知る者と知らぬ者
ねえ龍二、私には必要なものがあろ。
それは家族や仲間でもなければ、愛や友情でもないわ。
私が必要としているのは同志。
今は戦いの鐘が鳴らされていて、それを勝ち抜く為には同志が必要なの。
あなたを利用するのは、自分の為じゃないわ。
ただ・・・強くなってほしいから。そして私と一緒に戦ってほしいから。
戦となると、誰もかれもが自分のことだけを考えるわ。
家族の為、恋人の為、国家の為、お金の為、理想の為。
理由は違えど、突きつめれば自分のことだけを考えて戦っている。
歴史創始なんて、私は何の興味も無い。
どうして百万年ごとに、世界は生まれ変わる必要があるの?
それはこの世の必然?それとも誰かの『意思』?
もう私は終わらせたい。せっかく新しいものがうまれても、また滅びを迎えるなんて・・・。
こんな決まりは終わらせたい。
でもね、石碑の主は言うのよ。それもまた自分の為なりって。
私は他の資格者と何も変わらない。
生まれ変わりのない世界を創るという『意志』の元に戦っているだけだって。
私はね、その言葉が嫌だった。だから身に宿るはずだった神の力を放棄した。
でも結局は龍二に宿った神の力をあてにしているの・・・。
さっきあなたが言った言葉、『資格者なら自分で戦え』って、まったくその通りよね。
ごめんなさい・・・ずっと利用していて・・・。
でも、これからは私も戦う。放棄した神の力を取り戻して、あの石碑を目指すわ。
そして・・・二度と生まれ変わりの無い世界を創るの。
次の百万年後が来ても、私は輪廻の掟に従わない。
そんなものはもういらない。世界そのものが生まれ変わる必要なんて無い。
その度に・・・たくさんの命や自然が失われていくのが、もう耐えられない・・・。
ねえ龍二、あなたならきっと、私の考えに賛成してくれると思ってる。
あなたが空から落ちてきたあの瞬間から、これは運命だと感じてたもの。
だから待ってる。私は誰よりも先に石碑に辿り着き、あなたを待ってるわ。
それまで死んだじゃダメよ。私と一緒に、生まれ変わりのない新しい世界を創って。
その時は、私でよかったら結婚してあげる。新しい世界で、あなたの子供を・・・・。
*
亡者の道を抜けた龍二は、しばらくメリッサと共に歩いていた。
しかし彼女は龍二の元を去った。自分も一人の資格者として戦うことを選び、分岐する道を別れて姿を消してしまった。
「メリッサ・・・。もし石碑に辿り着いたら、俺は何を願ったらいい?
きっとみんな自分の『意思』があるんだろうな。しかし俺は・・・・。」
石碑に辿り着いた資格者は、最も愛する者を一人だけ生き返らせることが出来る。
しかし龍二の心の中に、復活を願う人間はいなかった。
父も母も、美春や姉や同僚達も、皆自分にとって愛しい者達だった。
その中から誰か一人を選ぶことなど出来ない。だったらいっそ、自分が生き返った方が・・・。
龍二は考えながら遺跡を進んでいく。亡者の道の先は今までと変わらない遺跡の道が続いていたが、緑の光はもう流れていなかった。
「あの光は・・・どこかを通って石碑に行ってしまったんだろうな。」
立ち止まって大きな遺跡の通路を見渡し、感傷に浸っているとあることに気づいた。
《なんだ・・・・。通路の奥から妙な風が吹いている・・・。》
その風は人を不安にさせる嫌な臭いを孕んでいた。
《これは・・・人が焼ける臭いか?もしかしたら資格者同士の戦いが起きているのかもしれない。》
スサノオの力を解放し、注意深く奥へ進んでみた。風が運ぶ嫌な臭いは強さを増し、手で鼻を押さえながらゆっくり歩いて行った。通路の奥には強い光が射す開けた空間があって、上に向かって長い階段が伸びていた。その周りが業火に覆われ、二人の資格者が睨み合っている。龍二は広間の入り口に身を隠し、じっと様子を窺ってみた。
一人は老人であった。威厳のある顔に立派な顎髭をたくわえ、スキンヘッドの額に赤い点が打ってあり、身に纏う山吹色の布は僧侶のものであった。
もう一人は高そうな紺色のスーツに身を包んだ痩せ形の男であった。
艶のある黒髪をオールバックに整え、細い目に尖った顎をしたクールな顔だちであった。
そして驚くべきは、老人の周りには幾つもの生首が置かれていたことだった。
まるで自分を囲う信者のように綺麗に並べ、どの顔も穏やかな顔で命を断たれていた。
《あの生首は資格者のものか?あの老人が全てあのやったとしたなら、相当な強者だぞ。》
息を飲んで二人を見守っていると、老人の方が動いた。
何かをぶつぶつと唱え、ヨガのように腹をへこまして大きく息を吐き出した。
すると彼の額にある赤い点が光り、瞼が現れて目を開いた。
その目はスーツの男に向かって強烈な光を放ち、瞬く間に広間を灼熱の炎で覆った。
「うおおおおッ!」
龍二は腕で顔を覆って炎から身を逸らし、吹き荒れる熱風に耐えながら二人の姿を捜した。
《なんてすごい攻撃だ・・・。あの二人はどうなった・・・。》
広間を覆う炎は、吸い上げられるように吹き抜けの天井へ消えていった。
どうやら上には風が巻き起こっているらしく、人の焼けた臭いはこの風のせいだった。
炎はほとんどが風に吸い上げられ、残った火の中でスーツの男が立っていた。
先ほどと変わらず涼しい顔をしていて、落ち着いた様子でネクタイを直している。
「何とも趣味が悪い。こんな場所にまで信者を求めるとは、どれほど心が弱いのか・・・。」
スーツの男は老人に向かって馬鹿にしたように言う。
そしてパチンと指を鳴らすと、彼の後ろに神々しい姿の巨神が現れた。
その身体は光り輝き、立派な王冠と法衣を身に着けていた。
《なんだありゃあ・・・。あれがあの男に宿る神なのか?》
老人は僅かにうろたえ、そしてもう一度額の目を開いて光を放つ。
再び強烈な光線が広間を火の海に変えるが、やはりスーツの男には効かなかった。
「言ったはずだぞ。私にはどんな力も通用しないと。
そして・・・毒や不意打ちなどという小細工も通用しない。」
男は生首の方に目を向けて笑い、背後に浮かぶ光の巨神に向けて腕を上げた。
「信者の命を犠牲にしてまで生き延びるとは・・・実に愚かな教祖だ。
『死』を説くなら、まずは自分が命を差し出してみてはどうかね?」
男は老人に向けて腕を振り下ろす。光の巨神は口を開けて老人を吸い込み、ガリガリと噛み砕いてプっと吐き出した。老人の砕かれた肉体は光の粒子に変わり、吹き抜けの天井へ吸い込まれていった。巨神は並べてあった生首も吸い込み、その口で噛み砕いて光の粒子に変え、上へと向かって吹き出した。
「恥晒しな年寄りめ。石碑で己の愚かさを悔いるがいい。」
光の巨神の前には、その巨神と変わらないくらいの巨大な神が姿を現し、男に向かってニコリと笑いかけた。
「青黒い肌に四本の腕、そして額の目。やはりシヴァ神であったか。」
圧倒的な迫力を備えるシヴァ神は、笑いながら男に賛辞を送った。
《よい暇つぶしとなった。次なる歴史創始の時は汝のような者に宿り、心ゆくまで遊戯に興じるべきかな・・・・。》
シヴァ神は光に包まれて消え去り、男は腰に手を当てて頭上を睨んでいた。
龍二は通路に身を隠して冷や汗を流していた。
《なんて奴だ・・・。あれとまともに戦うのは得策じゃないな・・・。》
しかし広間に伸びる階段は、確実に石碑へと繋がる道だろう。
そう考えると避けては通れない戦いだった。いずれ戦うのなら、今のうちに・・・・。
右手に力を溜め、赤く光る七つの棒を造り出す。
敵はこちらに気づいておらず、七支刀によって奇襲をかけるつもりだった。
《これで決まらなかったとしても、隙は出来るはず。その時にスサノオの拳で・・・。》
右手に集まった力が暴れ出し、七支刀の光が増す。
龍二は息を吐いて心を落ち着かせ、入口から顔を覗かせて七支刀を撃ち出した。
螺旋状の赤い光がスーツの男を襲う。しかしそれを見透かしていたように男は手を上げ、七支刀は巨神の口の中に吸い込まれてしまった。
「奇襲ならもっと気配を消した方がいい。さっきから覗いているのがバレバレだぞ。」
巨神はもごもごと口を動かし、七支刀の威力を倍増させて吐き出してきた。
「うおおおおッ!」
龍二は咄嗟に飛び退いた。彼の立っていた場所に七支刀が直撃し、床を抉って瓦礫を撒き散らした。
「くッ・・・視界が・・・。」
もうもうと立ち昇る瓦礫の煙で前が見えなくなり、何かに吸い寄せられるように前のめりに倒れ込んだ。顔を上げると、煙と瓦礫は巨神の口の中へと吸い込まれていて、龍二もその引力に引き寄せられていた。
限界までスサノオの力を解放して何とか持ちこたえると、男は指を鳴らして吸引を止めた。
「その身に宿る神はスサノオか。近づくのはやめた方がよさそうだ。」
奇襲はあっさりと破られ、男は虫でも見下ろすように龍二を睨む。
「ここまで勝ち抜いて来たのなら、相手の力量くらい見極められよう。
無駄な抵抗はせず、大人しく我が神に飲み込まれるがいい。」
龍二は何も答えなかった。しかしあることだけが気になって男に尋ねてみた。
「ここを精霊が通らなかったか?ウンディーネなんだが・・・。」
「知らんな。私がここへ来てからそう時間は経っていない。
それに上へ昇る道はもう一つある。全ての資格者がここを通るわけではない。」
その言葉を聞いて安心した。彼女とは絶対にもう一度会わなければならない。
その時にこそ、石碑を目指す者として何かしらの答えを見つけられるような気がしていた。
ならばここで死ぬわけにはいかない。龍二は男を睨んで拳を構えた。
「強い神だな。あんたに宿る神はなんだ?」
「光神アフラ・マスダ。善と光を司るゾロアスターの最高神だ。」
「・・・あんたの名は?」
龍二は時間を稼ごうとしていた。その間に何かしらの策を考えるつもりであった。
しかし男はそれを見透かしていて、小さく笑って腕を振り上げた。
「いくら考えても無駄だ。私に勝つ方法などない。
なぜなら私はこの日の為に準備をしてきた。他の無知な資格者どもとは違う。」
この男も知っている。クリムトと同じように、生まれ変わりの時が来ることを知っていて、だからこそ落ち着いた顔で立っている。
龍二は知りたかった。しかし普通に質問しても答えてくれる気は無さそうだった。
「なあ、一つ頼みがある・・・。」
「命乞いなら断るが・・・そういう目では無いな。言ってみたまえ。」
「もし俺があんたに勝ったら、どうして生まれ変わりの時が来ることを知っていたのか教えてくれないか?あと石碑のこともだ。誰が何を考えてあんなものを造り、どうして生まれ変わりの掟なんかがあるのか、俺は知りたい。」
男は呆れた顔で笑ったが、小さく頷いて答えた。
「いいだろう。もし君が勝ったら、何でも質問に答えよう。しかしそれは不可能に近いがね。たださっきの質問には答えよう。私の名前は鳴上。元ヨスガの諜報員だ。」
「なッ・・・。ヨスガの諜報員だと!俺と同じ国の・・・、」
「お喋りは終わりだ。詳しく知りたいなら私に勝ってみたまえ。」
鳴上は両手をふりかざし、それを合図に巨神が口を開く。
強力な引力が龍二を襲い、神の口の中へ誘おうとする。
「この程度ッ・・・・。」
龍二は再び右腕に力を集め、七支刀を放った。螺旋の光は鳴上にめがけて飛んで行くが、軌道を変えて巨神の口の中へ吸い込まれていった。
「無駄だ。私にはどんな力も通用しない。」
巨神は威力を倍増させて七支刀を吐き出した。しかし龍二はその攻撃を読んでいて、もう一度七支刀を放って自分の技を相殺した。広間を揺らす強烈な爆発が起き、眩い光が辺りを満たしていく。龍二は身を屈め、光の中を全力で駆け出した。
鳴上の立っている位置は覚えている。頭で距離を描きながら、拳を赤く光らせて敵に接近していった。そして消えかかる光の中に鳴上の姿が見え、思い切り拳を振り抜いた。
しかし拳は何の手ごたえもなく相手をすり抜け、バランスを崩して倒れそうになった。
