たまきは無事に一つに戻った。
これでようやく一件落着。
でもまだ大きな心配事が残っている。
《マイちゃん・・・・無事でいてくれよ!》
彼女は霊獣の世界にいる。
大怪我を負ったから、モズクさんが連れて帰ったのだ。
俺はウズメさんに頼んで、マイちゃんのいる世界まで運んでもらうことにした。
《今行くからな!》
光を失った金印を握りしめ、彼女の無事を祈る。
ウズメさんはあっと言う前に神社の前まで来て、「行くわよ!」と叫んだ。
彼女の巨体は、鳥居よりも遥かに大きい。
でも構わず突っ込んでいく。
すると突然鳥居が巨大化して、ウズメさんが通れるサイズになった。
「身を低くして、しっかりしがみ付いてて!」
「はい!」
鳥居を潜った瞬間、グニャリと空間が歪んだ。
すべての景色が捻れて、強烈な風が襲いかかってきた。
「うわああああああああ!!」
ギュっとしがみ付いても、あまりの突風に吹き飛ばされそうになる。
もう限界だ・・・・・。
そう思った時、突然風がやんだ。
「着いたわよ。」
「・・・・・・・・・。」
恐る恐る顔を上げる。
「ここは・・・・・。」
俺たちが出た場所。そこは岡山だった。
マイちゃんの家がある、山の麓の草むら・・・・。
「家がある・・・・。消えたはずなのに。」
ウズメさんは家の前に俺を下ろす。
それと同時に、ガラガラと玄関が開いた。
中から現れたのはモズクさん。そして・・・・・、
「ワラビさん!」
マイちゃんの両親が、じっと俺を睨む。
「あ、あの・・・・・、」
二人の視線に圧されて、ゴクリと息を飲む。
「・・・あの・・・・マイちゃんは・・・・?」
二人は俯く。そして・・・・・首を振った。
「まさか・・・・そんな!だってそんなこと・・・・、」
膝から力が抜ける・・・・その場に崩れ落ちそうになる・・・・・。
《そんな・・・・そんなのウソだ!》
思わす叫びそうになった時、家の中からダダダダ!と足音が聴こえた。
「悠一君!」
人間に化けたマイちゃんが飛び出してくる。
ガバっと抱きついてきて、とんでもないパワーで締め付けられた。
「よかった!無事だった!」
「ぐ・・が・・・・・ごうふッ!」
「心配してた!無事でよかったああああああ!!」
「ぎゃあああああああああ!!」
骨が鳴る・・・・内蔵を吐き出しそうになる・・・・。
意識が遠のいて、魂が抜けそうになる・・・・。
「悠一くうううううん!」
「あ、またお迎えが・・・・・、」
見上げた空には、仏さんと天使がいた。
*
「大丈夫ですか?」
ワラビさんが包帯を巻いてくれる。
俺は「お構いなく・・・」と苦笑いした。
でも笑うとビキっと骨が鳴る・・・・・痛い!
《ついさっきまで仏さんの手に乗ってたからな・・・・。》
またしても死ぬところだった。
ワラビさんが助けてくれたおかげで、どうにか死なずにすんだけど。
「これでよし。」
包帯を巻き終えたワラビさんは「ごめんなさい」と謝る。
「マイのせいで、危うく故人にしてしまうところでした。」
「いえいえ、いいんですよ。いつものことだから。」
そう言って笑うと、またビキ!っと痛んだ。
「ごめんね悠一君・・・・嬉しくてつい。」
俺の隣でマイちゃんが申し訳なさそうにしている。
モズクさんが「まあ無事だったんだからよかったじゃねえか」と笑った。
「兄ちゃんが来るまで大変だったんだぜ。『悠一君の所に行くうううう!』ってよ。
おかげでほれ、家ん中がめちゃくちゃだ。」
タンスは逆さまになり、天井には穴が空き、床は抜けている。
辛うじて残っているのはちゃぶ台だけで、これにも爪痕が付いていた。
「怪我が治った途端に暴れ出してよ。『行くったら行く!』って聞きゃしねえ。
そこへちょうど母ちゃんがやって来て、どうにか宥めてくれたってわけだ。」
「大変だったんですね・・・・・。」
俺がここへやって来た時、二人は沈んだ顔をしていた。
そして悪いことでもあったかのように、首を振ったのだ。
俺はてっきちマイちゃんに何かあったのだと思った。
でもそうではなくて、あまりに暴れるマイちゃんに辟易としていたのだ。
そこへようやく俺がやって来て、これで大人しくなるとホッとしたのだった。
「悠一君・・・・ほんとに無事でよかった。」
グスっと泣いて、また抱きつこうとする。
「あ、ちょっとッ・・・・、」
慌てて仰け反り、「今は勘弁・・・・」と手を振る。
「マイ、いい加減にしなさい。これ以上やったら、本当に鬼籍に入ってしまいますよ。」
「ご、ごめんなさい・・・・。」
シュンと項垂れるマイちゃん。
俺は「そう落ち込まないで」と肩を叩いた。
「もう全て終わったんだ。アイツは・・・・ホワンはたまきの中に戻った。もう悪さをすることはないよ。」
「ホワンさん・・・・可哀想だね。ずっと長い間い一人ぼっちだったなんて・・・・。」
「ああ。でも最後には救われた。本人が言ってたんだから間違いないよ。」
たまきの言葉はホワンの言葉。
だからたまきが救われたと言うのなら、それはその通りなのだろう。
「それよりさ、こっちの方が問題だよ。」
俺は金印を見せる。
黄金の輝きは失われて、ただの鉄みたいになってしまった。
「どういうわけか分からないけど、急にこんな風になっちゃったんだ。
これがなきゃマイちゃんは人間の世界にいられないのに・・・・。」
沈んだ顔をしていると、「ちょっといいですか?」とワラビさんが手を出した。
俺は金印を預ける。
ワラビさんは真剣な目で睨んで、「力を失っていますね」と言った。
「なら・・・・もう役に立たないってことですか?」
「このままではね。だけど力を込めれば大丈夫。」
「力を込める・・・・?」
「この金印、霊力の貯蔵庫のような物だと思います。
そして溜まった霊力を使い果たすと、だたの金属に戻ってしまうのでしょう。」
「・・・・ということは、また力を込めれば・・・・、」
「ええ、マイを守ってくれるはずです。」
「ほ、ホントですか!?」
嬉しくなって立ち上がる。でもまた骨が鳴った・・・・。
「痛ッ・・・・、」
「悠一君!」
「大丈夫大丈夫、平気・・・・。」
アバラを押さえながら、「これで人間界に戻って来れるね」と笑いかけた。
しかしワラビさんは首を振る。
「霊力を込めれば力を発揮しますが、そうすぐにというわけにはいかないでしょう。」
「どういうことですか?」
「マイを守るほどの力を込めるとなると、しばらく時間がかかります。」
「しばらくって・・・・どれくらい?」
「100年ほど。」
「100年!!」
「ええ。」
「そんな・・・・・。」
大きな仕事を終え、たまきから一人前のお墨付きをもらい、俺の人生はこれからだと思っていた矢先に、なんてことだ・・・・。
「どうにかならないんですか!?」
「どうにもなりません。」
「そんな・・・・・。だって100年先って言ったら、俺はもう死んでますよ。
これじゃあ・・・・結婚なんて無理じゃないか。」
目の前が暗くなって、がっくりと項垂れる。
《人生って上手くいかないもんだ・・・・。仕事が充実しそうになったら、今度はプライベートで打撃を受けるなんて。》
成功者はプライベートで恵まれないというが、果たしてどっちがいいんだろう?
仕事を取るか、大事な人を取るか。
・・・・・そんなの決められるわけないじゃないか!
しかしがっくりする俺とは対照的に、マイちゃんはそう落ち込んでいなかった。
「ねえ悠一君。」
明るい顔で「100年も待つ必要ないよ」と言った。
「え?」
「私ね、前から考えてたことがあるんだ。」
「考えてたこと?」
「上手くいけば、金印なしで人間界にいられるかもしれない。」
「ほ、ホントに!?」
マイちゃんはコクっと頷く。
「私ね、聖獣を目指そうと思うんだ。」
「聖獣・・・・。」
「ほら、霊獣って格があるでしょ?霊獣、聖獣、そして神獣。
今の私は一番下の霊獣。だけど聖獣になれば、金印なしで人間界にいられるかもしれないの。」
そう言って「ね、お父さん?」と振り返った。
「ああ。聖獣は霊獣より遥かに力が強ええからな。霊的にも、そして肉体的にも。」
「肉体も・・・・・。」
「マイは幻獣だから肉体が弱ええ。腕力はあっても、穢れに対する免疫がねえんだ。
だが聖獣になれば話は別だ。肉体がパワーアップして、少々の穢れじゃ動じなくなるだろうぜ。」
「ほ、ホントですか!?」
「それに霊力も増すから、穢れを追い払う力も付く。そうなりゃそんなモンなしで人間界で暮らせるはずだ。」
「やった!だったら結婚出来るよ!」
俺はマイちゃんの手を握りしめる。
「だがすぐにってわけにゃいかねえ。」
「え?」
嫌な予感がする・・・・・。
「あの・・・・また100年とか言うんじゃ・・・、」
「1年。」
「1年・・・・?」
「そんだけありゃいけるはずだ。」
「・・・・・・・・ホントですか!」
100分の1に縮まった!これならじゅうぶん待てる。
「本当ならもっともっと時間が掛かるんだが、マイは幻獣だ。
潜在能力は神獣並だから、普通の霊獣よりも早く昇格できるはずだぜ。」
「おお・・・・ここへきて幻獣ってことがプラスに!」
一瞬そう思ったけど、そもそも幻獣でなかったらそのまま人間界にいられる。
俺、けっこうアホなんだな・・・・・。
「兄ちゃんよ。」
「はい・・・・。」
「おめえ・・・・さてはアホだな?」
「・・・・・ッ!」
ちょっと傷つく。
シュンと項垂れると、「お父さん!」とマイちゃんが怒った。
「悠一君はアホなんかじゃない!ちょっと的外れなところがあるだけだもん!」
「そう怒るない。」
煙管を咥え、先っぽに普通のタバコを挿す。
それをプカリと吹かして、話をつづけた。
「マイは幻獣だから、成長するのも早ええはずだ。それに加えて・・・・・、」
そう言ってワラビさんを見つめる。
「母ちゃんが直々に鍛えてくれるからよ。」
「ワラビさんが?」
「母ちゃんは神獣だ。しかも神主やってるから、弟子を鍛えるのも上手いしよ。」
「なるほど・・・・。マイちゃんの才能、そしてワラビさんの指導。この二つがあれば、一年で人間界で暮らせるようになると?」
「おうよ。兄ちゃんが一年間浮気をしなかったらの話だけどな。」
「しませんよ!」
「どうだか・・・・。独り身の所へ良い女が現れたら、コロっといくかもしれねえ。なあ母ちゃん?」
「いいえ、私はそうは思いません。
悠一さんは立派な殿方です。きっと一途にマイのことを待って下さいますよ。」
そう言って俺を振り返る。
「マイのこと、信じて待っていて下さい。私が必ずや聖獣にしてみせますから。」
「お、お願いします!」
手をつき、頭を下げる。
ワラビさんは立ち上がり、俺とマイちゃんの前に立った。
「これからの二人に幸運を願って、祈りを捧げます。」
手を合わせ、目を閉じるワラビさん。
俺とマイちゃんは背筋を伸ばした。
ワラビさんはパンパン!と手を叩き、カッと目を開いた。
「キイエエアアアアアア!」
「・・・・・・・ッ!」
「ヒイイエヤアアアアアアア!」
「え?いや・・・・・、」
「アアアアカアアアアアンンテエエエエエ!!」
「な・・・・え?」
「これでよし。」
《・・・・・なに今の?》
突然わけの分からない奇声を発した・・・・。
なんか怖くてドキドキする・・・・。
「お母さん・・・・ありがとう・・・・グス。」
「ええええ!?」
「久しぶりにお母さんのお祈りを見た・・・・。きっとこれで幸運間違いなし!」
《呪いの間違いじゃないのか・・・・。》
涙ぐむマイちゃん。
「幸せになるのよ・・・・」と鼻をすするワラビさん。
モズクさんはスポーツ新聞を読んでいた。
《・・・・・この家族と上手くやっていけるのかな・・・・・。》
まあ・・・・悪い人達ではない。どうにかなるだろう。
とにかくマイちゃんが戻って来れそうでよかった。
100年なんて言われた時はドキっとしたけど、一年ならあっという間だ。
忙しく仕事をこなしていれば、すぐに時間が経つんだから。
変わり者の家族を眺めていると、ウズメさんが入って来た。
「どんな感じ?」
「ええっと・・・・こんな感じです。」
手を向けると、ウズメさんはクスっと笑った。
「ハッピーエンドってわけね。」
「まあ・・・・一応は。」
「じゃあそろそろ帰りましょうか。人間があまりこっちの世界にいるとよくないから。」
「そうなんですか?」
「幻獣の逆バージョン。清浄過ぎる空気のせいで、人間には馴染めないのよ。」
ウズメさんは「それじゃモズクさん、今日はこれで」と手を上げる。
「おう!」
モズクさんはスポーツ新聞を見ながら頷く。
「母ちゃん、兄ちゃん帰るってよ。」
「え?・・・・ああ!ごめんなさい・・・・。」
グスっと涙を拭いて、「マイをよろしくね」と頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ。ていうか早く聖獣になってくれるのを待ってます。」
「明日、一日だけそちらに向かわせます。
一年とはいえ離れ離れになるわけだから、一緒にいてやって下さい。」
「それは嬉しいですけど、金印がないのに大丈夫なんですか?」
「一日くらいでしたら。ねえマイ?」
「うん!平気平気!」
「そっか。じゃあ・・・・待ってるよ、マサカリ達と一緒に。」
ニコっと頷くと、「悠一君!」と抱きついてきた。
「ぎあッ!」
「私・・・・頑張るからね!絶対に聖獣になるから!」
「ちょッ・・・・やめて・・・・、」
「だから待ってて!いっぱい修行して、うんとパワーアップして、もっともっと強くなるから!」
「だあああああああああ!これ以上強くなんなくていいい!!」
メキメキっと骨が鳴る・・・・。
ワラビさんは「マイ・・・・」と鼻をすすっているし、モズクさんは新聞から顔を上げない。
《この一家とやっていくの・・・・命懸けかもしれない・・・・。》
天使と仏さんが見える頃、ようやく離れてくれた。
倒れる俺を抱えて、ウズメさんは「それじゃお暇します」と言った。
「ほら、悠一君もご挨拶。」
《出来るか!》
「じゃあまた明日!」と手を振るマイちゃん。
俺は白目を痙攣させて、「また・・・・」と気絶した。
*
マイちゃんは無事だった。
そして金印がなくても人間界にいられることになった。
一年は離れ離れになっちゃうけど、でもそれは仕方ない。
聖獣になってくれることを信じて、ただ待つのみ!
このことを動物たちに話したら、きっと喜ぶだろう。
俺はウキウキしながらウズメさんの車に乗っていた。
「嬉しそうねえ。」
「ええ、まあ。」
「顔がデレデレよ。この幸せ者。」
パチンとおでこを叩かれる。
「すいません」と笑いながら、「でもいいんですか?」と尋ねた。
「しばらくウズメさんのマンションにご厄介になって。」
「いいのいいの。ていうか君の家はもうないじゃない。」
「吹き飛んじゃいましたからね。ていうか・・・・テレビでもえらいことになってるな。」
車に付いているテレビから、今日の事件が流れていた。
粉々になった俺の部屋、現場検証する警察、群がる報道陣と野次馬。
こりゃあ城崎温泉の時よりも大事になる・・・・・。
「ああ・・・・どうしよう・・・。もしマンションを弁償しろとか言われたら・・・・。
いやいや!それより警察沙汰になるんじゃ・・・・。」
青い顔をしながら、頭を抱える。
するとウズメさんが「平気平気」と笑った。
「この件の対処は彼女に任せてるから。」
「彼女?」
「ん、鬼嫁。」
テレビを見ていると、どどめき庵の女将さんがマンションの前にいた。
「なんでこの人が!?」
鬼の龍と称される、正真正銘の鬼嫁。
あの時の記者会見と同じように、屁理屈で記者の質問を受け流している。
「ウズメさん!なんでこの人が!?」
「私からお願いしたの。この前あなたの旦那で大変なことになったから、ちょっと協力してって。
そうしたら二つ返事で引き受けてくれて。」
「いや。引き受けるって、全然関係ない人じゃないですか!!」
「でも人間界に顔が利くのよ。」
「そ、そうなんですか・・・・・?」
「強面だけど仕事の出来る人だから。色んな所にコネを持ってるのよ。」
「はあ・・・・・。」
「まあしばらくは騒がれるでしょうけど、君が責任を負うことじゃないわ。」
「いや、でもですねえ・・・・・、」
「マンションの補償はたまきがやってくれるし、迷惑を被った人は私が助けるし。」
「そんな!だって俺の依頼でこんな事になったのに・・・・、」
「いいのいいの。たまきがそう言ってるんだから。幸い怪我人もいなかったし、人脈とお金でどうにかなる問題だから。」
そう言ってのほほんと笑う。
《笑ってるよオイ・・・・・。やっぱ人間とは違う感覚の持ち主なんだなあ。》
ウズメさんの車に揺られながら、彼女のマンションへと向かう。
そこは金持ちしか住めないような高級マンションで、「すげえ・・・」と声が漏れてしまった。
「いい所に住んでるんですね・・・・。」
「見た目よりも安いのよ。」
「ていうか引っ越したんですね?」
「ん?」
「ほら、去年の夏に一度だけお邪魔したじゃないですか。怪我したマイちゃんを預かってもらう為に。」
「ああ、あのマンション?狭いから引っ越したわ。」
「そうですか?けっこう広かったですけど・・・・。」
「私には狭かったの。」
《う〜ん・・・・けっこうバブリーな人なんだなあ。人じゃないけど。》
大きな銭湯の経営者なんだから、それなりにお金を持ってるんだろう。
そもそも稲荷の長なわけで、お金なんてどうとでもなるのかもしれない。
車を降りた俺たちは、エレベーターに向かった。
部屋は最上階。
エレベーターに運ばれながら、「動物たちはもう来てるんですよね?」と尋ねた。
「ええ。」
「あ、ああ・・・・そうですか。」
「どうしたの?そわそわして。」
「いや、だって・・・・ねえ。気持ちはすごくありがたいですけど、でも・・・・やっぱりウズメさんのマンションにお世話になるっていうのは。」
「でも住む場所がないんだから仕方ないでしょ?」
「それはそいうですけど、僕は婚約中の身でして・・・・。
いくらご厚意とはいえですね、その・・・・別の女性の所にお世話になるというのは、かなりマズイような気が・・・・、」
「え!悠一君・・・・・私にマズイことするつもりなの?」
「へ?」
「だってエッチな顔してるから。」
「ち、違いますよ!そういうことじゃなくてですね、こういうのはその・・・・倫理的にいかがなものかと・・・・、」
「ふふふ、冗談よ。」
ペチンとおでこを叩かれる。
それと同時にチンとドアが開いて、「こっちよ」と歩いていく。
「ここね。」
そう言ってトントンと表札を指さす。
「・・・・・動物探偵、有川悠一事務所。なんですかコレ?」
「だから君の部屋じゃない。」
「・・・・・えええ!だってこれウズメさんの部屋でしょ?」
「違うわよ。」
「へ?」
「これは君の部屋。」
「俺の・・・・?」
「たまきからの成功報酬よ。」
「ほ・・・・報酬?」
「1000年の悩み事を解決してもらったんだから、部屋くらいは当然でしょ。・・・・だって。」
「・・・・ええっと、じゃあウズメさんの部屋は?」
「私は三つ向こう。」
離れた部屋を指さして、ニヤニヤと笑う。
「・・・・・・・・・。」
「あれえ?何その顔?」
「あ、いえ・・・・なんでも。」
「君・・・・もしかして私の部屋に住むと思ってたの?」
顔を近づけながら、さらにニヤニヤする。
「いや!だってウズメさんのマンションだって言うから・・・・、」
「でも私の部屋だなんて言ってないわよ?」
「う、や、それは・・・・・、」
「もしかして・・・・期待してた?私と一緒に住めるんじゃないかって。」
「ち、違いますよ!」
「じゃあなんでガッカリしてるの?」
「してません!その・・・・ちょっと勘違いしてただけです。」
俺は顔を真っ赤にしながら部屋を睨む。
「だってここに俺の部屋があるなんて思わないじゃないですか。
だからついですね・・・・てっきりウズメさんの部屋のことかと・・・・、」
「婚約者がいるのに、私の部屋に住めなんて言うはずないでしょ。」
「・・・・・ですよね。」
すっごく恥ずかしくなって、《俺、やっぱりアホなんだな》と項垂れた。
「やっぱり妙なこと期待してた?」
「してません!」
「でも勘違いしたままついて来たってことは、一緒に住むつもりだったってことでしょ?」
「う、あ、それは・・・・・・、」
「やっぱり下心があったんでしょ?」
「う、うむう・・・・・ぬううおお・・・・・、」
この人、なんでこんなに嬉しそうなんだ・・・・。
ニヤニヤして、まるで俺をからかう時のマサカリたちみたいだ。
「こ、これは誘導尋問だ!誰か弁護士を・・・・、」
「ふふふ、冗談よ。」
「冗談がキツいですよ・・・・。」
「はい、コレ鍵ね。」
「え?あ・・・・ありがとうございます。」
「お礼なんていいわよ。これはたまきが買ったもんだし。」
「買う!ここって分譲マンションなんですか?」
「当然よ。こんな所の家賃、君が払えるわけないでしょ。」
「・・・・・・・・・・。」
「そう恐縮しなくてもいいって。たまきはこれでも足りないと思ってるくらいなんだから。」
「アイツ・・・・なんでそんなに金持ってんだ?」
分譲マンションなんてもらって、恐縮しない方がおかしい。
するとウズメさんは「仕事よ仕事」と言った。
「ここは君の住居兼仕事場。」
そう言ってトントンと表札を指さす。
「動物探偵、有川悠一事務所。これはお礼でもあるけど、君への期待も込めてるのよ。」
「期待?」
「君は一人前になった。だからこれからはたまきの戦友ってわけ。
だったら仕事場もそれなりじゃないと。」
「はあ・・・・・。」
「気のない返事をしない。せっかく与えてもらった立派な仕事場なんだから、ビシっとしなさい!」
バシン!と背中を叩いて、「それじゃ」と去って行く。
「私はこがねの湯があるから。」
「あ、あの・・・・今回も助けてもらって、ありがとうございました!」
ペコっと頭を下げると、ヒラヒラと手を振りながらエレベーターに消えていった。
「俺の・・・新しい仕事場。」
ここは立派なマンションだ。
仮に賃貸だとしても、決して俺の給料じゃ払えないような場所だ。
「なんかオシャレだし、ドアも立派だな。・・・・どれ、ちょっと覗いてみるか。」
この向こうにはマサカリ達が待っている。
部屋を見るのも楽しみだけど、それ以上に動物たちの反応が楽しみだった。
《マイちゃんは無事で、一年後には戻って来れる。きっとみんな喜ぶぞ。》
ウキウキしながら鍵を挿す。
そして「ただいま!」とドアを開けた。
「お前ら喜べ!マイちゃんは無事だ!そして一年後には戻って来れ・・・・・、」
そう言いかけて、口を噤んだ。
「・・・・・・・・・・。」
動物たちは背中を向けている。
広い部屋の中で、中央に集まって佇んでいる。
でも・・・・一匹足りない。
マサカリ、モンブラン、チュウベエ、マリナ。
みんなは黙ったまま、ある一点を見つめていた。
「・・・・・・・・。」
俺は黙って部屋に入る。
ドアを閉め、靴を脱ぎ、ゆっくりとマサカリ達に近づいた。
「お迎え・・・・・・来たんだな。」
そう尋ねると、マサカリが「ああ・・・・」と答えた。
「逝っちまいやがった。」
「そっか・・・・・。」
「ついさっきだ。パタンと倒れて、そのまま眠るみてえに・・・・・、」
みんなの見つめる先に、カモンが倒れている。
眠っているように見えるけど、でも・・・・もう動かない。
どんなに呼んでも起きることはない。
俺は膝をつき、そっと手に乗せた。
「カモン・・・・・。」
小さな身体を撫でる。
微かに体温が残っていて、本当についさっき旅立ったようだ。
「ありがとう・・・・最後まで手伝ってくれて。お前がいなかったら、俺はどうなってたか。」
ホワンに連れ去られる時、コイツも一緒についてきた。
あの金印を持って。
もしもあれがなければ、ホワンは正気に戻ることはなかった。
そうなれば依頼は失敗、俺だってどうなっていたことか・・・・。
「とうに命のロウソクは尽きてたのに・・・・・。ほんとに・・・・ほんとにありがとう。」
残っていた体温は、ゆっくりと消えていく。
身体は硬くなり、無機物のように冷たくなっていく。
カモンの魂は、もうここにはいない。
きっと天使か仏さんの手に乗って、遠い世界へ旅立って行ったんだ。
悲しい・・・・・けど涙は出ない。
どうして分からないけど、泣くことが出来なかった。
それはカモンが天寿を全うしたからか?
それとも後から大きな悲しみがやってきて、その時に涙するのか?
どちらか分からないけど、なぜか妙に静かな気持ちだった。
動物たちも神妙な顔をしている。
普段はどんな事でも茶化すのに、この時だけは何も喋らない。
モンブランは俺を見上げ「なんで・・・・?」と言った。
「なんでもっと早く戻って来てくれなかったの!」
泣きながら猫パンチする。
「もうちょっと早く戻って来てくれたら、カモンを看取ってあげられたのに!」
「ごめん・・・・・。」
「コマチさんに会ってデレデレしてたんでしょ!」
「・・・・・・・・・・。」
「そんなのカモンが可哀想よ!もう・・・二度と会えないのに・・・・。」
モンブランは「うわあああああん!」と泣き出す。
「ヤだよおおおお!もう会えないなんて!戻って来てよおおおお!」
モンブランを抱え、「ごめんな」と謝る。
「最後の瞬間にいなくて悪かった。」
広い部屋が震えるほど泣く。
マリナもグスっと泣いて、マサカリも辛そうな顔をしていた。
チュウベエはカモンの所に飛んできて、そっと羽を伸ばした。
「餞別だ、持ってけ。」
羽に隠していたミルワームの切れ端。
それをカモンの傍に置く。
今日、一人の仲間がいなくなった。
我が家で一番の毒舌で、我が家で一番の小さな仲間が。
でも小さな身体とは反対に、気は大きかった。
みんながビビるような中でも、コイツだけは逃げなかった。
いったい今までどれほど助けてもらっただろう。
この小さな身体を張って、俺の為に、動物の為に、どれだけ頑張ってくれただろう。
「カモン・・・・俺な、たまきからお墨付きをもらったんだ。
これからは師弟じゃなくて、戦友だとさ。
だからもう何も心配しないでくれ。安心して・・・・・ゆっくり眠ってくれ。」
尽きたロウソクが燃え続けたのは、俺の心配してのこと。
それがなくなった今、手を振って旅立って行ったような気がした。
部屋の中は静かで、泣き声だけが響く。
俺も泣きたいけど、でも涙が出てこない。
動かなくなったカモンを抱いたまま、じっと座り込んでいた。
ワラビとモズク