海の向こう側 第八話 見えない境界線(2)

  • 2018.05.20 Sunday
  • 11:23

JUGEMテーマ:自作小説

散りかけの桜に混じった眩しい新緑が、駅から降りた俺を出迎えてくれる。
一年ぶりに帰ってきた故郷はなかなか新鮮に見えた。
駅は相変わらず自動改札もない旧式だし、線路の向こうに見える田園も変わっていない。
なのにこうも新しく感じるのは、一年という時間が俺を変えたからか?
知らない間に成長し、大人になっていたのか?
そんな風に思いたいけれど、おそらく違うだろう。
多分俺は成長なんかしていない。
もしも垢抜けた大人になっていれば、やっくんにも美知留にも振り回されることはなかっただろう。
「どう?懐かしいでしょ?」
隣に立つ美知留がバスガイドのように手を向ける。
あそこにコンビニが建ったとか、誰それさんの家の犬が亡くなったとか。
いくら新鮮に感じたとはいっても、高校の頃から住んでいる街である。
観光案内は必要なく、適当に相槌を打ちながらロータリーを横切り、細い路地へと入っていった。
駅前の景色にも大きな変化はなく、駄菓子屋やスナックも健在である。
オンボロの駐輪場もそのままだし、突き当たりのブロック塀の上が欠けているのも変わりない。
懐かしさとは、新しさを感じることでもあるんだなと、ちょっとばかし哲学的な気分に浸ってみる。
景色を楽しみながらしばらく歩くと、遠くに大きなスーパーマーケットが見えてきた。
全国展開している大手のチェーンだけど、俺がいる頃にはあんなのはなかった。
変わらない場所もあれば、変わっていく場所もある。
交差点で赤信号を上目に立ち止まっていると、「じゃあ私はここで」と美知留が手を振った。
「今日はゆっくり休んで。」
「引越しの手伝いありがとう。」
「うん、またね。」
交差点の手前を左に曲がり、パチンコ屋や個人の書店が並ぶ細い道を去っていく。
地元に帰るのにあれだけ反対していたのに、こうもあっさりついて来たってことは、やっぱり俺と一緒にこの街を出て暮らすつもりなのだろう。
それはもちろんお断り願いたいけど、でもどうしてここへ帰って来ることを嫌がっていたのか?
若干気になることではあるが、下手な詮索は秘密の共有につながって、かえって俺たちの仲を深めてしまうかもしれない。
このまま聞かないでおくのがベストだろうと、青に変わった信号を渡った。
家に向かう途中、なんとなく海が見たくなって、少しばかり寄り道をした。
開けた海岸線に近づいていくと、穏やかな瀬戸内海が横たわっていた。
波は小さく、海面は滑らかで、晴天の陽射しをダイアモンドのように反射している。
波音も穏やかで、仏か菩薩かと思うほど、優しさと包容力に富んだ海である。
同じ海でも日本海とはまったく異なるその表情、水平線までとろけそうなほど穏やかで、しばらく海岸沿いの道から眺めていた。
少し西側には港があり、小さなクルーザーが幾つも繋がれている。
お金を払えば沖まで乗せていってくれるのだ。
まだ俺が子供の頃、家族で釣りに出かけたことがある。
俺は坊主だったが、姉は次々に大物を釣り上げていた。
それがなんとも羨ましくて、本当は楽しいと感じていた釣りを自らやめてしまった。
クルーザーの中でいじけていたのは良い思い出である。
沖の方に目を細めると、幾つかの船が見えた。
遠く霞んでいるそのシルエットは、クルーザーではなく漁船のようであった。
ポンポンポンポンと小さなの船のエンジン音が頭の中で再生される。
今日は大漁だったんだろうかとか、あの船は家族でやっているんだろうかとか、色々なことを想像してしまう。
そして漁船の向こうに佇む水平線に、やっくんが語っていた思い出が蘇った。
『いつか海の向こう側へ連れていったる。』
ミオちゃんに約束したその言葉が叶うかどうかは、神のみぞ知るところだ。
ただ・・・俺も想像してしまう。
海の向こう側にはいったい何があるんだろうと。
地理的なという意味ではない。
ここは瀬戸内海、海を隔てた向こうには幾つもの島があって、そのさらに向こうには四国の影が浮かんでいる。
まるで水墨画のように霞んでいるその様は、自然が描く芸術である。
それはそれで美しいんだけど、そういった地理的なことや情緒的なことではなく、もっとこう・・・観念的な話だ。
空と海とが交わる水平線は、ここではない遠い世界への入口のようにも夢想できるし、あそこで全てが終わっているんじゃないかと哲学的な感傷にも浸れる。
何も無いようで全てが詰まっている場所。
目に見えないその向こう側には、その場所まで行ってしまえば消えてしまう何かが潜んでいる。
遠い遠い向こう側には、鏡写しのようにこっちの世界が映っていて、そこにはもう一人の自分が立って俺を見ているのかもしれない。
そのもう一人の自分はきっと、ここに立つ俺とは何もかもが違うはずだ。
おそらくだけど、もっと女らしい服装をして、男に恋をして、美知留と付き合うこともなければ、やっくんに人違いされることもなかっただろう。
中学の上がるまでは、俺は実に女の子らしい女の子だったと思うし、クラスの男子に片思いしていた時期もあった。
友達も大勢いたし、誰とでもよく喋る明るい子だった。
そう、中学に上がる頃までは、俺は今のような俺ではなかった。
悩みはあれど子供特有の可愛らしいレベルのものだったし、泣くことはあっても次の日には忘れていた。
あの頃、大きな不安なんて一つもなくて、純粋に毎日が楽しいと思えていた。
世界は美しく、いつでも輝いているものだと、それが当然だと信じて疑わなかった。
そう信じたまま俺は小学校を卒業し、春休みの間に、父の仕事の関係で引っ越すことになった。
それまで住んでいた街はそこそこの都会だった。
いわゆる中核都市ってやつで、大都会ってわけじゃないけど田舎でもない。
物珍しい何かがあるわけじゃないけど、生活にはまったく不便のない良い街だった。
しかし引っ越した街はそうではなかった。
日本有数の大都市で、元いた街が田舎に思えるほどのレベルだ。
新しい環境の中で、俺は中学へと上がった。
そこで待ち受けていたのはイジメだった。
あれは入学式を終え、その翌日に登校した下駄箱でのことだった。
背の高いイケメンから『おはよう』と声を掛けられたのだ。
その子は入学式の日にたまたま隣に立っていた子で、しかも帰り道も同じだった。
俺たちはほんの少しばかり話をして、ほんの少しばかり仲良くなった。
越して来たばかりで、中学に上がったばかりで、俺には友達なんて一人もいなかった。
そんな中で出会ったその子とは、こっちへ越してきて始めての友達になれるんじゃないかと嬉しく思ったものだ。
だからその翌日、下駄箱で声を掛けてくれたのも嬉しかった。
俺も『おはよう』と笑顔で返し、教室まで並んで歩いた。
俺は一組、向こうは三組、『じゃあ』と手を振って教室に入ったのだが、入口付近にたむろしていた女子のグループから威圧的な視線を向けられた。
俺を敵視している・・・・一目でそう分かる視線だった。
それからである。そのグループからちょくちょく嫌がらせを受けるようになったのは。
わざとらしく聴こえるような陰口、わざとらしくこっちを見てから爆笑。
一ヶ月も立つ頃にはトイレで水を掛けられるようになっていた。
上履きや持ち物を隠されるなんてしゅっちゅうで、俺が給食当番だった時は、皿に盛ったおかずを目の前でゴミ箱に捨てられたこともあった。
見かねた教師が注意したこともあったけど、そんなものは焼け石に水。
教師が、いや学校が大した事を出来ないってことを、彼女たちは知っていたからだ。
一学期も終わりを迎えようとする頃、俺は学校へ行ったり行かなくなったりと、不登校のボーダーラインをウロウロしていた。
家族は力になってくれたけど、学校の問題は家族の力だけでは解決しない。
親は無理して行かなくてもいいと言ってくれたけど、完全なる不登校になるのは負けを認めるようで嫌だった。
だからどうしても今日は無理だ・・・と思う時以外は、なるべく学校へ行くようにしていたのだ。
どうして自分がイジメに遭うのか?
始めは分からなかった。
俺が地方から越してきた田舎者だから?
それとも遊びのノリで楽しんでいるだけ?
その答えは夏休みに入ってから解けた。
八月の頭、少し離れた場所で祭りがあった。
不登校気味な俺に気を遣って、姉が一緒に行こうと誘い出してくれたのだ。
大きな神社の参道に並ぶ屋台、ゴミゴミしいほど行き交う人々。
そして夏特有の開放的な空気。
力強い活気に当てられて、久しぶりに少しだけ楽しい時間を過ごした。
あちこちに浴衣を着た女の子がいて、自分も着てくればよかったなあと羨ましく思った。
淡いながらも鮮やかな浴衣が祭りを行き交う中、俺は見つけてしまったのだ。
俺をイジメているグループの主犯格の女子が、あのイケメンと手を繋いで歩いているところを。
イケメンは俺に気づき、笑顔で手を振ってくれた。
その瞬間、イジメっ子のそいつは実に・・・・実に不満そうな顔で、グイっと彼氏の手を引いた。
あんな汚物に関わるなとでも言いたげな表情で。
祭りから帰り、姉にその出来事を相談すると、その子はクラスを仕切っているボス的な子なんじゃないの?と言われた。
だとしたら何なんだろうと首をひねる俺に、姉はこう説明してくれた。
その子が付き合うのはスクールカーストで上位に位置している男子だけ。
そして友達は自分に近いレベルの女子だけ。
それ以外の者に対しては、男子だろうが女子だろうが冷たい態度を取る。
そういったボス的な女子は耳が速いから、あんたが地方から越して来た田舎もんだってことも知っていた。
だから昼ドラにあるような、どこの馬の骨とも分からん女に○○さんは渡さないわ!的な心理が働いたんじゃないか・・・と。
言われて納得、姉の指摘は当たっていた。
と同時に、あんたは女の子にしては色々と鈍い、この先心配だと言われた。
でもそんな事を言われたって、当時の俺には分からなかった。
姉の言っていることは理解できるが、胸の中ではピンと来なかったのだ。
どうして女の子は鈍いと苦労するんだろう?
どうしてあの子はその程度のことでイジメに走るんだろう?
別に俺があのイケメンと仲良くしたからって、付き合うなんてことにはならないはずなのに。
入学式とその次の日、ちょっと仲良く話をしていて、それが気に食わないからってイジメにまで走る心理が理解できなかった。
そして理解できないまま、夏休みは終わりを迎えた。
また過酷な日々が始まる・・・・けと不登校にはなりたくない。
二つの悩みに挟まれながら、言いようのないほど憂鬱な気持ちで登校したのを覚えている。
朝、校門をくぐる前に、今日も一日どうにか乗り切るんだぞと自分に言い聞かせた。
下駄箱に群がる生徒の多くが日に焼けていた。
きっと楽しい時間を過ごしたんだろう。
対して自分は姉に気遣われて祭りに行っただけ。
もちろん姉には感謝しているけど、楽しい時間を過ごしたであろう同級生たちを眺めていると、余計にみじめな気分になった。
鉛のように重い憂鬱を抱えながら教室へ踏み込む。
さあ、今日も一日奴らが攻めてくるぞと、痛みに耐える覚悟をした。
しかし意外なことに、その日は何も起こらなかった。
悪口を言われることもなければ、トイレで水を掛けられることもない。
持ち物も隠されなかったし、素っ頓狂なほど平穏に終わった。
それは翌日も続き、そのまた翌日も同じだった。
理由は分からないけど、どうやらイジメのターゲットから外されたらしい。
それどころか、俺が傍を通ると目を逸らし、そわそわと道を開けた。
以前とは打って変わって、イジメどころか俺から距離を置くようになった。
ある時、例のイケメンが俺のクラスに来ていて、親しく声を掛けてきた。
これはマズいんじゃないか?・・・と思いながら、元イジメっ子を振り返る。
案の定不満そうにこちらを睨んでいたが、目が合うなり教室から出て行ってしまった。
そのさらに数日後、いつものように一人で下駄箱に向かい、一人で校門を出て、未だ友達ができなことを悩みながら下校していた。
イジメがとまったのは嬉しいが、友達がいなんじゃ楽しくない。
周りのクラスメートは次なるターゲットになることを恐れてか、なかなか俺には近寄って来なかった。
話しかけると笑顔で返してくれるのだが、それ以上は距離を縮めてくれない。
いったいどうすればいいのか困り果てていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
振り返れば例のイケメンが立っていて、一緒に帰ろうと誘われた。
俺は少々迷った。あまり親しくしていると、またイジメが再発するんじゃないかと。
けどいつまでもあんな奴のことを気にしてビクビクしているのも馬鹿らしい。
そうなったらそうなったで構うもんかと、中学生活の初めての友達を得る為に、一緒に帰ることにした。
最初は他愛ない話をした。
俺が前に住んでいた街の話とか、好きなミュージシャンの話とか。
久しぶりの家族以外との会話は楽しくて楽しくて仕方なかった。
俺はこれでもかと饒舌になり、彼もまた楽しそうに相槌を打ってくれた。
そして家の手前の交差点まで来た時、じゃあねと手を振った。
これからも仲良くしてほしかったので、また明日と。
するとちょっと待ってと呼び止められて、なぜか頭を下げられた。
ごめん・・・・と。
いったい何を謝っているのか分からなかったけど、彼はすぐに理由を口にした。
どうやら彼女が俺をイジメていることを知っていたらしく、何度もやめるように注意したのだという。
しかしその度に機嫌を悪くして、その度に俺へのイジメが増していったらしい。
何度も助けようと思ったらしいが、下手をすればもっとイジメが過激になるかもしれない。
それに彼女のことは好きだったので、あまり怒らせて別れを切り出されるのが怖かったという。
どうしたものかと悩んでいたけど、一人じゃ解決できそうにないので、お姉ちゃんに相談してみたのだそうだ。
実は彼のお姉ちゃん、地元ではちょっと名の知れた人物なのだという。
というのもかつてはレディースの総長をやっていたらしく、当時はヤンチャな生徒も道を避けるほどおっかない人だったそうだ。
しかし高校を卒業するのと同時に、ピタリとそういった道からも卒業し、真面目に働き出した。
理由は夢が出来たからだ。
持て余すほどの情熱がくすぶっていたレディース時代、OBの一人が格闘家として海外で活躍しているのを知った。
なんでもフランスにはサバットという格闘技があるそうで、曰くフランス式のキックボクシングみたいなものらしい。
向こうではかなり盛んなのだという。
日本にも教えてくれる所があるらしく、OBに連れられてそこへ行った時、すっかりハマってしまったのだそうだ。
自分の道はこれしかない!
持て余していた情熱をぶつける場所を見つけて、高校卒業と同時に習い始めたのだそうだ。
そしていつかはチャンピオンになることを目標に、上京して仕事をしつつ、サバットに精を出しているのだという。
そのお姉ちゃんがお盆に帰郷してきた。
彼女がイジメに走っていることを伝えると、私に任せとき!と彼女の家まで案内させられたという。
今は丸くなっているとはいえ、かつてはヤンキーも道を避けて通るほどだった人物。
しかも今は格闘家浸けの毎日で鍛え上げられた肉体をしている。
家から呼び出された彼女は、最初のうちは少々狼狽えたものの、すぐに生意気な態度に変わったという。
対してお姉ちゃんは優しく丁寧に語りかけ、弟の話は本当なのかと問い正していった。
だったらなに?といきり立つ彼女であったが、それでもお姉ちゃんの物腰は柔らかかった。
しかしあまりに生意気すぎるその態度に、遂に堪忍袋の緒が切れる瞬間がやってきた。
テメエこのガキ!と胸ぐらを掴み上げ、お前みたいな女にウチの弟はもったいない!と、凄まじい剣幕で怒鳴り始めた。
怯えた彼女は家の中に逃げ込み、籠城を決め込んだ。
そしてその日の夜に彼に電話を掛けた。
私をこんな目に遭わせるなんて酷いとか、もうアンタなんか別れてやるとか、かなりの怒りっぷりだったという。
そしてこのままで終わると思うなよと、脅し言葉を浴びせた。
私にもヤンキーのお姉ちゃんがいて、彼氏は暴走族で、だから明日にでもアンタのお姉ちゃんに復讐してやる!と喚いた。
だがそんな日がやって来ることはなかった。
なぜならその彼女のお姉ちゃん、彼のお姉ちゃんが総長をやっていた時代のことを知っていたからだ。
彼女は青くなっただろう。
彼のお姉ちゃんが昔どういう人物だったのかを知り、人脈も暴走族どころではないことも知り、復讐を断念せざるを得なかった。
後日、彼のお姉ちゃんが彼女のお姉ちゃんに、もうイジメはやめるように教育しとけと怒ったらしく、それが理由でピタリとやんだのだった。
彼は言った。
大好きな彼女にイジメなんてしてほしくなかったと。
これはつまり、俺の為というより彼女の為であった。
しかし悲しいかな、彼はフラれてしまった。
メールで一言、「もう別れる」とだけ告げられて終わったそうだ。
となればもう隠しておくこともないかなと、俺に事の顛末を打ち明けてくれたのだった。
イジメがやんだ理由を知った俺は、是非とも彼のお姉ちゃんにお礼を言いたかった。
連絡先を教えてもらい、電話で何度もありがとうと伝えた。
お姉ちゃんはとても優しい声で、気にしなくてもいいよと笑ってくれた。
そしてその年の終わり頃、こっちへ帰って来ていたお姉ちゃんに会うこが出来た。
向こうからご飯でも行かないかと誘ってくれたのだ。
弟と一緒に迎えに来てくれた俺のヒーローは、想像していた人物像とはまったく違う人だった。
レディースの総長をやっていたんだから、すごくおっかない見た目の人かと思っていたんだけど、全然そんなことはなかった。
格闘技をやっているせいか肉体はガッチリしているものの、表情や雰囲気はとても優しい人だった。
髪はとても短く、ジーンズに無地のTシャツといった服装をしていて、鍛えられた肉体と相まって男っぽくも見えた。
挨拶はとても丁寧で、礼儀正しくて、出迎えた俺の母も感心していた。
今時の若い子でこんなにしっかりした子がいるなんてと。
その日、俺は中学へ上がってから初めて友達が出来た。
一緒にご飯を食べ、色んな話を聞いてもらい、色んな話を聞かせてもらった。
昔は荒れに荒れまくっていて、冗談抜きでナイフみたいに尖んがっていたこと。
道端でヤンチャそうな子と目が合う度に喧嘩をしていたこと。
授業なんてサボりまくりで、服装を注意してきた教師の脛を蹴飛ばしたこともあるという。
大勢の仲間を引き連れては夜な夜な爆音で街を走り、追いかけてくるパトカーにバットで応戦し、ウィンドウを割ったこと。
しつこく説教をしてくる警官にグーで殴りかかったこと。
とにかく世の中全てが腐ったように見えていて、全て敵だと思っていたこと。
そして今はそれらの行いを全てを恥じていると語った。
道端で出くわしたら土下座しなきゃいけない人が何人もいて、本当に馬鹿なことをしていたと後悔を滲ませた。
夢が見つかり、その道で一生懸命頑張っていると、過去の自分はただ甘ったれていただけなんだと気づいたそうだ。
いったいどれほどの人を傷つけ、どれほどの人に迷惑を掛けたのか、考えただけでも情けなくなってくると。
昔がそんな状態だったからこそ、自分より若い子が間違った道に進んでいるのが我慢ならないらしい。
身をもって荒んだ時代を知っているから、弟の彼女のことも他人事とは思えず、どうにかしてやれないかと思っての、テメエざけんじゃねえ!という怒号だったという。
と同時に、イジメの的になっていた俺のことを、自分が傷つけてきた人たちと重ねてしまったらしい。
自分はイジメはしなかったけど、身勝手な行いで人を傷つけてきた。
そういう人たちとイメージが被ってしまって、罪滅ぼしのような気持ちがあったのだという。
俺は色んな話を聞かせてもらって楽しかった。自分とは無縁の世界の話はとても新鮮だったのだ。
そして次は美緒ちゃんの話を聞かせてよと言われて、時間も忘れるほどたくさん話をした。
お姉ちゃんはうんうんと笑顔で頷いてくれたり、時々冗談を言って笑わせてくれた。
その中で、俺は友達ができないことの悩みを相談した。
イジメがやんだのは嬉しいけど、一人ぼっちじゃ寂しいと。
するとお姉ちゃんは、じゃあ私と友達になろうよと言ってくれた。
辛い時はいつでも連絡をくれたらいいし、こっちに帰って来てる時は一緒に遊ぼうと。
こっちへ越してきて初めて出来た友達に、思わず涙してしまったことをよく覚えている。
それからお姉ちゃんはとても仲良くしてくれた。
相変わらず学校ではなかなか友達が出来なかったけど、お姉ちゃんがいるだけですごく救われた。
そして中学二年の夏休み、お姉ちゃんから東京へ遊びに来ないかと誘われた。
俺は即行きます!と返事をして、一人で東京になんてと反対する両親を説得し、夏休みを迎えた七月の終わり頃に上京した。
お姉ちゃんは東京の色んな場所へ案内してくれて、丸一日二人で楽しんだ。
夜、お姉ちゃんのアパートでご飯をご馳走になり、なんて楽しい日なんだろうと、すさまじい満足感に満たされていた。
お姉ちゃんはお酒が入って、いつもより饒舌になっていた。
美緒ちゃんもちょっと飲む?と誘われて、どうしようかなと迷う俺に、真面目だなあと笑っていた。
コップ半分に注いでもらったワインはとても美味しくて、お代わりをもらってすぐに酔っ払ってしまった。
これ親には内緒にしといてよと言われ、うんうんと頷きながら、ふんわりと気持ちのいい感覚に浸っていた。
そんな気持ちのいい感覚の中、どんどんお酒がすすむお姉ちゃんは、ふとこんなことを漏らした。
『実はさ、私同性愛者なんだよね。』
いきなりのことでピンと来なかった俺は、狐につままれたみたいな顔をしていたと思う。
それを引いていると勘違いしたのか、お姉ちゃんは慌ててこう言った。
別に美緒ちゃんを襲おうとか思ってないからねと。
ただ周りに同じ人がいなくて、いや・・・・いるのかもしれないけど、この国じゃ表に出す人は少ないから、出会うことは難しいんだと嘆いていた。
未だに恋人がいたことはないし、ちょっと切なさそうな笑顔を見せた。
俺はどう返していいのかまったく分からず、ただゴクゴクとワインを飲んでいて、もうやめときなと取り上げられた。
お酒の時間は終わり、酔ってるからお風呂はやめといた方がいいと言われ、寝袋を広げて布団のように敷いてくれた。
こんなのしかなくてごめんねと、タオルケットを渡されながら。
部屋の電気が消え、うつうつと眠りに落ちていく。
今日は本当に楽しい日で、明日もう一日一緒に遊べるなんてと考えていると、すごく幸せな気分で堪らなかった。
そうやって極上の気分で微睡んでいると、ベッドの上からお姉ちゃんがこう呟いた。
『さっきのは聞かなかったことにして。』
俺はすぐに理解した、同性愛のことを言っているんだと。
そしていったい何を思ったのか、こんなことを口走ってしまった。
『お姉ちゃんみたいな人が恋人だったらいいなあ。』
酔っていたせいか、微睡んでいたせいか、それともその両方か?
なんでか分からないけど、自分でも何を言っているのかよく理解しないまま口走っていた。
それから一分も立たないうちに眠ってしまった。
翌日、お姉ちゃんは元気な笑顔でおはようと言ってくれた。
そして昨日と同じように色んな場所へ連れて行ってもらった。
お姉ちゃんが昨日言っていたことは気になるけど、覚えていないフリをした。
きっと人に聞かれたくなかった話だろうし、お姉ちゃん自身が聞かなかったことにしてと言っていたから。
余計なことさえ詮索しなければ、今日も一日楽しい時間を過ごせる。
そう信じて浮かれていたんだけど、お昼ご飯を食べてからすぐのこと、お姉ちゃんはこう言った。
悪いんだけど、急な用事が入ったから今日は泊めてあげられないと。
一緒に遊ぶ時間はもうおしまいで、申し訳ないけど今から帰ってくれないかと。
・・・帰ってくれないかと言われても、今日も泊まる予定だったから、明日帰る予定で新幹線の切符を購入していた。
それに何より、まだ続くはずだった楽しい時間を打ち切られて、悲しいやらショックやらで何も答えられなかった。
悲しむ俺を見つめながら、大人は忙しいから我慢してと頭を撫でられた。
それから駅まで送ってもらい、こっちの都合で早めに帰ることになったんだからと、新幹線の切符を買ってくれた。
お姉ちゃんは改札の手前で立ち止まり、またねと笑いかけてくれた。
俺はただただ残念で、小さな声でまたねと返すことしか出来なかった。
切符を片手に背中を向ける。
改札を通ろうとした時、お姉ちゃんの小さな呟きが降ってきた。
『美緒ちゃんが大人だったらよかったのにね。』
振り返ると、お姉ちゃんは俺よりも悲しそうな目をしていた。
あの気丈で強気なお姉ちゃんがこんな顔をするなんて・・・・。
自分の中のイメージが崩れていくのを感じて、一度も振り返らないままホームを駆け抜けていった。
そしてその日以来、お姉ちゃんは会ってくれなくなった。
連絡も疎遠になり、一緒に遊ぶことも、一緒に話す機会も、二度と訪れなかった。
しかし俺の胸にはずっとお姉ちゃんのことが残っていた。
イジメっ子を追い払ってくれた強さ、レディース時代のぶっ飛んだ話、友達になってくれた優しさ、同性愛者だと教えてくれたあの夜のこと。
そして「美緒ちゃんが大人だったらよかったのにね」と悲しそうな目をしていたこと。
時間が立つほどにそれらが胸の内で混ざっていって、一つの結晶のように実を結び始めた。
そして受験を控えた中学三年に上がる頃、俺はいつの間にか同性を恋愛対象として見るようになっていた。
同時に服装も男っぽくなり、長かった髪も短く切ってしまった。
別に男になりたかったわけじゃない。
なのにこういう具合になってしまったのは、お姉ちゃんという存在があったからだ。
中学三年の夏休み、彼の家を訪ねて、お姉ちゃんに会えないかと頼んだことがある。
しかし今は日本にいないと言われて断られた。
姉貴はサバットの本場であるフランスに行っていて、しばらく日本には帰ってこないだろうと。
俺はしょんぼりと肩を落とし、いきなり尋ねてごめんと言い残して、たった一人の夏休みを過ごした。
そして高校へ上がる頃、ようやく気づいたのだ。
どうして同性を好きになり、男っぽい格好をするのかということを。
それは胸の内にある結晶が、お姉ちゃんそのものだったからだ。
あの日呟いた「お姉ちゃんみたいな人が恋人だったら」という言葉。
あれは正確には「私自身がお姉ちゃんみたいな人になれたら」という、信仰とか崇拝に近いほどの憧れだったのだ。
イジメを受けるまでは、この世界が童話のように素晴らしいものと信じていたけど、実はそうじゃないということを体験した。
俺はただ耐えるばかりで何もできず、そこへヒーローのように颯爽と現れたお姉ちゃんに対して、自分が持っていない物全てを持った超人のような眼差して見つめていたのだ。
そしてそのお姉ちゃんにはもう会えない。
寂しいし切ないし悲しいし、おかげで友達もいなくなってしまったし。
そんな辛い状況を抜け出す方法はただ一つ、俺自身がお姉ちゃんになるしかなかった。
同性を恋愛対象として見るのも、男っぽい格好でいるのも、全てはお姉ちゃんを真似てのこと。
もう会えない最大の憧れの人になることで、もう会えないことへの寂しさと不満を打ち消そうとしていたのだ。
それはいつしかただの真似ではなくなり、本当にそういう人間に変わってしまった。
高校時代の三年間、俺はある意味俺ではなくなり、生まれ変わりかと思うほど、以前とは似ても似つかない人間になっていた。
その状態が今でもずっと続いているのである。
・・・・一年ぶりに帰ってきた故郷の海はあまりに懐かしく、感傷を伴って思い出を再生させて、感情的に消耗するほど観念を加速させた。
もしもお姉ちゃんと出会わなかったらどうなっていたんだろう?
イジメに耐えかねて引きこもりになっていただろうか?
それともどうにか過酷な日々を耐え抜いて、不名誉だった中学時代の日々を、高校生活で挽回しただろうか?
どちらの道を歩むにせよ、お姉ちゃんと出会っていない未来の先に、今の俺はいない。
お姉ちゃんになる必要がないのだから、同性を好きになることもなければ、男っぽい格好をすることもなかっただろう。
となればやっぱり美知留と付き合うこともなかったし、やっくんにミオちゃんと勘違いされることもなかったはずだ。
遠い水平線の向こうには、決して届かない別の世界があるような気がする。
そこには今の俺とは違った俺が住んでいて、向こうは向こうで不思議な目でこっちを見つめているかもしれない。
どうして俺は今でもお姉ちゃんの真似をしているんだろう?
どうして俺は今でもお姉ちゃんになりたがっているんだろう?
もう一人じゃないし、イジメられてもいないし、あの頃みたいに鈍感すぎる子供でもないのに。
じっと海を眺めていると、ふと何かが見えた気がした。
横たわる水平線の向こう、もう一人の俺が立っている。
長い髪をして、女らしい服装をして、俺に手招きをしている。
もう帰っておいでよと、お姉ちゃんになろうとするのはやめなよと、そんな風に言っている気がした。

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