緑が謳うとき 第三話

  • 2019.05.28 Tuesday
  • 12:04

JUGEMテーマ:自作小説

波風のない穏やかな日々。
初夏という季節がなおさらにそんな日々を支えてくれる。
緩やかで、暖かくて、時々肌寒くて、草木は輝いて、風には緑の香りが含まれて、幸も不幸も問うところではないほどの穏やかな毎日。
今日はビルの並ぶ隣街で仕事をしていた。
手入れの行き届いた清潔な神社の境内で、夫婦になる二人を撮影している。
いつもはカメラマンである友人の補助なんだけど、今日に限って僕も撮影することになった。
というのも依頼者である夫婦から、とにかく色んなアングルの写真がほしいと頼まれた為、アシスタントである僕もカメラを構えることになったのだ。
前職でカメラをいじることはあったので、扱いには慣れている。
もちろん腕は本物のカメラマンには及ばないけど。
しかし数撃てば当たるのが写真。
高容量のメモリーを使えば何千枚と撮れるので、フィルムの時代と違って残弾を気にする必要はない。
無論、シャッターを切った分だけ、あとから選ぶのが大変になるんだけど。
今日は天気もよく、風も吹いていない。
撮影は順調に進み、昼前には現場での仕事を終えた。
さあ、これから帰ってセレクトとレタッチの仕事が待っている。
隣に友人を乗せ、忙しない街を抜けていった。
途中、友人が欲しい機材があると言うので、大型の家電量販店に寄った。
国道に面した三階建ての店で、規模の割に駐車場の車が少ないのは儲かってないせいだろう。
今日は日曜なのに四台だけとは。
店員にとっては喜ばしくないことだろうけど、客からしたら空いている方が嬉しい。
閑古鳥が鳴いている店内、妙に明るいお店のテーマソングが流れているのが、余計に寂しさを引き立てていた。
エレベーターに運ばれ、三階のカメラコーナーまでやって来る。
友人は熱心に物色しているけど、僕は特に用もないのでブラブラしていた。
一通り店を回ってもまだ友人の物色は終わらない。
外にいると声をかけ、駐車場まで歩いた。
隣には小さな公園があって、ここにも人はいない。
それどころかほとんど手入れがされていなくて、雑草たちが遊具の足元まで侵略している。
僕はブランコに座り、錆びた鎖に大人が乗っても大丈夫かどうか不安を覚えながら、ギイギイと揺らしてみた。
・・・・いきなり千切れるってことはなさそうなので、もう少し漕いでみる。
揺れる度に足元に草が当たる。
ブランコから降り、公園を囲うフェンスの傍まで行くと、テントウムシがせっせと登っていた。
途中に指を置くと、少し迷ってから指に上り、僕はそのまま上に持ち上げる。
青い空にテントウムシを重ねると、赤地に黒の点々模様がよく映えた。
この虫は一番高い場所まで登りきると、翅を広げて飛んでいってしまう。
案の定、赤い翅を開き、その下から飛翔用の翅を伸ばして飛び立っていった。
遠くまで行くかなと思ったけど、すぐ近くの草地に降りて、またせっせとフェンスを登っていた。
しばらく眺めていると、買い物を終えた友人が現れて、何を見てるのか?と聞かれたから、指差して教えてあげた。
最近あまり見てない、珍しいなと呟いて、一枚シャッターを切っている。
今日もまたなんてことのない一日だった。
仕事をこなし、風情に心を躍らせ、犬の散歩へ行き、そして眠りにつく。
そんな日が五月の終わりまで続いた。
このまま波風のない穏やかな日常が続いてくれればいい。
そう思っていたんだけど、実際にそうなった。
梅雨前に蛍を見に行き、梅雨中は鬱陶しいなと感じながらも、雨に情緒を感じた。
夏は暑すぎてほとんど外へ出なかったけど、九月の終わりには海へ行った。
泳ぎに行ったわけじゃない。
友人とドライブに行ったのだ。
最近出来たばかりの綺麗な道の駅で飯を食い、近所の神社にお参りをし、砂浜を歩き、ベンチに座って波の音を聴いたりした。
秋も冬も、それぞれの季節を楽しんで、また新しい春が来て、そして初夏。
僕の一番好きな季節が戻ってきた。
去年と変わらない。
土手道の緑も、暮れゆく街がジオラマに見えることも。
一年経っても変化はない。
ドラマのような劇的な出来事や、胸が高鳴るような出会いや、大きな幸不幸も特になかった。
淡々と過ぎていく日常があるだけで、なるほど、人生ってのは大半が同じことの繰り返しなんだなと、妙に悟った気分に浸ってみたりもした。
ある日曜のこと、仕事を終えたあと、いつもとは違う友人とドライブに出かけた。
あてもなく走らせる車は、本当にどこにもあてがなくて、特に何もなくドライブから帰ってきた。
そして夜、なんとなくまたドライブに出かけたくなって、一時間ほど車を走らせた。
よく行くコンビニの前を通り過ぎ、小さな峠を越えて、なんとも無機質な街へとたどり着く。
ここは建物が少なく、星がよく見えるのだ。
路肩に停車し、座席を倒して空を見上げる。
星が綺麗だった。
どこにも視点を合わせずにぼんやりしていると、流れ星がよく見つかる。
いや、正確には気づく。
普通は見過ごしてしまうものが、どこにも視点を合わせないことで、よく気づくようになるのだ。
願い事をする暇なんてない。
瞬きほどの時間しか見ることが出来ないのに、いったいどこの誰が流れ星に願いをなんて言い出したんだろうか。
対して消えない星たちは海蛍のように、淡く繊細に、でも力強く輝いている。
時折移動しながら点滅する光があるけど、あれは飛行機だろう。
どこにも視点を合わせないまま星たちを眺め続け、夜道を駆け抜けていく車の音に耳をくすぐられ、また静けさが戻ってきて、しばらくしてまた車が走っていく。
何もない穏やかな日々。
これといった理由がないのに、刺激のある生活を放棄して今に至っているのは、どこかでそれを望んでいたせいかもしれない。
大きな出来事がドンと圧し掛るんじゃなくて、小さな出来事がコツコツと積み上がって、刺激のある生活が嫌になったんだろうか。
日々あちこちから飛び込んでくる様々な情報、そしてストレス。
五感も感性も、思考も精神も、コツコツと積み上がっていく小さな刺激に耐えられなくなり、許容範囲を超えて、無意識に嫌気がさした。
・・・・やめよう。こうして理屈を付けるのは。
今の生活には何もない。
大きなトラブルが起きるとか、自分から余計なことをしでかすとか、そうでもない限りは、何年経っても今のような生活が続いていくだろう。
この状態をいつまでいいと思うのか、それは自分でも分からない。
そして分からないことを考えても仕方がない。
初夏といっても夜は寒く、半袖に薄手のパーカーじゃ鳥肌が立つ。
動いている方が温かいだろうと思って車を降りた。
背後にあるマンションの光は恐ろしいほど無機質で、星の光とはまったく違う。
あそこに人がいて生活をしているはずなのに、どうしてこんなに人の気配を感じないんだろう。
誰も住んでいない遠い星たちの方が、どうしてか人情味を感じてしまうのは不思議だ。
しかしだからといって人工の光が嫌いなわけじゃない。
あの無機質な光にはそれなりの魅力がある。
一切の情緒や風情がない光には、かえって情緒や風情が伴うことがある。
無機質ということは空っぽということだ。
自らの意志を持たず、ただそこに佇んでいるだけ。
そういうモノは良い意味でドライである。
感動も感傷もない無機質な光は安らぎを与えてくれる。
例えるなら、余計な詮索をする友人に悩みは話せないけど、人の聞いているようで聞いていない友人の方が、気兼ねなしに愚痴をこぼせるのと似ている。
ドライってのはいいことだ。
だから無機質な光は好きだ。
マンションの光も、街灯の光も。
・・・・もう帰ろう。充分だ、もう帰ろう。
今日はこれでおしまい。
家に帰り、音楽でも聴きながら本を読み、眠くなったら布団に入ろう。
それで今日という一日はおしまい。
きっと明日も明後日も同じだ。
良い意味で無感動に時間が過ぎていく。
寒さに鳥肌を撫でながら、星に別れを告げた。

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