視点が変われば見方も変わる

  • 2019.01.31 Thursday
  • 12:36

JUGEMテーマ:日常

物事はどの視点から見るかで見え方も違ってくるわけですが、一番わかりやすい視点はマクロとミクロではないでしょうか。
マクロは大きなもの、ミクロはちいさなものって意味です。
例えば認知症の老人が徘徊するのは、昔の記憶ははっきりしているからと言われています。
最近のことはよく覚えていなくても、昔によく行ったお店とか、家族と出かけた場所などは鮮明に覚えているんだそうです。
だからもう他界してしまった家族がまだいると思い込み、取り壊してなくなってしまった家に帰ろうとすることがあるそうです。
友達と会う為にとっくの昔に潰れて存在しないお店へ行こうとしたり。
周りからしたら理解しづらい行動も、認知症の方にとってはどうして周りが止めようとするのか、逆に不思議なのかもしれません。
でもこれはミクロな意見です。
視点を大きくしてマクロな目で見ると、別の意見に変わるそうです。
集団で生活する社会性の生き物は、個人よりも集団を大事にします。
例えばオオカミの場合だと、年老いた個体は自ら群れを離れていきます。
体力は衰えて狩りには参加できず、かといって食べなきゃ生きられないから、お肉だけは頂戴します。
しかしそれは群れの足を引っ張ることになってしまいます。
だから自ら群れを離れていくんだそうですよ。
人間も同じで、種としての人類を守る為に、認知症にかかった人は自ら集団を離れていくという説があるんだそうです。
ミクロな視点とマクロな視点ではまったく違う結論になってしまうんですね。
どっちが正しいというより、見方によって変わるということなんでしょう。
人間の行動に関することって、色んなアプローチがあります。
生物学的、心理学的、社会学的、経済学的などなど。
もっとも大きな目としては生物学になるんでしょう。
次に社会学、経済学、心理学といった順番で、ミクロへ近づいていくんじゃないかと思います。
人間は社会性のある生き物だから、集団から個人へという流れで小さな視点になるからです。
私はあまり心理学というのは信用していなくて、あれって万人にはまず当てはまらないと思っています。
個人個人をしっかり調べれば、その人その人のことは見えてくるでしょう。
でもその割にはけっこう大雑把にまとめられている感じがするんですよね。
最近はあまり見ないけど、昔はよく心理学者がコメンテーターとしてニュースに出ていました。
子供心ながらに、「なんかどうとでも言えるなあ」としか感じられない、深みのないコメントが多かったように記憶しています。
万人を分析するのに向いていな心理学者が、どうして会ったことすらない人物の内面を語れるんだろうと、ちょっと胡散臭ささえ感じていました。
だからって心理学の全てが間違いとは思いません。
心理学の発達がなければ、精神医学だって発達しなかっただろうから、うつ病や強迫神経症にかかっても病院へ行けなくなります。
でもなんちゃって心理学者が多いのも事実で、バラエティなんかで喋ってる人はほぼ信用していません。
今はオカルトに厳しいから、その代替えとして用意された人たちなんだろうと思っています。
視点を変えれば見方が変わりますね。

読みきり小説 「不幸を知らせる警報音」

  • 2019.01.30 Wednesday
  • 15:43

JUGEMテーマ:自作小説

子供の頃、警報音が怖かった。
火災報知機のベル、湯沸かし器のエラー音、テレビで流れる緊急速報の音。
異常を知らせる音だから、不安や恐怖を煽るのは仕方ないんだろうけど、それでも怖いものは怖い。
なにより怖かったのは二階に取り付けられていたブザーだ。
ウチは五人家族で、両親と兄と僕は二階で寝ていた。
でもおばあちゃんは足が悪いので、いつも一階で寝ていたのだ。
おばあちゃんは昔から心臓の持病があって、何度か発作を起こしていた。
だからもしもの時の為にブザーを取り付けたわけだ。
一階にいるおばあちゃんがリモコンのボタンを押すと、二階のブザーが警報を鳴らす。
ベランダ側の壁の隅にあったんだけど、この音が怖いのなんのって。
例えるなら火災報知機なみの大音量と緊迫感、緊急速報のえも言えない不安と恐怖。
二つを合わせたようなとんでもない音で、僕は警報器のある場所を見るのも嫌だった。
最初にこの音を聞いたのは8歳の時だ。
両親は用事で一晩帰って来れなくて、二階では僕と兄だけが寝ていた。
初めて過ごす親のいない夜。
隣には兄が寝ているけど、僕と二つしか違わない。
真っ暗な部屋の中、怖くて布団をかぶっていた。
早く眠れないかなと思っていた時、今まで聞いたこともないような音が鳴ったのだ。
「ピリリリリリ」だったかもしれないし、「プロロロロロロ」だったかもしれない。
あるいは両方を足したような、とにかく口では言い表せないような、不気味で奇妙な音が響いたのだ。
僕は耳を塞ぎ、布団の中で蹲っていた。
すると兄に『起きろ!』と布団を引っ張られ、一階まで連れていかれた。
『ばあちゃん!』
兄が駆け寄り、身体を揺さぶった。
なぜならおばあちゃんは胸を押さえながら、ブザーのリモコンを握り締めていたからだ。
兄はおばあちゃんを助けようと必死だったけど、僕はなにも出来なかった。
一階にいても響くほどブザーの音が大きかったからだ。
詳しい時間は覚えていないけど、10時は回っていたと思う。
遅い時間に鳴るブザーの音は外にまで響いていたみたいで、近所の人が玄関をノックした。
兄はすぐに鍵を開けて事情を話した。
それから救急車がやってきて事なきをえたんだけど・・・・そういうこともあって、とにかくあのブザーの音はトラウマだったのだ。
僕が高校に上がる頃、おばあちゃんは入院し、半年後に亡くなった。
必要のなくなったブザーはいつの間にか取り外されていた。
でも誰に聞いても取り外した覚えはないというのだ。
母に聞けば『お父さんでしょ』と言い、父に聞けば『お母さんだろ』と言い、兄に聞けば『俺じゃない』と首を振った。
当然僕でもない。
あのけたたましい音を放つブザーは忽然と失くなった。
誰がやったのかは分からなかったけど、とにかくあのブザーがなくなったことは嬉しかった。
高校生になってもぜったいに聞きたくないと思えるほど怖い音だったから。
それから数年後、大学を出て社会人になり、一人暮らしをすることになった。
引越し初日、足を踏み入れたワンルームの部屋。
最小限に抑えたはずの荷物を詰めたダンボール数箱でさえ、とても邪魔になるほどの狭さだった。
まあ仕方ない。いつかここを出られるように頑張ろうと、数日後に訪れる初出勤の緊張を誤魔化した。
目を閉じ、うつらうつらとしてくる。
そして数秒後、僕は心臓を掴まれたほどの恐怖を感じて飛び起きることになった。
「ピリリリリリ」「プロロロロロロ」
あの音が部屋に響いたのだ。
トラウマが蘇り、ベッドに潜り込んだ。
そして「なんで?」とパニくってしまった。
どうしてこの部屋からあのブザーの音が聞こえるのか。
ベッドに潜り込んでいても耳を掻き回されるような音量だった。
このままじゃ余計に怖いだけだ・・・・そう思って顔を上げると、音はダンボールの中から響いているようだった。
まさかと思い、手前のダンボールを開けてみる。
すると入っていたのだ。あのブザーが。
こんな物を入れた覚えはないし、そもそも家から無くなっていたはずだ。
不気味で不快な音に顔をしかめながら、どうやったら止められるんだろうと手にとってみた。
でもスイッチがない。
そういえばこれ、リモコンでしか操作が出来なかったのだ。
パっと見た限り、リモコンは一緒に入っていないようだったので、カバーを開けて電池を抜くことにした。
そして・・・・・、
「入ってない・・・・。」
単三電池が三つ入るようになっていたはずだ。なのになにも入っていない状態で音が鳴っていた。
僕はブザーを投げ捨てた。
いったいどうなってる・・・・。
いっそのこと窓から投げ捨ててやろうかと思った時、スマホの着信が鳴った。
母からの電話だった。父が急病で倒れたというのだ。
それを聞いた瞬間、ブザーは鳴りやんだ。
僕はすぐに地元へ戻り、父のいる病院へ向かった。
幸い命に別状はなく、ホっと胸を撫で下ろしたのを覚えている。
二日後、マンションに戻るとあのブザーは消えていた。
あんな物はいらないけど、だからっていきなり失くなるのも恐ろしい。
だから深く考えないことにした。
それから10年後、結婚して家庭を持った。昇進して給料も上がり、ローンを組んで一戸建てを買った。
穏やかで安定した日々、たまに喧嘩もするけれど、それでも幸せな毎日だった。
でもそんなある日のこと、僕はまたあのブザーの音を聞くことになった。
寝室のベッドから飛び起きると、枕元の時計の横で鳴っていたのだ。
もちろんベッドに入る時にこんな物はなかった。
不気味な大音量が響いている。なのに隣にいた妻は起きない。
まるで何も聞こえていないみたいに。
一緒に寝ていた子供たちでさえも。
きっとまた誰かに不幸があったんだ。
こいつが鳴る時は決まってそんな時だ。
次は母か?それとも兄か?
ゴクリと息を飲んで待つ。
しかし誰からも電話はかかってこない。
だからブザーも鳴りやまない。
こんなのおかしい・・・・。そう思いながらふと横を見ると、妻と子供たちが痙攣を起こしていた。
真っ青になってガグガクと震えているのだ。
おでこを触るととんでもない熱で、すぐに救急車を呼んだ。
食中毒だった。お隣さんが釣ってきた魚をおすそ分けしてもらったんだけど、その魚にあたってしまったのだ。
僕は仕事で帰りが遅かったから、お茶漬けだけですましていたけど・・・・。
幸い妻と子供はたちは助かった。
でも・・・・・、
『もうぜったいに二度と聞きたくない。』
例のごとく、家に帰るとブザーは消えていた。
いったい次にあの音が鳴るのはいつか?
怯えて暮らす毎日が始まり、2年、3年と経っても鳴らなず、5年も過ぎる頃にはだんだんと忘れかけていた。
そんなある日、出張で海外へ行くことになった。
初めての海外、短い間とはいえ、期待と不安が渦巻いていた。
飛び立つのを待つ飛行機の中、何気なく外を眺めていた。
すると妻からLINEでメッセージが入ってきた。
『怖い!』
一言そうあった。
心配になり、『どうしたの?』と返すと、『変な音が鳴ってる』と答えた。
『リビングから警報みたいな音がしてる!買った覚えのない警報器みたいなのがあってそこから鳴ってる!』
ゾっとした。
忘れかけていたから余計に。
『すぐに戻る!』
そう返して、近くにいたCAさんに「搭乗をキャンセルしたいんですが」と伝えた。
しかしCAさんはこっちを見ない。
引きつった顔で後ずさっていくだけだ。
僕はCAさんの視線の先を追い、何があるんだろうと窓の外を睨んだ。
着陸してきた飛行機が滑走路を逸れていく。
エンジンから煙を吹き上げながら、真っ直ぐにこの飛行機へ向かっていた。

拳だけが暴力じゃない 度を超えた口撃も立派な暴力

  • 2019.01.29 Tuesday
  • 14:55

JUGEMテーマ:社会の出来事

教師が高校生を殴る動画が話題になりました。
体罰が厳しい昨今、ニュースでも取り上げられて騒がれました。
色々な意見がありますが、私は先生が正しいと思っています。
動画見る限り、あれは明らかに生徒の方が挑発しています。
体罰は反対ですが、あの先生の行為は体罰とは違い、売られたケンカを買っただけなのではないでしょうか。
学校の中、生徒と教師。
どうしても指導とか体罰という目で見てしまいがちですが、必ずしもそうではないと思います。
単純に生徒がケンカを吹っかけているだけだったり、逆に教師の横暴な暴力もあるでしょう。
どちらも指導や体罰とは関係のないことです。
学校の中って、ある意味で治外法権のようになっています。
まず暴行事件が起きても警察が入りたがらない。
学校の外でケンカが起きた場合、すぐに警察が飛んできます。
しかし校内でのケンカやイジメなどは教育上の問題とみなされ、外のルールとはちょっと違う対応になってしまうんですよね。
イジメの場合でも、集団で殴る蹴るの暴行は立派な犯罪なのに、なぜ教育上の問題や学校の問題と見なされてしまうのか?
ああいうのって普通に刑事事件なんだから、教育の範疇ではないはずです。
今回の動画も同じで、あれを教育とか学校の問題で扱っていいのか疑問です。
学校側は謝罪をしたそうですが、これは生徒に悪いと思っているからではなく、謝ることでさっさと鎮火したかっただけでしょう。
よく言われることだけど、臭いものに蓋しただけで、なにも解決していないように思います。
教育評論家の尾木ママは「こんなの序の口で、手を出す以外にも停学処分にするなど対処方法はあった」とコメントしています。
このコメントを知った時、やっぱり学校の中って治外法権のようになっているんだと感じました。
あれが序の口と感じる時点で大いにズレています。
教師はぜったいに手を出せない、その上で散々な挑発をすることのどこが序の口なんでしょうか。
申し訳ないけどまったく同意できません。
あの先生は売られたケンカを買っただけです。
そこにはもう生徒と教師という関係性はありません。
ケンカを売る人と買う人がいるってだけです。
教師は生徒の望み通りケンカを買いました。
あれ、見事な右ストレートでした。
綺麗に決まりましたね。
無駄な動きがなくスっと出ていました。
生徒は一発でノックアウト。
自ら望んだケンカなので仕方ないんじゃないでしょうか。
ただ一つだけ気になることもあります。
あの先生の殴り方、見事すぎるんです。
普通、素人が殴ろうとしたら拳を振り上げてしまいます。
そしてなんとなく顔を狙って拳を振るだけなんです。
だから一発KOなんてほとんど起きない現象なんですよ。
でもあの先生、なんの無駄な動きもなく、ノーモーションで右ストレートを放っています。
しかもかなり正確に顎を狙っています。
ノーモーションの右ストレートで顎を打ち抜く。
素人技とはちょっと思いにくいんですよね・・・・・。
もちろんただの推測でしかありません。
ありませんが、もし仮にボクシングや空手の経験者だったとしたら、ちょっと頂けないかなとは思いました。
格闘技経験者の拳だと、素人が受けたら大怪我をしたり、下手したらワンパンチで死ぬ可能性もあるからです。
顎が割れたり、頚椎を損傷したり、倒れていく時に後頭部を打ったり。
・・・・でもまあどちらにせよ、最初にケンカを吹っかけたのは生徒の方です。
殴るのはよくない行為というのは当たり前だけど、じゃあその原因を作ったのは誰か?
あの教師はちょっとやそっと挑発されたわけじゃありません。
相当罵られています。しかも生徒の側は動画をネットに上げるつもりだったとも言われています。
拳だけでなく言葉も立派な暴力になりえます。
そういう意味では最初に暴力を振るったのは生徒の側でしょう。

度を超えた口撃は立派な暴力ですよ。
自業自得、バチが当たったとしか思いません。

読み切り小説 「焼いて」

  • 2019.01.28 Monday
  • 11:15

JUGEMテーマ:自作小説

あれは冬の初め、ストーブを出そうとかどうしようか迷う季節のことでした。
いつもと変わらない仕事帰り、ちょっと気分転換にと、普段は通らない道へ車を走らせました。
見慣れない景色は新鮮で、退屈な帰り道が一服の清涼剤のように感じました。
暮れていく空、オレンジ色に染まる川、その川を渡す橋の上を走りながら、なぜか少しだけ得をしたような気分にさえなっていました。
短い橋を渡りきり、ふと右側へ目を向けた時でした。
鬱蒼とした木々に囲まれた小高い丘があったんです。
麓には鳥居が立っていて、あの木々は神社を守る木立なのだろうと思いました。
どうせなら寄り道をしていこうと思い、ハンドルを切って鳥居の方へ向かいました。
思った通り、鳥居の奥には社殿がそびえ、境内を囲うように木立が並んでいました。
しかし木立の奥、丘の上の方に見慣れない建物がそびえていたんです。
木立の陰からチラチラと覗いてみましたが、なんの建物なのか分かりません。
興味を引かれ、どうにかあそこまで行けないかと、丘を迂回して道を探しました。
すると住宅地へ抜ける細い道があって、さらに細い道が左へ分かれていました。
車一台通れるギリギリの幅です。
脇には看板が立っていますが、西陽を反射して読みづらく、無視して先へ進むことにしました。
対向車が来ないようにと願いながら、左へとハンドルを切ります。
道は緩やかな上り坂になっていて、所々蛇行していました。
先へ進むにつれて細くなり、大丈夫かなと不安になりながら走らせていくと、だんだんとあの建物が近づいてきました。
やがて舗装路は途切れ、砂利道に変わりました。
その先には錆びた門があって、あちこちに雑草が茂っていました。
奥には灰色の薄汚れた建物があり、なんとも言えない奇妙な形をしていて、どう形容すればいいのか分かりません。
貯水塔のような、灯台のような、でも旅館に見えなくもないという、とにかく変てこな形です。
いくつも窓があって、どうやら二階建てになっているようでした。
壁にはヒビが入り、長いこと雨ざらしにあったかのように薄汚れていて、かなり年季が入っていました。
人の気配はなく、今はもう使われていない何かの施設のようでした。
もし私が中学生か高校生なら、好奇心に負けて門を乗り越えたでしょう。
しかし今はいい大人です。子供ならイタズラですむことも、下手をすれば警察沙汰。
興味はあるけど、諦めて引き返すことにしました。
道が細いのでUターンは出来ません。
慎重にバックしていこうとしたら、ふとおかしな事に気づきました。
なぜか道がなくなっているんです。
さっきまではあったはずの道が、草が茂った野原のように変わっています。
いったいどうなってるんだと前を向いた時、またおかしな物が目に入りました。
錆びていたはずの門が新品のようにまっさらになっていたんです。
しかもなぜか勝手に開いていきました。
恐ろしくなり、急いでこの場から離れようとしたら、車も勝手に動いて中へ入っていきます。
車から降りようとしても、ドアロックがかかり、解除することも出来ません。
だんだんと建物が近づいてきます。
そしてまたおかしな事に気づき、車の中で身震いしました。
ヒビが入り、薄汚れていたはずの建物までまっさらになっていたからです。
しかも全ての窓が開き、中から人が手を振っていました。
誰もが真っ黒にただれ、炎で焼かれたかのような状態です。
私は息をすることさえ忘れそうなほど固まり、恐怖のあまり、かえって目を背けることが出来ませんでした。
真っ黒にただれた人たちはどんどん数を増していきます。
窓から溢れるほど現れて、こっちへ来いとばかりに手招きをしていました。
車はさらに建物へ近づき、とうとう入口に着いてしまいました。
その時です。窓から一人、ボンネットに落ちてきました。
大きな音と共に車が揺れます。
目の前には痛々しいほど肌がただれ、目が空洞になった顔がこっちを見つめていて・・・・。
私はとうとう悲鳴をあげました。
ポッカリ空いた眼孔、焼けてそげ落ちた鼻と唇。
フロントガラス一枚隔てた先にその顔があって、慌てて後部座席へと逃げました。
しかしトランクにも人が降ってきて、また私を見つめます。
そのうちボトボトと車の上に落ちてきて、辺りが埋め尽くされてしまいました。
みんなこっちを見ながら窓を叩いています。
とにかく車から出てはいけない。
そう思って身を固くしていると、突然建物のドアが開き、中へ押されていきました。
もしここへ入ってしまったら二度と戻れない。
下手をすれば自分まで同じような姿に・・・・・。
それだけは御免です。思い切って窓を割り、車から逃げ出そうかと思いました。
しかしふと誰かの声が聞こえ、窓を割る手を止めました。
『焼いて』
私はボンネットを振り向き、耳を澄ませました。
『ちゃんと焼いて』
最初に落ちてきた人がそう呟いていました。
そして耳を澄ませば澄ますほど、同じような声が周りから聞こえてきました。
誰もが『焼いて』と口にしながら、車を叩いてきます。
そして誰かがこう呟きました。
『きちんと弔ってくれ。ちゃんと焼いて・・・骨になるまで』
・・・・なるほどと納得しました。
ここは火葬場だったのです。
塔のような部分は煙突、旅館のような部分は遺族の待合室だったのでしょう。
しかし私にはどうすることも出来ません。
思い切って窓から逃げることくらいしか・・・・・。
覚悟を決め、窓を割ろうとしたその時でした。
誰かが走ってきて、『やめなさい』と言いました。
振り返ると、そこには神主さんがいました。おそらく麓の神社の人でしょう。
神主さんがパンパンと手を叩くと、焼けただれた人たちは消えました。
同時に火葬場も消え去り、ただの木立に変わっていました。
呆気にとられる私に神主さんはこう言いました。
『看板見てなかったんですか?』
そういえばここへ来る途中、看板が立っていました。
陽射しを反射して読みにくかったので無視してしまった看板が。
私の顔を見て察したのでしょう。神主さんは言いました。
『あの看板にはこう書かれていたんです。
この先、火葬場跡地。不審な人影の目撃情報多数。
また行方不明者も数名出ています。無断での立ち入りを禁止します。』
それを聞いた私は背筋が寒くなりました。
『ここにはかつて火葬場があったんですが、責任者がいい加減な仕事をしていたもので、上手く焼かれなかったご遺体があるそうです。
それを誤魔化す為、遺族にはまったく関係のない骨を渡し、遺体はここの土に埋めていたんです。
ご遺体は警察が回収したそうですが、報われない今でも魂がウロウロしているんですよ。
何事もないと思いますが・・・・万が一を考えてお祓いを受けた方がいいかもしれません。
この神社は悪霊を鎮める神様を祀っていますので。』
恐ろしいことを聞いてしまい、慌ててその場から逃げ出したました。
『何かあったらいつでもお祓いを!』
背中に声を聞きながら、一目散に家まで飛ばしました。
そしてその日の夜のこと、まだ恐怖が冷めなくて、夕食を作る気にもなれませんでした。
買い置きのレトルトカレーでも食べようと、鍋に水を入れてコンロの火を点けた瞬間、背後に気配を感じて振り向きました。
『焼いて』
あの焼けただれた人がそこに立っていました。
思わず腰が抜け、後ろへよろめいてしまいました。
鍋をひっくり返してしまい、水がかかってコンロの火が消えました。
と同時に焼けた人も消えていったんです。
そういえば神主さんが言っていました。
何事もないと思うけど、万が一があると。
これはすぐにでもお祓いを受けるべきだと思い、あの神社へ向かうことにしました。
車に乗り、いったん気分を落ち着かせようとタバコを咥え、ライターを擦って火を点けました。
『ちゃんと焼いて』
ルームミラーにまたさっきの人影が・・・・・。
思わずタバコを落としてしまい、脇に置いてあったティッシュに燃え移って・・・・。
逃げようとしてもドアが開きません。
なぜなら外で焼けた人たちが押さえていたからです。
『焼いて、ちゃんと焼いて』
ティッシュの火はだんだんと大きくなり、ルームミラーに映る人に燃え移っていきます。
そのうち窓を突き破って、外の人たちまでもが手を伸ばし、同じように炎に焼かれていきました。
・・・・・翌日、私はあの神社のある丘にいました。翌日も、その翌日も、次の年が来てもずっと。
焼けただれた体で、ここに迷い込んできた人たちに手招きをしながら。
『焼いてよ』

今日はお休みです

  • 2019.01.27 Sunday
  • 10:29

今日はお休みです。

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    無骨なカメラのかっこよさ

    • 2019.01.26 Saturday
    • 16:49

    JUGEMテーマ:カメラ

    写真を受け取りにカメラ屋さんに行きました。
    そのあとカメラコーナーを回って、最近のカメラのデザインってレトロな物が多いなと思いました。
    フジのTPro、無骨なレンジファインダー仕様でカッコイイです。
    TTシリーズも渋い感じでカッコイイ。
    ペンタックスのKシリーズ、角ばった無骨なデザインがカッコイイです。
    オリンパスのOMシリーズ、小型ながらメカメカしい見た目が無骨でカッコイイです。
    コンデジもちょいちょいそういったデザインの物があります。
    私の使っているフジのXQ1もそうですし。
    無駄な物がついていないシックなブラックボディ、無骨でカッコイイです。
    一時期、流線型のデザインが流行りました。
    走りはキヤノンだったと思います。
    カメラをマニュアルから電子化するにあたり、デザインにも人間工学的なものを取り入れた結果だったはずです。
    見た目も重要だけど、いかに握りやすいグリップにするか。いかに操作性を向上させるか。
    デザインと実用面を両立させようとした結果、車と同じく流線型になっていったんです。
    たしかに角が少ない方が持ちやすいです。
    持ちやすいと操作もしやすく、キヤノンのカメラはほぼ片手であらゆる操作が可能です。
    ですから現場でスピードを求められるプロはキヤノンが多いです。
    私もかつてはキヤノンを使っていたので、あの流線型のデザインが優れたものであることは知っています。
    でもやっぱりカメラは無骨なデザインの方がカッコイイなと思ってしまいます。
    少々の持ちにくさや操作性の難があったとしても、持っていて嬉しくなるカメラが欲しいからです。
    嬉しいことに、最近のカメラは無骨なデザインの物でもしっかり握りやすいんです。
    操作も分かりやすく、液晶に大きく設定が表示されるので、困惑することもありません。
    カメラはこうあるべき!なんて言うつもりはないけど、カメラらしいカメラが増えることは嬉しいです。
    スマホの写真も綺麗になってきた今、カメラはただの撮影道具として売り出しても中々売れません。
    持っていて嬉しくなる、撮るものが決まってなくてもこれを持って出かけたい。
    そういうデザインって大事ですね。

    満たされないから創り続ける

    • 2019.01.25 Friday
    • 14:01

    JUGEMテーマ:アート・デザイン

    JUGEMテーマ:芸術

    歴史に名を残す芸術家を振り返ってみると、幸福な人生を歩んだ人は少ないです。
    ダヴィンチのように芸術以外にも秀でた万能は別ですが、多くの場合は苦しみの中を生きているように思います。
    これは私の持論ですが、幸福の中からは優れた芸術家や作品は生まれてきません。
    もし満たされた人生を送っているのなら、そもそも芸術に手を出そうとは思わないでしょう。
    趣味として続けることはあっても、その道に人生を懸けることはまずないでしょう。
    小説家の星新一さんは借金に苦しんでいたそうです。
    元々は裕福な家庭だったそうですが、後に借金に苦しむことになり、その時の唯一の楽しみが小説を書くことだったそうです。
    今のようにネットのない時代、書いた作品を読んでもらう為に、SFの同人誌に寄稿していたそうです。
    宮沢賢治は小説にしろ詩にしろ、絵本とか童話のような暖かさがありますが、本人はけっこう苦しんでいたんじゃないかと思います。
    家は裕福だったそうですが、本人の純粋すぎる性格の為に、世の中に馴染みにくい葛藤があったはずです。
    もし彼がすんなりと社会に溶け込める人間だったなら、後世に名を残す作家にはなっていなかったでしょう。
    満たされない中を生きているから創作を続けられます。
    例えば夜中にポエムを書いた人は多いはずです。
    でも翌朝になって読み返すと、自分で書いたくせに自分で恥ずかしくなってしまうものです。
    次の朝、目が覚めれば芸術を必要としない生活を送っているからでしょう。
    仕事とか恋愛とか夢とか、なんでもいいんです。
    なにか自分を支えられるもの、満たしてくれるものがあるから、昨晩のポエムが必要ではなくなり、恥ずかしくなってしまうんです。
    でも芸術家っていうのは、昨晩のポエムを人に見せられるような人種です。
    なぜなら恥をかいて失うようなモノは持っていないからです。
    人に自慢できるものなんて最初からなくて、創作における恥などかきすててしまえるんです。
    幸福になると守るモノが出来てしまいます。
    守るモノは失いたくないモノであり、それによって強くなれる人もいるでしょう。
    人として大きく成長したりとか。
    でも強くなること、成長することが、芸術家にとって良いこととは限りません。
    なぜなら満たされることに繋がるかもしれないからです。
    足りない、持ってない、幸福じゃない。
    無い無いだらけの中で、なおかつ創作に飢えている。
    そういった人の中で、運に恵まれた者だけが後世に名を残せるような作品を生み出すんだと思っています。

    車は色んなものが詰まった思い出箱

    • 2019.01.24 Thursday
    • 14:45

    JUGEMテーマ:日常

    JUGEMテーマ:車/バイク

    新しい車に乗り換えて10年ほど経ちます。
    以前の車は7年乗っていました。
    最近たまたま前の車と同じ型が走っているの見かけました。
    かなり古い車なので、乗っている人はほとんどいません。
    なんかすごく嬉しくなったんですよ。
    以前の車は色んなところに出かけました。
    風景写真をやっていた頃なので、泊りがけで行くような場所にも日帰りで行ったり。
    そういえば熊を撮りたいと思って、遠くの山まで出かけたこともあります。
    山の麓、車の中からじっとレンズを向けていました。
    結局熊は現れなかったんですが、今となってはいい思い出です。
    色んなところに出かけると、車にたくさん思い出がつまるものです。
    私の友人もちょっと珍しい車に乗っていました。
    今はもう買い替えましたが、以前に乗っていた車を見ると、その友人のことを思い浮かべてしまいます。
    その子も写真をやっているので、車に乗って色んなところへ出かけていたはずです。
    だから前に乗っていた車がその子のトレードマークのように思ってしまうんです。
    免許を取り、初めて買った車にはそれなりの思い入れがあるものです。
    中古だし古いし、ぶっちゃけいつ壊れてもおかしくない車だったんですが、7年もよく頑張ってくれました。
    買う時に車屋さんから「ほんとにこれでいいの?」なんて言われたりもしました。
    乗り始めて後悔はなくて、一年も経つ頃には相棒のようにさえ感じていました。
    街中で昔の車を見ると、強い懐かしさがこみ上げるのはそのせいかもしれません。
    それは友人の乗っていた車も同じで、同じ型を見る度に思い浮かべてしまうんです。
    車はただの移動手段じゃありません。
    どこへ出かけた?誰と乗っていた?何をしに行った?
    色んなものが詰まっている思い出箱のようなものだと思います。

    真面目が良いとは限らない

    • 2019.01.23 Wednesday
    • 11:57

    JUGEMテーマ:社会の出来事

    JUGEMテーマ:子供

    私が学生の頃、至るところにヤンキーがいました。
    茶髪金髪なんて当たり前で、赤とか緑もいましたいね。
    ボンタンに短ラン、裏ボタンは派手。
    けど面白いのは意外と学校をサボらないんです。
    授業もちゃんと出ているし、授業を妨害するということもありませんでした。
    面倒臭がっていたのは体育くらいです。
    でも体育だからこそやる気になるヤンキーもいました。
    けっこう気のいい人が多かったんですよ。
    もちろん怖い人やイジメをする人もいましたが。
    でもイジメってヤンキーよりも、ヤンキーの一つ下のちょっといきがっているグループがやっていた印象があります。
    私が中学時代にいた副番長的なヤンキーが、商売をやって成功しているそうです。
    幾つか店を持ち、異なるジャンルも掛け持ちしているんだとか。
    若い頃にヤンチャしていたヤンキーは、色んなところで迷惑をかけているものですが、大人になってからはしっかりしている人が多いんじゃないかと思います。
    もちろんその筋へ行ってしまうとか、道を踏み外して塀の中という人もいるでしょう。
    けど塀の中へ行く人は、ヤンキーではなかった人だって大勢いるはずです。
    大人になってからの悪さって、特段にヤンキーだった子がやっているわけじゃありません。
    若い頃にヤンチャした方がいいのか?
    それとも良い子でいた方がいいのか?
    これってとても難しい問題です。
    細かな迷惑ってヤンキーの方が多いけど、残忍な事件を起こす人って、学生時代に良い子を演じていた人に多いんじゃないでしょうか。
    子供だって人間です。
    大人と同じように羽目を外したい時もあれば、大人の言うことなんて聞かずに自由に遊びたい時だってあります。
    子供は大人が思う「子供はこうあるべき」を体現する道具ではなく、自分なりの考えや感情を持った一人の人間です。
    重大事件の犯人の家庭環境に迫ると、鬱屈した問題があったりするものです。
    強い力で抑圧され、自分を出すことすら許されない。
    教育や躾といったレベルではない抑圧の中で、人間としてまともに育つとは思えません。
    ただしヤンキーの場合は、似たような状況に置かれたとしても、外で発散することが可能です。
    サボらすに学校へ来ていたのも、そこに行けば仲間がいるからかもしれません。
    友達同士の繋がり、ヤンチャしながらも色んなことを経験、大人になって落ち着いたらまっとうな仕事に就いたり、成功を収めたりも、そういう理由からなんじゃないかと思います。
    こち亀で有名なセリフがありますね。
    昔に悪さをしていた奴が更生したからって褒めることはない。
    元々真面目な奴の方がよっぽど偉いんだと。
    正論だと思います。
    けどずっと真面目できた子が、果たして好き好んで真面目な子をやっていたのか?
    そうせざるえを得ない状況の中に置かれていたり、ほんとはもっと弾けたいんだけど、その一歩が怖いから真面目に徹していただけだったり。
    昔から今に至るまで真面目だからって、根が真面目な人間とは限りません。
    それでもずっと真面目を続けられるならいいんですが、耐え切れなくなって犯罪でしか鬱憤を晴らせないような形になってしまったら・・・・。
    こち亀のあのセリフって、真面目であることが間違いなく良いことであり、真面目な人は人として元々が真面目だっていう思い込みの元に成り立っています。
    私はこち亀の説教臭いセリフって好きになれなくて、それって作者の秋本治先生のカチカチに固定された価値観ありきで成り立っていませんか?と尋ねたくなります。
    ヤンキーの悪さを肯定するわけじゃありません。
    成人式での暴挙や、爆音で街中を走り回る行為は許せないものがありますから。
    しかし人の評価って、その時その時だけの行いではなく、人生のトータルで決まるものだと思っています。
    一時悪さをしたから永遠に悪者のレッテルを貼られるならば、一時良いことをした人は、その後に悪さをしたとしても、良い人のレッテルに守られて罪を問えないことになってしまいます。
    人の価値はそんな単純なものじゃないはずなのに。
    もっと言うなら、真面目を良いことだと子供に押し付けると、真面目の中で苦しんでいる子をさらに追い込むことになります。
    ヤンキーとまでいかなくても、そこまで真面目じゃなくていいよって言ってあげれば、心にかかる重圧もマシになるでしょう。
    だから昔にヤンチャをしていても、後に更生したならば、褒めることは全然悪いことじゃないと思います。

     

    めちゃイケとぐるナイ

    • 2019.01.22 Tuesday
    • 11:37

    JUGEMテーマ:テレビ全般

    めちゃイケが終了してからもうすぐ一年が経とうとしています。
    まだ学生の頃、毎週楽しみにしていた番組です。
    さんまさんや紳助さんとも違う、ダウンタウンやとんねるずとも違う、今までにない新しい笑いにハマりました。
    とにかく楽しいというか、ワクワク感を共有させてくれる画期的な番組でした。
    元々が賛否両論ある内容でしたが、新しい笑いとはそういうものだと思います。
    しかし時代が進むにつれ、世の中の価値観と番組の内容が乖離していって、昔ほどの人気番組ではなくなりました。
    色々言う人もいるけれど、20年以上も土曜もゴールデンだったんだからすごい番組だと思います。
    めちゃイケはたくさんのメンバーがいるけど、中心はナイナイです。
    そしてナイナイにはもう一つ、週末のゴールデンに番組があります。
    ぐるナイです。
    めちゃイケとぐるナイ。
    人気でいえばめちゃイケの方が断然高かったでしょう。
    どっちが好きかと聞かれたら、めちゃイケの方が多いんじゃないでしょうか。
    しかしめちゃイケは終わり、ぐるナイはまだ続いています。
    私はめちゃイケも好きでしたが、それ以上にぐるナイの方が好きでした。
    今はほとんど見なくなってしまいましたが、めちゃイケ全盛の頃でも、ぐるナイの方を楽しみにしていました。
    めちゃイケってかなりしっかりした台本があって、きっちりとその流れに合わせて芸人さんたちも動くそうです。
    言うなれば臨場感を持たせたコント番組でしょう。
    ドリフの徹底した作り込みを踏襲しつつ、ひょうきん族のアドリブ感を取り入れる。
    そんな印象を受けます。
    だからよくよく見ていると、間の悪い所や噛んだりする所ってほとんどありません。
    きっと台本通りにいかないとカットがかかり、まるでドラマのようにテイク2とかテイク3とか撮り直しをするんでしょう。
    そうやってしっかり作った番組だから面白かったんです。
    対してぐるナイはもうちょっとゆったりした感じの番組です。
    もちろん台本はあるんだろうけど、めちゃイケほどカッチリと形にこだわらないというか、出演手がみんな伸び伸びしているというか、自由な空気があります。
    噛んだり間が悪かったり、明らかにミスだろうって思うところでも放送していました。
    全体的に焦りがないというか、ゆったりした空間です。
    そして内容もめちゃイケほど過激ではありません。
    体を張るのは基本的に芸人さんだけであり、ゲストに無茶ぶりをするようなこともありません。
    めちゃイケよりも緩い感じなんですが、そのおかげで安心してというか、肩の力を抜いて楽しめるんです。
    めちゃイケの場合は「見るぞ!」と待ち構えていました。
    岡村さんのオファーシリーズのスペシャルなんて、始まる前からテレビの前に正座していましたし。
    めちゃイケとぐるナイってナイナイが中心なのに、内容はかなり対極にある番組だと思います。
    めちゃイケはザ・ゴールデンって内容なのに対し、ぐるナイってどこか深夜番組っぽい雰囲気があるんですよ。
    めちゃイケは最初からしっかりと形が決まっていて、そこにタレントさんを当て込む感じ。
    ぐるナイは台本はあってもある程度自由というか、遊びが許容される感じ。
    レギュラーを際立たせるのがめちゃイケで、若手にもスポットを当てるのがぐるナイ。
    天下を取ったのはめちゃイケだけど、長く続いているのはぐるナイ。
    私は個人的に後者の方が好きです。
    めちゃイケももちろん面白かったけど、ぐるナイのゆるい感じというか、深夜番組っぽい雰囲気を残した(元々が深夜なので)内容の方が好きでした。
    ナイナイといえばめちゃイケというイメージだけど、ナイナイの良さというか、ナイナイらしさが出ているのはぐるナイの方だと思います。
    かなり前に終わってしまったけど、ぐるナイと同じ日テレでやっていたナイナイサイズという深夜番組も好きでした。
    今までにないゆる〜い感じのトークと雰囲気、土曜の夜にピッタリだったと思います。
    普段はトーク番組に出ないようなタレントさんもたくさん出ていましたし。
    本気か冗談かは分からないけど、たしかナイナイサイズで岡村さんが「ナイナイは日テレブランドです」と言っていました。
    矢部さんもギャラの大半は日テレみたいなことを言っていましたし。(めちゃイケのコーナーの中だったから本当かどうかは分かりませんが)
    ナイナイらしさがグっと出ているのはぐるナイの方だと思います。

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