緑が謳うとき 最終話

  • 2019.06.05 Wednesday
  • 11:59

JUGEMテーマ:自作小説

初夏も終わりに近づいてきた。
暑さが増し、空が淀むことも多くなり、あと数日もすれば梅雨入り宣言がされるだろう。
鬱陶しい季節の始まりだ。
だけど今年は梅雨を嫌だとは思わない。
連日の雨はたしかに鬱陶しくはあるけど、刺激を欲しがっていたあの頃とは違って、雨に風情を感じるようになったからだ。
感性の矛先は日常的な変化や自然の情緒へと向かい、窓に流れる水滴や、屋根からしたたる雨粒を眺め続けても退屈だとは思わない。
何もない平日の午後、何もせずに雨だけを眺める。
今日は仕事は休み。
どこかへ出かけてもいいんだけど、部屋に寝転んだまま雨音を聴き、眺め、言葉にできない心地よさに包まれていた。
座布団を枕がわりに、ずっと窓の外を眺めるだけで、ひどく満たされてしまうのだ。
そうやってぼうっと眺め続け、夕方が近くなる頃に外へ出た。
今日は一日中雨なので、いつまで待っても晴れることはない。
土手向こうの対岸にある町並みはうっすらと霞み、山の上は靄がかかって見えなくなっている。
僕は傘もささずに土手まで歩いた。
こんな日に歩いている人は少ない。
犬の散歩、学校の帰り、外へ出ざるをえない人たちだけが歩いている。
そしてみんな傘を差している。
僕も引き返して傘を取って来ようかと思ったけど、このまま歩くことにした。
見渡す限りの草は濡れ、道のあちこちに水たまりができている。
服はどんどん濡れていき、Tシャツがピタリと肌に吸い付く。
前髪から水滴が垂れ、水と泥で汚れているサンダルへと落ちていった。
足を止め、空を見上げる。
正面から降り注ぐ雨が瞼に弾かれ、わずかに目に入った。
瞬きを繰り返し、また雨を見上げる。
しばらくすると慣れてきて、多少の水では瞼を閉じなくなった。
グレーの重い空は今にも落ちてきそうで、空が消えた頭上には何があるんだろうと妄想を膨らませる。
近くのベンチに腰掛け、お尻に冷やっとした感触が走ったかと思うと、すぐに下着にまで水が染み込んでいった。
暖かくなってきたとはいえ、ずぶ濡れで雨に打たれていると寒くなる。
二の腕には鳥肌がたち、手でさすったけど治まらない。
身体はどんどん冷えていき、いい加減雨に打たれるのが辛くなっても、じっとベンチに座り続けた。
目の前をスーツ姿の人が歩いていく。
チラっとこっちを見たけど、すぐに目を逸らして去っていった。
それから何度か人が通り過ぎたけど、だいたいみんな同じ反応だ。
こんな雨の中、傘も差さずにベンチに座ってるんだから、変人と思われても仕方がない。
それでもしばらくこうしていたかった。
五感の全てで雨を感じていたかった。
点線のように空間を埋め尽くす雨、絶え間なく地面に激突する音を響かせる雨、独特な匂いでどこか懐かしさを感じさせる雨。
初夏も過ぎようというのに鳥肌を浮かばせる雨、頬から唇を伝って中に侵入してくる雨。
どの感覚器官を使っても雨を感じることが出来る。
足元の濡れた草がくるぶしに当たり、チクチクとムズ痒い。
土手の並木は蓄えた水滴を頭上から降らせてくるし、対岸の景色は相変わらず水墨画のように霞んでいる。
草、木、山。雨ににじんでも緑であることは伝わってくるけど、それはどうしてだろう?
もしこの世から色を抜いてしまったら、今の光景はどう映るんだろう。
色のない春は喜びを感じるだろうか。
色のない夏は高揚感があるだろうか。
色のない秋は○○の秋なんて例えが通用するだろうか。
色のない冬は自殺するほどに寂しくなってしまうだろうか。
僕の一番好きな初夏はどうだろう。
輝く緑たちから色を抜き取ったら、この季節を好きでいられるだろうか。
この土手を、些細な草木の変化を、空に重なる木々の葉を、今と変わらずに感性を向けられる対象とみなすだろうか。
体感したことのない世界は想像するしかない。
けどそんな世界にはなってほしくないと思う。
この世から、この土手から、足元の草から、色が消えるなんてことはあってほしくない。
そして匂いも。
匂いだって大事だ。色だけでは足りない。
雨の匂いに懐かしさを覚えるのは、人生を振り返った時、雨の日の方が強く印象に残っているせいかもしれない。
楽しかった晴れの日よりも、鬱陶しい雨の日が強く記憶に残るのは、時間と共に思い出が美化されるからだろう。
記憶の中の美しい雨の日は、雨そのものが銀色に輝いている。
水溜りも、屋根からしたたる水滴も、草木を垂れていく流水も。
目を開けたまま思い出に浸り、目を閉じて今の光景を思い浮かべる。
ついさっきまで見ていた光景はもうすでに過去の記憶だけど、わずかに雨が輝いている。
ほんのりと銀色に輝いて、色のない世界に色をもたらすように、これでもかと初夏の緑を強く彩っていく。
目を開けるとさっきまでと変わらない光景がそこにある。
雨は銀色ではないし、緑は雨天のせいでくすんだ色になっている。
いい加減寒さが限界にきた。
立ち上がり、ポケットに手をつっこむ。
さて、明日は晴れるだろうか。
天気予報では五分五分だった。
まあ雨でも構わない。どうせもうすぐ梅雨なんだし、晴れを期待する方が難しい。
空だって好き好んでグレーに染まっているわけじゃないと怒ってくるだろう。
立ち止まり、振り返って、さっきまで座っていたベンチを見る。
向こうまで続く並木、草地、土手道、川、そして山。
五感の全てで雨を感じながら、目の前の景色に感性を委ねる。
余計なことは考えずに、じっと静かに。
記憶の中のノスタルジーに頼らなくても、雨が銀色に輝いていく。
瞳に映る全ての色が強くなっていく。
なんて切なくて淡くて、寂しくて力強い感覚だろう。
今、すごく自分が幸せだと知った。
なんの変哲もない日常的な光景だけど、強い感動を覚えていた。
雨の中、緑が謳う。
初夏の終わりだった。

 

 

        緑が謳うとき -終-

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