揚げたてのコロッケ

  • 2014.08.31 Sunday
  • 20:23


先日ドライブに行った時、道の駅でコロッケを買いました。
精肉店の揚げたてのコロッケで、美味い以外の言葉が見つからない美味しさでした。
でも揚げ物って、どうして揚げたてはあんなに美味しいんでしょうね?
一個100円のコロッケなのに、一枚1000円のステーキより美味しく感じます。
揚げ物って、揚げたての時だけはどんな料理にも勝る美味しさを持っています。
でも冷めると途端に不味くなるから不思議です。




こっちはメンチカツです。
これも揚げたてだったんですが、揚げたてのメンチカツってこの世のものとは思えないくらいに美味いです。
噛んだ時の肉汁と油、それに一気に口の中を満たす旨味。
揚げたてのメンチカツを一口食べた時、人はこの世の極楽の一つを見るのです。
値段だけが高い料理はたくさんあるけど、一個100円で人を幸せに出来る料理はそうはありません。
道の駅のベンチで揚げたてのコロッケを食べている時、この世の幸せの一つを感じていました。

稲松文具店 第十三話 北川隼人(2)

  • 2014.08.31 Sunday
  • 19:28
「誰だ?こんな時間に・・・。」
時刻は夜の十時半。やや不審を抱きながら玄関のモニターを見ると、そこには翔子が立っていた。
「なんだあいつ。こんな時間に・・・・・。」
スリッパを鳴らしてドアに向かい、外に立つ翔子を招き入れた。
「どうした?こんな夜遅くに?」
「ええっと・・・ちょっとだけ話したいことがあって・・・。いいかな?」
「別に構わんが・・・。」
居間に歩きながら手招きをすると、翔子はゆっくりと靴を脱いで上がってきた。
スーツを着ているから仕事帰りなのだろう。毎晩よく働くものだと、少し感心する。
「もう飯は食ったのか?」
「ううん、まだだけど・・・。」
「なら出前でもとるか?近くに上手いピザ屋があるぞ。」
「ありがとう。でも・・・今はいい。とても食事が喉を通る気分じゃないから・・・。」
翔子は手を組み、忙しなく指を動かす。こいつがこういうふうにモジモジとする時は、かなり厄介な話をする時のクセだ。
「まあ立ってないで座れ。」
向かいのソファを示すと、小さく「うん・・・」と呟いて腰を下ろす。その顔は暗く俯いたままで、まるで面接を受けるかのように固まっていた。
「・・・お前がそういう態度を見せる時は、とんでもなく良くない事が起こった時だ。
出来れば聞きたくないが・・・・何の話か言ってみろ。」
グラスを掴みながら指を向けると、束ねた髪を揺らしながら顔を上げた。
「あの・・・・明日の対決のことなんだけど・・・・。やめるってことは・・・無理かなと思って・・・。」
「対決をやめる?どういうことだ?」
「ごめんなさい、私から言い出したことなのに・・・。でも今は柔道で対決している場合じゃなくなったのよ。このまま放っておけば、北川家は・・・・。」
翔子は大きな目を開き、射抜くような真っすぐな視線を飛ばしてくる。
これはますます良くないな・・・。こいつがこういう目をする時は、本当にヤバイ状況になっているということだ。
「回りくどいことは嫌だからハッキリ言うね。今私達が本当に戦わなきゃいけない敵は、兄さんじゃなくて溝端さんなの。
彼女は兄さんの計画の真相をかなり前から知っていて、それをエーカクデーの社長に伝えているわ。
だからもし兄さんがエーカクデーの社長の暗殺に乗り出していたら・・・・きっと殺されていたのは兄さんの方だと思う。」
「ハッキリ言い過ぎてどういう事か分からんぞ。詳しく説明しろ。」
テーブルに酒を置き、背筋を伸ばして座りな直した。
「あのね・・・溝端さんは、今回の騒動で知りえたことを、全てエーカクデーに伝えたのよ。」
「な、なんだと!今までの事が外に漏れたっていうのか!」
「うん・・・。彼女は父に雇われたスパイだったけど、雇い主をエーカクデーの社長に変えたみたいなの。それもつい最近・・・。」
「な、なんってこった・・・。あの女め・・・・。」
思わず拳を握って顔をしかめた。俺の誘いを断ったのは、それが理由だったのか・・・。
てっきり苦労人の矜持からくるものだと思っていたのに、どうやら俺の考えが甘かったようだ。
「溝端さんは、お父さんのことを恨んでるわ。私達は裕福な暮らしをしているのに、どうして私だけこんなに貧乏だったのかって・・・。
同じ父親なのに、この差はなんなんだって・・・。だから許せないのよ、私達のことも、北川家のことも。」
「しかしあいつは父に雇われていていたんだろう?そこまで許せないのなら、最初から断ればよかったじゃないか。
いくら金を貰おうが、そこまで憎む相手を雇い主に選ぶものか?」
「・・・それは、きっと事の真相を知ったからだと思う。はっきり言って、お父さんも兄さんもすごく自分勝手だよ。
周りがいくら迷惑しようが、自分がよければそれでいいって考えてる。そういうのを目の当たりにして、溝端さんは許せなかったんじゃないかな?
こういう男たちだからこそ、自分は貧乏を強いられたんだって。」
「・・・・・・・・・・・。」
「世の中はお金じゃ買えないものだってある。溝端さんは、その事をよく知ってると思うわ。だからこそ・・・許せなかったんだと思う。
家族や仲間を平気で苦しめる兄さんたちを。彼女はすごく苦しい生活を送ってきた。
でも兄さんは何不自由なく育ってきたのに、自分の欲の為に家族まで手に掛けようとしている。お金じゃ買えないものを、その手で壊そうとしてるのよ。」
「・・・ずいぶん悪者扱いだな、俺は。」
「当たり前よ。これでもかなり優しく言ってるつもりだから。お母さんを殺すことまで企んで、あの力を自分のものにしようだなんて・・・・。
もし本気でそんなことをするつもりなら、私は兄さんを殺してでも止めるわ。はっきり言って、私はもう兄さんのことは信用できない。
家族だから我慢してるけど・・・本当なら溝端さんみたいに激しく罵ってやりたいわ。」
翔子は怒りを堪えるように息を吸い込んだ。膝の上で握った手が震え、必死に自分の気持ちを落ち着かせようとしている。
「・・・まだ続きがあるんだろ?さっさと言えよ。」
グラスを掴み、翔子から目を逸らして酒を呷った。
「・・・溝端さんは、北川家を憎んでるから復讐しようとした。だからエーカクデーに情報を渡したのよ。
なぜなら、エーカクデーの創始者、ギネス・ヨシムラも北川家のことを憎んでいるから。」
「俺達のじいさんが追い出したからな。そりゃ根に持って当然だろう。」
「溝端さんとギネス・ヨシムラは私達に恨みを持っている。二人の利害は一致してるから、手を組んで北川家を破滅に追いやろうとしているのよ。」
「その事をいつ知った?」
「昨日の夜・・・オウムから聞いて・・・。」
「オウム?オウムって、お前が俺に送ったやつか?」
「うん・・・。あのオウム、溝端さんとそっくりの口調で喋り出したの。もしかしたらと思って聞いていると、彼女の喋っていたことをたくさん記憶していたわ。だから・・・。」
「溝端の企てを知ることが出来たわけか?」
「・・・・うん。」
翔子は俯きがちに目を逸らす。相変わらず指が忙しなく動いていて、口を噤むように唇を噛みしめていた。
「なあ翔子。一つ質問があるんだが?」
「な、何・・・・?」
「お前何か隠してないか?」
「か、隠すって・・・・何を?」
「いくらなんでもオウムから情報を得るなんて無理がないか?確かにオウムは人の言葉を覚えるけど、意味なんて理解してないんだぞ。
だったらどうして都合よく人の弱みとなる言葉を覚えているんだ?」
「そ、それは・・・・。」
「俺があのオウムを飼っている時、ほとんど喋りかけたことはなかった。それにオウムが覚える言葉なんて、『おはよう』とか『こんにちわ』とか、簡単な単語くらいじゃないのか?
特別に教え込ませたんならともかく、ただ人が喋っている内容から、その人物の弱みとなる言葉を覚えたりするか?」
「う、うう・・・・・。」
「それと、どうしてあのオウムが溝端の言葉を覚えているんだ?あいつはお前が引き取ったんだろう?だったら溝端の言葉を覚える機会はないはずだ。
あのオウムは、いったいどこで溝端の喋っている言葉を覚えたんだ?」
「そ、それは・・・・その・・・・・。」
「これは俺の考えだが、あのオウムはダミーじゃないのか?本当はもっと別の方法で情報を集めたんだろう?
盗聴器か何かで俺や溝端の情報を集め、それをオウムに教え込ませただけなんだろう?」
「ち、違う!私は盗聴器なんて・・・・、」
「じゃあどうやって情報を集めたんだ?いくらなんでも、やっぱりオウムってのは無理がある。溝端の言葉を知っていたことも説明がつかんしな。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「だんまりか・・・。お前がそうやって口を噤む時は、だいたい誰かをかばっている時だ。」
翔子は何も答えない。まるで貝のように口を閉じている。こいつ・・・・やはり誰かをかばっているな。
よくよく考えればおかしなことばかりだ。いくらなんでもオウムはないだろう、オウムは。
父の前に呼び出されてオウムの言葉を聞かされた時は焦ったが、冷静になって考えればやはりおかしい。
翔子はどうにかして情報を手に入れ、それをオウムに教え込ませたのだ。そして、その情報源となる人物が、絶対にどこかにいるはずだ。
・・・・・・誰だ?
俺や溝端の情報を集めることが出来る人物なんて、かなり限られているはずだ。
最初に浮かんだのは祐希だった。
あいつはフリーのライターだし、その気になれば盗聴くらいして情報を集めるだろう。
しかし翔子の性格から考えて、盗聴器を使うなんてことを許すはずがない。
ならば、もっと正当な方法で・・いや、正当よいうより、法律に違反しない形で情報を集めたんだ。
俺達の周りでそんなことが出来る人物といえば・・・・・・冴木しかいない。
奴の超人的な記憶力なら、極秘とされる情報を外へ持ち出すことが可能だ。だからこそスパイとして雇っていたのだから。
「なあ翔子。はっきり聞くぞ?」
「・・・・・・・・・・・。」
翔子は顔を上げない。俯いたまま、じっと手を握りしめている。
「俺と溝端の弱みを握ったのは・・・・・冴木か?」
そう尋ねると、「そ、それは違う!」と強く首を振った。
「冴木君はなんにも関係ない!それだけは信じて!」
「ほんとうか・・・?」
「ほんとうよ!だって冴木君は、うちを辞めて実家に帰るつもりだったんだよ。だったらどうして兄さんや溝端さんの情報を集めるのよ?」
「ううむ・・・・まあ確かに・・・。あの冴木に俺から情報を盗み出す度胸があるとは思えんからなあ。」
「決して冴木君は関係ないわ!これだけは約束する!」
翔子は身を乗り出して睨んでくる。ここまで本気になるということは・・・・・冴木じゃあないな。
こいつは嘘を吐くのが下手だから、もし冴木が犯人ならボロを出しているはずだ。しかしそうなると・・・・いったい誰から情報を手に入れたんだ?
祐希でも冴木でもない。まさか箕輪とかいう社員でもあるまいし・・・・他に誰が・・・?
もしかして、やっぱりオウムから?
「・・・・・・・・・・・・・。」
いくら考えてもこれといった人物が思い浮かばない。しかし・・・・・まあいいか。今はそれより大事なことがある。
「なあ翔子。溝端はエーカクデーと手を組んで俺達を破滅させようとしているんだよな?」
「そうよ。北川家の秘密を世間に公表して、兄さんの計画もバラ撒くつもりでいる。」
「・・・もしそうなったら、北川一族はお終いだな。長年守り続けた秘密が、いま危機に晒されているわけか・・・。」
ここへ来て予想外の展開になってしまった。冴木をぶちのめせば終わりだと思っていたのに、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
「それで、お前は俺にどうしてほしいんだ?明日の対決をやめてまで、いったい何をさせる気なんだ?」
「兄さんにはエーカクデーの対応にあたってほしいの。もちろんお父さんと協力してね。
私は冴木君と一緒に、溝端さんを説得するから。」
「説得?何を説得するんだ?」
「決まってるじゃない。いま彼女がやろうとしていることよ。復讐なんかしたって何も変わらないんだから。」
「あいつが説得なんか聞くようなタマか。お前達は大人しくしていればいい。俺が全部カタをつけてやるから。」
そう言うと、翔子は立ち上がってテーブルを叩いた。
「そんなのダメよ!そうやってなんでも強引に解決しようとするから角が立つんじゃない!」
「ならどうしろっていうんだ!お前に溝端が説得出来るとでもいうのか?あいつは俺達のことを憎んでいるんだぞ?聞く耳なんか持つはずがない!」
「そんなことない!溝端さんはきっと私の話を聞いてくれるはずよ。この前の夜に彼女の背中を見た時、寂しさが宿っているのを感じたの・・・。
あれはきっと、出口を探してるんだわ。今の自分から抜け出して、新しい人生を始める為の出口を・・・。
だから真剣に話し合えば、きっと理解してくれるはず。私は・・・・彼女を悪い人だとは思えないから・・・。」
「ふん、人の良さは相変わらずだな。失敗すれば北川家が滅亡するかもしれんというのに・・・。」
「その原因を作ったのは、お父さんと兄さんよ。冴木君にしろお母さんにしろ、あなた達の周りの人間はみんな酷い目に遭ってる。
なのに・・・それを振り返ろうともしないで・・・。元々は全て兄さんが始めたことじゃない。だったら少しは反省して、私の言うことも聞いてよ!」
珍しく金きり声を上げて怒鳴る翔子。怒った時の顔は、母にそっくりだった・・・・。
「お父さんと兄さんは勝手過ぎる!そんなんだから、溝端さんからも恨みを買うのよ。
冴木君は・・・自暴自棄になったキリマンジャロ工業の元社長に刺された。
でも、あの時ほんとうにあの人が刺したかったのは冴木君じゃない、兄さんよ!
それを・・・全部冴木君に背負わせて・・・。お母さんだってボロボロになりながら、稲松文具の為に頑張ってきたのに・・・。
兄さんはいったいいつになったら、そういう人達の気持ちを分かってあげられるようになるの?昔はそこまで冷たい人じゃなかったのに・・・。」
最後はトーンダウンしながら座り込み、目を閉じて疲れた表情をみせた。
「明日の柔道対決で、もし冴木君が勝ったら・・・あることをお願いしようと思ってたの。」
「ある事?」
「・・・兄さんは今でこそ自信たっぷりに何でもこなすけど、昔はそうじゃなかった。
どっちかというと周りの目を気にして、自分の欠点を直そうと努力してたわ。勉強だってスポーツだって、誰にも負けないように必死に努力してたじゃない。
音楽だって、毎日ギターの練習をしてたわ。人に頑張ってる姿を見られるのが嫌だから、こっそりと隠れて練習してさ・・・。私・・・あの頃の兄さんは好きだった・・・。
どんな事でも、一生懸命頑張って乗り越えようとしていたから。」
翔子は疲れた顔で息を吐きながら、手を撫でていた。こういう疲れた顔も、母に似てきたな・・・。
「昔の兄さんは、なんにでも正面からぶつかっていったじゃない。負けてもそれをバネにして、他の人の何倍も努力して戦ってきた。
そういうのがあってこそ今の兄さんなのに、いつの間にか変わってしまったわ。ううん・・・正確には武道と出会ってからだと思う。
空手や柔道を始めてから・・・少しずつ変わっていった気がする。」
「ならお前は、俺が武道をやっていなかったら、こんな人間にならなかったと言うつもりか?
ふん、馬鹿らしい・・・。武道をやったくらいで人格まで変わるわけがないだろう。」
「違う!私が言いたいのはそういうことじゃなくて・・・・。兄さんはきっと武道に才能があったのよ。だって、他の事に比べると明らかに上達が早かったもの。
空手の黒帯だって、一年で取ったでしょ?ほんとなら三年くらいはかかるんだぜって自慢してたじゃない?」
「よく覚えてるな。」
「あの時の兄さんは、ほんとうに嬉しそうだったから・・・。でもそのせいで勘違いしちゃったのかもしれない。
今までは人より上達が遅かったから、どんな事でも必死に努力して身につけてきた。だから自慢はしても、威張り散らすなんてことはなかったし、人を見下すこともなかった。
でも武道の時はそうじゃなかった。すぐに上達するもんだから、天狗になってたじゃない。
今までは努力の積み重ねで上達してきた人が、いきなり才能のあるものに出会ったんだから・・・。でもやっぱりおかしいよ!今の兄さんは兄さんじゃない!
だから・・・もし兄さんが対決に負けたら、冴木君にその顔を覚えていてもらおうと思ったの。」
「俺の負け顔を冴木に?どうしてそんなことをする?」
そう尋ねると、翔子はゆっくりと顔を上げた。疲れと悲しみの混じった表情で、じっと俺を見据える。
「それは・・・昔の兄さんを思い出してほしかったから・・・。」
「言ってる意味が分からんな?ハッキリ要点を言えよ。」
「・・・今の兄さんは、自信過剰に成り過ぎてる。だからもし兄さんが負けたら、その顔を冴木君に覚えてもらって、あとで絵に描き起こしてもらうつもりだったの。
兄さんのことだから、絶対に負けた時の姿なんか写真に撮らせないでしょ?だから冴木君に・・・・、」
「はははは!なるほどな!俺の無様な負けっ面を絵に描いて、後から馬鹿にするつもりだったか。
翔子よ、お前にしては良いアイデアじゃないか。ただ残念ながら、俺は絶対に負けたりは・・・・、」
そう言いかけた時、翔子はまた立ちあがってテーブルを叩いた。
「そうじゃない!昔の兄さんは、負けた時はすごく悔しそうな顔をしてた。そしてその度に人の何倍も努力して上達してきたんじゃない。
だから・・・負けた時の自分の顔を見れば、昔を思い出してくれるんじゃないかって思ったの・・・。
意地悪なやり方だと思ったけど、もう私の言葉なんて全然聞いてくれないから・・・。」
ここへ来て、じわりと翔子の目が潤んだ。しかし決して泣くまいと、目を掻くフリをして誤魔化していた。
「もし対決に負けたら、兄さんには家から出て行ってなんて言ったけど、本気でそんなことは思ってない。
お父さんも兄さんも、今となってはすごく嫌いだけど・・・・心の底から憎むことなんて出来ないよ。だって・・・血のつながった家族なんだから・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
そんなことを言われても、こっちは何と答えていいのか困ってしまう。
生温いノスタルジーに流されるのはゴメンだが、翔子の気持ちは理解できる。別に自分が変わったなんて思わないが、何もかも翔子に背負わせるのは・・・ちと大人げないか。
ここは一つ・・・久しぶりに兄貴らしいところを見せてやるべきかもしれない。
「分かった。お前の言う通りにしよう。」
「兄さん・・・。」
「溝端恵子のことは任せる。何としても奴を説得して、復讐をやめさせてくれ。エーカクデーの方は、俺と父さんが何とかするから。」
「・・・・ありがとう・・・。」
翔子は顔を逸らして涙をぬぐい、気丈な笑顔で振り向いた。
「私が伝えたかったのはそれだけ。明日は冴木君と一緒に溝端さんに会うから、兄さんの方もよろしく。それじゃあ・・・。」
テーブルに置いたバッグを掴み、足早に玄関に向かっていく。
「なあ翔子。」
「何?」
「この騒動が終わったら、お前はどうしたい?俺に冴木との対決をやらせるか?」
「・・・・分からない。それは私だけじゃ決められないから。」
「なら冴木に伝えておけ。俺と戦う覚悟があるなら、いつでも相手になってやるとな。」
「・・・うん、それじゃ。」
翔子は少しだけ微笑み、靴を履いて振り返った。
その目は何かを語っているように思えて、「どうした?」と見つめ返した。
「・・・私・・・この騒動が終わったら会社を辞める・・・。そして・・・あの家からも出ようと思ってる・・・。」
今まで一番憂いのある声だった。しかし・・・強い決意を感じさせる声でもあった。
「そうか。お前の人生だ、好きにしたらいい。」
翔子は小さく頷き、ドアを開けて出て行った。
「やれやれ・・・いきなりやって来て、とんでもない話をしていきやがった。」
寝る気はすっかり削がれ、また酒を注いで呷り出す。
「翔子は・・・逞しくなったな。それに比べて俺は・・・・分からんな。今の俺が正しいのかどうかなんて、考えた事もなかった。」
翔子の言葉は、少なからず俺の心を揺らした。感傷に浸るのは好きではないが、たまには自分と向き合ってみるのもいいかもしれない。
ひたむきに努力をしていた昔を思い出し、グイと酒を呷った。

