安志稲荷神社

  • 2015.09.30 Wednesday
  • 10:47
JUGEMテーマ:神社仏閣

ここは安志稲荷神社という神社です。
大きな神社で、正月にはたくさんの人が初詣に訪れます。





真っ赤で大きな鳥居です。
この鳥居をくぐって、長い参道を歩いて行きます。








本殿に向かうまでの間に、大きな木の断面が飾ってあったり、池の向こうに伸びる赤い橋があったり。




戦没者を祀る慰霊碑です。
参道の傍で、木々に囲まれて建っていました。
手を合わせてお参りをさせて頂きました。





本殿に向かまでの間に稲荷神社が建っています。
この神社は安志稲荷神社と、安志加茂神社が建っています。





先に稲荷神社に参らせて頂きました。
赤い鳥居に赤い橋、赤い社殿が見えます。

カメラはポップカラーモードなので、色はかなり強調されています。
稲荷神社と言えば、やはり朱色ですね。








赤い鳥居をくぐると、その先はお稲荷さんの世界です。
この神社にはたくさんの稲荷が祭られています。





橋を渡った正面に、稲荷神社の本殿が建っています。
堂々としている感じがいいですね。
周りには小さな社殿が幾つも建っています。
また次回へ続きます。

 

型にハマることの良し悪し

  • 2015.09.30 Wednesday
  • 10:34
JUGEMテーマ:日常
型にハマるって言葉があります。
趣味だろうと仕事だろうと、長く続けているとどうしても型にハマってしまいます。
例えば工場のライン作業の場合は、型にハマった方が上手くいくとい思います。
私も工場でバイトをしたことがあるんですが、あれは心を無に出来る人間が強いと思いました。
自分とは?人生とは?仕事とは?
そんな事を考え出すと、途端に辛くなるのが工場の作業です。
でも逆に、単純作業の方が色々と考えが捗る人もいるかもしれません。
いずれにしろ、工場での作業はいかに正確に、そして素早く仕事をこなすかにかかっています。
だから型にハマることが出来ないのであれば、みんなに迷惑をかけてしまいます。
それが分かったので、私は工場のバイトは一度きりしかしていません。
型にハマるって良し悪しで、工場の仕事だと型にハマった方が上手くいくと思います。
だけど漫画や小説、それに絵や音楽などは、型にハマった作品はつまらなくなってしまいます。
ある程度長く続けていると、どんな物事でも型にハマるから、そこから抜け出すのは至難の業です。
上達しないのなら、まずは型にハマることも重要だったりします。
例えば絵が好きな人がいたとして、でも全然基本がなっていなかったとします。
そういう人は、まずは人物のバランスとか、遠近法とか、基本的な知識を身に着ける必要があります。
そうすることで、今まで下手だった絵が劇的に上達することもあるでしょう。
しかしそれに縛られ過ぎていると、今度はオリジナリティが無くなってしまいます。
基本を身に着けたなら、今度は個性を大事にしないといけないのに、基本に忠実すぎてつまらない絵になったら元も子もありません。
ある程度上手くなったならば、わざと下手に描いてやろうとか、この方法論は捨ててやろうとか、そういうことだって必要なんだと思います。
もししっかりと基本が身についているのであれば、わざと下手に描いたって、「あ、、この人はちゃんと描けば上手いんだろうな」と分かるものです。
絵本なんかだと、子供向けにわざと下手に描いている場合があるけど、でもやっぱりプロの絵だから上手いんですよ。
完全に自由な子供の絵とは違って、どこかで形を取ろうとしてしまいます。
ある絵本作家が、「子供の絵には勝てない」と言っていました。
あの岡本太郎だって、「子供はみんな絵の天才」と言っています。
これは型にハマっていないってことです。
だからプロの絵描きになってしまった以上、子供の絵には勝てないって意味なのでしょう。
でも子供にプロのような上手い絵は描けないから、結局何を描いているのは判断がつかなかったりします。
型にハマると失ってしまう事、型にハマるからこそ身に付く事、二つとも正しいのでしょう。
でもやっぱり私は、上手い絵を描きたいです。
大人になったんだから、いつまでも子供のような絵を描いていたいとは思いませんし、子供が絵の天才だとは思いません。
本当に絵の天才ならば、大人になっても素晴らしい絵を描くでしょう。
子供だからこその絵を持ってきて、それを天才というのは安易だと思います。
成長して失われるようなものなら、才能でも何でもありませんからね。
下手こそものの上手なれ。
型にハマったその先を開くことで、本当に満足できる何かが手に入るかもしれません。ていうかそう信じています。
だからやっぱり、基本は大事だと思います。

