ちょっとは寂しさも紛れるかと思ってね。」
そう言って酒の少なくなったコップを見つめた。
俺はお酌をしながら、「故郷が恋しいなったってことでんな?」と尋ねた。
「ホームシックってやつでっしゃろ?」
「ああ。この前ね、20年ぶりに故郷に帰ったんだよ。あんまり良い思い出がある場所じゃないから、今まで避けてたんだけど・・・。
でもね、この歳になると、嫌な思い出よりも懐かしさがこみ上げるんだ。」
「先生の生まれは確か・・・・、」
「東京の多摩ってところ。それも奥多摩に近い所だから、ここよりずっと田舎だよ。
東京って言っても信じてもられないようなほどね。」
「はあ・・・・東京にもそんな場所があるんでっか。」
「別に向こうに帰ったからってさ、何かがあるわけじゃない。でもずっとここにいたいとは思わないんだ。
幸い独り身が長かったから、貯えだけはある。だから田舎にでも引っ込んでさ、ゆっくり余生を送ろうかなって。」
「余生って・・・・まだ60幾つでっしゃろ?隠遁するには早いんと違いまっか?」
「いつ隠遁するかは俺が決めることだよ。生まれ育った場所でゆっくり過ごしたいんだ。」
「せやかて先生・・・・、」
俺は必死に引き止めた。
この人だけが唯一の理解者なのだ。
かつて俺の命を救い、今でも助けてもらっている。
そもそも先生がいなくなったら、いったい誰に論文を見てもらえばいいのか。
「頼んますわ先生。俺の夢が完成するまで、ここにおってもらえまへんか?」
「それだと死ぬまでいないといけなくなる。」
「いつか完成させますがな。先生が生きてるうちに。」
「期待できないな。」
「せやかていきなりそんな・・・・。」
「寂しいのは分かるよ。でも俺だって自分の人生がある。ずっと登和さんに構ってあげるわけにはいかないんだよ。」
ひと口キャビアを頬張り、「やっぱり偽物だな」と不味そうに言い捨てる。
「今月末までは大学にいるから。」
「そんな!あと二週間もありまへんがな。なんでもっと早よう言うてくれまへんねん。」
こうなると分かっていたら、寝る間も惜しんで論文を作ったのに。
悔しそうにする俺を見て、先生は「疲れてるんじゃないか?」と尋ねた。
「はい・・・・。最近気力も体力も衰えてきたっちゅうか。アイデアも浮かばんし。
せやけど先生がおらんようになるって分かってたら、身体に鞭打ってでも・・・・、」
「やめときなって。もう歳なんだ。無理してると祟るよ。」
「ほな俺はどないしたらええんですか!不死身の夢の為に今まで頑張ってきたんでっせ。
家族まで捨てたのに・・・・・。」
「どんなに頑張ったって、叶わない夢はある。」
「でも死にたあないんですわ。この前かて、知り合いが死にかけてるのを見て辛あなって。
幸い助かったけど、死んでても全然おかしいなかったんですわ。あの時たまたま俺が見つけたから・・・・、」
「その人だっていつか死ぬよ。俺も登和さんも。」
「そんなん言わんといて下さい!俺はやってみせまっせ!不死身の研究を完成させて、ノーベル賞総なめにしたりますわ。」
そう、諦めることなど出来ない。
一瞬の閃が道を開くこともあるのだから。
しかし俺の為だけに先生を引き止めるのも、野暮なことかもしれない。
しれないが・・・・この人を失ってしまったら、俺はこの先どうしたらいいのか?
最近よく頭に浮かぶ暗い未来が、絵の中から抜け出てくるように現実味を帯びてきた。
「先生・・・・ほんまは誰かと再婚するんでっしゃろ?」
ふとそんな言葉が出てきた。
意識したものではない。
先生を引き止めたいという思いから、皮肉でもいいから何か言わないとと口が動いたのだ。
「ジジイいうたかて、60幾つやったら再婚する人もいますやろ。ほんまは良え人が見つかったんでっしゃろ?
でも家族に捨てられた俺に気い遣て、そんな言い訳してまんねやろ?」
「再婚なんかしないよ。」
「いいや、そうに決まっとる。身寄りのおらん田舎に帰ったかて、楽になれるとは思えまへん。
ほんまに一人が辛い言うんやったら、大学におった方が気い紛れますやろ?
先生仲間もおるし、生徒だっておる。俺かてちょくちょく会いに行ってるんでっせ。」
酒を置き、先生に向き直る。
「俺、先生におらんようになられたら困るんですわ。そらずっとここにってわけにはいかんやろけど、そんな急はあんまりやおまへんか。
せめてもう一年だけでも大学におってくれまへんか?」
「無理だよ。」
「ほなやっぱり再婚でんな?それしか理由が考えられまへん。俺に気い遣て嘘ついとるんでしょ?」
「違うよ。もしそうならちゃんとそう言ってる。本当に田舎へ帰りたいだけなんだ。」
「先生ともあろう人がホームシックになるんでっか?」
「なるんだろうねえ。じゃないと帰ろうなんて思わないから。子供の頃、俺も家族には恵まれなかった。
だから本当は辛い場所なんだ、あそこは。けど今は懐かしさの方が上でね。」
「そういえば先生の昔話はほとんど聞いたことがありまへんな。」
「良い思い出がないんだよ。登和さんほど過酷なものじゃないけどね。」
「そらねえ・・・俺ほどの奴はそうそうおらんでしょ。おるんやったら会うてみたいですわ。」
「今度大学に来なよ。知りたいなら聞かせてあげるから。」
「今から聞かせてくれたらよろしいがな。」
「今はそんな気分じゃない。今日は飲みに来ただけなんだから。」
「最後の晩餐のつもりで来たんでっか?」
「登和さんが望むなら、どっか連れてってあげるよ。なんなら本物のキャビアを食べるかい?」
「そらええでんな。せやけど最後の晩餐してもたら、先生を送り出すことになるし・・・・難しいですわ。」
腕を組みながら、流れゆく川を睨む。
俺のたった一人の理解者が去ろうとしている。
しかもその理由がどうも嘘くさい。
おそらく誰かと再婚するのだろう。
もしそうだとしたら、俺は先生を祝ってあげないといけないわけだが・・・・。
「今日は飲みましょか。」
先生が昔話をする気になれないように、俺もどんな答えを返していいのか分からない気分だった。
こういう時は考えるだけで損で、飲んで気持ちよくなるに限る。
互いのコップにワインを注ぎ、乾杯し直す。
偽物のキャビアが、口の中で弾けた。

 

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