松本孝弘ソロの名作「街」

  • 2017.08.31 Thursday
  • 10:02

JUGEMテーマ:音楽

昨日は稲葉さんソロの名作を書きました。

今日は松本さんソロの名作を紹介します。

松本さんのソロ作品に「華」というアルバムがあります。

歌が入っていないインストゥルメンタルというやつです。

このアルバムの四曲目に「街」という曲が入っています。

静かなイントロから始まるギターの音。

この時点で曲の世界に惹き込まれてしまいます。

穏やかだけど力強いメロディーは、過ぎていく街の明かりのよう。

夜の中に浮かぶイルミネーションは、自然の美しさとは違った情緒があります。

満たされた幸せの中にいるのではなく、辛いことや孤独を感じながら、過行く街の光に希望をもらっているような感覚です。

これは私のイメージですが、この曲には、街の明かりを眺めている人物がいるはずです。

その人は何かが理由で街を離れなければならなくなったのでしょう。

それもあまり良い理由ではないはずです。

だけどこの街で過ごした時間は無駄ではなかったと、街の明かりが語り掛けているように思えるんです。

この曲には歌詞ないので、どういった内容なのかは分かりません。

だけど逆に言えば、ファンがそれぞれ自由に解釈できるということでもあります。

松本さんは、以前は自分の曲がBGMとして聴かれるなんて耐えられなかったそうです。

しかし「華」というアルバムを作る頃、自分の曲がそういう風に聴かれるのもいいんじゃないかと思えるようになったそうです。

自分の作った曲が空間を彩ったり、そのおかげで仕事が捗るとか、落ち着くというのなら、それも音楽の大事な役割じゃないかと。

けっこう古いインタビューでしたが、そのようなことを仰っていました。

松本さんの曲は、聴いているだけで心が穏やかになる曲が多いです。

でも勇気も湧いてくるんですよ。

歌詞がないからこそ音の凄みが伝わる。

インストゥルメンタルならではの良さだと思います。

しんどいと思った時、何度も「街」という曲に助けられました。

私の中では、松本さんソロの中で1、2を争う名曲です。

 

