海の向こう側 第九話 別れと再会(1)

  • 2018.05.21 Monday
  • 13:33

JUGEMテーマ:自作小説

人と縁を切るというのは大変なものである。
一度深い繋がりを持った人間なら尚更で、それが恋愛関係だったとしたらもっと大変である。
愛は一瞬にして憎悪に変わり、優しさは殺意へと変貌することさえある。
ここは病院、医者が擦り傷らだけの俺に消毒液を塗っていて、その痛さときたら拷問かと泣きそうなほどだ。
最も大きな怪我をした右腕は12針も縫った。
幸い傷そのものは深くないのだが、長く伸びた切り傷は、縫合された糸によって余計に痛々しく見える。
この傷の治療も消毒が一番辛かった。
傷口に指を突っ込まれて、ガシガシと洗られたのだ。
こういう大きな傷は感染症の恐れがあるらしく、実に丁寧に丁寧に傷口の清掃を行ってくれた。
その痛さたるや思わず悲鳴を上げてしまったほどである。
その後に傷口を縫合してもらったのだが、麻酔なんて一ミリも必要なかった。
激痛の余韻のせいで、針を通す痛みなど屁でもなかったからだ。
まあそれはいい。命に関わる怪我じゃないのは幸いだ。
しかし問題はこの傷がちゃんと消えてくれるのかということだ。
医者曰くこの程度の深さなら痕は残らないそうだが、それでも気になる。
包帯の上から傷をなぞり、早く元通りになってくれるようにと願いを掛けた。
頭にも切り傷がかるからと包帯を巻かれ、姿だけ見ればかなりの重症のように思われるだろう。
とりあえずの処置を終え、今日はもういいよと処置室を出た。
外には家族と刑事が立っていて、神妙な顔で言葉を交わしたり、相槌を打ったりしていた。
それから30分ほどの間、今度は俺も刑事に話を聞かれた。
そして刑事が席を立つ時、明日警察署へ来るようにと言われた。
今日は怪我もしているし、気が動転しているだろうから、とにかく帰って落ち着くようにと。
その日、家に帰ったら帰ったで、家族からも尋問のような質問攻めにあった。
どうしてこんな事になったのかと。
実は今朝、俺は家を出て新しい街へ引っ越す予定だった。
こっちへ帰ってから一ヶ月が過ぎ、そろそろ動き出そうと旅立つことにしたのだ。
仕事も見つけ、住処も決めて、一人でここを出て行くつもりだった。
スマホには美知留から『お昼過ぎに行くからね。今日こそいい物件が見つかるといいね』と可愛らしいスタンプつきでLINEが入っていた。
俺は既読にしたままそいつを無視し、家族に『もし美知留が来ても行き先を教えないように』と念を押していた。
姉に駅まで送ってもらい、もう自分探しの度は終わったんだから、新しい街ではちゃんと仕事に励むようにと説教をされ、そのつもりだと返してやった。
それと次は美知留ちゃんみたいな子に引っかからないようにとも言われて、もちろんだと頷き返した。
切符を買い、自動改札すらないワンマン駅のホームに立つ。
振り返れば田園が広がっていて、その向こうには海が霞んでいた。
この街へ帰ってきた日、俺は幻を見た。
水平線の向こうに立つもう一人の自分を。
それは今の俺とはまったく異なるもう一人の俺で、こっちへおいでよと手招きをしていた。
幻はすぐに消え去ったけど、あの日以来胸の中に疼くものがあった。
俺はずっとお姉ちゃんの真似をしてきて、いつしかお姉ちゃんそのものみたいになってしまった。
お姉ちゃんほど強くも逞しくもないけど、それ以外の所は全て合わせてきた。
服装も恋愛対象も何もかも。
けどもう一人の俺は、今の俺を間違いだと言わんばかりに、女らしい恰好をしていた。
美緒は美緒であって、お姉ちゃんじゃないでしょ?