見知った場所

  • 2015.09.29 Tuesday
  • 13:05
JUGEMテーマ:写真


遠くへ行きたいって番組がありますね。
見知らぬ土地へ行き、見知らぬ何かを目にする。
昔は見知らぬ土地へ行くのが好きだったんですが、最近は見知った土地をよく巡っています。








知っている場所へ行く。
田舎なもんだから、久しぶりに行っても何も変わってなかったりします。
これが都会なら変化も激しいんだろうけど、変わらない景色っていうのが田舎の魅力でもあります。





さすがに毎日毎日来ると飽きるだろうけど、たまに巡ると面白いんですよ。
見知った場所だからこそ、心を許してのんびりすることも出来ます。








今年は蚊の発生が遅れているみたいで、草むらに行くとやたらと蚊に刺されました。
こういう所は毎年変化するんですよ。自然の出来事だから、いつも同じってわけじゃないようです。








毎年地元でやる大きなイベントがあるんですが、いつだったかこの空き地に作品を展示している人がいました。
現代アートというやつで、石とか布を置いていたような気がします。
こういう使われ方もあるんだなと、ちょっと感心しました。





知らない土地へ行くのもいいけど、見知った土地を巡ることで、逆に新鮮な気持ちになることがあります。
よく知る場所だからこそ、意外と知らないこともあったりするんです。
それは大きな発見ではなくて、「ここにこんな道があったんだ」とか、「こんな店があったんだ」とか、そういう小さな発見です。
知っている世界を大事にすることは、自分の周りを深く掘り下げることです。
遠くへ行くことだけが冒険ではないですね。

 

安志姫神神社(3)

  • 2015.09.29 Tuesday
  • 12:49
JUGEMテーマ:神社仏閣


昨日に続いて安志姫神神社です。










ここは安産祈願の神社ですが、昔は神託とか祈願とか、目に見えない力が大事にされていたんですね。
お百度参りなんかもそうだけど、誠心誠意こめれば、必ず神様が願いを聞き届けてくれるという思いがあったのでしょう。











自分の力でどうにも出来ないことは、神仏に頼るしかない。
今のように医療が発達していない時代、お産は一大事だったと思います。
安全に産む、無事に育てる。今の時代とは比べものにならないくらい難しかったんでしょうね。








きっとここにも大勢の人がお参りに来て、安産を願ったのでしょう。
妊婦、妊婦の親、夫、子供を待つ肉親たちが、どうか無事に生まれてくるようにと手を合わせたはずです。








子供を授かるというのは自然の出来事だから、自然信仰の中から生まれた神様たちの中には、お産を司る神様がいても不思議ではありません。
妊娠もお産も、人間が完全にコントロールすることは出来ないから、安産祈願の神社は今でもあるんです。
もし完全にコントロールできるようになってしまったら、お産の神様は居場所を無くしてしまうかもしれませんね。








困った時の神頼み。これは現代でも変わりません。
特別に信心深い人でなくても、困った時は神仏に頼ろうとするんじゃないでしょうか?
本当に強い人なら、神仏を信じても、頼ろうとはしないでしょう。
でもやっぱり人間はそこまで強くはなれないから、困った時の神頼みがあるわけです。





嬉しい時や悲しい時、自分だけで抱えられない不安がある時、人は現実逃避を試みます。
私はそこそこ信心深い方ですが、でも根っから神仏を信じているかと問われれば、そうでもないような気がします。
本当に神仏を信じているのであれば、病気になっても病院へは行きません。祈祷師に頼むか、神頼みで治そうとするでしょう。
でも私はちゃんと病院へ行きます。
なぜなら、現実逃避で逃れられない現実は、やはり現実の中で解決するしかないからです。
でもちょっとしんどい時や、なんだか逃げ出したくなった時は、現実逃避するのも悪くありません。
神社もお寺も、境内にいる間は現実から逃れられるけど、外へ出たならまた現実に戻ります。
ほんの少しの休憩時間と思って、神社たお寺に行くのも悪くないものです。

 

海と空

  • 2015.09.28 Monday
  • 10:47
JUGEMテーマ:写真


夕方に海へ行きました。
もう海水浴の時期は過ぎていて、まばらに人がいるだけでした。








白黒で海を撮ると、砂漠のように見えます。










地球の平均気温が上がっていくと、ほとんどの砂浜が消えていくそうです。
南極の氷が溶けて海面が上昇するからだそうなんですけど、なら昔はもっと海面が低かったんでしょうね。
海面が低い頃は、日本列島も大陸と繋がっていたそうですから。








海の傍にもよく神社や社が建っています。
この国の神様のルーツって、山や川、それに海なんでしょうね。
自然そのものに神様を重ねたんだと思います。





昔はたくさん野良猫がいたんです。
この黒猫はもう何年も前からいて、この海へ行くたびに顔を合わせます。








高い所から海を見渡すと、爽快な気分になります。
この日はよく晴れていたので、特に気持ちよかったです。





夏は遠い道が似合いますね。
どこかへ旅立ちたくなります。
夏は開放的に、冬は内向的になりますよね。
でも夏に始まった恋は短く、冬に始まった恋は長続きすると言われます。
開放的になるからこそ、大事な部分を見落としてしまうこともあるのかもしれません。
でもやっぱり夏は開放的でいたいですよね。

 

安志姫神神社(2)

  • 2015.09.28 Monday
  • 10:20
JUGEMテーマ:神社仏閣


昨日に続いて安志姫神神社です。







ここの狛犬は柔らかさを感じます。
凛々しいけど愛嬌もある感じです。





余計なものがないスッキリした社殿です。
シンプルイズベスト。簡素な社殿は美しいです。





綺麗に並ぶ灯篭。灯篭は入口に二つ並んでいる場合と、社殿の隣に幾つも並んでいる場合があります。




別に子供を産むわけじゃないのに、しっかりと手を合わせてお参りをさせて頂きました。
神社は祈願だけをする場所じゃなく、散歩コースだったり物思いに耽ったりと、色んな役割があります。
だから祈願じゃなくて挨拶をさせて頂きました。








境内も涼やかな感じで、気持ちがいいです。
神社って縁結びや家内安全など、たくさんの祈願を受ける場所でもあります。
昔はお百度参りという祈願の仕方もあって、願いを聞き届ける場所ということです。

これはお寺とは逆ですよね。
仏教は悩みなどのマイナス面を取り除き、神道は祈願などのプラスへの想いを受け取る場所。
こういう部分でも、ちゃんと棲み分けがされているんですね。
また次回へ続きます。

 

安志姫神神社

  • 2015.09.27 Sunday
  • 11:19
JUGEMテーマ:神社仏閣


ここは安志姫神神社という神社です。
安産祈願の神社です。





南国のような植物が茂っています。その向こうに鳥居。
なんだか面白い組み合わせです。





安産祈願の神社は初めて来ました。
私は子供を産むことは出来ないけど、お参りをさせて頂きました。





この国では神道は生を、仏教は死を担当しています。
慶事は神道、弔事は仏教ってことですね。
役割分担をすることで、上手く共存しているわけです。





暑い季節は、人はあまり出歩きません。
でも少し涼んでくると、神社で人と顔を合わせることも多くなります。





南国の植物は鳥居の傍だけで、参道には木立と竹林が並んでいます。
最近は竹林を見る機会も減ってしまいましいた。
昔は家の近くに竹林があって、何かが潜んでいるんじゃないかと、子供心に妄想していました。








安産祈願の神社ということは、安産を担当する神様が祭られているのだろうと思います。
苔が覆う境内を歩き、社殿に向かいました。
また次回へ続きます。

 

オシャレって何?

  • 2015.09.27 Sunday
  • 11:01
JUGEMテーマ:ファッション
オシャレって何でしょうか?
元々がカッコいい人なら、ジーンズにTシャツだけでもオシャレに見えるでしょう。
元々が綺麗な人なら、やはりジーンズにTシャツだけでも綺麗に見えるでしょう。
元が良い人というのは、無難な恰好さえしていれば、それだけでオシャレに見えます。
素材が良いんだから当たり前ですよね。
服が人を引きたてるんじゃなくて、人が服を引きたてている感じです。
でも無難な服を着てもオシャレに見えるんであれば、それは本当のオシャレかどうかは分かりません。
いや、そもそもオシャレっていったい何なのか?
例えばカラフルで奇抜な衣装があったとしても、それが伝統文化の民族衣装となれば、ダサいとは思わないでしょう。
日本人がターバンを巻いて歩いていると変な目で見られるだろうけど、インド人なら違和感はないはずです。
逆に言うと、日本人なら着物を着ていても違和感はないけど、アフリカの人が着物を着ていたら浮いて見えるはずです。
それにガタイの良い人ならタンクトップが似合うでしょうけど、細身の人だとあまり似合わないと思います。
でもそれは男性の場合の話で、スタイルの良い女性なら、細見でもタンクトップは似合いそうです。きっと色っぽく見えることでしょう。
人間には固定観念というのがあって、そこから外れたスタイルはダサく見えるはずです。
しかしダサい服装でも長く続けていれば、だんだんと目が慣れてきます。
そしてダサい服装が世間に浸透すれば、それはオシャレに変わるでしょう。
例えばダメージジーンスというのがありますが、あれは元々長く穿いていたジーンズが傷んで、穴があいたり破れたりしたジーンズのことを指します。
本来なら破けた服なんてみすぼらしいはずなのに、今ではわざとダメージ加工している物までありますよね。
それにダボっとしたルーズストレートのジーンズを、腰より下で穿く腰パンも流行りました。
昔の人なら、「なんてだらしない!」と怒る恰好でしょうけど、今ではそう違和感はありません。
それにボトムスの足元だって、最近はたるんでいるのが普通です。
でも本来であれば、ボトムスというのはくるぶしよりも少し上くらいが基本なんだそうです。
だけど皆がたるんだボトムスを穿いていると、やがてそれが当たり前になり、格好悪いファッションと笑われることはありません。
それにジャケットだって昔と様変わりしています。
昔はジャケットを着る場合、襟付きのシャツにスラックスが基本でした。
でも今はジーンズに合わせたり、チノパンに合わせたり、細身のレギンスに合わせたりと、組み合わせの幅は広がっています。
セーターの上から着てもいいし、Tシャツの上から着てもいいし、なんなら迷彩柄とでも合うのです。
昔ならきっと違和感があっただろうけど、今はそんな事はありません。
昔に比べて服装に気を遣う人は多くなり、しかもカジュアルな服装が浸透しています。
だからジーンズやTシャツなんかのカジュアルな服にジャケットを合わせても、何ら違和感はないのです。
要するにオシャレかダサいかの基準というのは、固定観念に逸れるか逸れないかの違いというわけです。
そして才能のあるデザイナーなら、自分がその固定観念を打ち崩し、新たなファッションを流行らせることが出来るでしょう。
それともう一つ。デザイナーとは対極にいる素人からも、新たなファッションは流行していきます。
腰パンもルーズソックスもダメージジーンズも、大衆の中から生まれたスタイルです。
普通の人が面白がって編み出した服装だからこそ、デザイナーには及びもつかないスタイルが誕生することもあるはずです。
例えば料理の場合でも、昔は押し寿司という高級な寿司しかありませんでした。
しかし江戸前寿司と呼ばれる寿司が誕生し、現代ではそれが寿司の主流スタイルです。
でもこの江戸前寿司は、銭湯帰りの客をターゲットに絞ったファーストフードだったのです。
それがいつしか高級な料理へと昇華され、今では大衆では手の届かない高級な店もあります。
日本は大衆文化の国だから、貴族や国が主導して価値を生み出すのではなく、大衆の中の自由な発想から多くの物が生まれました。
それが時代と共に昇華されて、一流の仲間入りをしているわけです。
納豆やイカの塩辛は、最初はとっつきにくい食べ物です。でも繰り返し食べているうちに、「あれ、これ美味しいんじゃないの?」と舌が慣れてきます。
服装もこれと同じで、最初はダサいと思っていたファッションが、時代と共にオシャレへと生まれ変わります。
だから何をもってオシャレとするかは、定義をするのが難しいです。
遠い未来のいつの日か、みんなが着物を着て歩き、しかも頭にはターバンを巻いているかもしれませんね。

武長稲荷神社

  • 2015.09.26 Saturday
  • 08:26
JUGEMテーマ:神話・伝承全般


ここは武長稲荷神社です。
稲荷神社だけど、鳥居は赤くありません。
お稲荷さんの神社だからって、必ずしも鳥居は赤くないようです。





神社の隣は公園です。この時はまだ暑かったので、公園で遊んでいる人はいませんでした。







逞しいキツネさんが、社殿の護りについています。
狛犬の場合だと、片方が口を開け、片方が口を閉じています。
キツネさんの場合だと、片方が巻物を咥えて、片方が宝玉を咥えている場合が多いです。
でもそうじゃない場合もあって、それぞれの神社で様子が異なるんですが、それを見つけるのも面白いんです。





社殿の中は、趣のある木に綺麗な白い壁になっていて、すごく品がありました。




大きな社殿ではないですが、品と神聖に満ちています。
光と風が、社殿の神秘性を高めていました。








夕方だったので、陽が傾いています。
神社はどうしてこうも影が美しいんでしょうね。





鳥居があって、社殿があって、それ以外には何もありません。
稲荷神社って、大きなものから小さなものまで、色んな神社があるんです。
それだけ民衆に人気のあった信仰なんでしょうね。

神様が狐だから、人間系の神様よりも親しみやすかったのかもしれません。
稲荷神社は、探してみるとたくさんあります。
神社散策は面白いです。

表現とお金

  • 2015.09.26 Saturday
  • 08:06
JUGEMテーマ:社会の出来事
不労所得。働かなくても食っていける状態のことです。
普通は仕事をしないとお金がが入りません。食う物や住む場所を得る為に、仕事をしないといけません。
しかし親が資産家だったとしら、働かなくても食べていけます。
土地やビル、それに駐車場を持っているのなら、放っておいてもお金が入ってきます。
自分の資産を親から受け継ぎ、それを他人にレンタルさせるだけで、寝ていてもたくさんのお金が得られます。
働かなくても食っていける。欲しいものだって買えるし、海外旅行だって行き放題。
何もしなくても資産がお金を呼ぶから、これはもう天国ですよね。
そういう人達のことを不労所得者と呼ぶわけですが、ではこういう場合はどうでしょう?
例えばB'zやミスチルのように、長年第一線で活躍し、万人が認める一流のミュージシャンがいたとします。
ヒット作も多数あり、中にはダブルミリオンだってあります。
CDのトータル売り上げは五千万枚を超え、カラオケでも多くの人が歌います。
そんな凄いミュージシャンがいたとして、でもバンドの不仲とか、才能の枯渇とかで解散したとします。
だけどそのミュージシャンは、生活に困ることはありません。
なぜなら今までに稼いだ莫大なお金があって、しかもカラオケで自分の曲が選ばれる度に印税が入ってくるからです。
解散して10年経ってもCDは売れ、DVDだってそこそこのセールスです。
それに映画やテレビなどで曲が使用され、引退後10年でも様々な面から収入があります。
今はもう全然働いてないけど、過去に残した偉大な実績のおかげで、悠悠自適の生活が送れるわけです。
これは不労所得とは言いませんね。
CDの売り上げやカラオケの印税は、全て自分たちで創った曲から生まれたものです。
しかも長年第一線で活躍し、たくさんの名誉ある賞を受賞していたなら尚更です。
ヒット曲はたくさんあり、それらは全てそのミュージシャンの才能と努力が築き上げたものです。
だから引退後に仕事をせず、色んな所から収入があったとしても、それは不労所得ではありません。
自分たちで積み上げた結果が、今でも自分たちを生かしているからです。
では逆に、一発屋のミュージシャンの場合はどうでしょう?
上記のミュージシャンのように長い期間は活動せず、たった一曲のヒットだけ飛ばして引退してしまいました。
それはその一曲以外はまったく売れず、どのレコード会社とも契約が取れなかったからとします。
だけどその一曲はものすごくヒットして、今でもみんなが知っている曲です。
しかも誰もが口ずさめるほどの名曲で、当然カラオケでは上位の人気曲。
それに色んな所で使われるから、仕事がなくなってからも大きな収入があります。
だけどミュージシャンとして活動した期間は短くて、しかもヒット曲は一つきり。
みんなそのヒット曲は知っているけど、その人の他の曲はてんで知りません。
それにカラオケでは歌うものの、その人が今は何をしているかさえ知りません。
曲名はすぐに出て来るけど、その人の名前を出されると、「ああ、あの人ね・・・・」と誰もが認める一発屋なのです。
さて、このミュージシャンは、上記のミュージシャンのように複数のヒット曲は持っていません。
今はまったくメディアに出ることもなく、仕事なんて一つも来ない。
それに活動期間は一年と短く、今はまったく音楽活動もやっていません。
だけどカラオケなどの印税があるから、そのヒット曲だけで働かなくても食えるのです。
これは不労所得に当たるのかどうか?
もちろん法律的には当たらないと思います。一発屋だろうと何だろうと、自分で創った曲の収益なのですから、一切の労働なしに得たお金ではありません。
親の資産を受け継いで、悠悠自適に暮らしている者とはわけが違います。
しかしもしカラオケという文化が無ければ、そのミュージシャンの収入はなくなるでしょう。
それにヒット曲は一つだけで、そのせいで一年足らずで契約を打ち切られています。
だからそのミュージシャンに、本当に音楽の才能があったのかどうかも怪しいのです。
もしかしたらマグレでヒットを飛ばし、印税という制度のおかげで働かなくても食っているという状態かもしれません。
私はこの場合、法律的には問題なくても、これは不労所得に近いものだと思っています。
どこかの海外のミュージシャンが言っていたけど、「ミュージシャンはCDの印税で食うのはやめるべきだ」と語っていました。
ヒット曲が生まれれば、印税という制度がある以上、たくさんのお金が入ってきます。
もしそのミュージシャンが、世間から認められる程の実力の持ち主で、それを裏付ける確かな実績があるなら、印税で暮らしても問題ないと思います。
しかしマグレかもしれないヒット曲のおかげで、印税という制度に恩恵を受けて暮らすのは、やはり間違いでしょう。
確かな実力と実績の元に入って来るお金なら、それはその人が稼いだお金という証です。
しかしマグレかもしれないヒットのおかげで、印税という制度で収入を得るのは、本当にその人の力なのか?と疑ってしまうわけです。
それは親からビルなり駐車場なりの資産を受け継ぎ、それを貸して儲ける仕組みと、なんら変わらないような気がするのです。
本当に才能と実力のある人なら、複数のヒット曲を持ち、長年活躍して、今でもライブは満員御礼という状況になるでしょう。
要するに、自分たちの力で儲けているか、制度のおかげで儲けているかの違いです。
例えば漫画家や小説家の場合は、本やコミックの印税以外にほとんど収入がないので問題ありません。
もちろんアニメやゲームでの著作料、それにキャラクタービジネスという収入もあるけど、それは一発屋の作家には無理な芸当です。
ドラゴンボールや遊戯王、それにワンピースやナルトのように、スバ抜けたヒット作を生み出し、しかも何年、場合によっては十数年の連載の結果にしか生まれない副産物です。
だけどミュージシャンの場合は、CDの印税に加えて、カラオケの印税まであります。それに漫画家や小説家と違って、ライブで自分の曲を披露して稼ぐことも出来るわけです。
だからそこにカラオケの印税まで入れてしまうと、本当に音楽の才能があったのか怪しい一発屋でも、労働しなくて暮らせるような状況に成りかねません。
ミュージシャンに限らず、物創りに携わる人間は、あらゆる所から収入を得るのは良くないと思っています。
大きなお金が動くほどに、表現の世界は堕落していくんじゃないかと、勝手に心配しています。

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2015 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM