稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第十二話 葛藤の日々(2)

  • 2018.08.24 Friday
  • 11:59

JUGEMテーマ:自作小説

「ごめんなさい!遅れちゃいました!」
月曜の朝9時、慌てて靴キングの配送センターへとやって来た。
事務室の横にある休憩室に駆け込むと、伊礼さんが苦笑いで手を挙げた。
「珍しいですね、遅刻するなんて。」
「ちょっと寝坊しちゃって・・・。」
「ずいぶんお疲れみたいですね。大丈夫ですか?」
そう言って目の下を指さした。
多分クマが出来ているんだろう。
隣にいた冴木君も「大丈夫ですか?」と心配そうだ。
「平気平気。ちょっと寝不足なだけだから。」
君のせいでこんなに心配してるのよって言いたけど、今は胸にしまっておこう。
「遅れてごめんなさい。早速始めましょう。」
傷みの激しいパイプ椅子に座って、二人の話に耳を傾ける。
まずは伊礼さんからだ。
彼は草刈さんと協力しながら、あの不正の件の洗い直しを行っていた。
冴木君がお金を受け取っていた時期や回数。それに賄賂の受け渡し場所になっていた会員制の高級バー「タカイデ・ココ」について。
「再調査を始めて一日しか経ってませんが、一つ目星い情報を掴みましてね。」
「さすが伊礼さん。で・・・・何が分かったんですか?」
「実はタカイデ・ココのオーナーなんですが、元カグラの人間なんですよ。」
「カグラの・・・・?」
「ええ。」
タバコを取り出し、「そういやここも禁煙か」と、顔をしかめながら胸ポケットに戻している。
代わりに禁煙パイポを咥え、口先でユラユラと弄んでいた。
「店の前で張り込みをしてたんですが、中から出てきた人物に見覚えがありましてね。
確かカグラの社員ファイルにあった顔じゃないかと思って確認してみたんです。」
「で・・・・結果は?」
「ビンゴでした。名前は管恒雄(くだつねお)、歳は56。10年までカグラで営業部長をやっていた男です。
冴木にもファイルを見せたんですが、この男がオーナーで間違いないと。なあ?」
「そうです。けど名前は違っていました。あのバーでは畑耕史って名乗ってましたから。」
「ということは偽名を使っていたということ?」
「だと思います。どうしてウソの名前を名乗ってたのか分からないけど。」
「素性がバレるとマズいことでもあったのかな?」
そう呟くと、伊礼さんも「臭いですね」と言った。
「店のオーナーは元カグラの人間。怪しくないって方がウソになる。」
「ですよね。もっと詳しく調べたいなあ。ちなみにお店の中に入っての調査は・・・・、」
冴木君に目を向けると首を振った。
「会員になるか、もしくは会員の人と一緒じゃないと無理なんです。俺が賄賂をもらってた時は、カマクラ家具の人が会員だったから入れてもらえたんです。」
「どうにか入れないかな。」
ボソリと呟くと、「こっそりとなら行けるかも」と言った。
「ほんとに!」
「多分ですけど・・・。」
「どうやって!?」
「店の裏側に通気口があるんですよ。人一人なら通れそうなくらいの。」
「そこを通れば中に入れる?」
「行けると思います。けど気をつけないと見つかるかも。」
「どうして?」
「防犯カメラがあるんですよ。それも至る所に。」
「防犯カメラ・・・・。どうしてバーにそんな物が。」
「分かりません。でも店内のあちこちにあって、俺が接待を受けてたVIPルームにもあるんですよ。だから上手く入り込めたとしても・・・・、」
「カメラに見つかっちゃうわけか・・・・。」
「普通ならね。」
そう言ってニカっと笑う。
「カメラはいっぱいあるけど、どの位置にあるかは全部覚えてますから。」
「ほんと?」
「それに店内にある通気口の位置も覚えてるんです。ここをこう行けばカメラに映らないだろうなってルートは想像つくんですよ。」
「さっすが冴木君!」
