海の向こう側 第十一話 憧れの人(1)

  • 2018.05.23 Wednesday
  • 11:39

JUGEMテーマ:自作小説

ずっと会いたかった人に会えるというのはとても嬉しいもので、長年溜め込んでいた様々な感情が言葉となって喉元に押し寄せる。
だが大量の水も小さな穴からだと少しずつしか流れ出ない。
溢れるほど喉元にせり上がる言葉の渦は、たった一つの口から吐き出すには無理がある。
嬉しいとか腹が立つとか、過剰なほど感情的になった時、かえって寡黙になるのはその為だろう。
ホームのベンチに座りながら、かつてのお姉ちゃんとはまったく違う姿になってしまったお姉ちゃんを眺めていた。
当たり前だけどお姉ちゃんは女だった。そうでないのならお兄ちゃんと呼んでいる。
それにどうしてサラリーマンをやっているのかも不思議だった。
いや、スーツを着ているからってサラリーマンとは限らないけど、確か格闘技のチャンピオンを目指して頑張っていたはずだ。
それに顔も変わっている。
昔の面影はあるものの、かつての顔立ちよりもグンと男に近づいて、もし自分から名乗らなければ俺はずっと気付かなかっただろう。
容姿も性別も仕事も、俺が知っているかつてのお姉ちゃんとはかけ離れていて、それらのことは触れない方がいいのかなと、聞きたい気持ちを堪えていた。
対してお姉ちゃんはよく喋った。
中身はどうでもいいことばかりで、あの芸能人が結婚したとか、好きだったサイトが閉鎖になったとか。
そんなの誰相手に話してもいいような内容で、だったらどうして俺を呼び止めたんだろうかと、真意を測りかねていた。
こうして再会できたことは嬉しい。
だけど深い部分に踏み込めない上っ面だけの会話に、居心地の悪さともどかしさを感じてしまう。
次から次へと飛び出してくる世間話に、ただ笑顔で相槌を打つだけの時間が過ぎていく。
偶然とはいえせっかく再会したのに、こんな風に無駄に時間が過ぎていくなんて勿体なさすぎるではないか。
この流れを断ち切りたいのなら、ここから立ち去るか、勇気を出して踏み込んだ質問をするしかない。
当然選ぶのは後者に決まっている。
背筋を伸ばして畏まり、緊張が高まっていくのを感じながら、まずは見た目が男に変わっていることについて尋ねようとした。
だがその質問を口にする前に嫌なものを見つけてしまった。
俺たちが座っているホームのベンチから離れた場所に自動販売機があるのだが、その影からこちらの様子を窺う人物がいたのだ。
ゾワっと背筋が波打つのと同時に、激しい怒りが沸いてくる。
本人は上手く身を隠しているつもりなのだろうが、まるでモグラ叩きのようにチラチラと覗かせる顔は、自分がここにいますよとアピールしているように目立っている。
今はホームに人も少なく、あのような行動はより怪しさを醸し出すだけだ。
いったいどうしてここまで追いかけられなければならないのか?
膝の上に置いていた手に力が入り、皺が出来るほどジーンズを握り締めた。
やっくん・・・・もうお前を友達とは思えない。
こんな卑怯にコソコソとつけ回し、人に不快感と恐怖を与えて何が楽しいのか?
俺に想いを寄せていたのはまあいい。
誰を好きになるかなんて自由だし、どんな法律でも人の心までは縛れない。
ただ問題なのはその行動で、ここまでするほど俺に執着しているなら、とっとと学生の時に告白でもなんでもしておけばよかったはずだ。
学生時代にずっと我慢して、卒業後も24になるまで我慢してきた気持ちなら、そのまま我慢していればいいのだ。
好きなら好きと潔く伝え、それが無理なら胸の中に気持ちを閉じ込めておく。
こんなにあちこち追い掛け回して、好きな相手を困らせて・・・・その愚かさは相手からただ嫌われるだけということを理解できないとはなんとも情けない。
せっかくこうしてお姉ちゃんに会えた今日、もうやっくんのせいで貴重な時間を潰されたくなかった。
俺が逃げ回る限り、奴はまた追い掛け回してくるだろう。
こんな因果、10億でも100億でも貰ったって断る。
お姉ちゃんに尋ねようとしていた言葉を飲み下し、ベンチから立ち上がる。
まっすぐに奴の方を睨みつけてやると、ようやく俺が気づいていることに気づいたようだった。
もはや隠れるのは不要と判断したのか、ややバツの悪そうな顔しながら、小さく手を挙げて自販機から出てくる。
笑顔を見せながら、まるで小用でも伝えに来るかのように軽快な足取りだ。
いったいなぜ笑っているのか?なぜそんなに軽い足取りなのか?
尾行がバレてしまったことの照れ隠しか?
それとも単に開き直っているだけか?
意気揚々と近づいてくるその姿を見ていると、不快感や恐怖よりも怒りの方がウェイトを占めてきた。
もう迎え撃つのはやめて、こちらから攻め入ってやるしかない。
何が嬉しいのか嬉々としている友人だった奴に向かって、一歩足を進めた。
「待って。」
後ろから手が伸びてきて上着を引っ張れる。
振り返るとお姉ちゃんも立ち上がっていて、グイと俺を引き戻してベンチに座らせた。
「あの子知り合い?」
やっくんを睨みながら背中を向けて尋ねる。
これはなんと答えるべきか?
かつての友人か?それともストーカーか?
というよりなぜかやっくんのことを知っていそうな目をしているお姉ちゃんを不思議に思い、「お姉ちゃんも知り合い?」と尋ね返してしまった。
「知ってるよ。昔から。」
一ミリも予想していない答えが返ってきて、「昔から?」とオウム返しに尋ねてしまう。
いったいこの二人のどこに接点があるんだろうか?
とても聞きたいけれど、考えている間にもやっくんは迫ってくる。
「ここにいて」とお姉ちゃんも歩き出す。
二人の距離が縮まるにつれて、俺の方が緊張に息を飲んでしまった。
先に足を止めたのはやっくんだった。
なぜか幽霊にでも出くわしたかのように顔を引きつらせ、一瞬後ろを振り向いて撤退する素振りを見せた。
何を迷っているのか知らないが、さっきまでの意気揚々とした表情は消え失せ、普段着のまま葬式に来てしまったかのような落ち着かない様子に変わる。
お姉ちゃんはただじっと見据えているだけだ。
罵倒したりする素振りは一切見せない。
ポケットに手を突っ込み、地面に張り付いているかのように仁王立ちしている。
その背中越しに見えるやっくんは実にそわそわと落ち着かない様子で、チラリと俺を見て子犬のような目をした。
そして何も言わぬまま踵を返し、戦に負けた落ち武者のように、背中を丸めて遠ざかっていった。
いったい何が起きたのか俺には分からない。
分かっていることはやっくんが去ったということ、そしてお姉ちゃんが追い払ってくれたということだ。
気がつけばベンチから立ち上がり、羨望の眼差しを向けていた。
またあの時と同じだ・・・・イジメっ子から助けてくれた時の、あの逞しいお姉ちゃん。
一気に記憶がフラッシュバックして、泣きそうな気持ちを堪えるのに必死だった。
俯き、目尻を拭い、ホームの向こうへ視線を泳がせていると、ポンと頭を撫でられた。
「座ろう。」
手を引かれながらベンチに腰を下ろすと、お姉ちゃんも隣に座り、やっくんが去った方を睨みながらこう呟いた。
「あの子私のことビビってんだ。ずっと昔に思いっきり蹴飛ばしたことがあるから。」
思わず「え?」と顔を上げると、「ほんっと昔のことだからね」と、今はそんなことするような人間じゃないぞとフォローを加えた。
「まだ弟が四歳くらいの時だったかな。海に遊びに行った時に一人の男の子と出会ったんだって。
そん時の弟はまあ姉貴の私から見てもすんごい可愛い子でさ、下手すりゃ危ない大人に連れてかれるんじゃないかってくらいだったよ。」
なるほどと頷く。
彼のイケメンぶりは俺もよく知っている。
中学時代もかなりの美形だったのだから、四歳の頃なんて天使のようだったに違いない。
「だからさ、よく女装させたりなんかしてたんだよね。あの頃は髪も長めだったから、リボンで結んだりなんかしてね。
本人は嫌がってたけど。ほんと天使みたいだったから。」
昔の彼を思い浮かべているのか、懐かしそうに上目遣いになる。
「そんでさ、あの子が四歳の時に、私と一緒に親戚に海に連れてってもらったんだよね。
初日は海で泳いでさ、夜はお祭りにも行ったよ。そん時私は中一だったから、楽しいっちゃ楽しいんだけど、やっぱ友達とかと一緒にいたい年頃でしょ?
だからちょっと退屈でもあったんだよね。ぶっちゃけ私は弟の子守役で行かされたようなもんだし。」
ポケットからタバコを取り出し、辺りを見渡しながら、小さなため息をついて懐にしまっている。
今やどこもかしこも禁煙だから、タバコを吸う者にとっては肩身が狭いのだろう。
というよりお姉ちゃんがタバコを吸うことに驚いた。
やはりもう格闘家は引退し、サラリーマンへ転職したってことなんだろうか。
「そんで祭りに行った次の日にさ、ちょっと退屈しちゃった私は弟から目を離しちゃったんだよね。
あの日は海辺にある自然公園みたいな所に行く予定だったんだけど、こちとら思春期真っ只中じゃん?
んな場所行ってられっかって思うわけよ。
だから私は行かないって断って、コンビニで雑誌でも買って暇つぶししようと思ったわけ。
そしたら弟もついて来るって言ってさ、しょうがなしに連れてったのね。
まだ小さいからちゃんと手え繋いで。
けどお店に入ってから手え離しちゃったんだよね。雑誌を立ち読みしてたから。
時間にして二分くらいだったと思うけど、振り返ったらどこにもいなくなっててさ。」
大げさに肩を竦めておどけているけど、すぐに真顔に戻って「あの時は焦った」と髪をかき上げていた。
「だってどこを探しても見つからないんだもん。まだ四歳だからそう遠くに行ってないはずだって思ったんだけど、ほんと見つかんないもんなんだよね、ああいう時って。
しかもさ、その日も弟に女装をさせてたわけよ。親戚のおっちゃんおばちゃんは可愛い可愛いって喜んで、しばらくそのままでいてって盛り上がって。
んでその格好のまま一緒にコンビニに行っちゃったんだよね。だから余計に焦っちゃって。
だって変態に見つかったら何されるか分かんないでしょ?」
「確かにすごく心配だね。結局どうなったの?ちゃんと見つかったんでしょ?」
「まあね、じゃなきゃ今頃いないから。」
笑いながらそう言われて、確かにと赤面する。
「あちこち探し回ってようやく見つけた。コンビニからけっこう離れた浜辺にいてさ。トボトボとこっちに歩いて来んのよ。
それで私に気づくなり泣きながら『お姉ちゃ〜ん』って。」
「迷子になってたんだ。」
「と思うでしょ?実際はそうじゃないんだよね。」
言いながらまた周囲を見渡し、何かに気づいたように立ち上がって、「あっちで話そう」と歩いていく。
その先にはガラス張りの小さな部屋があって、中に入ると二つの灰皿が設置されていた。
すぐさまタバコに火を点けるお姉ちゃんに、「タバコ吸うんだね」と見たまんまの質問を投げかけてしまった。
「もう格闘家は引退したからね。」
「やっぱりそうなんだ。なら今はサラリーマンってこと?」
「私にそんな堅い仕事出来ると思う?今日はたまたま用事があってこれ着てるだけ。似合わないでしょ。」
上着を広げながら自嘲気味に笑うので、「そんなことないよ」と返した。
「すごい似合ってる。エリート商社マンみたい。」
「マジで?そんなこと言ってくれるの美緒ちゃんだけだよ。周りからはスーツ着る度に似合わないって言われるんだから。」
微笑みながら煙を吹かしているその顔は満更でもなさそうだった。
サラリーマンじゃないならいったいどんな仕事をしているのか想像したけど、皆目見当もつかなかった。
「あの子は迷子になてったわけじゃなくて、知らないおじさんに誘われて店から出てったんだって。」
「知らないおじさんって・・・、」
一気に嫌な方向へ話が転がって、喉が鳴るほど息を飲んだ。
そんな俺の顔を見てお姉ちゃんはクスっと肩を竦める。
「あの子ほんとに可愛かったからね。やっぱそういう大人に目を付けられたみたいで。
けどね、幸いなことに変なことはされなかったの。なんでかっていうと別の子供が割って入ってきたから。」
「別の子が割って入る?全然違う子が来たってこと?」
「その変態さんはお菓子で弟を釣ったみたいでね、それを見てた別の子が自分も欲しがって寄って来たみたい。
しかもくれくれって大声で喚くもんだから、変態さんが狼狽えちゃったんだろうね。
あんまり目立ってもマズいから、弟を残してどっかに逃げてったんだってさ。」
「ならその子のおかげで間一髪だったってこと?」
「そういう意味では恩人だよね。けどここからが問題でさ、その子が弟に惚れちゃったの。」
「惚れる?四歳で?」
少々驚きながら目を剥くと「ませてるよね」と笑みを返してきた。
「ちなみに弟の方はなんのことだか分からなかったみたい。ミオちゃんが好きだって言われても全然ピンと来なかったってさ。
だから僕も好きだって適当に返したら、相手が本気にしちゃってね。将来はこの子をお嫁さんにするって息巻いてたらしいよ。」
タバコの灰を落としながら「どんだけませてるんだか」と笑うお姉ちゃんであったが、俺はまったく笑えなかった。
もしや?・・・と思う疑問が膨らみ、自然とこんな言葉が飛び出してしまった。
「あのさ、その恩人の子って・・・まさかやっくん?」
「そうだよ。ていうか元々彼の話をしてんじゃない。」
「そうだけど・・・・。」
自分でもどんどん表情が曇っていくのが分かる。
なぜ曇るのかは分からないが、いい気分でないのは確かであって、「どうしたの?」と心配されてしまった。
「気分でも悪い?」
「お姉ちゃんの弟ってさ、名前はミオリだったよね?」
「そ、美しいに桜の里って字で美桜里。女の子みたいな名前だけど、それが似合うくらい美形ってのがなんともね。
本人は嫌がってたみたいだけど。もっとカッコイイ名前がよかったって。
あんなアイドルみたいな見た目のくせに、中身はけっこう男っぽいんだよね。そういうのもあってまあ昔っからよくモテてたわ。」
弟の自慢をするお姉ちゃんは嬉しそうで、「バレンタインなんかしばらくチョコはいらないってほど貰ってたなあ」と懐かしんでいる。
だが俺はその笑顔について行くことは出来ない。
やっくんは言っていたのだ、まだ四歳の頃、海でミオって女の子に出会ったと。
しかしこうも言っていた。
その子は女の子なのに男っぽい格好をして、女の子が恋愛対象なんだと。
これはいったいどういうことだろう?
美桜里君は男だけど女の子の格好をしていて、恋愛が何かすら分かっていなかったはずだ。
これではまったく筋が通らないではないか。
やっくんが嘘をついているのか?
それとも奴が言っていたミオちゃんなる子は別の子なんだろうか?
曇りに曇っていく俺を不安に思ってか、お姉ちゃんは「ほんとに大丈夫?」と顔を覗き込んできた。
「なんか悩んでることでもある?」
そう問われて胸の内を語ろうか迷った。
これ以上やっくんについて掘り下げると何が飛び出してくるか分からず、ともすれば知らない方がよかったと落ち込む羽目になる可能性もある。
しかし残念ながら、疑念は好奇心へと姿を変えて、形ある答えを求めようとしてくる。
その力は自分でも止めることが出来ず、やっくんに抱いている疑問をぶつけてみた。
同時に奴にストーカーされていることも付け加えて。
お姉ちゃんは「なるほどね」と頷き、タバコを灰皿の中に落とした。
「そのミオちゃんって子、多分ウチの弟のことだね。」
「やっぱり?」
「薬師丸君はさ、なんでも自分の都合のいいように思い込むタイプだから。そのせいで平気で記憶も書き換えちゃうんだよね。おかげで弟も苦労したもん。」
「苦労?」
いったい何を?と考える前に、「美緒ちゃんと同じ」と答えた。
「実はウチの弟もあの子に追い回されたことあるんだよね?」
おどけるように語るお姉ちゃんに、俺は眉間に皺を寄せてしまった。
男が男にストーカーってことだろうか?
「追い回されるっていったいどういう・・・・、」
「だからお嫁さんになってって。」
「四歳の頃の約束なのに?」
「ていうか四歳の頃に追い回されたの。私たちは五日くらい向こうにいたんだけど、その間ずっとだから。
弟は次の日には女装をやめて普通の格好をしてたんだけど、そん時にまた会いに来たんだよね。
ちょうど私たちが海にいる時に。
あっちは家族で来てたみたいで、弟を見つけるなり薬師丸君が駆け寄って来たの。
その日は一日中弟の後ろをついてって、次の日も、また次の日も私たちの泊まってる民宿まで来る始末だったから。
でもって弟を無理矢理どっかに連れて行こうとしたり、チューしようとしたりさ。
それが帰る日まで続いたもんだから、いい加減に弟も怖がっちゃって。」
新しいタバコを咥えながら、シュっとライターを擦っている。
俺に気を遣ってか明後日の方向へ煙を飛ばしていた。
「とうとう民宿から出るのも怖がるほどになっちゃって、それで私がキレたってわけ。
テメエどこのガキだ!親呼んで来やがれ!って、思わず蹴飛ばしちゃってさ。今思うと四歳の子相手にやり過ぎだって反省してるけど。
でもあの時はほんっとしつこかったから。親戚が追い払ってもお構いなしで、こりゃもう本気でビビらせるしかないと思ったわけよ。」
タバコを挟んだ手を向けてきて、私は悪者じゃないから誤解しないようにと、暗に圧力を掛けてくるので「お姉ちゃんは間違ってない」と頷きを返した。
「で、その後はどうなったの?」
「泣きながら帰ってって、親を連れて来たよ。なんか放任主義というか、無責任そうな親でさ。思わず怒鳴りつけちゃったよ。
テメエのガキくらいちゃんと見れねえのか!って。まるで氷みたいに固まってたね。
こっちだって中一のガキだってのに、あん時はほんとに偉そうだったよ。」
情けなさそうに言うその顔は本気で後悔しているようで、過去の行いを戒めるかのように「馬鹿だったからね私」と呟く。
「んでその時はそれで終わったんだけど、それから十五年くらい経ってからまた薬師丸君に会うことがあってさ。」
もしやまたストーカーしたのかと身構えるが、お姉ちゃんはそんな俺の気配を察してか小さく首を振った。
「薬師丸君とまた会ったのは東京のジムなんだよね。」
「格闘技のってこと?」
「あの子も仕事で東京に住んでたみたいで、私の行ってたジムに入門してきたんだよ。
別に選手になろうとかそんなんじゃなくて、ただ身体を鍛えるのが目的だったみたいだけど。
入門してきた時からすごいガタイしててさ、こんなの鍛える必要ないだろって思ってたんだけど、どっかで見覚えがあるなあって。
それであの子が入ってきて三ヶ月目くらいだったかな、向こうから『覚えてますか?』って声掛けてきたの。
ああ、やっぱ昔の知り合いかなんかだったんだって思ってたら、『子供の頃に海で・・・』とか言うわけよ。
思わず叫んじゃったね、『あん時のストーカー!』って。」
そんな昔からストーカー呼ばわりされていたとは、ある意味恐れ入ってしまう。
これはもう天性の変態性の持ち主で、いくら頑張ろうとも奴からの執着を断ち切るのは困難であろう。
当然嫌な気分になり、若干の吐き気まで催してきた。
「いま幾つ?って聞いたら二十歳ですって言ってさ。なんとなく面影はあったんだけど、まさかこんなゴツイ男に成長してるなんて思わなくてさ。
あの時は蹴飛ばして悪かったねって謝ったら、いえいえこっちこそとか謙遜しちゃって。
まあそん時はそれだけだったんだけど、それからまた二ヶ月くらい経ってからだったかなあ。
仕事の帰りに偶然出くわしちゃってさ、『あ、どうも』って挨拶してくるから、『こんな所で何してんの?』ってしばらく話し込んじゃって。
その日はジムも休みだったから、『立ち話もなんだから一杯行かない?』って誘って。
最初は他愛ない話してたんだけど、そのうち向こうから悩みを語りだしてさ。
ずっと昔から好きな人がいるんだけど、気持ちを胸に閉まったままだっていうんだよね。
伝えたいんだけど嫌われたらどうしようって悩んでるみたいで。」
聞かなきゃよかったと後悔し始める。その悩みとやらはもちろん俺のことであり、そこから今現在へのストーカーに繋がっているのだろう。
耳を塞ぎたい気持ちはあれど、せっかく話してくれているお姉ちゃんの手前、平静を装って耳を傾けた。
「けっこう真剣に悩んでたからさ、こっちも本気で相談に乗ってあげようと思ったわけよ。そしたらさ・・・・、」
今度はお姉ちゃんの表情が曇っていく。苦虫を噛み潰したみたいな顔をしながら、どんどん眉間の皺が深く刻まれていった。
「ミオちゃんって答えるわけさ。」
そら来た!やはり俺のことを相談していたのだ。
予想はしていたものの、俺もお姉ちゃんと同じように苦虫を噛み潰した顔になる。
しかし次の瞬間には別の意味で顔をしかめる事になってしまった。
「ミオって答えた瞬間、しょうじき大丈夫かコイツ?って思っちゃったんだよね。まだ弟のこと好きなのか?って。」
「え?弟って・・・・、」
「だからミオって美桜里のことかなと思ったわけ。四歳の頃に惚れた相手をまだ追いかけてるんだって思ってさ、ちょっと引いちゃったわけ。
しかも未だに弟のことを女の子だって思い込んでたみたいでさ。私はちゃんと説明したんだよ、弟に会いに来る度にこの子は男だって。
でもよくよく話を聞いてみるとそうじゃないんだよね。実は高校の頃に好きな相手がいて、同じサークルだったミオって女の子が好きだって言うわけよ。」
「それってやっぱり俺の・・・・、」
「その通り。私もすぐにピンと来ちゃってさ。それってあの美緒ちゃんのことだって。
弟から美緒ちゃんが変わったってことは聞いてたからね。男みたいな格好して、恋愛対象も同性だって。
だからすごい迷った、その子は私の友達だって言おうかどうしようか。
けどこっからがすごいんだ。薬師丸君ね、どうも美桜里と美緒ちゃんのことをごっちゃにしてるみたいで。」
「ごっちゃ?」
どういう意味か分からずにまたオウム返しになってしまう。
こっちへ流れてきた煙に咳き込むと、「ごめんごめん」とタバコを遠ざけてくれた。
「美緒ちゃんのことをさ、どうもウチの弟と同一人物だと思ってるみたいでね。
美桜里イコール美緒ちゃんってなってたみたいなの。
女の子なんだけど男の子みたいな格好してて、恋愛対象は女の子だって。
けどそれって美緒ちゃんのことじゃんね。どうしてか分からないけど、美桜里と美緒ちゃんが一緒になっちゃってんのよ。」
なんと呆れるほど都合の良い考え方をするのだろうと、開いた口が塞がらなかった。
幼い頃に成就しなかった恋を引きずり、その相手に俺を重ねて見たいたことは知っている。
だがその相手がまさか美桜里君で、しかも都合よく記憶の書き換えを行っているなんて・・・・いったいどだれけ自分の中の妄想を生きているんだか。
「子供の頃に恋をした相手がいて、高校で偶然に再会できたんだって興奮気味に語るわけよ。
でもその記憶は間違ってるわけじゃん?だから訂正してあげようと思ったんだけど、ちょっと気になることを言い始めたんだよね。」
「気になること?」
気になることなんて言われたら、俺の方が気になってしまうではないか。
でもおそらく聞かない方がいい類の話な気がして、気になってしまうこの気持ちをどうにか出来ないものかと格闘したが、残念ながら無理だった。
興味津々に目を向ける俺に向かって、お姉ちゃんは「ねえ美緒ちゃん」と声色を変えた。
「薬師丸君に何か言ったことない?」
唐突な質問に「何かって?」と尋ね返す。
俺は記憶力は悪い方ではないので、やっくんに対して気になるようなことを言ったのなら覚えているはずだ。
「海の向こう側へ行きたいって言ったことない?」
「海の向こう側・・・・?」
ふと気にかかる。なぜならそれはやっくんが言っていた言葉だからだ。
奴は昔に会ったミオちゃんという女の子に「海の向こう側へ連れて行ってやる」と約束した。
なぜならその女の子が「海の向こう側へ行きたい」と願っていたからだ。
「薬師丸君はミオちゃんがそう言ったって話してた。すごく深刻そうな顔しながら、ここじゃないどこかへ行きたいって。
でもまだ四歳だった美桜里がそんなこと言うとは考えにくいじゃない?だとしたら美緒ちゃんが言ったんじゃないのかなって。」
お姉ちゃんはそう言うが、俺の記憶の中にそんな思い出はない。
膝の上に肘をつき、手の上に顎を乗せ、前屈みの体勢になりながら、じっと前を睨んで考える。
俺はやっくんにそんなことを言ったことがあるだろうか?
海の向こう側へ行きたいだなんて・・・・・。
記憶力は悪い方じゃないんだけど、どうしても思い出せないのは、やっくんにとっては特別なことであっても、俺にとってはそうじゃないせいかもしれない。
「海の向こう側・・・・・。」
呟きは空振のように全身に響いていく感じがして、目を閉じるのと同時にふと何かが思い浮かぶ。
・・・・白波がうねる海の景色、青空なのに強い風が吹いている。
遠くに見える水平線はクッキリと海と空を隔てていて、そこに蜃気楼か何かが浮かんで見えた。
ぼんやりと人の形をしていて、こっちに向かって何かを話しかけている。
姿は男の子だけど声は女の子だ。
これはただのイメージか?
それとも俺自身の記憶だろうか?
水平線に浮かぶ人物は、やがて青海のようにハッキリと姿を現す。
それはまるで今の自分にそっくりで、女でありながら男の格好をして、恋人らしき女の子と手を繋いでいる。
あの日水平線に見たもう一人の俺の幻、それとは逆の俺が、蜃気楼のごとくイメージの中に浮かんでいた。

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