海の向こう側 第十四話 孤独と孤高(2)

  • 2018.05.26 Saturday
  • 11:57

JUGEMテーマ:自作小説

夫婦喧嘩は犬も食わないそうだが、その理由は不味いからとか食べにくいからとかではなく、食えば腹を下すかもしれない毒であるからだろう。
夫婦は家族であり、そこに口を出すことは人様の家庭に口を挟む事となんら変わりがない。
下手に関わったが最後、第三者である自分のせいで、夫婦仲はより険悪になり、結局辛い目に遭うのは当事者の夫婦だったりする。
最後まで関わるつもりがないのなら、人様の家庭に口出しなどしてはいけないのだ。
そして家庭は何も夫婦関係だけではない。
家庭を身内という意味で捉えるならば、離れて暮らす兄弟姉妹もこの範疇に入る。
さらに身内という言葉を拡大解釈すれば、同僚や友人も含まれるだろう。
ゆえに兄弟間の問題、友人関係の問題も、夫婦喧嘩と同様に犬も食わないと言えるはずだ。
犬も食べないような物を、万物の霊長類たる人間様が口にするわけにはいかない。
下手をすれば腹を下すどころか、怪我をしたり命を落としたりという可能性すらあるのだから。
今、俺は実に質素なビジネスホテルに泊まっている。
昨今はこういうホテルでも内装やサービスに気を遣っているそうだが、あいにく値段を優先した宿選びをしたので、そのような高望みは出来ない。
そもそも観光旅行をしに来たわけではなく、日帰りするのが大変だから宿を必要としただけなので、質素なホテルで充分である。
五階の部屋からは数キロ先にある日本海が見える。
と言っても夜なので、見えるのは灯台の光と船の曳航線だけだ。
簡素なベッドに腰を下ろし、今日一日のことを振り返ると、目眩がするほどの疲労を感じた。
お姉ちゃんに会い、美桜里君に会い、たくさんの話をして、驚きやショックに翻弄された一日だった。
このまま目を閉じれば苦もなく眠りに落ちることが出来るだろうけど、そうする前に今日のことを少しだけ振り返ってみることにした。
総括するならば、過去が追いかけてきた一日と言えよう。
やっくんと出会った四歳の頃、お姉ちゃんと出会った中学生の頃、美知留と出会った成人してからのこと。
そして現在。
今までの記憶を辿り、そのせいで疲労が倍増しして、目を開けているのが辛いほど瞼が重くなる。
今日、俺は美桜里君の家を逃げ出すように抜けてきた。
「ごめん、気分が悪いから帰る。」
たったそれだけ言い残して。
玄関を出る時、「こっちこそごめん、なんか気分を悪くさせちゃったみたいで」と美桜里君の声が追いかけてきたが、振り返ることもせずに駆け出した。
美桜里君とお姉ちゃん、奥さんと美知留。
それぞれ繋がりがあって、心配事もあって、これからどうすればいいのか悩んでいて、そこへ首を突っ込むのは夫婦喧嘩を食べようとする犬のごとき有り様だ。
俺は毒など喰らいたくないし、これ以上自分以外のことで重荷を背負いたくなかった。
美桜里君と奥さんがどんな判断を下し、どんな行動に出るかは、あの二人がそれぞれ大事な人に抱く愛情の裁量によるだろう。
その時、きっとあの二人は喧嘩になるのではないだろうか?
