蝶の咲く木 第八話 復讐の火(2)

  • 2018.01.13 Saturday
  • 14:39

JUGEMテーマ:自作小説

奇跡というのは、人生で一度でも体験すればいい方だろう。
人生は基本的に同じことの繰り返しで、ごく希に起こる幸不幸でさえ、奇跡とは言い難いレベルのものがほとんどだ。
しかし俺たちは息子を失うという、負の奇跡が起きてしまった。
そしてついこの前、その息子に再開するという奇跡が起きた。
こんな奇跡、もう二度と起こるまい。
そう思っていたのに、三度目の奇跡が起こってしまった。
今、空には白い竜巻が渦巻いている。
あれは間違いなく俺が落ちてきた竜巻だ。
ということは、あの場所を通ればまた優馬に会えるはずだ。
なのに・・・・そんな奇跡さえどうでもよくなるほどの衝撃が、俺の胸をかき乱していた。
妻と二人、川原の木の傍に立って、眺めるでもなく景色を見つめていた。
「・・・・お義父さんとお義母さんは?」
口から出てきた言葉は、恐ろしいほどどうでもいいことだった。
啓子の両親など今は関係ない。
なのに俺の心が弱いからか、少しでも話題を逸らしたかった。
「さっきまでここにいたよな?」
「分からない。空に竜巻が出てきてから、どっかいなくなっちゃった。」
「消えたのか?」
「多分・・・・。」
「・・・・・・・。」
「心配はしてない。」
「どうして?」
「どうでもいいから。」
「どうでもって・・・自分の親だろ?」
「嫌いだから。前にも話したでしょ。」
「でももし何かあったら・・・、」
「あの親に育てられてなかったら、ここまで歪んだ性格にならなかったと思う。」
「・・・・・・・・。」
「自分でも分かってるから、すぐ感情的になる面倒臭い女だって。」
「誰だってカッとなる事はあるよ。」
「もちろん全部の親のせいってわけじゃない。私は子供の頃からワガママだし、すぐ癇癪を起してたから。
だから両親もお婆ちゃんも腫物に触るみたいな感じがあってさ。」
「前にも言ってたな、それ。」
「でもお爺ちゃんだけが厳しかった。お爺ちゃんだけだもん、私のこと叱ってくれたの。
悪いことした時は頬を叩かれたこともあったし、納屋に閉じ込められたこともあった。
でもその後すごく優しかったなあ・・・・・。なんで私が悪いのかちゃんと説明してくれて、人の痛みを分かる人間になれって。」
「それも聞いた。すごく良いお爺ちゃんだったって。」
「私が中一の時に亡くなったけど、あの時は本当に悲しかった。
今でも思うのよ、もし私が生まれる前にお爺ちゃんが亡くなってたら、もっと手の付けられない女になってたなって。」
そう言って自嘲気味に笑う。
「自分でもこの性格が嫌になる時がある。なんで私なんか産んだのよって、親にキレたこともある。
こんな人に迷惑ばっかりかけるような人間なら、最初からいない方がよかったって。
だけど・・・生まれてきてよかったって思えることが一つだけある。」
そう言って「何か分かる?」と俺を見上げた。
「優馬だろ。」
「うん。あの子が産まれてきた時、本当に嬉しかった。

子供なんて欲しくないって思ってた時もあったけど、そんなの忘れるくらいに。
この子の為だったらなんでもしてあげるし、もしあの子が生き返るなら命を差し出しても構わない。

優馬だけが私の人生の意味を与えてくれたから。」
どこか希望に満ちた目をしながら、真っ白な竜巻を見上げる。
俺も空を見上げ、「あの向こうに優馬がいるはずだ」と期待を込めた。
「向こうへ行くことが出来れば、もう一度会える。今度はちゃんと蝶モドキに交渉して、優馬を優馬のまま返してもらうんだ。」
妻を振り向き、「俺に任せてくれ」と頷きかけた。
「あの時は俺が悪かった。余計な話ばかりして・・・・・、」
そう言いかけて、言葉を止める。
妻はうっすらと涙を浮かべ、「ごめんなさい」と言った。
「アンタを裏切った・・・・ごめんなさい。」
「・・・・相手は?」
「・・・・・・・。」
「誰?」
声に怒気がこもる。
直面したくない話題だったのに、問いかけてしまった以上、真実を聞き出さずにはいられなかった。
恐怖より怒りが勝ってきて、「誰だ?」と詰め寄った。
「相手は誰?」
「・・・・上司。」
「上司って・・・・それって俺の・・・・、」
妻は無言で頷く。
お腹の中の子供は、なんと俺の友人の子だった。
「あいつ・・・・、」
怒りがさらに強くなる。
妻がノイローゼ気味だった時、外で働かせてやってくれないかと頼んだ相手だ。
あの時、あいつは『力になるよ』と頼もしく頷いてくれた。
それがまさか・・・・、
「あのクソ野郎!ふざけんな!」
今すぐ殴ってやりたい・・・・いや、殺してやりたい激情に駆られる。
あいつは大学時代からの友人で、多少の女グセの悪さはあるものの、根は悪い奴ではなかった。
今は家庭を持ち、二人の娘がいる。
気心の知れた仲だし、俺たちの力になってくれる数少ない友人だと信じていた。それが・・・・、
「善人面しといてそれが目的だったのか!タダじゃおかねえ!」
友情は露と消え去り、憎悪と殺意だけが芽生える。
やり場のない怒りは、近くにいる人間に向けられた。
「・・・・産むつもりじゃないよな?」
振り返るのと同時に尋ねる。
妻はビクっと肩を揺らした。
「おい、なんで怖がる?」
目の前に立ち、拳を握って尋ねる。
「どうして怖がるんだよ?」
「・・・・ごめんなさい。」
「何が?」
「裏切って・・・・、」
「んなこと聞いてねえよ!!」
近くにあった石を蹴り飛ばす。
妻の横を駆け抜け、遠くまでコロコロと転がっていった。
「産むつもりかって聞いて、なんで怖がるんだよ?」
「・・・・・・・。」
「そんなもん一言こう答えりゃいいだけだろ。すぐに堕ろしますって。」
「だって・・・・私から・・・・、」
「ああ?」
「向こうからじゃない・・・こっちから・・・・そういう関係になったから・・・・、」
「お前から?」
頭の中が「なんで?」と埋め尽くされる。
「アイツからじゃないのか?」
「私から・・・・、」
「なんで?」
「・・・・分からない・・・・。」
「分からないって・・・・、」
「寂しかったのかもしれないし・・・・子供が欲しかったのかもしれないし・・・、」
「え?いやいや・・・・言ってることおかしいぞ。」
怒りより呆れが勝り、笑いがこみ上げる。
「子供が欲しいなら俺に言えばいいじゃないか。なあ?」
「負担を・・・・、」
「え?」
「優馬がいなくなって・・・・アンタだって参ってたでしょ?そんな時に子供が欲しいなんて・・・、」
「・・・・それ言い訳として通用すると思ってるのか?」
「言い訳じゃない!」
「じゃあなんだよ!?俺たち夫婦だぞ?子供が欲しいなら俺に相談するのが当たり前だろうが!」
「だから分からないって言ったじゃない!自分でも分からない!」
「分からないわけないだろ!他の男の子供を身ごもってるんだぞ?自分から誘ってそこまで行ってんだろ?」
「最初はそんなつもりじゃなかった!だから分からないって言ってるのよ!」
妻は立ち上がり、正面から俺の視線を押し返す。
涙を浮かべているが、悲しみよりも怒りを宿した目をしていた。
「いや、ちょっと・・・ほんとに意味が分からない。なんでお前がキレるんだ?」
また笑いがこみ上げる。
なんでコイツがキレる?
ていうか不倫しといて「分からない」って本気で言ってるのか?
「全部私が悪い・・・・殴られても捨てられても文句は言えない。」
「・・・あのな、開き直るのはやめろよ。」
「開き直ってなんかない!全部私が悪いって言ってるの!何されたって文句言えないって・・・・、」
「お前を殴ってさ、お前を捨ててさ、それでどうなる?ふざけんじゃねえよ!!」
拳を握ったまま手を振り上げる。
妻は身をすくめたが、目は逸らさなかった。
殴りたければ殴ればいいとばかりに、怒りの篭った目で睨んでいる。
「・・・・・・・・。」
しばらくお互いに睨み合う。
この拳を振り下ろしたかったが、殴ってどうなる?という自分の問いかけが、手を下ろさせた。
「もういい。もううんざりだ。」
背中を向け、大木から離れて行く。
「なんでもお前の思うようにしたらいい。もう付き合いきれない。」
考えるより先に言葉が出てくる。
妻を残したまま、家に向かって歩き出した。
もうアイツと同じ場所に立っていたくなかった。
拳を振り下ろしたところで、何も変わりはしない。
そう思いながら去っていくが、ふと足を止めた。
《・・・・馬鹿だな俺は。このまま帰ったんじゃ、殴るのと変わりない。》
殴ってどうなる?捨ててどうなる?
さっき自分で吐いたセリフを思い出し、踵を返した。
妻は俺を睨んだまま立ち尽くしている。
好きなだけ睨めばいいし、好きなだけ怒ればいい。
満足するまで自分に言い訳すればいいし、なんなら不倫相手の所へ転がり込んで、奪うなりなんなりすればいい。
だがその前にやってもらわなければならないことがある。
「なあ?」
鏡を見なくても、自分が嫌味な笑顔をしていると分かる。
妻は表情を変えないが、目の奥にほんの少しの不安が浮かんでいた。
「お腹の子、優馬にあげないか?」
「は?」
キツネにつままれたような顔をしている。
もう一度「優馬にあげよう」と言うと、すぐに要領を得た。
「この子に生まれ変わらせるってこと?」
「ああ。」
「でもそれだと優馬は優馬のまま戻って来れないじゃん。」
「でもお前は堕ろす気はないんだろう?」
「だって優馬が死んだんだよ?なのにこの子までなんて・・・・、」
「だから優馬にあげようって言ってるんだ。そうすれば優馬は戻って来られるし、その子だって産める。」
「嫌よそんなの!」
「あ、そう。だったら向こうにバラしに行くかな。」
「はあ?」
「ウチの嫁、おたくの旦那と不倫してますよって。」
「なんでそんな事すんのよ!」
「復讐。」
「なッ・・・・、」
「もし立場が逆だったら、お前は俺を殺してるだろ。」
「そんなこと・・・・・、」
「するね、絶対にする。」
「しない!私はそんな・・・・、」
「あのね、暴力ってのはエスカレートするんだよ。」
「?」
「お前ってちょいちょい俺のこと殴ったり蹴ったりするだろ?」
「だってそれはアンタが悪いから・・・・、」
「悪けりゃ手え出してもいいのか?」
「そんなこと言ってない!」
「あの巨木の上でさ、何度も俺を蹴飛ばそうとしたよな?
ちょっとカッとなってアレなんだから、俺が不倫なんかしようもんなら、本気で木の上から蹴飛ばしてたろ?」
「だからしないって!」
「信用出来ない。別の男の子を孕む女なんて。」
「だから悪いって言ってるじゃない!全部私が悪い!」
「そう、お前が悪い。何されても文句言えないって、自分から言っただろ?だからバラしてやるよ。ついでにお前の親にもな。」
「ちょっとやめてよ!なんで親に・・・・、」
「なんで?」
「なんでって・・・嫌に決まってるからでしょ!」
「でもお前だって親のこと嫌ってるんだろ?じゃあ問題ないじゃないか。」
「ふざけんな!なんでアンタにそんなことされなきゃ・・・・、」
「嫌なら俺の言う通りにしろ。その子に優馬の魂を宿すんだ。」
「だからそれじゃ優馬は優馬のまま戻って来れな・・・・、」
「俺が交渉する。あの蝶モドキにちゃんと頼む。」
「・・・・あの時は余計な話ばっかしてたクセに。」
妻の顔に半笑いが浮かぶ。
責められるばかりの状態から、どうにかして反撃の機会を窺っていたらしい。
だがそんな事はどうでもいい。
俺が望むのは、優馬がこの世へ戻って来ること。
そして妻とは縁を切り、優馬を俺の手で育てることだ。
しかし今はそれを言うまい。
下手に刺激すれば、ヒステリーを起こして会話にすらならなくなる。
「お互いに妥協点が必要だろ?」
嫌味な笑顔を消して、神妙な顔を作って見せる。
「お前は不倫して身ごもった。俺を裏切ったわけだ。」
「ごめんなさい。それは私が悪い。」
「謝ってもらっても済まない。お前だって何か差し出してもらわないと。」
「それがお腹の子ってわけ?」
「それで優馬が戻って来るかもしれないんだ。悪い話じゃないだろ?」
「・・・・じゃあこの子はどうなるの?こうしてお腹にいるのに、自分じゃなくなっちゃう。」
本気で悲しそうな顔をしながら、腹を撫でている。
先ほどまでの威勢が嘘のように、怒りさえ消えていた。
子を産めるのは女だけ。
今、妻が感じている悲しみは本物だろう。
しかし俺に躊躇いはない。
他の男の子供など、どうなろうと知ったことではない。
流れようが堕ろそうが、俺にとっては痛くも痒くもない。
だがなんの役にも立たないままこの世から消えるくらいなら、せめて優馬の役に立ってほしい。
今の俺にとって一番大事なもの。
あの竜巻の向こうにいるであろう優馬が戻って来るなら、他人の命など道具にしてやる。
「選べ。」
一歩詰め寄ると、妻は一歩後ずさった。
「その子を差し出すか、不倫をバラされるか?」
「そんなの今すぐ決められない!」
「今決めろ。でないと次にいつあの竜巻が現れるか分からない。」
「あんたは男だから子供を産めない!だからそんな冷血なことが言えるんだ!!」
再び怒りが戻ってきたようで、妻の方から詰め寄ってきた。
「産む側の気持ちを考えたことがある?この子に優馬の魂を宿して産むのだって私がやるのよ!」
「言われなくても分かってる。」
「じゃあ偉そうに言うな!」
カッと手を振り上げるので、俺も手を伸ばしてその手を掴んだ。
「ほらまた暴力。」
「アンタが怒らせるからだ!」
今度は蹴ってこようとするので、足を踏んづけて止めた。
「ちょっと!」
「いいから選べよ。」
「黙れ!偉そうに言うならお前が産んでみろ!!」
「じゃあ産めなくしてやろうか?」
「はあ?」
「こいつで叩けば終わるだろ?」
拳を握り、これみよがしに振ってみせる。
ギブスを填めている方の腕だが、そんな事さえ忘れて力を込めた。
「本気で叩けば3、4発で終わるだろ。」
「なによ・・・・アンタこそ暴力振るう気?」
「ああ。」
「・・・・・・・・。」
妻の顔に怯えが見える。
俺が本気だと気づいたようだ。
「ごめん、ちょっと離れて。」
掴まれた手を振り払おうとする。
踏んづけられた足をどかそうとする。
しかし俺は逃がさない。
手を離し、代わりに髪を掴んだ。
「ちょっと!」
「もう一度聞くぞ?お腹の子を差し出すか、不倫をバラされるか選べ。」
グッと髪を引き、力任せに持ち上げる。
妻はつま先立ちになり、痛そうに顔を歪めた。
「お願い、ちょっと待って。」
「いいから選べよ。」
「落ち着いて話そ・・・・ね?」
「・・・・・・・。」
「今までのは全部私が悪かった。だからお願い。」
「・・・・・・・。」
「私もカッとなってた。自分でも悪いクセだって分かってる。私も落ち着くからアンタも・・・・、」
次の瞬間、握った拳を腹にめり込ませた。
つま先で立っていた妻の身体が浮く。
「おうェ・・・・、」
腹を押さえ、苦しそうにえづく。
開いた口からヨダレが垂れて、「やめて・・・」と呟いた。
「お願い・・・・ほんとにやめて・・・・、」
「じゃあ選べ。」
「だってそんなの・・・・すぐに決められな・・・・、」
二発目をめり込ませる。
妻の身体が九の字に曲がり、悲鳴の代わりに「ひゅうッ・・・」と息を漏らした。
「・・・・・・ッ。」
息も出来ないようで、髪の毛を掴まれたまま崩れ落ちる。
二発、本気で腹を叩いた。
お腹の子が生きているのかどうか分からない。
だが問いかけはやめない。
ここまでやって終わりにするならただのピエロだ。
「選べ。」
膝をつき、髪を引っ張って上を向かせる。
妻の顔は涙とヨダレと鼻水で汚れていた。
顔はくしゃくしゃに歪み、普段の強気な表情は見る影もない。
「選べ。」
拳を握り、再度問いかける。
妻はぶるぶると首を振って、腹を押さえた。
「・・・・ごめんなさい・・・・私が悪いです・・・・だから叩かないで・・・・、」
握った拳を振り上げ、また腹を狙う。
すると妻は身をよじり、「殺さないでえええええ!!」と叫んだ。
「殺すならこの子を産んでからにして!その後私を殺してもいいから!!」
背中を向け、何がなんでも我が子を守ろうとしている。
しかし俺は拳を止めるつもりはない。
背中からでも命を絶てるだろうと、振り上げた拳を力ませた。
するとその時、「やめい!!」と誰かが叫んだ。
振り返ると、あの屋敷の爺さんが睨んでいた。
「何しとんだ貴様!?」
曲がった腰をものともせずに走ってきて、妻を庇う。
「殺す気かお前は!」
俺の手を振り払い、ドンと突き飛ばす。
尻もちをつく俺。
妻は苦しそうにえづき、爺さんに背中を撫でられている。
「大丈夫か?病院行くか?」
そう尋ねられても首を振る。
肩を震わせながら「殺さないで・・・・」と繰り返していた。
「・・・・・・・・。」
ここまで自分が犯した行為に後悔はない。
全ては優馬を取り戻す為だ。
もう俺にはあの子しかいないのだから・・・・。
立ち上がり、大木の傍へ歩く。
「おい!もう一度運んでくれ!!」
木を見上げ、「頼む!」と懇願する。
「もう一度だけでいい!そっちへ連れて行ってくれ!」
二度と声が出なくなってもいい。
それくらいの思いで叫んだ。
しかし木はうんともすんとも言わない。
葉のない枝を空に向かって伸ばしているだけだ。
「頼む!お願いだから!」
木を叩き「なあ!」と問いかける。
「もう一度だけそっちへ連れてってくれよ!」
何度も木を叩き続け、手の皮が擦りむけてくる。
それでも叫び続けていると、「無駄だ」と爺さんが言った。
「その木に蝶が咲くのはクリスマスだけだ。他の日ではどうしようもない。」
「なんでだよ!?ここまで頼んでるのに・・・・、」
「そういう問題じゃあない。あんた大人だから。」
「・・・・・・・・。」
「あそこは子供の世界だ。大人は行けん。」
「行ったぞ!ついこの前・・・・・、」
「あの日だけだ。ありゃあ大人の為ではなく、あそこに暮らす子供の為にやっとることだ。」
「・・・・・・・。」
「だいたいな、あんたはさっきから余計なことしとる。」
「余計なこと?」
「叫んでただろ?嫁さんのお腹の子を、息子に差し出せと。」
「優馬を取り戻す為だ。」
「放っといてもそうなる。あの子の魂はお腹の子に宿るんだ。」
「それは9年も先のことだろ?」
「忘れたか?」
「・・・・何を?」
「向こうと地球では時間の流れが違うんだ。あんたも体験したはずだ。」
そう言われて思い出す。
爺さんの言う通り、向こうは時間の流れが違っていた。
たった数時間が一日と同じくらいに長いのだ。それはつまり・・・・、
「あの星は・・・・地球より時間の流れが早いってことか?」
「そういうことだ。」
「それってつまり、優馬はすぐ戻って来るってことか?」
「ああ。」
「でも・・・・それだと優馬は優馬じゃなくなって・・・・、」
「そればっかりは仕方ない。そういう決まりだから。」
爺さんは「諦めろ」と首を振る。
心配そうに妻を振り返り、「無事だといいが・・・」と腹を見つめた。
「救急車呼んでやるからな。それまで家にいろ。」
妻に肩を貸そうとするが、爺さん一人では立たせることが出来ない。
「おいあんた!ボケっとしてないで手伝え。」
爺さんは手招きをする。
しかし俺は背中を向けた。
大木に向き直り、また拳を握った。
「・・・・・・・・。」
きっと今の俺は悪魔のような顔をしているだろう。
何も叶わず、失うものばかり増えていく。
勢いをつけ、思い切り大木を殴りつけた。
・・・一瞬、拳に痛みが走る。
折れた・・・・と思った。
鋭い痛みがやってきて、遅れて鈍い痛みへと変わっていく。
それでも拳を握り、今度は自分の頭を叩いた。
何度も自分を殴ってから、頭を抱えてうずくまった。
「うう・・・ふうう・・・・・、」
優馬はもう優馬として戻って来ない。
妻も俺の元を去るだろう。
勢いに任せて突っ走っても、ただ空回りしただけ。
残されたのは、俺に腹を殴られ、辛そうにえづく妻だけだった。
「ううう・・・おおおおおおおお!」
声が漏れる。
肺いっぱいの空気が、まとめて口と鼻から飛び出していく。
横隔膜がせり上がって、胸を圧迫していく。
空っぽになった肺は空気を求める。
息を吸い、吐き出し、その度に漏れる声が大きくなっていった。
「ううおおおおおおおおおお!!」
妻と同じように、ヨダレと鼻水が出てくる。
目元も熱くなって、滴が鼻筋へと伝っていった。
「ああああああ・・・・・はああああああああ!」
大の男がこれほど泣くものかと、自分でも驚いた。
それでも叫びは止まらない。
失って、失って、手元には何も残っていない。
こんな事なら、あんな星へ行かなければよかった。
下手な希望など見てしまったが為に、俺は道を間違えたのだ。
死者は生き返らない。
例えどんなに大切な息子でも、元通りに戻ってくることなどないのだ。
それを分かっていたクセに、最後まで気持ちを誤魔化すことが出来なかった。
・・・・そう、俺も妻と同じなのだ。
優馬に優馬のまま戻って来てほしかった。
アンタはいつだってカッコつけていると、妻に罵られたことは正しかった。
あの時、どうして俺は素直にならなかったのだろう。
今になって本心が溢れ、自分でも制御できずに暴れまわった。
結果、ただ妻を傷つけて終わっただけ。
この先、二度と家族三人揃うことはないだろう。
「あああああああああ!あああっはああああああ!!」
泣いても泣いても絶望は消えてくれない。
・・・やがて空から光が射してきた。
真っ白な竜巻は消え、いつの間にか快晴に戻っている。
それと同時に救急車のサイレンが近づいてきて、すぐに妻を病院へ運んだ。
俺は待合室で、懺悔のように手を合わせることしか出来なかった。
妻は無事か?
お腹の子は?
今、ようやく頭が冷えてきて、自分の犯した愚行に身震いする。
・・・・無事を祈り続けて、いったいどれだけ時間が立っただろう?
頭を抱えながら足元を見つめていると、黒い革靴が視界に入った。
顔を上げると、以前に俺のもとへやって来た刑事が立っていた。
「今回は事故じゃなさそうですね。」
「・・・・・・・。」
どこに視線を合わせていいのか分からず、カメレオンのようにグルグルと目を動かしてしまった。
「署でお話を聞かせてもらえますか?」
腕を掴まれ、ゆっくりと立たされる。
頭の中が真っ白になるとはこの事だろう。
凄まじい光が脳内を照らし、全ての影を飲み込むほど広がっていく。
もう二度と元に戻れない。
家族も、日常も、何もかも・・・・。
ふらふらしながら連行されていると、ふと後ろから気配を感じた。
振り返ると、妻が治療を受けている病室から、輝く何かが飛び出してきた。
それはヒラヒラと宙を舞い、俺の頭上へ飛んでくる。
「蝶・・・・。」
子供が集う星にいたあの蝶が、なぜか病院を飛んでいる。
いったいどうしてこんな所に?
そう思ったが、すぐに謎が解けた。
蝶の胴体が、へその緒の付いた胎児だったのだ。
指の間には水かきのようなものがあり、腰から尻尾が伸びている。
人というより、人型の両生類のような姿をしていた。
生物の遺伝子は積み重ねによって成り立っていて、それが順番に発現していく。
人間ならば、魚、両生類、爬虫類ときて、最後に哺乳類へと変わっていくのだ。
目の前に浮かぶ蝶は、これから人間へと進化していく途中の、新たな命だった。
そいつが妻の治療室から出てきたということは・・・・、
「・・・・すまない。」
ぼそりと言葉が出る。
それと同時に、どこからか笑い声が聴こえてきた。
何重にもエコーのかかった不気味な声だ。
・・・・聞き間違うことはない、この声の主はアイツだ。
胎児の蝶は、笑い声に呼応するように点滅する。
最初はゆっくりと、やがて激しく。
最後はパッと光って消えてしまった。
そして消える瞬間、エコーのかかった声がこう囁いた。
『子殺しめ。』
寒空の中、裸で放り出されたような悪寒が走る。
全身が氷漬けにされたように、一歩も動くことが出来ない。
あの日からの出来事が、全て幻だったらいいのにと目を閉じた。

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