- 2016.03.31 Thursday
- 11:27
ドアの向こうから現れた女性を見て、沢尻は驚く。
「早苗・・・お前病院じゃないのか!?」
「うん・・・・そうだっんだけど、こっちの人が・・・・・、」
早苗はスーツの男に目を向ける。
「・・・・・公安か?」
沢尻が尋ねると、公安の幹部が頷いた。
「あなたの話を聞いていて思いました。これは娘さんと話し合ってもらう必要があると。」
「何がだ?」
「もしあなたが負けた時、化け物の子供を産むんでしょう?そしてそれを娘さんに育てさせるつもりだと。」
「・・・・・もしかして・・・・そのこと早苗に話したのか?」
「ええ。そうしたらお父さんに会いたいと言うから、こうして来てもらいました。」
そう言ってケータイを取り出し、「ついさっき呼んだんですよ」と笑った。
「目を盗んでコソコソ話か。いかにも公安らしい。」
沢尻は早苗に目を向け、「お腹の子は無事か?」と尋ねた。
「うん・・・・全然大丈夫。」
「そうか・・・・。緑川と戦ったんだってな、怖かっただろう?」
「うん・・・・・。」
「よく生きててくれた・・・・・ホッとした。」
「それなら・・・・・最初に会いに来てほしかったな・・・・。」
早苗は腹をさすり、思いつめた顔で俯いた。
「なあ沢尻。」
警察長官が口を開き、「いくら何でも、娘に話くらい通しておくべくだろう」と言った。
「お前が緑川に負けたら、この子は化け物の子を育てなきゃならない。それをいきなり押し付けるってのは、いくら親子でも無粋だろう?」
「・・・・なら・・・・俺が最初に提案した作戦を・・・・、」
「それしかなさそうだからな。」
そう言って公安の幹部に目配せをする。
「我々は、最初から沢尻さんの案を受け入れるつもりでいましたよ。ねえ長官?」
「うん、まあ・・・・一番良い方法かなあと。」
「倫理的な問題は多々ありますが、そもそも今起きている事自体が、倫理どうこうを超えています。
それに対抗する為には、こっちも倫理で物事を選んでいられませんので。」
二人は立ち上がり、部屋から出て行こうとする。
「東山。」
長官は足を止め、「辞めるのは自由だがな・・・・」と前置きしてから切り出した。
「それはこの件が終わってからにしろ。」
「・・・・いいんですか?もう辞めるって言っちまったのに。」
「ならせめて沢尻と娘の話が終わるまで待ってろ。決めるのはそれからでもいいだろ。」
そう言ってから「それでいいよな?」と総監に尋ねた。
「別に私はどっちでも。」
「東山の代わりなどそうそうおらんだろ。こいつが抜けて苦労するのはお前だぞ。」
「そうですかね?事態が収拾出来なけりゃ連帯責任でしょ?」
「いや、俺は取らんよ。この件の総指揮はお前に任せてるわけだし。」
「警察の中ではね。でも全体の指揮を取ってらっしゃるのは官房長官だ。」
総監はゆっくりと立ち上がり、「ご決断を」と促した。
「本当なら総理に委ねなきゃなりませんが、アレは使い物にならんでしょ。だから官房長官がお決めになって下さい。」
そう言って長官、総監、公安の幹部の三人で見下ろした。
「・・・・・・・・・・・。」
決断を迫られた官房長官は、「お前ら・・・・・、」と睨みつける。
「俺が警察の出身じゃないからって・・・・この扱いはないだろう。」
苛立ちを誤魔化すように、トントンと足を踏み鳴らす。口元は歪み、神経質に爪を噛み始める。
「今までの全部芝居か?お膳立てだけしといて、最後は俺に丸投げするつもりだったんだろう?」
「まさか。」
長官が笑う。
「何がまさかだ。白々しい・・・・。」
「たまたまですよ、こうなったのは。なあ?」
そう言って公安の幹部に目を向けると、無言で肩を竦めた。
長官も肩を竦め返し、官房長官に顔を近づけた。
「官房長官、あなたが次の総理に推薦しようとしてる豊川大臣、我々も全力で応援させて頂きます。」
「ん?」
「対立候補は警察出身の馬場君でしょう?本来ならそっちを応援したいのですが、我々は豊川外務大臣を応援させて頂こうかなと思っております。」
「・・・・うん。」
「豊川大臣といえば、官房長官が育てたも同然の方です。そんな方に総理になって頂ければ、この国も良い方向に向かうんじゃないかなあと・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「我々一同、是非ご協力させて下さい。」
そう言って軽く頭を下げると、官房長官は表情を和らげた。
足踏みをやめ、への字に曲がっていた口が元に戻る。
「・・・・あのね、この件の最高責任者は私じゃないから。」
「はい。」
「これは一国を揺るがすほどの事態で、官房長官ごときが責任を取れるようなものじゃない。」
「ええ。」
「だったら誰が責任を取るべきか・・・・ハッキリしてるよね?」
「もちろん。」
「なら良い。」
官房長官はニコリと微笑み、軽い足取りで立ち上がる。
「総理が交代する日も近いですな・・・・。」
総監が苦笑交じりに呟くと、誰もが白々しい態度で宙を睨んでいた。
「・・・・というわけで、後は親子で話し合え。ただしそう時間は取れないからな。」
長官は沢尻の肩を叩き、東山の肩も叩いて頷きかける。
そして早苗にも小さく微笑みかけ、他の者と連れだって部屋を出て行った。
「・・・・・・・・・・。」
後には沢尻、早苗、そして東山が残される。
「・・・・・・俺も出るよ。」
そう言って東山が出て行こうとすると、「いや、ここにいてくれ」と沢尻が止めた。
「あんたには迷惑かけっぱなしだからな、こんな大切な場面で除け者には出来ない。」
「馬鹿を言うな。これは親子で話し合うべき事だ。部外者がいたら邪魔なだけだ。」
踵を返し、ドアへ向かおうとする。すると早苗も「いいんです」と引き止めた。
「ここにいて下さい。」
「いや、しかし・・・・、」
「お父さんがこんな風に言うなんて、滅多にないんです。それって、東山さんのことをそれだけ信頼してるってことですから。」
「こんな狂人に信頼されても・・・・、」
ぶっきら棒に言い捨てるが、その表情は満更でもなかった。
「お父さんが信頼する人なら、私だって信用します。だから・・・・・一緒に聞いてて下さい。」
早苗の声は静かで力強く、幼い顔立ちとは似合わないほど迫力に満ちていた。
東山はボリボリと頭を掻きながら、「やっぱり親子だな・・・」と小声で笑う。
「分かったよ。そこまで言うなら俺も聞かせてもらおう。」
そう言って、腕を組んで壁にもたれ掛かった。
部屋には沈黙が流れるが、それを最初に打ち破ったのは早苗だった。
「お父さん・・・・その目・・・・・、」
「ああ、もうじき化け物になる。」
「・・・・・痛い?」
「最初は痛かったが、今は平気だ。まるで万華鏡のように見えて面白いぞ。」
冗談交じりに言って、すぐに真顔に戻る。
「早苗・・・・お父さんがこんな身体になることを選んだのはな・・・・・、」
「分かってる。アチェの子供を産む為でしょ?」
「緑川の子供でもある。」
「あいつ・・・・最悪の人殺しだよね・・・・。吐き気がするくらい嫌な奴。」
「お前は俺と似てるからな、ああいうタイプは一番許せないだろう。」
「当たり前じゃん。あいつが警察署で何をしたか・・・・・、」
そう言って、早苗は唇を噛んだ。
「何も出来なくて悔しかった・・・・・・、」
「いや、お前は立派に戦ったよ。半田なんて警察の偉いさんは、ブルブル震えてただけだからな。自分が責任者だったてのに。」
「普通はそうなると思うよ。でも私にはミントがいたから・・・・・、」
「ああ、お前は凄いよ。ケントにしか心を開かなかったUMAが懐いたんだ。そして一緒に戦った。本当に立派だ。」
沢尻は優しい目で頷きかけ、「でもな・・・・」と続けた。
「俺が産むかもしれない子供は、緑川の子でもあるんだ。」
「お父さんも充分凄いよ。よくそんなの産もうと思ったね、やっぱどこかズレてるっていうか・・・・そりゃお母さんも愛想尽かすよ。」
「それは自覚してる。」
笑いながら言い、「でもお前も大概だがな」と言った。
「いくらUMAと手を組んでるからって、あの緑川と戦ったんだ。普通じゃ出来ない。」
「普通じゃない父親を持ってるからね。私も頭がおかしいのかも。」
「そんな事はないさ。お前は良い子に育ってる。」
「お母さんのおかげでね。」
今度は早苗が笑い、「お父さんに育てられてたら、今頃刑事になって殉職してたかも」と肩を竦めた。
「うん、まあ・・・・・否定出来ないのが辛いところだ。」
「私ももうじきお母さんになるわけだし、ちゃんと育てないとね。絶対に刑事にはさせないから。」
「それがいい。」
沢尻は自嘲気味に笑う。
早苗は真顔に戻り、「私の答えはもう決まってるんだ」と言った。
「もしお父さんが緑川に負けちゃったら、私はどうするか決めてる。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「その時は私が戦う。」
「お前が?」
意外な答えに、沢尻は戸惑う。
「だってそうでしょ?生まれて来る子供にそんなの押し付けるわけにいかないじゃん。」
「いや、しかし・・・・、」
「言いたいことは分かってる。もし化け物の子供が生まれたら、ちゃんと戦えるように育てろって言いたいんでしょ?」
「ああ・・・・。」
「そして私の子供とパートナーを組ませるつもりでいる。」
「そうだ。幼い頃から一緒に育てば、信頼関係も築けるだろう。そうすればきっと良いパートナーになれる。」
「そうかもね。でもそれは出来ない。私は自分の子供にそんなことをさせるつもりはないし、それに・・・・・、」
「それに?」
「・・・・小さい頃から育てたりしたら、きっと化け物の子供にだって愛情が湧く。そうなったら・・・・緑川と戦わせるなんて出来ないから。」
そう言って早苗は、自分の腹に手を当てた。
「だから私がやる。お父さんが化け物の子供を産んだら、私がそれを飲み込む。そして私も化け物になって、お父さんの仇を討つ。」
「・・・・・・・・・・。」
強い口調で言い切る早苗に、沢尻は言葉を失くす。
痒くもないのに鼻を掻き、「早苗・・・・、」と呼ぶ。
「そんなことはお母さんが許さないだろう。」
「孫を戦わせることだって許さないよ。」
「そうだな・・・。でもこれは前にも言ったが、お父さんはまだ見ぬ孫のことよりも、お前の方が大事なんだ。だからお前を戦わせるなんて・・・・・、」
「お母さん昨日死んだよ。」
「何?」
唐突に言われて、沢尻はポカンと口を開ける。
「昨日蝶の大群が襲って来たでしょ?あの時家の方にまで来て・・・・・、」
「やられたのか・・・・・?」
「蝶を追いかけて来た自衛隊が、ヘリコプターの機関銃を撃ったの。その流れ弾が家に当たって、一階が滅茶苦茶になった・・・・。中には母さんがいて、それで・・・・・、」
「・・・・・・・・・・・。」
「今のお父さんも一緒にいた。二人とも・・・・すごく酷い状態で・・・・、」
「・・・・・・・・・・・。」
「私の家だけじゃなくて、他の家にも当たって死んだ人がいる・・・・。まだ避難が終わってない地区だったのに・・・・・焦ったヘリコプターが勝手に撃って・・・・・、」
「・・・・・・・・・・・。」
「病院で聞かされたの・・・・今日の朝・・・・・。さっきのスーツを着た人に・・・・・。お父さん以外には、このことは言うなって」
「・・・・・あいつら・・・・隠蔽してたのか・・・・。」
沢尻は拳を握り、血管を浮かび上がらせる。
今すぐにでも彼らを追いかけ、殴り飛ばしたかった。
しかし早苗はまだ言葉を続けようとしていて、それを聞くまではここを離れるわけにはいかない。
深呼吸して怒りを抑え、拳から力を抜いた。
「・・・・・遺体は?」
「自衛隊の基地に・・・・。でもすごく酷い状態だからって、私は見せてもらえなかった。」
「なら間違いという可能性もあるんだな?」
「・・・・・分からない。さっき私を連れて来た人に、そう言われただけだから・・・・・、」
「お母さんと連絡は?」
「着かない・・・・。」
「そうか・・・分かった。後はお父さんに任せとけ。」
「任せとけって・・・・・何を?」
「亡くなったのがお母さんかどうか確認する。もしそれが事実だったら、民間人を誤射した事実を隠蔽したことになる。」
「そんなの私でも分かるよ。」
「だったらその事実を公表しないと。さっきまでここに座ってたクソ共を、今の椅子から引きずり降ろしてやる。」
そう言って再び拳を握ると、「戦う相手が違うじゃん」と早苗は言った。
「お父さんが戦うのは緑川でしょ?」
「もちろんだ。しかしもしお母さんが誤射されていたなら、それを放っておくわけには・・・・・、」
「何言ってるのよ・・・・緑川を放っておいたら、もっとたくさんの人が死ぬじゃない・・・・・。だったらそっちをどうにかしてよ、その為に化け物になったんでしょ!」
早苗はテーブルを叩き、「お父さんは何も分かってない!」と怒鳴った。
「何でもかんでも正義を求めたって、結局何も出来ないじゃん!だったら一番悪い奴をどうにかしてよ!あいつがいなかったら、誰も不幸にならなかった!!」
「早苗・・・・、」
「お母さんが死ぬこともなかったし、お父さんが化け物になることだってなかった!信ちゃんだって、化け物に操られずに済んでたかも・・・・、」
そう言って顔を覆い、「全部あいつが悪いんだ!」と吠えた。
「あいつが憎い!ぶっ殺してやりたい!」
「・・・・・・・・・・・。」
「この手で殺してやりたい!何にも悪いことしてない人をたくさん殺して、今でも平気で生きてる!そんなの絶対に許せない!私が・・・・この手で・・・・、」
そう言って頭を抱え、うずくまるように泣き崩れた。
沢尻は早苗の隣に腰を下ろし、そっと肩を抱く。そしてあやすように背中を撫でた。
「・・・・すまん・・・・お父さんが不甲斐ないせいで・・・・、」
「違う!誰も悪くない!悪いのは全部緑川よ!」
「・・・・そうだな・・・・あいつがいなけりゃ、ここまでの事にはならなかったかもしれんな・・・・・。」
「・・・・復讐させてよ・・・・。私もあいつと戦いたい・・・・・。」
早苗は抑えていた感情をぶちまけ、か細い声で泣き続ける。
沢尻は強く抱きしめながら、娘にこれ以上の負担はかけられないと思った。
顔を上げ、後ろを向くと、東山が立っていた。
「・・・・もういいだろう。」
東山は神妙な顔でそう言った。
「・・・・・・・・。」
その一言で、早苗に化け物の子供を預けることを諦める。そして拳銃のホルダーを開け、一輪の花を取り出した。
そこには小さな花弁がついていて、「花が・・・・」と見つめた。
「それは?」
東山が尋ねる。
「山を下りる時に話したろう。ケントからの預かり物だ。」
「ああ・・・・それがそうなのか。」
「ミノリが緑川に勝ったら、これを握りつぶして「向こう」を消滅させる。逆にもし緑川が勝ったら、これを飲み込まないといけない。」
「飲み込むとどうなるかは・・・・、」
「さあな?飲み込んでからのお楽しみだ。」
そう言って花を揺らし、「これは最後の切り札だ」と睨んだ。
「もしミノリが緑川を殺したならば、俺は迷わずこれを握りつぶす。そうすればケントは死に、巨大なイナゴが解き放たれる。そして「向こう」を完全に喰らい尽くすんだ。」
「そうなれば、ミノリは放っておいても死ぬな。」
「ああ、しかし緑川はどんな手を使っても生き残ろうとするだろう。そしてずっと「こっち」の世界で猛威を振るい続けるはずだ。」
「なら安易に使えないな、それは。」
「ああ・・・・。化け物どもを殲滅するってだけなら、これを潰せば終わるんだが・・・・そう簡単にはいかない。」
「なら・・・・いっそのこと飲み込んでみるか?」
「・・・・嫌な予感しかしない・・・・・。」
花弁をつけた花を見つめ、そっとホルダーに戻す。
「これを使うのは最後の最後だ。」
「なら・・・・、」
「緑川を仕留める。さっきから腹の底がウズウズしててな。もうじき完全な化け物になるんだろう。」
「分かった、じゃあ肉挽き刀を貰ってこよう。」
東山は足早に部屋を出て行く。肉挽き刀をもらう為、そして最後の親子の時間を邪魔しない為に。
残された沢尻は、ポンポンと早苗の頭を撫でる。
「早苗・・・・・正直言うと、お父さんは自信がない。」
そう言ってテーブルに目を落とす。よく磨かれた表面は鏡のようで、複眼に自分の姿が映る。
「多分・・・・いや、きっとお父さんは死ぬ。」
「・・・・・・・・・・。」
「でもお前は一人になるわけじゃない。子供が生まれて来るんだから。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「だけど緑川がいたんじゃ、お父さんは安心して死ねない。だから決してタダではやられない。何としても緑川を仕留めて見せる。
