蝶の咲く木 第三十一話 始まりの街(1)

  • 2018.02.05 Monday
  • 10:25

JUGEMテーマ:自作小説

記者っていうのは大変な仕事である。
俺のような三流オカルト雑誌の記者はともかく、新聞や週刊誌などの記者というのは、時に命懸けで取材をするものだ。
空から巨大な根が伸びてこようが、機関銃が蝶の群れを撃ちまくろうが、そんな場所へこぞってやって来るのだから、大したものだと感心する。
今、俺は例の犯人がいる街に降り立っていた。
遥か遠くには巨大な根が降りていて、その少し手前には自衛隊だか米軍だかが展開している。
それに向かい合うのは光る蝶の群れだ。
要するにここは戦場ってことで、普通の人間ならば敬遠するような場所だ。
しかしそんな場所だからこそ、報道関係の人間が集まっていた。
カメラを構えている人もいれば、手帳を開いてメモを取っている人もいる。
そういった人たちの腕には、報道の腕章がついていた。
「いいなあ・・・私もこういう仕事がしたい。」
うっとりする河井さんだが、俺はゴメンだ。
西川きよしさんではないが、「小さなことからコツコツと」が俺のモットーである。
命を懸けた危険な仕事なんて、これが最後に願いたい。
「さて・・・・どうしようかな。」
唇をすぼめながら、街の景色を見渡す。
幸いここはそう被害を受けていないようだ。
所々に銃弾の痕や爆撃の痕が残っているが、核は落ちていないようである。
この前来た時と同じように、雑居ビルの隣には商店街が伸びていた。
その手前には大きな国道があり、これを進んでいけば犯人の家へと辿り着く。
「河井さん、いつまでもうっとりしてないで行きますよ。」
報道陣の隙間を抜い、犯人の家を目指す。
大きな国道は見通しがよく、しばらく先に迷彩服を着た男たちが立っていた。
「あそこから立ち入り禁止っぽいね。」
妻が言う。
俺も頷き、「なつちゃん・・・」と話しかけた。
「いる?」
『はい。』
誰もいない頭上から声がする。
ステルスを使っているのだ。
「もし止められたら、またハンモックに乗せてってくれるかな?」
『いいですけど・・・絶対に怪しまれますよ。』
「でも行かなきゃいけないから、もしもの時は頼むよ。」
『・・・・分かりました。どうなっても知らないですけど。』
渋る彼女にOKをもらい、ドキドキしながら進んでいく。
すると案の定、「そこで止まって下さい」と迷彩服の男たちが言った。
モスグリーンのヘルメットには、陸上自衛隊と書かれている。
「ここから先は危険です。引き返して下さい。」
「いや、その向こうにちょっと用事がですね・・・、」
「報道の方でもここから先は入れません。」
どうやらマスコミと勘違いしているらしい。
まあ一応記者ではあるけど・・・・、
「どうしてもダメですか?」
河井さんが前に出てくる。
強気な目で睨みながら、「責任は自分で取りますから」と言った。
「駄目です。引き返して下さい。」
「真実を伝えるのが私たちの仕事よ。邪魔しないで。」
「引き返して下さい。聞き入れてもらえない場合は拘束することもありますよ。」
今度は向こうが威圧的な目を向けてくる。
こんな所で捕まっては元も子もない。
俺は「河井さん」と腕を引っ張った。
「いったん引きましょう。」
「でも・・・・、」
「なつちゃんがいますから。」
「・・・・そうね。」
来た道を引き返し、途中の角を曲がって、物陰に身を隠した。
「じゃあなつちゃん。」
『撃たれても知りませんよ。』
ありがたい忠告に恐怖を抱きながら、またハンモックに揺られる。
「なるべく低空をお願い。見つかっちゃまずいから。」
『分かってます。』