思わずバシンと肩を叩く。
「超人的な記憶力は健在ね!」
これこそが彼の特殊能力である。
一度見た景色を写真のように頭に焼き付けることが出来るのだ。
しかも絵が上手いから、頭の中の映像を精密に描き起こすことが出来る。
この特殊能力を買われてスパイをやっていたのだ。
カメラや電子機器が持ち込めない場所でも、彼の能力があればあらゆる情報を盗み出すことが出来るから。
「一度見た光景は絶対に忘れません。なんなら絵に描きましょうか?」
「うん、お願い!」
メモ帳とペンを差し出す。
彼はものの数分で緻密な絵を描き上げた。
「これが俺の知る限りの店内の見取り図です。多分通気口はこう通ってるはずですよ。」
「このバツ印は?」
「カメラの位置です。」
「けっこう多いわね。」
ざっと間取りを見た感じ、入口の奥に受付があって、そのさらに奥には扉がある。
そこを通ると丸いロビーのような部屋になっていて、周囲には六つの部屋が配置されていた。
さらにロビーの中央には地下へ続く階段があるようで、その先は廊下を挟んで四つの部屋に分かれているようだ。
「地下の部屋にはVIPって書かれてるわね。これはもしかして・・・・、」
「そうです。俺が接待を受けてた部屋です。この向かって右側の手前の部屋。」
「どんな感じの部屋なの?」
「まるで高級マンションの一室みたいな感じですよ。照明もテーブルも椅子も全部高そうなやつばっかで、壁の一部は水槽になってるんです。色んな熱帯魚が泳いでましたよ。」
「一階と地下に小さな部屋が一つずつあるけど・・・・これはトイレか何か?」
「上の階のやつはそうです。ロビーの入口近くにあるんですよ。地下にあるのは多分スタッフ用の部屋じゃないかな。VIPルームにはトイレが付いてるから。」
「なるほど・・・・。ていうか防犯カメラって全ての部屋に設置してあるのね。ロビーには二つもあるし。」
「ですね。あと入口と受付、地下の廊下にもあります。」
「かなり厳重ね。それぞれの部屋の上を走ってるの線があるけど・・・これが通気口?」
「そうです。店の裏の通気口から入ると、一階の一番奥の部屋に通じてるはずなんですよ。」
「どうして分かるの?」
「隣が焼肉屋なんですけど、思いっきり臭いが入って来てたからです。」
「なるほど。」
「そこからさらに進むとロビー。だけどどっちもカメラがあるからここからは入れません。」
「なら可能性があるとしたら・・・、」
「はい、トイレです。」
「さすがにここにはカメラはないわけか。」
「ここからなら中に入れると思いますよ。ただ・・・・、」
「ただ?」
「俺も全ての間取りを知ってるわけじゃないです。地下にある小さな部屋も、多分スタッフルームかなって思うだけで。その部屋からオーナーが出て来るのを見たから。」
「じゃあ他にも知らない場所があると?」
「実は地下の廊下の奥なんですけど・・・・、」
そう言ってVIPルームよりさらに奥へ続く廊下を指差す。
「ここに人間くらいの大きな置物があるんですよ。」
「置物?」
「ええ、多分キツネの像だと思うんだけど・・・・。」
上目遣いに腕を組みながら、「言葉では説明しにくいな」と言った。
「じゃあ描いてくれる?」
「了解です。」
再びメモ帳を渡すと、ものの数秒でサラっと描き上げてしまった。
「なにコレ?」
「だから廊下の奥にあった像です。キツネっぽいでしょ?」
「う〜ん・・・・キツネっていうか猫に見えるんだけど。」
冴木君の描いた絵はなんとも不思議なものだった。
大きな耳、尖った鼻、つり上がった目、そんな顔をした動物が台座の上に座っている。
見ようによってはキツネに見えないこともないけど、私にはどちらかというと猫に見える。
「ほら見て。この尻尾ってキツネっていうより猫だよ。細長くてクネクネしてるでしょ?」
「キツネと猫って尻尾の形が違うんですか?」
「全然違うわよ。キツネはイヌ科の動物だから、犬と同じようにもっとフサフサしてる。
けど猫は細いわ。ほら、ライオンやトラだって尻尾は細いでしょ?」
「そうだったかなあ・・・・。」
相変わらず興味のないことに対しては記憶が働きにくいようだ。
覚えてはいるんだろうけど、思い出す気が弱いとまったく出てこない。
「まあとにかく、ここに動物の像があるわけね。でもそれがどうかしたの?ただのインテリアとして置いてるだけなんじゃ・・・・、」
「隠し通路があるかもしれません。」
「隠し通路・・・?」
「だって廊下の奥に大きな動物の像があるんですよ?なんか怪しいじゃないですか。まるで何かを隠してるみたいだなって思うでしょ普通。」
「それは冴木君の感想だと思うけど・・・・、」
「そんなことないです!だって俺、見ましたからね。」
「見るって・・・・何を?」
「なんでか知らないけど、その像がちょっとだけズレてたことがあるんですよ。その時にチラっと階段らしきものが見えたんです。」
「階段・・・・。」
「なんだろうって見てたら、慌ててオーナーがやって来て直してました。これ何?って聞いても全然教えてくれなくて。
もしかしたらさらにまだ地下室があるのかも。」
「だとしたらそこに重要な何かが隠されているかもしれないわね。わざわざ大きな像を置いて隠そうとするくらいだから。」
「でしょ!調べるなら絶対にここですよ。」
そう言って像を指差す。
「あのバーは夜の七時から夜中の二時までしかやってないんです。営業時間外に上手く忍び込めばいけるかもしれません。」
「でも防犯カメラは地下の廊下にもあるのよね?像を動かしたりなんかしたらすぐバレるんじゃない?」
「ええっと・・・・確かに。」
さっきまでの勢いは消えてシュンと項垂れる。
けどかなり良い情報が聞けた。
「どうやって潜入するかは後で考えましょ。じゃあ次は私の番ね。」
バッグから水を取り出し、一口飲んで舌を湿らせる。
「実は昨日ある人と会ってね。協力を取り付けることが出来たの。」
そう言うやいなや、冴木君が「課長!」と身を乗り出してきた。
「ある人ってまさか・・・・例の動物探偵ですか!?」
「ううん、そうじゃないの。家まで行ったんだけど留守だったから・・・・、」
「家!あの男の家に行ったんですか!!」
「そりゃ行くわよ。有川さんは友達だし、それに玉木さんから名刺をもらったしね。だからちょっと相談だけでもと思って・・・・、」
「家・・・・課長が男の家に・・・・。」
プルプル震え出している。何か誤解をしているみたいだ。
「課長お!」
「な・・・なに?」」
おでこが触れそうなほど迫ってくるので、思わず仰け反ってしまった。
「まさかとは思いますが・・・・逆にその男が課長の家に来たことは・・・・、」
「もちろんあるわよ。」
「なんで!どうして!?」
「なんでって・・・友達なんだから当然じゃない。」
「で、でも!課長はマンションで一人暮らしじゃないですか!そこに男なんて入れたら・・・・大変ですよ!」
「あのねえ・・・・有川さんはそんな事する人じゃないから。」
「でもでも!女一人の部屋に行ったら、男なんていつ狼に変わるか・・・・、」
「有川さんが来たのはマンションの方じゃない。実家よ。」
「実家!?」
「今までに何度も来てるわよ。両親や兄さんとも会ってるし。」
「ご、ご両親に挨拶まで・・・・・。てことはウチの会長から気に入られてるってことじゃないですか!」
「気に入るっていうか・・・・会ったのは一度きりだけどね。」
「じゃあ・・・・もうじき結婚するんですね・・・・。」
「え?」
「だって実家に遊びに来て、しかも会長にまで気に入られるなんて・・・・。そんなのもう婚約も同然じゃないですか・・・・。」
やっぱり大きな誤解をしている。
この世の終りみたいな顔で絶望しているけど、今は相手にしている暇がないので放っておこう。
「部長補佐、コイツはほっといて続きを。」
伊礼さんが慣れた様子で手を向ける。
私はコクリと頷いた。
「昨日有川さんのアパートへ行ったんだけど留守だったんです。その代わり祐希さんにバッタリ会っちゃって。」
「ユウキ?・・・・ああ!あのフリーカメラマンの?」
「そうです。祐希さん耳が早いから、冴木君の不正の件も知ってたみたいで。」
「ジャーナリストとしては優秀ですね。その分タチが悪いとも言えるが。」
「興味のある事ならなんでも調べ上げちゃう人ですから。手を貸してもらえないかって頼んでみたんです。」
「じゃあ俺たちがカグラを探っていることも?」
「伝えました。こういう事件を待ってたんだってすごく喜んでましたよ。なんでも今やってる仕事が肌に合わないみたいで。」
「なるほど。まあ彼女の腕は確かだ。力になってくれるならありがたい。」
「でしょ!ただギャラもそれなりに取る人なんで・・・・。これって経費で落とせますよね?」
「俺に聞いてどうするんです?あなたの方が偉いのに。」
「ごめんなさい、なんか自分が偉い立場にいるんだって実感がなくて。」
「いけませんよそれじゃ。あなたならあと2、3年もすりゃ本社の部長になるはずだ。今から意識を変えていかないと。」
「意識を変える?」
どういう意味か分からずに唇をすぼめてしまう。
伊礼さんは「いいですか」と指を立てた。
「現場に出向くのは課長クラスまでです。本社の部長ともなれば大部隊の指揮官のようなものだ。後ろでどっしりと構えて命令を出すもんですよ。」
「もちろん分かってます。けど私は現場も大事にしたい。部長になったからってオフィスに篭るつもりはありません。」
「そうはいかないのが本社の部長って肩書きです。大部隊の長になろうって人が、いちいち下のモンに気を遣ってどうするんです。
自分がやれと言えば、下のモンには何がなんでもやらせる。私が白と言えば黒も白になるんだって思わせるくらいじゃないと。」
「そういう古い体質が嫌いなんです。私が上を目指してるのは、今まで積み上げてきた時代遅れな慣例を覆す為でもありますから。
部長になろうが専務になろうが、独断で物を決める人間にはなるつもりはありません。」
思わず言葉に熱を帯びてしまう。
頬が火照っていくのを感じながら、「すみません・・・」と自分を落ち着かせた。
「最近ちょっと感情的になりやすくなっちゃって。」
「やっぱりお疲れなんですよ。なんならもう一日しっかり休まれたらどうです?」
「周りが頑張ってるのに、私だけ休んでるわけにはいきません。
それに早くこの件を解決して、箕輪さんや栗川さんのように現場で頑張ってる人たちを安心させてあげたいんです。」
また感情がこみ上げそうになったので、話を戻すことにした。
「とにかく祐希さんが力を貸してくれることになりました。これは大きな戦力ですよ。ギャラの方は・・・・私がポケットマネーで払います。」
「いいんですか?あの手のタイプはそれなりにボってくるでしょうに。」
「私が依頼したんだから当然です。会社の経費うんぬんは忘れて下さい。」
「分かりました。じゃあ今日のところはこれでお開きですかね。・・・・まだ何かありますか?」
「いえ、私からは何も。」
そう言って冴木君を振り返ると、まだ暗い顔で俯いていた。
「婚約・・・・課長が・・・・他の男と婚約・・・・。」
これじゃしばらく話にならないだろう。
「冴木君が落ち着いたらタカイデ・ココへどう潜入方法するか考えます。」
「なら俺は一度本社へ戻ります。あまりウロウロしてばかりいると、カグラの連中に怪しまれるかもしれない。」
パイプ椅子から立ち上がりながら、禁煙パイポを懐に戻している。
まだ絶望中の冴木君に「じゃな」と肩を叩き、部屋から出て行った。
「さて・・・・。」
伊礼さんは帰り、冴木君は話が通じない状態。
となれば私のやることは一つ。
スマホを取り出し、昨日送ったメールの返事を確認した。
「まだ来ない・・・・。どうしてるんだろ?」
有川さんは律儀な人なので、一日経ってもメールが返ってこないというのは珍しい。
それだけ仕事が忙しいんだろうか?
もしそうなら動物探偵が上手くいっているわけだから私も嬉しい。
以前に会った時は中々仕事が来ないと悩んでいたから。
《どうしよう・・・・電話してみようかな。》
仕事中なら悪いと思って遠慮していたけど、少し心配になってくる。
たった一日返事がないからって不安がる必要はないはずなのに、こうも気にしているのはまだ彼のことが好きなせいかもしれない。
もうどう頑張っても無理なのに、まだどこかに諦めきれない気持ちが残っているんだろうか。
《私ってけっこう未練たらしい性格なのかな・・・・。》
恋愛に関してはそうウェットは方ではないと思っていたのに、実はその反対なのかもしれない。
・・・・まあとにかく、ここは一度電話をしてみよう。
本当に忙しければ出ないだろうし、そうじゃないなら出てくれるだろうし。
緊張しながら有川さんのメモリーに掛ける。
・・・・二回、三回とコール音が響き、やがて留守番電話サービスに変わってしまった。
メッセージを残そうかどうしようか迷ったけど、決める前に通話を切っていた。
《きっと忙しいんだ。着信を見たら折り返してくれるはず。》
そう自分に言い聞かせ、まだ正気に戻ってくれない冴木君にちょっとだけうんざりした。
《君はいいよね。そうやって感情を表に出すことが出来て。こっちだって君のことで悩んでるのに。》
有川さんに気持ちを惹かれつつ、冴木君のことで気を揉んでいる私は身勝手な女なんだろう。
早く成長して私を支えてよなんて思ったクセに、有川さんのことも同じように心配しているんだから。
けど・・・・これはどちらも恋愛感情なんだろうか?
もしかしたら二人に対して抱いている気持ちはそういった感情じゃなくて、もっと別のモノだったりして。
有川さんは大事な友達で、冴木君は手の掛かる弟みたいな感じで、二人とも強い信念を持ちながらも、不器用だから空回りすることが多い。
そんな二人を心配する自分に酔っているだけなんじゃないだろうか。
《・・・・やめよ。こんなこと考えてたってまた疲れるだけだ。》
冴木君の意識がこっちに戻ってくるまでもう少し時間がかかるだろう。
私は立ち上がり、「いったん本社に戻るね」と言った。
「また後で連絡ちょうだい。」
ポンと肩を叩き、狭い休憩室を後にする。
配送センターの外に出て車に乗り込み、エンジンを掛けようとした。
するとコンコンとノックされて、冴木君が追いかけてきたのかなと振り向いた。
「もう、正気に戻るのよ遅いよ。タカイデ・ココに潜入するにはどうすればいいか考えないといけないのに・・・・、」
ウィンドウを下ろしながらそう言いかけて固まる。
なぜならノックをしてきたのは冴木君ではなかったからだ。
まるでプロレスラーみたいに厳つい体つきをした大男が立っていた。
「鬼神川さん!どうしてこんな所に・・・・、」
言い終える前に口を塞がれてしまう。
私の顔よりも大きな手が伸びてきて、顔全体を覆うように握られてしまった。
その力はまるで万力で、もう少し強く握られたら頭ごと潰されてしまいそうなほどだ。
「ぐッ・・・・・、」
「騒がないで下さい。首から上が潰れたスイカみたいになりますよ。」
「・・・・・・・・。」
その言葉がウソじゃないことは、鬼神川さんの手から伝わってくる。
ほんのちょっと力を入れるだけで、私の頭は彼の言う通りになってしまう・・・・間違いなく。
背中に冷や汗が流れて、悲鳴さえも上げられない。
どうしていきなりこんな事を・・・・、
「悪いが我々と一緒に来て頂く。少しの間・・・・眠っていて下さい。」
そう言って大きな手を離したかと思うと、人差し指を私の顎に当てた。
次の瞬間、その指が動いたのと同時に、頭の中がシェイクされるみたいにクワンクワンと揺れた。
《まずい・・・・・。》
武道をやっていた兄が言っていた。
人間は顎に衝撃を受けると脳が揺さぶられるって。
最初にふわりと気持ち良い感覚がやって来て、その後は身体から力が抜ける。
ひどい時はそのまま意識を失い、しばらく起き上がれないのだと。
私はそのひどい状態になってしまって、ふわりと宙に浮くような感覚に陥った後、意識を失ってしまった。
・・・・・・次に目を開けた時、さっきとはまったく違う場所にいた。
ここは・・・・どこかのマンションの一室だろうか?
明かりは薄暗く、フローリングをほんのりと照らしている。
目の前にはテーブルがあって、高そうなお酒のボトルが置かれていた。
私自身はソファの上に寝かされていて、身体を起こすのと同時にギチギチっと音が鳴った。
どうやら革張りのソファらしい。
ザっと周りを見渡すと、そう広い部屋ではない事に気づいた。
調度品もソファとテーブルだけで、他に目立つ物はほとんどない。
いや、それよりもだ・・・・・ここには窓がない。
代わりに壁面の一部が水槽になっていて、色とりどりの魚たちが泳いでいた。
「あれ?ここってまさか・・・・、」
冴木君から聞いた話が蘇る。
この部屋の特徴、それはタカイデ・ココのVIPルームにそっくりだった。
私が靴キングの配送センターから出て、車に乗ったところで鬼神川さんが現れた。
あの人に気絶させられ、その間にここへ連れて来られたんだろうけど・・・・いったいどうして?
一つハッキリしているのは、私は誘拐されたってことだ。
その証拠に・・・・・、
「やっぱり・・・・ドアが開かない。」
紺色で木目模様のドアにはしっかりと鍵が掛かっていた。
中から開錠することは・・・・無理みたいだ。
「監禁か・・・・・。」
鬼神川さんの目的は分からない。
けどここへ閉じ込められたって事だけは分かる。
ポケットを調べると財布もスマホもなくなっているので、おそらく取り上げられたんだろう。
こんな場所で外と連絡を取ることも出来ない。
今の私に出来ることは、革張りのソファに座ってただ時間が過ぎるのを待つことだけだった。
ここには時計がなく、腕時計も取り上げられていたので、時間さえも分からない。
《辛いなこの状況・・・・。》
・・・一時間か、それとも二時間か・・・・曖昧な感覚のままじっと座り続ける。
ふと見ると水槽の反対側の壁面にもう一つドアがあった。
そういえば冴木君はこうも言っていた。
VIPルームにはトイレがあるって。
特に行きたいわけじゃないけど、とりあえず覗いてみることにした。
取っ手を掴み、ゆっくりと開ける。
そして・・・・悲鳴を上げそうになった。
「なんで・・・・。」
声が震える・・・・思わず口元を覆う。
トイレの中、一人の男性が怪我を負って倒れている。
便器に背中を預けながら、まるでノックアウトされたボクサーのように。
「伊礼さん!」
慌てて肩を揺さぶる。
「しっかりして!ねえ伊礼さん!!」
「・・・・・・・・。」
いくら揺すっても返事はなく、グッタリした様子で私の方へ倒れてきた。
顔には幾つも痣が出来ていて、鼻と口から血を流している。
服装も乱れていて、まるで誰かと格闘した後みたいだ。
「伊礼さん!大丈夫ですか!伊礼さんってば!!」
なんでいきなりこんな事になってるのか分からない。
伊礼さんの名前を叫びながら、グッタリする彼を抱きかかえるしかなかった。

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