お前にも、生まれて来る子供にも何も背負わせたりはしない。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「でもな・・・・もしそれでも化け物の子供を産む羽目になったら、その時は・・・・・、」
その時はそいつを殺してくれ。そう言おうとして、すぐに口を噤んだ。
何も背負わせないと言っておきながら、これではただ早苗を追い詰めるだけだと首を振った。
「すまん・・・・今のは忘れてくれ。もし化け物の子供が生まれてきても、それはお父さんが責任を持つ。お前は何も背負わなくて・・・・、」
そう言おうとした時、早苗は「面倒見るよ・・・・」と顔を上げた。
「殺したりなんかしない・・・・ちゃんと面倒を見る・・・・。」
「それは・・・・・、」
「だって殺すなんて可哀想じゃん!何も悪いことしてないのに・・・・。だから私が面倒を見る。」
「いや、それはお父さんの望むことじゃ・・・・、」
「私はお父さんの娘だから、その子を育てる。それでお父さんの意志を引き継いで、きっと緑川をやっつける。だから・・・・・心配しないで。」
赤く腫れた目で見つめ、「私だって戦えるよ」と微笑んだ。
「一度緑川と戦ってるんだから。あの時は負けちゃったけど、でも次は勝ってみせる。だからお父さんは何も心配しないでいいよ。
私のことや生まれて来る子供のことを気にせずに、緑川と戦って。そうじゃなきゃ・・・・きっとあいつには勝てない。」
「早苗・・・・。」
「誰かを守るとか、誰かを助けるとか、そういうのじゃきっと勝てない。ただ緑川を倒すってことだけ考えてないと、あいつには勝てないよ・・・・。」
娘にそう言われて、沢尻は「そうだな」と頷く。
早苗の方が、今何をすべきかよく分かっている。
いったい何の為に化け物になろうとしているのか、もう一度自分に言い聞かせた。
腹の底からは、おぞましい衝動が湧き上がる。
身体全体を包み込むような、不気味で得体の知れない感覚が駆け巡る。
沢尻は激しい痛みに襲われ、その場にうずくまった。
東山が肉挽き刀を持って来る頃、右目もUMAに変わっていた。
- 2016.03.31 Thursday
- 11:18
どの神話にも必ずと言っていいほど龍が登場します。
良い龍もいれば悪い龍もいて、時に神様の乗り物になり、時に神様に敵対する存在となります。
インド神話にも龍は登場します。
その中にヴリトラという龍がいるんですが、この龍はほぼ不死身の身体を持っています。
ヴリトラはインドラという雷神のライバルで、両者は激しく争っていました。
しかしインドラはヴリトラの中に飲み込まれてしまいます。
どうにか逃げ出すことが出来ましたが、この後にヴィシュヌ神が二人の仲裁に入りました。
ヴリトラは戦いをやめる条件として、以下のことを申し出ました。
木、石、鉄、乾いた物、湿った物では傷つかない身体にしてほしい。
また昼も夜もインドラが自分を攻撃することは出来ないようにしてほしい。
とんでもない条件ですが、ヴィシュヌ神はこれを受け入れました。
かくしてヴリトラはほぼ不死身の身体を手に入れたわけです。
しかしインドラも黙っているわけではありませんでした。
こんな不利な条件の中、再びヴリトラに挑んだのです。
インドラは昼でも夜でもない夕方に、石でも木でも鉄でもなく、乾いても湿ってもいない、海の泡の柱を使ってヴリトラを倒しました。
ヴリトラはほぼ不死身ではありましたが、完全な不死身ではありません。
遂にはインドラに負けてしまったわけです。
ヴリトラは「宇宙を塞ぐ者」という意味があるそうで、この龍が死んだことによって宇宙の穴が開きました。
このおかげで雨が降るようになったそうですが、なんだか色々ぶっ飛んだ話です。
インド神話にはこういったぶっ飛んだ話が多く、神様もぶっ飛んでいることが多いです。
ヴィシュヌは口の中に宇宙があるし、シヴァは世界を滅ぼすほどの猛毒を持つ毒ヘビを、腰紐代わりに使っています。
インド神話は特にスケールが大きく、そこに登場するヴリトラもスケールが大きいです。
宇宙を塞ぐってどれだけ大きいんだよ!って話ですが、インド神話に細かいツッコミは無用です。
とにかくヴリトラは倒されたわけですが、でもその強さは並の神様では敵わないほどです。
インドラでさえ手こずるほどなので、いかに強い龍かが分かります。
インドラ以外で勝てるとしたら、ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーの三大神くらいでしょう。
龍はいつだって強い存在として描かれます。
古今東西の物語に登場し、味方の時もあれば敵になる時もあります。
龍ほどポピュラーで、万人に受け入れられた空想上の生き物はいないでしょう。
ヴリトラは女神転生でお馴染みの悪魔で、種族は龍王、もしくは龍神となっています。
レベルの高い悪魔なので、戦闘力は高いです。
ゲームでも龍は重宝されます。
ヴリトラは龍の中でもかなり強い部類でしょう。
雷神とほぼ互角の強さなのだから、龍神と呼ぶのに相応しいかもしれません。
神話ごとに龍の扱いは違うけど、インド神話のヴリトラほど厄介な龍はいないかもしれませんね。
- 2016.03.30 Wednesday
- 14:18
どんな物にも区別は必要で、それが無くなるというのは恐ろしいことだった。
下手に薬と薬を混ぜると毒となるように、燃える油に水をかけるとさらに炎上するように、物事の境界線が消えるということは、身体を蝕む病魔のように全てを侵すことがある。
今、亀池山の麓では、その境界線が失われつつあった。
沢尻と東山が「こっち」へ戻って来て一日、亀池山の麓では異様な世界が広がっていた。
大きな蝶の化け物が飛び交い、毒の槍を持った真っ白な怪人が暴れ、人の何倍もある巨大な手が死者を操っていた。
警察も自衛隊も、そんな化け物の侵攻を防ぐ為に、地獄のような死闘を演じていた。
銃弾が飛び交い、砲撃やミサイルが飛び交い、そこら中に死体が転がり、足の踏み場もないほど血に溢れている。
麓の川にその血が流れ込み、真っ赤に染まって唐辛子のスープのようになっていた。
周囲の住人は避難を余儀なくされ、代わりに大勢の警察や自衛隊、それに報道陣が詰めかける。
自衛隊の制止を無視した報道のヘリが、巨大な蝶の群れに張り付かれ、混乱したパイロットが操縦を誤る。
ヘリは真っ逆さまに墜落し、下で戦っていた機動隊の元で爆炎を上げた。
「おい!侵入する奴は民間のヘリでも撃墜しろ!無駄な死者が出る!」
そう叫んだのは鏑木で、大隊の指揮を取りながら怒号を上げた。
化け物と人間は一進一退の攻防を繰り広げているが、明らかに人間の方に分が悪かった。
戦力は拮抗していても、誰も化け物と戦うことに慣れていなかったからだ。
警察も自衛隊も次々に応援が到着するが、化け物を見て思わず息を飲んだ。
辺りは血が溢れる戦場になっていて、それを見ただけで足が竦む。
「こんなの警察の仕事じゃない!」とその場で辞めようとする者もいたし、「化け物と戦うなんて想定してないぞ!」と叫ぶ自衛官もいた。
しかしそれでも、誰かが戦わねば化け物が街に押し寄せる。いや、すでに昨日までは押し寄せていた。
蝶の化け物の大群が、人間の街を襲撃していたのだ。
自衛隊の奮闘のおかげでどうにか殲滅出来たが、多くの被害をもたらした。
警察も自衛隊も多数の死者を出し、何百人という民間人も犠牲になった。
そして今日、化け物が溢れて来るこの山で、戦いを繰り広げていた。
もし自分たちだけで手に余るようなら、在日米軍にも協力を依頼する準備は出来ていた。
すでに幾つかの米軍基地は、出動の準備を整えていた。
それほどまでに過酷な戦いの中、沢尻と東山は前線に行くことを許されなかった。
二人は警視庁にいて、上司にこれまでの詳しい経緯を説明させられていたからだ。
目の前には警察庁長官、警視総監、顔も名前すらも知らない公安部の人間、それに内閣官房長官までが座っていて、誰もが厳しい視線を向けていた。
東山はありのままの真実を話すことに、戸惑いを覚えていた。
なぜなら沢尻の体内には、アチェと緑川の子供が宿っているからだ。
しかし当の沢尻は、臆することなくその事実を話した。
アチェを飲み込み、あの二人の子供が腹の中にいると。
それを聞いた時、誰もが驚きを隠せず、しばらく口を噤んだ。
しかし沢尻は平然と続けた。
「俺が化け物になり、緑川を仕留めます。でも万が一俺が負けた時は、腹の子が俺の意志を引き継ぎます。」
そう言って顔に巻いた包帯を取り、UMAとなった左目を見せつけた。
今度はどよめきが起き、国を預かるはずの面々が、素人のように口を開けて固まる。
誰もが黙り込む中、警察庁長官が口を開いた。
「話には聞いていたが・・・・こうして目にすると異様だな・・・・・。」
それは誰もが思う本心だった。命懸けで戦った部下にそんな言葉を浴びせたくなかったが、誰かが言わないと先に進まない空気だった。
「沢尻・・・・お前は本気で言ってるのか?化け物になって緑川を仕留めるなんて。」
「はい。それしか手は残されていません。」
「・・・・で、お前が負けた時は、化け物の子供を産むと?」
「はい。」
「それを娘に育てさせて、自分の孫と手を組ませると?」
「はい。」
「全部本気で言ってるのか?」
「俺は放っておいても化け物になります。アチェを飲み込んだせいだと思いますが、身体の内から気味の悪い衝動がこみ上げるんです。」
「・・・・・・・・・。」
「それならば、まずは俺が緑川と戦い、敗れた時は生まれて来る子供に任せるしかありません。」
「・・・・・どう判断を下したらいいのか・・・・何とも言えん。」
長官は腕を組んで顔をしかめる。すると隣に座っていた官房長官が、「勝てる見込みは?」と尋ねた。
「今現在、自衛隊と警察が化け物と戦っている。しかし君の話しぶりを聴いていると、緑川はそれを上回るほどの脅威に思える。」
「その通りです。」
「しかしあいつは一人だろう?誰と手を組んでるわけでもない。そこまで脅威になる男なのか?」
そう尋ねると、これには警視総監が答えた。
「あいつは沢尻のいた署を襲っています。その際にウチの特殊部隊と戦闘になっていますが、全員殺されました。」
「知ってるよ。陸自の特殊部隊にも引けを取らない連中だったんだろう?それを一方的に倒した。」
「ええ。しかもその場には自衛隊もいましたし、沢尻の娘・・・・そして彼女と手を組んだ化け物もいました。」
「それも聞いている。」
「しかし何も出来なかった。自衛隊も機動隊もゲロを吐くばかりで、化け物でさえ手足を潰されて動けなかった。
しかも半田に至っては、奴の恐怖にあてられてすぐに辞表を出しました。今じゃ子羊みたいに震えてますよ。」
そう言って、苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
「今までの奴の犯行を見ても、異常としか言いようがない。普通の人間ならとうに捕まるかくたばってるかしているはずなのに、今でもピンピンしてる。
それどころか、さらに力を増していってるようだ。だったら人間だけで対抗出来ますかな?」
「それは奴が化け物と手を組んでいたからじゃないのか?」
「そうですが、沢尻の娘も化け物と手を組んでいました。」
「ううん・・・・・。」
「だったらやっぱり、あの男が異常という事になりませんか?化け物と手を組んでいようがいまいが、とんでもない脅威になるほどの犯罪者ですよ。」
「しかしな・・・・沢尻君が化け物になって戦うのはともかく、さすがに化け物の子を産むのはまずいだろう。しかも父親は緑川ときてる。
そんなことを受け入れると言うのは、私には難しいな。」
「ですが他に案がありますか?私は沢尻の案を支持しますよ。仮にもし化け物の子を産むことになったなら、必ず隠し通してみせます。」
「いや、そういう問題じゃなくてさ・・・・人間が化け物の子を産み、それを育てるっていうのがマズイんだよ。」
「倫理的にという意味で?」
「人間として受け入れ難いと言ってるんだ。須藤君もそう思うだろう?」
そう言って官房長官は、警察長官に目を向けた。
「ここへ来る前に、佐々木防衛大臣、それにアメリカ大使とも話をしてね、これはもうどんな手を使ってでも、事態を治めないといかんという事で一致した。
しかしいくらなんでも、化け物の子を産むなんて・・・・。しかも自分の娘にそれを育てさせるだなんて・・・・私にはとても・・・、」
官房長官はムスっとした顔で腕を組む。これ以上何も言いたくないと言う風に、真一文字に唇を結んだ。
すると須藤長官は思案気な顔で、公安の幹部に目を向けた。
「これさ、人間の仕業ってこたあないよな?」
そう問われて、「どういうことで?」と首を傾げた。
「なんかもう・・・全ての話がぶっ飛んでるよな、これ。どっかの国の誰かがさ、ウチの国で生物実験でもやってさ、それをばら撒いてるってことはないのかな?」
そう問われた公安の幹部は、小さく笑った。
「そう思いたい気持ちも分かりますが、人間じゃどう頑張ってもこんな事は無理でしょう。」
「だよな。なら・・・・どうするよ?」
「さあ?私はそれを判断出来る立場にありませんので。」
「これからは化け物の監視もお前らの仕事に追加しとくか?」
「ははは。」
「まあ冗談はさておき、とりあえずは溢れて来る化け物の殲滅が先だろう。問題はその後だが・・・・、」
須藤長官は笑顔を消し、じっと沢尻を見つめる。
「沢尻、悪いが犠牲になってくれるか?」
そう問うと、「元々そのつもりです」と答えた。
「お前の話じゃ、放っておいても「向こう」は消滅する可能性があるんだろう?」
「ええ。しかし緑川のことですから、どうやったって生き残ろうとするでしょう。その時、どんな手段に出るか想像もつきません。」
「ならあいつ一人の存在が、「向こう」全体よりも恐ろしいということだな?」
「私はそう思っています。」
「・・・・・なら今度は東山に聞こうか。」
そう言って目を向けると、東山は俯いた顔を上げた。
「はい・・・・。」
「お前はどう思う。近くで緑川の戦いぶりを見ていたんだろう?こいつが犠牲になれば、緑川を仕留められそうか?」
「・・・・・難しいと思います。」
「なんで?」
「・・・・・あれは本物の死神と言っても過言じゃありません。相手が誰だろうと、その首を刎ねるでしょう。」
「SATの隊長にそこまで言わせるほどか?」
「どんな特殊部隊の人間でも、同じことを言うと思いますよ。」
「なら奴を討つ可能性があるとしたら、それはどんな事が考えられる?」
長官はまた笑顔に戻り、「素直に答えてほしい」と言った。
「忌憚のない率直な意見を聞かせてくれ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「躊躇うことはない。この異様な事態を解決する為には、お前のように前線で戦っていた者の意見が大事だ。
どうだ?化け物との戦いを肌で感じてきた身として、どんな可能性が考えられる?」
そう問われて、東山は今までの戦いを思い出す。
初めて「向こう」へ行き、ウェンディゴと戦ったこと。頂上の池でミノリの大群と戦ったこと。
そしてつい昨日の、あのおぞましい戦いのこと。
ミノリ、ペケ、緑川、そしてミノリの連れてきた強力なUMA、どれも思い出すだけで鳥肌が立ちそうだが、しっかりと頭の中に思い描いた。
あの戦いを思い浮かべるだけで、肌が切り裂けような錯覚に襲われ、吐き気まで催してくる。
しかしそれでも何度も思い浮かべ、緑川を倒すにはどうしたらいいかを、記憶の中から探った。
「・・・・・・・毒。」
「ん?」
「毒が・・・・・有効かもしれません。」
そう言って顔を上げ、「あの戦いを思い出していると、毒が一番効くんじゃないかと思います」と頷いた。
「ペケという強い怪人がいたんですが、敵の使う毒槍を恐れていました。それにアチェもよく毒の鱗粉を使っていたし、緑川もそうしていたはずです。」
「ああ、警察署で鱗粉をばら撒いていたと聞いた。そのせいでみんなゲロまみれだ。」
「それに緑川が化け物になってしまったのも、アチェの毒を受けたからです。
奴は怪我を負う度にその毒で治してもらっていたそうですが、それが限界を迎えてUMAになったんだろうと思います。」
「なるほどな・・・・・毒か。」
「毒は弱者の武器です。弱い者が強い者を葬る時、毒が最も有効な手段です。それは歴史も証明しているはずです。」
「確かに・・・・暗殺にはよく毒が用いられた。現代でも、化学兵器は核と並んで使ってはいけない武器の一つだ。」
「昔も今も、毒はそれほど強力ということです。自然界を見渡したって、弱い奴ほど毒を持ってる。虫、魚、爬虫類・・・・毒を持つのはだいたいこんなところでしょう。」
「まあトラやライオンにそんな物は必要ないだろうからな。」
「ええ・・・・。そして俺たちが相手にしようとしているのは、トラやライオンなんですよ。もし虫やトカゲが猛獣を殺せるとしたら、やはり毒しかない。」
「俺たちは虫か。」
「緑川から見れば、そうなると思います。奴はアリでも踏み潰すように人間を殺すんです。それほどまでに見下されてるってことです。
だったらそれを逆手にとって、毒を持つアリになればいい。ちっぽけな虫だと思わせておいて、毒を撃ち込んでやればいいんですよ。」
東山は強い口調で言い切る。半田に進言した時は相手にされなかったが、今なら通る可能性がある。
「向こう」の化け物が「こっち」に押し寄せた今なら、この進言を真面目に検討してくれるはずだと信じていた。
須藤は「毒ねえ・・・」と呟き、隣に目を向ける。
公安の幹部は、何食わぬ顔で知らんぷりを決めていた。
すると黙って聞いていた官房長官が、「まさか化学兵器を使おうなんて言うんじゃないだろうな?」と息巻いた。
「東山の意見を素直に受け取れば、そういうことになりますな。」
須藤が返すと、「そんな・・・・、」と顔をしかめた。
「そんな物はウチの国にはない。」
「アメリカから借りるというのは?」
「馬鹿を言う。」
「どうしてです?官房長官は先ほど、どんな手を使ってでも事態を収拾すべきだと仰ったはずですが?」
「それは表現の問題だよ。それくらいの覚悟でないと、化け物を駆逐するなど出来んという意味だ。」
「そうでしょうか?どんな手を使ってでも対処しないと、被害が拡大するからだけだと思いますが?」
「しかしいくら何でも化学兵器ってのは・・・・、」
「まあ甚大な被害が出るでしょうな。」
「そうだよ。それこそ化け物どころじゃない被害が出るかもしれない。そうなったら本末転倒だろう?」
「しかし沢尻たちの話を聞いていると、通常の武器では対処が難しいようです。」
「そんなことは分かってる。でも難しくてもやるしかないんだよ。化学兵器の使用がどういう結果をもたらすか?この国の人間なら分かるだろう。」
官房長官はそう言って「断じてそんな選択肢はあり得ない」と突っぱねた。
「ではどうしますか?」
「通常兵器でどうにかするしかない。」
「なら警察にも自衛隊にも、多くの犠牲者が出ますな。」
「だからそんなことは分かってるんだよ。クドイなお前は・・・・・、」
官房長官は苛立たしそうに言って、「美津君はどう思うんだ?」と警視総監に尋ねた。
「君も化学兵器に賛成なのか?」
「はあ・・・・。」
「なんだその曖昧な返事は?ふざけてるのか?」
「いえ、私が何を言ったところで、官房長官が駄目だと仰るならそれまでですから。」
「そうだよ。駄目なもんは駄目だ。」
「それに意見を求めるなら、防衛省やアメリカ大使館の方がいいんじゃないですかね?もし使うにしたって、ウチはそんな物は持ってないわけですから。」
「・・・・アメリカに意見を求めたところで、答えは決まってるよ。」
「まああの国のことですから、事態が事態なら使用は認めるでしょうな。」
「自分の国のことではないからな。」
「いや、自分の国でもやるでしょう。ひっ迫した状況なら、すぐに決断を下すと思いますよ?」
「それは何か?俺に対する嫌味か?」
「そうではありませんが、決断すべき時は、そうするべきだと進言しているだけです。」
「なら君が俺の代わりをやってみるか?全ての責任を背負ってな。」
「いえ、お断りします。」
「ほら見ろ、化学兵器なんて安易に使えんよ。」
「使用の是非については、私は何も言えません。決定を下すのは内閣ですから。」
「使うのは国内なんだよ!お前んとこの部下が化学兵器を使えと言ってるんだ。この国で!」
「はい。」
「自分たちが無関係とでも言いたいのか!?ええ!」
「そんなつもりはありません。お気に障ったのなら、私の言葉遣いが悪かったのでしょう。お詫びいたします。」
そう言って小さく頭を下げ、じっと口を噤んだ。
「どいつもこいつも・・・・・、」
官房長官はグイと水を飲み、東山を睨んだ。
「実際に奴らとの戦いを経験した君の意見は貴重だよ。」
そう言われて、東山は「はい・・・」と俯いた。
「その上で毒が有効だと言うのなら、それはそうなんだろう。」
「はい・・・・。」
「でもね、やはり安易に決断は下せないんだよ。」
「・・・・分かっています。」
「別に君を責めてるわけじゃないんだよ。ただね、そういう意見は今後控えてほしい。」
「・・・・・・・・・・。」
「化け物の対策には、通常の兵器をもってあたる。我々だけで手に余りそうなら、米軍だって動いてくれるんだから。」
「・・・・お言葉ですが、私が進言したのは、化け物への対策ではありません。緑川をいかに仕留めるかについてです。」
「同じ事だよ、結局使うなら。」
「そんな事はありません。奴一人に向けて使うなら、やり様があるはずです。」
「どんな風に?」
「・・・・もし化け物全体に向かって使えば、それは甚大な被害が出るでしょう。しかし緑川を殺すだけとなれば、限定的な使い方が出来る。」
「限定的・・・・・。」
そう言われて、官房長官は少し考え込んだ。
「例えば・・・・ライフルの弾丸に毒を込めるとかか?」
「それも考えましたが、今の奴には銃は通用しないようです。沢尻が近距離から拳銃を撃ちましたが、奴はアッサリとかわして見せました。
きっと化け物になって、超人的な反射神経を身に着けたんでしょう。」
「ならどういった形で使うんだ?まさか奴一人に向けて、化学兵器の弾頭が入ったミサイルでも撃ち込む気か?」
「そんな事をしたら、それこそ甚大な被害が出ます。」
「だろう?だったらやっぱり無理なんじゃないか。やって意味の無いことなら、やらない方がいい。」
「いえ、意味の無いことではありません。」
「なんでだ?銃も駄目、ミサイルも駄目、だったら毒を使うなんて無理だろう?」
これ以上反論するなという風に、官房長官は顔をしかめる。しかし東山は引かない。「接近して使えばいいんです」と答えた。
「接近?」
「はい、刀に毒を塗るんです。」
「刀って君・・・・・銃をかわすような奴にそんなもんが・・・・・、」
「刀だからいいんですよ。銃ならかわされるが、刀なら当たる。コイツが使えば・・・・・、」
そう言って沢尻を見つめ、「お前は緑川と戦うつもりなんだろう?」と尋ねた。
「誰がなんと言おうと、アイツとケリをつけるつもりなんだろう?」
そう問うと、「ああ」と頷いた。
「どうせ放っといても化け物になるんだ。だったら戦わないでどうする。」
「だな。でも武器は必要になるだろう?」
「ああ、肉挽き刀を使うつもりだ。」
「それしかないよな。」
二人は目を見合わせて笑う。すると官房長官が「あのノコギリみたいな刀か・・・・」と呟いた。
「あれはペケとかいう怪人が持ってた物なんだろう?」
「ええ」と東山が答える。
「獲物に当てると、チェーンソーのように刃が回転するんです。鉄だろうが岩だろうが挽き裂いてしまう武器ですよ。」
「おそろしいな、化け物の武器ってのは・・・・、」
「その恐ろしい武器に毒を塗るんです。そして化け物になった沢尻が、それを使って緑川と戦う。」
「・・・・・なるほど。それなら確かに範囲は限定されるな。」
官房長官は小さく頷く。東山も頷き返し、「あの刀はちゃんと保管してあるんですよね?」と警視総監に尋ねた。
「当然だ。」
「なら存在を知ってるのは?」
「俺たちだけだ。「向こう」の武器が俺たちの手にあるなんて知れ渡ってみろ、マスコミが騒ぎ立てるし、何よりハイエナどもが群がって来る。」
「どの国だって、未知の強力な武器は欲しがるでしょう。」
「ウチにはスパイを防止する法律がないからな。あんな物のせいで、余計なトラブルが起きるのはゴメンだ。」
そう言って公安の幹部に目を向けると、「今のところは誰にも漏れていません」と答えた。
「それでいい。はっきり言って、あんは物は必要ないと思ってる。出来ればさっさと「向こう」に捨てるべきだ。」
「私も同感です。ただ官房長官は、危うくアメリカ側に口を滑らしそうになってましたが・・・・、」
公安の幹部はそう言って、官房長官に目を向けた。
「我々以外の人間と話す時は、くれぐれもご注意を。」
「分かってる。総理にすら言ってないんだから・・・・、」
「今の総理じゃ言えんよな。」
警視総監が笑う。
「就任して半年も経ってないのに、隠し子のスキャンダルで叩かれてるんだから。」
「アレはもうじき降ろすつもりだよ。」
官房長官は苦笑いし、「誰にもあの武器の存在を漏らすつもりはない」と言い切った。
「利用するメリットよりも、周囲にバレた時のデメリットの方が大きい。」
「ですな。他国に奪われてしまった時は、なぜかウチの国が叩かれるでしょうし。」
「だから・・・・もしアレを使うのであれば、必ず緑川を仕留めてほしい。そしてすぐに「向こう」へ破棄するんだ。」
官房長官は険しい目で釘を刺す。東山は「もちろんです」と頷き、「出来るよな?」と沢尻に尋ねた。
「なんだその口調は。俺は子供か?」
「そうじゃない。相手はあの緑川なんだ。奴だって化け物だし、それに首狩り刀を持ってる。」
「分かってるさ。しかし首狩り刀は今は短く・・・・・、」
そう言いかけて、沢尻は突然黙り込んだ。
「おい、どうした?」
「・・・・・・・・・・・。」
「沢尻?」
「・・・・・犠牲者が出る・・・・。」
「何?」
「また大量殺人が起きるぞ・・・・。」
「殺人て・・・・まさか・・・・、」
「あいつはまた人を殺す気だ。でないと首狩り刀が・・・・・・・、」
沢尻は立ち上がり、声を張り上げて言う。しかしその時、警視総監のケータイが鳴った。
「はい?ああ・・・・・・、」
電話に出た警視総監の顔が、見る見るうちに曇っていく。
その表情だけで、沢尻は何が起きたのか理解した。
「緑川ですね!?」
「・・・・・・・・・・・。」
警視総監は電話を耳に当てたまま動かない。そして「分かった・・・」と頷き、舌打ちしながら電話を切った。
「緑川なんでしょう!あいつがまた殺人を・・・・・、」
「違う。」
「違う・・・?」
「新しい化け物がわんさか出てきたそうだ。」
「新しい・・・・・化け物・・・・・・?」
沢尻は固まり、「緑川じゃないんですか?」と聞き直した。
「違うと言っただろう。亀池山の麓に、新しい化け物が現れたんだ。それもわんさかと。」
「・・・・・・・・・・。」
「しかもなぜかこっち側の味方をしてるらしい・・・・。」
「こっち側って・・・・・人間のという意味ですか?」
「だそうだ。」
「どうして!?」
「知るかそんなもん。」
警視総監は、困り果てた様子で顔をしかめる。
「山の麓から河童だののっぺらぼうだの・・・・それにわけの分からん空飛ぶ生き物が現れて、人間に加勢し始めたんだそうだ。
しかしそのおかげで、こっち側に有利に均衡が崩れつつある。」
「河童に・・・・・のっぺらぼう・・・・・、」
その言葉を聞いて、沢尻はすぐに思い当たった。
「あいつら・・・・・弔い合戦をやってるんだ。」
そう呟くと、東山が「どういう意味だ?」と睨んだ。
「ペケだよ・・・・河童が遺体を回収したろう?」
「ああ、川に持って帰ってたな。」
「ペケは妖怪にとっちゃ英雄であり、守り神みたいなもんだ。あいつがいるから、ミノリは妖怪への迫害をやめた。」
「・・・・・ああ!なるほど・・・・それで弔い合戦。」
「妖怪どもは知ってるんだよ、ペケの本当の死因を。トドメを刺したのは緑川だが、しかし遅かれ早かれあいつは死んでいた。なぜなら重症を負ってたからな。」
「その重症を負わせたのはミノリだ。もしそれが無ければ、緑川にやられることもなかったかもしれないな・・・。」
「あの怪人は強いからな。ミノリが警戒するほどに。」
「ペケがいるおかげで、妖怪たちは「向こう」で暮らすことが出来た。それが殺されたとあっちゃ・・・黙ってられんわな。」
「ミノリは自分たちを迫害していた張本人だ。そいつのせいでペケが死んだ。妖怪どもにとっちゃ許せない事だろう?」
「それは分かるが、しかし空飛ぶ生き物ってのは何だろうな?もしかしてUMAか?それともそういう妖怪が?」
「分からない。しかしこれは俺の勘だが・・・・・ミノリは他のUMAからも嫌われてるんじゃないか?」
「どうして?あいつがUMAの親玉みたいなもんだろう?」
「違う、親玉は「墓場の王」だ。ミノリは他のUMAと同様に、王から生まれたに過ぎない。」
「ならどうして他のUMAから嫌われる?」
そう尋ねると、沢尻は顎に手を当てて考えた。
「・・・・おそらく・・・「向こう」を消そうとしてるからじゃないか?」
そう言って「ミノリの目的を思い出せ」と続けた。
「あいつは王の力を手に入れて、この星から飛び去ろうとしてる。そしてその時、「向こう」を消滅させるつもりだ。だったら残されたUMAはどうなる?」
「・・・・・多分・・・・一緒に消える?」
「いや、居場所を失うんだ。おそらく「こっち」に逃げて来るだろうが、でも二時間以上はいられない。それ以上時間が経つと死んでしまうからな。」
「なら結局消えることに変わりはないじゃないか。」
「・・・・そうだな。だからきっと、妖怪と手を組んでミノリを殺すつもりなんだろう。それで人間たちに味方をしている。」
「だったら好都合じゃないか!「向こう」の連中が味方してくれるなら、これほど心強いことはないぞ。」
東山は拳を握って喜ぶが、沢尻は冷静だった。
「いや・・・・そうとも言えない。」
「なぜだ?妖怪やUMAの加勢してくれるんだぞ。これなら勝てるかもしれない。」
「相手が普通のUMAならな。しかし今「こっち」で暴れてるのは、あのミノリだ。それも飛びきり強力なUMAを連れてる。骨切り刀なんて武器まであるしな。
そうなると、河童やのっぺらぼう程度の増援じゃ、どうにもならない。」
「そうか?俺はそうとは限らんと思うが。」
「なぜ?」
「なぜ?って、お前が自分で言っただろうが。妖怪はペケの弔い合戦を、UMAは自分の棲み処を守る為に戦っていると。」
「それがどうした?」
「もしその通りだとするなら、それは「向こう」にいるすべての妖怪とUMAが、ミノリを殺しにやって来るってことだ。」
「それはそうだが・・・・・、」
「これからどんどん増援が来るぞ。そうなれば、人間、妖怪、UMAの連合軍だ。奴らに勝ち目はない。」
そう言ってまた喜ぶが、沢尻は「楽観的だな」と答えた。
「そんな都合良くはいかない。」
「しかし戦いは有利になってるはずだ。そうでしょう総監?」
同意を求めるように尋ねると、「どうだろうな」と返された。
「どうしてです!?「向こう」の化け物が味方になってくれるんですよ?」
「そりゃ心強いがな・・・・しかし所詮化け物は化け物だ。どう動くかも分からんし、数が増えればこっちが混乱する。」
「それは・・・・、」
「奴らが俺たちと足並みを揃えるとは限らん。そもそも戦う目的だって違うんだし。ミノリを殺す為なら、俺たちの事なんてお構いなしに暴れるかもしれんぞ?」
「・・・・・・・・・・・。」
「それに勝つのが無理だと分かれば、ミノリに寝返る奴だって出て来るかもしれん。そうなった時、誰が味方で誰が敵か区別がつかん。
増援と言えば聞こえはいいが、要は厄介事が増えただけだ。」
そう言われて、「SATの隊長なら、それくらいの判断はしてほしいものだな」と釘を刺された。
「・・・・しかし・・・・この機に乗じない手はありません。今ここで一気に叩いてしまえば、ミノリを仕留められるかもしれ・・・・、」
「だからそう上手くはいかないと言ってるだろう。」
「だったら・・・・・・・、」
東山は尚も食い下がる。しかしこれ以上の反論が思いつかず、口を噤んだ。
悔しそうに顔をしかめていると、ふと良いアイデアが浮かんだ。
「おい沢尻!」
「なんだ?」
「お前はアチェを飲み込んだんだったな?」
「ああ、だからこの左目だ。」
「なら首狩り刀を取り返せないか?あれはアチェの武器だろう。彼女は自分が望めば、いつだって武器を取り戻すことが出来たはずだ。」
期待を込めて尋ねると、「出来るならとっくにやってる」と返された。
「残念だが、いくら望んでも首狩り刀は俺の手の中に来ない。ということは、あの刀は緑川が所有者ということだ。」
「しかしあれはアチェの武器で・・・・・、」
「そのアチェが死んだんだ。だったら第二の所有者である緑川が持つのは当然だろう。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「それにアチェを吸い込んだのは緑川も同じだ。俺が刀を取り戻せるのなら、奴だって同じ事が出来るはずだ。」
「・・・・化学兵器は使えない・・・・化け物の増援も期待出来ない・・・・そして首狩り刀を取り戻すことも出来ない・・・・何も出来ないばかりだな。」
東山は深くため息をつく。そして「ならいったいどうしたら解決出来るんだ?」と周りを見渡した。
「ミノリたちも倒せない、緑川も仕留められない。このまま奴らを放っておくのか?」
「おい東山、口の利き方に気をつけ・・・・・、」
警視総監が注意すると、「知るかそんなもん」と遮った。
「何?」
「俺はな、この件が終わったなら警察を辞めるつもりだ。」
「ほう、そうか・・・・。まあ別に構わんぞ。代わりはいるんだから。」
「澄田は死んで、半田のおっさんは子羊みたいに震えるだけ。この状況で俺が抜けても、困らないってことですね?」
「ああ、まったく。」
「そうですか、ならこの場で辞めさせてもらいますよ。」
そう言って立ち上がり、「俺にはこれがある」と菱形の鏡を取り出した。
「あんたらは理屈ばかり並べ立てて、何もしようとしない。俺の忠告通り、最初から化学兵器を使ってりゃ良かったんだ。そうすりゃ今頃、こんな酷い事には・・・・、。」
「ほう、お前がそんな忠告を出していたのか。俺は一言も聞いてないが?」
「半田のおっさんが止めてたんですよ。あの小心者のオヤジ、結局保身の事しか考えてないから。」
「あいつはもう使い物にならん。それにもう警察官ではないし。」
「だから俺も辞めると言っているんです。こいつがあれば、俺だけでも戦うことは出来る。」
菱形の鏡を振りながら、「沢尻」と呼んだ。
「お前はどうするんだ?俺の提案した、肉挽き刀に毒を塗って戦うという作戦・・・・賛成してくれるよな?」
「良い案だと思うが、緑川を殺すほどの毒となると、やはり米軍から借りる必要がある。だから俺とお前だけで戦っても、その作戦は成り立たない。」
「なら毒無しで戦えばいいだろう!肉挽き刀は強力な武器なんだ。あの刀があれば、緑川に勝つことも不可能じゃない。」
「そうだろうな。」
「だったら毒が無くても戦えるはずだ。お前はこれから化け物になり、緑川と同等の力を手に入れる。そして肉挽き刀を使えば、充分に勝つ見込みはあるだろう。
もちろん俺も強力する。だから俺と一緒に来い。こんな話の分からんジジイ連中を相手にしてたって時間の無駄だ。」
そう言って一息に捲し立てると、警察長官が大声で笑った。
「俺たちは役立たずのジジイか。」
「そうでしょう、違いますか?」
「いや、認めるよ。この件に関しては、特にこれといって何も出来ていないからな。」
「だったら後は俺たちでやりますよ。もし協力する気があるなら、米軍から化け物を殺せるほどの毒を借りて下さい。」
「うん、まあ・・・・・お前の怒りは分からんでもないが、少し落ち着け。」
いきり立つ東山を諌めていると、部屋にスーツを着た男が入って来た。
そしてしばらくすると、ドアの向こうから一人の女性が現れた。
それを見た沢尻が、「なんでここに!」と叫ぶ。
ドアの向こうから現れた女性は、早苗だった。
沢尻は麓の墓場に座り込んでいた。
だらりと拳銃を下げ、目の前にある二つの死体を睨んでいる。
「沢尻・・・・。」
東山が声をかけ、「気に病むなよ」と言った。
「銃を撃ったのはお前だが、殺したのは緑川だ。あいつが盾にしやがったんだ。お前は悪くない。」
「・・・・・・・・・・・。」
「あいつはわざとお前に撃たせたんだ。そしてお前が苦しむのを楽しんでる。だから気に病むな。」
そう言って慰めても、そんな言葉に意味はないと知っていた。
沢尻ほど正義感の強い男が、自分の撃った弾丸でパートナーを殺してしまったのだ。
それを気に病むなと言う方が無理だが、じっと黙っていることは出来なかった。
「・・・・・弔ってやるか?」
東山はそう言って、二つの死体の元へ歩く。
「こっちの怪人は俺が埋めてやる。お前は彼女を・・・・・、」
「ああ。」
沢尻は急に立ち上がり、アチェを手に乗せる。そしてそのまま橋の方へと歩いて行ってしまった。
「おい!」
「心配するな、ちょっと一人になりたいだけだ。」
そう言い残し、麓の橋へと消えて行った。
東山は不安そうにそれを見送り、「クソッタレ」と吐き捨てた。
「緑川め・・・・・。俺たちが来ることを予想して、わざとアチェを生かしてやがったな。」
悔しそうに言い、「殺人鬼め」と舌打ちをした。
「人を苦しめて何が楽しい?あいつは心底腐ってやがる・・・・・。」
ペケの頭を抱え、墓の傍へと運んでいく。
すると川の方からガサガサと音がして、咄嗟に銃を構えた。
「・・・・・・・・・・・・。」
川の茂みの中から、何かが動く気配を感じる。それも一つや二つではない。
大勢の気配がこちらに迫っていた。
「今度は何だ?まさか・・・ミノリ・・・・・、」
そう言いかけた時、茂みの中から一匹の妖怪が現れた。
それを見た瞬間、東山は「あ・・・・・、」と口を開けた。
「・・・・・・河童?」
茂みの中から現れたのは、人間の子供くらいの大きさの妖怪だった。
背中に甲羅を背負い、頭に皿を乗せ、鳥と爬虫類を混ぜたような顔をしている。
身体は茶緑にくすんでいて、手足には水かきが付いていた。
「この川にはいると聞いていたが・・・・・まさか本当にお目にかかるとは・・・・、」
そう驚いていると、次々と河童が現れた。
東山はあっという間に取り囲まれ、墓石の囲いまで下がった。
「・・・・・・・・・・・。」
ゴクリと唾を飲み、銃を構える。河童は全部で二十匹はいて、到底一人では勝てそうになかった。
「なんてこった・・・・・最後は河童の餌になるってのか・・・・・。」
沢尻に助けを求めようかとも思ったが、それはやめた。
なぜなら彼が来たところで、二人とも殺される可能性が高いと思ったからだ。
「まあ・・・・・いいか。こんな化け物の蠢く場所で、よくここまで生き延びられた方だ・・・・・。」
そうは言ったものの、やはり河童に食われて死ぬのは抵抗があった。
だから戦うだけ戦って、最後は手榴弾でも抱えて自爆しようと決めた。
「・・・・・来いよ。俺を喰いたいんだろ?」
これが最後と腹を括り、大勢の河童を睨み付ける。
すると東山の予想に反して、河童は襲っては来なかった。それどころか、中には背中を向けて帰って行く者までいた。
「なんだ・・・・・?俺を喰いたいんじゃないのか?」
呆気に取られていると、数匹の河童が奇妙なことを始めた。
なんとバラバラになったペケの遺体を拾い始めたのだ。
切断された胴体、両の手足、それを大切そうに抱え、茂みの中へと引き返していく。
最後に一匹だけ残り、じっと東山を見つめた。
東山もその河童を見つめ返し、「なんだ?」と銃を向ける。
「お前は・・・・俺を襲うつもりか?」
『・・・・・・・・・・・・。』
「もう仲間は帰ったぞ?一人で勝てるつもりか?」
『・・・・・・・・・・・・。』
「言葉が分からないか?それとも襲う隙を窺ってるのか?」
『・・・・・・・・・・・・。』
「不気味な・・・・・。妖怪なんて出会うもんじゃないな・・・・・。」
近くで見る河童は、吐き気がするほど気持ち悪かった。
本や漫画の中で見る分にはいいが、こうしてまじまじと見ていると、巨大な爬虫類の化け物にしか思えなかった。
しかしそうやって睨み合っている中で、東山はあることに気づいた。
「お前・・・・・・どこ見てる?」
『・・・・・・・・・・・。』
「・・・・・もしかして・・・・これか?こいつが欲しいのか?」
そう言って、銃とは反対側に抱えた物を見せる。
「この怪人の頭・・・・・これが目当てか?」
『・・・・・・・・・・・。』
河童は何も答えず、一歩一歩近づいて来る。
そして東山のすぐ前まで来ると、そっと両手を出した。
「・・・・・・・・・・。」
東山はその手を見つめ、ゆっくりとペケの頭を差し出す。そして河童の手の上に置くと、「これでいいのか・・・・・?」と尋ねた。
『・・・・・・・・・・・。』
河童は何も言わず、くるりと背を向ける。そしてそのまま茂みの中へと消えて行った。
東山は腰を下ろし、「何だってんだ・・・」と項垂れた。
「あいつは妖怪にとっちゃ英雄みたいなもんさ。」
不意に声がして、顔を上げる。
「沢尻・・・・・。」
「妖怪はミノリに迫害されていた。それを助けたのがペケなんだ。奴らにとっちゃ、守り神みたいなもんなんだろう。」
そう言って茂みの方を睨み、「自分たちの手で弔いたいんだろうさ」と目を細めた。
「そうか・・・・。まあ化け物は化け物に弔ってもらった方が幸せかもな。」
東山は深いため息をつきながら、膝に手をついて立ち上がる。
「ずっと「こっち」にいると、神経が狂いそうだ・・・・。まだ犯罪者と戦ってる方がマシだよ。」
「緑川も犯罪者だぞ?」
「あいつは異常だ・・・それにもう人間じゃないだろ?」
そう言って緑川の姿を思い浮かべ、「あれはどう見ても化け物だ」と吐き捨てた。
「もう人間じゃない・・・。本物の死神になっちまったんだ。」
「かもな。」
「本心を言うと、俺はもうあいつに関わりたくない。」
「誰だって一緒さ。」
「でもお前はそれを許さないんだろう?俺が警察官である以上、あいつを仕留めろと言うはずだ。」
「・・・・・強要は出来ないが、一緒に戦ってくれると嬉しい。」
沢尻は山を見上げ、「あいつを放っておいていいはずがないんだ」と言った。
「あいつはこれからも、どんどん災いを振り撒くだろう。放っておけばおくほど、仕留めるのは難しくなる。今しか無いんだ。」
「それは俺も同感だがな、でもどうやって仕留める?もう完全な化け物に変わっちまったんだぞ?きっと「向こう」と「こっち」の行き来だって自由だ。」
「分かってる。だから俺も・・・・・化け物になろうと思う。」
「はあ?何を言って・・・・・、」
東山はそう言いかけて、あることに気づいた。
「おい、アチェはどうした?」
「ん?」
「ん?じゃない。さっきまで持ってただろ?どこかに埋めたのか?」
「いや。」
「ならどこにやって・・・・、」
「ここだ。」
そう言って、沢尻は腹を指さした。
「・・・・まさか・・・・食ったってのか・・・・?」
「ああ。」
「・・・・・・・・・・・。」
東山は絶句し、信じられないという風に首を振る。
「お前・・・・正気か?」
「何がだ?」
「化け物の死体を喰うなんて・・・・とうとう頭がイカれちまったか?」
「元々だ。」
「それは分かってるが、前よりさらにイカれちまったんじゃないか?」
「そうでもないさ。これが一番良い方法だからそうしただけだ。」
そう言ってニコリと笑い、「アチェはまだ生きてた」と言った。
「何?」
「ほんの少しだけ脳が残ってた。そして最後の力を振り絞って、俺に語り掛けてくれたよ。」
「何を?」
「緑川を殺せと。何があっても、あいつだけは生かしておくなと。」
「それは誰もが思うことだ。俺が聞いてるのは、どうしてアチェを喰ったのかってことだ。」
「アチェがそうしろと言ったからだ。」
「自分を喰えと?」
「ああ。アチェの腹には子供が宿ってるらしくてな。それを守る為に、自分を飲み込んでくれと言った。」
それを聞いた東山は、「子供・・・・」と青ざめた。
「お前・・・・化け物の子供を守る為に飲み込んだってのか?」
「ああ。しかもその子供は、緑川の子供でもある。」
「・・・・・・・・・・・。」
「さっき言ってたろ、緑川の奴が。最後にアチェを犯したって。二人は交尾したわけさ、そして子を孕んだ。アチェと緑川、両方の血を引き継ぐ子供が生まれるわけだ。」
「・・・・すまん・・・・よく理解出来ない・・・・、」
東山はお手上げという風に首を振る。
「その・・・・お前は腹の中に、緑川の子供を宿しているってわけだよな?」
「ああ。」
「・・・・なら・・・・いつかあいつの子供を産むと?」
「ああ。」
「・・・・本気かお前?あの死神の子供だぞ?それも化け物との合いの子だ。本当に産む気か?」
そう言って目の前に詰め寄り、厳しい目で睨んだ。
「言っておくがな、もしそんなもんが生まれたら、俺は真っ先に殺すぞ。死神と化け物のハーフなんて・・・そんなもん生まれていいわけがない!」
「なぜ?」
「だって見ただろう!?緑川の野郎が何をしたか。怪人をバラバラに引き裂いて、アチェまで弄んだ。それにもう何百人も殺してるんだ!」
「それはあいつがやった事であって、子供がそうするとは限らないさ。」
「いいや、俺は認めない。アチェとあの野郎の子供なんて・・・・それもお前の体から出て来るなんて・・・・・そんなもん認められるか!」
東山は怒鳴り散らし、銃を向けた。
「今すぐ吐き出せ、化け物のガキを・・・・・。俺が殺してやるから。」
「駄目だ。」
「なぜだ!?お前は本当にそんなもんを産みたいと思ってるのか!?本当に頭がイカれたか!!」
「怒鳴る前に聞け。」
「何を!?」
「さっきも言ったが、これが一番良い方法なんだ。」
「そんなわけあるか!誰が聞いてもイカれてる!」
「イカれた奴を倒すには、イカれた方法しかない。」
そう言って東山の肩を掴み、「俺は化け物になる」と頷きかけた。
「そうしないと子供が産めないんだ。」
「だから・・・・なんでそんなことを・・・・、」
「いいか?アチェは最後にこう言ったんだ。もし緑川を倒せる可能性があるとしたら、それは同じ人間だと。」
「・・・・・お前もそう言ってたな。」
「でも人間のままでは駄目なんだ。だから俺はアチェを飲み込み、化け物になる。」
「・・・・・自分も化け物になって、戦いを挑むと?」
「そうだ。しかし俺が負けた時はどうなる?誰が奴を仕留めるんだ?」
「・・・・・腹の中の子供は、そうなった時の保険ってわけか?」
「ああ。」
「なら聞くが、生まれて来た子供が、緑川と同じような人種だったらどうする?いや・・・むしろあいつを上回る化け物という可能性だって・・・・、」
「早苗に育てさせる。」
「は?」
「あいつは俺の娘だ。だから誰よりも俺に似てるし、俺の考えをよく分かってる。」
沢尻は力強く言う。それを聞いた東山は、しばらく言葉が出てこなかった。
「・・・・・お前・・・・馬鹿じゃないのか?自分の娘に化け物の子供を押し付けようってのか?」
「早苗ならきっと、生まれて来る子供を正しく育ててくれる。例えそれが化け物の子供であっても。」
「何を根拠にそんな・・・・・・、」
「あいつは実際にUMAを手懐けたんだ。ミントってUMAだ。」
「・・・・聞いたよ、それで緑川と戦ったんだろ?」
「ケントが言うには、ミントは誰にも心を開かなかったそうだ。恐ろしく気が弱くて、ケント以外には懐かなかったと。でも早苗はミントを従えた。
だから緑川と戦うことが出来たんだ。だったらこれほどうってつけの人間はいないんだよ。」
「・・・・・馬鹿な・・・・呆れてものも言えない。」
東山は目を逸らし、「お前は本当にどうかしてる」と言い捨てた。
「自分だけじゃなくて、娘まで巻き込もうってのか?ある意味緑川より性質が悪いかもな。」
「早苗はもうすぐ子供が生まれる。」
「だから何だ?人間の子供と一緒に、化け物の子を育てさせようっていうのか?」
「そのつもりだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「早苗の元で、人間の子供と一緒に育てさせる。そして何が正しいかを教え込ませる。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そしてゆくゆくはその子と手を組ませて、緑川を仕留めさせるんだ。きっと早苗なら納得してくれるは・・・・・、」
そう言いかけた時、東山は本気で殴り飛ばした。
鍛えられた拳がめり込み、沢尻は血を吐きながら吹き飛ばされる。
「いい加減にしろ貴様!それでも人の親か!?」
そう言って胸倉を掴み、もう一発殴りつけた。
「何を馬鹿なこと言ってんだ!生まれてくる子供にそんな役目を押し付ける気か?」
「・・・・もしも・・・・俺が負けた時の話・・・・、」
「黙れ!」
そう言ってもう一発殴り、「俺が殺してやる!」と叫んだ。
「ほら、吐き出せ!化け物の子をとっとと吐き出すんだ!」
「よせ・・・・緑川を倒す手段が無くなる・・・・・、」
「やかましい!お前はあいつ以上に酷い事をしようとしている!そんなもん見過ごせるか!」
東山は怒りに震える。沢尻がイカれているのは知っていたが、ここまで常識外れの男だとは思わなかった。
彼の目には、もはや緑川と沢尻の間に、大きな違いはないように感じられた。
「いいか沢尻!いくらあの死神を仕留める為といっても、何やってもいいわけじゃないんだ!」
「・・・・あいつを放っておけば・・・・さらに酷い事になるぞ・・・・・、」
「そんなもん俺が止めてやる。いや、俺だけじゃない・・・・。緑川のやってることは、自分以外の全てを敵に回してるようなもんだ!
あいつはきっと、人間からも化け物からも追い回される。お前がそんなことしなくたって、いずれ誰かに殺されるんだ!」
「・・・・そうなればいいが・・・・もしあいつが生き延びたらどうする?その時、もうケントもアチェもいないんだ・・・。俺だって殺されてるはずだ。ならいったい誰があいつを・・・・、」
「自惚れるなよお前。自分だけが緑川を仕留められると思ってるのか?ケントがいなかろうがアチェがいなかろうが、人間はまだまだ大勢いるんだ。化け物だっている。
それらを全て敵に回して、奴が生きていられると思うのか?」
「・・・・・・さあな。でも俺は・・・アチェの言ったことに賭けてみる。彼女の宿した子供こそが・・・・緑川を仕留める武器になると・・・・、」
沢尻は殴られた口元を押さえ、ペッと血の塊を吐き出す。
「どう罵ってくれても構わない。でも必ず俺が正しいと分かるはずだ・・・・・。だから・・・・その為の可能性は奪わないでくれ・・・・、」
そう言って腹を押さえ、「生きてるんだ・・・・・殺さないでくれ・・・・」と頼んだ。
「・・・・・・・・・。」
「受け入れ難い事だっていうのは分かってる・・・・。でももうこれしかないんだ・・・・・頼む・・・・。」
両手をつき、深く頭を下げる。
「頼む・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
沢尻の土下座を見て、東山は舌打ちをする。そして毒気を抜かれたように「もういい・・・・」と首を振った。
「もういい・・・・何言っても無駄だとよくわかった。」
「・・・・・すまん。」
「もうお前にはついて行けん・・・。後は一人でやってくれ。」
そう言って立ち上がり、麓の橋へ向かった。
そして橋の途中で足を止め、「沢尻!」と叫んだ。
「俺は人間として奴と戦うぞ!またここに戻って来る!」
「・・・・・・・・・・。」
「お前もそうしろ!化け物なんかに頼るな!今でも刑事の誇りがあるなら、人間として奴の心臓を撃ち抜いてやれ!」
そう言って空に向かって銃を撃った。タタタタ!と短い音が響き、戦の狼煙のように響き渡る。
東山はドッペルゲンガーを呼び出し、「置いていくぞ!」と言った。
「お前がどういう選択をしようと、娘に顔くらい合わせてやれ!何も知らせずに全てを押し付けるのは許さんぞ!」
また銃声が響き、これが最後だという風に促す。
まだ自分勝手な意地を通そうとするなら、もうここに置いていくと言わんばかりに。
身も心も化け物になって、好きなように生きろと言わんばかりに。
そしてそれは、お前自身が緑川と同じようになってしまうぞと、警告しているようでもあった。
「・・・・・そうだな・・・・。顔を合わせずに何もかも押し付けるってのは・・・・・確かにルール違反かもな。」
殴られた口元を押さえ、また血の塊を吐き出す。
すると腹の中が疼き、身体中に激痛が走った。
「うおお・・・・・・、」
特に左目が痛み、ナイフを突っ込まれてグリグリと掻き回されるような痛みが走った。
しかし痛みはすぐに治まり、その代わりに左目に違和感を覚えた。
恐る恐る手を触れてみると、目の形が変わっていた。野球ボールを埋め込んだかのように、大きく膨れ上がっているのだ。
しかもその目には、景色が万華鏡のように映っていた。
「・・・・虫の・・・・複眼か・・・・・。」
沢尻の身体は、少しずつUMAへ変わろうとしていた。
彼が望もうと望むまいと、アチェと緑川の子を産む準備に入っていく。
「あ・・・・ああ・・・・・、」
UMAになった左目を押さえ、どうにか立ち上がろうとする。
よろめきながら地面に手をつき、まるで酔っ払いのように足元がおぼつかない。
フラフラと立ち上がろうとする中で、何か硬い物手に当たった。
それはペケの愛刀、肉挽き刀だった。
沢尻はそれを掴み、杖代わりにして立ち上がる。
すると東山がやって来て、「何してる?」と尋ねた。
「モタモタしてると本当に置いて行・・・・・、」
そう言いかけて言葉を失くす。
「・・・・これ・・・・戻るなら隠してた方がいいよな?」
「・・・・・・・・・・。」
沢尻の左目に、狼狽える東山が万華鏡のように映っていた。
暖かくなってきましたね。
陽が落ちると寒くなりますが、日中は暖かい日が多いです。
これからどんどん暑くなると、虫が増えます。
特に夏は虫の王国ですね。
樹液の出る樹にはたくさんの虫が群がってきます。
カブトムシ、クワガタ、スズメバチ、オオムラサキ、カナブン、ガ。
たくさんの虫が集まる餌場ですが、そうなると当然争いが生まれます。
どの虫も餌場を独占したいからです。
だけど餌場にはちゃんと序列があるので、いつもいつも争いが起こるわけではありません。
まず一番上に君臨するのはカブトムシです。
体が大きく、硬い甲皮に守られています。
それに力も強く、闘争心もあります。
次がクワガタで、理由はカブトと同じです。
しかし体格でカブトに負けていることが多いので、カブトの方が勝つことが多いようです。
その次がオオムラサキという蝶です。
この蝶は飛ぶ時に羽ばたく音が聴こえるほど力強い羽を持っています。
それにカブトやクワガタと同様に、蝶とは思えない闘争心の持ち主です。
だから餌を巡って他の虫と喧嘩をすることがあるそうです。
さすがにカブトやクワガタには及ばないでしょうが、スズメバチなら追い払ってしまうことがあるそうです。
普通の蝶ならまずスズメバチには負けるでしょう。
しかしオオムラサキには力強い羽があるので、こいつで撃退するわけです。
しかもスズメバチに怯まないそうなので、この恐ろしいハチよりも上です。
次に強いのはスズメバチです。
大きな顎に強烈な闘争心。
そして甲虫でもないのに頑丈な外皮をしています。
ちなみに虫同士の戦いの時には、尻尾の毒針はほとんど使わないそうです。
大顎がメインになります。
そしてその大顎でもって、他の虫に襲いかかります。
もしスズメバチの数が多い場合は、カブトやクワガタでも逃げ出すことがあるようです。
さすがに複数で来られたら勝てないようです。
カナブンはそそくさと隙間に入り、無駄な喧嘩をせずに樹液を舐めています。
蛾も同じです。争うことはほとんどありません。
虫の世界でも強い者が上に立ちます。そして一番樹液の出る部分を独占することが出来ます。
動物も人間も強い者が上位に立つのは変わりません。
例外があるとしたら、植物や細菌だけでしょうか。
意思のある生き物は、常に戦いの中に生きているのかもしれませんね。
アチェに毒針を刺され、緑川は幻覚を見ていた。
それはどんな幻覚かというと、アチェが妊娠した幻覚だった。
彼女はベッドに横たわり、緑川に手招きをしている。
こっちへ来てと言わんばかりに、小さく微笑みながら。
緑川は、これがアチェの見せている幻覚だと分かっていた。しかしあえてこの幻覚に付き合った。
パートナーだったよしみで、最後くらいはわがままに付き合ってやろうと思ったのだ。
まず緑川が驚いたのは、アチェが妊娠していることではなかった。
彼女が人間の姿をしていることに驚いた。
肌は白く、髪は赤茶色で、目は美しいブラウンだった。
しかし雰囲気や口調、それに仕草は変わっておらず、すぐにアチェだと分かった。
『これがUMAになる前のアチェか。』
呟きながら、彼女の傍に座る。
するといきなり手を握られて、『触って』と言われた。
緑川はすぐに意味を理解し、彼女の大きな腹に触れた。
ほんのりと温もりが伝わり、中で赤ん坊が動ているのが分かった。
『なんかいるな、ここ。』
『私たちの赤ちゃんよ。』
『うん、それは分かるけど、でもなんか気持ち悪い。殺していい?』
『ダメ、殺すかどうかは産んでから決めなさい。』
そう言われて、緑川は大人しく手を引っ込める。
するとアチェは立ち上がり、隣の部屋へと歩いて行った。
ドアを開けて振り返り、『見ないでね』と釘を刺す。
『ああ、出産?』
『そうよ。』
『まるで鶴の恩返しだな。そんなに見られるのが嫌なの?』
『どうしてもって言うなら立ち合えばいいわ。』
『いや、やめとく。』
『出産を見るのが怖い?』
『そうじゃなくて、ここで待ってたいんだ。お前が赤ちゃんを抱えて出て来た時、俺はどう思うのか感じたい。育てるのか殺すのか?それを決めたいんだ。』
『分かった。ならすぐ終わるから待ってて。』
そう言ってドアの向こうに消え、ものの一分ほどで出て来た。
『えらい早いな。お産ってそんなにすぐ・・・・、』
『だって卵だもの。』
アチェは、その手に小さな卵を幾つも抱えていた。
いや、抱えているのではなく、肌にびっしりと張り付いていると言った方が正しい。
『それ、全部俺たちの子供?』
緑川は顔をしかめ、『気持ち悪いから捨てて来いよ』と言った。
『どうして?』
『どうしってって・・・・それ虫の卵じゃん。』
『虫の卵?これが?』
『俺もお前も蛾のUMAなんだ。なら俺たちが子供を生めば、そうやって虫の卵が出てきてもおかしくない。』
『これ、虫の卵なんかじゃないわよ。』
『いや、どう見ても虫の卵だろ?タガメとかカエルとか、あいつらみたいな気持ち悪い卵じゃん。腕にびっしり張り付いてさ。なんか皮膚病みたいに見えるぞ。』
『そんなこと言わないで。とにかく抱いてあげて。』
アチェは真っ直ぐ歩いて来て、『ほら』と腕を向ける。
『いや、いいって。』
『よく見て、この子は本当に虫の卵かしら?』
『見なくても分かるよ。』
『・・・・ならその手に抱いてみて。その時・・・・これがいったい何なのか、あんたにも分かるはず。』
アチェは腕を傾け、ドロリと卵を垂れさせる。それは緑川の腕に落ちて、粘液がへばり付いた。
『・・・・・・・・・・・・。』
気持ち悪さを我慢しながら、緑川は全ての卵を受け取る。
そしてしばらく見つめていると、その卵から子が孵り始めた。
プチプチと音を立て、殻を突き破って出て来る。
『あ・・・・・・・、』
孵化した子供たちを見て、緑川は思わず声を上げた。
『これ・・・・・俺たちじゃん。』
そう言ってアチェを見つめ、『これUMAじゃんか』と叫んだ。
『だって私とあんたの子供だもん。虫でもなければ人間でもない。UMAに決まってるでしょ。』
『・・・・・・・・・・。』
無数の卵からは、たくさんの子供たちが溢れ出て来る。
蛾と人間を混ぜたような怪物たちが、小さなを羽を動かしながら這い出て来る。
男の子は緑川によく似ていて、女の子はアチェによく似ていた。
ワラワラと溢れ出た子供たちは、やがて宙をヒラヒラと舞い始める。
そしてしばらく宙を漂った後、窓際へ行って外を眺めた。
『あれ、何してるの?』
『外へ行きたいのよ。もう自分の力で生きようとしてるの。』
『すごいな、あんなに小さいのに・・・・・。』
たくさんの子供たちは、まだ人間の小指程度の大きさしかない。
しかしそれでも、大きな世界を求めて飛び立とうとしていた。
アチェは緑川の手を取り、窓際の方へと連れて行った。
『緑川・・・・あんたに子供を育てるのは無理よ。』
『・・・・・・・・・・?』
不意に言われて、緑川はキツネにつままれたような顔をする。
『あんた自身がまだまだ子供だからね。子育てなんてとても出来ない。だけど生まれた子供を愛することは出来るわ。』
そう言って窓の外を指さし、『この外には過酷な世界が広がってる』と憂いた。
『一度親の元を飛び立てば、あとは自分の力で生きていくしかない。子供たちはこんなにたくさんいるけど、生き残れるのはわずかよ。』
そう言われて、緑川は窓の外に目をやった。
そこには深い山が広がり、スカイフィッシュやツチノコ、それにまだ見たこともないUMAや妖怪が蠢いていた。
『この山にはたくさんの命がある。みんな生きていくのに必死よ。』
『・・・・・・生存競争?』
『そう。生きる為に戦う。時に相手を殺してでもね。それは食う為であったり、自分の縄張りを守る為であったり。』
『・・・・・過酷だな。』
『すべての命が生き延びたら、それこそ世界は滅びるわ。適当に間引かないと、どこもかしこも生き物だらけになってしまう。それは破滅を意味するのよ。』
『・・・・・・・・・・・・。』
『いい緑川?他者を殺そうとするのは、あんただけじゃない。みんな結局は自分が大事なのよ。だから他の命を殺して、自分の糧とするわけ。』
『うん。』
『だからそういう意味では、あんたは間違っていない。あんたは誰よりも、生きていくということに対して一生懸命なのよ。』
『そうかな?』
『そうよ。』
『でも俺は生存競争なんて関係なくても人を殺すけど?』
『頭がイカれてるからね、あんたの場合は。だけど殺してるのは全て他人でしょ?自分の子供だったらどう思う?
かつてあんたはこう言ってたわ。自分の親を、自分の手で殺してみたかったって。』
『うん。大事な人を殺したら、いったいどんな風に感じるんだろうって興味がある。』
『命の意味を知る為に?』
『まあね。』
『だったら今がチャンスよ。目の前にこんなに子供たちがいる。私たちが愛し合った末に生んだ子供たちが。』
『愛し合ったっけ?』
『抱き合ってる時はそうだったじゃない。あんたからは性欲だけじゃなく、愛情だって感じたわ。だから気持ち良かったのよ。』
『あれ、ただ興奮してただけじゃないの?』
『違う。ちゃんと愛し合ってた。気持ちがあるから、気持ちの良いセックスになったのよ。』
アチェは子供たちの前に立ち、『その結晶がこの子たち』と言った。
『さっきも言った通り、あんたにこの子たちを育てるのは無理。その必要も無いわ。』
『・・・・・・・・・・・・。』
『でも愛してあげることは出来る。無事に生き延びられる様に、心の中で祈ることは出来るわ。』
『うん。』
『頭の良いあんたのことだから、私が何を言おうとしているか分かるはず。』
『うん。』
『私はあんたに何も背負わせる気はないわ。ただ・・・・気持ちを試してるだけ。根っからのイカれた殺人鬼なのか、それともわずかでも人の心があるのか・・・・・。』
そう言って緑川の傍に立ち、『あとはあんたが決めなさい』と睨んだ。
『私は何もしない。ただ見てるだけ。』
強い目で決断を促し、『さあ』と笑って見せる。
すると緑川は、肩を竦めてこう答えた。
『いや、これってただの幻覚だろ?こんなもんで決断を迫られても・・・・、』
『ただの幻覚?ほんとにそう思う?』
『何が?』
『私とあんたは交尾した。なら妊娠したとしても何もおかしくないわ。』
『でも脳ミソ吸われたじゃん。もうじき死ぬだろ?』
『まだ半分残ってる。』
『いや、半分も吸われたら死ぬだろ?』
『その程度で死ぬなら、私は今まで生き残っていないわね。』
そう言ってクスクスと笑い、『もし私が妊娠していたら、こうやってたくさんの子供を解き放つわよ?』と顔を近づけた。
『だからこれは幻覚なんかじゃない。実際に起こり得ることで、あんたの心を試そうとしているの。』
『・・・・・・・・・・・。』
緑川はアチェと子供たちを交互に見つめ、『なあ・・・』と呟いた。
『もし俺が子供たちを殺したら、お前はどうする気だ?』
『もうチャンスを失うわ。』
『チャンス?何の?』
『あんたが生まれ変われるチャンスよ。まっとうな人間にね。』
『今でもまっとうだろ?周りが間違えてるんだ。』
『変わるつもりはないってことね。でもそれだと、あんたはずっと今のまま。私は二度とをあんたと手を組まないし、協力もしてあげない。それでもいいの?』
そう言って『よく聞いて』と頬に手を触れた。
『あんたは「こっち」にいるしかないの。「向こう」に戻っても居場所がないし、それどころか人間に追い回されるだけよ。』
『まあ今でもそんな感じだけど・・・・・、』
『今までよりもっと酷くなるわ。』
『・・・・・・・・・・・・。』
『あんたはもう完全なUMAになってしまった。なら「こっち」で生きるしかないの。』
『それは分かるよ。もう墓場の主の戦いなんて意味ないし、人間には戻れないだろうし。』
『そうね。でも子供たちを愛してくれるなら、私があんたの面倒を看てあげるわ。
私があんたを「こっち」に引きずり込んだ張本人だから、責任がある。このまま放っておくことは出来ないわ。』
『それはつまり・・・・「こっち」でずっと一緒に暮らすってこと?』
『そういうこと。私とあんたで手を組んで、ミノリを倒しましょう。そして「こっち」と「向こう」を完全に遮断する。
それぞれの世界は独立して、もう二度と関わることはない。あんたはUMAとして、「こっち」で暮らせばいいわ。』
『・・・・・・・・・。』
『・・・・大丈夫、私がずっと傍にいてあげるから。』
アチェは優しく微笑み、緑川を抱き寄せる。包み込むように頭を抱きしめ、そっと語りかけた。
『あんたが人の心を見せてくれるなら、私はどんな関係にだってなってあげるわ。母親でもいいし、恋人でもいいし、友達でもお嫁さんでもいい。
あんたの望む通りの形で傍にいる。そして・・・・ちゃんとあんたのことを愛してあげるわ。』
そう語りかける声は優しく、鳥のさえずりや虫の鈴音よりも心地良かった。
緑川はしばらく彼女に抱かれたまま考えた。そして『どうすればいい?』と尋ねた。
『難しく考える必要はないわ。自分の気持ちに素直になればいいだけ。』
『そうじゃなくて、子供たちに愛を見せるにはどうしたらいいの?』
そう言って顔を上げ、『教えてくれよ』と見つめた。
『あいつらを愛することは出来るっていうけど、具体的にどうすりゃいいんだ?』
そう尋ねると、アチェは『簡単なことよ』と微笑んだ。
『窓を開けてあげて。』
『窓?』
『あの子たちは外へ出たがってるわ。だから窓を開けてあげればいい。そして二人であの子たちの無事を祈りましょう。』
『・・・・・分かった。なら・・・・一緒に開けてくれよ。』
そう言ってアチェの手を握り、『お前と一緒なら出来るかもしれない・・・・』と外に目を向けた。
『いいわ。なら二人であの子たちを解き放ちましょう。』
アチェは緑川の手を引き、窓の前に立つ。
外には深い山が広がっていて、たくさんの化け物が蠢いている。
緑川は静かにその光景を眺めていた。
『鍵を。』
アチェに言われて、緑川は鍵を外す。。
そして二人で手を重ね、そっと窓を開いた。
外から風が入り、部屋の中を駆け巡る。その風と入れ代わるように、子供たちが外へと飛び立って行った。
小さな羽を動かしながら、たくさんの外敵がいる空へと舞い上がる。
子供たちは、最初のうちは一か所に固まっていた。怯えるように身を寄せ合い、大きな世界に委縮しているようだった。
しかしやがて、一匹の子供が空へと飛び去った。それに次き、一匹、また一匹と空の上へ昇っていく。
小さな影はグングンと遠ざかり、全ての子供が空へと消えていった。
『あの子たちのうち、いったいどれだけ生き残るか・・・・。』
アチェは厳しい目で旅立った子供たちを見つめた。
そして隣を見ると、緑川は目を閉じていた。
今飛び立った子供たちの無事を祈るように、眉間に皺を寄せていた。
アチェは彼の手を取り、同じように目を閉じる。
過酷な生存競争へと旅立っていった我が子たちが、一匹でも多く生き残るようにと。
しばらく祈りを捧げた後、二人は同時に目を開ける。
そしてじっと見つめ合い、そのままキスをした。
『これであんたの愛は証明された。私は約束通り、ずっとあんたの傍にいてあげる。もう・・・・一人じゃないのよ。』
そう言ってまた唇を重ねようとすると、緑川はそれを拒絶した。
『・・・・・・どうしたの?』
『何が?』
『何がって・・・こっちが聞いてるのよ。あんたは愛を示してくれた。だから私も約束を守ろうと・・・・・、』
『望んでないよ。』
『え?』
アチェは素っ頓狂な声で聞き返す。するとその瞬間、思い切り鼻づらを殴られた。
『ぎゃッ・・・・・、』
顔を押さえ、痛そうにうずくまる。そこへ今度は腹を蹴られて、もんどりうって後ろへ倒れた。
『ごえ・・・・・ッ』
鼻と腹を押さえながら、『あんた何をして・・・・・、』と顔を上げる。
すると髪を掴まれて、グイと引き立たされた。
『ちょっと・・・・・、』
『なあアチェ。こういう展開は予想してた?』
『・・・・何がよ・・・・?』
『俺はお前の言うとおり、子供たちを野に解き放った。そして心から無事に生き延びるようにも願った。
でもだからって、ずっとお前と一緒にいたいだなんて、これっぽっちっも思ってないぞ?』
そう言ってまた殴りつけ、床に組み敷いた。
馬乗りになって見下ろし、『この場合はどうするつもりだったの?』と笑う。
『俺は子供たちを殺さなかった。でもお前を殺さないとは言ってない。』
『・・・・・・・・・・・。』
『いいかアチェ。お前は何か勘違いをしてる。』
『・・・・・・何がよ?』
『俺はな・・・・別に寂しいわけじゃないんだ。一人だからってどうってことはない。』
『・・・・・・・・・・・・。』
『だってこの世で生きてるのは俺だけなんだから。他は全部作り物だよ。だから子供たちがUMAや妖怪に食われても、何とも思わない。』
『何言ってるのよ・・・・・。さっきは愛を込めて祈ったって・・・・・、』
『ああ、祈ったよ。でもそれが何?さっきはさっき、今は今だろ。』
『・・・・・・・・・・・。』
『愛なんてその時の感情だよ。一時的に高揚してるだけ。ほら、さっきのセックスの時もそうだったじゃん。
ああいのって、やってる時は最高だけど、終わるとどうでも良くなる。だから愛なんてただの感情だろ?』
『・・・・・違うわ・・・・私はあんたをちゃんと愛そうと思った。人間らしい心を見せるなら、本当に大事にしようと・・・・、』
『誰も頼んでない。必要もない。』
『・・・・・・・・・・。』
『愛の押し売りなんてごめんだよ。お前とのセックスは最高だったけど、一生俺を満足させるほどの価値があると思ってるのか?』
そう言ってまた蹴り飛ばし、『みんな石ころなんだから』と笑った。
『石ころが傍にあって、どこの誰が喜ぶんだよ?』
『石ころじゃないわ・・・・みんな生きてるんだから・・・・、』
『お前にとってはそうかもしれないけど、俺にとっては違うんだ。他の誰がどうなろうと、俺の知ったこっちゃない。だって俺にとっては、俺の命が全てなんだから。
さっきの供たちだって、敵になったら迷わず殺すね。』
『あんた・・・・、』
『それが生存競争ってもんだろ?自分の命を最優先にするのが競争だ。だから全部石ころなんだよ。俺だけが生きてる、俺だけが命を持ってる。』
そう言って何度も何度も殴りつけ、アチェの顔が血に染まっていく。
目は腫れ、唇は切れ、鼻は折れ、顔の形そのものが変わっていく。
しかしそれでも、やめてとも許してとも言わず、好きなように殴らせていた。
『いくら殴られても痛くないだろ?これはただの幻覚なんだから。』
そう言って何度も拳を振っていると、『幻覚でも死ぬことはあるわ・・・・・、』と呟いた。
『人は幻覚でも死ぬ。動物だって同じ。自分が本当に死んだと思えば、心臓が止まることだってあるのよ・・・・。』
『そっか。ならどうする?助けを求めるか?』
『・・・・・いいえ。私は最後の賭けに出た。それが負けたってだけ・・・・。』
『は?』
『気づかないの・・・・・?これだけリアルな幻覚を見せるってことは、私はどっぷり幻覚に浸かってるの。あんたと違って、私は命懸けなんだから・・・・・、』
『・・・・・・・そうなの?』
『・・・・・もし・・・・あんたが改心してくれたら・・・・きっとみんなの役に立てる・・・・。
その力を正しく使ってくれたら・・・もう王なんかいなくたって・・・、』
そう言って身体を起こし、辛そうに顔を歪める。そしてそっと手を伸ばして、緑川の頭を撫でた。
『あんたは・・・・この先一生・・・・誰かと繋がる喜びを知らないままなんでしょうね・・・・。』
『いいよそれで。』
『一人で生きたってつまらないのに・・・・・誰かと一緒に喜んだり、感動を分け合ったり・・・・その時に・・・・本当の幸せを感じるのに・・・・、』
『あ、そ。そんなもんにどれほどの価値があるのか知らないけど、知らないから何とも言えないや。』
『じゃあ・・・・・知ってみればいいじゃない・・・・、私が教えてあげるから・・・・、』
そう言って抱き寄せようとすると、その手を払われた。
大きな音をたて、痛いほど強く弾かれる。
『そうやって上手いこと言ってさ、実は亡くした家族の穴埋めをしないだけなんじゃないの?』
緑川はニヤニヤしながら、馬鹿にしたような口調で言う。
『お前がずっと戦ってたのは、子供を生き返らせたかったからだろ?でもそれはもう無理だ。だから今度は、家族の代わりになる奴を見つけようとしてる。
俺を憐れんでる振りをして、実は自分を慰めてるだけじゃないのか?』
そう言われたアチェは、一瞬言葉を失くす。しかしすぐに笑顔を見せ、『あんたってホントにイヤな奴』と苦笑した。
『根っから歪んでるわ・・・・ホントに・・・・、』
『図星だった?』
『そういう気持ちが無いって言えば・・・・嘘になる。でも・・・・それが本心じゃない。あんたには可能性があって、正しい方へ力を使えば、きっとみんなの役に立つ。
たくさんの命に喜びを与えられる・・・・。』
『それは買いかぶりだよ。俺は殺人鬼なんだから。死神って呼ばれるほどだぞ?』
『だからこそよ・・・・。多くの命を奪ってきたあんたなら、改心さえすれば命の大切さに気づく・・・・。
ほら・・・・禁煙した人が、いかにタバコが悪いかを語るように・・・・。』
『ああ、言われてみれば・・・・、』
『だから・・・・私と一緒に生きてみない?私は必ずあんたの傍にいる。何があったって離れないし、一人にしない・・・・・。傍にいるから・・・・、』
そう言ってもう一度手を伸ばし、抱き寄せようとした。
『あんたは知らないんでしょ?誰かと一緒にいる喜び・・・・感動したり、愛し合ったり・・・・。だから教えてあげる、きっと素晴らしいわよ。』
アチェは優しく微笑み、彼の手を引き寄せようとする。
しかし緑川は動かない。じっと睨んだまま、その目にアチェを映しているだけだった。
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『そう・・・。なら・・・・仕方ないわね・・・・・。』
じっと動かない緑川を見て、それが彼の返答だと諦める。
アチェは切なさそうに微笑み、『可哀想に・・・・』とささやいた。
『せっかく生まれてきたのに・・・・誰かと繋がる喜びを知らないなんて・・・・可哀想に・・・・、』
心の底から悲しそうに言い、諦めの笑みを見せる。それは緑川に対しての、別れの笑顔だった。
次の瞬間、部屋の底から地響きが鳴って、床が破壊された。
部屋は瓦礫のごとく崩れ、地中から何かが現れる。
『・・・・・これ・・・・・、』
緑川は絶句する。瓦礫を吹き飛ばしながら、地中から出て来た物体を見上げる。
それは太陽のように眩い光を放つ、巨大なUFOだった。
『あんたのもんよ・・・・・。』
アチェはそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
『それは王の片割れ・・・・私が吸い込んだ一部よ。持って行けばいいわ。』
『言われなくてもそうするよ。で、どうしたら俺のものになるの?』
『もうなってるわ、私の脳ミソを吸い込んだんだから。』
『そっか。ならミノリを倒して残りを手に入れれば、王は完全に俺の物になるわけだ?』
緑川は嬉しそうに言う。まじまじとUFOを見つめ、『これに乗ったら宇宙旅行に行けるかな?』と笑った。
『ええ、どこへでも行けるわ。月でも火星でも、太陽系の外だろうと好きな所へ行ける。ミノリを倒して、残りを手に入れればね。』
『おおおおお!マジか!ワクワクするなあ。』
『・・・・あんたは宇宙旅行をしたいが為に、王を欲しがってるの?』
『いや、それはオマケ。』
『じゃあ本当の目的は何なのよ?大きな力を手に入れて、全てを支配したいわけ?』
『まさか、そんな面倒臭いことしないよ。』
『ならどうして・・・・、』
『邪魔者を黙らせられるじゃん。』
『は?』
『だってこの世で生きてるのは俺だけなのに、なぜか石ころどもが俺を殺そうとしてくるんだよ。たった一つの素晴らしい命を、どうして潰そうとするのか分からないんだ。』
『・・・・・・・・・・。』
『だから王の力を手に入れれば、そういう奴らを潰せるだろ?この世で生きてるのは俺だけで、それでいいんだよ。他の命なんていらない。全部石ころなんだ。』
『・・・・その為に・・・・王の力を求めてるの?』
『うん。ていうか、それ以外に使い道がないだろ、こんなもん。地球に墜落して死にかけるようなアホだぞ?あのストーカー怪人と同レベルだよ。
頭が悪いっていうか・・・・・石ころの中でもゴミの部類だろ。』
『・・・・・・・・・・・。』
『でもさ、その力は大きいじゃん?だから道具として持っておけば役に立つだろ。宇宙旅行なんて暇潰しも出来るしさ。それだけだよ。』
『・・・ならあんたは・・・・ただ気に入らない奴を潰す為だけに・・・・王を手に入れようと・・・・、』
『悪い?』
『・・・・・・・・・・・。』
『何度も言うけど、こんなもんただの道具だから。』
そう言ってUFOを見上げ、蔑むような目を向けた。
『俺はさ、別に世界の支配とか、世の中の改革なんてどうでもいいんだよ。それに永遠の命だって望んでない。
たださ、せっかく生まれて来たんだから、思うように生きたいじゃん?
その為には大きな力があった方がいいよねってだけの話。王にしろあの怪人にしろ、アホにはアホなりに使い道があって、ほんとそれだけの事だから。』
『・・・・・・・最低ね、あんた。』
『もっかいセックスする?どうせ最後なんだし、気持ち良くなってから死ぬか?』
アチェを押し倒し、股の間をまさぐる。
『本当に愛があるなら、こんな状況でもセックスを楽しめるだろ?それが無理っていうなら、さっきのはただの快楽だよ。ただの感情で、愛なんて存在しない。
だからお前がずっと俺の傍にいるなんていうのも、一時的な感情なんだよ。だって人って変わるからさ。』
『それは違う。私は途中で変わったりは・・・・・、』
『お前は俺と違って、頭はまともじゃん。そしてまともな奴ほど、現実に耐えられなくなって変わるんだ。いずれお前の方から俺に愛想を尽かして、敵に回るのがオチだよ。』
『そんなことないわ。それはあんたの勝手な思い込み。』
『口ではなんとでも言えるよ。でも俺には分かる。このまま生かしといたら、お前は必ず俺の敵になる。絶対に俺を殺そうとするはずだ。だから一緒に生きるなんてあり得ない。
ここで殺して、将来の自分の身を守らないと。』
『・・・・・そう・・・・もう何言っても無駄ね。』
アチェはUMAの姿に戻り、『あんたは本当に可哀想な子』と嘆いた。
『愛を知らない、感動を知らない、喜びを知らない。』
『いや、知ってるよ。人を殺す時も、UMAを狩る時も喜んでるもん。』
『でも誰かと分かち合う喜びは知らない。』
『それでいいんじゃない?喜びって一人で噛みしめるもんだろ。分かち合うのが前提なんておかしいと思うぞ?』
『そんなことないわ。それはあんたがそういう喜びを知らないから・・・・、』
『だったら画家とか小説家とか、芸術家みたいな連中はどうなるんだよ?あいつらって孤独こそ至高みたいな連中だろ?
その中で喜んだり感動したりしてるはずだよ。俺とどう違うの?』
『そういう人達は、あんたみたいに人を殺さない。』
『まあ確かに。でも条件さえ整えばやると思うぞ。そんなもん交通事故と一緒で、たまたま人を殺さずに生きてるだけだよ。』
『もういいわ、これ以上屁理屈の言い合いはゴメン。もうあんたとはこれっきりね。』
そう言って羽を動かし、キラキラと光る鱗粉をばら撒いた。
するとその鱗粉に触れた空間が、まるでハサミで切り取られるように無色透明に変わっていった。
『あ、もう幻覚はおしまい?』
『ええ、だって何言っても無駄なんだもの。あんたは根っから腐ってる。だから私はあんたの敵に回るわ。どこへ逃げても必ず殺す・・・・必ず・・・・・・、』
アチェは蛾の化け物に変身し、大きく羽ばたく。大量の鱗粉が飛び交い、全ての空間が無色透明に変わっていく。
そしてすぐに幻の空間は消え去り、元の山に戻った。
緑川はアチェを掴んでいて、まだ彼女の脳に針を刺したままだった。
『半分脳ミソが残ってる・・・・これも吸っとくか。』
ここで確実に殺さないと、いつ襲って来るか分からない。緑川は針を動かし、残った脳まで吸い始めた。
するとその時、墓の向こうの階段から、二つの気配が近づいて来るのを感じた。
緑川はチュルチュルと脳を吸いながら、その気配が誰のものかすぐにに見抜いた。
『沢尻とSATのおっさんだな、これ・・・・・。』
そう呟いてから、『いいこと思いついた』と笑った。
やがて二つの気配がすぐ傍まで近づいて、沢尻が飛び出して来た。
銃を向け、殺気の籠った目で睨む。
しかしアチェが脳を吸われているのを見て、銃を構える手を震わせた。
そこへ東山も降りてきて、同じように絶句する。
『緑川ああああああああ!』
沢尻は燃えるような怒り、銃を撃って来た。
しかし今の緑川にとって、弾丸の軌道を読むなど造作もなかった。
大きな触覚が一瞬で空気の振動を感知し、軌道を予測する。そして弾丸の軌道上にアチェを持ち上げ、心臓を貫かせた。
彼女の小さな身体にとっては、拳銃の弾でも砲弾に等しい。
胸を貫いた弾丸は、背中まで繋がるほどの大きな穴を空けた。
「・・・・・・・・・・・・。」
沢尻は絶句し、すぐに叫び声を上げる。
《自分で撃ったクセに・・・・・。》
緑川は心の中で笑う。そしてアチェを投げ捨て、『それもういらない』と吐き捨てた。
アチェを殺したのは沢尻、それを思うと笑いがこみ上げてきた。どんな顔で苦しむのだろうと、楽しくてたまらない。
しかし必要なものは手に入れ、もはや長居は無用だ。
大きな羽を動かし、すぐに宙に舞い上がる。
そして五感を集中させて、ミノリの気配を探った。
『・・・・・・あれ?「こっち」にいない?』
いくら気配を探ってみても、どこにも彼女の存在を感じられない。
『上手く隠れてるのか?それとも「向こう」に行ってるのか・・・・?まあいいや、とりあえず適当に捜して、見つからなきゃ「向こう」に行くか。』
そう言って高速で羽を動かし、遠くの空へと消えていった。
沢尻は呆然と立ち尽くし、東山も「クソッタレ」と悔しそうにすることしか出来なかった。
彼らの目の前には、無残に裂かれたペケの死体、そして脳を失ったアチェが横たわっていた。
パシフィックリムという映画を観ました。
これはある日突然怪獣が現れ、その怪獣と人類の戦いを描いた映画です。
怪獣は海の底から現れ、次々に街を襲っていきます。
人類は戦いを挑みますが、怪獣はあまりに強く、軍隊では中々歯が立ちません。
一体倒すのに数日を要するほどで、その間に街は破壊されてしまいます。
しかも次々と怪獣が現れるものだから、手の打ちようがありません。
そこで新たな兵器を開発することにしました。
それは怪獣と戦う為の巨大ロボです。
中に人間が乗って戦うんですが、レバーを操縦するわけじゃありません。
パイロットの動きとシンクロして、巨大ロボが動くのです。
そしてパイロットは二人、もしくは三人です。
パイロット同士が意識を共有して、巨大なロボを動かします。
最初のうち、巨大ロボは怪獣に優勢でした。
普通の軍隊では数日かかって倒していた相手を、短時間で仕留めることが出来ます。
パワーもあるし頑丈だし、特殊な兵器も積んでいます。
しかし次々に現れる怪獣は、だんだんと強くなっていきました。
しかも巨大ロボとの戦いに慣れてきたものだから、負けてしまうこともありました。
人類は巨大な壁を作って、怪獣の侵入を防ごうとしました。
しかし怪獣のパワーは凄まじく、分厚い壁をあっさりと壊してしまいます。
もはや希望は巨大ロボしかありません。
数が増え、しかも凶悪化していく怪獣。
それに挑む巨大ロボとパイロット。
巨大ロボはパイロット同士の意識の共有が強いほど力を発揮します。
主人公はかつて兄と乗っていましたが、その兄は怪獣に殺されてしまいます。
しかし新たなパートナーと出会い、巨大ロボのパイロットとして意識を共有しました。
強力の怪獣の前に、次々に仲間が倒れていきます。
それでも主人公は諦めません。
パートナーのパイロットと一緒に、怪獣に戦いを挑みます。
そしていよいよ怪獣の本拠地である、次元の狭間へと向かうのです。
怪獣は次元の狭間を通り、別の宇宙からやってきます。
だから次元の狭間さえ壊せば、怪獣は現れなくなるはずです。
主人公は命懸けで戦い、どうにか次元の狭間を破壊することに成功しました。
ストーリーは非常にシンプルで、巨大ロボと怪獣の戦いがメインです。
CGがとてもリアルで、スピーディーで迫力のあるバトルシーンです。
それに人間模様もちゃんと描かれていて、どのキャラクターも個性がありました。
だけどこの映画を観ていて強く思ったのは、日本の特撮への愛情です。
アメリカの映画というよりも、日本の特撮をアメリカバージョンにした感じです。
色んな武器も登場するし、仲間との絆も描かれています。
だからスパイダーマンやバットマンのように、アメコミ風の作品とはまた違った印象を受けました。
すごく日本人に馴染みやすいというか、ある意味の懐かしさがあるというか。
日本の特撮やアニメでは、よく巨大ロボが登場します。
ヒーロー戦隊でも、最後はわざわざ敵を巨大化させてまで、味方の巨大ロボを登場させますからね。
特撮作品への強い愛情を感じる、ある種の懐かしさを感じる映画でした。
怪人ペケ。
この山で最も強い妖怪であり、ミノリですら脅威を抱くほどの存在。
そのペケが、一人の犯罪者の手によってバラバラに引き裂かれた。
今から少し前の事、ペケはミノリと彼女の操るUMAとの戦いで怪我を負い、放っておいても死ぬような状態だった。
だからせめて、最後は愛しい者を抱いて死を迎えようとした。
麓の墓場に腰を下ろし、小さなアチェの身体をその手に抱いていた。
長かった生もここで終わる。それはペケにとって辛いことではなく、むしろ喜びさえ感じていた。
最後に愛する者の役に立ったのだから、これほど幸せはない。
だからこのまま穏やかに死を迎えたかった。アチェをその手に抱きながら、至福の喜びを感じて・・・・。
しかしその想いは簡単に踏みにじられた。なぜならペケの元に、緑川がやって来たからだ。
何が可笑しいのかヘラヘラ笑いながら、首狩り刀を向けてきたのだ。
しかしペケは動じなかった。
どうせ死ぬのだから、殺されることは問題ではない。
首を刎ねられようが、五体を引き裂かれようが、どんな殺され方をしても構わない。
しかし最も愛する者だけは守りたかった。
初めて見たその日から、憑りつかれたように彼女のことを見つめていた。
それは恋心とも憧れともつかない感情で、いつでも彼女のことが気になって仕方なかった。
緑川にはストーカーと罵られ、アチェ自身から疎まれたこともあった。
しかしそれでも、一途な想いに変わりはなかった。
ペケは元々人間の女で、とても気が弱かった。
まだ彼女が人間だった時、村で泥棒の濡れ衣を着せられたことがあった。
今のように法律もなく、警察もおらず、誰にも助けを求めることは出来なかった。
自分は無実だと訴えたかったが、村人たちからの激しい叱責によって、ただ怯えるしかなかった。
そしてとうとうやってもいない罪を認めてしまい、村人たちの怒りを買ってしまった。
ペケは散々になじられ、蹴られ、殴られた。その時になってようやく自分の無実を訴えた。
しかしその行為は、かえって村人の怒りを買った。
一度認めた罪を撤回するということは、嘘をつくことと同じである。
村人たちは激しく責めたて、そしてとうとうペケを殺してしまった。
殴り、蹴り、叩き、髪の毛まで毟られて、最後は燃え盛る火に放り込まれた。
ペケは炎に焼かれていく中で、村人たちへの激しい怒りを感じていた。
そしてそれと同時に、自分の弱さに腹を立てていた。
どうしてやってもいない罪を認めてしまったのかと・・・・。
しかしもう取り返しはつかず、怒りと後悔の中で炎に焼かれるだけだった。
ペケの肉体は黒く変色し、少しずつ炭に変わっていく。そしていよいよ息絶える時、大きな丸い何かが迫って来た。
それは黒い炎を纏っていて、ペケの肉体から意識だけを吸い取った。
そして驚く村人たちを尻目に、そのまま遠くへ去ってしまった。
ペケは黒い炎の球体の中で、ある妖怪と会っていた。
その妖怪は東洋の生まれで、妖怪の棲む異界を伝って、ペケの国までやって来た。
姿は外観と同じで、黒い炎を纏った球体だった。
その妖怪はペケの受けた仕打ちに同情し、願いを一つ叶えてやると言った。
そう言われたペケは、しばらく考えてからこう答えた。
『強くなりたい・・・・。心も身体も、誰にも負けないくらい強くなりたい。』
その為なら人間をやめてもいいし、性別だって問わない。妖怪になってもいいから強くなって、村人たちに復讐したいと言った。
妖怪はその願いを聞き届け、ペケを怪人として生まれ変わらせた。
望み通り、誰にも負けないくらいに、強い心と身体を持った怪人に・・・・・。
ペケは人間ではなくなり、そして女でも男でもなくなった。
意識は女性を保っていたが、妖怪が与えた肉体は男のものだった。
黒い炎の球体の妖怪は、願いは聞き届けたとばかりに、どこかへ去って行った。
ペケは生まれ変わった自分をまじまじと見つめ、身体に湧き上がる大きな力に酔いしれた。
天に向かって獣のように吠え、黒いマントをはためかせる。そして一目散に自分の村まで駆けていき、そこにいる者全てを殺した。
大人も子供も、男も女も、そして飼い犬や家畜までも殺し、文字通りの皆殺しにした。
ペケにとって、この村は恨みの対象でしかなく、ここで生きる者全てが敵に見えた。
村は無数の死体が転がる地獄のような場所となり、死体からは血が流れて、赤い川のように滲んでいた。
ペケは満足し、意気揚々とその場から立ち去る。そしてとても長い時間、たった一人で放浪を続けた。
特に目的もなく、行くあてさえもなく、気の向くままに旅をして、気の向くままに人を助けたり殺したりした。
しかしそんな生き方にも飽きてしまい、ただフラフラと彷徨うように、世界をうろついていた。
誰にも負けない身体、誰にも負けない心。
それは自分自身が望んだものだったが、こんなに退屈な生活になるとは思わなかった。
何でも思い通りになるということは、何にも出来ないのと同じなのだなと、妙に哲学的なことまで考えた。
しかしある時、ふらりと立ち寄った東洋の島国で、大きな力が降って来るのを感じた。
ペケはもしやと思い、その大きな力が降ってきた場所を目指した。
というのも、その大きな力は、もしかしたらあの時の妖怪ではないかと思ったからだ。
黒い炎を纏った、あの球体の妖怪。
もしそうならば、この誰にも負けない身体と、誰にも負けない心を返そうと思っていた。
そして今一度、人間として生まれ変わりたかった。
あの球体の妖怪ならば、きっとそれが出来るはずだと信じて、急いで大きな力が降ってきた場所へ向かった。
しかしそこで見たものは、あの妖怪ではなかった。
真っ白に輝く、とても大きなUFOだった。
ペケは興味を惹かれ、そのUFOに近づいた。そしてムメ・アランと名乗る、人間の思念に遭遇した。
それからのペケは、いい暇潰しを見つけたとばかりに、亀池山を根城とした。
ここにいれば、少なくとも退屈せずに済む。なぜならムメ・アランは、新たな肉体を手に入れる為に、もう一つ世界を作りだして、UMAや妖怪を戦わせようとしたからだ。
ペケも暇潰しにとそれに参加したが、その中でアチェに出会った。
UFOの落下のせいで家族を失った、憐れな女性。
彼女を一目見た時から、自分の中にはない強烈な光を感じた。
以来、ペケはほとんどの時間をアチェのストーキングに費やした。
そしてしばらくのストーキングの後、ようやく声を掛けた。
しかしアチェは、常に誰かに見られていることに気づいていた。そしてペケが声を掛けた時には、『あんたが覗き魔ね』と怒られた。
あの日から今日に至るまで、ペケの心はアチェに奪われている。
だからこそ、今日は勝ち目の無い戦いにまで挑んだ。
ミノリ、マル、そしてゾンビを操る猿のUMA。
勝つ見込みなどほとんど無かったが、それでも戦った。
ただアチェを助けたい、彼女を守りたい、それだけの一心で戦い抜いた。
もう必要ないと思っていた、誰にも負けない身体と、誰にも負けない心。
村の者を皆殺しにして以来、今日ほどこの力が役に立ったと思える日はなかった。
結果として、ペケは誰も倒すことが出来なかった。
ミノリもマルも、そして猿のUMAも、トドメを刺すには至らなかった。
しかしそんなことは当たり前で、そもそもの目的はアチェの救出だった。
どうにか彼女を助け、そして無事に連れ戻すことが出来た。ペケとしてはそれで満足だった。
激しい死闘で大きな怪我を負ったが、そんなことは気にならない。
この怪我のせいで、そう長くは生きられないと分かっていたが、それもどうでもよかった。
最も愛する者を救うことが出来たのだから、自分の命にも意味はあったと、むしろ幸せな気分だった。
だから最後はアチェと共に過ごそうと決めた。
彼女はひどく弱っていて、まともに飛ぶことも出来ない。
だから最後のわがままとして、死ぬまで抱きしめていようと思った。
そしてそんなペケの気持ちを汲んでくれたのか、アチェも嫌がった顔は見せなかった。
普段なら近寄るとあまり良い顔はしないのに、今日だけはペケを受け入れてくれた。
そして小さな手を伸ばし、頭を撫でてくれた。
『ありがとう』
その一言で、ペケは天にも昇る思いだった。もういつ死んでも悔いはない。
放浪するだけの無意味だった生に、初めて光が灯ったような気がした。
だからこの幸せな気分のまま、穏やかに逝きたかった。
・・・・・しかしそれは許されなかった。
招かれざる客が、狂気を振り撒きながらやって来たのだ。
緑川鏡一・・・・アチェを利用し、殺そうとまでした男が、首狩り刀を携えてやって来た。
ペケは立ち上がり、緑川を睨みつけた。『ミノリを仕留めに行ったのではなかったのか?』と。
すると緑川は刀を振りながら、『まだもらってないものがある』と笑った。
そしてアチェを見つめながら、トントンと自分の頭を叩いた。
『アチェの脳ミソ、半分だけもらおうと思って。』
その言葉を聞いた瞬間、ペケはすぐに理解した。
この男は、アチェに宿った墓場の王の一部を奪いにやって来たのだと。
墓場の王ムメ・アランは、心臓をミノリに、そして脳をアチェに吸い取られていた。
緑川は、その脳を頂きにやって来たのだ。
ペケは尋ねた。『なぜアチェに王の脳が宿っていると分かる?』と。
すると緑川は笑って答えた。『あ、吸い取ったのは脳ミソの方だったんだ?』と。
『身体の重要な部分ていえば、脳か心臓だよな?ならそのどっちかをアチェが吸い取ったんだろうなって思ってた。だからカマかけたんだけど、脳で当たってたんだな?』
そう言ってゲラゲラ笑い、『やっぱお前ってアホだわ』と肩を竦めた。
『こんな変態のアホに付き纏われてたんじゃ、アチェも可哀想だ。パートナーだったよしみで、ストーカーから解放してやらなきゃ。』
『・・・・・・悪魔め。』
ペケは怒り、肉挽き刀を構える。しかし緑川は、すでにペケの懐に入っていた。
そして一瞬で両足を切り払うと、返す刀で胴体を切断した。
黒いマントも真っ二つに引き裂かれ、ヒラヒラと宙を舞う。
このマントにはもう何の思念も宿っていない。ミノリとの戦いで、全ての思念が消滅してしまったからだ。
マントはやがて地面に落ち、黒い炎となって燃え尽きる。
そしてペケも地面に倒れ込んだ。両足を切断され、胴体まで切断され、もう立つことも出来ない。
しかしここで負ければ、アチェまで殺されてしまう。だから最後の抵抗に出た。
肉挽き刀を放り投げ、被っていた帽子を脱いだのだ。
すると帽子の中から大量の思念が現れた。大人や子供、それに犬や羊など、大勢の思念が黒い炎を纏って放出された。
これにはさすがの緑川も驚いて、引きつった顔で息を飲んだ。
しかしすぐに反撃に出て、羽から鱗粉をまき散らした。
帽子から飛び出した思念は、その鱗粉に触れた途端に激しくえづく。
『あげええええええええ!』と叫びを上げながら、苦しそうに悶えた。
緑川は首狩り刀を振り上げ、嘔吐に苦しむ思念を葬っていく。
化け物なら何でも切り裂く刀が、帽子から出て来る思念を切り裂いていった。
そして全ての思念を切り伏せると、帽子に毒針を突き刺した。帽子は茶色く変色し、一瞬で腐ってしまった。
『お前のマントと帽子、どっちも肉体の一部なんだろ?』
『・・・・・・・・・・。』
『普通のマントと帽子に、こんな力があるわけないもんな。だからお前の肉体から出来てるんだろうなって思ってたけど、どうやら当たってたみたい。』
ニヤリと笑いながら、腐敗した帽子を踏みつける。そして首狩り刀を一閃させて、ペケの両腕を切り落とした。
右手に掴んでいたアチェが、切られた腕ごと地面に転がる。
ペケはその様子を見つめながら、『殺すのは私だけにしてくれ』と頼んだ。
『どうかアチェだけは・・・・、』
『殺すつもりはないよ、王の脳ミソを頂きたいだけ。まあ結果的に死ぬかもしれないけど。』
『待て。力が欲しいのなら、私がくれてやる。この誰にも負けない身体と、誰にも負けない心を・・・・、』
『いや、負けてんじゃん。俺に。』
『・・・・・・・・・・。』
『そんなショボイ力はいらない。とっとと死んでろよ。』
そう言って刀を振り、ペケの首を刎ねた。
頭が地面に落ちて、ゴトリと重そうな音を立てる。
『待て・・・・・アチェを殺さないでくれ・・・・・、』
『あ、首を飛ばされても生きてるんだ。すごいねお前。』
緑川はゲラゲラと笑い、ペケの頭を蹴り飛ばす。そして刀を振り上げ、こめかみに突き刺した。
『・・・・頼む・・・・殺すのは私だけに・・・・・、』
『まだ生きてるな。でもさすがに弱ってきたか?』
そう言って刀を抜き、今度は鼻づらに突き刺した。
『いついまで生きてられるかな?』
ワクワクしながら言って、再び刀を刺そうとする。するとその時、『やめなさい・・・・』とアチェが止めた。
『もう・・・いいでしょ・・・そっとしといてあげて・・・・。』
『アチェ。ストーカーを庇うのか?』
『・・・そいつは放っといても死ぬわ・・・・・。だからもういたぶるのはやめなさい・・・・。』
アチェは辛そうに身体を起こし、フラフラと舞い上がった。
そしてペケの傍に降り立つと、そっと頭を撫でた。
『あんたも可哀想な子ね・・・・・。無駄に長生きして・・・・・最後は殺人鬼にいたぶられるなんて・・・・。』
『私は可哀想ではない。お前に出会えたのだから。』
『最後までストーカーなのね・・・・。その執念には頭が下がるわ・・・・・。』
アチェは小さく笑い、『でも・・・・もうおやすみしなさい・・・・』と言った。
『これ以上苦しむことはない。もう誰も・・・あんたを傷つけたりしないから。』
『アチェ、私はお前と出会えて幸せだった。』
『うん・・・・。』
『私の生には意味があった。無駄な長生きではなかった。』
『うん・・・・・。』
『誰にも負けない身体と、誰にも負けない心が役に立った。私は無駄に生きたわけではない。』
『うん・・・・・。』
『アチェ、私はお前を愛している。ストーカーと罵られようが、変態と言われようが、この想いは変わらない。』
『うん・・・・・。』
『アチェ、私はお前と出会えて・・・・・、』
『分かってる。大丈夫だから・・・・もうおやすみ・・・・。』
そう言って唇を重ねる。『ゆっくり休んで・・・』と、舌を入れて毒針を刺した。
ペケは短く悲鳴を上げ、そのまま絶命する。最後に『アチェ・・・・』と呻きながら。
『今度は人間に生まれ変われるといいね・・・。』
そう言ってペケを見送り、ゆっくり後ろを振り返った。
『さて・・・・私の脳ミソが欲しいんでしょ?さっさとやったら・・・・・。』
抵抗はしないという風に、手を広げて見せる。
緑川は『潔いいな』と微笑み、アチェを掴んだ。
『そういう所が好きなんだよ。無駄に命乞いとかしないから、すごく清々しい。』
『勝つ見込みがあるならするけどね。でも・・・・どうやらここまで・・・・。』
『うん、そうやって冷静に判断できるのも魅力だよ。大丈夫、痛くないようにしてやるから。』
緑川はニコリと微笑み、毒針を伸ばす。するとアチェは『ねえ?』と尋ねた。
『脳ミソを半分も吸われたら、私は死ぬわ。でもそうなると、あんたは一つ後悔をするんじゃない?』
『後悔?』
『だって私とセックスしたかったんでしょ?どうせ死ぬんだし。最後にヤラせてあげてもいいわよ。』
そう言って、緑川の手からスルリと抜け出した。
『いつか私とやろうとしたじゃない?あの時は途中で終わったけど、今なら最後まで出来るわよ?』
『・・・・・・それ本気?』
『もちろん。』
アチェはクスクスと笑い、人間と同じサイズに巨大化する。
そして緑川の頬を両手ではさみ、じっと見つめた。
『別にイヤならいいのよ?ここで私を殺せばいい。』
『いや、やりたいよ。でもお前のことだから、きっと何かを企んでるんだろうなと思って。』
『まあね。でも乗るか逸るかはあんた次第。後でちゃんと脳ミソも吸わせてあげるから・・・・どう?』
『・・・・・・・・・・・・。』
『迷ってるなら、自分の気持ちに素直になった方がいいわよ?じゃないと必ず後悔するから。』
『・・・・・・・・・・・・・。』
『じれったいわね。』
アチェは肩を竦め、小さく首を振る。そして緑川の頬を引き寄せ、そのままキスをした。
唇が触れるのと同時に、激しく舌を絡ませる。
『針・・・・刺さると危ないから引っ込めて。』
そう言ってさらに激しくキスをする。そして緑川の手を取り、自分の胸に触らせた。
『普段は体毛で隠れてるけど、ちゃんと乳首があるのが分かるでしょ。』
やさしく手を取り、白い体毛に隠れた乳首に触れさせる。
そして自分はゆっくりと手を下ろし、緑川の股に触れた。
最初はズボンの上から、やがて下着の中にまで手を入れて、ゆっくりとペニスをさすった。
『・・・・・・・・・・・。』
緑川は無心のまま、されるがままになっていた。
高揚も快楽も感じることはなく、ただ無感動な目でアチェを見つめていた。
しかしアチェには、彼が迷っていることが分かっていた。
この性行為に踏み込むべきかどうか、判断に迷っているのだと。
だから優しく、丁寧に愛撫を続けた。何も言わず、口と指と、そして視線だけで緑川を快楽に誘った。
しばらく愛撫を続けていると、ほんのわずかに緑川の腰が動いた。
最初は小さく、しかしやがて大きく腰を振り始め、アチェの愛撫に身を委ねるようになる。
そして気がつけば、自分も愛撫を始めていた。
舌と指を這わせ、乳房を揉み、白い体毛を掻き分けて乳首にしゃぶりついていた。
アチェはニコリと微笑み、やさしく彼の頭を抱く。そして股を開いてしがみつき、腰を押し当てた。
・・・・・緑川は気づいていた。これは確実に罠であると。
この先にはきっと、自分にとって良くない何かが待っている。
もしこれが普通の女ならば、快楽に引っかかったように見せかけて、最後の最後で殺してしまうだろう。
『馬鹿じゃないの?お前に欲情するとでも思ってるの?』
そう言ってゲラゲラと笑い、首を刎ねたに違いない。
しかしアチェとの性行為は、抵抗出来ない快楽の中に引き込まれていった。
それは彼女が上手という意味ではなく、人間の女には無い怪しい魅力を持っていたからだ。
・・・・いや、それだけではない。もっと別の何かが、緑川を快楽の中に引きずり込もうとしていた。
それがいったい何のかは分からなかったが、もはや腰の動きを止めることは出来なかった。
強くアチェを抱き寄せ、むさぼるように乳首を吸う。
そしてその場に押し倒して、彼女の中にペニスを挿し込んだ。
たっぷりと愛撫し合ったおかげで、お互いに充分な準備が出来ている。
舌も指も、そして性器も、全てを使って前戯に興じたおかげで、快楽は絶頂に達していた。
二人は一体となり、緑川のペニスは狂ったようにアチェの中を突く。
座位で、正常位で、騎乗位で、または抱き上げたり逆さまにしてみたり、思いつく限りのあらゆる体位で快楽を求めた。
緑川はすでに何度も射精していて、それは確実にアチェの体内に注がれた。
UMAになった彼は、人並み外れた体力で行為を続ける。
何度何度も、果てない欲望と快楽に飲み込まれて、アチェを犯し続けた。
それは緑川にとって、生まれてからこれまでの人生に匹敵するくらい、濃密な時間に感じられた。
いや、これまでの人生よりも、遥かに充実していた。
殺すことのみに心血を注いでいた彼が、例え快楽の為とはいえ、命を宿す行為に没頭していたのだ。
この行為の結果、もし自分に子供が生まれたら、いったいどう接するのだろう?
大切に育てるのか?それとも他の人間と同じように殺してしまうのか?
それは自分でも分からなかったが、今はただ一つの想いだけに満たされていた。
『アチェが愛おしい。ずっとこのまま抱いていたい。』
とめどない欲望はいつまでも彼女を犯させる。やがてペニスから垂れる液体が透明になる頃、緑川の快楽はようやく収まった。
大切そうにアチェを抱きしめ、しっかりと背中に腕を回す。
そしてアチェも緑川を抱きしめ、首筋に顔をうずめていた。
『・・・・・気持ちよかった。』
緑川がポロリと呟くと、アチェはニコリと笑った。
よしよしと頭を撫で、『それはよかったわ』と微笑みかける。
そしてキスをかわし、しばらく抱きしめ合った。
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・あのさ・・・・、』
『何?』
『もう脳ミソ吸っていい?』
緑川は不意に顔を上げ、舌の毒針を伸ばす。
『すっごく気持ちよかった。俺・・・・セックスで満足したの初めてだよ。』
『そう、褒めてくれたありがとう。』
『だからもう脳ミソ吸ってもいいよね?』
待ちきれないとばかりに、アチェの頭に毒針を当てる。
『もう性欲はないよ。後は王の脳ミソをもらいたいだけ。』
『いいわよ、約束だから。』
アチェは元の大きさに戻り、ニコリと微笑んだ。
『なあアチェ。』
『なあに?』
『今ので妊娠したと思う?』
『気になるの?』
『うん。もし子供が出来たら、どんな感じなんだろうって。』
『じゃあ脳ミソを吸うのをやめれば?でないと妊娠してても産めないから。』
『・・・・・じゃあいいや。子供はいらない。』
『そう?なら・・・はいどうぞ。』
アチェは自分から首狩り刀に頭を当て、ゆっくりと切り裂いていく。
刃に沿うように頭を動かし、頭がい骨に切れ目を入れた。
そしてゆっくりと頭を持ち上げると、まるでケントのように脳が丸出しになった。
『はい、召し上がれ。』
『・・・・・・・・・・・。』
『どうしたの?欲しいんでしょ、これ。』
アチェはクスクスと笑い、『あんたから見て、右の脳の色が違うでしょ?』と尋ねた。
『王を吸い込んだから、左脳が変わっちゃったのよ。』
『・・・・ホントだな。青い色してる。』
緑川は興味深そうに見つめ、ツンツンと毒針で突いた。
『なあ、王の脳にはどんな力が宿ってるの?』
『さあね、吸えば分かるわ。』
『まあそりゃそうだけど・・・・・、』
『いらないならもう閉じるわよ?自分の脳ミソ見せるなんて、ある意味セックスより恥ずかしいんだから。』
そう言って頭を閉じようとすると、『吸うよ』と答えた。
『まあ何かの罠が待ってるんだろうけど、でも吸う。』
『それじゃ早くして。頭が寒いから。』
緑川は頷き、両手でアチェを握りしめる。
『そんなに強く握らないでも逃げないって。』
可笑しそうに笑いながら、じっと緑川を見つめるアチェ。大きな複眼に、万華鏡のように緑川が映る。
『・・・・ならもらうよ。』
少しだけ緊張しながら、緑川は毒針を突き刺す。
そして花の蜜でも吸うように、丁寧に味わいながら食していった。
『・・・・・・・・・・・・。』
半透明の管の中を、アチェの脳が流れていく。
それは緑川の口に運ばれ、やがて体内へと吸収されていった。
小さなアチェの脳はすぐに吸い取られ、やがて死人のように表情を失くしてしまう。
緑川は『アチェ?』と揺らし、その顔を覗き込んだ。
『・・・・・・・・・・・・。』
『・・・・・・死んだ?』
アチェは何の反応も示さない。握った手から鼓動は伝わって来るが、やはり死人のように動かなかった。
『・・・・・アチェ。』
もう一度呼びかけると、アチェは突然口を開けた。
そして長い舌を伸ばし、彼のこめかみに毒針を刺した。
『おい。』
緑川は驚き、針を抜こうとする。しかしすでに毒は注がれていて、頭がクラクラとしてきた。
『俺を殺す気か?』
首狩り刀を当てて、『さっさと針を抜けよ』と脅す。
しかしその瞬間、緑川はある幻覚を見せられた。
それは妊娠したアチェが、ベッドに寝ている幻覚だった。
『こんなもん見せて何をしようって・・・・・、』
これが幻覚であると自覚しているので、緑川は動じない。
しかしこの幻覚の先が気になり、このまま身を委ねることにした。
『まあ最後だしな、付き合ってやるよ。』
目を閉じ、頭の中に溢れる幻覚に没頭する。
彼の意識は、アチェの描くイメージの世界へ旅立っていった。
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