風のない夜 第十話 先生と金(2)

  • 2017.09.11 Monday
  • 13:35

JUGEMテーマ:自作小説

一月は行く、二月は逃げる、三月は去るというが、まさにその通りだ。
年が明けてからの三ヶ月というのは、あっという間に過ぎていく。
四月、桜が咲く頃になって、ようやく新年を迎えた気になるのは俺だけだろうか?
先生は去った。
二月が終わる頃、故郷である東京へ帰ってしまった。
川原で一杯やったあの日、先生はとても疲れた顔をしていた。
先生にはいったいどんな過去があるのか?
尋ねようかと思ったが、やめた。
先生が大学を去るまで、一度も会いに行くことはなかった。
・・・怖かったのかもしれない。
俺にとってはスーパーマンのようだった先生にも、辛い過去があるのを知ることが。
家族に恵まれなかったと言っていたが、虐待でも受けていたのだろうか。
先生の口から、先生にとっての辛かった出来事を聞くのは勇気のいることだ。
もしそこに人間の弱さを見てしまったら、もう先生をスーパーマンとは思えなくなる。
俺も55だから、この世にスーパーマンのような人間がいないことくらい知っている。
完全無欠に見えてもしょせんは人間。
どこかに痛々しい傷があるものだ。
しかし憧れの人というのは、心のどこかで完全無欠であってほしいと願っている。
要するに俺は、先生に対して偶像崇拝に似た感情を抱いていたのだろう。
ありもしない人物像を描き、それを信じ込むことで、心の支えにしていた。
先生が傍にいてくれるなら、いつか必ず不死身の夢が叶うと信じて。
しかし先生はもういない。
俺を支える人も、俺の論文を見てくれる人もいない。
それはすごく寂しいことで、心に力が入らなくなっていた。
年が明けてから一度も論文を書いていない。
気力も体力もアイデアも湧いてこず、白紙の束から目を逸らしていた。
これから先、夢さえもどうでもよくなって、ただただ昔を懐かしむジジイになるのだろうか?
そして松本さんと同じように、生きることだけに執着して、死ぬまで物乞いのような生活を送るのだろうか?
過去に抱いていた熱い情熱は、歳と共に冷えていく。
これが歳を取るということならば、どうして人は何十年も生きたりするのだろう?
多くの生き物は、子を産み、その子が大人になる頃には死を迎えるという。
新たな命を世界へ送り出したなら、それ以上生きている意味などないということなのだろうか。
昔、テレビである学者が言っていた。
人間の役目は50歳で終わっていると。
それ以降の人生はオマケみたいなものであると。
そういえば織田信長も「人間50年〜」と詠っていたはずだ。
子を産み、その子が大人になる頃、親はちょうど50くらい。
もしも野生の生き物のように、人間も子の成長と共に死ぬようになれば、未来に対する余計な気苦労は消えるだろう。
年金の心配も、寝たきりや痴呆の心配もなくなり、ある意味楽な人生になるかもしれない。
しかしそれは俺の夢と矛盾する。
俺が追い求めるのは「不死身の身体」
要するに永遠の命だ。
人間の寿命は100年を超えるようになった。
今現在100歳を超えている老人が子供の頃には、考えられなかったことだろう。
そういう人たちは、果たして恵まれた人生を送っているのだろうか?
長く生きてよかったと、自分は幸せだと言えるのだろうか?
土手に並ぶ桜の木を見上げ、「知りたいな」と呟いた。
「死」に対する恐怖。
そこから始まった不死身への研究。
未だ完成を見ないこの夢だが、今、その研究が本当に必要かどうか、俺は判断を迫られていた。
「死」が最も不幸なことなら、「不死身」は最も幸せなこと。
当たり前の理屈だと思い込んでいた。
しかし自分が歳を取り、先生さえいなくなってしまった今、幸せとはなんなのだろうかと、この足が立ち止まってしまった。
薄汚れたスラックスのポケットに手を突っ込む。
最近悩んでばかりいたせいで、ロクに洗濯もしていない。
傍を通る人は鼻を曲げるだろう。
桜並木を見上げながら、終わらない独り言が虚しかった。

            *****

桜が新緑に変わる頃、川でズボンを洗っていた。
最近は仕事をする気も起きず、金がないので水洗いしか出来ない。
それでも洗濯すればスッキリするもので、鼻を近づけないと臭いは分からない。
下着、上着も洗って、岩の上に干した。
三ヶ月ほど前、この岩に座りながら、先生と一杯やったことを思い出す。
ワインとキャビアはとても美味くて、死ぬまでに是非もう一度味わいたい。
『登和さんが望むなら、どっか連れて行ってあげるよ。なんなら本物のキャビアを食べるかい?』
あの時、ご馳走になっておけばよかったと後悔する。
車の中から日本酒を取り出し、へこんだコップにチョロチョロと注いだ。
そいつを舐め続けていると、肴が欲しくなってきた。
トランクから釣竿を出し、小麦粉を水で溶かして団子を作る。
そいつを針に付けて投げ込むと、ものの数分でフナが上がった。
しかしそれ以降はパッとせず、獲物を切り替えることにした。
川原の石を持ち上げて、何匹かのザリガニを捕獲する。
小枝を集め、石でかまどを作り、その上に鍋を乗せた。
しかし水がない。
せっかく茹でようと思ったのに、ペットボトルは空だった。
公園まで徒歩5分。
汲みに行こうかと思ったが、面倒くさいのでやめた。
フナの鱗と内蔵を取り、棒切れに刺して火にくべる。
ザリガニは・・・・本当は泥を吐かせた方がいいのだが、早く食べたいのでそのまま焼いた。
あずき色の甲羅が、見る見るうちに鮮やかな朱色に変わっていく。
食べ頃になり、ザリガニを一匹摘んだ。
殻を向き、腹の肉にかぶりつく。
しかし泥臭さのあまり、吐きそうになった。
「あかん・・・・。」
ペっと吐き捨て、酒で口を洗う。
面倒くさいからと泥抜きを怠ったが、手抜きは失敗の元だ。
元々がそう綺麗な川ではないので、とても食えたものではなかった。
せっかく焼いたザリガニを放り投げ、フナにかぶりつく。
しかしこれも不味い・・・・。
ザリガニ同様、フナにも泥を吐かせることが必要だ。
必要な処理を怠ると、食えるものも食えなくなってしまう。
しょうがないので肴は諦め、チビチビと酒を舐め続けた。
このままでは飢え死にしてしまう。
そろそろ仕事をしなければなと、軽くなった財布を叩いた。
川を眺めながら、酒に酔いしれる。
眠気が襲ってきて、岩の上に寝転んだ。
・・・・気がつけば寝ていたようで、目を覚ますと夕暮れだった。
釣りをしていたのは昼前なので、随分と長い昼寝だった。
「最近よう眠れへんかったからな・・・・。」
悩み事があると安眠出来なくなる。
シバシバする目を瞬き、グンと背伸びをした。
「釣れますか?」
突然後ろから声を掛けられる。
振り向くと、釣竿を抱えた男がいた。
「ああ、いや・・・どうやろ?寝とったもんで。」
眠い目をこすりながら、残った酒を呷る。
男は少し離れた場所に立ち、竿を投げていた。
すぐに当たりが来たようで、竿を持つ腕の筋が浮き上がっていた。
しばらく格闘の後、大きな鯉を釣り上げる。
手繰り寄せ、針を外すと、そのままリリースしていた。
《スポーツフィッシングか。》
こっちは生きる為に釣っているというのに、呑気なものだ。
男に背中を向け、また背伸びをする。
天気がいいせいか、洗濯物はとうに乾いていた。
丁寧に畳み、車の中にしまい込む。
岩に戻り、眠気覚ましにと川を眺めた。
男は次々に魚を釣り上げ、その都度リリースしていた。
食べないのに魚を釣る感覚は、俺には分からない。
魚との格闘が楽しいらしいが、それも食べるという目的があってこそのものではないのか?
しばらく眺めていると、向こうもこちらを振り返った。
なぜかニコリと笑う。
かなり若い。
鼻筋の通ったいい顔をしている。
しかしこの顔、どこかで見たことがあるような・・・・・。
「・・・・・・。」
じっと考え込む。
しばらく迷ってから、思い切って尋ねた。
「晋也か?」
遠慮がちに尋ねると、竿を下げてこう答えた。
「今頃気づいた?」
「やっぱりそうか。昔の面影があるからそうなんちゃうかと。」
嬉しくなり、傍へ寄る。
「デカあなったな。克也より全然大きいで。」
「まあな。あと2センチで190やねん。もうちょっとやのに残念やわ。」
「じゅうぶんデカいやないか。あんまり大きいなったら着るもんに困るで。」
嬉しさのあまり頬が緩む。
克也も晋也も、俺が思っていたよりずっと逞しい男になっている。
まくった袖から覗く腕は、惚れ惚れするほど鍛え上げられていた。
「バスケットやってたんやってな。」
「今でもやってるで。ほんまにプロになりたかったんやけど、壁は厚いわ。」
「いや、でもほんまにええ男になったやないか。女の子が放っとかんやろ?」
「自分で言うのもなんやけど、そこそこモテるで。」
「そらそうやろ。ほんまに立派になった。」
喜びのあまり饒舌になる。
心の底から湧き上がるこの嬉しさは、いったいなんなのか?
二度と会えないと思っていた家族に会えたからか?
それとも俺のような男から、こんな立派な子が誕生したからか?
理由はどうあれ、言葉には出来ない嬉しさに満たされていた。
「今日はどうした?釣りに来たんか?」
「オトンに会いに来た。」
「俺に?わざわざ会いに来てくれたんか?」
余計に嬉しくなる。
何か振舞ってやりたいが、何もないでのそわそわするしかなかった。
「いや、でも・・・なんで俺がここにおると知ってんねや?」
ふと素朴な疑問が出る。
晋也は竿を置き、「先生から聞いた」と言った。
「先生?」
「俺のダチが行ってる大学の先生。オトン、えらい世話になったんやろ?」
「先生って・・・・太刀川先生か?」
「そや。お兄を連れてきたメガネの奴がおるやろ?アイツ俺のダチでもあんねん。」
「そうなんか!せやかてなんで先生がお前にこの場所を?」
「遺言や。オトンを助けてやってくれんかって。」
「なに?遺言ってなんや?」
「先生亡くなりはったんや。」
「は?」
「一ヶ月前に自殺しはった。」
「・・・・・・。」
何も言葉が出てこなくなる。
人はショックを受けた時、目の前が真っ白になるというが、まさにその状態だった。
足元から体重が消えて、そのクセやたらと身体が重く感じた。
晋也は「座って話そ」と俺の背中を押す。
岩の上に腰を下ろし、「なんか飲むか?」と尋ねた。
「お茶あるで。」
足元のバッグから、ペットボトルのお茶を取り出す。
俺はそれを握り締めたまま、キャップを開けることさえ出来ないでいた。
「ごめん、いきなり言うことじゃなかったな。」
ペットボトルを奪い、キャップを開ける。
それを俺の手に握らせると、「もうちょっと落ち着くまで待とか?」と言った。
「いや、ええ・・・・話してくれ。」
ひと口お茶を飲み、先ほど捨てたフナの丸焼きを見つめた。
「なんで自殺しはったんや?」
「色々悩んではったみたいやで。遺書に書いてあった。」
「遺書?お前読んだんか?」
「送られてきたんや。ほんまはオトン宛てにしようと思ったらしいけど、いきなり読んだらショックを受けるかもと心配してはったんや。
だからまず大学に送ってきた。それをメガネ・・・・水津っていうんやけど、水津が読んで、俺に送ってきた。」
「なんて書いてあったんや?」
「色々や。昔にお婆ちゃんから虐待を受けてたこととか、仲の良かった妹が事故で亡くなったこととか。」
「・・・・・・・・。」
「学校でも上手くいってなかったみたいでな。虫が好きやから昆虫博士になりたくて、虫を収集してたんやと。
ほんなら気持ち悪いとか臭いとかイジメられたみたいで。辛くて親に相談しても、なんにもしてくれへんかったと。
妹だけは心配してくれたみたいやけど、その妹も亡くなって。
家にも学校にも居場所が無うなって、ずっと一人で悩んでたそうや。」
「そら・・・・、」
「だから高校卒業したらすぐに家を出て、働きながら大学に通ったらしいで。
先生、歳取ってもカッコよかったやろ?若い頃は夜の仕事して学費稼いだって書いてあった。
そんで大学院まで行って、一生懸命勉強したらしい。
そのおかげか、教授にえらい気に入られてな。学者への道が開けたって。」
「・・・・・・・・・。」
「あの時、その先生だけが頼りやったって。まあオトンで言うところの太刀川先生やんな。
自殺を考えた時期もあったみたいやけど、その先生がおったから乗り越えられたって書いてたわ。」
「先生も自殺をしようとしてたんか・・・・。」
ショックだった。
俺の自殺を止めた先生が、同じことをしようとしていたなんて・・・・。
「地元を離れて、勉強に勤しんでても、辛いことって蘇るらしいわ。
虐待にイジメに、妹さんが亡くなってもたこと。何度死のうと思ったか分からへんって。」
「・・・・えらい傷ついてはったんやな。そんな風には見えへんかったけど。」
「人は見た目で分からんもんや。せやけど先生は、目えかけてくれる教授のおかげで生きようと決めた。
でもその先生も亡くなってもたみたいで・・・、」
「なんでまた!」
思わず大きな声が出る。
晋也は「落ち着け」と宥めた。
「茶あ飲みいや。」
「・・・・・・・・・。」
半ば無理矢理な感じで飲まされる。
早く続きが知りたくて「なんで亡くなりはったんや?」と詰め寄った。
「自殺やと。」
「その先生もかいな!」
「奥さんのこと、すごい大事にしてたみたいでな。でも子供が一人立ちするのと同時に、別れを切り出されたらしい。」
「なんでや!?」
「だから落ち着けって。」
「これが落ち着いてられるかい!俺の大事な先生の話やぞ!その先生が自殺して、その先生の先生も自殺やなんておかしいやないか!!」
立ち上がり、「どうなっとんねん!」と叫んだ。
「なんでどいつもこいつも自殺やねん!なんでそんなようさん人が死ぬんや!」
「だから落ち着けって。」
晋也は俺の肩を押さえる。
抵抗しようと思ったが、あまりの腕力に何も出来なかった。
「もっぺんお茶飲み。」
「・・・・・・。」
ゴクリと飲み干し、「なんでや・・・」と頭を抱えた。
「なんで死ぬねん・・・・。」
「だから奥さんから別れを切り出されたからや。その教授は奥さんのこと大事にしとったらしいんやけどな。
でも奥さんは前から別の男がおったらしいて。」
「なんやそれ!不倫しとったんか!」
「そういうこっちゃな。そんで子供が一人立ちするのと同時に、その男と一緒になるつもりにしたらしい。
教授はえらいショックを受けて、別れてから何日か後に亡くなりはったって。」
「なんでや・・・・なんでそんな・・・・・・、」
「オトン以上に太刀川先生の方がショックやったと思うで。信頼してた先生が自殺したんやから。」
「当たり前や!なんじゃいその話は!そんな女、俺が殺したあのクズと変わらんやないか!!」
憎き母のことを思いだし、拳が硬くなる。
「そんなん自殺と違う!その嫁が殺したんや!あのクズが親父を殺したんと一緒や!目の前におったら俺がこの手で殺したる!!」
硬くなった拳を岩に打ち付ける。
すると晋也は「だから直接オトンには送らんかったんや」と言った。
「そうやって感情的になるやろ?」
「これが怒らんとおれるかい!」
「はい、もっぺんお茶飲んで。」
「いらんわ!」と払おうとしたが、晋也の腕力には敵わない。
いくらこいつがガタイの良いスポーツマンだからといって、こうも抵抗出来ないとは・・・・。
おそらくだが、俺の体力が衰えているのだろう。
加齢、荒んだ生活、それらが確実の俺の身体から力を奪っていた。
「話を戻すけど、太刀川先生はえらいショックを受けた。でもその後に好きな人が出来てな。
その人と結婚して、すごい幸せやったみたいやで。」
「結婚してはったことは知っとる・・・・。せやけど別れた言うてはった。」
「まあな。その嫁さんも他に男がおったらしいて。」
「はあ?なんやそれは・・・・、」
「ええから落ち着け。最後まで聴き。」
ゴツイ手でポンと叩き、話を続ける。
「自分の先生の時と一緒や。結婚して何年か経って、いきなり別れを切り出されたんやと。
アンタいっつも家におらへんし、私のこと見てくれへん。それやったら、私のこと大事にしてくれる人の方がええと。
太刀川先生は嫁さんのこと大事にしとったつもりやけど、上手く伝わってなかったんやろなあ。
出世して楽させたろと仕事に励んどったら、家をほったらかしにしたと思われたらしい。」
「・・・・・・・。」
「大丈夫かオトン?ちょっと休憩しよか?」
晋也が心配そうに言う。
というのも、全身に殺意がみなぎって、拳のみならず全身が強ばっていたからだ。
今すぐその女を追いかけて殺してやりたいほどに・・・・。
「なんやそれ・・・・どいつもこいつもあのクズと一緒か?自分のことだけ考えて、相手はどうなってもええっちゅうんか?」
「でもオトン、人のこと言えへんで?俺らとオカンを捨てたんやから。」
「それはそうやけどやな、俺はお前らを傷つけるつもりなんて・・・・、」
「あの後、オカンはたまたまええ男と再婚出来たからよかったけど、そうじゃなかったら大変やったな。俺ら運が良かっただけや。
最初にオカンとの約束を破ったんもオトンやし。」
「・・・・それはすまんと思うとる。でも俺は断じてそんなクズ共とは違う・・・・。」
「まあまあ、話が逸れてるから。何回も言うけど落ち着いてくれ。」
またお茶を飲まされ、憐れむように肩を叩かれた。
「先生はまた一人になってもたわけや。
幼い頃、たった一人仲の良かった妹を亡くした。
自殺を考えてる中、手を差し伸べてくれる恩師に出会ったけど、その人も亡くなってもた。
その後、好きな女が出来て一緒になったけど、その人まで去ってもうたわけや。
それ以来、誰も信用出来へんようになったと書いてあった。ただ一人、オトンだけ除いて。」
意外なことを言われ、「俺?」と顔をしかめる。
「俺が・・・・先生に信用されとったんか?」
「遺書にはそう書いてあった。教育実習で自殺しようとしてた生徒を見つけて、一瞬立ちすくんだらしい。
でも気がついたら助けてたと。その頃はまだ自殺したい気持ちを抱えてたから、他人事に思えへんかったって。
その後に恩師を亡くして、嫁さんにも逃げられるわけやけど、オトンという存在があったから、どうにか耐えられたって。」
「なんでや?なんでこんなアホみたいな男が助けになんねん?」
「ええっとな・・・・同調効果やと書いてあったわ。」
「それってアレか?暗い気持ちの時に、暗い曲を聞いたら良えっていうあれか?」
「そうや。よう知ってるな。」
「先生から教わったんや。でもあれ嘘やで。暗い気持ちの時、暗いもんに触れたらアカン。余計に気が滅入るからな。」
「でも先生はそうじゃなかったみたいやで。オトンと話したりすることで、自分の方が慰められてたって書いてたから。
ここに昔の自分がおる。それを励まそうとすることで、自分も励ましてたって。」
「・・・・・・・・。」
「オトンがな、先生の命を繋いでたんや。恩師を亡くして、嫁さんに逃げられたあとも、オトンと話すことで自分を励ましてたらしい。
それはついこの前まで続いてたってさ。」
「ほな・・・・俺が先生の支えになってたってことか?」
「そういうことやな。せやけど歳と共に過去の辛さが募ってきたみたいで。だからいっぺん故郷に帰ってみたんやと。
今この目で見たら、あの場所から何を感じるんやろうって。」
「・・・・・・・。」
「辛い思い出の場所やのに、案外落ち着いたらしいわ。だから思い切って帰ることにしたわけや。」
「ほならほんまやったんやな。再婚とかやのうて、ほんまに故郷が懐かしいなって・・・・。」
「でも帰った所で身寄りはおらん。落ち着くと思ったのは最初だけで、だんだんと過去の辛さが蘇ってきたらしい。
オトンの言う通り、同調効果は嘘やったわけやな。
辞めた大学に戻ろうにも、60過ぎたジジイを再雇用なんてしてくれへん。
周りも知らん人間ばっかりになってて、どんどん孤独が募っていったって。
そんである日、急に生きる気力がなくなったと。
もう生きることは諦めて、楽になろうと決めたんや。」
「そんな・・・・あの先生が・・・そんな追い詰められてたなんて・・・・。」
言葉が詰まる。
怒りとは別の意味で拳が硬くなった。
「せやけどオトンのことだけが気がかりやった。今まで自分の支えになってくれたのに、急に別れを告げてもた。
オトンが自分のこと頼りにしてたのは知ってたし、もう論文も見てやれへん。」
「・・・・・・・・。」
「あの歳じゃ定職に就くのも無理や。それやったらせめて、生活のことだけはどうにかしてやりたいと思ったんやと。」
晋也はバッグを漁り、一枚の封筒を取り出す。
中から遺書らしき手紙、そして数字が書かれた紙切が出てきた。
「これが遺書、そんでこっちが小切手な。」
「小切手?」
「金は全部オトンに譲るって。」
「はあ?なんでや!?」
「だからオトンを心配してたからや。急におらんようになって申し訳ないって。」
「でもなんでそんな財産を俺になんか・・・・、」
「それは俺に聞かれても困る。先生がそう決めたんやから。」
「せやけど・・・・、」
「先生身寄りがおらんから、ほっといても誰の手に渡るわけでもない。ていうか最悪は国に没収されるんやで。」
「そうなんか?人の金やのに?」
「滅多にないケースらしいけどな。だいたいは家裁が財産を相続するに相応しい人を探すらしいで。
それが見つからへんかった場合、国のもんになるわけや。
そうなるくらいやったら、オトンの手に渡そうと思ったんかもしれんな。」
「・・・・・・・。」
まだ理解できない。
どうして俺に財産を譲ろうとするのか?
こんなロクでもない男の為に・・・・・。
俯く俺を見て、晋也はこう呟いた。
「一つだけ条件がある。」
「条件・・・?」
「これを受け取る代わりに、夢は諦めてくれ。」
「それは不死身の研究をやめろってことか?」
「そう書いてあった。その夢を抱えてる限り、失うもんの方が大きい。
登和さんの一番の不幸は、極端に「死」を恐れるようになったことやと。」
「・・・・・・・・・。」
「ショックかもしれんけど、それはみんなが思ってることや。俺もお兄もオカンも。
口には出さへんだけど、ほとんどの人は思うことやろ。」
「・・・・・・・・・。」
「もしもそうじゃなかったら、今頃俺らと暮らしてたかもしれん。まあ今さら言うてもしゃあないけど。
でもな、この先もその夢を抱えたままやったら、俺の二の舞になるんちゃうかと、先生は心配してたみたいや。
だからこの金を受け取る代わりに、もう夢は諦めろいうのが、先生の一番言いたかったことや。」
そう言って俺の手に遺書を握らせる。
「詳しいことは遺書を読んでみ。」
「・・・・・・・。」
「もし夢を捨てるんやったら、この先の生活は安泰や。先生独り身やったさかい、けっこうな額を溜め込んではるわ。
贅沢さえせえへんのやったら、この先一生食えるで。」
晋也は立ち上がり、バッグを担ぐ。
足元の竿も拾って、ピュンとしならせた。
「また明日ここに来る。その時に答え聞かせてや。」
小切手を振りながら、「ほな」と去って行く。
俺は遺書を握ったまま、何も言えずに座り込んでいた。
先生が自殺・・・・もうこの世にいない。
色々と話を聞かされた中で、それが一番ショックだった。
「なんでですか先生・・・・。一言くらい相談してくれたらよかったのに・・・・。」
俺の存在が助けになっていたというのなら、どうして俺に何も言わなかったのか?
先生から受けた恩は、相談に乗るくらいでは足りないというのに。
「俺がこんな体たらくやからですか?叶いそうもない夢ぶら下げた、行き場のないオッサンやから・・・・。」
渡された遺書はずっしり重い。
今は読む気にはなれなかった。
「俺が欲しいのは金とちゃいまっせ・・・・。人が・・・・分かり合える人が欲しいて・・・・、」
先生と金。
天秤に掛けるまでもなく、答えは出ている。
先生は夢を諦めろというが、大事な人の死を聞かされては、余計に諦められなくなってしまう。
・・・・その日の夜、覚えている限り、自分の過去を振り返ってみた。
いったいどこで道を間違えたのだろう?
母を殺したあの日か?
それとも自殺をしようとしたあの日か?
家族を捨てたあの日か?
全てが正解のようで、どれもが間違いのような気がした。
しかし一つだけ、ぼんやりと見えてきたことがある。
きっと俺が本当に望んでいたのは、不死身の身体ではない。
目の前から大事な人が消えるという、その不幸を無くしたかったのだ。
父の死、母の殺害、そして自殺。
「死」が存在しなければ、どれも起こりえない事だ。
「俺は人が欲しかった、傍におってくれる人が。
やのにどっかで道を間違えて、手段が目的に変わって・・・・・。」
夜空は曇っていて、月も星も見えない。
それどころか風さえ吹いていない。
車の窓は開けているのに、澱んだ空気だけが漂ってくる。
手に握った先生の遺書。
これを抱いたまま、俺も澱んだ空気の中に溶けてしまいたかった。

 

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