蝶の咲く木 第三話 子供の世界(1)

  • 2018.01.08 Monday
  • 11:12

JUGEMテーマ:自作小説

樹木。
太い幹を持ち、そこから無数の手のように枝をしならせる。
その枝の先には様々な装飾が施されている。
青い葉、紅葉、銀杏、桜のように花を咲かせるものもあれば、柿のように果実を実らせるものもある。
種類によって装飾は様々だが、どれも自分の身から生まれた一部だ。
人間でいえば髪や爪のようなものだろう。
いかな樹木であれ、自分の体内から生まれてこないものを咲かせることはない。
しかし今、普通の木では決して咲かせないであろうものを咲かせている木があった。
川原の傍のあの大木。
千手観音のように枝を伸ばし、交通の邪魔になりながらも苦情が出ない、畏敬の念さえ感じるほどの荘厳な木だ。
夜、妻と二人でまたあの大木へ向かった。
雪はほとんど溶けていて、泥のごとく路肩に群がっている。
交差点を曲がり、川原沿いの細い道を走っていると、遠くにあの大木が見えた。
今は冬なので、葉は全て落ちている。
その代わりに、蛍光色に光る蝶をたくさん咲かせていた。
俺も妻も息を飲む。
木の枝から光る蝶が咲くなんて、どこを探したって無い光景だ。
自然とアクセルを踏む力が弱まって、スピードが落ちていく。
あそこには優馬がいるはずで、早く向かわなければいけないのに、その気持ちを阻むほどの神秘に恐怖さえ覚えてしまった。
ゆっくりゆっくりと近づいて行く。
妻はクラウチングスタートのように前のめりになり、すでに優馬の姿を捜している。
俺は朝に来た時と同じように、屋敷近くの空き地に車を停めた。
二人して車から降りる。
妻はケーキの箱を抱え、俺はプレゼントの入った袋を提げた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
間近で見上げる大木は、まさに蝶の咲く木だった。
アゲハ?モンシロチョウ?
形も大きさも様々な羽が、輝きながら揺らいでいる。
目の焦点を合わせずに見ると、透過光に透ける桜が、風になびいているような景色だった。
俺は呆気に取られ、ただ息を飲むことしか出来ない。
しかし妻は違った。
この神秘的な光景を前にしても、ここへ来た目的を忘れていなかった。
「優馬!」
木の傍へ駆け寄り、「お母さんだよ!」と叫ぶ。
「約束通り来たよ!出て来て!」
袋を掲げ、「ケーキ作ったんだよ!」と振った。
「優馬の大好きなポケモン描いたの!カラモネロもサトシもピカチュウもディグダも描いたよ!
家に帰って一緒に食べよう!だから出て来て!」
耳が痛いほどの大声で叫ぶと、枝に咲く蝶たちが激しく羽ばたいた。
そしてその中の一匹が、ふわりと枝から離れた。
ふわふわと宙を踊り、回遊する魚のように妻の元へ降りていく。
妻は手を向ける。
蝶はその上にとまり、モールス信号のように点滅した。
すると枝に咲く蝶たちも、それに釣られるように点滅を始めた。
大木のあちこちがチカチカと輝き、LEDのイルミネーションのようだ。
「優馬・・・・。」
妻は顔を近づける。
蝶たちは点滅をやめて、一斉に妻に群がった。
「あ・・・・、」
短い悲鳴が聴こえる。
蝶の大群に阻まれ、姿が見えなくなってしまった。
「おい!」
慌てて助けに入ると、俺にも群がってきた。
「ちょ・・・・離れろ!」
いくら神秘的な蝶とはいえ、全身に群がってくるのはさすがに気持ち悪い。
俺たちが会いたいのは優馬であって、虫の大群ではないのだ。
必死に手を振り払ったが、蝶は俊敏にそれをかわす。
俺も妻も蝶の渦に飲み込まれ、一つの巨大な発光体へと変わっていった。
・・・・呼吸が止まる・・・・身動きが取れない・・・・。
いや、それよりもだ!
足元から地面が離れていく。
大地が消えていってるのか?
それとも俺が浮いているのか?
どちらか分からないが、異常事態であることは間違いない。
《死ぬ!》
蝶の群れは俺たちを殺そうとしている。
動きを封じ、呼吸を止め、ここではないどこかへ連れて行こうとしている。
行き着く先は・・・おそらくあの世だろう。
地獄か天国かは分からないが、そう悪い生き方をしてきたつもりはないので、出来れば天国にしてほしいなんて考えた。
輝く蝶に包まれたまま、俺も妻もどこかへ運ばれていく。
そして一瞬・・・ジェットコースターにでも乗っているような、凄まじいスピードを感じた。
《死んだか?》
きっとこの世とあの世の境目を越えたのだろう。
こうなってはいくら足掻いても無駄だ。
もうなるようになれと、目を閉じて脱力した。
「・・・・・・・・。」
ここは天国に違いない。
目を閉じながら、どうか地獄ではありませんようにと願う。
《優馬・・・・こういう意味だったんだな。あの大木へ来いというのは。
お前が現世へ戻って来るんじゃなくて、俺たちがあの世へ招待されたわけだ。
でもさ、それならそうと一言いってくれよ。お前に会えるならこっちへ来るのも悪くないけど、心の準備ってもんが・・・・、》
「ちょっと!」
バチバチと頬を叩かれる。
耳をつんざく声は妻のもの。
閉じていた目を恐る恐る開けると、目の前に顔があった。
「・・・・・天国か?」
「え?」
「ここ地獄じゃないよな?」
「・・・閻魔様がいないから違うんじゃない。」
素っ気ない目つきで答える。
「それよりさ・・・ここすごい所だよ・・・・。私たち変な所に来ちゃったみたい。」
「じゃあやっぱり天国じゃないのか?それだと優馬に会えないじゃないか。」
がっかりして俯くと、「いるよ優馬は!」と肩を揺さぶられた。
「だってこんなに子供がいるんだもん!」
「子供?」
「自分で見て!」
俺の顔を挟んで、強引に横を向かせる。
その先には天国とも地獄とも言えない、奇妙な世界が広がっていた。
「・・・・・なんだこりゃ?」
子供がいっぱいいた。
見渡す限り、そこらじゅうで遊んだり本を読んだりしている。
中にはゲームをしている子や、飯を食っている子もいた。
しかし驚いたのはその事ではない。
大勢の子供たちに混じって、光る蝶の群れが飛び交っているのだ。
「あれは・・・・俺たちをここへ運んだ奴らか?」
子供の数に負けないほどの蝶たちが、踊るように羽ばたいている。
そのうちの一匹が群れを抜け、妻の方へ飛んできた。
「優馬!?」
妻は手を伸ばす。
蝶は指先に止まり、可愛らしい触覚をヒクヒク動かした。
じっと見入る妻。
俺は「優馬か?」と尋ねた。
「・・・・・・・・。」
「優馬なのか?」
「・・・・・・・・。」
「おい・・・・どうなんだ?」
妻は答えない。
その変わり今朝と同じように、打ち上げられた魚のような目をしていた。
俺に手を向け、目の前に蝶を持ってくる。
「・・・・優馬か?」
俺も顔を近づける。
そして妻と同じように目を見開いた。
「・・・・・人?」
蝶は蝶ではなかった。
羽は間違いなく蝶なのだが、身体が違う。
虫には詳しくないが、絶対にこんな形はしていないはずだ。
「・・・・・人かこれ?」
大きな羽に挟まれて、小指より二回りほど小さな人間らしき生き物がいた。
じっと目を凝らし、「人・・・・じゃない?」と呟いた。
人に似ている気もするが、よくよく見れば違った。
例えるなら・・・・そう、映画「アビス」に登場する宇宙人に近い。
人らしき姿をしているが、目は人より大きく、胴体は華奢だ。
代わりに手足がやたらと長く、指も長かった。
指先は吸盤のように丸くなっていて、指紋に似た渦巻き模様がある。
その渦巻き模様をじっと見ていると、グニャグニャと景色が歪んで、まっすぐ立っていられなくなった。
足がもつれ、尻もつをつく。
周りにいた子供たちが一斉に笑った。
「こけた〜!」
「ダッセ〜!」
キャッキャと甲高い声があちこちから響く。
俺の頭はこの状況を理解することが出来ず、しばらく尻もちをついたままだった。
「大丈夫?」
妻が膝をつく。
大丈夫と答えたかったが、「大丈夫じゃない・・・」と漏れてしまった。
「どうなってんだ・・・・。なんだその生き物は?」
「蝶じゃないよね。」
「人間・・・・でもないな。」
「わたし虫に詳しくないから分からないんだけど、これって珍しい種類なの?」
「なわけあるか。」
「だよね。」
なぜか落ち着いている妻。
そう肝が座っている方ではないのに、どうして俺のように慌てないのか?
・・・・・その理由は簡単だった。
「優馬は?」
急に厳しい表情に変わる。
眉間に皺が寄り、刃のような鋭い目で蝶らしき生き物を睨んだ。
「アンタたちがここへ連れて来たんでしょ?じゃあここに優馬がいるんでしょ?早く会わせて。」
こんな異常事態になっても、妻の頭の中には優馬のことしかない。
今朝、『優馬に会えればそれでいい』と言っていたことを思い出した。
《そうだよ・・・優馬に会いに来たんだ。パニクってる場合じゃない。》
立ち上がり、大勢の子供たちを見渡す。
《堀越さんは言ってたな。夜にあの大木へ来れば、子供の世界への道が開けるって。じゃあここがそうなのか?ここに優馬がいるのか?》
息を吸い込み、「優馬!」と叫ぶ。
「お父さんとお母さんが来たぞ!いるなら出て来てくれ!」
妻と一緒に呼んでいると、先ほどの蝶モドキがどこかへ飛んで行った。
《呼んで来てくれるのか?》
じっと眺めていると、誰かにズボンを引っ張られた。
「なんだ?」
振り返ると、三歳くらいの男の子がニコっと笑っていた。
手にはオモチャの刀を持っていて、鞘を抜いて俺に向けた。
「・・・・チャンバラごっこしろってか?」
グイっと鞘を押し付けられ、右手に握る。
「ごめんな、おじさん今忙しいんだ。僕と遊んでる暇は・・・・、」
そう言って頭を撫でようとした時、ふと子供の後ろの光景が目に入った。
「なんだこりゃ・・・・?」
今まで子供と蝶に気を取られていたせいで、周りの景色が見えていなかった。
「おい!」
妻の腕を引き、「あれ・・・」と指を向ける。
俺の指した先を見た妻は、再び魚の目に戻った。
「・・・・木?」
「らしい。」
いま俺たちが立っている場所は、巨大な木の枝だった。
遥か向こうには別の枝があり、その下にはとてつもなく巨大な幹がそびえている。
大きいなどという物ではない。
高層ビル・・・・いや、山さえも遥かに超えるほどの巨木の上に、俺たちは立っていたのだ。
その向こうにはまた別の木があって、山脈のように連なっている。
その下は雲海のような雲に覆われ、これまた巨大な根の一部が覗いていた。
《神話かここは・・・?》
どこかの国の神話に、世界を支える大きな木が出て来るはずだ。
ここに立っている巨木は、まさに神話の世界そのもののように思えた。
妻と二人、その光景に圧倒されていると、後ろから誰かが走って来る音が近づいてきた。
振り返ると、俺たちの息子がこちらへ駆けていた。
「優馬あ!!」
妻は電気で弾かれたように駆け出す。
ケーキを持っていることなどお構いなしに、激しく上下するほどダッシュする。
そして・・・・、
「あああああ!優馬あああああ!」
手を広げ、走って来る優馬を受け止めた。
「優馬!優馬ああああああ!!」
頭と背中にしっかりと腕を回し、もう決して話すまいと抱きしめている。
それに応えるように、優馬もしっかりと腕を回していた。
「お母さん!」
「優馬あああ!会いたかったあああ!」
強い磁石のように、二人は抱き合って離れない。
気がつけば俺も駆け出していて、抱き合う二人を抱きしめた。
「優馬!」
「お父さん!」
手を伸ばし、ギュっと肩にしがみついてくる。
二つの手で俺たちを握り締め、「ううううあああああ!」と悲鳴のような泣き声を上げた。
「優馬!よかった・・・・会えた!また会えたああああ・・・よかったあああ・・・・、」
妻は両手で優馬の顔を撫でる。
髪の毛がむちゃくちゃになるほど撫で回し、また強く抱きしめた。
「帰って来てくれた!よかった・・・・。」
二年ぶりに家族が揃った。
俺と妻と息子と、本来あるべき形に戻った。
ここがどこであるとか、あの蝶が何者だとか、神話のような巨木だとか、そんなのはどうでもいい。
行方不明になっていた我が子が目の前にいる。
俺たちの宝物が帰ってきた。
それだけでもう充分だった。
ここがあの世だとしても、そんなものは関係ない。
優馬が幽霊なら、俺たちも幽霊になればいいだけの話だ。
それでずっと一緒にいられるなら、死など怖くない。
全てを捨てたって惜しくないものがここにあるのだから。
「ずっと一緒だよ、もうどこにも行かないで。」
妻の目には優馬しか映っていない。
まるで自分の一部のように、その手から離そうとしなかった。
「あのね、僕ね、ケイちゃん家に行く途中にね、変な人に話しかけられてね、それで車に乗せられた。
家に帰りたかったけど、目隠しとかされて、なんか手も縛られてた。」
早言葉のような口調で語りだす優馬。
妻の顔が一瞬で強ばる。
優馬を抱く腕がわずかに震えていた。
「それでね、目隠しを取られて、そうしたら知らない人の家にいた。
部屋に閉じ込められてて、ご飯の時だけおばちゃんが入ってきた。
それで夜になると男の人が帰ってきて、僕に気持ち悪いことばっかりした。」
強ばった妻の目が潤む。
怒り、悔しさ、悲しみ、色んな色が混じった目をしていた。
おそらく俺も同じ目をしているだろう。
優馬が喋る度に、拳が固くなっていく。
「それで一緒にお風呂に入らされて、裸のまま部屋に連れて行かれて・・・・、」
「もういい!」
考えるより先に言葉が出ていた。
優馬を抱きしめて、「もう言わなくていい」と止めた。
「もういい・・・もう大丈夫だから。お父さんとお母さんがいるから。もう怖くない。」
優馬はボロボロと泣き出して、「家に帰りたかった」と訴えた。
「男の人がいない時に、怖くない時に帰りたいって叫んだ。そうしたらおばちゃんが入ってきて、我慢してって言われた。
あの子が満足したら家に帰してあげるから、警察には行かないでって。でも僕は怖いから、早く帰りたいから嫌だって泣いて・・・・、」
「いいから!もう言わなくていい!!」
自分が聴きたくないという気持ちよりも、優馬の口からそんな話が出てくることに耐えられなかった。
この二年、必死に考えまいとしていた最悪の事態。
思考からも避けていた悪夢が、この子の口から語られるなんて・・・・、
「ごめんね。」
妻は言う。
「怖かったね・・・助けてあげられなくてごめんね・・・・。」
強ばった顔のまま、溜まった涙が落ちていく。
優馬はまだ喋ろうとしていたが、そこへ先ほどの蝶モドキが飛んできた。
『復讐する?』
「え?」
『優馬君を酷い目に合わせた奴、復讐する?』
「・・・・・・・・。」
まず喋ったことに驚く。やはり人間なのか・・・?
その次に、いきなり何を言い出すのかと、妻と目を見合わせた。
『この前ここに来た人はするって言ったよ。だからホテルごと燃やしてやったけど。』
「え?いや・・・・ホテルを燃やすって・・・・、」
『ええっと・・・ほら、あそこの女の子いるでしょ?赤いスカートの。』
「・・・・いるけど・・・、」
遠い所で本を読んでいる少女がいる。
誰とも話さず、本の世界に没頭しているようだ。
『あの子もね、優馬君と同じような目に遭ったの。それでこの前ご両親がここに来て、復讐することを選んだわけ。』
「・・・・・・・・。」
『犯人はエリートサラリーマンでね。周りの評判はいいんだけど、ロリコンなのを隠してたの。
あの女の子はそいつにさらわれて、酷い目に遭わされたわ。
ご両親は復讐を望んだから、そいつの泊まってるビジネスホテルを燃やしてやったわけ。』
「・・・・・それ、いつ頃のこと?」
『んん〜・・・・二週間くらい前。』
・・・また妻と目を見合わせた。
「あの・・・・それってもしかして、○○県○○市のビジネスホテルじゃ・・・・、」
『うん。』
「四階から火が出て、最上階まで燃えちゃったやつ?」
『そう。殺すのは犯人だけでいいから、ちゃんと他の人は守ったよ。』
「・・・・・・。」
『でも火が強すぎて延焼しちゃって、ちょっと焦った。もちろんそのビルの人たちもちゃんと守ったから、死んだのは犯人だけ。
けど火傷した人が出ちゃったから、そこは反省しないと。』
事務的なほど淡々と語るのが怖かった。
蝶モドキは神妙な顔になり、手足を直立に揃えた。
『ごめんなさい。』
なぜか俺たちに頭を下げる。
しかしすぐに顔を上げて、ニコリと笑った。
妻が手を挙げ、恐る恐る尋ねる。
「もしかしてだけど・・・・私たちに謝ったのって、下手したら私も火事に巻き込まれてたから?」
『そう。だってあのホテルに泊まる予定だったんでしょ?』
「もしかして・・・優馬がそれを助けてくれたってこと?泊まったら危ないぞって、夫に胸騒ぎを起こして。」
『そういうこと。大事な両親が無関係な火事で亡くなるなんてあっちゃいけないからね。私が助けておいでって行かせたの。』
そう言ってから、『優馬君良い子ね』と頭を撫でた。
妻は無表情のままそれを眺める。
蝶モドキは『あなたも優しいお母さん』と、妻の頭を撫でた。
『というわけで、あなたたちにも確認したいの。優馬君を酷い目に遭わせた犯人、まだのうのうと生きてるわ。
そして母親は犯人である息子を匿ってる。どう?まとめて復讐する?』
先ほどと同じ事務的な口調。
俺は恐怖を覚えたが、妻は「お願い」と答えた。
「殺して、そいつら。」
目が獰猛な獣に変わっている。
そこにはさっきまでの優しい母親の顔はない。
殺気だけを宿した、羅刹のような形相だった。
優馬が怯えると、自分の顔が見えないように抱き寄せていた。
「なんなら私が殺してもいい。そいつの所まで送ってくれるなら。」
『ダメダメ。あなたが殺したら優馬君が可哀想。母親が殺人犯だなんて。』
「じゃあ代わりにやってくれる?出来るだけ苦しめてから・・・・、」
『それもダメ。細かい注文は受け付けないわ。やるかやらないか。その返事だけして。』
「やって!今すぐ殺してきて!!」
悲鳴に近い声で叫ぶ。
見慣れたはずの妻の顔が、別人のように歪んでいた。
殺気が伝わっているのか、抱きしめらている優馬が怯えていた。
「ごめん」とあやしているが、目の殺気はそのままだ。
すると蝶モドキは『いいよ』と頷いた。
『だけど復讐を選ぶなら、優馬君はずっとここだからね。』
「え?」
『もう向こうに戻ることはないわ。』
「それって・・・天国にいるままってこと?」
妻の顔が強ばる。
蝶モドキは『違う違う』と笑った。
『ここはあの世じゃないわ。地球とは別の星。』
「星・・・・?」
『復讐を捨てるなら、いつか優馬君は地球へ戻れる。でも復讐を選ぶならずっとこの星。』
「そんなッ・・・・、」
『人を殺すにはそれなりの代償がいるから。』
「でも優馬は酷い目に遭って・・・・・、」
『やるかやらないか?返事だけして。』
妻の殺気に負けないほど、蝶モドキの笑顔は狂気に満ちていた。
直視するのも怖いほどに・・・・。
うろたえる妻。
俺を見上げ、「アンタは?」と尋ねた。
「アンタはどうしたい?どうしたらいいと思う?」
「どうって・・・・、」
立て続けに起こった異常な出来事。
まだ思考がついて行かないが、答えは決まっている。
復讐を取るか?
優馬を取るか?
・・・・考えるまでもない。
「優馬に帰って来てほしい。」
「じゃあ私と一緒だ。」
「犯人を殺しても帰って来ないんじゃ、こんな所へ来た意味なんてないよ。」
「優馬が全てって言ってたクセに、そうじゃなくなるところだった・・・・。ごめんね。」
殺気を引っ込めて、おでこにキスをしている。
俺は蝶モドキに向き直り、「復讐はしない」と答えた。
「俺たちは優馬が戻って来るならそれでいい。他には何もいらない。」
そう答えると、『分かった』と頷いた。
『今日はクリスマス。特別な日を楽しんで。』
パタパタと羽ばたき、蝶の群れに混じっていく。
ここはいったいどこなのか?
あいつは何者なのか?
聞きたいことは山ほどあるが、知らなくてもいいことのような気もした。
膝をつき、二人の肩を抱く。
ここに一番大事な家族がいる。
またみんなで家に帰れるならそれで充分だ。
妻は匂いを嗅ぐように、優馬の顔に頬ずりをしている。
「もうずっと一緒だよ。怖い思いはさせない。お母さんがいるからね。」
互いに回した腕はどんな錠よりも固い。
《これでいい・・・。》
妻と息子を見つめながら、復讐を選ばずによかったと頷いた。

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