動物円を救う為、戦場へ赴いた男がいます。
場所はイラク、首都バグダッドの動物園です。
動物園は戦火に巻き込まれながらも、なんとか形を保っていました。
しかし戦火による混乱で、秩序はあってないようなものです。
夜な夜な賊が動物園に押し入り、動物を殺しては持ち去っていました。
ローレンス・アンソニーという男は、そんな動物園を救うべく立ち上がります。
「動物園を救う為に、戦場へ行って来る。」
誰もが彼の頭を疑いました。
動物を助ける為に、わざわざ危険な戦場に行くなんてどうかしていると。
しかし彼の恋人だけは理解を示してくれて、戦場へ赴くことになりました。
バグダッドはアメリカ軍によって制圧されているので、向こうで活動するには軍の協力が必要です。
現地に赴いたアンソニーは、軍に自分の来訪目的を伝えます。
ここでもまた正気を疑われるアンソニーでしたが、その熱意が通じて軍が力を貸してくれることになりました。
アンソニーはアメリカ軍の兵隊に守られながら、バグダッド動物園へと向かいます。
そしてそこで見た光景は、思っていたよりも遥かに酷いものでした。
ほとんどの動物が賊に殺され、いなくなっていました。
残っているのはトラやライオン、それにヒグマなどの猛獣。
あとは足の速い動物と、穴の中に隠れるアナグマだけでした。
アンソニーはこの動物園へ来て気づいたことがあります。
それはここの動物が殺されたのは、食うに困った賊が押し入ったわけではないということです。
ただ動物を殺すのが楽しみなだけの連中がやって来ているだけだったのです。
中には食うに困って動物園に忍び込む者もいたようですが、そんな人間は一割程度だったそうです。
そしてそういう人達には大いに同情し、少ない活動資金を渡してから、外へ逃がしたそうです。
では残りの九割はというと、昼間はそれなりの仕事に就いている、食うに困っていない者達だったのです。
そういう者達は、夜な夜な動物園にやって来ては、ただ動物を殺すことを楽しんでいたわけです。
戦火で混乱している街だから、警察だの法律だの気にせずに暴れ回っていたということです。
困ったアンソニーは、軍に協力を依頼して、動物園の警備に当たってもらいました。
おかげで賊の侵入は少なくなりましたが、今度は餌や水の確保に苦労したのです。
少ない活動資金に、戦火で疲弊している街。
充分な餌が手に入らず、動物たちを飢えさせた状態でした。
しかし諦めることなく頑張り続け、次第に協力者が増えていきました。
軍の大尉と仲良くなり、惜しみない協力を得たり、また地元の人からの支えがあったり。
それに動物愛護の活動家まで協力に乗り出して、少しずつ動物園を救うことに近づいていったのです。
普通なら戦場にある動物園を助けようなんて思いませんよね。
でもアンソニーは行動を起こし、実際に多くの動物を助けたのです。
まさに命懸けの仕事ですね。
でもアンソニーが動いたおかげで、最終的には多くの人間が動きました。
彼の常識外れな行動は、死を待つしかなかった多くの動物を救ったのです。
この話は「戦火のバグダッド動物園を救え」という本に載っています。
読んでよかったと思える本だったし、アンソニーのような人がいることに安心と感動を覚えました。
彼の勇気と行動力に、心から拍手を送りたいです。
いったいチュウベエの奴はどこまで飛ぶ気なのか?
山を登り始めてからもう一時間が経っていて、足の筋肉は小刻みに震えていた。
「はあ・・・はあ・・・まだかよ・・・・。」
空を飛ぶチュウベエは、歩いている俺たちのことなどお構いなしだ。ただひたすら上を目指して飛んで行く。
「翔子さん・・・大丈夫ですか?」
気を使って声を掛けると、翔子さんは振り返って笑った。
「私は大丈夫です。これでも元陸上部ですから。」
「ああ、どうりで健脚なわけだ・・・俺はもう限界ですよ・・・・。」
「もう少し運動しないとダメですよ。老化が早まっちゃいますから。」
「そうですね・・・・せめて背中のブルドッグが降りてくれたら助かるんですが・・・・。」
俺の背中では、暑さにバテたマサカリが乗っかっていた。
「すまねえ・・・俺はもう限界だ・・・・後のことはよろしく頼む・・・・。」
まるで死にそうな声で言うマサカリ。このまま投げ落としてやろうか・・・。
「人間より体力のない犬って、犬として失格じゃないか。これじゃイノシシと戦うどころじゃないな・・・。」
「面目ねえ・・・・でも腹が減って力が出ねえんだ・・・・。」
「散々食ってるクセに何言ってんだか・・・・。」
どうやらマサカリの身体は、食った物をすぐに脂肪に変換してしまうらしい。
ならばいくら食ったところで太るだけで、やはり真剣に餌を減らすことを考えなくてはいけない。
「くそ・・・・いったいいつまで登るんだ・・・・そんなに高い山じゃないのに・・・・。」
山の過酷さは登ってみないと分からない。いくら標高が低くても、道が険しかったら疲れるというものだ。
もうそろそろ体力の限界に達し、ドテっと座りこんだ。
「ちょっと休憩だ・・・・さすがに足がもたない・・・・。」
「大丈夫ですか?なんだか顔色が悪いですけど・・・・。」
翔子さんは心配そうに俺を見つめ、先ほどのタオルで汗を拭ってくれた。ああ・・・・まるで彼女が天使に見えるな・・・・。
ニヤけた顔で汗を拭ってもらっていると、先を行くチュウベエが突然叫んだ。
「おい、ジャスミンがいたぞ!まだイノシシに囲まれてる!」
「なんだって!おい、ちょっと降りろマサカリ!」
背中からメタボのブルドッグを降ろし、チュウベエのいる場所まで向かう。
すると少し先の方で、イノシシに囲まれたジャスミンがいた。
「ああ・・・・ほんとうにイノシシに囲まれてる・・・。」
真っ黒ないかつい身体をしたイノシシたちが、小さなジャスミンを囲んでいる。
それは遠目に見ても、かなり危険な状況だった。
「ジャスミン・・・このままじゃ危ないですね・・・・。」
翔子さんもその光景を見て不安そうに言う。
「勢いで来たのはいいけど、やっぱりこうしてイノシシたちを見ると怖いですね・・・。どうしよう・・・・。」
「ここは下手に動かず、ちょっと様子を見ましょう。」
「そうですね・・・いざとなったら・・・私が走って助け出します!」
「いや・・・それは無謀なんじゃ・・・・・・、」
「いいんです!いっつも迷惑を掛けてばっかりなんだから、それくらいさせて下さい!」
