ルノワールの画集を持っているんですが、この人の絵を見る度に息が漏れます。
もちろん良い意味でのため息ですよ。
ルノワールは印象派を代表する画家で、彼の絵は幻想的で色合いが美しいです。
女性をモデルに描くことが多く、肌の柔らかさ、その温もりまで伝わってきてそうなほど、繊細に描きます。
しかし写実画家ではないので、現実とは離れた感じの空気を持っています。
まるでソフトフォーカスがかかった写真のように、とても柔らかい印象を受ける絵が多いです。
それに色鮮やかなんだけど、決して派手派手しい感じがしないんです。
特に「舟遊びする人たちの昼食」という絵は、楽しい話声まで聞こえてきそうなほど、色と光に満ちています。
昼下がり、舟の上で楽しくランチをする男女たち。
犬を抱えた女性の表情、ランニングシャツで遠くを見ている男性。
みんな思い思いに昼下がりを楽しんでいて、その場の空気まで触れられそうなほどです。
一流の画家って、ただ絵が上手いだけじゃありません。
その場の空気とか、二次元を超えた何かが絵に宿っているんです。
ルノワールの絵には、楽しさや愉快さ、それに柔らかさや温かさが宿っています。
それはルノワールの目には、世界がそういう風に映っていたってことなのかもしれません。
絵本的とういか、お伽話のような雰囲気を持った、幻想的な絵なんです。
印象派の絵画は大好きなんだけど、その中でもルノワールの絵は明るさや楽しさを求めているように感じます。
見ているほどに感嘆のため息が漏れる、美しい色合いに魅入ってしまう絵です。
ワイファイの7ギガ制限にかかってしまい、今月は写真を載せることが出来ません。
だけど写真そのものは撮りに行っているので、制限が解除されたらまた載せたいと思います。
今日は近所の神社に行ってきました。
最近色んな神社を回って気づいたんですが、昔から馴染みのある近所の神社が、実はかなり大きい神社であると知りました。
神宮や大社と名のつく神社は別にして、地元にひっそりと建つ神社の中では、かなり大きい方なんです。
今日は雨が降っていて、それでも撮影に行きました。
最初は振っていなかったんですが、神社で撮影を始めてから降ってきたんです。
だけど雨の神社を撮るのも良いかなと思い、カメラが濡れないように気をつけながら撮影しました。
雨の神社って、晴れた日とはまったく違う趣があります。
しとしとと濡れる地面、水滴が流れる石垣、それにしっとりとした空気の中に佇む社殿。
どれもこれも、普段の神社とは違う様子に見えました。
響く雨音を聴きながら、その様子を撮るのに夢中でした。
神社は季節や時間帯によっても顔が変わるけど、天候によっても大きく左右されるようです。
雨の静けさの中、湿気のある空気の中に、いつもと違う景色が浮かんでいるように錯覚して、見慣れた神社が別の神社に思えるほどでした。
ちなみに雨の中を撮影するのって、日本人くらいだそうですよ。
今では海外の人も雨の中を撮影することがあるようですが、そのキッカケとなったのは、動物写真家の岩合光昭さんだと聞いたことがあります。
岩合さんはアフリカに滞在して、野生動物の営みを撮影されていました。
向こうはスコールといって凄まじい雨が降ることがあるそうで、そのスコールの中にいる動物を撮影したんだそうです。
これは海外の動物カメラマンには衝撃だったようで、それは雨の日に撮影するという発想がなかった為です。
でも岩合さんは撮影しました。晴れた日も雨の日も、それは自然の現象であることに変わりはありません。
わざわざアフリカに滞在しているのだから、スコールだって撮影しないと意味がないと思われたのかもしれません。
でも日本では、雨に対して趣を感じたりしますよね。
昔の文学や詩でも、雨を綴ったものがあります。
雨は景色を普段の様子とは変えてしまいます。
普通なら雨の中の撮影なんて避けたいけど、でもあえて出向くことも新鮮です。
もちろんカメラが濡れるというリスクはあるんだけど、それでも撮る価値はありますよ。
防滴機能があるなら雨の中でもへっちゃらなので、そういうカメラを買ってみるのもアリかもしれません。
雨を楽しむ、雨を詠う、そして雨を撮る。
天候の変化は、創作物の可能性を広げてくれます。
汁物って食べ物なのか?それとも飲み物なのか?
