稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第五話 消えた協力者(1)

  • 2018.08.17 Friday
  • 12:23

JUGEMテーマ:自作小説

好きな人と食事をするなら、ランチではなくディナーがいい。
値の張るホテルのレストランで、夜景を見ながらワイングラスを鳴らすのだ。
運ばれてくる洒落た料理を知った風に解説しながら、分かりもしないワインの味だって批評してみせよう。
ボロが出ることなんて気にしちゃいけない。
こういうのはカッコが大事なのだ。
酒が入り、美しい夜景の風情も手伝って、俺たちは普段とは違う顔で言葉を交わす。
そう、二人の未来についてだ。
理屈は要らない、例え夢物語でもロマンを語ってみせよう。
俺たちを結ぶ愛、そいつは永遠のものだと誓いを立て、そっと婚約指輪を取り出して・・・・、
「冴木君!」
「え?・・・・あ、なんでしょう!」
「どうしたの?ぼうっと窓の外を見つめて。」
「夜景を見ていたんですよ。宝石のような夜景をね。」
「夜景?今はお昼だけど?」
「このワイン、シャルルド・ホンドボーの1950年物ですね。まるで高原に咲く一輪の花のような涼やかな香りだ。」
「それ昆布茶だよ。あとそんなワインないと思うけど。」
「このヒレ肉と野菜のソテー、口の中に優しい味が広がる。ワインにぴったりだ。」
「それはスタミナ炒めよ。どっちかっていうと辛口の。」
「今日、僕は人生でもっとも素晴らしい日を過ごしている。この夜を境に、僕とあなたの歴史が変わるんだ。」
「・・・・・・・。」
ドラマかなんかの主人公のように、カッコをつけて景色を見つめる。
かちょ・・・・いや、部長補佐はクスっと肩を竦めた。
「相変わらずだね、冴木君は。」
「・・・・え?」
「たまに一人で遠い世界に行っちゃうところ。」
「・・・・またやってましたか。」
「うん、全開でね。」
可笑しそうに笑って、鯖の味噌煮をつついている。
《なんてこった!嬉しさのあまり妄想の世界に浸ってたのか・・・・。》
つくづくこのクセは治らない。
ここはハリマ販売所の近くにある定食屋。
俺はもぐもぐとジャパニーズソテーを頬張った。
「この半年、私も冴木君のことを考えてたわ。」
「かちょ・・・いや、部長補佐も俺のことを・・・・。」
感極まってウルウルくる。
口の端からソテーの切れ端が落ちていった。
「課長でいいよ。」
「え?」
「だって部長補佐って呼びにくいでしょ。今まで通り課長でいいよ。」
「いやいや!そういうわけにはいきませんよ。だって俺、また一緒に仕事をするわけなんですから。部長補佐は部長補佐って呼ばないと。」
「でも呼びにくいでしょそれ。私も課長って呼ばれる方がシックリくるし。」
「いやあ、でもなあ〜・・・・課長より偉いのに課長って呼ぶのはちょっと。それに今の課長は伊礼さんだし。」
「なら名前で呼んで。」
「え?」
「肩書きで呼ぶのが嫌なら名前で呼んでよ。」
「な、な、名前でッ・・・・・、」
口の端から昆布茶が滴り落ちる。
そんな・・・名前だなんてそんな・・・・。
《おいおい・・・・名前って・・・いいのかそんな。だっていきなり翔子って呼んでってそんな・・・・。》
これはもう付き合っているも同然じゃなかろうか。
・・・・いや、違うか。ここで妄想に浸るとまた失敗する。
別に名前で読んだからって恋人ってわけじゃないんだから。
だけど確実に俺たちの距離は縮まっている。
だって名前だなんて・・・・・。
俺は咳払いをして、「じゃあ・・・・」と背筋を伸ばした。
「しょ・・・・翔子。」
言った!言ってしまった!
俺の頬はチークしたみたいに赤くなっているだろう。
部長補佐も恥ずかしいのかキョトンとしていた。
「そ、その・・・・翔子も俺のことを考えてくれてたなんて・・・・明日死んでもいいよ。」
目を合わせるのが恥ずかしく、田んぼと電柱が続く景色に目を向ける。
しかし俺の中では百万ドルの夜景に変換されていた。
「・・・・・・・・・。」
翔子は黙ったまま俺を見つめている。
カップルが距離が縮めるには呼び捨てが効果的だそうだが、なるほど・・・・それは当たっている。
だって翔子はずっと俺のことを見つめて・・・・、
「冴木君。」
「俺のことも名前で呼んでくれ、翔子。」
彼女の方を振り向くと、なぜか眉間に皺を寄せていた。
恥ずかしいのを誤魔化しているのだろうか?
「あのね、冴木君・・・・。」
「なんだい翔子?」
「確かに名前で呼んでって言ったけど・・・・、」
「うん。」
「いきなり下の名前を呼び捨てっていうのかどうかと思うわ。」
「え?」
「いいのよ、どうしても冴木君がそう呼びたいなら。ただ周りの人からどう思われるか心配で。」
「し、心配というのは・・・・?」
「だってこれからまた一緒に仕事をするのよ。そりゃ君はまだ正式に戻ってきたわけじゃないけど、立場が上の人に向かって呼び捨てっていうのはちょっと。」
「あ!いや、これはその・・・・、」
「社長まで務めた人なのに、そんな常識もないのかって周りに思われるが心配なのよ。せめてさん付けにした方がいいと思うわ。」
「そ、そうですよね!いきなり呼び捨てなんて生意気でしたよね!いや〜、俺はすぐ調子に乗っちゃうから!」
冷や汗が出てくる。
距離が縮まるどころか遠のくところだった。
「私は全然平気なのよ。けど君のことを周りの人に誤解されたくないの。いくらグローバルだって言ったって、日本はまだまだ縦社会だから。
冴木君はすごく良い子なのに、変な誤解をされるなんて嫌だから。」
「か、課長・・・・・。」
腹を立てているんじゃなくて、俺を案じての事だったなんて・・・・。
課長、やっぱりあなたは女神です!
あなたの為なら例え火の中水の中・・・・、
「・・・に飛び込む前に、ご飯食べちゃいましょ。」
サラっと心を読まれて、さっきとは別の意味で恥かしくなる。
ガツガツとスタミナ炒めをかき込み、グビグビと昆布茶を流し込んだ。
外へ出ると少し湿った風が吹いていた。
遠くには薄暗い雲が流れていて、こりゃ一雨来るかもしれない。
「あ、あの・・・・、」
「ありがとうね、ご馳走になっちゃって。」
「いいんですよ!部長補佐の為なら高級レストランだって予約しますから!」
ドンと胸を張ると、「またその呼び方に戻っちゃうの?」と笑われた。
「あ、ええっと・・・そうですね、じゃあなんて呼ぼうかな・・・・。」
「いいよ、冴木君の好きな呼び方で。」
「・・・・・じゃあ、やっぱり課長で・・・・。」
「うん、私もその方がしっくりくる。」
ニコっと微笑みながら、空を見て「降るかもね」と呟いた。
「天気予報だと晴れって言ってたんですけどね。アテになんないなあもう。」
「自然のことだから仕方ないよ。」
「じゃ、じゃあ・・・送っていきますよ!雨の中課長を歩かせるわけにはいかないですから!」
助手席のドアを開け、「どうぞ!」と手を向ける。
「・・・・・・・・・。」
「いや、その・・・・心配しなくて大丈夫ですよ!送り狼になったりしませんから、はい!」
「ううん、そうじゃなくて・・・・・、」
「あ!もしどうしても不安ならタクシー呼びますから!男、冴木晴香に任せて下さい!」
スマホを開き、「ええっと・・・・タクシーの番号はっと・・・」と検索した。
すると横から手が伸びてきて、「待って」と言われた。
「もう少し一緒にいない?」
「へ?」
「こうして久しぶりに会ったんだもん。」
「え、あ、・・・・、」
「それにまだまだ聞きたいことがあるでしょ?カマクラ家具の事とか、これから私たちがどんな仕事をするのかとか。」
「はい!それはもう・・・ええ!」
「じゃあもう少し一緒にいよう。」
なんか知らんがラッキーな展開になった!
「ささ、どうぞ」と車に招き入れ、適当に走らせて行く。
行き先などどこでもいい!
課長と一緒にいる・・・・それこそが大事なのだ。
とりあえず国道へ向かい、大きな橋を越えて、小さな峠も越えていく。
その先は道なりになっていて、こいつをまっすぐ行けば海の見える道へ出るのだ。
行き先はどこでもいいなんて思いながら、ちゃっかり場所を選んでいる俺は中々大したものだろう。
「ねえ冴木君、会社を離れていた半年はどうだった?」
ニコっと尋ねてくるので、「そうですねえ」とニコっと返した。
「バイトを転々としてました。」
「へえ、どんなバイトをやってたの?」
「色んなのやりましたよ。良い経験です。」
「伊礼さんから聞いたよ、桃太郎やってたんだったね。」
「正確には赤鬼ですけどね。思いっきり脳天を叩かれちゃって。」
「ふふふ、でも楽しそう。私も一度そういうのやってみたいな。」
「そ、それは是非!課長なら何度斬られても惜しくありません!なんなら真剣でも!」
「それ捕まっちゃうよ。」
楽しそうに笑ってくれている・・・・冴木晴香、感無量!
「この半年の間、色んなことやってたんだね。」
「そうなんですよ。その日暮らしの仕事ばっかで。」
「どこかへ就職しようとは思わなかったの?」
「それは考えました。けど・・・・なんでしょうね?なんか違うんですよ。一応面接を受けたこともあるんだけど、自分から断りの電話を入れちゃって。」
「・・・・やっぱり稲松文具に戻りたかった?」
急に真剣な顔をするので、ちょっとドキっとする。
「どうでしょうね・・・・」と言葉を濁しながらも、本心は顔に出てしまっていた。
「やっぱり戻って来たかったんだね。」
「ええっと・・・・まあ。」
「一人で辛い気持ちを抱えたまま我慢してたんだもんね。ごめん、気づいてあげられなくて・・・・。」
「いやいや!そんなの気にしないで下さい!単に身勝手でバカなだけですから、ははははは!」
引きつった顔で笑いを返す。
俺のことなんかでこんな顔をしてほしくない!
「あの・・・」と話題を切り替えた。
「課長はどうでしたか?シンガポールは大変でしたか?」
「そうだね、今までとは違った環境だから戸惑うこともたくさんあったわ。でもその分楽しかった。
海外赴任って初めてだから色んなことが新鮮だったなあ。」
色々と思い出しているのだろう。
その顔は楽しそうで、俺はホッとた。
やっぱり課長にはこういう顔でいてほしいから。
「海外に出てみて色んなことが分かったの。日本とはまったく違った文化や風習、人間っだってそう。
仕事は大変だったけど、その分自由っていうのかな。おかげですごく仕事にやりがいを感じた。」
「向こうはグローバルですもんね。課長みたいな大きな器の人にはピッタリですよ!」
「私はあの国が大好きになった。けど日本が悪いっていうわけじゃないのよ。
それぞれの国に良い所も悪い所もあって、そういうのを多様性っていうんだと思う。その大切さっていうのを肌で感じたわ。
だけどなんでもかんでも一色に塗りつぶす必要はないと思う。
みんな違っていて、違ったまま上手く繋がることが出来たらそれが一番良いのよ。実際はとても難しいことだけど。」
「ははあ・・・なるほど。さすがはアレですね・・・・その・・・国際人ですね!」
なんか上手く言葉が出てこなくてバカみたいな言い方になってしまった。
課長も可笑しそうに笑う。
「シンガポールに赴任したのは冴木君が社長になって三ヶ月後だから、約一年半向こうにいたことになるわ。
ほんとはもっと近くで君を支えてあげたかったんだけど。」
「いえいえ!課長には自分の仕事があったわけですから!そんな気を遣わないで下さい。
ていうかその分草刈さんに死ぬほど鍛えられましたから・・・ええ。」
当時のことを思い返してもゾッとする・・・・。
スパルタまっしぐらの教育法に、ほんのちょっとだけ社長を辞めようかななんて考えたりもしたものだ。
「でもそれは冴木君を思ってのことよ。草刈さんは君を応援してたから。」
「ええ、分かってます。」
他愛ない話を続けていると、海の見える国道に差し掛かった。
分厚い雲が流れてきたせいで、せっかくの海が沈んで見える。
晴れてればめちゃくちゃ綺麗なのに。
「あの・・・課長。」
「なに?」
「俺たちの仕事って、具体的に何をするのか聞いてもいいですか?」
もっと他愛ない話を続けていたいけどそうもいかない。
危険な事や面倒な事にも関わるだろうから、仕事の内容はしっかりと把握しておきたかった。
課長は「まだ闘志が衰えてなくて安心した」と微笑む。
「やる気満々の気迫が伝わってくるわ。」
「もちろんですよ!半端じゃ出来ませんからね。それで・・・俺たちは何をするんですか?またどこかに潜入調査するとか?」
「調べるのはカグラとカマクラ家具。この二つの会社・・・ライバルではあるんだけど、それ以外の繋がりがあるんじゃないかと思うのよ。」
「繋がりですか・・・・。」
「ほら、瀞川さんと安志さんて元々はカグラの人でしょ。けど10年前に辞めて、カマクラ家具に入社したのが約一年半前よ。」
「かなり間が空いてますね。その間何をやっていたのかは・・・・、」
「分からないわ。ただ分かっていることは、二人が入社したのはカマクラ家具の社長が交代したのとほぼ同じ時期ってことよ。」
「社長の交代と同じ・・・?」
「以前の社長は九ノ尾吉音(ここのおきつね)っていう女性よ。体調を崩して引退したと聞いてるわ。
そしてその人が次期社長に押した人物が葛之葉公子。」
「確か湯水のように金を使う人ですよね?」
「そうよ。そしてこの人・・・・素性がよく分からないの。」
「分からない?」
「突然表舞台に出てきた人なのよ。それ以前にカマクラ家具にこんな人はいなかったみたい。
一応伊礼さんも調べてくれたんだけど、詳しいことは分からずじまい。
分かってるのは前社長の引退と同時に現れたということだけよ。」
「なんか胡散臭い感じですね。それで・・・その人が社長になった時期と、瀞川さんと安志さんがカマクラ家具にやってきた時期が同じだと?」
「ええ。これってただの偶然じゃないと思うわ。必ず何かあるはず。」
「一番考えられるのは、二人が持っていたプラズマカッターの技術が欲しかったんじゃないですか?」
「そう考えるのが妥当なんだけど、だったらどうしてカマクラ家具は君に賄賂を持ちかけたのかって疑問が残るわ。」
「結局そこに辿り着くわけか・・・・。」
「彼らが求めたのは技術じゃない。もっと別の何かよ。けど今の所は見当も付かないわ。」
困った顔で首を振り、頬杖を付きながら海を眺めている。
「あの・・・そういえばなんですけど。」
「なに?」
「今の稲松文具の社長って誰なんですか?」
「会長が兼任してるわ。」
「またですか・・・・。」
「誰も成りたがらないのよ。最近とにかく色んな事件があったでしょ?兄さんが会社を乗っ取ろうとしたり、パラサイトと呼ばれる怪人が会社を乗っ取ろうとしたり。」
「どっちも大変な事件でしたね。」
「その度に会社は大混乱。だからみんな警戒してるのよ。そのうちまた大きな事件が起こるんじゃないかって。」
「社長なんて立場になっちゃったら、その時に大変な思いをするから敬遠してるってことですか?」
「だと思う。」
「まさかまた選挙で決めたりとかは・・・・、」
「会長ならあり得るかも。」
「俺、もし稲松文具に戻れたとしても、次は立候補しません。度を超えた飛び級は身を破滅させるって学びましたから。」
そう答えると、課長は「確かに地道に登って行くのが一番かもしれないわ」と言った。
「トップを維持するには経験もいるし、人脈だって必要になるわ。でもそういうことが学べただけでも社長になった意味はあったんじゃないかな。」
「そう思います。良い勉強になりました。」
俺はまだまだ社長だなんて器じゃない。
ひのきの棒でラスボスとは戦えないのだ。
地道に装備とレベルを上げていく・・・・時間はかかるけど、そういう王道こそが一番の近道なんだ。
「あ、あともう一つ聞きたいことが。」
「いいよ、なんでも聞いて。」
「カグラにいた玉木千里さんって人なんですけど・・・・、」
「玉木・・・・ああ!君にカグラの秘密技術を教えてくれた人ね。」
ポンと手を打ちながら弾けた笑顔になる。
可愛いなあ・・・・。
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「鬼神川副社長、すごい怒ってましたよね。」
「そりゃ社内の大事な技術を外に漏らしたんだもん。怒って当然よ。」
「制裁を加えるとかおっかないこと言ってたけど・・・・彼女は大丈夫なのかな。」
玉木さんと知り合ったのは偶然だ。
月に一回、各会社の社長や重役が集まる会議があるんだけど、その時にカグラのメンバーの一人として来ていたのだ。
普通は社長や重役以外が来ることはないんだけど、あの時は各会社の技術交流というテーマだったので、エンジニアの彼女も同席していた。
すごく綺麗な人で、知的というか神秘的というか、どこかミステリアスな雰囲気をまとった人だった。
言われなければ誰もエンジニアとは思わない感じの人で、俺もてっきり社長秘書かなにかだと勘違いしていた。
そして会議の休憩中、トイレに立った時に廊下ですれ違ったのだ。
玉木さんは両手で書類の束を抱えていて、よく前が見えていなかったのだろう。
正面から俺にぶつかって盛大に書類をぶちまけていた。
『ごめんなさい!』
必死に謝りながら書類を拾っているのを、俺も手伝った。
『すいません!社長にこんな事をさせてしまって・・・・、』
『気にしないで下さい。俺もちゃんと前を見ていなかったから。』
『はい、どうぞ』と書類を渡すと、ミステリアスな雰囲気を全開にしながら『ありがとう』と微笑んでいた。
『もうすぐお昼ですね。ぶつかったお詫びとしてランチをご馳走させて頂けませんか?』
ずいぶん変わったことを言う人だなと思った。
いくら謝罪の為とはいえ、グループ企業の社員が社長にランチをご馳走だなんて・・・・。
俺は一瞬だけこう考えた。
もしかして色仕掛けで取り入ろうとしている?と。
しかしどうもそういう感じに見受けられなかったので、『いいですよ』と頷いた。
一応言っておくが、もちろん俺にだって他意はない。
いくら神秘的で綺麗な女性だろうと、俺の女神は課長ただ一人なのだ!
その日は玉木さんと二人でランチを食べ、仕事のことや他愛ない世間話をして終わった。
しかしその数日後、今度はたまたま寄ったレストランでばったり出くわしてしまったのだ。
『この前は大変失礼いたしました。』
丁寧にお辞儀をしてくるので、俺も『いえいえ』とお辞儀を返した。
『偶然ですね、こんな所で玉木さんに会うなんて。』
『ここのレストランにはよく来るんです。幻の鯖のソテーが美味しくて。』
『へえ、そんなのがあるんですか。』
『それにシャルルド・ホンドボーの1950年物のワインがよく合うんです。』
『詳しいんですね。もしかしてワイン通で?』
『そんな大層なものじゃありません。ちょっと嗜む程度ですから。』
知的で神秘的な雰囲気は相変わらずで、謙虚な姿勢と相まってよりミステリアスさを増していた。
『あの・・・今日はお一人で?』
そう尋ねられて『ええ』と頷いた。
『仕事中は食事でさえ人と合うことが多いですからね。休日には一人で食べるようにしているんです。』
『そうなんですか。大きな会社のトップって、人並みならない苦労があるんでしょうね。』
『自分で選んだ道から文句は言えません。でもちょっと息抜きしたいなあって時はあります。それより・・・・玉木さんもお一人で?』
『はい。私も仕事中以外は一人でいることが多いんです。昔から群れるのが苦手な性分で。』
やや首を傾げながら微笑むその仕草に、こりゃモテるだろうなと確信した。
もちろん俺は課長以外に心を動かされたりはしないけど。
『それじゃ失礼します。』
おそらくほとんどの男はイチコロなんじゃないかって微笑みを残し、自分のテーブルへ戻って行く。
『あの。』
『はい?』
『よかったらご一緒しませんか?』
『私とですか?』
『だってこの前はご馳走になっちゃったから。』
『あれはぶつかったお詫びですから当然のことで・・・・、』
『社長が社員に奢られっぱなしというわけにはいきません。ここはご馳走させて下さい。』
『・・・・・・・・・。』
玉木さんは少しだけ迷う表情を見せた。
さっきと同じように首をかしげ、頬杖をつきながら俺を見つめる・・・・というよりは凝視する。
その姿はとても妖艶で、モテるどころかほとんどの男が膝をついてプレゼントを贈るんじゃないかってほどだった。
と同時になんとなくこう感じた。
《なんだろう・・・・動物に例えると猫みたいな人だな。》
ミステリアスな雰囲気、一人を好む性分、柔和だけど気の強そう目、優しいけど決して人に媚びないであろう気迫みたいなもの。
人間の世話にはならず、自分だけで逞しく生きていく猫・・・・そういう表現が一番しっくり来る人だった。
『なら・・・・ご馳走になろうかしら。』
その日も一緒に食事をして、玉木さんオススメの幻の鯖のソテーを食べた。
シャルルド・ホンドボーの1950年物のワインを飲みながら。
彼女と話をしたのはこの二回だけだけど、それでも強く印象に残るほど、普通の人とは違う何かを感じさせる人だった。
あの時のことを思い出しながら、「心配なんですよ」と呟いた。
「カグラの人たちって本気でおっかないところがあるでしょ?玉木さんは無事なのかなって。」
緩やかなカーブにハンドルを切りながら、雲の隙間から照らす光に目を細める。
「課長、彼女はどうなったんですか?まさか酷い目に遭ったりとかは・・・・、」
「いなくなったの。」
「え?」
「査問委員会のあったあの日、忽然と姿を消してしまったそうよ。」
「姿を消すって・・・・まさか・・・・、」
「酷い目に遭わされたわけじゃないと思うわ。だって鬼神川さんが『そっちに行っていないか?』って電話してきたから。
きっとどこかへ逃げたのよ。あのままカグラに残っていたら何をされるか分からないもの。」
「それがいいです。鬼神川さん、マジでおっかないほど怒ってましたからね。冗談抜きで拷問でもするんじゃないかって不安でしたよ。」
「否定出来ないのが怖いところね。」
苦笑いしながら肩を竦めている。
「冴木君はカマクラ家具から技術の横流し求められた時、彼女に話を持ちかけたんでしょ?」
「ええ。カグラの機密情報は本社の社長でさえ開示してもらえませんからね。
だから多分無理だろうとは思いつつも、玉木さんに相談したんです。」
「で、彼女はOKしてくれたと。」
「ほとんど迷うことなくね。見返りだって求めようとしてこなかったし。」
「見返りも無しにか・・・・。玉木さんの行動も謎ね。」
「彼女の素性は把握してるんですか?」
「草刈さんがコピーしていた社員ファイルのおかげで、大まかなことは分かってるわ。
入社したのは三年ほど前、腕の良いエンジニアだって評判だったみたい。
でも特に変わった所はなかった。けどなんの見返りもなしに危ない橋を渡るなんて・・・・何が目的だったんだろう?」
納得いかない様子で眉をひそめている。
確かに玉木さんの行動は謎だ。
ただの気まぐれか?それとも何か理由があってのことか?
ミステリアス過ぎてその真意は計りかねる。
「とにかく無事だといいけど。」
今はまだ分からないことが多すぎる。
けどなんとなく感じていることがある。
きっと今回もまた大きな事件に発展するってことだ。
これまでと同様、俺たちの知らない所で、良からぬことを企む奴らが動いている。
今はまだハッキリと姿が見えない影たちが、コソコソと暗躍しているはずだ。
果たして今回は無事で済むだろうか。
不安なのは俺だけではないようで、課長の横顔もまだ見えぬ影に憂いているようだった。

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