翔子さんは拳を握り、唇を結んでジャスミンを見守っていた。
《あんなイノシシたちに囲まれてるんじゃ手が出せない。かといって翔子さんを危険に晒すわけにもいかないし・・・どうしたらいいんだ!》
ない頭を捻って必死に考えるが、いい案が思い浮かばない。ここはしばらく様子を見るしかなさそうだった。
・・・・・・・・俺たちは息を飲み、じっとことの成り行きを見守った。
イノシシたちは相変わらずジャスミンを囲んでいるが、襲いかかる気配はなさそうだった。
それにジャスミンの方も怖がっている様子はなく、どちらかというとリラックスしているように見えた。
《どういうことだ?襲われてるんじゃないのか・・・・?》
そういえばチュウベエは言っていた。ジャスミンを見たのは一時間も前だと。
それにここに登って来るのに一時間もかかったわけだから、ジャスミンは少なくとも二時間はこの状況に置かれていたことになる。
それならば、襲われるならとっくにやられているはずなのだ。
「・・・・翔子さん、ちょっとここにいて下さいね。」
「え?もしかして有川さん一人であそこへ行くつもりですか?」
「大丈夫ですよ、あのイノシシたちはきっとジャスミンを襲っているんじゃない。
でも万が一ってことがあるから、翔子さんはここにいて下さい、マサカリと一緒に。」
そう言って腹を出して寝ぞべるマサカリを睨んだ。
「でも・・・もし何かあったら・・・・。」
「大丈夫、僕は動物と話せるんですよ?いざとなったら話し合いで平和的に解決します。」
俺はカッコウをつけて飛び出し、石につまづいて転んだ。
「ちょ、ちょっと!大丈夫ですか!」
「・・・・ええ、平気です・・・・。」
「でも鼻からいっぱい血が出てるじゃないですか!ちょっとじっとしてて下さい。」
翔子さんはポケットからハンカチを取り出し、俺の鼻血を拭ってくれた。
《ああ・・・・このハンカチ・・・さっきのタオルよりいい匂いがする・・・・・。》
翔子さんの香に酔いしれ、思わず鼻の下が伸びる。すると後ろからちょんちょんと誰かに叩かれた。
「悠一さん・・・こんな所で何してるの?」
「え?・・・・・ああ!ジャスミン・・・・・。」
ジャスミンは不思議そうな顔で俺を見ていた。そして翔子さんの姿に気づくと、「あ!」と叫んでイノシシたちの方に逃げて行ってしまった。
「おいジャスミン!なんで逃げるんだよ?」
立ち上がって追いかけると、いかついイノシシたちが立ちはだかった。
「おう兄ちゃん・・・・ジャスミンに何か用か・・・・?」
額に三日月模様の傷の入ったイノシシが、鋭い目で睨んでくる。
「ああ・・・ええっと・・・ちょっと話があって・・・・。」
「話だあ・・・・・てめえ・・・あの子のなんなのさ!」
「なんなのさって言われても・・・・元飼い主・・・・かな?」
「ああ〜ん!元飼い主だあ〜!」
いかついイノシシは鬼のような顔で睨んでくる。その迫力は、まるで猛獣のようだった。
「ひいいいいい!ごめんなさい!別に捨てたわけじゃないんです!ただちょっと生活が苦しかったから、猫神神社に預けただけで・・・・。」
「言い訳無用!ペットを捨てる奴なんざ・・・俺の牙であの世へ送ってやるぜ!おいてめら!この兄ちゃんを血祭りに上げるぞ!」
周りのイノシシたちは「おおう!」と頷き、前足を踏みしめていた。
「ちょ・・・ちょっとタンマ!争い事はよくない!ここは平和的に話し合いをしてだね・・・・。」
「何が平和的だ!遊びでイノシシを撃つ人間どもに言われたくねえぜ!」
「いやいや、俺はハンターの経験なんて・・・・、」
「問答無用!どてっ腹に穴を空けてやる!」
「ぎゃあああああああ!」
イノシシの牙が目の前に迫る。俺は目を瞑り、成すすべなく貫かれた・・・・・・・はずだった・・・・。
《あれ・・・・・痛くない?なんで?》
いったい何が起きたのかと目を開けると、そこにはジャスミンがいた。
「やめて!暴力は反対よ!」
「ジャスミン・・・・どうしてその人間を庇うんだ?」
「だってこの人は良い人だもの。遊びで動物を傷つけるような人じゃない!」
「でもお前を捨てたんだろう?」
「違うわ。悠一さんは私を助けてくれたの。もし彼に拾われていなかったら・・・・私はもう生きてなかったかもしれない・・・・・。」
ジャスミンは悲しい声で呟き、俺を見上げて「ごめんね・・・」と謝った。
「このイノシシさんたち、ちょっと誤解してるの。」
「誤解・・・・?」
「うん・・・。ほら、私って、元々は悠一さんの彼女に拾われたでしょ?」
そう・・・ジャスミンを最初に拾ったのは藤井なのだ。
でもこの街を離れなければいけなくなったから、ジャスミンの母親捜しを頼まれたのだ。
そしてジャスミンの母を何とか見つけ出したんだけど、そこには悲しい結末が待っていた。
「・・・・悠一さんは、頑張って私のお母さんを捜してくれた・・・。
でもお母さんも野良猫だし、他の兄弟を抱えてたから、私を育てる余裕はなかった・・・。」
「ああ、覚えてるよ。だから俺が飼おうとしたんだけど、あまりにお金が無くて無理だったんだ。
そうしたらたまきがお前を引き取ってくれたんだよな。」
「うん・・・。でもね、私のお母さんも元々は飼い猫だったの。けど子供を産んじゃったから捨てられたんだ・・・・。」
「そうなのか?」
「変に同情されたくないから今まで言わなかったけど、このイノシシさんたちにはその事を知ってるの。
だから悠一さんを私のお母さんを捨てた人と勘違いしたみたいで・・・・ごめんね。」
ジャスミンは耳を垂れて謝った。後ろで見ていたイノシシたちも「すまねえ・・・勘違いして」と申し訳なさそうにした。
「いやいや、別にいいよ。それよりさ・・・・・、」
「有川さん!」
「うぶお!」
駆けよって来た翔子さんが、石につまづいて転ぶ。そして俺にぶつかるようにして倒れた。
「ちょ、ちょっと翔子さん・・・大丈夫ですか?」
「ああ・・・ごめんなさい・・・焦っちゃって・・・。それより有川さんは平気ですか!イノシシに突進されてましたけど・・・・。」
「ああ、こいつが守ってくれたから大丈夫ですよ。」
そう言ってジャスミンを抱き上げると、翔子さんは「あ!」と驚いた。
「ジャスミン!・・・その、この前はごめんなさい。私ったら・・・てっきりあなたが野良猫だと思っちゃって・・・・。
無理矢理連れて帰ろうとしてごめんね・・・・・。」