何が起きたのかパニックになっていると、また巨神の吸引が始まって身体が宙に浮いた。
「うおおおおお!」
咄嗟に身体を捻り、巨神の顔に手足を踏ん張って吸い込まれるのを防いだが、吸引の力はどんどん強くなって龍二を飲み込もうとする。
「こんなに簡単な幻に惑わされるとは・・・よく今まで生き延びてこられたな。」
鳴上はさっきとは別の場所に立っていて、呆れた顔で龍二を見上げていた。
「ま、幻だとッ・・・。」
「私の神は光を司ると言っただろう。幻影を作り出すことなど造作もない。
そして私に牙を向く者は悪とみなし、善なる力で何でも吸引する。
スサノオの力がいかに強かろうが、私の前ではなす術など無いのだよ。」
《何でも吸収だとッ・・・。それで老人の攻撃も通じなかったのか。》
巨神の吸引はさらに力を増していく。
身体を支える力も限界に達し、右足が口の中へ吸い込まれてしまった。
《このままでは死ぬ!水の結晶はないが・・・イチかバチかで・・・。》
龍二は限界を超えてスサノオの力を解放した。胸の紋章が強く輝き、燃え盛るほど身体が熱くなる。それと比例して肉体の力も増し、片手で身体を支えて拳を振り上げた。
「もう一発喰らえッ!」
右手に力を集中させ、巨神の至近距離で七支刀を放った。
しかし案の定口の中に吸い込まれ、巨神はもごもごと七支刀を噛み砕く。
龍二はこれを狙っていた。吸引の力が止まり、その瞬間に渾身の力で拳を叩き込む。
大きく重たい音が響き、巨神の首は捻じれて口の中で七支刀が炸裂した。
龍二は空中で回転しながら着地して、再び拳を向けた。
「もう一発だ!今度は吸引出来まいッ!」
顔の吹き飛んだ巨神に七支刀が直撃し、赤い光を放って粉々に吹き飛ばした。
「よっしゃ!あいつさえ倒せば勝ったも同然だ!」
龍二は拳を構えて鳴上の姿を捜した。しかし彼の姿はどこにも見当たらず、不思議に思っていると何かが背中を貫いた。
「がはッ・・・・。」
それはレーザーだった。硬質化したスサノオの皮膚をあっさりと突き破り、龍二は血を吐いて膝をついた。
「馬鹿な・・・。巨神は倒して・・・あいつに力は残っていないはずなのに・・・。」
その時またレーザーが放たれ、龍二の胸を貫いていく。
「ごふッ・・・。」
辛うじて心臓は外れたが、肺を撃ち抜かれて大量の血が口に溢れてくる。
苦しむ龍二にレーザーの雨が降り注ぎ、身体に無数の穴を空けていく。
「ごあああああッ!」
まるで蜂の巣のように穴だらけの身体となり、龍二は虫の息となって倒れていった。
ぼやける視界の中で鳴上の姿が見え、何とか立ち上がろうとするが身体に力が入らない。
「さすがスサノオ。頑強さが取り柄のことはあるな。しかしもう立つ力は残っていまい?」
「ど、どうして・・・。俺はお前の神を倒したはずじゃ・・・・。」
「だから言っただろう。幻に惑わされていると。
あんなものは私の分身に過ぎん。ほら、このように・・・。」
鳴上が指を鳴らすと、彼の後ろに光の巨神が現れた。
それも一体ではない。三体の巨神が龍二を見下ろすようにそびえていた。
「そ、そんな・・・。神は一人に一体じゃないのか・・・。」
「ああ、その通りだ。我が身に宿る神はアフラ・マスダだけだ。
しかし私を他の資格者と一緒にしてもらっては困る。身に宿りし神の力を存分に引き出せば、この程度のことは造作もない。君はスサノオの力を半分も引き出せていないようだ。それでは絶対に私には勝てん。」
その言葉は龍二の胸を砕いた。『格が違う』、まさにそう感じた。
メリッサのくれた水の結晶に頼っていた自分では、この男には勝てない。
我が身の力が暴走することを恐れていた自分とでは、この鳴上という男は格が違う。
力の差は認めるしかなかった。しかしここで諦めるわけにはいかない。
メリッサに会いたいという想い。そして彼に勝って知るべきことを知りたいという想い。
その二つが『死』を受け入れることを許さなかった。
「ほう・・・まだ立つかね。しかしもう君に成す術はあるまい。
さっきの攻撃で死ななかったのは脅威だが、今度は確実に命を絶たせてもらう!」
鳴上は両腕を振り上げ、光の巨神に命じる。「我に牙剥く悪の命を絶て!」と。
巨神は口を開け、強烈な光を蓄えていく。レーザーの雨を降らせる為に力を溜めている。
《どうする!あの男の言う通り、俺には成す術がない・・・。どうすれば・・・。》
しかしそこでふと考えた。それはさっき鳴上が言っていた言葉だった。
『我に牙剥く悪の命を絶て』、『私の神は光を司る』
そして『我に牙剥く者は悪とみなし、善なる力で何でも吸引する』と。
どう考えてもこいつの力は強力すぎる。自分ならともかく、クリムトですら太刀打ち出来ないほどの力に思える。ならばきっと何かのカラクリが・・・・。
『悪』、『善』、『光』、『牙を剥く』、何かが繋がりそうだった。そしてその答えが見えた時、龍二にレーザーの雨が降り注いだ。三体の巨神の口から放たれる光は、龍二の姿が見えなくなるほど強烈に輝き、まるで光の柱のように降り注いだ。
しかし龍二は立っていた。強烈な光の中で何食わぬ顔をして立ち、鳴上が立つ場所とは真逆の方向に七支刀を放った。
螺旋の赤い光は何かに当たって炸裂し、途端に三体の巨神は姿を消した。
「がはッ・・・。おのれ・・・・。」
七支刀の炸裂した中から傷だらけの鳴上が出て来た。
スーツは焼け焦げ、身体じゅうから血を流して龍二を睨んでいる。
「いいヒントをありがとう。あんたの言葉が無ければ、俺は光に焼かれて死んでいたよ。」
スサノオの拳を赤く光らせ、龍二は鳴上の近くへゆっくりと歩いていく。
しかしそこに殺気はなく、そして鳴上に対して敵意も持っていなかった。
鳴上は後ずさる。光の巨神を背後に呼び出して、龍二を睨みながら後ずさっていく。
「もう無駄だ。あんたの力は、自分に敵意や悪意を持つ者にしか通用しないんだろう?」
「・・・・どうして気づいた・・・。」
「ある精霊が教えてくれたんだ。ここには『善』も『悪』もないと。
ならばあんたの言う善悪は、自分にとっての敵であるか、そうでないかが別れ目だろう?
あんたに敵意を持てば持つほど、あの光は力を増して敵を傷つけるんだ。違うか?」
「・・・ご明答だ・・・。」
「光は幻。あれは自分が生み出した殺意が自分に跳ね返ってきただけだ。
吸引だって敵意を持たない者には大した力を発揮出来ない。今のあんたに出来ることは、せいぜい分身を作って身を隠すことくらいだろう。・・・・まだ戦うか?」
鳴上は足を止め、光の巨神を消して自嘲気味に笑った。
「全て君の言う通りだ。ここに蠢く亡者も死神も、そして資格者も敵意を剥き出しの連中だ。誰もかれもが私の光に焼かれていった。カラクリを見抜かれたのは君が初めてだ。
だがッ・・・・・、」
鳴上はふらつく足で堂々と立ち、まったく怯えることのない顔で龍二を睨んだ。
「敵にトドメを刺すなら必ず殺意や敵意が必要になる。日常で刃物を振り回す馬鹿ならともかく、私達の立つここは戦場だ!ここに立つ者は皆、強い闘志を備えた戦士!
君は何の敵意も持たずに私にトドメを刺すことが出来るのかね?」
「ああ、出来るよ。」
即答だった。鳴上は不敵に笑って龍二を睨むが、彼の目が嘘を言っていないことを感じて焦りを覚えた。龍二は拳を見つめ、何の感情も無い目で淡々と言った。
「今の俺には何も無い。他の資格者達は、きっと自分なりの『意思』を持っているだろう。
だからこそ強い『意志』を持って戦っている。
しかし俺は違う。俺はただ・・・石碑で待つ女に会いに行くだけだ。
そこに何かが『在る』。彼女に会えば、きっと確かな手ごたえが掴めると信じている。」
「・・・たかが女の為に石碑を目指すと・・・?」
「悪いか?」
「・・・いいや。理由は人それぞれだ。好きな『意志』を持てばいい。」
鳴上は諦めたように力を抜き、その場に膝をついて座り込んだ。
「君は殺意を抱かぬように、頭にその女性を描きながら拳を振り下ろすつもりだろう?
なら私に防ぐ術はないな・・・・・。」
龍二は勝った。遥か格上の相手であったが、メリッサの言葉のおかげで敵の力を見抜くことが出来た。あとは鳴上の言う通りにトドメを刺すだけであったが、その前にやらねばならないことがあった。
「戦いの前に約束したな。俺が勝ったなら何でも質問に答えてくれると。」
「ああ、何でも聞きたまえ。私の知っていることなら全て答えよう。」
龍二は拳を降ろし、胸の中に渦巻く質問の数々を整理しながら尋ねた。
まず聞きたいこと。それはこの男の素性であった。
「あんたはヨスガの諜報員だと言っていたな。俺は道中でアテナイ国の軍人と会ったが、彼もあんたと同じように全てを知っているようだった。
どうしてそこまで詳しく知っているんだ?諜報員や軍人というのが関係しているのか?」
鳴上は俯き加減に笑い、傷ついた身体に手を当てながら答えた。
「知る者と知らぬ者の差。それはその国でどれだけ重要な位置にいたかということだ。
日常で平和に暮らす庶民や、階級の低い軍人には何も知らされていない。
しかし国家の機密に携わるほどの人間なら知っていることだ。
いつか来る『生まれ変わり』の兆候は世界じゅうに現れていた。異常な気候の観測、大きな力を持った謎の物体の存在、そして頻繁に現れるようになった死神。
力のある国は徹底的に調べ上げ、その謎を突きとめた。その答えが今回の歴史創始だ。
実を言うと昔からそのことについては囁かれていたが、何も確証たるものが掴めなくてね。しかし石碑を物理的に観測出来るようになってから、それは確信に変わった。」
「石碑を物理的に確認だと?それはいつのことだ?」
「二年ほど前からだ。もちろんさっき述べたことは全て内密にされていた。
それにこのことについて知る者は、本当にごく一部だ。私もそのごく一部の人間であり、自分も歴史創始を行う為に軍を離れた。追手はいたが、全員始末した。
そして我が身に宿すに相応しい神を探しあてた。それがアフラ・マスダだった。
本来この神を宿すはずだった資格者を殺し、自分の身に宿らせた。
つまり・・・歴史創始が始まる前から、私はこの力を持っていたということだ。」
「歴史創始が始まる前から神の力を・・・。しかしそんなことが可能なのか?」
そう尋ねると、鳴上は仰け反って大きく笑った。
「それこそが知る者と知らぬ者の差だ!知は力であり、行動は武器である。
最初から無理と決めつけるのは愚か者のすることだ。
あの石碑は物理的に観測出来るようになってから大きな力を発していた。
本来なら考えられない異常な出来事も、その力のせいで起こり始めていた。
死神どもが地獄の蓋から溢れたのもその為だ。奴らは封印の甘い蓋を開ける瞬間を虎視眈々と狙っていたからな。生まれ変わりは全ての常識を覆し、新しき世界へ導くための光だ。その理を知れば、誰よりも早く自分の『意思』を持つことが出来る。
そうすれば石碑の『意思』も読み取れる。選ばれる資格者が近くにいたら分かるし、アフラ・マスダが誰に目を付けているのかも分かる。私は資格者となるはずだった男を殺し、アフラ・マスダを説得した。そして神の力を得て、さらに詳しく石碑のことを調べていっただけだ。」
龍二は素直に感心していた。まさか戦いが起こる前から歴史創始の『意思』を持つ者がいるとは思わなかった。
《ならばクリムトも同じなのか・・・。彼もまた事が起こる前から全てを知っていたのか?》
だとしたらあの強さも頷ける。もし生きていたら戦うことになるはずだが、今のところ彼の生死は分からない。とりあえずそのことは頭から追い払い、別の質問をぶつけた。
「なあ、元諜報員なら円清明を知っているか?俺の父なんだが・・・。」
「・・・そうか、彼の息子か。何となく顔立ちが似ていると思っていたが・・・。
君の質問に先回りして言っておくと、彼は何も知らない。
国防隊の副司令官という高い地位に就いているが、あの手のタイプは真実を周りに知らせようとする。全てを知るごく一部の人間からは外されていたよ。」
「そうか・・・。」
それを聞いて安心した。もし清明が今回のことを知りながら何も教えてくれなかったのだとしたら、尊敬の念は疑念に変わるところだった。
龍二は鳴上の言葉を整理して頭に叩き込み、次の質問をぶつけた。
「じゃあ今度はあの石碑のことだ。ここまでの道中で石碑の役割は知ることが出来た。
しかしその成り立ちや目的はいっさい分からないままだった。
あんたなら何か知っているんじゃないのか?」
そう尋ねると、鳴上は傷ついた身体で立ち上がり、吹き抜けの天井を見上げた。
そこには強い風が渦巻いていて、遥か遠くの方に微かな光が見えていた。
「その答えはとても抽象的だが・・・構わんかね?」
「聞いてみないことには分からないな。」
鳴上は「それはそうだ」と笑い、遠くに輝く光を見つめながら言った。
「この世界とは・・・いや、存在とは何だと思うかね?」
あまりに抽象的なものの言い方に困惑する龍二だったが、鳴上はそれを予想していたように小さく笑いながら先を続けた。
「存在とは、まさしくそこに『在る』ということ。そしてそれは止まっているように見えても、絶えず動いている。もっと正確にいうなら、大きな流れを持っている。
そしてその流れが止まった時、存在は消えてなくなる。
それは無に還るのかもしれないし、どこか別の場所に行くのかもしれない。
しかし我々が、そして神やこの世界でさえも、存在の流れから逃れることは出来ない。
その流れを止めた時、それは『死』ではなく、『消失』を意味する。
私の言っている意味が分かるかね?」
龍二は黙って首を振った。あまりに抽象的すぎて、言っている意味が理解出来なかった。
「だから言っただろう。抽象的だと。」
「・・・もっと分かりやすくは説明出来ないのか?生憎こういう話は得意じゃなくて・・・。」
「・・・君は飯を食うだろう?もちろんその身体になる前の話だがね。」
「ああ、誰だって飯くらい食うだろう。それがどうした?」
「物を食べるということは、単に栄養を取るだけが目的ではない。身体を構成する細胞を、新しく入れ換えることが目的でもあるのだ。食べたものが肉体の一部となり、使い古した細胞は外へ排出される。この流れこそが命を保つものだ。もし食べるという行為を止めてその流れを絶ち切れば・・・、」
「・・・いつか死んでしまうな。」
「そう、その通りだ。そしてそれは他のあらゆることにも言えるのだ。
どんなものでも常に流れの中にあり、完全に静止することは出来ない。
今我々が立つこの世界も絶えず動いているのだ。その存在を『消失』させないように。
あの石碑は、その流れを保つ為のものだと考えればいい。」
龍二は腕を組んで考え込んだが、イマイチ要領を得ることが出来なかった。
言っている意味は分かる。しかしそれはメリッサやクリムトから聞いた話と大差ないような気がしてならなかった。
「私の答えに不服かね?」
「ああ、大いに不服だ。確かに生まれ変わりをさせる意味は分かった。
世界を『消失』させない為であると。」
そう言うと、鳴上は首を振って強く言い返した。
「違う。世界ではなく『存在』を消失させない為だ。分かりにくいかもしれないが、これは間違えてはいけない。」
「・・・・まあいいさ。今はもう一つの質問に答えてもらおう。
あの石碑は誰が用意したものだ?いったい誰が造り出したものなんだ?」
すると鳴上は肩を竦めて答えた。
「もうその質問には答えている。」
「何を言っているんだ?あんな言葉で質問を誤魔化す気か?」
「そうじゃない。私はさっき言ったはずだ。全ては流れの中に『在る』と。
これは宇宙が始まって以来の決まり事と思えばいい。ならばあの石碑は特別なものではない。そこらへんの石コロや、地を這う虫と変わらないこの世界の一部だ。
『存在』という言葉の前では、全てが等しいのだ。
あれは『存在』の始まりの時、他のものと等しく在ったものだ。」
「・・・分からない・・・。何を言っているのかさっぱり・・・。」
「ならば逆に質問しよう。君は道端に転がる石コロの『存在』を説明出来るかね?
言っておくが、石コロがそこに転がっている理由ではないぞ。
そこにある石コロが『存在』することそのものについてだ。どういう目的でこの星が出来て、どういう意味があってそこに石が転がり、存在しているのか?