いちおう液体であるので、飲み物に分類するのが妥当ではあると思いますが、でもよくよく考えるとおかしな事もあります。
例えばどこかの店に行って、「飲み物は何になさいますか?」と聞かれた場合、「味噌汁」と答える人間はいないでしょう。
それに夏に畑仕事を終えたおじいちゃんおばあちゃんが家に帰って来た時、味噌汁を飲んで「生き返る〜!」と唸ることもないでしょう。
飲み物っていうのは、基本的には喉を潤すものだと思っています。
しかしそれならばココアやこぶ茶はどうなるんだって話ですが、でもココアもこぶ茶も汁物とは呼びません。
飲み物の定義ってけっこう難しいですね。
それによって、汁物が飲み物かどうか決まるはずです。
まあ別にどっちでもいいと言えばどっちでもいいんだけど、下らない事を真面目に考えるのは、結構おもしろいです。
もし汁物が飲み物に分類されていたら、ファミレスのドリンクのメニューには味噌汁が載っているでしょう。
〜味噌汁 大 中 小 赤味噌 白味噌 合わせ味噌〜
きっとこういう具合に選べるようになっているはずです。
下戸の人は、飲み会の席で味噌汁で乾杯する可能性も出て来ます。
「お疲れ〜!乾杯〜!」
みんながビールやウーロン茶の中、一人だけ味噌汁の入ったお椀で乾杯する。
なかなか通ですね。
では味噌汁が食べ物に分類された場合はどうか?
これは・・・・・今までと変わりそうにないですね。
基本的に味噌汁は食べ物のメニューに載っています。
ていうか定食を頼めばセットで付いてきます。
そうなると、現状では汁物は食べ物として扱われてるって事です。
でもいつの日か、飲み物として扱われる日が来るかもしれません。
そうなった時、味噌汁で乾杯することだってあるかもしれませんね。
苫前三毛別事件。
ヒグマが起こした、世界でも有数の獣害事件です。
全部で八名の人が犠牲になっていて、その他にも重傷を負った人がいます。
この時人間を襲ったヒグマは、立ち上がると3メートル50センチあったそうで、かつてあった村に実物大の模型があります。
写真でその模型を見ると、凄まじい大きさですよ。
家の塀を遥かに超える大きさで、こんな獣が目の前に現れたら間違いなく泣きますね。
このヒグマは身体の割に、異常に頭が大きかったそうです。
模型でも頭はかなり大きく作られています。
次々に民家を襲い、子供や妊婦も犠牲になっています。
しかも生きたまま食べられた人もいるそうで、事件現場は凄まじい有り様だったようです。
このヒグマを仕留める為に、警察も出動しますが、全て後手後手に回ってしまい、ヒグマに翻弄されてしまいます。
しかし一人の優秀なハンターのおかげで、どうにか仕留めることが出来ました。
このハンターが凄くて、ヒグマの討伐隊から離れて、単独で仕留めたんです。
しかも正確に急所を射抜き、ヒグマはほぼ即死状態だったそうです。
仕留めたヒグマを移動させる為、馬に引っ張らせようとしたのですが、この時に馬が異常に怖がったという話もあるそうです。
その大きさ、攻撃性、執拗さ、色々と異常なヒグマだったようですが、もしかしたらこの事件を起こす前に、人の味を覚えていたんじゃないかって説もあります。
ヒグマって動物園やサファリパークでも見られるけど、目の当たりにすると凄い迫力ですよ。
はっきり言って、トラやライオンより断然怖いです。
戦ったらどっちが強いのかはともなく、少なくとも人間にとって脅威になるのはヒグマの方だと思います。
アフリカのサバンナでも、ライオンはあまり恐れられていないようです。
それよりもカバやバッファローの方が脅威になるそうなので、やはり身体が大きく、気性の荒い動物の方が怖いってことですね。
もし山の中でヒグマに出会ってしまったら、冷静に行動する自信なんてありません。
動物園やサファリパークで見るあの巨獣が、実際に山で出くわしたらと思うと、想像しただけでもチビりそうです。
苫前三毛別事件でヒグマに襲われた人は、さご絶望を感じたことでしょう。
元々住んでいたアイヌの人々は、ヒグマを山の神と崇め、畏敬の念を抱いていたそうです。
ヒグマは恐ろしい生き物だけど、それと同時に山を象徴する神聖な生き物でもあったのでしょう。
ヒグマは怖いけど、でも確かに尊敬したくなるような念を抱きます。
太く頑丈な四肢、鉈のような爪、そして精悍な顔つきに、逞しい身体。
山の中でヒグマに出くわしたくはないけど、この星から消えてほしくないと願っています。
- 2015.08.29 Saturday
- 13:30
筋肉って鍛えないと付かないんだけど、でも体質によっては勝手に付く人もいます。
何もしていないのにプロレスラーみたいな身体をしている人っていますよね。
ナチュラルで良い身体って、例えばK1のマーク・ハントがそうだと思います。
もちろんプロの格闘家だからトレーニングはしているはずです。でも元々良い身体だったんだろうなあという身体付きをしています。
彼はサモア人だけど、サモアの人って、骨格に対しての筋肉量が、世界で一番多いそうです。
だからサモアの人って、良い身体をしている人が多いそうですよ。
でも黒人さんも良い身体をしていますよね。
ボディビルダーのようにすごい筋肉をしていて、ちょっと羨ましいです。
だけどサモアの人と黒人さんでは、筋肉の質が違うように思います。
サモアの人がプロレスラーなら、黒人さんはボディビルダーのようです。
どっちにしたって、ナチュラルで良い身体をしている人は多いと思います。
でも日本人でもそういう人はいるんですよ。
以前身近にそういう人がいました。
何にも鍛えていないのに、滅茶苦茶マッチョなんですよ。
本当にゴツイ身体をしているんです。
そういう人の筋肉って、すごく柔らかいです。でも力を入れると硬くなります。
きっと体質によって、筋肉が付きやすい人と付きにくい人がいるんだと思います。
それは年齢によっても変わります。
私は昔っから筋トレを続けているんですが、昔はそこまで筋肉が付きませんでした。
でも今は昔ほど筋トレしていないのに、昔よりも筋肉が付きやすい体質になりました。
空手家の角田さん曰く、筋肉はある程度年齢がいってからの方が付きやすいそうです。
筋肉が付きやすいと、ちょっと筋トレしただけでも良い身体になります。
でも良い身体になるのが嫌な人の場合は最悪でしょうね。
細い身体が良い人の場合は、勝手に付いていく筋肉は悩みモノだと思います。
筋肉って脂肪ほど落ちやすくはないんですよ。
無理して付けた筋肉はすぐに落ちるんだけど、ナチュラルに付いていく筋肉は残りやすいんです。
普通のダイエットみたいに運動していると、逆に筋肉が付いてしまうかもしれません。
私はある程度良い身体でいたいので、筋肉が付きやすい体質の方がいいです。
人から羨ましく見えても、それが本人の望まないものであれば、ちっとも嬉しくないってことですね。
- 2015.08.29 Saturday
- 13:25
頭の良い人の業ってあります。
頭が良いって凄いことだけど、その分自分の馬鹿さ加減に気づかないということもあります。
頭が良い。しかし精神がそれに追いついていないと、とてつもなく子供に見えることがあります。
知能と精神のバランスが取れている人が、一番安心して付き会えると思っています。
今までの知り合いや友達に、やはり頭のすごく良い人はいました。
精神がそれに追いついてる場合はいいんだけど、そうでないと途端に鬱陶しい存在になります。
例えば口の達者な子供。これって中々大変ですよ。
ああ言えばこう言う、頭が良い分理屈が通っているから、なかなか苦労します。
でも子供なら「はいはい」で済むとしても、大人の場合だとまあ大変です・・・・・。
そういう人って、必ずしも悪い人ではありません。
どちらかというと、物事を円滑に進めたり、合理的に考えたり、それに意外と弱者には優しかったりするんです。
ただ何かがキッカケで衝突した場合、これほど大変な相手はありません。
あれこれと理屈を並べ、理論的に整理してくるもんだから、これを言い負かすのは並大抵ではありません。
昔に一人、印象に残る人がいました。
彼には上司も手を焼いていて、最終的には何も言えなくなる始末。
理論武装が強いということは、ある意味格闘技で武装しているのに等しいです。
街中で「おうコラ!」と喧嘩を売られたら、その時は腕っ節がものを言うでしょう。
しかし会社や家庭、それに友人などの身内だと、手を出すわけにはいきません。
こういう時に勝負になるのは口の上手さなんですが、これが強いと立場も強くなります。
多分ソクラテスやブッダにも、そういう口の上手さはあったんじゃないかと思います。
しかし理屈が通る=正しいではありません。
理屈通りにいかないこと、そもそもがいくら考えても分からないこともあります。
だけど頭が良い人と口論になってしまうと、やはり言い負かすのは苦労します。
ていうか面倒臭いので、ほとんどの人は口論を避けるでしょう。
気が付けばその頭の良い人の天下になり、実は間違っているのにそちらの方向へ向かいかねません。
頭が良すぎて周りから浮く。頭が良すぎて自分が世の中と解離していることに気づかない。
そういうことって、確かにあります。
だいたいそういう人って、ちょっとカッコつけた言い方をすると、唯物論に偏っているように思います。
物質的なものだけで、あらゆるものを判断しようとする。
何でも論理的に理屈を付けないと納得しない。
理屈が通ってると、それで上手く行くと思ってしまう。
でも逆に唯心論も偏り過ぎると良くないと思います。
物を完全に無視するってのは行き過ぎですね。
唯物論って、きっと金融屋さんとか株をやる人に多いんじゃないかと思っています。
お金を扱う仕事って、ある意味冷酷なほどシビアにならないと出来ないでしょうから。
哲学者や宗教家は、その逆ですね。物が全てじゃない。むしろこの世は幻って考え方もあるほどです。
例えばですね、私は池田晶子さんと、2チャンネルの創始者の西村博之さんって似ていると思うんです。
どちらも頭が良くて、でも頭が良すぎて、この世にうんざりしているといった感じではないかと。
どうして世の中はこんなに馬鹿ばっかりなんだ!って、そう思っているんじゃないかと。
もちろんお会いしたことはないので、これは私の想像に過ぎません。
でも高校生の子が、幼稚園児の中に放り込まれたら、きっとやっていくのは厳しいと思います。
池田さんも西村さんも、多分頭が良すぎるが為に、頭が良すぎる人にしか分からない、世の中に対しての諦めや倦怠感があるんじゃないかと想像しています。
本人からしたら「アホかお前」って笑われるような妄想かもしれないけど、私の目にはそう映ってしまいます。
頭が良すぎるがゆえに、周りが馬鹿に見えてうんざりする。
そういう意味では、頭が良すぎる人って不幸なのかもしれません。
人間幸せに生きたいなら、ちょっとくらい馬鹿な方がいいかもしれませんね。
緩やかな音楽って落ち着きます。
最近よくドノヴァン・フランケンレイターやトリスタン・プリティマンを聴いています。
音楽のジャンルにはそう詳しくはないのですが、こういう緩やかな音楽はサーフ系と呼ばれていることを知りました。
ドノヴァン・フランケンレイターは、ドライブや作業中によく聴きます。
聴いていてうるさくないし、疲れないからBGMとしては最高です。
彼の曲は空間全体がまどろんでいくような、とても緩やかな空気に包まれます。
でも癒し系とはちょっと違って、時間がスローになったような、肩の重荷を下ろすような、そういう気持ちになる曲なんです。
歌詞は英語なんで分からないんですが、メロディや曲調が好きなので聴いています。
とにかく気持ちが穏やかになるので、疲れた時なんかは最高です。
落ち込んでいる時は暗い曲を、テンションを上げたい時は明るい曲を、そして脱力して楽になりたい時は緩やかな曲を聴きます。
音楽が人の心に与える影響は大きいです。
映画でもアニメでも、BGMがあるか無いかでまったく雰囲気が変わります。
ドノヴァン・フランケンレイターの曲は、自分を「素」の状態に戻してくれるような、リセット効果があります。
気張らなくてもいい、力まなくてもいい。
そういう風に、心が楽になるんです。
穏やかな夜や、緩やかな波音に包まれているような感覚になります。
トリスタン・プリティマンの曲も同じです。
とても静かな曲が多く、ゴテゴテとした演出はほとんどありません。
必要な音だけを、最小限に取り入れている感じです。
そういう曲だから、スーっと心に入って来るんです。
彼女の曲もまた、力むこともなく、気取ることもなく聴くことが出来ます。
いわゆる自然体って感じになれるんです。
こういう曲って、昔はあまり聴かなかったんですよ。
もっと激しい曲をたくさん聴いていました。
でも今は、ゆったりと楽しめる音楽もいいなあと思えるようになりました。
もちろん今でもロックは好きだし、ハードな曲も好きです。
でもそれと同じくらいに、ドノヴァン・フランケンレイターやトリスタン・プリティマンのような曲も好きなんです。
感動させたり高揚させたりするだけが音楽じゃないんでしょうね。
きっと音楽の可能性って、もっと広くて、宇宙のように広がっているんだと思います。
昔は興味を示さなかった曲を楽しめるようになる。
歳と共に、より音楽の深さを知りました。
広くて深い音楽の世界。音楽はまだまだ沢山の可能性を持って広がっていくんでしょうね。
板垣先生の刃牙道。烈海王と武蔵の戦い、とても胸を熱くしました。
烈海王は武器を使い、そして中国拳法を使い、序盤は武蔵を圧倒していたように思います。
しかし武蔵曰く、あれは現代の武術を体感する為に、あえて技を受けたとのこと。
これはつまり、殺すつもりならいつでも出来たということです。
烈海王はバキシリーズの中でも屈指の強さです。
彼に勝てるのは、勇次郎、バキ、郭海皇、ピクルくらいしか思いつきません。
渋川先生やオリバ、花山やジャックなら良い勝負をするかもしれませんが、勝てるかどうかは分かりません。
そんなシリーズ屈指の格闘家を、最終的にはアッサリと殺してしまいました。
これはけっこうショックでしたね・・・・。
あの烈海王が、胴体を斬られて絶命。
せっかく極めたシャオリーも、武蔵の剣の前では無意味でした。
そして今度は渋川先生が武蔵と戦おうとしています。
きっと間違いなく武蔵が勝つんだろうけど、合気の達人とどう戦うのか楽しみです。
刀を持たせれば武蔵の圧勝だと思いますが、そこは渋川先生。
真剣を持たせることは有り得ないと思います。
武蔵は素手で戦うと推測します。
竹刀や木刀で戦うとは思えないんですが、でも板垣先生のことだから、どういう展開になるか分かりませんね。
武蔵の技は、現代の格闘家たちを震え上がらせました。
警官をあっさりとノックアウトしたあの動き、どの格闘家も真っ青になっている感じでしたね。
渋川先生に至っては、「なっちゃいない」と否定されているような気分にさえなっています。
その渋川先生が、武蔵とやり合う。
ていうかその前に出て来た剣道の選手、ちょっと可哀想ですね・・・・。
まったく良い所が無しに終わってしまいました。そして早々にフェードアウト。
まあバキではよくある展開なんですが、全ては渋川先生との対決への伏線だと思います。
バキはとにかく先が読めません。
きっとこうなるだろうと予想していても、まったく違う展開になることが多いんです。
でも・・・・まさか渋川先生が勝つってことはないと思います。
もしそうなったら、渋川先生最強です。
本部以蔵も今後絡んできそうですし、やはり渋川先生は負けるでしょうね。
しかし気になるのは戦いの内容です。
渋川先生の合気がどこまで通用するのか?
ていうか、武蔵ってまたわざと攻撃を受けるでしょう。
その気になれば、多分力だけでも返せると思います。
現代の格闘技をなるべく経験しておきたい。
渋川先生も、武蔵が現代に馴染む為の礎になってしまうんでしょうか?
とにかく二人の戦いが楽しみです。
- 2015.08.27 Thursday
- 11:53
芸術で飯が食える人って、世の中にどれくらいいるんでしょうね。
そもそも芸術の定義は何?ってことになるんですが、ここでは絵なら絵画、音楽ならクラシックと考えて下さい。
画家はいつだって貧乏で、それは現代も昔も変わらないようです。
あのレオナルド・ダヴィンチですらパトロンがいたほどです。
画家は教会や貴族から仕事を頼まれ、そして生計を立てていました。
しかし民衆の時代に突入すると、より貧乏を強いられたようです。
教会も貴族も昔ほど力が無くなり、画家を雇う余裕がなくなったのでしょう。
かといって民衆は画家のパトロンには成りえないでしょうから、印象派の時代の画家は苦労したようです。
あのピカソですら、評価されたのは晩年と聞いたことがあります。
絵の道はまさに棘の道ですね。
音楽家も同様に、昔はパトロンがいたようです。
バッハは教会に、モーツアルトは貴族に雇われ、作曲をしていたそうです。
モーツアルトは貴族のパーティーなどで演奏するのが仕事だったそうで、だから軽快な音楽が多いです。
そして民衆の時代に突入すると、ベートーベンが出て来ます。
彼の音楽って、現代でいうロックに似ています。
今までは教会や貴族に捧げていた音楽が、今度は民衆を奮い立たせるような音楽に変わります。
音楽は現代ではロックやポップスがあり、レコード会社と契約出来れば、お金がもらえる仕組みです。
だけど昔はそんなものはないから、やはり貧乏だったと思います。飯が食えるのはごく一部の人だけだったのでしょう。
音楽も絵も、貧乏と共にあり。
だけど貧乏だからこそ、辛い生活の中だからこそ、良い作品が出来たのかもしれません。
そもそも大金持ちになってしまうと、芸術って続かないんじゃないかと思います。
一発当てた漫画家が、次からはほとんど漫画を描かなくなってしまうように、一発当てたミュージシャンが、次からはほとんど曲を作らなくなってしまうように。
安定した生活は、きっと想像力を奪ってしまうでしょう。
また幸せな生活を手に入れてしまうと、同じように想像力を奪われてしまうかもしれません。
好きな人と出会って、好きな人と結婚して、好きな人と家庭を持って、子供も出来て幸せな生活を送る。
そうなってしまうと、色んなものが満たされてしまって、創作に向かうエネルギーは尽きてしまうかもしれません。
逆境、孤独、貧乏、そういったものが、現実を超えたところに意識を向かわせて、想像力を育むんだと思います。
金銭的に、そして精神的に満たされたら、きっと芸術は終わるのでしょう。
何かが欠けている・・・・どこかがズレている・・・・。
そういう状態になっていないと、ずっと芸術を続けるのは難しいのかもしれません。
ある種の狂人になっていないと、人並み外れた想像力を維持することは出来ないはずです。
だから危険といえば危険ですよね。少しでも境界線をはみ出てしまうと、途端に本物の狂人になってしまう可能性もあります。
その時に取る行動は、自殺か殺人か?もしくは歪んだ思想の元に、世の中の在り方を変えようとしてしまうか。
現実と空想の区別がつかなくなって、暴走するか廃人になる未来が待っていると思います。
正気と狂気、現実と空想。
その境目を常にウロウロしているのが芸術家です。
満たされてもダメ、かといって真の狂人になってしまってもダメ。
正気と狂気が良い感じにブレンドされていないと、どっちに転んでも芸術家ではなくなってしまいます。
芸術がなくても、人は困らないし、世の中は回ります。地球も滅んだりしません。
だけど絶対的に必要とされないものだからこそ、芸術の意味はあると思います。
芸術が世の中の役に立ってしまう時。それは戦争の兆候なんじゃないかと、勝手に思っています。
そして戦争が終わった時もまた、人の心を支える形で役に立つでしょう。
どっちにしたって、芸術が役に立ってしまう時というのは、世の中はまともじゃないってことです。
役に立たないから芸術。常にそうあってほしいです。
- 2015.08.27 Thursday
- 11:50
秋が近くなると、ハチが出て来ます。
もちろん夏にもいるんだけど、活発になるのは秋です。
夏の終わり頃からせっせと巣を作り、卵を産んで子育てをします。
写真を撮りに行く時でも、よくハチの巣を見かけます。
だいたいはアシナガバチの巣です。
軒先に大きな巣を作るのはキイロスズメバチで、最も大きなオオスズメバチは、地中に巣を作ります。
たま〜にオオスズメバチが部屋に入って来るんですが、ちょっと泣きそうになります。
キイロスズメバチなら余裕で戦えるんだけど、オオスズメバチってもはや別物ですよ。
あの重低音の羽音を聞いただけで、ビク!っとなります。
何よりデカイいから、本当にハチかよって疑うレベルです。
大きさは4センチから5センチくらいなんだけど、飛んでると余計にデカく見えるんですよ。
近づくことすら躊躇うレベルです。
以前に山に登った時に襲われたんですが、すぐ来た道を引き返しました。
人間ですら見ただけでビビるオオスズメバチですが、もちろん無敵というわけではありません。
ハチクマという猛禽類、それに熊にはさすがに勝てません。
あと同じ昆虫ならオニヤンマ、それにシオヤアブという虫に負けることがあるそうです。
オニヤンマはすぐれた飛行能力を持っていて、スズメバチの死角から急襲します。
オニヤンマは身体も大きく、その分顎の力も強いです。
中型のシオカラトンボでさえ、指を噛まれたらかなり痛いレベルなのに、それより二周りも大きいオニヤンマだと、ハチを食い千切ることくらいわけないでしょう。
それにシオヤアブというアブは、後ろからこっそりと近づき、針状の口吻でスズメバチの関節を刺します。
この時に、頭の後ろにある神経節を狙うそうです。
素早い動きで、一瞬で線形節を切断。そうするとスズメバチは即死です。
しかしオニヤンマにしろシオヤアブにしろ、さすがにスズメバチの群れには敵いません。
だから相手が複数いる時は、戦いを避けるようです。
他にはニホンミツバチもスズメバチと戦います。
ミツバチが球状に群がってスズメバチを殺す方法はよく知られていると思いますが、あれは熱殺蜂球というちゃんとした名前があるそうです。
そしてニホンミツバチの最もすごい所は、熱殺蜂球そのものではありません。
この技も含めた上で、非常に戦略的な戦いをするということです。
まずミツバチというのは、大きな巣を作ります。
しかし中には熱が籠りやく、そのままにしておくと、卵や幼虫が死ぬ危険があります。
だから羽を動かして、巣の中を換気をします。
この時セイヨウミツバチは、巣の中から外へ向かって風を送り出します。
熱気を外へ追い出しているわけなんですが、実はこの方法だとスズメバチをおびき寄せてしまうことがあります。
巣の中の空気を外に出すということは、巣の臭いを放出するのと同じことです。だからその臭いを嗅ぎつけたスズメバチに襲われることがあるのです。
しかしニホンミツバチの場合は、外から中に向かって風を送ります。そうすることで、臭いが外に漏れるのを防いでいるわけです。
それでももしスズメバチに見つかってしまった場合、みんなで集まって、一斉にお尻を振るのです。
たくさんのミツバチがお尻を振ることで、スズメバチは誰に狙いを定めたらいいのか分からなくなります。
要するに的を絞らせないようにしているわけです。
しかしそれでもスズメバチが退散しない場合のみ、熱殺蜂球の発動です。
この技はスズメバチを蒸し殺すわけですが、その時の熱で味方が死ぬこともあります。
しかし巣全体を危険に晒すよりマシなので、少々の犠牲が出ても、この方法で殺すしかありません。
この技で仕留められればミツバチの勝ち。しかし失敗した場合は大変です。
なぜならスズメバチは自分の巣へ帰っていき、何十匹もの応援を呼んでくるからです。
そうなるとニホンミツバチに勝ち目はありません。
いくら熱殺蜂球が強力な技でも、スズメバチの群れを相手にするのは無理があるからです。
これはあくまで単独で飛んでいるスズメバチを倒す技なので、集団で来られると戦えないのです。
だからもしスズメバチに逃げられてしまった場合、ニホンミツバチはあっさりと巣を放棄します。
モタモタしているとスズメバチの大群が襲って来るので、その前に女王蜂や幼虫、それに卵を抱えてさっさと逃げます。
そしてスズメバチの大群がやって来た頃、巣はもぬけの殻というわけです。
ニホンミツバチは、長い間スズメバチと戦っています。
その長い歴史の中で、スズメバチに対抗する手段を身につけ、そして身を守る方法も覚えたんだと思います。
風は巣の中に送り、敵に臭いを察知されないようにする。もし襲われそうになったら、みんなで寄り集まってお尻を振る。そうやって威嚇しながら、的を絞らせないようにする。
それでも襲ってきたら、熱殺蜂球で蒸し殺す。しかしもしこれも失敗したら、巣を放棄してさっさと逃げる。
ニホンミツバチの凄さは、スズメバチ対策がここまでしっかりと成されているところです。
でもそれだけスズメバチという蜂は、他の蜂にとって脅威ということでしょう。
秋になるとたくさん現れるハチ。
刺されるととにかく痛いので、注意が必要です。
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