そう言って優しく頭を撫でると、ジャスミンは泣きそうな顔で俯いた。
「ジャスミン?どうしたんだ?」
「・・・・・・・・・・。」
ジャスミンは俯いたまま、全く顔を上げようとしない。それどころか、俺の腕から逃げ出してしまった。
「おいジャスミン!どこ行くんだ!」
慌てて追いかけようとすると、さっきのイノシシに止められた。
「兄ちゃん・・・・今はほっといてやんな。」
「どうしてだ?もしかして・・・ジャスミンの気に障るようなことを言ったかな・・・・?」
「いいや、そうじゃねえ。ジャスミンは今悩んでるんだよ。」
「悩む?いったい何を?」
そう尋ねると、いかついイノシシは遠い目で空を見上げた。その演技臭い顔にちょっとだけイラっとしたが、あえて何も言わなかった。
だってまた突進されたらたまったもんじゃないからな。
いかついイノシシは空を見上げたまま、渋い声で呟いた。
「ジャスミンはな・・・・すごく繊細な猫なんだよ。野良で生きていくには、ちょっと弱過ぎるんだ。
だから心の底では、人間に飼ってもらいたいと願ってるのさ。」
「そうなのか?でもあいつはここで幸せに暮らしてるはずじゃ・・・・。」
「ああ、たまきが面倒みてるから幸せに暮らしてるよ。でもな、それはジャスミンが望む幸せとは違うんだよ。
あれはいつだったか、人間に飼われる猫にすごく嫉妬したことがあった。だから勝手に人の家に入って、すごく怒られたことがあるらしい。」
「マジかよ・・・あの真面目なジャスミンが・・・・・。」
俺にはちょっと信じられなかった。だってジャスミンはいつだって明るくて、元気いっぱいに笑っていたから・・・・。
でもよくよく思い出すと、たまに陰のある顔をしている時があった。それに俺たちが会いに来るとすごく喜んでたし・・・・。
・・・・なんてこった・・・・。俺はジャスミンのことを全然分かっていなかったのか・・・・。
てっきりここで幸せに暮らしてると思ってたのに、心の中ではずっと悩んでいたなんて・・・・。
これじゃジャスミンの母親を捨てた人間と変わらないじゃないか!
「兄ちゃん、顔上げな。」
イノシシに言われて顔を上げると、そこには演技臭い表情を消した、真面目な顔があった。
「さっきそこの姉ちゃんが言ってたよな?無理矢理連れて帰ろうとしたって。」
「ああ、でもそれがどうかしたのか?・・・っていうか、お前翔子さんの言葉が分かるのか?」
「分かるよ。そこの姉ちゃんはずいぶんと動物が好きみたいだ。そういう人間っていうのは、自然と俺たちと心を通わせちまうもんさ。
だから喋ってる言葉くらい分かるぜ。まあこっちの言葉は通じねえだろうけど。」
「・・・・そうか、翔子さんの言葉は動物に通じるか・・・。」
「まああんたみたいに、俺らと会話出来る人間はそうはいねえだろうけど。」
イノシシは可笑しそうに言い、それから深く頭を下げた。
「だからこの俺からあんたに頼みがあるんだ。どうかそれを聞いてほしい。」
「頼み?俺に出来ることならいいけど・・・・。」
「あんたにしか出来ねえことだ。ジャスミンはな・・・そこの姉ちゃんに拾われそうになった時、すごく嬉しかったんだよ。
あいつは人間に飼われることを望んでいたから、あのまま連れて帰ってほしかったんだ。
けどよお・・・・たまきのことを考えちまったんだ。」
「たまきのことを?どういうことだ?」
「たまきはジャスミンの育ての親だろ?それに今だって色々と面倒をみてもらってる。
だからたまきを捨てて、人間に拾われてもいいのかってな。」
「ああ・・・・なるほど・・・・。恩義を感じてたわけか。」
「そういうことだ。ジャスミンはとにかく真面目な奴だから、育ての親であるたまきに恩を感じてるのさ。
本当はそこの姉ちゃんに拾ってほしいんだけど、でもそれはたまきに対する裏切りになるんじゃないかってな。」
「そうか・・・・それで翔子さんから逃げ出したんだな・・・・。」
ジャスミンは翔子さんの顔を見た時、ずいぶんと切ない顔をしていた。
それは拾ってもらいたいという思いと、たまきへの恩義で気持ちが揺らいでいたからなんだろう。
一年もジャスミンと接していながら、それを見抜けなかった俺はなんて不甲斐ないんだか。
いったい何の為に動物を助ける活動をしているのか、自問自答したくなってくる。
俺は自分の不甲斐なさを恥じ入りながら、イノシシの目を見つめ返した。
「ええっと・・・・あんた名前は?」
「曙だ。」
「曙か・・・・なんかピッタリだな。」
「人間の相撲取りの名前なんだ。似合ってるだろ?」
「ああ、まさに横綱って感じだよ。それで曙の頼みっていうのは何なんだ?
まあだいたい想像はつくんだけど、いちおう聞かせてくれないか?」
立ち上がってそう尋ねると、曙は目を閉じて頷いた。
「俺の頼みっていうのは、ジャスミンを幸せにしてやってほしいってことなんだ。
あいつは人間に飼われることを望んでいる。そして・・・自分を飼ってくれそうな人間が現れた。」
曙は翔子さんの方を見てそう言った。
「だからよお・・・あんたからそこの姉ちゃんに伝えてやってくれねえか?ジャスミンは・・・本当はあの時嬉しかったんだって。
そこの姉ちゃんに抱かれて、あのまま家に連れて帰ってほしかったんだって。」
「ああ・・・分かってるよ。きっとあんたの頼みはそうじゃないかと思ったんだ。」
「ジャスミンはあれでも人を見る目がある。野良を経験した猫ってのは、特に人間を見る目が敏感になるからな。
そのジャスミンが、そこの姉ちゃんは信頼出来る人間だって見抜いたんだ。だからもしよかったら・・・・ジャスミンを飼ってやってくれねえか?
俺はあいつの友達なんだ。だから幸せになってもらいてえ・・・・この通り。」
曙は深く頭を下げる。きっと見た目とは裏腹に、こいつも繊細な奴なんだろう。
「分かったよ、俺から翔子さんにジャスミンの気持ちを伝える。なあに、翔子さんならきっと大事に飼ってくれるさ。」
曙は満足そうに頷き、サッと背中を向けた。
「俺の頼みはそれだけだ。さっきは襲いかかって悪かったな。」
「いいよ、全然気にしてないから。それより一つ質問があるんだけどいいかな?」
そう尋ねると、曙は「いいぜ」と振り返った。
「あんた・・・・たまきのことを知ってるんだよな?」
「ああ、というより、この山に生きる動物たちはみんな知ってるぜ。」
「そうなのか・・・・。じゃあちょっと教えてくれないか?たまきは・・・・いったい何者なんだ?
あいつはどう考えたって普通の猫じゃないよな?あんたなら何か知ってるんじゃないのか?」
身を乗り出して尋ねると、曙は黙って首を振った。
「悪いが・・・・それは俺の口からは教えられねえ。」
「どうして?たまきが何者か知ってるんだろ?だったら教えてくれても・・・・、」
「知ってるから教えられねえんだよ。あいつは確かに普通の猫じゃねえけど、でも俺たちにとっちゃ神様みたいな存在なんだ。
だから軽々しくその正体を口にすることは出来ねえ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
曙ほどの奴が口にするのを躊躇うなんて、ますますたまきの正体が知りたくなってきた。
でもこれ以上食い下がったところで、きっと曙は答えてくれないだろう。
「そうか・・・分かったよ。」
「悪いな、こっちは頼み事を聞いてもらってんのによ。」
「いいさ、ジャスミンの気持ちに気づかなかった俺だって悪いんだから。」
肩を竦めながらそう言うと、曙は少しだけ笑った。
「あんたはほんとうに珍しい人間だな。いくら動物と話せるからって、普通はそこまで親身になる奴はいねえと思うぜ。」
「そんなことはないよ。世の中にはすごく動物を大切にする人間だっているんだ。
中には動物園の動物を救う為に、戦場まで出かける人だっているんだから。」
「本当かよ?」
「本当さ。・・・・て言っても、本で読んだだけだけどな。」
「そうかい・・・・そんなありがたい馬鹿までいるのか。野生で生きる俺らにとっちゃ、人間なんてのは目の敵でしかねえんだけどな・・・・。」
曙は憂いのある顔で笑い、再び背を向けた。
「兄ちゃん、たまきの正体は答えられねえけど、ヒントならくれてやるよ。」
「ヒント?」
「世の中にはな、普通じゃ考えらない奴がたくさんいるってことだ。
動物を助ける為に戦場へ行く人間だってそうだし、あんたみたいに動物と話せる人間だってそうだ。
でもそれは俺らの仲間も一緒で、動物にだって普通じゃ考えられない奴がいるんだ。たまきってのは、そういう普通じゃ考えられない動物なんだよ。
だからもしかしたら、いずれたまきの方から正体をバラすかもな・・・・。」
曙はそれだけ言い残し、仲間を連れて去って行く。そして一言だけこう叫んだ。
「ジャスミンをよろしくな!」
大きな声が山にこだまして、遠くまで響いていく。
俺は彼らを見送ると、後ろに立つ翔子さんを振り返った。
すると彼女もこちらを見つめていて、何かを言いたそうな顔をしていた。
「あの・・・・さっきのイノシシは何て言ってたんですか?」
「ええ、ジャスミンの気持ちを翔子さんに伝えてくれって。」
「ジャスミンの気持ち・・・・・?」
翔子さんは不思議そうに首を傾げる。俺は曙から聞いた話を、一言一句もらさず伝えてあげた。
そして全てを話し終えた時、胸ポケットのカモンが目を覚ました。
「ん・・・・ここはどこだ?」
間の抜けた質問に、みんなが苦笑いした。
- 2014.10.30 Thursday
- 09:33
「わたくし、萩原と申します!」
にこやかな笑顔で、手を上げながら愛挨拶をする主人公、萩原健太郎。
若くして両親を失い、二人の幼い弟の面倒を見ながら生活する青年。
彼はいつでもお金に困っていて、四畳一間のボロ家に弟たちと住んでいた。
上の弟は家事をこなし、下の弟は豚の貯金箱にお金を貯めていく。
萩原は貧しいながらも、決して明るさを失わずに生きていた。
弟たちと、幼馴染の道子、それに怖いながらもどこか憎めない借金取り。
貧乏だけど、それなりに明るくて楽しい生活を送っていた。
しかしある時、萩原の勤めている会社が倒産してしまう。
収入の無くなった萩原は、道子の紹介で清掃の仕事を始めた。
しかし安い給料ではいつまで経っても借金は返せない。
弟たちには苦労を強いるし、家だって追い出されてしまった。
でもそんな萩原に転機が訪れた。
ひょんなことがキッカケで、大きな保険会社に採用されたのだ。
貧乏のどん底にいた青年が、いきなり一流企業の社員になってしまう。
このチャンスを活かさなければ、いつまでたっても貧乏から抜け出せない。
萩原は生活の為、借金の為、そして弟たちの為に、不慣れた仕事に悪戦苦闘しながらも頑張った。
その甲斐あって、やがて大きな仕事を任せられるようになった。
これが決まれば昇進も夢ではない。借金だって返せるし、何よりも貧乏から脱出できる。
萩原はますます仕事に打ち込むが、その中で大切なものを見失っていった。
新しいものを手に入れるには、何かを捨てなければならない。
尊敬する社長の言うとおり、萩原は大事なものを捨ててまで出世した。
しかし・・・・そこに本当の幸せはなかった。
あんなに憧れてたお金持ちの生活が手に入ったのに、そこにはまったく幸せというものを感じなかった。
あのボロい家で、貧乏ながらも弟たちと楽しく暮らししていた幸せ。
萩原は自分を見つめ直し、捨てたものを取り戻す為の戦いを始める。
それと同時に、お金の大切さ、働くことの楽しさも忘れなかった。
萩原は大切なものを取り戻し、今度は自分の力でのし上がろうと決める。
そしてあのボロい家から、もう一度新たな人生のスタートを切る。
・・・もう二十年くらい前にやっていた「お金がない!」というドラマの粗筋です。
なんだかとても簡単に書いてしまったけど、本当はもっと中身の濃いドラマなんです。
お金のこと、仕事のこと、それに家族のことや、成功と失敗を繰り返す萩原の生き様。
どれもが見事に絡み合い、とても面白いドラマでした。
幼い弟たちは兄を慕って懸命に生きているし、幼馴染の道子はいつだって萩原を気にかけている。
それに大沢という同僚は親身になって力を貸してくれるし、柏木部長は厳しいながらも優しさを見せてくれる。
それぞれの人間がそれぞれの個性を発揮しながら、萩原健太郎という一人の男によって、良い意味で人生を変えられていくんです。
それに家族を取るのか、それとも仕事を取るのか?という葛藤も描かれていて、萩原の苦悩がよく窺えます。
家族は大事だけど、お金がないと生活していけない。
けど仕事に打ち込みすぎると、家族をおろそかにしてしまう。
そんな萩原をいつも支えてくれるのが、幼馴染の道子です。
男勝りの豪快な性格で、小さな事は気にしないサッパリした性格です。
でも彼女も両親を亡くしていて、辛い過去を背負っているんです。
このドラマに登場する人物は、みんな辛い過去があったり、もしくは大事な何かが欠けていたりすんです。
それでも強く、そして前向きに生きていこうとしています。
それがこのドラマの面白いところでもあります。
もうずいぶん昔のドラマだけど、今でも色褪せることなく親しまれています。
だって再放送ドラマの常連ですからね。
ストーリーは知っているのに、ついつい見ちゃうんですよ。
踊る大捜査線もよかったけど、私は萩原を演じる織田裕二さんの方が好きです。
「お金がない!」は、紛うことなき名作ですよ。
- 2014.10.30 Thursday
- 09:28
暑い日射しは容赦なく照りつけ、身体から力を奪っていく。
出来れば今すぐにでも冷たいシャワーを浴びて、エアコンの効いた部屋で眠りたかった。
しかしそいうもいかない。たまきという恩のある猫から、大事な仕事を任されたのだから。
それに何より、引きこもりになってしまったジャスミンを放ってはおけない。
俺は根っこの穴に膝をつき、中で丸くなっているジャスミンに問いかけた。
「なあジャスミン、どうしてそこまで悩んでるのか教えてくれないか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
ジャスミンは何も答えない。まるで殻を閉じた貝のように、知らんぷりを決め込むつもりらしい。
「たまきはお前のことを心配してたぞ。このままじゃ猫界のニートになっちまうって。」
「・・・・・ニートでいい。」
「いや、ダメだろ。たまきはお前を育ててくれたお母さんなんだから、あんまり心配かけたら良くない。
だから俺たちでよかったら、何でも話してくれないか?」
そう言うと、モンブランも「そうよ」と頷いた。
「ジャスミンはいつも明るいのに、そんなに落ち込むなんてきっと何かあったんでしょ?
翔子さんに連れて帰られそうになったのが、そんなに怖かったの?」
「・・・・違うわ・・・その逆よ。」
「逆・・・?どういうこと?」
「・・・・・言いたくない。」
「どうして?」
「だって・・・・・たまきに悪いから・・・・。」
「たまきに悪い・・・?」
モンブランは不思議そうに首を傾げた。するとカモンがジャスミンの元まで降りてきて、腕を組んで睨んだ。
「ははあん・・・俺、もしかしたら分かっちゃったかも・・・・。」
「何がだ?」
「ジャスミンはさ、翔子の家に行くのが嫌なんだよ。だってあそこにはカレンって猫がいるだろ?」
「ああ、翔子さんが可愛がってる猫だ。モンブランの友達でもあるよな?」
そう尋ねると、モンブランは「親友よ」と頷いた。
「カレンはとっても繊細な猫でね、いつも翔子さんのことに気に掛けてるの。
でもそれだけ飼い主のことを愛してるってことだけど。」
「だよな。俺も何度か会ったことがあるけど、カレンは良い猫だぞ。」
そう言ってカモンを手に乗せると「チッチッチ」と短い指を振った。
「いいか、若いの。」
「お前より年上だよ。」
「きっとジャスミンはな・・・・カレンのことが嫌いなんだよ。」
「・・・・はあ?」
「ジャスミンはこの神社に住んでるけど、ずっとここで生活してるわけじゃないだろ。
だから街に降りた時に、カレンと知り合ったんだ。そしてその時にこう思ったんだよ。
カレンは繊細な猫だから、気に障ることをしたらイジめられるかもしれないって。」
カモンは自信たっぷりに言う。するとモンブランが「ちょっと待ってよ」と割って入った。
「確かにカレンは気難しいところがあるけど、年下の猫を苛めたりしないわ。」
「そうかな?」
「そうよ。カレンのことを何も知らないクセに偉そうなことを言わないで。」
モンブランはプリプリ怒り、尻尾の毛を逆立てていた。
「はあ・・・やっぱりお前は馬鹿だな。しょせん猫の脳ミソなんてそんなもんか・・・・。」
「なんですって!あんたこそ調子に乗ってると、輪ゴムで縛ってエアコンの室外機に張り付けるわよ!」
モンブランは牙を見せつけ、カモンに「シャー!」と唸った。
「本気で怒るなよ馬鹿・・・・。」
カモンは慌てて俺の胸ポケットに避難し、顔だけ出して言い返した。
「お前こそカレンの何を知ってるんだ?どうせ会うのは外でだけなんだろう?
じゃあ家の中にいる時のカレンは知らないんじゃないか?」
「カレンは家でも外でも変わらない。そんな表裏のある猫じゃないもん!」
「じゃあ見たのかよ?」
「見てなくても分かる!」
「なんで?」
「メスの勘よ!」
「バ〜カ。」
「このネズミ〜ッ・・・・マジで縛って雨どいから吊るしてやる!」
モンブランは毛を逆立て、胸ポケットのカモンに襲いかかる。
俺はそれを避けようと立ち上がり、股間にモンブランの猫パンチを食らってしまった。
「痛ッ!」
「ああ、ごめん・・・・だって急に動くから。」
「どうでもいいから喧嘩するな!こっちが迷惑だ!」
「何よ悠一まで!親友を馬鹿にされて黙っていられるわけないでしょ!」
モンブランはまた猫パンチを打とうとする。それも俺の股間を狙って。
「だから股間を殴ろうとするな!ちょっとは落ち着けよ!」
「そうだそうだ!このバカ猫のサノバビッチ!飼い主のキャンタマを叩くなんて最低だぞ。」
アホのカモンは余計ことを言って挑発する。俺は「引っ込んでろ!」と胸ポケットに押し込んだ。
「・・・ウウッ・・・言わせておけばあ・・・・・。」
《・・・・こりゃまずい・・・こいつ本気で怒ってる・・・・。
こうなるとしばらく手がつけられないから、無視して機嫌が治るのを待つか。》
そう思って背中を向けると、また股間にパンチをお見舞いしてきた。
「痛ッ!だから何すんだよ!」
「うっさいこの馬鹿ども!カレンはそんな悪い子じゃないわ!」
「分かったよ、だから落ち着け。」
「イヤよ、そこのネズミが謝るまで許さない!」
そう言ってカモンが隠れるポケットを睨みつける。するとアホのカモンは、ベロを出して言った。
「バ〜カ。誰が謝るか。」
「・・・・・・・・・・・・ッ!」
モンブランの目に殺気が宿る。こりゃ本気でヤバイと思った時、なぜか急に怒りをといた。
「・・・・いいわ、あんたみたいなアホには何言っても無駄ね。だから私が直接カレンに確かめてくる。
ジャスミンのことを知ってるかどうか?そして・・・もし知ってるなら、彼女のことをどう思ってるのか?
すぐに戻って来るから、覚悟して待っとけ!」
そう言い残し、ダッシュで神社から去って行った。
「なんだあのアホ猫・・・・いきなり興奮しやがって・・・。」
「お前が興奮させたんだろ。」
「痛ッ!デコピンすんな!」
怒るカモンをポケットに押し込み、再びジャスミンの方を振り向いた。
「ごめんな、喧嘩ばっかりしちゃって・・・・って、ありゃ?あいつどこいった?」
根っこの穴かからジャスミンの姿は消えていた。さっきまでここで丸まっていたはなのに。
立ち上がって辺りを見回していると、チュウベエが山の方に向かって羽を向けた。
「ジャスミンなら山に逃げたぞ。」
「なんだって?いつ?」
「ついさっき。お前らが喧嘩してる時だ。」
「だったら言えよ!」
「だってジャスミンが『シ〜』って言うから。」
「素直に言うこと聞いてんじゃねえよ!いったい何の為にここまで来たと思ってんだ!」
「そうケンケンするな。身体によくない。」
「お前のせいだよ!この仕事が成功しなかったら、二十万はパアなんだぞ?そこんところを分かってるのか?」
「だからそうケンケンするな。俺が空から捜してきてやるから。」
チュウベエは空に舞い上がり、緑に染まる山の方へと飛んでいってしまった。
「コラ!勝手に飛んで行くな!」
「見つけたら知らせに来る。ミミズでも食って待ってろ。」
「食わないよ!俺たちは鳥じゃねえんだ。」
俺はがっくりと項垂れ、神社の境内に腰かけた。夏だというのに境内の縁側は冷えていて、なぜか不思議に思った。
「えらい冷たいな。」
なぜだか気になったので、ちょっと下を覗いてみた。
すると社の下に大きな井戸があり、どうやらそこから冷気が吹き上がっているようだった。
「なるほど・・・きっとあの下には地下水が流れてるんだな。」
地下を流れる水は夏でも冷たい。きっとここの神社は、この暑い季節でも涼やかな場所なんだろう。
「こりゃいいことに気づいた。暑さに我慢出来なくなったら、ここに涼みに来よう。」
俺は背伸びをして、もう一度境内に腰かけた。最近暑い部屋で暮らしていたせいで、涼しいこの場所が天国に感じる。
それはカモンも同じようで、ポケットから抜け出して縁側に寝そべっていた。俺もカモンの隣に寝そべり、じっと目を閉じた。
「・・・・ああ・・・気持ちいい・・・・なんだかこのまま溶けちゃいそうだよ・・・・。」
冷えた縁側から、背中に気持ちのいい冷気が伝わってくる。その快感に身を任せていると、だんだんとまどろんできた。
「・・・・藤井・・・・俺は俺なりに頑張ってるそ・・・・。お前はどうだ・・・・上手くやってるか・・・・?」
眠りに落ちる前、一瞬だけ藤井の顔が浮かんだ。そして夢の中に落ちると、そこには顔のぼやけた知らない男が立っていた。
藤井はその男と手を繋ぎ、二人してどこかへ消え去っていってしまった・・・・。
*
・・・・頬に何かが触れている。とても柔らかくて、プニプニした感触だった。
いや、それだけじゃないな・・・・。なんだか鼻をつく臭いがしている。
それはとても臭い臭いで、しかもどこかで嗅いだことのある臭いだった。
「・・・ううん・・・・何だ・・・・?」
眠たい目をこすって起きると、目の前に犬の肛門があった。
「のわああああ!なんだ!」
「よう、おはよう。」
「マ・・・・マサカリ!どうしてここに!」
マサカリはウンチの態勢でお尻を向けていて、ニヤニヤと笑っていた。
「あんまり呼んでも起きねえからよ、コイツを嗅がして起こしてやったわけよ。」
「やめろバカ!危うく悪夢を見ることろだったぞ!」
「元々悪夢を見てただろ?寝てる時にずいぶんうなされてたぞ。」
「いや・・・・それは・・・・。」
そう・・・俺は嫌な夢を見たのだ。藤井が俺の知らない男と手を繋いで、どこかに去って行く夢を。
気がつけばビッショリと寝汗をかいでいて、Tシャツが滲んでいた。
するとふと目の前にタオルが差し出され、「使って下さい」と言われた。
いったい誰かと思って見てみると、そこには麗しき美人が立っていた。
「しょ・・・翔子さん!」
「ぐっすり寝てましたね。ここって涼しいから気持ちよかったのかな?」
そう言ってタオルを渡し、空を見上げて目を細めていた。
その横顔は芸術品のように美しく、思わず見惚れてしまう。
《ああ・・・・綺麗だ・・・・・。》
翔子さんはいつものように髪を後ろでアップに纏め、白く滑らかな肌を見せつけていた。
しかも今日は珍しくミニスカートを履いていて、上は抜群のスタイルを強調するキャミソール。
《・・・・ああ・・・これが見られただけでも、今日を生きた甲斐があるというもの。
神様仏様、この素敵な光景に感謝します。》
思わず手を合わせて拝みそうになる。しかしそんなことをしたら、また動物たちからからかわれてしまうだろう。
だから心の中だけでそっと拝んでおいた。
俺は翔子さんから渡された良い匂いのするタオルで汗を拭き、まだお尻を向けるマサカリに尋ねた。
「さっきも聞いたけど、どうしてお前がここにいるんだ?」
「ああ、それはな、モンブランがカレンの家に行ったからだ。」
「モンブランが?確かにあいつはカレンに会いに行くって言ってたけど・・・・。」
そう聞き返すと、マサカリの代わりに翔子さんが答えた。
「そうなんです。私が家に帰って来ると、部屋で二匹がコソコソ話してたんです。
それもなんだか秘密の会話みたいな感じで・・・。
それを見た時、これはよからぬことを企んでいるんじゃないかと思ったんですけど、私は動物の言葉が分からないから・・・。
だから有川さんに相談しようと思って家に行ったんです。でもお留守だったから引き返そうとした時に・・・・・。」
翔子さんはそこで言葉を区切り、マサカリを見つめた。
「心優しい俺様は、翔子を引っ張ってここまで連れて来たわけだ。
ああ・・・なんて良い奴なんだ俺は。あとで餌を奢れよ。」
マサカリはそう言いながら、口の周りをペロペロ舐めていた。
「お前・・・すでにオヤツを食っただろ?それも翔子さんに買ってもらったやつを。」
「あ、バレた?」
「当たり前だ!まったく・・・・他人にまで餌をねだるんじゃないっての。」
俺はペシンとマサカリのお尻を叩き、まだ寝ているカモンを手に乗せた。
「こいつ最近よく寝るな。暑いから疲れてるのかな?」
カモンはスヤスヤと寝息を立てていて、まったく起きる様子はなかった。
「・・・・早く報酬をもらって、エアコンくらい使えるようにしないとな。」
カモンを起こさないように胸ポケットに入れ、翔子さんと向かい合った。
「すみません、わざわざ来てもらって。」
「いえいえ、いいんですよ。今日はちょうど休みだったし。」
翔子さんは屈託のない顔で笑う。それはまさに天使の頬笑みで、夏の暑ささえ心涼しく感じられるほどだった。
しかしあまり浮かれすぎていると、絶対にマサカリからツッコミを入れられる。
俺は表情を引き締め、努めて真面目な口調で尋ねた。
「あ、あの・・・・モンブランとカレンは・・・・?」
「まだ私の家にいると思います。二匹でコソコソ話してましたから。」
「ああ・・・そうですか。まったく・・・しょうがないな、モンブランのやつは・・・・。」
「いいんですよ、モンブランはカレンの親友ですから。それより今回はどんな活動をしてるんですか?ぜひ私もまぜて下さい!」
翔子さんはキラキラと目を輝かせて詰め寄ってきた。
彼女は大の動物好きで、しかも動物と話せる俺のことを尊敬している。
だから藤井がいなくなった今、時々動物を助ける活動を手伝ってもらっているのだ。
「今回は猫に関することですか?それなら私だってちょっとは役に立てますよ!だってカレンを飼ってるんだから!」
そう言ってグイッと顔を近づけてくる。これ以上近づけば、鼻が触れそうなほどに・・・・。
俺は顔を真っ赤にしながら、サッと目を逸らした。
「ええっと・・・まあそんなところです。実はここにジャスミンという猫がいて、そいつが引きこもりになっちゃったんですよ。」
「猫が引きこもりに・・・・・?ははあ・・・・これは私たちの出番ですね!」
「ええ・・・はい・・・。」
さらに顔が近くなって、もはや息使いまで聞こえて来る。これ以上近くに来られたら、きっと俺は理性を保てないだろう。
・・・・いやいや、絶対にそんなことはイカン!俺には藤井がいるんだから、いくら翔子さんといえど浮気なんて許されないのだ。
「あ、あのですね・・・・、」
「はい!」
「・・・・少し落ち着いて話しませんか?」
「え?・・・・ああ!すいません、つい興奮しちゃって・・・・。」
翔子さんは申し訳なさそうに謝り、俺の使ったタオルで汗を拭いていた。
このタオル・・・・後で持って帰りたい!
俺はタオルを尻目に、咳払いをして話を続けた。
「そのジャスミンという猫なんですが、元々は俺が飼っていた猫なんです。けど事情があってここの神社に預けてて・・・。」
「ここの神社に?とういうことは、神主さんに預けてるんですか?」
「ええっとまあ・・・・そうですね。ここの神主さんにです、ははは・・・・。」
うん・・・ウソはついてないよな。たまきはここの神主みたいなもんだって言ってたんだから。
「それでですね、翔子さんにお尋ねしたいんですが、一ヶ月ほど前にここの神社に来ませんでしたか?」
「一ヶ月前に?そうですねえ・・・・確かに来ました。ちょっとカレンのことで悩んでたから、ここの猫神様にお祈りしようと思って。あ!あ!それでその時にですね、すごく可愛い猫を見たんですよ!
キジトラ模様のメス猫なんですけど、一目で気に入っちゃって。首輪をしてないから多分野良だと思うんですけど。」
「じゃあそのキジトラの猫を持って帰ろうとしませんでしたか?」
そう尋ねると、翔子さんはまた目を輝かせて顔を近づけた。
「ええ!ええ!しましたとも!あの猫を見た時、これはきっと猫神様が願いを聞いてくれたんだって思ったから!」
「願いを聞いた・・・・?」
「私がお願いしたのは、どうかカレンに良い友達が見つかりますようにってことなんです。」
「ははあ・・・なるほど・・・・。」
そんなことは知っているが、決して口にするわけにはいかない。俺は嘘くさい演技で頷き、「それで?」と先を促した。
「カレンはいつも寂しがっているんです。外に出ればモンブランや他の友達がいるけど、家の中だと一人ぼっちだから。」
「え?でも確か犬がいましたよね。トイプードルのコロンが。」
「はい。けどコロンとは歳が離れてるから、どっちかというとお姉さんみたいな感じなんです。
だからもっと歳が近くて、友達みたいに仲良くなれる子がいたらなと思って。
それでここにお参りに来たんですけど、ちょうど手を合わせた後にあのキジトラの猫が出て来たんです。
だからこれはきっと、猫神様が願いごとを聞き届けてくれたんだと思って。」
「それで家に連れて帰ろうと?」
「はい!けど抱っこしてしばらくすると、急に暴れ出しちゃって・・・・。
やっぱり野良だから、知らない人にいきなり抱っこされるのは抵抗があったんでしょうね・・・。
私ったらそんな基本的なことも忘れて・・・・・あの子には悪いことをしちゃったな・・・・・。」
「そうですか・・・そんなことがあったんですね。」
今初めて聞いた話のように、渋い顔で頷いてみせる。翔子さんは本当に申し訳ないと思っているようで、がっくりと肩を落としていた。
「だからあの猫にもう一度会って、ちゃんと謝ろうと思っていたんです。ここへ来たら会えると思ったんですけど、今日はいないみたいですね。」
そう言って辺りを見渡し、また肩を落としていた。
「翔子さん、ちょっといいですか?」
「はい?」
「実はですね、ここの神主さんに預けたジャスミンっていう猫が、そのキジトラの猫なんですよ。」
「ええええ!そうなんですか!じゃあ野良じゃなかったんですね?」
「はい。それでですね・・・・これは決して翔子さんのせいというわけじゃないんですが、それ以来ジャスミンが引きこもりになってしまったんです。」
「・・・・・・・・・・ッ!」
翔子さんの目が大きく開かれる。そして急に怖い顔になって、俺の手を掴んできた。
「じゃ、じゃあ・・・・私が無理矢理連れて帰ろうとしたから・・・・引きこもりになっちゃったことですか・・・・?」
「いやいや、だからそういう意味じゃなくて・・・・・、」
「でもそれしか考えられないじゃないですか!ちゃんと飼い主がいるのに、見知らぬ人に連れて行かれそうになったら怖いに決まってますよ!
ああ・・・・私ったらなんて馬鹿なんだろう・・・・。動物のことになると、いっつも空回りばっかりで・・・・・。」
「そ、そんな・・・翔子さんのせいじゃないですよ・・・・。」
「いいえ!私のせいに決まってます!これはなんとしてもその子に謝らないと・・・・。有川さん、協力して下さい!」
「はい・・・?」
「私は動物と話せないから、有川さんが私の言葉を伝えて下さい!お願いします!」
「・・・・・・・・・・・・。」
翔子さんは鼻が触れるほど顔を近づけ、握った俺の手を引き寄せた。
《む・・・胸に・・・・俺の手が翔子さんの胸に押しつけられてる・・・・。》
二つの柔らかいものに手が挟まれ、感動のあまりこのまま昇天しそうになる。
するとマサカリに足を噛まれて「デレデレするんじゃねえ」と怒られた。
「今度藤井が帰って来た時に怒られるぞ。」
「あ・・・ああ・・・そうだな・・・。」
俺は名残惜しくも翔子さんから手を離し、「分かりました」と答えた。
「そこまで言うのなら、僕からジャスミンに謝ります。」
「ほんとですか!」
・・・・ああ・・また俺の手を握っておっぱいに・・・・・・。
「だからデレデレすんな。」
「痛ッ!・・・いちいち噛むなよ・・・・。」
乱暴なブルドッグを足で追い払い、翔子さんの胸から手を離す。・・・・しばらくこの手は洗わないでおくか・・・・。
「うほん!ええっと、翔子さんの気持ちをジャスミンに伝えるのはいいんですけど、今はいないんですよねえ・・・。」
「いない?どこかに行っちゃったんですか?」
「ええ、目を離した隙に逃げられちゃって。」
「そう・・・ですか・・・・。きっと私が来ることを察知して逃げたんだわ・・・・。」
翔子さんは悲しそうに目を伏せ、キャミソールから露出した肩を抱いていた。
《・・・・いい!こういう憂いのある姿もいい!》
俺はこの目に翔子さんの憂い姿を焼き付けようと、真っ直ぐに見つめた。
「・・・また噛むぞ?」
「・・・すまん、ちょっと調子に乗り過たな・・・・。」
マサカリに睨まれ、素直に謝る俺。こいつらがいる限り、迂闊に他の女の人にデレデレした顔は見せられないな。
「翔子さん、あんまり落ち込まないで下さい。」
「でも・・・・。」
「ジャスミンはそのうちここに戻って来ますよ。その時に僕が翔子さんの言葉を伝えます。だから・・・・、」
そう言いかけた時、山の方から派手な鳥が飛んできた。
「おい、あれチュウベエじゃねえか?」
マサカリに言われて見てみると、それは確かにチュウベエだった。そしてパタパタと飛んで俺の肩に止まると、「よ!」と羽を上げた。
「おお、いいところに帰って来た!ジャスミンは見つかったか?」
「ああ、見つけたぞ。」
「本当か!じゃあ迎えに行くから案内してくれ。」
「そりゃ無理だ。」
「どうして?見つけたんだろ?」
「だって・・・・イノシシに囲まれてるから。」
「はい・・・?イノシシに・・・・?」
チュウベエは羽を組み、渋い顔をして答えた。
「なんだかよく分からないけど、いかついイノシシたちに囲まれてたんだ。」
「マジかよ・・・・今も囲まれてるのか?」
「さあ?それを見たのは一時間くらい前だから、今はどうなってるか知らない。」
「一時間前って・・・・どうしてすぐに知らせに来ないんだよ!」
チュウベエを握りしめて言うと、カツカツと指をつつかれてしまった。
「痛ッ!なにすんだよ!」
「それはこっちのセリフだ!俺が知らせに来たのに、悠一は全然起きなかった。
藤井・・・藤井・・・とか寝言を言って、俺を手で払ったじゃないか。」
「え?・・・・そうなの・・・?」
「そうだよ。だから俺は山に戻ってミミズを食ってたんだ。」
「・・・・・・・・・・・。」
なんだか急に恥ずかしくなってきて、思わず俯いてしまった。
すると翔子さんが顔を覗き込んで来て、「大丈夫ですか?」と尋ねた。
「チュウベエは何て言ってるんです?ジャスミンは見つかったんですか?」
「ああ・・・はい・・・。ただ・・・・・・、」
「ただ?」
「・・・ただ、イノシシに囲まれているそうで・・・・。」
「イノシシに!じゃあすぐに助けに行かないと!」
「それはそうなんですが・・・・さすがにイノシシの大群を相手にするのは・・・・・、」
苦笑いしながら言うと、翔子さんは我に返ったように頷いた。
「・・・危険ですね。去年の夏にコロンがはねられたから、私も正直怖いです・・・・。」
そう・・・去年の夏に、翔子さんの飼っている犬がイノシシにはねられた。あの時は大怪我をして、しばらく入院していたんだ。
「でもやっぱり放ってはおけないですよね・・・・だから行きましょう!」
そう言って翔子さんは俺の手を取り、チュウベエの方を睨んだ。
「早くチュウベエに案内してもらって下さい!じゃないとジャスミンが危ない!」
「そ・・・そうですね・・・。じゃあチュウベエ、ちょっとジャスミンの所まで案内をしてくれないか?」
「ラジャ!」
チュウベエは空へ舞い上がり、「ついて来い」と言った。
「よし!マサカリよ・・・いざという時は頼むぞ!」
「はあ?なんで俺なんだよ!」
「だってブルドッグは闘犬だろ?何の為にそんなごつい身体してるんだよ?」
「いや・・・俺は喧嘩とかそういうのはしない主義だから・・・・・。」
「じゃあ餌を減らすか?お代わりも無しで。」
そう言うと、マサカリは顎の肉を震わせて「バッキャロウ!」と叫んだ。
「餌を減らされるくらいだったら、イノシシと戦う方がマシだ!」
「ようし、その意気だ!じゃあみんなでジャスミンを助けに行くぞ!」
俺たちはチュウベエに案内されて山に入った。
そしてチラリと神社を振り向くと、社の陰から猫の尻尾が覗いていた。それも真っ白で立派な尻尾が・・・・。
「あれは・・・たまきの尻尾じゃ・・・・・・、」
足を止めて見ていると、翔子さんに手を引っ張られた。
「有川さん!早く行きましょう!」
「ああ・・・はい・・・・。」
もう一度神社を振り向くと、もうその尻尾は消えていた。
俺は首を傾げながら、チュウベエの後を追って山を登って行った。
- 2014.10.29 Wednesday
- 10:58
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