稲葉浩志ソロの名作「静かな雨」

  • 2017.08.30 Wednesday
  • 09:26

JUGEMテーマ:音楽

稲葉さんのソロには良い歌がたくさんあります。

その中でも「静かな雨」という曲は、寂しいノスタルジーが漂う名曲です。

朝、主人公は車に乗って仕事に向かいます。

寝坊でもしたのか、ワイパーが雨を弾くのを眺めながら、どう遅刻の言い訳をしようか考えています。

いつもと変わらない朝、雨は鬱陶しく、気分はどんよりしていますが、ふと隣を見ると一台のタクシーが並びました。

そこにはかつて傍にいた、大事なに似た人が座っています。

その横顔を眺めていると、大事な人と過ごした時間が蘇ってきました。

しっとりと降る雨は音もなく、あまりの静寂に声も出せません。

でもそれは雨のせいだけではなく、隣に並んだ大事な人に似た人のせいでもあります。

道路は渋滞し、主人公も隣のタクシーもノロノロと進んでいきます。

それは主人公にとって嬉しいことでした。

どうせ遅刻するなら焦る必要もなく、大事な人によく似た人の顔を眺めていられるからです。

遠くには新しい病院が建っていて、雨のせいで屋上が霞んでいます。

まだ隣に大切な人がいた頃、あんな病院はりませんでした。

変わっていく街、変化する景色の中に感じるノスタルジー。

主人公は心の中で、そっと大事な人に語り掛けます。

隣に並んだ大事な人に似た人は、主人公の記憶をどこまでもくすぐります。

しかし永遠にというわけではありません。

やがて隣のタクシーは去って行きました。

さっきまでそこにいた大事な人によく似た人は、もうどこにもいません。

切なくて懐かしいノスタルジーの時間は終わり、目の前に現実が戻ってきます。

過ぎた時間は思い出の中にだけあって、どんなに望んでも昔に戻ることは出来ません。

静かな雨の中、主人公はハンドルを切って、交差点を曲がって行きました。

歌詞は主人公の現在と回想を行き来する物語のようになっています。

大事な人によく似たその人は、顔が似ているというだけで、もちろん別人です。

しかし別人であっても、その横顔は否応なしに記憶を蘇らせるっていう内容がいいです。

どっぷり記憶に浸かる主人公ですが、あの頃とは景色も違うので、ふと現実に戻ってくる生々しさも最高です。

大事な人によく似た人が隣に並び、一言も話さないっていうのも、哀愁を掻き立てます。

語りかけるのは心の中だけで、なぜならもう大事な人は隣にいないからです。

どんな理由で離れることになったのかは分かりませんが、今は一人のようです。

気分が上がらない雨の日、いつもより感傷的になっていると、ふとしたことで昔が蘇ったりします。

きっと主人公は、離れてしまった大事な人に縛られているわけではないと思います。

ただ日常のふとしたことで、当時のことが鮮明に思い浮かんだんでしょうね。

それは全て雨のせいです。

カラっと晴れていたならば、気分も上がり、ノスタルジーは記憶の中に留まったままだったでしょう。

鬱陶しい雨ではあるけど、時に良い気持ちに浸らせてくれることもあります。

曲調はスローテンポで、タイトルと同じように静かな感じです。

イントロのギターは雨の日の感傷を感じさせるほど切ない音です。

曲も歌詞もピタっとハマるほど一致しているので、歌の内容が何倍にも増幅されて伝わってきます。

稲葉さんソロにはノスタルジーな曲も多いですが、「静かな雨」は一番ノスタルジーに溢れているかもしれません。

聴いている時よりも、聴いた後の方が感動します。

小説にしろ映画にしろ、名作ほど素晴らしい余韻に満たされます。

もちろん見ている時、聴いている時も素晴らしいんだけど、その後にやってくる感動や哀愁の方が遥かに強いんです。

稲葉浩志ソロ「静かな雨」

雨の情景とノスタルジーが絡み合った名曲だと思います。

 

天使の階級

  • 2017.08.29 Tuesday
  • 12:39

JUGEMテーマ:神話・伝承全般

天使にはたくさんの階級があります。
大きく分けると三つ。
上級天使、中級天使、下級天使です。
それぞれの階級の中で、さらに三つに分けられています。
まずは上級天使。
最も上位に位置するのはセラフです。漢字だと熾天使(してんし)と書きます。
あの有名な四大天使、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエルがこの階級の天使です。
ミカエルは火、ガブリエルは水、ラファエルは風、ウリエルは土を司っています。
神の意志を受け取り、下の天使に命令を飛ばす立場なので、一番偉い天使たちですね。
次に偉いのはケルプという天使です。智天使(ちてんし)と書きます。
エデン(楽園)の見張り番をしていますが、神様がどこかへ行く時に、その玉座を運ぶ役目もあります。
永遠に楽園を見張る為、ほとんどその場から動くことがないそうです。
その姿はスフィンクスや狛犬に通ずるものがあります。
そして上級天使の最後はゾロネです。座天使(ざてんし)と書きます。
他の天使に比べて変わった姿をしていて、燃える車輪にたくさんの目が付いた姿とされています。
無数の目は人間を監視する為のものであり、知恵者には多くの知識を授けると言われています。
ここまでが上級天使、次は中級天使です。
中級天使で最も偉いのはドミニオンです。主天使(しゅてんし)と書きます。
ドミミオンは天界と人間界を繋ぐ役目を持っています。
セラフなどの上級天使は、基本的に人間界にはやって来ません。
代わりに中級以下の天使が人間界においての活動を果たします。
その最高位がドミニオンであり、いわば地上の支配者ということになります。
人間の世界でいうなら、現場を任された本部長みたいな感じです。
その下に位置するのはヴァーチャーです。力天使(りきてんし)と書きます。
キリストが天へ旅立つ時、二人のガーチャーが付き添ったと言われています。
美徳を司り、人々に恩恵を与える優しい天使です。
そして中級天使の最後はパワー。能天使(のうてんし)と書きます。
ヴァーチャーが優しい天使であるのに対し、こちらはちょっと怖い天使です。
というのも、パワーの一番の仕事は悪魔との戦い。
だからいつだって完全武装して、悪を見張っています。
善と悪のバランサーを果たす天使でもあり、そのせいか不安定な性格をしています。
ルシフェルが神に背いて戦いを仕掛けた時、彼について天界を去ったのもパワーが一番多いそうです。
そしてここからは下級天使です。
下級天使の最高位はプリンシパリティです。漢字だと権天使(ごんてんし)と書きます。
プリンシパリティは国を守護する天使とされています。
文明を監視したり、それを守ったりという役目もあります。
そのせいか、ちょっと頭の固い性格をしているそうです。
その下に位置するのはアークエンジェルです。漢字だと大天使(だいてんし)と書きます。
天使の最高位に位置する四大天使は、実はこのアークエンジェルの出身です。
ルシフェルが神に背いた際、最も大きな戦果を挙げた為に、セラフに昇格したのです。
アークエンジェルは階級が低い天使ですが、それゆえに人の近い場所にいる天使でもあります。
ミカエルたちが出世したのは、戦果を挙げたからだけではなく、身近に人間を見ていて、どうすれば導けるかを知っていたからかもしれません。
そして最後はエンジェル。そのまんま天使と書きます。
一番下の階級ではありますが、人間に一番身近な天使でもあります。
白い服をまとい、白い翼を持つ美しい容姿をしています。
一般的にイメージされる天使が、このエンジェルです。
プリンシパリティが国家を護るのに対し、エンジェルは個人を守るとされています。
ただし全員ではなく、罪のない者や善人の守護を行うとされています。
個人を守るので、一人の人間に一人の天使がつくわけです。
天使に性別はないそうですが、エンジェルの場合は、守護する人間とは反対の性別の傾向を持つようになるそうです。
こういった部分も、人間に身近な天使であるがゆえの特徴なのでしょう。
天使は上級、中級、下級と分かれ、さらにそれぞれ三つの階級に分かれます。
全部で九つの階級なわけです。
意外と縦社会だし、出世争いも大変そうです。
だけどミカエルたちはアークエンジェルからセラフにまで上り詰めたので、大出世を狙って頑張っている天使もいることでしょう。
天使と一口に言っても、中の世界は複雑な様子。
天界は天界で、色々と大変そうですね。

 

人を使うのが上手い人

  • 2017.08.28 Monday
  • 11:42

JUGEMテーマ:社会の出来事

自分に大した才能がなくても成功する人はいます。
そういう人には共通してある特徴があるように思います。
それは人を使うのが上手いということ。
自身に能力がないなら、他人にやらせればいい。
喧嘩が弱いなら強い人間に戦わせればいいし、計算が苦手なら得意な人間にやらせればいい。
以前に堀江貴文さんが「社長はバカが多い」と言っていました。
クイズ番組に出ても大したことはなく、それよりも優秀なサラリーマンの方が手強いと。
しかしこの言葉、決して貶しているだけではありません。
バカだからこそリスクを恐れずに突き進める。
バカだからこそ新しい道を開拓できる。
よく「男はバカだよね〜」という女がいますが、男がバカじゃなかったらここまで文明が発展していなかったでしょう。
冗談で「男はバカだね〜」は全然笑って許せますが、本気で言う女には腹が立ちます。
子供のゲーム機を破壊した某バイオリニストとかね。
男はバカだからこそ色んな壁を突破してきたんです。
もちろんそこには女の支えや理解もあったでしょうが、風穴空けたのは男なんですよ。
関西には上沼恵美子さんという、島田紳助さんや上岡龍太郎さんに匹敵する毒舌芸人さんがいます。
名刀のような切れ味の毒を連発して、それはもうかなりキツイことも言います。
だけど面白いんですよ。
なぜなら優しさを併せ持っているからです。
本当にどうしようもない相手はボロクソに叩くけど、たかじんさん亡き今、こういうことを言ってくれるのは上沼さんしかいません。
あのトーク力と目力の前では、よっぽど腹の据わった人じゃなければ反論出来ないでしょう。
それに上沼さんって、若手のタレントさんや、バラエティに慣れていない人には優しいんです。
これからテレビに出ようって人には、ちゃんと見せ場を与えてくれるし、黙って話を聞いて、最後は盛り上げてくれます。
だから男女問わず人気があるんですよ。
某バイオリニストとか某「このハゲ〜!」の絶叫系議員とかは全然ダメです。
だから良い意味でバカな男がいたなら、暖かく見守ってやって下さい。
きっと何かすごいことをやり遂げますよ。
悪いバカならさっさと捨ててしまえばいいだけです。
ちょっと話が脱線してしまいました。
というのも、動物や自然を紹介する大好きな番組を見ていたら、その動物に絡めて性別を煽るような余計な演出が入っていたので、腹が立ったんです。
自然や動物の世界にまでそんなもんを絡めてくるとは、演出家がダメなのかプロデューサーがダメのか。
家族揃って見られる数少ない番組で、下らん演出を絡めてくる某国営放送には呆れものです。
そんなんだから誰も受信料を払いたがらないんすよ。
バカは偉大なんです。
例えばアメリカ人を例にしてみましょう。
テレビのお馬鹿映像って半分くらいはアメリカ人です。
でもだからこそすごいんですよ。
頭がいいとか優秀だとか、それよりも大事なのはチャレンジ精神です。
日本は技術大国ではあるけど、発明はアメリカやドイツの方が得意なんです。
日本が得意なのは、発明品に磨きをかけることです。
それはそれですごいことだけど、元の発明がなければ磨きをかけることはできません。
バカは偉大です。
そしてバカな人ほど人を使うのも上手なんです。
人に命令する時、「偉そうに言ってるけど、自分が出来ないくせにこんな命令してもいいんだろうか・・・」なんて考えるなら、人を使うことは無理でしょう。
自分が出来ないから他人に任せる。もっといえばやらせているんです。
社長や店長は大して働かないのに、偉そうに命令されて腹が立つこともあります。
しかし社長が会社を興さなければそこで働けなかったわけだし、店長がいなければアルバイトや平社員が責任を追及されてしまいます。
「文句があるなら他所へ行け!」とか「偉そうに言うならお前が代わりをやってみろ!」とか、パワハラまがいの事を言われることもあります。
だけどこれって的を射ていて、肩書も責任もないのに、言葉だけ一人前でも相手にされません。
自由な発言が出来る社風を・・・というのは、耳ざわりはいいです。
しかしそれを勘違いして、責任も能力もないのに口だけ一人前になってしまう人が育つ可能性もあります。
以前に友人から聞いた話ですが、その子の友達が職場の後輩のミスを注意をしたところ、後から一枚の紙を持って抗議に来たそうです。
その紙にはゆとり世代の特徴が書かれていました。
パソコンからプリントアウトしたそうです。
「自分らはこういう世代なんで、これ読んで理解して下さい」とのことだそうです。
・・・・アホくさいの一言に尽きますね。
若者をまとめて「ゆとり」と叩くのは間違いです。
今の若い世代ってけっこうしっかりしていますよ。
むしろ私が学生時代の方が酷かったと思います。
学級崩壊の全盛期で、やんちゃな生徒のせいで精神的に追い詰められ、辞めてしまった先生を二人ほど知っています。
私が言いたいのは、自由な社風のデメリットとして、身勝手な社員が育つ可能性があるということです。
そこで必要になるのが人を使うのが上手い人です。
上にも書いたけど、そういう人って基本的に相手のことは考えません。
「やれと言ったらやれ!」の精神です。
自分が大したことは出来なくても、バカであるがゆえに、偉そうに命令ができるわけです。
しかしそこには肩書があったり、大きな責任を背負う立場であったりするので、刃向うことは難しいです。
「こんな紙キレ持ってきて自分を理解してくれとは何事だ!自分の置かれた立場を理解するのはお前の方なんだよ!」
肩書や背負っている責任をバックにそう言われたら、反論するのは難しいです。
「偉そうに言うならお前が代わりをやってみろ!それが嫌なら転職でもしろ!会社はここだけじゃないんだからな!!」
圧倒的なパワハラですが、なんでも○○ハラと付ければ認められるわけじゃありません。
暴力を受けているとか、性的な嫌がらせを受けているとか、そいうことでもない限りは、○○ハラなんて中々通らないでしょう。
人を使うのが上手い人は、かなり自分勝手です。
なんて嫌な奴だろうと思うし、コイツさえいなければ良い職場なのにと思うこともあります。
しかしそういう人が抜けると、途端に職場が崩壊することってあるんですよ。
新しい社長や店長は優しいけど、なぜか前よりも仕事が大変になったという経験はありませんか?
いかに自分勝手でバカだろうが、堂々と命令を下せる人間が必要だからです。
感情的には許せなくても、人を使うのが上手い人がいなければ、組織は回りづらいものだと思います。

 

禁止している格闘技もあるほど強力!肘打ちと膝蹴り

  • 2017.08.27 Sunday
  • 10:38

JUGEMテーマ:格闘技全般

ムエタイにはパンチやキックの他に、肘打ちと膝蹴りがあります。
キックボクシングや空手でもありますね。
そして膝蹴りは多くの格闘技でOKなのに対し、肘打ちは禁止されていることが多いです。
K−1でも肘は禁止されていました。
理由は危ないから。
格闘漫画のケンイチでも言っていましたが、ムエタイの達人アパチャイ曰く「肘は下手すると人を殺してしまう」だそうです。
例えば拳の場合、強く鍛えるまで時間がかかります。
手って小さな骨が密集して出来ているんですよ。
だから本来は脆い部位なんです。(その分器用な動きが可能ですが)
素人が素手で殴ると、拳を痛めることが多いです。
最悪は骨折するんですよ。
鍛えた拳であっても、何度も殴れば腫れ上がるそうです。
ハードパンチャーのボクサーが拳を痛めやすいのはこの為です。
拳は元々が弱く、鍛えてなんぼの武器なんですよ。
反面、複雑な動きやコンビネーションが可能なので、もちろん強い武器でもありますよ。
しかし肘は違います。
手のように小さな骨が密集しているわけではありません。
硬い一つの骨なんですよ。
しかも尖っています。
空手には指先で相手を攻撃する貫手という技がありますが、実際に使えるようになるまで、相当な鍛錬を必要とするそうです。
指が折れることもあるほどなのだとか。
でも肘は最初から尖って硬いんです。
素人の肘でも、まともに当たれば大ダメージでしょう。
ただしリーチが短いので、当てるのは難しいです。
その代わり使いこなせるようになったら、すごい威力を発揮します。
ブアカーオの試合を見ていると、超接近戦になると肘を使っています。
あとは突進してくる相手に対してカウンターで当てるとか。
パンチよりも距離を必要としないのが肘で、ゼロ距離射程で打てるんです。
しかもカウンターで使えば、ただ肘をつき出すだけで、相手は自滅します。
すごい強力な武器なんですよ。
膝も同様です。
腹にめり込んだ場合の威力は、ボディブローとは比較にならないでしょう。
顎に入れば即KOです。
しかも肘と同じく超近距離で使用可能です。
だから相手を抱え込んだ状態から連打することが出来るんです。
抱え込んでからの膝蹴りは、やられる方にとっては地獄でしょうね。
K−1は膝蹴りOKですが、抱え込んでの膝蹴りは禁止していたはずです。(単発ならOKだったような気もしますが)
ボクサーがムエタイ選手やキックボクサーと戦う時、キックを一番警戒します。
パンチより距離が長いから、離れて戦えば何も出来ないからです。
だからどうにか接近しようとするんだけど・・・・。
その先に待っているのは、肘打ちのカウンターか、抱え込んでの膝蹴りです。
組技の選手も同じです。
打撃じゃ分が悪いから、どうにか組み付こうとします。
しかし油断していると肘や膝の餌食になります。
実際に総合格闘家のタックルを、膝蹴りでKOしたK−1ファイターもいます。
オタクの格闘家といわれる長島自演乙雄一郎さんです。
肘と膝はとにかく強力、素人でもそれなりの威力を発揮します。
しかしその分危険な技なので、禁止している格闘技もあるわけです。
肘と膝を自在に使いこなすムエタイ選手は、他の格闘家にとっては脅威でしょうね。

 

心霊映像は本物なのか?

  • 2017.08.26 Saturday
  • 10:58

JUGEMテーマ:日常

心霊映像は本物なのでしょうか?
私は写真屋で働いていたことがありますが、心霊写真は見たことがありません。
というより、心霊写真なんてありません。
あれってほとんど説明が付くんですよ。
人間の目の錯覚だったり、上手く合成したものだったり。
光の反射せいで、人魂のようなものが映りこむ場合もあります。
しかしどれも幽霊なんかじゃありません。
・・・ただし、過去に一度だけ説明の付かない写真を見たことはありますが。
かと言って「心霊写真は実在する!」と結論を出すのは早計です。
私は基本、心霊写真は無いと思っていますので。
では動画ならどうでしょう?
本物の幽霊が映ることがあるんでしょうか?
ネット上でもよく話題になる心霊映像が二つあります。
一つは掛け軸に描かれた人物の目が開いてたというやつです。
確か生首を描いた絵だったはずです。
最初は目が閉じていたのに、VTRからスタジオに映像が戻ると、カっと目を見開いているんですよ。
昔、テレビでこれを見た時、めちゃくちゃ怖かったのを覚えています。
では今ならどうか?
実はあれ、ハエが目の部分にくっ付いていただけなんじゃないかって話があるんです。
というのも、生首の目が開く前、鼻の近くに黒い点があったんですよ。
そして目が開いたとされる映像の時、その黒い点は消えていました。
代わりに閉じた目の真ん中に黒い点がありました。
鼻の傍にあった黒い点と、目を開けた時の黒い点、ほぼ同じ大きさなんです。
つまり鼻の辺りにとまっていたハエが、目の部分へ移動し、それが瞳のように見えて、目が開いているような感じになったのではないかということです。
私はハエ説が正しいと思います。
目が開いたといっても、目の部分に黒い点が出現しただけ。
本当に目を開いたなら、もっと変わると思うんですよ。
そして何より、鼻の近くにあった黒い点が消えていたこと。
ハエが目の部分に移動したとしか考えられません。
では次に気になる心霊映像。
これもネットでは有名です。
その名も「顔にゅー」
どのような映像かというと、部屋の中で男性がジャンプするんです。
するとその男性は消えてしまい、代わりに窓の向こうから人の顔が「にゅー」っと出て来る映像です。
かなり怖いと話題の映像で、新旧の二つがあるそうです。
そして怖いのは古いやつの方だとか。
実は私も子供の頃にテレビで見ました。
その時の感想は「作り物やん」です。
掛け軸の映像は怖かったんです。
だってまさかハエが正体だなんて思わないじゃないですか。
だけど「顔にゅー」の方は、どう見ても作り物臭かったんです。
窓から幽霊が出て来るのは・・・まあよしとしましょう。
なんでジャンプした男性が消えるのか?
そしてどうして男性が消えた後に顔が出て来るのか?
・・・・これってただの演出なんでしょうね。
普通に顔が出てくるよりも、ジャンプした男性が消えるという怪奇現象。そこへ畳みかけるような幽霊の出現。
恐怖のコンボを狙っているんですよ。
だからこそあまり怖くありませんでした。
ちなみに旧作の方が怖いと言われているそうですが、なんとなく理由は分かります。
写真にしろ動画にしろ、画質が悪い方が恐怖を感じるんですよ。
例えば高画質なデジカメで撮った写真は、綺麗だと感じます。
しかし防犯カメラの映像って不気味でしょう?
あれって画質が悪いからなんですよ。
もしも4K動画みたいに綺麗な映像なら、恐怖感はあまり感じなくなるでしょう。
写真にしろ動画にしろ、粗い画質の方が不気味。
だから旧作は怖いということなんだと思います。
心霊写真なんてありません。
そして心霊動画は・・・・・多分ないと思います。
たま〜に「これ本物か?」と思うことはありますが、真実が分からない以上、幽霊と断定することはできません。
心霊映像はきっとないでしょう。
だけど見ていると怖くなるのも事実です。
人気があるのも分かります。
あのゾクっとする恐怖、あれって一種の快感なんですよね。
心霊映像が本物かどうか?
小難しいことを考えずに、お化け屋敷だと思えば楽しめます。

 

外を見る

  • 2017.08.25 Friday
  • 10:18

JUGEMテーマ:写真

 

 

 

 

 

遮る物がない空っていいですね。

高くそびえるのは山だけです。

 

 

 

 

 

 

 

人って彩のある景色を見た方が長生きするそうですよ。

特に緑は目にいいんだとか。

パソコンやスマホばかりやっていると、眼精疲労も馬鹿になりません。

私はこの前真っ赤に充血しました。

外の景色を見るっていうのは、とても大事なことですね。

 

肌が弱くても夏を乗り切る

  • 2017.08.24 Thursday
  • 12:56

JUGEMテーマ:日常

八月も下旬ですが、まだまだ陽射しは強いです。
私は肌が白いので、強い陽射しは天敵です。
子供の頃、運動会や体育の時間に、他の子はどんどん焼けていきまました。
だけど肌が白いと赤焼けするだけで、小麦色にはなりません。
それどころか低温火傷みたいな感じになって、服が擦れただけでもヒリヒリしていました。
真っ赤な肌は、そのうちボロボロと崩れてきます。
そして最後は元の白い肌に戻り、残るのはほくろとシミだけ。
なので皮膚の弱い部分にはたくさんほくろがあります。
ほくろって皮膚病の元になることもあるそうなので、けっこう怖いんですよ。
全部のほくろが悪性なわけじゃないけど、メラノーマっていう怖い皮膚疾患があるんです。
ほうっておくと皮膚がんになると聞いてから、ほくろには神経質になっています。
夏、海や川で遊ぶのは楽しいです。
だけど肌が弱いとどうしても日焼けを気にしてしまって、思う存分楽しめないこともあります。
あれは何年前だったか、海へ行った時のことです。
いつもは日焼け止めを塗るんだけど、面倒くさいからと使わなかったんです。
するともうダメです。
次の日には全身真っ赤っか。
海パン以外の場所は茹でたようになっていました。
肌のダメージって歳をとってから出てくると聞きます。
今はまだよくても、そいのうち皮膚病になるんじゃないかと思うと、やっぱり強い陽射しは敬遠してしまいます。
ていうか最近、おでこも広くなってきたんですよ。
生え際の退却が始まってきたんです。
孫正義社長は「生え際が後退しているのではない。私が前進しているのだ」と名言を残しました。
あのブルースウィルスも「男ってのは髪の量で決まるんじゃない。ハートの量で決まるんだ」と熱い言葉を残しています。
涙腺が崩壊ものですよ。
肌が弱かろうが髪が後退を始めようが、「なんぼのもんじゃい!」ってな感じで、夏を乗り切りたいですね。

 

待ち遠しい秋

  • 2017.08.23 Wednesday
  • 09:13

JUGEMテーマ:写真

 

 

 

 

 

朝晩、だんだんと涼しくなってきました。

セミの合唱はまだ賑やかですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れはもう秋の風情があります。

秋は一番過ごしやすく、一番短い季節です。

夏の終わりになると、秋が待ち遠しくなりますね。

 

漫画や小説の道で死なないで下さい

  • 2017.08.22 Tuesday
  • 11:08

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

JUGEMテーマ:ライトノベル

最近知ったんですが、ライトノベルの作家さんって、早死にする人が多いんですね。
けっこう有名な作品の作家さんも亡くなられていて驚きました。
短命の職業って他にもあります。
例えば「漫画家は早死にする」って言葉がありますね。
これ、なんとなくわかります。
何日も徹夜したり、ぶっ通しで何十時間も描いたり。
それに毎週出るアンケートへの恐怖だったり、いつ打ち切りになるか分からないプレッシャーだったり。
肉体的にも精神的にも半端じゃない負担でしょう。
力士も短命の人が多いそうです。
過酷な稽古、衝撃が一トンにもなる立ち合いのぶちかまし。
そういったダメージって、確実に体の中に残るそうです。
若い時は平気でも、歳を取ってから出て来るんだとか。
力士だけじゃなく、プロのアスリートって寿命を削っていますよ。
常人では耐えらえないトレーニングをしたり、試合後は倒れるほど疲弊したり。
いかな天才であろうと人間は人間ですから、現役時代にため込んだダメージは、確実に肉体を蝕んでいくんでしょう。
そういえば以前、サンデルという哲学者が話題になりました。
色々なテーマを扱っている学者さんだそうですが、その中にスポーツに触れる部分もあるそうです。
「試合に勝つ為とはいえ、肉体に負担の掛かり過ぎる過酷なトレーニングを続けるのは正しいことなのか」
そういった具合の内容です。
例えば薬の使用にしても、病気から快復する為の使用ならば正しい。
しかし身体能力を上げる為に薬を使うのは間違いである。
こういった話もあるそうです。
わざわざ副作用の強い薬を使ってまで、超人になる必要はないってことです。
一時は力を発揮しても、現役が終わってからそのツケを払うことになるからでしょう。
ステロイドを使い過ぎたボディビルダーが、筋肉の肥大化によって日常生活がままならなくこともあるそうです。
酷い時なんか、肥大化した筋肉が破裂してしまうそうですよ。
大きくなり過ぎた筋肉に、肉体の強度がついていかないんでしょう。
刀で切ったように肉が割れて、辛そうにしている写真を見たことがあります。
勝つ為とはいえ、寿命を削る行為は正しくないと思います。
まだ戦えるとアピールするグロッキー状態のボクサーは、レフェリーやセコンドによって試合を止められます。
「ボクシングはそこまでするもんじゃない」
スポーツで命を落としてどうするんだってことでしょう。
きっと全てのスポーツに当てはまる理屈だと思います。
そう考えると、芸術だって同じなんでしょうね。
漫画にしろライトノベルにしろ、寿命を削ってまでやることなのか?
読んでいる方は楽しくても、作家自身は寿命を削られていくんです。
どんな名作だってずっとヒットするわけはなくて、いつか新しい世代の作品に取って代わられます。
その時、自分の手元にはいったい何が残っているのか?
一生安泰なほどの収入があるなら、やる意味もあったでしょう。
連載が終わっても人気を保つなら、それも大きな意味があります。
でもその代償として、鳥山先生はペンを握っただけで蕁麻疹が出るようになったそうです。
ドラゴンボールは押しも押されもしないヒット作だけど、もしも早くに連載を終えていたら、あと2、3本はいいのが描けたと、育ての親の鳥嶋和彦さんが言っていました。
今振り返ると、フリーザ編で完結すべきだったと。
かの名女優、オードリー・ヘプバーンはこんな言葉を残しています
「自分の人生を振り返った時、映画しかないという事態は絶対に避けたかった」
彼女は女優業を引退し、貧しい国の子供の為にボランティアを始めました。
どうしてそんなことを始めたのか?
それは上の言葉が示していると思います。
女優を全うするのが良いことなのかどうなのかは別として、少なくともオードリー・ヘプバーンにとっては、それは望んだ人生ではなかったということです。
どんな名作に出演しようが、それはフィクションの世界。
リアルはどこにもない。
空想の中を歩むだけの人生では、後から虚しくなると思ったのかもしれません。
どんなことだって、現実が先に立って、空想は後からついてくるものです。
そういえば禅の言葉で、こんなものがありますよ。
「禅をやる前、山はただの山であり、川はただの川であった。
禅を学んでからは、山はただの山ではなくなり、川はただの川ではなくなった。
禅を学び、悟りを開いて後、山はやはりただの山であり、川はただの川である。」
これって現実が最初にあって、のちに空想の世界に入り込み、最後はまた現実に戻ってきたって意味なんだと思います。
山や川に神秘を見るかどうかは自分次第です。
山も川も人間のことなんてお構いなしなんですから。
そのことの気づくかどうかって話なんでしょう。
空想の世界は必要だけど、どっぷり使っちゃダメです。
だってそこには何もないから。
現実という具体的な世界があって、そこから生まれる抽象的なイメージの世界は、言葉を変えればウソの世界ってことです。
想像することは可能でも、その世界に立つことは出来ないんです。
スポーツにしろ芸術にしろ、命削ってまでやるもんじゃない。
ある種苦行に似たその行いは、やっている時にはそれなりの快楽があるでしょう。
しかし目が覚めた時、賢い人間に体よく使われていただけだと気づくんです。
ブラック企業で「労働は無条件に善」といったような洗脳を受けるのと同じです。
過労死が待っているのに働くなんて矛盾していますからね。
どんなに漫画が好きだろうが、どんなにラノベが好きだろうが、死んだらお終いです。
必要以上の負担を強いる今の出版業界。
立派なブラック企業ですよ。
自殺や病気で亡くなる作家さんたち。
精神や肉体を病む作家さんたち。
これ以上増えてほしくありません。
生きていれば、また作品が作れるじゃありませんか。
大勢のファンを獲得することだけが、全てじゃないはずです。
マイナーになろうとも、好きだからとずっと追い続けるファンもいるんです。
そういうファンにとって、作家さんの死は一番悲しいんですよ。
好きなことがあるのはいいことだし、その道で飯を食いたいって気持ちも正しいと思います。
だけど作家の「好き」というその気持ちを、「儲け」にしか転換できない人たちもいるんです。
そしてそんな人たちの元でしか、本を出せないシステムって、作家にとってどれだけ不幸なことか。
作家は消耗品じゃありません。
生きた人間です。
もしも命の危機を感じたなら、無理してプロを続ける必要なんてないですよ。
生きていれば漫画も小説も書けるんです。
評価されることや、売れることだけが全てじゃないはずです。
「好き」だから始めたって気持ちを忘れなけれな、プロの道を蹴ったって、なんにも失わないですよ。
でも命を失ったら全部終わりです。
どうか死ぬ前に、そんな道から引き返して下さい。
私は趣味で小説や絵を描いていますが、とても幸せですよ。
その道で儲けられたらいいとか思うこともあるけど、そんな力量がないことは分かっています。
だけどそれでもいいんです。
好きなことがあって、それに没頭できるってだけで、本当に幸せなことなんですよ。
アマチュアの私にとって、プロの作家さんたちは雲の上の人です。
自分の手の届かない世界にいる人達なんです。
憧れや尊敬の念があります。
だからどうか早死にしないで下さい。
漫画家にしろ小説家にしろ、亡くなったとか自殺したとか聞いたら、すごいショックです。
だからどうか死なないで下さい。
なんでも現実が先に立つんです。
だから生きていれば、いつだって空想を描けるんですよ。
ここにいたら死ぬかもって思うなら、例えプロの肩書を捨ててでも逃げてほしいです。

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