不思議探偵誌 最終話 挑戦、再び!(4)

  • 2010.07.29 Thursday
  • 09:45
 明日になったら看板を降ろそう。
誰もいない事務所に一人座り、窓の外を眺めながらぼんやり考えていた。
尾崎に負けてから二日経っていた。
この二日間、俺は何をするでもなく、ただ事務所に入り浸っていた。
別に感傷や思い出に浸るわけでもなく、名残惜しさがあるわけでもなく、心にぽっかりと空いた穴を抱えたまま、ただ事務所でぼーっと過ごしていた。
由香利君はあれから姿を見せていない。
まだ俺と探偵を続けたいと言って泣いていた彼女。
あのあと、雨が降ってきて、俺達は一旦事務所に入った。
由香利君は何も喋らず、しばらくソファに座って泣いていた。
俺はただ、その光景を見ていた。
言葉を交わすこともなく、時間だけが過ぎていった。
「久能さん。」
唐突に言って由香利君は立ち上がり、涙を拭きながら俺を見た。
「ごめんなさい、力になれなくて。
ごめんなさい・・・。」
窓の外の雨音を聞きながら、彼女が何故俺に謝るのか分からなかった。
謝るのはこっちの方なのに。
尾崎との勝負を受けたのは俺だ。
そして、負けた責任も俺にある。
「君は何も悪くない。
俺の力が及ばなかったんだ。
謝るのはこっちだよ。
ごめんな。」
事務所はしんと静まり返っていて、窓を雨が叩く音だけが響く。
何か抜け殻のようになってしまった自分の心は、体全身から力を奪っていた。
俺は由香利君の傍に歩み寄り、肩を優しく叩いた。
何か言おうとしたが、何も言葉は出てこなかった。
「ごめんなさい・・・。」
由香利君は小さくそう呟くと、自分の荷物を持ち、ゆっくと歩きながら事務所を出て行った。
窓から外に出た由香利君を見た。
雨の中を濡れながら、力無い足取りで去って行く姿を見送ると、俺は自分の椅子に座り、夜になるまでただそうしていた。
この二日間、何度か由香利君に連絡をしようかと思った。
彼女からは何の連絡もなく、今頃どうしているのだろうと思いながら、その声を聞きたくて連絡を取ろうとした。
でも、結局連絡は取らずじまいだった。
電話をかけても、何を話せばいいのか分からない。
俺達は恋人でもない。
友達でもない。
探偵と助手だったのだ。
たったそれだけの関係だった。
だから、探偵をやめることが決まった今、由香利君に何て電話をかければいい?
何故か無性に彼女の声が聞きたい。
でも、電話をかける正当な理由なんてどこにもないのだ。
俺が探偵じゃなくなった時点で、彼女も俺の助手ではなくなった。
もう繋がりはない。
探偵をやめれば、俺には何も無くなる。
でも由香利君には大学があり、空手がある。
探偵の助手じゃなくなっても、自分の生活がある。
お金が欲しくなったら、また別のアルバイトを探せばいい。
今や探偵という唯一のものを失った俺は、由香利君ともう会うことはないのだろう。
そして、生き甲斐だった探偵は、もう出来ない。
次の自分の人生を探す為、いつまでも立ち止まってはいられない。
明日この事務所の看板を降ろしたら、全て忘れよう。
もし全て忘れるのが無理でも、探偵であった思い出に浸って生きるのはやめよう。
俺に残されたのは小さな力。
とても下らない超能力。
この力を使って、もう何かをすることもない。
何かをしようとも思わない。
もう、普通に暮らそう。
俺はコーヒーを淹れ、自分の椅子に座って、その日もただ時間が過ぎるの待った。
やがて夜がきて、俺は事務所の電気を消してドアに鍵をかけた。
「久能司探偵事務所」
その看板を一目見上げると、事務所を振りかえることなく家に帰った。
夜の秋の風は、とても冷たく感じられた。

                      *

翌日、俺は事務所に来ると、受話器を取り上げて看板業者に電話をしようとしていた。
あの看板を外してもらうのだ。
そして今日中に荷物を整理して、綺麗さっぱり、何もなくしてこの事務所と別れを告げるのだ。
コーヒーを一口飲み、電話のプッシュボタンを押す。
その指がわずかに躊躇っていることに自分で気付き、何だか可笑しくなって笑ってしまった。
もう未練など残してはいけないのに。
昨日、全て忘れようと決めたのに。
俺はプッシュボタンを押す指に力を込めた。
もう全て終わりにするんだ。
俺は探偵じゃない。
普通の暮らしに戻るんだ。
そう覚悟を決めて最後のプッシュボタンを押そうとした時、ドアから誰か入ってきた。
茂美だった。
相変わらずの色っぽいスーツ姿で、目にわずかに笑みをたたえながら事務所の中央まで歩いて来る。
俺は一旦受話器を置き、茂美を見た。
茂美は俺の視線を受けると不敵に笑い、さらに近づいてくる。
俺の前で机に片手を付き、笑顔を保ったまま口を開いた。
「久能さん、また会いに来ることになるなんて思わなかったわ。」
顔は笑っているが、声は真剣だった。
「何か用か?
俺はもう探偵じゃない。
俺に用事なんてないはずだろ。」
茂美は腰を机の上に乗せ、窓の外に目をやって答えた。
「ねえ、久能さん。
このまま探偵を終わらしたら、あなたどうするつもり?」
俺は椅子の背もたれに体を預け、茂美を見上げながら答えた。
「どうもしないさ。
また就職活動でもして、新しい仕事を見つける。
まあこの不況だから、すぐには採用は決まらないだろうけど。」
そう言って自嘲気味に笑って見せると、茂美は顔から笑顔を消して言った。
「似合わないわ。」
「何?」
俺は呟くように聞き返した。
「久能さんが、普通に働くなんて似合わない。
そう言ったのよ。」
俺と茂美の間に、しばらく沈黙が訪れる。
似合わないか。
俺が普通に働くことが。
その言葉をどう受け止めていいのか分からないが、俺は茂美を見て「ふふ」と笑った。
「そうかもな。
俺はサラリーマンが嫌で、この仕事を始めたんだ。
宝くじを当てて、自分を変えるチャンスを得た。
俺はもっと刺激のある生活が欲しい。
そう思って探偵を始めた。
だから、また普通の暮らしに戻るのは、まあ、寂しくはあるな。
けど仕方ないさ。
もう、俺は探偵じゃないんだ。」
自分の心の中にあることを吐き出すと、茂美はゆっくりとその言葉を吟味するように聞いていた。
「褒め言葉よ。」
不意に茂美が言った。
俺は一瞬何を言っているのか分からず、真顔で茂美を見返した。
「あなたが普通に働くのなんて似合わない。
それって、裏を返せば今までの仕事が似合ってたってことよ。
あなたは探偵が似合ってる。」
茂美はそう言うと、机から腰を下ろして真っすぐに俺を見据えた。
「久能さん、人生にはそう何度も大きなチャンスは巡ってこないわよ。」
俺は黙って茂美の視線を受け止めた。
茂美の言葉が、何か形をもって俺の耳に入ってくるように感じる。
「あなたはさっき、宝くじを当てて自分の人生を変えるチャンスを得たと言っていた。
そして探偵を始めた。」
俺はコーヒーカップに視線を移し、茂美の言葉に力がこもっているのを感じた。
「でも、そうして始めた探偵も、もうやめなくちゃいけない。
人生の中で手に入れた一度目の大きなチャンスが、ふいになちゃったわけね。
でも、もしまたチャンスが巡ってきたとしたら?
人生でそうはない大きなチャンス。
その二度目が、今あなたに巡ってきたとしたら、あなたはそれに背を向けるのかしら?」
茂美の言葉が理解出来ず、俺はコーヒーカップを睨んだまま尋ねた。
「言っている意味が分からないな。
二度目の大きなチャンス?
そんなものがどこにある?」
茂美はまた笑顔を作り、腕を組んで俺の傍に寄って来た。
「決まってるわ。
探偵を続けるチャンスよ。」
俺は茂美の顔を見上げた。
彼女はまるで、俺を試すような目で見ている。
事務所の静けさが、逆に俺の心を騒ぎ立てていた。
「今日の朝ね、またメロンちゃんが脱走しちゃったのよ。
まったく、困ったペットだわ。」
茂美は俺を通り過ぎて窓の外を眺めている。
俺は椅子に座ったまま動けず、茂美を振りかえることが出来なかった。
「まあ、あんなペットでも私にとって可愛い存在なのよね。
だから、また捜して欲しいのよ。」
茂美は俺の前まで回って来ると、顔を近づけて言った。
「勝負はまだ終わっていない。
尾崎にはもうメロンちゃんが脱走したことを伝えたわ。
彼はきっともう動いているはず。
あなた、こんな所で座ったままでいいの?」
そう言って茂美はドアの方へゆっくりと歩いて行く。
「まだ、勝負は終わっていない?」
そう呟いた俺に振り返り、茂美はドアを開けてその際にもたれかかった。
「うふふ、再び巡ってきた大きなチャンスを、活かすも殺すもあなたしだい。
これを逃せば、あなたはもう本当に探偵じゃなくなるわ。」
また、俺にチャンスが巡ってきた。
今度は探偵を続けるチャンスが。
だが、そう都合よく人生に大きなチャンスが巡ってくるものだろうか?
そう思った途端、俺はハッとして茂美に尋ねた。
「お前、まさかわざとメロンちゃんを・・・。」
その言葉に茂美は答えず、ただ笑顔を寄こしただけだった。
気が付くと、俺は椅子から立ち上がっていた。
抜け殻になっていた心に、何かが戻ってくるのを感じていた。
茂美は俺に背を向け、顔をだけを振り向かせて言った。
「久能さん、今度は期待してるわよ。」
バタンとドアは閉まり、茂美が去って行く足音だけが聞こえる。
茂美は、再び巡ってきたチャンスに背を向けるのかと俺に尋ねた。
とんでもない!
誰が背を向けるものか。
俺は茂美に心の底から感謝をしつつ、すぐにケータイを手に取った。
電話をかける。
もちろん相手は決まっている。
数回のコールのあと、小さな声で「もしもし」と返事があった。
俺は興奮していた。
何をどう説明しようか頭の中で整理がつかず、でもとにかくまだ全てが終わったわけじゃないんだということだけは伝えなければならない。
ケータイを強く握りしめ、俺は力強く言った。
「由香利君、まだ終わっていない。
俺達は、まだ探偵なんだ。」
電話の向こうから返事はない。
俺は構わず続けた。
「まだ依頼は終わっていないんだよ。
勝負はまだ決してない。
これから解決しなけりゃならないんだ。」
由香利君が何か言ったように聞こえたが、声が小さくて聞き取れなかった。
「君は俺の助手だろ。
だったら、すぐに事務所に来てくれ。
また二人で、依頼を解決するんだ!
この勝負に、絶対勝つんだ!」
由香利君が俺の言葉に答えた。
今度ははっきり聞こえた。
「行きます!
すぐ行きます!
だって私は久能さんさんの助手だから!
依頼を解決するのは、いつだって二人だから!
もう、絶対に負けません。
勝って、探偵を続けましょう!」
俺は笑顔になってケータイを握っていた。
そうだ、今度は負けない。
自分に負けちゃいけない。
巡ってきたチャンスを手にするには、自分に勝たないといけないんだ!
俺は全身に力が漲るのを感じていた。
電話の向こうの由香利君の声も、俺に力を与えてくれた。
待ってろよ、尾崎。
今度はこっちが勝つ番だ。
心の底から湧き上がる力が、俺を満たしていた。

                                最終話 さらにつづく

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