映画「I am Sam」

  • 2016.11.30 Wednesday
  • 13:59

JUGEMテーマ:映画

「I am Sam」という映画を観ました。
主人公は知的障害を抱える男性です。
彼は一晩泊めて欲しいと頼まれた女との間に、子供をもうけてしまいます。
しかし女は子供を置いて逃げてしまいます。
主人公のサムと結婚する気などなくて、子供だって望んでいませんでした。
あくまで一晩の過ちから出来た子供だったのです。
女に逃げられたサムは、赤ん坊を抱いて呆然とします。
サムは七歳児程度の知能しかなく、一人で子供を育てることは難しいです。
しかしそれでも懸命に子育てをしました。
もちろん一人では無理なので、友人やお隣さんの協力を得ながらです。
サムは仕事をしていて、コーヒーショップで働いています。
しかし子供が大きくなるにつれて、仕事にも支障が出るようになりました。
それでも負けじと子育てをしていきますが、ある時、娘と引き離されることになります。
娘のルーシーが七歳の前にした時、学校がこう提案してきたのです。
娘を施設に預けてはどうかと。
というのも、サムは七歳児の知能しかないので、これ以上娘が成長したら、子育ては難しいと判断されたのです。
サムは嫌がりますが、娘は施設へ連れて行かれました。
まったく会えないわけではありません。
週に一度、二時間だけ会うことが出来ます。
しかしサムも娘のルーシーも、一緒に暮らすことを望んでいます。
サムは腕利きの弁護士を雇い、ルーシーを取り返すことにしました。
最初はサムに関心のなかった弁護士も、だんだんと彼に理解を示すようになります。
本当ならたくさんの依頼料を払わないといけないのに、無料でいいと言ってくれたのです。
障害を抱えながらも、懸命に娘を取り返そうとするその姿勢に、胸を打たれたんです。
サムと弁護士は出来る限りのことをしますが、それでも娘を取り戻すのは難しいです。
サムの心は途中で折れそうになります。
裁判で検事の容赦ない質問に晒されて、挫けてしまったのです。
しかしそれを弁護士が励まし、少しずつですが、裁判を有利に進めていきました。
やがてルーシーは養子に出されます。
引き取った養母はとにかくルーシーを可愛がりました。実の子供のように愛情を注ぎながらです。
ルーシーも養母を嫌いではないし、たくさんの愛情をもって育ててくれることに感謝しています。
しかしそれでもサムと暮らしたいのです。
やがてサムは養母の近くに引っ越してきます。
娘にもっと会いたい一心で。
ルーシーは夜な夜な家を抜け出し、サムの家へ行きます。
そしてサムはルーシーを抱えて、養母の家に戻るのです。
こんな事が何日も続いて、養母はとうとう折れました。
ルーシーが本当に必要としているのはサムなのだと。
だからルーシーがサムの所へ行くのを認めるようになりました。
そしてサムもまた、一人での子育ては難しいと言います。
ルーシーはあなたのことをとても気に入っているから、いつでも会いに来てほしいと。
養母はありがうといい、サムの家から去ります。
結局裁判がどうなったのかは分かりませんが、エンディングでは二人とも幸せそうでした。
だからそう悪い結果にはならなかったのでしょう。
障害を抱えながらも、娘を想う父。
そしてそんな父の気持ちを誰よりも理解し、父と一緒に暮らしたいと願ったルーシー。
ルーシーはとても賢い子です。
人の気持ちに敏感です。
だからこそ、父がどれだけ大変な思いをしながらも、自分を育ててくれたのかを知っています。
なんだか胸が打たれる映画でした。
複雑なストーリーではないけど、でもそれがよかったです。
シンプルだからこそ伝わってくるものだってあります。
久々に心温まる映画を観ました。

元気をくれるレッチリ

  • 2016.11.29 Tuesday
  • 15:27

JUGEMテーマ:音楽

レッチリのPVをよく見ています。
アザーサイド、キャントストップ、ダニーカルフォルニア、ギヴイットアウェイ。
ザファーソングのPVも面白いです。
レッチリって曲だけじゃなくて、PVもすごく楽しいんですよ。
特にダニーカリフォルニアのPVは面白いです。
色んなミュージシャンに扮して歌うんですよ。
エルヴィス、ビートルズのクラシックな人達から、メガテスやセックスピストルズ、それにヴァンヘイレンも。
仲のよかったニルヴァーナの仮装もあります。
めちゃくちゃバラエティに富んでいて、見てるだけでテンションが上がります。
アザーサイドはちょっと切ない感じですね。
青年の心の内というか、思春期のもがくような姿勢というか、そういったものをファンタジー的に描いています。
それを高い場所から見下ろすレッチリ。
あの青年は延々と同じ運命を辿らのかも。
ギヴイットアウェイはとにかくはっちゃけています。
みんな全身金色で(白黒だから分かりにくいけど)、荒野で踊り狂っています。
それは悪魔のようにも見えるし、神様のようにも見えるし、でも人間のようにも見えるし。
胸の内に渦巻く、なんだかよく分からないエネルギーが具現化したかのような、抽象的だけど形のある内容です。
落ち込んだ時や傷ついた時って、応援歌や誰かを励ます曲よりも、こういった底抜けに明るい曲の方が元気を貰えます。
しょうもない悩みなんて吹き飛んで、心が解放されるような感覚があるんです。
レッチリが人気なのは、きっとそのせいです。
感情的でベタベタしていないし、かといってドライすぎるわけでもない。
ちょうどいい感じの切なさと、底抜けのパワーから来る明るさ。
そして何よりもあのカオスな感じです。
カオスって落ち着くんですよね。
整理整頓された部屋よりも、散らかった部屋の方が居心地がいいのと同じです。
いつだって力をくれるレッチリは、太陽のような存在です。

デジタルの到来は下剋上のチャンス

  • 2016.11.28 Monday
  • 14:44

JUGEMテーマ:社会の出来事

音楽、写真、絵、映画。
色んな表現物がデジタルに移行しています。
音楽なんかかなり昔からデジタルを使っています。
写真もデジタルが登場して、フィルムはほとんど居場所を失いました。
もちろん今でも残っているし、使う人もいます。
だけど主流はデジタルです。
絵もそうですね。
イラストが好きなんでよくネットで見るんですが、ほとんどデジタルです。
映画もCGが増えて、デジタルが主流のように思います。
お金がかからない、少人数で出来る、やり直しが利くなど、デジタルの恩恵は偉大です。
写真の場合だと、昔は36枚撮りが限界でした。
フィルムにそれ以上のコマを詰め込めないんですよ。
だから36枚撮ったら新しいフィルムが必要になります。
今じゃ一枚のメモリーカードで1000枚以上撮影できます。
しかもいくらでも使い回しが出来るんだから、フィルムの時では考えられないほど便利になっています。
プリントも家でできますしね。
文章もデジタルになってますよね。
小説なんかもパソコンで書く人がほとんどじゃないでしょうか。
新しければいいってものではないけど、古いものばかりに固執していると時代から取り残されてしまいます。
以前にデジタルカメラの開発に関わっていた人のインタビューを読んだんですが、デジカメが生まれた時点で、フィルムの時代が終わりを迎えることは分かっていたそうです。
昔のデジカメは今ほど性能は良くなくて、一台100万とか平気でしていました。
それに一コマ撮影するのにも時間がかかるし、画質だって良くありません。
それでも必ずデジカメの時代が来ると分かっていたそうです。
ていうか嫌でも見えてしまうんだとか。
エンジニアの人からすると、技術の変革は未来予知かと思うほど正確に見えてしまうもののようです。
まだフィルムは大丈夫。
そう思っていたのはつい最近のことです。
でも今ではフィルムカメラを持っている人に出会うことすら稀です。
映画やアニメなんかも、デジタルによって新しい表現が可能になっています。
アナログ時代には出せなかった、美しい映像もできます。
昔にカメラ屋で働いていた時に、尊敬する上司からこう言われたことがあります。
「デジタルの時代になって、ついていけへんおっちゃんがようさん消える。写真やってる自分ら若いモンはこれからチャンスやで」と。
時代が新しく変わる時、最も下剋上しやすい時なんでしょう。
昨日「君の名は」について書きましたが、ジブリに迫る興行収入を上げる新鋭がでてきているんです。
そしてこれからは立場が入れ替わるでしょう。
新海さんに次ぐ新しい作家も出て来るだろうし、がらりとアニメの世界が変わるような気がします。
おじさんたちがアレやコレやと若い人を叩き出したら、それは時代が変わろうとしている証。
若い人が上を目指せるチャンスだと思います。

アニメや映画に社会性は必要か?

  • 2016.11.27 Sunday
  • 15:01

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

JUGEMテーマ:映画

ジブリの高畑監督が、個人が制作したアニメーションの内容に批判したことがあります。
要約すると「若者が作り物の世界に浸り、そこから卒業することのないまま、作り物の世界に浸り続けるのは危険」といったような内容です。
「ほしのこえ」という作品に対しての批判ですが、この作品の制作者は、非情に運がいいと言っています。
普通は現実と向き合わなければ生きていけないのに、自ら作り出した創作の世界の中で、見事に生きているというのです。
現実が嫌なら空想の世界しかなく、しかし普通は空想の世界で人は生きていけません。
ですが「ほしのこえ」は若者の間で共感を呼び、その結果「ほしのこえ」の作者は自ら生み出した空想の中で生きている。
そして「ほしのこえ」に共感する若者も、延々と空想の世界に浸り続ける。
要するに現実と向き合わなくても生きていけるようになり、大人になってもネバーランドから出たくない若者が増えていて、危機感を覚えていると。
私は高畑監督の批判を、そういう風に解釈しています。
そして批判に対する脚注として、「ほしのこえ」の作者はいまだ成長中であり、将来的に社会性を持つ作品を作る可能性はある、と締めくくっています。
私がここで問題にしたいのは、「作品は社会性を持つべきかどうか?」ってことです。
現実で生きようが空想に浸ろうが、そんなことにとやかく言う気はありません。
そもそもどっちで生きたっていいんですよ、自分で自分のケツを拭けるなら。
どんな道を選ぼうが、自分で責任を負えるなら、人の批判など気にする必要はありません。
最後に野垂れ死んでもいいって覚悟なら、どんな世界でも生きてけるでしょうから。
例えばですね、アニメやゲームは嫌いだけど、文学性のある作品や、人生の痛みを描いた作品が好きな人がいたとしましょう。
でもその人がニートだったら、まずは働けという話になります。
対してアニメやゲームが好きで、萌えやご都合主義の作品も大好きな人がいたとしましょう。
だけどその人は立派に働いていて、ちゃんと税金も納めている。
もしかしたら結婚して家族まで養っているかもしれません。
果たしてどちらの人間が立派か?言うまでもありません。
アニメや漫画なんてなくても、人は生きていけます。
だったら無くても生きていけるものが、そんなに重要な物のはずがありません。
こういう作品が好きだから立派。
こういう作品に共感を覚えるからダメ。
そういうことを言う人ほど、空想の世界にどっぷり浸かっているように思うんですが、高畑監督もそういう人なんでしょうかね。
社会性というなら、実社会でどう生きているかが重要であり、どんなアニメや映画が好きかなんて、なんの関係もありません。
さて、そんな頭の固いじいさまの批判はともかく、大事なのは「作品に社会性は必要か?」ってことです。
私の答えはきっぱり「NO」です。
いりません、特に必要ありません。
あって困るものではないですが、なくては成り立たないものではないからです。
これがないと成り立たないという要素でなければ、作品において必要とは言えません。
私は社会性のある作品は好きです。
ドキュメンタリーも好きだし、ノンフィクションも好きです。
実話を元にした作品も大好きです。
どちらかというと、最近はそういった作品を見ることが多いです。
子供の頃のように、根っからファンタジーなものを見ることはほとんどなくなりました。
だけどそれって私の好みに過ぎないんです。
そもそもが社会性のないファンタジーな作品がなければ、昔から映画や漫画を見ようとはしなかったでしょう。
例えばアンパンマンは、やなせたかし先生が戦争での空腹の辛さから生まれた作品だそうです。
お腹が減っている時、こんな風に食べ物を分けてくれる奴がいたらどれだけ嬉しいか。
そういう部分から生まれたのがアンパンマンです。
だけどアンパンマンを見ていた子供の頃、そんな深い部分まで考えは及びませんでした。
もっというなら、そういった深い部分が作品を生み出した原動力だとしても、作品そのものが面白くなければ、誰も見向きなんてしないんです。
どうしてアンパンマンが人気なのか?
理由は簡単で、面白いからです。
顔がアンパンで、困っている人にそれを分け与える。
そして悪者には毅然と立ち向かう。
彼ほど勧善懲悪な正義の味方はいないでしょう。
それに可愛らしい絵柄、魅力的なキャラクター、大人が見てもよく出来ているなと思うストーリー。
エンターテイメントとして完成されています。
だから子供はハマるんです。
大人だって子供と一緒に楽しめるんです。
アンパンマンが生まれたのは、やなせたかし先生の辛い体験からです。
それは間違いないですが、それでも見ている人間はそこに感動しているわけではありません。
夢と希望を与える正義の味方アンパンマンに感動しているんです。
そして面白いと思わせるほど、質の高いエンターテイメントなんです。
作り手がどんな思想や信条を持とうと自由だけど、受け手にとってはそんなことは重要ではないんです。
まず面白いと思えるかどうか、それがすべての入り口です。
社会性があろうとなかろうと、面白い作品なら観ます。
作って世に出し、それで儲ける以上は、やはり「面白い」と思わせる力が必要で、それを抜きに社会性どうこうなんて語っても無意味です。
アニメも漫画も映画も小説も、明日消えたとしても人類は滅びません。
本当は人類にとって重要でもなんでもないんです。
だったらなぜ存在するのか?
あった方が面白いからです。
たったそれだけです。
作品にどんな思いを込めようが自由だけど、それはともすれば作者のエゴになりかねません。
例え受け手に伝わらなかったとしても、それは作った本人が悪いのです。
作って世に出し、お金を稼ぐ以上は、しょうもない文句は命取りになるでしょう。
たまにいますよね、しょうもない言い訳や愚痴を巻き散らす作家や監督が。
そういうのを聞く度に、作るのなんてやめてしまえばいいのにと思います。

犬の対人(対獣)関係

  • 2016.11.26 Saturday
  • 14:38

JUGEMテーマ:わんこ

犬を散歩に連れて行くと、よく他の犬に出会います。
仲の良い犬もいれば、そうでない犬もいます。
人間と同じように、犬にも相性があるんですね。
そして犬同士の間でも序列があります。
犬は社会性のある生き物だから、順位を決めたがるんです。
ウチの犬は初めて会った犬に対しては、自分からお尻を向けます。
これは犬の挨拶なんですよ。
お尻には臭腺というのがあって、そこから出る臭いで自己紹介しているんです。
ウチの犬はまず自分からお尻をもっていきます。
相手はフンフンと臭いを嗅ぎ、ウチの犬がどういう奴なのかを確認します。
自分から自己紹介をする辺り、ウチの犬はそこそこ礼儀正しい奴だと思うんですが、決して大人しい性格ではありません。
まず自分からお尻を嗅がせ、その後に相手の臭いを嗅ごうとします。
この時、素直にかかしてくれる犬には好意を抱くようです。
また恥ずかしがって逃げる犬も嫌いではないようです。
「なんやお前、恥ずかしがらんでもええんやで」ってな感じで。
メスなんですけど、どうもそう言っているように聴こえます。
ただし無礼を働く犬に対しては怒ります。
お尻の臭いを嗅ぎ、そのままマウンティングをしようとする犬もいたりするんです。
その場合は牙を剥いて怒ります。
「なんじゃワリャ!名乗ったんやからオドレも名乗らんかい!
それもせんと人のケツに乗っかろうとはええ度胸や!」
多分そう言っていると思います。
そして一度嫌いになると、二度と好きになりません。
基本的に犬好きのウチの犬なんですが、嫌いな相手には「ふん!」ってな感じです。
お高くとまっているというより、無礼を働く奴は許さんってことなんでしょう。
犬には犬のルールがあり、それを守らないと喧嘩になることもあります。
特にマウンティングという行為は、序列を確認する為のもの。
上になった方が順位が高いんです。
なのにロクに自己紹介もせずに「コイツ自分から尻向けよった。いっちょ上に乗ったるか」なんてことをする犬に怒るのは当然かもしれません。
「誰かオドレなんぞ上と認めるかい!ケツ向けたんは挨拶の為じゃい。勘違いしいなやコラ!」
自分より大きな犬であっても、牙を剥いて唸ります。
でも自分より小さな犬に対しては、滅多にそんなことをしません。
基本的に優しい奴なんです。
どちらが上かは、犬にとってとても重要なことなんでしょう。
もし下手に回ってしまったら、顔を合わせる度に「へへへ、どうも・・・」と挨拶しなければなりませんからね。
犬は犬で、お互いの地位を守るのに必死です。
人間には分からない熾烈な争いがあります。
お気楽そうに見えても、動物は動物でしがらみがある。
社会性のある生き物は、どこへ行っても対人(対獣)関係が大変そうです。

作品は記憶に残ってナンボ

  • 2016.11.25 Friday
  • 12:10

JUGEMテーマ:映画

映画「君の名は」がすごくヒットしています。
私はまだ見ていないんですが、面白い派と面白くない派に分かれるようです。
本当にヒットする作品って、必ず賛否両論巻き起こします。
好きな人がいて、嫌いな人もいる。
そういう作品こそがヒットする条件なんでしょうね。
一番悲惨な作品は、好きでも嫌いでもないと言われる作品でしょう。
良いも悪いも何の印象も残さない。
作者にとっては一番こたえると思います。
印象に残らないということは、見たことさえどうでもいいということになってしまいます。
せっかく時間と労力を使って作り上げた作品が、誰の記憶にも残らない。
そういう作品が一番辛いでしょうね。
「君の名は」は好き嫌いが分かれるようで、でもそれは作者と作品にとっては幸せなことなんだと思います。
賛否両論が巻き起こるってことは、無視できない作品ってことだし、見た人に印象を残す何かがあるんでしょう。
せっかく作ったんだから、誰かに覚えていてもらわないと、その作品は不幸になってしまうでしょう。
食べ物の場合でも、美味しければ覚えているし、不味くても覚えています。
可もなく不可もなくという味が、一番辛いように思います。
一回食べればいいやとなって、二度目はないということですから。
それならうんとマズイ方が、ある意味話題になってお客さんが増えるかもです。
長続きはしないだろうけど、誰かの記憶には残るわけで、そういう意味ではその食べ物は無駄ではなかったことになります。
「シンゴジラ」も好き嫌いが分かれるみたいなので、やはり強く印象に残る作品です。
この先続編が出来て、シンゴジラが死ぬようなことになったとしても、見た人の記憶の中には生き続けます。
作中で死んだからといって、完全に消えることはありません。
それよりも、「そういやあんな怪獣いたなあ」なんて陰の薄い怪獣の方が、よっぽど死に近い場所にいるでしょう。
作品は誰かに覚えていてもらってナンボ。
ヘンリー・ダーガーのように作品という意識がないなら別だけど、そうじゃないなら誰かに覚えていてほしいというのが、作者の本心だと思います。
世に出す以上は人の目に触れさせたいわけで、だったら賛否両論が巻き起こることほど幸せなことはないはずです。
「君の名は」が面白いかどうかは人によると思います。
たくさんの褒める人もいるし、プロの中でも批判する人がいます。
だけど多くの人が無視できないという時点で、それは長く生き続ける作品なんだと思います。
誰かの記憶の中にある限り、作品は死なない。
そういう意味では、作家という意識もなく、作品という概念すら持たずに創作していたヘンリー・ダーガーは、ある意味最強の作家ですね。
誰かに見せることが前提じゃないんですから。
誰かに見てもらう以上は、やっぱり覚えていてほしいものだと思います。

ダナエの神話のイラスト(ペン入れ)6

  • 2016.11.24 Thursday
  • 14:54

JUGEMテーマ:イラスト

 

        ダナエ、コウ、アドネ

秋と冬の間で

  • 2016.11.24 Thursday
  • 14:38

JUGEMテーマ:写真

 

落ち葉の遊歩道。

サクサクと音が鳴って、歩くのが楽しくなります。

 

 

 

 

 

 

 

もう紅葉も見納めです。

しばらく無色透明な空が続くでしょう。

 

 

 

 

 

上着を着ていると汗ばむほど暖かい日でした。

これからそういう日も少なくなるでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

神社の境内です。

少しだけ銀杏が見られました。

陰ると寒くなるのは、冬が近いから。

空が低く感じました。

秋 最後の輝き

  • 2016.11.23 Wednesday
  • 12:45

JUGEMテーマ:写真

 

今日から寒くなるようです。

昨日まで暖かい日だったから、余計に寒く感じます。

 

 

 

 

 

 

 

地面を敷き詰めるほどの銀杏。

黄金の秋です。

 

 

 

 

 

 

 

桜も紅葉も銀杏も、散った姿は綺麗です。

空が透明になる代わりに、大地が色づきます。

こっちの方が綺麗だと思うこともあります。

 

 

 

 

 

歩道にも散っていました。

歩けばサクサクと音がします。

もうじき冬。

その前に、最後の秋の色が輝いていました。

勇気のボタンのイラスト(ペン入れ)

  • 2016.11.22 Tuesday
  • 12:56

JUGEMテーマ:イラスト

 

          有川一家

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