蝶の咲く木 第二十六話 星を覆う羽(2)
- 2018.01.31 Wednesday
- 11:50
JUGEMテーマ:自作小説
我が子を・・・・いや、我が子の姿をした子供を抱きながら、私はただ怯えていた。
ワンルームマンションのような狭い部屋の中、見知らぬ家族と一緒に、ただ身を寄せ合っていた。
ここは核シェルター・・・・らしい。
いきなり自衛隊の人が家に来て、在日米軍の基地へ避難させられたのだ。
私だけじゃない。
普段着のお爺ちゃん、OL、土建屋さんっぽいツナギの人。たくさんの人がここへ連れてこられた。
私たちは地下へ続く階段へ案内されて、『あなたはここへ』とか『子供のいる人はこっちへ』と、それぞれに部屋を割り当てられた。
私と優馬が案内されたのは、ワンルームマンションのような部屋。
トイレもシャワーもテレビもあるし、椅子にテーブル、ベッドもあった。
備え付けの小さな棚には、着替えや歯ブラシなど生活用品が入っていた。生理用品や子供用のオムツまである。
いったいここはどこ・・・?と思っていると、後から入ってきた母娘に『ここ核シェルターらしいですよ』と言われたのだ。
『じゃあ本当に核ミサイルが飛んできたの?』
『それがよく分からないんだそうです・・・・。とにかく避難してくれってここへ連れて来られて。』
彼女もまた不安がっていた。
優馬よりちょっと年上の、4歳か5歳くらいの女の子を抱きながら、焦点の合わない虚ろな目をしていた。
・・・それから一時間ほど、私たちはここで身を寄せ合っている。
外の情報を知りたくてテレビを点けるが、どのチャンネルも砂嵐だった。
スマホも繋がらないし、パソコンもラジオもないし、焦りと不安は増すばかり。
優馬がトイレに行きたいというので、一度だけ席を立ったきりで、あとはぼうっと座りっぱなしだ。
《お父さん・・・大丈夫かな?》
もし核ミサイルが飛んで来たなら、あの街はいったいどうなってしまったんだろう?
《核ミサイルってどれくらい爆発するんだろう?やっぱり街くらい吹き飛ばしちゃうのかな・・・・。》
早く逃げろと電話をかけたが、なぜか急に電波が悪くなってしまった。
そういえば核爆弾が爆発したら、電波障害が起きるとニュースでやっていた。
それとも爆発そのものに巻き込まれて、お父さんはもう・・・・、
《怖い・・・・何がどうなってんのよ!》
家族の安否も分からない。
外の状況さえも分からない。
ていうか何が起きているのかさえ分からない。
叫びたい気持ちを抑えながら、「あの・・・」と隣に座る女性に尋ねた。
「娘さん・・・可愛いですね。」
いったい何を言ってるんだろう私は・・・・。
こんな時に他人の子供を褒めてどうする?
だけど沈黙していると不安で堪らないので、何か話しかけなければと思った。
「えらいですね、怯えずにじっとして。」
そう言ってニコっと笑いかけると、サっと目を逸らしてしまった。
「すいません・・・人見知りなんです。」
「そうなんだ。いま幾つですか?」
「来年保育園を卒業で・・・・。」
「じゃあ春には小学校に上がるんですね。」
「・・・今日はランドセルを見に行ってたんです。学校が斡旋してる業者のやつが可愛くなかったから・・・。」
「最近は可愛いやつとか増えてますもんね。私の頃は有無を言わさずコレ!って感じでしたけど。」
笑顔で言うと、「私の時もです」と少しだけ表情が緩んだ。
「ピンクの可愛いやつがあったんですけど、この子が青いのがいいって言って。」
「最近は女の子でも青いのとか背負ってる子いますよね。」
「そうなんです。でも私は女の子らしい方がいいからピンクにしようって言ったんですけど、青がいいって聞かないんです。
そのうち駄々こねちゃって、一緒に行ってた母がもう青でいいじゃないって。」
そう言う彼女の顔はちょっと不機嫌そうで、「分かります」と頷いた。
「ウチの親もそういうとこあるんですよ。この子の靴買う時に母がついて来て、全然私の好みじゃないやつ選んで。
だから結局二足買っちゃったんですよ。」
「ていうか親ってそんなもんですよね。すごい助かる存在だけど、鬱陶しいなって思う方がけっこうあったり。」
「うんうん。」
「でも今は絶対に父と母が必要なんです。私だけじゃなかなか子育ては辛くて・・・・。」
笑顔が消え、暗い顔になる。
「あの・・・失礼ですけどご主人は?」
「別れました。」
「ああ・・・ごめんなさい。」
「普段は優しいんですけど、ちょっとしたことで感情的になる人だったんです。子供が出来てからは特に・・・・。」
「・・・あの、答えたくなかったらいいんですけど、その・・・子供が好きじゃなかったんですか?ご主人。」
「はい。自分自身がちょっと子供っぽい所があって。ちょっとした喧嘩でも癇癪を起こすんです。そういう時は決まって手を挙げられました。」
「ええっと・・・・DVを・・・・ってことですか?」
「・・・・私だけなら我慢できたんです。良い所だってたくさんあるし、普段は優しいし。
それにストレスの溜まる仕事だったから、私が我慢して上手くいくならって。
だけどこの子に手を挙げるのだけは許せなくて・・・・。」
「まさか虐待してたんですか?」
「けっこう酷かったんです。庇う私を押しのけて、グーで殴る時も・・・、」
「はあ!?そんな小さな子に?」
「すごく物音に敏感な人で、この子がコップを落としたり、スプーンをガチャンって音立てただけでもう・・・・、」
「なにそれ!そんなんで小さな子を殴ってたの?」
俄然怒りが湧いてくる。
こんな状況の不安さえも押しのけて、心の隅々まで燃え上がるような感じがした。
「出来る限りこの子を守ろうとしてたんですけど、私だけじゃ限界があって・・・・。」
「そんなの当たり前よ。だって・・・失礼だけど、そんなにその・・・ねえ、喧嘩とか強そうに見えないし。あ、いや、貶してるとかじゃないわよ。」
「大丈夫です。唯一の救いは夫も華奢だったから、そこまで力は強くなかったっていうか・・・、」
「そういう問題じゃないわよ、虐待してる時点で問題なの。警察には?児童相談所とかには行った?」
「いえ・・・・なんかあの時、そういうことが思い浮かばなくて。私がどうにかしなきゃって。」
「きっと追い詰められて冷静に考えられなかったのね。でも自分を責めちゃダメよ。悪いのは全部その男なんだから。
ていうかあなたはえらいわ。身を挺して娘さんを守ろうとしたんだから。」
ポンポンと肩を撫でながら、「まあ私ならぶっ飛ばしてるけど」と目を釣り上げた。
「そういう男はあえて大人しそうな女を選ぶのよ。気の強い女だったら逆にやられちゃうから。」
「でもいい所もあったんです。この子にさえ手を挙げなきゃ・・・・、」
「暴力振るってる時点でNGよ。他のいい所なんて全部チャラ。だから別れたんでしょ?」
そう尋ねると、「虐待も理由の一つですけど・・・」と言いづらそうにした。
「どうしたの?・・・他にも辛いことが?」
「・・・・夫の嫌な所は暴力だけでした。でもそれ以上に我慢のできない所があって・・・・、」
「それ・・・聞いてもいいのかな?言いたくなかったら別に・・・、」
私が言い終える前に、「義父が・・・」と語りだした。
「旦那のお父さん?」
「はい・・・。最初はすごく真面目で良い人だなと思ったんですけど、ある日すごい嫌なものを見ちゃって・・・・。」
「嫌な物?」
「お義父さんは仕事であんまり家にいないから、掃除なんかもちゃんと出来てなくて。
それで近いうちに夫の祖母の法事があるから、家を掃除してほしいって頼まれたんです。」
「お義父さんから?」
「いえ、夫です。」
「なによそんなもん、自分でさせりゃいいのに。」
また苛立ちが湧いてくる。
相手方の実家の掃除なんて、私ならまっぴらごめんだ。
ていうか一緒に住んでないなら、向こうだって敬遠するのが普通だと思う。
「家を掃除する時、夫に言われてたんです。お義父さんの部屋だけはそのままでいいって。法事では使わないからって。」
「まあプライベートな空間だもんね、息子の嫁でも入れたくなかったのかも。」
「だから部屋に入る気はなかったんです。でも掃除機のパックが一杯になっちゃって、夫に替えはないのか聞いたんです。
そしたら父の部屋の横にあるって・・・・。
だから二階へ上がったんですけど、その時にお義父さんの部屋が開いてたんです。」
「じゃあ・・・部屋に入ったの?」
「閉めようと思ってドアに近づいただけだったんですけど・・・その時に中が見えちゃって。その瞬間にもう・・・すごい気持ちの悪いものが・・・、」
心底おぞましそうに言って、自分の腕をさすっている。
「いったい何があったの?まさか死体とかじゃないよね?」
冗談っぽく尋ねたつもりが、彼女は顔色を変えた。
「え?まさかほんとに死体が・・・、」
「さすがに死体はなかったけど、でも犯罪になるような物が・・・・、」
「なに?まさか麻薬とか?」
「違います・・・・。」
「じゃあ何?」
申し訳ないと思いながらも、好奇心が湧いてくる。
死体でもない、麻薬でもない、それでいて犯罪になるような物っていったい・・・。
「もしかして銃とか?」
「いえ・・・、」
「じゃあ・・・・刃物とか?刀とかナイフとか。」
「刀は仏間に飾ってあります。ちゃんと許可は取ってるって言ってました。」
「んん〜・・・・他に持ってて犯罪になるようなもんってあったっけ?」
死体でもない、麻薬でもない、武器でもない。
じゃあいったい・・・・、
「写真が・・・・、」
彼女がポツリと呟く。
「ドアの近くに落ちてたんです・・・・。」
「写真?なんの?」
「子供の・・・・。」
「子供?旦那が子供の頃の?」
「いえ・・・・違う子供です。小学生くらいの男の子の。」
「え?どういうこと・・・?」
「分かりません・・・・分かりませんけど・・・でも多分・・・そういう趣味なんじゃないかなって・・・・、」
彼女はとても言いづらそうにする。
私は少し考えて、「あのさ・・・」と尋ねた。
「それ、どういう写真だったの?」
「どういうって・・・・、」
「だから持ってて犯罪になるような写真ってことでしょ?じゃあつまり・・・・、」
「そうです。その写真には裸の子供が写ってました・・・・。」
「やっぱり・・・・。あ、でもさ、親戚の子供ってことはないのかな?どっかに海水浴とかに行って、たまたま着替えてるみたいな・・・、」
「そういう感じじゃないです。だって裸なのにランドセルを背負って、帽子を被ってるんです。
まっすぐにこっちを向いて、なんだか虚ろな表情の感じで・・・・。」
「・・・・もうアウトね、それ。」
「後ろはどっかの林みたいな感じで、バチっとフラッシュを炊いて撮ったような感じで・・・・、」
顔を歪めながら説明している・・・よほど思い出したくないのだろう。
私は「ごめんね・・・」と腕を撫でた。
「辛いこと聞いちゃって・・・・。」
「私・・・その写真が目に入った瞬間、石みたいに固まっちゃって・・・・。なんか言いようのない気持ち悪さでいっぱいになって・・・、」
「きっと誰だってそうなる。」
「これ、どうしたらいんだろうって考えてると、夫が二階へ上がって来たんです。
何してるんだ?って近づいて来たから、慌てて逃げ出して・・・・、」
「それからどうなったの?まさかまた暴力を・・・?」
「すぐに一階へ降りてきました。それで何事もなかったみたいにテレビを見てて・・・・、」
「なら旦那も動揺してたのかな?まさか自分の父親がそんな写真を持ってるなんて・・・、」
「いえ、知ってたと思います。」
彼女は強く言い切る。
ふうっとひと呼吸置いてから、「帰る時に・・・」と続けた。
「掃除を終えて帰る時に、車の中でこう言ってきたんです。誰にも言うなよって。」
「そりゃそう言うんじゃないの?もちろん悪いことだけど、息子としてはバラされたくないだろうから・・・、」
「私はそうは思いません。あれは絶対に昔から知ってる感じでした。」
「一緒にいてそう感じたの?」
「上手く言えないけど、なんかそう感じたんです。だって初めて知ったんだったら、あんな冷静じゃいられないと思うから。
もうこの事には触れるなって感じのオーラを出してて、それ以来一切話題にしてません。」
「そっか・・・・。旦那の父親がそんな趣味とはね・・・・。」
これは気持ち悪いとかそういうレベルじゃない。
私が彼女の立場なら、間違いなく夫を問い詰める。
もし真実なら「離婚するか?親と縁を切るか?」と迫るだろう。
だってそんなの当たり前だ。
自分自身が幼い子供を抱えているんだから。
身内にそんな奴がいると知ったら、とてもじゃないけど安心出来ない。
いつかこの子もターゲットになるんじゃないかと、気が気じゃなくなるだろう。
《可哀想に・・・・。》
怒りよりも同情の念が湧いてくる。
夫からはDVを受け、その父親は変態ときている。
いったい彼女の抱えていた苦しみはどれほどのものか。
「ちゃんと別れられた?嫌がらせとか受けてない?」
なんだか心配になってきて、「今は大丈夫なのよね?」と、どうか大丈夫と言ってくれと自分に言い聞かせる口調になってしまった。
「そういう男ってさ、相手を自分の所有物みたいに考えてるっていうじゃない。別れたあとも付きまとわれたりとかしてない?」
「一度復縁を迫られました・・・・。でももう一緒になる気なんてなくて・・・・。
あの時は父が代わりに追い返してくれました・・・・。それからは一切連絡はないです。」
「そう、よかった・・・。」
ホッと胸を撫で下ろす。
自分のことでもないのに、自分のことのように嬉しいのは、同じように幼い子供を持つ親だからかもしれない。
しかし安心したらまた不安が戻ってきた。
いったい外の様子はどうなっているのか?
お父さんは無事なのか?
優馬を抱き寄せて、今度は私の方が俯いてしまった。
「あの・・・大丈夫ですか?」
「ごめん・・・実はウチの旦那の安否が分からないの。」
「え?」
「ミサイルが飛んでくるかもしれない街にいたから・・・・、」
「うそ!大丈夫なんですか?」
「だからそれが分からないのよ・・・・。電話は急に切れちゃうし、いきなりこんな所に連れて来られるし・・・・。」
「すいません、なんか私だけ自分のこと話しちゃって・・・・。」
「そういえばあなたのご両親は?」
「分かりません・・・・。」
「ウチも。旦那だけじゃなくて、親がどうなったのかも分からない。」
「ほんとに核ミサイルが飛んできたんですかね・・・?」
「そうじゃないの・・・。じゃなきゃ核シェルターなんかに避難させられないでしょ。」
まさか自分が生きているうちにこんな事が起きるなんて思わなかった。
そりゃ祖父母から戦争の話は聞かされていたけど、どこか他人事のようで、いつも「はいはい」ってな感じで聞き流していた。
それが今・・・・こうして戦争になるかもしれない状況に置かれている。
「もし本当に核ミサイルなら、きっとアメリカが反撃するわよね。そうなったら自衛隊も戦うから、日本も戦争に・・・・・、」
「まだわかりませんよ!」
「でもそれしか考えられないじゃない!」
「だって戦争なんて嫌です!この子だっているのに・・・。」
「それは私も一緒よ!」
さっきまで話していたことが、もう頭から消えかかっていた。
そいつがどんなに酷い男であれ、私はそいつとは関係がない。
いつどうなるか分からない今の状況の方が、よっぽど不安だ。
「怖いね、何かに怯えなきゃいけないって。」
「そうですよ、ほんとに怖いんです。今でもたまに思い出す時があるし・・・・。」
「私の言葉なんて安っぽく聴こえたでしょ?」
「そんなこと・・・・、」
「大した経験もしてないのに、辛い思いをしてきたあなたに何が言えるのって話よ。」
「そんなことないです。こうして話を聞いてもらえてちょっと楽になったっていうか・・・。」
「ほんとに?」
「ほんとです。じゃないとすごく不安なままでした。いきなりこんな所に連れて来られて、これからどうなるんだろうって・・・・。
だから話を聞いてもらえただけで、すごく気が紛れたっていうか。」
「私も一緒。不安だから話しかけたの。私一人ならともかく、子供がいるから余計に不安で・・・、」
「子供がいるから冷静でいられるんだと思います。私は一人の方が怖いです。」
「・・・・確かにそうかも。」
そう・・・一人じゃないんだ。
この子は私の支えであり、そして私が支えてあげなきゃいけない。
例え今は他人に身体を乗っ取られてるとしても。
・・・また沈黙が降りてくる。
何か話したところで、もう不安を紛らわすことは出来ないだろう。
よくよく考えれば、いや・・・よくよく考えなくても、ここは戦争時に避難する場所なのだ。
こんな所へ閉じ込められるってことは、外はやっぱりそういう状況になってるんだろう。
「日本は・・・負けたりしないですよね?」
彼女は希望とも不安ともつかない声で言う。
きっと両方の感情が入り混じっているんだろう。
私は「負けることはないんじゃない」と返した。
「ほんとですか?」
「ていうかどこの国と戦うかによるでしょ。中国とかロシアが相手だったらマズいだろうけど。」
「やっぱりそうですよね・・・・。」
「でも日本が攻撃されたらアメリカだって戦うだろうし、侵略されるとかはないんじゃない。」
「でも戦争って、一対一でやる時代じゃないってテレビで専門家が言ってました。
だからアメリカが戦ったら、ロシアとか中国とかも出てくるんじゃ・・・・。」
「かもね。」
「そうなったら日本はどうなるんだろう・・・・。」
「大丈夫よ、アメリカは強いもん。」
「けど日本が戦場になるかもしれないじゃないですか!」
「・・・・・・・。」
「そうなったら戦争に勝ったって、日本はボロボロですよね?」
「・・・・・・・・。」
「そんなの嫌だ・・・。だって今日ランドセル見に行ってきたばっかりなのに・・・。
せっかく離婚して、ちゃんとこの子のこと育ててあげられると思ったのに・・・。」
ギュっと我が子を抱きしめて、必死に泣くのをこらえている。
彼女の言う通り、子供が支えになっているのだ。
そうでなきゃとうに泣いているんだろう。
「あっちゃん?」
とつぜん優馬が口を開く。
彼女の娘を見つめながら、「そっかあ・・・」と目を伏せていた。
「どうしたの?」
「・・・・・・・。」
優馬は無言のまま顔を近づけてくる。
そしてヒソヒソっと私に耳打ちをした。
「・・・・それほんと?」
「うん。」
「じゃあ・・・この子も・・・・、」
彼女の横顔をじっと睨む。
これは尋ねるべきか?
それとも・・・・、
「あのさ・・・・、」
気がつけば口が動いていた。
どう切り出せばいいのか分からないけど、流れに身を任せるしかない。
「実はウチの子が、その子のこと知ってるみたいなの。」
そう言うと「どこかで会いましたっけ・・・?」と、涙ぐんだ声で聞き返してきた。
「私は初対面なんだけど、この子は知ってるみたいで。」
「・・・・同じ幼稚園とかじゃないですよね。お子さんまだ小さいし。」
「幼稚園じゃない。」
「・・・じゃあどっかの公園で?」
「それも違う。」
「・・・買い物の時にお店でとか?」
「ううん、どれも違ってて・・・・ええっとね・・・・。」
どう尋ねるべきか、言葉に詰まってしまう。
ええい!ここまできたら本当のことを喋るしかなかろう。
「あのね、子供の国って知ってる?」
そう尋ねると、彼女は幽霊にでも出くわしたみたいに、これでもかと目を見開いた。
「いや、あの・・・・実はね、ウチの子・・・・ていうかウチの子であってウチの子じゃないんだけど・・・。
そのね・・・・この子、別人の魂が宿ってるのよ。」
優馬を膝に乗せて、彼女の方へ向けた。
「同じ名前の子供がね、ウチの子に宿っちゃって。それでその子が言うのよ。あなたの娘さんを知ってるって。」
「・・・・・・・・。」
また目を見開く。
それ以上開くと眼球が落ちるんじゃないかと不安になるほどに。
「・・・・子供の国にいたんでしょ?あなたの子。」
思い切ってズバっと尋ねた。
「この子が言うのよ、向こうであっちゃんって子と一緒にいたって。
けどそう長い間一緒にいたわけじゃないから、本人かどうかさっきまで分からなかったって。
その子人見知りだし、いっつも隅の方で一人遊びしてたから、あんまり話したこともないしって・・・。
・・・・あの、ごめんなさい。変なこと聞いちゃって。」
なんだかバツが悪くなって、優馬の頭に目を落とした。
でもこの子は目を逸らさない。
あっちゃんに「そうでしょ?」と尋ねる。
「こっちに戻って来たんでしょ?」
屈託のない子供らしい声だった。
彼女はまだ固まっていたが、あっちゃんは「うん・・・」と頷いた。
「やっぱそうだった。僕のこと覚えてる?」
「うん・・・。」
「一回だけ一緒に遊んだよね?なつちゃんと徳永君とこの兄弟と。」
「カラモネラの優馬君。」
「カラモネロね。」
優太は笑いながらポケモンの名前を訂正する。
「いつ戻って来たの?」
「優馬君がいなくなったあと。」
「そっかあ・・・俺、色々あって別人の身体になっちゃったんだ。ほらこれ。」
そう言って手を広げてみせる。
「いまはあっちゃんより年下だよ。」
可笑しそうにはにかむと、あっちゃんは少しだけ笑みを返した。
「よかったよね、復讐を選ばなくて。」
「お母さんがね、また亜子にもどってきてほしいから、ふくしゅうしないって。」
「それがいいよ。俺のお父さんとお母さんもそうしなかったんだ。あの時あっちゃんいたよね?」
「うん。優馬君ケーキ食べてた。」
「お母さんが作ってくれたやつなんだ。でも俺、もうお父さんもお母さんもいないんだよね。」
ニコっと笑うその顔は、明らかに無理をしている。
「お父さんとお母さんさ、あのあと色々あって喧嘩しちゃって、それで色々あって死んじゃった。」
軽い口調で言っているけど、やはり無理していると伝わってくる。
するとあっちゃんは私を見上げた。
「この人はもう一人の優馬君のお母さん。」
そう説明すると、あっちゃんは小さく頷いた。
「あのね、優馬君の後ろにね、優馬君がいる。」
「なにそれ?」
「小さい優馬君の後ろに、大きい優馬君がいる。」
優馬は後ろを振り返る。
私も後ろを振り返る。
しかしそこには誰もいなかった。
「どこ?」
「そこ。」
あっちゃんはじっと私を見る。・・・いや、正確には私の後ろを見ている。
彼女が見つめていたのは私ではなく、彼女しか見えない誰かを見つめていたようだった。
「俺の後ろに俺がいるの?」
「うん。」
「・・・ああ、それで俺って分かったんだ。」
優馬は恥ずかしそうにはにかむ。
「覚えてる?って言ったって、今の身体じゃ分かるはずないのに。」
「大きい優馬君死にかけてる。」
「え?」
「風邪のときみたいにしんどそう。」
「ほんとに?」
「亜子が死んだ時みたいにそっくり。」
「自分が死んだ時見たの?」
「ヴェヴェにつれて行かれるときに。」
「ああ、そっか・・・。幽体離脱みたいになるもんね、あの時。」
いったいこの二人は何を話しているのか?
私にはついていけない。
しかし子供たちはそんなことお構いなしに話を続ける。
「あっちゃんってなんで子供の国に来たんだっけ?」
「ヴェヴェにつれて行かれたから。」
「でも死ななきゃヴェヴェは来ないじゃん。」
「あのね、お父さんのお母さんが来てね、それでね・・・、」
「亜子!」
彼女が慌てて口を塞ぐ。
顔を真っ赤にしながら優馬を睨んで、「それ以上話しかけないで!」と怒鳴った。
優馬はビクっと怯える。
彼女は立ち上がり、トイレへ駆け込んでいった。
ガチャっと音がしたので、内側から鍵を掛けたようだ。
「なに?いきなり・・・・。」
大人しそうな人が怒るとドキっとする。
優馬が余計なことを聞いてしまったのだろうか?
彼女はそれからずっとトイレに篭りっぱなしで、「ねえ?」とノックしても返事がなかった。
「ごめん・・・ウチの子がいらないこと聞いちゃった?」
「・・・・・・。」
「もしそうなら私が謝る。ごめん・・・。」
「・・・・・・。」
「まだ子供だからさ、許してあげてくれないかな?もう余計なことは喋らせないようにするから。」
「・・・・・・・。」
「ねえ?出て来てくれない?その・・・こっちも不安なのよ。謝るからさ、一緒にいようよ。」
誰だって触れられたくない部分はあって、優馬はそこに触れてしまったのだろう。
だけどこんな非常事態、トイレに篭りっぱなしにならなくてもいいだろう。
「ねえってば。出てきて、一緒にいようよ。」
何度もノックして、何度も呼びかける。
しかし返事はない。
《意地っ張り!》
思わずドアを叩きそうになるけど、グっとこらえる。
《ダメダメ・・・私まで感情的になっちゃ。一番不安なのは子供たちなのに。》
椅子に戻り、はあっとため息をつく。
「あ・・・・、」
また優馬がいきなり口を開く。
今度は何かとドキっとしてしまう。
「どうしたの?」
「蝶。」
「蝶?」
「トイレから。」
そう言ってトイレのドアを指差す。
するとそこには一匹の蝶が舞っていた。
「・・・・・・。」
私は言葉を失くす。
だって・・・あの蝶は・・・・、
「宇宙人モドキ・・・・。」
子供の国にいるはずの蝶が、なぜかこの部屋を飛んでいた。
《優馬君。》
蝶の方から声が響く。
エコーがかかったとても不気味な声だ。
《一緒にいこ。》
ふわふわと舞いながら、優馬の近くへ飛んでくる。
《みんなで子供の国にいこ。》
蝶は踊るように飛んで、優馬の後ろへと手を伸ばした。
そして・・・・、
「え?ちょ・・・・、」
また言葉を失う。
なんと優馬の身体から、見たこともない子供が出てきたのだ。
蝶に誘われれ、幽体離脱でもするかのように・・・。
《これ・・・まさかもう一人の優馬・・・?》
小学校高学年くらいの男の子が、蝶と共に舞い上がる。
彼は幽霊のように薄く透き通っていて、《おばさん》と私を振り返った。
《僕行かなきゃ。》
「ど、どこに・・・・?」
《ヴェヴェのとこ。》
彼の声にもエコーがかかっている。
耳を塞ぎたいほど不気味な声だ・・・・。
蝶は羽から糸を伸ばして、彼を包み込む。
小さな身体が玉繭のように白く染まっていき、そして・・・・、
「あ・・・・、」
彼も光る蝶へと変わってしまった。
二匹の蝶は漂うように部屋を舞う。
そして螺旋のように舞い上がって、天井をすり抜けて消えてしまった。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて立ち上がっても、もうそこには誰もいない。
代わりにガチャリとトイレのドアが開いて、彼女が出てきた。
「・・・・・・。」
外に出てくるなり、フラフラと倒れこむ。
顔は真っ青で、恐ろしい何かに出くわしたかのように、表情に精気がなかった。
「大丈夫!?」
肩を抱きかかえると、「あの子が・・・・、」と呟いた。
「いきなり・・・・チョウチョに変わって・・・、」
「蝶に変わるって・・・。じゃあさっきのってもしかして・・・、」
「亜子が・・・・いなくなっちゃった・・・。せっかく戻って来てくれたのに・・・。また子供の国へ行くって・・・、」
彼女はうずくまり、鼓膜が痛くなるほどの悲鳴を響かせる。
狭い部屋の中に何重にもこだまして、私の頭まで痛くなってくるほどに。
「亜子おおおおおお!!」
「・・・・・・・。」
いったい何がどうなってるのか分からない・・・・。
突然二人の子供が消え、残ったのは・・・、
腕の中で、優馬が「おかあさん」と呟く。
あの子が出ていったことで、ようやく長い眠りから覚めてくれたようだ。
《よかった・・・・死なずにすんだ・・・・。》
心の底からホッとする・・・安堵で泣きそうになる。
それと同時に、わけの分からないことばかりが続いて、別の意味で泣きそうだった。
《分からない・・・分からないよ・・・・何がどうなってるの?誰でもいいから教えて!!》
怯える優馬を抱き、泣き喚く彼女の肩も抱く。
だけど私を抱き寄せてくれる人はいない。
何がなんだか分からない中、せめて私だけは冷静でいないとと、潰れるほど感情を押し殺した。
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