緑が謳うとき 第四話

  • 2019.05.29 Wednesday
  • 14:55

JUGEMテーマ:自作小説

ブライダルの撮影ってのはなかなか大変である。
初夏が深まる頃、緑の美しい式場の庭で、幸せそうな夫婦が笑っていた。
カメラマンの友人がカメラを構え、角度やポーズを指示する。
僕はレフ板で光を調整しながら、新郎新婦の後ろで不機嫌な顔をしている親族に目を向けた。
めでたい日であるはずなのに、親族がこういう顔をしていることは珍しくない。
それどころか結婚する二人が仏頂面をしている場合もある。
結婚式の裏側ってのは色々とトラブルが起こりやすく、始まりから終わりまで和やかな場合もあるが、その真逆もあるのだ。
誰かを祝うような空気ではなく、今にも喧嘩が始まりそうな険悪な空気に満たされた式場もあった。
まあ詳しくは言わないが、結婚式ってのは愛憎の両方が詰まっている空間であることは確かだ。
今日の式、夫婦になる二人はにこやかだけど、親族の側、特に新婦の親が仏頂面を極めていた。
天気は良い、緑も綺麗だ。
式場だって清潔で清楚でいい場所だし、情景は文句一つないほど最高だ。
そんな状況だからこそ、仏頂面の悪い空気は余計に際立つ。
ニコニコしている新郎新婦も悪い空気を察しているようで、決して後ろを振り返らない。
景色が美しいから、情景が最高だから、結婚式というおめでたい席だからこそ、不機嫌な人がいるってだけで、全てが悪く思えてしまう。
とりあえず仕事は滞りなく終わったけど、奇妙な緊張感のせいで疲れてしまった。
けどまあよくあることなのだ。
ブライダルの裏側ってのはほんとに色々ある。
帰り道、手押し車を押しながら散歩しているおばあちゃんがいて、緑輝く街路樹の下を歩いている姿に、なんだかホっとしてしまった。
いつどんな時でも美しい光景はない。
ピクニックにでも出かけたくなるようなこの青空でさえ、辛い気持ちを掻き立てられるだけの今日を過ごす人もいるだろう。
僕だって経験がある。
そういうことはきっと、誰にだってあるんだ。
だからこそ波風のない穏やかな毎日というのは大事である。
美しいモノを美しいと思える。
例えそこに大きな喜びや感動がなくたって、それはとても大事な時間なのだ。
・・・次の日の朝、なぜかいつもより早くに目が覚めてしまった。
また夢を見たのだ。
今度は悪い夢だった。
内容は覚えていないんだけど、気持ちが沈んでいるから、決して良い夢ではなかったはずだ。
朝から落ち込んでいるのはよくない。
顔を洗い、タオルで拭き、ふと顔を上げると、窓から薄い光が差し込んでいた。
洗面台の横にある洗濯機を照らしている。
薄い光はカーテンのように柔らかく、少し溜まった埃を反射しながら、淡く空間を切り取っている。
手を伸ばし、光に触れてみると、自分の手に強い陰影が刻まれた。
僕の手はこんな感じだったか?
握ったり開いたりしながら、まるで知らない手であるかのように錯覚してしまう。
というより、手には自らの意志が宿っているんじゃないかと思えるほど、自分の一部ではないような違和感を覚えてしまった。
朝の光は面白い。
太陽から放たれる生まれたばかりの光は、夜に浮かぶ無機質な光とは対照的だ。
風情に溢れ、情緒に溢れ、見慣れたはずの家の中さえ新鮮に照らす。
自分の一部であるはずの手まで普段とは違って見えるんだから面白い。
今日はいつもより早めに犬の散歩へ行くことにした。
早朝というのは特別な時間だ。
夕方と同じくらいに特別だと思う。
まず空気が美味い、そして爽やかだ。
胸いっぱいに息を吸い込むと、まだひんやりと冷たい初夏の空気は、身体の隅々まで浄化してくれるようなパワーを感じる。
しっとりと濡れた土手の草は初々しくて、それは立ち並ぶ木々も同じだ。
幹も枝も葉っぱも、土から露出した根っこも初々しく見える。
太陽から放たれる生まれたばかりの光は全てを初々しく映す。
ベンチに座り、ポケットから犬用のおやつを取り出し、二つに割る。
お座りをさせてから一つ、お手をさせてからもう一つ。
シャクシャクと音を立てながら噛み砕いた犬は、お尻を向けて草の臭いを嗅ぎ始めた。
犬は犬で忙しい。
オシッコをしたり、フンをしたり、草を食べたり、おやつをねだったり。
お手やお座りなど芸もこなさないといけない。
こうやって犬の忙しさに思いを馳せる。
穏やかな毎日を送っている証拠だ。
しばらくベンチに座っていると、すでに初々しい光の時間は終わっていた。
山から完全に顔を出した太陽の光は、夕方が来るまで変わらない。
初々しくもなく、かといって哀愁があるわけでもない。
何も特別なことはない。
時計がなければ今何時が分からない状態が何時間も続き、陽が暮れる頃に一日が終わろうとしていることを肌で実感するのだ。
もし僕が無職なら腕時計はしないだろう。
代わり映えのない一日のうち、強制的に時間を区切ることは、それを必要としない状態ならなんの意味もない。
まあ細かいことはいいのだ。
早朝が終わって普通の朝になっても気持ちいいことに変わりはない。
ベンチから立ち上がると、足元に毛虫がいた。
犬が臭いを嗅ごうとしたので慌てて引っ張る。
早朝の初々しい光と空気のおかげで、悪い夢で沈んでいた気持ちもすっかり治った。
アパートに戻り、犬の餌をやり、自分も朝飯をすませ、着替えてから家を出る。
今日もブライダルの撮影が入っている。
昨日と同じように誰かが不機嫌な顔をして、空気が悪くなるかもしれないけど、ああいう場所では色々あるから仕方ない。
じゃあなと犬に手を振り、車に乗る。
ルームミラーを調整し、サイドミラーも確認した時だった。
左側のミラーに蜘蛛の巣が張っているのに気づいた。
一昨日くらいに撤去したのに、もう立派な巣が出来上がっている。
鏡面の全てを覆うように白い糸を張り巡らし、ゆるい風を受けて揺れていた。
こうしてまた巣が張られるってことは、どこかに蜘蛛が棲みついているんだろう。
別に駆除しようとは思わない。
車内に棲まれたら厄介だけど、節度を弁えてサイドミラーに居候しているのだ。
好きなようにしたらいい。
どうせ取ってもまた巣が張られるわけだから、真っ白な糸のオブジェを揺らしながら車を走らせた。
幸い今日は和やかな雰囲気で結婚式が進んだ。
緑は相変わらず綺麗で、新郎新婦の未来を祝福しているかのようだった。
全てが美しいと、緑もよりいっそう美しくなる。
今日は良い夢を見られるかもしれない。

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