彼女たちは上手い具合に建物の隙間を飛んで、どうにか見張りがいる場所を超えられた。
そこから先は地上に降りて、コソコソっと物陰に隠れながら進んでいく。
すると遠くの方から、パパパパと短い炸裂音が聴こえた。
「お父さん、今のって機関銃の音かな?」
「多分な。」
「流れ弾が飛んできたりしないよね?」
「分からない。」
「・・・・ごめん、先頭は任せるわ。」
妻は俺の後ろへ下がる。
「河井さんもどうぞ。」
そう手を向けると、「円香君の後ろに隠れるほど落ちぶれてないわよ」と言った。
「ていうか私が先頭を行くから。注意してついて来て。」
「さすが!勇ましいですね。」
ホッと胸を撫で下ろしながら、《よかった、先頭じゃなくて》とため息をついた。
すると「なんで河井さんを盾にしてんのよ」と妻が怒った。
「こういう人なんだよ。なんでも先陣を切りたがるんだ。」
「こういう時こそ一番前に立つのが男ってもんでしょうが。」
「それ、河井さんに聴こえたら怒るぞ。男に負けまいと仕事してきた人だから。」
「丸聞こえなんだけど?」
少々不機嫌な河井さんの声を聞きながら、見つからないように民家の隙間を縫っていく。
そしてどうにか犯人の家に辿り着いた時、またパパパパと音が聴こえた。
さっきよりも長いし、幾つもの銃声が重なっている。
かなり激しく戦っているようだ。
「さ、早く!」
河井さんは一気に門の中へ駆け込む。
俺も「行こう!」とそれに続いた。
しかし妻が「あ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「彼女が・・・・、」
どうやらつまづいてしまったようで、妻が起こそうとしている。
すると「何やってる!?」と怒鳴り声が響いた。
「ヤベ!見張りが・・・・、」
自衛隊がこっちへ走ってくる。
慌てて彼女を抱き起こしていると、『行って下さい』となつちゃんの声が響いた。
『ここは私たちに任せて。』
「任せてって・・・まさか戦うつもりか?」
『いいえ、注意を引くだけです。』
そう言ってステルスを解除した。
姿が露になった途端、こっちへ走って来ていた自衛隊が、「こっちにも!」と悲鳴を上げた。
「撃て!」
「待って下さい!人がまだ・・・・、」
俺たちがいるせいで、撃つのをためらっている。
その隙になつちゃんたちは空へ舞い上がった。
『早く行って!』
「ごめん、助かる。」
転んだ彼女を起こして、すぐに門の中へと駆け込んだ。
「撃て!撃て!」
怒声が響き、パパパパパと銃声がなる。
距離が近い分、とても鋭く響いた。
「円香君!こっち!」
河井さんが縁側の窓際に立っている。
「玄関は鍵がかかってる。こっちから。」
そう言って「とおりゃ!」と窓を蹴飛ばした。
しかし小柄な河井さんでは上手く割れなかったようで、「痛ッ!」と尻餅をついていた。
「大丈夫ですか?」
「心配してないでそれ割って!」
「はい!」
思いっきり蹴飛ばすが、意外と硬い。
ならばと体当たりをかますと、ようやくヒビが入った。
「もう一発!」
次は靴のカカトで蹴り飛ばす。
窓はガラガラと崩れ去り、中へ駆け込んだ。
周りを見渡したが、ガランとした居間が広がっているだけ。
人のいる気配はしない。
ならば・・・・、
「ええっと・・・階段はどこだ?」
キョロキョロしていると、彼女が「こっちです」と部屋を抜けていった。
その先には廊下があり、すぐ手前に階段がある。
そいつを登ると、右手にドアが見えた。
「あれがお義父さんの部屋です。その向こうが主人の。」
「ようし・・・。」
まずは父親の部屋のドアに手を掛ける。
鍵は掛かっていないようで、ガチャリとノブが回った。
「・・・・・・・。」
ゆっくりと中を覗き込む。
・・・・別段変わった様子はない。
広さは六畳ほどで、ベッドがあり、机があり、タンスがありといった、いたって普通の部屋だ。
ただ窓の手前には、旅館みたいに椅子とテーブルが置かれていた。
あれは確か広縁というスペースだ。
旅館に泊まると、無性に陣取りたくなるあの空間である。
「珍しいな、民家にこんなスペースがあるなんて。」
そう呟くと、「お義父さんが好きなんです」と彼女が答えた。
「旅行に行った時、必ずそこに座るんだそうです。だから家にも作ったって聞きました。」
「なるほど。まあいいや、とにかくみんなで探そう。・・・・蝶の卵がないか。」
ここへ来たのは犯人を捕まえる為、そして卵を探す為だ。
みんなでゴソゴソと部屋を漁りながら、《確かゴルフボールくらいの大きさだったよな》と、なつちゃんから聞いた話を思い出す。
《ヴェヴェが産み落とした卵だ。二つあるって言ってたから、残りは一つか。》
俺たちが探しているその卵は、ヴェヴェが何よりも必要としているものだ。
この星へ来て少ししてから産み落としたそうだ。
理由は繁殖の為。
地球へ来る前にすでに卵を抱えていたらしく、そいつをこの星で産んだわけだ。
二つの卵には、それぞれ少し異なる虫が入っている。
一つはヴェヴェそっくりの蝶。
そしてもう一つは蛾である。
孵化したこの二匹は、やがて成虫となって交尾する。
そうすることで、また子孫を残すわけだ。
交尾後は、蛾の方はどこかへ飛び去っていく。
地球に残るのは卵を産む蝶の方だ。
ヴェヴェだって生き物なわけだから、いつか寿命を迎える。
そうなった時、子孫の蝶が子供の国の管理者となる。
しかしとある事情があって、二つの卵を奪われてしまった。
犯人はあの少年を殺した男。
だからこの家のどこかに隠してあるかもしれない。
ちなみに二つある卵のうち、一つはすでに孵化してしまった。
・・・犯人の母親がイモムシとなって。
そこにも犯人の男が関わっている。
というより、そいつがやったといっても過言じゃない。
なぜなら彼の母は、父の手によって殺されてしまったからだ。
犯人の父は幼い少年が好きな小児性愛者。
その性癖が妻にバレてしまい、隠蔽の為に殺害した。
放っておくといつ暴露されるか分からないからと・・・・。
犯人は母の死を嘆いた。
散々に虐待を受けていたのに、誰よりも母を愛していたからだ。
《不思議なもんだな。暴力を振るわれてるに・・・・。》
夫婦でも恋人でも、パートナーが暴力的だと、かえって別れにくくなると聞いたことがある。
それは恐怖から別れられないのではなく、心まで相手に支配されてしまうからだそうだ。
叩かれても罵られても自分が悪いと思い込み、相手に尽くそうと努力してしまう。
結果、ごく稀に相手が見せる優しさに、過剰な喜びを感じてしまうらしい。
その関係が異常なものだとも気づかずに・・・・。
相手と縁を切り、冷静さを取り戻すまでは、その関係が病的なものであると気づかないのが、DVの怖いところである。
《犯人の男も同じなのかもしれないな。暴力的な母親は、恐怖の対象であるのと同時に、崇拝すべき存在なんだろう。
だからこそヴェヴェの卵を使ってまで生き返らせたんだろうな。》
親子とは、夫婦とは、そして家族とはなんだろう?
目に見えない絆で結ばれた強固なその関係は、何よりも心強いものだし、何よりも自由を縛る鎖になる。
家族ほとありがたい存在はいないし、家族ほど厄介な存在もいない。
身を切ってまで助けてくれるのは身内しかいないが、犯罪も身内からの犯行が多いという。
他人ならば縁を切れば済むのに、家族だとなかなかそうはいかない。
もし・・・もしも身内の中に、暴力的な者や心の歪んだ者がいたらどうなるか?
きっと仄暗い監獄に入れられた気分だろう。
そこから抜け出すには、遠くへ逃げるか、相手を叩きのめすかしかない。
そのどちらも不可能な場合は、自殺か服従になるのだろう。
暴力的な身内を愛そうとする者は、逃げ出す勇気も戦う力もなく、かといって自殺するほどの絶望も抱いていないことになる。
宙ぶらりんな世界の中、どうにか生き延びるには、恐怖をもたらす相手に忠誠を誓うしかない。
あの青年はきっと、誰かに助けを求めていたはずだ。
幸い「羽布」という飲み屋のおばさんが、救いの手を差しのべてくれた。
しかし・・・・その時にはもう遅かったのだ。
まだ少年だった青年の心は、母親に服従していた。
何があっても傍を離れまいと、歪んだ忠誠を誓っていた。
その数日後、父が母を殺した。
青年の父親は虐待の事実を知らなかった。
あのおばさんから聞いて、初めて知ったのだ。
「なんで子供を叩くんだ?」
妻にそう問い詰めたところ、ショタコン趣味のことを持ち出された。
「あんただって酷いことしてんじゃない」と言い返されたのだ。
「知らないとでも思ってるの?子供を裸にして写真撮ってんでしょ?」
ニヤニヤ笑いながらそう言われた父は、その翌日に妻を殺した。
「お母さんはどっか行って帰ってこなくなった。」
息子にはそう説明したそうだが、当然納得しなかった。
母が突然いなくなるわけがない。
まだ少年だった青年は、思いつく限りの場所を捜し回った。
そして見つけた。
自宅の縁の下、ブルーシートでくるまれた大きな物体を。
力いっぱいそいつを引きずり出したところ、ブルーシートの隙間から腕が出てきた。
「・・・・・・。」
恐る恐るシートを取り外していった。
中にいたのは変わり果てた母。
首と胴体と手足と・・・いや、それ以上にバラバラにされて、まるで壊れたマネキンみたいに、無造作に包まれていたのだ。
青年はひどくショックを受け、いったんその場から逃げ出した。
部屋にこもり、落ち着きなくウロウロとした。
あと何時間かすれば、父が仕事から帰ってくる。
それまでに、この出来事に対してどうするべきかを、爪を噛みながら悩んだという。
何も決められないまま時間だけが過ぎていく・・・・。
孤独に悩むその時間は、普通の時よりも何倍も長く感じただろう。
・・・・するとそこへ一匹の蝶がやって来た。
ヴェヴェだ。
『ね?私の言った通りでしょ、大人は酷いことばかりするの。あなたの信頼していたお父さんさえもね。』
そう言ったあと、青年に向かって手を伸ばしたという。
『一緒に行きましょ、子供の国へ。そしていつかこの星から大人たちを駆除するの。友達も大勢待ってるわよ。』
青年はこの言葉に迷った。
もう母はいない。
父も信用出来ない。
それならばと、見学を希望したのだ。
『いいわよ。連れて行ってあげる。』
ヴェヴェは青年を子供の国へと案内した。
そこには不幸な死を遂げた子が大勢いて、辛い思いをしているのは自分だけではないと知った。
しかしだからといって、その子たちに同情することはなかった。
他人の傷みを分かち合った所で、自分の置かれた状況が変わるわけでもない。
だから地上へ戻りたいと頼んだ。
『残念、まあいいわ。無理強いする気はないから。私はいつでも苦しむ子供の味方。あなたが望むなら、ここへ招待してあげるわ。』
こうして青年は地上へと戻ってきた。
しかしその時、ヴェヴェの腹に何かがくっ付いているのに気づいた。
『ああこれ?これは卵。いずれ孵化してイモムシになるのよ。』
ゴルフボールほどの大きさの卵が二つ、ヴェヴェは大事そうに撫でた。
すると青年は何を思ったのか、その卵を掴み取ってしまった。
まさかの出来事にヴェヴェは狼狽えた。
『そんな事した子はあなたが初めてだわ。悪い子ね。』
怒るヴェヴェ、少年は身の危険を感じて、その卵を飲み込んでしまったという。
『なんてことを・・・・、』
さらに狼狽えるヴェヴェだったが、青年は動じることなくこう返した。
「お母さんを生き返らせて。」
『どうして?あなたを苦しめてたのに。』
「大好きだから。」
『・・・・三年前、初めてあなたと会った時、同じことを言ってたわね。
あんなに酷い目に遭ってたのに、お母さんが大好きって。
たまにいるのよ、そういう子。歪ん愛情を持ってしまう子が。可哀想に・・・・。』
「お母さんを生き返らせて。」
『無理よ、死人は生き返らない。』
「出来るよ。ヴェヴェなら。」
『子供しか生き返らせる気はないの。大人は嫌。』
「じゃあ・・・この卵を返さない。」
『なんですって?』
「この卵を返してほしいなら、生き返らせてよ。」
『・・・あなたを殺して取り戻すって方法もあるわ。心配しなくても、殺したあとは子供の国へ連れて行ってあげる。』
「殺す?じゃあヴェヴェも悪い大人?」
『子供をしつける役目があるわ。私は子供の国ではお母さんだから。』
「でもこの卵、お腹の中で動いてる感じがする。すごい熱いし、すごい力を感じる。
まるで赤ちゃんが生まれてきそうな・・・・、」
『やめなさい!』
ヴェヴェは叫び、『分かったわ』と頷いた。
『その卵は預けておく。でも決して産もうとしちゃダメよ。分かった?』
「なんで?」
『産み落としたのがもし蝶の卵だったら・・・・宿るのよ、本人の思念が。』
「シネン?」
『魂みたいなものよ。あなたが産んでしまったら、あなた自身が私と同じ宇宙人になる。』
「それはいけないことなの?」
『だって地球人じゃない、あなた。悪いけど私の後継者を地球人に任せるわけにはいかないわ。
いつかあなたが大人になった時、その大きな力を使って、子供の敵になるかもしれないから。』
「そっか・・・・産んだらヴェヴェになっちゃうのか・・・・。」
『そうよ。だから絶対に産まないで。・・・・しばらく預けておくわ、また会いにくるから大事に預かってて。』
そう言い残し、ヴェヴェは去っていった。
恐ろしい宇宙人が去って行ったあと、青年はさっそくヴェヴェとの約束を破った。
なんと卵を産んでしまったのだ。
産むといっても、彼に産道はない。
だから嘔吐するみたいに口から吐き出したのだ。
理由は一つ、自分自身がヴェヴェになり、母を生き返らせるつもりだった。
しかしそう上手くはいかなかった。
なぜなら彼が産み落とした卵、それは蝶ではなく蛾の卵の方だったからだ。
こっちの卵を産み落とした場合はどうなるのか?青年は知らなかった。
自分はヴェヴェになり、母を復活させることが出来る。
そう疑わないでいたのだが・・・・、
まず彼が卵を産んだ場所は庭である。
すぐにでも愛する母を生き返らせたいが為に、遺体の傍で産み落としたからだ。
そして産み落とされたその卵は、母の上に転がった。
この卵、蝶の卵とは違って、死体を糧として孵化する特性がある。
落ちた卵からは糸が伸び、さながら繭のようになったという。
その大きさはアメフトボールくらいで、死体を取り込んで孵化を促す。
・・・やがて白い繭を突き破り、イモムシの頭が出てきた。
それは青年の母が生まれ変わった姿であった。
予想外の出来事に驚く青年。
イモムシは繭を食い破り、姿を現すと同時にこう言った。
『ただいま。』
不気味にエコーがかかった母の声。
青年はきっと戦慄しただろう。
まさか愛する母がイモムシになるなんて・・・・と。
しかしそのショックはすぐに治まったはずだ。
なぜならこの宇宙人は姿を変える事が出来るからだ。
なつちゃんがそうしていたように、繭を紡いで羽化すれば、人間の姿になることも可能なのだ。もちろん仮初の姿だが。
・・・母は戻ってきた。
青年は喜び、歪んだ忠誠心は再び火を灯す。
虐待は相変わらず続いたそうだが、以前よりも母は優しくなったという。ほんの少しだけ・・・・。
しかし父はそういうわけにはいかなかった。
殺したはずの妻が蘇ってしまったのだから。
『ただいま。』
仕事から帰ってきた夫に、妻はそう言った。
夫は腰を抜かしたに違いない。
それと同時に、凄まじい恐怖に満たされただろう。
死人が復活してくるという恐怖、そして弱みが増えてしまったという恐怖だ。
ただでさショタコン趣味を握られているのに、それに加えて殺人の罪だ。
居ても立っても居られなくなった夫は、妻と離婚することに決めた。
財産は全てくれてやるし、息子の親権も譲るという条件で。
それに対して妻の返答はこうだ。
『離婚はしてもいい。その代わり息子はあんたが育てろ。それと・・・・あんたが手を出してきた子供たち、そのことを詳しく聞かせろ。』
狼狽える夫であったが、今となっては妻に逆らえない。
言われるがまま、自分の歪んだ性癖の対象にしてきた、多くの少年たちについて語った。
コレクションしていた違法な写真を見せながら。
夫はこう思っただろう。
根掘り葉掘り聞くことで、さらに弱みを握るつもりなんだろうと。
しかし違った。
妻には別の目的があったのだ。
ヴェヴェが産み、息子の体内から出てきた蛾の卵・・・・そこから生まれた母は、二人の知っていることを知っていた。
ヴェヴェの存在も、子供の国のことも。
だから望んだのだ、子供の国の支配を。
それが無理なら殲滅してやろうと・・・・。
なぜなら新たな肉体に生まれ変わったところで、思念(魂)は同じものだったからだ。
我が子を殴り、罵り、それに対して喜びを感じるという精神の構造はまったく変わっていなかった。
宇宙人となった母は、ヴェヴェが最も危惧していた子供の天敵として孵化してしまったわけだ。
そして天敵であることを全うするには、それを実行するには、ある少年の詳細が必要だった。
・・・・そう、子供の国の元となる絵を描いた、あの少年だ。
ヴェヴェの記憶を引き継ぐ母は知っていた。
子供の国を支配、もしくは殲滅するには、その少年の絵が鍵になると。
あの絵を描き換えることでしか、子供の国へは行けないと。
自分は大人、それも子供の敵となる側の大人だ。
のこのこ乗り込んだところで、ヴェヴェに駆除されてしまうだけ。
それならば、決して駆除できない存在になるしかなかった。
少年の絵に、自分というイモムシを書き足して。
・・・・・・・・・。
なつちゃんから聞いた話の一部が、頭の中でグルグルと回る。
死んでもなお、いや・・・・生まれ変わってもなお子供を苦しめる大人は、すでにイモムシの身体を捨てて、成虫へと育った。
今はヴェヴェと死闘を演じているはずだ。
この戦いが続けば、人間も否応なしに戦い続けなけらばならない。
戦いの先に待つ未来は、砂漠と化した地球。そこに居座るのはヴェヴェと巨大な蛾だけだ。
俺が見たあの幻は、あの少年が見せていたのだ。
最悪の未来へと続く道を、どうか逸らしてくれと。
それに手を貸したのはあの大木、屋敷の爺さんだ。
あの爺さんにも会わないといけない。
出て来てくれるかどうか分からないけど、「どうしてヴェヴェなんかに手を貸した?」と問い詰めたかった。
・・・・・・・・・。
思考が加速する中、犯人の父の部屋を捜しまくる。
もしかしたらここに隠しているかもしれない、残された卵を。
でも見つからない・・・・。
《やっぱり自分で持ったままなのかな?大事な物は手元にあった方が安全だもんな。》
立ち上がり、トントンと腰を叩く。
すると河合さんが「これ!」と叫んだ。
「どうしたんです?」
「ここ、この広縁の敷物の下・・・なんかあるんだけど。」
「何がです?」
「ほら、漬物とかを保存しとくスペースがあるじゃない。床の下に。」
「・・・ああ!」
「それっぽいのがあるのよ、ここに。」
「マジですか?」
驚く俺に、河合さんは敷物をめくってみせる。
そこには確かにそれらしきものがあった。
床の一部が細いアルミのサッシで囲まれている。
大きさは60センチ四方くらい。
端っこにはへこんだ取っ手のような物も・・・・。
「開けるよ?」
全員を見渡しながら河井さんが言う。
俺も妻も彼女も、固唾を飲んで見守った。
・・・・パカッと床の一部が開く。
サッシで囲まれた60センチ四方の蓋が、河合さんの手と共にゆっくりと・・・・、
・・・・その時だった。
パパパパと乾いた音が、すぐ近くで鳴り響いた。
そのすぐあと、窓の外に光る蝶の大群が飛び抜けていった。
・・・・瞬間、バリン!と窓ガラスが割れる。
流れ弾か?それとも蝶が突っ込んできたのか?
いや、そのどちらでもなかった。
風が・・・・とんでもなく強い風が、弾丸のように駆け抜けたのだ。
家が揺れる・・・・部屋の中の物がひっくり返る・・・・散乱した窓ガラスは手榴弾の破片のごとく、倒れた俺たちの頭上を飛んでいった。
「・・・・・・・・・・。」
誰もが驚き、言葉を失くす。
弾丸のような風が襲ってきたことにじゃない。
割れた窓の外、その向こうからこっちを覗く者に対しての恐怖のせいで。
『そこで何してるの?』
ヴェヴェ・・・・ではない。
似てはいるが、こいつは違う。
ヴェヴェよりも目が大きく、半月を逆さまにしたように釣り上がっている。
顔じゅう深い体毛に覆われ、巨大な羽はどぎついほどカラフルだ。
『息子の家で何してるの?』
エコーのかかった不気味な声が響く。
その声に呼応するように、頭の先から生えた櫛状の触覚が、ヒラヒラと揺れていた。

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