これぞメカデザインの極み!カッコよすぎるぞゾイド

  • 2014.08.30 Saturday
  • 18:18
ロボットをメインに据えたアニメ作品といえば、まず出てくるのがガンダムでしょう。
世代によってはマジンガーZや鉄人28号を挙げるかもしれないですね。
どのロボットもよく出来ていて、アニメの中で大活躍します。
ロボットというのは、いわゆるメカですから、とにかくデザインが重要になります。
人間がキャラクターなら見た目がダメでも中身で勝負することが出来ますが、人格を持たないロボットの場合はそうはいきません。カッコよくないロボットなど、誰も振り向いてくれないのです。
しかし上記の三つは、長い時間を経て古臭さも出てきました。
もちろんそれを味に感じる人もいるでしょうし、ガンダムは新しいシリーズになる度に、現代に合わせたデザインに変更されます。
だがしかし!三十年の時を経ても、まったく色褪せないデザインのロボットがいます。
その名はゾイド!動物や恐竜をモチーフにしたロボットで、昆虫や魚タイプのものまでいます。
中には芋虫なんてのも・・・・・・。
しかし芋虫ですらカッコいいのがゾイドの魅力!
他のロボットがあくまで造形美に終始しているのに対し、ゾイドは機能美と造形美、両方を完璧なレベルでまとめています。
ゾイドが他のロボットアニメと違うのは、元々はオモチャありきで発売されたということです。
最初にプラモデルが発売され、その中の説明書にストーリーが書いてあるのです。
舞台は地球から六万光年離れた、惑星Ziという星。
この星には金属生命体であるゾイドが棲んでいて、やがて兵器として改良され、戦争に使われるようになりました。
ちなみにこの原因を作ったのは地球人です。宇宙を航行中に惑星Ziに降り立ち、自分たちの武器と、惑星Ziのゾイドを交換したのです。
おかげでZiでは戦争が起きました。中央大陸に位置する、ヘリック共和国とゼネバス帝国が、ゾイドを兵器として改良してしまったからです。
ゾイドにはいくつかシリーズを代表する機体がいます。
まずはヘリック共和国の主力メカ、ゴジュラスから。
こいつはティラノサウルス型のゾイドです。ティラノサウルス型のクセに、直立で立っているあたりに時代を感じます。
なぜなら三十年も前にデザインされたものだから、まだティラノサウルスが直立で立っていると思われていた頃だからです。
図鑑にはチラノザウルスとか書いてありましたね。いつの間にかティラノで統一されましたけど。
ゴジュラスは白いボディに、強靭な顎と爪を持っています。そして当時のゾイドとしては最大級の大きさで、コイツに勝てるゾイドは見当たりませんでした。
そしてこのゴジュラスに対抗する為に、ゼネバス帝国はアイアンコングを生み出しました。
コングの名前がつくとおり、ゴリラがモチーフになっています。
ゴリラがロボットって(笑)と思われるかもしれませんが、侮るなかれ。アイアンコングのデザインは、三十年たった今でもまったく古臭さを感じさせません。
黒いボディに赤いライン、大きな腕に岩のような拳。それに背中にはミサイルランチャーを搭載していて、まさにゴジュラスのライバルに相応しい機体でした。
ゴジュラスとアイアンコング、この二体はゾイドを語るうえで決して外せない名機なのです。
どちらも脳汁がドバドバ溢れるほどカッコよく、見た目だけじゃない美しさ、それに息を飲む迫力を持っています。
その次に紹介したいのがディバイソンです。コイツもその名のとおり、バイソンがモチーフになっています。
頭には大きな角が二本生えていて、背中には36門突撃砲という大砲群を搭載しています。
そのボディはガッチリとしていて、いかにもパワーがありそうです。ディバイソンは正面から突撃することだけを考えて作られたゾイドだけあって、いかにも武骨で漢臭いデザインをしています。無駄のない武装に、無駄のないデザイン。
これもまたゾイドの魅力です。
次はダークホーン。コイツはサイをモチーフにした機体で、逞しいボディに大きな角を一本持っています。
そして背中に巨大なガトリングガンを搭載しているんですが、まあそのカッコいいこと。
移動要塞と称されるくらいにしっかりとしたゾイドで、戦うだけでなく指令器として活躍することも出来ます。
そしてそして、次が私の一番好きなゾイドなのですが、コイツはトリケラトプス型の超大型ゾイドです。
名前はマッドサンダー!どのゾイドよりも分厚い装甲を持ち、頭部には身体の長さに匹敵するほどの二本の角を持っています。
この角はマグネーザーという武器で、ドリルのように回転して敵を貫くのです。
しかも折れても自己再生して元に戻ります。このマグネーザーのおかげで、帝国最強ゾイドであるでデスザウラーを倒しました。
マッドサンダーの最大の魅力は、そのパワーと頑丈さにあります。
ゾイドシリーズの最強兵器である荷電粒子砲を難なく受け止め、通常兵器では傷つけることすら敵いません。
しかも帝国最強のデスザウラーをいとも簡単に貫くパワー。
マッドサンダーのデザインからは、この機体の持つ凄みが充分に伝わってくるのです。
ゾイドというのは、決して見た目だけのカッコよさを良しとはしません。
いかにその機体の特徴や迫力が伝わるか、いかに機能美を感じさせるか。そういう点に重点が置かれているのです。
他のロボットのシリーズのように、ただただ造形だけを追及したわけではないのです。
そもそもデザインとは、見た目を意識することでありません。
その物体の内面にまで及ぶ、ある種のアイデンティティーを感じさせてくれる形や色のことなのです。
虎やライオンがカッコいいのも、日本刀や甲冑が美しいのも、すべては機能を追及していった結果です。
本当のデザインというのは、成るべくしてその姿になっていることだと思います。
そしてゾイドのデザインは、まさに成るべくして成った姿なのです。
時代の流行りや安直な見た目に左右されず、例え架空のメカであっても、機能をよく考えて作られたデザインです。
だからどれだけ時間が経っても色褪せることはないし、むしろ時代の振るいにかけられるほどカッコよく見えてきます。
上記で紹介した以外にも、カッコいいゾイドはたくさんいます。
水陸両用のシーラカンス型ゾイド、ウォディック。水空両用のエイ型ゾイド、シンカー。
それに武骨ながらも愛嬌のある、プテラノドン型のサラマンダー、芋虫がモチーフなのに、機能美の為に美しく感じるモルガ。
もう書き上げればキリがありません。
私は男のクセに、ほとんどメカに興味がありません。車もバイクも、そしてガンダムさえそこまで興味がないのです。
だけどゾイドだけは、いつ見てもカッコいいと思うのです。
見た目だけじゃないカッコよさが、ゾイドたちからにじみ出ていますからね。
私はゾイドこそが、架空のロボットにおける最高のデザインだと信じています。
異論反論のある方はいらっしゃるでしょうが、この信念だけは揺るぎません。
ゾイドのプラモデル、一体でいいから部屋に飾ろうかな・・・・・。

稲松文具店 第十二話 北川隼人(1)

  • 2014.08.30 Saturday
  • 17:03
虫どもが動いていることは知っている。俺の計画を阻止する為、力のない者が集まって涙ぐましい努力を続けているのだ。
かつての恋人、祐希。販売所の社員、箕輪。血のつながった実の妹、翔子。そして・・・・あの頼りない青年、冴木晴香。
誰もかれもが取るにたらない存在で、雑魚がいくら集まったところで結果は見えている。
「アホな奴らだ・・・俺が負けるものか。」
社長室の机に足を乗せ、脆弱な者たちの顔を思い浮かべる。
祐希が敵に回ることは意外ではなかった。彼女が俺に敵意を持っているのは知っていたし、あの性格から考えれば、いつ牙を剥いてもおかしくなかった。
それに翔子の裏切りも予想していた。あいつは母に似て正義感の強いところがあるから、もし真相を知ったら敵に回ると分かっていた。箕輪という社員はよく知らないが、まあ知る必要すらない相手だろう。
しかし意外だったのは、あの冴木晴香が敵に回ったことだ。
人並みはずれた超人的な記憶力を持ち、それを正確に絵に描き起こす力は素晴らしい。
だが・・・中身が脆弱だ。とても誰かと戦えるような気性の持ち主ではないし、強い者には尻尾を振るタイプだと思っていた。
「あの記憶力意外は役立たずのクセに・・・何を勘違いして俺に挑んでくるんだか・・・。」
馬鹿らしくなって小さく笑い、手に持ったペンをクルクルと回した。
翔子は柔道対決などという子供じみた提案を持ちかけてきたが、そんなものはいくらでも潰しようがある。この会社の無能の重役どもは、完全に俺の言いなりなのだ。だからいくらでも裏の手を使うことが出来る。
本来ならばすぐにあの虫どもを叩き潰したいが、そうもいかない理由が目の前にいた。
・・・溝端恵子・・・・。
父が雇った女スパイが、ソファに座ってスマホをいじっている。どこへ行くにもついて来て、俺の行動を逐一監視する厄介な女だ。彼女が父の雇ったスパイだと知った時は驚いたが、言われてみれば・・・まあ納得も出来る。
父は俺と似ていて、目的を達成する為ならば手段を選ばないところがある。周りには人格者で通っているが、あの人が社長職に就くまでに講じた数々の非道を、俺はよく知っているのだから。
「血は争えないよな・・・。俺はあの人の子供だ。そして・・・この女も。」
小さく呟きながら立ち上がり、横目で溝端の様子を窺う。
彼女もまた、あの父の子だ。だったら金で動く人間だという事も理解できる。
きっと父は彼女に大金を積んだのだろう。そうでなければ、俺へのスパイなどと危険な事はしないはずだ。
《・・・この女さえいなければ、今すぐにでもあの虫どもを潰せるのに・・・・。》
溝端恵子は父の雇ったスパイ。ならばここで下手を動きを見せれば、すぐにこちらが不利になる。なんとかこの女を消したいが、今の状況はでは危険過ぎる。
ならば取る手段は一つ。俺が溝端を雇い直せばいい。
父よりももっと多額の報酬を渡せば、彼女は俺に味方するはずだ。そうなれば、わざわざ柔道対決などする必要はない。俺が冴木に負けるとは思っていないが、物事にはマグレというものがある。
だからあんなチンチクリンの童貞男と、わざわざ戦う必要はないのだ。
「なあ、溝端さん。」
「何?」
「・・・君、雇い主を変えてみないか?」
俺は満面の笑みで近づき、彼女の向かいに腰を下ろした。
「父がいくらで君を雇ったのか知らないが、俺はその二倍・・・いや、三倍の報酬を約束しよう。だからどうだ?俺を雇い主に変えてみる気はないか、んん?」
こいつは金で動く人間だ。俺や父と同じように、そういう歪んだ目をしている。ならば雇い主を変えることに迷いはないはずだ。
「・・・どうだ?もし良い返事をくれるのなら・・・・報酬の他に車とマンションも買ってやろう。君は翔子や祐希に味方をしているわけじゃないはずだ。ただ金をもらって動いている。
ならば合理的に考えて、ここは雇い主を俺に変えるべきだと思うが・・・・どうだい?」
「そうねえ・・・・三倍の報酬に車とマンションかあ・・・。」
スマホをいじる手を止め、ボケっと宙を睨んでいる。
《・・・いいぞ、少ない脳ミソでしっかり計算しろ・・・。目の前の餌に飛びつき、俺に尻尾を振るんだ。
そうすれば、約束は必ず守ってやるさ。金も車も、そしてマンションも買ってやる。ただし・・・・その後の身の保障はしないがな・・・。》
こういう輩は、いつどこで人に喋るか分からない。事が終われば用済みなわけで、生きていてもらっては困るのだ。
「溝端さん、決断は早い方がいい。俺は明日、馬鹿な虫ケラどもと戦わなければならんのだ。
そして・・・俺は必ず勝つ!冴木みたいな女も知らん青臭いガキに、負けるわけにはいかないからな。
そうなれば、俺は確実に君を処分する。北川一族の秘密を知り、俺にスパイをした女を・・・・絶対に許すことはない。
だから俺に乗り換えろ。これは金の為だけではなく、君の保身の為でもあるんだ。あまり時間はないから、今ここで決断してもらいたい。」
膝の上で拳を握り、威圧するように睨みつける。すると溝端は、足を踏みならして可笑しそうに笑った。
「あはははは!あんたに乗り換えろって?ないわ〜、それはないわ〜。」
「・・・なぜだ?俺に乗り換える事にデメリットなんてないはずだ。それにこのまま父に雇われていると、君自信が危険に晒されるんだぞ?」
「だから?」
「だからって・・・・。君は金が欲しいんじゃないのか?」
「そうよ。」
「ならどうして俺を笑う?君は俺と同じ種類の人間のはずだ。金や物に執着し、自分のことだけを考える。きっとそういう人間のはずだろう?」
人の性格は目に表れる。だから溝端の人間性は誤魔化せない。どんなに表面を良く見せようが、同じ種類の人間の目は欺けないのだ。
「もし意地を張っているのなら、やめた方がいい。君みたいなタイプは、変に正義感や道徳感を持つと、すぐに身を破滅させるぞ。
今までの人生だって、きっと他人を利用して生きてきたはずだ。周りにバレたら、ブタ箱行きのことだってしてるんじゃないのか?」
「やってるわよ。金持ったアホな男たちを脅して、大金を稼いでたもの。でもね、これだけは言っとくわ。あんたと私は同じじゃない。
例え同じ種類の人間だとしても、歩んできた道は正反対よ。」
「・・・どういうことだ?」
そう尋ねると、溝端は腕を組んで睨み返してきた。
「あんたと私は、同じ父を持つ兄妹よ。こんなに大きな会社の、たくさんお金を持った立派な社長の子供だった。なのに・・・・あんたは貧乏を知らない。
食べ物にも着る物には困ったことはなくて、生きていく為に自分を売ったことなんてないでしょ?でも私は・・・・自分を売るしか生きていく方法がなかった。
あの貧乏な家を飛び出し、学歴も特技もない一六の女が生きていく為には・・・手段なんて選んでられなかったのよ。この気持ち・・・・あんたに分かる?
同じ父親を持ってるのに、一方な何不自由ない暮らしをして、もう一方は不憫な生活を強いられる。だからあんたと私は同じじゃないわ。
辿った道が違えば、見えてくるものだって変わる。そいつがどんなに腐った人間か・・・私の鼻は嫌でも嗅ぎわけるから。」
溝端は無機質に言い放ち、またスマホをいじりだす。
・・・なるほど・・・。過酷な人生を歩んできた者には、それなりの矜持があるらしい。
いくら金が欲しかろうが、気に食わない者には尻尾を振らないというわけか。・・・まあいいさ。そこまで意地を張るなら、事が終わればすぐに消してやる。
「残念だが・・・・それが君の答えなら仕方がない。しかし後で悔やんでも知らないぞ?
泣きついてくる人間にチャンスを与えるほど、俺はお人好しではないからな。」
「ゴメン、今スマホのゲームやってるから黙ってて。あんたの声耳についてウザいから。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
《クズめ・・・・。事が終わったら、いの一番にお前を処分してやる。》
俺は舌打ちをして椅子に座り、じっと溝端を睨みつけていた。


            *


家に帰ってからは、少しばかり身体を動かした。
柔道は得意だが、ここ最近は仕事が忙しくて稽古が出来なかった。よもや冴木に負けることはないだろうが、念には念をだ。
『常住坐臥闘い』
武道の精神は経営に通じるところがあり、常に戦いの準備を怠ってはならない。だからいかに冴木のような弱者が相手でも、決して気を抜いてはいけないのだ。
軽く腕立てを三百回こなし、腹筋背筋ともに四百回をこなし、少し身体が温まってくる。
その後も懸垂やスクワットで身体をほぐし、マンションに呼び寄せた柔道家と乱捕りを行った。
しばらく怠けていたせいでかなり投げられてしまったが、それでも一時間もすれば勘が戻ってくる。俺の得意の内股が綺麗に決まり、続いて寝技の練習にも入った。
送り襟締めや腕ひしぎ、抑え込みの練習にも力を入れた。特に締め技に関しては重点的にやった。冴木に技を教えているのは祐希だから、かならず締め技を使ってくるはずだ。
アナコンダ祐希の名は伊達ではなく、俺でさえも柔道では奴に負け越している。しかも毎回失神させられて・・・・。
だからこの戦いは、祐希へのリベンジでもある。この俺に喧嘩を売ったことを、身をもって後悔させてやるのだ。
久々の稽古で戦いの勘を取り戻し、技にもキレが戻ってきた。これならもう冴木に負ける要素はない。あいつがいかに攻めてこようと、俺に土を付けることは絶対に出来ない。
対決は明日の朝。近くの中学校の道場で行われる。
あまり疲れを残すわけにもいかないので、キリのいいところで稽古を終えて風呂に入った。
「ふう・・・・久々にいい汗をかいた・・・。この騒動が終わったら、また鍛え直さないとな。」
いい感じで張った筋肉をパンと叩き、肩まで湯船につかる。じっと目を閉じて快楽に身を任せ、少しだけ昔を振り返った。
幼いころから目立つことが好きで、学業でもスポーツでも上位に来るように努力した。
友達との遊びも惜しみ、ひたすら自分を磨くことに没頭してきた。
自分の為に頑張ること。これは何ともいえない快感だった。
他人が無駄な時間を過ごしている間に、自分はどんどん成長していっている。そう思うと、何ともいえない優越感に浸れたのだ。そして、俺の努力というのは必ず報われた。
無能が努力してもたかが知れているが、能力のある者が努力を積み重ねれば、常人が到達できない所まで登ることが出来る。
だから小学校や中学校では、俺に並ぶ奴など誰もいなかった。しかし高校に入ると、少し事情が変わった。
学業やスポーツの他に、音楽や絵といった特殊な力を発揮する奴らが現れたのだ。
バンドを組んだり、マンガを描いてみたり、中には高校生で将棋のプロとして活躍する者もいた。別にそういう才能を羨ましいとは思わなかったが、俺より目立つのには腹が立った。
だから俺もバンドを組み、必死にギターの練習をしたのだ。
だが・・・すぐに飽きた。
俺はやると決めたらやる性格だから、他の誰よりもギターの練習をした。
するとメキメキと腕を伸ばし、校内で俺に並ぶ者はいなくなった。
腕試しにと出てみたバンドのイベントでも、俺より上手い奴はいなかった。
高校生なんてのは単純なもので、顔がよくてギターが上手ければ、ワイワイと騒ぎたててくれる。とくにアホな女子どもはキャーキャー喚いて群がってきたものだ・・・。
だから・・・飽きた。
こんな楽器が上手く弾けたところで、それがいったいに何になる?音楽や絵が上手くて、いったい何になるというのだ?そう思うと急に冷めてきて、すぐにバンドを抜けた。
そして学業とスポーツに力を入れ、将来身になることで目立つようにしようと思った。
スポーツは色々とやってみたが、あまりピンとくるものはなかった。
確かに楽しさややりがいはあったが、どうも絵や音楽と同じように思えて仕方なかった。
こんな事をやって、いったい何になるのかと・・・・。
だがそう思っている時に、武道と出会った。最初に始めたのは空手だった。これにはハマった。そしてその後に始めた柔道には、もっとのめり込んだ。
武道の哲学や精神性が、俺の性に合っていたのだ。いつでも敵と戦える心構えを持つことや、常に戦いを意識して準備を怠らないこと。
とくに宮本武蔵の書いた五輪の書には、凄まじいインパクトを受けたものだ。食事中の箸の上げ下げにまで意識が配られ、常に戦いというものを考えている。
素晴らしいと思った。これが・・・こういう思想こそが、俺の求めていたものだと。
それからは目立つことには興味が無くなった。それよりも、もっと自分にとって価値のあるものが存在するはずだと思った。
必死にそれを探しまわった挙句、辿り着いたのが北川家の力だった。昔からあまりに身近にあり過ぎたせいで、すっかり見落としていた。
しかしよくよく考えれば、こんなにすさまじい力は無いのだ。
ならば・・・この力を我がものにすれば、俺にとってより価値のあるものが手に入るはずだと思った。
俺の最終目標は、北川家の力ではない。あの力を手に入れてもっと高みに登り、自分にとってより価値のあるものを見つけたいだけなのだ。
だから・・・ここで邪魔はさせない。俺はまだまだ進化の途中で、誰も並ぶことが出来ない境地まで到達しないといけないのだから。
だから必ず冴木をぶちのめし、虫どもの力が俺に及ばないことを知らせなければ。
「冴木も、祐希も・・・箕輪とかいう女もタダではおかん。しかし・・・翔子をどうするか・・・?俺に逆らったのだから、それなりの罰は必要だが・・・・難しいな。」
翔子のことは昔から可愛がってきた。
それは妹だからということもあるが、それ以上にあいつの能力の高さを認めていたからだ。
かなりトンチンカンな言動をすることもあるが、それでも優秀なことに変わりはない。
あの若さながら、実力で課長の椅子を勝ち取り、新製品のアイデアもバンバン出してくる。
それに物怖じしない性格の為か、重役連中にもしっかりと自分の意見を通す。
プレゼンではこの俺を論破し、有無を言わさず納得させたこともあった。
「あいつは・・・なるべく手元に置いておきたいな。これからもっと成長するだろうから、是非俺の右腕として働いてもらいたいのだが・・・。」
あれだけ優秀な部下は滅多いにいない。しかし翔子は俺のことを嫌っているだろう。
今までは尊敬の念を抱いていたはずだが、事の真相を知って気持ちは変わったはずだ。
「まあいい・・・。翔子のことは追々考えるとしよう。」
風呂から上がり、寝巻のジャージに着替える。ほんとうはガウンでも着ればカッコイイのかもしれないが、どうもこのクセだけは抜けない。
居間でテレビを見ながらくつろぎ、お気に入りの紹興酒を飲みながら明日の事を考える。
《相手は柔道の初心者で、これといってプランを立てる必要もないだろう。少しゆさぶってやれば隙を見せるだろうから、得意の内股で倒してやればいいだけだ。
そしてわざと一本にならないように転がし、寝技で失神させる。まあ・・・長くて一分もかからんだろうな。すぐに終わるさ。》
いつもは三杯飲む酒を一杯だけに控え、早々に眠りにつくことにした。そして電気を消し、ベッドに横たわった瞬間にチャイムが鳴った。
「誰だ?こんな時間に・・・。」
時刻は夜の十時半。やや不審を抱きながら玄関のモニターを見ると、そこには神妙な顔をした翔子が立っていた。

足元

  • 2014.08.29 Friday
  • 20:54












自分が立っている足元を意識する人は少ないでしょう。
足元に目を向ければ、そこには空とは違う景色が広がっています。
私は空を見るのが好きですが、空ばかり見ているのは嫌いです。
どちらかというと、足元を見ていることの方が多いです。
アスファルトの硬さ、砂利の音、草の感触、靴を履いていても、しっかりと感じることが出来ます。
空ばかり見ていると、自分がどこにいるのか分からなくなります。
空はどこで見ても同じで、まるで空想の世界にいるような、現実感の無い感じになってしまいます。
足元を見れば、おのずと自分の立っている場所が分かります。
現実の世界の到来です。
現実から乖離した心持ちの私には、足元を見つめるのは良い薬になるのです。
頭の上には何も無く、足元から伝わる感触だけが、自分の立つ世界を教えてくれます。


稲松文具店 第十一話 冴木の決意

  • 2014.08.29 Friday
  • 08:55
ケータイ電話の向こうから、ネチネチと嫌味の声が聞こえて来る。
『いきなりキャンセルなんて言われても困るんですけど。もう家の前まで来ちゃったし・・・。』
引越屋は怒りのこもった声でグチグチと攻めたててくる。俺は電話を握ったままひたすら頭を下げ、なんとか引越の予定をキャンセルしてもらった。
「はあ・・・なんで俺が怒られなきゃいけないんだよ・・・。」
ケータイをテーブルの上に置き、柔道着を脱いで私服に着替えていく。そしてペットボトルの蓋をあけて、ボケっとしたままスポーツドリンクを飲み下した。
「こんなに運動したのは何年ぶりだろう?けっこう気持ちいいもんだな。」
運動不足の割にはよく動けたと思うが、それでも筋肉はパンパンに張っている。明日は確実に筋肉痛がやってくるだろう。
「まあいいや。課長の話を聞いて、俺も社長と戦う決心がついたしな。あの若手社長・・・裏でとんでもないことを考えていたんだな。」
ペットボトルの蓋をしめ、背伸びをして首を回す。
そしてテーブルの上に腰掛けて、課長から聞いた話を思い出した。


*******


祐希さんと柔道の練習を終えたあと、箕輪さんが課長をつれて戻ってきた。
課長は相変わらず眩しい笑顔を振りまき、良い匂いのするハンカチで俺の汗をぬぐってくれたのだ。
「冴木君・・・ごめんね。また君を巻き込んじゃって・・・。」
課長は憂いのある顔で俯く。ううん・・・この顔で喪服を着ていたら、うら若き未亡人って感じだな・・。ていうかこれ、前にも想像したっけ?
するとまた箕輪さんにおでこを叩かれてしまった。
「エロい顔してんじゃないわよ、さっきまでへばってたクセに。」
「箕輪さん・・・いちいち叩かないで下さいよ。けっこう痛いんだから、それ。」
畳に手をついて身体を起こし、ギュッと帯を締め直す。
すると課長も立ち上がって俺を見つめた。
「きっと分からないことだらけで混乱してるよね。」
「ええ・・・まあ・・・。大筋のことは祐希さんから聞いたんですが・・・。」
「でもまだ要領を得ない部分があるんでしょ?だから・・・ちゃんと説明するわ。
そして全てを知った上で、もし協力するのが嫌なら・・・その時は断ってくれても構わない。最後は冴木君が決めて。」
そう言って課長は俺の手を取り、力強く頷きかけた。課長・・・なんだかちょっとだけ逞しくみえるな・・・。
「さ、さ、じゃあ詳しい話は更衣室でしてちょうだい。今からこの子たちの稽古をしなきゃいけないから。」
祐希さんは指で更衣室を示し、スタスタと黒沢君達の方へ歩いていった。
「コラ!踏み込みが甘い!そんなんで投げらるか!」
ドスの利いた声で怒鳴りつけ、柔道部の少年たちはビクっと肩をすくめた。
「鬼コーチだな・・・ありゃ。」
俺もブルリと震え、課長に促されて更衣室の中に入って行った。
「うわあ・・・汗臭・・・。消臭くらいしようよ・・・。」
箕輪さんは鼻をつまみ、窓を開けてパタパタと手を振る。俺は課長が座る椅子を引き、「どうぞ」と頭を下げた。
「ありがとう。冴木君も座って。」
俺はササッと回って腰を下ろす。
「祐希さんからはどこまで聞いてる?」
「ええっと・・・北川一族の秘密のことと・・・そして社長が黒幕だってことです。」
「そう・・・。じゃあなぜ社長が黒幕かってことはまだ・・・。」
「聞いてません。それになんで柔道をさせられているのかも・・・。」
そう・・・まだまだ分からないことだらけなのだ。それを説明する為に、きっと課長はここへやって来たんだろう。
「今から全てを冴木君に教えるわけだけど・・・絶対に他言しないって約束できる?」
課長は真剣な目で念を押してくる。それはいつもの顔とは違い、一切の優しさが消えた厳しい表情だった。
「もちろんです。誰にも喋ったりしません。」
「分かった。それじゃあ・・・・、」
それから課長はポツポツと語り始めた。最初は躊躇いがちにだったけど、最後の方は熱のこもった口調になっていた。課長の話はずいぶん長かったけど、それは途中で俺が質問を挟んだり、箕輪さんが余計な合の手をいれたからだ。
そのせいで引越屋にキャンセルの電話を入れることになってしまったんだけど、まあそんなことはどうでもいい。
課長の話は次のようなものだった。
稲松文具の社長、北川隼人は実に欲深い人間で、かなり前から社長の椅子を狙っていた。
だから当時の社長である父親の弱みを握り、それをネタに脅しをかけて社長の椅子を退かせた。その弱みというのが、まあお決まりの愛人だの浮気だのの、しょうもない話だ。
しかしその話を母に聞かせればどうなるか?
ボロボロになるまで稲松文具の為に力を使ってきた母。それは一重に夫の事を愛していたからだ。昔っから籠の中に閉じ込められて生活してきたせいで、社長の母はかなり世間知らずなところがある。
およそ青春なんてものを経験していないから、恋だの愛だのに関してはとにかく疎い。
だから自分の事を愛してくれる夫には、絶対の信頼を置いている。浮気などするはずがないし、決して自分を裏切るようなマネもしない。
人並みの生活を送らせてもらえなかったせいで、有り得ない幻のような愛を信じ込んでいた。それゆえに会社の為に力を使ってきたわけだが、もし夫の浮気を知ればどうなるか?
きっと深く傷つき、もう二度と稲松文具の為に力を使うことはなくなるだろう。
そのことを危惧した当時の社長は、息子の脅しに屈して社長の椅子を明け渡した。肩書きだけの会長職を与えられて・・・・。そして現在の社長、北川隼人は、あの手この手を使って重役の弱みを握り、かなり強引な手段で社長の椅子におさまった。
ワンマン経営なやり方に不満を抱く重役たちは、自分にも後ろめたいところがあるから何も言えないわけだ。
しかしこの時、事態はすでに動き始めていた。なんと北川隼人は、稲松文具の株を土産に、エーカクデーに近づいていったのだ。
その目的はただ一つ。北川一族の力を、完全に我がものにする為だった。
隔世遺伝で引き継がれるこの能力は、ある条件を満たすと男にも発現することがある。
過去に一度だけ、男にこの能力が備わったことがあるそうだ。
しかし当時の経営者達が不吉だと騒ぎ出し、その子を一族から追い出してしまった。
本当は殺されるはずだったが、彼の母が必死にかばって逃がしたそうだ。
そして男にも能力が発現する条件とは・・・・今現在能力を持ってる人間が死に、後継ぎとなる女性がいない場合だ。
これはどういうことかというと、北川一族の力は、絶対に隔世間で発現するようになっている。そして同じ時代に二人の能力者が現れることは、ある例外を除いてほとんどない。一人この力を持つ人間がいれば、その者が死ぬまで絶対にこの力を持つ者は現れない。逆も然りで、北川一族はいつの時代でも、この力を持たない人間はいなかったというこだ。
だから生まれた時は普通の人間でも、この力を持つ者が死ねば、後天的に特殊能力が発現するようになるというわけだ。
北川一族には代々この力が宿っていて、女性が中心の社会となっていた。男はみんな外からやってきたマスオさんで、男にこの力が受け継がれることはまずない。
しかし・・・・・もし女の子が生まれなかったらどうなるか?必ず隔世遺伝で引き継がれるこの能力だが、次の能力者となる女の子がいない場合・・・・それは男が力を受け継ぐことになる。そして男がこの力を受け継ぐことは、北川一族の間では禁忌とされているのだ。なぜならそれは・・・同時に二人の能力者が現れる可能性があるからだ。
男がこの力を引き継いだ場合、後に女の子が生まれると、その子にも力が発現する。
これはもう、北川一族にとって危険極まりないことなのだ。二人の能力者が現れるとなると、その秘密が外に漏れる可能性が高くなる。それに男というのは、特別な才能を持つと野心を抱く。だから・・・過去に一度だけ生まれた男の能力者は、その力を使って自分の会社を立ち上げた。母にかばわれて一族から逃れ、アメリカに渡ってエーカクデーという会社を創ったのだ。男としての野心と、北川一族への復讐の意味もこめて・・・。
一族の人間は、エーカクデーの創始者が能力者であることを知っていた。そしてその秘密の拡散を防ぐために、何度も話し合いの場を設けたらしい。エーカクデーが経営危機に陥った場合、無償で資金援助をすること。それとエーカクデーという会社を守る為に、決して競合相手となるような経営はしないこと。
エーカクデーの創始者と一族の間だけで、そういう密約が交わされたのだ。ここで重要なことは、この密約が交わされた時、この世には二人の能力者が存在したということだ。
エーカクデーの社長と、北川隼人の母だ。
だから北川隼人が力を手に入れる為には、この二人を殺さなければならない。
まずはエーカクデーの会長、ギネス・ヨシムラを暗殺する為に、株を手土産に接近した。
ギネスは今でも一族に恨みを抱いているから、喜んで株を受け取った。北川隼人の本当の狙いも知らずに・・・。そしてもし彼が殺されたら、次は母親である。
二人の能力者がいなくなれば、その能力は別の人間に引き継がれる。だから北川隼人は、一族には内緒で子供を作った。隔世遺伝で引き継がれる能力を継承させる為に・・・。
そして力を受け継いだ子供を操り、北川家の力を完全に自分のものにしようと企んだわけだ。
全ては北川隼人が計画したこと。エーカクデーはただ株を受け取っただけで、スパイなど送り込んでいない。そして稲松文具の乗っ取りも考えていない。ただ北川隼人の指示にしたがって動いているだけにすぎないのだ。
だったらどこからスパイなどという話が出て来たのか?それを尋ねると、課長は詳しく語ってくれた。
そしてそれを聞いた俺は、腰が抜けそうなほど驚いた。なぜなら・・・・スパイだと思われていた人物は、あのアラサー毒女の受付嬢である、溝端恵子だったからだ。
しかしもっと驚いたのはその後だ。彼女は稲松文具の会長に雇われた、味方のスパイだったのだ。息子の卑劣な罠で社長の座を追われた会長は、徹底的に息子のやろうとしていることを調べ上げた。そしてその真意を知り、なんとしても阻止しなければと焦った。
だから・・・溝端恵子を雇った。
彼女は昔の愛人に産ませた実の娘であり、金で動く人間であることを知っていた。
そして多額の報酬を渡し、息子の監視役として常に動向を探らせていた。なんとか息子の弱みを握り、この計画を中止に追い込む為に。だが事態は思うように進展せず、ただ不利になっていくばかりであった。
そして・・・北川隼人は本格的に動き始めた。
稲松文具の乗っ取りと、エーカクデーの社長の暗殺を実行しようとしたのだ。
もう打つ手なし。このままでは完全に北川隼人の思うツボになってしまうと諦めかけた時、事態は変わった。なんと課長が、北川隼人の弱みを握ることに成功したのだ。
その方法というのがまた凄い。
なんと、兄へのプレゼントと称してオウムを送ったのだ。
家族を殺そうと企む冷徹人間のクセに、あの社長は意外と動物好きらしい。妹から送られたオウムを喜んで受け取り、自分のマンションで世話をしていた。
すると、そのオウムは社長がポロっと漏らした言葉を全て覚えていて、その中に弱みとなる情報が含まれていたのだ。
課長はなんやかんやと理由をつけてオウムを預からせてもらい、そのオウムの言葉を会長に聞いてもらった。そして・・・ここから一気に状況が変わり出した。
会長は自分の部屋に社長を呼び出し、オウムから得た情報を突き付けた。
すると見る見るうちに社長の顔色は変わり、マンガのように真っ青になって冷や汗をかき始めたのだ。会長はここぞとばかりに社長を攻めたて、すぐに社長職を退くように警告した。
しかし社長も負けてはいなかった。
もし自分が社長を辞めたら、あなたの不倫のことを母に言うと脅しにかかったのだ。今度は会長が真っ青になる番で、両者ともに冷や汗を流しながら膠着状態に陥った。
その様子を横で見ていた課長は、情けなくて涙が出そうになったという。これが・・・これが稲松文具を仕切ってきた男たちなのかと・・・。こんな奴らの為に、母はボロボロになるまで苦しんだのかと・・・。
しかし感情に流されて二人を怒鳴っても意味はなく、ここは正々堂々と決着をつけたらどうかと持ちかけた。
社長は昔から武道をたしなんでおり、特に柔道が得意だったという。しかしここ最近は社長職で忙しく、ロクにトレーニングが出来ていなかった。だから若いころに柔道をかじっていた会長と試合をし、勝った方が主導権を握るという提案を出した。
しかし会長はすぐにそれを拒否した。
もう七十を超えているし、長いこと柔道から離れているから戦える状態ではないと。
この展開は課長も想定済みだった。だから代案として隼人にこう言ったのだ。
『なら社長と冴木君が戦って下さい。彼はキリマンジャロ工業の元社長からナイフで刺されました。彼一人が悪いわけじゃないのに、これではあまりにも可哀想です。だから責任を取る意味もこめて彼と戦って下さい。そしてもし冴木君が勝ったら・・・・社長にはこの会社から、・・・いえ、北川家から出ていってもらいます。』
そう提案すると、社長は喜んで快諾したという。よもや俺みたいなチンチクリンに負けるはずはないと思い、勝ち誇ったように胸を張っていたそうだ。
それから課長は、箕輪さんと祐希さんに全ての真相を打ち明けた。
箕輪さんには俺に協力を頼むようにお願いし、祐希さんとは綿密に今後の事を相談した。
そして全ての作戦は決まり、こうして俺が呼び出されたわけだ。
社長との対決は三日後。それまでに、なんとか戦えるように頑張らないといけない。課長は相変わらず申し訳なさそうに俯いていたが、俺はその手を取ってこう言った。
「この冴木晴香。命に代えても課長のお力になります!」
そう言うと、課長は涙ぐんで「ありがとう」と頷いてくれた。
ああ・・・もしこの戦いに勝つことが出来たら、もしかしたら俺は課長と・・・・・。
そう思っていたが、そんな下らない下心はあっさりと粉砕された。
「冴木君、私ね・・・決めてることがあるの。この騒動が終わったら、もう北川一族の力に終止符を打とうって。これ以上こんな力の為に、誰かが争うのも傷つくの見たくない・・・。だから、私は誰とも結婚しない。子供も・・・作らないわ・・・。」
課長はとても悲しげな顔でそう呟いた。課長・・・・あなたはそこまで考えて・・・・。
「でも・・・これで全てが終わるわけじゃない・・・。兄には隠し子がいるから、いずれこの力は引き継がれると思う。そればっかりは・・・どうしようもないけど・・・。」
俺は何も言えずに俯き、一つだけ尋ねてみた。
「ねえ課長。どうして俺を選んだんですか?柔道で戦うなら祐希がいるじゃないですか。なのになんで俺を・・・。」
「祐希さんは無理よ。兄はあの人が強いことは知ってるから、きっと挑戦を受けないわ。
それに私の知る限りじゃ、こんな話を受けてくれるのは冴木君しかいなかったの。
でも君なら・・・・きっと兄に勝てると信じてるわ。それとね、もし兄に勝ったら・・・君に覚えていてほしいものがあるの。その超人的な頭脳で、しっかりと記憶に焼きつけてほしいものがあるのよ。」
「俺に覚えていてほしいもの・・・?それはいったい・・・。」
「兄に勝ったら教えるわ。だから・・・今は柔道の練習に励んで。きっと・・・・きっと冴木君なら勝てるって信じてるから。」
課長は俺の手を握り返し、潤んだ瞳で見つめてくる。それはいつものやさしい表情に戻っていて、柔らかな手から温もりが伝わってきた。
「・・・分かりました。俺・・・絶対に社長をぶっ倒しますよ。約束します。」
課長の目を見つめ返し、スッと手を離した。
すると横で見ていた箕輪さんが、ニヤニヤしながら指で突いてきた。
「あんたほんとに分かりやすいわねえ。顔が真っ赤よ。下心出し過ぎ。」
「い、いや・・・これは・・・・。」
「ずっと前から課長に惚れてるもんねえ?どうせなら今告白しちゃいなさいよ。」
面白そうに言って顔を近づけ、グイグイと肘で突いてくる。
「だ、だから・・・そういうわけじゃ・・・・。」
なんでこの人はこんな意地悪をするのか・・・。こういう真面目な場面で茶化すなんて、そろそろロッテンマイヤーさんに似てきたか?
「誰がロッテンマイヤーさんよ!あんなハイジの教育係と一緒にすんな!」
また頭をパチンと叩かれ、俺は心の中で悪態をついた。
それを見ていた課長は可笑しそうに笑い、小さく首を傾げて見つめてきた。
「冴木君・・・いつもありがとね。人の家の事情なのに・・・手を貸してくれて・・・。」
「いやいや!いいんですよ!北川課長の為なら、たとえ火の中、水の中!」
「ふふふ、ねえ・・・もしこの騒動が終わったら、一回デートしない?今まで散々嫌な事をさせてきたわけだし、また騒動に巻き込んじゃったから・・・。だからもし私でよかったら・・・一緒に・・・・。」
ああ・・・・ああああ・・・・・ああああああああ!
これは俺の人生の夜明けか?まさか・・・まさか課長の方からデートのお誘いをしてくれるなんて・・・・。
「課長!俺やりますよ!絶対に北川隼人をシバキ倒してみせます!だから・・・ぜひ・・・俺とその・・・お願いします!」
頭を下げ、ビシッと手を出す。
課長は笑いながらその手を握り、「柔道、頑張ってね」と小さくゆさぶった。


