長引くアメフトの問題

  • 2018.05.31 Thursday
  • 13:37

JUGEMテーマ:社会の出来事

アメフトの問題、まだ揉めていますね。
相撲の時もそうだったけど、長い間揉めるだけ揉めて、その間に世間の話題をかっさらう事件が起きて、過去の話題になっていくのでしょう。
相撲とアメフトの間にもレスリングのパワハラ問題がありました。
あれもいつの間にかどこかへ話題が消えてしまいました。
おそらくだけど、今回もきっとそうなるでしょう。
そしてそうなることを狙って、日大の理事長や監督たちはわざと時間を引き伸ばしているんじゃないかと思っています。
今謝ったり認めたりしてしまうと、すなわち責任を追求されるわけだから、決して非を認めることはないでしょうね。
こういう問題って長い引けば長引くほど、何が正しくて何が間違いなのか分からなくなります。
関係者であってもそれぞれ意見は違うし、逆に報道は同じことばかり流すし。
本当は関係者の中から統一した意見が出ないと進みません。
でもってマスコミがそれを色んな角度から報道してくれたら、もう少し中身が見えてくるような気もするんですが。
スポーツの世界ってある意味外界から閉ざされています。
私たちが目にするのは舞台で戦う選手だけで、裏側なんて知りようがありません。
スポーツの世界って基本的に体育会系なのは分かりますが、トップの人まで同じだとしたら、それは怖いことです。
商売の世界だと、職人と経営者は別です。
小さな会社ならともかく、大きな会社では分業が当たり前だからです。
病院でも同じです。
医療は医師が、経営は経営者が。
個人病院でもない限りは、このスタイルの方が上手く回るからでしょう。
いい加減スポーツの世界も同じにしてはどうかと思います。
上に座るのはOBが多いような気がします。
となると外界から見えないようにフィルターさえ掛けておけば、内部で何をしようとも自由という感じになってしまうでしょう。
上下関係が絶対で、その関係だけで回っていくって独裁と一緒です。
こういう世界の怖いところは、暗黙の了解みたいなものがいくつもあって、時に法律よりもそちらの方が重んじられるってことでえす。
自分たちの世界のことは自分たちだけで決めるから、外からごちゃごちゃ言うなというような気質が感じられます。
だったら何もかも完全に内輪だけでやっていればいいと思うんですが、人気だとかお金だとか、そういう所は外に頼るんですよね。
今回のアメフト騒動も、本来なら理事長という責任のある立場の人が前に出てくるべきだと思うんですが、そうはなりません。
都合のいい所だけ自分たちで囲い、そうでないところは選手に押し付ける。
そう思われても仕方のない行為です。
スポーツの世界って恐ろしいほどローカルがまかり通る所です。
日大の理事や監督は、嵐が過ぎ去るのをただ待っているだけなのでしょう。
世間の目が向かなくなった時、また自分たちのやりたいように出来るから。
日本で人気になりつつあるアメフトも、こういう人たちがいるんじゃその人気も衰えてしまいそうな気がします。

怨念の集合体 異彩を放つGMKのゴジラ

  • 2018.05.30 Wednesday
  • 11:20

JUGEMテーマ:映画

JUGEMテーマ:特撮

この前GMKゴジラを観ました。
ゴジラ、モスラ、キングギドラ、大怪獣総攻撃というタイトルです。
それぞれの怪獣の頭文字をとってGMKと呼ばれています。
見るのは四回目、当時の撮影技術としては最高峰なんじゃないかと思うほど、映像にリアリティがあります。
この頃はまだ着ぐるみの怪獣です。
ゴジラ以外に出てくる怪獣はバラゴン、モスラ、キングギドラです。
バラゴンがタイトルに入っていないのがちょっと可哀想ですが、他の三体と比べると知名度が低いので仕方ないのかもしれません。
GBMKとなってもちょっと言いにくいですしね。
この映画、シンゴジラと並んで、シリーズの中でもかなり異彩を放っています。
というのも監督がガメラシリーズの金子修介さんだからです。
庵野監督が今までとは違うゴジラを作ったように、金子監督も今までにないゴジラを作り上げました。
この作品に出てくるゴジラは生物ではなく、戦争で亡くなった人たちの怨念の集合体です。
平和な世が続き、人々が戦争で散っていった命を忘れてしまった為に、ゴジラに姿を変えて現れたという設定です。
それに対するバラゴン、モスラ、キングギドラは護国聖獣という設定です。
古来より日本の自然を守る神々という扱いで、日本を破壊しようとするゴジラを迎え撃ちます。
決して人間の味方というわけではなく、守るのはあくまで日本の自然そのもの。
だから人間のことなんてお構いなしにゴジラと戦います。
GMKはシリーズの中でも好みが分かれる作品で、ものすごく好きという人と、ちょっと受け付けないという人がいます。
色々な理由はあれど、もっとも大きな理由はオカルト色が強いということでしょうね。
もちろんそれ以前のゴジラにもオカルト要素はあります。
超能力少女が出てきたり、小美人の祈りでモスラを成虫へ進化させたり。
しかしそれはあくまで味付け程度のもので、オカルト要素を全面に押し出しているわけではありません。
ゴジラもキングギドラも巨大生物という扱いだし、メカゴジラは科学の産物、ガイガンは宇宙人の生きた侵略兵器のようなものです。
唯一モスラは古代人の守り神みたいな設定ですが、オカルトパワーを発揮するのは小美人の祈りくらいです。
必殺技の鱗粉は霊力や神通力とは違うので、使いすぎると飛行能力が落ちてしまい、最悪は命を落としてしまいます。
対してGMKの怪獣たちは、怨霊や聖獣という設定なので、ただの生き物ではありません。
ゴジラは心臓だけになっても生きていて、怨霊の怒りが晴れるまでは何度でも復活してくるのでしょう。
それに聖獣たちは肉体を破壊されても終わりではありません。
不思議なパワーによって魂は存在し続け、最後は三位一体の霊力アタックみたいな技でゴジラを封印しようとしました。
怪獣は巨大生物なのか?
それとも怨霊や聖獣なのか?
これってかなり大きな設定の違いです。
巨大生物であるならSF映画、怨霊や聖獣であるならファンタジー映画となるからです。
この二つは似て非なるものです。
基本的にSFは科学を基盤とし、怪獣たちが有する常識外れな能力も、通常の生き物とは異なる進化の果てに得たものという設定です。
分かりやすい例だとゴジラがそうです。
古代の恐竜の生き残りが、核実験の放射線の影響であのような姿に変わってしまったからです。
核エネルギーを源とするゴジラは頻繁に原発や原潜を襲います。
なぜならゴジラそのものが巨大な原子炉であり、体内の火を絶やさない為には、核エネルギーを生み出す原料が必要になるからです。
しかしGMKゴジラは放射線の影響だけで怪獣になったわけじゃありません。
戦争によって無念の死を遂げた人たちの思念が宿り、普通の生物とは一線を画す存在になりました。
ゆえに作中では頻繁にオカルト現象が起きます。
GMKは従来のシリーズよりオカルト色が強く、すなわちファンタジーが好きな人には受けがいいのではないかと考えています。
例えばガメラはどちらかというとファンタジー寄りの特撮だと思います。
ガメラのお腹から出る特大ビームは、地球のエネルギーを借りて撃つものですから。
GMKが好きかどうかは、SFが好きなのかファンタジーが好きなのかで分かれるのかもしれません。
GMKのゴジラを好きかどうかと聞かれたら、私はそこまでではありません。
映画そのものは面白いんですが、やはりオカルト色の強いゴジラは少し戸惑いを覚えてしまいます。
ゴジラはあくまで巨大生物であり、人知を超えた力を持っているものの、生き物という設定で成り立ってきたからです。
まあそれでも面白いから見ちゃうんですけど、GMKゴジラ。
なんだかんだと言いつつも所詮は理屈、ゴジラを見たい気持ちには敵いませんから。

今日はお休みです

  • 2018.05.29 Tuesday
  • 15:10

今日はお休みです。

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    海の向こう側 最終話 海の向こうへ(2)

    • 2018.05.28 Monday
    • 13:43

    JUGEMテーマ:自作小説

    旅立ちの日というのはいつだって新鮮な気分になるものだ。
    一年前、地元を離れて新たな地で生活することに、不安以上の期待とワクワクを感じていた。
    結果としてはただ一年という時間が流れた一年でしかなかったが、今振り返ってみると悪いチャレンジだと思えないのは、思い出を美化する脳の補正機能のせいかもしれない。
    ただもしそうだとしても、自分で決めた行いを後悔しないのは良い事だ。
    過去を振り返り、単に嫌な時間を過ごしただけだとしか思えないのなら、私はいつだってあの小さなプールの中にいる羽目になるだろう。
    小さな頃は広くて楽しいと感じたあの世界は、外から見れば水溜り程度の大きさしかない、幼児向けの玩具であるというのが真実だ。
    あれを必要とするのは、まだ自分と外の世界の区別が上手くつかない年頃の子供だけであり、自分と外界の間に隔たりがあると気づいたのなら、もうどこにも必要ないのだ。
    本当ならとっくに地元を離れて、新しい街で生活しているはずだったのだが、美知留のせいでそうもいかなくなった。
    内定をもらっている会社に事情を話すと、それなら落ち着いてからでいいから連絡をくれと言われ、ありがたく就職日を引き延ばしてもらったのだ。
    荷物はとりあえず新居に送ってあるので、手荷物だけリュックに詰め、家族と気恥ずかしいさよならの挨拶だけ交わしてから駅に向かっていた。
    しかしそこへ向かう前に一つだけ寄り道をしなければならない場所がある。
    駅へ向かう交差点を左へ曲がり、海岸沿いの道へと足を進めていくと、砂浜にやっくんが立っていた。
    相変わらずゴツイ肉体だなと、盛り上がった肩と背中の筋肉に目を細めながら、「やっくん」と手を挙げる。
    「こんな朝早くに呼び出してごめん。」
    時刻は午前七時、振り向いたやっくんは微塵の眠気も見せずに「おう」と微笑んだのだが、私の姿を見てその微笑みを消してしまった。
    予想していた反応ではあるが、生のリアクションというのは面白く、無言のまま傍まで行って、向こうから何を言ってくるのを待った。
    ジロジロと私を見るその目には疑問符が浮かんでいて、眉間の皺はどんどん深くなっていき、やがては阿修羅のごとき形相に変わってしまうほどだった。
    言いたいことは分かるし、考えていることも分かるし、それでもこちらから何も言わないでいるとようやく口を開いた。
    「どうしたん?なんかあったん?」
    まったく想定していた通りの質問に可笑しくなってしまい、「まあ」と頷いてみせた。
    「ちょっとした心境の変化というか。」
    「めっちゃ女の子らしい格好しとるやん。髪もちょっと伸びてへん?」
    「これからまた伸ばそうと思って。」
    「服もボーイッシュな感じのやつはやめたんか?」
    「これも昔に戻そうかと思って。」
    「何があったんや?」
    「大したことじゃないよ。気持ちの問題だから。」
    肩まで届きそうな髪、制服以外で穿く10年ぶりのスカート。
    シャツもずっと男物のSサイズを着ていたのだが、それもやめて全ての服を女物で買い揃えた。
    ちなみにリュックもちょっとばかしオシャレなものを買い、靴だって久しぶりに女物のブーツなんてものを履いてみた。
    こいつを買いに行ったのは一週間ほど前で、こういう服を選ぶなんて久しぶりだったものだから、姉について来てもらったのだ。
    私が選んだ物はダサいと即却下され、こっちの方がいいとあれこれコーディネートされた結果、今は文化系女子みたいな格好をしている。
    背が低くて童顔なので子供っぽく見えないか?と尋ねたら、そういう格好が似合うんだからいいじゃんと言われ、迷った挙句に決めたのだ。
    買い物を終えて店を出る時、姉はとても嬉しそうな顔をしながら、「ついでにご飯でも行こうか」とこっちの返事を聞く前に車を走らせた。
    「あんたと一緒に出かけるなんて久しぶりだわ。」
    笑顔を絶やさずに話し続ける姉を見るのは、いったいいつ以来だろうかと記憶を探るほど、遠い昔のことに思えた。
    この数日、姉だけでなく両親ともよく話をした。
    数少ない地元の友達にも会って、この姿を見て誰もが驚いた顔をしていたが、数分後には互いに笑いながら喋っていた。
    友達とこんな風に喋ったのもいつ以来だろうと思い出すほどで、なるほど・・・今になれば昔に姉が言っていた意味が分かる気がした。
    私はいつまでもあの小さなプールにいたいと思っていて、そのせいでいつしか周りとズレが生じて、心のどこかで人を突き放すようになっていたのかもしれないと。
    その行き着く先がお姉ちゃんの真似をして生きるという人生だったわけだけど、これも今振り返れば無駄ではなかったかもしれない。
    360度回って同じ場所に戻って来るにしても、一歩も動かないのと一周してきたのとでは経験値が違う。
    過去の10年が意味のある事だったのだと信じたい。
    そうでなければ、私は今でも小さなプールに入ろうとしていただろうから。
    どうして海に来るともう一人の自分が見えたのか?
    これも今ならちょっと分かる気がした。
    だが言葉にはすまいと、もう誰も見えなくなった水平線を見つめながら、ぼんやりと佇んでからやっくんを振り返った。
    「みっちゃんなんでそないに変わったんや?まさかまた美知留がなんかしてきたんか?それやったら俺許さへんで。
    刑務所の塀越えてでもドツきに行ったるわ。」
    太い腕を力ませると筋が浮かび上がり、「ほんと逞しいな」とその腕を叩いてやった。
    「美知留は関係ないよ。それに今は拘置所だから。まだ刑務所には行ってない。」
    「刑務所と拘置所って違うんか?」
    「拘置所は裁判中の被告が行くところ。その後に刑務所に行くのか釈放されるのかが決まる。」
    「絶対に刑務所行きやろアイツ。もし無罪放免で出て来たってみっちゃんには合わせへんで。」
    「ボディガードを買って出てくれるのはありがたいけど、私この街出るんだ。だからもう美知留とは合わない。」
    「出て行く?・・・ああ、そういやそうやったな。美知留の事があったから延期になったんか。」
    「そういうこと。今日出発するんだ。」
    「今日?えらいいきなりやな。なんでもっと早よう教えてくれへんねん。なんかお別れの挨拶とか、ご飯をご馳走したりとかしたかったのに。」
    「いいよいいよ気を遣わなくて。それよりさ、やっくんに・・・・・、」
    言いかけて口を止める。
    今日ここへ彼を呼び出したのは、幼い頃の記憶の誤りを訂正する為であった。
    私と美桜里君を混同し、なおかつ四歳の頃の約束を今でも覚えている彼の人生は、ある意味で私の10年と同じである。
    正しい道筋を生きていなくて、それに加えて生来の思い込みの強さと激しさが、どんどんおかしな方向へ彼を導いているのだ。
    それを正さない限り、いつかまた私を追いかけ、下手をすれば美知留と同じような運命を辿る可能性がある。
    私は美知留とやっくんとの二人に振り回されてきたけど、視点を変えれば私自身がその元凶だった。
    私が偽りの人生なんて歩いていなかったら、この二人はもっとまっとうな道を歩いていたはずだと思っている。
    ここでケジメを着けなければ、お互いにとって良い未来はやって来ないだろう。
    だから彼の記憶を正さないといけない。
    その為に昨日からどう説明しようかと何度も練習したのだが、いざ本人を前にすると、それをする事に意味がないような気がした。
    きっとどう説明してもやっくんは納得しないだろう。
    もしかしたら今だけは記憶を正せるかもしれないが、いつまた別の事と絡めてしまうか分からない。
    正直なところそっちの方が恐ろしく、であれば余計なことは伝えずに、私の素直な気持ちだけ伝えることにした。
    その後に彼がどう行動するかは分からないけど、そうなったらそうなった時のことであると、腹を括るしかあるまい。
    私へのストーキングをやめてくれるのならそれでOKだし、しつこく付きまとうなら容赦しないだけだ。
    いくら高校以来の友達であろうとも、美知留と同じく塀の向こうへ行ってもらうことになる。
    そしてそんな事にはならないはずだと、彼を信じて告げてみることにした。
    「やっくんとはもう会わない。」
    もう少しオブラートに包んで告げるつもりだったのに、恐ろしいほどストレートに言葉が出てきてしまった。
    あまりにハッキリ言ったもんだから、理解が追いつかないのか、やっくんの表情は先ほどと何も変わらなかった。
    ならば今度はもう少しマイルドに言おうかと表現を考えていると、彼は表情を変えないまま「そうなん?」と答えた。
    「もう縁切るってこと?」
    「そうなるね。私がいるとやっくんも美知留も迷惑するよ、きっと。
    本当はこんなこと言っちゃいけないんだろうけど、私たちって出会わない方がよかったのかもしれない。
    だって私、ずっと自分に嘘ついて生きてきて、やっくんたちが知ってる私は嘘の私なんだ。
    でもってもう嘘の自分は終わりにすることに決めたんだ。だからもう友達じゃいられない。
    二人が知ってる私は幻みたいなもんだから。」
    口にしてみて恐ろしく自分勝手なことを言っていると再確認する。
    要は過去を捨てたいから、その時の人間関係を解消しましょうって押し付けてるだけなのだ。
    もっともらしい理屈を並べたところで、ワガママで自己中な奴であることに変わりはない。
    けど変わらなきゃいけない時は誰にでもあるはずで、そういう時はあらゆるものを清算しないと、前に進めないはずでもある。
    例え親しかった人を傷つけたとしても。
    「言い訳はしない。全部自分の都合で決めたことだから。私はもう偽物の人生を歩くのが嫌になって、その時のことはもう引きずりたくないんだ。
    自分勝手だって分かってる。分かってるけど・・・・分かってほしい。」
    相変わらず表情を変えないやっくんの目は、悲しまれたり威圧されたりするよりよっぽど堪える。
    目を逸らし、海の向こうに横たわる水平線に意識を向けて、もう二度ともう一人の自分があそこに現れないことに安心する。
    もしもまだあそこに自分が見えるなら、私は自分の気持ちにも言葉にも自信を持つことは出来ない。
    あそこにもう一人の私が見えないということは、つまりあそこにいたもう一人の私が、今の自分であるという証だ。
    「やっくんさ、ほんとに一方的で悪いと思ってるよ。でももう決めたんだ。その方が私にとってもやっくんにとっても良い事だと思う。
    だから本当にごめん。もう私は美知留にもやっくんにも合わない。そう決めたから。」
    やはり自分勝手だと思いつつ彼を振り返ると、まったく顔色を変えないままだったので、少し不気味に感じた。
    いったい頭の中では何を考えているのか探ってみたが、皆目見当も付かない。
    もしこのまま何も返して来ないなら、私の用はここで終わりとなって、やっくんも過去の人となるだけだ。
    しばらく待ってみたが何のリアクションもなかったので、もうこれで全て終わったと、少しだけ笑顔を見せた。
    「言いたかったのはそれだけ。こんな朝早くに呼び出してごめんね。
    でも電話とかメールとかじゃなくて直接言わなきゃいけないことだと思ったから。」
    リュックを背負い直し、踵を返しながら「じゃあ」と手を挙げた。
    「やっくんも元気でね。」
    案山子のように棒立ちのままの彼の脇を通り抜け、海岸沿いの道へと上がっていく。
    振り向けばこの前と同じように足跡が伸びていて、その先にはじっと佇んだままのやっくんがいて、後ろめたさと開放感が同時に押し寄せてきた。
    彼まで続くこの足跡は遠からず消えて、過去への道を断ち切るものとなることを望む私は、やはり自分勝手で酷い奴なのだ。
    けどそれでいい、今はそれで。
    偽りの人生は狭いプールと同じく、どう足掻いても小さな世界の中しか回ることが出来ない。
    その昔、海の向こう側には魔法使いになれる世界があると信じて、遠い彼方を臨もうとしていた。
    あの時、その願いをやっくんに託そうとしたのは本気ではなく、いつかは自分でやらなければならないのだということは、心のどこかで分かっていた気がする。
    幼い子供心に、ずっと子供のままではなく、いつか大人になって、今とは違う自分になるんだろうと分かっていたのだ。
    ゆっくりと海岸線の道を歩き、ふと振り返るとやっくんはまだそのまま佇んでいた。
    いったい彼が何を考えているのか探るのは意味のないことなんだろう。
    けど少しばかり目を止めていると、突然にこちらを振り返ったので、思わず手を振った。
    ここからでは聴こえないだろうけど、ぼそりと呟いてみた。
    「いつかまた。」
    さっき会わないと言ったばかりなのに、どうしてこんな言葉が出てくるんだろうと、少し悩んでしまう。
    小さく手を振ってから踵を返し、背中を向けて歩きながら、まだ過去への迷いがあるのかもしれないと、悶々と空を仰いでしまった。
    いつかたま・・・というのは、その通りいつかまたってことだ。
    美知留もやっくんも、私にとってはとても印象的な人物だった。
    美桜里君だってそうだし、何よりお姉ちゃんも。
    おそらくだけど、いつかまたはみんなに言った言葉なんだろう。
    それはつまり、人真似をしていた過去の私に対しての言葉であるのかもしれない。
    過去は断ち切っても、思い出まで捨てることは出来ないのだ。
    これから10年か20年か分からないけど・・・いや、もっと早い段階で昔を振り返るかもしれない。
    人生を変えるには三つの方法しかないのだと、いつかどこかで目にしたことがある。
    一つ、時間の使い方を変える。
    二つ、住む場所を変える。
    三つ、人間関係を変える。
    この三つでしか人生は変わることがなく、そして最も意味のないことが「決意を新たにする」だそうだ。
    気持ちだけでは何一つ変化は起きず、気持ちを元に実際に行動を起こした時にこそ、初めて変化がもたらされるって意味なんだろう。
    私は変わりたいと思う。
    その為に強い気持ちを持つことはできたし、実際に変化を起こす為にこうして行動も始めた。
    住む場所を変え、人間関係を変えることで。
    そうなれば自ずと時間の使い方だって変わるだろう。
    けどまだ結果は出ていない。
    もう夢見る幼い子供でもなければ、無意味に可能性を信じる思春期の学生でもない。
    踏み出したその一歩の為に、ともすれば過去の方が良かったと後悔した人も大勢いるだろうし、取り返しのつかない傷を背負った人だっているだろう。
    だからこそ変わるっていうのは怖いことで、踏み出すには勇気が必要なのだ。
    私は明るい未来が待ち受けているなんて信じていなくて、それでも幻の自分を捨てて新しい人生を歩こうと思ったのは、単に気持ちの問題だ。
    もう嘘をつくのは嫌で、偽りは時間と共に苦しみしかもたらさないのだなと知ってしまったから、そこから抜け出そうと望んだだけである。
    ずっと短いままにしていた髪が少し伸びたせいで、柔らかい潮風にも反応して、先端がふわふわと揺れている。
    それはまるで、喜んで踊っているように感じてしまい、また昔みたいにメルヘンな性格に戻ってしまったのだろうかと、青臭さに恥ずかしくなる。
    服も靴も新しくして、歩くたびに足元に感じるブーツの感触も新鮮で、それをもう少し長く感じていたくて、駅へ曲がるはずの交差点を過ぎてしまう。
    曲がるべき道を無視したことがなぜか気持いい。
    そして次なる交差点まで来ると、今度は100メートル先に陸橋が見えた。
    近くに小学校と中学校があるもんだから、子供達の通学路にと、何年か前に建てられたものなんだけど、子供が優先なのは登下校の時間帯だけ。
    今はまだそれより少しばかり早いので、私が一番乗りとばかりに、またしても曲がるべき道を無視して進んだ。
    陸橋へと差し掛かり、一歩一歩確かめるように階段を登って、地上よりも少しだけ高い位置から海を眺めてみる。
    地平から眺める水平線は、まるで目に見えない外界との境界線に思えるものだが、こうして高い位置に登ってもそれほど差は感じられない。
    高い位置に来れば水平線がより向こうへ伸びるだけで、結局のところ外界をこの目で確認することなど無理だと分かる。
    もしその向こうまで船で渡っていったとしても、やはり何も変わらないだろう。
    島が見えたなら、大陸が見えたなら、それはもう外界ではなくて、ただ足を踏み入れたことのない地上の土地があるだけだ。
    今なら分かる。
    どうして私が偽物の人生を歩んできたのかが。
    それはイジメが怖かったからでも、お姉ちゃんに憧れたからでもなく、孤独が怖かったからでもない。
    そういうものとは違う、実に純粋で、幼稚で、真っ白で、脆くて、楽しくて、儚いことが理由だったのだ。
    けどやっぱりそれは言葉にはすまい。
    言葉にしてしまったなら最後、私は再び魔法使いになることを夢想し、見ることも触れることも出来ない外界の世界へ心を飛ばしてしまうかもしれない。
    水平線にはもう幻の自分は見えない。
    海の向こう側へ飛ばしていた魂が、ようやく私の中に戻ってきてくれた。

     

     

           海の向こう側 -終-

    勇気のボタン コマチ(ペン入れ)

    • 2018.05.28 Monday
    • 13:40

    JUGEMテーマ:イラスト

     

     

     

     

     

     

     

     

    特撮物の怪獣やヒーローの大きさはプロが考え抜いたもの

    • 2018.05.27 Sunday
    • 13:38

    JUGEMテーマ:特撮

    JUGEMテーマ:映画

    巨大な怪獣やヒーローが出てくる特撮物の魅力は、なんといっても巨大な者同士の戦いです。
    人間を遥かに超える巨体がぶつかるのは、なんとも言えない迫力と爽快感があります。
    しかし難しいのはどれくらいの大きさにするのかってことです。
    初代ゴジラの身長は50メートル。
    しかし最新作のシンゴジラでは120メートルに近いほどの身長になっています。
    これはゴジラシリーズ最大です。(アニメの怪獣惑星を除く)
    なにもいきなりここまで大きくなったわけではありません。
    今までのシリーズで少しずつ大きくなっていきました。
    逆に縮んだこともあります。
    100メートルからまた初代なみの50メートルくらいに。
    初代ゴジラが産声を上げた時代、高い建物はそうたくさんありませんでした。
    しかし高度経済成長を経てあちこちに高層ビルが並ぶようになると、50メートルでは大きさが伝わりにくくなります。
    人間が街を発展させるのと同時に、ゴジラも身長を伸ばしたわけです。その大きさを伝える為に。
    これはゴジラだけに見られる現象ではなく、ガメラやウルトラマンも同じです。
    シリーズを追うごとに巨大しています。
    ガメラも最初は60メートルくらいしかなかったんですよ。
    ゴジラと同じく、高いビルが少ない時代に生まれたからでしょう。
    ウルトラマンも同様で、もし今の時代に誕生していたら、初代ウルトラマンの身長は100メートルを超えていたかもしれません。
    けどなんでも大きくすればいいってわけじゃありません。
    大きすぎるとかえって迫力が伝わりにくいんですよ。
    ゴジラやガメラを超えるような巨大怪獣はいくらでもいるけど、あまり大きいとピンとこないんです。
    例えばウルトラマンティガに出てきたガタノゾーアという200メートル級の怪獣はとても巨大に感じました。
    まるでティガが子供に見える大きさでしたからね。
    けど後のシリーズだと大きさが数キロもあるような怪獣も登場します。
    これだとウルトラマンは小人のようになってしまい、数キロの巨大怪獣からすると、ウルトラマンも人間も変わらないほどの大きさになってしまいます。
    大きいはずのウルトラマンが小さく見えることで、巨大怪獣の大きさが伝わるかというと、必ずしもそうではないと思います。
    ガタノゾーアくらいの大きさであれば、ウルトラマンとの比較で大きさを体感しやすいです。
    しかし数キロだの惑星クラスだのといった巨体になってしまうと、その巨大さを体感しにくいものです。
    基本的には大きい方が強いわけで、もし○○と○○が戦ったら?という議論でも、体格と体重はとても重要なファクターです。
    小さいと強さが伝わりにくくなってしまうからです。
    小さすぎてもいけないし、大きすぎてもいまいち伝わりにくい。
    ヒーローや怪獣の大きさの設定はとても難しいものだと思います。
    色んな特撮物があって、数多くのシリーズがあって、けどだいたいの場合は50〜100メートルの間で統一されているようです。
    それくらいの大きさが見ている人に一番伝わりやすいのでしょう。
    そういえばスカイダイビングよりもバンジージャンプの方が恐怖を感じると聞いたことがあります。
    理由はスカイダイビングの方が高すぎて、いまいちどれほどの高さにいるのかピンと来ないからだそうです。
    逆にバンジーでよくある30メートルくらいの高さが、人がもっとも恐怖を感じる高さだと言われています。
    実際の高さと、人間が感じる恐怖の度合いは比例しないってことです。
    これは特撮物にも同じことが言えるでしょう。
    人がその巨体を見上げた時、あまりに巨大すぎるものはやはり伝わりにくいんだと思います。
    30メートルの高所でもっとも恐怖を感じるように、50〜100メートルくらいの大きさがもっとも巨大さを感じるんだと思います。
    巨影都市ってゲームには様々な怪獣やヒーローが出てくるんですが、この中でもっとも大きいのはゴジラシリーズです。
    けど体感的に大きいと感じたのは、50メートル級のウルトラマンや、80メートル級のエヴァンゲリオンです。
    ゴジラやキングギドラは大きすぎて、近距離だと全てを見渡すこと出来ません。
    だから全身を見る場合は距離を取る必要があるんですが、そうなると今度はその巨体の為に、景色の一部というか、なにか大きな現象が起きているとしか感じにくかったりします。
    もちろん巨大だということは充分に伝わります。
    けどもしこれ以上大きかったらと思うと・・・果たして素直に大きいと感じることができるかどうか。
    巨影都市に登場したゴジラは90年代のデザインなので、大きさは100メートルくらいでしょう。
    だからやはりこれくらいの大きさが、巨大さを体感できる限界なんだと思います。
    小さすぎても大きすぎてもその迫力は伝わらない。
    特撮における怪獣やヒーローは、見る側の心理や体感まで考慮した上で、いかにすれば迫力が伝わるかを考え抜かれたものです。
    特撮の巨大生物や巨大メカを大きいと感じられるのは、プロの知恵や努力の賜物ですね。

    海の向こう側 第十五話 海の向こうへ(1)

    • 2018.05.27 Sunday
    • 11:27

    JUGEMテーマ:自作小説

    いつも穏やかな海が荒れていると、いつも温厚な人が怒っているかのような怖さがある。
    普段は平らな海面と真っ直ぐな水平線を見せてくれる瀬戸内の海が、台風に近いほどの風に煽られて感情的になっていた。
    いつもなら決して水に濡れない場所まで波が押し寄せて、靴底からじんわりと海水が染み上げてくる。
    濡れた靴下はとても気持ち悪く、歩く度に不快な音と感触を伝えてきて、いっそのこと脱いでしまえと裸足になった。
    少しながら砂浜が広がるこの海岸なら裸足でも問題あるまい。
    足型に沈んでいく濡れた砂は、振り向けば数秒間の俺の歴史を刻んでいる。
    大した距離は歩いていないのに、ほんの少しでも時間が経てば、前の一歩は過去のものとなる。
    今日は波が激しいので、すぐにこの軌跡は消えるだろうけど、ここを歩いていたという事実は頭の中に残るだろう。
    ・・・・怖いと思った。
    理由は分からない。
    不快でも嫌な気分でもなく、むしろ波の力で埋まっていく足跡は面白いとさえ感じた。
    マイナス気分になる要素は一切ないはずなのに、どうして恐怖を感じてしまうのか理由が分からず、その事に対して不快感が込み上げた。
    昨日、夜遅くにお姉ちゃんとたくさん話をして、それはとても有意義で幸せな時間だった。
    駅で話した分だけじゃ全然足りなかったので、向こうから電話を掛けてきてくれて本当に嬉しかったのだ。
    それなのに今日は沈んだ気持ちで朝を迎えたのはなぜか?
    『怖がる必要はないんだよ。』
    電話を切る直前のたった一言が、翌日にまで胸の中に錐を突き立て、嵐が来ているというのに海辺へ足を運んでしまったのだ。
    強い風が雲を運び、空の青を嫌味に覆い隠しているし、荒れる海面は見ているだけで心がざわつく。
    そして何よりも水平線が滲んでしまっているのがいけない。
    いつ雨が降ってもおかしくない空模様のせいで、空気はこれでもかと湿り気を含み、強い風がそいつを拡散させるものだから、遠景が水墨画のごとく霞んでしまっているのだ。
    無論、水平線も墨の中である。
    あそこがはっきりと見えたならば、もう一人の俺に会うことが出来るかもしれないのに。
    少し前から抱いている悩みは、お姉ちゃんと会ったことでより強くなってしまった。
    俺は今のままでいいのか?
    人真似をして生きてきたこの10年にピリオドを打ち、まだお姉ちゃんに会う前の自分に戻ることが、今の俺が本当に望んでいることじゃないのか?
    それを探る為にはもう一人の自分と会う必要があった。
    そもそもどうして俺は他人になろうとしたのか?
    イジメから逃れたかったのか?お姉ちゃんになりたかったのか?
    今となっては分からなくなってしまい、過去の10年を振り返っても、まるで空白であるかのような虚しさが漂うばかりだ。
    波に消される足跡のように、俺の生きてきた過去も、時間と共にかき消されてしまって、ただ死なずに生きてきたという事実だけが残っているようで怖くなる。
    そんなのは死んでいるのと同じじゃないかと、足元の砂を強く踏みしめて、これでもかと形を残してやった。
    だがそうしている間にも波が押し寄せて、じょじょにではあるが形が崩れていく。
    顔を上げれば遠景はさらに霞んでいて、海の向こう側では雨が降っているのだなと、滲んだ景色が伝えてくれた。
    風が強いせいか、遠い雨の雫が頬に一滴落ちてきて、嫌な気分でそいつを拭う。
    そういえばずっと昔、まだ俺が小学生の頃、家族でキャンプに行ったことを思い出す。
    友達の家族と一緒に山へ行ったのだ。
    山の天気はとても変わりやすく、青かった空へ早送りのように雲が流れてきた。
    あの時も頬に一滴だけ落ちてきて、嫌だなと思いながら拭った。
    ちょうど川遊びをしている最中で、友達と仲良く盛り上がっていたのに、親からもう川から出るようにと促された。
    雨が降れば水遊びは危険で、渋る俺の手を「さっさとしろ」と姉が引っ張った。
    本格的に降り始めた雨は、一息に辺りを煙らせてしまって、慌てる大人たちを尻目に友達とはしゃいでいた。
    バケツをひっくり返したかのような豪雨は瞬く間に川を増水させて、「もっとこっちまで来い」と姉に怒鳴られた。
    降り注ぐ雨に顔を拭い、なぜか腹を抱えるほど可笑しかったのは、俺が子供だったからだろう。
    豪雨はものの10分ほどで去っていったけど、おかげで地面はびしょ濡れになってしまい、テントを張る予定だった草地も湿原のように水を蓄えていた。
    父が慌てて麓のコテージへと走っていき、数分後に浮かない顔で手でバツ印を作りながら戻ってきた。
    それを見た母が荷物を纏め始め、友人のお父さんが車を回してきた。
    いったい何をしているんだろうと眺める俺に向かって、姉が「予定変更」と教えてくれた。
    そこらじゅう水浸しなのでテントは張れない。
    ならばと近くのコテージに予約を取りに行ったのだが、あいにくどこも一杯で、仕方なしに帰ることになってしまったのだ。
    さっきまではあれほど楽しかったのに、その全てを取り上げられたショックを受けて、帰りの車の中ではずっと拗ねていたのを覚えている。
    不機嫌なせいで髪さえもちゃんと拭かなくて、母から頭くらいちゃんと拭きなさいと怒られた。
    Tシャツの前に垂れた長い髪はじっとりと湿っていて、冷房がかかっているせいもあってか、胸からお腹にかけてとても冷たかった。
    見かねた姉がタオルを掴み、粘土でも捏ねるように俺の頭を撫で回した。
    家に着く頃には後ろで髪を結んで・・・とうより、結ばされていた。
    友人とはいえ人様の親の車なので、濡らすのは良くないからと、母が束ねなさいと言ったのだ。
    思えば物心ついた時からずっと髪の毛は長かった。
    クラスメートには短い子もいたし、そういう髪型が良いなと思うこともあったが、断然長い方が好きだったので、腰に届くほど伸ばしていた。
    それは中学に上がってからも同じで、お姉ちゃんの真似を始めるまでの間はずっとそうだった。
    今は結ぶことすら出来ないほど短く切っている。
    無理すれば出来ないこともないが、おそらくじゃりん子チエのような感じになってしまうだろう。
    楽しみにしていたキャンプが中止になり、俺はどうしてもその事が納得出来なくて、埋め合わせとしてどこかへ連れて行ってくれと頼んだ。
    渋る父を説得し、どうにか海へ連れて行ってもらえる約束を取りつけた。
    しかし姉は面倒くさいからと拒否し、母は夏バテ気味なのでやめとくわと言った。
    落ち込む俺に向かって、二人だけで行っても楽しくないぞと父が肩を叩き、ホッとした様子でゴルフクラブの手入れをしていた。
    ますます納得がいかず、どうして楽しみにしていたイベントをお預けにされたまま我慢しなければいけないのかと、夏休み中はずっとふてくされていた。
    そして8月30日、あと少しでせっかくの夏休みも終わるのだなと悲しみを抑えつつ、特にすることもなくて、家でゴロゴロしていた。
    寝返りを打つと目の前に庭がある。
    そう大きな庭ではないが、玄関への通路として機能しているだけの狭いものでもない。
    車が二台は停められるほどのスペースであり、ならば充分にアレを使えると思って、押入れの中から懐かしい道具を取り出した。
    幼い子が庭で水遊びを楽しむ為の、あの丸いプールである。
    以前に父が使っていたスポーツバッグの中に、クシャクシャになったまま詰め込まれていて、その隣には足で踏んで空気を入れるあの道具もあった。
    庭で何度も足踏みをして空気を送り込み、ホースを引っ張ってきて、少しずつ水面が高くなっていくのを見てウキウキしていた。
    限界ギリギリまでたっぷり水を溜めてから、水着にも着替えずにそのままで飛び込んだ。
    大きな波紋が弾けて水滴をバラ撒き、プールの外へと逃げ出していったり、俺の顔に降り注いだりと大忙しだった。
    確か最後にこれを使ったのは幼稚園の頃で、姉にプールごとひっくり返されて泣いた記憶がある。
    可笑しそうにゲラゲラ笑う姉を見て、大泣きしながら空っぽになったプールを蹴飛ばしたのだった。
    プールの縁に頭を乗せながら、うんと体を広げると、手足がはみ出てしまった。
    あの頃はそこそこ大きく感じたのに、今は俺の方が大きくなってしまったんだなと、ちょっとばかしここに入っていることが恥ずかしくなった。
    父は仕事で、母は婦人会の寄り合いで、姉はどこかへ遊びに行っている。
    しばらくは誰にも邪魔されることはなかろうと、懐かしい気持ちに浸りながら青空を仰ぎ見ていた。
    視界の中には空と雲だけで、頭の全てをぼんやりさせていると、プールごと宙に浮かんでいるかのような錯覚に陥った。
    それはとても心地の良い錯覚で、このまま水に溶けてしまって、空の中に染み込んでいたけたらなんてメルヘンな気分に酔いしれた。
    だが気持ちいい時間というのはいつでも突然に打ち切られる。
    いきなり視界の中に姉の顔が入ってきて、「あんた何してんの?」と怪訝な目で見つめられた。
    一瞬だけなんと答えようか迷った。
    プールに入っているというのは見たまんまだし、暑いから涼んでいるというのは最もらしくて嫌だ。
    「空に溶けてる。」
    はあ?という姉の顔を想像していた。
    ほぼ間違いなく馬鹿にされて、期待を裏切ることなくゲラゲラと笑って、またあの時みたいにプールごとひっくり返されるんじゃないかと身構えていた。
    「気持ちいい?」
    興味津々に尋ねてこられて、なんで?と肩透かしを食らってしまった。
    「気持ちいい」と素直に答えると、姉は家の中にバッグを放り投げて、そのままプールの中に飛び込んできた。
    俺より大きな姉が飛び込んだせいで、さっきよりもたくさんの水滴が宙へ逃げていく。
    姉は俺とは反対側の縁に頭を乗せながら、まるで温泉に浸かったおじさんみたいに「うい〜」と息を漏らしていた。
    面白いもので、このプールに入ると誰もが同じ行動をするようだ。
    ダラリと手足を投げ出し、完全に脱力しきったまま、じっと空を仰ぎ見るのである。
    「気持いいい?」
    「気持ちいい。」
    俺の質問に即答して、「懐かしいなあ」と足をバタバタさせるもんだから、「狭いからじっとしてよ」と足を掴んで水に浸けた。
    今度は手をバタバタさせて水を弾くもんだから、足でがっしりと押さえつけてやった。
    俺たち二人がここから出たら、水嵩はうんと低くなっていることだろう。
    できれば一人で入りたかったが、姉が俺の馬鹿に付き合うなんて珍しいので、新鮮な気持ちで空を見上げるその顔を睨んでいた。
    嫌なことでもあったのか?
    友達と喧嘩したとか、仕事でミスをしたとか、彼氏と上手くいっていないとか。
    けど友達と喧嘩くらいで拗ねるような人じゃないし、仕事でミスしたくらいで落ち込む人でもないし、彼氏と上手くいかないからって悩むほど細かい人でもない。
    じゃあなんで?
    答えの出ない姉の行動に、つい口から言葉が出てしまう。
    「なんかあったの?」
    「なんも。」
    即答してから「ただなんとなく」と手足をバタつかせるので、なるほど大人でもそういう時があるんだなと、「水がなくなるって」と忙しない手足を押さえつけてやった。
    「じゃあ水足して。」
    「ヤダ。」
    「なんで?」
    「一人で入りたかったのに邪魔されたから。」
    パシャっと水を掛けると突然立ち上がったので、怒られると思って身構えたのだが、姉は何もせずにプールから出て行った。
    しかも「悪かったね」などと謝る始末で、もしかして本当に嫌なことがあって落ち込んでいるのかなと、「別に出ていけとは言わないけど」とフォローした。
    「入りたいなら入ればいいじゃん。」
    「だって悪いから、あんたの世界を邪魔しちゃ。」
    怒るでもなく馬鹿にするでもなく、嘲笑するでもなく説教するでもなく、どこか哀れんだ口調に眉を潜めた。
    俺の世界とはなんのことだろうと、「なにが?」と聞き返すと、「そのプール」と指をさされた。
    「一人で気持ちよく違う世界に行ってたんでしょ?」
    「だから違う世界ってどういう意味?」
    「その幼児向けプールみたいに狭いあんたの頭の中。」
    やっと人を馬鹿にするようないつもの笑顔を見せてくれたので、ちょっとばかりホッとした。
    姉は自分の頭を指差し、ドリルで穴を開けるみたいにグリグリしながら、「あんたの将来が心配だわ」と嫌味な笑みのまま嘆いた。
    「きっとこれからもそういう狭い世界の中で生きてくんだろうね。孤独なまんまで。」
    「孤独?」
    「あんた人に心開かないじゃない。いつだって自分の世界に没頭して、友達どころか家族さえその中に入ってくるのを嫌がるでしょ?
    こっちは散々スキンシップ取ろうとしてんのにさ。」
    嫌味な笑みは呆れたため息を変わり、だけど俺を馬鹿にしたような表情だけは変わらない。
    こんなのいつものことなので今さら腹も立たなかったが、狭い世界だの孤独だのと、意味の分からないことには少々戸惑いを覚えた。
    それが顔に出ていたのだろう。頼んでもないのに、これでもかと丁寧に説明をしてくれた。
    「私はこれでもあんたの姉貴だよ?可愛い妹だと思って仲良くしようとしてきたのにさ。いっつも突っぱねるよね。」
    「突っぱねたことなんかないじゃん。お姉ちゃんがぶっきらぼうっていうか、愛想悪いから仲良く出来ないだけで。」
    「あのね、人はみんなそれぞれ違うの。愛想良い人もいればそうじゃない人もいんのよ。
    確かに私は無愛想だけど、別に人嫌いってわけじゃないからね。
    いきなり人を突き放したり、こういう人間だって決めつけたりしないから。
    ある程度付き合ってみて、その上で仲良くできるかどうか判断してるわけ。
    でもあんたは違うよね?頭の中の狭い世界が基準で、そこに合わない人は最初から突っぱねてる。」
    「そんなことない。」
    せっかく良い気分でまったりとしていたのに、姉のせいでぶち壊しにされてしまって、不機嫌の極みみたいな表情で睨んでやった。
    このプールは俺が用意したもので、一人で楽しむ為に入っていたのだ。
    キャンプは中止になり、海にも行けず、明後日には学校が始まるかと思うと、ついこういう遊びもしたくなってしまうではないか。
    もう姉と話すことなどないと、口を噤み、目も逸らし、大の字に手足を広げて、先ほどと同じように空だけを仰いだ。
    「それよそれ。」
    腰に手を当てながらうんざりしたように、これみよがしに首を振って、「そんなんだから」と実に不機嫌そうに言った。
    「せっかく仲良くしようと思って一緒に入ったのにさ、いっつもそう。
    テストとかで頑張った時にお父さんが褒めてくれてもつっけんどんだし、お母さんが服とか靴を買って来てくれた時だっておんなじ。
    私だって誕生日の度にプレゼントをあげてるのに、次の日には居間のゴミ箱に入ってた時があるよね?
    別に要らないなら要らないでいいけどさ、普通本人の目の届く場所に捨てる?」
    こっちへ歩いて来て、鬼みたいな目で見下ろしてくるので、ぶたれるんじゃないかと身を竦めた。
    「でも何が一番タチが悪いかっていうと、そういうことに全然何も感じてないことなんだよ。
    悪気があるなら叱れるけど、そうじゃないからどう怒っていいのかも分からない。
    友達が誘い来た時だってそうじゃん?あんた約束してたはずなのに、今忙しいからとか平気で追い返したりするよね?
    自分から家に来てって言っときながらふざけんなって話よ。いっつも私かお母さんが謝ってるの、あんた知ってる?」
    俺の頭の傍に膝をつき、突き刺すように指を向けてくる。
    その顔は哀れな子羊を見るみたいに、怒りよりも哀れみの方が強くて、なんでそんなに悲しい顔をしているのか分からなかった。
    確かに俺だって悪いところはある。
    けどそういうのは誰だって同じで、いちいち人の悪いところに文句を言っていたらどうにもならないじゃないかと、口を尖らせながら睨み返したのだ。
    「そうやってすぐにふてくされる。あんたずっと自分の頭の中の世界だけで生きてるから、人の気持ちが分からないのよ。
    きっとこれからもそう。今はまだ子供だからいいけど、ほんとこの先心配だわ。
    来年もう中学なんだよ?そのまんまでいたら絶対にイジメられるって。」
    言うべきことは全て言い切ったとばかりに、興味を無くしたように立ち去っていく。
    「このまんまじゃ誰も仲良くしてくれなくなって、一人ぼっちになるよ。
    あんたそれでいいの?甘えたの寂しがり屋のくせにさ。」
    一瞬だけ足を止め、プールを睨みながら「もうとっくにはみ出てる」と冷たい目をした。
    「それ小さな子供が入るもんだよ。あんたもう手足がはみ出てるじゃない。いつまでも幼稚園児みたいな狭い世界の中にいられないんだから、今のうちに卒業しないと。」
    ガラガラと玄関の音がして、窓の向こうから階段を上がっていく足音がした。
    少ししてからまた降りてきたようで、風呂場の方からシャワーの音が響いた。
    どうしてあそこまで怒るのか理解出来ず、また空を仰ぎ見ながら、空に溶けていく夢心地に浸る。
    この年の誕生日以来、姉からプレゼントを貰うことはなかった。
    ・・・・そう、俺はわがままで自己中で、人の気持ちなど顧みない子供だったのだ。
    そして姉の予言通り、中学に上がってからイジメに遭い、そこで初めて自分の頭に描く世界と、現実の世界には隔たりがあることを思い知った。
    今にして思えば、美桜里君の彼女が俺をイジメにかかったのは、単に彼と仲良くしていたせいだけではないように思う。
    おそらくだけど、俺の言動そものが気に食わず、もし美桜里君のことがなかったとしても、遠からずイジメに遭っていたかもしれない。
    美桜里君の彼女に限らず、クラスメートや上級生から目を付けられて。
    そもそも中学時代はほとんど友達がおらず、だからこそお姉ちゃんとの出会いが救いだった。
    友達になろうよと言ってくれて、いったいどれほど嬉しかったか
    過去を思い出している間に、いつの間にやら雲は薄くなり、滲んでいた景色もハッキリと輪郭を浮かばせていた。
    風はまだ強いが、空が照るだけで海の印象は変わるもので、真っ直ぐに形を保っていく水平線を見ていると、なぜか目眩のようなフラつきを感じた。
    やがて頭も痛くなってきて、この前みたいに風邪を引いても御免だと、せっかく晴れた海に背を向けた。
    踵を返す時、思いっきり体重をかけて、これでもかと砂浜に足跡を残してやった。
    濡れた靴下はポケットにしまい、水が染み込んだ靴を履いて、不快感を我慢しながら海を後にする。
    一度だけ振り返ると、さっきよりもハッキリと浮かぶ水平線に目を奪われ、立ち止まったまま睨みつけてやった。
    もう幻は見えない。
    もう一人の俺は空へ昇ったのか海へ沈んだのか分からないが、もう俺の目の前に現れる気はないようだ。
    少し濡れた髪を撫でながら、昔みたいにもう一度伸ばしてみようかなと、誰もいなくなった水平線に向かって語りかけた。

    海の向こう側 第十四話 孤独と孤高(2)

    • 2018.05.26 Saturday
    • 11:57

    JUGEMテーマ:自作小説

    夫婦喧嘩は犬も食わないそうだが、その理由は不味いからとか食べにくいからとかではなく、食えば腹を下すかもしれない毒であるからだろう。
    夫婦は家族であり、そこに口を出すことは人様の家庭に口を挟む事となんら変わりがない。
    下手に関わったが最後、第三者である自分のせいで、夫婦仲はより険悪になり、結局辛い目に遭うのは当事者の夫婦だったりする。
    最後まで関わるつもりがないのなら、人様の家庭に口出しなどしてはいけないのだ。
    そして家庭は何も夫婦関係だけではない。
    家庭を身内という意味で捉えるならば、離れて暮らす兄弟姉妹もこの範疇に入る。
    さらに身内という言葉を拡大解釈すれば、同僚や友人も含まれるだろう。
    ゆえに兄弟間の問題、友人関係の問題も、夫婦喧嘩と同様に犬も食わないと言えるはずだ。
    犬も食べないような物を、万物の霊長類たる人間様が口にするわけにはいかない。
    下手をすれば腹を下すどころか、怪我をしたり命を落としたりという可能性すらあるのだから。
    今、俺は実に質素なビジネスホテルに泊まっている。
    昨今はこういうホテルでも内装やサービスに気を遣っているそうだが、あいにく値段を優先した宿選びをしたので、そのような高望みは出来ない。
    そもそも観光旅行をしに来たわけではなく、日帰りするのが大変だから宿を必要としただけなので、質素なホテルで充分である。
    五階の部屋からは数キロ先にある日本海が見える。
    と言っても夜なので、見えるのは灯台の光と船の曳航線だけだ。
    簡素なベッドに腰を下ろし、今日一日のことを振り返ると、目眩がするほどの疲労を感じた。
    お姉ちゃんに会い、美桜里君に会い、たくさんの話をして、驚きやショックに翻弄された一日だった。
    このまま目を閉じれば苦もなく眠りに落ちることが出来るだろうけど、そうする前に今日のことを少しだけ振り返ってみることにした。
    総括するならば、過去が追いかけてきた一日と言えよう。
    やっくんと出会った四歳の頃、お姉ちゃんと出会った中学生の頃、美知留と出会った成人してからのこと。
    そして現在。
    今までの記憶を辿り、そのせいで疲労が倍増しして、目を開けているのが辛いほど瞼が重くなる。
    今日、俺は美桜里君の家を逃げ出すように抜けてきた。
    「ごめん、気分が悪いから帰る。」
    たったそれだけ言い残して。
    玄関を出る時、「こっちこそごめん、なんか気分を悪くさせちゃったみたいで」と美桜里君の声が追いかけてきたが、振り返ることもせずに駆け出した。
    美桜里君とお姉ちゃん、奥さんと美知留。
    それぞれ繋がりがあって、心配事もあって、これからどうすればいいのか悩んでいて、そこへ首を突っ込むのは夫婦喧嘩を食べようとする犬のごとき有り様だ。
    俺は毒など喰らいたくないし、これ以上自分以外のことで重荷を背負いたくなかった。
    美桜里君と奥さんがどんな判断を下し、どんな行動に出るかは、あの二人がそれぞれ大事な人に抱く愛情の裁量によるだろう。
    その時、きっとあの二人は喧嘩になるのではないだろうか?
    互いを気遣いあう優しさがあってこその幸せな家庭であって、もしその優しさが一時的にでも他人へ向いたら、上手くいかなくなるのではと考えてしまう。
    無論、結婚生活を営んだことのない俺が予想を立てるなど思い上がりではあるが、同棲の経験ならばある。
    通じ合っていた愛情が少しでもズレ始めた時、時間と共に歪みが大きくなって、いつの間にやらギスギスした関係になるものである。
    俺と美知留がそうであったように。
    そして俺は今、また他人のことばかり考えている。
    美桜里君と奥さんが仲良くやろうが喧嘩をしようが、俺には無関係であると理解しているはずなのに、無駄なことに時間と思考を使っている。
    とは言っても頭の切り替えは難しく、こういう時は別のことで気を紛らわすのに限る。
    眠ってしまいそうな瞼を押し上げ、寝返りを打つだけで安いラップ音を響かせるベッドから起き上がり、着替えを片手にバスルームに向かった。
    始めは熱いお湯を被り、温まってきた所で冷水に切り替える。
    こいつは昔からの習慣で、学生時代ずっとバレーをやっていた姉が、「この方が疲れが取れる」と教えてくれたのだ。
    さすがに冬にやるのはキツいけど、春が過ぎた暖かい今なら心地よく感じる。
    昔の人は滝に打たれて修行したらしいけど、なるほどその気持ちはよく分かる。
    頭からお湯でも水でもいいから打たれるのは、例えその瞬間だけでも余計な悩みや不安が消し飛ぶものだ。
    ほんの一瞬でもいいから頭が空っぽになれば、それだけで思考を切り替えることが出来るのだから。
    すっきりした頭でベッドに戻り、寝落ちしてしまう前にスマホのアラームをセットする。
    LINEにメッセージが入っていたので開いてみると、美桜里君からのものだった。
    「今日はわざわざ来てくれてありがとう。美緒ちゃんのおかげで姉ちゃんが元気だって分かってホッとした。」
    こういう優しい気遣いは相変わらずだなと微笑んでしまう。
    「こっちも久しぶりに会えて楽しかったよ。帰る時なんだか不機嫌な感じになっちゃって本当にごめん」と返すと、すぐに「全然気にしてないよ」と答えてくれた。
    「尚美とも相談したんだけど、しばらくは姉ちゃんのことはそっとしておこうって決めたんだ。
    今はまだ家族に会いたくないんだろうなって思うから。もう少し時間を置いてから連絡してみるよ。」
    こういう時、焦ってコンタクトを取ろうとしないのも彼なりの優しさであろう。
    自分ではなく相手を想うことが本当の優しさだと知っているのだ。
    「時間が経てばお姉ちゃんも心を開いてくれるよ。今はまだ色々悩んだり迷ったりしてるだけだと思うから。」
    そう返事をしてスマホを置く。
    枕に頭を預け、もうこのまま夢に落ちてしまおうと決めた時、突然電話が掛かってきた。
    のっそりとスマホを掴み、美桜里君かなと画面を睨んだのが、まったく違う相手からの着信であった。
    予想もしていなかった相手の名前に、一気に睡魔が退散していく。
    「もしもし?」
    通話ボタンを押すと同時に話しかけると、『美緒ちゃん?』と返事があった。
    「うん、お姉ちゃんだよね?」
    『ごめんね、いきなり電話して。』
    「全然。それよりどうしたの?」
    据え置きの時計を見ると午後11時半、ずいぶん遅い時間に電話が掛かってくると、少々鼓動が跳ね上がってしまうものだ。
    夜遅くの電話なんてだいたい良い事はなくて、俺の経験した限りでは、怒った美知留からの怒鳴り声、そして父が倒れて病院へ運ばれた時だけだ。
    どうか嫌な知らせでありませんようにと願いながら、相手の返事を待つ。
    『今さ、どこにいるの?美桜里の家?』
    「ううん、ビジネスホテル。」
    『ビジネスホテル?』
    「日帰りで来るには遠い場所だったから宿を取っといたんだ。けっこう質素な所だけど。」
    『なんて名前の所?』
    「ええっと・・・ローマ字でMURASAWAってとこ。美桜里君の家から駅二つ分の所にあるんだけど。」
    『・・・ああハイハイ!めちゃくちゃ安くてシンプルなとこでしょ?私も一回だけ泊まったことある。
    美桜里がまだ新婚の時に遊びに行ってさ、さすがに新婚夫婦の家に泊まるのは悪いと思ってそこに泊まったんだ。』
    なぜか声が明るくなっていく。それは余計に不安を掻き立てた。
    こんな夜遅くに電話を掛けてきて、目的も分からないままハイトーンな声色になられると、沈んだ声で話しかけられるよりよほど怖い。
    俺が泊まっているホテルの場所を知りたがっているようだけど、緊急に会いたい用事でも出来たのだろうか?
    「お姉ちゃんどうしたの?なんかあった?」
    心配になって尋ねてみると、『ちょっと聞きたいことがあって』と返してきた。
    『今日美桜里に会ったんでしょ?』
    「うん、久しぶり会って色々話をして楽しかったよ。」
    『じゃあさ、やっぱり私と会ったことも話したよね。性転換した事とかさ。』
    声に緊張が宿っている。俺はなんと答えようか迷ったけど、誤魔化したところで意味がないことだと思い、正直に伝えた。
    「その・・・・美桜里君はすごく心配してて、だからお姉ちゃんと会った時のことも話したんだけど。」
    『なんか言ってた?』
    「・・・・美桜里君がってこと?」
    『連絡とかずっと無視してたからさ。けっこう怒ってるんじゃないかなって。』
    「怒ってるより心配してた。でも元気にやってるって知って安心してたよ。」
    『じゃあ奥さんの方は?』
    「尚美さんもホっとしてた。二人共怒ったりなんてしてないから大丈夫だよ。」
    『ならよかった。』
    声に明るさが戻ってきて、お姉ちゃん自身もホっとしているようだった。
    「ごめんね、勝手に色々お姉ちゃんのこと話しちゃって。」
    今度はこっちが緊張する番であった。
    勝手にあれこれベラベラ喋ってしまって、今思えばなんて勝手なことをと反省してしまう。
    人には誰だって他人の口から伝えられたくないことがあるはずなのに。
    『いいよいいよ、いつかは私から話さなきゃいけないことだったから。なんか美緒ちゃんに押し付ける形になっちゃってごめんね。』
    軽い口調がかえって罪悪感を煽られる。
    もう一度謝ろうとしたのだが、それ以上に大事なことを思い出し、しかし口にするのを躊躇いながらも、これは言わなければならないと覚悟を決めた。
    「ごめんお姉ちゃん。」
    搾り出すように言うと、『なにいきなり?』と笑われた。
    『なんで謝るの?』
    「駅でお姉ちゃんと会った時、俺のことも色々話したよね。」
    『お互いに色んなこと話し合ったよね。美緒ちゃんの10年分の人生の話、すごい新鮮で楽しかったよ。あの時ほんとに会えてよかった。ありがとね。』
    「いや、うん・・・・俺も楽しかったよ。それでさ・・・その・・・美知留のことなんだけど・・・。」
    気が重くなってきて、テーブルに置いていたお茶を掴む。一口飲み込んでいると、お姉ちゃんは『うん』と頷き返した。
    『美知留がどうかした?』
    平穏を装っているけど、努めて冷静でいようとしているのが分かる声だった。
    緊張が俺にまで伝わってきて、もう一度口の中を湿らせた。
    「美桜里君と会って、お姉ちゃんの話になってさ、それで色々聞いたんだ。音信不通になってる事とか。
    それでその原因がその・・・・美知留だってことも。
    お姉ちゃんと話してる時、そのこと知らなくて普通に美知留の話なんてしちゃって・・・・傷つけたんじゃないかと思って。」
    『傷つく?なんで?』
    「だって俺のせいだから。アイツお姉ちゃんのこと振ったんだろ?格闘技まで辞めさせて一緒にいようって言ったのに・・・俺を追いかける為に。」
    『それも美桜里から聞いたの?』
    「いや、俺がしつこく聞いたんだ。美桜里君は最初は喋る気なんて全然なくて、でも俺がしつこくお姉ちゃんのこと聞いから・・・・。
    だから美桜里君は悪くない。俺が強引に聞き出しただけだから。」
    また余計なことを口走ってしまったと後悔する。
    どうしてこう物を考えないで喋って、後から反省するんだろうと、学習能力の無さに嫌になる。
    だがお姉ちゃんは『心配しなくても美桜里を怒ったりしないよ』と笑いながら返してきた。
    『こっちだって散々心配掛けてたんだからね、お相子でしょ。』
    「ほんとごめん・・・・。お姉ちゃんの気持ちも考えないで美知留のことなんか話しちゃって。」
    『ほんと気にしなくていいから。だって美緒ちゃんと美知留が付き合ってたなんて元々知ってるし。』
    そうなの?と聞き返そうとしたが、よくよく考えれば当たり前のことだった。
    美知留は忘れられない人がいるからとお姉ちゃんを振ったんだから、当然お姉ちゃんはその忘れられない人とやらを追求したはずだ。
    ならばそこで俺と美知留が付き合っていたことを知ってもおかしくはない。
    ということは、俺が美知留の話をしていた時、お姉ちゃんは全部分かっていたということになる。
    自分を深く傷つける元凶になった相手が目に前にいて、なのに怒りもせずに普通に会話をしてくれて・・・・。
    こんな事に今まで気づかないなんて、鈍いというより無頓着といった方が正しくて、いったいどれだけお姉ちゃんの気持ちを考えずにいたのか情けなくなってくる。
    謝りたいけど大した言葉が見つからず、ベッドに爪先を立てながら、もどかしい感情を押し殺すしかなかった。
    『美知留と私のことは美緒ちゃんには関係ないから。謝る必要もないし、心配する必要もないよ。』
    それは俺を慰めるようにも聞こえたし、余計なことに足を踏み込むなという牽制にも聞こえた。
    もしこれ以上美知留の話を望まないのであれば、それこそ美知留の話題を出すのはお姉ちゃんにとって申し訳ないということになるだろう。
    最後に「ごめんなさい」とだけ呟き、アイツの話題は打ち切ることにした。
    「俺からお姉ちゃんに言いたかったのはそれだけ。」
    『いいっていいって。なんにも美緒ちゃんが気にすることじゃないから。』
    電話の向こうにお姉ちゃんの顔が浮かぶ。
    きっとあっけらかんとした表情で言っているんだろうけど、美桜里君の言う通り実は繊細な性格ならば、それは無理をしていることになる。
    美知留の話はもう二度とすまいと決めて、「お姉ちゃんの方は?なにか用事があるんでしょ?」と話題を切り替えた。
    『ううん、特に用ってわけじゃないんだけど。どうしてるかなと思って電話しただけ。』
    「そうなんだ。一人退屈しながらベッドに寝転んでたところ。」
    『もしかしてもう寝るとこだった?』
    「ちょっとウトウトしてたけど全然平気だから。気にしないで。」
    『なんかごめんね、起こしちゃって。』
    「平気平気。俺も話し相手が欲しかったからさ。ちなみにお姉ちゃんはまだ仕事中?」
    『さっき終わったばっか。もうじきウチの選手の試合があるんだけど、準備とか相手方のジムとの話し合いとかけっこうやることあってさ。
    私トレーナーのはずなのに事務的な仕事の方が多くなってきてさ。それこそサラリーマンと変わんないよ。』
    「でもスーツすっごい似合ってたよ。あれお世辞じゃないからね。」
    『そう言ってくれて嬉しい。』
    それから30分ほど他愛の無い話を続けた。
    中身のない会話ほど楽しいもので、あっという間に過ぎていく時間に物足りなさを覚えるほどだった。
    やがてお姉ちゃんの方から『電話出てくれてありがとね』と言い、『あんまり夜更かしさせちゃ悪いから』と切り上げた。
    俺も「こっちこそ楽しかったよ」と返し、おやすみなさいと電話を切ろうとした。
    しかし終わりの終わりになって、お姉ちゃんの方からまた美知留の話題を振ってきた。
    『美知留のことなんだけどさ・・・・、』
    突然に言われて、上ずった声で「うん」と答えてしまう。
    『あの子捕まってるんだね。』
    なんで知ってるの!?と尋ねようとする前に、なんで知っているのか自分から話しだした。
    『実は昨日さ、家に弁護士がやって来たんだよね。』
    「弁護士?」
    『私もなんで弁護士が?って思った。でね、いきなり美知留さんのことでお話がとか言い出すわけよ。
    こっちも身構えちゃって、寝巻きでいるのも忘れて詰め寄ちゃったもん。あの子ってエキセントリックなとこあるじゃん?だからなんかしでかしたのかなって。』
    なるほど、お姉ちゃんにもそういう奴だと思われていたらしい。
    アイツの頭のリミッターが外れた時は、暴走しか選択肢がないことをよく知っているのだ。
    『案の定心配した通りだったよ。弁護士さんから逮捕されたって聞かされて、とうとうやっちまったかって、そこまで驚きもしなかったからね。
    けど被害者の話を聞いて青ざめた。だって元カノを線路から突き落としたって言うからさ。それって美緒ちゃんしかいないじゃんって。
    あの子美緒ちゃんが初めての彼女だって言ってたし、私はこうして無事なわけだし。』
    少し感情が昂ぶっているようで、若干ではあるが声が強くなっている。
    「でもどうしてアイツの弁護士がお姉ちゃんのとこに来たの?」
    『ええっとね・・・証言をしてくれないかって言われて。』
    「証言?」
    『美知留はとっても良い子で、人を殺そうとするような子じゃありませんって。』
    「それってつまり・・・・。」
    『裁判の時、美知留に有利な判決が出るようにする為だろうね。
    弁護士さんから聞いたんだけど、今更になって私を頼ろうとしてるみたい。
    結婚も考えてた大事な人だから、私の力になってくれるかもとか吹き込んでたみたいでね。
    だからそれは違いますって説明してあげたら、弁護士さんも呆れた感じで帰ってったよ。』
    なるほど、美知留ならさもありなんと、電話に向かって何度も頷いてしまった。
    『まあそういうことがあったからさ、あの子も可哀想だなと思って。』
    「可哀想?」
    『もちろん悪いことしたんだから自業自得だよ。けどなんて言うかな、あの子ってしっかりし過ぎてるっていうか、人の力なんて借りなくても生きていけるタイプじゃない?
    でもそれって実は寂しいことなんじゃないかなと思うんだよね。
    人間って生きてれば誰かに迷惑かけたり、傷つけたりとかあるけどさ、逆に助けてもらったり、感謝されたりとか、持ちつ持たれつで繋がってるわけじゃない。
    けどあの子にはそれがないんだよね。だからいつだって一人っていうか、孤独っていうか。』
    しばらくお姉ちゃんの言っている意味が分からず、「孤独」と呟き返してしまう。
    美知留は孤高なのであって孤独とは違う気がする。
    アイツ自身が人と交わることを望んでいないのだ。自分が認めた相手以外とは。
    でもそれはつまり、認めるべき相手がいなければずっと一人ということなのかもしれない。
    仮にそういう相手と出会っても、自分に振り向いてくれなければ意味がないだろう。
    俺は美知留に好かれていて、ということはアイツに認められてたってことだろう。
    だけど心の底ではやはり孤高なんだろうと感じる。
    もしどうしても俺が必要ならば、線路から突き落とそうとはしなかったはずだ。
    やはりアイツは自分のことしか考えておらず、それは自分自身でも自覚しているはずだ。
    そうでなければもっと人と仲良く生きていけるはずだから。
    コミュニケーションが苦手ならいざ知らず、美知留は実に人の心を掴むのが上手い。
    上手すぎて、アイツと付き合っている時はずっと手玉に取られていた。
    それが嫌で別れたようなものだ。
    『あの子はずっと寂しかったんだと思うんだよね。もちろん美緒ちゃんにしたことは許されないけど、初めて出会った理想の相手なんだよきっと。
    私はそうじゃなかったから振られちゃったけど。』
    最後は笑って言葉を濁したが、これは俺への皮肉というか、美知留への未練ともいうべき愚痴なんじゃないだろうか。
    「お姉ちゃんはまだ美知留のことが好きなの?」
    もしそうならお姉ちゃんは傷ついたままってことになる。どうかNOと答えて欲しかった。
    『分からない。未練があるっちゃあるし、でも今はもう付き合ってる彼女がいるし。格闘技だって選手は引退しちゃったけど、それだって前から考えてたことでもあるしね。
    今は指導者として関わることが出来て幸せなんだ。だから今更ヨリを戻したいなんて思わない。
    私が家族と連絡を経ってたのは傷ついてたせいだけじゃないよ。性転換の事とかこれからの人生とか、色んな事に向き合う為でもあった。
    ああやって傷ついた時って本音が見えるもんだからさ。自分を見つめ直すには良い機会だと思って。
    だから美桜里が思ってるほど落ち込んでたわけでもないんだよね。
    落ち着いたら連絡しようと思ってただけで。近いうちにあの子にも会いに行くよ。』
    静かな声でそう語って、『だから美知留とはもう関わる気はない』と言い切った。
    『あの子は可哀想だよ。多分これからもずっと一人のままなんだと思う。心のどこかでそれでいいと思ってるはずだよ。
    だから可哀想なんだよ。すごく能力も高くて、プライドも高くて、自信だって持ってる。
    そういう人ってきっと幸せになりくいんだろうね。』
    ああ、なるほどと相槌を打ってしまった。
    孤独だから可哀想なのではなく、優れた能力を持つからこそ幸せが遠ざかるって言いたいのだろう。
    なぜなら周りが全て自分よりも下に見えて、普通の人なら喜んだり感動したりする事でもそう出来なくて、最後は結局は一人でいいやって結論になってしまうから。
    おそらく美知留はもう俺には関わってこない気がする。
    あの時、俺を殺しに来たのは感情を爆発させたせいじゃなく、自分のプライドに傷を付けた相手を粛清しに来ただけなのだろう。
    もし美知留を置いてあの街から出て行こうとしなくても、いつかは同じことをしでかしたかもしれない。
    アイツが俺を殺しにかかってきたのは、自分の愛が届かすに傷ついたからじゃない。
    お姉ちゃんの言う通り、可哀想な奴だからだ。
    結局自分のことしか考えてなくて、自分にとってプラスかナイナスかしかなくて、美桜里君の奥さんと友達でいたのも、彼女がすごく理解のある優しい人だったからではないだろうか。
    もし少しでも批判的なことを言ったり、敵に回る素振りを見せたら、おそらく友達ではいられなくなるだろう。
    そういう意味ではやっくんとなんら変わりがない。
    自分の頭の中だけの世界で生きていて、自分の都合しか考えていないのだ。
    『じゃあもう切るね。』
    「うん、話せてよかった。ありがとう。」
    『こっちこそ。あ、でも電話を切る前に一つだけ。』
    「また美知留のこと?」
    『違う違う、美緒ちゃんのこと。』
    「俺?」
    固く身構えてしまって、電話を握る手に汗がにじんだ。
    美知留のこと以外で不愉快にさせるような事をしでかしてしまったのかなと、動悸が速くなる。
    『もう私の真似はやめた方がいいよ。』
    唐突なことを言われて、「真似?」と聞き返してしまう。
    『美緒ちゃんを見てて思ったんだけど、それって昔の私の真似でしょ?』
    「・・・やっぱり分かるもんなの?」
    『なんとなくだけどね。似合ってるならいいんだけど、なんか無理してる感じがしてさ。
    だって美緒ちゃんと私は全然違うタイプじゃない。私の知ってる美緒ちゃんはもっとホワっとしてるっていうか、丸い雰囲気の印象っていうか。
    その男っぽい服装も似合ってるっちゃ似合ってるけど、どこか違う気がするなあって。』
    「自分なりにちゃんと選んでるつもりなんだけど・・・やっぱり似合わない?」
    『ファッションとしてって問題じゃないよ。オシャレなのはすごくオシャレだと思う。
    けどそうじゃなくて・・・なんて言うんだろう?キャラと違うっていうかさ。例えば美桜里がパンクロックみたいな格好しても柄じゃないじゃん?』
    「まあ・・・・。」
    『あとね、美緒ちゃんってどう考えても同性愛者じゃないよ。私を真似して女の子を好きになったりしてるんだろうけど、これもなんか違うんだよね。
    多分だけど、美知留があそこまで美緒ちゃんに執着したのはそれが理由かもって思ってる。』
    「どういうこと?」
    『だって同性愛者じゃないなら、恋人として同性を好きになったりしないでしょ?
    どんなに演じたところで相手にはそれが分かるもんよ。どう頑張ってもほんとの意味で振り向いてくれない美緒ちゃんに、美知留は悔しさを感じてたかもね。』
    「悔しさ?」
    『異性が好きならそれでいいのに、自分を偽って同性愛に走っても意味ないよってこと。これずっと前にも言ったけど、同性の恋人を見つけるって大変なんだ。
    特に日本ではまだまだ理解が進んでないから、表に出さない人だってけっこういるし。
    美知留はやっとの思いで理想の相手に出会えたのに、実はその子は同性愛を演じてるだけでしたってことに我慢ならなかったのかも。
    どうあっても振り向かせてやるぞって、そういう悔しさもあったんじゃないかな。』
    「それってつまり・・・・美知留がああいう事したのは俺が悪いってこと?」
    『そうは言ってない。線路から突き落とすなんてやり過ぎだからね。ただ自分を偽る生き方はやめた方がいいってことを言いたいだけ。
    だって私、美緒ちゃんに真似されるほど立派な人間じゃないし。それに他人の真似ばっかしてたら自分の人生台無しになっちゃうよ。』
    ここ最近俺が気にしていることを言われて、錐で胸を突かれたみたいに、一瞬呼吸が止まってしまった。
    お姉ちゃんから見れば、今の俺の悩みなんてあっさり分かるものらしい。
    『私は外見は昔と変わっちゃったけど、中身は今でも変わらないよ。これでもちゃんと自分の人生歩いてるつもりだから。まあ胸が張れるほど立派でもないけどさ。
    でも美緒ちゃんは外見も中身も偽ってる気がする。だから次に会う時はさ、また昔のほんわかした美緒ちゃんに会いたいな。』
    胸に刺さった錐はそのままで、どうにか呼吸はできるものの、何も言葉を返せない。
    偽りの自分、偽りの人生と言われて、途端に涙が出てきそうで、今は声を発したくなかった。
    相手がお姉ちゃんだから余計に。
    『美緒ちゃんは美緒ちゃんのままでいいんだよ。もうイジメっ子もいないんだし、またこうして仲良く出来るんだから。怖がることないよ。』
    怖がる?と頭の中で反芻する。
    いったい何を?
    お姉ちゃんの言う通りもうイジメっ子はいないし、これからまたお姉ちゃんと仲良く出来るのだ。
    じゃあ何を指して怖がるなんて言っているのか理解出来なかった。
    『じゃあもう夜遅いから。いつか二人で飲みに行こうよ。』
    ぼんやりする頭で「絶対行こう!」と返したが、心ここにあらずのまま電話を切っていた。
    そしてすぐに馬鹿なことをしたと気づいた。
    俺がいったい何を怖がっているように見えるのか、どうしてそれを尋ねなかったのかと。
    今まで俺は人真似をして生きてきたけど、その理由はイジメっ子が原因でもなければ、お姉ちゃんに憧れたからでもないということなんだろうか?
    何も分からないまま、窓から見える船の光芒だけを追いかけていた。

    ゴキブリはどうして他の虫よりも嫌われるのか

    • 2018.05.26 Saturday
    • 11:55

    JUGEMテーマ:生き物

    ゴキブリが絶対に無理という人はけっこういます。
    ムカデやハチのように毒があるわけでもなく、ネズミやコウモリのように伝染病を媒介する危険性も低いのに、見ただけで恐怖を覚える人もいるようです。
    人に対する具体的な危険性が無いにも関わらず、ここまで人を恐怖させる生き物はそうはいないでしょう。
    私個人としては、ゲジゲジやフナムシの方が苦手です。
    足がいっぱいあるやつが苦手なんですよ。あとやたらと長い足をしているやつ。
    けどザトウムシは好きですけどね、あのユラユラと揺れるのが可愛いと思ってしまいます。
    けど大型のアシダカグモには恐怖を覚えますけど。
    ちなみにゴキブリに関しては、気持悪いとは思うけど、恐怖を感じるほどではありません。
    部屋の隅でカサカサと音がして、「ムカデか!?」と思いつつ確認して、「なんやゴキブリか・・・」と安心することもありますから。
    でも逆の人もいるんですよね。
    私の親戚の伯母さんはムカデもゴキブリも怖がりません。
    出くわした瞬間、足で踏みつけて仕留めてしまうほどですから。
    けど爬虫類は苦手で、特にトカゲ系のやつは悲鳴をあげそうになると言っていました。
    人が恐怖を覚える生き物って、毒があるとか危険だとか、それだけじゃないんですね。
    毒蛇とかクマとかスズメバチとか、それこそ命に関わる危険な生き物は別にして、そこまでいかないほどの危険度なら、むしろ造形の方に恐怖を覚えるのかもしれません。
    人が虫を苦手と思うのは、本能的なものよりも、知識や経験によるものだと言われています。
    寒い地方に住む人はゴキブリを見る機会がありません。
    だから初めてゴキブリを見せられると、怖がるどころか珍しく思うみたいです。
    それに子供も虫を怖がりません。
    小学生の頃なんて平気でゴキブリを掴む子もいましたから。
    私も子供の頃は平気で大きなカマキリを掴んでいましたが、今は無理です。
    嫌いなわけじゃないんですが、素手で掴めと言われたら躊躇います。
    小さなやつだったらいけるけど、オオカマキリは無理です。
    だって噛まれると痛いんですよ、あれ。
    背中を掴んでも鎌が届くから、これもチクチクして痛いんです。
    大人になった今、大きなカマキリを掴めないようになったのは、子供時代にそういう経験があったからだろうと思います。
    下手に手を出すと、噛まれ痛い思いをするということを学習したからです。
    でもゴキブリは毒もないし鎌もありません。
    じゃあいったいいつから恐怖を覚えるんでしょうか?
    何が理由でそうなるんでしょうね?
    姿かたちが人間とはかけ離れているから、生理的に恐怖を覚えるんだという説があります。
    けど虫なんてみんな人間とはかけ離れた姿をしています。
    だったら全ての虫・・・・いや、魚類や鳥類や爬虫類など、人間とはかけ離れた姿をした生き物全てを怖がるはずです。
    でもそうはなりません。
    ゴキブリが苦手だからって、チョウやテントウムシを見て恐怖を覚える人はいないでしょう。
    魚や鳥なんて普通に食べるわけだし、虫に近い容姿の甲殻類だって平気で食べます。
    じゃあなんでゴキブリだけ突出して嫌われるのか?
    これってかなり大きな謎ですよ。
    知識や経験によって虫を嫌うといっても、危険度が低く、特に人に痛みを与える手段も持っていないのに、なぜこんなに人類に嫌悪と恐怖を与えるのか?
    その容姿だけで人を恐れさせることが出来る。
    ある意味では、他のどの虫も持っていない強力な武器を備えていると言えますね。
    殺虫剤の類も、対ゴキブリ用が一番充実していますし。
    なんとも謎の多い虫だと思います。

    海の向こう側 第十三話 孤独と孤高(1)

    • 2018.05.25 Friday
    • 13:55

    JUGEMテーマ:自作小説

    他人の卒業アルバムを見るというのは、中々新鮮な感覚である。
    知らない人間しか写っていないのに、つまらない写真だと思わないのは、例え他人であっても人生の流れを見るのが面白いせいかもしれない。
    童顔の俺は昔っから顔立ちが変わらないので、アルバムを見てもほぼ同じ顔である。
    羨ましいなんて友達に言われることもあるが、下手をすると中高生に間違われることもあるので、お酒を買う時などはよく困るのだ。
    姉からは「童顔はある時期までは変わらないけど、それを過ぎると一気に老ける」なんて脅されたもんだから、肌には気を遣っている。
    そういうこともあって、濃い顔立ちや大人びた顔立ちの人が羨ましかったりする。
    そういう人ほど成長と共に顔つきが変わるので、アルバムを眺める楽しさは倍増するはずだ。
    今俺が見ているのは、奥さんの高校時代の卒業アルバムである。
    ここにはかつて俺が付き合っていた彼女が写っていた。
    昔から派手な顔立ちをしていて、目元から鼻筋がきっちりと通っている。
    気の強そうな目はこの頃から変わらないようで、凛々しいと思う反面、どこか見る者を不安にさせる眼力が宿っている。
    高校時代の写真だから、当然今よりは幼い顔立ちをしているものの、同年代の中では一番大人っぽいのではないかと思うほど、甘えを感じさせない独立心の強い表情だ。
    正面から写した生徒の紹介写真でもそうだし、所々に写る体育祭や修学旅行の写真も同じである。
    アイツがやたらと人に世話を焼きたがるのは、自分のことなんてなんでも簡単にやってのけてしまうものだから、持て余した力を誰かの為に使いたいのだろう。
    ただしその相手は誰でもいいというわけではなく、自分の認めた相手でなければならない。
    俺は奥さんに尋ねた。
    高校時代の彼女はどんな生徒だったのかと。
    すると俺の予想通り、高校生とは思えないほどのしっかり者だったそうだ。
    常に隙がなく、かといって無理しているようにも思えず、困っているクラスメートに手を貸すこともしばしばだったとか。
    ただし自分が嫌っている相手に対しては辛辣であったそうだ。
    男子に対しては基本的に冷たい態度であったらしく、生理的に嫌いだからというのが理由らしい。
    その辺は俺も知っている。付き合っていた時も同じような事を言っていた。
    中性的で大人しい男子には優しさを見せることもあったそうだが、決して必要以上に仲良くすることはなかったという。
    どこにも属さず、誰かに同調したり媚びを売ったりも絶対になく、完全に我が道を歩く戦士のごとき逞しさだったとのことだ。
    ある時など、同学年のボス的な女子から目を付けられて、イジメの標的にされかけたという。
    理由はとにかくモテたから。
    美人でしっかり者であるが故に、冷たい態度ながらも多数の男子から好意を寄せられて、その度に一蹴していたという。
    また女子の中にも恋愛感情を抱く生徒がいたそうで、何度か告白されているのを見たこともあるそうだ。
    男女問わず人気があって、どんな派閥にも属さずに我を通そうとする。
    なるほど、スクールカーストの上位に位置する同性から確かに狙われそうだ。
    いかに美人でいかに優秀であろうとも、どんな派閥にも属していないのなら、その生徒の立ち位置はカーストの外になる。
    封建制度著しい日本の学校では、どうぞターゲットにして下さいと言っているようなものであろう。
    だが実際にイジメが行われることはなかったそうだ。
    なぜなら簡単に返り討ちにしてしまったからである。
    嫌がらせが始まった初日のこと、すぐに自分がターゲットにされているのだと気づいた美知留は、ある行動に出た。
    イジメの主犯格であるボスにはイケメンの彼氏がいたのだが、これを奪ってしまったのである。
    ボスと彼氏が仲良く下校している所へ堂々と突撃し、強引に彼氏の手を引いて連れ去ってしまったのだそうだ。
    相手はいきなりのことで呆気に取られ、追いかけることすら出来なかったという。
    そして翌日、その彼はすっかり美知留に心酔していた。
    奴は自分の美貌が武器になることは重々知っていた。
    それに人の嫌がることもよく分かっていれば、喜ぶこともよく理解している。
    美貌に加え、人を転がすのも上手いとなれば、高校生の男子を手玉に取ることなど造作もなかっただろう。
    その男子にしてみれば女神が舞い降りたように錯覚したはずだ。
    とびきりの美人がいきなり現れて、溢れんばかりの愛情というか、母性というか、そういうもので包み込んでくれたと騙されても仕方ない。
    優しい優しいお姉さんのように甘えされえてくれる美女は、やはり女神に感じてしまうんではないだろうか。
    まあとにかく、奴はイジメっ子の彼氏を奪い取った。
    そして翌日には捨てた。
    次はボスの取り巻きの女子の彼氏を狙い、これもまたアッサリと奪ってしまった。
    その男子も翌日には捨てて、次なるターゲットも容易に仕留めた。
    これを五回ほど繰り返すと、敵は完全に沈黙してしまったという。
    カーストの外にいる者にあっさりと男を奪われ、その翌日にはもういらないとばかりに捨てられるなんて、これでは上位に君臨する者のプライドも何もあったものじゃないだろう。
    更には捨てられたはずの男子は未だ美知留にご執心で、親衛隊を気取って取り巻きに変わる始末。
    下手に手を出そうものなら、取り巻きの男子たちがボディガード気取りで美知留を守り、他の女子も噂話によって盛り上がっていたそうだ。
    これほど屈辱的なことはそうそうないだろう。
    ボスのグループは力も威厳も失い、対して美知留は畏怖と羨望の眼差しを向けられるようになったという。
    だがそんなものにはまったく興味のない美知留は、今までとなんら変わりのない態度だったそうだ。
    孤高というか一匹狼というか、本人が望めばいつでも友達も恋人も手に入る立場なのに、偉ぶる素振りも媚びる素振りも見せずに高校生活を終えた。
    そして美桜里君の奥さんだけが唯一、孤高の女王と親しい友人であったそうだ。
    自分でも分からないけど、なぜか向こうから話しかけてきてくれて、気がつけば仲良くなっていたという。
    美知留の行動には眉を潜めることもあったが、二人でいる時は気兼ねなしに話せる大事な友人だと語った。
    高校を出てからもちょくちょく食事をしたり遊びに行ったりと、大人になってからも仲は続いていた。
    ちなみに同性愛者だと知ったのは、高校を卒業する間近になってのことらしい。
    あれだけモテるのにどうして彼氏を作らないのか尋ねたところ、そう打ち明けられたのだという。
    自分の恋愛対象は女の子で、いつでも自分を必要をしてくれるような子がいい。
    ただし依存してくるような子は嫌で、頑張ってるんだけど空回りしているような子を見ると、胸が疼くのだという。
    それを聞いた時、じゃあ自分と仲良くしてくれるのはそういう気持ちがあってのことなのかと尋ねたそうだ。
    美知留は真剣な顔で首を振った。
    尚美は友人として好きなんだと。
    今までそんな風に思える相手はいなかったから、これからも仲良くしてほしいとはにかんでいたという。
    美桜里君の奥さん、尚美さんにとっては美知留はかけがえないのない友人であり、だからこそ心配もしていたそうだ。
    美知留はしっかり者だし、大抵の事は一人でこなせるけど、それゆえにずっと孤独なままなんじゃないかと。
    だから初めて彼女が出来たと聞いた時は嬉しかったそうだ。
    高校を出て6年後、23になってようやく理想の相手と出会えたと、興奮した声で電話越しに喜びを表していたという。
    あんなに楽しそうに惚気話を披露する美知留は初めてで、ようやく良い人が見つかったんだなと、友人としてホっとしていたらしい。
    しかしその彼女は美知留を振った。自らの人生を追求する為に、自分探しの旅という青臭い冒険に出かけてしまったからだ。
    『絶対に諦めない。あの子は私と一緒に生きるの。その為に生まれてきたに決まってる。』
    そう聞いた時、少し背筋が寒くなったと言った。
    このままでは美知留の為にならない。
    どうしようか悩んでいたところ、お姉ちゃんのことを思い出したのだ。
    そこで美桜里君に相談してみたという。
    お義姉さんも恋人を欲しそうに漏らすことがあるので、私の友達を紹介してもいいかと。
    すると彼は、美知留がどういう人物かを聞いて少し迷ったと言った。
    姉ちゃんは見た目とは裏腹に繊細で傷つきやすく、そういう子を紹介しても大丈夫だろうかと。
    尚美さんは「根は悪い子じゃないから平気だと思うけど」とフォローを入れつつ、最終的な判断は本人に任せようということで、お姉ちゃんに話を持ちかけたのだった。
    その後の流れはすでに聞いた通りで、最初こそ上手くいっていたものの、お姉ちゃんにとってはショックな終わり方を迎えてしまった。
    深い傷心のせいで身内とさえも連絡を絶ち、今どこで何をしているのか分からない状況が続いていたという。
    いったいどうすればお姉ちゃんと連絡を取ることができるのか?
    散々悩んだ末、ある人物のことを思い出した。
    実は俺をここへ呼んだのは、お姉ちゃんと連絡を取ってもらおうとしてのことだったのだ。
    俺と縁を切ってから10年、俺がお姉ちゃんを忘れなかったように、お姉ちゃんも俺のことを忘れることはなかったらしい。
    「今ごろ美緒ちゃんどうしてるんだろうな。」
    そう呟くことがよくあったという。
    だったら俺が電話なりメールなりをすれば返事を寄越してくれるんじゃないか?
    どうか協力してくれないかと相談する為に呼び寄せたのだが、俺はここへ来る途中にお姉ちゃんに会ってしまった。
    だから美桜里君も奥さんも驚いていたのだ。
    事情を知った俺は、お姉ちゃんと会った時のこと、お姉ちゃんと話した内容を全て伝えた。
    その中で最も驚かれたのが性転換をしたことだった。
    二人共しばらく氷像のごとく動きを止めていて、酸素を求めて水面に顔を出す魚を一時停止したかのような、驚き以上の驚いた様子をしていた。
    美桜里君曰く、昔から性転換のことは考えていたそうだが、そんな大事なことを家族に黙ったまま行うなんてと、怒りと悲しみが混じった嘆きを漏らした。
    「別に反対なんかしないのに・・・・なんで一人でそこまで。」
    高ぶる感情を誤魔化すように頭を掻き、奥さんが「きっと悩みに悩んでの決断だったのよ」とフォローを入れた。
    「けど元気そうでよかった。ほんとに心配してたから。」
    胸を撫で下ろすように息を吐くのは、お姉ちゃんを心配してのこともあるだろうけど、美知留を紹介してしまった自分への責任を感じてもいたからだろう。
    別に奥さんが悪いわけじゃないし、もちろん美桜里君もお姉ちゃんも悪くない。
    みんなそれぞれ事情や思う所があっての行動で、誰も責任を感じる必要などないのだ。
    ただ一人を除いて・・・・。
    お姉ちゃんと別れたあとの美知留がどうなったのか、二人は予想もしていないだろう。
    殺人未遂で逮捕されて留置所暮らしをしているなんて事実を知れば、奥さんは更に悲しんでしまうはずだ。
    これは俺の胸にしまっておこうと決めた。
    だがその決断はあっさりと崩壊することになってしまった。
    「お姉さんが元気だってことは分かったけど、美知留の方とも連絡がつかないのよね。あの後どうしてるんだろう。」
    さっきから奥さんの話しぶりを聞いていて思ったのだが、どうやら俺と美知留が付き合っていたことは知らないようである。
    奴は彼女が出来たことは報告したけど、どんな相手なのかは詳しく伝えなかったのだろう。
    いまや俺にとって美知留は恐怖の存在でしかないけど、奥さんにとっては大事な友人だ。
    残念ながら美知留は無事ではなく、殺人未遂で刑務所に行く可能性がある。
    もしそれを知ったら・・・・奥さんはじっとしていないだろう。
    留置場の面会は友人でも可能なので、必ず会いに行こうとするはずだ。
    その時、美知留は誰にこの事実を聞いたか尋ねるだろう。
    それを知った時のことが恐ろしい・・・・。
    もうわけの分からない恨みを買うのはゴメンで、今後一切アイツとは関わりたくないのである。
    だが友人を心配する奥さんの気持ちは本物で、お姉ちゃんの無事が確認できた分だけ、今度は美知留への心配が増しているようだった。
    かつて美知留自身に言われたことを思い出す。
    美緒はお人好しだと。
    こういう時、もっとドライに、もっと冷酷になれればいいんだろう。
    でも胸に疼く偽善だか正義感だか分からないけど、そういうものに支配されてついつい無視できなくなってしまう。
    「あの、美知留は今・・・・・、」
    アイツが何をして、今どこにいるのか全てを語る。
    美桜里君も奥さんも、お姉ちゃんが男になったと聞いた時と同じくらいに、氷像のごとく無表情になってしまった。
    さあ、これで奥さんは美知留に会いに行くだろう。
    アイツは俺への恨みを増大させて、いつの日か俺の前に・・・・いや、この前みたいに後ろに現れて、俺を殺しにかかってくるかもしれない。
    覆水盆に返らず、タイムスリップが不可能な現代では、やっちまったなと飲み込むしか術がない。
    「美知留のいる警察署の場所を教えて。」
    そら来たと、険しい顔で睨んでくる奥さんから目を逸らす。
    横を向いていても視線の圧力を感じて、無言でいるのが難しくなってくる。
    俺はよほど引きつった顔をしていたのだろう、美桜里君が「そんなに睨まないで」と止めてくれた。
    「その美知留ちゃんって子、美緒ちゃんの彼女だったんだろ?てことはその子が姉ちゃんを振った理由って・・・・。」
    「俺のせいだと思う。ごめん。」
    「謝ることないよ。美緒ちゃんが悪いんじゃないんだから。」
    ショックだったのだろう。美桜里君の表情も奥さんに負けじと険しい。
    自分の姉と付き合っていた者が警察に捕まるなんて、安易に受け止められることじゃないだろうから。
    美桜里君はお姉ちゃんのことを、奥さんは美知留のことを心配し、苦虫を噛み潰した顔のまま場の空気が悪くなっていく。
    互いが気に掛ける相手は違っていて、その真ん中にいる俺はとても居心地が悪く、できればこの場から立ち去りたかった。
    しかし爆弾と燃料を投下したのは俺自身であり、今すぐに逃げ出すわけにはいかない。
    どちらに話を合わせてもどんどん空気が悪くなりそうなので、ここは俺自身のことを話すことにした。
    「俺はずっとお姉ちゃんに憧れてて、ずっと真似をして生きてきたけど、それは幻だったんだって今日ハッキリしたんだ。
    美知留とは恋人の関係だったけど今は違う。アイツは俺を殺そうとした犯罪者だ。
    やっくんっていう高校ん時の友達がいて、そいつは俺のことストーカーしてる。」
    美桜里君が一瞬だけ表情を変えたのを見逃さなかった。
    さっきお姉ちゃんと会った時のことを説明する際、流れでやっくんのことも話してしまった。
    俺と美桜里君を混同していて、大きな勘違いの元に俺に付きまとっていると。
    「世間は狭いんだな」と呟いた美桜里君の言葉が印象的だった。
    「俺、周りに振り回されてばっかりでさ。でもそれって自分が悪いんだ。みんな好かれ悪かれ自分なりの芯みたいなのがあるのに、俺だけそうじゃない。
    まるで骨のない生き物みたいにフニャフニャ生きて来てさ。でもそれって良くないことなんだと思う。
    今日ここに来たのは自分と向き合う為だった。美桜里君に合えばお姉ちゃんのことだって鮮明に思い出せる。
    そうすればお姉ちゃんを真似して生きてきた今までの人生がどんなものだったのか、ハッキリするかもって思ったから。
    けど偶然にお姉ちゃん本人に会って、それでも答えなんて出ないままなんだ。
    最近じゃ自分の幻まで見えるようになって、これっていよいよ頭がおかしいのかなって不安になったり。」
    二人は黙って俺を見つめていて、目の奥には不思議そうな光が宿っていた。
    いきなり自分語りかよって呆れかもしれないし、何を場違いな話を繰り出してるんだって罵りかもしれない。
    自分の為に自分の話をしているのは、今日ここへ来たことが自分の為だからこそである。
    俺はもうお姉ちゃんの人生には関われないし、美知留にも関わる気はない。
    やっくんだって近いうちに関わりを絶つだろう。
    そのうち俺は一人になって、でもその時こそ自分が見えてくるような気がしていた。
    無言の圧力に耐えかねて目を閉じる。
    瞼の裏に水平線が浮かんで、もう一人の俺が手を振った。

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