セカンド・コンタクト 第七話 湖面の魔境(1)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:23
『湖面の魔境』


寂れた斎場の煙突から、モクモクと黒い煙が上がっている。
その煙は空に吸い込まれ、風に運ばれてどこかへ消えていった。
「人間の死体の処理ってのは面倒くさいもんだ。クローンと違ってね。」
ここは山の上に立つ小さな斎場で、周りは大きな木々に囲まれていた。須田は胸いっぱいに息を吸い込み、缶コーヒーを取り出して口をつけた。
「ここには僕の知り合いがいてね。かなり我がままをきいてくれるんだ。後で君を紹介するから、もし人間を殺したら、ここで焼いてもらえばいい。」
「・・・・・・・・・・・。」
俺は背を向け、空に昇る煙を見つめた。
《すまない・・・須田に会わせると約束したのに・・・・。》
男の肉体は、ただの物質へと変わって空に消えていく。あれほど生を望んでいたのに、あっけなくその人生を終えてしまった・・・。
「美波君。」
須田が俺の肩を叩き、目の前に回って来た。
「ずっと君のことを見ていたけど・・・やはり危なっかしいことこの上ない。意地を張る気持ちは分かるけど、今は僕と一緒に住むべきだ。」
「・・・・お断りだ・・・。四六時中お前の傍にいるくらいなら・・・俺もここで焼かれた方がマシだ・・・。」
「ははは、ずいぶんと嫌われてしまったな。」
須田はあっという間にコーヒーを飲み干し、近くに立つ男に声を掛けた。
「今回も世話になったね。これはいつものお礼だ。」
そう言って財布から数枚の万札を抜き出し、男の手に握らせた。
「こっちの彼は僕の友達なんだ。いざとう時は力を貸してやってくれ。お礼は後でするから。」
男は俺を見て頷き、薄くなった頭を撫でつけながら去って行った。
「さて・・・僕たちも行こう。」
「断ると言っただろう。俺はお前の家になんか行かない。」
「まあまあ、そう言わずに。それに今から向かう場所は、僕の勤めている大学だ。是非・・・君に見てもらいたいものがあるんだ。」
須田はニヤニヤ笑いを消し、鋭い眼光で俺を見据えた。
「あんたの大学に?そこに俺の興味を惹くものがあるっていうのか?」
「ああ、どんなものよりも、君の興味を惹くだろう。」
「・・・・じゃあ今教えてくれないか?あんたの大学には、いったい何があるというんだ?」
須田の目を睨み返し、鼻が触れるほど顔を近づけた。
今の俺に、興味を惹かれるものなどない。俺がこの世で興味があるのは一つだけ・・・それはミサだ。
須田は俺の考えていることを読んだようで、小さく頷きながら背を向けた。
「君の興味を惹くものっていうのは・・・ずばりミサちゃんのことだよ。」
「ミサのことだと・・・?」
急に鼓動が跳ね上がる。それは穏やかな湖面に立つ、不穏な波のようだった。
「君は前にこう聞いたね。ミサちゃんが生き返るなんて嘘だろう?って。」
「ああ、あのマネキンが言っていたからな。」
そう答えると、須田は肩を揺らして笑った。
「何がおかしい?あんただって、死んだ命は生き返らないと答えたじゃないか。」
「そうだね、死んだ命は生き返らない。でも・・・新たに創ることなら出来る。」
「新たに創るだと・・・。どういうことだ?」
そう尋ねると、須田は新しい缶コーヒーを握りしめて振り返った。
「それを見せる為に、僕の大学に行こうと言っているのさ。なんたって、あそこには魔境があるんだからね。」
「魔境・・・・?」
「馬鹿なことを言っていると思ってるだろう?でもこれは本当のことだ。」
須田はまた背中を見せ、斎場の階段を下りていく。
「これ以上言葉で説明しても意味がない。実際に見た方が早いだろうからね。」
「・・・・・・・・・・。」
まただ・・・。また俺は・・・須田の言葉に丸めこまれようとしている。ここで須田について行ったら、また戦いの日々が始まるだろう。
罪もないクローンを殺し・・・・、いや、クローンどころか、人間まで殺す羽目になるかもしれない。
ここで引き返さないと・・・・きっと俺は二度と平穏な道に戻れない。
そう分かっているはずなのに、気がつけば須田の後を追っていた。後ろに並んで階段を下り、彼の車の助手席に乗り込む。
「あれだけ意地を張っていたのに、素直について来てくれて助かるよ。君を動かすには、やっぱりミサちゃんの名前を出すのが一番だ。」
「・・・いいから早く出せ。降りるぞ・・・。」
「分かってるよ。ところでコーヒーは・・・・、」
「いらない!いいから早く大学へ連れて行け。」
須田は肩を竦めて笑い、缶コーヒーを咥えたまま車を走らせた。俺は助手席に揺られながら、あの男の顔を思い出していた。
《そういえば・・・・名前さえ聞いていなかったな・・・。でもあんたのことは忘れないよ。俺も・・・とりあえずは生きてみる。籠から飛び出す鮎のように・・・力の限りあがいてやるさ。》
車は先ほどの川に差し掛かる。男の消えた水面を見つめ、心の中で弔辞を送った。


            *


大きな赤い門柱に、『五十嵐大学』と彫ってある。奥には立派な校舎がそびえていて、数人の学生がキャンパスを歩いていた。
「今はちょうど授業中だ。学生が少ないうちに研究室へ行こう。」
須田に促され、校内に足を踏み入れる。なだらかな坂になっている道を歩き、一番奥に立つ三階建ての校舎に案内された。
「この建物全てが研究室なんだ。」
「これが・・・全て研究室・・・?」
「なかなか立派だろう。ここはいわゆるFラン大学というやつだが、ある分野だけは飛び抜けているんだ。それが・・・こいつさ。」
須田は入り口に書かれた文字を指差した。
「人口意識生成研究室・・・?なんだこりゃ?」
「ははは、オカルトチックないかがわしい名前だろう?僕が付けたんだ、シャレがきいてるだろ?」
「いったい何を研究するところなんだ?」
「表向きは人工知能ということになっている。でも・・・実際は違う。ここで研究しているのは、クローンと人間の意識の共有さ。」
「なんだって?クローンと人間の・・・・?」
「まあ言葉で説明するのは面倒くさいから、中に入って見てくれよ。なかなか面白いものがあるからさ。」
須田は俺の背中を叩き、建物の中に押し込んだ。
入り口のすぐ目の前にはエレベーターがあった。須田はボタンを押し、腕を組んでエレベーターを待った。
「三階に僕の研究室がある。」
「なんだかよく分からない場所だな。よく大学がこんな施設を認めたもんだ・・・。」
「いやあ、これってけっこう金になるのさ。ほら、こういう話題が好きな雑誌とかあるだろ?いつの時代も、オカルトってのは金になるもんさ。」
「オカルトって・・・俺はそんなものには興味はないぞ。」
「表向きの話さ。ああいうのを好む連中はね、それが本物かどうかなんて二の次なんだ。自分が面白いと思えば、すぐに飛びついて金を落としてくれる。だからこの場所は、オカルトマニアの間じゃちょっとしたスポットなのさ。」
そう言って須田は俺の後ろに目を向けた。そこにはパンフレットを手にした若い男女がいて、白衣を着た女から何かの説明を受けていた。
「どうやらデートで来ているみたいだね。入場料は一人千円だから、若いカップルにはいいデートコースさ。」
「金を取るのか?」
「とうぜん。他にも意識を離脱させる体験とか、SFまがいのオカルトビデオを販売したりとか・・・まあ色々やってるのさ。どれもいい金になるんだ。」
俺は呆れてものも言えなかった。いくら金の為とはいえ、こんな下らない商売は反吐が出る・・・。
「あ、その顔は僕のことを軽蔑したね?」
「当たり前だ。何が意識の離脱だ・・・。下らない・・・。」
「でも君だって似たようなことをやっているじゃないか。クローンと戦う時にさ。」
「好きでやっているわけじゃない。ただ・・・ミサの為に戦っているだけだ・・・。」
エレベーターが降りてきて、ガタガタとボロいドアが開く。その中からまた男女のカップルが出てきて、幽体離脱がどうのと盛り上がっていた。
「・・・世も末だな・・・こんな場所に遊びに来るなんて・・・。」
須田は俺の顔を見て可笑しそうに笑い、三階のボタンを押した。
「今の世の中、何をするにも金は必要さ。でも・・・もうそろそろここも必要なくなるだろう。」
「どういうことだ?あんたにとっちゃ金の成る木だろうに。」
そう尋ねると、須田は真面目な顔で首を振った。
「別に金が欲しくてやっているわけじゃないさ。金が必要だからやっているんだ。」
「同じじゃないのか?」
「全然違うね。僕は金には無頓着なんだ。そもそも・・・何の為に金を稼いでいるかというと・・・・、」
エレベーターは三階に着き、ゆっくりとドアが開く。すると目の前に、桜の木を象ったモニュメントが現れた。
「僕が金を必要としているのは・・・コイツの為さ。」
そう言って桜のモニュメントに手をついた。
「そんなモニュメントがどうかしたのか?」
「君はこいつに見覚えがあるはずさ。氷ノ山の頂上で会っただろう?」
「氷ノ山で・・・・、ああ!もしかしてその木は・・・・、」
「ああ、あの巨木さ。もちろんこれはただの飾りだけどね。」
須田は桜のモニュメントをポンと叩き、廊下を歩いて奥に向かう。
「君に見せたいものはこっちにあるんだ。ついておいで。」
「・・・・・・・・・・。」
俺は桜のモニュメントを見上げ、あの巨木を思い出した。
《あいつに出会ってから・・・俺の人生は狂い始めたんだ・・・。》
あの巨木は、ミサと同じ声で語りかけてきた。あの時は不思議に思わなかったが、今思うとこれは変だ。
「あの巨木は・・・・どうしてミサの声だったんだろうな・・・?もしかして、俺がミサを思い描いていたからか?」
そう考えた時、ふとある考えがよぎった。
「待てよ・・・・あの巨木が俺の意識を反映させたんだとしたら・・・・それはつまり、あの巨木もクローンってことじゃ・・・・、」
モニュメントの前で立ちつくし、じっと考えていると、須田に声を掛けられた。
「美波君、早く来い。」
「あ・・ああ・・・。」
俺はモニュメントに手を触れ、赤い花びらを睨みながら須田の元へ走った。
「ここだよ、この扉の奥に・・・君に見せたいものがあるんだ。」
須田の前には、鉄製の大きな扉があった。
「ずいぶんと頑丈そうな扉だな・・・。」
「この先に大事なものがあるからね。」
「そんなに大事なものをしまってる場所に、カップルだのを入れているのか?」
そう尋ねると、須田は扉を見つめて笑った。
「別に誰を入れても大丈夫さ。なぜなら・・・ほんとうの意味でこの扉を開けるには、コイツが必要になるからね。」
そう言って須田が取り出したものは、あの薬だった。
「それは・・・クローンと戦う為のものじゃ・・・・?」
「いいや、これは意識の世界へ入り込む為のものさ。こいつを使わないと、この扉の先に進んでも意味がない。」
須田はポケットからキーカードを取り出し、扉の横に通した。その先にあったものは、段ボールが積み上げられた薄暗い部屋だった。
「なんだここは?ただの物置きじゃないか・・・。」
「そうだよ、だからこれを使わないと意味がないんだ。」
そう言って薬を飲み、首筋に赤い花びらを浮かび上がらせる。それを指で握りつぶすと、景色は色を失くして意識の世界に変貌した。
すると・・・ただの物置きだった部屋が、とつぜん美しい湖に変わった。色とりどりの花に囲まれ、ゆったりと雲が流れている。
「これは・・・いったいどういうことだ・・・?」
呆然とする俺をよそに、須田は湖に向かって歩き出した。そして湖面の傍に立ち、そっと中を覗き込んでいた。
「何を見ているんだ?」
「湖面の中の魔境さ。」
「魔境・・・?」
須田は手招きをして俺を呼び寄せる。
「・・・・・・・・・・・・。」
少し躊躇ったあと、俺は須田の傍に寄った。そして同じように湖を覗き込む。
「・・・・何も見えないぞ?」
「そんなことはない。もっと目を凝らしてよく見るんだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
言われたとおりに目を凝らしたが、やはり何も見えなかった。
「何が魔境だよ・・・ただの湖じゃないか。」
「見ようとする気持ちが足りないのさ。目に映るものだけを見ていると、ほんとうに見えるものが見えなくなる。君が・・・ミサちゃんの上っ面ばかり追いかけているようにね。」
「・・・なんだと・・・?」
挑発的な言葉に、思わず頭に血が上る。気がつけば、拳を握って須田に詰め寄っていた。
「あんたがミサの何を知っているというんだ?」
「確かに僕はミサちゃんのことを知らない。でも・・・この湖が教えてくれるよ。」
「なに・・・?」
須田は俺の後ろに周り、ドンと背中を突き飛ばした。俺は湖に落ち、須田を睨んで叫んだ。
「いきなり何をするんだ!」
「どうやら君は、ものを見るということが出来ていないようだ。だったら・・・直接肌で感じて来ればいい。湖面の中の魔境をね。」
そう言って拳銃を取り出し、俺の眉間に狙いを定めた。
「何をする・・・?俺はクローンの毒にはやられていないぞ?」
「いや、一時的に君の力を封じようと思ってさ。」
「俺の力を封じるだと?」
「ああ。薬を飲んでも、花びらの力が使えないようにね。」
須田は引き金に指を掛け、撃鉄を起こした。
「・・・なぜそんなことをする?」
「今の君は投げやりなのさ。そんな状態じゃ、いつ死んでもおかしくはない。だから・・・初心を取り戻させる必要がある。ミサちゃんを生き返らせようとしていた、あの熱い情熱をね。」
「さっきから何を言っているんだ?俺は以前と変わらな・・・・・、」
そう言いかけた時、須田の銃が火を噴いた。花びらの弾丸が俺の眉間を撃ち抜き、意識を失くして湖に沈んでいった・・・。
「美波君・・・もし無事に戻って来られたら、その時は全てを話すよ・・・・。」
朦朧とする意識の底で、須田の呟きがこだましていた・・・。

セカンド・コンタクト 第六話 鮎の友釣り(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:17
「いつまで乗ってるんだ!どけ!」
男の後頭部を蹴り飛ばし、その隙に立ちあがる。そして鼻づらにヒザ蹴りをお見舞いしてやった。
「がはッ・・・。」
「もう一発!」
靴の先で金的を蹴り飛ばすと、男は悶絶しながら倒れ込んだ。
《やった・・・。俺は・・・俺は籠の中の鮎にならずに済んだ・・。》
安堵と喜びが押し寄せ、身体に力が湧いてくる。男はそんな俺を睨み、憎らしそうに顔を歪めた。
「このガキ・・・・許さない・・・・。」
「俺はこれでも二十七年生きている。クローンのお前より長生きしているはずだと思うが?」
「黙れ!」
「お前がな。」
男の鼻づらを蹴り飛ばし、後ろから馬乗りになった。
「さて・・・ここらで終わらせてもらう。でもその前に、俺の身体を返してもらおうか?」
「・・・嫌だと言ったら・・・?」
「このままトドメを刺す。」
「どうやって?お前のパンチなど俺には効かないんだぞ?」
「簡単さ。足で蹴ればいい。」
俺は靴を脱ぎ、足の甲に浮かぶ花びらを見せつけた。
「な・・・なんで・・・?拳にしか花びらを宿せないはずじゃ・・・・。」
「ああ、ついさっきまではそうだったよ。でも・・・お前の言葉のおかげで進歩したようだ。」
「俺の言葉で・・・?」
男は歯を食いしばって俺を睨みつける。橋を渡ってくるおばさんが俺たちの争いに悲鳴を上げ、慌てて逃げ出していった。
「まずいな・・・警察を呼ぶつもりだ・・・。悪いが時間がない、トドメを刺させてもらうぞ?」
そう言って立ち上がり、足を持ち上げて狙いを定めた。
「ま・・・待て!」
「なんだ?」
「さっきのはどういう意味だ?俺の言葉がお前を進歩させたというのは・・・・、」
「ああ、あれか。なんていうか・・・お前の言うとおりだと思ってな。」
「俺の言うとおり・・・?」
「さっきこう言っただろう?お前は戦っている時に一番輝くタイプだと。確かにそうかもしれないと思ったんだ。ミサを失った今・・・俺に生きる目標はない。でも気に食わない奴に殺されるのは御免だ。なら・・・戦うしかないだろう?戦っている時だけは・・・気分が高揚して全てを忘れられるんだから・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「俺は・・・きっと残虐な人間なんだ。この力を使って、他者を傷つけることに生きがいを見出そうとしている。それだけが、今の俺の支えのような気がするんだ。
そう思った時、少しだけ楽になれた・・・。そしたら・・・ほら!こんな器用なことも出来るようになったってわけだ。」
足の花びらを見せつけ、ほの暗い感情を剥き出して笑った。それを見た男は、ブルブルと首を振って懇願した。
「た・・・頼む・・・殺さないでくれ・・・。死ぬのが怖いんだ・・・・。」
「それは誰だって同じだ。お前を見逃す理由にはならない。」
男の首根っこを踏みつけ、首をへし折るように体重を掛けた。
「うわあああ!やめてくれ!死にたくない!」
「だったらやるべきことがあるだろう!死にたくないなら何をすべきか、よく分かってるはずだ!」
足に体重を掛け、男の首を軋ませる。あと少し力を入れれば、ポキリと首が折れてしまうだろう。
「分かった!返す!君の身体を返すから!」
「それでいい。安い挑発に乗ってくれて助かるよ。」
足を離し、男の髪を掴んで睨みつけた。
「・・・君は・・・やっぱり戦う時に輝くタイプだ・・・。どうやら・・・釣る相手を間違えてしまったらしい・・・。」
男は観念し、目を閉じて眉間に皺を寄せた。俺の身体は元に戻り、懐かしさを感じて手を握りしめた。
「ほんの少しだけ離れていただけなのに・・・すごく懐かしく感じる。やっぱり自分の身体が一番だ。」
何度も拳を握り、胸を叩いて自分の肉体を確認する。これは俺の身体だ・・・絶対に誰にも渡したりはしない!
男は手すりを掴んで立ち上がり、傷ついた身体でもたれかかった。
「強いな・・・。君を倒す為に、何十体ものクローンを食べてきたっていうのに・・・・。」
「いいや、俺よりあんたの方が強かったよ。でも・・・あんたは死ぬことを極端に怖がっていた。だから負けたんだ。」
「・・・仕方ないだろう・・・。クローンは寿命が短いんだ・・・。人間よりも生への憧れが強いんだから。」
男は苦しそうに胸を押え、その場に座り込んだ。
「大丈夫か?」
「ああ。でも・・・ちょっと休ませてくれ。この身体は病気なもんでな。」
そう言ってニコリと笑い、手すりの隙間から川を覗き込んだ。
「君を捕まえて・・・針から外した途端に大暴れしやがった・・・。見ろ、鮎だって中にはガッツのある奴がいるぞ。」
男は顎をしゃくって視線の先を促した。するとそこには、ピチピチと勢いよく跳ねて、籠から飛び出す鮎がいた。
釣り人の手をすり抜け、川に飛び込んで逃げていく。
「最後まであがく奴だけが生き残れるんだ・・・人も鮎も・・・そしてクローンもな。」
男の目には、まだ力があった。戦いに敗れても、まだまだ気力は衰えていないようだった。
「なあ、お願いがあるんだけど?」
「なんだ?」
「君は須田という男を知っているだろう?」
「・・・ああ、それがどうした?」
そう尋ねると、男はよろけながら立ち上がった。そして俺に近づき、射抜くような視線で見据えた。
「彼に会わせてほしい。」
「なんだと?」
「俺は・・・まだ死にたくないんだ・・・。でもそう都合よく人間の身体は手に入らない。だから・・・須田という男に助けてもらいたいんだ。」
「・・・本気で言っているのか?」
「もちろんだ。さっきも言ったけど、最後まであがく奴が生き残る。僕は・・・・徹底的にあがいてやる。少しでも希望があるなら、意地もプライドも捨ててそれにしがみ付くさ。」
男の声は低く、そして重く響いた。
《こいつ・・・本気で言っているのか・・・?》
さっきまで殺し合いをしていたクセに、今は平気で俺に頼みごとをしている。そうまでして生きたい理由が、俺にはまったく分からなかった。
「ダメかい?須田に会わせてもらうのは?」
「そういうわけじゃないが・・・、」
「じゃあ何を悩んでいるんだ?まだ僕に対して怒っているのか?それならいくらでも謝るよ、この通り。」
男は膝をつき、深く頭を下げて土下座した。
「よせ、そんなことをされても・・・・、」
「いいや!須田に会わせてくれるなら、僕は何でもやる!土下座で物足りないなら、裸で川に飛び込んでもいい!」
男は服を脱ぎだし、手すりに足を掛けた。
「ま・・・待て!分かったから!須田に会わせるからやめろ!」
「本当か・・・?」
「そこまでされたら断れないだろう・・・。それに見ろ、赤いランプを点けた車がこっちに走って来る。こんなところを見られたら妙な誤解をされるぞ。」
橋の向こうから、サイレンを鳴らしてパトカーが近づいて来る。男は「本当に会わせてくれるんだな?」と念を押し、しつくいくらいに確認してくる。
「だから会わせると言っているだろう!いいから服を着ろ。」
「ああ・・・ありがとう・・・。これで生き延びる希望が繋がった・・・。」
男は胸を撫で下ろし、素早く服を着て走り出した。
「早く逃げるぞ!警察に捕まったら厄介だ!」
「おい待て!俺を置いて行くな!」
男は病気のクセに、なかなかの俊足だった。橋を越え、細い路地に入って警察を巻く。
しかし向こうも諦めない。パトカーから降りて、懸命に俺たちを追いかけてくる。
「誰が捕まるかってんだ!こっちの角を曲がるぞ!ボロいアパートの隙間が抜け道になってるんだ。」
「やけに詳しいな。この辺りに住んでいるのか?」
「いいや、でもこの辺りはよく来るんだ。クローンがうろついていることが多いからな。
ほら、君の彼女のミサちゃん、あの子もこの辺をウロウロしてた子だよ。」
男はニヤつきながら肘でつついてきた。
「あんたミサを知ってるのか!」
「ああ、あの子とはしばらく一緒にいたからな。」
「ミサと一緒にいただって・・・・?」
思いがけないことを言われ、思わず足が止まりそうになる。
「おいおい、ちゃんと走らないと捕まるぞ。」
男は俺の腕を引き、ボロいアパートの隙間を通って別の場所に出た。
「あの抜け道を知る奴は少ないから、ここまでは追って来ないだろう。」
男は近くの電柱にもたれかかり、苦しそうに胸を押えた。
「大丈夫か?かなり辛そうだが・・・・。」
「病気の身体には堪えたよ。でも・・・今日は良い日だ。なんたって須田に会える約束を取りつけたんだから。」
そう言って肩を竦め、その場に腰を下ろした。
「・・・なあ・・・さっきのはどういうことだ?あんたとミサが一緒にいたって・・・。」
「なあに、簡単な話さ。さっきも言っただろう?寂しいクローン同士は寄り添うって。彼女は僕に寄り添い、僕も彼女に寄り添っていた。けど・・・君が現れたせいで、彼女は僕の元を去った。いわば僕はミサの元彼ってところかな。」
「あいつの・・・元彼・・・?」
「ははは!その顔はショックを受けているね。でも安心しなよ。僕と一緒にいた時の彼女は、ミサじゃなかった。なぜなら、ミサという人物は君が思い描いたんだからね。」
「それは確かに・・・・。」
「僕が一緒にいたのは、ミサであってミサではない。名前も顔も持たない、ただの木だったんだから。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「クローンは人の意識を反映させる力を持っている。だからミサという女は君が生み出し、君が初めて付き合った彼氏だよ。そんなに落ち込む必要はないさ。」
「慰めてくれなくていい・・・。ただ・・・俺はあいつの過去を知らないんだなって思うと・・・少し複雑になっただけだ。」
「それを嫉妬というのさ。」
男は胸を押えて立ち上がり、いくぶんマシになった顔色で笑った。
「須田に会わせてくれるお礼に、あの子の過去のことを教えてあげるよ。僕の家まで行こう。」
男は俺の肩を叩き、スタスタと先へ行ってしまう。
「ほら、ボケっと俯いてないで、さっさと来なよ。」
俺は何も答えないまま、重い足取りで歩きだした。ミサと一緒にいるとき、あいつの過去のことなどどうでもいいと思っていた。
それなのに・・・今は違う。俺はあいつのことを知りたがっている。例えどんなに些細なことでも、ミサに関することを知りたいと思っている。
「俺は・・・・本当にミサのことを見ていたのかな・・・?目に映るあいつばかり追いかけて、実は何も理解していなかったんじゃ・・・・、」
今さらそんなことを考えても仕方がないことはわかっている。それでも・・・・俺はミサのことが知りたい。もうあいつが生き返らないとしても、ミサのことを知りたいのだ。
男は遠くで立ち止まって手招きをしている。「早く来い」と言って笑い、ジャンバーに手を突っ込んで歩いく。
《彼は・・・・きっと俺よりもミサのことを知っている。それは悔しいことだけど・・・今は彼の話が聞きたい。》
重い足を動かし、男の後を追っていく。
《ミサ・・・・お前は、いったいどんな過去を背負っているんだ?》
知りたいけど、知りたくない・・・。葛藤を抱えたまま男の後をついて行くと、彼は細い十字路で立ち止まった。そして口を開けて驚き、じりじりと後ずさった。
次の瞬間・・・・彼の頭は吹き飛んでいた。赤い血が飛び散り、糸が切れた人形のようにその場に崩れる。
「どうした!」
慌てて駆け出し、男の傍へ近寄った。彼の頭は、上から半分が消えていた。手足を投げ出し、ピクリとも動かずに絶命している。
「な・・・・なんで・・・いったいなんでこんなことに・・・。」
膝をつき、彼の手に触れようとする。その時、よく知る声が俺を呼んだ。
「美波君。」
「・・・・・・・・・・・。」
それは須田だった。拳銃をぶら下げ、俺の方へ近づいてニコリと笑った。
「ダメだよ、クローンに心を開いたら。あれほど注意しただろう?」
「・・・・お・・・お前・・・・お前は・・・・・。」
拳を握って立ち上がり、震える瞳で須田を睨んだ。
なぜ・・・?なぜこいつはいつも余計なところで現れる?まるで俺の邪魔をするように、なぜいつも目の前に立ちはだかるんだ?
俺と須田の視線が絡み合い、暑い空気に混じって互いを包む。
足元に倒れる男の胸に、赤い花びらが落ちていた。それは温い風に運ばれ、ヒラヒラと舞いながら、鮎の泳ぐ川の中へ消えていった・・・。

セカンド・コンタクト 第六話 鮎の友釣り(1)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:13
『友釣り』


生ぬるい風が吹き抜ける。太陽が必要以上に空気を温め、うねる熱気が頭をぼやけさせていた。
俺は赤い橋の上に立ち、長い竿で鮎釣りをする人たちを眺めていた。
「鮎の友釣りってやつか。確かルアーを使うんだよな・・・。」
鮎は川底に生えている苔を食べる。そして自分の餌場を守るため、縄張りに侵入した他の鮎を攻撃するのだ。友釣りとは、そんな鮎の習性を逆手に取っている。
鮎そっくりのルアーを使い、わざと縄張りに侵入させて攻撃させるのだ。しかしルアーに付いた針が口に掛り、釣り人の餌食となってしまう。
同族だと思ったその魚は、実は人間が用意した周到な罠というわけだ。
「あんまり好きになれないな・・・こういうやり方は・・・・。」
橋の手すりにもたれかかり、ケータイを取り出して時間を確認した。
「十一時二十分か・・・。遅いな。」
今日、俺はある男を待っていた。十一時にここで会う約束なのだが、二十分も遅刻している。電話を掛けようにも番号を知らないし、メールアドレスさえ知らない。
この暑い日差しの中で、ただ男が来るのを待つしかなった。
釣り人たちは順調に鮎を釣り上げているようで、腰に付けた籠に放り込んでいく。あそこへ入れられたら最後、鮎は二度と川へ戻れない。行きつく先は台所であり、そして人の胃袋だ。
「あの籠に入ったら、確実に死が迫るわけだ。どんな気持ちでいるんだろうな、鮎は・・・・。」
男が来るまで退屈なので、鮎の気持ちを妄想して時間を潰した。
もし・・・もし俺があの籠に入れられたらどうするか?避けられない死が目の前に迫っている状況で、俺ならどう行動するか?
暇潰しで考え始めただけなのに、いつの間にか本気で考え出していた。
「・・・死が目の前に迫ったら・・・当然それを避けようとするだろう・・・。でも、逃げられなかったらどうする?一つも希望がない状況だったら・・・そのまま死を受け入れるのか・・・?」
あの水族館の戦いから一カ月、俺は生きるということについて考えていた。
『クローンだって、人間と同じように生きている。』
あの時ミサはそう言った。そんなことは俺だって分かっているが、ミサから言われると重く胸に圧し掛かった。
なぜなら、あいつ自身がクローンであり、そしてあいつを生き返らせる為に戦っていたのだから。
「今まで俺が葬ったクローンは・・・死を避けることが出来なかった。どのクローンもなんとかして生き延びようとしていたのに、俺が終わらせた・・・。」
手すりから身体を離し、腕を組んで川を見下ろす。今までの戦いは鮮明に記憶に残っていて、目を閉じればありありと思い出せる。
ゲーセンでサボる少年の彼女、婚約指輪を渡そうとしていた青年、絵本を読んでくれとせがむ子供、そして・・・・孤独の辛さに血の涙を流していたあのマネキン。
いや、それだけじゃない。他にも多くのクローンを葬ってきた。その理由はただ一つ、ミサを生き返らせる為。だが・・・それももう終わった・・・。
あのマネキンの少女は言った。『死んだ命は生き返らない』と。
そのことを須田に問い詰めると、あっさりと認めやがった。
『そうだよ、死んだ人間は生き返らない。そんなの当たり前じゃないか』
悪びれる様子もなく、憎たらしい顔でそう言っていた。あの時、本気で須田を殺してやろうかと思った。
しかし残念ながら、俺の腕っ節では須田に敵わない。代わりに、あのマネキンの少女から聞いた話をぶつけてやった。
『あんたは自分の研究の為に、俺を利用しているそうだな?それに・・・あの巨木は偽物なんだろう?本物はどこにいる?』
須田はその質問には答えなかった。曖昧な笑みを浮かべるだけで、自分の机に座ってパソコンをいじっていた。
俺は「二度とお前とは会わない」と告げ、彼の家を後にした。あれから一カ月、須田とは会っていない。連絡も取っていないし、向こうからも音沙汰はない。
ミサが生き返らないことは悲しいが、戦いの日々から解放されたのは嬉しいことだった。
死んだ命は生き返らない。そんな当たり前のことに目を背けていたから、須田なんかに利用されたんだ。
ミサは俺にとっての全てだった。その彼女がいない今、こんな世界などどうでもいい。
あの巨木が何者なのか?クローンとは何なのか?様々な疑問はあるが、もう全てがどうでもいいことだ。
だから・・・ここらで自分の命を絶つのも悪くないと思った。
もうミサはいないんだし、彼女を生き返らせることも出来ない。それに・・・多くのクローンの命を奪ってきのだから。
今さら・・・・今さら俺なんかが生きている理由はない。本気でそう考えて、五日前に自殺を図ろうとした。
この橋の上から、ロープを垂らして首を吊ってやろうと思ったのだ。
ホームセンターで頑丈なロープを買い、ネットで結び方を調べ、いざ実行しようとこの橋へ来た時・・・あの男と出会った。
夏だというのに、薄いベージュのジャンバーを羽織り、古臭い黒ぶちの眼鏡を掛けたあの男に・・・。
若い男だったが、彼の目には力があった。何かを求めて戦っている、強い目をしていた。
自殺しようとしていた俺は、なぜかその男に惹かれて手を止めた。すると向こうはニコリと微笑み、スッと手を差し出してきた。
『ロープをこっちへ。』
言われるままにロープを渡すと、男はじっとそれを睨んだ。そして目を閉じて眉間に皺を寄せると、ロープは一瞬にして消えてしまった。
あれは・・・手品ではなかった。なぜなら、ロープが消える瞬間に、男の手の甲に赤い花びらが浮かんだからだ。
言葉を失う俺を見て、男は小さく笑いながら言った。
『僕も君と同じさ。花びらの力を持っている。』
度肝を抜かれる思いだった。まさか・・・まさか自分の他にも同じ人間がいたなんて。
それを口にすると、男は黙って首を振った。
『それは違うよ。僕は人間じゃない。肉体を得たクローンだ。』
男はそう言って背中を向け、手を振りながら去って行った。そして去り際にこう言ったのだ。
『五日後の午前十一時、またここで会おう。』
俺はあの男の言葉どおり、五日後の午前十一時にここへやって来た。もう一度・・・もう一度あの男に会って、何か話をしてみたいと思ったからだ。
しかし男は来ない。時間を確認すると十一時半を過ぎていて、橋の向こうを睨んで唇を尖らせた。
「来ないな・・・。もしかしてすっぽかすつもりか?それとも・・・・何か理由が・・・・。」
住所も電話も知らないし、名前すら知らない。いくら会いたいと思っても、こちらからは探しようがなかった。
「十二時まで待って現われなかったら、諦めて帰るか・・・。」
ケータイをしまい、手すりに肘をついて川を眺める。暇つぶしの妄想を再開し、鮎の気持ちになり切って悶々と考えていた。
それから二十分後、男はようやく現れた。前と同じように薄手のジャンバーを羽織り、申し訳なさそうに手を挙げた。
「ごめんね、遅くなっちゃって。」
「ああ、いえ・・・。」
軽く頭を下げ、まじまじと男を見つめた。
「どうした、そんなに見つめて?言っておくが、僕にそっちの趣味はないぞ。」
「いや・・・そういう意味じゃなくて・・・・、」
「冗談だよ。珍しいんだろう?人間の肉体を持ったクローンが。」
男はそう言って手を広げ、おどけるように肩を竦めた。そして川に目を向け、鮎を釣る人たちを睨んだ。
「鮎釣りか・・・。これを見ていると、複雑な気分になるよ。」
「どうしてですか?」
そう尋ねると、男は釣り人を睨んだまま答えた。
「だって・・・僕と重なって見えるからさ。」
「重なって見える・・・?」
「ああ。僕は自分をオトリにしてクローンをおびき寄せているのさ。そして罠に嵌めて仕留める。まるで鮎の友釣りのようにね。」
切ない顔で自嘲気味に笑い、手すりに肘をついて遠くを見つめた。
「僕はね・・・数年前まではただのクローンだった。宿主を探していたんだけど、どうもしっくり来る人間がいなくてね。そろそろ寿命も近いし、もうこのまま死んでしまおうかと考えたのさ。」
「・・・・・・・・・。」
気になる言葉を連発するので、質問を投げかけようと口を開きかけた。しかし男は、『黙って聞け』と目で促した。
「クローンは寿命が短い。だから早急に宿主を探す必要があるんだけど・・・・誰でもいいってわけじゃない。クローンだって人間をより好みするからね。僕の近くには、僕の求める人間はいなかった。好きでもない人間の心に住み着くくらいなら、死んだ方がマシだと思ったわけさ。」
釣り人が鮎を釣り上げる。男はそれを見てわずかに俯いた。
「僕は寿命を迎え・・・目の前まで死が近づいてきた。そうするとね、途端に死ぬのが怖くなったんだ。死んだ方がマシだなんて言っておきながら、死ぬのが怖くて怖くてたまらなかった。でも今さら宿主となる人間を見つけるのは難しい。死の恐怖に怯えながら、ひたすら苦しんでいた。でもその時・・・あることを閃いたんだ・・・。」
「あること・・・?」
思わず聞き返すと、男は俯いたまま視線を寄こしてきた。
「・・・鮎の友釣りさ・・・。」
「・・・・どういうことです?」
「・・・クローンってのは、とにかく孤独を嫌うんだ。だから一生寄り添える相手を探そうとする。クローンが人間の心に住み着くのは、孤独を嫌うからでもあるのさ。」
「・・・それは・・・分かる気がします・・・。クローンだけじゃなく、人間だって孤独は嫌いますから。」
「辛いよね、孤独ってのは・・・。だからその辛さから逃れる為に、同族で群れることがあるんだ。パートナーとなる人間が見つからないクローンが、孤独の傷を舐め合って過ごすことがある。」
「それは・・・クローン同士でくっつくってことですか?」
「そうだよ。寂しさを紛らわすために、同族でくっつくのさ。でもそういう行動を取る奴は、たいていの場合は寿命が迫ってるんだ。だから・・・クローン同士で寄り添ったまま死んでいく。出会ってすぐにね。」
「・・・なんだか切ない話ですね・・・。」
孤独を避ける為に仲間と出会ったのに、すぐに死ぬというのは寂しすぎる気がする。
「僕はね、自分をオトリにして、そういう孤独なクローンをおびき寄せているのさ。そして・・・罠に嵌めて食べている。」
「た・・・食べるですって!」
「うん、仲間を食べるんだ。そうすることで、ほんの少しだけ寿命が延びるからね。それを繰り返せば、クローンでもかなり長く生きられる。僕は死を避ける為に、仲間を罠にかけて殺しているのさ。」
男はまた自嘲気味に笑った。でも・・・・俺は笑えない。自分が生き長らえる為に仲間を食べるなんて・・・・どうしても理解できない。
「いいんだよ、僕のことをどう思ってくれても。君の考えているとおり、僕は最低なクズ野郎さ。」
「い、いや・・・そんなことは・・・、」
「思ってない?」
「・・・・すいません・・・正直・・・・理解出来ないなって・・・。だって・・・人間でいえば、共食いしてるようなものじゃないですか。俺ならそこまでして生きたいとは思いません・・・。」
「そうだろうな。だって・・・今の君は死にたがっているから。」
「・・・分かりますか?」
「ははは!分かるも何も、この前ここで自殺しようとしていたじゃないか。僕が来なけりゃ、君は確実に死んでいただろ?」
「ええ・・・そうですよ・・・。今の俺には・・・・生きる希望がないんです・・・。」
「そうかい。まあその話はちょっと横に置いといて、今は僕の話をさせてもらうよ。」
男は手すりにもたれかかり、黒ぶちの眼鏡に太陽を反射させた。
「僕は仲間を食うことで寿命を延ばした。孤独の寂しさを装って仲間を釣り、心を許して近づいてきた途端に食ってやるのさ。どうやって食うのか、具体的に聞きたいかい?」
「いや・・・いいです・・・。」
そんな話は聞きたくない。俺は目をつむって首を振った。
「そんなことを繰り返しているうちに、奇妙な事が起こった。なんと、俺の元に宿主を見つけたクローンが現れたのさ。」
「宿主を見つけたクローンが・・・?」
「おかしいだろう?宿主を見つけるってことは、孤独から解放されることさ。なのに・・・・なぜか僕の元へやって来たのさ。どうしてだと思う?」
男は悪戯っぽく笑う。意地の悪い顔を見せ、笑いを堪えながら肩を震わせていた。
「そういつはね、宿主を見つけたはいいけど、その人間のことが気に食わなかったのさ。死ぬのが怖くて、誰でもいいからって取り憑いたんだ。だから孤独から解放されるどころか、ますます心を閉ざして孤独になっていったんだよ。
いやあ、あいつを見たとき、俺の選択は正解だったと思ったね。気に食わない人間と一緒になるくらいなら、まだ一人の方がマシってもんさ。」
男は手を叩いて笑い、また川に視線を落とした。
「そいつは宿主を見つけたクセに孤独だった。だから同族に惹かれて、僕の元へやって来たんだ。そして・・・食ってやった。心に住み着いたクローンだけを食い、人間の肉体は頂いたわけさ。ほら、こんな具合に。」
男は自慢気に手を広げてみせた。
「もしかして・・・その身体は・・・・、」
「ああ、その時の人間の肉体だよ。こいつの心はさ、とても脆かったんだ。だから心を乗っ取った後に、意識の奥の方に閉じ込めてやった。おかげで僕は肉体を手に入れ、何十年も寿命を延ばすことに成功した・・・・・、はずだった。」
「はずだった・・・?どういうことです?」
そう尋ねると、男は困ったように首を振った。
「こいつの身体はね、病気だったんだよ。だからもうじき死ぬんだ。せっかくあと何十年も生きられると思ったのに、余命はたったの半年だ。
これじゃあせっかく人間の身体を手に入れたのに意味がない。だから・・・今でも友釣りをしているんだ。君との約束に遅れたのもその為さ。」
「・・・・・・・・・・。」
どうやら・・・今日ここへ来たのは間違いだったようだ。この男からは須田以上の身勝手さを感じる。早々にこの場を立ち去らないと、きっと良くないことが起こる。
「逃げようとしているね?」
「・・・・・・・・・・・。」
「ふふふ、全部顔に出てるよ。けどね、もう遅い。僕は前から君に目をつけていたんだ。花びらの力を宿して戦う、特殊な人間の君にね。だから・・・是非その身体を譲ってほしい。見たところ健康そのものだし、傷んでいるのは心だけだ。」
男は一歩前に出て近づいて来る。俺はそれに合わせるように、一歩後ずさった。
「逃げないでくれよ。僕は君の身体を手に入れる為に、この五日間力を蓄えてきたんだよ。いつもの何倍もクローンを食って、パワーを得た。だから・・・その身体をもらうよ・・・どんなに嫌だと言ってもね。」
男は拳を握り、花びらを浮かび上がらせた。その花びらが弾けると、景色は色を失くして時間を止めた。
「さあ、その身体をくれ。別に抵抗しても構わないからさ・・・。」
「待て!俺は戦う気なんて・・・・・、」
「問答無用!ノコノコとやって来た君が悪いのさ!」
男の額に赤い花びらが浮かび上がる。そして柔道のように掴みかかってきた。
「離せ!」
俺も咄嗟に薬を飲み、拳に花びらの力を宿す。そして男の顎を狙って殴りかかった。
俺のパンチが綺麗に入る。男は脳を揺さぶられ、その場に膝をついた。チャンスとばかりにひざ蹴りを入れ、倒れたところに馬乗りになった。
「お前もクローンなら駆除してやる!」
花びらの拳で何度も殴りつけるが、男はまったく死ななかった。
「なぜだ・・・?クローンならこの拳で死ぬはずじゃ・・・・?」
「無駄だよ、言っただろ・・・この五日間、君の身体を手に入れる為に力を蓄えてきたと。そんなパンチじゃ俺を殺せないよ。」
男は口から血を流してニヤリと笑い、俺の腕を掴んだ。
「まずはこの腕をもらう。」
そう言って目を閉じ、眉間に皺を寄せる。すると一瞬のうちに俺と男の腕が入れ替わった。
「うわあああああ!なんだ!」
「さあ、次は顔をもらおう。」
男の手が俺の顔に伸びてくる。首を捻ってそれをかわし、咄嗟に後ろへ飛びのいた。
「なんなんだお前は・・・?人の身体を入れ替えやがって・・・・。」
「だから君の身体をもらうと言っただろう。その代わりに、病に侵されたこの身体をあげるよ。」
「ふざけるな!俺の腕を返せ!」
思い切り男を殴りつけるが、まるで布団叩きのように情けない音しかしなかった。
「くそ!なんて非力な腕だ・・・・。」
「当たり前だろ、病魔に侵されているんだから。それに比べて、君の腕はずいぶんと逞しい。クローンを狩る為に鍛えこまれているな。」
男は拳を握り、ボディブローを見舞ってきた。
「ぐふッ・・・・。」
「どうだい?自分のパンチで倒れる気分は?さて、次は胴体を頂こうかな。」
倒れる俺に馬乗りになり、胸の部分に手を当てる。そしてまた目を閉じて皺を寄せた。
男の痩せた胴体と、俺の胴体が入れ替わる。その途端に、急に胸に痛みが走った。
「その身体は肺ガンに侵されているんだ。ビキビキと電気のような痛みが走るだろう?」
「・・・・・・・・・・・・。」
男の言うとおり、呼吸をする度に胸が引き裂かれそうだった。それでも何とか立ち上がり、橋の手すりに身体を預けた。
「痛いだろう、それ?」
「・・・お前・・・何が目的なんだ?」
「うん?」
「うん?じゃない。そうまでして新しい身体を手に入れて、いったい何がしたいんだ?いくら寿命が伸びたところで、目的がなければ長生きする意味がないだろう?」
この男の生に対する執着は異常だ。きっと何かの目的があるに違いない。しかし・・・男は首を振った。
「ないよ、そんなもの。」
「なに・・・?」
「僕が長生きを望むのは、生きたいからじゃなくて、死にたくないからだ。ただそれだけだよ。」
「死にたくないから生きるだって・・・?分からないな、何かの為に生きるのが人生ってもんじゃないのか・・・?」
「ははは!自殺しようとしていた君に言われたくないな。」
「真剣に生きてきたから、自殺を考えるんだよ。いい加減な奴なら、死ぬほど悩んだりするものか!」
そうさ。俺はこれでも真剣に生きてきたんだ。ミサと出会うまでだって、それなりに頑張って生きてきた。
家族を死なせた罪を抱えたまま、それでも立ち止まることなく生きてきたんだ。それを・・・それをこんな男に台無しにされてたまるか!
死ぬのが怖いから同族を貪るような奴には・・・死んでも負けたくない。
「この身体は俺のものだ・・・。絶対にお前になんてやらない!」
「いいねえ、その目。この前とは大違いだよ。君ってさ、戦っている時が一番輝くタイプじゃないかな?」
「・・・どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。自分の力を使って誰かを傷つけている時が、一番楽しいんだろう?」
「違う!俺はそんな最低な人間じゃない!」
「そうかな?今の君はとてもイキイキして見えるよ。自殺を考えていた奴とは思えないくらいにね。」
「ふざけるな!」
ここまで言いたい放題にされては黙っていられない。細い腕で思い切り殴りかかった。しかしあっさりとかわされ、橋の上に組み伏せられてしまった。
「安い挑発に乗ってくれてありがとう。それじゃ・・・この身体を全部いただくよ。」
男は俺の顔を掴み、指を立てて爪を食いこませた。そして目を瞑り、眉間に皺を寄せた。
《まずい!このままじゃ本当に・・・・、》
死ぬのは怖くない。しかし・・・・身体を奪われるのはごめんだった。それもこんなクズみたいな男に・・・。
《何か・・・何か方法はないのか!この状況を打開する方法は・・・・。》
今の俺は、まるでルアーに引っ掛かった鮎だった。孤独の苦しみを逆手に取られ、ノコノコと男に会いに来てしまった。
そして・・・釣り竿から外され、籠の中に入れられようとしている。
ここで・・・ここで何とかしなければ、もう後がない。俺はルアーに釣られる鮎のようにはなりたくなかった。
「どうした?急に大人しくなったじゃないか?これはまな板の上の鯉ってやつかな?」
「・・・・・・・・・・・・。」
男は余裕を見せて笑う。ここまで来れば自分の勝利は揺るがない。後は釣り針から魚を外し、胃袋に収めるだけなのだから・・・。
《・・・抜け出す方法は・・・・無い。でも・・・状況を変える手段ならある!》
俺は男を睨んだままポケットに手を入れ、薬を摘まんで口の中に入れた。
「何をしている?そんな物を飲んでも無駄だぞ?」
「そうかな?少しくらいは状況が変わると思うぞ?」
俺は手の平に赤い花びらが浮かび上がらせた。そして、それを握りつぶすと・・・・、
「はははは!ほら、何も変わらないじゃないか!無駄は抵抗だったな。」
男は馬鹿にするように笑う。だが俺は首を振って言ってやった。
「いいや、さっきとは少しばかり変わったさ。なぜなら・・・今は俺の生み出した意識の世界になっているんだからな!」
俺はもう一度手の平に花びらを浮かび上がらせた。それを握り潰すと、世界は色を取り戻して時間が進み始めた。
「馬鹿な!なぜ意識の世界が消えた!」
「当然だろ。あれは俺が発生させた意識の世界だ。だから・・・その効果を消すのも俺次第ってわけだ!」
男は唖然として橋の先を睨みつけた。時間が動き出したおかげで、橋のたもとにいた人間がこちらへ歩き始めたのだ。
状況は変わった。そのおかげで男に隙が生まれ、思い切り蹴り飛ばしてから立ち上がった。
どうやら俺は・・・掛った針から抜け出すことに成功したようだ。そして、今度は俺がこの男を仕留める番だ・・・。
唖然とする男に、思い切りひざ蹴りをお見舞いしてやった。

セカンド・コンタクト 第五話 深夜のモノレール(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:07
銃口が俺の頭に狙いを定めている。マネキンの少女は引き金に指をかけ、拳銃から火を噴かせた。
次の瞬間、俺の右肩に焼けるような痛みが走った。
「ぐあッ!」
歯を食いしばって痛みに耐える。それと同時に疑問が浮かんだ。
《どうして頭を撃たなかったんだ・・・?もしかして・・・なぶり殺すつもりか・・・?》
嫌な考えが頭に浮かぶが、そうではなかった。拳銃を握った少女のマネキンは、バランスを崩して倒れていたのだ。
「なんで・・・?なんで急にモノレールが・・・・。」
「モノレール・・・?」
そう言われて窓を見上げてみると、モノレールがゆっくりと動き出していた。
「おいおい・・・・そんな馬鹿な・・・・。」
突然の出来事に呆然としていると、モノレールは急ブレーキをかけた。車内が大きく揺れ、俺を押えていたマネキンたちも倒れる。
その隙をついて逃げ出し、ドアへ向かった。そして・・・・絶句した。
「これは・・・・どういうことだ・・・?」
モノレールは、展示室を抜け出して走っていた。遥か先までレールが続いていて、夜の街の上を飛ぶように進んでいた。
「こ、これはお前たちの仕業か!」
マネキンたちを振り向くと、こちらに向かって襲いかかって来た。
「そいつを押えて!これで撃ち殺してやるわ!」
二体のマネキンが迫り、手を伸ばして掴みかかってくる。しかしその瞬間、モノレールがジェットコースターのようにグルリと回転した。
上下が逆さまになり、マネキンたちは天井へ落ちていく。俺は吊革に掴まり、立ち上がってきたマネキンの頭を蹴り飛ばした。
父のマネキンの顔が、逆さまを向いて倒れていく。
「なんだこいつら・・・力は強いクセに脆いのか・・・?」
母のマネキンが俺に飛びついてきて、吊革から引き下ろそうとする。その時またモノレールが回転して、床へと叩き落とされた。
「ぐあッ・・・なんなんだよこれは・・・。」
すぐさま体勢を立て直し、母のマネキンを殴りつける。花びらの力が宿った拳が、マネキンのクローンを一撃で葬った。
「いやあああああああ!」
それを見た少女のマネキンは絶叫し、俺に向かって発砲してきた。乾いた破裂音が響き、ガラス窓が割れる。
「これ以上殺さないでよおおおおおお!」
少女のマネキンは銃を乱射し、そのうちの一発が父のマネキンに当たった。
「ああ!」
右足が砕け、床に倒れる父のマネキン。その隙を見逃さず、花びらの拳でトドメを刺した。
「やめてってば!」
少女のマネキンは引き金を引くが、カチカチと音がするばかりで何も起こらない。
「弾切れか!」
チャンスとばかりに少女のマネキンに駆け寄ると、拳銃を投げつけて襲いかかってきた。
「私は死なない!死なないんだから!」
両手を伸ばし、正面から掴みかかって来る。パーカーを引っ張られて、軽々と投げられてしまった。
《パワーが桁違いだ・・・・正面から挑んだら駄目だな・・・。》
少女のマネキンは血の涙を流して襲いかかって来る。俺は咄嗟にパーカーから腕を抜き、後ろに下がった。
「殺してやるわ!殺される前に殺してやるんだから!」
少女のマネキンはパーカーを掴んで投げ飛ばそうとする。しかしスルリとパーカーが抜け、後ろに倒れて尻もちをついた。
俺はマネキンの前に立ち、拳を構えて打ち下ろそうとした。しかしその瞬間に、またモノレールが揺れた。
「くそ!」
千載一遇のチャンスを逃してしまい、思わず舌打ちをする。少女のマネキンは立ちあがり、俺の首を締めにかかってきた。
「死ね!死んでしまえ!」
「この・・・・調子に乗るなよ!」
首を掴まれる一瞬、花びらの拳で殴りつけた。それは少女のマネキンの腰に当たり、下半身が吹き飛ばされた。
「ぎゃあああ!」
足を失った少女のマネキンは、悲鳴を上げて倒れ込む。痛そうに顔を歪め、手で這いながら逃げ出そうとした。
「逃がすか!」
俺は彼女を足で踏みつけ、身動きを封じてからトドメを刺そうとした。しかしその瞬間、またモノレールが揺れて倒れそうになった。
「なんなんださっきから!」
モノレールは、明らかに俺の邪魔をしていた。
「おい!コイツはお前が動かしているのか!」
「ち・・・違う・・・。私じゃない・・・。」
「嘘をつけ!お前の他に誰がこんなことを出来る!」
「ほんとだもん!私じゃないって!」
「・・・・・・・・・・・。」
少女のマネキンは、ブルブルと怯えながら俺を見上げる。その顔は、死の恐怖に引きつって固まっていた。
「・・・ほんとうにお前じゃないのか・・・?」
「違うよお・・・・私じゃない・・・。」
血の涙が溢れ、灰色のマネキンが赤く染まっていく。
「もし私が動かしてるなら・・・・銃を撃つときに動かしたりしないもん・・・。」
「・・・それは・・・確かにそうだな・・・。」
あの時、モノレールが動いたから狙いが逸れた。もしそれがなかったら、今頃俺の眉間に風穴が空いているはずだ・・・。
「ならいったい誰が動かしているんだ・・・?」
モノレールに乗っているのは、俺とこのマネキンだけ。もしかして、他に誰かが隠れているのか・・・?
「おい、ここを動くなよ。」
「動きたくても動けないよ・・・足が無いもん・・・。」
「そりゃそうだな・・・。」
マネキンから足をどかし、モノレールの中を調べてみる。もう一度椅子の裏を確認したが、やはり誰もいなかった。
「あとは・・・操縦室だけか・・・。」
あそこも先ほど確認したが、誰もいなかったはずだ。しかし念の為にもう一度調べようとすると、ドアが勝手に開いた。まるで俺を招き入れるように・・・。
「やはりこの中に誰かがいるのか・・・?」
警戒しながら中に入ろうとした時、身体に違和感を覚えた。
「これは・・・薬が切れかかっているのか!」
慌てて二つ目の薬を飲もうとした時、おかしなことに気づいた。
薬を飲んで花びらの力を使っているはずなのに、モノレールの中には色が残っているのだ。
花びらの力を使えば、この世は意識の世界に変貌する。いや、正確には、意識の世界に入り込むのだ。そしてその中で色を持ち、動くことが出来るのは、薬を飲んだ人間とクローンだけである。ということは、このモノレールは・・・・・。
「まさか・・・このモノレール自体がクローンだというのか・・・?」
信じられない思いで呟くと、モノレールはその動きを止めた。そして聞き覚えのある声で、静かに語りかけてきた。
《・・・浩太・・・。》
「ミサ!」
思わず叫んでいた。あれほど聞きたいと思っていたミサの声が、現実に聞こえている。
「ミサ!お前・・・・生きていたのか!」
興奮して尋ねるが、返事はなかった。その代わりに、小さくドアを動かして呟いた。
《操縦室の中に入って。》
「操縦室に・・・?」
《いいから早く。》
言われるままに操縦室に入ると、足元に小さな鉢が置いてあった。そこには細い木が生えていて、いくつかの赤い花びらが咲いていた。
「ま・・・まさか・・・。」
《そう、この鉢植えの木はクローンよ。私から株分けした、クローンのクローン。》
「クローンの・・・クローン・・・。」
鉢植えの傍に膝をつき、そっと指で触れてみる。赤い花びらは、ハラリと手の平に落ちた。
「なんで・・・なんでお前がここにいるんだ・・・?」
落ちた花びらを握りしめ、細い木を撫でた。
「お前は死んだんじゃなかったのか?」
《死んだわよ。元の私は死んだ。それで・・・・この私ももうすぐ死ぬわ・・・。》
「な・・・なに・・・?どういうことだ?」
《クローンはね、ただでさえ寿命が短いの。だから人の心に住み着いて、寿命を得ようとするのよ。だからクローンのクローンは、もっと寿命が短いわけ。》
「そ、そんな・・・・こうしてまた会えたのに・・・・。」
鉢植えを抱きしめて俯くと、また花びらが落ちた。
《浩太・・・もしもの時の為に、クローンのクローンを作っておいてよかった・・・。》
「どういうことだ?」
《私が氷ノ山で言ったことを覚えてる?悪い奴がやって来るって。》
「ああ・・・もちろん覚えてるよ。」
《その悪い奴って・・・・誰のことだか分かるからしら?》
ミサは少し意地悪げに尋ねる。俺は考えるまでもなく答えた。
「きまってるさ、須田のことだろう?あいつは信用のならない男だ。口では綺麗事を並べ立てているが、腹の中じゃ何を考えているか分からない。」
そう答えると、ミサは《ブブー!全然違いますう〜》とケラケラ笑った。
「違うだって?悪い奴って須田のことじゃないのか?」
《違う違う。本当に悪いのは・・・・・、》
そう言いかけて、ミサは口を噤んだ。
「おい、どうした?何かあったのか?」
《・・・ごめん・・・。もう時間がないんだ・・・力も残ってないし・・・。》
ミサの声は弱々しくなっていた。力を失くし、電波の悪いケータイのように聞こえる。
《浩太・・・あの子をここへ連れて来て・・・。》
「あの子・・・?」
《マネキンの子・・・早く・・・ここへ・・・》
「マネキンの子をか?でもどうして・・・・、」
《いいから早くして!もう時間がないの!》
「わ・・・分かった・・・・。」
鉢植えを置き、少女のマネキンを抱えてミサの前に置いた。
《辛かったね・・・可哀想に・・・。》
そう声を掛けると、少女のマネキンの涙が変わった。血の涙は消え、透明な滴へと変わっていく。
《大事な人を奪われて・・・仲間まで失って・・・・今は死にかけている・・・。辛いね・・・。》
「・・・・・・・・・・・・・。」
その言葉に、少女のマネキンは手を伸ばして口を開いた。
「・・・一人は嫌・・・・一人で死ぬのは・・・怖いから・・・。」
《うん、分かってる・・・。だから・・・一緒に行こう・・・。このモノレールで、私たちの世界へ・・・・。》
ミサは残った花びらをマネキンの上に落とした。するとマネキンは陽炎のように揺らめき、ゆっくりと消えていった。
《・・・浩太・・・・私はもう行くわ・・・。この子を連れて・・・・ここじゃない世界へ・・・。》
「ここじゃない世界って・・・いったいどこだよ?」
《浩太の知らない世界よ・・・。だから・・・早くここから降りて・・・。》
「おい、ちょっと待てよ!俺はまだ聞きたいことが・・・・、」
《・・・大丈夫・・・・クローンのクローンはまだあるから・・・いずれ会えるわ・・・・。
だから・・・・今はさよならよ・・・。さあ・・・早く降りて・・・・。》
「ミサ・・・・。」
まだミサと離れたくなかった。いや、出来ることなら、俺も一緒にここじゃない世界へ行きたかった。
しかし・・・・それはきっとミサの望むことじゃない。俺は大人しくモノレールから降りることにした。
「・・ミサ・・・また会えるよな?」
《・・・・うん・・・きっと会える・・・だから・・・・・・・、》
気がつけばモノレールは展示室に戻っていて、ドアが開いて降車を促した。
「・・・ミサ・・・・。」
後ろ髪を引かれる思いでモノレールを降り、ミサのいる操縦室を見つめた。
《・・・・浩太・・・・覚えておいて・・・・。クローンだって生きてるの・・・。大事な人を失って傷つくのは・・・・クローンだって同じ・・・。》
モノレールは動き出す。ミサの声に反応するように、警笛を鳴らして走り出す。展示室の先にはレールが続いていて、色を失くした街の向こうまで伸びていた。
《・・・・それと・・・目に見えるものだけが全てじゃないって・・・忘れないで・・・・。本当に悪い奴は・・・・あなたに力を与えた・・・あの巨木・・・・、》
「なんだって!あの巨木が!」
モノレールは俺を置いて展示室を抜けていく。そして夜の街に架かるレールを走り、瞬く間に遠ざかっていった。
「おいミサ!どういうことだ!あの巨木が悪者ってどういうことなんだよ!」
とんでもない言葉を残し、ミサは去っていく。そして声だけ響かせて答えた。
《・・・あの巨木は・・・偽物・・・・。本物は・・・・目に見えないところにあるわ・・・・・・。》
「目に見えないところ?それはどういう意味だ!」
モノレールを追いかけようとしてレールに降りるが、その瞬間に薬の効果が切れた。
景色に色が戻り、伸びたレールも消えていく。そして・・・・展示してあったモノレールも消えていた。
「なんだよ・・・とんでもないことを言って消えやがって・・・・。」
ミサらしいといえばミサらしいが、俺の頭は混乱していた。
しばらく呆然と立ち尽くしたが、いつまでもこんな場所にいても仕方がなかった。
混乱する頭を抱えたまま、壊れた展示室のドアをくぐって外に出る。重い足取りで水族館を歩いていると、赤外線センサーに引っ掛って警報が鳴った。
「まずい!」
慌てて駆け出し、フェンスを乗り越えて逃げ出した。車を止めてあるコンビニに走り、アクセルを踏み込んで家まで飛ばした。
家に着くと布団に潜り、枕を抱えたまま延々とミサの言葉を考えていた。
《あの巨木が悪者ってどういう意味なんだ?そもそも、あの巨木が偽物で、本物が目に見えないところにあるってどういう意味なんだ?》
いくら考えても答えは出ず、戦いの疲れもあって眠ってしまった。
それから二日後、俺の元へ警察がやって来た。どうやら逃げ出す時に防犯カメラに映っていたようで、不法侵入と器物破損の罪で捕まってしまったのだ。
留置所で一人座っていると、警官が「外へ出ろ」と連れ出した。
その先に待っていたのは、缶コーヒーを飲む須田だった。
「災難だったね、留置所にぶち込まれるなんて。」
飲み干した缶コーヒーを投げ捨て、可笑しそうに俺の肩を叩いた。
「さ、もう話は通してあるから帰ろう。」
どういうコネを使ったのか知らないが、須田のおかげでその日のうちに家に帰れることになった。
そして彼の車で家に向かう途中、思いがけないことを言われた。
「今日から僕の家に寝泊まりしたらいい。今の仕事も辞めて、クローン狩りに専念した方がいいだろうし。」
「・・・・・・・・・・・・。」
俺は何も答えずに須田を睨んだ。聞きたいことは山ほどあるが、口に出さずにただ睨んでいた。
「言いたいことがたくさんあるようだね。でもその前に落ち着こう。コーヒーでも飲んでさ。」
「・・・いらないよ・・・。」
「まあまあ、そう言わずに。出所祝いに奢るからさ。」
「誰も刑務所には入ってない・・・。」
「ははは、そりゃ失敬。」
須田は肩を竦めて笑いながら、新しい缶コーヒーに口をつけていた。

セカンド・コンタクト 第五話 深夜のモノレール(1)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 13:05
『深夜のモノレール』


季節は六月。鬱陶しい梅雨の合間を縫って、穏やかな青空が顔を見せている。
クローン狩りに疲れた俺は、休日を利用して息抜きに来ていた。
ここは山の上に建つ珍しい水族館で、ウミガメの保護と研究に力を入れている。
大きな水槽にはアオウミガメとアカウミガメが遊泳していて、ヒレを漕いで滑らかに巨体を動かしていた。
水の中の生き物はいい。見ているだけで、疲れと苦しみが吸い取られていくような気がする。
分厚い水槽に手を付くと、ウミガメが近くまで寄って来た。
俺の顔を確認するように目玉を動かし、嘴のような鋭い口を向けてきた。
「面白い顔をしているな、お前は。」
指で水槽のガラスをつつき、手を振って別れを告げる。ウミガメのコーナーを後にして、水槽の魚を見て回った。
正直なところ、この水族館に大した魚はいない。そのほとんどが、近くの川や海に生息している魚だ。
しかし、それが逆に心地よかった。珍しい魚を見せられるより、身近な魚を見ている方が、なぜだか心が安らぐからだ。
狭い館内をあっという間に一周し、隣接する大きな公園へと出た。広々とした開放的な空間に、色とりどりの花が植わっていた。
休日ということもあり、家族連れやカップルが目立つ。俺は邪魔にならないように端を歩き、穏やかな休日に身を任せていた。
「・・・平和だ・・・すごく平和だ・・・。」
こんな場所にいると、自分が戦いの日常を送っていることを忘れそうになる。
《・・・・もう・・・戦わなくてもいいんじゃないか・・・・?》
そんな思いが湧いてきて、すぐさま首を振った。
「・・・ダメだ・・・。そんなことをしたらミサはどうなる?俺がここで降りたら・・・あいつは死んだままだ・・・。」
必ず・・・必ずミサを生き返らせる。それだけが、俺を支えるたった一つの信念だった。
ポケットから缶コーヒーを取り出し、ベンチに座ってプルタブを開けた。
「やれやれ・・・須田のせいで俺までコーヒー好きになっちまった・・・。」
須田とはちょくちょく会っている。俺は会いたくなどないのだが、向こうから尋ねてくるのだ。そしていらぬお節介をやき、戦いのアドバイスや、クローンについて気をつけることなどを教えてくれる。
「チマチマ言わずに、一気に全部教えてくれればいいのに・・・・。」
缶コーヒーを呷りながら、隣の人に聞こえない程度に小声で愚痴る。
須田には須田の考えがあって、その理由から小出しにしてアドバイスを与えているらしい。
『最初に全てを教えたら、その人間の成長は止まってしまうよ。壁にぶつかって、そこでアドバイスを与える。これが正しい指導の仕方さ。』
なるほど、さすがは大学で教鞭を取っていただけあって、言うことに筋が通っている。
そして悔しいことに、須田のアドバイスには毎回助けられているのだ。
あの図書館の一件以来、俺は必要以上にクローンと喋ることは無くなった。
心に隙を見せれば、奴らは毒をもって心を支配しようとしてくる。
あの図書館での戦いの後も、何度かそういうことを経験した。
「・・・須田の言っていることが正しかったな。あの時は理解出来なかったけど、確かにクローンは油断のならない相手だ。」
クローンと戦うコツ。それは、決して相手に同情しないということだ。
下手に同情を見せたら最後、クローンの毒にやられて命を落とす。奴らにトドメを刺す時は、鬼のように非情にならなければならない。
しかしそれですら、須田に言わせると甘いらしい。
『非情になるということは、まだクローンに情を抱いているということだ。
奴らを殺す時は、雑草を抜く感覚で淡々とやればいいんだよ。君が情を抱いても許されるクローンは、ミサちゃんだけだと覚えておこくとだ。』
釈然としない理屈だが、今の俺はそれを受け入れるしかなかった。
須田によると、クローンの中には非常に手強い奴もいるらしい。今の俺では、到底勝ち目のないほど強力な奴が・・・・。
だから・・・今は須田に従うしかない。非常事態になれば、彼の力を借りねばならないのだから。
缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に投げ入れてその場を後にする。もう充分癒されたので、そろそろ家に帰ろう。そして少し休んだら、またクローン狩りの再開だ。
花の並ぶ奇麗な遊歩道を抜け、水族館の入り口に立つ。この公園から出るには、一度水族館を通らなければならないのだ。
自動ドアを潜り、館内へ入る。すると大きな電車が目に飛び込んできた。
「何だこれは?なんで電車がこんな所に・・・・。」
一度外へ出てみると、どうやら別の入り口から入ってしまったようだ。再び館内に戻り、電車に近付いて眺めてみる。
「これは・・・電車じゃないな。モノレールだ。」
まだ俺が生まれる前、この街ではモノレールが走っていた。どうやらコイツは、資料としてここに展示してあるようだ。
「実物を見るのは初めてだな。外観は・・・・電車と大差ない。でも下の部分が・・・・。」
電車でいう線路に当たる部分が、コンクリートのモノレールになっていた。
そして車体の下部は、そのレールを挟むように鉤状になっている。
今でも現役で走っているモノレールはあるが、これはとうに引退した車体だ。時の重みがヒシヒシと伝わり、妙にノスタルジーな気分にさせられてしまった。
じっとモノレールを観察していると、中にマネキンが乗っていた。父と母と、そして娘のマネキンだ。旅行にでも行くのか、外の風景を見つめて楽しそうに笑っている。
「昔は・・・こんなふうにコイツに乗っている人がいたんだな・・・。そう思うと、なんだか不思議だ。」
今はただの飾りでも、かつては人を運ぶために働いていた。時の流れとは、その物の役割まで変えてしまうのだと、妙に哲学的なことまで考え始めてしまった。
じっとモノレールを観察していると、突然後ろから声を掛けられた。
「中に乗れますよ。」
そう言って声を掛けてきたのは、車掌の格好をした初老の男だった。
「二つ目の車両から中に乗れます。よかったらどうぞ。」
「そうですか、それじゃあ・・・ちょっとお邪魔します。」
頭を下げながら、二両目のドアから中に乗り込む。
「ほとんど電車と変わらないな。まあ当たり前か・・・。」
赤い椅子に、天井から垂れた吊革。前の方には操縦室も見える。少し離れた後ろの席では、家族連れが記念写真を撮っていた。
しばらく椅子に座っていたが、特にこれといって感じることはない。外に出て、車掌に扮した係員に頭を下げながら出て行こうとした。
しかし・・・・何かが気になって、ふと振り返った。
「今のは・・・・・。」
背筋に独特の悪寒が走る。それはクローンが近くにいる証拠だった。
《・・・どこだ・・・?どこにいる・・・?》
今この場にいる人間は、車掌に扮した水族館の係員、そしてモノレールで記念写真を取っている家族連れだけだ。
「・・・・・・・・・・・・・。」
注意深く辺りを観察しながら、ポケットの中の薬を握りしめた。
《・・・どこだ・・・?どこにいる、クローン・・・?》
あの車掌は違う。この家族連れも・・・・・違うな。みんな正真正銘の人間だ。
しかし他にここにいる人間はいない。もしかしたら、この館の近くにいるのか・・・・?
モノレールの展示室を抜け、グルリと辺りを見渡す。外へ出て公園の人間も観察してみたが、クローンの気配は感じない。
もし・・・・もしクローンがいたら、すぐに分かるはずだ。どんなに人間を装おうとも、俺の目は誤魔化せない。
なぜなら・・・奴らの胸には、クッキリと赤い花びらが浮かんで見えるのだから。例え服を着ていても、ハッキリと見えるのだ。
「・・・・・いないな・・・俺の勘違いか?」
首を捻りながら館内に戻ると、また背筋に悪寒が走った。
《いる!やはりここにいる!しかしどこだ?どこに隠れていやがる・・・?》
先ほどの親子連れはいなくなっていた。車掌は退屈そうにあくびをしていて、それ以外にここに人間はいない。
「これは・・・・もしかしたら・・・・。」
以前に須田が言っていたことを思い出す。クローンの中には、かなり変わった奴がいると。そういう奴を見つけ出すには、決まった時間に足を運ばないといけないそうだ。
そしてそういうクローンは、人気がなくなってから行動するらしい。つまり・・・・夜である。
《・・・・もしかしたら、これは須田の言っていた、変わり者のクローンなのかもしれない。また・・・夜にここへ来てみよう・・・。》
ポケットから手を出し、薬を元に戻した。モノレールの展示室を睨みつけ、踵を返してその場を後にした。


            *


下弦の月が照らす夜道を、車を飛ばして走っていく。
時刻は午前一時、隣を走る線路も、とうに終電を迎えていた。
「きっと・・・きっとあそこにクローンがいるはずだ。しかし今までの奴とは違うようだから・・・心してかからないとな。」
アクセルを踏み込み、空いた道を飛ばしていく。水族館の近くのコンビニに車を止め、道路を渡って足早に敷地内に入った。
ここへ来る前、一応須田に電話をかけて相談してみた。その時の彼のアドバイスは、じつにアッサリしていた。
『夜の建物に侵入する場合は、まず薬を飲んでから入るんだ。警報装置が反応しないから。
ああ、それと・・・薬の効果が切れないうちに、素早くクローンを見つけ出すことだ。いいね?』
彼の言葉を頭に叩き込み、薬を一粒摘まんで、口の中に放り込んだ。
手の平に花びらが浮かび上がり、それを握りつぶす。景色は色を無くし、夜空の月さえ白黒に霞んでいく。
「よし・・・、行くか。」
館内に忍び込むのは簡単だ。まず立体駐車場に侵入し、一番上まで上がる。そこから水族館の屋上まで繋がっているので、渡り廊下を歩いてフェンスをよじ登った。
途中に防犯カメラや赤外線センサーがあったが、薬のおかげで反応しなかった。
「まあ当たり前か・・・ここは意識の世界であって、実体のあるものは止まっているんだから。」
自動ドアを蹴り壊して館内に侵入し、息を殺して進んでいく。そしてモノレールの展示室の前まで来ると、ドアの外から様子を窺った。
「・・・・誰もいないな・・・。」
ゴクリと唾を飲み込み、戦いに備えて呼吸を整える。そしてドアを蹴破り、最大限に警戒しながら中に入った。
「・・・・・・・・・・・・・。」
背筋に悪寒が走った。やはり・・・・ここにいる。
一歩一歩、ゆっくりと歩いていく。どこにクローンが潜んでいるか分からないから、一瞬たりとも油断は出来ない。
《・・・・・どうやら、モノレールの外にはいないようだ。ならば・・・・・。》
開いた二両目のドアを睨み、拳を構えて車内に入る。椅子の陰を慎重に確認していくが、誰も隠れていなかった。
「ここにはいないか・・・。なら後は・・・・。」
残るは一両目の車両のみ。一旦外に出て、前の車両の横に立つ。ドアには鍵が掛っていたので、窓ガラスを蹴破って侵入した。
その瞬間、一気に悪寒が高まった。背筋が波打ったようにゾクゾクと震え、全身の毛穴が開いた。
《なんだこの反応は!こんな強烈なやつは・・・今までに初めてだ・・・。》
幾度もクローンとの戦いを経験してきたが、どうやらここにいる奴は別格らしい。
危険を知らせる本能が、今すぐにここを立ち去れと警報を鳴らしていた。
「逃げ出したいのは山々だが・・・そういうわけにはいかないんだよ・・・。」
そう、ここで逃げるわけにはいかない。ミサを生き返らせる為、どんな敵であろうと背を向けるわけにはいかないのだ。
拳を握りしめ、一つ一つ椅子の陰を確認していく。どうやらここにはいないようだ・・・。
最後に残った場所は・・・・操縦室。緊張を抑えるように息を飲み、ゆっくりと操縦室のドアを開けた・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
・・・・いない。狭い操縦室には、誰も隠れていなかった。
「どういうことだ?ここには誰もいないのか?」
しばらく立ち尽くし、そんなはずはないと頭を振った。背中には身も凍る悪寒が走っていて、確かにこの場所にクローンがいることを告げている。
「・・・ああ!そういえばトイレがあったな。もしかしたら、あそこに隠れているのかも・・・。」
モノレールの展示室には、入り口の近くにトイレがあった。俺は踵を返し、操縦室から出て外に向かおうとした。
その時・・・・コトリと物音がした。足を止め、耳を澄まして気配を窺う。
「・・・・・誰かいるのか?」
震える声で呼びかけると、また物音がした。そして・・・・・赤い椅子から、誰かがヌッと立ちあがった。
「・・・あ・・・・。」
それはマネキンだった。三体いた家族連れの、子供のマネキンが立ち上がったのだ。
切り揃えた前髪に、二つに編んだお下げの髪。そして塗装の施されていない、灰色の身体をしたマネキンだった。
「殺す?」
少女のマネキンは、首を傾げて尋ねてきた。
「殺すの?」
そう呟きながら、クレイアニメのようなぎこちない動きで迫って来た。それは言葉にならないほど恐ろしく、全身が一気に泡立つのを感じた。
《まずい!こいつは・・・今までの相手とは違う!》
マネキンの少女から発せられる殺気は尋常ではなかった。もし戦えば、俺は確実に殺される。ミサの為にどんな敵とも戦うと誓ったのに、あっさりと恐怖に負けて背を向けた。
だが後ろを振り向いた瞬間、操縦室のドアは閉まってしまった。
「な、なんだ!ドアが勝手に・・・・、」
その時、背後からギュッと服を握られた。ゆっくりと振り向くと・・・そこには少女のマネキンが俺を見上げていた。マネキン特有の無機質な表情が、じっと俺を見据えて逃さない。
「ねえ、殺すの?私を殺しに来たの?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
言葉が出て来ない。膝が震えて、口の中が乾いていく。身動きが取れずに固まっていると、他の二体のマネキンもこちらに迫って来た。
「殺す?」
「殺すの?」
「殺すのか?」
三体のマネキンは、淡々と「殺すの?」と問いかけてくる。俺はドアにもたれかかり、首を振って答えた。
「・・・・いいや・・・殺さない・・・・。」
敵に・・・・背を向けてしまった・・・。戦う前から心が折れてしまい、戦意は露のように消え去ってしまった・・・。
三体のマネキンは顔を見合わせ、そしてまた俺の方を振り向く。
「・・・・・嘘つき、殺すんでしょ・・・・。」
少女のマネキンの顔つきが変わる。次の瞬間、俺の身体は宙を舞っていた。少女のマネキンに軽々と投げ飛ばされたのだ。
なんとか受け身を取ったものの、背中を強打して呼吸が苦しくなる。
「・・・なんで殺すの?ねえ、なんで殺すの?」
髪の毛を掴まれ、力任せに振り回される。椅子に身体を打ちつけ、激しい痛みが走った。
「ぐッ・・・・。」
「ねえ、なんで殺すの?なんでよ、ねえ?」
少女のマネキンの力は強くなる。片手で軽々と俺を振り回し、天井に投げつけて叩き落とされた。
「がはッ・・・・、ちょ、ちょっと待ってくれ・・・・、」
「答えて。なんで殺すの?ここに座ってちゃいけないの?」
「ち、違う!俺の話を聞いて・・・・、がはッ!」
少女のマネキンは、俺の顎を鷲掴みにする。それは万力のように凄まじい力で、メキメキと骨が軋んだ。
「私、何もしてないよ?ここに座ってるだけだよ?なんで殺すの?」
無機質なマネキンの顔が、怒りに歪み始める。激しい憎悪が、彼女の全身を包んでいるようだった。
「私、悪い子じゃないよ。良い子だよ。ちゃんとお行儀よくしてるよ。だから殺さないでよ。」
「・・・わ、分かったから・・・・手を放してくれ・・・・。」
「でも殺すんでしょ?あのおじさんみたいに、あなたもみんなを殺すんでしょ?」
「あのおじさん・・・・?誰のことだ・・・・?」
「鉄砲を持ったおじさん。あの人ね、私のお母さんを殺したの。同じ人間なのに、バン!って撃って殺しちゃったんだよ。」
「同じ人間を・・・・殺した・・・?」
少女のマネキンは、俺を投げ飛ばして椅子に叩きつける。そして馬乗りになり、両手で首を締めにかかってきた。
「やめろ!」
咄嗟に首の間に手を入れて、なんとか逃れる。しかしすぐに捕まってしまい、首根っこを押さえつけられた。少女のマネキンの怪力が、俺の頸椎を潰そうとする。
「おじさんはね、悪い奴なの。花びらの鉄砲で、みんなを殺していくの。クローンでも人間でも、関係なしに殺していくんだよ。」
「花びらの鉄砲って・・・・まさか・・・・、」
「あのおじさんはね、私のお母さんを殺したの。私のたった一人のお母さんを殺したの。
だから・・・私・・・一人ぼっちになっちゃった・・・・。」
少女のマネキンの目から、スッと涙がこぼれ落ちる。その一瞬、首根っこを押さえつける力が弱まった。
俺はチャンスとばかりに身体を捻り、少女のマネキンを蹴り飛ばして立ち上がった。
「・・・なあ、ちょっと待ってくれないか・・・?」
首を押えながら少女のマネキンに近づき、膝をついて問いかけた。
「その・・・俺は確かに君を殺しに来た・・・。それは認めるよ・・・。けどさっきの話を聞いて気が変わった・・・。そのおじさんのこと・・・詳しく聞かせてくれないか?」
そう尋ねると、少女のマネキンは「ピュ!」と口笛を鳴らした。すると父と母のマネキンが、俺の腕を掴んで取り押さえた。
「待ってくれ!この子と話がしたいんだ!」
「でも殺すんでしょ?」
「そうだよ、殺すんだろ?」
「いや・・・その気は失せた・・・。まず俺じゃあんたらに敵わない・・・。それに、そのおじさんとやらが気になるんだ。だから・・・とにかく話をさせてくれ・・・頼む・・・・。」
抵抗するのをやめ、力を抜いて頭を下げる。父と母のマネキンは、少女のマネキンに向かって首を傾げた。
「・・・・いいよ、話だけならしてあげる。」
父と母のマネキンは頷き、しっかりと俺を捕まえたまま地面に押さえつけた。
「お兄さん、おじさんのこと聞きたいの?」
「ああ、ぜひ聞きたいね。」
「どうして?」
「・・・・どうしてって・・・・気になるからさ。もしかしたら、そのおじさんは俺の知っている人かもしれない。」
「・・・・ふうん。じゃあおじさんの仲間なんだね?」
「違う!仲間なんかじゃない!俺だってあいつのことは嫌いだ!ただ・・・・事情があって・・・・、」
「事情?どんな事情?」
「それは・・・・・、」
少女のマネキンは、興味深そうに顔を覗き込んでくる。俺は説明しようと口を開きかけたが・・・・やめた。
「それは・・・・説明しても仕方がないよ。君たちにとっては、ただの言い訳にしか聞こえないだろうから・・・・。」
「言い訳?」
「ああ・・・自分勝手な理屈さ・・・。俺も君と同じで、大切な人を亡くしたんだ・・・。だからその人に為に戦っているだけだ・・・。」
「じゃあ・・・・お兄さんも一人ぼっちなの?」
「・・・・そうだな。今の俺は一人ぼっちだ。・・・君と一緒だよ・・・・。」
その言葉に心を動かされたのか、少女のマネキンの表情が僅かに緩んだ。
「いいよ、あのおじさんのこと教えてあげる。」
そう言って椅子に座り、足をブラブラとさせながら口を開いた。
「あのおじさんはね、とっても悪い奴なの。いっぱいクローンを殺して、いっぱい人間も殺してるの。なんでか知ってる?」
「ああ、自分の娘を生き返らせる為だ。全てのクローンを倒したら、あの巨木が死者を復活させてくれると約束したからな。」
そう答えると、少女のマネキンは「うふふ、おバカさんだなあ」と笑った。
「・・・バカだって?どういうことだ?」
「お兄さんは騙されてるよ。だって・・・・どんなに頑張ったって、死んだ命が生き返るわけないじゃない。」
「・・・なんだって?」
「そんなの子供でも知ってるよ。死んだら生き返らないなんてさ。命は死んだらそこでお終い。だから悲しいんでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「もしかして、本気で死者が生き返るなんて思ってたのかな?」
少女のマネキンは、可笑しそうに俺を見下ろす。笑いを堪えるように、口元に手を当てて肩を揺らしていた。
「あのおじさんは、平気で嘘をつくからね。人を騙したり殺したりするのなんて、なんとも思ってないんだから。
私が一生懸命謝ったのに、お母さんを撃ち殺しちゃったんだもの。私は・・・・せっかくお母さんと出会えて・・・・一人ぼっちじゃなくなったのに・・・・。」
少女のマネキンの目に、再び涙が浮かぶ。窓の外を見つめ、無機質な表情のまま泣いていた。
「私とお母さんは一つだった・・・。だって、私とお母さんの心は一緒だったんだもの。お母さんが死ぬまで、ずっと一緒にいられるはずだったのに・・・。
それをあのおじさんが壊した・・・。人の心に住み着くのは悪いことだって言って、お母さんごと私を殺そうとした・・・。だから・・・お母さんは私だけ逃がしたの・・・。お母さんの心をあげるから・・・ずっと生きていてって・・・・。」
少女のマネキンは、辛そうに自分の気持ちを語る。その一瞬、彼女が本物の人間に見えた・・・。
「お母さんを殺されて・・・・私は一人ぼっちになった・・・。それからずっと一人で歩いてたら、ここを見つけたの。ここには私とおなじように・・・大事な人を殺されたクローンがいた・・・。お兄さんを押さえつけている、そのマネキンたちがそうよ。」
「このマネキンが・・・・?」
俺は二体のマネキンを見上げた。
「ここへ来た時・・・その二人の心はマネキンに宿っていたの・・・。だから私も同じようにマネキンに宿った・・・・。」
「・・・そんなことが出来るのか・・・・?」
「出来るかどうか、見れば分かるでしょ?」
少女のマネキンは椅子から下りて微笑んだ。そして俺を捕えているマネキンに向かって言った。
「・・・もういいよ。そのお兄さんは悪い人じゃない・・・多分だけど。」
二体のマネキンは頷き、俺を離した。強い力で押さえつけられていたので腕が痛む・・・。ゆっくりと立ち上がろうとすると、パーカーの裾から何かが落ちた。
それは・・・・拳銃だった。護身用にと須田から渡されたものだった。
『今の君では、弾丸に花びらを宿らせることは無理だろう。でも敵の足を止めるくらいは出来るから、持っておきなさい。』
そう言って押し付けたのだ。俺はこんな物はいらなかったが、今日ばかりは持ってきたのだ。なぜなら、ここにいるクローンは、いつもの相手と違うと思ったから・・・。
だが・・・それが裏目に出た。拳銃を見たマネキンの少女は、途端に表情を変えて叫んだ。
「やっぱり殺すのね!それで私たちを殺すつもりだったんでしょ!」
「ち、違う!これはたまたま・・・・、」
「たまたま・・・・?たまたまでそんな物を持ち歩くの?私たちを油断させて、それで撃ち殺すつもりだったんでしょ!あのおじさんみたいに!」
「違う!話を聞いてくれ!俺はもう君たちを傷つけるつもりは・・・・、」
そう言いかけた時、後ろに立っていたマネキンが、また俺を押さえつけた。
「お兄さんは・・・やっぱりあのおじさんの仲間なのね・・・。」
少女のマネキンは拳銃を拾い、俺の眉間に突き付けた。
「待て!誤解だ!俺はそれを使うつもりなんてなかった!」
「じゃあなんで持ってるの?」
「そ、それは・・・・、ここにいるのは、いつもと違うクローンだと思ったから・・・念の為にと思って・・・・、」
「そうよね。念の為に、私たちを殺す為に持ってきた。そうでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ねえお兄さん。あのおじさんのことを知りたがってたよね?そんなに知りたいなら教えてあげる。あのおじさんはね、興味があるだけなのよ。人の意識とか、あの巨木やクローンにね。そういうものを研究して、喜んでるだけなんだから。」
「・・・どういうことだ?研究して喜んでるだと?」
「あのおじさんは学者でしょ?学者っていうのは、研究の為ならなんでも許されると思ってるのよ。だからあの巨木に出会ってから、その力にとり憑かれてるのよ。お兄さんは、おじさんの研究に利用されているだけ。死者を生き返らせることが出来るなんて騙されてね。」
「・・・そんな・・・そんなことは・・・・。」
「もう話すことなんてないわ。私たちクローンだって、ちゃんと生きてるのよ。あの巨木から命を与えられて、こうしてちゃんと生きてるの。人間じゃないからっていう理由だけで、あっさり殺されてたまるもんですか!」
「待て!何度も言うけど、俺はもう君たちに危害を加えるつもりはないんだ!」
「信用出来ない!私たちは生きてちゃダメなの?何にも悪いことしてないのに、どうして殺されるのよ!どうして・・・大事な人を奪われなきゃいけないのよ!」
少女のマネキンは、引き金に指を掛ける。親の敵のように俺を睨み、目から流れる滴が血の色に変っていった。
《ここまでか・・・・。》
一瞬の油断が命取りになると知っていたはずなのに、詰めを謝ってしまった。
どうして拳銃など持ってきたのかと後悔したが、そんなことを思っても今更だった。
そして・・・・少女のマネキンは引き金を引いた。

セカンド・コンタクト 第四話 自分だけが知っている真実(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 12:55
平日の図書館というのは、案外混んでいた。
小さな子供を連れた母親や、時間を持て余した年配のおじさんたちがたむろしていた。
俺は本を読むでもなく、椅子に座ってぼんやりとしていた。
ミサを失ってから三カ月。巨木のクローンを狩るのに大忙しだった。
いったいどれだけの数がいるのか知らないが、ほぼ毎日のように出会った。
木の状態でいる奴は楽なのだが、人の心に深く入り込んでいる奴は面倒だった。
なぜなら、その人間の心が完全に乗っ取られているかどうか、確かめる必要があったからだ。
男も女も、老いも若きも、みんなが自分の理想とする人物を思い描き、クローンはその姿となって心に入り込む。
そして一緒にいればいるほど、離れられない存在となるのだ。
だから・・・完全に心が乗っ取られる前に仕留めないといけない。
もし完全に同化してしまえば、その人間ごと殺さざるを得なくなるのだから・・・・。
幸いなことに、まだ人を手にかけたことはない。危うい場面はあったが、そうなる一歩手前で仕留めることが出来た。
「あの女の人・・・・ずいぶんと悲しんでいたな・・・・。」
数日前、ショッピングモールの近くで、一体のクローンを仕留めた。
彼は嬉しそうに指輪の入った箱を手にしていて、恋人に永遠の愛を誓いにいくところだった。
《・・・仕留めるなら今しかない・・・。》
もし彼女が指輪を受け取ってしまえば、その瞬間に心は乗っ取られるだろう。
そうなると、あのクローンは彼女が死ぬまで生き続けることになる。そして新たなクローンを生み出し、仲間を増やしていくだろう。
「・・・彼の愛は本物だったな・・・彼女の愛も・・・・本物だった・・・・。
それを・・・俺がこの手で終わらせたんだ・・・。彼を殺し、彼女の大切なものを奪ってしまった・・・・。」
あの女性が悲しむ気持ちはよく分かる。俺だって、ミサを亡くした時はひどく悲しんだのだから・・・。
「彼女だけじゃない・・・あのゲーセンの少年だって・・・自分の彼女を愛していたはずだ・・・。なんたって、自分の思い描く理想の人なんだから・・・。」
クローンは人の意識を反映させる力を持っている。だから、その人物が思い描く理想の人物となって姿を現すのだ。そして・・・・ほとんどの場合、その人間は孤独である。
周りに愛する者がいて、満たされた生活を送っている人間は、クローンから目を付けられることはない。
孤独に寂しがり、心に隙を持っている者だけが狙われるのだ。
だから・・・その人間からクローンを奪うということは、また一人ぼっちにさせてしまうということだ。
せっかく愛する者に出会えたのに・・・・それを一瞬で失うことになる。何の前触れも無く、突然に・・・。
何より苦しいのは、その原因は俺だということだ。
自分の愛する者を復活させる為、他人の愛する者を奪っている。俺は自分の恋人の為に、多くの愛を潰してきたことになる。
「・・・・もう・・・疲れてきたな・・・・。まだたった三カ月なのに・・・そろそろ参りそうだよ・・・。」
頭の中にミサの笑顔を思い浮かべ、背もたれに身体を預けて目を瞑った。
後ろの席には親子連れが座っていて、母親が小さな子供に絵本を読んでやっていた。
《・・・・なんて切ないんだ・・・。あんたの子供は・・・もう死んでいるんだぞ・・・。》
後ろの席の親子、それは本物の親子ではない。幼い子供の方は、母の思い描いた幻の存在である。クローンが母親の意識を反映させて、子供の姿になっているのだ。
《・・・こういうパターンもあるんだな・・・。でも考えてみれば当たり前か。
何も男女の愛だけが全てじゃないもんな。いや、もしかしたら・・・親子の愛の方がもっと強力かもしれない・・・。》
三日前からこの親子に目を付けていた。母親の方は、完全に心が乗っ取られる一歩手前まで来ていた。
今日、この場であの子供を仕留めないと・・・さらにクローンが増えることになる。
この母親には可哀想だが・・・・やるしかない・・・。
椅子に座りながら、じっとチャンスを待つ。そして・・・・その瞬間は訪れた。
母親が子供から離れたのだ。どうやら彼女の友達が来たようで、立ちあがって入り口に向かって行った。
《今しかない・・・。》
俺も立ち上がり、ポケットに手を入れて薬を飲み込んだ。これで本日二度目の薬だ。
あまりにチャンスを窺う時間が長すぎた為に、一度目に飲んだ薬が切れかかっていたのだ。
薬の効果が表れ始め、身体が炎のように熱くなる。右手には鈍い痛みが走り、手の平に赤い花びらが浮かび上がった。
その花びらを握りつぶした瞬間、周りの景色がパッと変わる。図書館は色を失くし、周りにいた人々も白黒写真のように静止する。
今この場で動けるのは、俺とクローンのみであった。
子供の姿を借りるクローンの前に立ち、無言で見下ろす。はっきり言って、こいつらは強くない。
意識を反映させるという不思議な力を持っているが、戦う力はさほど高くない。
鍛えた人間の拳なら、十分に戦える相手だった。しかし油断は禁物である。幾度かの戦い中で、こちらが命を落としかけたこともあったからだ。
「やあ、クローン・・・、いや、株分けと言った方が伝わるかな?」
子供の前に立ち、殺気を込めた目で睨む。拳を握り、ボクシングのように構えて威圧した。
「ずっとお母さんと一緒だったね。近くにいたら戦いに巻き込むから、君が一人になるのを待っていた。無駄な抵抗はせず、おとなしく死んでくれ。」
構えた拳に力を入れ、手の甲に赤い花びらを浮かび上がらせた。これは巨木が生み出した、クローンを殺す毒である。この拳をもって、クローンにトドメを刺すのだ。
「・・・・最後に、何か言いたいことはあるか?」
そう尋ねると、子供は絵本を持って立ちあがった。それをスッと俺の前に差し出す。
「読んで。」
「なに・・・?」
「これ、読んで。最後に・・・・この絵本を読んで。」
「・・・・・・・・・。」
子供は屈託のない笑顔を見せる。もうじき死ぬというのに、微塵も恐怖を見せずに笑っていた。
「お前は・・・死ぬのが怖くないのか?」
そう尋ねても、子供は「読んで」と絵本を差し出すばかりであった。
俺は構えをとき、その絵本を受け取った。
「グリとグラか・・・。俺も子供のころ大好きだった・・・。」
ネズミの兄弟が、森の中で大きな卵を見つけてパンケーキを作る話だ。その匂いに惹かれて、森じゅうの動物が集まってくる。
みんなでパンケーキを平らげたあとは、卵の殻を使って車を作るのだ。
「夢があっていい話だよな・・・これは・・・。」
じっと絵本を見つめていると、子供は椅子に座るように促した。
「・・・いいよ、最後に読んでやる。」
近くの椅子に腰かけると、子供は俺の膝の上に乗って来た。ウキウキと足をブラつかせ、俺の顔を見上げてニコリと微笑んだ。
「じゃ、読むぞ。」
子供の耳に馴染みやすいように、一言一句丁寧に読んでいく。ページを捲る度に物語が進み、そのぶん子供が死ぬ時間が近づいていく。
しかしそれでも・・・この子は恐怖を見せなかった。グリとグラの冒険に夢中になり、可愛らしい絵に見入っていた。
・・・・膝に温もりが伝わってくる。実体を持たない意識体のクセに、しっかりと体温を感じた。
子供の柔らかさ、子供の温もり・・・・肌を通してそれが伝わり、まるで本物の人間のように錯覚していく。
途中で言葉に詰まり、ページを捲る手が止まってしまった。
「・・・・・・・・・・・。」
もう・・・これ以上読めなかった。物語は終わりに近づいていて、これを読み終わったら・・・・この子を殺さなくてはいけなくなる。
そう思うと・・・・どうしてもこれ以上読めなかった。
パタンと本を閉じ、もう一度最初から読み直す。そして終盤に来ては本を閉じ、また最初から読み直した。
そんなことを何回も繰り返していると、子供は可笑しそうにクスクスと笑った。
「貸して、僕が読んであげるから。」
子供は俺の手から絵本を奪い取り、たどたどしい口調で読んでいく。
小さな背筋を伸ばし、一生懸命物語を読み進めていった。
そして・・・・物語は終わった。絵本は閉じられ、子供は俺を振り返って笑った。
「おもしろかった?」
「・・・・・・・・・・・・。」
何も返せない。ここで言葉を返せば、絵本の時間は終わってしまう。そうなれば・・・俺はこの子を・・・・。
俺は無言のまま絵本を奪い取り、もう一度読み進めていこうとした。しかしその時・・・・花びらの効果が切れた・・・・。
景色は元に戻り、止まっていた時間が動き出していく。
俺は気にせずに絵本を読んでいた。すると突然誰かに突き飛ばされ、絵本を落として床に倒れ込んだ。
「ウチの子に何してんのよ!」
離れていた母親が戻って来た。子供を抱え、鬼のような形相で俺を睨んでいる。
「警察!誰か警察を呼んで!」
狭い館内に母親の悲鳴が響き渡る。周りワラワラと人が集まって来て、訝しげな目で俺を睨んでいた。
「この人が・・・この人がウチの子供に変なことをしてたんです!誰か警察を呼んで下さい!」
母親の叫びを聞きつけて、図書館の館長が現れる。喚く母親を宥め、詳しい話を聞こうと落ち着かせていた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
俺はゆっくりと立ち上がり、絵本を置いて去ろうとした。しかし気の強そうなおじさんに腕を掴まれ、怖い目で睨まれてしまった。
「何があったか知らないけど、逃げるのはよくないんじゃないか?」
「・・・・別に・・・何もしてませんよ・・・。」
「だったら堂々としてろ。悪いことをしていないのなら、警察が来たって怖くないだろ?」
言葉遣いこそ穏やかだが、おじさんの目は怒っていた。周りのギャラリーたちも、射抜くような鋭い視線を飛ばしてくる。
ここで無理に出て行くと、かえって騒ぎが大きくなるかもしれない。不本意ではあるが、大人しくしているしかなさそうだった。
「・・・分かりました。俺は何もしていませんからね。警察が来るまで待っていますよ。」
おじさんの手を払いのけ、近くの椅子に座る。
母親はまだ喚き散らしていて、もはや狂人のように発狂していた。
それもそのはずで、彼女は三日前に子供を失ったばかりなのだ。それも頭のイカれた若い男の手によって・・・。
近所の公園を散歩していた時に、ナイフを持った暴漢によって我が子を刺し殺された。
その時、たまたま近くにクローンの木が立っていた。
クローンは母親の意識を反映させ、子供の姿となって現れた。そして不思議な力を使い、死体となった子供を一瞬のうちに土へ還してしまったのだ。
母は子供が生き返ったと喜び、俺は暴漢を殴り倒してその場を後にした。
そして今に至るまで、ずっとこの親子を見張っていた。
だから・・・あの子の母親が発狂するのも無理はない。せっかく生き返った我が子が、また暴漢の手によって殺されるかもしれないと怯えているのだから。
やがて警察がやって来て、俺と母親の双方から話を聞いていった。
母親は「あいつを逮捕しろ!」と喚き散らし、俺は「何もしていない」と首を振った。
このままでは埒が明かないので、とりあえず署まで連れて行かれることになった。
しかしその時・・・・また景色が変わった。辺りは色を失くし、人間は白黒写真のように静止する。
そして次の瞬間・・・・一発の弾丸が子供を撃ち抜いた。
子供はその場に倒れ、陽炎のようにユラユラと消えていった。その跡には、赤い花びらが残されていた。
俺は呆然とその光景を見つめていた。動くことも喋ることも出来ず、唐突に起こった光景を理解出来ずにいた。
「美波君。」
横から声を掛けられて振り向くと、須田が立っていた。拳銃を握り、鋭い目で俺を睨みつけていた。
「あんた・・・・あんたがやったのか・・・?」
須田は何も答えず、赤い花びらを見つめた。そしてグリグリと踏みつぶし、近くのゴミ箱に投げ入れた。
「危ないところだったね。危うくクローンを取り逃がすところだったよ?」
「・・・あんたあ・・・なんてことをしてくれたんだ・・・・。」
言いようのない怒りがこみ上げてきて、拳を握って詰め寄っていた。すると眉間に銃を突きつけられ、殺気を込めた眼光で威圧された。
「動くな・・・動くなよ・・・・。」
「なんだよ・・・俺を殺す気か・・・・」
「いいから動くな・・・じっとしているんだ。」
須田の目は本気だった。どうやらここで俺を殺すつもりらしい。抵抗しようとしたが、すぐに諦めた。
こっちは丸腰、向こうは拳銃。勝負などはなから見えている。ここで死ぬのかと思うと、恐怖より安堵の方が勝った。
なぜ安堵したのかは分からないが、死ぬのも悪くないかと本気で思っていた。
そして・・・須田は引き金を引いた。弾丸が俺の眉間を撃ち抜き、頭に衝撃が走って倒れ込んだ。
「・・・・・・・・・・・・。」
終わった・・・俺は死んだ・・・・。でも・・・これでミサに会える・・・。きっと・・・ミサは向こうで待っているはずだから・・・。
そう思って目を閉じた時、須田がニコリと顔を覗き込んできた。
「もう大丈夫だ。毒は撃ち抜いた。」
「・・・・毒を・・・撃ち抜いた・・・・?」
素っ頓狂な声で聞き返すと、須田は俺の手を掴んで立ち上がらせた。
「さっきの子供のクローンが、君を毒に感染させていた。気づかなかっただろう?」
「・・・・毒を感染・・・?いったい何を言ってるんだ?」
「あの子供から温もりを感じただろう?まるで本物の人間のように。あれはね、クローンが使う毒なのさ。あの毒に感染すると、心が侵される。そして一時的にではあるが、クローンに心を乗っ取られてしまうのさ。」
須田は銃をしまい、撃ち出した弾丸を拾った。
「見てごらん。この弾丸には赤い花びらが浮かんでいるだろう?上達すれば、こうして武器にだって赤い花びらを宿すことが出来るんだ。
まあペーペーの君は、拳に宿らせるのが精いっぱいだろうけどね。もっと精進することだ。」
須田は可笑しそうに俺の肩を叩き、踵を返して図書館を出て行く。
「何をボケっとしているんだ?早くここから出よう。いらん騒動に巻き込まれたくないだろう?」
「い、いや・・・・さっきから何を言っているのか分からないんだが・・・・、」
「外で説明する。いいから早く来るんだ。もう花びらの効果が解けてしまうぞ。」
須田の言うとおり、赤い花びらの効果が切れ始めていた。景色に色が戻り、人間は徐々に動き出していた。
慌てて須田の後を追い、図書館の外に駆け出す。すると次の瞬間、耳をつんざくほどの母親の悲鳴が響き渡った。
「私の子供が!私の子供があああああ!」
我が子の姿が忽然と消えたことに、パニックを起こしている。周りに「あの子はどこ!」と詰め寄っているが、誰もが怪訝な顔で困惑していた。
「記憶が消えたな。もうあの子のことを覚えているのは、あの母親だけだ。」
須田は缶コーヒーをすすりながら、肩を竦めて笑った。
「何がおかしい・・・?」
「ん?」
「何を笑っているのか聞いているんだ!」
須田の胸倉を掴み、思い切り殴り飛ばした。硬い音が響き、須田の口から血が飛び散る。
続けて殴りかかろうとしたが、あっさりとかわされて、腹に一発お見舞いされた。
「がッ・・・・。」
それは初老の男のパンチとは思えないほど重く、一撃で膝をつかされてしまった。
「ぐううッ・・・・。」
「なかなかいいパンチだった。こんなに奇麗にもらったのは久しぶりだ。」
須田は嬉しそうに口元の血を拭い、膝をついて俺の顔を睨んだ。
「美波君、しばらく君の戦いを観察させてもらったけど、危ういことこの上ない。
戦い方も下手だし、何より心に隙を作ってしまう。それではダメだ。」
「心に・・・隙だと・・・?」
「ああ、君はずいぶんと胸を痛めていただろう。例えクローンといえど、こう簡単に殺していいのかと。そして・・・自分のせいで、悲しむ人間を生み出してしまったと。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
須田は俺の肩を叩き、ハンカチを差し出して「ヨダレを拭え」と笑った。
「あの子供のクローンは、君の心の隙を見逃さなかった。だからそこをつけ込まれた。もし僕が助けに入らなかったら、君はいずれあのクローンに殺されていただろう。」
「・・・・そんな・・・そんなことは・・・・、」
「無いと言いたいか?でも残念ながら君は、クローンの毒に侵されていたんだよ。例え一時的であるにせよ、心を乗っ取られるのは死を意味する。ゆめゆめ油断しないことだ。」
須田はそれだけ言って、踵を返して去って行く。
「待て!あれは毒なんかじゃない!俺は・・・俺は本当にあの子から人間の温もりを・・・・、」
「それがクローンの毒だと言っている。奴らは戦う力は大したことはないが、生き残る術には長けている。なぜなら、この世で誰よりも人の心に精通しているからだ。人間の心は脆く、そこにつけ込めばいくらでも身を守る方法があることを知っているんだ。」
「そんな・・・じゃ、じゃあ・・・俺が感じたあの子の温もりは・・・嘘だったていうのか・・・?」
「いいや、君がそう感じたのなら本物さ。だからこそ厄介なんだ。人間というのは、所詮は自分の意識の中でしか生きていないんだからね。目に映るものが本物だろうが偽物だろうが、自分がそれを感じ取れるなら、それは君にとっての真実となる。だからこそ、ミサちゃんの温もりや声を感じていたんだろう?違うかい?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
俺は俯き、唇を噛んだ。須田の言うことは核心をついている。それに意を唱えることは、ミサの否定にも繋がるような気がした。
だから・・・・黙っているしかなかった。どんなに悔しかろうと、ミサの否定に繋がるようなことは絶対に口にしたくなかったからだ。
「今はまだ多くを理解出来ないだろう。でも戦い続けていればいずれ分かるさ、僕の言っている言葉の意味がね。」
須田はケータイを取り出し、電話を掛けるジェスチャーをした。
「困った時はいつでも連絡したらいい。なんでも力になるから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
何も言い返せなかった。いま、この時点では・・・須田を言い負かす言葉は俺にはない。
地面に手をつき、ヨダレを拭いて立ち上がる。そして須田に背を向け、ヨロヨロと歩き出した。
「美波君、これだけは覚えておいてくれ!」
去りゆく俺の背中に、須田が言葉を投げかける。
「もう君は立ち止まれない!引き返すことも出来ない!どんなに嫌だと思っても、いまさら修正することは不可能だ!最後まで・・・最後まで戦うしかないんだ!それが君の道となるんだ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
須田の言葉は、否応なしに俺の心を揺さぶった。フェードアウトなんて出来ない、この先も戦い続けるしかない。そういう現実を目の前に突きつけられた気がした。
図書館からは警察に抱えられた母親が出てきて、狂人のように喚いていた。
「あの子を返して!あの子を返してよお・・・・・・。」
もはや誰もあの子のことを覚えていない。今はただ・・・あの母親の記憶の中に存在するだけだ。
俺がミサを求めるように、あの母親も我が子を求めている。決して他人には理解されない、自分だけが知っている真実を求めているのだ。
いくら頑張っても、その声が理解されることはないだろう・・・・。
俺は腹を押さえ、足早に図書館を後にする。
母親の喚きは、須田のパンチより重く、そして痛かった・・・・。

セカンド・コンタクト 第四話 自分だけが知っている真実(1)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 12:52
『自分だけが知っている真実』


学校が嫌いだった。あんな狭い箱に閉じ込められて、退屈な授業を聞くなんて耐えれらない。新学期に上がって早々学校をサボってしまい、タバコを吹かしながら格闘ゲームのモニターを睨んでいた。
画面には武道服を着た男女が映し出されていて、蹴ったり殴ったりを繰り返している。
俺の操るキャラクターが、女の必殺技を食らってKOされてしまった。
「クソ!反応が遅いんだよこのレバー!」
ゲームの筺体を叩きつけ、ポケットから小銭を取り出す。コンテニューを選択し、違うキャラクターで再度挑んだ。
周りを見渡すと、暇を持て余したジジババがうようよしていた。
行くところがないものだから、昼間からこうしてゲーセンに集まっているのだ。中には弁当を持参している馬鹿もいた。
「いつからここは公民館になったんだよ・・・。まあ別にいいけど。」
ジジババどもは自分のことしか見ていないから、俺に声を掛けてくることもない。
平日の昼間から学生服でサボっていても、まったく平気というのはありがたいものだ。
それに最近はゲーセンも不況なのか、店員だって特に声を掛けてこない。学生だろうがジジババだろうが、金さえ落としてくれればそれでいいのだろう。
「どいつもこいつもクソだな・・・大人ってのは・・・・。」
タバコを灰皿に押し付け、レバーを動かして技を繰り出す。憎き女武道家を叩きのめし、少しだけスッキリした。
「よっしゃ!ざまあみろボケ!どうせなら、負けた後に服とか破けてくれたらいいのによ・・・。」
次の対戦相手が映し出され、気合いを入れ直して戦いに臨む。その時、後ろからポンと肩を叩かれた。
《やば・・・・補導か・・・?》
いきなり肩を叩かれたものだから、動きが固まってしまう。敵の攻撃をまともに食らい、俺のキャラクターのゲージが大きく削られてしまった。
「ちょっといいかな?」
「・・・・・・・・・・・・。」
ゆっくりと振り向くと、そこには知らない男がいた。安物のパーカーに色褪せたジーンズを穿いていて、何が可笑しいのかニコリと笑っている。
《誰だコイツ・・・?ウチの学校のセンコーじゃないな・・・。》
教師でもない、警察でもない・・・。かといって、ここの店員でもない。まったく知らない男だ。
「なんすか?対戦すか?」
やや上ずった声で問いかけると、男は笑ったまま答えた。
「君・・・友達がいるだろう?」
「は?」
「だから友達さ。誰にも見えない・・・君だけの友達が。」
「・・・・・・・・・。」
一瞬、鼓動が跳ね上がった。画面から目を離してしまい、敵にノックアウトされてしまう。
「なかなか可愛い友達だね。その子が君の理想の子か。しかしあれだな、人の目に見えないようにしているなんて・・・よっぽど用心深いんだな。」
男は俺の横の椅子を睨みつけて言った。まるで・・・そこに座っている人物が見えているように・・・・・。
「・・・誰ですか・・・・あんた・・・?」
椅子から立ち上がり、ガンを飛ばすように男を睨んだ。すると俺の彼女が、「まあまあ」と間に割って入った。
「シンちゃん。ちょっとこの人と二人だけで話をするから・・・席を外してくれない?」
「え?いや、でも・・・・。」
「いいから外して。あとでアレしてあげるから。」
彼女は口元に手を当て、いやらしい動きをしてみせた。俺はその誘惑に釣られ、言われるがままに店の外に出ていった。
「なんだってんだよ、あいつは・・・?」
灰皿の近くでタバコを吹かし、チラチラと店の中を窺う。しかしここからでは二人の様子が見えず、舌打ちをして座りこんだ。
スマホを取り出し、アプリのゲームで時間を潰す。時折中の様子を気にしながら、彼女が出てくるのを待った。
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・遅いな。」
三本目のタバコに火を点けた頃、待ちきれなくなって店に入ろうとした。
しかしその時、中から出てきたパーカーの男とぶつかりそうになった。
「おっと、ごめん。」
「・・・・・・・・・・。」
俺はタバコを咥えたまま男を睨んだ。
《コイツ・・・・なんか気に食わねえ・・・・。》
喧嘩を吹っかけてやろうかと思ったが、男はなかなかいいガタイをしていた。それに身長も俺より高いし、拳には拳ダコがあった。
《何かやってやがるな・・・コイツ・・・。》
格闘技の経験者に喧嘩を売るのは得策じゃない。ムカツク気持ちを我慢しながら、男の脇を通って彼女の元へ戻ろうとした。
「ああ、君。」
「なんだよ?」
いきなり呼び止められ、喧嘩腰で返してしまった。もしここで殴り合いになったら・・・・勝てる見込みは少ない。
でもまあ、それならそれで構わない。人の彼女と二人きりで喋ってたんだ、スゴスゴと引き下がるのはカッコが悪いもんな。
「おっさん、さっきからなんだ、ああ?」
男の胸倉を掴み、拳を握って殴るフリをしてみせる。しかし・・・・男はまったくビビらなかった。それどころか、優しく肩を叩かれて諭すように言われた。
「もう・・・君の彼女はいない。」
「は?」
「そのままの意味さ。もう・・・君の彼女はどこにもいないんだ。」
「・・・・・・・・・・・。」
胸倉から手を離し、思わず後ずさった。男は一歩前に出て、ゆっくりと顔を近づけてきた。
「心配ない。まだ君が乗っ取られる一歩手前だったらね。おかげで・・・・君を殺さずに済んだよ。」
その瞬間、ゾクリとした。男の眼光は、普通の人間のものとは違っていた。
《・・・コイツ・・・絶対に人を殺したことがあるんだ・・・・・。》
昔、殺人犯の目を見たことがある。俺のオヤジが、浮気をした母を殺す時の目を・・・・。
あれは人間の目じゃなかった。獣のように本能を剥きだした・・・・恐ろしい目だった。
この男の目は、あの時のオヤジとよく似ていた。いや、もっと恐ろしいかもしれない・・・・。
じっと男に睨まれ、微動だにすることも出来なくなる。気がつけば、股の間がじんわりと濡れていた。
「悪いな。恥を掻かせるつもりはなかったんだ。これ・・・よかったらとっといてよ。ゲームの邪魔をしたお詫びに。」
男は財布から万札を二枚抜き出し、俺の手に握らせた。そして「それじゃ・・・」と笑って、肩を叩いて去っていった。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
お金を握ったまま、股の間を濡らして呆然と立ち竦む。そして彼女のいた場所に戻ると、そこには誰もいなかった。代わりに、彼女の座っていた椅子に、赤い花びらが一枚落ちていた。
「・・・俺の・・・俺の彼女が・・・消えちゃった・・・・。」
この世でたった一人の彼女が・・・俺の唯一の理解者だった彼女が・・・・あっさりと消えてしまった。
お金を落として座り込み、声を上げて泣いた。周りにジジババどもが集まって来て、心配そうに声を掛けてくる。そして・・・・後ろからポンと肩を叩かれた。
声を失くして飛び上がり、頭を抱えてブルブルと震えた。
「おい、佐野。どうした?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
ゆっくりと顔を上げると、それは俺の担任だった。どうやら昼休みらしく、手にはコンビニの袋を掲げていた。
「・・・先生・・・・。」
「お前・・・顔が真っ青じゃないか。何かあったのか?」
担任は膝をつき、心配そうに顔を覗き込んできた。そして濡れた股間に気付き、さらに不安そうに眉を寄せた。
「・・・先生・・・・。」
「どうした?不良にでも絡まれたか?」
「・・・・・違います・・・・。彼女が・・・彼女が消えて・・・・・、」
そこから先は言葉にならなかった。手で涙を拭い、俯いたまま黙り込んだ。
あの男の恐ろしい目が、刻印のように心に焼き付いていた。


            *


ずっと幸せを探していた。女として生まれたんだから、最高の恋愛をして幸せになりたいと願っていた。
そして今・・・・その幸せが手に入った。
私の・・・・私の理想とする男に・・・・ようやく巡り合えたのだ。
見た目も中身も、なにもかもが私が思い描いていた理想の男だった。
婚カツなんてものに振り回されたこともあった。やたらと収入やら学歴にこだわったこともあった。でも・・・・今はそんなことはどうでもよくなった。
本当に愛する人と巡り合えるということは、お金や学歴じゃないのだ。
ただ、その人が傍にいてくれるだけで幸せを感じられる。そういうものこそが・・・本当の愛なのだと気づいた。
ギスギスしていた性格も治まり、行き遅れのお局だなんて陰口も気にならなくなった。
自分でも最近は奇麗になったと思うし、信じられないことに、三十五になって初めてナンパされたこともあった。
本物の恋愛というのは、それだけ女に力を与えてくれるのだ。私は奇麗になった。性格だって良くなった。
それもこれも、全てはこの人のおかげ。今年の秋には結婚も決まり、幸せすぎて逆に怖いくらいだった。
「ねえ、私・・・・あなたと出会えて本当によかった。神様なんて信じてなかったけど・・・・今は感謝してる。私とあなたを引き合わせてくれた神様に。」
彼の腕に抱きつき、体温を感じるように頬を寄せた。優しい彼は、何も言わずに頭を撫でてくれた。そしてギュッと後ろから抱き締めてくれる。
「俺も・・・神様に感謝してる。もし彩香と出会ってなかったら・・・・きっとつまらない人生になっていたと思うから。」
「本当に?本当にそう思ってる?」
「うん、本当。だって俺・・・・彩香と出会うまでは、一人ぼっちだったからさ・・・。」
「・・・私も同じ。弘志と出会うまでは・・・・ずっと一人ぼっちだった・・・。
だから・・・・ずっと私のことを離さないで・・・。死ぬまで・・・ずっと一緒にいてほしい。」
川のほとりの階段に座りながら、二人で愛を確認する。彼の言葉に嘘はない。そして・・・私の言葉にも嘘はない。
お互いが愛し合っていて、お互いが必要とし合っている。この世界で、私たち以外はに何もいらないような気さえした。
今年で三十五だというのに・・・・本物の恋というのは、恥ずかしげもなくこんなことを思わせるのだ。
でも・・・・それこそが素直な気持ちだった。駆け引きだの、男のキープだの・・・今思うと本当に馬鹿なことをやっていた。
そう思えるのも、弘志に出会えたからだ。この先、彼さえいれば何もいらない。欲を言うなら、彼の子供がほしいということくらいだった。
もう三十五だし、子供を作るなら早い方がいいだろう。でも、もし彼が子供はいらないって言ったらどうする?実は子供が嫌いで、結婚するのはいいけど、家庭は持ちたくないなんて言われたら・・・・、
「どうしたの?」
「え?」
「なんだか不安そうな顔をしているからさ。何か心配ごとでもある?」
「ううん、全然。ただ幸せだなあっと思って・・・。」
「そうか。ならいいけど・・・。でも気になることがあるなら、なんでも言ってよ。もし俺に悪いところがあるなら、すぐに直すから。」
「ないない、弘志に悪いところなんてないよ。どっちかっていうと、私の方が悪いところは多いと思う。」
「そうかなあ?」
「そうだよ。」
「う〜ん・・・じゃあさ、一ついいかな?」
「なあに?」
「あれ、直してくれない?靴下だけ穿いて、裸のままウロウロするの。アレ見てるとさ、ムラムラして仕方なくなるから。すぐにでも押し倒して、襲いたい衝動に駆られるんだ。」
「あははは!いいよ、いつでも襲って。それで・・・・もし、もしよかったらなんだけどね・・・。」
「うん?」
「弘志の子供がほしいなあって・・・・・。あ、でも!弘志が無理なら全然いいからね。ただ・・・ちょっとそう思っただけで。」
そういうと、弘志はさらに強く抱きしめてくれた。
「・・・・無理なわけないだろ?俺だって・・・彩香に子供を産んでほしい。」
「・・・ほんと?ほんとに・・・?」
「ああ、二人の子供がほしいんだ。でも・・・早い方がいいよな。こんなこと言ったら怒るかもしれないけど・・・三十五を超えると、産む時の負担ていうのかな・・・、その・・・・なんて言うか・・・・。」
弘志はずいぶんと気を遣いながら言葉を選ぶ。私は首を振り、彼の頭を撫でた。
「分かってる。そんなに気を遣わなくていいよ。心配してくれてありがとう。」
幸せだった。涙が出るくらいに幸せだった。何もかもが満たされ、もうこれ以上・・・何もいらなかった。
「ずっと一緒にいようね、弘志。」
「うん、ずっと離さない。」
夕暮れ時の光が、二人に影を投げかける。私たちは見つめ合い、まるでファーストキスのようにはにかみながら唇を重ねた。
《・・・・好き・・・。弘志が好き・・・・。》
彼はそっと唇を離し、照れくさそうに立ち上がった。
「ちょっとここで待ってて。渡したい物があるんだ。」
「渡したい物?」
「うん、本当はもっと早くあげるつもりだったんだけど・・・色々と迷っちゃって・・・。」
「・・・弘志・・・。」
「ここで待ってて。すぐに戻って来るから。」
彼は一目散に走りだし、車が止めてあるショッピングモールの方へと走って行った。
「・・・・そっか・・・ちゃんと買ってくれたんだ・・・。」
彼が何を渡すつもりかは分かっている。そう、婚約指輪だ。
私はドキドキしながら待った。年甲斐もなく、初恋のようなトキメキが胸を満たしていた。
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
山の向こうに陽が沈み始めた。時計を確認すると、もう一時間も経っていた。
「・・・遅いな・・・弘志・・・。」
ここからショッピングモールまではそう遠くはない。歩いて往復しても、十分もかからないはずだ。
「・・・・まさか・・・事故に遭ったとか・・・?」
ショッピングモールの前を走る道路は、とにかく車が多い。とくに今日は土曜日だから、いつもよりさらに多いはずだ。
弘志はおっちょこちょいなところがあるから、もしかしたら・・・・。
そう思うと居ても立ってもいられなくなって、川のほとりから立ちあがった。
「・・・嫌よ・・・弘志・・・。いなくなったりしたら嫌だからね・・・。」
悪い予感が駆け巡る。言いようのないほど胸が締め付けられ、気がついた時には走り出していた。
遊具の並ぶ公園を駆け抜け、遊歩道の広がる草場に出る。その先には大きなショッピングモールがそびえていて、沈みかけた陽の光を受けて薄紫に染まっていた。
「・・・弘志・・・弘志・・・。」
彼のことだけを考えながら走っていると、何かに躓いて転んだ。
「痛ッ・・・・、何よ・・・・?」
肘を押えながら足元を見てみると、小さな箱が落ちていた。
「これは・・・・。」
それは指輪の箱だった。その瞬間、これは弘志が私に渡そうとしていたものだと直感した。
何の根拠もないけど、雷に撃たれたようにそう感じたのだ。
手を伸ばし、箱を拾い上げる。震える手で開けてみると、中から小さなダイアの付いた指輪が出てきた。
それは私好みのシンプルなデザインで、そっと摘まんで目の前に持ちあげた。
「・・・弘志・・・・・弘志!」
指輪を握りしめ、立ちあがって辺りを見回した。周りには誰もいない。いつもはもっと人が多いはずなのに、ゴーストタウンのように誰もいなかった。
「弘志!弘志!」
転んだ痛みも忘れ、スカートを翻して走った。途中で安物のパーカーを着た青年とすれ違い、胸倉を掴む勢いで詰め寄った。
「あ、あの!男の人を見ませんでしたか!背が高くて、左目の下にほくろがあるんです。それに茶色いジャケットを着ていて・・・・、」
気がつけば、本当に青年の胸倉を掴んでいた。うまく呂律が回らず、ただ喚いているようになってしまった。
「私の・・・私の恋人なんです!すぐ戻って来るって言ったのに・・・・これだけ残して消えちゃったんです・・・。」
直感とでもいうのだろうか。もう弘志は戻ってこない。何の根拠もないけど、なぜかそう感じていた。
私は青年の胸倉を掴んだまま泣き崩れ、胸に指輪を抱き寄せていた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
青年は何も言わずに膝をつき、じっと私の顔を覗き込んだ。
「・・・・あなたも危なかった・・・・。でも・・・殺さすに済んでよかった・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
青年と見つめ合う。彼は・・・・とても悲しい目をしていた。疲れたような、そして申し訳なさそうな目だった・・・。
「その指輪・・・・彼とあなたが愛し合った証です。大事にして下さい。」
それだけ言い残し、青年は去って行った。彼の背中は、その目と同じくらい悲しそうに見えた。
「・・・あ、あの・・・・、」
呼び止めようとして手を伸ばした。しかし・・・・やめた。
聞きたくなかった。きっと、聞いてはいけないと思った。弘志がどうなったのか・・・・あの青年は知っているだろうけど、それを聞く勇気はなかった。
青年の影は遠ざかっていく。揺らめく陽炎のように、悲しみの背中を見せたまま歩み去って行く。私は歯を食いしばり、弘志のくれた指輪を抱きしめた。
「弘志・・・・。」
あれだけ幸せだった時間が、一瞬のうちに消え去ってしまった。私はまた・・・一人ぼっちになってしまった。
指輪が落ちていた場所に戻ると、赤い花びらが落ちていた。それを拾い上げ、じっと見つめる。そして指輪の箱の中にしまい、胸に抱きしめて泣いた。
その後・・・・弘志と再会することは二度となかった・・・。

セカンド・コンタクト 第三話 セカンド・コンタクト

  • 2014.05.11 Sunday
  • 12:46
『セカンド・コンタクト』


薄い紅色の光が、山の麓の公園を照らしている。
一人でベンチに佇み、やたらと苦いコーヒーをすすった。
「どうだい?少しは落ち着いたか?」
公園のトイレから出てきた男が、ジッパーを上げながら横に座る。
「浮かない顔をしているな。まあ彼女が亡くなったんだから無理もないか。」
「・・・・・・・・・・・・。」
何も答えずにコーヒーをすすり、今日あった出来事をまとめて飲み込んだ。
「山登りは慣れていないんだろう?ずいぶんと疲れた顔をしている。今日はゆっくり休んだほうがいい。また来週、ここで会おう。その時は・・・・是非いい返事を聞かせてくれ、それじゃ。」
男は手を振りながら去って行った。あれだけ高い山を登ったのに、まったく疲れを見せない軽快な足取りだった。
「・・・・ミサ・・・・。」
男が消えてくれたおかげで、ようやく泣くことができる。今日・・・俺はミサを失った。
この世でたった一人の理解者だったのに、あっという間に消えてしまった。
「まさか・・・・まさかこんなことになるなんて・・・・。」
楽しいはずの休日が、とつぜん悪夢に変わってしまった。ミサを失ったことはもちろんだが、それと同じくらいにショックなこともあった。
それは・・・・あの男から聞かされた話だった。今でもにわかに信じがたいが、あれだけ不可解な体験をしたのだ。信じないわけにはいかなかった。
数時間前まで立っていた山頂を見上げ、あそこで起こった出来事を振り返る。
あまりに現実離れしていて、まるで夢でも見ているようだった。
不味いコーヒーを吐き出し、カップをゴミ箱に投げ入れる。しばらく俯いたまま佇み、やがてフラフラと歩き出した。
「とりあえず・・・今日は帰って寝よう・・・。もしかしたら・・・明日目が覚めれば・・・全ては夢だったってことになるかもしれない。」
明日という日に淡い期待を抱き、民宿へと戻る。女将さんが「お疲れ様、登山はどうでした?」と声を掛けてくれた。
「・・・とても景色が奇麗でした・・・。本当に・・・桜が奇麗で・・・・。」
「そうでしょう、そうでしょう。お風呂を沸かしてありますから、ゆっくり浸かって下さい。一人旅なんだから、ゆったり楽しまないと損ですよ。」
そう言って女将さんは奥へと引っ込んでいった。
「・・・一人旅か・・・・。」
愕然とする気持ちを抑えながら、靴を脱いで部屋に戻った。
リュックを放り投げ、大の字になって畳に寝転ぶ。
「一人旅じゃないよ・・・・ミサがいたんだ・・・。でも・・・もう誰も覚えていないんだな・・・。」
ここへチェックインした時、女将さんはミサの姿を確認していた。今日の朝だって、「仲のいいカップルですねえ」と褒めてくれたのだ。
それなのに・・・もうミサのことは覚えていないらしい。俺が一人で泊まりに来たと思っている。
「・・・あのおっさんの言うとおりになったな・・・。ミサが死ねば、彼女の生きていた痕跡はなくなるって・・・。」
部屋を見渡すと、ミサの荷物は消えていた。いや、それだけじゃない。ケータイに保存した写真にも、ミサの姿は写っていないのだ。
二人で仲良く写っているはずなのに、ミサだけがぽっかりと消えていた。
「・・・やっぱり・・・ミサは俺の想像の産物だったってことか・・・?俺が勝手に思い描いた・・・現実にはいない人間だったのか・・・?」
今日、あの山頂で全てを聞かされた。ミサのこと、あの男のこと、そして・・・あの巨大な桜のこと・・・。
耳を疑うような話ばかりだったが、それでも信じないわけにはいかない。
もしこのまま放っておけば、あの男の危惧する事態になってしまう。
巨木から株分けされたクローンが、人間たちの意識を乗っ取るという最悪の事態に・・・。
「・・・・・ダメだ・・・。今日はうまく頭が回らない・・・。また・・・また明日考えよう・・・。」
身体を起こし、檜の風呂にゆっくりと浸かる。このままここで溶けてしまえたら、どんなに楽だろう・・・。
暖かい湯にまどろみながら、現実から逃げるように身体を沈ませた。


            *


桜が終わりを告げるのは早い。淡いピンクの隙間から、小さな葉が息吹始めていた。
あの日からちょうど一週間、俺は再び同じ場所に来ていた。あの男と会う為だ。
時刻は午前八時半。もう約束の時間なのに、まだ男の姿は見えなかった。
ベンチに座り、タバコを吹かしながら山を見上げる。一週間前の朝、俺はミサと一緒にここにいた。
あいつはいつものようにはしゃいでいて、山に登ろうというのにお菓子を頬張っていた。
あの時は・・・ミサがいなくなるなんて思いもしなかった。
この先も、ずっと俺の傍にいてくれるものだと思っていたのに・・・・。
彼女の笑顔を思い出すと、胸に熱いものがこみ上げてくる。それは締め付けられるように痛く、苦しいほど切なかった・・・。
「・・・ミサ・・・・。」
落ちたタバコの灰を踏みつぶし、切なさを胸の奥に押し込める。
「・・・大丈夫さ・・・まだ・・まだチャンスはあるんだ。ミサを取り戻せるチャンスはあるんだから・・・。」
そう、まだ全てが終わったわけじゃない。ミサを取り戻す微かな希望が残っているのだ。
そしてその希望が、公園の入り口から手を振ってやって来た。
「遅れて悪い。ちょっと野暮用があったもんでね。」
「いえ、そんなに待ってないですから・・・。」
タバコを消して立ち上がり、こちらに歩いてくる男を見つめた。
男は一週間前と全く同じ服装をしていて、歳のわりに派手な登山ウェアが目立っていた。
「この服カッコイイだろ?ブランド物さ。」
「そうですね。もう少し若かったら似合うかもしれません。」
「人を年寄り扱いしちゃいかんな。私はこれでも君より体力があるぞ。」
そう言いながら腕まくりをして、思いのほか逞しい腕を見せつけた。
「最近の若い奴にはまだまだ負けないよ。」
「元気ですね・・・。」
興味もなさそうに言うと、男は笑顔を消して俺の背中を叩いた。
「まだ落ち込んでいるのか?」
「・・・当たり前でしょう。いきなりミサがいなくなってしまったんだから・・・。平気な方がどうかしてる。」
「そりゃそうだ。」
今度は男の方が興味もなさそうに言い、深い山を見上げた。
「さて、今日も頑張って登ろう。無理せずゆっくり行けばいいから。」
男はニコリと笑って俺の肩を叩き、軽快な足取りで登山道に入っていった。
「早く行こう。彼女が待ってる。」
「・・・・ええ。」
青く染まり始めた桜の下を抜け、男と並んで山に入っていった。
「・・・・いきなりでアレだが・・・この前の話は考えてくれたかい?」
男は俺の方を見ずに尋ねてきた。
「・・・正直、まだ迷っているんです。けど・・・ミサのことを考えると、断るわけにはいきません。」
「そうだろうな。それを見越して頼んだんだから。」
俺は足を止め、地面に落ちた桜の花びらを見つめた。そのうちの一枚を摘まみ上げ、じっと目を閉じて耳を澄ました。
「・・・・・・・・・・・・。」
ミサがやっていたように、俺も花びらから声を聞きとろうと試みる。すると僅かにではあるが、花びらから声を感じることが出来た。
それは電波の悪いケータイのように不明瞭な声で、何を言っているのかは分からない。
それでも確かに声を感じることは出来た。
それを見ていた男は、満足そうに笑って頷いた。
「よかった・・・あの薬を飲んでくれたんだね。」
「・・・・ええ。」
「気分はどうだい?なにか体調に変化とかは無いかい?」
男は心配そうに尋ねてくる。俺は首を振り、花びらを地面に捨てた。
「特に何もありません。・・・・この変な感覚以外は・・・。」
「そうか、ならよかった。じゃあ登りながら話そう。」
男はポケットに手を入れ、散歩でも楽しむように歩いていく。俺の気持ちなどお構いなしに、ただ自分の目的の為だけに・・・。
「少し聞いてもいいですか?」
「ああ、なんでも聞いてくれ。」
「・・・あれから考えたんですが、まだあなたの言っていることが信じられません。
頭では理解出来るんですが・・・心がついていかないというか・・・。」
そう言うと、男は足を止めて振り返った。そして岩の突き出た崖に立ち、遠い山々の景色を見つめた。
「君は・・・自分の目に見えるものだけが全てだと思うかい?」
唐突な質問だった。俺は首を振り、「分かりません・・・」と答えた。
「そういう観念的な考えは好きじゃないんです。俺・・・これでも現実主義なんですよ。」
「現実か・・・・。果たして・・・そんなものがあるのかどうか・・・。」
男はポケットから缶コーヒーを取り出し、ズズッと美味そうにすすった。
「私は科学者だから分かるんだがね・・・物事というのは、調べれば調べるほど分からなくなる。新たな謎が解けたら、その分新しい謎が広がるんだよ。それは際限なく枝分かれしていって、最後には暗闇に迷い込んでしまう。
ほら、たまにいるだろう?科学者でありながら、宗教や哲学にはまったりする奴が。
ああいう連中はね、分からないということに耐えられなくなるのさ。
科学が進めばなんでも解決出来ると信じているものだから、その信念が裏切られた時に・・・まともではいられなくなるんだ。」
男は険しい顔を見せる。スチール製の硬い缶を握りつぶし、腰につけていポーチに押し込んだ。
「今はまだ・・・多くを説明しても理解できないと思う。でもこれだけは覚えていてほしい。」
そう言って俺の前に立ち、鋭い眼光で睨んだ。
「世の中には、人の理解を超えた不可解な出来事というのが存在する。そして・・・それを目の当たりにした時、人の取る行動は二つだけだ。見なかったことにして忘れるか、その現象を利用して悪事を働くか。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
俺は目を逸らす。そして分かっているのに質問を飛ばした。
「あなたは・・・・どっちなんですか?」
「ん?僕かい?そんなの見ればわかるだろう。僕は・・・・後者だよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「浮かない顔をしているな。でも君だって同じだよ。死んだ彼女を生き返らせるために、不可解な力に身を委ねようとしている。だからこそ・・・私の渡した薬を飲んだんじゃないか。」
「俺は・・・別に悪いことを考えているわけじゃ・・・・。」
「そうかな?」
「そうですよ。だって・・・ただミサを生き返らせたいだけなんだから・・・。」
「そうだな。その為に・・・あの巨木の力を利用しようとしているわけだ。死者は生き返らないという、絶対不屈のルールを捻じ曲げてまで、ミサちゃんを復活させようとしている。君もじゅうぶん悪者さ。」
「いや、俺はただ・・・・・、」
反論しかけて、すぐに口を噤んだ。こんなところで言い争っても仕方がない。
男の脇を抜け、足早に山を登っていった。
「すまない、機嫌を損ねるつもりはなかったんだ。許してくれ。」
男は俺の肩を叩き、先導するように前を歩いていった。


            *


登山を始めて四時間半、ようやく山頂に到達した。
「・・・はあ・・・はあ・・・足が重い・・・。」
「ははは、もうちょっとゆっくりでもよかったのに。」
男はポンポンと俺の背中を叩き、山小屋に入っていく。
「中でコーヒーでも飲もう。あの巨木に会う前に、とりあえず落ち着いた方がいい。」
慣れた手つきで小屋を開け、リュックの中から大量の缶コーヒーを取り出す。そしてこの前と同じように、ポリポリとピーナッツを齧っていた。
「・・・よくそんなにガブガブコーヒーばっかり飲んでられるもんだ・・・。」
リュックの中から水を取り出し、フラつく足取りで小屋の中へ入っていった。
男の持ってきたLEDの電灯が、暗い小屋の中に灯をともす。いらないと言ったのに無理矢理コーヒーを飲まされ、不味いピーナッツまで食べさせられた。
しかし不思議なもので、糖分とカロリーを摂取すると、かなり体力が戻ってきた。
心も落ち着き、一服吹かしたい気持ちになって外に出た。すると・・・・。
「ああ!また景色が変わってる・・・・・。」
一週間前と同じように、小屋から出ると景色が変わっていた。
それも前回とは違って、青い葉が広がる初夏の景色だった。
「おお、衣替えをしたみたいだね。あの巨木は気が早いから、すぐに季節を送ってしまうんだよ。」
男は腰に手を当てて青い景色を見渡し、ゆっくりと後ろを振り返った。
そこには青い葉を茂らせた巨木がそびえていた。
「今日もおでましだ。ほら、挨拶をしてきなよ。」
そう言って俺の背中を押し、巨木の方に押しやる。俺は巨人のような木を見上げ、「やあ・・・」と声を掛けた。
《浩太・・・また来てくれたのね。どう?少しは落ち着いた?》
この前と変わらない事務的な口調だった。しかし、ほんの少しだけ砕けた感じで喋りかけてくれる。
「まだ全然落ち着かないよ。この一週間・・・ミサのことばかり考えていた。
俺は・・・俺はどうしてもあいつを生き返らせたい。だから・・・引き受けることにしたよ、君の頼みを。」
そう言うと、巨木は喜んで葉を揺らした。
《ありがとう。じゃあこれを渡しておくわね。》
巨木はその身を振動させ、割れた樹皮から樹液を滴らせた。その樹液はポタポタと根元に落ち、やがて錠剤のような丸い固形物に変わった。
《それ、新しい薬ね。一日に二回までが限度だから、気をつけて使ってね。》
「ああ・・・分かった。」
根元に散らばる樹液の薬を広い、ハンカチに包んでポケットの中に押し込んだ。
《前にも説明したけど、副作用があるから気をつけてね。あんまり無茶をし過ぎると・・・あなたもミサと同じようになっちゃうから。》
「分かってる。それで、俺はこれから何をすればいい?君のクローンを駆除すればいいとは聞いたけど、具体的に何をどうすればいいんだ?」
そう尋ねると、後ろにいた男が答えた。
「なあに、簡単さ。その薬を飲んで街を歩けば、おのずとクローンに出会えるはずさ。
もし木の状態で発見したらそこで潰せばいいし、もし人の心に住み着いていたのなら・・・その人間を消せばいい。」
「・・・人を殺せってことか・・・?」
「やり方は色々ある。それはその薬を飲んで戦えば分かるだろう。でもまあ・・・殺してしまうのが一番手っとり早いだろうね。もし下手に取り逃がせば、また別の人間に取りつくかもしれないから。」
「・・・・・・・・・・・。」
恐ろしいことを平気で言ってくれる。俺は平和な一般市民だ。それが人殺しだなんて・・・・。
「ミサちゃんを生き返らせたいんだろう?だったら迷うことはない。君は・・・君自身の為に戦えばいい。それが人類の為に繋がる。」
嘘くさい言葉だと思った。この男は信用出来ない、本能がそう告げていた。
「俺は・・・・本当に正しいのか?いくらミサを生き返らせる為だとしても、こんな薬を使ってまで人殺しだなんて・・・・。」
「人を殺すかどうか、それは君次第さ。うまく戦えば、殺さずに済む場合もある。
経験者が言うんだから間違いないよ。」
男は俺の肩を叩き、屈託のない笑顔を見せる。そしてすぐに表情を引き締めた。
「迷ったらいけない。なぜなら君は・・・光に選ばれたんだから。」
「光に選ばれた・・・・?」
「そうさ。この巨木も、そしてミサちゃんも・・・もともとは宇宙を漂う光だったんだ。
光はいいよ。絶望の闇を切り裂くのは、眩い光だけだ。君はこれから・・・光となって戦うのさ。」
男の言葉には含蓄があった。それは・・・彼自身が多くの戦いを経験してきたからだ。
この薬を使い、数多のクローンを葬ってきた。その中には、生きた人間にとりついた奴もいたはずだ・・・。
そして、その人間ごと・・・・この世から消してきた・・・・。
「いいかい美波君。今はまだ・・・自分が正しいかどうかなんて考える必要はない。」
「なぜです?間違ったことは出来ないでしょう?」
「・・・・とりあえず、自分で体感してみることだよ。何事も経験さ。」
男は巨木の前に立ち、割れた樹皮に手を触れた。
「僕はね、いささか疲れたんだよ・・・。もう何十年も戦ってきて、さすがに堪えた・・・。
だから・・・続きは君に託そうと思う。これからは、新たな世代のサポートに回らせてもらうよ。」
そう言ってゆっくりと振り向き、ポケットに手を突っ込んで俺を見つめた。
「僕はね・・・人類で初めてこの巨木に出会ったのさ。いわばファースト・コンタクトってやつだ。そして・・・・もう引退の時が来た。だから・・・続きは君がやるんだ。この巨木に出会った二人目の人間として。」
男はやや芝居がかったように肩を竦め、俺の前に立った。
「君はセカンド・コンタクトさ。初代が成しえなかったこと・・・是非君にやり遂げてほしい。悪質なクローンを滅ぼし、人々を守る。そして・・・・僕たちの願いを叶える。」
「あなたの願い・・・・?」
「ああ、そうだ。君はミサちゃんを。僕は娘を生き返らせる。」
「娘さんを失くしてるんですか?」
初耳だった。何か事情があるのだろうとは思っていたが、彼も愛する者を亡くしていたなんて・・・・。
「ミサちゃんは・・・僕の娘と似ていたんだろうね。だから・・・同じ姿に見えたんだ。
君と彼女が一緒に歩いているのを見たとき、これは運命だと感じたよ。ミサちゃんは娘の生まれ変わりで、こうして現世に戻って来たのだと。だから・・・僕は君を放っておけなかった。僕の後を継ぐのは、君しかいないと思ったのさ。」
男は切ない顔をみせる。学者でも戦士でもない、一人の父親としての顔を・・・・。
愛する者の復活を願う気持ちは、俺にもよく分かる。彼に対する不信感は残ったままだが、同情の念が芽生えていた。
「正直なところを言うとね・・・人類を救うことなんかどうでもいいんだ。僕はただ・・・娘が生き返ってくれればそれでいい。若くして命を散らした彼女に、再び生を与えることだけが・・・・僕にとっての罪滅ぼしさ。」
「罪滅ぼし・・・?」
「ああ、娘は自殺したんだ。僕のせいでね。そのことは・・・・また追々話すよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
詳しく聞きたいと思ったが、人の心にずかずかと踏み込むのは野暮というものだろう。
俺は口を噤み、男から顔を逸らして巨木を見上げた。
「なあ、一つだけ教えてくれないか?」
《なあに?》
「君は・・・宇宙を漂う光だと言ったな?」
《そうよ。私は光。闇を照らす光だった。》
「・・・・そこがよく分からないんだ。光ってのは・・・いったい何なんだ?
君は生き物で、こうして俺と喋ることも出来る。ということは・・・光は生き物ってことなのか?」
そう尋ねると、巨木は黙り込んだ。そして何も答えないまま、ゆっくりと姿を消していった。
「おい待て!どうしていきなり消えるんだ?質問に答えろ!」
辺りの景色は元に戻り、山の静寂だけが取り残された。
「なんなんだ・・・?俺はなにかまずい質問でもしたのか?」
巨木の立っていたところを見つめながら、膝をついて手を触れてみた。
じんわりと暖かく、それでいて乾いたようにざらついていた。
「美波君。」
男に声を掛けられ、立ち上がりながら後ろを振り向いた。
「今はまだ・・・・多くを知る時じゃないのさ。さっきも言ったが、とりあえず自分で体感してみることだ。その薬を使って・・・クローンを潰すという戦いをね。」
そう言って胸ポケットから名刺を取り出し、俺の手に握らせた。
「僕はいつでもここにいるから、何かあったら連絡をくれ。いつでも力を貸すから。」
「・・・・・・・・・・・。」
名刺は黄ばんで色褪せていた。おそらく長い間人に渡すことなどなかったのだろう。
俺は受け取った名刺を見つめ、男の名前を口にしていた。
「須田・・・・雅夫。五十嵐大学の教授・・・・?」
「ははは、地味な名前だろ?ちなみに今は教授じゃない。けど・・・いつでもその大学にいるよ。研究員として残っているからね。」
俺はしばらく名刺を睨みつけた。大学の住所は、俺の自宅から近いところにあった。
「ああ・・・あの大学か・・・。ずいぶん立派な建物だったけど・・・・。」
「見てくれはね。でも中身は全然ダメさ。いわゆるFランクというやつさ。そうでもなけりゃ、僕みたいな変わり者は追い出されてる。」
男は可笑しそうに笑い、ポケットに手を入れて歩き始めた。
「さあ、もうここに用はない。さっさと下山しよう。公園についたらコーヒーを淹れてあげるよ。とびきり美味いやつをね。」
男は俺を残し、一人でスタスタと下りていく。遠くで立ち止まり、「早く」と手を振っていた。
「ミサは生き返らせたい・・・。でも・・・その為に人を殺めることになるのか・・・・?
俺は・・・・俺は間違っているんじゃないのか?今日、本当にここへ来てよかったのか?」
迷いながら名刺をポケットに押し込み、巨木が立っていた場所を振り返る。
一瞬だけ・・・・ほんの一瞬だけ、あの巨木の姿が見えた。
そして・・・・たった一言だけ語りかけてきた。
《・・・あなたに期待しているわ・・・・。》
それはなんとも含みのある言い方に聞こえた。
遠くから男が呼んでいる。俺は複雑な迷いを抱えたまま、巨木のいる山頂を後にした。

セカンド・コンタクト 第二話 消えた彼女(2)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 12:42
ミサと分かれてから一時間半後、ようやく山頂付近まで辿り着いた。
足の疲労はぶり返し、鉛と砂を詰め込んだように重くなっている。腹筋と背筋にも違和感を覚え、明日は相当な筋肉痛を覚悟しなければならなかった。
山頂には僅かに雪が残っていた。春といえでも、千七百メートルも標高があれば、頂上の空気は冷たいものだ。
「・・・はあ・・・はあ・・・ここが頂上・・・・。」
頂上には、大きな山小屋が立っていた。その横には氷ノ山と書かれた立て札が立っている。
振り返って眼下の景色を見つめると、その美しさに息を飲んだ。
「・・・すごい・・・どこまでも山が続いている・・・。」
連峰というのだろうか?高い山々が延々と遠くまで続いている景色は、なんとも見応えがあった。
しかし今は景色を楽しんでいる場合ではない。気持ちを切り替え、ミサの言っていたことを思い出した。
「確か・・・ここに男がいるとか言っていたな・・・。それに悪い奴が来るとも言っていた・・・。」
グルリと辺りを見渡したが、これといって変わった物はなかった。山小屋と立て札があるだけで、周りには美しい風景が広がっているだけだ。
「何もないぞ?いったいどこに男がいるっていうんだ?」
狭い山頂をウロウロしながら、何か変わった物はないかと探してみる。しかしやはり何も見つからない。
「どうなってんだ?ここに来れば、何かがあるんじゃなかったのか?」
頭を掻いて困っていると、肌寒さを感じて腕をさすった。
「やっぱり山の空気は冷えるな。もう一枚着とこう。」
リュックを下ろし、中からジャンバーを取り出そうとして「あ!」と叫んだ。
「そういやミサに貸したんだっけ・・・。あいつあのまま木になっちゃったからなあ。」
冷たい風が吹き抜け、さらに体温を奪っていく。これ以上ここにいるのが辛くなってきて、下山しようかと考え始めた。
しかしその時、山小屋を見て閃いた。
「そうだ。わざわざ下山しなくても、あの中に入ってりゃいいんだ。」
寒さをしのぐ為の山小屋である。こういう時こそ利用しないといけない。
ドアには鍵がついていたが、どうやら施錠はされていないようだ。いささか緊張しながらドアを開けると、中は真っ暗だった。
「これは・・・ちょっと不気味だな・・・。」
ドアの隙間から射す光が、ぼんやりと中を照らしている。
小屋の中にはほとんど何もなく、隅の方に二段ベッドが備え付けられているだけだった。
こういう場所に入るのは初めてなので、緊張が増してくる。もしいきなり誰かが出て来たら、俺は声を上げて逃げ出すだろう。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
ざっと見渡す限り誰もいないが、気になるのはベッドの上だ。一段目には誰も寝ていないが、二段目はここからでは見えない。
しばらく迷ったが、勇気を出してベッドの梯子を上ってみた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
上の段のベッドを見て、さらに緊張が増した。なぜなら、頭からつま先まで、すっぽりと寝袋に覆われた人間がいたからだ。
「・・・・・・・・・・・・。」
声を掛けようとしたが、なかなか言葉が出て来ない。気がつけば、口をパクパク動かしながら寝袋を揺すっていた。
「・・・・あ・・・あの・・・。」
震えながら声を出すと、もぞもぞと寝袋が動いた。
「・・・・ん?」
寝袋のジッパーを下ろす音が聞こえ、中から人の顔が出て来る。思わず目が合ってしまい、言葉を失くしたまま見つめ合った。
《・・・・男・・・か?それもけっこう歳がいっているな・・・。》
寝袋の主は、白髪に痩せた顔をした中年のオヤジだった。だるそうに身体を起こし、横に置いてあった眼鏡を掛けて背伸びをする。
「・・・ああ・・・久々の登山で身体が痛い・・・。」
男は眉間に皺を寄せ、俺を見てニコリと笑った。
「あ・・・あの・・・すいません、起こしてしまって・・・・。」
「いやいや、いいよ。だって君が来るのを待っていたんだから。」
「・・・・え?俺が来るのを・・・?」
男はまたニコリと笑い、手で梯子をどくように言ってきた。
「ああ、すいません・・・・。」
慌てて下りた為に、足を踏み外して転んでしまった。男は声を上げて笑い、俺の手を掴んで立たせてくれた。
痩せた身体をしているクセに、ずいぶんと腕力がある。やはり山小屋で寝泊まりする人間というのは、それなりに逞しいのかもしれない。
「遅かったね、さっき登ってきたところか?」
男は屈託のない顔で笑い、膝に手をついて屈伸をしている。
「は、はい・・・。連れと一緒に登っていたんですが・・・。」
「連れか・・・・。君の彼女かい?」
「ええ・・・まあ・・・・。」
「名前はミサというんだろう?綺麗な黒髪の、ちょっと変わった子だ。」
「ミ・・・ミサを知ってるんですか!」
「もちろん。彼女をここへ呼び寄せたのは僕だからね。」
「あなたが・・・ミサをここへ・・・・?」
「ははは、その顔はチンプンカンプンって感じだね。ちょっと外へ出て話そうか。」
男は俺を置いて小屋を出て行く。ドアの傍に立ち、「早く」と手招きをしていた。
俺は混乱したまま男と一緒に外に出る。そして・・・・その瞬間に我が目を疑った。
「なんだ・・・・これ・・・・。」
景色がさっきとはまったく変わっていた。僅かに残っていた雪が完全に消え、見渡す限りに桜色の山が広がっている。
「綺麗だろう?」
男はコーヒー臭い息を吹きかけながら、どうだと言わんばかりに笑っていた。
「ここは私のお気に入りさ。特にこの季節は素晴らしい。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「ははは、絶句してるな。突然景色が変わっていて驚いたか?」
「・・・・・・・・はい。」
驚いたというより、開いた口が塞がらない。今日ここへ来てから、立て続けに奇妙な出来事が起きたけど、またもや不可解な現象に出くわした。
頭は混乱する余裕もなく、もはや思考停止状態であった。
男はそんな俺の心を見透かしたように、肩を揺らして笑っていた。
「素直でいい反応だ。」
そう言って小屋に戻り、リュックを片手に近くの岩に座った。
「せっかくだからコーヒーでも飲もう。山頂で飲むと上手いぞ。」
男は手なれた様子で湯を沸かし、プラスチックのコップにコーヒーの粉を入れ始めた。
「砂糖は入れるか?」
「・・・・え?ああ、はい・・・。」
「ミルクは?」
「・・・一応・・・お願いします・・・。」
「よし、じゃあ湯が湧くまでちょっと待っててくれ。」
小さな鍋に張られた水が、プクプクと泡を立て始める。それを見つめながら、俺は頭の中を整理する必要があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
整理する必要があったのだが・・・・出来なかった。
あの不思議な赤い花びら、突然木に変わってしまったミサ、そしてなぜか俺たちのことを知っていたこの男。
極めつけは・・・・この桜景色だ。さっきここへ登って来た時は、絶対にこんな景色じゃなかった。
あの時は、僅かに雪が残っていて、それに桜だってこんなに咲いていなかったはずだ。
だいいち、山々の形が変わっている。さっきは延々と続く連峰だったのに、今は氷ノ山を囲うように山が連なり、その向こうは平地になっていた。
「どうして・・・どうしてこんなことに・・・・、」
呆然と立ち尽くしていると、男に声を掛けられた。
「湯が沸いたぞ。コーヒーを飲もう。」
小さな椅子に座るように促され、コーヒーを受け取って黒い液体を見つめた。
「これ、ミルクと砂糖だ。好きなだけ入れてくれ。」
「ああ・・・・ありがとうございます・・・。」
とてもコーヒーを飲む気にはなれないが、とりあえず口に流し込む。お湯が熱いせいで火傷をしそうになり、思わずせき込んだ。
「ははは、猫舌か?」
「す、すいません・・・・。」
「謝ることはないさ。もう少し冷めてから飲めばいい。」
男はリュックの中からピーナッツの袋を取り出し、椅子の前に置いた。
「よかったらこれも食べてくれ。疲れた体には効くぞ。」
ポリポリとピーナッツを齧りながら、美味そうにコーヒーを飲む男。これだけ不可解な出来事が起きているのに、平然としているのはなぜだ?
「あ、あの・・・尋ねたいことがあるんですが・・・。」
「ああ、なんでも聞いてくれ。コーヒーのお代わりもあるぞ。」
男はカップを掲げて笑う。
「いえ・・・コーヒーはどうでもいいんです。その・・・あなたはいったい誰なんですか?どうして俺とミサのことを知っているんです?どこかでお会いしたことがありましたか?」
「いいや、こうして顔を合わせるのは初めてだ。ただ・・・君の彼女とはよく喋っていたよ。」
「ミサと?じゃああいつの知り合いなんですか?」
「知り合いと言われれば・・・そうなるな。でも友達と言った方がシックリくるかもしれない。少なくとも、向こうはそう思っていたみたいだからね。」
「ミサの・・・・友達・・・?」
それを聞いて妙だと思った。残念ながら、ミサに友達はいない。あいつと喋るのは、俺とあいつの家族だけだ。
それ以外にミサの近くにいる人間なんて・・・・・、
「人間じゃない。」
「え?」
「ミサちゃんが話していたのは、なにも人間だけじゃないだろう?そうだな・・・例えば・・・・桜の木とか。」
「桜の・・・・。でもあいつは心の病気だから、ああいう妙な行動に出ているだけで・・・・、」
「ほんとうにそう思うか?」
「・・・・どういうことですか?」
「確かにあの子は病に罹っている。でもそれは心の病じゃない。恋の病だ。」
「恋の病?いったい何を言っているんですか?」
そう尋ねると、男は肩を竦めて笑った。そしてカップを傾けて俺を指差す。
「君はあの子の彼氏なんだろう?だったら恋の病に罹っているじゃないか。」
「・・・そういう例えはいらないです。俺の質問に答えて・・・・、」
「答えてるさ。あの子は誰の目にも見えるわけじゃない。自分が心を開いた相手にしか、姿を見せないんだ。それも・・・見る人間によって姿が変わる。」
「誰にでも見えるわけじゃないですって・・・・?」
「ははは、その顔はからかわれていると思っているだろう?でも違うぞ。あの子は、ほんとうに誰にでも見えるわけじゃないんだ。恋人や友達、そういう心を許した者にだけ姿を見せる。しかも珍しいことに、私の見ていたあの子の姿と、君の見ていたあの子の姿はそっくりのようだ。これは何かの運命かな?」
男は可笑しそうに言って、一気にコーヒーを呷った。お湯を注いでお代わりを作り、じっと黒い液体を覗き込んでいる。
「あの・・・・さっきから何を言っているか分からないんですが・・・。」
「うんうん、そうだろうな。素直な反応でいいと思うよ。」
「とりあえず質問に答えてください。あなたはいったい誰なんですか?ミサの友達って言ってたけど、あいつに友達なんていません。
人間以外のものと話すのだって、心を病んでいるからああしているだけで・・・。」
そう、ミサは心を病んでいる。初めて会った時からそうだった。そうなった原因を尋ねたことはないけど、そんなことはどうでもよかった。病んでいようと健康でいようと、ミサはミサに変わりはないのだから。
抱えたカップに視線を落としながら考えていると、男が口を開いた。
「美波君・・・君の質問に答える前に、ちょっと約束してほしいことがあるんだ。」
「・・・なんですか?ていうか、俺の名前まで・・・・。」
「今日、この場で起きたこと全てを・・・誰にも喋らないって約束してほしい。」
「それは・・・ミサのことや、あなたのことをですか・・・?」
「そうだ。それにこれから私が話すことも、内密にしてほしい。それが約束できるなら、なんでも君の質問に答えよう。ああ、それともう一つ。これは私の話を聞き終わった後でいいんだが、一つ頼みがあるんだ。その頼みを・・・・是非引き受けてほしい。」
男は真剣な顔で言った。さっきまでのニヤけた顔はどこへやら、修羅場を潜ってきた戦士のように、胆の座った顔をしていた。
俺はその眼光に圧倒され、口を噤んで頷くしかなかった。
「まずは私のことだが、これでも大学で教鞭をとっていた。」
「大学で教鞭を・・・・・、ということは、学者ですか?」
「まあそうなるな。でもひと月前に辞めた。その理由は・・・君の彼女さ。」
「ミサが・・・ですか?」
「私は人の意識というものに興味があってね、ずっとその事を研究していたんだ。
そして今から二十年前、ある不思議な出来事に遭遇した。それが・・・・この場所だよ。」
男はそう言って周りの風景に手を向けた。
「不思議だろう?小屋から出てきたら、こんなふうに景色が変わっていたんだ。最初は幻覚かと思ったが、どうも違うようだ。だからしばらく辺りを散策したんだよ。そうしたら・・・・、」
そこでいったん間を置き、たっぷり引っ張ってから口を開いた。
「巨大な桜の木を見つけた。まるで巨人のように大きな桜だ。真っ赤な花びらをつけていて、見ているだけでも圧倒されるほど強力な何かを感じた。」
そう言って立ち上がり、小屋の立っていた方に目を向ける。するとそこには、とてつもなく巨大な桜の木がそびえていた。
「な、なんだこれは・・・。さっきまではこんなものなかったはずなのに・・・。」
「いいや、最初からここにあったよ。ただ・・・姿を見せなかっただけだ。君という人間を観察していたからね。こうして姿を現すということは、君を信頼出来る人間と判断したんだろう。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
今日、言葉が出てこなくなったのは何度目だろう?男の言ったとおり、それは巨人のように巨大な桜だった。
いや、本当に桜なのか?赤い花びらに規格外の大きさ。これはもう・・・桜とは呼べない気がした。
「この桜が何であるか?疑問に思っているね?」
男はニヤリと振り向き、椅子に座ってコーヒーをすすった。
「言葉が出て来ないか?まあ仕方ない。私だって初めてこの桜を見つけた時は、その場から動くことさえ出来なかったからね。」
男は愛おしそうに桜を見つめる。まるで、そこに愛する誰かがいるかのように・・・・。
「美波君、いま君が考えていることを当てようか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「君は・・・あの桜に触れ、会話をしたいと思っている。この未知なる巨木と・・・・コンタクトを図りたいと考えている。そうだろう?」
男の言うことは当たっていた。俺はいま、あの木と喋ってみたいと思っている。
まるでミサが木と会話をするように、俺も・・・・この巨木の声を聞きたいと思っていた。
「遠慮する必要はない。こうして姿を見せたということは、向こうも君とコンタクトをとりたいと思っているのさ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
気がつけば椅子から立ち上がっていた。街頭に吸い寄せられる羽虫のように、フラフラと巨木の元へ向かう。そしてゆっくりと手を触れ、目を閉じてみた。
《・・・・・・浩太・・・・・。》
「ミサ!」
思わず顔を上げて叫んでいた。
《・・・浩太・・・・よく来てくれた・・・。ありがとう。》
「ミサ・・・・本当にミサなのか・・・?でもどうして・・・?」
涙がこぼれそうになり、俯いて誤魔化した。また・・・またミサの声が聞こえた・・・。それだけで胸が満たされていく感じだった。
しかし・・・・すぐにその気持ちは打ち砕かれた。この巨木から聞こえるミサの声は、俺の心を見透かしてこう言ったのだ。
《浩太・・・私はミサであってミサではないわ。私とあの子は同じだけど、いまここにいる私は、あなたの知るミサじゃない。》
あまりに唐突なことを言われ、またもや言葉を失ってしまう。しかし巨木のミサは、お構いなしに先を続けた。
《浩太の知っているミサは、私を株分けして生まれたもの。いわばクローンよ。だから、ここにはあなたの知っているミサはいない。》
「クローン・・・?何を言っているんだ?その声はどう聞いてもミサじゃないか!」
《そうね。でも・・・私とあの子はまったくの別人よ。もっといえば、私もあの子も、ミサであってミサじゃない。ミサっていうのは、あなたが心に描いた女性の像よ。だから・・・現実にはミサという女の子はいないわ。》
巨木のミサは、事務的な口調で淡々と語る。俺は混乱を通り越して頭が真っ白になり、思わず叫んでいた。
「何を言ってるかわからないよ!ミサはミサだろう!現実にはいないってどういうことだ!」
巨木に掴みかかり、赤い花びらを見上げて問い詰めた。すると、後ろから肩を叩かれて振り返った。
「ちょっと落ち着きなさい。」
「落ち着けだって!そんなのは無理だよ!こいつは今とんでもないことを言ったんだ!ミサがいないってどういうことだよ!それが・・・それが本当なら・・・・俺はずっと一人ぼっちだったってことか?」
そう叫ぶと、《それは違うわ》と巨木が答えた。
《あなたは一人ぼっちなんかじゃない。ちゃんとミサが傍にいたもの。》
「で・・・でも!さっきはミサはいないって・・・・、」
《・・・ごめんなさい、言い方が悪かったわね。ミサがいたのは、あなたの心の中だけってことを言いたかったの。》
「俺の心の中だけ・・・・?なんだよそれは?まるであいつが死人みたいな言い方じゃないか!」
怒って巨木に掴みかかると、また事務的な口調で返された。
《浩太・・・残念ながら、あなたの知っているミサはもういないわ。あの子は死んだ。ついさっき、土に還ったところよ。》
「な・・・・なに・・・・?ミサが・・・死んだ・・・・?」
言葉の意味が理解できず、思わず聞き返していた。案の定、巨木は事務的な口調で返してきた。
《あなたの知っているミサは、もう寿命だった。株分けしたクローンは、そう長くは生きられないの。だから・・・短い寿命が尽きる前に、宿主を探さないといけない。》
「や・・・宿主・・・?」
《そう、宿主。肉体を失っても生きていけるように、宿主を探す。それこそが、私たちの本能であり、生存競争。もしあなたがあの子の元を離れなければ、あの子はまだ生きていられた。あなたの心に住み着き、死が二人を別つまで一緒にいられたはずよ。》
・・・・・・分からない。この巨木は、いったい何を言っているんだ?宿主だの、生存競争だの・・・そんな単語が、ミサとどういう関係があるというのだ?
巨木はまた俺の心を読んだようで、少しだけ口調を変えて答えた。
《私は光。人の目には見えない小さな光で、ずっと宇宙を漂っていた。遥か昔にこの星に降り立ち、この星に住むことを決めたの。あなたに分かるように説明すると、私もミサも、宇宙人ってことになるわ。》
「ミサが・・・・宇宙人・・・・?」
《分かりやすく言えばね。でも人じゃないわ。ただ・・・この星にはずっと昔から住んでいるの。人が現れて間もない頃からずっとね。》
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
何と答えていいのか分からず、ゆっくりと巨木から離れた。とにかく・・・こんな場所にはいたくない。
早くミサのところへ戻らないと。もし・・・もしあいつに何かあったら、俺はまた一人ぼっちに戻ってしまう。
踵を返し、山を下りようと走り出した時だった。男が俺の腕を掴み、小さく首を振った。
「残念だが・・・もう彼女はいない。いくら捜しても無駄なんだ・・・。」
「何を言っているんだ!ミサが死ぬわけないだろう!今からあいつのところへ戻る。手を放してくれ!」
強引に男の手を振りほどくと、何かを目の前に差し出された。
「彼女から・・・最後のメッセージだ・・・。」
「これは・・・・赤い花びら・・・?」
男の手には、あの赤い花びらが乗っていた。俺は無意識にそれに手を伸ばしていて、そっと摘まみ上げた。その瞬間、花びらからミサの声が聞こえた。
《・・・浩太・・・・今までありがとう。・・・さようなら・・・・・。》
「・・・ミサ・・・・・。」
赤い花びらは色を失くし、枯葉のように崩れ去った。それを見た瞬間、俺の胸に激痛が走った。
「うぐあああ!・・・・ミサ!ダメだ!出て行かないでくれ!俺の中から・・・俺の心から出て行かないでくれえええええ!」
ミサとの思い出が色褪せていく。彼女の記憶は残っても、一緒に過ごした時間がセピア色の写真のように色褪せていく。
あんなに幸せだったのに・・・あんなに一緒に笑っていたのに・・・・その思い出が・・・色を失くして固まっていく。
この前一緒にツクシを採ったことさえ、遥か昔のことのように遠のいていく。
「そんな・・・いやだ・・・・ミサ・・・ミサああああああああ!」
胸の痛みは治まり、その代わりに大事なものが失われた。ミサと過ごした時間、そしてミサという最愛の人が・・・・。
・・・ミサは死んだ・・・。そのことを、認めざるをえない瞬間だった。

セカンド・コンタクト 第二話 消えた彼女(1)

  • 2014.05.11 Sunday
  • 12:36
『消えた彼女』


山を縫って吹き抜ける風が、山桜の花弁を運んでいく。
俺は鉛のように重くなった足を引きずりながら、ひたすら山頂を目指した。
「・・・はあ・・・はあ・・・クソ!高いよこの山・・・・。」
山頂は見えているのに、まったく近づく気配がない。どうやら俺は、標高千七百メートルの山を甘く見ていたようだ。
リュックの中から予備の水を取り出し、渇いた喉を湿らせる。本当は一気に飲み干したいが、そんなことをしたら水っぱらになって苦しむだけだ。
喉の渇きを我慢しながら、険しい山道を上っていった。
「・・・はあ・・・はあ・・・さっきまでなだらかな道だったのに・・・急に険しくなりやがった・・・。」
急な勾配には岩が突き出ていて、足元に注意しながら登っていく。
途中で登山ウェアを着た若いカップルとすれ違い、「頑張って」と声を掛けられた。
「頑張ってるさ・・・でも・・・足がついていかない・・・。」
普段から運動に縁がないせいか、足の筋肉がパンパンに引きつっていた。
「こりゃあ明日は確実に筋肉痛だな・・・それもかなりキツイやつだ・・・。」
小刻みに膝が震え出すが、ここで足を止めるわけにはいかない。なぜなら・・・・ミサを捜さないといけないのだから。
「あいつ・・・いったいどこまで登ったんだ・・・?もう結構な所まで来てるのに・・・全然姿が見えない・・・。」
山を上り始めて三時間、もうとっくに中腹は過ぎているはずだ。
いくら俺が運動不足とはいえ、もうミサに追いついてもいい頃だ。なのにまったく姿が見当たらない。
もしかしたら、途中で道に迷って遭難しているとか?それとも山には登っていないとか?
様々な不安が胸に渦巻き、さらに力が奪われていく。
「・・・はあ・・・はあ・・・もうダメだ・・・・ちょっと休憩・・・・。」
少しずつ飲むと決めていた水を、一気に飲み干してしまった。
渇いた喉は生き返ったが、その分腹が重くなってしまった。
「まったく・・・・ミサの奴め・・・見つけたらこっぴどく叱ってやる・・・・。」
山道の斜面に大の字に寝転び、ポケットに挟んだ赤い花びらを取り出した。
「さっき・・・この花びらに触れた瞬間に声が聞こえた・・・。あれは幻聴なんかじゃない。確かにミサの声が聞こえたんだ。」
赤い花びらを手の平に乗せ、じっと睨みつけた。目を閉じて耳を澄まし、花びらの声を聞こうと意識を集中させる。
しかし・・・・何も聞こえない。さっきはハッキリとミサの声が聞こえたのに、うんともすんとも言わなかった。
「・・・やっぱり、さっきのは幻聴だったのか?確かに聞こえたと思ったんだが・・・。」
まじまじと花びらを見つめ、もう一度目を瞑って花びらの声を聞こうとする。
その時、ふと目を開けて呟いた。
「これじゃミサと一緒だ・・・。あいつが人以外のなにかと会話をする時と・・・まったく一緒じゃないか・・・。」
ミサは心の病気に罹っている。だからこそ、花びらの声が聞こえるなどと妄想を語るのだ。
でも・・・もしあれが妄想じゃなかったら?ミサは、本当に花びらの声が聞こえていたとしたら?
「・・・・・・・ダメだな。不安と疲れで頭がおかしくなってる・・・。」
どうやら俺は、俺が思っている以上に焦っているらしい。そうでなければ、こんな馬鹿なことを考えたりはしないのはずだ。
「こんな花びら・・・持っててもしょうがないよな・・・。」
ふっと息を吹きかけて赤い花びらを飛ばし、立ち上がって膝を払った。
「さて、ミサを捜しますか。ここまで来たんだから、頂上まで行ってみよう。それで・・・もしそこにいなかったら、後は警察にお願いするしかないな。」
軽く屈伸して背伸びをし、水の溜まった腹をさすりながら登山を再開した。
そして登り続けること一時間・・・ようやくミサを発見した。
「ミサ!」
名前を呼ぶと、ミサは顔を上げて俺を見た。
「浩太・・・・。」
「やっぱり一人で山に登ってたのか・・・・。」
ミサは樹齢を感じさせる大木の根元にいた。膝を立てて座り込み、生気のない顔で震えている。
「顔が真っ青だぞ?まだお腹が痛いのか?」
「・・・違う。そうじゃなくて・・・・・。」
「まあいい。とりあえず戻ろう。心配してたんだから。」
ミサの横に膝をつき、背中に手を当ててさすってやった。そこで妙な感覚を覚え、思わず手を離してしまった。
「お前どうしたんだよ・・・滅茶苦茶冷えてるじゃないか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
ミサの背中はひんやりと冷たかった。とても人の肌とは思えないくらいに・・・・。
「ちょっと待ってろ。上着を出してやるから。」
リュックの中から薄手のジャンバーを取り出し、そっと肩に掛けてやった。
それでも震えが止まらないので、後ろから抱きしめて温めてやる。
「このままじゃ風邪引くぞ。少し休んだらすぐに戻ろう。歩けるか?」
顔を覗き込んで尋ねるが、ミサは何も答えない。それどころか、俺の言葉はまったく聞いていないようだった。
虚ろな瞳を動かし、俺の手を握って首を振った。
「浩太・・・・私のことはいいから・・・山頂まで登って・・・・。お願い・・・。」
「何言ってるんだよ。今は山なんかに登ってる場合じゃないだろ。早く下山しないと・・・・、」
「いいから登って来て!」
ミサは金切声を上げる。癇癪を起したように髪を振り乱し、強く何かを握りしめていた。
「何を持ってるんだ?」
「・・・・・花びら・・・。赤いやつ・・・。」
「花びらを・・・・。ちょっと見せてみろ。」
そう言って手を差し出すと、ミサは嫌々というふうに首を振った。
「見ないで・・・・。」
「見ないでって・・・なんでだよ?ただの花びらだろ?いいから見せてみろ。」
「やだ!」
ミサは頑なに拒絶する。まるでそこに大きな秘密があると言わんばかりに・・・・。
いつもなら強制してまで見せろなんて言うことはない。しかし今は違った。なぜなら・・・山道の入り口で拾った、あの赤い花びらのことがあったからだ。
あれに触れた時、確かにミサの声が聞こえた。幻聴ではなく、生々しいほどリアルに聞こえたのだ。
「ミサ・・・いいから見せてみろ。」
「いやだ!」
「なんでそんなに嫌がるんだ?たかが花びらだろ?」
「そうよ。たかが花びらよ。だから見せなくてもいいじゃない!」
「・・・・・・・・・・・・・。」
どうあっても見せるつもりはないらしい。俺は悪いとは思いながらも、ミサの手から強引に花びらを奪い取った。
「あ!ダメ・・・・、」
「・・・・・・・・・・・・・。」
それは俺が拾った赤い花びらにそっくりだった。桜というには赤く染まり過ぎていて、大げさな表現をすると、血に染まったような赤さだった。
しかし・・・・何も感じなかった。さっきみたいに、ミサの声が聞こえるということもない。
確かに嘘くさいほど赤い花びらではあるが、それ以外におかしな所は見当たらなかった。
「なんだよ、何もおかしなところはないじゃないか。別に隠す必要なんて・・・・、」
そう言いかけた時、俺は異変に気づいた。
「・・・ミサ?」
さっきまで隣に座っていたミサが、忽然と姿を消していたのだ。
立ち上がって辺りを見回してみても、どこにも姿はなかった。
「おいミサ!どこ行った?」
大声で呼びかけても返事はない。山道を見渡しても、誰もいなかった。
「ミサ!どこいった!返事をしろ!」
またもや不安が押し寄せ、息を切らしながら周囲を捜し回った。
人一倍体力のないミサが、いきなり姿を消すほど遠くへ行けるはずがない。
「あいつ・・・どこかに隠れてるのか?俺が強引に花びらを奪ったもんだから・・・。」
ミサは感情が高ぶると、まるで子供のような拗ね方をする。わざとこちらを不安にさせるような行為をして、仕返しをしようとするのだ。
「まったく・・・・さっきからなんなんだよ・・・。」
辺りは木立に覆われていた。隠れる場所なら充分にある。俺は一つ一つ木の裏側を確認してまわり、ミサの名を呼びながら歩き回った。
「・・・いないな・・・。どこに行ったんだあいつ・・・?」
頭に一瞬、馬鹿な考えが過った。
《まさか・・・・神隠しとか・・・?》
しばらく真面目に考えたが、すぐに頭を振って追い払った。
「馬鹿らしい・・・天狗でもいるってのかよ・・・・。」
不安と疲労のせいで足から力が抜け、近くの細い木の傍に腰を下ろした。
「まったく・・・こんなことになるなら、山なんかに連れて来なけりゃよかった。」
今さらぼやいても遅く、頭をかきむしって眉根を寄せた。
「もしミサに何かあったら・・・俺の責任だ・・・。あいつを失うようなことは・・・・絶対にあっちゃいけないんだ・・・。」
それはミサの為というより、自分の為だった。なぜならこの俺こそが、あいつを一番必要としているんだから。
ため息をつきながら細い木にもたれかかると、何かが頬に触れた。
「なんだ?」
手を触れてみると、それは赤い花びらだった。
「これは・・・もしかして・・・?」
思わず細い木を見上げてみると、そこには赤い花びらが満開に咲いていた。花弁は桜の形をしているが、色は血のように真っ赤だ。
「これだ・・・さっき拾った花びらはこいつだ・・・・。」
立ち上がって手を伸ばし、花弁を一枚抜いてみる。その瞬間、胸にチクリと痛みが走った。
「なんだ・・・?今胸の辺りがチクッとしたぞ・・・・。」
試しにもう一枚花びらを抜いてみると、また鋭い痛みが走った。思わず胸を押さえ、細い木を見つめた。
「この木はなんだ・・・?まだ若い木のようだけど・・・・。いや、待てよ!こんな木はさっきまでなかったぞ。」
細い木が立っている場所。そこはさっきまで俺とミサが座っていた場所だった。
「こんなに目立つ木があれば、すぐに気づくはずだ。確かにさっきまでは、こんな木はなかった・・・・、」
そう言いかけて、またも馬鹿らしい考えが頭を過った。
「・・・・・ミサが消えて・・・この木が現れた・・・。ということは・・・。」
細い木は、他の木に比べるとずいぶん弱々しい印象を受けた。それは木が細いからではなく、生気が薄いように感じたからだ。
「・・・死にかけている?この木は・・・死にかけているのか・・・?」
細い木は、今にも朽ち果てそうなほど弱々しい雰囲気だった。細いロープの上を歩くように、なんとか命を繋いでいる。そういう印象を受けた。
「この弱々しくて、切ない感じ・・・・ミサにそっくりだ。いや、でも・・・まさかな・・・。」
再び花びらに手を伸ばした時、また彼女の声が聞こえた。
《・・・浩太・・・・山頂へ行って・・・お願い・・・・。》
「ミサ!」
細い木に触れ、ミサの名を叫ぶと返事があった。
《いいから・・・早く山頂に行って・・・・。じゃないと・・・浩太が・・・・。》
「俺が・・・?俺がどうしたっていうんだ?いや、そんなことより、これはどういうことなんだよ?なんでミサが木になってるんだ?」
そう尋ねると、やや間を置いてから返事があった。
《・・・浩太・・・私のことは・・・大した問題じゃないの・・・・。それよりも、このままだと・・・浩太が辛い目に遭うから・・・。》
「俺が辛い目に遭う?どういうことだ?」
《・・・それは・・・浩太が一番よく知ってるはず・・・。一人ぼっちになる苦しみ・・・・また・・・・味わう羽目に・・・・、》
「俺が・・・また一人に・・・?おいミサ!さっきから何を言っているんだ?どうしてお前は木になって・・・・、」
《・・・山頂に・・・・男の人がいるから・・・・彼に会って・・・・話を聞いて・・・・。》
「山頂に・・・男が・・・・?」
《早く行かないと・・・・悪い奴がやって来る・・・・・。そうなったら・・・私は・・・もう二度と浩太と・・・、浩太と・・・・・・、》
そこでプツリと声が消えた。俺は細い木を掴み、揺さぶって話しかけた。
「おいミサ!どうした!返事をしろ!」
何度も揺すって呼びかけるが、もう声は返ってこなかった。辺りはシンと静まりかえり、山の静寂が不気味に感じられた。
「・・・なんだよ、さっきから・・・・。いったいどうなってるんだ・・・?」
混乱する頭を抱えながら、細い木の根元に腰を下ろした。不可解な出来事はグルグルと思考を掻き回し、まともに考えることが出来なくなる。
「なんだよこれ・・・。神隠しどころじゃないだろ・・・・・。まさか・・・まさかミサが木になるなんて・・・。」
細い木に腕を回し、ミサの頭を撫でるように手を動かした。スベスベとした樹皮は、まるでミサの肌そのもののように感じられた。
「ミサ・・・・。まさか・・・ずっとこのままってことはないよな?ちゃんと人間に戻ってくれるよな?」
それは質問というより、懇願だった。お願いだから、人間に戻ってほしい。じゃないと、俺はまた一人ぼっちに・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
木を抱きしめ、頬をすりよせる。ミサの体温を感じ取るように、じっと五感を集中させた。
「何がなんだか分からないけど、とりあえずお前の言うとおりにしてみるよ。これから山頂に向かってみる。だからここで待っててくれよ。」
樹皮にキスをして、名残惜しさを感じながら身体を離した。
あれほど疲労していた足も、今となっては軽く感じる。早く・・・早く山頂に登らなければ・・・・。そうでないと、きっと取り返しのつかないことになる。
手を振ってミサに別れを告げ、山道に躍り出て歩き出した。
「・・・ミサ・・・・ミサ・・・・・。」
ぶつぶつ呪文のように呟く俺を、すれ違いの登山客が訝しそうに見つめていた。

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