*******


あれからすぐに課長は仕事に戻り、箕輪さんも帰って行った。俺は一人更衣室に残され、社長との戦いの決意を固めていた。
「負けるわけにはいかない・・・。課長の為にも・・・デートの為にも。」
飲み干したペットボトルをゴミ箱に放り投げ、ドアを開けて出ていく。黒沢君達はまだ稽古を続けていて、汗まみれになって息をあげていた。
「さすがは全国大会に出るだけある。キツイ練習だなあ。」
そう呟くと、祐希さんが「話は終わったみたいね」と近づいて来た。
「で、どうだった?翔子ちゃんの頼みは受けることにしたの?」
「ええ、もちろんですよ。あんな話を聞かされたら、断るわけにはいきませんからね。
それに・・・もし社長に勝ったら・・・・、」
「デートしてもらえる?」
祐希さんは腕を組んで笑った。
「また顔に出てしましたか?」
「うん、ハッキリとね。でも君も大変ねえ。翔子ちゃんの話を聞いたなら、あの子の気持ちは知ってるでしょ?北川一族の力を終わりにする為に、結婚もしないし子供作らないって。だからどんなに君が頑張ったって、恋人以上の関係にはなれないわよ?」
「それでもいいんです。俺・・・ここまで誰かを好きになったのって、生まれて初めてだから。なんていうか・・・課長の事は女性としてだけじゃなくて、人間としても好きなんですよ。あんなに若いのに、色んな事を背負って戦ってるから・・・。だから俺も・・・ちょっとその強さが欲しいかなあって・・・。」
今日話をしてみて、課長は逞しい人だと思った。色んなものを背負いながらも、それでも弱音なんか吐かない。ただ前を見て、自分のやるべき事をやろうとしている。
そういう強さは・・・今までの俺にはなかった。ダイスケを助けると誓ったのに、その約束も果たせなかった・・・。
でもこのままこの街を離れるのは、良い事じゃないのかもしれない。
スパイなんてもうゴメンだけど、普通の社員として雇ってもらえるなら、また稲松文具で働きたい。自分から辞めといて勝手だけど、社長との戦いに勝ったら、もう一度入社試験を受けてみるのもいいかもしれない・・・。
「冴木君。」
祐希さんは首を傾げて俺の顔を覗きこむ。
「なんですか?」
「今・・・ちょっとだけ男らしい顔してたわよ。」
「え?そうですか?普通だと思いますけど・・・。」
「ううん、何かを決意した顔をしてたわ。いつもそういう風に堂々としてれば、女の子にモテるかもしれないのに。顔は悪くないんだから。」
「そうですかね・・・。でも今はそんな事はどうでもいいです。何としても社長に勝って、課長を安心させてあげないと。だから・・・明日からまたよろしくお願いします!どんな辛い稽古にも耐えてみせるんで、しっかりシゴいて下さい!」
そう言って頭を下げると、祐希さんは「よく言ったわ」と肩を叩いた。
「君を鍛えられる時間は少ない。だから・・・これから猛特訓よ!さあ、もう一度柔道着に着替えて来なさい!マジで地獄をみせてあげるわ。かつてオリンピックの強化選手にも選ばれ・・・締め技の鬼と呼ばれたアナコンダ祐希が、しっかりシゴいてやるわ!」
《・・・怖ええ・・・・。それに掴まれた肩が痛い・・・。どんな握力してんだよ・・・。》
俺はちょっぴり後悔しながら更衣室に戻り、サッと柔道着に着替えた。
「やらなきゃな・・・絶対に社長に勝つんだ!」
パンパン!と頬を叩いて気合を入れ、祐希さんの元へ向かう。
「さあ、今日は夜になるまで特訓よ!気合入れて来い!」
「はい!」
それから数時間、とっぷり日が暮れるまで地獄の稽古が続いた。
どうやら俺には多少の才能があるらしく、祐希さんはまた褒めてくれた。そして稽古を終えて頭を下げ、また明日と約束して家路についた。
「・・・痛たた・・・身体じゅうがミシミシいってる・・・。明日動けるかな・・・これ・・・。」
パンパンに張った筋肉が、歩くたびに悲鳴を上げる。しかし絶対に弱音は吐かない。
課長だって、一つも弱音を吐かずに頑張ってるんだから。
《やってやるさ。課長を楽にしてあげる為に、何としても社長に勝ってみせる!》
俺は足を止め、半分欠けた月を見上げて、拳を握った。

喧嘩の思い出

  • 2014.08.28 Thursday
  • 10:44
基本的に私は大人しい人間なので、殴り合いの喧嘩なんてほとんどしたことはありません。
殴られるのは怖いし、痛い思いをするのもゴメンです。
しかしそんな私でも、子供の頃には殴り合いの喧嘩をしたことがあります。
あれは確か小学六年生の頃だったと思いますが、友達と遊んでいる時に、不良に絡まれたのです。
相手は私より一つ年下ですが、悪ガキとして有名な奴でした。
子分を一人引き連れていて、公園で遊んでいた私に絡んできたのです。
一緒にいた友達は、すぐに逃げ出そうとしていました。
しかし私は逃げるのが悔しかったので、よせばいいのにその不良に立ち向かてしまったのです。
・・・・結果からいうと、私は負けました。それもほとんど何もできずにです。
まず私は、悪ガキの不良(以下Aとします)と戦うことになりました。
Aは空手をやっていて、私の攻撃なんてかすりもしませんでした。
そしてAの攻撃はというと、一発一発が子供とは思えないくらいに強烈でした。
いちおう素人相手なので気を使ってくれたのか、顔は蹴ってきませんでしたね。
でも代わりに何度も腹を蹴ってきました。私は両腕でガードしましたが、その蹴りの重いこと重いこと・・・・・。
格闘技をやっている人間って、こんなに強い蹴りを出すんだとビックリしました。
この時点で私の戦意は喪失しているのですが、背中を見せて逃げ出すのは嫌でした。
だから必死に蹴りを受け続けていたのですが、もうガードしている腕に限界がきていました。
だから思い切って反撃に出たのですが、やはり攻撃は当たりません。
それでも前に出てパンチやキックを出していると、運よく下手くそなキックがヒットしました。
しかもいい具合に脇腹に当たったのです。
弱い私がここまで反撃したことに、Aは驚いたようです。そして子分(以下Bとします)に向かって、「お前がやれ」と命令しました。
BはAの命令に逆らえないですから、気合を入れて喧嘩を挑んできました。
その結果、私はボコボコです。さっきは上手くキックが当たりましたが、そんな偶然は何度も続きません。
それでもギブアップだけ嫌だったので、ボコボコにされながら耐えていました。
やがてBの攻撃はおさまり、Aと一緒に帰って行きました。
遠巻きに見ていた私の友達は、心配そうに駆け寄ってきました。
私は泣きそうになるのを堪えながら、友達と一緒に遊んでいましたね。
大人になって当時のことを振り返ると、良い経験をしたと思っています。
まず何が良かったかというと、世の中には引くことが大事な時もあるということです。
下手に喧嘩を売れば、かえってこちらが痛い目に遭うこともあります。
いくら自分が間違っていなくても、強い相手に立ち向かうにはそれなりの覚悟がいるのです。
だってもし負けたりなんかしたら、根こそぎプライドを持っていかれますからね。
だから戦う時というのは、慎重に選ばないといけないのです。
それと大した力もないクセに、下手な正義感を出してもダメということです。
あの時、私がAの喧嘩に応じてしまったが為に、一緒にいた友達に怖い思いをさせてしまいました。
友達はきっと逃げたかっただろうに、私のせいでその場に留まるしかなかったのです。
もし私が喧嘩が強かったら、Aを追い返して友達を守ってやることが出来たでしょう。
しかし結果は私の惨敗・・・・下手をすれば、友達までボコボコにされていたかもしれません。
だから自分の正義や信念を貫くには、決して周りに迷惑をかけてはいけないということです。
相手が一緒に戦ってくれるというのなら別ですが、戦う気のない人間を無理やり巻き込むなんて、これは迷惑極まりない話です。
周りを無理やり巻き込むくらいなら、自分が堪えて大人しくしているしかないのです。
以前ラジオで、ある思想家が言っていました。革命には必ず痛みが付きまとうもので、そのせいで誰かの血が流れても仕方がないと。
なら私はそいつにこう言ってやりたい。
知るか・・・・・と。
思想家の夢想に付き合って、いちいちこちらが血を流す義務も責任も一つもないと。
思想家の夢想など知ったことではないし、思想家の持つ理想もコンプレックスも、やっぱりこちらの知ったことではないと。
そこまで言うのなら、幕末の維新志士たちや、チェ・ゲバラのように、自分自身が先頭に立って、命の危機に身を晒してから言えと。そこまでやるのなら、多少は聞く耳を持ってもいいかなと思います。まあ協力するかどうかなんて全然別の話になりますけどね。
幼い頃の喧嘩で私が学んだものは、力失くして戦ってはいけないということです。
実力や経験がなければ、いくら気持ちがあっても意味がないのです。覚悟だけで戦えば、後で死ぬほど後悔する目に遭うでしょう。中身のない人間の覚悟なんて、そんなものですよ。
それに親しい人たちに多大め迷惑をかけてしまいますからね。
Aとの喧嘩で痛い思いはしたけど、こういうことを気づけてよかったなと思います。
当時の友達とはもうほとんど会っていませんが、あの時無理やり喧嘩に巻き込んだことはまだ謝っていません。
今さら向こうも覚えてはいないかもしれないけど、申し訳ないことをしたなと思っています。
戦うには力が必要だということ、そして誰かに迷惑をかけてはいけないということを学んだ喧嘩でした。

ちなみにですが、弱い私は強いものに憧れるクセがあります。
だからが学生時代にボクシングを始めたのですが、長続きしませんでした。だって殴られるのが怖かったから・・・・・。
私のヘタレは今でも健在のようです。

 

稲松文具店 第十話 冴木晴香、再び(2)

  • 2014.08.28 Thursday
  • 09:07
「お待たせ。じゃあ稽古始めよっか?」
柔道着に着替えた祐希さんが、年季の入った黒帯を巻いて立っていた。
「稽古って・・・・何がですか?」
「何がって・・・決まってるじゃない。ここは柔道場なのよ。だったら柔道の稽古をするに決まってるでしょ?さあさあ、冴木君もさっさと着替えて来なさい。更衣室に君の分の道着を置いてるから。」
「いやいや、どうして俺が柔道の稽古なんか・・・・・、痛ッ!」
また箕輪さんに頭を叩かれてしまった。
「いいからさっさと着替えて来なさいよ。グチグチうるさいんだから・・・。」
あんたこそ人の頭をパンパン叩くなよ・・・・。今日は引越の時間までゆっくり散歩するはずだったのに、強引にこんな所に連れて来やがって・・・。
「何?また文句?」
「・・・・・・いえ、着替えてきます。」
ああ・・・何と情けない・・・・。俺はしょんぼり項垂れながら、トボトボと更衣室に入っていった。
「くそッ!なんなんだよいったい・・・・・。わけの分かんねえことだらけだよ、まったく・・・・。」
更衣室のテーブルには真っ白な道着が置かれていて、それを掴みながらため息を吐いた。
「いいところで逃げ出そうと思ってたけど、なんだかそういう雰囲気じゃなくなったなあ・・・。やっぱり最初からついて来なきゃよかった。」
今さらも文句を言っても仕方なく、とりあえず柔道着に着替えていく。こんな物に袖を通すのは高校生の時以来で、着方がよく分からずに困ってしまった。
「ええっと・・・・帯ってこれでいいんだっけ?・・・ああ、もう!分かんねえや!適当でいいか。」
うろ覚えで白い帯を締め、更衣室のドアを開けて出て行く。
「ええっと・・・着替えてきました。」
すると俺の姿を見た黒沢君が「帯・・・間違えてますよ」とすぐにツッコミを入れてきた。
「ちょっと見せてください。」
そう言って下手くそな巻き方の帯に手を掛け、シュルシュルと結んでいく。
「よし、これでいいです。キツくないですか?」
「うん、まあ・・・・平気かな。」
真っ白な道着に、真っ白な帯。なんだか初々しい気分になって、ちょっと恥ずかしくなってきた。
「さ、さ、照れてないで稽古を始めるわよ。黒沢君達はもう準備運動は終わってるわね?」
「はい。」
「受身は?」
「やりました。」
「よろしい。じゃあ四人で交互に乱捕りしてて。怪我には気をつけてね。」
「はい!」
黒沢君は柔道部のメンバーと乱捕りを始め、技を掛け合っていく。
「それじゃ冴木君は準備運動からね。まずは柔軟から。」
祐希さんは道場の隅に移動し、チョイチョイと手招きをする。
「・・・・・・・・・・・・。」
なんだか分からないけど、こうして道着まで着た以上は付き合うしかないみたいだ。
俺は祐希さんの前に行き、見よう見まねで屈伸運動を始めた。
「あんまり無理しないようにね。」
「はい・・・・。」
高校生の時にやった柔道の授業を思い出し、柔軟運動をこなしていく。そして次に受身の稽古に入り、バシン!畳を叩きつけて倒れていく。
「うんうん、なかなか筋がいいじゃない。これなら勝てるかもね。」
「はい?勝てるって・・・・何がですか?」
「今は稽古に集中しなさい。気を散らしてると怪我するわよ。」
俺と祐希さんは並んで受身の練習を取り、一通り終えたところで休憩に入った。
「けっこう体力あるじゃない。初心者でこれだけやって息が上がらないなんて大したものよ。」
「そ、そうですか・・・・けっこうしんどいですけど・・・・。」
「まあいい運動不足の解消だと思いなさい。それじゃ少し休んだら技の練習に入るわよ。」
「ええ!もうですか?まだ受け身しかやってないのに・・・・。」
「時間が無いのよ。もう戦いの時は迫ってるからね。」
そう言ってニコリと笑い、スポーツドリンクを飲む祐希さん。
あんた・・・いったい何を隠してやがる・・・・。さっきから勝てるとか戦いとか言ってるけど、まさか俺を誰かと戦わせる気じゃないだろうな?
「さて、それじゃそろそろ技の練習に入りましょうか。」
祐希さんは帯を締め直して俺の前に立つ。
「あ、あの・・・・ちょっと聞きたいんですが・・・・、」
「今は練習よ。さあ、組みましょう。」
そう言ってガシっと俺の道着を掴んでくる。なんだよこのパワー・・・これでも女か・・・。
「冴木君、私を投げてみなさい。」
「え?い、いや・・・投げるって・・・。」
「どんな形でもいいわ。思うようにやってみなさい。」
いきなりそんなこと言われてもなあ・・・・。しかし祐希さんの目は本気だった。
いつもの温厚な顔と違い、明らかに武道家の表情になっている。これは・・・ふざけたことしたら怒られるな・・・・。
俺は言われた通りに、祐希さんを投げようとした。足を掛けたり、腕を掴んで背負おうとしたり。でも・・・・まったビクともしない。
まるで地面に根っこでも張っているかのように、その場所から一歩も動かせなかった。
ダメだ・・・・さすがは黒帯・・・投げるなんて出来ないよ。
「もう終わり?それじゃこっちからいくわね。」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「しっかり受け身を取るのよ、いいわね。」
そう忠告した次の瞬間、俺の身体は宙を舞っていた。
「・・・・・・・・ッ!」
グルリと視界が回転し、畳が目の前に迫ってきた。・・・・バシンッ!・・・・と音がする。それと同時に畳を叩いた手が痺れ、軽くパニックを起こした。
「ちゃんと受身が取れたわね。やれば出来るじゃない。」
「・・・・・・・・・・・。」
祐希さんはニコニコしながら俺を立たせ、また組みかかってきた。
「さあ、もういっちょいくわよ。」
「いやいや!ほんとに待ってください!」
「なに?どっか痛めた?」
「いや、そうじゃなくて・・・・・ちゃんと説明して下さいよ!なんでいきなり柔道なんですか?それにさっきの箕輪さんの話も全然分からないし、もう俺には何がなんだか・・・。」
身体から力が抜け、思わずがっくりと項垂れた。祐希さんは俺を離し、「それもそうね」と小さく微笑んだ。
「とりあえず稽古が終ってから話そうと思ってたんだけど、そんなに気になるなら教えた方がいいわね。じゃないと練習にならないから。」
そう言って帯を締め直し、真っすぐに俺を見つめた。
「いい、君には倒してほしい敵がいるの。それは・・・・稲松文具の社長、北川隼人よ。」
「しゃ・・・・社長・・・・?」
俺は素っ頓狂な声で聞き返した。いったいこの人は何を言っているんだ?とうとう頭がおかしくなったのか?
「誰の頭がおかしいって?」
「え?」
「また顔に出てたから。」
「あ・・・ああ!いや・・・すいません・・・。ちょっとあまりにも突拍子のないことだったから、つい・・・・。」
「まあ驚くのも無理はないわね。私だって、真実を知った時はどれほど驚いたか・・・。」
祐希さんは暗い顔で俯き、後ろでくくった髪を払った。そしてふうっと息をはき、また俺を見つめる。
「稲松文具が他の会社に乗っ取られようとしていることは知ってるわよね?」
「もちろんですよ。それが原因であの会社に雇われたんですから。」
「なら稲松文具を乗っ取ろうとしてる会社は知ってる?」
「ええっと・・・確かエーカクデーって会社ですよね?稲松文具にスパイを送って、それで得た情報を元に脅しをかけてるって聞きましたけど。」
祐希さんは小さく頷き、腕を組んで足元を見つめた。その目はとても切なく、いつもの気丈な祐希さんの目ではなかった。
「これは君も知らないことだけど、あの会社の一族には秘密があるのよ。エーカクデーはその秘密を元に脅しをかけてるんだけど・・・その黒幕が北川隼人なのよ。」
なんのことか分からなかった・・・。あの会社の一族の秘密?黒幕が社長?
「混乱してるわね。いいわ、全てを教えてあげる。立ったままじゃあれだから、座って話しましょう。」
祐希さんは俺の横を通り抜け、道場の壁にもたれて座り込む。俺もその隣に腰を下ろし、祐希さんが口を開くのを待った。
「まずは稲松文具のことからね。あの会社を仕切っている北川一族の女性には、ある特殊能力が宿っているのよ。それは・・・・ほんの少し先の未来が見えるという力よ。」
「未来が・・・見える?」
「ウソみたいでしょ?私も翔子ちゃんから聞いた時は信じられなかったわ。でも・・・彼女のお母さんに会って、その力は本物だって確信したの。あの能力は隔世遺伝で受け継がれるらしいから、翔子ちゃんはその力を持っていないわ。
けどお母さんに宿る力は本物だった・・・。それも歴代でナンバーワンじゃないかっていうくらい強力だそうよ。一分先の未来が見えるなんて、会社を経営する上じゃこの上ない武器だもの。稲松文具という会社は、代々この力に頼って会社を大きくしてきた。
もちろんあの会社の成功の秘密は他にもあるけど、でも一番大きいのはこの力ね。だから絶対にこの秘密を外に漏らすわけにはいかないの。もしこれがバレたら・・・・分かるでしょ?」
祐希さんは小さく笑いながら首を傾げる。
確かに未来が見える力があれば、会社を大きくする上で最強の武器となるだろう。
しかし課長のお母さんが本当にその力を持っているとなれば、これは世間が放っておかない。きっとマスコミが群がって面白半分に騒ぎ立て、ネットでも話題になるだろう。
世間はそれに乗じて好き放題なことを言い、やがて最後にはバッシングの嵐がやってくる。
『オカルトに頼る企業』『超能力に頼る卑怯な会社』『真面目にやっている会社に申し訳ないと思え』
様々な言葉が石つぶてのように投げられ、きっと稲松文具はボロボロになる。
しかしそれだけならまだいい。課長のお母さんが本物の超能力者だと知れたら、周りがほうっておかない。良からぬ事を企む人間がわんさか集まり、あの手この手で利用しようとするだろう。いくら稲松文具が大きな会社だといっても、群がってくる者を全て撃退するなんて無理だ。
《・・・そうか・・・だから課長はスパイ活動に手を貸していたんだ・・・・。》
俺にダイスケという馬を助ける事情があるように、課長にはお母さんを守るという事情があったんだ。
だから・・・・あんなスパイまがいの仕事に手を貸して・・・・。
そう考えると、俺なんかより課長の方がもっと苦しい立場に立たされていたのだ。
なのに・・・そんなこと一言もいわなかったな。それどころか、俺にスパイの仕事を辞めるように説得してくれたこともあった・・・。
《課長・・・あなたはどこまで人がいいんですか?そんなことしてたら、いつか祐希さんが言ったみたいになっちゃいますよ。
『人が良すぎるせいで、苦労する』って・・・・。》
俺は課長の顔を思い浮かべ、胸が苦しくなるのを感じた。
「課長は・・・北川家の秘密がバレるのを恐れていたんですね?」
「そうよ。会社の為だけじゃなくて、自分の家族を守る為に頑張っていたの。あの子のお母さんは、とても疲れているように見えたわ。だから翔子ちゃんは、これ以上お母さんを苦しませたくなたっかのよ。この騒動が終わったら、超能力に頼った経営をやめさせるつもりだったみたい。こんな力を使わずに、まっとうに商売をしようって・・・・。」
「課長・・・そんなこと一言も言ってくれなかったな・・・。」
「それは君を守る為よ。もし北川一族の力を知られたら、きっと君はタダじゃすまなかったわよ。隼人のことだから、えげつない手を使ってでも口を封じるはず。あの男は仕事のこととなると、ちょっと人格が変わるからね。翔子ちゃんは、そうならないように君にこの事を伝えなかったのよ。」
「やっぱり・・・人が良すぎですよ、課長は・・・。なんでもかんでも一人で背負いこんで・・・。」
足元に目を落としながら呟くと、「それは君も同じでしょ?」と肩を叩かれた。
「スパイは悪いことだけど、なにも君一人に責任があるわけじゃないわ。私も翔子ちゃんも、同じように責任がある。それに・・・・一番悪いのは隼人なんだから。」
その声には怒りがこもっていて、いつもの強気な祐希さんに戻っていた。
「私はね、あの男のことを信用していたわ。確かに強引で思い上がったところがあるけど、でも悪い男じゃないと思ってた。だからずっと好きだったんだけど・・・・それももう終わりよ。翔子ちゃんから真実を聞かされたら、もう好きになんかなれない。それどころか、怒りさえ湧いてくる・・・・・。」
祐希さんは拳を握って宙を睨みつける。道着から覗く腕は、ギュギュっと絞られた筋肉で震えていた。
「・・・北川一族の秘密のことは分かりました。でも・・・社長が黒幕っていうのが分からないんです。稲松文具はエーカクデーが送り込んだスパイによって、秘密を盗まれたんですよね?なのに、どうして社長が黒幕になるんですか?どう考えても被害者だと思うんですけど・・・・・。」
そう尋ねると、「そこが間違いだったのよ」と睨まれてしまった。
「よくよく考えると、これっておかしな話なのよ。エーカクデーは稲松文具みたいに広いシェアは持っていない。大衆にもあまり浸透していないし、特にアジア圏では名前も知らない人が多い。でもそれは、あのメーカーが格式のあるブランドで売っているからよ。エーカクデーの画材はどれもこれも高いけど、プロの画家やクリエイターにとっては信頼出来るメーカーなの。高い値段に見合う品質を持っているからね。
それでもって、稲松文具は奇抜さと堅実さが売りのメーカーよ。アジアでのシェアは大きいし、大衆にも支持されてるから、売り上げは業界の中でナンバーワン。でもその代わり、エーカクデーのような格式高いブランドは持っていないわ。いくら高級画材を出したところで、エーカクデーの信頼には遠く及ばないのよ。」
「それって要するに、競合相手には成りえないってことですか?」
「そういうこと。分かりやすく例えるなら、海外の高級ブランドショップと、日本の安売り百貨店を比べるようなものね。稲松文具はここ最近欧米にも進出してるけど、今のところはエーカクデーを脅かすような存在じゃないわ。
それにさっきも言ったように、高級画材ではエーカクデーに及ばないからね。格式のあるブランドっていうのは、長年の信用が積み上げるものよ。だからどんなに稲松文具が頑張ったところで、高級ブランドとして認められるにはかなりの時間がかかる。だったら、エーカクデー稲松文具を脅威に感じる理由なんてないのよ。きちんと棲み分けが出来ているんだからね。」
「なるほど・・・言われてみれば確かに・・・・。でもそれじゃあ、どうしてエーカクデーはスパイを送り込んで来たんですか?きちんと棲み分けが出来ているなら、そんなことする必要はないのに。」
そう尋ねると、祐希さんはニコリと笑った。
「この騒動は、表面だけ見てると会社同士の乗っ取りの話よね?エーカクデーが、稲松文具という会社を欲しがってる。だから大量の株を手に入れて乗っ取ろうとしている。でも・・・本当の狙いは別のところにあったとしたらどうかしら?
本当にエーカクデーが、いえ・・・・この騒動の黒幕が欲しがっていたのは、稲松文具じゃなかったとしたらどうかしら?」
「稲松文具が欲しいわけじゃなかったら・・・・・。もしかして・・・北川一族の超能力とか?」
なんとなく思いつきで言っただけなのだが、祐希さんは満面の笑みで俺の頭をグシャグシャと撫でまわした。
「冴木君も鋭いとこあるじゃない。見直したわよ。」
「いや・・・逆にそれしか考えられないんじゃ・・・。」
「君の言うとおり、狙いは北川一族の超能力よ。そして・・・・それを狙っているのは、稲松文具の社長、北川隼人。彼は自分の一族の力を、自分のものだけにしたいのよ。
いえ、もっと正確に言えば、あの力を自分が使えるようにしたいの。その為に、自分の家族さえ罠にかけて稲松文具の社長におさまったんだから。」
祐希さんは吐き捨てるように言い、スポーツドリンクをゴクゴクと飲み干した。
「私ね、ああいう男って許せないのよ。自分を愛してくれる者を平気で利用して、その責任を誰かになすりつけようとするなんて・・・・・。あんな男を愛していたなんて、自分にも腹が立って仕方がない・・・。」
憎らしそうに顔をしかめ、ギリギリと歯を食いしばっている。
・・・怖ええ・・・・・。
なんだかとんでもない話ばかり聞かされて、頭の中は混乱していた。どうやらこの騒動は、俺が思っていたよりもかなり大変な出来事らしい。しかし・・・まだ分からないことがある。どうして北川社長が黒幕なのか?なぜ彼は身内の力を狙っているのか?
それに・・・・どうして俺が社長と戦わなければいけないのか?様々な疑問が渦を巻き、さらに頭が混乱してくる。質問をしたいと思っても、上手く言葉が纏まらずにもどかしく感じていた。しかしそこで、ふとあることに気づいた。
「あれ?箕輪さんは?」
「ああ、彼女なら出掛けて行ったわ。翔子ちゃんを迎えにね。」
「課長を・・・?」
「まあ詳しい話は翔子ちゃんが来てからにしましょ。今は柔道の稽古をしないと。
君には・・・この黒幕と戦ってもらわなきゃいけないんだからね。」
そう言って祐希さんは立ち上がり、大きく背伸びをして帯を締め直した。
「あ、あの・・・・まだ分からないことが・・・、」
「今は柔道に集中して。ほら、すぐに立つ!」
怖い顔で激を飛ばされ、技の練習をさせられる。背負い投げに大外刈り、体落としに巴投げ。果ては関節技や締め技まで叩きこまれた。襟締めを掛けられた時など、一瞬意識が飛んでしまった・・・。
それでも祐希さんは手を休めない。ひたすら技を教え込み、そして乱捕りをさせられる。
どうやら俺には素質があるようで、上達が早いと褒められた。そして稽古を開始してから二時間後、ついに体力が尽きて倒れこんだ。
「すごいわね、こんなに長時間もつなんて。よかったら本気でやってみない?」
「あはは・・・考えときます・・・・。」
もはや一ミリも動くことが出来ずにへばっていると、道場の扉が開いて誰かが入って来た。
「お、冴木の奴死んでるわ。顔が虚ろになってるもん。」
箕輪さんは可笑しそうに笑い、その後ろからもう一人女性が現れた。
「冴木君、久しぶり。」
「か、かちょ〜・・・・・。」
いつものように細身のスーツに身を包んだ課長が、トタトタとこちらへ走って来る。
そして俺の顔を覗きこみ、申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんね、また巻き込んで・・・。」
そう言ってハンカチで俺の汗を拭ってくれる。ああ・・・やっぱりあなたは・・・・俺の女神です・・・。
言いようのない喜びを感じながら、ひたすら鼻の下を伸ばす。
「だからあんたは分かりやす過ぎだって・・・。さっきまで死んでたクセに、なに急に元気になってるのよ。」
ムスッとした顔で箕輪さん睨まれ、ペチンとおでこを叩かれてしまった。

森山大道の写真について考える

  • 2014.08.26 Tuesday
  • 20:42
若者に絶大な支持を得ている写真家に、森山大道という人がいます。
この人の写真はアレ、ボケ、ブレという特徴的な写真で、当時の写真の常識を根底から覆すようなやり方でした。
アレというのは、粒子の荒れたワイルドな感じの写真。ボケというのはピントの合っていない写真。
そしてブレというのはそのままの意味で、画面がぶれている写真のことです。
どれも当時の写真ではタブーとされていて、いかに上手く写っていようが写真作品とは認められませんでした。
絵画に例えるなら、美しい絵や精密な写実画は認めるけど、デフォルトの効いた印象画や抽象画は認めないよという感じです。
しかし森山大道は、上の三つのタブーを平気で犯したのです。
そんなものはまず写真作品とは認められない時代でしたが、彼は相変わらずそんな写真を撮り続け、そして周りもそれを認め始めたのです。
その中でも特に若者に人気を得て、かの有名なアラーキーと双璧をなす写真家となりました。
まず森山さんの写真は、とにかくインパクトが強い。一度見たらまず忘れられません。
それに類まれなセンスの持ち主で、心に食い込む作品を量産します。
森山さんの写真の登場は、とにかくお上品な芸術性や文学性を追及した退屈な写真の世界に、良い意味での破壊をもたらしたのでしょう。
若い写真家はいつだって新鮮なものを求めていますから、常識に縛られないダイナミックな森山さんの写真は、心臓を抉られるほどの衝撃を受けたのだと思います。
森山さんは、とにかく作り物臭い写真を嫌います。彼は物語的な写真は絶対にやりたくないと言っています。
森山さんが求めるのはあくまで現実であり、その中に生きる記憶です。
彼はとにかく記憶というものに関心が強いようで、自分の記憶や街に眠る記憶をなるべくリアルに写し取ろうとしているように思います。
だから時にエグイほど生々しく、見た者の目に焼き付いてくるのです。
森山さんは新宿を中心に撮っていますが、特別な景色は撮りません。
そこら辺を歩いて、すれ違った人やビルの隙間を撮るのです。
こんなものは、普通は作品になりません。なぜなら日常的に目にする光景というのは、いくら上手く演出しようが、ほとんど何のインパクトもないからです。
ですが森山さんが日常的なものを撮ると、そこに宿った記憶のようなものが映りこんでくるのです。
彼の得意なアレ、ボケ、ブレが、日常に潜む目に見えない記憶のようなものを、実に生々しく、そしてリアルに描写してくれます。
それはもちろん森山さんの目を通したものであって、万人に共感できる感覚ではないと思います。
ですが理解できる者にとっては、心に食い込んで離れないほと強烈なのです。
よく芸術の極みは、自分を消して対象物を捉えることだと言われます。
しかし森山さんの写真はその逆で、いかにその写真に『我』を写し込むかということに重きを置いているように思えます。
美しいとか、万人に理解できるだとか、洗練されているだとか高尚だとか、そんなものはクソくらえ!というインパクトがあります。こういう部分が、新しいものを求める若い写真家に人気がある理由なのでしょう。
我を消す、我を失くす、そういうのって、まるで悟りの境地に立つような、非常に深みに達したもののように言われますけど、森山さんの写真を見ていると、なんだか我を消すことを最高だと語る人間が、胡散臭く感じられます。
人間は決して我を捨てられないし、我を失くして人間なんてありえません。
ならば耳障りのいい言葉を並べて写真を撮るよりも、全面的に我を押し出して作品を生み出す森山さんの方がよほど信頼できます。
あくまで自分の道を貫き、自分の求めるものだけを追いかける彼の写真は、きっとこれからも新しいファンを獲得していくでしょう。
ちなみにですが、私は特に森山さんのファンというわけではありません。
ですがそんな私ですら、彼の写真はくっきりと目に焼き付いています。
美しいものを美しく撮る写真よりも、我をもって自分の目で被写体を捉える写真の方がよほど力があります。
前回書いた星野道夫さんも、ただただ美しいものを追いかけるわけじゃなくて、アラスカに存在するものを生々しく写しておられました。だからこそそこに生きる命が輝いて見えるのです。
私はネイチャーフォトが好きで、とにかく自然を写したものが好きです。
でも星野さんのように、自然の奥深いところまで写せる写真家はそうはいません。
いつかネイチャーフォトの世界に、森山さんのように力強い写真を撮ってくれる人が現れないかと期待しています。

 

稲松文具店 第九話 冴木晴香、再び(1)

  • 2014.08.26 Tuesday
  • 20:18
一年住んだマンションの部屋に、紐でくくられたダンボールが並んでいる。
男の独り暮らしというのは質素なもので、こうしてダンボールに纏めてみると、いかに物が少ないかよく分かる。
「ふう・・・・あとは引越屋を待つだけだな。」
俺はダンボールの上に腰掛け、タバコに火を点けて吹かした。ゆらゆらと揺れる煙が窓の外へ流れていき、どこか遠くへ流されていく。
ボケっとそれを見つめながら、ここに来てからのことを振り返っていた。
「なんだか・・・あっという間だったな。まあ一年しか住んでいないから当然だけど、でも・・・・。」
後悔していた・・・・。超人的な記憶力を使ってスパイまがいのことをやり、小さな会社を潰してしまったことを。そして・・・技術者や職人が命を懸けて生み出したものを、あっさり横から奪いとったことを。
「最低だな、俺は・・・。自分の事情を盾にして、やっちゃいけないことをやっちまった。」
ものを創る。何かを生み出す。それは・・・技術者や職人にとっては人生そのものだ。
それを奪いとるということは、その人たちを殺すのに等しいことである。
かつて絵描きを目指していた俺は、そのことを充分に知っていたはずなのに・・・・。
「いくら懺悔したって、俺のやったことは消えないんだ・・・・。それに、俺のせいで傷ついた人たちも・・・。」
これ以上考えるのが苦しくなって、携帯灰皿にタバコを押し入れた。そしてポケットからケータイを取り出し、電話帳の中から実家の番号を呼び出した。
「久しぶりだな・・・家に電話を掛けるのなんて・・・・。」
今日、俺は実家に帰る。もうこの街にいる理由はないし、それにこれ以上ここにいたくない。だから一度実家に帰ろうと思ったんだけど、まだ親には連絡を入れていない。
何度も電話を掛けようと思ったけど、その度にこの手は止まった。
「・・・・俺が帰るって言ったら、あの人たちはなんて言うんだろうな・・・。
怒るか?それとも・・・・喜ぶか?いや、もう俺のことに関心なんてないかもしれないな。」
電話を掛けようと思うたび、様々な想像が思い浮かぶ。それは大きな不安となって襲いかかり、やはり電話を掛けることに躊躇いをおぼえた。
「・・・いいか、このまま帰っちゃえば。家のドアを開けて、ただいまって言えば、それで・・・・。」
電話というのは、相手の顔が見えないぶん恐ろしい・・・。それなら直に顔を合わせて話した方がいいかもしれない。
「・・・分かってるさ、これが言い訳だってことは。でも・・・やっぱりちょっと電話はなあ・・・・・。」
呼び出した実家の番号をキャンセルし、ケータイをしまって立ち上がる。
「さて・・・まだ引越屋が来るまで時間があるし、ちょっとその辺でも散歩してくるか。」
この街も今日で見納め。ならばじっくりとノスタルジーに浸るのも悪くない。
俺は頭に巻いていたタオルを取り、靴を履いて玄関のドアを開けた。
そしてエレベーターで一階に降りて、マンションを出た途端に・・・・固まった。
「よう、久しぶり・・・・・でもないか。一週間前に会ってるもんね。」
そう言って手を上げたのは、箕輪さんだった。白いコンパクトカーにもたれかかり、腕を組んでカッコを付けている。
「まだここにいてくれてよかったわ。ちょっとあんたに頼みがあるの。しばらく付き合ってくれない?」
「・・・・・・・・・・・・。」
嫌だった・・・・。箕輪さんの目は、俺に何かを期待している。いや、面倒なことに巻き込もうとしている。それがどんな面倒事かは分からないが、これ以上面倒くさいことに関わるのはゴメンだった。
「あの・・・悪いんですけど、今日は引越屋さんが来るから・・・・。」
「いつ?」
「え?」
「だから、引越屋はいつ来るの?」
「ええっと・・・・今が九時だから・・・・昼の一時くらいですね・・・。」
「あっそ。だったらたっぷり時間あるじゃない。ちょっと付き合ってよ。」
そう言って、俺の返事も聞かずに車に乗り込む箕輪さん。
「ほら、さっさと乗る!」
助手席側のウィンドウを開け、首を伸ばして俺を睨んでくる。
・・・・なんだよこの人は・・・。なんで俺のマンションまで来てんだ?
・・・ああ・・・絶対に行きたくない・・・。だって、ついていったらダメだって警報が鳴ってるもの、俺の頭の中で・・・。
「あ、あのですね・・・・やっぱり無理・・・・、」
「早く乗れ!もっかい引っぱたくぞ!」
・・・・・怖ええ・・・・。
「じゃ、じゃあ・・・・ちょっとだけ・・・・。」
ああ、俺はなんと気の弱い男なのか・・・。たかが一個上の先輩に脅されただけで、すんなり頷いてしまうなんて・・・。しかし後悔しても時すでに遅し。俺は箕輪さんの車に乗り、しっかりシートベルトまで閉めていた。
「よしよし、それでいいのよ。私はあんたの仕事の尻拭いをしたんだから、頼みごとの一つも聞いてもらわないとね。」
「・・・・・・・・・・・。」
この人・・・・絶対にロッテンマイヤーさんの嫌味を受けてるな・・・。そのストレスが、なぜ俺の方に飛んでくるのか分からないけど・・・。
箕輪さんから顔を逸らし、諦めの混じったため息をつく。ふん、まあいいさ。どうせ今日でこの街ともお別れなんだ。そうなりゃ箕輪さんと会うこともないわけで、適当な所で逃げ出そう・・・。
「ねえ冴木君。」
「は、はい・・・・。」
「途中で逃げたら・・・・シバくからね。」
「・・・・・・はい。」
どうやら見抜かれたらしい。祐希さんにも心の中を見抜かれたし、俺ってそんなに思ってる事が顔に出るのかな?
居心地の悪さを感じながら、箕輪さんの駆る車に運ばれていった。


            *


「さて、ここで下りようか。」
到着した場所は、川を挟んだ向こうにある中学校の前だった。
いったいこんな場所に何の用があるのか知らないが、出来ればこのまま帰りたい・・・。
「ほら、さっさと下りる。」
箕輪さんに促され、嫌々に車から下りた。
中学校か・・・なんか懐かしい感じがするな。でも、ほとんど生徒がいないのはなぜだろう?
「あの・・・誰もいませんね。普通なら体育とかでグランドを使ってる生徒がいるんじゃ?」
「今日は日曜日よ?仕事辞めて曜日がボケてんじゃないの?」
「ああ、日曜日か・・・。てっきり忘れてた・・・。」
よく見るとグランドには野球をしている生徒がいて、掛け声を上げながら走りこみを行っていた。
「うんうん、いいわねえ、若者が頑張る姿は。」
箕輪さんは腕を組んで頷いている。あんただってまだ二五だろ?充分若者じゃないか。
・・・と、偉そうなことを言ったら、何をされるか分からないので黙っておこう。
「あの・・・いったいここに何の用があるんですか?」
「んん?まあもうちょっとすれば分かるわよ。」
そう言って腕時計を睨み、学校の門の前でケータイをいじる箕輪さん。
まったく・・・。人を無理矢理つれて来て事情も説明しないなんて・・・。この先輩のこと嫌いじゃなかったけど、ちょっと嫌になってきたな。
「何?なんか文句あるの?」
「い、いえいえ!なんでも・・・・。」
「あんたってさ、思ってることがすぐ顔に出るって言われない?」
「ええっと、ここ最近は実感することが多いですね。」
「鈍いなあ・・・。うちの会社に入って来た時からずっと顔に出てたじゃん。気づかなかった?」
「自分の顔なんていちいち見ないから分かりません。」
「ああ、それもそうね。」
箕輪さんは興味もなさそうに言い、ひたすらスマホをいじっている。
「あの、箕輪さんは・・・今日は休みなんですか?」
「ああ、私もあそこを辞めたの。」
「ええ!箕輪さんも?そりゃまたなんで?」
「・・・なんかしんどくなってきちゃってさ。ロッテンマイヤーさんはうざいし、あんたの尻拭いはさせられるし。それに・・・・彼氏からプロポーズもされてたしね。」
「おお、じゃあ結婚するんですか?」
「・・・・分からない。そのつもりで仕事を辞めたけど、ちょっと事情が変わってきたから。」
「事情?事情って、いったいどんな・・・・、」
そう言いかけた時、門の向こうから一人の少年が走ってきた。
「誰かこっちに来ますよ?」
「ん?ああ、来た来た。おお〜い、黒沢く〜ん!」
箕輪さんはスマホを片手に手を振り、少年も手を振り返した。
「あれは・・・武道着?柔道部か何かか?」
少年は真っ白な武道着に、黒い帯を巻いていた。そして息を弾ませながら走ってきて、ポンと箕輪さんとハイタッチをする。
「ごめんね、部活中に呼び出しちゃって。」
「いや、大丈夫です。今は休憩中だし。」
「そっかそっか。で、あの人は来てる?」
「ええっと、もうすぐだと思います。先生に話は通してあるから、中に入ってもいいそうですよ。」
「オッケイ〜!それじゃお邪魔しま〜す。」
そう言って門を乗り越えようとする箕輪さん。黒沢と呼ばれた少年は慌てて止めに入り、「裏口から入れますから!」と向こうを指さした。
「ああ、そういうことは早く言ってよ。」
「す、すいません・・・・。」
黒沢君とやら、別に君は悪くないぞ。悪いのはこの頭の抜けたお姉さんで・・・・・、
「だ・か・ら!考えてることが顔に出てるのよ!さっさと校庭の裏に回るわよ。」
パチンとおでこを叩かれ、腕を掴まれて引っ張られていく。
それを見ていた黒沢君は、「誰だ、あの頼りなさそうな人・・・」と呟いていた。


            *


裏門から学校に入った俺たちは、グランドの脇にある柔道場に案内された。
「知ってる?この学校ってすごく武道が強いんだって。特に柔道部は全国大会の常連らしいのよ。」
「へええ・・・その割には人数が少ないですね?」
立派な柔道場には、黒沢君を含めて四人の生徒がいるだけだった。皆が黒帯を締めていて、キレのある技を掛けあっている。
「今日は一人休んでるんで、本当は五人いるんです。」
黒沢君は黒帯に手を掛けながら言う。
「みんな揃って五人か・・・。全国大会の常連の割にはやっぱ少ない気が・・・。」
「初めはもっとたくさんいたんですよ。コーチがすごく美人だから、それに惹かれて入部して来たんですが・・・。練習が厳しくてほとんど辞めちゃったんですよ。」
「ほほう、ここのコーチは美人なのか?」
「はい。実際の年齢よりすごく若くみえる人なんです。でも腕っ節も性格も強いから、みんなちょっと恐れてるんですよ。その分優しいところもたくさんありますけどね。」
黒沢君は、少年らしい笑顔でニコリと笑う。ううん・・・子供にこれだけ好かれるということは、さぞ人格者なんだろうなあ・・・。それでいて美人となれば、これはぜひ一目お目にかかりたいものだ。
「なに鼻の下伸ばしてんのよ。」
箕輪さんにデコピンをかまされ、鼻の頭を押さえた。
「言っとくけど、今日はそのコーチに会いに来たのよ。」
「美人のコーチに・・・ですか?」
「そう。その人は稲松文具に縁のある人で、ちょっと仕事をお願いされちゃってね。」
「・・・・?話が見えませんよ、箕輪さん。ここのコーチは稲松文具に関係のある人なんですか?」
「そうよ。でも社員ってわけじゃないけどね。まあその辺は、あんたの方がよく知ってるんじゃない?」
「・・・・・・?」
いったい何のことを言ってるんだ?俺の方がよく知っている?てことは、ここのコーチは俺の知り合いっていうことか・・・?
首を捻って考えていると、道場の扉がガラガラと空いて一人の女性が入って来た。
「みんなごめんねえ。ちょっと仕事に手間取っちゃって。すぐに稽古を始めるからね。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
その女性を見て、俺は言葉を失った。・・・・・祐希さんじゃないか!
歳の割に若くて、それに美人のコーチって・・・彼女のことだったのか。祐希さんは靴を脱いで道場に上がり、俺の姿に気づいてニコリと笑った。
「久しぶりね冴木君。背中の傷はもう大丈夫なの?」
いつものようにジーパンとTシャツだけというシンプルな恰好で、長い髪を後ろで束ねている。そして大きなスポーツバッグを肩に掛けて、俺の前に近付いてきた。
「ふふふ、また会うことになるなんて思ってなかったでしょ?」
「・・・ああ、いや・・・・。」
「全部顔に出てるわよ。すぐに着替えてくるからちょっと待っててね。」
そう言って更衣室に入っていき、顔だけ覗かせて手を振っていた。パタンとドアが閉められ、俺は言葉を失くしたまま固まっていた。
「・・・・・・・・・、痛い!なんですか、いきなり叩いて。」
「ボケっとしてんじゃないわよ。あれ、あんたの知ってる人でしょ?」
「ええ・・・ちょっと・・・色々と・・・・。」
「色々と・・・・・スパイの相棒をしてた人よね?」
「・・・・・・ッ!」
今度は箕輪さんの一言に言葉を失くす。
「あははは!あんたってさあ、ほんとに分かりやすいわよねえ。」
「・・・・・・・・・・。」
何故だ?何故箕輪さんがその事を知っているんだ?俺がスパイをやっていたのは、あの会社では社長と課長しか知らないはずなのに・・・。
「全部聞いたのよ、北川課長からね。」
「か、課長から・・・?」
箕輪さんはコクリと頷き、腕を組んで壁にもたれかかった。そしてやや演技臭く顔を作り、天井の明りを見つめる。
「一週間前にあんたと会った夜、家に帰る途中で店に寄ったのよ。そしたら北川課長が来ていてね、私を見つけるなりいきなり駆け寄って来たの。それで隣の喫茶店につれて行かれて、こう言われたわ。力を貸してくれってね。」
「課長が・・・箕輪さんに・・・?」
「うちの会社・・・・もうかなりヤバイところまで来てるみたい・・・。このまま放っておけば、ごく近いうちにエーカクデーって所に乗っ取られるのよ。だからそれを防ぐ為に、もう一度だけあんたに協力してほしいんだって。」
「また・・・俺に・・・。で、でも!それなら何で箕輪さんの所に行ったんですか?
直接俺に言いにくればいいのに。」
そう尋ねると、箕輪さんは不機嫌そうに顔をしかめた。
「あのね、すっごく不愉快な話なんだけど・・・どうも北川課長は勘違いしてたらしいのよ。」
「勘違い?何をですか?」
「・・・私とあんたが付き合ってるって思ってたのよ・・・。」
「は・・・はい?」
いったいそれは何の冗談だろう・・・。確かに箕輪さんのことは嫌いじゃないけど、それは先輩としててであって、女性としては正直遠慮した・・・・、
「痛ッ!」
「だ・か・ら!思ってることが全部顔に出てるのよ!こっちだって、大金積まれてもあんたとなんかゴメンよ!」
鬼のような顔で睨みつけ、イライラしながら足を踏み鳴らす箕輪さん。
・・・・怖ええよ・・・。
「まったく・・・ほんとにいい迷惑だわ!どこをどう見たら私とあんたが付き合ってるように見えるのよ?」
ギリギリと歯を食いしばり、こめかみに薄く血管が浮かんでいた・・・・。
「北川課長が私に会いに来たのは、あんたに気を遣ったからよ。自分が直接言いにいくと、人の良い冴木君は断れないんじゃないかって心配してたわけ。だから彼女の私なら、本音で答えを聞かせてくれると思ってたのよ。課長の頼みを引き受けるかどうかをね?」
「・・・そうだったんですか・・・・課長が・・・また・・・・。」
「その時に全部教えてもらったのよ。あんたのことも、うちの会社のこともね。」
「じゃ、じゃあ・・・・今まで俺がやってきたことは・・・・?」
「もちろん知ってるわよ。あんたを刺したあのオヤジ、うちのせいで潰れた会社の社長だったんでしょ?なんていうか・・・・災難よねえ。あんただけが悪いわけじゃないのに。
その点だけは同情するわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
俺は顔を背け、唇を噛んで小さな窓を見つめた。絶対に・・・・絶対に誰にも知られたくないと思っていた・・・・。だから店にも顔を出さず、このまま実家に帰ろうと思っていたのだ。それなのに・・・こうもあっさりと「知ってるわよ」と言われると、やはりショックを受けてしまう。
「落ち込んでんの、あんた?」
「いや・・・別に・・・・。」
「あんたって、後ろ頭にも思ってる事が出るわよね。純粋というか、馬鹿正直というか・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「でもね、そんなに自分一人でしょいこむことはないと思うわよ。あんたにスパイの話を持ちかけたのは社長なんだし、課長だってそれに手を貸してたわけだし。それに稲松文具の危機なんて、本来はあんたに関係ないんだからさ。そこまで自分を責めたら、しんどくなるだけよ?」
「・・・分かってますよ、そんなことは。でも・・・俺のせいで傷ついた人たちがいるのも事実です。どんなに言い訳したって、それは誤魔化せません・・・。」
そう、いくら言葉を並べたところで、俺のやったことは消えないのだ。だから俺自身が、ここから消える必要がある。この街から、そして稲松文具から・・・・・。
自分を責めながら遠くを見つめていると、ポンと肩を叩かれた。
「言葉で消すのが無理なら、せめて行動で罪滅ぼししなさいよ。その為にここへ連れて来たんだから。」
俺は息を吐いて気持ちを落ち着かせ、箕輪さんを振り返った。
「・・・・さっきからその辺が分からないんですよ。いったいなんでここへつれて来たんですか?今さら俺を祐希さんに会わせて、いったい何をするつもりなんですか?」
「だからさっきも言ったでしょ?北川課長はもう一度だけあんたに手を貸してほしがってるって。そんで私を彼女と勘違いして話を持って来たのよ。だから・・・・引き受けちゃったんだよね、課長の頼み。」
箕輪さんは、意地悪そうに笑って肩を竦めた。
「な・・・なに勝手なこと言ってんですか!どうして俺への頼みを箕輪さんが勝手に・・・、」
そう言いかけた時、また後ろから肩を叩かれた。
「お待たせ。じゃあ稽古始めよっか?」
柔道着に着替えた祐希さんが、年季の入った黒帯を巻いて立っていた。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< August 2014 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM