不思議探偵誌 第九話 ひそかな楽しみ(2)

  • 2010.07.24 Saturday
  • 10:19
 今日も事務所に依頼がくることはなく、俺は由香利君に「タバコは一日5本まで」と決められた約束を守りながら、タバコを吹かして一日を終えていた。
由香利君はもっぱら書類の整理や掃除に精を出しており、俺はタバコの煙を吐き出しながらそれを眺めていた。
今日も平和に一日が過ぎていく。
そして時刻は午後9時。
もう事務所を閉める時間だ。
「由香利君、今日はもうあがっていいよ。」
床を拭き掃除していた由香利君が手を止めて壁掛け時計を見る。
「もうこんな時間なんですね。
じゃあ私はお先に失礼させてもらいます。」
そう言って由香利君は掃除道具を片付け、上着を羽織って帰る準備をする。
「久能さん。
ちゃんと戸締りして帰って下さいね。
あと私がいないからって、家に帰ってたくさんタバコを吸ったらダメですよ。」
母親のように俺に向かってそう言い、「分かってるよ、お疲れさん」と言って俺は手を振る。
「じゃあまた明日。
お疲れさまでした。」
ドアをパタンと閉めて由香利君が帰っていく。
俺は窓を開けて、外を歩いて去って行く由香利君を確認した。
「よっしゃ!
これで由香利君にバレることなくSMクラブに行けるぞ!」
五日前、公園で一つの依頼を受けた。
その男性はSMクラブに通っており、それが奥さんにバレそうになって離婚の危機にあるのだと言った。
そして何とか奥さんとの離婚の危機を救って欲しいと頼まれた。
奥さんに、SMクラブに行っていないという確たる証拠を見せないと、その男性は離婚されてしまうのだ。
その男性の名前は永野健太郎さん。
四十代の真面目そうなサラリーマンだ。
仕事のストレス発散の為に、二年ほど前からSMクラブに通っているという。
俺は永野さんに、離婚の危機を救うと約束した。
ただ、SMというものがどういうものか理解する必要があるので、一度俺もSMクラブに連れて行って欲しいと頼んだのだった。
そして今日の朝、永野さんから電話があった。
「もしもし、久能探偵事務所さんですか?」
「はい、そうです。」
電話を取ったのは俺だった。
椅子に背を預け、聞き覚えのある声だなと思っていた。
「先日お会いした永野です。」
その言葉を聞いた瞬間、俺はパッと椅子から身を起こした。
「はい、どうも。」
来た!
きっとSMクラブの誘いだ。
俺の予想は的中し、永野さんは今日の午後10時にSMクラブに行かないかと誘ってきた。
俺は踊り出しそうなほど喜んだが、あまりはしゃぐと由香利君に怪しまれる。
椅子に座り直し、ごほんと咳払いをしてから落ち着いた声で答えた。
「もちろん行きます。
待ち合わせは9時過ぎに駅前でどうでしょう?」
永野さんはそれでいいと言い、短い挨拶を交わして電話を切った。
そして今、由香利君は帰っていなくなり、事務所を閉めてSMクラブに出掛けることが出来るようになった。
俺は上着を羽織って事務所の電気を消し、ドアの鍵を閉めてスキップしながら駅前に向かった。
やった!
念願のSMが出来るぞ!
子供のように躍る心を押さえながら、俺は駅前に着いた。
先に到着していた永野さんが、俺を見つけて手を振る。
俺は永野さんに駆け寄り、ニヤニヤ顔を引き締めて挨拶をした。
「お待たせしました。」
仕事帰りなのか、永野さんはスーツ姿だった。
「いえ、私もさっき着いた所です。」
短く言葉を交わしたあと、俺は興奮しながら尋ねた。
「それで、そのSMクラブというのは何処に?」
ああ、早く行きたい。
俺ははやる気持ちをなるべき顔に出さないように努力していた。
「ここから30分ほど歩いた所にある繁華街にあります。
まあ、ラブホテルやら、風俗店が並ぶ大人の店がたくさんある所ですな。」
俺は頷き、「早速行きましょう」と言って永野さんと一緒に歩き出した。
「奥さんとはどうです。
まだSMのことを疑われていますか?」
俺は少し元気のなさそうな永野さんの横顔に聞いた。
永野さんは大きくため息を吐き、手でポリポリと頭を掻いた。
「まだ疑われています。
今はまともに口もきいてくれない状態ですわ。
だから、何とか探偵さんに、私の離婚の危機を救って頂きたい。」
懇願するような声を絞り出し、永野さんは目をしばたいた。
「それはご安心下さい。
私がきっと解決してみせます。
それより今日は、SMなるものがどういうものか、依頼を受けた身として確かめねばなりません。
これはとても重要なことです。」
永野さんは「はあ」と気の無い返事をし、それから黙って二人で歩いた。
永野さんの言う通り、SMクラブのある店の周りには怪しい看板がいくつも立っていた。
いわゆる夜の大人の遊び場を提供する店の看板で、派手な明かりを放ちながら欲求不満の客達を引き寄せていた。
「SMクラブ 女王様と子豚の教室」
そう書かれたピンク色の明かりを放つ看板がある店の前に立ち、俺はゴクリと生唾を飲んだ。
こ、ここがそうなのか。
この中で、女王様が鞭だの蝋燭だのを使って、欲求不満な子豚達を苛めているんだな。
「は、入りましょうか。」
俺は喜びと緊張が混ざった震える声で言った。
しかし永野さんは首を振った。
「いえ、私はいいです。
妻に離婚の危機を迫られているんですから、もうSMクラブに通う気はありません。
どうぞ、探偵さんお一人で楽しんで来て下さい。
私はこれから家に帰ります。」
なんだか拍子抜けの返事だったが、離婚の危機にある永野さんの気持ちを考えれば当然かもしれない。
まあ、別に二人で店に入る必要はないのだ。
要は俺がSMを楽しみたいだけだった。
「そうですか。
分かりました。
ではまた後日連絡を差し上げます。
きちんと奥さんとの離婚の危機は救ってみせますので、ご安心を。」
その言葉を聞くと、永野さんは安堵の浮かんだ顔を見せ、「それでは、私はこれで」と行って夜の街に去って行った。
さてと、俺は今からSMを堪能するとしますか。
店には入ると受付があり、この店の利用は初めてかと聞かれたので、そうだと答えた。
「ではコースを選んで下さい。」
そう言ってメニューのようなものを差し出された。
中には利用時間のコースと、その料金が載っていた。
俺はSMが初めてなので、見せられた料金が高いのか安いのかは分からなかったが、とりあえず2時間コースを選んだ。
「では部屋までご案内します。」
料金を前払いした俺を、ボーイのような男が奥から出てきて案内する。
ピンク色に照らされた、いくつもの部屋が並ぶ細い廊下を通され、一番奥の一つ手前の部屋に入ってくれと言われた。
「では、ごゆっくりお楽しみ下さい。」
そう言い残してボーイは去って行き、俺は緊張しながらドアを開けた。
「中は狭い部屋で、やはりピンクの照明が薄暗く室内を照らしていた。
俺はドアを閉め、部屋の真ん中に突っ立っている、ボンテージを着た髪の長い女に挨拶をした。
「ははは、どうも。
いやあ、私、SMは初めてなもので・・・。」
言い終わる前に、女は手に持っていた鞭をピシャっとしならせた。
「うるさい!
この醜い子豚め!
さっさと服を脱いで四つん這いにおなり!」
俺はその言葉に圧倒され、いそいそと服を脱いだ。
「あ、あのう。
パンツも脱ぐんですか?」
女はまたピシャっと鞭をしならせる。
「鈍いこと言ってんじゃないよ、この豚!
パンツを脱いで、さっさとこれを穿くんだよ!」
そう言って差し出されたのは、真っ白いブリーフだった。
「あ、あの・・・。」
「口答えなんかいらない!
さっさと穿き替えな!」
俺はトランクスから、慌てて真っ白いブリーフに穿き替えた。
「さてと、手を床に付いて四つん這いになりな。」
俺は女の言われる通りにした。
「違う!
そうじゃない!」
また女の鞭がしなる。
「もっとこう、ケツを上に向かって突き出すんだよ!
ほら、さっさとしな!」
俺はたまらなく恥ずかしくなりながら、それでも女の言う通りにした。
女は俺の突きだしたケツに、高いヒールを履いた足を乗せて聞いてきた。
「鞭と蝋燭、どっちがいい?」
「はい?」
俺が間抜けな返事をすると、また鞭がしなる。
「鞭と蝋燭、どっちがいいかって聞いてんだよ!
さっさと答えな、この醜い豚!」
「じゃ、じゃあ鞭がいいです。」
俺が答えると、女は不敵に笑い、鞭を大きく振りかぶって俺の背中に叩き下ろした。
ピシャーン!と大きな音が鳴る。
「ひいいい!」
俺は痛さに声をあげた。
「うるさい!
この豚め!」
ピシャーン!
「ぎひゃあああ!」
「この無能!
この醜い豚!」
ピシャーン!
「ぐひゃあああああ!」
鞭で叩かれる背中が痛い。
痛いのだが、その中には確かに快感があった。
俺はその快感に身を任せ、恍惚とした表情を浮かべていた。
「ニヤニヤしてんじゃないよ、このクズ!」
ピシャーン!
「お前なんかミジンコ以下なんだよ!」
ピシャーン!
「ほら、何とか言いな!
この豚!」
ピシャーン!ピシャーン!
狭い部屋の中には、俺の叫び声、そして女の罵声と鞭の音が響いている。
初めて味わうSM。
それは鞭と言葉責めによる痛みと快感のパラダイスだった。
俺は四つん這いになったまま、女の罵声と鞭の餌食になっていた。
「この豚!この無能!このミジンコ!」
ピシャーン!ピシャーン!ピシャーン!
「ぐほあああああああ!」
そんなことをしているうちに、あっというまに2時間が過ぎた。
女は俺のケツから足を下ろし、鞭を持ったまま、近くにあったテーブルから名刺を取り出す。
「また鞭で叩かれたくなったら、ここへ来な!」
そう言って「SMクラブ 女王様と子豚の教室」と書かれたピンク色の名刺を渡された。
「お時間です。
お楽しみ頂けたでしょうか。」
ボーイがドアを開けて終了を伝え、俺は自分の服を着てドアを出た。
ドアを出る前、チラリと見た女は、不敵な笑みを浮かべたまま鞭を持って俺を見送っていた。
俺は店の外に出て、さっきまでのSMプレイを思い出す。
女の罵声と、鞭の痛みが思い出される。
結論から言うと、SMは楽しかった。
女の罵声は俺の心を気持ちよく刺激したし、女の鞭は痛みの中にも確かに快感があった。
とても楽しい時間だったと思う。
だがしかし、一つ物足りないものがあった。
それは攻撃力だ。
俺は日々、由香利君の鍛え抜かれた拳や蹴りを受けている。
その衝撃は、さっきの女の鞭とは比較にならない。
由香利君の攻撃は、大の男を失神させるほどの威力を持っているのだ。
それを日々受けている俺は、要するに毎日のように由香利君とSMをしていることになる。
気付かないうちに、俺達は強烈なSMプレイをしていたわけだ。
もっとも、そんなことを言ったら由香利君にどんな目に遭わされるか分からないが。
「私はSMなんかしているつもりはありません!」
そう言いながら、強烈な鉄拳や回し蹴りが飛んでくるだろう。
そしてそれを気持ちいいと感じる俺。
俺って心底変態だなあ。
もう自分が変態であることに否定はしない。
そして、不意に由香利君の強烈な鉄拳が恋しくなった。
由香利君、やっぱり俺の相手は君しかいないよ。
そう思いつつ、女からもらった名刺は大事に上着のポケットにしまった。
俺は耳に女の罵声を、背中に鞭の感触を残したまま、夜の街へと紛れて行った。

                                第九話 またつづく


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