緑が謳うとき 第一話

  • 2019.05.26 Sunday
  • 12:33

JUGEMテーマ:自作小説

肉より魚、炭酸よりもお茶。
美味しいと思うモノが変わる歳頃、好きな季節も変わっていた。
犬のリードを引きながら土手道を歩く。
見上げた空は半分以上が緑に囲まれ、葉っぱの隙間からツバメの舞う姿が見える。
季節は初夏。
桜は一切の面影なく消え去り、道路にさえ花弁がなくなり、10連休という超大型のゴールデンウィークも明けた。
連休中、僕はどこへも出かけることはなくて、桜の頃さえ一度だけ友達とドライブをしただけだ。
昔ならば寂しいと感じただろう。
でも今はそう思わない。
ただ淡々と毎日が過ぎていくことに、不満や悲しみはなくて、かといって喜びや満足感があるわけでもないけど、現状を悪い風には捉えていなかった。
幸せも不幸もなく、これといった出来事がない日々の生活は、そこかしこにある風情や情緒に対する感性を敏感にしてくれる。
波風のない穏やかな毎日というのは何モノにも変えがたく、一昨日なんて少し開いた窓から見える新緑に一時間も心を奪われたほどだ。
四季折々、美しい景色はたくさんあるけど、今はとにかく初夏がいい。一番好きだ。
犬は夢中に草を食べ、やがて飽きてリードを引っ張る。
風に肌を撫でられて、少しだけ冷ややかさを感じる。
半袖はまだ早かったかなと腕をさすったけど、降り注ぐ陽がすぐに暖かくしてくれた。
家に帰る頃には少し汗ばむほどだった。


     *****


一昨年までは、今とはまったく違った生活をしていた。
仕事で忙殺されていたし、ネットに依存することにも忙しかった。
自然の情緒、景色の風情に感性を向けるなんてことはなかった。
朝が来て、夜が来て、その間に夕方があって、一日のうちに目まぐるしく全てが変わるのに、そういうモノに何も心が働かなかった。
いや、正確には鈍っていた。
本来はそういうものが好きだったはずなのに、いつの間にかそうではなくなってしまっていた。
色々理由はある。
でもどれも正解ではないように思う。
理屈ならいくらでも付けられるけど、ある意味で言葉ほど信用ならないモノはない。
人間は自分で自分を騙すことも出来るので、曖昧な理屈付けは自分を欺くことになる。
夜のコンビニに車を停め、じっと目の前の光景を睨んでいた。
古びたブロック塀、電柱、電柱を支えるワイヤーを保護する黒と黄色のカバー、そしてそれらを照らす蛍光灯。
車の中からずっと見つめている。
つまらない景色だ。
でも面白い。
どうして面白いのかは分からない。
無理に理由を探そうとして、それは良くないと頭から追い払う。
何かを求める為とか、深い意味を探して目の前を見つめているわけじゃないのだ。
だから今、言葉はいらない。
いらないんだけど、頭の中に言葉が浮かばないようにするのは難しい。
二時間もこうしていれば、さすがにあれこれと言葉が湧き上がり、記憶の隅に留まっていく。
記憶ってやつは記憶さえも記憶するので、完全に言葉を忘れることは無理がある。
まあいい。
人間の集中力ってのは二時間が限度、こうして目の前を睨み続けてそろそろ二時間になる。そろそろ休憩に入ろう。
車を出て、店先でタバコを吹かす。
今よりもっと喫煙者に風当たりが強くなったら、こんなド田舎のコンビニからも灰皿が消えてしまうんだろうか。
今心配しても仕方のないことだけど。
目の前には真っ暗な景色だけ。
辛うじて道路だけは街灯に守られているけど、その向こうは防犯なんて知ったこっちゃねえってくらいに、深い闇に沈んでいる。
ここはよく来る場所なので、光がなくてもどんな景色が広がっているかは知っている。
まず道路の向こうには畑がある。
ボロい民家もあって、その奥には田んぼがある。
さらに奥には山があって、頂上にテレビの電波塔が建っているのだ。
暗くて見えなくても、何があるかはイメージ出来る。
タバコを吸い終える頃、なんだか急に帰りたくなって、すぐに車を飛ばした。
自宅は川原沿いのアパート。
砂利敷きの駐車場に車を停め、表に繋がれた犬の頭を撫でてから部屋に入った。
あの犬は大家さんの犬で、忙しい飼い主に代わって朝晩散歩に連れていくことで、少しだけ家賃を安くしてもらっているのだ。
餌やりも僕の仕事なので、銀色の器にカリカリを満たして持っていく。
明日の朝、また散歩に連れていき、餌をやり、友人の仕事を手伝い、夜前にはまた散歩に連れていき、今日と同じコンビニへ行って、暗闇に景色のイメージを重ねる。
波風のない穏やかな毎日。
でも退屈じゃない。楽しくはないけど、嫌ってわけでもない。
部屋へ戻り、窓から吹き込んでくる初夏の風にひんやりとした心地よさを感じながら本を読んだ。
パソコンもスマホもなく、テレビもゲーム機もなくて、テーブルよいうよりちゃぶ台といった方が正しいテーブルの上にラジオがあるだけ。
ラジカセでカフェミュージックのCDを流しながら、朝の残り物ののオカズを温め、固くなったご飯に味噌汁をぶっかけてかき込んだ。
いくつかシミの付いた畳に寝転び、安物の時計の秒針の音に揺られながらウトウトし始める。
来月になれば蛍が舞うだろう。
この近くの川じゃなくて、もう少し離れた小さな川で。
今年も見にいかなきゃなと思いながら眠りに落ちていった。
・・・・翌日の朝、またいつもと同じように犬の散歩に出かけた。
昨日よりも少し曇っていて、午後から一雨きそうな感じだった。
湿った風の匂いはなぜか懐かしさを覚える。
きっと童心を呼び覚ますんだろう。
まだ小学生だった頃、夕立の中ではしゃいだ記憶がある。
まるで大きなシャワーに打たれているみたいで、友達数人と裸になって公園を走り回った。
あとで大人からお咎めを受けることがなかったのは、視界を奪うほどの大雨のおかげだ。
もし見つかっていたらゲンコツの数発も落とされただろう。
湿った風は温さを含んでいるけど、厚い雲のせいで陽射しが届かないので、どちらかといえば肌寒い。
土手道には僕と同じように犬の散歩をする人もいれば、スーツをまとって出勤している人もいる。
愛想の良さそうな人には会釈をし、そうでない人は見送った。
ベンチの足にリードを結び、草をほおばる犬を尻目に、日課のラジオ体操をこなす。
今日もツバメが舞っていて、川の上を縦横無尽に駆けている。
すぐ傍のツツジの植え込みでは、ブーブーと羽音を響かせながら、ミツバチとマルハナバチが蜜を求めている。
ホバリングをしながらよさげな花を物色し、脚についた花粉をせっせとこすっていた。
ツバメの飛翔も大したものだけど、ハチの仕草もなかなか器用なものだ。
こういう光景を見ていて飽きないのは、やはり波風のない日々を送っているからだと思う。
他に刺激的なモノがあれば、感性は全てそちらに向いてしまうだろう。
一昨年までそういう生活をしていたのに、今は正反対のことをしている。
こうなってしまったことに対して、具体的な理由も、明確な心境の変化があったわけでもなく、振り返って原因を探ってみることに意味はない。
芥川龍之介はぼんやりとした不安のせいで自殺したらしいけど、人間の行動なんて案外そんなモノだろう。
ラジオ体操を終えてスッキリして、犬を戻してから仕事に向かった。
友人がカメラマンをやっていて、そのアシスタントをしている。
レフ板という光を反射させる板を持って、モデルさんの顔を照らすのだ。
他には飲み物を運んり、カメラを渡したり、レンズを交換したりと、現場では雑用がメインである。
撮影後にはパソコンに向かい、友人の選んだ写真に補正をかけたり加工したりが仕事になる。
前職が広告のデザインだったので、こういうことは得意なんだけど、ずっと続けているとやはり目が疲れる。
パソコンの光は目に悪く、何度も瞬きをしては目薬を挿す。
それでも治まらない時は、一服がてら外に出かけるのだ。
昼間っから公園のベンチに座り、コンビニで買ったおにぎりを頬張る。
人が見たら生活に困っているのかと誤解されるかもしれないけど、それは別に構わない。
人目を気にするほど高尚でも偉くもないし、僕が変な目で見られたからといって、僕の周りに困る人もいない。
公園を囲う植え込みの緑も輝きを増していて、そいつを見ていると疲れた目が癒されていく不思議な現象の方に、よっぽど心が惹かれる。
初夏の匂いは至るところに充満していて、曇っているのに嫌な気分にならないのは、本当に不思議だと思う。
いつものように心身の武装を解いてボケっとしていると、腕時計の長針が一回り以上していた。
友人から電話が掛かってきて、いつまでほっつき歩いているのかと怒られる。
友人ではあっても仕事中は上司、すいませんと伝えてから初夏の公園を後にした。

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