夜型人間

  • 2015.07.31 Friday
  • 12:39
JUGEMテーマ:日常
夜型人間というのがいます。
夜に脳が活発化して、仕事なり趣味なりに没頭する。
早く寝ようと思っても寝つけず、気がつけば何かやっている。
コンビニへ出掛けたり本を読んだり、ネットを開いてみたり写真の整理をしてみたり。
仕事によっては夜眠ることも出来ないから、朝になって帰宅し、日が昇る頃に眠りにつく。
目が覚めるのは昼過ぎか夕方で、自分が活動的になる頃には、街は寝静まっている。
身体のリズムが昼夜逆転してしまい、六時間七時間寝ても、なんだか寝むそうな顔をしている。
やがて体調を崩し、その日だけ早めに寝ることが出来て、早朝に目覚めるのがいかに気持ちいいかを思い知る。
次からは絶対に早く寝るぞと思いつつ、身体のリズムは逆転してるから、結局夜更かしをしてしまう。
これが夜型人間です。ちなみに私もそうです。
身体のことを考えると、夜型人間というのは最悪です。
いつだって疲れが取れず、瞼も重いんです。
それに精神的にも重くなりがちで、もしかしたらうつ病の原因にだってなりかねません。
それに頭はボーっとして、まともにモノを考えることが出来なくなります。
しかし夜になるにつれて、だんだんと頭が活発化してくるのです。身体にも力がみなぎってきます。
だけど街は寝静まり、どこへ行っても真っ暗です。
都会なら遊ぶ場所があるかもしれないけど、田舎だと星を眺めるくらいしかすることがありません。
それはそれで楽しいんだけど、でも星は家からでも眺められます。
だから結局家にこもり、どこへも行かずに夜を明かすのです。
没頭出来るのは家の中で出来ることに限られます。
本、ネット、テレビ、写真の整理や絵を描くこと。それに文章を書いたり妄想したり。
それはそれで楽しい時間なんだけど、朝陽が昇る頃にガッカリするのです。
もっと早く寝ておけばよかったと・・・・。それなら一日を有効に使えたのにと・・・・。
でも夜になっても眠れないんだから仕方ありません。
いつか体力に限界が来て、夜通し起きていられない日が来るまで、起きたまま夜を明かすしかないのです。
ほんのちょっとの夜更かし、ほんのちょっとの油断が、夜型人間へと繋がっていきます。
そして一度夜型人間になってしまうと、朝方に戻すのは困難です。
狂ったリズムはなかなか元に戻らず、無理矢理布団に潜りこんでも寝付けません。
それになんだかんだいっても夜は楽しいので、結局夜更かしをしてしまうんです。
夜は暗く静かで、一人が好きな人間には最高の時間です。
人間には孤独型と群れ型がいると思うのですが、孤独型は夜を好む傾向にあると思います。
今よりもっと歳を取った時、頭は夜型でも、身体が夜型についていかないかもしれません。
その時朝方に戻れればいいのですが、今のところは自信はありません。
しばらくは夜型のまま過ごすことになりそうです。
でも夜を堪能出来るって幸せなことでもあります。
きっと歳がいったら無理だろうから、今のうちにうんと楽しんでおきたいですね。

自然界のバランス

  • 2015.07.31 Friday
  • 12:22
JUGEMテーマ:生き物
犬の散歩に行く時、いつもたくさん虫が湧く場所があるんです。
街灯の明かりに群がって、小さな黒い虫がわんさかいるんです。
だけど次の日の朝に通ると、一匹もいなくなっています。
きっと朝になったから別の場所に行ったんだろと思っていましたが、違いました。
わんさか湧いた虫は、全部鳥に食べられていたんです。
早朝に通るとたくさんの鳥がいて、虫をついばんでいました。
私の住んでる所は田舎なものだから、たくさん虫が湧きます。
だけどその分他の生き物も多くて、虫を食べてくれるんです。
有り得ないくらいわんさか虫が湧くのに、そこらじゅう虫で埋め尽くされないのは、鳥が食べていてくれたからです。
鳥さん、ありがとう!
だけど虫が少なくなると、鳥も少なくなると思います。
餌が減るんだから、鳥も自然と数を減らしていきますよね。
こういう所は、本当に上手く出来ていると思います。
自然界のバランスってすごいですよ。身近にもこうやって存在するんです。食う食われるの関係が。
特定の生き物が増えれば、それを食べる生き物も増える。
だけどそのうち餌になる方が数を減らすから、食べる方も減っていく。
生態系っていうのは上手く出来ています。
だけどそのバランスが崩れた時が恐ろしいです。
秋になると熊が出没し、人が襲われることがあります。
昔に比べると熊の数は減っているのに、遭遇する機会は増えているそうです。
まだまだ熊がたくさんいたころ、その分山も豊かで、食べ物に困ることはなかったのでしょう。
だから山仕事をする人でも、熊に出会うことは珍しかったそうですよ。
朝に仕事に行く時、山道にはたくさんドングリが落ちているんだそうです。
だけど日が暮れる頃に帰って来ると、ドングリが一つも無くなっているらしいです。
これは熊が食べた証拠で、人の生活圏に出没することを意味しています。
だけど出会うことはなくて、人間と上手く棲み分けをしていました。
熊の数が多いのに、熊に出会うことは少ない。
餌が豊富なら、人里に行く必要なんてないということでしょう。
だけど今の私たちの便利な生活があるのは、山を切り開いたおかげです。
私は過度な動物愛護論者でもなければ、過度な環境保護論者でもありません。
自分自身が文明の恩恵に与っているのに、無責任に自然保護を言うことは出来ないからです。
山で暮らす仙人のような人でなければ、文明社会を批判し、自然保護を声高に謳うことは出来ないでしょう。
だからといって自然が無くなると人間も困るわけで、そもそもの文明が自然によって支えられています。
木々が無くなれば林業も製紙業も衰退し、川や海が汚れれば漁業が衰退し、そしてそれらに繋がりのある商売が全て衰退するわけです。
経済の破綻は文明の維持に大きな影響を与えるでしょう。
それに自然の脅威の前では、一瞬にして文明が滅ぶ可能性もあるわけで、バランスが難しいですよね。
いったん自然から離れた人間が、いかにして自然界のバランスの中に組み込まれるのか?
自然との完全な対立は文明を維持出来ず、自然との完全な融合は文明の放棄を意味します。
付かず離れず、守るべきところは守り、発展させるべきところは発展させる。
口で言うのは簡単だけど、どこまで今のバランスを維持出来るのか?
いつの日か宇宙に飛び出さなければ、文明社会の未来は見えているかもしれないですね。

無限の進化 昆虫

  • 2015.07.30 Thursday
  • 13:26
JUGEMテーマ:生物
夏になるとたくさんの昆虫に出会います。
昆虫には絶対的な特徴があって、それは体が三つに分かれているということです。
頭、胸、腹に分かれており、足も絶対に六本です。
すべての足は胸から生えていて、それに加えて四枚の羽を持っています。
アリは羽を持たないことが多いけど、でも羽アリというのがいますよね。
だから基本的には、体が三つに分かれ、六本の足を持ち、四枚の羽が生えているというのが特徴です。
だけど昆虫の姿かたちは多種多様で、カブトムシとアゲハ蝶なんて同じ種類の生き物とは思えません。
それに成長する過程も異なります。
例えばカマキリは、生まれた時からカマキリの姿をしています。
しかし蝶は幼虫から蛹になり、そして蝶の姿へと成長します。
蛹に成った時は、繭の中でドロドロに溶けているようで、そこから大人の姿になるそうです。
カマキリ、カブト、蝶、蜂、セミ、ナナフシ、どれも昆虫だけど、似ても似つかない姿をしています。
それは姿だけでなく、体の機能も異なります。
穴を掘るのが得意なオケラ。大きなハサミを持つクワガタ。
それに自在に空を飛ぶトンボや、巣を作って社会性を持つ蜂など、ほとんど別の生き物です。
だけどみんな昆虫で、たった一つの種類がここまで変化に富んだ進化をみせています。
もし人間が滅んだなら、次に地球を支配するのは昆虫かもしれません。
人間と同じような形で文明を持つかどうかは分かりませんが、それでも昆虫には無限の進化の可能性が詰まっているように覆います。
昆虫は小さいけど、内に秘めた可能性は、どんな生き物より大きいかもしれませんね。

思い出が輝くネガフィルム

  • 2015.07.30 Thursday
  • 13:14
JUGEMテーマ:写真
もう今ではフィルムを使う人なんてほとんどいないでしょう。
デジタルの画質は、とうの昔にフィルムを上回りました。
画素数のアップ、画像処理エンジンの性能の向上、それにフルサイズセンサーの機種も多くなっているから、解像度という意味ではデジタルの圧勝です。
それに最近のデジカメはダイナミックレンジ(明暗差の表現)も広く、色も綺麗だし、立体感や質感もあります。
フルサイズ機で2000万画素以上ともなれば、中版フィルムの6×7版以上、画素数によっては大判カメラにも匹敵すると思います。
中版サイズのセンサーを備えている機種なら、8×10フィルム以上の解像度があるかもしれません。
仕事でも趣味でも、今の時代にフィルムを選ぶ人は少ないと思います。
だけどフィルムにはデジタルには無い味があるんです。特にネガフィルムには。
ネガには特有の暖かさのようなものがあって、全体的に柔らかい写真になります。
それにふんわりとソフトに写ることが多いから、光の状態によってはメルヘンだったり絵本のように写ることもあります。
わざと露出オーバーにして写せば、とても綺麗な白が表現されて、幻想的に見えます。
ネガの良さって、デジタルでは代わりが利かないんです。
それくらいに独特で、暖かみのある写真が撮れます。
我が家の動物たち、それに家族や友達。
今見返すと、そういう写真はネガで撮っておいてよかったなと思います。
記念写真という意味では、ネガに勝る写真はありません。
時間が経つと色褪せるんだけど、でもそれが良い味を出すんです。
いつまで経っても鮮明な写真より、ちょっとくらい色褪せている方が、「ああ、時間が流れたんだなあ・・・」と実感出来ます。
色褪せれば褪せるほど、思い出として貴重になっていきます。
色が無くなっていく分だけ、思い出が輝くような気さえします。
もう戻らない時間がそこにあって、写真の中だけが昔のまま止まっています。
だけど止まっているはずの時間が色褪せていくというのは、何とも切なく、そして胸を打たれます。
よくこのブログでも書くことですが、写真の本質は芸術ではありません。記録です。そしてそれを残し、伝えるということです。
絵画だろうが音楽だろうが文学だろうが彫刻だろうが、この点においては写真に敵いません。
どんな芸術も、記録して残す、伝えるという意味においては、写真に遠く及ばないのです。
写真を撮れば撮るほど、何気ない日常を写した写真が、どれだけ貴重か感じるようになります。
還らない時間を残し、目に訴えかけてくれる。それが写真です。
そしてネガフィルムは、時間と共に色褪せ、味を出し、思い出をより美しくしてくれる最高の写真です。

妹背神社

  • 2015.07.29 Wednesday
  • 11:03
JUGEMテーマ:神社仏閣


ここは妹背神社というところです。
田んぼの広がる夏景色の中に建っています。





灯篭が田んぼに向かって影になり、周りの木立も光を遮っていました。
ここだけ涼しく、別の空間のような気がします。











陰影の強い境内。とても神社らしい神社という景色です。







灯篭と御神木に挟まれて、社殿へ続く階段が伸びています。
山の麓に鎮座している姿が美しいです。





ぽつりと光が揺らいています。木立の隙間から射して、影の中に浮かんでいました。




社殿はとてもシンプルで、時の重みを感じました。
山に囲まれて、広がる田んぼを眺めているようです。
また次回へ続きます。


 

テレビのぶらぶら番組

  • 2015.07.29 Wednesday
  • 10:52
JUGEMテーマ:日常
タレントさんが街をぶらぶらする番組がありますよね。
あれって見ていて特に面白いわけでもないんだけど、特につまらないわけでもなく、なんだかダラダラと見てしまいます。
私の住んでいる所は関西なので、毎朝「よ〜いどん!」という番組をやっています。
かなりのんびりした番組で、円広志さんが関西の街をぶらぶらとロケに繰り出します。
そして出会った人や、出会った店などがロケ地になるという感じで、「人間国宝」のステッカーをあげたりします。
またごぶごぶって番組もあります。浜田さんと東野さんがぶらぶらする番組なんですが、かなりゆるい感じが魅力です。
特に何かが起こるわけでもなく、特に山場や見せ場があるわけではありません。
とにかくぶらぶらする番組です。でもなぜか見てしまうんです。
ゆるく脱力した感じが、作り込まれた番組にはない面白さがあります。
特に朝や深夜だと、肩に力を入れない番組の方が見やすいです。
朝っぱらからアクション映画が放送されたら、かなり違和感がありますもんね。
朝一でトンカツを食べているように、胃がもたれてしまいそうな気がします。
作り込まない、見せ場も山場もない。だから逆に見続けてしまう。
知らない街をぶらぶら歩くだけの番組は、面白くもなく、つまらなくもなく、なんだか見てしまう白米のような魅力があります。

復活

  • 2015.07.29 Wednesday
  • 10:50
以前のパソコンがおしゃかになり、新しいパソコンを使っています。
また更新を続けていきますので、よろしくお願いします。
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    パソコンが故障・・・更新が途絶えます

    • 2015.07.27 Monday
    • 15:35
    パソコンが故障しました・・・・・。
    直るのにしばらく時間が掛ります。
    一ヶ月くらいは更新が途絶えるかもしれません。
    また復活したら更新していきます。
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      B'zの隠れた名曲 「DoMe」

      • 2015.07.26 Sunday
      • 12:16
      JUGEMテーマ:音楽
      B'zの隠れた名曲シリーズです。
      今回はアルバム「サバイブ」から、「DoMe」という曲について書きます。
      これは七曲目に入っている曲で、アップテンポでノリが良い曲です。
      歪みのかかったギターのイントロから始まり、稲葉さんのハイトーンな歌声へと続きます。
      歌詞の内容は応援ソングで、煮え切らない友人への、主人公から叱咤激励のように思えます。
      本当は凄い才能なり力なり持っているのに、ダラダラと毎日を過ごし、自分の種を芽吹かそうともしない。
      でも心の中では、ダラダラと過ごす毎日に疑問を持っていて、それなら何かに対して本気でぶつかってみろと、友人を励まします。
      もしぶつかる相手がいないなら、俺が受け止めてやるからと。
      高い壁がそびえ、どうしようもなかったとしても、まったく抜け道がないわけじゃありません。
      高い壁をよじ登るだけが術でもなく、その壁には、自分だけが覗ける穴があるはずと歌っています。
      まずは知ること、見ること。そして内に秘めたその才能を、俺に見せてくれと友人を奮い立たせます。
      誰だってスペシャルなものを持っていて、それを眠らせたままじゃもったいないよって歌詞だと解釈しています。
      メロディはノリがよく、ギターにも歌にも歪みがかかっていて、それが面白い効果を出しています。
      けっこう大事なことを歌っているんだけど、大事なことを真面目に伝えるより、こういう面白い演出やアップテンポなノリで歌った方が、より伝わると思います。
      「サバイブ」自体が名盤だんだけど、その中でも一際異彩を放つ曲なので、一度聴いたら強く耳に残ります。
      何事も決断力と前に進むエネルギー。
      そんなことを感じさせてくれる歌です。

      アメリカの銃社会

      • 2015.07.26 Sunday
      • 12:14
      JUGEMテーマ:社会の出来事
      アメリカってどんなに大きな銃の事件が起きても、決して銃社会であることをやめません。
      これは日本人には理解しがたい感覚ですが、向こうの人達はどう思っているんでしょうか?
      銃社会を良しと思う人もしれば、失くして欲しいと願う人もいるのでしょうか?
      アメリカには全米ライフル協会というのがあって、ここが銃の所持を推進しています。
      銃で大きな事件が起きた時、被害者も銃で武装していれば防げたとコメントしたりしていますが、それは銃撃戦を意味するのに他ならないような気がします。
      しかし銃の所持はアメリカだけで許可されているわけではありません。
      日本でも猟銃なら所持することが可能です。
      種類はショットガンとライフル。
      ライフルは持つのにハードルが高いようで、北海道のハンターくらいしか所持出来ないのが現状だそうです。
      その理由は、きっとヒグマがいるからでしょう。
      ライフルとショットガンでは、射程距離も威力も段違いだそうで、ヒグマを倒すにはライフルを使うのが普通なようです。
      ショットガンだとどんなに強力な弾を使っても、50メートルは近づかないといけないそうで、これはヒグマを撃つには距離が近すぎるでしょう。
      ヒグマは100メートルを6秒台で走るそうなので、50メートルの接近など自殺行為かもしれません。
      本州のハンターが持っているのは、ほとんどがショットガンです。
      これはライフルほど所持のハードルが高くないようで、犯罪歴や人格に問題がなければ、ほとんどの場合は所持が許されるようです。
      しかし銃は銃なので、保管や管理などは厳しいルールがあるようです。
      また使用の際も下に向けて撃ってはいけないとか、細かい決まりがあります。
      日本の場合、猟銃の所持は認められますが、ほとんどの人は持っていません。
      アメリカみたいに一家に一丁なんてことはありません。
      それはきっと、日本の場合は銃を持つ目的と、その目的の為の銃の種類が一致しているからだと思います。
      日本では猟銃の所持のみが可能で、拳銃は許されていません。
      なぜなら猟銃は狩猟用、拳銃は対人間用だからです。
      猟銃を持つ理由は明快で、狩りをしたいからです。その為に持つことの出来る銃は、ショットガンかライフルのみです。
      そしてライフルの所持はハードルが高いので、ショットガンを持つことがほとんどでしょう。
      狩猟をしたいから銃を持つ。その為に猟銃であるショットガンを持つ。目的と銃の種類が一致しています。
      だから日本人のほとんどは、銃を持ちません。
      狩猟で生計を立てるとか、獣から作物を守る為に狩猟をするとか、あとは趣味のハンティングとか。
      そういう明確な目的がなければ、銃を持つ必要がないからです。
      だけど拳銃を持っていいよとなれば、きっと銃を持つ人は増えると思います。
      「もしかしたら隣の家は拳銃を持っているんじゃないか?」「道行く人間の誰かが拳銃を持っているんじゃないか?」
      疑心暗鬼が拳銃を持たせることに走るかもしれません。
      拳銃は対人用の銃なので、一人でも持ってしまえば、その脅威から身を守る為に拳銃が普及してしまうでしょう。
      これはきっと刃物でも一緒で、包丁はほとんどの家庭にあるけど、折り畳み式ナイフなんてほとんどの人が持たないってことと同じだと思います。
      包丁は料理を作るのが目的であり、その為の刃物です。
      しかし折り畳み式のナイフは人に対して使うのが目的であり、その為に携行性に優れていると思います。
      同じ刃物であっても、目的も用途も違う。その仕様まで変わってくる。
      だから包丁の所持はOKでも、折り畳み式ナイフはNGということです。
      街でお巡りさんに呼び止められた時、明らかに後者の方が疑いをもたれ、銃刀法で捕まるでしょう。
      だけどアメリカでは、日本のようにはなっていません。
      猟銃だけでなく、拳銃の所持も可能です。
      人に向けて撃つ銃を、誰もが持っていいというルールになっています。
      最近は厳しくなっている州もあるそうですが、完璧になくなるということはないでしょう。
      なぜならアメリカの憲法には、銃の所持の自由が明記されているからです。
      人に向けて撃つ為の銃を持つ。ならば相手も、自分の身を守る為に拳銃を持つ。
      ショットガンやライフルなら、持ち歩いていれば一目瞭然です。
      だけど拳銃は懐に忍ばせておけば、持っているかどうか見抜くのは難しいのではないかと思います。
      些細な口論で喧嘩になり、カッとなって拳銃を出す。すると相手も同じように銃を出し、どちらかが発砲すれば、もう一方も発砲する。
      銃を持てば銃の被害は防げるとライフル協会は言うけれど、でも銃撃戦になって命を落とす可能性も高いわけです。
      それも無関係な人間を巻き込む危険もあります。
      憲法に明記されている以上、アメリカが銃社会であることは変わらないでしょう。
      だけどどういう目的で持ち、その為にどんな銃の所持が許可されるのか?
      もっと細かいルールを決めれば、銃の事件も少なくなるかもしれませんね。

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