去りゆく夏

  • 2016.08.31 Wednesday
  • 11:37

JUGEMテーマ:写真

 

夏も終わりに近づいています。

暑い日はまだまだ続きそうですが、暑いだけでは夏と呼べないでしょう。

暦が変われば、夏の空気は去ってしまいます。

 

 

 

 

 

子供の頃は、夏の終わりは寂しいと感じていました。

だけど大人になると、秋の訪れを嬉しく感じます。

それは体力が無くなったからではなく、四季のありがたみを感じるようになったからです。

 

 

 

 

 

春夏秋冬。

時間と共に入れ替わる季節に、情緒があるんだと思います。

夏が去り、秋が来る。

寂しくはあるんだけど、そこに風情を感じるんです。

四季楽しめるようになったってことだと思います。

夏はゆっくり去って行きます。

また来年。

 

子供向けの作品は子供向けだからこそいい

  • 2016.08.31 Wednesday
  • 11:29

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

JUGEMテーマ:映画

JUGEMテーマ:テレビ全般

シンゴジラがまだまだ熱いようです。
今回のゴジラは昔のゴジラと違って、ずいぶんと大人向けに出来ています。
よく「最近の○○は大人でも楽しめる」って言い方を聴きますが、果たしてそれはいいことなのか?
私の答えはNOで、本来子供向けの作品は大人向けに作り変える必要はないと思っています。
ただでさえ遊ぶ場所が奪われる子供。
公園から遊具が減り、遊んでるとい「うるさい!」と文句をつけられたり。
そうかと思うと、「最近の子供はゲームばかりしてる」なんて言われたり。
そのうえ子供が楽しむ作品を「子供向け」と言って、「じゃあ大人でも楽しめるように」って大人に向けに作り変えて。
遊びを奪われるだけ奪われる子供は、「どないせえっちゅうねん!」って話です。
ゴジラは元々子供向けの作品ではありませんが、シリーズを追うごとに子供向けになっていきました。
でも怪獣映画ってそれでいいと思います。
現実にはあり得ない巨大生物が出て来て、敵の怪獣とドンパチやり合う。
どこからどう見ても子供向けで、だから私も子供の頃にハマりました。
今でもゴジラは好きなんですが、正直なところ、シンゴジラよりも一昨年のハリウッド版ゴジラの方が面白かったです。
敵の怪獣が出て来て、ゴジラとやり合う。
しかも敵の怪獣の設定が非常に上手いんです。
地面を叩くと電波障害が発生して、電子機器をダメにしてしまいます。
現代の兵器ってコンピューターで管理しているから、それが無力化されてしまうわけです。
そうなるともう人間は介入出来ません。
純粋にゴジラと敵の怪獣の戦いということになります。
子供はこっちの方が喜ぶんじゃないかなあと思います。
もちろんハリウッド版のゴジラも子供向けではありません。
だけど子供でも楽しめる映画だと思います。
シンゴジラは子供が楽しむにはちょっと難しいでしょう。
だからもう一度日本でも、子供が楽しめるゴジラをやってくれないかなと思うんです。
昔のゴジラ、「しぇー!」とかやってたんですよ。
尻尾咥えて、口から熱線吐いて空を飛んだり。
今やったら大バッシングでしょうね。
だけどあの当時のゴジラは、子供向けということでそんな批判に晒されることはありませんでした。
子供向けっていいことですよ。
大人が介入しないから、自由なことが出来るんです。
子供の判断基準は面白いか面白くないかなので、大人のように理屈をつけることはありません。
その目で見て、自分が楽しめるかどうかが全てです。
だからウルトラマンや戦隊シリーズは、この先も是非子供向けを貫いてほしいです。
大人に比べて、子供が楽しめるものって限られています。
年齢層の高い作品を見ても、子供はあまり楽しめないでしょうから。
だから「子供向け」ってレッテルを付けて、昔のようにまた自由なゴジラをやってほしいです。
空想の世界の一番の面白さって、現実に縛られない自由さにあるはずです。
昭和時代の丸みがあって可愛らしいゴジラ。
目玉はギョロッと大きく、仲間と共闘してキングギドラやガイガンを倒したり。
面白いですよ。
「子供向けだから、もっと大人でも楽しめるようにしよう」って考えよりも、「子供向けなんだから大人があれこれ言うことじゃねえやな」って方が、子供にとってはありがたいでしょう。
子供向けの作品を大人が見てはいけないってことじゃありません。
どんな作品だって、誰でも自由に楽しむ権利があるはずです。
だけど子供向けの作品を見る場合は、大人の方がお邪魔させてもらっている立場です。
子供の邪魔をしないように、後ろからそっと見るのがマナーだと思います。

 

ダナエの神話のイラスト(ペン入れ)4

  • 2016.08.30 Tuesday
  • 10:19

JUGEMテーマ:イラスト

 

 

 

          ダナエ(蜂)

 

 

 

 

 

          コウ

 

 

 

          マナ

 

 

 

          ノリス

 

 

 

          ダレス

 

 

武道や格闘技でどこまで戦えるか?

  • 2016.08.30 Tuesday
  • 08:46

JUGEMテーマ:格闘技全般

格闘技をやれば強くなる。
それは間違いないでしょう。
だけど果たしてどこまで強くなるのか?
刃牙の作者である板垣恵介先生は、様々な格闘家や武道家にインタビューした本を出されています。
その中で印象的だったのは、武道家の先生たちのこんな言葉です。
「相手が武器を持っていたなら、こっちも武器を持つ」
こんな意味のことを言っていました。
どんなに格闘技を身に着けても、相手が武装しているなら素手では挑みたくないということです。
かのブルース・リーも、何でもアリでいいなら拳銃を使うと答えたそうです。
格闘技の達人ほど、戦いを現実的に考えるようです。
山本KIDさんも、実戦なら武器が欲しいと答えていたはずです。
あれだけ強い人でも、やはりルールの無い戦いなると、武器アリの方がいいと答えています。
自分自身がずっと格闘技をやっているから、格闘技で出来ること出来ないことを知っているんだと思います。
強い人は決して自惚れない。
格闘技はあくまで格闘技で、実戦では武器を使った方が良いと答えます。
例えばどんなに体を鍛えても、筋肉でナイフを防ぐことは出来ません。
何十年とかけて鍛え上げた拳よりも、ナイフを持つ方が遥かに殺傷力が高くなります。
刃物でもそうなんだから、銃となれば素手では太刀打ちできません。
軍隊で特殊な訓練を受けたような人なら、一瞬の隙をついて素手でも勝つかもしれません。
だけど事前に相手が武器を持っていると分かっているのなら、自分だって何かしらの武器を持つでしょう。
素手で戦うのは最終手段であって、まずは戦いを避ける方法を考え、それでも無理なら武器を使って戦う。
もしも人間に熊のような爪や、虎のような牙があれば、また話は違ってくるでしょう。
それこそコブラのように猛毒を持っている人間がいたとしたら、多分誰も襲わないでしょうね。
でも実際はそうじゃないわけで、素手の人間は何の武器も持たない無防備な状態です。
酔っ払いや暴漢から身を守るくらいは出来ても、それ以上のこととなると難しいのでしょう。
ボクシングにしろ空手にしろ柔道にしろ、喧嘩で勝ってもあまり意味がないように思います。
護身の為に戦うなら別ですが、路上で素人を倒しても犯罪にしかなりません。
だからそれぞれの競技の中で勝つことにこそ、意味があるんだと思います。
合気道や少林寺拳法のように、護身という目的の為にある武道でも、決して戦いは勧めないでしょう。
ヤバイと思ったら逃げるに限るし、近くに交番があるならそこへ駆け込むのが一番です。
だけど逃げることも助けを呼ぶことも出来ない状況に限り、最終手段として武道を用いろってことなんだと思います。
警察官は武道が必須なので、柔道や剣道、逮捕術などを身に着けています。
素手でも充分に強いわけです。
それでも常に拳銃を携帯しているには、やはり素手では限りがあるからでしょう。
相手がナイフを出したなら、素手は不利。
だから警棒を持っているわけだし、それでも無理だと判断すれば、腰の拳銃を抜くはずです。
素手で強いからといって、素手で戦う必要はどこにもないってことですよね。
格闘技はあくまで一つの競技。
ルールや競技内容が違うだけで、サッカーや野球と同じものです。
武道だって護身が目的といえど、決して戦いは勧めません。
護身は戦うことではなくて、身を守ること。
だから危ない場所には行かないとか、ヤバイと思ったら逃げるのが一番いいはずです。
格闘技は強いけど、でも創作物の中で描かれるような強さは持っていません。
格闘技をやっていようがいなかろうが、危険だと思ったら逃げるに限りますね。

 

夜に身を任す

  • 2016.08.29 Monday
  • 13:22

JUGEMテーマ:写真

 

どうして夜は感傷的になるんでしょう。

月は神話や民話に登場することが多いけど、夜の情緒がそうさせているのかもしれません。

 

 

 

 

 

光が際立つのが夜です。

当たり前に光がある昼間と違い、夜の明かりは妖しいほど目を惹きます。

 

 

 

 

 

 

 

夜の水面は、光を映す鏡になります。

揺れる光の道、それは朝に続く道のよう。

でも陽が昇るまで、どこを探しても朝はありません。

朝の光が現実を呼び起こすものなら、夜の光は空想へ旅立つもの。

情緒に身を任せると、夜ほど心地の良い時間はないかもしれません。

 

おっさんとババアは絵における癒しの神

  • 2016.08.29 Monday
  • 13:11

JUGEMテーマ:アート・デザイン

コミック系やアニメ風の絵といえば、美少女系が多いです。
次いで美男足、美人系でしょうか。
まず女性キャラクターが人気です。
イケメンキャラもそれに次ぐ人気があります。
どうせ描くなら美人やイケメンというのは、私も同じです。
だけどそれと同じくらいに気を引かれるのが「おっさん」です。
たまにおっさんを描きたくて仕方なくなることがあります。
そして描いていて楽しいと思うんですよ。
細いおっさん、太いおっさん、逞しいおっさん、貧者なおっさん。
おっさんは多種多様で、多様性という意味では美少女やイケメンの比ではありません。
だって考えてみて下さい。
美少女やイケメンって、必ず綺麗な顔をしていないといけないんです。
それにスタイルだってよくないといけないし、くたびれた格好をさせるわけにもいきません。
美少女やイケメンって制約が多いんですよ。
ちょっとでも顔のパーツをミスると可愛くならないし、腹が出ていてはイケメンも台無しです。
でもそれに比べておっさんは自由です。
不細工だろうが腹が出ていようが関係ないし、ちょっとくらい顔のパーツをミスっても、それはそれで味になるんです。
しょぼくてもだらしなくてもいいし、カッコよくても渋くてもいい。服装だって自由です。
おっさんというキャラクターには自由があるんですよ。
漫画太郎先生は徹底して「ババア」を描いていますが、やはり楽しいんだと思います。
漫画太郎先生のババアには、おっさん以上の自由すら感じます。
美少女やイケメンは、上手く描けたら嬉しいものです。
でもその代わり、どこか息苦しさがあるんです。
それは必ず可愛かったり、カッコよくないとダメだからです。
もしも美少女やイケメンばかり描いて疲れたら、おっさんを描くことをオススメします。
なぜならおっさんには自由があるから。
絵は本来自由なものです。
音楽には音の限界というのがあるそうだけど、絵に限界はありません。
ならば自らその限界を強いてしまうことほど、絵を描く上でしんどいことはないでしょう。
普段綺麗な絵や可愛い絵しか描かないのなら、たまにはおっさんやババアなどを描いてみる。
そうすることで、自由な絵の心を取り戻せるかもしれません。
おっさんやババアは、絵においては癒しの神です。

 

猫を思い出す

  • 2016.08.28 Sunday
  • 11:40

JUGEMテーマ:にゃんこ

 

何年も前に撮った猫です。

野良猫って平均寿命が六年くらいだそうなので、もう生きていないかもしれません。

 

 

 

 

 

子猫だった子も、立派な大人になり、すでに寿命を全うしているかも。

猫の一生は人よりも短いです。

 

 

 

 

 

人より先に逝く猫たち。

何度も写真に撮らせてもらった猫の半分以上は、もうこの世にいません。

この写真の子猫たちは、今どうしているのか?

 

 

 

猫は亡くなる前に身を隠すといいます。

私の家にもちょくちょく野良猫がやって来るんですが、時間と共に顔ぶれ変わります。

死が近くなった猫は人の前から去り、でもそこへ新たな猫がやってくる。

人間が締め出さない限り、いなくなるということはありません。

誰かがいなくなると、必ずといっていいほど新顔がやって来るのです。

でもその新顔もいずれはどこかへ去るでしょう。

目の前に生きている猫よりも、記憶の中に生きている猫の方が多いです。

 

徹底した現実主義者の漫画家 青木雄二

  • 2016.08.28 Sunday
  • 11:25

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

最近青木雄二さんの短編集を読みました。
青木雄二さんといえば「ナニワ金融道」が有名です。
私は中居さん演じるドラマ版しか知らなくて、原作を読んだことがありません。
だけどついこの前、近くのホームセンターで青木雄二さんの短編集を買ったんです。
この中に「悲しき友情」という話が載っているんですが、すごく面白かったです。
そして随所に青木さんのエッセイも載っていて、これも面白く読みました。
今までは金融系の漫画って「ミナミの帝王」しか読んだことがありませんでした。
ミナミの帝王って非道な金貸しのように思われがちですが、実は逆です。
主人公である萬田銀次郎は、いわばダークヒーローのような存在で、どちらかというと弱きを助け、強きを挫く人です。
銀次郎が一番嫌いのは「金にだらしない奴」、「自分に甘ったれた奴」です。
だから例え弱者であろうとも、舐めた態度をとるのなら容赦はしません。
これに対して青木さんの漫画って、もっと生々しいです。
青木さんはものすごくリアリティにこだわりを持っているから、例え漫画であっても嘘を嫌うようです。
「悲しき友情」では、漫画家を目指す若者と、日雇い労働者のおじさんの友情を描いています。
若者もおじさんと同じように日雇い労働をしていて、その中で漫画を描き続けています。
この物語は、決して都合の良いように話が進みません。
挫折だったり痛みだったりの連続で、生々しい内容だなと思います。
でもそれが今までのどんな漫画とも違って面白かったですね。
私は漫画やアニメは空想を描くものだと思っています。
青木さんも漫画は空想であると認めていて、空想の翼は伸ばせるだけ伸ばしたらいいと書いていました。
しかし根本に嘘があってはダメで、必ずリアリティが必要であるとも書いています。
根っこに嘘があるのなら、どんなに翼を広げたところで、全てが嘘になってしまうからでしょう。
最も印象的だった言葉は「ワシの漫画は切れば血の出る生きた漫画なんや」ってところです。
青木さんは徹底的にリアリティにこだわるから、作品に嘘があるのは許せない作家さんです。
切れば血が出るというのは、誰かから「ここは違う!」って突っ込まれても、「お前よりワシの方が詳しいんじゃ!」と自信を持って言い返せることだと思っています。
漫画といえどもそこに嘘がないのなら、それは現実の中の痛みを映し込んでいるわけだから、血が出るほどのリアリティがあるってことでしょう。
青木さんは手塚治虫は読んでないけど、梶原一騎は大好きだと書いていました。
特に「明日のジョー」は好きだったようです。
痛みや苦しみ、それに都合の良い展開がないから、完全に空想を描く手塚治虫の漫画よりも好きだったのだと思います。
青木さんはSFやファンタジーを否定するようなことは、一言も書いていません。
何かを書くかは自分で決めろ!ってスタンスの人だと思います。
だけど地に足のついていない作品は嫌いのようで、売れっ子の真似をするだけの若手には厳しい意見を述べています。
人真似の絵を描いて、それを見せようとする。
でもそれは漫画家として成功しないことを意味している。
それに気づかないあたりが哀れであると。
青木さんは徹底した現実主義者、唯物論者で、神の存在も真っ向から否定しています。
でもだからといって、それを人に押し付けるような真似はしていません。
アシスタントに対しても、神を信じるかどうかは自分で決めろ、でも立場を明確にしておかないと、抗議された時に反論出来ないぞと言っています。
それに青木さんは熱心に共産党を支持していましたが、共産党が万能であるとも思っていないようです。
青きさんのすごい所は、揺るがない信念や思想を持ちながら、それを盲信していない所にあると思います。
ちゃんと異なる立場の人間がいることを理解しているんです。
そうでなければ、あれだけ個性豊かなキャラクターたちを描くことは出来ないでしょう。
漫画にはたくさん人が出て来るわけで、たった一つの思想に凝り固まってしまっては、色んな人間を描くことも無理でしょうから。
自分の立場を主張しながらも、異なる立場の人間がいるのを認めているって、すごいことですよ。
だから漫画も面白いし、エッセイも面白いです。
もう亡くなられた作家さんですが、出来ればまだまだ活躍してほしかったと思います。

 

光煙

  • 2016.08.27 Saturday
  • 12:41

JUGEMテーマ:写真

 

煙る光。

木々を包むように。

 

 

 

滲む光。

水墨画のように景色が霞む。

 

 

 

薄い光

膜が張ったように、空の光が小さくなる。

 

 

 

降る光。

染まるように柔らかく景色を照らす。

 

 

光は景色の顔を決める、感情のようなものですね。

 

 

クドクド説教はただの拷問

  • 2016.08.27 Saturday
  • 12:32

JUGEMテーマ:日常

説教。
私は大っ嫌いで、するのもされるのもゴメンです。
上から目線でクドクド理屈を聴くのはまっぴらゴメンで、それならばバシッと怒ってくれた方がよっぽどいいです。
人を言い聞かせる、育てるという意味なら、説教ほどマイナスはことはないでしょう。
言いたいことがあるなら、短くまとめてビシッと言う。
その方が相手に伝わるし、何より短い時間ですむわけだから、お互いに無駄な時間を過ごすこともありません。
テレビで毒舌タレントが人気が出るのも、これが理由だと思います。
的確な言葉で、しかも短い言葉でズバッと言い切る。
それが気持ち良いからファンがつくのでしょう。
言葉が得意でない人は、不満があっても上手く説明することが出来ません。
だけど言葉の上手い人は、それを一言二言で言い切ります。
スカッとするんでうよね。
個人的には知性のない毒舌は嫌いなんですが、でも毒舌タレントに人気が集まるのは分かります。
おそらくもう立川談志さんや上岡龍太郎さんのように、知性に裏打ちされた毒舌を放つ人は出てこないでしょう。
ああいう人の毒舌は、いくらでも聞いていたいと思います。
だけど知性もないわ、話も下手だわで説教などされたら、堪ったもんじゃありません。
学校、職場、家庭、日常生活の中で、一人くらいは説教好きの人がいるものです。
ちょっと感性の鋭い人なら、「あ、こいつ楽しんでるな」って分かるはずです。
相手を育てるとか、教え込むのが目的じゃなくて、クドクドと説教をして楽しむのが目的なんだろうなと。
私は気が弱いクセに、イラッとしやすいタイプでもあるので、そういうことをされてしまうと途端に喧嘩腰になってしまいます。
相手が先輩だろうが上司だろうが、カッとなって噛みついてしまうんです。
まあ子供なんです、我慢がないというか。
それで何度も損をしているのに、やはりクドクド説教だけは慣れません。
だったら「おどれコラ!舐めて仕事しとったらいてまうど!」くらい言ってくれた方が、「ひいいいい!」となってありがたく従うんですけどね。
人って心のどこかで、強い者や怖い者に従う喜びを持っています。
強い、怖いということは、自分よりも上と認めている証拠だからです。
人は社会性を持つ生き物だから、自分よりも上の者に従う本能ってあると思うんです。
ただこの場合の「上」というのは、肩書や年齢のことじゃありません。
実力があったり、少々のことで動じない肚の据わった人のことです。
喧嘩しても絶対に勝てないなって思わせる人のことなんです。
だったら従ってた方が得なわけだから、そこに喜びを感じるように出来ているんじゃないかと。
だけどクドクド説教してくる相手は、「あ、こいつ気が弱いんだな」と分かるわけで、余計に腹が立ってしまうんですよね。
人は強い相手に従うのは構わないけど、弱い相手に従うのは我慢なりません。
しかしマンモスを狩っていた石器時代と違って、今の社会はもっと複雑です。
実力がなかったり気が弱かったりしても、なぜだか人の上に立っている人がいます。
そういう相手に従うほど腹立たしいことはないでしょう。
そしてそういう相手ほど、クドクド説教をしたがるものです。
プレバトという番組で、俳句の先生を務めている夏井いつきさん。
夏井さんの言葉は、短くて的確で、しかも有無を言わさない説得力があります。
そういう人ならば、少なくとも俳句においては従っても構わないかなと思えます。
やはり人の上に立つ人ならば、それなりの強さや怖さが必要でしょう。
実力もなく、肚も座ってない人間からの説教。
もしも法律がないのなら、レバーブロウからのガゼルパンチ、そしてデンプシーロールでブッ飛ばしてやりたいとさえ思います。

 

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< August 2016 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM