あちこち
- 2018.07.31 Tuesday
- 11:45
JUGEMテーマ:写真
ちょっと涼しくなって、外にいても平気になりました。
セミの声も大きく、虫も喜んでいるようです。
草むらを歩けば小さなバッタが飛び跳ねます。
田んぼの傍を歩くと小さなカエルが飛び跳ねます。
あちこちで小さな命が謳歌していました。
- 写真・カメラ
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JUGEMテーマ:写真
ちょっと涼しくなって、外にいても平気になりました。
セミの声も大きく、虫も喜んでいるようです。
草むらを歩けば小さなバッタが飛び跳ねます。
田んぼの傍を歩くと小さなカエルが飛び跳ねます。
あちこちで小さな命が謳歌していました。
JUGEMテーマ:テレビ全般
JUGEMテーマ:社会の出来事
ミュージシャンはCDが売れなくなった代わりにライヴが盛況だそうです。
テレビの視聴率もスポーツ中継は好調のようです。
バラエティ番組がつまらないと言われていますが、テレビとは関係ない舞台の上のサンドウィッチマンの漫才は大人気のようです。
これって多くの人が虚像の世界に飽き飽きしているんだと思います。
スポーツは筋書きのないリアルだし、漫才は最初からフィクションと分かって上で楽しむものです。
ミュージシャンのライヴは生の演奏を体感できるリアルがあります。
さもリアルに見せかけて、実は台本ありきで進んでいく報道やバラエティに、視聴者はうんざりしているんだなって分かりますね。
フィクションならフィクションと最初から言えば、これはコントなんだなとか、ドラマなんだなと楽しめます。
要はそういうものを作れるだけの力がないから、嘘をリアルに見せかける必要があるんでしょう。
嘘をリアルと見せかけた茶番はもうたくさん。
私は電波オークションに賛成しています。
数少ない決まった局だけが放送権を手にしていることの異常さはありません。
そもそも放送権ってテレビ局のものじゃないんですよ。
あれは総務省が権利を貸出しているだけで、一部の企業が独占していいものじゃありません。
日本のように娯楽産業がさかんな国で、限られた局しかテレビ放送を出来ない仕組みってどう考えてもおかしいです。
地方に行けばたくさんローカル局があるけど、結局はキー局の系列というだけで、独立したテレビ局は少ないです。
東京から全国へ発信できる局を増やさない限り、テレビがつまらなくなるのを止める術はないと思います。
決まった局とだけ争っていていい番組ができるわけありません。
しかもそれぞれ個性を発揮するならともかく、横並びの番組の多いことも問題です。
特に報道が横並びになることは、面白いとかつまらないとか以前に怖さを感じてしまいます。
そして何より問題なのがNHKでしょう。
誰か一人でもいいからテレビに出ている人がNHKの受信料を問題視してくれたらなと思います。
テレビの世界にいる人は誰も逆らえないみたいな感じの。
民法に対しては強気に出る政治家も、NHKの受信料を大声で問題にすることは少ないです。
ただ今のところは法律で義務化されておらず、罰則もありません。
そうなればありがたいなんて言ったNHKの偉い人がいましたが、その発言の内容はさも払って当然みたいな文言でした。
24パーセントが払っていないから公平ではないとのです。
なら100パーセント誰も払わなくなれば公平なので、それでいいんじゃないでしょうか。
この発言をした偉い人、NHK会長の籾山さんという人なんですが、ゴルフに行く為にハイヤーを使っておいて、その料金の請求がNHKになっていたことがあるそうです。
なんで個人のゴルフで使ったハイヤーの料金をNHKに回すのか?
会長ならなにしてもいいのか?
内部告発で明らかになりましたが、それがなければ永遠にバレないままだったでしょう。
モリカケ問題をずっとやっていますが、他のテレビ局は是非こういう問題をこそ大々的に扱ってほしいものです。
テレビの世界は虚像であり、その裏側にはドロドロした利権が絡んでいるんだろうなあというのは、今や多くの人が知っていることでしょう。
こんな状態でテレビの人気が回復するわけがありません。
ほんとうに未来のない業界だなと思います。
インターネットが何もかも万能で素晴らしいとは言いません。
災害時などはやはりテレビの力が大きいです。
けど今のままでいいとも思いません。
放送の為の電波をオークションにかけ、新規のテレビ局を増やしていく。
そしてNHKの受信料は強制をNGとする。
この二つをやるだけで明るい未来がありそうなのに。
私の場合、一週間のテレビ視聴時間は1時間ほどです。
単純にテレビの前に座っている時間がもったいないと感じるようになったからです。
電波オークションが出来ないのも、NHKの受信料が強制なのも、テレビがメディアの王様だからこそまかり通ることです。
早く王座から陥落する日が来ないかなと待ちわびています。
そうなった時、ちょっとは報道もマシになって、ドラマやバラエティも面白い番組が戻ってくるんじゃないかと思います。
JUGEMテーマ:写真
写真家のアラーキーがあるインタビューでこう言っていました。
若い写真家にアドバイスをと求められ、人に教わろうなんて奴はやめちまえと。
教えを請う奴なんダメなんだよと。
そのあと冗談っぽく笑ってから、きとんとアドバイスをしていました。
けどそのアドバイスは全然重要と思わなくて、最初に言った人に教わろうなんて奴はやめちまえの方がすごく心に響きました。
別に私は若者ではないですが、アラーキーの言っていることは正しいと思います。
ただ単に職業としてやるだけなら教えを請うのは正しいと思います。
けど写真なんて儲かる仕事じゃないし、デジカメの普及した現在では尚更です。
アメリカのとある新聞社は写真部そのものを無くしてしまい、カメラマンはみんな解雇になったそうです。
スマホですらかなり綺麗に撮れる時代だし、なんなら動画の一部から抜き出しても綺麗な写真が得られる時代です。
職業としてのカメラマンは需要が減りつつあります。
そんな中で写真をやる意味ってなんだろう?
単純に好きだからなんですよね。
そして以前よりちょっとでも良い写真を撮りたいと思っているんです。
それ以外に写真をやる理由はありません。
お金を稼ぐのが目的なら写真は向かないですから。
一発当てたいっていうなら漫画家や小説家の方がまだ望みがあるでしょう。
もちろんとんでもなく険しい道でしょうけど。
ただそれ以上に写真で儲けるっていうのは望みが低いんですよ。
だからやっぱり写真をやり続けているのは好きだからになると思います。
好きでやってるんだから、いったいどこに人に教えを請う必要があるのか?
技術的なことは本を読めば書いてあります。
本だけで分からないならネットに教材動画もあるし、なにより実践してみるのが一番です。
カメラの簡単な知識ならカメラ屋さんで買えば教えてくれるし、ネットで質問しても答えてくれます。
学ぼうとする姿勢は大事だけど、習おうとする姿勢じゃどこまで写真を楽しいと思えるのか?
私はかつて写真の専門学校に行っていたけど、教えを請うような内容は一つもなかったです。
もちろん楽しい時間だったし、同じ趣味を持つ者同士で友達も出来ました。
だから学校に行ったことは後悔していません。
けどほんとに大事な部分って学校じゃ身に付かないものだと思います。
在学中からプロになる人もいるけど、そういう人ほど自分の写真を楽しんでいるようでした。
きっと知っているんだと思います。
好きだから、楽しいから写真を選んだんだってことを。
そうじゃない人もけっこう多くて、ただなんとなく来ている人はやめていきます。
楽しいと思えないんだから当たり前ですよね。
人に教えを請う時点で自由はなくなり、楽しい事さえ義務のように感じてしまい、すごく窮屈なものになってしまうでしょう。
カメラマン自体が貴重で、それなりの給料を貰えていた頃と、そこらじゅうにカメラマンがいて、商業的な写真の値打ちが下がった現在とでは、写真に対する考え方も変わっていくでしょう。
自分が撮りたいから撮る。
欲しいからカメラを持って、行きたい場所へ出かけて、撮りたいと思うものを撮る。
それ以外に写真をやる理由ってないように思います。
向上心は大事だけど、必ずしも教えを請う必要はありません。
今の時代、写真は名誉にもならなければお金にもなりません。
そういうものが欲しいなら別の道を探した方がいいでしょう。
名誉が欲しいならクラシック音楽や絵画には敵わないし、エンターテイメントという意味では漫画や小説には敵いません。
写真ってすごく中途半端な存在なんです。
じゃあその中途半端なものに意味を与えられるのは自分だけなんです。
短い時間で意味を持たせることは難しいでしょう。
継続は力なり、続けてこそ自分なりの意味が見えてくるはずです。
だったら好きでいるのが一番ってことですね。
なんでも好きじゃなきゃ続きません。
撮りたいけど撮れない日々が続いているけど、私は写真が好きなのでやめないでしょう。
今はまだ意味を探して撮っている最中です。
JUGEMテーマ:写真
写真を撮りに行きたいけどあまりの暑さに遠慮しています。
写真って撮りに行かなきゃ!って思うと苦痛なんですけど、撮りたい時に撮れないのはもっと苦痛です。
この暑さが少しでも治まってくれれば撮りに行くんですが、いかんせん無理していると倒れてしまいます。
夏には夏にしか撮れない写真があるんです。
セミとか緑とかそういうことじゃないですよ。
四季にはそれぞれ空気があって、ちゃんと写真に写るものなんです。
後から写真を見返した時、夏だけ抜けてるとなんか寂しいんです。
そして後悔するんです。
ちょっとくらい撮っておけばよかったって。
また来年も夏が来るじゃんって思っちゃいけません。
その時その時に撮るのが大事です。
いつでも撮れるからって思うと、結局何も撮らずに終わってしまうものです。
写真は時間の芸術です。
だから腕のある写真家はよくこう言います。
写真は瞬発力だって。
お笑いで言うならアドリブみたいなもの。
作りこんだコントは絵画であって、写真じゃないんですよ。
芸人さんのトークのアドリブってその瞬間に言うから面白いんだと思います。
だから腕のある芸人さんほど瞬発力があるってことです。
写真はこれと同じでやっぱりその瞬間その瞬間が大事です。
私は毎年蛍を撮りに行くんですが、今年は行きませんでした。
そうなると来年も行かない可能性が高いです。
一度サボってしまうとズルズル行くもので、その時の油断でずっと撮らなくなってしまう被写体とかあるんですよ。
だからこそ撮りたい時に撮れないもどかしさは半端じゃありません。
でもこの猛暑だとさすがに・・・・・。
私が撮りたいと思っているのか、カメラが撮ってほしいと訴えているのか。
カメラを見ると泣いている気がしました。
JUGEMテーマ:格闘技全般
数多ある武器の中、もっともシンプルといえば棒じゃないでしょうか。
刃物でも鈍器でもなく、ヌンチャクや鎖鎌のように特殊な武器でもありません。
ただの棒です。
しかし多くの武術で棒は取り入れられています。
棒術という独立した武術もあります。
警察は警棒を持ち、警備員は長い棒を持っていることがあります。
どうしてただの棒なのにここまで重要視されるのか?
どうして多くの武術や組織で取り入れられているのか?
それはシンプルゆえの使いやすさかもしれません。
杖術には「突かば槍、払えば薙刀、持たば太刀」という言葉があります。
杖とは棒のこと(実際には杖術で使う杖の方が短いそうです)
そしてこのシンプルは武器はどんな武器にも成りうるという意味なのでしょう。
刃物や鈍器は用途が決まっています。
刀は斬る為、槍は突く為、薙刀は薙ぐ為です。
もちろん色々な使い方ができますが、第一の目的な決まっています。
だけど棒はそうじゃありません。
こういうのがメインですよって決まっていないんですよね。
だからどんな使い方をしようとも自由。
それに刃物は扱いが危険ですが、棒はそうではありません。
刀や槍だとどう手加減しても傷を負わせてしまいます。
ていうかクリーンヒットしたら死ぬでしょう。
だけど棒の場合は加減がしやすく、軽い傷で取り押さえることも出来れば、命を絶つことも可能です。
それに間違って自分を傷つけることもありません。
また相手に奪われてしまった場合のリスクも低いです。
刀や槍は敵に奪われると自分が殺されるかもしれません。
だけど棒の場合、敵が棒術に長けていなければ致命傷を負わされる可能性は低いでしょう。
刀はかすっただけでも大怪我だけど、棒ならそうはなりませんから。
棒は一番手に入りやすく、扱えるようになれば汎用性も高く、加減も出来れば敵に奪われた際のリスクも少ない。
ある意味一番優れた武器かもしれません。
時代劇を見ていても、奉行所が敵の屋敷に踏み込む時は棒を持っている人が大勢います。
また奉行所の見張りをしている人も棒を持っています。
現代でも警官が長い棒を持って警備に当たっていることがあります。
それくらいに棒って優れた武器だし、棒術って用途の広い武術なんですね。
刀や槍のように、一つのことに特化していないからこそ親しまれる物なんだと思います。
ただ戦国時代の戦では槍の方がいいでしょうね。
現代でも銃剣といって、銃の先に刃物を取り付けた武器があります。
戦場のように命の奪い合いをする場所なら刃物の方が断然強いと思います。
けど日常でそんな事態になることはほとんどありません。
殺し合いでもない限りは、棒の汎用性の高さが一番なのでしょう。
シンプルだけどもっとも奥深い武器なのかもしれませんね。
JUGEMテーマ:格闘技全般
格闘技のプロは普通の人よりも強いはずです。
喧嘩自慢の素人がリングの上でボクサーにボコボコにされるパターンは珍しくありません。
けどそれはあくまで格闘技という競技の中での話。
ルール無用のストリートファイトならどうなのか?
漫画バキの中で、御老公がこんなことを言っていました。
「盛り場の喧嘩でプロが素人に不覚を取るのはよくある話」
脱獄した死刑囚にバキが負けたあとのワンシーンです。
格闘技の試合はルールに守られているから、ルール無用の戦いになると不覚を取ることがある。
これは試合性の弊害であると言っていました。
じゃあ現実の世界ではどうなのか?
実は格闘家がやられたパターンはあります。
某総合格闘家が素人のパンチで骨折するという事件がありました。
相手は土建業の人なので力はかなり強いでしょう。
けど格闘技は素人なので、普通なら格闘家が負けるはずがありません。
じゃあどうして負けたのかというと、格闘家の方が抵抗しなかったからです。
素人相手に手を出したら大怪我をさせてしまいます。
だからあえて抵抗しなかったそうです。
暴行した相手は捕まりました。
そしてその格闘家は顔面を骨折。
この場合、怪我を負った格闘家の負けとも言えますが、それは手を出さなかったからです。
もし反撃していればあっさりと勝ったでしょう。
ちなみに格闘家の方も手を出したパターンがあります。
これは昔に読んだ元警察官の本に書いてありました。
著者の同僚に腕っ節の強い刑事がいたそうで、サウナかどこかでプロのキックボクサーと喧嘩になったそうです。
ちなみにその刑事さんも武道を嗜んでいますが、プロではありません。
キックボクサーと刑事の戦い。
決着はどうなったかというと、刑事の圧勝だったそうです。
顔面に思いっきりパンチをめり込ませ、キックボクサーの方は一撃でダウンです。
ただしこの刑事さんは相当な腕っ節の強さで、絡んできたチンピラを一瞬で二人も倒してしまったほどだそうです。
この刑事さんはただプロの資格を持っていないだけで、実力的にはプロに匹敵する武道家だったのでしょう。
完全な素人ではありません。
そもそも刑事だから荒事には慣れているでしょうし。
一つ目は格闘家が手を出さなかったパターン。
二つ目は相手がプロではないというだけで、プロを圧倒する実力者だったパターン。
じゃあ完全な素人がプロを打ち負かしたっていうのは・・・・聞いたことがないです。
調べていけば多少は見つかりましたが、どれも信ぴょう性に欠けるものです。
そもそも名前の通っているプロなら喧嘩なんてしないでしょう。
あの魔裟斗さんも素人に喧嘩を売られた際、絶対に手を出さなかったそうです。
理由は殴れば相手が死んでしまうからです。
それくらいに一流のプロのパンチやキックは威力があるんですよ。
逆の話ならよくあります。
これは有名ですが、ガッツ石松さんは一人で15人を相手にして勝利したそうです。
まとめて全員相手にするのは無理なので、狭い場所へ逃げていき、追いついてきた相手を一人ずつ倒していったそうです。
合計で8人ノックアウトしたのだとか。
そこまでやられたら残った人も戦意喪失してしまうでしょう。
もう一つあります。
とある空手家がチンピラ相手に戦った話が。
先にちょっかいを出してきたのはチンピラ。
しかも鉄アレイで殴りかかってきたそうです。
怒った空手家は反撃、あっさりと二人を倒してしまいました。
そのうちの一人は内蔵が破裂していたとか・・・・。
こんなのどう考えても空手家の正当防衛なのに、民事裁判では負けてしまったそうです。
おい裁判官!格闘家は鉄アレイで殴られても黙ってなきゃいけないのか!
こんなひどい判決はありません。
けど相手も内蔵破裂して大きな手術を受けたそうですから、こういう判決になってしまったそうです。
世知辛い話です。
やはり格闘家の攻撃力はパンパじゃありません。
もし素人が勝つパターンがあるとしたら、格闘家の方がよっぽど油断していたか、ものすごい体格差があるとかそういう時くらいでしょう。
鍛えた格闘家相手に素人では分が悪すぎます。
いくら喧嘩がルール無用とはいえ、それは格闘家も同じこと。
ルールがない戦いでは素人の方が危険に晒されるでしょう。
止めてくれるレフェリーもいなければ、守ってくれるルールもないんですから。
ガッツさんもパンチだけで8人を倒したわけではなく、蹴りも使ったそうです。
喧嘩で素人が勝てるなんて漫画の世界くらい。
基本的に格闘家に勝つのは無理だと思います。
JUGEMテーマ:日常
ついに41度を超える場所が出てきました。
今日もまた暑くてたまりません。
アフリカの気温はとうに超えて、今や中東並の暑さです。
中東の人たちは元々暑い場所に住んでいるから、暑さに対する対策も万全でしょう。
あのゆったりとした白い服、めちゃくちゃ涼しそうです。
日光から肌を守り、なおかつ通気性も良さそうです。
向こうは動物だって暑さ対策が出来ています。
ラクダは背中のコブに貯めた水分のおかげで、暑い場所でも平気でいられますから。
けど日本はそうはいきません。
いくらなんでも今年の暑さは異常過ぎです。しかも長すぎです。
これはもう災害ですよ。
気象庁の人も災害であるという認識だとコメントしていました。
40度を超えると命に関わるそうです。
30度以上でも熱中症が増えるんだから、40度ともなればいかに危険か分かります。
何日か前に、未来の夏は楽しい季節じゃなくなると書きました。
井上陽水さんの少年時代のような風情はなくなって、命の危険を心配しなきゃいけなくなると。
20年後、30年後にはそういう未来がやってくるだろうと。
けどこのままだと10年と経たずにそういう未来がやってきそうです。
ていうか今年なんかすでにそうなっていますね。
気象庁が外出をやめた方がいいって言ってるんですから。
運動は中止した方がいいとも言っていました。
あまりに暑すぎるせいか今年はほとんど蚊に刺されていません。
実は虫って暑いのは苦手なんだそうです。
変温動物だから、人間みたいに体温の調節が出来ないんですよ。
冬は寒さのために虫が出てこないけど、これからは暑さのために虫が出ない夏になるかもしれません。
害虫が出なくなるのは嬉しいけど、セミの声さえ聴こえなくなるでしょうね。
今年はセミの声も少なく感じます。
そのうち四季がなくなって、猛暑と厳冬だけになるかもしれません。
そうなったら嫌ですね。
赤犬と青雉が戦った後のパンクハザードみたいになってしまいますから。
なんらかの悪魔の実を食べてなきゃ生きていけませんよそんな場所。
そうしたら海や川で泳げなくなるから、涼しい夏が戻ってきても楽しさは半減です。
政治や思想だけじゃなくて、季節さえ二極化する現代。
色んな意味で過酷な時代ですね。
JUGEMテーマ:日常
扇風機がすごく売れているそうです。
一昨年くらいから売上が上がっているそうで、今年はさらに売れるんじゃないでしょうか。
これだけ暑いとエアコンは欠かせませんが、温度設定を下げると電気代を食います。
しかも長時間使用していると尚更です。
そこで扇風機との併用が注目されています。
エアコンのみよりも扇風機との併用の方が、上手く冷気が循環するからです。
私も今年はしょっちゅう扇風機を点けています。
だけどもう一つ室内の空気を循環させるのに良い物があります。
それはサーキュレーターです。
扇風機と同じく、回転羽で風を起こす機械です。
だけど全体的に丸っこい感じの形をしていて、扇風機のように長い首は持っていません。
そして前面のカバーが渦巻き状になっているのが特徴です。
良いやつになると上下左右に自動で首振りしてくれます。
サーキュレーターは扇風機とよく似ていますが、その役割は違います。
扇風機は前方を中心にふわっと柔らかい感じの風を起こします。
その風を浴びることによって涼しくなるわけです。
あまりに強い風だと体によくないので、わざとふわっとした風になっているわけです。
それに対してサーキュレーターというのは直線的な風を起こすそうです。
扇風機のようにふわっとした風じゃなくて、前方だけに集中して風を送り出すのが目的です。
その為に前面のカバーが渦巻き状になっているそうです。
風が螺旋状になるからまっすぐに飛んでいくんですね。
野球のジャイロボールと似たような感じです。
直接体に当てると良くないんですが、かわりに部屋の空気を循環させるには持ってこいです。
強い風の方が空気の流れが起こりやすくなるし、壁に当たれば四方へ拡散してさらに空気をかき混ぜてくれます。
空気の流れを起こすことが目的なので、左右の首振りに加えて、上下の調節の幅も大きいです。
良いやつになると自動で上下左右の首振りをやってくれるので、より強く空気の流れが生まれます。
エアコンと併用すれば室内にまんべんなく冷たい冷気を広げることが出来るわけです。
サーキュレーターを併用すればより涼しくなるし、部屋の温度が下がる時間も早くなります。
効率よく部屋を冷やせるので、エアコンの設定温度を下げなくても大丈夫ということですね。
もちろん扇風機でも空気の対流は起きるし、サーキュレーターの風に当たって涼むことも可能です。
だけど直接涼しい風を浴びたいなら扇風機、部屋の空気をかき混ぜたいならサーキュレーターの方が良いでしょう。
まだまだ暑い夏は続きます。
それを乗り切るにはエアコンは必須だけど、電気代を食うのが難点。
扇風機やサーキュレーターを使って快適に過ごしたいですね。
JUGEMテーマ:日常
オシャカになったパソコンが二台あります。
一つはウィンドウズ2000搭載のノートパソコン。
もう一つはXP搭載のデスクトップ。
どちらも昔に使い込んだ物ですが、経年劣化の為に天界へ旅立たれました。
魂は天に昇れど肉体は残るもの。
本体は部屋の隅っこで埃を被りながら眠っていました。
何気なしにそれを引っ張りだし、そういえばどんなデータを保存していたんだろうと復旧させてみることに。
お亡くなりになったパソコンなので、分解してハードディスクだけ摘出しました。
とりあえず今使っているパソコンにつないでみると、まだデータが残っていました。
けどもっと色々あったはずだと思い、データ復旧ソフトで復活させることに。
かなり長いこと放置していたので、全ては無理でしたが、一部はどうにか蘇ってくれました。
そこに出てきたのは昔の写真。
亡くなったじいちゃんと亡くなった猫が写っていました。
そういえばあの写真どこ行ったんだろうって探してたんですが、壊れたパソコンの中に眠っていたんです。
この時思ったことは一つ。
捨てなくてよかったあ。
じいちゃんは病気で他界しましたが、まだ元気な頃の姿がそこにありました。
野球を見るのが好きだったんですよ。
多分夏の写真です。
ランニングシャツ姿で内輪を仰ぎながらナイターに見入っている写真でした。
その隣には今は亡き猫の姿も。
よくじいちゃんの膝に乗っていたんです。
でも夏は暑いから隣に座るだけ。
野球のこと分かっているのかいないのか分からないけど、じいちゃんと一緒にテレビの画面を見ていました。
これを撮影したのは15年以上も前のことです。
懐かしさで涙が出そうになりました。
不意を突く思い出っていうのは胸を直撃しますね。
どうせ大したデータは残っていないだろうと思って蘇らせた中に、まさかこんな写真が出てくるなんて。
新しいパソコンに移して保存しました。
色々と蘇ったデータの中で、これが一番嬉しかったです。
写真は人間よりも鮮明に記憶を保っています。
忘れた頃に出てくる写真は、新しい出会いと同じほどインパクトがありました。