あの幻は何も喋らなかったけど、言葉が届くならそう言いたかったんじゃないのかなと、勝手に想像していた。
あの日から特別大きな変化があったわけじゃない。
なんだか胸の中がモヤモヤすることはあっても、悩みというほどじゃないし、生活に支障をきたしたわけでもない。
でももしかすると、こういうのが一番危ないんじゃないかなという心配をしていた。
大きな歯車は、それを支える小さな歯車によって成り立っていて、気にもとめない小さな傷から、全てが破綻してしまうんじゃないかと。
もしそうなったら、お姉ちゃんに成りすまして生きてきた自分は消えてしまうことになる。
この世界が童話のように美しいものだと思い込んでいた頃の感覚に戻ってしまい、今に至るまでの10年の人生をやり直す羽目になるかもしれない。
・・・まあそうなったらそうなったで、面白いことなのかもしれない。
そんな風に考えながら、景色に背中を向けて、電車が到着するのを待っていた。
チラホラと人が増えてきて、自然と列が出来る。
100メートルほど先にある遮断機の信号が灯り、カンカンカンと音が響いて、ディーゼル音全開のローカル列車が近づいてきた。
朝早くに来ていた俺は、列の先頭からそれを眺めていた。
大きな荷物は引越し業者が運んでくれる。
僅かな手持ちの荷物が入ったリュックを背負い直し、足元の黄色い線ギリギリに立って、ガタゴトと迫ってくる音に耳を立てていた。
電車がホームへ迫って来る。
スピードを落とし、甲高いブレーキの音が響く。
その時、列の後ろから悲鳴が上がった。
何かと思って振り向いた瞬間、目の前に美知留の顔があった。
ほんの一瞬目が会っただけだった・・・・なのにその形相ときたら、鬼と悪魔を足して二を掛けたほどおぞましいものだった。
人というのはすごいもので、一秒にも満たない時間の中で、瞬時に相手の意図を悟ることが出来る。
身に危険が迫っている時は尚更に。
美知留の目には明確な殺意が宿っていた。
こんな目をしているということは、ここへ来た理由は一つ。
俺を殺しに来たのだ。
自分を置いて遠くへ逃げる恋人に鉄槌を下す為に。
そしてここは駅のホーム、殺害方法は簡単で、迫り来る電車の前に突き飛ばせばいいだけだ。
これらの思考を一秒も経たずに処理し終えて、我が身を守る為に咄嗟に横へ飛び退いた。
しかし残念ながら気づくのが遅く、完全に美知留の突撃を回避することは無理だった。
俺を突き飛ばそうとした手が肩にぶつかって、そのまま後ろへ倒れそうになった。
しかも勢い余って美知留自身も止まることができず、俺を押し倒す形で覆いかぶさってきた。
電車はすぐそこまで迫っている。
振り向けば鮮やかなツートンカラーの車体が見えたから。
このまま線路に落ちたら確実にあの世行きだ。
美知留から逃げるはずが、美知留と心中だなんて笑えない。
死にたいなら一人でやればいいものをと、思いっきり蹴り飛ばしてやりたくなった。
そして・・・・その願いは叶った。
美知留は蹴飛ばされたのだ、俺以外の人間に。
俺たちのすぐ後ろにいた若いサラリーマンが、咄嗟に美知留の背中を蹴り飛ばしてくれたおかげで、電車の進行方向とは反対側へと落ちていった。
この時幸いだったのは、俺は先頭車両の前のドアの列に並んでいたことだろう。
急ブレーキをかけた電車は、本来止まるはずだったラインよりも少しだけ手前に止まった。
そこはちょうど俺がさっきまで立っていた場所で、サラリーマンの蹴りがなければあそこに落ちていただろう。
とはいっても車体はすぐ目の前まで迫っていて、倒れた状態から見上げると、とても大きく感じた。
恐怖はすぐに全身に伝わって、横たわったまま動くことが出来ない。
対して美知留はすぐに立ち上がり、わけの分からない奇声を放ちながら、線路の石を投げてきた。
咄嗟に腕でかばったものの、茶色く錆びたような石ころは、ゴツンとこめかみにぶつかった。
痛いというより熱い感じがして、未だ衰えない美知留の殺意に対し、恐怖を超えておぞましさを感じた。
目を向けるとまた石を投げようとしている。
そこへさっき俺たちを蹴飛ばしたサラリーマンが降りてきて、美知留を羽交い締めにした。
後ろからガッチリと抱え上げて、俺から引き離そうとしているのだが、美知留のあまりの暴れっぷりに手を焼いていた。
『誰か見てへんとて手伝えや!』
怒号のごとき救援の叫びは、ホームから次々に人を呼び寄せた。
すぐに駅員も駆けつけて、俺たち二人はようやく線路から脱出することが出来たのだった。
それから数分後に救急車が駆けつけ、病院へ運ばれ、地獄のような痛みを伴う消毒に耐えていたというわけだ。
ちなみに美知留はホームに上がった後も暴れていた。
そのせいで救急車ではなく、パトカーに乗せられて病院へ運ばれたと、さっきの刑事が教えてくれた。
ただし大人しく救急車に乗ってとしても、結局は警察のお世話になることに変わりはない。
俺と違って大した怪我もなかったので、今は警察署にいることも教えてくれた。
・・・いったいなぜこんな事になったのか?
大まかな事情は家族も知っている。
美知留のことについてはこっちへ帰って来てから相談していたので、奴がどういう人間かは理解しているからだ。
だから駅でなにがあったのかと質問攻めにされても、こっちの方が困ってしまうと答えた。
とにかく今は落ち着いて物事を考えられない。
自分で思っていた以上に気が動転していて、時間が経つにつれてそれを実感することになった。
晩飯は喉を通らず、風呂にも入らず、なんと姉の部屋で一緒に寝たのだから。
・・・そう、俺は殺されかけた。
しつこい女から逃れようとして、しかし間一髪で嗅ぎつかれ、危うく死にそうな目に・・・・。
まさかやっくんよりも美知留の方が大きな危害を加えてくるとは思わなかった。
今さらになって恐怖がこみ上げ、姉に「一緒に寝ていい?」と尋ねると、渋々ながらも頷いてくれた。
しかし結局眠ることができず、徹夜ながらもまったく眠気も感じない精神状態のまま警察へと向かった。
昨日と同じ刑事が対応してくれて、怖かったなとか、昨日は眠れたか?など、慰めの言葉をかけてくれた。
この日は間に休憩を取りつつ、一時間半ほど話を聞かれた。
俺の方からも美知留はどうなっているのか?と尋ねると、険しい顔をしながら「まともに話が聞ける状態じゃない」と返された。
かなり錯乱しているらしく、激しく俺のことを罵っているらしい。
というより目に入る全てに怒りをぶつける感じで、このままでは取り調べもままならず、医者に診てもらうことも考えていると言った。
それを聞いた俺はこう尋ねた。
もしも医者が精神疾患を抱えているとか、心神喪失状態だと診断したら、美知留は無罪になるのかと。
刑事はその可能性は有りうると答えた。
今の状態を見る限り、罪を逃れたくて気が触れた演技をしているとは考えにくく、本当に錯乱状態にある。
ただそれが事件後にそうなったのか、それとも以前から疾患を抱えていたのかで、話が違ってくるだろうとのことだった。
じゃあもし美知留が無罪になったら、刑務所に行くこともなく、すぐに自由の身になるのかと尋ねた。
刑事は渋い顔をしながら、今の時点ではなんとも言えないと答えた。
とにかく今は拘束されている身なので、あなたに危害を加えるのは無理だから安心して下さいとのことだった。
俺は大きな不安を抱えたまま警察署を後にした。
もし・・・もし美知留が無罪になってしまったら、釈放と同時にまた襲いかかってくるのではないか?
そして次は本当に殺されてしまったり・・・・。
今、美知留に対して恐怖しか抱くことが出来ないでいた。
俺が安易にヨリなんか戻してしまったせいでこんな事になっている。
時間を巻き戻すことが出来るなら、美知留なんかに頼らずに自力でやっくんから逃げるのに。
そうすれば恩を売られることもなく、命を狙われることもなく・・・・。
父の運転する車の中で、不安をかき消すために景色を眺めた。
見慣れた田園、見慣れた街並、その向こうには穏やかな瀬戸内海が広がっていて、思わず「海が見たい」と呟いた。
父はハンドルを切り、海岸線へと車を向かわせてくれた。
ゆっくりと海を眺めたかったので、ここから一人で歩いて帰ると言うと、大丈夫か?と心配された。
今は美知留に襲われる心配はないので平気だと答えると、なんかあったらすぐに呼ぶようにと、車は遠ざかっていった。
さて・・・海を見たいと思ったはいいけれど、ここへ来たところで何をするわけでもない。
いや・・・もしかしたら期待していたのかもしれない。
この前のように、海の向こう側にもう一人の自分が見えることを。
今日は若干曇っていて、海面はダイヤのような光で覆われていない。
グレーに霞んだ遠い空の下には、境界線が曖昧になった水平線が伸びている。
波音は規則的で、今日も遠くに船が見える。
たったこれだけで心が落ち着くのだから、海が人の心に与える影響はすごいと感動する。
家の方角へ向かって海岸線をなぞっていると、後ろからクラクションが響いた。
少しばかり白線からはみ出していたので、内側へと避難したのだが、それでもクラクションはやまない。
挑発でもされているのかと、苛立ちながら振り返る。
黒色の大きなSUV車が傍へ寄ってきて、ウィンドウの奥から「みっちゃん!」と男が手を挙げた。
やっくんだ。
思わず足を止めると、向こうも車を止めた。
降りてくるなり「大丈夫か!」と駆け寄ってくる。
「美知留に突き飛ばされたって聞いたんやけど。」
不安そうな顔で尋ねてくるので、小さな頷きだけ返した。
やっくんは俺の頭と腕に巻かれた包帯、あちこちのずり傷を見て、「重症やないか」と顔をしかめた。
「オカンからみっちゃんのこと聞いてな。美知留に殺されかけたってほんまなんか?」
怒りと不安が混じった目を向けてくるので、また小さく頷いた。
なぜか分からないけど、今は誰とも言葉を交わしたくなかった。
心配しに来てくれるのはありがたいが、こういう時は一人にしてほしいというもので、背中を向けて歩き出した。
「ちょっと待ってえや!」と追いかけてくるが、振り返るつもりはない。
そもそもこいつが会いになんて来なければ、美知留が会いに来ることもなかったのだ。
そういう意味では元凶はやっくんにあると言っても過言じゃない気がするが、さすがに言葉に出してそれを責めるのは筋違いな気もする。
背中を向けて無視を続けていると、「ほんまあの女だけは・・・」と美知留への不満を語りだした。
「好きなんやったらなんでそんな事するかな。相手苦しめてどないすんねん。」
不満は怒りを伴い、声色が荒くなっている。
俺は間髪入れずに、お前も一緒だろうと言い返したかった。
ケロっと美知留を罵っているが、果たしてこいつにそんな資格があるのかと問われれば、間違いなくNOだろう。
美知留のやったことを許すことは出来ないが、自分の行いを忘れて他者を非難するやっくんの根性にも辟易とする。
止まらない美知留への不満は嫌でも俺の耳をくすぐり、気分を落ち着けようと海を振り返ると、なぜか隣に並んで歩いてきた。
俺が見たいのはお前の横顔なんかじゃない。
デカイ図体は完全に視界を遮って、肝心の海がこの目に飛び込んでこないことに激しい苛立ちを感じた。
「どけよ。」
目を合わせずに、静かに怒鳴る。
思いのほか威圧的な声が出て自分で驚く。
しかしそれ以上に驚いていたのがやっくんで、「なんて?」と聞き返してきた。
「海が見えないだろ。邪魔だからどけって言ったんだよ。」
「すまん」と一歩を下がるが、どうしてか不満そうな顔をしているのは、俺の怒りが気に食わいからだろうか。
自分は心配して尋ねてきてやったのに、なぜ辛辣な言葉を投げかけるのかと。
「心配やねん。俺で役に立つことがあったらなんでも言うてえや。」
急に笑顔を見せるが、それはご機嫌取りか?それとも不満を押し殺す為か?
どちらにせよ今はとにかく一人になりたい。
だから振り向きざまにこう言ってやった。
「俺なんかに構う暇があるなら、ミオちゃんを探しに行けばいいだろ。」
また威圧的になってしまうが、別段気にする必要もないだろう。
これ以上ついて来るなら本気で怒鳴ってやろうかと、正面から目を睨んでやった。
やっくんは足を止め、「俺、来おへん方がよかったか?」と笑顔を消して尋ねた。
どうかそんなことは言わないでほしいと顔に書いてあったので、その期待を裏切る意味でこう言ってやった。
「しばらくお前とは会いたくない。絶交するとは言わないけど、いきなり何もなかったみたいに来られても正直困るんだよ。
美知留は美知留であんなことするしさ。」
「ほんまあいつは最低の女やで。まさか線路に突き落とそうとするなんて。」
「もうあいつとは会わないよ。出来るならしばらく刑務所へ行ってほしい。
けどやっくんとも距離を置きたいんだ。お前と美知留が会いに来てからロクなことがないから。」
言いたいことだけを言い、返事も聞かずに背中を向けて歩き出す。
やっくんの足音が追いかけてきたので、背中越しに「警察呼ぶぞ」と脅してやった。
ポケットのスマホを取り出し、これみよがしに振って見せる。
これ以上しつこいなら脅しじゃなくなるぞと。
そのまま歩き続けていると、後ろをついて来る足音はいつの間にか消えていた。
代わりに黒塗りのSUVが目の前を通り過ぎ、荒い運転で交差点を曲がっていった。
ようやく厄介者が去ってくれて、ホっと胸をなで下ろす。
「会いたくないんだよ、お前にも美知留にも・・・・。」
どうして俺の周りにはこうも厄介な奴が多いんだろうと、人の縁の悪さに嫌気が差してくる。
水平線を振り向き、あの時のようにもう一人の自分が何かを語りかけてくれないかと、祈りにも似た現実逃避がこみ上げた。

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