互いを気遣いあう優しさがあってこその幸せな家庭であって、もしその優しさが一時的にでも他人へ向いたら、上手くいかなくなるのではと考えてしまう。
無論、結婚生活を営んだことのない俺が予想を立てるなど思い上がりではあるが、同棲の経験ならばある。
通じ合っていた愛情が少しでもズレ始めた時、時間と共に歪みが大きくなって、いつの間にやらギスギスした関係になるものである。
俺と美知留がそうであったように。
そして俺は今、また他人のことばかり考えている。
美桜里君と奥さんが仲良くやろうが喧嘩をしようが、俺には無関係であると理解しているはずなのに、無駄なことに時間と思考を使っている。
とは言っても頭の切り替えは難しく、こういう時は別のことで気を紛らわすのに限る。
眠ってしまいそうな瞼を押し上げ、寝返りを打つだけで安いラップ音を響かせるベッドから起き上がり、着替えを片手にバスルームに向かった。
始めは熱いお湯を被り、温まってきた所で冷水に切り替える。
こいつは昔からの習慣で、学生時代ずっとバレーをやっていた姉が、「この方が疲れが取れる」と教えてくれたのだ。
さすがに冬にやるのはキツいけど、春が過ぎた暖かい今なら心地よく感じる。
昔の人は滝に打たれて修行したらしいけど、なるほどその気持ちはよく分かる。
頭からお湯でも水でもいいから打たれるのは、例えその瞬間だけでも余計な悩みや不安が消し飛ぶものだ。
ほんの一瞬でもいいから頭が空っぽになれば、それだけで思考を切り替えることが出来るのだから。
すっきりした頭でベッドに戻り、寝落ちしてしまう前にスマホのアラームをセットする。
LINEにメッセージが入っていたので開いてみると、美桜里君からのものだった。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう。美緒ちゃんのおかげで姉ちゃんが元気だって分かってホッとした。」
こういう優しい気遣いは相変わらずだなと微笑んでしまう。
「こっちも久しぶりに会えて楽しかったよ。帰る時なんだか不機嫌な感じになっちゃって本当にごめん」と返すと、すぐに「全然気にしてないよ」と答えてくれた。
「尚美とも相談したんだけど、しばらくは姉ちゃんのことはそっとしておこうって決めたんだ。
今はまだ家族に会いたくないんだろうなって思うから。もう少し時間を置いてから連絡してみるよ。」
こういう時、焦ってコンタクトを取ろうとしないのも彼なりの優しさであろう。
自分ではなく相手を想うことが本当の優しさだと知っているのだ。
「時間が経てばお姉ちゃんも心を開いてくれるよ。今はまだ色々悩んだり迷ったりしてるだけだと思うから。」
そう返事をしてスマホを置く。
枕に頭を預け、もうこのまま夢に落ちてしまおうと決めた時、突然電話が掛かってきた。
のっそりとスマホを掴み、美桜里君かなと画面を睨んだのが、まったく違う相手からの着信であった。
予想もしていなかった相手の名前に、一気に睡魔が退散していく。
「もしもし?」
通話ボタンを押すと同時に話しかけると、『美緒ちゃん?』と返事があった。
「うん、お姉ちゃんだよね?」
『ごめんね、いきなり電話して。』
「全然。それよりどうしたの?」
据え置きの時計を見ると午後11時半、ずいぶん遅い時間に電話が掛かってくると、少々鼓動が跳ね上がってしまうものだ。
夜遅くの電話なんてだいたい良い事はなくて、俺の経験した限りでは、怒った美知留からの怒鳴り声、そして父が倒れて病院へ運ばれた時だけだ。
どうか嫌な知らせでありませんようにと願いながら、相手の返事を待つ。
『今さ、どこにいるの?美桜里の家?』
「ううん、ビジネスホテル。」
『ビジネスホテル?』
「日帰りで来るには遠い場所だったから宿を取っといたんだ。けっこう質素な所だけど。」
『なんて名前の所?』
「ええっと・・・ローマ字でMURASAWAってとこ。美桜里君の家から駅二つ分の所にあるんだけど。」
『・・・ああハイハイ!めちゃくちゃ安くてシンプルなとこでしょ?私も一回だけ泊まったことある。
美桜里がまだ新婚の時に遊びに行ってさ、さすがに新婚夫婦の家に泊まるのは悪いと思ってそこに泊まったんだ。』
なぜか声が明るくなっていく。それは余計に不安を掻き立てた。
こんな夜遅くに電話を掛けてきて、目的も分からないままハイトーンな声色になられると、沈んだ声で話しかけられるよりよほど怖い。
俺が泊まっているホテルの場所を知りたがっているようだけど、緊急に会いたい用事でも出来たのだろうか?
「お姉ちゃんどうしたの?なんかあった?」
心配になって尋ねてみると、『ちょっと聞きたいことがあって』と返してきた。
『今日美桜里に会ったんでしょ?』
「うん、久しぶり会って色々話をして楽しかったよ。」
『じゃあさ、やっぱり私と会ったことも話したよね。性転換した事とかさ。』
声に緊張が宿っている。俺はなんと答えようか迷ったけど、誤魔化したところで意味がないことだと思い、正直に伝えた。
「その・・・・美桜里君はすごく心配してて、だからお姉ちゃんと会った時のことも話したんだけど。」
『なんか言ってた?』
「・・・・美桜里君がってこと?」
『連絡とかずっと無視してたからさ。けっこう怒ってるんじゃないかなって。』
「怒ってるより心配してた。でも元気にやってるって知って安心してたよ。」
『じゃあ奥さんの方は?』
「尚美さんもホっとしてた。二人共怒ったりなんてしてないから大丈夫だよ。」
『ならよかった。』
声に明るさが戻ってきて、お姉ちゃん自身もホっとしているようだった。
「ごめんね、勝手に色々お姉ちゃんのこと話しちゃって。」
今度はこっちが緊張する番であった。
勝手にあれこれベラベラ喋ってしまって、今思えばなんて勝手なことをと反省してしまう。
人には誰だって他人の口から伝えられたくないことがあるはずなのに。
『いいよいいよ、いつかは私から話さなきゃいけないことだったから。なんか美緒ちゃんに押し付ける形になっちゃってごめんね。』
軽い口調がかえって罪悪感を煽られる。
もう一度謝ろうとしたのだが、それ以上に大事なことを思い出し、しかし口にするのを躊躇いながらも、これは言わなければならないと覚悟を決めた。
「ごめんお姉ちゃん。」
搾り出すように言うと、『なにいきなり?』と笑われた。
『なんで謝るの?』
「駅でお姉ちゃんと会った時、俺のことも色々話したよね。」
『お互いに色んなこと話し合ったよね。美緒ちゃんの10年分の人生の話、すごい新鮮で楽しかったよ。あの時ほんとに会えてよかった。ありがとね。』
「いや、うん・・・・俺も楽しかったよ。それでさ・・・その・・・美知留のことなんだけど・・・。」
気が重くなってきて、テーブルに置いていたお茶を掴む。一口飲み込んでいると、お姉ちゃんは『うん』と頷き返した。
『美知留がどうかした?』
平穏を装っているけど、努めて冷静でいようとしているのが分かる声だった。
緊張が俺にまで伝わってきて、もう一度口の中を湿らせた。
「美桜里君と会って、お姉ちゃんの話になってさ、それで色々聞いたんだ。音信不通になってる事とか。
それでその原因がその・・・・美知留だってことも。
お姉ちゃんと話してる時、そのこと知らなくて普通に美知留の話なんてしちゃって・・・・傷つけたんじゃないかと思って。」
『傷つく?なんで?』
「だって俺のせいだから。アイツお姉ちゃんのこと振ったんだろ?格闘技まで辞めさせて一緒にいようって言ったのに・・・俺を追いかける為に。」
『それも美桜里から聞いたの?』
「いや、俺がしつこく聞いたんだ。美桜里君は最初は喋る気なんて全然なくて、でも俺がしつこくお姉ちゃんのこと聞いから・・・・。
だから美桜里君は悪くない。俺が強引に聞き出しただけだから。」
また余計なことを口走ってしまったと後悔する。
どうしてこう物を考えないで喋って、後から反省するんだろうと、学習能力の無さに嫌になる。
だがお姉ちゃんは『心配しなくても美桜里を怒ったりしないよ』と笑いながら返してきた。
『こっちだって散々心配掛けてたんだからね、お相子でしょ。』
「ほんとごめん・・・・。お姉ちゃんの気持ちも考えないで美知留のことなんか話しちゃって。」
『ほんと気にしなくていいから。だって美緒ちゃんと美知留が付き合ってたなんて元々知ってるし。』
そうなの?と聞き返そうとしたが、よくよく考えれば当たり前のことだった。
美知留は忘れられない人がいるからとお姉ちゃんを振ったんだから、当然お姉ちゃんはその忘れられない人とやらを追求したはずだ。
ならばそこで俺と美知留が付き合っていたことを知ってもおかしくはない。
ということは、俺が美知留の話をしていた時、お姉ちゃんは全部分かっていたということになる。
自分を深く傷つける元凶になった相手が目に前にいて、なのに怒りもせずに普通に会話をしてくれて・・・・。
こんな事に今まで気づかないなんて、鈍いというより無頓着といった方が正しくて、いったいどれだけお姉ちゃんの気持ちを考えずにいたのか情けなくなってくる。
謝りたいけど大した言葉が見つからず、ベッドに爪先を立てながら、もどかしい感情を押し殺すしかなかった。
『美知留と私のことは美緒ちゃんには関係ないから。謝る必要もないし、心配する必要もないよ。』
それは俺を慰めるようにも聞こえたし、余計なことに足を踏み込むなという牽制にも聞こえた。
もしこれ以上美知留の話を望まないのであれば、それこそ美知留の話題を出すのはお姉ちゃんにとって申し訳ないということになるだろう。
最後に「ごめんなさい」とだけ呟き、アイツの話題は打ち切ることにした。
「俺からお姉ちゃんに言いたかったのはそれだけ。」
『いいっていいって。なんにも美緒ちゃんが気にすることじゃないから。』
電話の向こうにお姉ちゃんの顔が浮かぶ。
きっとあっけらかんとした表情で言っているんだろうけど、美桜里君の言う通り実は繊細な性格ならば、それは無理をしていることになる。
美知留の話はもう二度とすまいと決めて、「お姉ちゃんの方は?なにか用事があるんでしょ?」と話題を切り替えた。
『ううん、特に用ってわけじゃないんだけど。どうしてるかなと思って電話しただけ。』
「そうなんだ。一人退屈しながらベッドに寝転んでたところ。」
『もしかしてもう寝るとこだった?』
「ちょっとウトウトしてたけど全然平気だから。気にしないで。」
『なんかごめんね、起こしちゃって。』
「平気平気。俺も話し相手が欲しかったからさ。ちなみにお姉ちゃんはまだ仕事中?」
『さっき終わったばっか。もうじきウチの選手の試合があるんだけど、準備とか相手方のジムとの話し合いとかけっこうやることあってさ。
私トレーナーのはずなのに事務的な仕事の方が多くなってきてさ。それこそサラリーマンと変わんないよ。』
「でもスーツすっごい似合ってたよ。あれお世辞じゃないからね。」
『そう言ってくれて嬉しい。』
それから30分ほど他愛の無い話を続けた。
中身のない会話ほど楽しいもので、あっという間に過ぎていく時間に物足りなさを覚えるほどだった。
やがてお姉ちゃんの方から『電話出てくれてありがとね』と言い、『あんまり夜更かしさせちゃ悪いから』と切り上げた。
俺も「こっちこそ楽しかったよ」と返し、おやすみなさいと電話を切ろうとした。
しかし終わりの終わりになって、お姉ちゃんの方からまた美知留の話題を振ってきた。
『美知留のことなんだけどさ・・・・、』
突然に言われて、上ずった声で「うん」と答えてしまう。
『あの子捕まってるんだね。』
なんで知ってるの!?と尋ねようとする前に、なんで知っているのか自分から話しだした。
『実は昨日さ、家に弁護士がやって来たんだよね。』
「弁護士?」
『私もなんで弁護士が?って思った。でね、いきなり美知留さんのことでお話がとか言い出すわけよ。
こっちも身構えちゃって、寝巻きでいるのも忘れて詰め寄ちゃったもん。あの子ってエキセントリックなとこあるじゃん?だからなんかしでかしたのかなって。』
なるほど、お姉ちゃんにもそういう奴だと思われていたらしい。
アイツの頭のリミッターが外れた時は、暴走しか選択肢がないことをよく知っているのだ。
『案の定心配した通りだったよ。弁護士さんから逮捕されたって聞かされて、とうとうやっちまったかって、そこまで驚きもしなかったからね。
けど被害者の話を聞いて青ざめた。だって元カノを線路から突き落としたって言うからさ。それって美緒ちゃんしかいないじゃんって。
あの子美緒ちゃんが初めての彼女だって言ってたし、私はこうして無事なわけだし。』
少し感情が昂ぶっているようで、若干ではあるが声が強くなっている。
「でもどうしてアイツの弁護士がお姉ちゃんのとこに来たの?」
『ええっとね・・・証言をしてくれないかって言われて。』
「証言?」
『美知留はとっても良い子で、人を殺そうとするような子じゃありませんって。』
「それってつまり・・・・。」
『裁判の時、美知留に有利な判決が出るようにする為だろうね。
弁護士さんから聞いたんだけど、今更になって私を頼ろうとしてるみたい。
結婚も考えてた大事な人だから、私の力になってくれるかもとか吹き込んでたみたいでね。
だからそれは違いますって説明してあげたら、弁護士さんも呆れた感じで帰ってったよ。』
なるほど、美知留ならさもありなんと、電話に向かって何度も頷いてしまった。
『まあそういうことがあったからさ、あの子も可哀想だなと思って。』
「可哀想?」
『もちろん悪いことしたんだから自業自得だよ。けどなんて言うかな、あの子ってしっかりし過ぎてるっていうか、人の力なんて借りなくても生きていけるタイプじゃない?
でもそれって実は寂しいことなんじゃないかなと思うんだよね。
人間って生きてれば誰かに迷惑かけたり、傷つけたりとかあるけどさ、逆に助けてもらったり、感謝されたりとか、持ちつ持たれつで繋がってるわけじゃない。
けどあの子にはそれがないんだよね。だからいつだって一人っていうか、孤独っていうか。』
しばらくお姉ちゃんの言っている意味が分からず、「孤独」と呟き返してしまう。
美知留は孤高なのであって孤独とは違う気がする。
アイツ自身が人と交わることを望んでいないのだ。自分が認めた相手以外とは。
でもそれはつまり、認めるべき相手がいなければずっと一人ということなのかもしれない。
仮にそういう相手と出会っても、自分に振り向いてくれなければ意味がないだろう。
俺は美知留に好かれていて、ということはアイツに認められてたってことだろう。
だけど心の底ではやはり孤高なんだろうと感じる。
もしどうしても俺が必要ならば、線路から突き落とそうとはしなかったはずだ。
やはりアイツは自分のことしか考えておらず、それは自分自身でも自覚しているはずだ。
そうでなければもっと人と仲良く生きていけるはずだから。
コミュニケーションが苦手ならいざ知らず、美知留は実に人の心を掴むのが上手い。
上手すぎて、アイツと付き合っている時はずっと手玉に取られていた。
それが嫌で別れたようなものだ。
『あの子はずっと寂しかったんだと思うんだよね。もちろん美緒ちゃんにしたことは許されないけど、初めて出会った理想の相手なんだよきっと。
私はそうじゃなかったから振られちゃったけど。』
最後は笑って言葉を濁したが、これは俺への皮肉というか、美知留への未練ともいうべき愚痴なんじゃないだろうか。
「お姉ちゃんはまだ美知留のことが好きなの?」
もしそうならお姉ちゃんは傷ついたままってことになる。どうかNOと答えて欲しかった。
『分からない。未練があるっちゃあるし、でも今はもう付き合ってる彼女がいるし。格闘技だって選手は引退しちゃったけど、それだって前から考えてたことでもあるしね。
今は指導者として関わることが出来て幸せなんだ。だから今更ヨリを戻したいなんて思わない。
私が家族と連絡を経ってたのは傷ついてたせいだけじゃないよ。性転換の事とかこれからの人生とか、色んな事に向き合う為でもあった。
ああやって傷ついた時って本音が見えるもんだからさ。自分を見つめ直すには良い機会だと思って。
だから美桜里が思ってるほど落ち込んでたわけでもないんだよね。
落ち着いたら連絡しようと思ってただけで。近いうちにあの子にも会いに行くよ。』
静かな声でそう語って、『だから美知留とはもう関わる気はない』と言い切った。
『あの子は可哀想だよ。多分これからもずっと一人のままなんだと思う。心のどこかでそれでいいと思ってるはずだよ。
だから可哀想なんだよ。すごく能力も高くて、プライドも高くて、自信だって持ってる。
そういう人ってきっと幸せになりくいんだろうね。』
ああ、なるほどと相槌を打ってしまった。
孤独だから可哀想なのではなく、優れた能力を持つからこそ幸せが遠ざかるって言いたいのだろう。
なぜなら周りが全て自分よりも下に見えて、普通の人なら喜んだり感動したりする事でもそう出来なくて、最後は結局は一人でいいやって結論になってしまうから。
おそらく美知留はもう俺には関わってこない気がする。
あの時、俺を殺しに来たのは感情を爆発させたせいじゃなく、自分のプライドに傷を付けた相手を粛清しに来ただけなのだろう。
もし美知留を置いてあの街から出て行こうとしなくても、いつかは同じことをしでかしたかもしれない。
アイツが俺を殺しにかかってきたのは、自分の愛が届かすに傷ついたからじゃない。
お姉ちゃんの言う通り、可哀想な奴だからだ。
結局自分のことしか考えてなくて、自分にとってプラスかナイナスかしかなくて、美桜里君の奥さんと友達でいたのも、彼女がすごく理解のある優しい人だったからではないだろうか。
もし少しでも批判的なことを言ったり、敵に回る素振りを見せたら、おそらく友達ではいられなくなるだろう。
そういう意味ではやっくんとなんら変わりがない。
自分の頭の中だけの世界で生きていて、自分の都合しか考えていないのだ。
『じゃあもう切るね。』
「うん、話せてよかった。ありがとう。」
『こっちこそ。あ、でも電話を切る前に一つだけ。』
「また美知留のこと?」
『違う違う、美緒ちゃんのこと。』
「俺?」
固く身構えてしまって、電話を握る手に汗がにじんだ。
美知留のこと以外で不愉快にさせるような事をしでかしてしまったのかなと、動悸が速くなる。
『もう私の真似はやめた方がいいよ。』
唐突なことを言われて、「真似?」と聞き返してしまう。
『美緒ちゃんを見てて思ったんだけど、それって昔の私の真似でしょ?』
「・・・やっぱり分かるもんなの?」
『なんとなくだけどね。似合ってるならいいんだけど、なんか無理してる感じがしてさ。
だって美緒ちゃんと私は全然違うタイプじゃない。私の知ってる美緒ちゃんはもっとホワっとしてるっていうか、丸い雰囲気の印象っていうか。
その男っぽい服装も似合ってるっちゃ似合ってるけど、どこか違う気がするなあって。』
「自分なりにちゃんと選んでるつもりなんだけど・・・やっぱり似合わない?」
『ファッションとしてって問題じゃないよ。オシャレなのはすごくオシャレだと思う。
けどそうじゃなくて・・・なんて言うんだろう?キャラと違うっていうかさ。例えば美桜里がパンクロックみたいな格好しても柄じゃないじゃん?』
「まあ・・・・。」
『あとね、美緒ちゃんってどう考えても同性愛者じゃないよ。私を真似して女の子を好きになったりしてるんだろうけど、これもなんか違うんだよね。
多分だけど、美知留があそこまで美緒ちゃんに執着したのはそれが理由かもって思ってる。』
「どういうこと?」
『だって同性愛者じゃないなら、恋人として同性を好きになったりしないでしょ?
どんなに演じたところで相手にはそれが分かるもんよ。どう頑張ってもほんとの意味で振り向いてくれない美緒ちゃんに、美知留は悔しさを感じてたかもね。』
「悔しさ?」
『異性が好きならそれでいいのに、自分を偽って同性愛に走っても意味ないよってこと。これずっと前にも言ったけど、同性の恋人を見つけるって大変なんだ。
特に日本ではまだまだ理解が進んでないから、表に出さない人だってけっこういるし。
美知留はやっとの思いで理想の相手に出会えたのに、実はその子は同性愛を演じてるだけでしたってことに我慢ならなかったのかも。
どうあっても振り向かせてやるぞって、そういう悔しさもあったんじゃないかな。』
「それってつまり・・・・美知留がああいう事したのは俺が悪いってこと?」
『そうは言ってない。線路から突き落とすなんてやり過ぎだからね。ただ自分を偽る生き方はやめた方がいいってことを言いたいだけ。
だって私、美緒ちゃんに真似されるほど立派な人間じゃないし。それに他人の真似ばっかしてたら自分の人生台無しになっちゃうよ。』
ここ最近俺が気にしていることを言われて、錐で胸を突かれたみたいに、一瞬呼吸が止まってしまった。
お姉ちゃんから見れば、今の俺の悩みなんてあっさり分かるものらしい。
『私は外見は昔と変わっちゃったけど、中身は今でも変わらないよ。これでもちゃんと自分の人生歩いてるつもりだから。まあ胸が張れるほど立派でもないけどさ。
でも美緒ちゃんは外見も中身も偽ってる気がする。だから次に会う時はさ、また昔のほんわかした美緒ちゃんに会いたいな。』
胸に刺さった錐はそのままで、どうにか呼吸はできるものの、何も言葉を返せない。
偽りの自分、偽りの人生と言われて、途端に涙が出てきそうで、今は声を発したくなかった。
相手がお姉ちゃんだから余計に。
『美緒ちゃんは美緒ちゃんのままでいいんだよ。もうイジメっ子もいないんだし、またこうして仲良く出来るんだから。怖がることないよ。』
怖がる?と頭の中で反芻する。
いったい何を?
お姉ちゃんの言う通りもうイジメっ子はいないし、これからまたお姉ちゃんと仲良く出来るのだ。
じゃあ何を指して怖がるなんて言っているのか理解出来なかった。
『じゃあもう夜遅いから。いつか二人で飲みに行こうよ。』
ぼんやりする頭で「絶対行こう!」と返したが、心ここにあらずのまま電話を切っていた。
そしてすぐに馬鹿なことをしたと気づいた。
俺がいったい何を怖がっているように見えるのか、どうしてそれを尋ねなかったのかと。
今まで俺は人真似をして生きてきたけど、その理由はイジメっ子が原因でもなければ、お姉ちゃんに憧れたからでもないということなんだろうか?
何も分からないまま、窓から見える船の光芒だけを追いかけていた。

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