そんなものは誰も説明出来ない。『存在』の『存在』を語ることなど誰も出来やしない。
ただ一つ言えることは、それぞれに役割があるということだ。
石ころも元を辿れば岩であり、その岩は山であった。山は緑を育み、生き物を育てる役割を備えている。石コロはそれが欠けたものに過ぎんから、元は山の一部として役割を持っていた。それと同様に、あの石碑も役割を持っている。
『生まれ変わりを行う』という役割をな。石碑そのものが重要なのではない。石碑の持つ役割こそが重要なのだ。だから資格者達は皆、あの石碑を目指しているわけだ。」
「・・・・・・・・・・。」
哲学的過ぎてさっぱり分からない。言葉で誤魔化されているようにも思えるが、心に引っ掛かる何かが口を噤ませていた。それにこれ以上同じ質問をしても、おそらくこの男の言うことは変わらないだろう。龍二は分からないながらも頷き、拳を光らせて鳴上を睨んだ。
「難しく考えないことだ。そこにあらかじめ意味があると思ってはいけない。
自分の立つ世界を創るのは自分自身であり、あの石碑は世界そのものを創り変えることが出来るというだけだ。ならば新しき世界の意味を決めるのは、他ならぬ自分ということだ。」
鳴上は『死』を受け入れるように龍二の前に立つ。その顔に恐れはなかった。
「世界を創るには『意思』が必要だ。意味の無いものに意味を与える。
その意味を決めるのは自分自身であり、『意思』無き者に歴史創始の資格はない。
あの石碑が君を選んだのは、ただの偶然で意味などない。そこに意味を見出すのもまた、君自身だ。」
「・・・今の俺に『意思』はない。ただ彼女に会いたいだけだ・・・。」
「ならば行きたまえ。『意思』はなくとも『意志』はあろう?
私の夢は潰えた。私の善による善なる世界を創るという夢は、『意思』無き君に潰された。
まったく無念であるが・・・・敗者は去るのが決まりだ。やりたまえ。」
龍二は頷き、メリッサのことだけを考えながら拳を振り下ろした。
鳴上は一撃で粉砕され、光の粒子となって吹き抜けの天井に吸い込まれていった。
彼に宿っていたアフラ・マスダが強い輝きを放ちながら現れ、両手を広げて叫んだ。
《我が光を宿した魂は、在るべきところへ還った。強き力を持つ資格者よ、お前はこの先どんな光を見る?》
そう問いを残し、光の柱を昇って消え去った。
龍二は拳を握って考えた。鳴上の言ったことはその半分も理解出来なかった。
しかし確かなことが一つある。
『意思を持たねばならない』
彼は言った。『決めるのは自分だ』と。
今、自分の中には何が在る?メリッサに会いたいという想い以外に、何か望むものがあるか?そして・・・もし彼女の考えに反対した場合はどうなる?
生まれ変わりの無い世界を創るのが望みだと言っていたが、彼女の『意思』に同意しなかった時、自分はメリッサと戦わなくてはいけないのか?
彼女と戦ってまで、自分が欲するものは何なのか?
全ての答えはメリッサに会うまで分からなかった。
今はただ、石碑で彼女が待つことを信じて進むしかない。
『意思』は無くとも『意志』はある。ここまで来て足を止めるわけにはいかない。
目の前には遥か上まで続く長い階段がそびえている。
途中で曲がりくねって螺旋状になっているようだが、それは頭上に輝く小さな光に続いているようだった。
「あそこが遺跡の出口なのかもしれないな。しかし難なく先へ進めるとは思えないが。」
資格者がどれだけいるのかは分からないが、残りは自分とメリッサだけということはないだろうと感じていた。まだ敵が待ち構えている。それは確信だった。
どの資格者よりも強い敵が、この階段の先に待ち受けている。
そして、それはおそらく・・・・。
「俺は強くなったぞ。もう弱者とは呼ばせない。あんたと戦う時が来たんだ。」
スサノオの力は増していた。今なら彼と戦うに値するはずだと思った。
今までのどの戦いよりも身体は熱くなり、肉体はダイアよりも硬く、鋼鉄よりも頑丈になっていた。そして右腕には七支刀を超える強い力が蠢き出していた。
「決着をつけよう、クリムト。」
龍二は拳を握り、遥か高くに続く階段を駆け上がっていった。