キャラクターは誰にでもある 演出した自分

  • 2019.01.20 Sunday
  • 15:13

JUGEMテーマ:日常

誰にだってキャラクターというのがあります。
自分が望む自分、周りがイメージする自分。
色んな要素が合わさってキャラクターが出来上がるわけですが、好かれる人というのは本人が望む自分と周囲のイメージが合致している人だと思います。
例えば忘年会の余興などで、面白い人が前に出て芸をやろうとしたら盛り上がります。
でも普段あまり喋らない人がいきなり前にでて「一発芸やります」と言ったら、えも言えない空気が流れるでしょう。
奇妙な緊張感、謎の恐怖。
そういうものが場を包んで、一気に酔いが冷めてしまうかもしれません。
もちろん一発芸が面白ければ問題ないんですが、「もしスベったら?」という想像がみんなの頭に過り、芸を見るまでは笑う雰囲気ではなくなるでしょう。
逆におちゃらけて面白い人がいきなり真面目になったら不安になります。
体調が悪いのかとか、お金にでも困っているのかとか。
本人は心を入れ替えて真面目にやっているだけだとしても、周囲からはそうは思われないでしょう。
等身大の自分、本当の自分、偽りのない自分、正直な自分。
飾らない自分を表す言葉はいっぱいありますが、果たして飾らないことが正しいのか?
私は周囲が描くイメージを演じるのも大事だと思っています。
それは仮面を被って生きるのとは少し意味が違ってきます。
仮面を被るということは、本音と建前の使いわけるってことです。
いつでもどこでも本音を見せたらトラブルだらけになるでしょう。
いつ何時も素の自分って人は少ないと思います。
しかしそれとは別にキャラクターを演じるというのも大事だと思っています。
きっと周りの人にはこういう奴だと思われてるとか、こういう目で見られてるとか、誰だってある程度は周囲からキャラクター付けされているものです。
その方が人間関係を作りやすいからです。
もしかしたら違うかもしれないけど、こういうキャラなんじゃないかって想像して話しかけた方が、なんとなく話しかけやすいものです。
逆にこういうキャラは無理だから近寄らないでおこうと思えば、無駄な衝突を無くすことにも繋がります。
もちろんあまりに酷いキャラクターを押し付けられた時は演じる必要なんてありません。
お前はイジられキャラだからってエスカレートしてイジメに発展することもありますから。
でもそこまでいかないのなら、周囲が描く自分のイメージを大事にするのは良いことだと思います。
等身大の自分もいいけれど、演出した自分も悪いとは思いません。

電波オークションをしないならテレビの未来は暗い

  • 2019.01.18 Friday
  • 12:41

JUGEMテーマ:日常

JUGEMテーマ:テレビ全般

イギリスではネットへの広告費がテレビへの広告費を上回っているそうです。
日本でもだんだんとネットの広告費が上がり、テレビが下がり気味だそうです。
民放はスポンサーの広告によって成り立っていますから、大きな死活問題です。
いまの所はまだまだテレビが上回っているようですが、これから盛り返していく見込みは少ないでしょう。
私は80年代後半から90年代のテレビを知っているので、いまのテレビを見ようとは思いません。
そもそも出演者のタレント自身が、自分の出ている番組を面白いとは思わない人がいるそうです。
芸能人の中でも、いまのテレビを面白いと思っていない人はたくさんいるでしょう。
芸人が視聴者を置き去りにしてバカ騒ぎしているだけのバラエティ。
事務所やテレビ局の事情により、キャスティングありきで進む演技もストーリーも見ていられないドラマ。
音楽は番組そのものが減っているし、紅白で見たいと思うミュージシャンも減っています。
そして一番の問題は報道でしょう。
捏造、ネットを情報源にしてしまう浅はかさ、裏を取らない適当な取材。
いったいどこの国のテレビ局?と思うほど、自国に対してなぜかネガティブな元国営放送さん。
笑えもしない毒舌を撒き散らすだけの不愉快な俳優上がりをMCに器用したり、そもそもニュースなんて語れないようなタレントさんをコメンテーターに据えたり。
テレビが見向きもされなくなる理由、数え上げたらキリがありません。
でも裏を返せば、そうでもしないと僅かな視聴率さえ取れないほど追い詰められ、落ちぶれてしまったのかもしれません。
あるニュース系の番組で、テレビの視聴時間のアンケートを取っていました。
一日に平均どれくらいの時間、テレビを見るのか?
5時間以上、2時間以上、30分未満など、幾つか選択するんですが、なんとその中に「まったく見ない」という選択肢までありました。
そもそもまったく見ない層はこの番組自体見ていないわけだから、こんな投票に意味はないでしょう。
80年代、90年代のテレビは間違いなく輝いていました。
お笑いも、ドラマも、音楽も、今よりもっとクオリティが高くて層も厚かったんです。
報道に関してだけは無茶な取材やら、過激な演出で、今とは違った意味で問題がありましたが。
だから報道番組に関しては、今も昔も期待なんてしていないし、本当にどうしようもない物だと思っています。
テレビ番組でまともなのはスポーツ中継だけだと思っています。
でもスポーツでさえもどこの国の局ですか?と聞きたくなるような報道もあったりしましたね。
ビートたけしさん曰く、いまのテレビには仕事もお金もないそうです。
社員はリストラにあったり、タレントはそもそも出演させてもらえる番組がなかったり。
テレビ好きな人には申し訳ないけど、すでに崩壊へのカウントダウンは始まっています。
唯一、テレビを盛り上げられる可能性のある電波オークションに関しては、どの局も反対しているようですし。
そもそもテレビ局が使っている電波って、テレビ局の物ではありません。
電波は限りある資源であり、総務省がその使用権を与えているに過ぎません。
国が管理してる資源なんだから、当然税金も使われているわけで、となれば電波オークションをやるのはむしろ当然に思えるんですが・・・・。
このままだと沈むと分かっている泥船。
電波オークションをしないなら、テレビの未来は暗いと思います。

街から消えていく本屋さん

  • 2019.01.14 Monday
  • 13:59

JUGEMテーマ:日常

街から消えていく本屋さんが多いです。
車で走っていて、そういえばここにも前に本屋があったなあと思い出すことがたまにあります。
今はまったく別のお店になっていたり、ひどい時は更地のままです。
今は荒地や空家も増えているから、少なくなっていくのは本屋さんに限った話ではありません。
でも寂しいなと感じます。
よく通った本屋なら尚更です。
そもそも紙の本の価値ってなんなんだろうと考えてしまいます。
パソコンや液晶は目が疲れるから本の方がいいとか、充電なんてしなくても読めるとか、本という媒体そのものが好きなんだとか、色々あるでしょう。
でもどれもピンとくる理由ではないように思います。
紙の本だって目は疲れるし、充電は必要ないけど汚れたり破けたりはあるし、デジタルという媒体で読むのが好きな人もいるでしょう。
色々言われることって、実は個人の好き嫌いの話なんじゃないかと思います。
本の本当の価値は情報にあると思っています。
歴史を振り返ってみても、文字の文化を持たない民族は、文字を持つ民族に侵略されたり滅ぼされたりしています。
いくら優れた技術や文化があっても、文字がなければそれらの継承は難しいです。
それに多くの人が共有することも出来ません。
情報の共有、次世代への継承。
一番良い方法は本を書く、そして読むということだったんでしょう。
でもこれ、逆にも言えます。
情報の共有と継承さえ出来るなら、必ずしも本でなくてはいけないというわけではありません。
もっというなら紙の本である必要性がどこまであるのか?ってことです。
紙の本に比べて電子書籍は売上が低いそうですが、消えていく本屋さんが多いのも事実です。
電子書籍に比べて売れているというだけで、現状ある本屋さんを賄えるほどの売上はないということなんでしょう。
それに電子書籍のおかげで、読書を遠ざかっていた若い人も、少なからず読むようになったということもあるでしょう。
生まれた時からネットがある世代は、当然のようにネットを使いますから、紙の本で知識を仕入れるという常識そのものが成り立たくなっているのかもしれません。
となると電子書籍は売れなくても、ネットそのもので知識を仕入れるわけだから、情報の共有と継承は出来ているということになります。
無論、ただの推測でしかないんですが、ネットの登場によって紙の本の地位が脅かされるようになったのは確かです。
ちなみに私は電子書籍を読みません。
本屋さんに足を運びます。
色んな本が置いてあるあの空間が好きだからです。
それに本屋さんに行けば、興味のない本でも手に取ることがありますから、知識の幅も広がります。
ネットに出てくるオススメの記事や動画は、似たようなカテゴリになりがちです。でも本屋さんにはそれがありません。
しかしそういった理由さえも、私の個人的な好き嫌いであって、紙の本を後押しする力にはならないことも分かっています。
デジカメが登場した時、ずっとフィルムにこだわり続けるといっていた人たちも、今は当たり前のようにデジカメを使っているでしょう。
あれこれと理由を並べてみても、便利で楽チンな道具の前には勝てません。
本屋さんの未来はどうなるのか?
完全に消えることはないでしょう。
でも今よりももっと数は減っていって、寂しくなってしまうでしょうね。

タイムスリップはできない なぜなら時間は存在しないから

  • 2018.12.24 Monday
  • 19:56

JUGEMテーマ:日常

時間は過去から未来へ流れるもの。
目に見えないだけで、そういった流れが実在していて、私たちは時間の流れの中を生きている。
疑問にすら思わない時間という存在ですが、これにNOを唱える学説があるそうです。
空間や物質と違って、時間を測定する方法はほとんどないことが理由だそうです。
時計の針が動いたからといって、過去から未来へ時間が流れているわけではありません。
あれはただ針が動いたというだけの事実であり、時間を測定する機械ではないからです。
時計を見て時間の経過を感じるのは人間の思考のせいであり、そもそも時間なんてものは人間の生み出した概念でしかないとう説なんだそうです。
過去、現在、未来。
この三つのうち、確かなものは現在だけです。
過去は記憶の中にしかなく、未来は想像の中にしかありません。
どちらも人の頭の中だけに存在しているんです。
時間とは状況や環境の変化を言い表す言葉であり、もしなんの変化もないのなら、時間の流れを感じることはないでしょう。
例えばなにもない真っ白な部屋に閉じ込められたらどうでしょう?
もちろん時計さえもありません。
きっと時間の流れなんてものは感じないでしょうね。
延々と今だけが続いていくような感覚だと思います。
何かが変化するから時間の流れを感じる。
確かなものは現在だけなので、つまりは過去も未来も存在しないということになります。
時間そのものが存在しないんだったら、タイムスリップして過去へ戻ることも無理です。
また光の速度に近いロケットに乗れば、相対性理論によって未来へ行けるそうですが、それもやはり無理ということなんでしょう。
光速に限りなく近いロケットで一年間宇宙旅行をして戻ってくると、地球では6年とか10年くらいの時間が過ぎているそうです。
しかしこれは未来へ行くというよりかは、ロケットの中と地球上では変化の度合いが違うというだけで、未来へタイムスリップとは少し違うような気がします。
時間なんて存在しない。
しかしその学者が正しいのかどうか、それさえも観測のしようがないそうです。
時間がないならタイムスリップなんて無理だし、大昔から今に至るまでずっと今が続いているというだけです。
何十億年か先、地球が滅んだ時でさえも今ということになります。
時間とか宇宙とか、こういった話は壮大すぎて、よく分からない部分が多々あります。
しかし時間が存在しようがしなかろうが、休日が明けたら確実に出勤日はやってくるし、逆に楽しい連休や夏休みもやってきます。
学者の中では重要なテーマでも、私たちが普通に暮らしていく分には、どちらであっても特に問題はないんだろうと思います。

嫌われてもいいと思っている人ほど寂しがり屋

  • 2018.12.23 Sunday
  • 17:57

JUGEMテーマ:日常

私はどちらかというと子供が好きな方ですが、生意気な子供だけは好きになれません。
最近ある高校生と話す機会があったんですが、ぜんっぜん礼儀がなっていませんでした。
歳を聞けばまだ16、高校一年生です。
まあこの歳なら少々生意気でも仕方ないかなと思ったんですが、生意気にも種類があります。
いわゆるツッパってる感じの生意気なら我慢できます。
社会に疑問を持ったり、何かを押し付けられることを嫌ったり、大人へと変化していく年頃です。
人によって程度の違いはあれど、社会や大人に反感を持つ年頃ではあると思います。
私自身にも経験があるので、まあこういう生意気なら我慢できます。
しかしそうではない生意気はムカっとします。
自分に自信を持つのはいいことですが、あまりにもそれが強すぎると、思い上がったような言動になるものです。
ツッパる生意気は我慢できても、思い上がったような生意気は我慢できません。
面と向かって注意しても聞きそうにないので、あえて皮肉っぽい言い方で注意してみると、意外とこういうタイプの子供は効くものです。
大人気ないかなとも思いましたが、自分の身内でもない子供が相手となると、我慢の限界があります。
ていうか身内でないからこそ、注意の仕方って難しいんですよね。
そういえば高校の頃の同級生に、こういった思い上がったようなタイプの生意気な子がいました。
ほとんど友達がおらず、先生からも好かれていないようでしたが、本人は気にする様子がありません。
嫌われる勇気とでもいうか、そこまでして自分を貫くなら、多少はカッコイイかなと思える部分もあります。
けど実際はかなりの寂しがり屋でした。
一人でいるのを嫌うというか、けっこう人目を気にする子だってあとから気づいたんです。
強がって見せても、実は周りと仲良くしたい。
でも意地みたいなのがあって上手くいかないんでしょう。
この前話した高校生の子は、その同級生とよく似ている感じでした。
嫌われてもいいから自分を貫く。
カッコイイですけど、実際はそういう人ほど人目を気にしているんじゃないかと思います。
好かれようとしている人は人目を気にし過ぎだというけど、逆もまた然り。
嫌われてもいいと思って生意気な態度を取る人は、同様に他人の目を気にしているんだと思います。
プライド、理想、自分は価値の高い人間。
だから周りとは違うし、合わせる気なんてまったくない。
でも心の底では仲良くしたいんでしょう。
しかし他人は自分の心の底まで考えて付き合ってくれません。
人付き合いというのはかなり表面的なもので、だからこそ色々と気遣ったり、気を揉んだりしてしまうものです。
あの子とはもう話す機会もありませんが、寂しいなら素直になった方がいいのになと思いました。

宇宙のことを考えるとわけが分からなくなってしまう

  • 2018.12.20 Thursday
  • 14:37

JUGEMテーマ:日常

JUGEMテーマ:宇宙

宇宙の果てには何があるのか?
誰でも一度は考えたことがあるでしょう。
特に寝る前とかに。
星の大きさも銀河の大きさも、さらにその上の銀河団や超銀河団の大きさも分かっているのに、宇宙の正確は大きさは分かっていないそうです。
なぜなら銀河がたくさん集まって出来ている銀河団がさらに集まって出来ている超銀河団がたくさんあるのに、それでもスカスカなくらい宇宙は広いからです。
夜、空を見上げると、星がたくさん見えます。
宇宙からだともっとハッキリ見えるそうです。
天体望遠鏡で捉えた写真だと、あちこちに星や星雲があって、宇宙は光に満ちているかのように思ってしまいます。
でも実際はかなりのスカスカ状態で、ほとんどが闇に覆われているそうです。
なぜならとてつもなく広くて、未だに膨張しているからだそうです。
人類が観測できる宇宙の限界は、何十億年とか何百億年とか、過去の大きさまでです。
観測した時点でそれは過去になるからです。
これは星にも言えることで、遠くに輝く大きな星の光は、何千年も何十万年も、あるいはもっと昔に放たれた光です。
だから実際にそこにあるのかどうかも分かりません。
行ってみたら消滅した後ってこともありうるわけです。
つまり夜に見上げた星空は、昔の宇宙の姿ということになります。
綺麗だと思っても、それは人類が誕生するよりもっとずっと昔の光景だったりするわけです。
私たちはどう頑張っても、宇宙の正しい姿を知ることは出来ません。
だから果ても分からないそうです。
たまに宇宙の大きさはこれくらいだって科学者がいるけど、あれは現時点で分かっている大きさを言っているだけで、数年後にはもっと広がったりするんですよ。
正確は大きさは不明で、もっというなら宇宙の歴史すら謎に包まれたままです。
ビッグバンは宇宙誕生後に起きた現象なので、宇宙誕生のキッカケではないそうです。
しかも何百億年か、もっとそれ以上前に起きたビッグバンの余波によって、今でも宇宙は膨張しているといいます。
もうわけが分かりません。
大きさも歴史もエネルギーも、宇宙規模になると人間の理解を超えてしまいます。
じゃあ宇宙の外側とか、そもそも宇宙が始まる以前はどうなってたのか?
哲学者の池田晶子さんと、ある物理学の先生の対談で、「無」はないと言っていました。
物質は超ミクロな目で見ると、紐みたいな物が振動しているだけで、その振動がなくなると消えてしまうんだそうです。
でも無になったわけじゃなくて、エネルギーに変わると言っていました。
物質はエネルギーの保存状態の一つだからだそうです。
宇宙がなければ時間も空間も物質もなくて、だからって無ってわけじゃない。
空っぽの真空状態なんだそうです。
真空って空気を抜いた状態のことじゃなくて、本来の意味は時間も空間も物質も存在しない状態のことだと聞いたことがあります。
でも無ってわけじゃなくて、エネルギーはあるんだそうです。
宇宙が始まる前の状態では、エネルギーだけが存在していた真空状態。
そして時々「ゆらぎ」が起こるんだそうです。
何かが生まれてパっと消えるみたいな感じだそうですが、よくイメージ出来ません。
でもって何かの拍子にインフレーションという現象が起きて、それがビッグバンへと繋がり、宇宙が生まれた。
・・・・うん、やっぱりわけが分かりません。
そもそも宇宙に関しては謎が多すぎて、専門家でも意見が180度違うってこともあります。
宇宙は膨張を続け、いつか冷え切ってしまうって意見と、あるところまできたら収縮を始め、昔の宇宙のように熱くなるって意見と。
要するにまったく分からんってことなんでしょう。
さらに宇宙は何もかも規模が大きすぎるから、地球との運命は断絶しているとも聞いたことがあります。
これは宇宙と地球は無関係ってわけじゃありません。
地球なんて宇宙からしたら膨大な星の一つに過ぎず、見えないほど小さいんだから、宇宙の出来事によって左右されるほど大きな存在ではないって意味です。
大企業の場合、重役が交代したからといって、現場のアルバイトに大きな影響が出ないのと同じようなものです。
だから宇宙と地球は運命的には断絶しているということになるんだそうです。
・・・・もうやめましょう、考えるだけわけが分からなくなります。
そんなことより近所のガソリンスタンドの値上げがいっこうに止まらない事の方が、私にとっては問題です。
大きすぎるものは見上げて楽しむもの。
あんまり空ばかり見てると、足元につまづきそうで怖いですから。

肉食は体に悪いのか?

  • 2018.12.07 Friday
  • 11:37

JUGEMテーマ:日常

絶対に肉を食べない人たちがいます。
動物が可哀想だから、体に悪いから、たんに嫌いだから。
色々理由はあるけど、体に悪いからというのは本当なのでしょうか?
人の体に欠かせないタンパク質を補うには肉が一番ですが、こんなエピソードがあります。
江戸時代のこと、飛脚という職業がありました。
マラソン選手みたいに長距離を駆け抜け、手紙や荷物を届ける仕事です。
とにかくスタミナが要求されるこの仕事ですが、肉食を禁止している江戸時代、飛脚たちは動物性のタンパク質をほとんど摂っていなかったそうです。
なのに平然と長距離を走り抜ける様を見て、外国人の医者は驚いたそうです。
彼らが肉を食べればもっと速く走れるようになるはず。
そう思って肉を食わせてみたところ、速くなるどころか遅くなってしまったそうです。
しかもスタミナまで落ちる始末だったんだとか。
逆のエピソードもあります。
肉を食べない時代、日本人の平均寿命は今ほど長くはありませんでした。
しかし沖縄の人たちだけはとても長寿だったそうです。
それは肉を食べていたからです。
元々は琉球王国という別の国なので、本土とは違った文化を持っています。
今でも沖縄の人は長寿だそうで、その秘密の一つにバラエティー豊かで栄養満点な食事が関係しているのではと言われているそうです。
それに西洋では肉食は当たり前でした。
だから体が大きく、力も強い逞しい体になります。
日本でも江戸時代以前は肉食は珍しくなかったそうで、戦国時代の武将には大柄な人が多いそうですよ。
肉食禁止は江戸時代に入ってからのこと、この頃に日本人の身長は150センチ前後にまで縮んでしまったそうです。
これは明治維新まで続き、最近になってようやく日本人の体も大きくなってきました。
肉食は確実に栄養があって、体格にも影響を与えます。
ならどうして飛脚は肉を食べて遅くなってしまったのか?
まずこの話そのものが真偽不明なので、ただの間違いということもあります。
けどもし本当だとしたら、どうして肉は悪影響を与えたのか?
おそらくですけど、長距離を走るという飛脚の性質上、肉食による体の変化はマイナスに働いたのかもしれません。
マラソン選手を見ればわかるように、長距離を走る人は小柄な人が多いです。
大きいと重くなるわけだから、それだけスタミナを消耗します。
小柄な方が長距離走に向いているわけです。
肉を食べれば筋肉や脂肪が付きやすくなるわけで、飛脚にとってはマイナスにしかなりません。
もちろん走るのに筋肉は必要なんだけど、筋肉にも種類があって、短距離走向きの筋肉と、長距離走向きの筋肉ではまったく違います。
例えばボディビルダーは筋肉の塊だけど、マラソンには向きません。
ムキムキマッチョな筋肉は瞬発力があるけど、長時間の稼働には向かないからです。
飛脚にはボディビルダーのような瞬発力はありませんが、代わりに長時間動けるスタミナに優れた筋肉があります。
しかし慣れない肉食によって、スタミナに優れた筋肉を維持できなくなってしまった。その可能性は大いにあるんじゃないでしょうか。
結局のところ、肉食が体にいいかどうかは、自分が必要としている肉体に見合うかどうかじゃないかと思います。
ムキムキになりたいなら必要だし、細身でいいならそこまで必要じゃないし。
ただし人の成長に肉は欠かせません。
肉を食べない人たちが、子供にも同じ食事を強いて成長を阻害する例があるからです。
大人と子供ではまったく違います。
成長期の子供には肉が必要なのです。
結論から言うと、肉食が体にいいかどうかはその人次第。
ただし子供に強制してはいけないものだと思います。

アルコール虚弱体質

  • 2018.11.29 Thursday
  • 12:16

JUGEMテーマ:日常

風邪を引きました。
喉と鼻をやられています。
頭もボーっとします。
ちゃんと防寒していたのにどうして風邪を引いたのか?
理由は簡単。
私はお酒に弱いんですが、そのクセに度数の高いお酒を飲んでしまったからです。
去年の初めにインフルにかかったんですが、あの時もお酒を飲んでからでした。
今年も体調を崩したことが何度かありますが、だいたい前日にお酒を飲んでいます。
どうも私も体はアルコールに弱いみたいで、他の人みたいにちゃんと分解出来ていないのかもしれません。
少しでも飲めば二日酔いになり、多めに飲むと風邪を引く。
かなりの虚弱体質です。
ガバガバお酒を飲んでもまったく酔わない人とかいるけど、あれは超人的な肝臓の持ち主です。
朝まで飲んでケロっとしている人もいますからね。
お酒を楽しむことが出来る人が羨ましいです。
酔っ払う前に気持ち悪くなり、酔ってしまったら眠くなり、次の日には確実に体調を崩してしまう。
きっと体そのものがアルコールを拒絶しているんだと思います。
好き嫌いって誰にでもあるけど、体が拒絶するから食べられない物ってあります。
見ただけで吐き気がするとか、匂いを嗅いだだけで飲み込めなくなるとか。
そういうのが理由で、これだけは食べられないって人がいます。
別にアレルギーとかじゃないんですよ。
ただただ体が拒否するんです。
これって単なる好き嫌いじゃなくて、細胞レベルで受け付けないってことなんでしょう。
要するに、その人にとってはこの食べ物は毒だって体が判断しているんです。
私の場合はアルコールがこれに当たります。
普段はまったく飲まないんですが、たま〜に飲みたくなる時があるんですよ。
そして誘惑に負けて飲んでしまったら最後、「何しとんじゃ!」って体が怒ってくるんですよ。
でもって体調不良。
美味いとか不味いとか、そういうレベルの好き嫌いじゃありません。
体自身が拒否する物は、飲んだり食べたりしない方が無難ですね。

今いるグループが合わないなら三つの選択肢しかない

  • 2018.11.28 Wednesday
  • 11:45

JUGEMテーマ:日常

どんなグループに所属していても不満はあるもので、それは職場でも友達でも同じでしょう。
けど嫌なことがあっても我慢し続けてグループにいるのは、一人になるよりマシだからです。
人間がもっともストレスを感じるのは孤独だそうで、凄まじい精神的ストレスがあるそうですよ。
それに困った事があっても誰かに手を貸してもらえません。
だから少々の嫌なことがあっても、人が集まる場所にいた方が得ということです。
でもどうしても我慢できない場合は、三つの選択肢しかないでしょう。
一つ、グループを抜けて一人になる。
二つ、別のグループに入れてもらう。
三つ、自分がリーダーになってグループを変える。
この中で一番簡単なのは一つ目です。
ただグループを抜けるだけでいいんですから。
でも上にも書いたように一人は辛いものです。
もっとも無難なのは二つ目でしょう。
自分に合ったグループに入ることが出来れば万々歳です。
でも前より酷いグループに当たることもあれば、新入りってことで一番下っ端に置かれることもあります。
無難ではるけど相応のリスクがありそうです。
三つ目はハイリスクハイリターンって感じでしょう。
自分がリーダーになれば、誰に気遣うこともないし、思うようにグループを変えられます。
けどそれを成し遂げる為には、まずは今いるリーダーを倒さないといけません。
もし負けたらイジメやシカトの対象になったり、酷い報復を受けたりと、かなりのリスクがあります。
それに自分がリーダーになるってことは、グループをまとめる責任もあるわけだから、あまりに勝手なことをしていると自分に跳ね返ってきます。
今度は自分が他の誰かにリーダーの座を追われたり、誰からも嫌われて最後は一人ぼっちになってしまったり。
どの選択肢も良い事だけではありません。
でも本当に頭の良い人なら、上の三つの選択肢以外の道を選ぶでしょうね。
それは今いるリーダーを引きずり下ろし、別の誰かをリーダーに据える方法です。
この場合、新しいリーダーとなるのは自分にとって都合の良い人を推薦します。
そうすればグループを思い通りに操りつつも、リーダーとしての責任を回避することが可能です。
何かあっても石を投げられるのは、自分の操り人形となっているリーダーなんですから。
要するに裏番長みたいな存在になるのが一番強いってことです。
だけどこんなのよほど頭が良くて、よほど状況判断能力が高くて、人心を掌握する技術のある人じゃないと無理です。
誰でも選べる選択肢じゃありません。
多分だけど、本当に凄い人って表に出てこないでしょうね。
過去の歴史でも、よく名前が挙がる人よりも、一切名前の出てこない凄い人がいるはずで、そういった人が本当の意味で歴史を動かしていたんじゃないかと思います。
人付き合いは大変だし、面倒くさいことも多々あります。
でも一人じゃ生きられないのが人間だから、我慢しつつ人付き合いを続けていくしかありません。
完全に一人の道を選ぶのはオススメしません。
かといってリーダーになるのはなかなか大変です。
さらに裏番長になれるような人はほんのひと握りだけ。
どうしても今いるグループに我慢できないなら、どこか他のグループに入れてもらうのが一番良さそうですね。

独りよがりは独りでやっていればいい

  • 2018.11.22 Thursday
  • 12:55

JUGEMテーマ:日常

秋、あちこちで色んなイベントがあります。
お祭りにフリーマーケットにと、見ているだけでも楽しくなります。
ただこういったイベントは準備も大変だろうなと思います。
飲食ならお店を出して、展示ならブースを設置して、ダンスや歌ならステージを設営して。
一人では中々難しいので、何人かで協力して準備をすることになります。
となると誰か仕切る人間が必要なわけですが、仕切る人間の能力と器によって、作業がスームズにいくかどうかが変わります。
もっと言うならイベントが楽しく終えられるかにまで影響してきます。
優秀な人ならテキパキ指示を出し、あっという間に準備を終えてしまうでしょう。
トラブルがあっても即座に対応、スタッフ同士の不満や衝突があっても、上手くまとめてしまったり。
仕切るのが上手い人って基本的には偉そうです。
けっこう口が悪かったり、態度も大きかったり。
言うなればガキ大将敵な人です。
でもそれでいいんだろうと思っています。
優しくニコニコしているだけでは人は動かせないし、身内のトラブルにも対応できません。
けっこうキツい言い方で、偉そうにあれこれ指示しても、ちゃんとリーダーとして仕事をしてくれる。
そういう信頼があるからこそ、みんながついていくんです。
問題なのは仕切る能力もなく、トラブルがあった時に対応できるだけの器もないのに、なぜか偉そうにしている人です。
自分の頭の中が全てになってしまい、ちょっとでも思い通りにいかないことがあると、周りに文句を言ったり、悪口を言いふらす。
時には癇癪に近い状態を起こしたり。
そういう人が仕切るイベントに参加したことがあります。
・・・・まあ酷いもんでした。
結果、イベントは上手く回ったんですが、それはどう考えても周りのおかげ。
なのになぜかその人は終わったあともグチグチ漏らし、まるで自分の力だけで成し遂げたかのように振舞っていました。
最終的にその人がどうなったかというと、年々協力者は減り続けていったそうです。
最終的には一人になってしまって、今ではイベントを続けているのかどうかも分からないそうです。
まあ当然ですよね、独りよがりなんですから。
能力があり、器も大きいから周りがついていく。
何もないのに偉そうに振舞ったって、人がついていくはずがありません。
だからこそ独りよがりなんです。
独りよがりなら独りでやっていればいい。
でもそういう人に限って、独りじゃ寂しいからと周りを巻き込むものです。
そしてワガママを撒き散らす。
せめて結果を出せるならいいのですが、大した結果も出せないのに、その自信はいったいどこから来るんだろと疑問になったのを覚えています。
仕切るって人の上に立つことです。
だから当然向き不向きがあります。
仕事で任命されたならいざ知らず、好きでやってることなら、上に立つ能力も器もないならやめた方がいいでしょう。
自分はリーダーには不向きであると自覚して、イベントの主催ではなく、誰かのイベントに一参加者として出る方がいいと思います。
でないとただただ周りが迷惑するだけです。

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM