不思議探偵誌 第九話 ひそかな楽しみ(3)

  • 2010.07.25 Sunday
  • 10:24
 昨日、俺は初めてSMというものを体験した。
女王様に扮した女に豚呼ばわりされ、汚い罵声を浴びせられながら鞭で叩かれた。
今でも、ありありとその時のことが思い出される。
まあ、楽しい時間ではあった。
もしかしたらまた行くかもしれないので、女王様からもらった名刺は、大事に上着のポケットに取ってある。
もしこのことが由香利君にバレたら、ひどい目に遭わされるだろう。
今由香利君は、昨日に引き続いて事務所の掃除をしている。
俺は由香利君にタバコは一日に5本までと決められ、今は3本目を吸っている最中だ。
「最近本当に依頼がきませんねえ。
これじゃ事務所が潰れちゃいますよ。」
「う、うん。
そうだな。」
俺は曖昧に笑って返事をした。
依頼なら一件受けているのだ。
しかしそれは由香利君には内緒で。
だってその依頼は、俺がSMクラブに行ったことと大きく関係しているから。
口が裂けても由香利君には言えない。
俺は机の上の電話を取り、メモ帳を開いて番号をプッシュした。
数回コールがなったあと、一人の男性が出た。
「もしもし、探偵の久能です。
今お時間よろしいでしょうか?」
電話をかけたのは今回の依頼人の永野さんだ。
妻にSMクラブ通いがバレそうになり、離婚の危機に立たされている。
それを解決するのが俺の仕事だった。
「今は仕事中なんで、あまり時間はないんですが。」
永野さんは、やや声を落として答える。
どうやら会議中にでも電話をかけてしまったようだ。
「お時間は取らせません。
奥さんとの離婚の危機の件なんですが、そのことについてです。」
俺は吸っていたタバコを灰皿に押し付け、椅子を回して窓の外を見た。
「もしかして、今日解決して下さるんですか?」
勢い込んで聞いてくる永野さんに、「ええ、そうです」と答えた。
「昨日と同じ九時過ぎに駅前で待ち合わせしましょう。
私に考えがあります。
きっと奥さんとの離婚の危機は救ってみせますよ。」
そう言うと、「ありがとうございます」と声が返ってきて、俺は窓の外の空を見ながら言った。
「お時間がないようなので、これで電話は切らせて頂きます。
詳しいことは、また会ってから。」
「分かりました。
では昨日と同じ時間に駅前でお待ちしています。」
そう言って電話は切れた。
俺はくるっと椅子を回し、新しいタバコに火を点けようと、机の上に手を伸ばした。
「何の電話だったんですか。」
由香利君が俺の机の近くまで来て、怪しむような目で見つめてきた。
「い、いや。
ちょっと依頼が入って・・・。」
そう言うと、由香利君は手にしていた雑巾を両手で握り、「よかったじゃないですか」と言った。
「ここの所まったく依頼がありませんでしたかかね。
私もお手伝いしますよ。」
「とんでもない!」
俺は手を振って答えた。
「どうしてです?
いつも二人で依頼を受けているじゃないですか?
今回も二人で解決しましょうよ。」
それは出来ないのだ。
だって俺がSMクラブに行ったことがバレてしまうじゃないか。
俺は慌てながら、椅子を立って言った。
「いや、今回の依頼は俺一人でやる。
その、とても危険なんだ。」
由香利君は目をぱちくりさせ、一歩俺に近づいてきた。
「だったらなおのこと二人でやった方がいいじゃないですか。
危険な依頼なんでしょ?
久能さん一人じゃ危ないですよ。」
むう、引き下がるつもりはないようだ。
俺はごほんと咳をして、由香利君に近づいてその両手を握りしめた。
驚く由香利君。
「ちょ、ちょっと。
何なんですか急に!」
「聞いてくれ。」
俺は真剣な顔で由香利君の目を見た。
由香利君は顔を真っ赤にし、恥ずかしそうにしながらも、俺の視線を受け止めていた。
「この依頼、本当に危険なんだ。
俺はそんな危険なことに君を巻き込みたくない。
由香利君は俺の大切な助手だ。
もしものことがあったら、きっと俺は後悔する。」
何としてでも由香利君を引き下がらさせる為に、真剣に演技をした。
俺の言葉を聞いた由香利君は顔を真っ赤にしたまま俯き、そしてゆっくりっと顔をあげて言った。
「わ、分かりました。
そこまで久能さん言うのなら・・・。」
そして俺の手を握り返し、心配そうな、そして真剣な顔で言った。
「でも、私だって久能さんのことが心配です。
だから、もし本当に危険な目に遭いそうになったらすぐに逃げて下さいね。
そして私に連絡を入れて下さい。
そう約束してくれなきゃ、一人で久能さんを行かせられません。」
俺はその言葉に大きく頷き、強く由香利君の手を握って「約束する」と答えた。
「依頼人と会うのは今日の夜だ。
明日にはきっと無事に帰って来てみせる。
だから由香利君は安心していてくれ。」
その言葉を聞いた由香利君も大きく頷き、そしてニッコリと笑って「久能さんの無事を祈ってますから」と言ってまた掃除に戻って行った。
ふう、これで何とか由香利君にバレずに済む。
俺の迫真の演技が、由香利君の心を打ったようである。
そして午後9時、事務所を閉める時間になった。
「久能さん、絶対無事でいて下さいね。
約束です。」
そう言って由香利君は俺と指きりをして、「じゃあ、また明日」と言って帰って行った。
俺は窓から由香利君が帰って行くのを確認すると、すぐに上着を羽織って事務所の電気を消し、ドアの鍵を閉めて駅前に向かった。
昨日と同じように、永野さんは俺より先に駅前に着いていた。
「本当にそんなことで妻が納得してくれますかねえ。」
俺が説明した奥さんとの離婚危機解消の作戦に、永野さんは少々不安そうだった。
「大丈夫ですって。
私に任せて下さい。」
それから電車に揺られること一時間。
駅に着いて、俺は永野さんの案内で彼の家までやって来た。
「ただいま。」
永野さんが家に入り、「妻を呼んできます」と言って、俺は居間で待たされた。
そしてしばらくすると、永野さんが奥さんを連れてやって来た。
少し太り気味で、気の強そうな顔をした奥さんだった。
「申し訳ありませんでした。」
奥さんが居間に座るやいなや、俺は床に頭を下げて謝った。
「実は、私がお宅の旦那さんをしつこくSMクラブに誘っていたんです。
名刺を渡したのも私です。」
奥さんはきょとんとして俺を見る。
その隣で、永野さんはそわそわと落ち着きのない様子だった。
「申し遅れました。
私は旦那さんの会社の同僚の久能と申します。
実は私、SMが趣味でして、それで仲間を増やす為にお宅の旦那さんをしつこく誘っていたんです。」
俺は奥さんを真っすぐ見据えて行った。
奥さんはチラリと永野さんの方を見て、そしてまた俺に視線を戻した。
「しかし先日、お宅の旦那さんが、私の渡したSMクラブの名刺のせいで、自分がSMクラブに通っているんじゃないかと妻に疑われているということを聞かされました。
何でも、離婚の危機に瀕しているとか。」
奥さんは口を真一文字に結び、俺を睨んでいた。
「それで私は焦りました。
なんて永野さんに迷惑をかけることをしていたんだろうと・・・。
この久能司、誓って申し上げます。
お宅の旦那さんは、断じてSMクラブに通ったことなどありません。
私は何度もしつこく誘いましたが、自分には愛する妻と子供がいるからと言って、決してSMクラブには足を踏み入れませんでした。」
奥さんは永野さんに目をやり、「この人の言っていること、本当なの?」と尋ねた。
「ほ、本当だとも。
俺はしつこく誘われて迷惑していたんだ。
あのSMクラブの名刺だって、無理矢理渡されたんだ。
俺は一度もSMクラブになんか行っていない。」
永野さんは額に冷や汗を掻きながら、懸命に弁解していた。
「旦那さんの言う通りです。
まさか私のせいで、離婚の危機に立たされていたなんて、思いもよりませんでした。
それを聞いた私はとても申し訳なく思い、それでこうやって旦那さんへの誤解を解くべく、やって来たしだいであります。
だから奥さん、どうか旦那さんを疑うのはやめてあげて下さい。
全てはこの私が悪いのです。
責めるなら、どうかこの変態で馬鹿な私を責めて下さい!」
そう言うと、俺は再び床に頭を下げて謝った。
それから30分後、俺と永野さんは彼の家の前で声を潜めて話していた。
「いやあ、何とか妻からの疑いが晴れましたよ。
本当に助かりました。」
永野さんは心底ホッとしたような顔でそう言う。
あの後、奥さんは永野さんに対して何度も質問していた。
「あなた、本当にSMクラブに通ってないのね。」
「本当だ、一度も行ったことなんてない。」
「本当に本当ね。」
「ああ、本当だとも。
俺はそんな所には行っていない。」
そんなやり取りがしばらく続いたあと、奥さんはきつい目で俺を見て言った。
「分かりました。
じゃあ全てこの人のせいで誤解をしていたのね。」
奥さんは真っすぐ俺を見て、顔を怒らせながら言った。
「もう二度とうちの主人をそんな所に誘わないで。
いいわね。」
俺は「すいませんでした」と土下座して、何とかことなきを得たのだった。
「探偵さんのおかげで離婚せずに済みました。
もう二度とSMクラブには通いません。」
永野さんは、自分の家を見上げてそう言う。
「これは依頼料です。」
そう言われて俺はお金を受け取り、ニコッと笑った。
「これも仕事ですから。
離婚の危機が消えて本当によかった。
では私はこれで。」
「はい。
本当にありがとうございました。」
家に帰る途中、俺はまたSMクラブが恋しくなり、そして女王様の鞭をくらいに行った。
背中に鞭の快感を残したまま、俺は家路に着いた。
翌日、事務所に行くと由香利君が先に来ていた。
「久能さん。
昨日は大丈夫でしたか?」
心配そうに俺に駆け寄って来た。
労わるような目で俺を見つめ、「何処も怪我とかしてませんか?」と優しく尋ねてくる。
「あ、ああ。
その、大丈夫だよ。
依頼は上手く解決した。
何の問題もなかったよ。」
「そうですか。
よかったあ。」
由香利君はホッと胸を撫で下ろし、安堵の顔を見せた。
俺は一つ咳払いをして、由香利君に背を向けた。
何か申し訳ないな。
嘘をついたことに、ちょっぴり罪の意識を感じていた。
そして俺が上着を脱ごうとすると「私がやりますよ」と由香利君が上着を脱がせてくれた。
「久能さんは、今日はゆっくりしてて下さい。」
そう言って由香利君が俺の上着を持ってハンガーに掛けようとした時、上着から何か紙のようなものが落ちた。
「なんだろう?」
それを由香利君が拾い上げる。
と、その途端、その紙を持った手をわなわな震わせわせながら、「久能さん」と低い声で言ってきた。
「何だい?」
俺が近づくと、その手に持っていた紙を見せつけられた。
「SMクラブ 女王様と子豚の教室」
そう書かれたピンク色の名刺を見せられた途端、しまったと思った。
「い、いや。
違うんだ。これは・・・。」
俺が弁解しようとすると、由香利君は顔を俯かせて肩を震わせ始めた。
「ゆ、由香利君・・・?」
返事はない。
もしかして、泣いているのだろうか。
昨日あれだけ俺を心配し、今日も俺を心配して先に事務所に来ていた。
なんてことだ。
おれは嘘をついて由香利君を泣かせてしまった。
なんだかひどく申し訳ない気持ちになり、由香利君の肩に手を置いて言った。
「そ、その。
違うんだ。
騙すつもりはなかったんだよ。」
震える由香利君の肩が、手を通して俺に伝わってくる。
ああ、どうしよう。
泣かせてしまった。
そう思っていると、由香利君はゆっくりと顔をあげた。
「由香利君、ごめん。
俺は別に騙すつもりじゃ・・・。」
そう言いかけて、俺は固まった。
由香利君は泣くどころか、目を吊り上げて鬼のような形相をしていた。
「久能さん。」
低い声でそう言い、俺の襟首を掴む。
「私を騙して、あんなに心配させて、それでこんな所に行っていたんですね。」
声に恐ろしいほどの怒りが含まれていた。
「い、いや、違うんだ。
これは依頼上仕方なく・・・。」
俺の襟首を掴む手に力を入れ、もう片方の手で拳を握っていた。
「覚悟は出来ていますよね。」
その後、事務所に俺の叫び声が響き渡った。
由香利君の怒涛の攻撃を受け、俺は床にボロボロになって倒れていた。
「ふん、この変態!」
相変わらず由香利君の攻撃は効くなあ。
女王様の鞭とは比べ物にならなかった。
やっぱり俺の相手は君しかいないよ、由香利君。
気を失いかけながら、由香利君の怒った顔を見ていた。

                                   第九話 完

コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM