猫又 八兵衛 第十話 ムクゲの願い(2)

  • 2014.12.26 Friday
  • 13:09
JUGEMテーマ:自作小説
タカシがさらわれた。俺が昼寝をしている間に、忽然と姿を消してしまった。
犯人はムクゲ。彼女がそんなことをするとは信じたくなかった。
信じたくなかったが・・・・しかし彼女の悩みを考えれば、そういう行動に出てもおかしくはなかった。
問題は俺の方にある。いくら昼寝をしていようと、まんまとタカシをさらわれるなんて・・・・。
別にムクゲのことは恨んじゃいない。いや、むしろ心配していた。
俺は二人の無事を願いながら、カミカゼと並んで電車に揺られていた。
駅に着いた俺たちは、しばらく歩いてあの臨界公園にやって来た。
この前と同じように梅が咲き、ほのかな匂いを漂わせている。
カミカゼは電車を下りてからずっと無言で、何かを話しかけても振り向きもしない。
そして海の見えるの広場までやって来ると、海辺に並ぶベンチに目をやった。
「ここにいるはずなんだ。もしそうじゃなかったらお手上げだ。」
そう言って肩を竦めて笑い、じっとベンチを睨みつける。
すると「いたいた」と呟き、俺を残して歩いて行ってしまった。
俺はカミカゼの向かう先に視線をやった。すると良く知る人影が二つあり、思わず叫んでいた。
「タカシ!」
先を行くカミカゼを追い抜き、二人の元へ走って行く。
ムクゲは「あ!」と驚いていたが、特に慌てる様子もなく微笑んだ。
「見つかったか。」
そう言って立ち上がり、少しバツが悪そうにはにかんだ。
「ムクゲ・・・・やっぱりお前が・・・・。」
「ごめんね、つい出来子心で。」
「タカシには何もしてないだろうな?」
「まさか。一緒に散歩してただけ。」
「本当か?養子がどうとか言っていたそうだが・・・・・。」
「あはは!本当に養子にするわけないじゃない。私は猫だよ?」
「そうだな・・・。でも普通の猫じゃない。変異の術を使えば完全な人間に・・・・、」
そう言いかけた時、カミカゼがグイと俺を押しのけた。
「ムクゲ、ここだと思ったよ。」
「あら?初めて出会った場所を覚えててくれたんだ。ちょっと意外。」
ムクゲは皮肉っぽく笑い、タカシの傍に膝をついた。
「タカシ君、何描いてるの?またゴリラ?」
「ガキなんてどうでもいい。俺の方を見ろ。」
「よく描けてるねえ。海の青がとってもいいよ。」
「こっちを見て話をしろ。」
カミカゼは苛立たしそうに言い、ヒョイっとタカシを持ち上げた。
「八兵衛、持っとけ。」
そう言ってタカシを押しつけ、ムクゲに向かい合った。
「お前・・・・死ぬ気だろう?」
「まあね。どっかの誰かさんが、いついまで経っても私のことほったらかしだから。ここらで人間にでもなって、子供でも産もうかなって。」
「馬鹿なことを言うな。協力者がいなければ、変異の術は失敗する。それくらい知ってるだろう?」
「もちろん。アンタよりキャリアは長いんだから。」
「だったら・・・・もういいだろ。変異の術を使うのを止めはしないが、死ぬのを黙って見過ごすわけにはいかない。せめて協力者を見つけてからにしろ。」
あのカミカゼが優しい口調で話しかけている。そんな姿を見るのは初めてなので、なかなか新鮮だった。
しかしムクゲは「何それ?」と笑い、途端に不機嫌になった。
「それってさ、要するに私と別れたいってこと?」
「そうは言っていない。しかしこのままだとお前は・・・・・、」
「心配してくれるの?」
「・・・・・ああ。長年連れ添った仲だからな。散々お前を振り回して、迷惑も掛けた。それは・・・・きっとこれからも続くだろう。」
「自分の悪いトコを治す気はないってことね?」
「その通りだ。俺は誰の言いなりにもならない。例え最愛の猫が相手だったとしてもな。」
「最愛だなんて言わないでよ。散々浮気を繰り返してきたクセに・・・・。」
「言い訳はしないが、謝りもしない。それが俺だと知っているはずだ。まあとにかく、変異の術はちょっと待て。俺に考えがあるから。」
カミカゼはそう言って俺の方に向き、手を伸ばしてタカシを掴んだ。
「ん!」
「大人しくしろ。別にとって食ったりしない。」
片手でタカシを持ち上げ、顔を近づけるカミカゼ。そしてニヤリと笑ってこう言った。
「なあタカシ・・・・お前、ちょっと変化してみないか?」
思いもよらないその言葉に、俺は思わず「は?」と口を開けた。
「お前は八兵衛と友達なんだろう?だったら一緒に変化してみないか?俺が手伝ってやるから。どうだ?」
そう尋ねられて、タカシは酷く困っていた。小声で「ん・・・・」と繰り返し、やがてジタバタと暴れ始めた。
「大人しくしろ!」
カミカゼは怖い顔で怒鳴る。タカシはビクリと肩を震わせ、途端に泣き出した。
「おい!乱暴はよせ!」
タカシを取り返そうとすると、思い切り突き飛ばされた。
「何をする!?」
「八兵衛、お前も協力しろ。」
「はあ?」
「猫又が力を合わせれば、他者を変化させることも可能なんだ。」
「・・・・そんなの初めて聞いたぞ。」
「お前が知らないだけだ。ただしその為には、変化する者の同意が必要だ。だからお前からタカシに説得しろ。そして大人の男に変化させて、ムクゲを抱かせるんだ。」
「だ・・・・抱かせる・・・・?」
「セックスだよ。」
突拍子もないことを言われ、頭が真っ白になる。しかしすぐに怒りが湧いてきた。
「ちょっと待て!お前はさっきから何を言ってるんだ?わけが分からないぞ。」
「鈍い奴だな。タカシを大人の男に変化させて、ムクゲに子供を産ませてやるんだよ。そうすりゃ協力者が必要という条件は満たされる。ムクゲは晴れて人間になれるってわけだ。」
「馬鹿を言え!そんなこと出来るわけないだろう!」
俺は立ち上がり、タカシを奪い返した。そして守るように抱きかかえ、カミカゼから遠ざかった。
「タカシ・・・・大丈夫だ。俺がついてる。」
「・・・・・・・・・・・。」
タカシは声を押し殺して泣いていた。そして首に手を回してきて、強く抱きついた。
「心配するな、お前には何もさせない。俺が守ってやるから。」
そう言って小さな背中を撫で、怒りのこもった目でカミカゼを睨みつけた。
「タカシは何も関係ない。猫又の問題に巻き込むな。」
「よく言うぜ。孤独の呪いをかけたクセに。」
「ああ、その通りだ。だからこそ守ってやると誓った。これ以上コイツには何も背負わせない。」
「ならムクゲはどうする?このままだと条件を満たさないまま術を使いかねないぞ。それでもいいのか?」
そう問われた俺は、迷うことなく「構わない」と答えた。
「ムクゲは大切な仲間だが、100年も生きたベテランの猫又だ。だから・・・・どうしても変異の術を使うというのなら、それなりの覚悟があってのことだ。しかしタカシは違う。コイツは俺のせいで呪いがかかってしまったんだ。背負わなくてもいい重荷を無理矢理背負わせてしまった。だから俺には責任がある。最後までコイツを守るという責任が。」
「そうかい。同族より人間を選ぶか。そこまで薄情な奴だとは思わなかった。」
「なんとでも言え。」
俺はタカシの手を引き、「帰ろう」と言った。
「こんな面倒事に関わる必要はない。よくよく考えれば、こんなものはよくある痴話喧嘩だ。あとはあの二匹で解決すりゃあいいんだ。」
俺はタカシの手を引いたまま、足早に公園を後にする。
ムクゲのことは気になるが、これ以上関わるとタカシに危険が及ぶ。そんなことはムクゲだって望んでいないだろう。
だからこれ以上ここにいてはいけない。後ろを振り返らず、広場の芝生を踏みしめながら歩いて行った。
するとタカシは急に足を止め、「ん」と振り返った。その視線の先にはムクゲがいて、じっとこちらを見つめていた。
「ん!んん!」
タカシは指を差し、足をばたつかせる。そしてムクゲの方へと俺を引っ張って行った。
「待て待て!そっちへは行かない。もう帰るんだ。」
「んん!」
「ムクゲは一緒に帰れない。アイツはあそこのデカイ男と話があるんだ。お前だって、もうあんな怖いおじさんに怒鳴られたくないだろ?だから帰ろう。」
「ん!ん!んん!」
「ワガママを言うな。帰ると言ったら帰るんだ。」
俺はタカシを抱きかかえ、再び歩き出した。しかし怒り狂ったように暴れるので、思わず落としそうになる。
「いい加減にしろ!ここにいたら、カミカゼがお前を利用しかねないんだ。」
「んん!!」
「タカシ・・・・頼むから落ち着いてくれ。」
なんとか抱き止めようとするが、タカシは俺の腕ほどいてムクゲの元に走った。
「ん!」
いつものように彼女の手を握り、こちらへ連れて来ようとする。それを見たカミカゼはタカシに手を伸ばしたが、ムクゲがバシ!っと叩き落とした。
「この子に触らないで。」
「ムクゲ・・・俺はお前の為に・・・・、」
「誰もそんなこと頼んでないわ。いいからちょっと黙ってて。」
ムクゲはジロリと睨みつける。カミカゼは何かを言いたそうにしていたが、ムクゲの視線を受けて口を噤んだ。
「ごめんねタカシ君、怖かったでしょ?」
そう言って頭を撫でると、タカシは「ん」と手を引っ張った。しかしムクゲは動かない。
まるで根の張った木のように、その場に立ち尽くしていた。
「タカシ君・・・・ごめんね。私はもうそっちには行けない。」
「んん!」
「違うよ、君のことが嫌いだからじゃない。むしろその逆。このまま君といたら、きっと私は過ちを犯してしまう・・・・。」
そう言ってタカシを抱き上げ、じっとその顔を見つめた。
「さっきね・・・・ちょっとだけ期待しちゃったんだ。もし君が協力してくれたら、私は完全な人間になれるって。ほんのちょっとだけどね。でも・・・・それは最低の考えだよね。八兵衛の言う通り、君はこれ以上何も背負わなくていい。なのに・・・・もし君が協力者になってくれたらなんて・・・・・そんなこと考えるのは有り得ないよね。」
ムクゲは悲しそうに言い、グッと唇を噛む。タカシから目を逸らし、海の方を向いた。
「このままタカシ君と一緒にいたら、私の想いはもっともっと強くなると思う・・・・。その時またそこのオスが誘惑をかけてきたら・・・・私は我慢する自信がない。君を傷つけてでも、人間になる道を選んじゃいそう。もしそうなったら、きっと自分を許せない。自分の悩みの為に、何も関係ない君を撒き込んだりしたら・・・・・そんなのはいくら謝ったって許されることじゃない。君にも・・・・・そして八兵衛にも。」
そう言ってムクゲは俺を振り返る。そしてタカシを下ろし、「八兵衛と一緒に帰りなさい」と言った。
「私はそこのオスと話があるから、タカシ君はもうお家に帰るの。」
「んん!」
「ダメダメ。どんなに駄々こねたって、私は行かないから。ほら、早く帰らないと八兵衛に嫌われちゃうかもよ?」
ムクゲはタカシの頬を挟み、「ほれ」と俺の方を向かせた。そして背中を押し、「行っといで」と手を振った。
「またいつか遊んであげるから、今日はもう帰るの。ね?」
「・・・・・・・。」
「泣かない泣かない。また三人で動物園に行こう。」
「・・・・ん。」
「よし、良い子!じゃあ八兵衛の所まで駆けっこだ!」
そう言って走るフリを見せ、また背中を押した。
タカシはしばらく迷っていたが、やがて俺の元に走って来た。そして切なそうな顔で、先ほど描いた絵を抱きしめていた。
「・・・・・帰ろう。」
手を差し出すと、タカシは渋々その手を握った。
芝生を踏みしめながら、一歩一歩ムクゲから遠ざかって行く。そして一度だけ振り向いた時、もうそこにムクゲはいなかった。
カミカゼの姿も消えており、きっとどこかでこれからのことを話し合うつもりなのだろう。
「ムクゲ・・・・変異の術を使うかどうかは、お前が決めることだ。でも・・・・どうか死なないでくれ。タカシが悲しむし、俺だってお前には生きていてもらいたい。」
彼女が座っていたベンチを見つめ、素直な気持ちを吐き出す。
そしてタカシの手を引き、臨界公園を後にした。


            *


翌日、新月の日がやって来た。
冷たい空気の朝空に、何もない青色が広がっている。
残念ながら、今日はタカシに会いに行くことが出来ない。
昨日そのことを伝えると、「問題ないです」と落ち込んでいた。
「何が問題ないだよ。新月の次の日に会いに行くと、いつもより倍増しで喜ぶクセに。」
タカシは我慢強い子だ。元々自分の気持ちを表に出さないところはあるが、それでも我慢強い。
時としてそれは不安に思うこともあり、もっと自分を表現してくれればいいのにと願ってしまう。
「自閉症がどうとかではなく、タカシは遠慮がちな性格をしている。昨日今日の仲じゃないんだから、もっと自分を見せてくれてもいいのに。」
こうやってタカシに不満を抱くということは、俺の心がアイツに向いているということだ。
元々はタカシを孤独から守る為に始めたことなのに、今ではアイツに会うのが楽しみになっている。
「タカシ・・・俺も新月の日は辛いさ。でもたった一日の我慢だ。また明日会える。」
朝の月の見上げながら、じっと目を細める。
俺の横ではさっきからバカップルがいちゃついていて、それを尻目に「よそでやってくれ」と言った。
「さっきから鬱陶しくて仕方がない。」
そう文句を垂れると、ゴンベエが「妬いてる妬いてる」と笑った。
「八兵衛が俺たちの仲に嫉妬してるぞ。」
「ふふふ、八兵衛はゴンベエを取られて寂しいのよ。親友なんだからたまには遊んであげたら?」
「いやいや、コイツはそんなタマじゃない。ただ俺たちの仲を妬いてるだけなんだ。」
「・・・・バカップルめ。いい加減に他所へ行け。」
尻尾でパチンとゴンベエを叩くが、まったく気にしちゃいない。
《ダメだなコイツら・・・・。完全に二匹の世界に没頭してる。》
こうなれば俺が移動するしかない。せっかく陽が当たって気持ちが良かったのに、鬱陶しいカップルのせいで寒い植え込みへと追いやられた。
しかしその時、ふと何かが頭に入って来た。
《なんだこりゃ・・・・。誰かの声が聞こえるぞ・・・・。》
じっと耳を澄まし、頭の中の声に集中する。
《聞き覚えのある声だ。これは・・・・カミカゼ?》
俺は植え込みから抜け出し、ぐるりと辺りを見渡した。
すると集会所の近くの畑に、黒い塊が寝ているのに気づいた。
「あれはカミカゼか・・・・?こんな朝に来るなんて珍しいな。」
相変わらずいちゃつくゴンベエ達が横目に、畑の中へ向かう。そして「カミカゼ」と呼びかけると、パタパタと尻尾を振った。
「朝の集会に来るなんて珍しいな。」
「そうでもない。昔はよく来ていた。」
「そうか。隣に座ってもいいか?」
「好きにしろ。」
「じゃあお言葉に甘えて。」
俺はカミカゼの横に座り、「あれ、大根の葉っぱかな?」と畑に植わった野菜を見つめた。
「カブだ。」
「へえ。カブと大根ってどう違うんだ?形か?それとも味か?」
「知るか。」
「俺は疑問に思ったことは質問しないと気が済まないんだ。」
「・・・・回りくどい言い方をするな。あの後、俺とムクゲがどうなったか知りたいんだろう?」
「いや、お前のことはどうでもいい。ムクゲのことを知りたいんだ。」
そう答えると、カミカゼはむくりと身体を起こした。
「はっきり言う奴だな。俺のことはどうでもいいってか?」
「だってお前は生きてるじゃないか。でもムクゲは死のうとしていた。だから・・・・どうなったか知りたいんだよ。アイツは無事なのか?」
「ああ、まだ生きてるよ。」
「そりゃ良かった!昨日は心配で眠れなかったんだ。きっとタカシも喜ぶ。」
そう言って尻尾を振ると、「それはどうかな・・・」と返された。
「含みのある言い方だな。あの後何かあったのか?」
「フラれた。」
「ん?」
「俺にはもう愛想が尽きたとよ。」
「それは・・・・ご愁傷さまで。」
「いいさ、いつかこうなると思っていた。」
「ウソだな。」
「なに?」
「さっきお前の心が流れ込んできたんだ。」
「・・・・読心の術を使ったのか?」
「いいや、不可抗力だ。」
「練習くらいしとけ。勝手に心を読んでると、そのうち取り返しのつかないことになるぞ。」
「それは制約のことか?」
「ああ。しかし教える気はない。」
「分かってる。俺が言いたいのいは、お前は今でもムクゲのことを愛してるってことだ。別れるなんて微塵も思ってなかったんだろ?」
ちょっと悪戯っぽく尋ねてやると、「・・・・ああ」と認めた。
「アイツは・・・・ずっと傍にいてくれるもんだと思ってた。もし別れるなら、とっくに別れてるはずだとタカを括ってた。
しかしそれは甘かった。俺は・・・・アイツに甘え過ぎていたようだ。」
「自覚はあるんだな。それで?フラれた後はどうした?」
「この町を去ったよ。」
「なんだって!?」
思わず声が上ずり、カミカゼに詰め寄った。
「去ったって・・・・どこかへ行ってしまったということか?」
「ああ。自分にとって確かなものを残す為に、この町を去ると言っていた。きっと協力者を見つけ出して、完全な人間になるつもりなんだろう。」
そう答えるカミカゼの目は、いつもと違って力を失くしていた。ギラギラと滾る眼光はなりを潜め、深い哀愁が漂っている。
「俺はムクゲのことを愛していたが、それ以上に自分のことを愛している。だから・・・・こうなっても仕方ないんだ。いくらでも打つ手はあったはずなのに、見て見ぬフリをして誤魔化してきたんだから・・・・。」
カミカゼはそう言い残し、畑から去って行く。
「おい!ムクゲはどこへ行ったんだ?」
「知らん。完全な人間になるまでは、この町には戻らないと言っていた。」
カミカゼは哀愁のある背中を見せながら、ノシノシとどこかへ歩いて行く。
俺はじっとその姿を見送り、心の中で呟いた。
《カミカゼ・・・・お前は本当にムクゲのことが好きだったんだな。》
奴が朝の集会に来るなんて、普通じゃ考えられない。きっとムクゲのことを胸に秘めておくのが辛くて、誰かがいる場所で休まりたかったんだろう。
そして・・・それはムクゲも一緒だ。アイツは本当に悩んでいて、だからこそカミカゼと別れた。
自分にとって確かなものを残すため、最愛の猫と別れてまで旅出っていった。
だから・・・俺はどちらの心も責めることは出来ない。
カミカゼのワガママな性格も、ムクゲの人間の子供を持ちたいという願いも、俺にとってはある種羨ましく映ったからだ。
「みんな強い意志なり夢なりを持ってるもんだ。あのゴンベエでさ、ハルという最愛の猫を手に入れた。なら今の俺には・・・・・、」
今の俺には何もない。そう言おうとしてやめた。
「・・・・タカシがいる。俺にはアイツがいるんだ。」
月のない空を眺め、タカシに会いたいと願う。
「ムクゲにもう会えないと知ったら、きっと泣くだろうな。いや・・・泣いてほしい。その方がムクゲも喜ぶだろう。」
どこかへ去った仲間を想い、寒い朝空を見上げた。

猫又 八兵衛 第九話 ムクゲの願い

  • 2014.12.25 Thursday
  • 14:04
JUGEMテーマ:自作小説
梅の咲く季節になった。
まだまだ空気は寒いが、ごく稀に春を先取りしたような日が訪れる。
俺はタカシと一緒に、海の見える臨界公園に来ていた。
もちろんムクゲもついて来て、その手に弁当を持っている。
しかしなぜか浮かない顔をしていて、海に映える梅を見つめながら、「はあ・・・」と息をついた。
「どうした?せっかくの小春日和に元気がないぞ。」
海沿いの広場を歩きながら、タカシの手を引くムクゲを振り返る。
するとまた「はあ・・・・」と息をつき、足を止めて海を眺めた。
「悩みがね・・・・」
「ん?」
「二つあるの・・・・。」
「そうか、二つも悩みがあるのか。複数のストレスは身体によくない。早急にどちらかを解決するべきだ。」
「出来るならやってるわよ・・・。ねえ八兵衛、私の悩みを当ててみて。」
「急に女の顔になって言うな。俺は恋猫でもなんでもない。」
「そうね・・・・。けど・・・・。」
ムクゲの顔は浮かない。タカシに目を向け、「養子に来る?」などとわけの分からないことを言い始めた。
タカシは「ん」と首を振り、背負ったリュックを引っ張った。
そして中からジュースを取り出し、ゴクゴクと呷って「ぷはあ」と唸った。
「あんまり飲んじゃダメよ。身体によくないから。」
「ん。」
「くれるの?・・・・ありがとう。」
ムクゲはジュースを受け取り、一口飲んでため息をつく。
「ねえタカシ君。君の両親は、どうして君を捨てたんだろうね?」
「おいムクゲ。」
唐突にとんでもないことを言い出すので、思わず割って入った。
「今日のお前は変だぞ。そんなに辛い悩みなのか?」
「あんたのせいよ・・・。」
「ん?俺の?」
「八兵衛が・・・・柿のお婆さんの話なんかするから、ずっと悩んでたの。」
「そうか。お前も進化に興味が・・・・、」
「違う。進化なんてどうでもいいのよ。私・・・・そのお婆さんの気持ちが分かるわ。どうして猫又は長生きするのか?あんたから話を聞いてから、ずっと考えてた。その結果・・・・私はある一つの結論に達したのよ。」
ムクゲはいかにも悲劇のヒロインを気取り、安物のドラマで見るような演技臭い顔をした。
そしてその表情のまま梅を見上げ、「カミカゼが・・・・、」としゃべり始めた。
「私ね・・・・カミカゼと結婚しようと思うの。」
「いいんじゃないか。ずっと前から付き合ってるんだし、猫なら式も必要ない。お祝いに煮干しでも送ってやるさ。」
「いらないわよ。ていうか、カミカゼが乗り気じゃないの。いくらポロポーズしてもはぐらかされるし、キャバクラや他のメスにも熱を上げるし。」
「元々がそういう性格の奴だ。付き合う前から知ってるんだろ?」
「そうだけど・・・。でも八兵衛の話を聞いたら、これから先のことを真剣に考えちゃったの。そのことをカミカゼに話したら、『若僧の話にいちいち悩むな』って怒られたわ。」
「カミカゼの言いそうなことだな。アイツは猫の気性を具現化したような奴だから、小難しいことや、何かに縛られるのが嫌なんだろ。どうしても結婚したいなら、他の猫に乗り換えるしかないな。」
「それも考えたわよ。でもねえ・・・・もう付き合いだして40年だし、今さら離れるっていうのもちょっと・・・・。」
「今だから離れたらどうだ?40年付き合って進展がないんだ。きっとカミカゼは誰のものにもならない。」
「ハッキリ言ってくれるわね。そんなの35年くらい前から分かってるわよ。」
ムクゲは不機嫌そうに唇を結び、タカシの手を引いて歩き出した。
「悩みはね・・・・それだけじゃないの。」
「ほう?」
「私ね・・・・子供が欲しいの。」
「いいじゃないか、産んだら。ていうか何度も出産してるんだろ?」
「子猫はね。でも人間の子供が欲しいの。」
「・・・・本気か?」
「本気。ここ最近、タカシ君と何度もデートをして、だんだんその想いが強くなってきた。私は人間に化けられるのに、どうして人間の子供は産めないんだろうって。」
「仕方ないさ。変化はあくまで術でしかない。一種のまやかしのようなものだ。種族そのものまでは変えられないさ。」
肩を竦めてそう答えると、ムクゲはまた足を止めた。
「どうした?またため息か?」
「いいえ、あるのよ。」
「ある?何が?」
「だから種族そのものを変えてしまう術が。」
「まさか。」
「猫又の術は、歳を追うごとに使える種類が増えていく。もちろん練習を必要とするけどね。そして数ある術の中で、『変異の術』っていうのがあるのよ。」
「なんだそれ?初めて聞くぞ。」
「あんたはまだ若いからね。これが使えるようになるのは、100歳を超えてから。私は今年で102歳だからもう使える。」
「練習は?」
「やってるわ。でも途中まで。だって・・・・この術は一度使うと、二度と元に戻れないから。
変異の術を使えば完全な人間になれるけど、猫又には戻れない。だから悩んでるのよ。」
「それは・・・・大きな悩みだな。」
俺はそう答え、頭の中で《変異の術ねえ・・・》と呟いた。
猫又の術は、いかがわしいことこの上ないものが多い。変化したり眠らせたり、中には自分の命と引き換えでないと使えないものもあるという。
今の俺に使えるのは変化の術だけだが、特に不便は感じたことはない。
もし仮に変異の術とやらが使えるようになったとしても、チリ紙とまとめてゴミ箱に捨てるだろう。
しかしムクゲは本気で悩んでいる。「長生きしても何も残らないんじゃ、寂しいなあ・・・・」と。
俺とムクゲではまったく考え方が違うようだ。それはオスとメスの差か?それとも猫又としてのキャリアの差か?
いずれにせよ、答えはムクゲが出すしかない。
俺はもうそれ以上は何も聞かず、小春日和のピクニックを楽しんだ。
タカシはいつものように絵を描き、海辺に立つドルドルを描いた。
海とゴリラ・・・・なかなか斬新なその組み合わせは、シュールでありながら美しいものだった。
そしてすぐに次の絵に取り掛かり、なんとムクゲを描いて見せた。
「ん。」
タカシはムクゲに絵を差し出す。それを受け取ったムクゲは「タカシ君・・・・・」と目を潤ませた。
「・・・・やっぱり人間の子供が欲しい!」
そう叫んでタカシを抱きしめ、「養子に来る?」と尋ねた。
タカシは「八兵衛とれんあいする」と答え、また次の絵に取り掛かる。
「フラれた・・・・悔しい!」
本気で悔しそうな顔で叫び、俺を叩いて八つ当たりをする。
その日のムクゲはずっと沈んだ顔をしていて、俺は少しばかりの責任を感じた。
《ムクゲがここまで繊細な奴だったとは・・・・。あの婆さんの話をするんじゃなかったな。》
家路につきながら、どうにかしてやれないものかと考える。
俺たちの間に挟まれたタカシは、両手を伸ばしてそれぞれの手を握った。
ムクゲはその時だけ幸せそうな顔を見せ、今日初めて微笑んだ。
「養子に来る?」
「八兵衛とれんあいする。」
「私の方がいいよ。私にしなよ。」
「ん。八兵衛。」
「・・・・・またフラれた。」
一瞬咲いた笑顔はどこへやら。再び奈落の底に沈むムクゲ。
家に着くまでの間、俺はずっと嫉妬の目を向けられていた。


            *


その日の夜中、俺は猫の集会に顔を出した。
最近はタカシに会いに行っているので、朝しか顔を出していない。
夜中に来るのは久しぶりなので、少し楽しみだった。
「ムクゲにはよく会うけど、他の奴らにはトンとご無沙汰だからなあ。特にヘチョコとモミアゲには。」
時刻は午前二時前。まだ誰も来ておらず、ブルリと震えながら植え込みに隠れた。
「夜は冷えるな。みんなが来るまで丸まっていよう。」
植え込みの中で丸くなり、冷たい風から身を守る。
そうして待つこと数分、二匹の猫又が歩いて来た。
「あれは・・・・ヘチョコとモミアゲか。」
御無沙汰の二匹が揃ってやって来たので、俺は「おい!」と尻尾を振った。
「おお、珍しいのが来てやがる。」
モミアゲは尻尾を振り返し、駆け足で近づいて来た。
「よう八兵衛、久しぶりだな。」
「ああ、最近はちょっと忙しかったもんでな。」
「タカシとかいう子供のことか?」
「そうだよ。毎日会いに行ってるんだ。」
「そりゃご苦労なこった。まあお前のせいで死ぬかもしれないんだから、自業自得っちゃあ自業自得だけど。」
そう言ってお気楽に笑い、後ろを振り返って「なあ」と尋ねた。
「ヘチョコもそう思うだろ?コイツは頑張ってるつもりかもしれないけど、要は自業自得ってことだよな?」
「身も蓋もない言い方してやるなよ。いくら八兵衛でも傷つくぞ。」
ヘチョコはこの前会った時よりも禿げていて、もはやスフィンクスまであと一歩という所まで来ていた。
「モミアゲは口が悪いんだ。気にするなよ。」
「慰めてくれるなんて優しいな。ありがたい先輩がいて涙が出るよ。」
「あ、それ馬鹿にしてる?」
「いいや、尊敬してるよ。ここのところ、いかに自分が未熟か思い知らされることが多かった。
だからちょっと先輩方の意見を仰ごうと、こうして参上した次第さ。」
「そのキザッたらしい言い回し・・・・相変わらずだな。カミカゼが聞いたら怒るぜ。」
ヘチョコとモミアゲは顔を見合わせて笑う。しかし俺の方は笑っていられなかった。
なぜなら今日ここへ来たのは、ムクゲのことを相談する為だからだ。
「なあ先輩方。ちょっと聞いてほしいことがあるんだ。」
真顔でそう言うと、二匹は笑いを止めた。じっと俺を見つめ、射抜くような視線を飛ばしてくる。
俺はその視線にたじろいだが、気を取り直して「実は・・・・、」と語った。
今日ムクゲから聞かされた悩みを話し、アイツの力になってやるにはどうしたらいいかと尋ねた。
二匹は困った顔で首を捻り、尻尾をパタパタさせながら黙っていた。
「ムクゲには世話になってるから、力になってやりたいんだ。俺なんかじゃ役に立たないかもしれないが、放っとくってのも冷たい気がするし。」
そう言って再度意見を求めると、モミアゲが口を開いた。
「気持ちは分かるが、それはムクゲ自身の問題だからなあ・・・。俺たちがどうこう言うことじゃないだろ。」
「それはその通りだが、ムクゲは随分と悩んでいたんだ。わざわざ俺に悩みを聞かせるってことは、誰かに力を貸してほしいってことだろ?」
「そうは言っても、アイツはチョンマゲの次に長生きしてるベテランだぜ。猫又としても立派だし、周りの猫からも慕われてる。どっちかっていうと、助けるよりも助ける側の方だろ。俺らごときじゃ何も出来ないって。」
「・・・・・ヘチョコは?ヘチョコはどう思う?モミアゲの言うとおり、俺たちじゃ何も出来ないか?」
そう尋ねると、ヘチョコは「変異の術をねえ・・・」と唸っていた。
「なあ八兵衛。ムクゲは本当に変異の術を使うって言ってたのか?」
「いや、まだ迷ってるんだ。あれは一度使うと元には戻れないからって。」
「まあそれもあるだろうけど、それ以上に問題があるんだよ・・・。」
「ほお?それはどんな問題だ?」
「いいか。人間にしろ猫にしろ、生まれ持った姿というのは、天から与えられたものだ。自然からの恵みと言ってもいい。それを後から変えてしまおうっていうんだから、これは自然の掟に逆らうことになるよな?」
「猫又なんてもん自体が自然に逆らった生き物だと思うが?」
「まあな。だからこそルールがあるんだよ。俺たちみたいなもんが何でもアリで行動したら、それこそあっという間にこの星の覇権を獲れる。」
「う〜ん・・・・その為のルールとは知らなかったが、要するに何が言いたい?変異の術には、何か大きな制約でもあるのか?もちろん元に戻れないこと以外で。」
「ある。」
ヘチョコは胸を張って言った。しかし毛が抜けて情けない姿なので、まったくカッコよくない。
しかしそれは口にせず、じっとヘチョコの言葉を待った。
「変異の術には二つのルールがある。」
「うん。一つは元に戻れないってやつだな。」
「そうだ。そしてもう一つは、協力者が必要ってことだ。」
「協力者?」
「天から与えられた姿を変えるには、それなりの理由がいるんだよ。」
「理由?」
「変異の術を使わなければ、絶対に実現しない想いが必要ってことだ。ムクゲは人間になりたがっていて、それは人間の子供を産みたいからだろ?」
「ああ、だから悩んでる。」
「ということは、ムクゲの目的ははっきりしてるってことさ。後必要なのは、その想いを受け止めてくれる協力者だ。ムクゲが人間になった暁には、彼女の想いを受け止め、子を成すのに力を貸してくれる男がいる。」
「まあ・・・そうだな。一人じゃ子供は産めないから。」
「八兵衛の話を聞いてる限りじゃ、今のムクゲにはそういう男はいなさそうだ。だったら変異の術は使えない。人間になった後に、自分の想いを全う出来るパートナーがいないからな。」
「ムクゲはカミカゼと結婚したいと言っていた。アイツも人間になってくれれば万事解決だが・・・・、」
「そりゃ無理だ。カミカゼがそんな頼みに応じるわけがない。第一まだ100歳じゃないから、変異の術を使えないし。」
「分かってる。じゃあどうすればいい?ムクゲはこのままじゃ人間になれない。」
そう言って肩を竦めると、「お前はバカか?」と睨まれた。
「ここまで言えば、お前に出来ることはいったい何か・・・・見当がつくだろ?」
「・・・・もしかして、協力者を探せってことか?」
「それ以外にないだろ。ムクゲに足りないのは協力者だけだ。だったらお前がそれを探してやればいい。そして・・・・その後のことはムクゲ自身が決めることだ。俺たちがどうこう言うことじゃない。」
今日、俺はヘチョコのことを見直した。ただの禿げた猫だと思っていたのに、さすが長く猫又をやっているだけある。
「見た目はアレでも、中身は大したもんだろ?」
そう言って笑うヘチョコ。俺は「心を読んだのか?」と尋ねた。
「読心の術だ。」
「そんなもん使わないでくれよ。」
「怒るなよ、お前だってもうそろそろ使えるようになるはずだぜ?」
「ホントか?」
「もう猫又になって十年経ったんだろ?じゃあ使えるはずだ。」
「知らなかった・・・次の術が使えるようになるのか・・・・。」
変化の術だけでも構わないと思っていたが、いざ新しい術が使えるとなると、途端に嬉しくなった。
「分かりやすい顔で喜んでるな。でもアレだぞ、ちゃんと制約はあるからな。」
ヘチョコはそう言って釘を刺し、「そんじゃ行くか」とモミアゲを振り返った。
「おい、どんな制約があるんだ?」
「さあな、自分で見つけろ。」
「お前までカミカゼみたいなこと言うなよ。もしまた下手をこいたら、それこそ死人が・・・・、」
「そうなったらお前のせいだ。」
「厳しいな・・・。さっきは慰めてくれたのに・・・・。」
「ソレはソレ、コレはコレだから。まあ失敗しながら覚えるのが上達の近道だ。そんじゃ俺たちはキャバクラに行ってくる。」
「またキャバクラか・・・・。」
「八兵衛も行くか?」
「いいよ、そういうのに興味はない。」
「そっか。じゃあモミアゲ・・・今日は俺がヤスハちゃんだからな。」
「分かってるよ。俺はアゲハちゃんで我慢する。」
二匹はウキウキと嬢の話で盛り上がり、仲良く夜の街へ消えて行った。
一匹残された俺は、ムクゲの為にこれから出来ることを考える。
「変異の術には協力者が必要か・・・・。じゃあまずはそれを見つけないとな。それと読心の術の制約についても調べないと。
今度ルールを犯すようなことがあったら、本当に誰かが死んでしまうかもしれない・・・・。」
猫又の術は便利だが、悪用すれば恐ろしい凶器に変わる。そうさせない為のルールや制約なんだろうけど、いったい誰がそんなものを作ったのか気になった。
「いったいどこのどいつがルールなんて作ったんだろう?猫又の組合でもあるのか?」
いつか誰かに尋ねてみようと思うが、きっと答えてもらえないだろう。
「まあいいさ。今はムクゲのことだ。とりあえず俺がやるべきことは決まったし、今日はもう帰ろう。」
集会所を後にし、トコトコと家に向かう。
今宵の月は大きく欠けている。あと何日かで新月になるだろう。
月のない夜は霊力が弱まる。それは猫又の術にも大きく影響し、新月には術を使うのが困難になる。
だから月の出ない日は、タカシに会いに行くのは控えている。
変化が出来ないと、電車にすら乗れないからだ。
「あと三日か四日後、タカシと会うのはお休みだな。きっと寂しがるだろうけど、こればっかりは辛抱してもらわないと。」
薄い月を見上げながら、タカシの顔を思い浮かべた。


            *


新月の前日、俺はタカシと一緒に絵を描いた。
タカシは例のごとくゴリラを、俺はなぜかムクゲを描いていた。
画用紙に八割れの顔がいっぱいに広がり、自分でも「どうして彼女を・・・」と驚いた。
するとそれを見たタカシが、「ん!養子」と言った。
「養子?ああ・・・ムクゲが冗談交じりに言っていたな。」
「養子。昨日も言われた。」
「昨日?もしかしてムクゲが会いに来たのか?」
「一昨日も。」
「マジかよ・・・。アイツ・・・まさか本気で養子にする気じゃないだろうな。」
「一緒に行こうって言われた。」
「一緒に?どこへ・・・・?」
「市役所。」
「んな馬鹿な・・・・。冗談で言っただけだろ?」
「今日も来る。養子にするって。」
そう言ってタカシはまた絵を描き始めた。
俺は何とも言えない顔で腕を組み、一抹の不安を覚えた。
《ムクゲの奴・・・・本気で言ってるのか?・・・いやいや、いくら何でもそれはないか。
アイツはキャリアのある猫又だ。そんな常識外れなことをするはずが・・・・・。》
そうやって自分に言い聞かせたものの、一抹の不安は拭いきれない。
まさかとは思いつつも、いまやムクゲに警戒心を抱き始めていた。
「タカシ、ムクゲは何時に来ると言っていた?」
「知らない。」
「そうか・・・・。じゃあ今日は泊まるよ。後でじいさんかばあさんに聞いといてくれるか?」
「問題ないそうです。」
「それはじいさんかばあさんが決めることだ。まあいい、自分で聞いとくよ。」
俺はくあっとあくびをし、タカシの隣に寝転んだ。
今日はパーカーのついた服に変化していて、頭まですっぽりと覆う。
「絵が出来たら起こせよ。」
「問題ないそうです。」
「ああ、心配しなくても明日まで一緒にいてやるよ。とにかく俺はちょっと寝る。昨日は色々と考え事をしていて、よく眠れなかったからな。」
「問題ないそうです。」
「おやすみ。」
腕枕をし、ごろりと寝がえりを打つ。タカシがペンを動かす音を聞きながら、目を閉じて眠りに落ちた。
・・・・・予知夢・・・・というのも、もしかしたら猫又の術なのだろうか?
俺は居眠りをしながら、とても生々しい夢を見た。
それはムクゲがタカシをさらい、強引に自分の子供にしようとする夢だった。
タカシは嫌がって助けを求め、俺に向かって手を伸ばす。
しかしムクゲはタカシを手放さない。『この子は私の子供よ!』と言い、変異の術を使った。
ムクゲは人間に変わっていく。それは変化の術とは違って、まるでゾンビのようにドロドロに溶けてから人間へ変わっていった。
ムクゲはいつもの美しい女性に姿を変え、完全な人間になった。
そして愛おしそうにタカシを抱き、そのままどこかへ消え去ろうとする。
しかし・・・途中で足を止めた。ガクガクと震えながら、何かに怯えている。
タカシはその隙に逃げ出し、俺の方へ駆け寄って来る。
『八兵衛!』
そう叫んで俺の胸に飛び込み、『ムクゲが死ぬ!』と泣いた。
俺はタカシを抱きしめながら、ムクゲの方を睨んだ。
『ああ・・・・八兵衛・・・・私・・・・消えちゃうわ・・・・。』
ムクゲはそう言って溶け始めた。ドロドロの粘土のように、形が崩れていく。
そして遂には消えてしまった。
『ムクゲ!』
俺は駆け寄り、彼女の立っていた場所に手をつく。
そこには血のようなものが滲んでいて、べったりと指に絡みついた。
『八兵衛。』
『タカシ・・・・来ちゃダメだ。』
『ムクゲ死んだ?』
『・・・・・・・・・・。』
『ムクゲ死んだ?』
『・・・・分からない。でも・・・・もう彼女は戻って来ない。』
俺は手についた血を睨み、それを鼻に近づけた。
よく知る彼女の臭いがツンと鼻を刺激し、脳天まで駆け抜ける。
その時誰かに頬を叩かれて、ふと振り返った。
「・・・・・起きたか?」
「・・・・カミカゼ?」
「随分うなされていたな。嫌な夢でも見たか?」
カミカゼは俺の横に座り、立派な尻尾を揺らしている。そして周りを見渡し、「ここがあのガキの家か・・・・」と呟いた。
「毎日こんな所まで通うとは・・・・ご苦労なことだ。」
「カミカゼ・・・・どうしてお前が?」
そう尋ねながら身体を起こし、ふと異変に気づいた。
「ん?タカシはどこ行った?」
庭にタカシの姿は見当たらなかった。それどころか、絵も鉛筆もなくなっている。
「家に戻ったか?」
そう呟きながら玄関を確認すると、靴がなかった。
「・・・・・・・・。」
背中に嫌な汗が流れる。俺は勝手に家の中に上がり、「タカシ!」と叫んだ。
居間にいたじいさんとばあさんが、何事かと目を向けて来る。
「タカシはいませんか?」
そう尋ねたが、二人とも首を振った。
「そう・・・・ですか。家の中にはいないと・・・・。」
じいさんとばあさんは不安そうに顔をしかめ、いったい何事かと口調を荒げる。
俺は「かくれんぼをしているんです。家にいないなら庭かな?」と首を捻り、カミカゼの元に戻った。
「おいカミカゼ!タカシを見なかったか?色白の丸い顔で、口の横に小さなほくろがあるんだ。」
「いや、見てない。」
「アイツどこ行ったんだ・・・。絵が出来たら起こせって言ったのに・・・・。」
こんなことは初めてだった。タカシは勝手にどこかへ行くような子ではない。
そう思って居眠りしていたのだが、油断は禁物だったようだ。
「悪いカミカゼ。ちょっとタカシを捜しに行って来る。」
そう言って猫の姿に戻り、足早に駆け出した。
「俺も行くよ。」
「お前も?なんで?」
「・・・・そのタカシという子供、もしかしたらムクゲがさらったかもしれん。」
「なんだって!?」
「それが心配でここへ来たんだ。ゴンベエに道を聞いたんだが、説明が下手糞だから迷った。
もっと早く来ていれば、こんなことにはならなったかもしれん。」
「どういうことだ?詳しく説明しろ。」
そう言って詰め寄ると、「とにかく捜しに行こう」と走り出した。
「なんだってんだ?」
俺は彼の後を追い、横に並んで尋ねた。
「なあ、ムクゲがさらったっていうのは本当か?」
「ここのところ、アイツの様子がおかしかった・・・。お前に変な婆さんの話を聞いてからな。」
「それは知ってるよ。ムクゲは人間になりたがってた。人間の子供を得る為にな。」
「そうか・・・お前も知ってたか・・・・。なら話は早い。下手をするとムクゲは死ぬかもしれん。」
「死ぬだって?それはもしかして・・・・変異を術のせいでか?」
そう尋ねると、カミカゼは「どうして分かった?」と怖い顔をした。
「・・・・実はな、夢を見たんだよ。ムクゲが死ぬ嫌な夢を・・・。」
俺はさっき見た夢のことを話した。するとカミカゼは「そうか・・・」と呟き、走るスピードを速めた。
「まず言っておくが、それは予知夢なんかじゃない。猫又にそんな力はないからな。」
「じゃあなんだっていうんだ?ただの夢か?」
「いいや、違う。きっと読心の術だ。」
「読心の・・・・?意味が分からないな。いったいどういうことだ?」
首を傾げながら問うと、カミカゼは「人間に化けろ」と言った。
「今から電車に乗る。ムクゲの行きそうな場所に心当たりがあるんだ。」
そう言って一瞬で阿部寛に似た男に化け、「お前も早く」と促した。
俺はいつもの冴えない男に化け、「質問に答えてくれ」と言った。
「読心の術っていったいどういうことだ?」
「お前・・・服が再現出来るようになったんだな。」
「そんなことはどうでもいい。質問に答えろ。」
「いいさ。でも電車に乗ってからだ。俺たちの町へ戻るぞ。」
カミカゼは駅に入り、切符を買ってホームに向かう。俺も同じように切符を買い、カミカゼとホームに並んだ。
「電車が来るまで時間がある。さっきの質問に答えて・・・・・、」
「ムクゲだ。」
「え?」
「お前はムクゲの心を読んだんだよ。それしか考えられない。」
「どういうことだ?どうして俺が彼女の心を・・・・?」
「ムクゲがタカシをさらったことは間違いないだろう。その時、お前は彼女の心を読んだんだ。」
「それは・・・ムクゲが近くに来たからか?」
「そうだ。読心の術は勝手に相手の心を読むことがある。上手くコントロールが出来ない場合の話だがな。
お前は猫又になって10年、ようやく読心の術が使えるようになった。しかしまだコントロールは出来ないはずだ。
だから勝手にムクゲの心を読んだんだ。」
「なるほど・・・・。それであんなに生々しい夢を・・・・。」
「お前の夢を聞いて、俺は確信した。ムクゲは・・・・死ぬつもりだ。」
「さっきもそう言っていたな。もっと詳しく聞かせてくれ。」
顔をしかめて尋ねると、ちょうど電車がやって来た。大勢の乗客が降りて来て、俺たちはそれを縫いながら中へ入った。
「さっきの話だけど・・・どうしてムクゲが死ぬんだ?」
「・・・・変異の術には条件がある。その条件を満たさずに行った場合、術者は死ぬ。それもヘドロのように溶けて、跡形もなく消え去るんだ。」
「おいおい、それじゃ俺の見た夢のまんまじゃないか。」
「違う。あれはお前の夢じゃなくて、ムクゲの心だ。アイツは自分が死ぬことを強くイメージしていたんだろう。言い換えれば、自分が死ぬかもしれない事をやろうとしているんだ。」
カミカゼは椅子に座り、窓枠に肘をついて外を睨んだ。
俺は彼の横に座り、「それはつまり・・・・、」と前置きした。
「アイツは死を覚悟して、変異の術を使うつもりってことか?」
「ああ。」
「でも・・・・あのムクゲがそんな馬鹿なことをするかな?俺みたいな若い猫又じゃないんだ。
条件を満たさずに術を使えばどうなるかくらいは・・・・、」
「もちろん知っている。しかしそれでも、アイツは術を使うつもりだ。」
「そんな・・・・。あの賢明なムクゲがどうしてそんなことを・・・・・、」
そう呟くと、カミカゼは「俺のせいかもしれない」と答えた。
「アイツとはもう40年も連れ添ってるが、大事なことはいつもはぐらかしてきた。それに加えて、お前からあの変な婆さんの話を聞いた。だから・・・・焦ったんだろう。このまま長く生きたところで、いったい自分には何が残るんだろうって。それを真剣に考え、悩んでいた。俺は相談を受けたが、やはりいつものようにはぐらかし、アイツを冷たくあしらった。」
「最低だな。そりゃムクゲも傷つくさ。」
「言い訳はしない。しかし謝るつもりもない。俺は誰にも束縛される気はないし、元々がこういう性格だとムクゲも知っているはずだ。」
「それこそ言い訳じゃないか。ムクゲの気持ちに気づいてたんなら、もっと早く手を打つことも出来ただろう?」
「そんなことは分かってる。お前に説教をされるいわれはない。」
カミカゼは不機嫌そうに皺を寄せ、流れる景色を睨んだ。
これ以上何かを言ったところで、余計に怒らせるだけだろう。だから話を変えた。
「それで・・・これからどうする?このままだとムクゲは死ぬし、タカシだって助けなきゃいけない。何か名案はあるか?」
「ある。だからお前に会いに来た。」
カミカゼは目だけをこちらに向かせ、頬杖をしたまま睨んできた。
「ムクゲを助けるには、お前の力がいる。だから会いに来たんだ。」
「そうか・・・・なら何でも言ってくれ。俺で出来ることなら力になる。」
そう答えると、カミカゼは「いい答えだ」と笑った。そして俺の肩を抱き寄せ、耳元でこう言った。
「八兵衛、そのタカシというガキ・・・・・ちと早いが男にしてやってくれ。」
そう言って意味ありげに笑い、また窓の外に視線を戻した。
俺は意味が分からず、カミカゼの横顔を睨んでいた。

猫又 八兵衛 第八話 不思議な老婆(2)

  • 2014.12.24 Wednesday
  • 13:52
JUGEMテーマ:自作小説
勘の鋭い人間というのは、時として実に厄介なものである。
今朝会った婆さんは、一目で俺の正体を見破った。
タカシの街に向かう電車でたまたま会い、「朝の猫でしょ?」と尋ねてきたのだ。
今は人間の姿をしているのに、いったいどうやって見破ったのか?
実に気になるところだが、それを尋ねるわけみはいかなかった。
なぜならそんな質問をしてしまえば、自分から「今朝の猫です」と認めてしまうことになる。
だから早く別れようと駅を出たのだが、生憎そうはいかなかった。
タカシの家に向かう道を、なぜか一緒に歩いている。
向かう方向が同じなのか知らないが、笑顔で俺の後ろをついて来た。
「猫でしょ?朝の猫でしょ?」
しつこいくらいにそう尋ねてきて、「変わってるねえ、人間に化けるなんて」と一人で頷いていた。
俺は肯定も否定もせず、ただ愛想笑いを浮かべていた。
《どう答えても不利になる。ここは黙ってやり過ごすしかない。》
今俺が願うことはただ一つ。この婆さん・・・・早くどこかへ行ってくれ!
婆さんはずっと俺を見つめながら、コロコロと音を鳴らして手押し車を押す。
そしてふと立ち止まり、民家から伸びる柿の木を見上げた。
「これねえ・・・渋柿だと思うんだけど、今時の子って柿とか食べるかしら?」
「食べると思いますよ。正月にも干し柿を食ってましたからね。」
「そっか、食べるんだ・・・・。」
婆さんはじっと柿の木を見つめ、懐かしそうに目を細めている。
「子供さんが?」
「へ?」
「だって干し柿を食べてたって言うから。」
「ああ、知り合いの子供ですよ。なんというか・・・友達みたいなもんです。」
「そう、子供さんがいるの。」
「だから友達ですよ。俺の子じゃないですからね。」
「私も子供が欲しかったんだけど、そうもいかなくて・・・・。寂しさを紛らわす為に猫を飼ったんだけど、そのせいで大の猫好きになっちゃった。けどねえ・・・・三代目もいなくなって、これから一人ぼっち。この歳だともう猫は飼えないし・・・。」
「どうして?世話は楽でしょう?」
「世話はね。でもほら、私は今年で96だから、ちょっと寿命がね・・・・。猫より先に逝っちゃうかもしれないし。」
「それは・・・・なんとも言えませんね。」
「大事なことよ、こういうのは。残された猫は、きっと保健所に連れて行かれちゃう。私のお向かいさんもたくさん猫を飼ってたんだけど、亡くなった後は全部保健所に持って行かれちゃった。近所の人がね、汚くなるからって電話したの。可哀想にねえ・・・・・。」
「それも・・・・何とも言えません。」
「同じ猫としては腹が立つんじゃない?」
「いいえ、私は人間ですから。」
「どうあっても認めないのね。じゃあ私もこれ以上は何も言わないわ。追い詰めちゃ悪いからね。」
婆さんはニコリと笑い、顔に皺を刻ませる。そしてコロコロと手押し車を押した。
「ねえ、ついて行っていい?」
「何がです?」
「これからその友達のところに行くんでしょう?ついて行っていい?」
「それは・・・・俺からは何とも・・・。タカシがどう思うか次第です。」
「タカシ君?男らしくて良い名前。」
「そうですか?」
「響きがいいわ。ちなみにあなたは?」
「八兵衛です。」
「カッコいいじゃない。」
「古臭いだけですよ。でも気に入ってるんです。」
「うん、自分の名前を好きになるのはいいことよ。」
婆さんはまたニコリと笑い、えっちらおっちらと手押し車を押していく。
俺は彼女の隣を歩き、少しだけ鼻を動かしてみた。
《・・・・もう臭いがしない。今朝とは違う服を着ているけど、着替えたくらいであの強烈な臭いが取れるものなのか?》
動物を焼いた強烈な臭いは、もうすっかり消えていた。いや、それどころか・・・・体臭というものを全く感じない。
いったいどうなってる?体臭のない人間など初めて会ったぞ・・・・。
「猫さん。」
「八兵衛です。」
「勝手にこっちに歩いてるけど、道は合ってる?」
「ええ、こっちで大丈夫です。そう遠くはないですから。」
「そう・・・。タカシ君、もし嫌な顔をしたら、私はすぐに帰るね。」
「いいですよ、そこまで気を使わなくて。ていうか、そもそもどうしてこの街へ?何か用事があったんじゃないんですか?」
「ちょっと懐かしい街なのよ。だから最後に見ておこうと思って。」
「最後ですか?どこかへ引っ越しを?」
「うん。だからもう見られないの。」
「・・・・失礼ですが、ご家族は?」
「いない。さっき一人って言ったでしょ?」
「そうでしたね。じゃあ親戚か誰かの所へ引っ越されるんですか?」
「・・・・・・・・。」
「お婆さん?」
「どこでもいいじゃない。猫さんには関係ないでしょ。」
「確かに。」
婆さんは急に口を閉ざし、踏切を越えて歩いて行く。俺は足を止め、その後ろ姿を睨んだ。
《96で身寄りもないのに引っ越しねえ・・・・。まさかとは思うが・・・・。》
俺は婆さんの横に並び、「猫ちゃん・・・亡くなったんですね」と尋ねた。
「そうなの。綺麗な三毛猫で、三代目のクロちゃんなのよ。」
「三毛なのにクロ?」
「初代が黒猫だったの。それ以来代々猫の名前はクロに決めてるってわけ。可笑しいでしょ。」
「いえ、呼びやすくて良い名前だと思いますよ。ちなみにいつ亡くなったんですか?」
「昨日。だから今朝焼いたの。」
「焼いた?自分でですか?」
「庭に小さな焼却炉があるのよ。本当はダメなんだろうけど、自分の手で弔ってあげたかったから。」
「なるほど・・・・自分の庭で・・・・。そのせいであんな臭いを・・・・。」
「ん?何?」
「いえいえ、こっちの話です。それよりもうすぐですよ。」
俺は前方に見える柿の木を指差した。それはタカシの家から伸びる柿の木で、塀を越えて道路に枝を伸ばしていた。
「あれも渋柿なんです。あれを干して食ったんですよ。」
「はああ・・・・さざ美味しかったでしょうね。」
「喜んで食べてましたよ。」
婆さんはじっと柿の木を見つめながら、また懐かしそうな目をする。
そしてタカシの家のまでやって来て、「よいしょ」と手押し車に腰かけた。
「長いこと歩いたから疲れちゃった。」
「ちょっとタカシを呼んできます。ここで休んでて下さい。」
俺は庭に入り、玄関のチャイムを押した。
「すいません、八兵衛です。タカシ君は帰ってますか?」
そう言って呼びかけるが、返事はなかった。
「変だな。いつもはじいさんかばあさんがいるのに。」
長くここへ通ったせいで、今やタカシの祖父母とはそれなりに親しくなっていた。
だからいつもならすぐに玄関を開けてくれるのだが、今日は誰も出て来ない。
いったいどうしたんだろうと思っていると、ふとある事を思い出した。
「ああ!今日はいないんだっけ・・・。法事がどうとか言ってたもんな。」
今日は確かじいさんの親戚の法事だったはずで、一日家を空けると言っていた。
家に誰もいなくなるので、タカシを一緒に連れて行くとも言っていた。
「なんだ・・・今日は来る必要がなかったか。」
肩透かしを食らった気分になり、ポケットに手を入れて外へ向かう。
「今日はいないみたいです。」
「あら?お出かけ?」
「法事です。でもまあせっかく来たんだから、庭でゆっくりしたらどうですか?」
「いいの・・・勝手に入って?」
「ええ、誰もいないから問題ありません。」
俺は婆さんの背中を押し、「さあさあ」と招き入れた。そして庭の大きな石に座らせ、「ちょっとお茶を淹れてきます」と裏口に回った。
「いいわよそんなの。お気使いなく。」
婆さんは遠慮がちにそう言うが、俺は無視して裏口に回った。
そしてすぐに猫の姿に戻り、こっそりと庭まで戻った。
足音を殺して婆さんに近づき、植え込みの陰に姿を隠す。
婆さんはまったく俺に気づいていない。寂しそうに石の上に座り、やがてぼそぼそと独り言をはじめた。
「・・・・ごめんね・・・・クロ・・・・ごめんね・・・・。」
手押し車からハンカチを取り出し、辛そうな顔で目尻を拭う。
何度も何度も「ごめんね・・・・」と謝り、唇を噛んで涙を堪えていた。
「もっと生きたかっただろうに・・・・私のせいでごめんね・・・・。許してね・・・・。」
俺に見られていることなど知らない婆さんは、唇を噛んだまま涙を流す。
クロの名前を呟きながら、痛みを我慢するように顔を歪めていた。
「また会えるから・・・・・許してね・・・・・。」
その言葉を聞いた時、自分の中の疑惑に確信を持った。
今朝嗅いだ、動物が焼けた臭いのこと。しかし今は何の体臭も感じないこと。それに96歳にもなって、身寄りもないのに引っ越しをしようとしていること。
さらには一目で俺の正体を見破り、それでいて特に驚く素振りも見せなかったこと。
それらのことがずっと気になって、この婆さんにある疑惑を抱いていた。
確信が持てないから口には出さなかったが・・・・今の婆さんの独り言で確信した。
《クロは死んだんじゃない。あの婆さんが殺したんだ・・・・。でもそれはクロを想ってのことであって、そうせざるを得ない状況だったから・・・・。》
婆さんの気持ちを思うと、グッと胸が痛んだ。
《婆さんがクロを殺したのは、クロを苦しませたくなかったからだ。なぜなら・・・・そのまま放っておけば、いずれクロは保健所に送られると思ったから。》
婆さんは言っていた。お向かいさんが亡くなった時、飼われていた猫は保健所に送られたと。
だったらそれを目の当たりにした時、きっと恐れたはずだ。もし自分が死んだら、クロも保健所に連れて行かれるのではないかと・・・・。
だからそれを阻止する為に、クロを殺した。なるべく楽に逝けるように、自分の手でその命を終わらせたのだ。
なぜなら・・・・自分はクロよりも先に逝ってしまったから。もうクロの面倒を見ることは出来ないから、せめて保健所に送られるのだけは避けようと・・・。
婆さんはまだ泣いている。鼻をすすり、ハンカチを握りしめて声を漏らしていた。
「婆さん。」
俺は植え込みから抜け出し、婆さんの前に立った。
「猫さん・・・・やっぱり今朝の・・・・・。」
「ああ、俺は今朝アンタに抱っこしてもらった猫だ。とある事情があって正体をバラせなかったが、もう隠す必要はない。
なぜなら・・・・婆さんはもう死んでるんだからな。」
「・・・・・気づいてたの?」
「確信を持ったのはついさっきだ。だって・・・・クロに謝るなんておかしいだろ?悲しむだけならともかく、どうして泣きながら謝るのか・・・・。それを考えた時、婆さんの正体が分かった。アンタはもう死んでるんだ。でもクロのことが気がかりだったから・・・こうして現世に留まって・・・・。」
そう言うと、婆さんは目を閉じて首を振った。
「・・・・ごめんなさい・・・黙っていて。」
「いいさ。自分から喋れば、クロを殺したことがバレてしまうかもしれないもんな。それは婆さんにとっては許せないことだろ?」
「だって・・・・クロはずっと傍にいてくれたのに・・・・私が・・・・・、」
「いいさ、俺は婆さんを責めたりはしない。だから顔を上げてくれよ。」
そう言って隣に座ると、婆さんは俺を抱きかかえた。今朝のように身体を撫でまわし、慣れた手つきで喉をくすぐる。
その手は優しく、そしてまったく体温を感じなかった。
「婆さん・・・・薄くなってるぞ。もうじき逝くな。」
「そうね・・・。クロに会ったら謝らないと・・・・。」
「きっと怒ってないさ。」
「どうしてそんなことが言えるの?あなたはクロじゃないでしょ?」
「・・・・そうだな。軽率な言い方だった、すまない。」
「ううん、こっちこそありがとうね。こんなお化けに付き合ってくれて。」
そう言って婆さんはニコリと笑った。深い皺がいくつも刻まれ、歳のいった大木の樹皮のように見える。
「なあ婆さん。こうして会ったのも何かの縁だ。俺でよかったら、最後に色々と聞かせてくれよ。」
「色々って・・・なにを?」
「俺の友達が言ってたんだ。最近は独居老人なるものが増えていると。だからこういう言い方をしたら失礼だろうけど、婆さんは寂しかったんだろ?いくら猫がいたって、やっぱり人間の話し相手が欲しかったはずだ。」
そう言って婆さんを見つめると、「はっきり言う猫ね」と笑った。
「でもその通り・・・・・。猫は可愛いけど、でも話し相手にはならない。だからこうしてついて来ちゃったの。
あなたなら話し相手になってくれるんじゃないかって。」
「もしかして・・・・最初から俺の正体を見抜いていたのか?」
「ええ。今朝見た時から、どうも普通の猫じゃないなあって感じてたの。お化け同士、何か通じるものがあったのかしら?」
「俺はお化けじゃない。猫又だ。」
「ああ、猫又!あの化け猫の?」
「違う。化け猫だと物の怪になってしまうだろ。猫又は怪物じゃないんだ。」
「そう、ならごめんなさい。」
婆さんは口元に手を当てて笑い、隣に俺を下ろした。
そして涙を拭いていたハンカチを丁寧に折りたたみ、そっと膝の上に置いた。
「じゃあ・・・お言葉に甘えちゃおうかな。」
「そうしろ。人間に化けた方がいいか?」
「・・・・そうね、せっかくだから。」
俺は婆さんの要望に応え、冴えない男に変化した。するとパチパチと手を叩かれ、「手品みたい!」と喜ばれた。
「死ぬ前にいいもの見たわ。あの世で自慢出来るかしら?」
「出来るさ。というより、婆さんはもう死んでる。」
「そうだったわね。ねえ八兵衛さん。私臭くない?大丈夫?」
「大丈夫だ。服さえ着替えれば臭いは消える。幽霊に臭いは付かないからな。」
「よかった・・・。臭いままじゃ恥ずかしくて話せない。」
婆さんは肩を竦め、畳んだハンカチに目を落とす。
そして皺が刻まれた指を動かしながら、ポツポツと自分のことを語り始めた。
俺はじっとそれを聞いていて、時折相槌を打って言葉を返した。
婆さんの言葉はゆっくりで、とても耳に馴染みやすい。
柔らかく、優しく、そして少しばかりの寂しさ。ずっと誰かと話したかっただろう想いを、余すことなく語ってくれた。
そして・・・・最後に「ありがとう」と呟き、そのまま消えた。
後には手押し車だけが残され、俺はゆっくりとそれを押してみる。
カラカラと車輪が鳴り、遠くへ行ってしまった主を呼んでいるようだった・・・。


            *


婆さんと会った翌日、俺は干し柿を買ってタカシの家に行った。
法事から帰って来たタカシは、俺を見るなり嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ん!」
「おお、焼き鮭か?」
「お弁当。」
「弁当?」
「法事の弁当。」
「ああ、残ったおかずか・・・・。俺の為に取っておいてくれたんだな。ありがとう。」
しなしなになった鮭を受け取り、一口齧って「美味い」と笑ってやる。
タカシは喜び、画用紙を抱えて庭の石に座った。そして図鑑を広げ、真剣な顔で鉛筆を動かし始めた。
「すっかり絵にハマったな。何を描いてるんだ?」
「ん。」
「またゴリラか。ドルドルか?」
「んん。」
「ドルドルに夢中だな。将来は嫁に行くか?」
「んん。」
「ああ、すまんすまん。お前は俺ととれんあいするんだったな。でもアレだ。もっと大人になったら、本当にれんあいしたい人に出会えるさ。」
「ん。」
「ほお!上手くなったな。ゴリラらしさがよく出てる。」
絵を褒めるとタカシは喜ぶ。無心でペンを走らせ、イメージの世界へ没頭していた。
「なあタカシ。お前・・・・木に魂が宿るって信じるか?」
タカシは答えない。自分の世界に没頭してペンを走らせている。しかし買ってきた干し柿を見せると、「んん!」と手を伸ばした。
「慌てなくてもやるよ。でもこの前食べたやつほど美味くはないぞ。スーパーの安物だからな。」
タカシは俺の手から干し柿を奪い取り、一口齧った。
「ん・・・・。」
「だから言っただろ、そんなに美味くないって。でもせっかく買ってきたんだ。たっぷり食え。」
俺は干し柿が入った袋を渡した。タカシは味に疑問を感じていたが、やがてムシャムシャと頬張り始めた。
「あのなタカシ、お前が法事に行っている間、俺は面白い婆さんに会ったぞ。どんな人だと思う?」
「・・・・・・・・・・。」
「描くか食べるかどっちかにしろ。行儀が悪いから。」
そう注意すると、タカシは迷うことなく絵を選んだ。どうやらスーパーの干し柿は、絵に勝るほどの魅力はないらしい。
俺は袋から一串頂戴し、薄く硬い干し柿を口に入れた。
「まあ・・・・飾りもんだな、これは。」
不満を言いつつも、食べ始めると止まらない。モゴモゴと柿を食べながら、絵を描くタカシを横目に続けた。
「その婆さんはな、大の猫好きだったんだ。まあお前がゴリラを好きなのと一緒だな。でもって、飼ってる猫より先に死んじまった。このままだと、猫が保健所へ送られるかもしれない。それを心配した婆さんは、現世に留まって猫を殺した。保健所で死ぬってのは、とても苦しいんだ。詳しくは言わないけど、楽には死なせてもらえない。だから自分の手で殺した。病院へ連れていって、安楽死させてもらったんだ。婆さんはそのことをすごく罪に感じていて、最後に俺に語ってくれたよ。猫のこと、今までの人生のこと、そして・・・・自分が人間じゃないってことを。」
ほとんど味のしない干し柿を頬張り、くちゃくちゃと口を動かす。
タカシの絵は進み、もうすぐ下書きを終えようとしていた。
「その婆さんな、実は木なんだよ。しかも柿の木だ。本来の寿命を超えて長く生きたが為に、猫又と同じようになってしまったんだ。それを聞いた時は驚いたけど、でもすぐに受け入れることが出来た。人間に化ける生き物ってのは案外多くて、キツネやタヌキ、俺たち猫又もそうだ。中には鳥だって人間に化ける奴がいるんぞ。」
「・・・・・・・・・・。」
「興味ないか・・・・。まあいい、勝手に喋らせてもらうよ。」
タカシは下書きを終え、色鉛筆に手を伸ばす。じいさんに頼んで買ってもらった、ちょっとだけ値の張るやつだ。
それを握り、子供にしては繊細なタッチで色を塗っていく。
俺は感心しながら目を向け、婆さんの話を続けた。
「人間に化けることが出来るようになった婆さんは、人間の子供が欲しいと思ったそうだ。ずっと同じ場所に佇み、長く人間の世界を見てきたから、自分も人間のような家庭が欲しくなったんだと。俺には理解できない感覚だが、何を求めるかは人それぞれだ。だから婆さんが人間の子供を欲しいと思ったことは、尊重しなきゃいけない。しかし残念ながら、婆さんは子供を持てなかった。まあ当たり前だな、だってただの木なんだから。生まれるのは胞子だけ。人間の子供なんて持てやしない。だからその代わりに猫を飼ったんだ。しかし猫を飼い続ける中で、ふとあることを疑問に思ったそうだ。何だか分かるか?」
答えないと分かっていながらも、ついつい尋ねてしまう。
絵は色を得てどんどん形を持っていく。ゴリラの腕、頭、そして体毛。それもが子供が描いたとは思えないくらいに見事に仕上がっている。
「ふふ、伊達にゴリラばっかり描いていないな。大人でもここまでは中々描けない。」
そう褒めると、タカシは絵を描きながらはにかんだ。どうやら褒め言葉だけは聞いているらしい。案外ちゃっかりした奴だ・・・。
「婆さんが何を疑問に思ったかというとな、『どうして自分はこんなに長く生きているんだろう?』ってことだ。とっくに寿命は過ぎてるのに、どうして人間に化ける力まで持って、長生きしているんだろう?答えの出ないその疑問を、婆さんはずっと考え続けた。最初の猫が死に、二代目が逝き、そして三代目の猫を飼った時も、まだ答えは出なかった。それでもずっと考え続けて、ふと気づいたそうだ。『ああ、自分は長生きしているんじゃなくて、時が止まっているだけなんだ』って。
化けられる姿は老婆だけ。いつでも死の傍にいるその姿で、何十年も生きてきた。そして自分が望んだものは何も手に入らず、話し相手すらいない。ならばそんな生に意味はなくて、人間に化けられるようになったその時から、時間が止まっているんだと。世の中はどんどん移り変わり、愛しい猫も三代目になってしまった。なのに自分だけが何も変わらない。周りは時代と共に変化するのに、自分だけは・・・・・・。
そう思った時、婆さんは寿命を迎えた。長く生きてきた柿の木は、死に向かって時間を刻み始めたんだ。そして飼い猫を残したまま死んでしまい、そのことだけが心残りとなって、現世に留まった。・・・・・ちょっと難しいか?この話。」
タカシに問いかけると、いつものごとく聞いちゃいない。
右から左へ流れる水のごとく、俺の話を聞き流している。でも・・・・それでいい。答えを求めて語っているわけじゃない。
俺はあの婆さんとの会話で、少し考えさせられえることがあった。それを胸の内に溜めておくのがしんどくて、こうして吐き出しているだけなのだから。
「婆さんは消える前、俺にこう尋ねたよ。『八兵衛さん、私はどうして長生きしてしまったのかしら?いつか答えが見つかったら、聞かせてちょうだい』そう言って、最後に「ありがとう」って消えていったよ。
俺はもちろん答えなんて持ち合わせていなかったけど、でも口にしようか迷ったことがある。
それは・・・・進化するってどういうことかってことさ。なんだか的外れだし、馬鹿なガキが言い出しそうな返し文句だからやめた。けど今でも残ってる。この胸に、進化するとは?生きるとは?それはどういうことかって残ってるんだ。
こんな言葉を返しても、きっと婆さんは納得しなかっただろう。でも寿命のない猫又だからこそ考えるんだ。進化が環境の変化に適応する為だけの手段だとしたら、あの婆さんは負け犬だってことか?長く生きた者が正しく、滅んだ者が間違いだってことなのか?・・・・俺にはどうもそうは思えない。
あの婆さんと話してから、ずっと気になってるんだ。だから・・・・話したかったんだよ。自分だけで考えるのはしんどいから、誰かに聞いてほしかった。つまらん話を長々として悪かったな。仮面ライダーの話でもするか?」
そう言って変身ポーズを決め、「新しい仮面ライダー、面白いな」と笑いかけた。
タカシはまだ絵を描いていたが、仮面ライダーの言葉に惹かれて顔を上げた。
しかしすぐに絵に戻り、丹念に、そして繊細にペンを動かした。
「描くのが早いな。目がいいやつは絵が上手いというけど、タカシは観察力に優れてるのかもな。」
本日三度目の褒め言葉に、タカシはまたはにかんだ。そして凄まじい勢いで背景を塗りつぶし、「ん・・・・」とペンを置いた。
「ゴリラ以外は適当か・・・・。これじゃ画家になる日はまだまだ遠いな。」
完成した絵を眺め、ふとあることに気づく。ゴリラの前に少年が立っていて、何やらオレンジ色の物を差し出しているのだ。
そのバックにはいくつもの木が描かれ、少年が手にした物と同じ、オレンジ色の物が実っていた。
「柿か・・・・・。案外この柿の木の中に、あの婆さんがいたりしてな。」
タカシは疲れたように息をつき、すぐに次の絵に取り掛かった。
「あまり無理するなよ。焦ったって画家にはなれない。」
「・・・・・・・・・・・。」
「もはや一心不乱だな。」
俺は苦笑いを見せ、タカシの絵に見入った。
背景を彩る柿の木たち。その中に婆さんを重ね、最後に問われたあの言葉を考えた。
「どうして婆さんが長生きしたのか、今はまだ分からない。けどいつか答えが出たら教えに行く。でもあんたの木はどこにあるんだ?」
肝心なことを言い忘れて逝った婆さんを想い、タカシの絵を空に重ねた。

猫又 八兵衛 第七話 不思議な老婆

  • 2014.12.23 Tuesday
  • 14:22
JUGEMテーマ:自作小説
年が明け、三が日の祝いも過ぎた頃、猫の集会所に一人の老婆がやってきた。
手押し車を押しながら、じっとこちらを見つめている。
その表情は喜んでいるのか怒っているのか分からず、口元は笑っているのに目は吊り上がっていた。
「なんだあの婆さん。見ない顔だな。」
ゴンベエは少し警戒しながら呟く。その横ではハルが「きっと一人暮らしの老人なのよ」と答えた。
「人間の世界では、独居老人っていうのが増えてるんだって。」
「そうなのか?ハルは物知りだなあ。」
「テレビでやってたの。孤独のまま死んじゃって、お葬式もないんだって。」
「そりゃ大変だ。坊さんが儲からなくなる。」
「ううん、お坊さんもなかなかにやり手だから、ネットのお墓のサービスとか始めたんだって。」
「ほお、それはナイスアイデアだな。猫の世界にもネットがあれば、バーチャルな集会とか出来るのに。」
「それいいわね!お友達が増えるわよ。」
ハルは嬉しそうに言い、「猫が文明を持つ日は来るのかしら・・・」と遠い目をした。
残念ながら、猫が文明を持つ日は来ないだろう。
猫の進化の系統は、明らかに文明を持つ方向には向かっていない。
人間の次にこの星の覇権を獲るのは、きっと頭の良い動物だ・・・・と思っているのだが、そうでもないらしい。
専門家の中には、下等な生き物が次なる支配者になると提言する者もいる。
例えばクモ。あんなものは猫のエサにもならないが、いったいどういう理由で地球の支配者になるのだろう?
他にはイカがこの星を支配するという学者もいる。もしそうなったら、靴屋が大繁盛だ。
「八兵衛?」
進化について考えを巡らせていると、ハルが顔を覗き込んできた。
「また考え事?眉間に皺が寄ってたわよ。」
そう言って眉間に皺を寄せ、俺の顔マネをして見せる。
「ちょっと猫の進化について考えていたんだ。残念ながら、どれだけ待っても俺たちはネットは出来ない。」
「そんなの知ってるわよ。冗談で言っただけ、真に受けないで。」
「いやいや、俺にとっては重要なことなんだ。」
「どうして?」
「猫又というのは、基本的には寿命というものがない。だから大きな怪我や病気をしない限りは、延々と生き続けるんだよ。」
「そうなの?」
「信じられないかもしれないが、平安時代より前から生きている奴もいる。」
「それはさすがにウソでしょ?」
「・・・・チョンマゲがそう言っていた。真偽のほどは知らない。」
「チョンマゲか・・・・なんかアテにならないなあ。」
ハルは首を振ってため息をつく。普通の猫からもこんな風に言われるなんて、アイツはどれだけ舐められてるんだか・・・。本当は凄い奴なのに。
「まあとにかく。この星の生き物がどんな進化を遂げるかは、非常に重要なことなんだ。なぜなら寿命がない猫又にとって、次なる支配者の出現は己の明暗を分けるからな。」
「もっと分かりやすく。」
「ん?ええっと・・・・例えばだな、もしハルが飼い主に捨てられたとしよう。」
「私のご主人はそんなことしないわ!」
「まあまあ、例えばの話だ。ハルは捨てられ、野良猫となってしまった。しかし運良く動物愛護団愛に保護され、猫の里親探しに出されることになった。」
「だから、私のご主人はそんなことしないって!!」
「わかった、じゃあゴンベエにしよう。」
「ダメ。ゴンベエは愛しい恋猫だから。」
「・・・・・じゃあチョンマゲだ。」
「それならいいわ。ほら、先を続けて。」
「可哀想なチョンマゲ・・・・・。」
「なんか言った?」
「いいや、独り言だ。」
俺は最年長のあの猫又を思い浮かべ、なぜか申し訳ない気持ちになりながら続けた。
「チョンマゲは猫の里親探しに出された。ゲージに入れられ、次なる飼い主を待っている。」
「うんうん。」
「ではここで質問。この時のチョンマゲは、いったいどんな気持ちで新しい飼い主を待っているでしょう?」
「分かんない。私はチョンマゲじゃないから。」
「そうだな。だからお前を例えにしたんだ。ここはグッと我慢して、チョンマゲを自分に置き換えてみろ。新たな飼い主を待つ時、お前はどんな気持ちになる?」
そう尋ねると、ハルはじっと考え込んだ。眉間に皺を寄せ、難しい顔で唸っている。
すると黙って見ていたゴンベエが、「俺が飼ってやるさ!」と叫んだ。
「俺がハルを飼う!だから心配するな。」
「ゴンベエ・・・・猫じゃ猫は飼えないわ。」
「いいや、俺は常識を覆す男だ。猫を飼った初めての猫として、ギネスに載せてもらうぜ。」
「ゴンベエ・・・・それってすごく素敵な夢だと思う。バカっぽいけど、でも情熱があっていい!」
「だろ?今日もハルの為に魚を獲ってやるよ。デカイのは無理だけど。」
「冬に魚はいないわ。でもその気持ち・・・すっごく嬉しい・・・・。」
二匹は愛おしそうに頬ずりをして、寄り添いながらどこかへ去ってしまった。
「・・・・・真面目に説明しようとした俺の立場をどうしてくれる?」
怒りのこもった目で呟きながら、先ほどの老婆に目を戻す。
老婆はまだこちらを見つめていて、相変わらず表情が読めなかった。
しかし猫に興味を示しているのは確かで、その眼差しからは熱を感じる。
俺はしばらく迷ったが、トコトコと老婆の方へ歩いて行った。
そして顔を見上げて、努めて可愛い声を出した。
「にゃあ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「にゃあ。」
「・・・・・・おいで。」
老婆は腰を屈め、俺の喉を撫でてくる。そして頭から背中、脇腹を撫で、また喉に戻ってきた。
その手つきはごく自然で、猫の扱いに慣れているのが分かる。
俺は老婆の手に身を委ね、腹を見せて「にゃあ」と鳴いた。
老婆はようやく笑顔を見せ、俺を抱いて膝の上に乗せた。
「飼い猫?よく懐くねえ。」
「にゃあ。」
「タマタマが付いてるからオスだね。でも毛並みはいいから飼い猫かな?」
「にゃあ。」
「猫がねえ・・・・飼いたいんだけど、どうもねえ・・・・。死なれた時に悲しいから。」
老婆はそう言って俺を見つめ、しばらく撫でていた。そしてそっと下ろすと、「またね」と言い残して去って行った。
俺はその姿を見送ると、ふんふんと自分の身体の臭いを嗅いだ。
「この臭いはなんだろうな?少し焦げた臭いがするが・・・・・。」
あの老婆に撫でられてから、身体じゅうに妙な臭いが染み付いた。
何かの焼け跡のような臭いだが、何を燃やしたのかまでは分からない。
「あまり良い臭いではないな。なんだかこう・・・・嗅いでいると不安になる臭いだ。」
臭いというわけではない。しかし決して好ましい臭いでもない。
どこかでこの臭いを嗅いだことがあるような気がするが、まったく思い出せなかった。
「・・・・まあいい。猫を撫でてあの婆さんも喜んでいたんだ。臭いくらい我慢してやるさ。」
そうは言ったものの、やはりこの臭いは落ち着かない。
だから早々に家に帰り、家族がいない間にシャワーを浴びた。
家に誰もいない時は、人間に化けて寛ぐことがある。
風呂に入ったり、ベッドで寝たり、ちょこっと人間の食べ物を頂いたり。
今日は夕方まで誰も帰ってこない。三が日が明けて、親戚の家に墓参りに行っているのだ。
「・・・・寛げる。飼い主の存在はありがたいが、時として鬱陶しく思うこともあるからな。まあ今日はゆっくりしよう。何かテレビはやってないかな?」
新聞のテレビ欄を広げ、人気ドラマの再放送がやっているのを見つける。
俺はコーヒーを淹れてソファに座り、リモコンを片手にチャンネルをいじった。
そしてクッションに足を乗せ、ソファの縁に頭を置くという、お気に入りの体勢でドラマに見入った。
「この役者も出世したな。前は子供番組で怪人をやっていたのに。」
30年も生きていると、世の中の変化に驚くことがある。
いや、わずか30年でこうなるのだから、300年近く生きているチョンマゲは驚くどころじゃないだろう。
「馬が乗り物として使われていた時代から生きてるんだ。車だのケータイだのが出て来た時には、さぞ仰天しただろうな。」
何気ない呟きから、先ほど考えていた「進化」について思いを巡らせた。
「文明も社会も変わっていく。進化とは決して前に進むことではなく、環境に適応する手段だと聞いたことがある。もしそうだとすれば、俺たち猫又はどう進化していくんだろう?寿命がないということは、病気や怪我さえ避ければ、十万年でも百万年でも・・・・・いや、何億年でも生きることになる。それだけ生きたら、進化するのには充分な時間だ。今から一億年先の未来、俺はもしかして猫じゃなくなってたりしてな。」
ふと考え出したことなのに、いちいち没頭のするのが俺のクセだ。
でもこのクセを嫌だと思ったことはなく、むしろ楽しんでいる。
「何がホモ・サピエンスだ。考えるのは人間だけじゃない。人間だけが特別じゃないって証拠だ。ざまあみろってんだ。」
そう言いながら柿の種を頬張っていると、ふとドラマの場面が変わった。
主人公の飼っていた犬が死に、火葬場に持って行かれたのだ。
それを見た時、「ああ、これだ!」と飛び上がった。
「俺の身体に付いた臭いは、生き物を焼いた時の臭いだ。そうだ、思い出したぞ・・・・。」
あれはいつだったか、火葬場の近くで昼寝をしたことがある。
普段なら絶対にそんな場所で寝ないのだが、あまりの空腹に身体を休めていたのだ。
「あの時はまだ野良になって間もなかったんだ・・・・。だから餌にありつけずに・・・・って、そうじゃない。この臭いだよ、俺が気になっていたのは。あの婆さん・・・・どうして動物を焼いた臭いを・・・・。」
身体に染みついたあの臭いは、かなり強烈だった。料理で肉を焼いただけじゃ、あんな臭いはしない。
もっと・・・・もっと長時間、動物が焼かれる煙を浴びていたんだ。
それも肉切れではなく、一匹の動物が丸々焼かれるほどの煙を・・・・。
「・・・・火葬場か?飼っていたペットが死んだから、火葬場へ行っていたのか?」
婆さんは言っていた。猫を飼いたいけど、死なれた時が辛いと。
だったら飼い猫を亡くして、今日火葬場へ行っていたのかもしれない。
「・・・・・いや、それは無いか。いくら火葬場といえども、あそこまで臭いが付くわけがない。ずっと焼いている傍に立っているわけじゃないんだから。それに俺が火葬場の臭いを嗅いだのは、随分と昔だ。今はモクモクと臭いが出るような焼き方はしないだろ。だったらなぜだ?どうしてあんなに強烈な臭いを・・・・・。」
どうでもいいことを考えるのが俺のクセ。そしてそれを楽しむのが俺の性分。
「・・・・あの婆さんの家に行ってみるか。明日また集会所に来たら、どうにかしてついて行ってやろう。」
俺は残ったコーヒーを呷り、うんと背伸びをした。そしてふと時計に目をやると、午前十一時前を指していた。
「今日は土曜だったな。もうそろそろタカシに会いに行ってやるか。」
もう少し寛いでいたいが、タカシと会う約束をすっぽかすわけにはいかない。
タンスから服を拝借し、袖を通そうとした。しかしふと手を止め、服を戻した。
「・・・・もうそろそろ服くらい再現出来るようにならないとな。」
カミカゼにアドバイスを受けたあの日から、変化の術には磨きをかけてきた。
特に満月の晩には、これでもかというほど練習を積んだ。そのおかげで、三回に一回は服を再現できるようになった。
「毎回裸に変化するのはカッコい悪い。今日は自前でタカシの所に行ってやろう。」
俺は本棚に向かい、ギッシリと詰められた雑誌に手を伸ばす。
そして男性用のファション誌を開き、自分に似合いそうな服を探した。
「いつも変化するのは、あの冴えない男だからなあ。なら冴えない男に似合う服・・・・もとい、良く見せる服を選ばないと。」
向井理モドキに変化してもいいのだが、タカシにはいつも冴えない男の姿で合っている。
今さら姿を変更するのも躊躇われ、やはり冴えない男に化けるしかなかった。
元がカッコいい男なら、大抵の服は似合う。しかし元がイマイチだと、ちょっと気を使わないといけない。
俺は熱心に服を選び、これだと思う物に目を付けた。
そして雑誌のページを開いたまま、頭の中に強くイメージしてみる。
「これならかなり目立つ。冴えない男でも引き立つだろう。でも・・・ちょっと斬新か?」
選んだ服にちょっとばかりの不安を感じながら、変化の術を使う。
すると赤色のジーンズに虹色のシャツ、そしてゼブラ模様のジャケット姿となった。
早速鏡の前でチェックし、自分のセンスを確かめる。
「・・・・悪くないな。元が地味だから、これくらい派手は服装でもいける。」
モデルを気取ってクルリと周り、「よし!」と頷いてから家を出る。
いつものように駅に向かい、いつものように電車に乗る。
そして何気なく椅子に座ると、向いに今朝会った婆さんがいた。
「あ!」
声を掛けそうになるが、慌ててやめる。
《この姿で話しかけたって、俺だと分かるわけがない。》
浮かしかけた腰を戻し、腕を組んで婆さんをチラ見する。
婆さんはじっと目を瞑っていて、手押し車に手を掛けていた。
その体勢のまま微動だにせず、まるでよく出来た彫像のようだった。
やがて電車はタカシの街に到着し、俺は婆さんを見つめながら降りた。
すると婆さんもよっこらしょっという感じで立ち上がり、手押し車を押しながらドアへ向かった。
しかし動きが遅く、もたもたしているので後ろを塞いでいる。
イラついた乗客の一人が舌打ちをしたので、そっと婆さんの手を引いてやった。
「足元に気をつけて。それと車は持ちます。」
「ああ、すみません・・・。」
婆さんは申し訳なさそうに謝り、ゆっくりと電車から降りる。そして丁寧に頭を下げ、「ありがとう」と微笑んだ。
「いえいえ、それじゃ。」
そう言って笑顔を返した時、婆さんは思いもよらないことを呟いた。
「・・・・あの・・・・朝の猫?」
「え?」
「あのぶち模様の猫でしょ?」
「・・・・・・・・。」
思わず目を逸らす。鼓動が高まり、緊張で胸が張り裂けそうだった。
《どうして分かる?いや、それよりもだ・・・・・。もし正体に気づかれたら、この婆さんは・・・・、》
猫又の正体を知ることは死を意味する。
孤独の呪いがかかり、辛い中で自分の命を絶つことになる。
もしそうなったら、俺はこの婆さんを助けられない。タカシのことでさえ精一杯なのだから、二人も相手にしていられない。
しかし婆さんがそんな心配に気づくはずもなく、「猫でしょ?」と顔を近づけてくる。
俺は立ち竦み、ただ首を振るしかない。
婆さんに詰め寄られる俺を、駅の乗客たちが見つめていた。

猫又 八兵衛 第六話 呑兵衛のゴリラ(2)

  • 2014.12.22 Monday
  • 14:43
JUGEMテーマ:自作小説
ビールが好きなドルドルというゴリラがいる。
彼は狭いの檻の中で、ある夢を抱いていた。
ドルドルはその夢を叶える為、チョンマゲにある頼み事をした。そしてなぜか俺も手を貸すことになってしまった。
時刻は午後九時。俺とチョンマゲは再びあの動物園に来ていた。
一日に二回も動物園に来るとは思わなかったが、来てしまった以上は仕方がない。
俺とチョンマゲは顔を見合わせ、目と目でお互いの気合いを確認する。
動物園はとっくに閉まっていて、鉄の門が入口をふさいでいる
俺は夜の園内を眺めながら、「本当にやるのか?」と尋ねた。
チョンマゲは何も言わずに微笑み、門の隙間をすり抜けていった。
俺も後に続き、閉園した動物園に足を踏み入れる。
どの檻にも動物はおらず、獣舎に引っこんでいるようだ。
「誰もいない檻が並んでる・・・。こうして眺めると寂しいな。」
そう呟いて感傷に浸っていると、「早く来い」と呼ばれた。
俺たちはサルの檻を抜け、売店の横を通り、そして小さな遊園地を尻目に、明かりのついた建物の前までやって来た。
「ここが詰所だ。中に飼育員がいる。」
チョンマゲはそう言って近くの木に飛び乗る。そしてじっと中を見渡し、「アイツだ・・・」と呟いた。
「おい八兵衛。もうじき獣舎の見回りが始まる。・・・・しくじるなよ。」
チョンマゲはいつになく真剣な顔で言う。俺は「分かった」と頷き、詰所の前で待ち構えた。
・・・・そのまま五分ほど待つ。するとドアが開いて、三人の飼育員が出てきた。
《どいつも違うな。早く出て来いよ。》
近くの木に身を隠し、じっと詰所を睨む。
するとまた一人の飼育員が出て来て、うんと背伸びをした。
《来た!アイツだ!》
詰所から出て来たのは、ドルドルにビールを渡していたあの飼育員だった。
まだ若そうな顔をしているが、よく見ると皺が多い。きっと見た目より歳がいっているんだろう。
ドルドルの飼育員はポケットからタバコを取り出し、少し離れた所にある灰皿まで歩いて行く。
《チャンス!》
俺は木陰に身を隠したまま、じっとその様子を窺った。
飼育員はタバコを吹かし、旨そうに煙を吐き出す。そして大きなあくびをして、疲れたように首を回した。
しかしその時、急に「あれ?」と言ってふらつき始めた。
ヨタヨタと酔っ払いのようにふらつき、遂には寝転んでしまった。
タバコが手から転がり、赤い火を灯したまま黒い影にぶつかって止まる。
その黒い影はタバコを咥え、ヒョイっと灰皿に投げ入れた。
そして飼育員の腰の辺りを探り、何かを取り出してこちらに走って来た。
「よしよし。鍵は奪ったぞ。」
そう言ってこちらに走って来たのはチョンマゲだった。咥えた鍵を足元に落とし、「上手くいったな」と笑う。
「・・・・・凄いな。眠りの術を使えるなんて。」
感心してそう呟くと、「お前もいずれ使えるようになるよ」と尻尾を振った。
「あの飼育員・・・・どれくらいで目を覚ますんだ?」
「ん?まあちょっと強めにかけたから、だいたい三時間くらいじゃないか。」
「それまでどこに隠す?」
「どっかその辺でいいだろ。そんなことよりお前はドルドルの元へ行け。ほれ。」
そう言って鍵を蹴り、俺の前に寄こした。
「いいか八兵衛。ドルドルは覚悟は出来ていると言ったが、さすがに死なせるわけにはいかない。」
「分かってる。」
「見つかってもアウトだ。ドルドルは二度とビールが飲めなくなるし、あの飼育員・・・・いや、この動物園そのものが責任を問われる。」
「それも分かってる。」
「よし、それじゃ行ってこい。後始末は俺がしておいてやるから。」
チョンマゲはそう言い残し、眠っている飼育員の方へ走っていく。そしてその飼育員に変化して、本物の飼育員を茂みの中に隠した。
「寒くないように葉っぱでも掛けてやるか。」
落ち葉を広い、眠る飼育員にかけるチョンマゲ。傍から見ていると死体を隠しているようにしか見えない。
とりあえずの証拠を隠滅したチョンマゲは、「ああああ・・・」と背伸びをし、何食わぬ顔で詰所に入っていった。
「・・・・・さすが最年長の猫又。手馴れてるな。」
俺は鍵を咥え、ゴリラの獣舎まで走った。そして奪った鍵でドアを開け、中へと入っていった。
「凄まじい獣の臭いがするな・・・。ちゃんと掃除してるのか?」
獣舎の中はポツポツと電灯が灯っていた。
長い通路にはいくつもの部屋が並び、それぞれの前に頑丈な檻がある。
俺はゆっくりと歩き出し、ドルドルのいる部屋に向かった。
途中ですれ違ったサルたちが、何事かと目を向けてくる。
「なんで猫がここに・・・・」「新しい動物か?」「猫なんか展示してどうすんだよ。どうせどっかから迷い込んだんだろ」
いきなり猫が入って来たので、口々にざわめくサルたち。
俺は「お邪魔」と尻尾を上げ、一番奥の部屋まで走った。
そしてその部屋の前で立ち止まり、中で寝転がるゴリラを見つめた。
「ドルドル!」
呼びかけてもドルドルは返事をしない。背中を向けたまま寝転がっているだけだ。
「来たぞ!いま檻を開けてやるからな!」
俺はいつもの冴えない男に変化して、檻の錠に手を掛けた。
「なんだこれ?ずいぶん複雑な作りだな・・・・。」
獣舎の檻に鍵は無いが、その錠はしっかりと閉められている。
それもかなり複雑な作りで、開けるのに悪戦苦闘してしまった。
それでも何とか開錠し、引き戸の檻を引っ張った。
「これ重いな・・・。さすがゴリラの檻、色々と頑丈に出来てる。」
なんとか檻をこじ開け、ドルドルの元まで駆け寄る。
「おい!早く行くぞ!時間は限られてるんだから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「寝てる場合じゃないだろ!さっさと立て。」
俺はドルドルの腕を取って立たせようとした。しかしアッサリとふり払われ、尻もちをついてしまった。
「なんだよ・・・・。行かないのか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「お前の為にこおまで来たんだぞ。どうして黙ってる?」
「・・・・・・・・・・・・。」
「ドルドル!」
「・・・・・・胃。」
「ん?胃?」
「・・・胃が痛い・・・・。」
「胃が痛いだって?どうして?」
「・・・・ストレス。」
「はあ?」
「いざとなったら・・・・怖くなっちまった・・・・。」
「怖いって・・・・お前が言い出したことだろ?ビールが飲めなくてもいいのか?」
「飲みたいよ・・・・。でも・・・・こう胃が痛くちゃどうも・・・・・。」
ドルドルは腹をさすり、目を瞑って唸っていた。
「ゴリラは繊細な神経の持ち主だって聞いたけど、本当だったんだな・・・。」
いつか読んだ図鑑で、ゴリラの性格について書いてあった。
『見た目とは裏腹に、とても穏やかな性格をしています。繊細な心を持っており、ストレスやプレッシャーに弱いのです』
あの時は「まさかあ」と笑ったが、今はまったく笑えない。
危険を冒してここまで来たのに、「胃が痛いから」でキャンセルされたらたまったもんじゃない。
「ドルドルよ。お前はやる気のないバイトじゃないんだ。胃が痛いくらい我慢しろ。」
「・・・・・・・・・・。」
「泣いたってダメだ。お前はこう言っていたじゃないか。俺の一世一代の大勝負だって。だったらこのチャンスを逃してどうする?」
「・・・・うう・・・・・。」
「お前は・・・・夢があるんだろう?たらふくビールを飲みたいという夢が。今さら野生に還ることは出来ない。もし仮に戻ってとしても、きっと自力では生きていけない。かといって、ここで死ぬまで愛想を振りまくのも虚しい。だから・・・・・一度だけでいいから、死ぬほどビールを飲んでみたい。あの大好きなビールを、嫌だと思うほど飲んでみたい。それだけが・・・・この狭い檻の中で持った、唯一の夢だろ?」
「・・・うう・・・う・・・・。」
「残念ながら、お前はここから出ることは出来ない。もう歳も歳だし、他の動物園へ移ることもないだろう。そのことを自分が一番よく分かってるから、チョンマゲに頼んだんだろう?この檻の中で生まれた小さな夢を、どうか叶えてくれって。」
「うぐ・・・・・ふうう・・・・・・。」
「しかし・・・・どうしても怖いというのらなやめておこう。用意した大量のビールは、残念ながらドブに捨てるしかないようだ。」
「あう!・・・・・ふぐう・・・・・・。」
「じゃあなドルドル。また会いに来てやるから。」
そう言って檻から出て、錠を閉めようとする。
ドルドルはまだ震えていたが、顔だけ向けて「行かないでくれ・・・・」と言った。
「ここへ・・・・ここへビールを運んでくれないか・・・・?」
「それは無理だ。お前が満足するほどの量を用意したんだ。いったい何ダースあると思ってる?」
「な、なら・・・・一ダースだけでいいから・・・。」
「お断りだ。」
「どうして!?一ダースだけならお前でも運べるだろう!俺の夢を叶えてくれ!頼む!」
「・・・・・それで本当に満足するか?」
「するとも!いつもはジョッキ一杯しか飲めないんだ!一ダースも飲めたら・・・・それはもう天国だ!」
ドルドルは身を起こし、胃の辺りをさすりながら遠い目をした。
「俺は・・・・この場所が嫌いだ。でも他に行く所がないし、行く自由もない。」
「それが人間に飼われる動物の運命さ。嘆いても仕方ない。」
「分かってる!だからこそ小さな夢を持ったんじゃないか!ここでも・・・・ここでも叶えることの出来る夢を・・・・。」
ドルドルは遠い目をしたまま、ツラリと涙を流した。
きっと彼の目には大量のビールが浮かんでいることだろう。両手でも抱えきれない、あの小麦色の夢が・・・・・。
「俺にとって・・・・ビールだけが生きがいなんだ・・・。でも・・・ここを抜け出して誰かに見つかったら、それも終わる・・・。もしそんなことになったら、俺は何を頼りに生きていけばいい!?なあ猫又!!お前は自由だ!どこへでも行けるし、何にでも化けられる!でも俺は違うんだ!俺は・・・・俺はなあ・・・・ここしかないんだよ・・・・。俺を苦しめてるこの場所だけが、俺が生きていける唯一の場所なんだ・・・。だから・・・・失うのは怖い・・・・。夢は惜しいけど、それでも俺は・・・・・、」
ドルドルは項垂れ、がっくりと肩を落とす。夢と恐怖の狭間で揺れ、激しい葛藤の中で苦しんでいた。
俺は彼の横に立ち、慰めるように肩に手を置いた。
「・・・・・どうする?やめとくか?」
「・・・・うぐ!・・・・」
「決めるのはお前だ。だから答えを聞かせてくれ。」
「だ・・・・だから・・・・一ダースだけでもここへ・・・・。」
「それは無理だ。酒好きってのは、一度飲み始めると止まらない。特にお前みたいな飲兵衛はな。だから一ダース飲んだから、もう一ダース飲みたくなるはずだ。そしてそれを飲んだら、またもう一ダース・・・・。その結果、俺は何度もここへ往復することになる。するとどうなるか?誰かに見つかる危険が高まり、最悪は警察まで出て来るだろう。俺は一目散に逃げ、残されたのは大量のビールの空き缶だけ。お前は今後しばらくビールは飲ませてもらえなくなるだろう。いや、もしかしたら一生禁止かも・・・・、」
「そんなのは嫌だ!アレだけが生きがいなんだ!」
「だったら!・・・・ここで決めないと。中途半端な答えじゃなくて、ハッキリと決断するんだ。その為にチョンマゲは力を貸してくれているんだから。」
ドルドルの背中を優しく撫で、決断を促す。
逞しい肉体は、その見た目とは裏腹にブルブルと震えていた。
「ドルドル。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「返事がないなら、拒否したものとみなす。じゃあな。」
「・・・・・の・・・・・・。」
「ん?」
「・・・・・飲みたい・・・・ビール・・・・。」
「じゃあ行くか?」
「・・・・・でも・・・・怖い・・・・。」
「さよなら。」
「ちょっと待て!飲まないなんて言ってないぞ!!」
ドルドルは俺の前に回り込み、激しくドラミングをした。
「威嚇したって無駄だ。」
「違う!これは鼓舞だ!自分を奮い立たせる儀式だ!」
ドルドルは激しいドラミングを続け、牙を剥きだして吠えた。その姿は勇ましく、まさに森の王者に相応しい風格だった。
激しい闘志が彼を包み、胸を叩く度に熱を上げていく。
「俺は行くぞ!目の前にビールがあるんだ!!逃げてどうする!」
森の王者は部屋の中を駆け回り、その太い腕で壁を叩いた。逞しい筋肉が躍るように収縮し、壁を叩く度に部屋が震える。
「怖いもんなんかねえ!!なんにも怖くねえ!」
ドルドルは必死に自分に言い聞かせる。手を伸ばせば届く夢の為、あの小麦色の夢を手に入れる為に、胸を叩いて自分を奮い立たせた。
「八兵衛!俺は飲むぞ!浴びるほどビールを飲んでやる!」
「そうか。じゃあ一緒に行こう。ビールがお前を待ってるぞ。」
俺は檻を出て、獣舎のドアへ向かった。ドルドルはまだ熱を上げていて、その目をギラギラと輝かせていた。
「すまん、ちょっと待て。」
そう言って立ち止まると、ドルドルは「なんだ?」と睨んだ。
「俺・・・・また裸だ。」
「そんなもん気にするな。俺なんかいつだって裸だぞ。」
「俺だって猫の時はそうだよ。でも人間で裸はまずい。」
俺は人間の姿のまま、尻尾だけを生やした。そしてその尻尾で身を包み、再び変化の術を使った。
「・・・・・この服装は・・・・どうかな?」
精一杯頑張って再現した服を見せると、ドルドルは「・・・・知らん」とそっぽを向いた。
「服なんかどれも同じだろ。」
「いや、そういうわけにはいかない。若い男に化けてるのに、腹巻とステテコっていうのはちょっと・・・・。」
「暖かくていいじゃねえか。そんなことよりビールだ!お前が偉そうに言って決断させたんだから、早く連れて行け!」
「・・・・・そうだな。裸よりはマシだし・・・・まあいいか。」
ドルドルの言うとおり、確かにこの恰好は暖かい。特に腹巻が効いている。
俺は獣舎から顔を出し、辺りに誰もいないことを確認した。
「裏に車を止めてるんだ。そこに大量のビールが積んである。一気に駆け抜けるぞ!」
そう言って一目散に駆け出し、ドルドルと共に門へ向かう。
注意深く辺りに気を払い、細心の注意で門の外へと出て行った。
そして動物園に沿うように壁伝いを走り、白いワンボックスカーの前までやって来た。
「ムクゲ!連れて来たぞ!」
ドアを叩いて呼びかけると、ムクゲは本を閉じて振り向いた。
「遅かったわね。何かあった?」
ムクゲはこの前変化した人間に化けていて、ハンドルに手を置きながら尋ねた。
「ちょっとこのゴリラがぐずったんだ。でももう大丈夫、早くここを開けてくれ。」
「了解。」
そう言って車から降り、トランクを開けて「どうぞ」と手を向けた。
そこには箱に入ったビールがいくつも並んでいて、ドルドルは「おお・・・・」と身震いした。
「ほ・・・・宝石だ・・・・。こいつは黄金色の宝石に見える・・・・。」
ドルドルはトランクに足を掛け、ゆっくりと中に入った。
そしてそっと手を伸ばし、軽々と段ボールを引き千切って、ビールの缶を恭しく手に取った。
その姿はまるで、待ちわびたお年玉を貰うような、そして最も愛しい者に再会したような、至福の喜びを感じさせるものだった。
「おお・・・おおお・・・おおおおおおお!」
ドルドルは両手でビールを包み込み、愛おしそうに頬ずりをする。
「指を掛けて開けるんだ。こういう具合に。」
そう言って缶を開けてみせると、「ふうあ!!」と飛びのいた。
缶の中の液体を見つめ、もはや昇天しそうな勢いになっている。
「・・・・・・・飲め。」
俺はビールを差し出す。ドルドルはそれを受け取ると、丁寧に、そして行儀よく口に運んだ。
「・・・・・・・・・・ぐっはあああああ!!!旨い!!」
ものの二、三秒で缶を開け、すぐに次に手を伸ばす。
するとムクゲが「デッカイのもあるよ」と、バケツのような缶を取り出した。
「はい、どうぞ。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「ほらほら、泣いてないで、早く飲んじゃいな。」
「おおおお・・・・・うほおおおおおおお!!!」
ドルドルはムクゲの手から巨大な缶を受け取り、力任せに蓋を毟り取った。
そして両手でそれを抱え、口に突っ込んで天を見上げた。
ドルドルの喉が生き物のように動く。流し込まれるビールを運ぶ為に、忙しなく上下している。
それを見たムクゲは、「じゃあ私は見張ってるね」と言い、俺の肩を叩いて離れて行った。
「また協力してもらって悪いな。」
「全然。でもその代わり、またタカシ君とデートさせてよ。どこでもいいから。」
「ああ、もちろんさ。アイツもきっと喜ぶ。」
ムクゲは手を振り、背中を向けて見張りについた。
俺はドルドルの方を振り返り、彼の飲みっぷりを眺めた。
ドルドルは次々に缶を開けていく。デカイ缶をグイグイと呷り、車の中に空き缶が積み上がっていく。
「旨いか?」
そう尋ねても答えず、大きなゲップを繰り返して缶を開けていく。
その顔は喜び一色で満たされていて、ビールと嬉し涙でぐしょぐしょに濡れていた。
・・・・・幸せ・・・というのは、こういうことを言うのだろう。
大きな幸せもあれば、小さな幸せもある。ドルドルが求めたのは小さな幸せの方だ。
本当は野生でノビノビと暮らしたいだろうに、今のドルドルには野生を生き抜く力はない。
だからあの檻の中でも手に入る、小さな幸せに手を伸ばした。
人であれ動物であれ、誰かが幸せな顔をしているというのは、気持ちのいいものだ。
俺はトランクの端にもたれかかりながら、じっと彼の飲みっぷりを見ていた。
用意した量が多すぎたのか、やがてドルドルの手は止まった。
そして気持ち良さそうに目を閉じ、ビールを抱いたまま眠ってしまった。
呼んでも揺すっても起きないので、どうしたものかと困っていると、ドルドルは突然目を開けた。
「・・・・もう・・・・死んでもいい・・・・・。」
「そうか、それほど喜んでくれたならよかったよ。でも死んだらもうビールは飲めないぞ?」
「・・・・・そうだな。満足したよ。でもきっとまた飲みたくなる。だから・・・・あの檻へ戻るよ。また会いに来てくれるか?」
「もちろん。ただしコブ付きだけどな。」
「おお、連れて来い。今度は愛想を振りまいてやるぜ。」
そう言って手にしたビールを差し出し、「これで締めだ。付き合ってくれ」と言った。
俺はそれを受け取り、ドルドルの向かいに座った。
二人でビールを掲げ、小さく乾杯をする。
呑兵衛のゴリラは、最後の一本まで幸せそうに飲み干した。


            *


ドルドルの夢が叶ってから六日後、ちょっとしたニュースがあった。
なんとタカシの描いた絵が、動物園の入り口に飾られることになったのだ。
タカシは俺のアドバイス通り、ちゃんと学校の先生に絵を見せた。
するとその出来栄えに関心した先生が、動物園に連絡を取ってくれたのだ。
園長もその絵を一目で気に入り、額に入れて入口の横に飾ってくれたというわけだ。
ちなみにタイトルは『ビールとゴリラ』
もうちょっとヒネッたらどうだと言ったが、タカシは譲らなかった。
詩にこだわりを持つ俺としては、芸のないこのタイトルはいかがなものかと思った。
しかしこれはタカシの描いた絵なわけで、まあ・・・・こういうストレートな方が伝わりやすさはある。
タカシは園長から一日無料券を頂き、俺とムクゲと一緒に動物園に来ていた。
そして真っ先にドルドルの元へ向い、「ん!ん!」とドラミングをしてみせた。
ドルドルは始めこそ背中を向けていたが、やがてのそりと起き上ってタカシの前までやって来た。
そしてあの日の夜のように、見事なドラミングを披露してみせた。
タカシは狂喜乱舞し、飛び上がってドラミングをする。
ドルドルもそれに応えるように、口を開けて牙を見せ、激しく胸を叩いた。
タカシの雄叫びとドルドルの雄叫びが交差し、ゴリラの檻の前はちょっとしたお祭り騒ぎになる。
周りにたくさんの人が集まり、手を叩いて喜んだり、スマホで写真を撮ったりと、二体の霊長類に拍手を送っていた。
「タカシ君、嬉しそうだね。」
「ああ。頭の血管がはち切れるほどはしゃいでる。倒れなきゃいいけどな。」
冗談交じりに笑い、タカシの元へ歩いて行く。
そして「よっと!」と抱え上げ、肩車をしてやった。
タカシはさらに狂喜乱舞し、もはや完全にゴリラと化していた。
ドルドルは俺の方をチラリと見て、「この前の礼だ」とさらに激しくドラミングをしてみせた。
この日のタカシは大満足で、家路につく時も「ん!んん!」と胸を叩いていた。
そしてそれから十日後、タカシの絵は市の子供絵画コンクールに出展され、見事銀賞を獲った。
市が発行している「街の息吹」という冊子に写真入りで掲載され、賞状と盾まで受け取った。
タカシは喜び、すっかり絵にハマった。そして大きな画用紙に、キャンバスをはみ出さんばかりに絵を描き、「ん!」と見せられた。
俺はその絵を見て、「よく描けてる。将来は画家だな」と頭を撫でてやった。
タカシの描いた絵の中で、森の王者がビールを呷っていた。

猫又 八兵衛 第五話 呑兵衛のゴリラ

  • 2014.12.21 Sunday
  • 14:43
JUGEMテーマ:自作小説
暦は十二月の頭。短い秋が過ぎ、身も凍るような風が肌を切りつける。
いや、この表現は違うな。猫には毛皮があるから、肌は無事だ。
だったら・・・毛か?毛が毟り取られる寒さと表現すればいいのか?
いやいや、今の俺は人間に化けているから、やっぱり肌で合っているのか?
どうでもいいことを真面目に考えてしまうのが俺のクセで、もし人間なら哲学者にでもなっていたかもしれない。
「八兵衛?」
ムクゲに呼ばれ、「お?」と顔を上げる。
「お?じゃないわよ。なに難しい顔してるの?」
「いや、猫又にとって、寒さを表現するにはどんな言葉が適切かと・・・・、」
「寒いでいいじゃない、寒いで。」
「単語で表現するのは芸がない。もっとこう詩的にだな・・・・、」
「その割にはセンスないけどね。ねえタカシ君?」
そう言ってムクゲはニコリと笑いかける。
タカシは「サル」と言って目の前の檻を指さし、楽しそうに目を輝かせていた。
「あれはワオキツネザルね。尻尾が輪っか模様になってるでしょ?」
「ワオ!」
「それだと英語でビックリって意味になっちゃうわね。サルまで言わないと。」
「ワオサル。」
「まあそんな感じ。じゃあ次行こうか。」
ムクゲはタカシの手を引いて歩いて行く。俺はまだ猫又にとっての寒さに表現について考えていて、二人の後をゆっくりとついて行った。


            *


一昨日のことだった。
学校が終わったタカシに会いに行くと、庭で動物図鑑を眺めていた。
俺は「よ!」と尻尾を上げ、タカシの横に座った。
「図鑑か?」
「・・・・・・・・・・。」
「こりゃチンパンジーだな。知ってるか?チンパンジー。」
「・・・・・・・・・・。」
「その横の奴は・・・・なんだろうな?名前をド忘れしちまった・・・・。」
「オランウータン。」
「そうそう、それだ。みんな頭の良いサルで、人間が滅んだ後はこいつらが天下を取るんじゃないかと睨んでる。」
「・・・・・・・・・・。」
「そのページはゴリラだな。力持ちなサルだぞ。」
「・・・・・・・・・・。」
「今度はニホンザルだ。コイツはサルにしちゃ珍しく、寒い所に棲んでるんだ。それに尻尾が短いのも特徴だな。」
「キンシコウも寒い所に棲んでいます。」
「キンシコウ?」
「キンシコウは中国にいるサルで、西遊記の孫悟空のモデルになったと言われています。」
「図鑑にそう書いてあったのか?」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・ずっとサルばっかりだな。他のは見ないのか?」
「・・・・・・・・・・。」
「聞いちゃいないな。」
俺は苦笑いしながら、近くの木に「よっと」飛び乗った。
「お前の引っ越し先が近くて助かったよ。だってカシミヤ町のすぐ隣なんだから。」
「・・・・・・・・・・。」
「ここは大きな街だから、生活には不便しなくていいよな。でも本当に俺がついて来なくて大丈夫だったのか?」
「・・・・・・・・・・。」
「図鑑に夢中か。じゃあちょっくらここで昼寝でもさせてもらおうか。遊んでほしくなったら起こせよ。」
サルの世界に没頭するタカシを尻目に、ウトウトと居眠りを始める。
腕枕をしながら横になり、薄く目を開けて孤独の縁に立つ少年を見つめた。
・・・・プラネタリウムを見たあの日、タカシは俺にこう言った。
「八兵衛とれんあいする。猫缶あげて、ずっと一緒にいる?」
俺は「そんなことしなくても一緒にいるさ」と笑い、タカシを家まで送った。
そして家のまで来た時、「一緒に行くよ」と言ってやった。
「お前の新しい家まで、一緒に行ってやる。だからお前を引き取ってくれるおじいちゃんとおばあちゃんに、猫を飼ってもいいか聞いておいてくれ。」
「・・・・・・・・・・。」
「もしダメだと言われたら、野良猫として近所をウロウロしているよ。俺はいつだってお前と会える距離にいる。約束する。」
そう言って手を差し出すと、タカシはゆっくりと首を振った。
「どうした?」
「・・・・・・・いい。」
「いい?何がだ?」
「一緒に来なくていい。」
「どうして?お前は一人になっちゃうかもしれないんだぞ?おじいちゃんおばあちゃんがいたって、いつまた孤独になるか分からない。
なぜなら今のお前には、猫又の呪いがかかっているからだ。だから俺が傍にいてやる。遠慮することはない。」
「・・・・・いい。」
「意地を張るな。素直になれ。」
「・・・・・いい。」
「タカシ・・・・。」
「・・・・・いい。」
タカシはかたくなに「いい」を繰り返し、目も合わせようとしない。
俺は伸ばした手を引っ込め、「そうか・・・」と頷いた。
自閉症の子供ってのは、何がなんでも我を通そうとする時がある。
だからいったんこういう具合になってしまったら、テコでも譲らない。
それどころか、これ以上何かを言ったら逆に追い詰めるだけだ。
タカシにはタカシの譲れない部分があるわけで、ならばそれを尊重してやらねばならない。だから「分かった」と頷いてやった。
「タカシがそう言うなら・・・・ついて行くのはやめよう。でも会いに行くのは構わないよな?」
「・・・・・・・・・・。」
無言で頷く。そして何も言わないまま、家へと帰ってしまった。
「タカシ!どこへ引っ越すかだけ教えてくれ!」
そう叫ぶと、家から出てきて「となり」と答えた。
「となり?隣の街ってことか?」
「おじいちゃんとおばあちゃんの家は、となりの水族館の近くにあります。」
「隣街の水族館・・・・?ああ!あそこか。」
「では帰ります。」
タカシは家に戻り、玄関のドアを潜って消えて行った。
「タカシ・・・・何かを説明する時は敬語になるんだな・・・・。」
一つ彼の特徴を知った俺は、なぜか嬉しくなった。
そして踵を返し、家を見上げながら「またな・・・」と家路についた。
・・・・タカシは俺がついて来ることを拒んだ。その理由は分からないけど、深入りはしないつもりだ。
タカシにはタカシの世界、そして考えがあり、俺はそれを見守ってやればいい。
そして必要な時に手を貸し、孤独のギリギリのところで支えてやればいいだけだ。
そう思いながらウトウトしていると、急に足を握られた。
目を開けてみると、タカシが図鑑を抱えたまま俺を見つめていた。
「ん?遊んでほしいのか?」
「サル・・・・・。」
「うん?」
「サルが見たい。」
「ああ、本物のサルをってことか?」
「・・・・・・ん。」
そう言ってサルのページを開いてみせる。そこにはゴリラが写っていて、勇ましくドラミングをしていた。
「なるほど、コイツが見たいってわけか。」
俺は木から飛び降り、うんと背伸びをした。
「いいぞ、じゃあ動物園へ行くか。」
「ん!」
タカシは口元だけを動かして小さく笑う。その顔はとても嬉しそうで、また図鑑を眺め始めた。
「じゃあ・・・・明後日にしよう。土曜なら学校は休みだろ?」
「土日祝日は休みになっています。」
「よし!じゃあおじいちゃんとおばあちゃんに伝えておけ。友達の家族と一緒に、動物園へ行くってな。」
「ん!」
タカシは口元を笑わせたまま図鑑を眺め、その日はずっと嬉しそうにしていた。
次の日、俺は猫の集会でこのことを話した。
するとムクゲが「私も行きたい!こう見えても子供好きなのよ!」とはしゃいだ。
そして動物園へ行く当日、俺はこの前の平凡な男に、ムクゲは優しそうな人間の女に変化し、一緒にタカシを迎えに行った。
タカシの祖父母は不安がっていた。まあ自閉症の子供を預けるんだから当然だろう。
しかし「私の息子も同じなんです。だから心配しないで下さい」と微笑みかけると、渋々了承してくれた。
俺たちはタカシを連れ、少し離れた所にある動物園に向かった。
タカシは真っ先にサルの檻に向かい、ムクゲと手を繋ぎながらはしゃいでいるというわけだ。


            *


今日のタカシはとても楽しそうだった。
キリンを見ては「お!お!」と指をさし、ライオンを見ては「ん!んん!」と見惚れていた。
そして小動物の触れ合いコーナーでは、恐る恐るウサギを撫で、カメだのニワトリだのに目を輝かせていた。
しかし一番興味があるのは、やはりサルだった。
先ほど見ていたワオキツネザルの元に戻り、そこからニホンザル、オランウータン、チンパンジーと周り、最後にゴリラの檻に来た。
「ん!んん!!」
「うんうん、凄いねえ、ゴリラ。」
「お!お!」
「うんうん、おっきいねえ。あれはローランドゴリラっていうのよ。しかもオスだから、凄い筋肉してるでしょ?」
「ゴリラ!ん!ん!」
「そうそう、胸を叩くのよ。あれはドラミングっていってね・・・・、」
「ドラミングは自分を誇示する為に行う、ゴリラ特有の行動です。群れに自分の威厳をアピールしたり、また喧嘩の際に威嚇として使われる儀式的行為です。」
「おお!よく知ってるねえ。」
ムクゲはニコニコ笑いながら頭を撫で、「でもなんで敬語?」と首を傾げていた。
「タカシは何かを説明する時、敬語になるんだよ。」
「へえ、クセなのかな?」
「さあな。」
タカシはキラキラ目を輝かせたまま、ゴリラに向かってドラミングをしていた。
しかし当のゴリラはというと、知らん顔で空を眺めていた。
檻の中でだるそうに座り、壁にもたれかかって鼻くそをほじっている。
その顔には表情というものがなく、いかにもストレスが溜まっていそうだった。
タカシはお構いなしにドラミングを繰り返し、ムクゲに抱えられて近くで眺めていた。
ゴリラはようやくこちらに目を向け、「チッ」と舌打ちをした。
「うるせえガキが・・・・。」
小声でそう呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。しかしこのゴリラの気持ちはよく分かる。
俺だって目の前で人間に「にゃ〜お」とか言われたら、思わず殴ってしまうかもしれない。
だから「そろそろ他に行こう」と言って、タカシの背中を押した。
「ん!ん!」
「ゴリラばっかり見ても仕方ないだろ。他にもいっぱい動物がいるぞ。ツチブタとかカピバラとか。」
「ん!んん!ん!」
「なんでそんなにゴリラが好きなんだよ?せっかくの動物園だぞ。トラとかヒョウだっているんだぞ。」
タカシはなにがなんでもゴリラがいいらしい。ムクゲの腕の中でジタバタと暴れ、地面に降りてゴリラの檻の前にしがみついた。
「意地でもここから動かないつもりらしいな。」
そう呟くと、ムクゲは「好きにさせてあげればいいじゃない」と言った。
「そもそもゴリラが見たいから動物園へ来たんでしょ?」
「あのゴリラが嫌がってるんだよ。見ろよあの顔を。」
ゴリラはまたしても舌打ちをして、タカシの方を見ようともしない。
それどころか、鬱陶しそうに背を向けて寝転んでしまった。
「・・・・嫌がってるね、あのゴリラ。」
「そりゃ目の前でガキにドラミングされたら不機嫌になるだろ。」
ゴリラは寝転んだまま動かない。タカシが「ん!ん!」と呼びかけても、尻を掻いているだけだった。
しかし何かに気づいたように、ふと顔を上げた。
そして檻の奥にある扉に向かい、その前でじっと座りこんだ。
いったい何だろうかと思って見ていると、扉が開いて飼育員が入って来た。
その手には大きなジョッキを持っていて、中にはなみなみにビールが注いであった。
ゴリラは嬉しそうにそのビールを見つめ、行儀よく座って飼育員を見つめている。
そして飼育員がビールを差し出すと、待ってましたとばかりに恭しく受け取った。
ゴリラは宝物でも頂いたかのように喜び、一気にビールを呷り出した。
ゴクゴクという音が聞こえてきそうなほど豪快な飲みっぷりで、あっと言う前にジョッキを空けてしまった。
「ビールを飲むゴリラなんて初めて見たよ。」
驚きながらそう呟くと、ゴリラは「悪いかよ」と言った。
「いいや、悪くない。なかなか面白い光景だ。」
「お前の方が面白いっての。ただの人間じゃねえだろ?」
「まあな。これでも実は猫なんだ。」
「猫又か?」
「知ってるのか!?」
そう尋ね返すと、ゴリラは飼育員にジョッキを返し、こちらに歩いてきた。
「ここにもよく猫又が来るぜ。チョンマゲとかいう名前のな。」
「チョンマゲが?アイツ・・・・こんな所まで縄張りを持ってるのか。」
「わざわざここへ来て、山猫のメスを口説いたりしてるみたいだぜ。」
「アホかアイツは・・・・。一番の年長者のクセに。」
「猫ってのはいいよな。ペットにもなれるし、野良でも捕獲されるわけじゃない。
それに比べたらゴリラは大変だ。ペットにはなれない。かといって街中を歩こうもんなら、麻酔銃を撃たれてお終いだ。だから俺たちはこういう場所で住むしかないんだ。」
「お前は元々は野生にいたのか?」
「ああ、緑豊かな場所だったけど、まだガキの頃にここへ連れて来られた。群れが密猟者に襲われたもんでよ、行き場所が無くなっちまったんだ。」
「そうか・・・それは辛いな。」
「同情してもらったってここから出れねえよ。今さら元の場所に帰ったって、きっと生きていけないだろうしな。だから・・・・さっきのコレだけが楽しみなんだ。」
そう言ってグイッとビールを呷るフリをした。
「ここの園長が面白い人でよ。ストレスで心を病んでた俺を見かねて、ビールを飲ませてみたんだ。
するとまあ・・・・一気にハマっちまった!人間ってのはなんて良い物を飲んでるだって、ぶん殴ってやりたくなったぜ。」
「本当はゴリラの飲むもんじゃないけどな。ストレス解消の為ならと思って飲ませてくれたんだろ。」
「そういうこった。まあこんな与太話はどうでもいい。俺が言いたいのは、そこのガキを連れてどっか行ってくれってことだ。さっきから鬱陶しくてしょうがねえ。」
タカシはドラミングをやめ、その代わりにビールを飲むマネをしていた。
「悪いな、コイツはゴリラの大ファンなんだ。許してやってくれ。」
「ファンなんかいらねえよ。欲しいのはビールだけだ。」
「分かってる。でももう少し見せてやってくれ。今日ここへ来るのを楽しみにしていたんだ。」
「・・・・俺は絶対に愛想なんか振りまかねえぞ。」
ゴリラはそう言い残し、また檻の隅で寝転んだ。
「なあ、お前の名前は?」
「ドルドル。」
「ドルドルか・・・・覚えやすくていいな。」
「笑ったら首の骨へし折るからな。」
「笑わないよ。俺だって八兵衛なんて古風な名前なんだ。」
「風情があっていいじゃねえか。」
ドルドルはそう言って、興味もなさそうに尻を掻いた。それからは呼びかけても返事をせず、背中を見せたまま寝ていた。
「ドルドルか・・・・。お前の言うとおり、ゴリラに比べたら猫の方が気楽かもしれないな。」
俺はドルドルの大きな背中を見つめながら、この男らしいゴリラに興味を惹かれていた。
それから数分ほどドルドルを眺め、嫌がるタカシを連れて他の動物を見て回った。
最後には園内の観覧車に乗り、みんなでソフトクリームを食べてから動物園を後にした。
タカシは大満足したようで、次の日には画用紙いっぱいにドルドルの絵を描いていた。
小二の男の子が描いたにしては中々の出来栄えで、明日学校の先生に見せてやれと言ってやった。
そして俺はというと・・・・再びあの動物園に来ていた。
今日はタカシもおらず、俺一人なので思う存分ドルドルと話せる。
そう思って彼の檻の前までやって来ると、そこには知った顔の猫がいた。
「チョンマゲ!」
「おお、八兵衛!」
今日はお互いに猫の姿をしている。だから頬ずりをして挨拶を済ませ、「どうしてここに?」と尋ねた。
「それはこっちのセリフだよ。なんで八兵衛がここに?」
「そこのゴリラに会う為さ。」
「ドルドルに?」
「昨日ここへ来たんだ。タカシという子供を連れてな。」
「ああ、そういえばムクゲが言っていたな。動物園へ行くんだってはしゃいでた。自分だって動物のクセに。」
「ムクゲは子供が好きなんだ。昨日はまるで親子みたいに手を繋いでた。」
「まあアイツは優しいからな。子猫もよく可愛がるし、子煩悩なんだろうなあ。」
他愛のない話を続けていると、「おい」と声がした。
誰かと思って顔を上げると、ドルドルが檻の前まで来ていた。
「おお、ドルドル。」
「おおじゃねえよ。またあのガキを連れて来たのか?」
「いいや、今日は俺一人だ。ていうかよく俺だって分かったな。今日は猫の姿なのに。」
「臭いで分かるだろうが、そんなもん。」
「臭いか・・・・。まだそこまで変えられるほど変化は出来ないんだよなあ・・・。」
変化の術は、熟練すれば臭いまで変えられる。しかし服でさえも再現できない俺にとって、体臭を変えるのは無理があった。
「人間の目は誤魔化せても、ゴリラの鼻は誤魔化せないか。」
「んなこたあどうでもいいんだよ。今日はチョンマゲと話があるんだ。お前はどっか行ってろ。」
そう言ってシッシっと追い払い、チョンマゲの方に目を向けた。
「今日は女とデートだったんだろ?なのにわざわざ来てもらって悪いな。」
「いやいや、気にするな。」
チョンマゲは笑いながら尻尾を振り、そして急に真顔になった。
「別に力を貸すのは構わないけど・・・・本当にやるのか?見つかったら終わりだぞ?」
「覚悟の上だ。」
「それは・・・・最悪は死ぬ覚悟もあると受け取っていいんだな?」
「ああ。それくらいの覚悟がなきゃ、俺の夢は実現しねえ。」
「そうか。なら俺の方に問題はない。ただし責任をかぶるのはお前だけだぞ?」
「分かってる。アンタに迷惑をかけるつもりはない。」
ブルブルは厳しい顔でそう言って、園内を歩く人々を見つめた。
その目は優しく、それでいて険しかった。まるで外を歩く人間に憎愛の念を抱くような、そんな目だった。
俺はそんな彼を見つめながら、「チョンマゲ」と尋ねた。
「いったい何の話をしていたんだ?」
「ん?ちょっとな。」
「なんだか理由アリな会話だったけど、俺でよかったら力になろうか?」
「なんで?」
「なんでって・・・・そこのゴリラが気に入ってるからさ。」
「なんで?」
「・・・・感性・・・・かな?俺の感性が、ドルドルを気に入ったみたいなんだ。」
「それで?」
「・・・・ビールだ。」
「ん?」
「あんなにビールを美味そうに飲むゴリラなんて、生まれて初めて見た。だから興味を惹かれているのかもしれない。」
そう説明すると、チョンマゲは「ふむ」と唸った。
そのまましばらく黙り込み、頭のチョンマゲ模様をヒクヒクさせていた。
ちょっと笑える光景だが、ここは吹きだす場面じゃなさそうだ。だからグッと笑いを堪えた。
「おいドルドル。」
チョンマゲに呼ばれ、ドルドルは目だけをこちらに向かせた。
「お前の計画、八兵衛にも手伝ってもらおうと思うんだけど・・・・どうかな?」
「そこの猫に?」
「こう見えても八兵衛は猫又なんだ。」
「知ってるよ。だが・・・・なんか頼りなさそうな奴じゃねえか?」
「確かに。八兵衛はまだ猫又になって10年のガキだ。人間でいえば、チンチンに毛も生えていない状態だ。」
「だったらお断りだな。これは俺にとって、一世一代の大勝負なんだ。チンチンに毛も生えてないガキに手伝ってほしくなんかねえよ。」
「うむ。お前の気持ちは分かるが、それでも八兵衛は大事な部分を理解してるぞ。」
「大事な部分?」
「ああ、お前の夢さ。」
チョンマゲはそう言ってにニヤリと笑う。そして俺の方に目を向け、「な?」と首を傾げた。
いったい何のことか分からず、俺も首を傾げる。
ドルドルが檻の中で「ガキは嫌いなんだ・・・・」とぼやいていた。

猫又 八兵衛 第四話 一人だけど一人じゃない(2)

  • 2014.12.20 Saturday
  • 14:38
JUGEMテーマ:自作小説
俺はタカシに会う為に、電車に乗ってカシミヤ町という所に来ていた。
そして学校から帰って来るタカシに会うことが出来たのだが、ちょっとしたハプニングが起きてしまった。
人間から猫に戻り、また人間へと変化したせいで、服が脱げて素っ裸になってしまったのだ。
たまたま通り掛った女がそれを見つけ、「変態が子供を襲ってる!」と騒いだ。
このままでは警察を呼ばれるのは確実で、俺は服を着てタカシの手を引いた。
「ハル!ゴンベエ!お前らも早く来い!」
「そんなこと言ったってゴンベエが・・・・、」
「叩き起こせ!早くしないと警察を呼ばれる・・・・・って、もう呼んでる!」
悲鳴を上げた女は、こちらを睨みながら電話を掛けている。
俺はゴンベエを抱き上げ、タカシの手を引いてその場から逃げ去った。
そしてしばらく走ると、「星と光の館」という建物が見えてきた。
なんだか丸い屋根をしていて、小さな役場のようなシンプルな建物だった。
「あれは何かの施設か・・・・?まあいい、とりあえずあそこへ入ろう。」
タカシとゴンベエを連れたまま中に入り、近くにあったソファに腰を下ろした。
ハルも同じようにソファに座り、「裸はまずかったわよねえ・・・」と呆れ気味に言った。
「焦ってたんだよ。普段ならあんな失態はしない。」
「へえ。じゃあそのタカシって子はどうなの?八兵衛のせいで死んじゃうかもしれないんでしょ?」
「・・・・・誰から聞いた?」
「ムクゲ。」
「ああ・・・・。」
「八兵衛って、猫又の中じゃまだまだ新米なんでしょ?だったらミスしても仕方ないわよ。」
「慰めてくれるなんて優しいな。」
「そりゃ愛しい恋猫の親友だもん、ねえ?」
そう言って、ハルはニコリとタカシに笑いかける。しかし猫の言葉が分かるはずもなく、「?」と俺を見上げた。
「コイツはハルっていうんだ。そしてこっちの気絶してるのがゴンベエ。俺の友達だ。」
そう紹介すると、「ん」と頷いた。そして目の前を指差し、「ん!ん!」と身体を揺すった。
「なんだ?前に何かあるのか?」
タカシの指差す方に目を向けると、事務員の格好をしたおばさんが歩いて来た。
そして愛想笑いを浮かべるなり、「ペットの持ち込みはちょっと・・・・、」と言った。
「ペット?ああ、コイツらのことか?」
ゴンベエとハルを指差すと、「はい」と頷いた。
「申し訳ないんですけど、当館は動物の持ち込みは禁止なんです。」
「ああ、これは失礼。」
俺は猫たちを抱えて立ち上がり、建物の中をグルリと見渡した。
周りにはロケットの模型、大きな望遠鏡、それに宇宙に浮かぶ銀河のポスターが張ってあって、奥の扉には「星の部屋」と書かれていた。
「ここは・・・プラネタリウムですか?」
そう尋ねると、おばさんは「プラネタリウムもあります」と答えた。
「奥の部屋がプラネタリウムになっています。」
「へえ・・・。じゃあここは星をテーマにした、子供用の施設か何かですか?」
「そうですね。星とか宇宙とか、そういうものを子供たちに身近に感じてもらう為の施設です。」
「カシミヤ町の運営ですか?」
「そうです。二十年ほど前に建てられました。」
「・・・・そうですか。じゃあ奥に行けばプラネタリウムが見られる?」
「はい。でも入館料とは別に、大人の方は三百円頂くことになります。」
「入館料はおいくらで?」
「中学生までは無料、大人の方は二百円になります。」
「なるほど・・・・・。」
俺はもう一度部屋の中を見渡し、「せっかくだから見るか・・・・」と呟いた。
「すいません。ちょっとペットを車に戻して来ます。少ししたらまた来るので、先に払っておいてよろしいですか?」
「ええ、大丈夫です。じゃあカウンターまで。」
おばさんは受付まで案内し、金を払うとパンフレットと入場券を渡してきた。
「じゃあまた後で来ます。」
「はい。他の者がここにいても、入場券を見せて頂ければ大丈夫ですから。」
俺は「どうも」と頭を下げ、タカシの手を引いて外に出た。
そして広い庭まで出ると、近くにあったベンチに腰を下ろした。
「・・・・こりゃ完全に箱モノってやつだな。もっと別の所に税金を使えばいいのに。」
今は平日の午後三時だから、客がいなくても不思議ではない。
しかし休日になったからといって客が入りそうな場所でもなく、予算の確保の為に作られた施設というのがバレバレだった。
「まあ人間様の社会を憂いても仕方がない。タカシ、ちょっとジュースでも飲むか?」
そう尋ねると、素直に「ん」と頷いた。
俺は入り口の自販機でジュースを買い、「ほれ」と手渡した。
「いきなり会いに来てビックリしただろ?」
缶を開けながらそう言うと、タカシは嬉しそうにはにかんだ。
「まだこっちに越してきて五日くらいか。新しい学校は慣れたか?」
笑いながら問いかけると、タカシはジュースの缶を開けるのに悪戦苦闘していた。
「不器用だな。ほら、貸してみろ。」
「ん!」
「なんだよ、意地張って。自分で開けられるのか?」
「・・・・・ん!」
「なんか無理矢理な開け方だな。それだと飲みにくいぞ。」
プルタブは半分しか開いておらず、このまま飲めば口を切りそうだった。
俺は指を引っかけてプルタブを押し、「ここまで開けないと」と笑った。
タカシは嬉しそうにジュースを飲み、大人顔負けに「ぷはあ!」と息をついた。
「ん以外の言葉を初めて聞いたな。」
「ん。」
「うんうん、喋れないわけじゃないもんな。分かってる。」
俺たちはしばらくジュースを飲み、誰もいない庭を眺めていた。
ゴンベエはいついの間にか目を覚ましていて、ハルに「大丈夫・・・?」と心配されていた。
そんな光景を見つめながら、俺は声を落として言った。
「あのな、タカシ。まずはお前に謝らなきゃいけない。」
そう呟くと、タカシはジュースを飲みながら顔を向けた。
「その・・・・なんというか・・・俺はミスをしてしまったんだ。いや、違うな・・・。分かっていてやったんだから、あれはわざとだ。そのせいでお前を危険に晒している。このままだと・・・・お前はあと五日で死ぬ。」
そう言って目を向けると、タカシはジュースに残ったミカンの粒々を取るのに必死だった。
「そのままでいいから聞いてくれ。俺はな、かつてお前みたいな友達がいたんだ。でも・・・・もうこの世にはいない。なんでか分かるか?」
「・・・・・・ん!」
「あんまり無理して粒々を取るな。舌を切るぞ。」
俺は残ったジュースを渡し、「こっちを飲め」と言った。
タカシはそれに見向きもせず、ただひたすら粒々を取るのに必死になっていた。
「自閉症を持ってる奴ってのは、何かに集中すると、最後までそれにこだわるよんだよな。」
粒々と格闘するタカシを見て、亡くなった友達のことを思い出す。
不意に胸が締め付けられ、それを誤魔化すようにジュースを呷った。
「俺の友達が死んだのはな・・・・・自殺したからだ。お前と同じように自閉症を抱えていて、よく学校で苛められていたよ。
それに・・・・実の親からも疎まれていた。特に父親の方はまったく相手にしようとしなかった。アイツは家でも学校でも孤独で、だから俺だけが友達だったんだ。そして・・・・それは俺も一緒だった。飼い主から嫌われ、一緒に飼われていた他の猫たちとも上手くいかなかった。だからお互いがお互いを支えていたし、心の拠り所でもあった。決してどちらかが欠けてもいけなかったのに・・・・・俺はアイツの傍を離れなきゃいけなくなった。」
「ん?」
「粒々が無くなったか?じゃあこっちを飲めばいい。」
「ん。」
「こんな話はきっと退屈だろうな。ていうか元々聞いちゃいないか。でもまあ・・・それでもいいから話させてくれ。」
嬉しそうにジュースを呷るタカシを見つめながら、話を続けた。
「俺がアイツと離れることになったのは、飼い主から捨てられたからなんだ。でも・・・・今思えば、あれこそが猫又の呪いだったんだ・・・。俺とアイツは、離ればなれになる前に一度だけ猫又に会ったことがある。あの時の俺は普通の猫だったから、本物の猫又を見て驚いたよ。なんたって目の前で人間に化けたんだからな。そして・・・それは俺の友達も一緒に見ていた。まん丸に目を見開いて、信じられないっていう風に固まっていたよ。俺が捨てられたのはそれから三日ほど経ってからでだ。そして・・・・アイツはその一週間後に自殺した。」
言葉が詰まり、「ちょっとだけくれ」とタカシのジュースをもらった。
甘ったるい味が口の中を満たし、乾いた舌が湿っていく。それでも言葉に詰まりそうなので、しばらく黙っていた。
「・・・・・悪い。」
ジュースを返してやると、タカシはまた粒々を取り始めた。
一心不乱に缶を覗きこみ、一粒たりとも逃すまいと奮闘している。
「俺とアイツは、猫又が変化する瞬間を見てしまった。するとどうなるか?猫又の正体を知った人間は、呪いにかかって死ぬんだよ。じゃあそれはどういう呪いかっていうと、孤独の呪いなんだ。アイツは猫又の正体を知ってしまったが為に、その呪いにかかってしまった。だから・・・・だから俺と離れることになってしまったんだ・・・・。俺だけが友達だったのに・・・・俺だけが心の支えだったのに・・・・アイツはそれを失った・・・。完全な孤独になってしまったんだ・・・。だから・・・その孤独に耐えかねて・・・・自分の命を・・・・、」
その時のことが思い出され、またしても言葉に詰まる。
タカシは相変わらず粒々を舐めていて、俺の話など聞いちゃいけなかった。
「タカシ・・・・今のお前には、孤独の呪いがかかっているんだ。あと五日もすれば、きっと思いもよらない出来事が起きて、孤独のどん底へ叩き落とされるだろう。その時・・・きっとお前は耐えられない。友達を作ることも出来ない、恋愛をするにはまだ早い、そして・・・・唯一の支えである家族からも孤立し、たった一人で苦しむことになる。もしそうなったら、お前は生きていけない。孤独とは心が感じるものだから、幼いその心では孤独に打ち勝てないだろう。だから・・・・俺がいてやる。アイツみたいに死なせたりしない。俺が傍にいてやる。」
タカシの肩を抱き、その華奢な身体が手の平から伝わってくる。
自閉症を抱えていようが、呪いにかかっていようが、まだコイツは生きている。
この先辛い孤独に襲われるだろうが、それでも今は生きている。
だから死なせたくはない。いつか呪いが解ける日が来ると信じて、それまでは俺が支えてやらないといけない。
もし仮に、俺の命が呪いを解く条件だったとしてもだ・・・・。
「なあタカシ。呪いは解けなくても、お前をほんのちょっとだけ救うことは出来るぞ。」
そう言ってゴンベエとハルを抱き上げ、「コイツらを見てみろ」と言った。
「こっちの白いのがオスで、こっちの茶トラがメスだ。名前はさっき紹介したよな?」
「・・・・・・・・・・。」
タカシは顔を上げ、興味を引かれたように猫たちを見た。
「実はな、この二匹は付き合ってるんだ。こっちのメスはモテモテなんだけど、こっちのオスはダメダメなんだ。なのになぜか付き合ってる。不思議だろう?」
そう言って笑うと、ゴンベエは「ダメダメとは失礼な」と怒った。
「俺はこの前のデートで男を見せたんだ。」
「そうよ。ゴンベエはダメダメなんかじゃないわ。ただ頼りなくて弱虫なだけ。根はとても優しいし、意外と芯は強いのよ。」
「そうか。ならこの前のデートで何があったのか、タカシに聞かせてやってくれないか?俺が通訳するから。」
「いいわよ。でも半分くらいは惚気に聞こえるかも。」
「構わない。一から十まで、全部聞かせてやってくれ。」
そう言うと、ハルは「いい?」とゴンベエに尋ねた。
「ま、まあ・・・・別にいいけど・・・。でもなんか恥ずかしいな。」
ゴンベエが照れるのもよそに、ハルは饒舌に喋り出した。
俺は一言一句漏らさず通訳してやり、なるべく聞きとりやすいようにゆっくり喋った。
タカシはじっと黙って聞いていて、興味があるのか無いのか分からない顔をしていた。
ハルの話は長く、余計な惚気も存分に語ってくれた。
しかしタカシはその惚気の方に興味があるようで、時折「ん!」と興奮しながら膝を揺すっていた。
そうして話すこと30分ほど。入り口からさっきのおばさんが出て来て、足早に駆けてきた。
「あの・・・・あと三十分で閉館なんですが・・・・。」
「ああ、これはすみません。」
俺は頭を下げ、小声でハルに「まだ惚気は続くのか?」と聞いた。
「ううん、もう終わり。ていうか大事な部分は最初の二分くらいだけだから。」
「なら随分長い間惚気ていたんだな。まあいい。タカシも楽しんでいたみたいだし、プラネタリウムを見に行って来るよ。」
「了解!じゃあここで待ってるね。」
ハルは再びゴンベエとイチャつき始め、二匹の世界に没頭していた。
俺はタカシの手を引き、おばさんに案内されてプラネタリウムの部屋に入った。
中はとても狭く、10人くらいしか座れるスペースがない。
それに天井も低いし、プラネタリウムと呼ぶにはちょっとお粗末なものだった。
しかしタカシはウキウキしていて、表情はそのままに目だけを輝かせていた。
「じゃあ好きな所へ座って下さい。」
おばさんに促され、俺とタカシは真ん中の席に座った。
椅子は天井を見やすいように傾いていて、まるでソファに寝ているようだった。
「時間は5分ほどですので、ゆっくりお楽しみ下さい。」
そう言っておばさんは出て行き、しばらくしてから部屋が暗くなった。
「5分でゆっくりしてくれって、矛盾したことを言う人だな。」
そう言ってタカシの方に目を向けると、じっと天井を見上げていた。
俺は彼の手を握り、同じように暗い天井を見上げた。
やがて真っ暗な中にポツポツと光が浮かび、人工の星が再現されていく。
いかにも陳腐なプラネタリウムだが、それでもタカシは見入っていた。
だから俺も余計なことは考えず、ただ人工の宇宙に目を向けた。
・・・・・暗い夜空に、星が回っている・・・・・。
宝石を散りばめたように、点々と光が浮かんでいる・・・・。
それは本物の星ではないけれど、こうして見ていると本当に夜空を見ているような気持ちになる。
土手の上に寝転がり、満点の星空を見ているような、生々しく、そして幻想的な錯覚が身体を包んでくる。
少しだけ強くタカシの手を握ると、向こうも握り返してきた。
幼い目に星を映しながら、まるで夜空の中に吸い込まれるように見入っていた。
ここは小さな小さなプラネタリウム。
税金の確保の為に建てられたような、人も来ないただの箱モノ。
しかしそれでも、俺たちは宇宙の中にいた。
孤独とは心が感じるものだと言ったけど、それならば感動だって心が感じるものだ。
だから・・・・本当に宇宙に浮かんでいるような気分だった。
それはタカシも一緒で、ゆっくりと動く星たちに心を任せていた。
そして・・・・・呼吸でもするかのように、ごく自然にこう漏らした。
「・・・・きれい・・・・。」
初めて耳にした、「ん」ではない彼の表現。それは意識したものではなく、この宇宙から感じ取ったものを素直に言い現しただけだろう。
天井に浮かぶ星たちは、付かず離れずの距離で回っている。
どの星も孤独だけど、でも決して一人きりというわけじゃない。
周りを見渡せば、自分と同じように回っている星たちがいる。
・・・・・一人だけど、一人じゃない・・・・・・。
天井の星たちを見てそう感じたが、タカシも同じように感じたかは分からない。
でもこの瞬間、小さな宇宙に浮かんでいることは事実だ。
俺たちは手を握り合い、時間がくるまで天井の星を眺めていた。


            *


プラネタリウムを見てから二日後、タカシの両親が離婚した。
なんと両親ともども浮気をしていて、それが原因で別れることになった。
しかもどちらの親もタカシを引き取ることに難色を示し、やんわりと押し付け合う形になった。
タカシは傷つき、それと同時に居場所を失った。
幸い父方の祖父母が引き取ってくれることになったが、そのせいで引っ越してしまうことになった。
タカシは居場所と共に、両親からも愛されることもなくなった・・・・・。
これが猫又の呪いであるとすれば、まさに俺のせいである。
だからタカシが引っ越すまでの間、毎日のように会いに行った。
近所の公園で遊んだり、ファミレスでご飯を食べたり、猫の集会に連れて行ってやったり・・・・・。
タカシはいつでも沈んだ顔をしていて、「ん」とさえ言わなくなっていた。
そしてそんな状態のまま、いよいよ呪いがかかってから十日が過ぎた。
タカシが家に帰った後、俺はずっと外で待っていた。
もし何かあったらいつでも助けられるようにと、気を張り詰めて家の前にいた。
しかし・・・・・何も起こらなかった。タカシは死ぬこともなく、家を出て学校へ向かって行った。
そしてこの町で最後の登校を終え、俺と一緒に家路を歩いていた。
お互いに黙ったまま歩いていると、タカシはふと足を止めた。
「どうした?」
「・・・・・・・・。」
「腹でも痛いか?」
「・・・・・・・ねこ。」
「ん?猫?」
「ゴンベエとハル・・・・・。デートをして、仲良くなった。」
「・・・・そうだな。ゴンベエはハルのことが好きだったけど、ハルはそうじゃなかった。
でもあの二匹は、今では大の仲良しだ。いずれ子供を産むかもしれない。」
「・・・・・川原で一緒に遊んで、仲良くなった。ハルはゴンベエを好きになって、これからずっと一緒にいる?」
「・・・多分な。でも先のことは誰にも分からない。」
「ゴンベエは、ハルに魚をとってあげた・・・・。でも溺れた。」
「ああ、間抜けな奴だ。泳げもしないのに川に入って、そのまま流されそうになったんだ。でもハルが助けた。何とか助かったゴンベエは、その口に小さな魚を咥えていた。自分は死にそうになっているのに、『これ、よかったら・・・・』って言ってな。笑えるというかなんと言うか・・・・・。ゴンベエらしいよ。」
「ハルはその時から、ゴンベエを好きになった?」
「そう言っていたな。出来もしないことをやろうとして、無様に失敗した。でもそれはハルの為で、しかもちゃんと魚を咥えていた。普通なら恥ずかしくて死にそうになるが、でもアイツはその魚をプレゼントしたんだ。だからハルは好きになった。不器用だけど、一途に自分のことを想ってくれるから。」
「・・・・・・・引っ越したくない。」
「ん?」
「・・・・八兵衛、一緒に行く?」
「・・・・そうだな。そうしてもいいかもしれない。お前が俺を必要とするなら、一緒について行ってやるさ。」
「・・・・・やっぱりいい。」
「なんで?」
「僕・・・・・引っ越さない。」
「それは無理だ。ここにいても、もう意味がない。」
諭すようにそう言うと、タカシはまた歩き出した。そしてそのまま家を通り過ぎ、真っ直ぐに歩いて行った。
俺は「どこへ行くんだ?」と尋ねようとしたが、すぐにやめた。
なぜならこの道の先には、あのプラネタリウムがあるからだ。
タカシは案の定、「星と光の館」までやって来た。そして俺に向かって、「アレ見よう・・・・」と呟いた。
「そうだな。引っ越す前に、もう一度見るか。」
俺は「星と光の館」を見上げながら、尻尾で身体を包んだ。
そしてタカシと同い年くらいの少年に変化し、「行こう」と言った。
「子供だけならタダで見れる。」
「・・・・・・・裸。」
「え?ああ!また・・・・・。」
人間に化けたのはいいが、いつものごとく裸だった。
このままでは中に入れない。しかしタカシはプラネタリウムを見たがっている。
俺は一か八かでもう一度変化の術を使い、人間の服を再現してみた。
「・・・・・出来たけど、ちょっと違うか?」
少年に似合う服に変化したつもりが、なぜか女の子用のワンピースになっていた。
しかしこの年頃なら・・・・まあ男女の違いなんて外見からは分かるまい。
俺はタカシの手を引き、そのまま中に入った。
受付にはこの前のおばさんがいて、タカシを見てニコリと微笑んだ。
「今日はお友達と一緒?」
「・・・・・・・・・・。」
「それとも兄妹?」
「・・・・・・・・・・。」
タカシは答えない。だから代わりに俺が答えた。
「妹です。」
「そう。可愛い服着てるね。」
「お兄ちゃんと一緒に、プラネタリウムを見たいんです。」
「いいわよ。子供は無料だから。じゃあこっちに。」
部屋に案内され、おばさんが出て行って照明が落ちる。俺たちは並んで座り、この前と同じように星を眺めた。
小さな光がゆっくりと周り、弧を描きながら流れていく。
「八兵衛・・・・・。」
「なんだ?」
「僕が川で魚をとったら、僕のこと好きになる?」
「そんなことしなくても、お前のことは好きだよ。」
「じゃあ赤ちゃん産む?」
「産まないし、産めない。友情と恋愛は違うんだ。」
「じゃあずっと一緒にいない?」
「・・・・いる、と言いたいけど、先のことは誰にも分からない。だけどお前が望むなら、いつまでも一緒にいてやるさ。」
「じゃあ魚はいらない?」
「いらない。代わりに猫缶にしてくれ。」
「またお金いる?」
「いらない。それにまたって言うな。俺は一度もお金は受け取ってない。」
「じゃあ猫缶あげたら引っ越さなくていい?」
「無理だ。一緒について行ってやるから我慢しろ。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・れんあいって何?」
「ズレたタイミングで聞く奴だな。」
「れんあいって何?」
「男と女が好きになることだ。たまに男同士とかでも好きなったりするけど、基本的には男女の関係のことだ。」
「じゃあ・・・・魚あげたられんあい出来る?」
「さあな。相手が魚好きならそうなるかもしれない。」
俺はタカシの手を握り、小さく微笑みかけた。
「いつか・・・・お前にもそういう人が出来るかもしれない。ゴンベエが頑張ってハルに気持ちを伝えたように、お前だって自分なりに気持ちを伝えればいいんだ。そうすれば、いつかずっと一緒にいられる人と出会えるさ。今は孤独でも、そうじゃなくなる時が必ず来る。その時まで、ゴンベエの笑えるエピソードを忘れるなよ。」
タカシは何も答えず、天井の星に目を戻した。小さな瞳に宇宙が反射して、どんな宝石よりも輝いて見える。
・・・・一人だけど、一人じゃない・・・・・。
孤独に群れて旅をする星たちは、いつか別の星と出会える可能性を秘めている。
規則正しく回るプラネタリウムじゃなく、本物の星たちは確かにそういう可能性を秘めている。
タカシのこれからの人生が、本物の星のように、出会いを秘めたものであることを願っていた。

猫又 八兵衛 第三話 一人だけど一人じゃない

  • 2014.12.19 Friday
  • 14:40
JUGEMテーマ:自作小説
猫又とは、長い時を経て不思議な力を手に入れた猫のことである。
俺はこの世に生まれて30年、今から10年前に猫又になった。
猫又になるのには素質がいる。まず霊力が強くないとダメだし、頭もそれなりに良くないといけない。
あとはだいたい20年ほど生きるということ。
個体差はあるが、だいたいそれくらい生きれば猫又になれる。
俺は猫又となって10年だが、まだまだ新米だ。
みんな80年だの90年だの生きていて、中には300年近く生きている奴もいる。
そう考えると、いかに俺が未熟であるかが分かる。
未熟者はいつだって過ちを犯し、時にその過ちを一生背負うことになる。
そして・・・俺は過ちを犯した。
猫又のルールを破り、人間の前で変化の術を使ってしまったのだ。
猫又の正体を知った人間は、呪いがかかって死ぬ。
俺が三日目前に一緒に遊んだ子供は、俺のせいで七日後に死ぬかもしれないのだ。
そう思うと胸が詰まり、まるで毒でも飲まされたように胃が痛んだ。
この三日間はロクに眠ることも出来ず、集会にも顔を出さなかった。
しかし家でただ悩んでいても仕方がない。だから今日は集会に行くことにした。
時刻は午後四時前。もうそろそろ夕方の集会が始まる頃だ。
俺は屋根を飛び越えて隣の家に移り、トコトコと歩いて牛乳屋に向かった。
夕方の集会の時にも、ごく稀に他の猫又が来ている。
カミカゼは何も教えてくれなかったけど、他の奴らなら何かピントをくれるかもしれない。
そう思って集会所までやって来ると・・・・・ビンゴ!!こういう時にピッタリの奴が来ていた。
「ムクゲ!」
そう叫ぶと、八割れの顔をしたメス猫がクルリと振り返った。
「ああ、八兵衛。こんばんわ。」
ムクゲはニコリと笑い、俺の方に歩いて来た。
そして開口一番、「アンタ猫又のルールを破ったんだって?」と笑われた。
「馬鹿よねえ、人間の前で変化するなんて。」
可笑しそうにそう言うので、「知ってるのか?」と尋ねた。
「カミカゼから聞いたわ。他の猫又もみんな知ってるわよ。」
「そうなのか・・・。だったら話が早い!実は相談が・・・・、」
そう言おうとした時、ピシャリと口を押さえられた。
「言いたいことは分かる。でも何も教えられないわ。」
「どうして!?猫又のルールだからか?」
「違う、カミカゼからそう言われてるのよ。こういう事を自分で解決しないと、一人前の猫又にはなれないって。」
「でもこのままだとタカシの命が・・・・、」
「それはそうだけど、私は何もしてあげられない。」
「じゃ、じゃあ・・・・せめてヒントだけでも!タカシを助ける為に、何をどうすればいいか見当もつかないんだ・・・。だからヒントだけでも教えてくれないか?」
俺は頭を下げて懇願した。他の猫たちが何事かと目を向け、ヒソヒソと話し始める。
「頼むムクゲ!お前だけが頼りなんだ!カミカゼは絶対に教えてくれないし、ヘチョコとチョンマゲもきっとアテにはならない。モミアゲは俺よりちょっとだけ先輩なだけだし、頼れるのはお前だけなんだ!だから・・・この通り!!」
「そんなこと言われても・・・・。」
「無理を承知で頼んでるんだ!お前からヒントを教えてもらったことは誰にも言わない。だから・・・・頼む!」
俺は人間の土下座のように頼みこんだ。地面に頭を付け、これでもかというくらいに姿勢を低くした。
周りからはガヤガヤと声が聞こえてくるが、そんなものは気にしていられない。
このままだと、俺のせいでタカシが死んでしまうんだから・・・。
「困ったわねえ・・・・どうしようかしら?」
ムクゲは悩んでいる。彼女は猫又の中でも特に優しいから、このまま頼み込めば押し切れるかもしれない。
そう思って土下座を続けていると、「ちょっといい?」と声がした。
いったい誰かと思って顔を上げて見ると、そこにはハルがいた。
「どうしたの?」
ムクゲがハルの方を向いて尋ねる。
「いや、さっきから見てると、なんだか揉めてるみたいだから・・・。何かあったの?」
「まあ・・・ちょっとね。」
「猫又同士の話し合いか何か?」
「そんなところかな。」
「でも八兵衛が頭を下げるなんて、よっぽどのことがあるんじゃないの?私でよかったら力になろうか?」
「うう〜ん・・・・気持ちはありがたいんだけど、ちょっと難しいかな。」
ムクゲは苦笑いしながら答える。すると「ほ!」と声がして、ゴンベエまで話に加わってきた。
「悪いとは思ったけど、さっきから聞き耳を立ててたんだ。八兵衛・・・・お前タカシのことで何か困ってんのか?」
そう言ってゴンベエが顔を覗きこんでくる。鼻水のついた顔を近づけ、「ん?」と見つめてきた。
「お前がそこまで困るなんて、よっぽどのことだろ?悩みがあるなら俺が聞いてやるぜ。」
「ゴンベエ・・・・。」
「ここんところ集会所に顔を見せないから心配してたんだ。ほら、今日は俺がいるから何でも話せ。」
そう言って偉そうに胸を張り、なぜか勝ち誇ったように笑っていた。
「ゴンベエ・・・・・お前、俺に恩を売りたいだけだろ?」
「え?」
「え?じゃないよ。どうせ俺に恩を売って、お気に入りのメスを落とすのを手伝わせるつもりなんだろ?」
「い・・・いや!そんなことはないよ!・・・・・多分?」
「なんで疑問形なんだよ。聞いてるのは俺だぞ?」
ゴンベエはごにょごにょと口ごもり、「別にそんなつもりは・・・・」と目を逸らした。
するとハルが嬉しそうにゴンベエの背中を叩き、「お気に入りのメスって誰!?」と目を輝かせた。
「ゴンベエってまったくそういうのに興味がないと思ってたわ。で、好きなメスって誰?」
「いや・・・・そんなのは別に・・・・、」
「恥ずかしがらないでいいじゃない。なんなら私が協力してあげよっか?」
ハルはニコニコと顔を近づける。ゴンベエは「お・・おお・・・」と震えだし、何も言えずに固まっていた。
「ねえねえ、誰?」
「お・・おお・・・・・。」
「お?おが頭文字の猫?」
「う・・・・おお・・・・・。」
「う・・・お?そんな猫いたっけ?」
「・・・・・・ノオオオオオオ!!」
「うのノオオオオオオオオ?それどこの猫よ?どっか別の国の猫?」
二匹は間抜けなやり取りを続け、俺は思わず吹き出してしまった。
すると突然ムクゲが「あ〜あ!私も誰かに好きになってもらいたいなあ〜!」と言いだした。
「猫又って他の猫から気を使われるから、ロクに恋愛も出来ないのよね〜。誰からも好かれないなんて、こんなんじゃ死んだ方がマシかしら?」
そう言いながらチラチラと俺の方を見て、「ウウン!」と咳払いをした。
「さて、今日はもう帰ろうっと。明日から家族旅行について行くの。隠岐の島で自然を満喫して来るわ。」
ムクゲは「ほんじゃ!」と尻尾を振り、トコトコと去っていった。
それを見たハルは、「ムクゲ・・・・可哀想」と呟いた。
「猫又って、普通の猫には分からない苦労があるのね。誰からも好かれないなんて、そんなんじゃ寂し過ぎる。」
ハルは心底悲しそうに言って、「待って!私はムクゲのこと好きよ!友達としてだけど!」と追いかけて行った。
残された俺とゴンベエは、顔を見合わせて首を捻った。
「今日のムクゲ・・・・なんか変だな。何かあったのか?」
そう尋ねられても、俺だって分からない。しかしあのわざとらしい言い方、ちょっと気になるな・・・・。
「どうした?急に難しい顔して。」
ゴンベエが不思議そうに見つめてくる。
俺はムクゲが去った方を睨みながら、「ゴンベエは孤独を感じたことはあるか?」と尋ねた。
「孤独?さあなあ・・・・あるようなないような・・・・。」
「そういう言い方をするってことは、孤独を感じたことがない証拠だ。ムクゲのわざとらしいさっきのセリフ・・・・・もしかしたら・・・・。」
俺はピンと尻尾を立て、ゴンベエの方を振り返った。
「なあ、タカシってどこに引っ越したんだ?」
「さあ?そこまでは聞いてないな。」
「ならお前の飼い主なら知ってるか?」
「多分な。お隣さんだから、きっと聞いてると思うぜ。」
「そうか・・・・。」
ムクゲの言ったこと・・・どうも引っ掛かる。あれは多分、それとなくタカシを救うヒントを教えてくれたに違いない。
《猫又は他の猫から気を使われ、誰にも好かれない・・・・。これじゃいっそ死んだ方がマシ・・・・。これをタカシに置き換えるとどうなる?あいつは自閉症を持っていて、友達がいないと言っていた。いや、それどころか、イジメに遭うから引っ越して行ったんだ・・・・。ならムクゲの言ったことを当てはめると・・・・・・、》
俺はじっと考える。ムクゲのヒントを元に、タカシを救う為の方法を・・・。
しかしすぐに何かが閃くわけでもなく、「ダメだ・・・」と首を振った。
「焦って考えてもしょうがない。まだあと七日あるんだし、今日はゆっくり考えてみよう。」
そう思って家に帰ろうとすると、ゴンベエが「タカシのことはいいのか?」と尋ねてきた。
「アイツの引っ越し先を知りたいんだろ?」
「おお!そうだった!」
「さっき聞いたばかりで忘れるなよ・・・・。」
ゴンベエは呆れ、何やらよからぬ顔で近づいてきた。
「なあ八兵衛。取引といかないか?」
「うん、そんなことを言いだしそうな顔だと思った。内容もだいたい察しがつく。」
「なら話が早い。」
ゴンベエはニヤリと笑い、さらに顔を近づけてこう言った。
「俺がどうにかしてじいさんとばあさんからタカシの引っ越し先を聞き出す。でもその代わりに、お前は俺とハルの仲を取り持ってくれ。」
「うんうん、そう言うと思った。別にそれは構わないが、絶対にお前らをくっつけることが出来るかどうかは分からないぞ?」
「それでもいい。今のままじゃいつまで経っても進展しないからな・・・。ここらで一発決めないと、いずれ他のオスに持っていかれちまう。」
「まあハルはモテるからな。行動は早い方がいい。」
「よし!じゃあ決まりだ!俺は明日にでもタカシの引っ越し先を教える。だからまあ・・・ハルとのことは・・・・、」
「分かってる。出来る限りのことはしてやるさ。」
「ほ!やっぱり持つべきものは友だな。じゃあ俺は今からタカシの引っ越し先を探ってくるよ。また明日ここでな!」
ゴンベエは嬉しそうに尻尾を振り、「ほ!ほ!」とスキップをしながら帰って行った。
俺はその姿を見送り、自分も家へと帰った。
そしてムクゲのヒントをじっくりと考え、お気に入りのクッションに寝転びながら窓の外を眺めていた。
「タカシよ・・・。お前と遊んだのはたった一度きりだが、あの夜のことが妙に胸に残っているんだ。これは・・・・お前の為というより、俺の為かもしれない。かつてお前と同じように、自閉症を抱えた子供がいたんだ。そいつは前のクソ飼い主の子供で、そいつだけが俺と仲良くしてくれた。残念ながらもうこの世にはいないが、あいつと過ごした時間は胸に残っている。だから・・・・もう一度お前と遊びたい。その為にはどうにかしてムクゲのヒントを解かないと・・・・。」
頭の中には、どのようにして繋がるのか分からないピースが散らばっている。
俺は猫又であって名探偵ではないので、ムクゲのくれたヒントを上手く繋げることが出来ない。
その日はじっと考え込むあまり、夜中の集会へ行くのも忘れてしまった。
次に目を覚ましたのは翌日の昼前で、クッションから立ち上がって大きなあくびをした。
前足で丁寧にブラッシングをし、皿に入ったカリカリを頬張る。
そしてベランダに向かって外に出ようとした時、窓の外に猫の影が映っているのに気づいた。
「ゴンベエ?」
そう呟くと、「ゴンベエ?じゃないだろ!」と怒られた。
「明日集会所で待ち合わせって言っただろ!朝から待っても来ないから、わざわざ来てやったぞ。」
「そりゃ悪かったな。すぐに出るよ。」
猫専用の小さな窓を潜り、ベランダに出る。ゴンベエはむっすりとした顔で座っていて、「タカシの引っ越し先が分かったぞ」と言った。
「おお!ホントか!で、どこへ言ったんだ?」
「すぐ近くだったよ。電車で三つ離れた駅の、カシミヤ町だ。」
「なんだ、すぐ近くじゃないか。」
「校区が違うから、ほんのちょっと離れるだけでも違う学校へ行けるんだと。」
「なるほどな・・・。よく調べてくれた、ありがとう。」
「けっこう大変だったんだぜ。俺はお前と違って人間の言葉は喋れないから、アレやコレやと工夫したんだ。」
「ほお、どんな風に?」
「タカシの家の庭に、アイツのオモチャが残ってたんだよ。そいつを咥えて家まで持って帰ったら、ばあさんが勝手に喋り出した。」
「なんだ、えらい簡単だな。」
「いいや、俺は名演技をしたんだ。いかにもタカシと友達だった風を装って、寂しそうにそのオモチャに頬ずりをした。そうしたらばあさんが『貴志君、お前に懐いていたもんねえ』とか言って話し始めたんだよ。」
「そりゃご苦労だったな。それじゃ俺はこれで。」
そう言って去ろうとすると、「おい待て!」と立ちふさがった。
「取引はまだ終わってないだろ?俺とハルの仲を取り持ってもらうおうか。」
ゴンベエは胸を張ってそう言った。カッコをつけているつもりかもしれないが、鼻水をペロペロ舐めているので台無しだ。
「昨日も言ったけど、あくまで仲を取り持つだけで、その後上手くいくかどうかはお前次第だぞ。」
「分かってるって。俺だってあれからメスのことを勉強したんだ。だからきっと上手くいく。」
「そうか。まあそこまで自信があるなら大丈夫だろ。」
俺は屋根を飛び移って歩き出した。鈍臭いゴンベエは屋根を飛び移ることが出来ないので、モタモタとベランダから抜け出して地面に降りていった。
そして二匹して集会所へ向かうと、今日は珍しい奴が来ていた。
「おお!モミアゲじゃないか!」
そう言って尻尾を振ると、黒地に顔の横だけ白い模様がある猫が振り返った。
「八兵衛!聞いたぞ、お前猫又のルールを破ったんだってな?」
「まあ・・・ちょっとな。」
「ルールを破るのにちょっともクソもあるかよ。お前・・・・アレだな?思ってたよりアホなんだな。」
「否定はしない。俺のせいで人間の子供が死ぬかもしれないからな。」
「まあなあ・・・もしそうなったら最悪だよなあ。その子供は何も悪くないのに。」
「その通りだよ。俺が迂闊なばっかりに、タカシを危険に追いやって・・・・、」
そう言おうとした時、ゴンベエが「待て待てい!」と割って入ってきた。
「今はモミアゲの相手をしてる場合じゃないだろ。」
「ん?ああ、そうだったな。で、ハルはどこにいるんだ?」
「あそこだよ。向井理のファンと盛り上がってる。」
そう言ってゴンベエは集会所の隅に目をやった。
そこでは数匹のメスたちがワイワイと盛り上がっていて、お気に入りの俳優について語っていた。
「・・・どうやら今日は、松田翔太について盛り上がってるらしいな。」
「コロコロ好みが変わるのがメスなんだなあ・・・。俺、やっぱりメスのことは分からない・・・。」
「ゴンベエよ、気落ちするのは早いぞ。俺が今からハルとの仲を取り持ってやる。ちょっとここで待ってろ。」
「分かった・・・・頼んだぞ!」
ゴンベエはビシっと敬礼し、戦場に赴く兵士のように俺を見送った。
《大げさな奴め。でもその分気合いが入ってるってことだな。》
俺は気を引き締め、メスたちの元まで歩いて、それとなく会話に加わった。
「俺は松田翔太より、兄貴の龍平の方が好きだな。」
そう言うと、メスたちは興味深そうに目を向けた。
「八兵衛ってああいうのがタイプなの?」
「まあな。だってカッコイイじゃないか。」
「そうよねえ・・・あの尖ってる感じがいいわよねえ。」
「うむ、男は尖ってなんぼだからな。彼の親父の松田優作も、セクシーで魅力的な男性だった。」
「分かる〜!クールで野暮ったい所がいいよね!」
「その通り。男にはああいうセクシーさが必要だ。ところで・・・ハルはどうだ?お前は伊藤敦が好みと言っていたが、ああいうのがタイプなのか?」
そう尋ねると、ハルは「そうねえ・・・」と上目づかいに答えた。
「彼もいいけど、スパイダーマンのトミー・マグワイアも捨てがたいわね。」
「俺も同意見だ。一見頼りなさそうに見えて、実は芯が強いっていうギャップが堪らない。」
「そうそう!まさにその通りなのよ!」
ハルは尻尾を振って喜び、「やっと分かってくれる猫がいた」と嬉しそうにした。
「ああいうタイプって母性をくすぐるのよねえ。私ってただカッコイイだけのオスには興味ないの。なんかこう・・・・献身的に尽くしてあげたくなっちゃうタイプが好き。」
「そうかそうか。だったらさ、ちょっと相談なんだけど、お前に想いを寄せている猫がいるんだ。」
そう言うと、メスたちは一気に色目気だった。
「ちょっとちょっと!ちょっとちょっと!」
「何それ!どこの誰!?」
「あんた達慌てすぎ。ハルはモテるんだから、想いを寄せるオスなんてミジンコの数だけいるのよ。・・・・・で、誰?」
「うむ。それはな・・・・・あそこにいる猫界のトビー・マグワイアだ。」
そう言ってゴンベエの方に目を向けると、メスたちは一気にクールダウンした。
「・・・ああ、アレか・・・。」
「なんか盛り上がって損した気分・・・。」
「あんた達露骨過ぎ。ハルに想いを寄せるオスなんて、ビーチの砂粒より多いんだから。・・・・・でも冷めたわ。」
「そう言うな。ゴンベエはあれでも男らしい奴だぞ。ただちょっと不器用だがな。」
俺はハルの方に目を向け、「どうだ?」と肩を竦めた。
「お前はゴンベエのことをどう思う?」
「どうって・・・・特に意識したことはないから何とも・・・・。」
「じゃあ好きでも嫌いでもないってことだな?」
「う〜ん・・・そうねえ・・・。友達としてなら好きだけど、オスとしては・・・・分からないかな。」
「いい答えだ。ならどういうオスか評価を下す為にも、一度アイツとデートをしてやってくれないか?」
「デート?」
「そうだ。オスってのは単純な生き物だから、一回デートすればどういう奴か分かる。特にゴンベエみたいな不器用な奴ならな。」
そう言うとハルは迷っていた。眉間に皺を寄せ、「ゴンベエがねえ・・・私をねえ・・・」と唸っている。
そしてしばらくしてから、「・・・・いいわ、一回くらいデートしてあげましょ」と頷いた。
「でも付き合うって前提じゃないからね。あくまで友達としてのデート。それでいい?」
「構わないよ。じゃあ早速ゴンベエに伝えてくる。」
俺はタタっとゴンベエの元まで駆け寄り、ハルの答えを耳打ちしてやった。
するとそれを聞いたゴンベエは、「ほほ!」と白目を剥いた。
「ま・・・マジか・・・?俺とデートしてくれるってのか・・・?」
「ああ、友達としてならOKらしい。」
「いい!それで構わない!」
「俺がお膳立て出来るのはここまでだ。あとはお前が上手くやれよ。」
そう言ってゴンベエの背中を押すと、嬉しそうにハルの元へ走っていった。
テンションが上がり過ぎて、途中でスキップをしながら・・・・・。
「分かりやすい奴だ。でもだからこそ信頼して付き合える。」
親友の恋の第一歩を見届け、なんだかとても良い事をした気分になる。
すると黙って見ていたモミアゲが、「青春だねえ〜」と遠い目をした。
「俺にもあんな歳頃があったなあ・・・。アレは隣の縄張りのミヨちゃんと・・・・・、」
「待て待て。思い出に浸るのはいいが、ちょっと俺の話を聞いてからにしてくれないか?」
モミアゲは「話?」と首を傾げ、畏まった顔で座り直した。
「お前が相談なんて珍しいな。もしかしてタカシって子供のことか?」
「そうだよ。」
「言っとくけど、何もアドバイス出来ないからな。カミカゼに釘を刺されてるんだ。」
「分かってるよ、ムクゲもそう言っていたからな。だからちょっとナゾナゾに答えてくれたらいいだけだ。」
「ナゾナゾ?」
「ああ。猫でも人間でも、死んだ方がマシだって思うことって何だと思う?」
「なんだそれ?ナゾナゾじゃないじゃないか。ただの禅問答になってるぞ。」
「まあまあ、細かいことは気にせずに、思いついた答えを聞かせてくれよ。」
そう催促すると、モミアゲは尻尾でモミアゲ模様を触りながら、「モミアゲねえ・・・・」と唸った。
「モミアゲじゃない。ナゾナゾだ。」
「う〜ん・・・・難しいな。・・・・食うもんが無いとか?」
「それはただの餓死だ。そうじゃなくて、もっと内面的なものというか・・・分かるだろ?」
「内面的か・・・・。ますます禅問答だな。」
モミアゲはギュッと目を瞑り、まるで一休さんみたいにトンチを考える顔をした。
そして「モミアゲ、モミアゲ・・・・」と呟きながら、ひたすらモミアゲ模様を触っていた。
「・・・・もしかしたら・・・・・、」
「もしかしたら?」
「アレだな・・・・ほら、ウサギが死ぬ時みたいな?」
「ウサギ?」
「ウサギは寂しいと死ぬって言うだろ?まああんなもんはガセだけど、でも気持ちは分かるよな。
もし周りに誰もいなくて孤独だったら、なんで自分は一人なんだろうって悩むと思う。」
「ほうほう、孤独ねえ・・・。ならそれをどうにかするには・・・・?」
「どうにかするには・・・・・友達を作る、かな。」
「じゃあ友達が出来なかったらどうする?口ベタでコミニケーションが苦手だったら、その場合はどうする?」
「・・・・家族とかが支えになるんじゃないか?」
「うんうん、じゃあその家族からも見放されたら?」
「・・・・恋愛に走るとか?」
「ふむふむ、じゃあ恋愛も上手くいかなかったら?」
「・・・・人間に化けて、キャバ嬢に慰めてもらう。金はかかるが、一人ぼっちでいるよりかはマシだ。」
モミアゲはそう答えた後、急に「アケミちゃん!」と叫んだ。
「隣街のキャバクラに、いい女がいるんだよ!でも金がかかって仕方ないんだ・・・・。
なあ八兵衛。ナゾナゾに答えたお礼に、ちょっと金を貸して・・・・・・って、おい八兵衛!」
俺はモミアゲを無視して、ゴンベエの方に歩いて行った。
「おいゴンベエ、ちょっといいか?」
そう言って背中をつつくと、「よくない」と答えた。
「俺は今ハルとデートの段取りを話し合ってるんだ。見れば分かるだろ。」
「じゃあハルに聞こう。ちょっとゴンベエを借りてもいいか?」
そう尋ねると、「どうぞ」とアッサリ頷いた。
「おいハル!俺たちは今大事な話をして・・・・・、」
「たかがデートじゃない。まあ明日にでも近所の川原へ行って、適当に散歩でもしましょうよ。」
「うう・・・むむむ・・・・。後でプランを提出する。よく吟味の上、答えを聞かせてもらいたい。」
ゴンベエは眉間に皺を寄せてそう言うが、ハルはまったく聞いちゃいなかった。
メスたちのおしゃべりに加わり、「佐々木蔵ノ助もいいわよねえ」と盛り上がっていた。
「というわけだ。ゴンベエ、ちょっと耳を貸せ。」
「・・・・・・・ヤダ。」
「拗ねるなよ。デートはしてもらえるんだから、その時に男を見せればいいだけだ。」
「・・・・そうだな。そうだよな!」
ゴンベエはパッと明るくなり、「なんの用だ?」とケロっとした顔で尋ねた。
「お前ってさ・・・・本当に分かりやすいよな。ちょっと羨ましいよ。」
「そんな話はどうでもいい。俺はプランを提出の上、よく吟味をしてもらわなきゃいけないんだ。用があるなら早く済ませろ。」
そう言って偉そうに胸を張り、もうハルの恋猫気分でいやがった。
「あのな、もしデートが上手くいったら、ハルと一緒にタカシの所までついて来てくれないか?」
「タカシの?なんで?」
ゴンベエは不思議そうに首を捻る。俺はニヤリと笑い、こう答えた。
「タカシを救う為さ。」


            *


ゴンベエがハルとデートをしてから二日後、俺は電車に乗っていた。
どこにでもいそうな平凡な顔立ちの男に化け、手には猫が二匹入ったカゴをぶら下げていた。
地方都市のローカル電車は、ゆっくりと景色を流していく。
たまには電車も悪くないもんだと思い、吊革に掴みながら揺られていた。
するとカゴに入った猫たちが、「狭い!」と怒った。
「おい!これ二匹も入れるカゴじゃないぞ。もっと大きな奴はなかったのか?」
「悪いなゴンベエ。家にこれしかなかったんだよ。」
「でもこう狭くちゃ窮屈で仕方がない。ロクに身動きも取れないよ。」
「その割には幸せそうじゃないか。恋猫とピッタリ密着出来るんだ。考えようによっては悪くないだろ?」
「まあ・・・・それはそうだけど・・・・。」
ゴンベエはコホンと咳払いをし、隣に座る猫を見つめた。
「ハル・・・窮屈じゃないか?」
「ちょっとね。でも大丈夫。すぐ着くんでしょ?」
「ああ、後15分くらいだ。それまでは我慢してくれよ。」
「平気平気。だって・・・ゴンベエはもう私の恋猫だもん。一緒の空間でピッタリくっつけるなんて、ちょっと幸せよ。」
「ハル・・・・。俺・・・・俺は・・・・頑張ってお前を幸せにするからな!」
「うん、期待してる。」
二匹は幸せそうに身体をくっつけ、仲睦まじく頬ずりをしていた。
《たった一回のデートで、よくここまでこぎつけたもんだ。ちょっとビックリだよ。》
あの不器用なゴンベエが、一度きりのデートでハルを落とした。
いったいどんなデートをしたのか知らないが、親友が幸せなのは何よりだ。
電車は一つ目の駅に着き、乗客が降りていく。
俺は空いた席に座り、流れる景色を見つめながら運ばれていった。
そして電車に乗ってから20分弱、タカシのいるカシミヤ町に着いた。
ホームを出ると、ゴンベエが「もう出してくれ」と言い、ハルと並んでイチャイチャしながら歩き出した。
「おい!そこの二匹!そっちじゃなくてこっちだ。」
「え?ああ、ごめんごめん。今の俺にはハルしか目に入らないから。」
「惚気るのはいいが、ちゃんとついて来てくれよ。タカシを救う鍵はお前らにあるんだからな。」
そう言って駅の左側に歩き出すと、二匹はトコトコとついて来た。
そしてイチャイチャぶりを発揮しながら、「どうしてタカシを救うのに俺たちが必要なんだ?」と尋ねた。
「行けば分かる。ああ、それと・・・よかったらタカシの前で、お前たちが付き合い始めた経緯を聞かせてやってほしいんだ。」
「だからどうして?」
「行けば分かる。」
二匹は不思議そうに顔を見合わせていたが、すぐにイチャイチャして後をついて来た。
俺はボロい家の並ぶ道を抜け、踏切を渡って真っ直ぐ歩いた。
タカシの家はこの先にある。
俺がゴンベエに変化して、コイツの飼い主から聞いたから間違いない。
カシミヤ町はかなりの田舎で、それでもそれなりに人が住んでいる。
ここのすぐ隣に政令指定都市があるもんだから、ベッドタウンとして利用する人間が多いのだ。
タカシの家へ続く道を歩いていると、何匹かの野良猫がいた。
「知らない猫がいっぱいいるな。」
ゴンベエがそう呟くと、ハルが「私が守ってあげるわよ」と言った。
「いやいや、守るのは俺の役目さ。ハルは危ないから手を出しちゃダメだ。」
そう言った途端、やたらとガタイのいい猫が絡んで来た。
顔に傷のある茶トラの猫で、この風格からしてこの辺りのボスだろう。
厳つい顔でノシノシと歩いて来て、「・・・・・・。」と無言でメンチを切った。
ゴンベエは「なんだねチミは・・・・」と立ちはだかったが、その足はブルブルと震えていた。
そして二の句を継ぐ暇もなく、たった一発のパンチでノックアウトされた。
「・・・・・弱いな。」
俺はボソリと呟き、足でシッシと茶トラを追い払った。
するとその途端にハルが、「何してくれとんじゃあああああああ!!」と茶トラに食ってかかった。
そして倍以上も体格差がある相手に、迷うことなく飛びかかった。
二匹は激しい喧嘩を始め、周りにいた猫が何事かと目を向ける。
俺はゴンベエを抱え上げ、「助けなくていいのか?」と尋ねた。
「・・・・・・ムリ。」
「どうして?ハルを守るんだろ?」
「だって・・・・あの茶トラ強いんだもん・・・・・。」
「それはどっちの茶トラ?ハルも茶トラだから分からないぞ。」
「・・・・・どっちも。」
「ダメだなこりゃ・・・・。」
猫界のトビー・マグワイアは、残念ながらスパイダーマンのようには成れないらしい。
俺は喧嘩をしている二匹の方に行き、ヒョイっとハルを摘まみあげた。
「ちょっと!邪魔しないで!」
「今日は喧嘩をしに来たんじゃないぞ。」
「だってそこのボケが、ゴンベエを苛めたんだもん!」
「いや、あれは苛めじゃない。初めて顔を合わせたオス同士ならよくあることだ。まあただの喧嘩だな。」
「それは知ってるけど・・・・でも・・・・、」
「喧嘩と苛めは違う。喧嘩は縄張りなりプライドなりを懸けてやるもんだが、苛めは一方的な暴力だ。現にあの茶トラは、ゴンベエをノックアウトした後は手を出さなかっただろ?」
「でも愛しい恋猫がぶたれたのよ!カッとなっても仕方ないでしょ!」
「まあ・・・気持ちは分かる。でもあの茶トラはもういないぞ。」
そう言って茶トラのいた方に向けると、「逃げた!」と叫んだ。
「逃げんなコラ!戻って来いやあああああ!!」
「もういいから。ゴンベエを介抱してやれ。」
そう言ってゴンベエの元に下ろすと、心配そうに「大丈夫・・・・?」と覗きこんでいた。
「・・・・ごめんよお・・・・弱っちくて・・・・。」
「仕方ないわよ。だってゴンベエだもん。」
「・・・・・・酷い。」
「酷くないわ。デートの時に言ったでしょ。私は献身的に尽くしてあげたくなるオスが好きだって・・・・、」
ハルがそう言いかけた時、俺は「ちょっとタンマ!」と止めた。
「何?」
「悪いんだけど、今のセリフまちょっと待ってくれ。アイツに聞かせてやりたいから。」
俺は駅の方を睨み、そちらから歩いて来る少年に手を振った。
「タカシ!」
そう叫んで駆け寄ると、タカシはギョッとした様子で逃げて行った。
「おい!何で逃げる!?・・・・・・って、ああ、こんな姿をしてるからか。」
今俺が化けている人間を、タカシは知らない。だから猫に戻って追いかけた。
猫の足なら少年に追いつくなどたやすい。俺はあっという間にタカシの前に回り込み、「俺だよ」と話しかけた。
「この前公園で一緒に遊んだだろ?」
「・・・・・・・・。」
「つい最近のことだから覚えてるだろう?ほれ。」
そう言って向井理モドキに変身すると、「ん!ん!」と指を差した。
「思い出したか。ならちょっと俺と話そう。どっかの喫茶店にでも・・・・、」
そう言いかけた時、「いやあ!裸の人が子供を襲ってる!」と若い女の声が響いた。
「あ、ヤバイ!猫に戻ったから服が脱げたんだ。」
今の俺には服まで再現する力はない。だから人間に変化した後、家から服を拝借してきたのだが、猫に戻った瞬間に脱げてしまったようだ。
着ていた服はハルの近くに落ちていて、慌てて拾いに戻った。
そしてサッと服を着ると、「行くぞ!」とタカシの手を引いた。
「ハル、ゴンベエ!早く逃げろ!」
女はまだ叫んでいて、ケータイを取り出して警察を呼んでいる。
俺たちは一目散に駆け出し、とにかく逃げた。
俺に手を引かれながら、タカシは混乱したように目を白黒させていた。

猫又 八兵衛 第二話 猫の集会所(2)

  • 2014.12.18 Thursday
  • 14:09
JUGEMテーマ:自作小説
ここは猫の集まる集会所。俺の家の近所にある、牛乳屋の庭。
時刻は月夜も眠る丑三つ時だが、あいにく月は眠っていない。
青白い光を投げかけ、辺りに強い影を作っている。
俺は家を抜け出し、夜中の集会にやって来た。
猫又の先輩方に会い、ありがたい説教なりアドバイスなりを聞く為だ。
しかしどの猫又も帰ってしまい、俺一匹になってしまった。
俺も帰ろうかと思った所で、昼間に会った人間のガキがやって来た。
ガキは植え込みの中に隠れる俺を見つけ出し、ポケットから猫缶を取り出す。
そして俺の方に向かって、「ん」と差し出した。
俺たちはしばらく見つめ合う。お互いの顔を確認するように、睨むような視線を飛ばし合った。
《どうしてこんな夜中に人間のガキが・・・・?》
不思議に思っていると、ガキはまた「ん」と言って猫缶を差し出した。
強い目で俺を睨み、石像のように固まったまま動かない。
「・・・・くれるのか?」
猫の言葉ではなく、人間の言葉で尋ねてみる。
ガキはギョッとして驚いていたが、すぐに「ん」と猫缶を差し出した。
「・・・・まあ・・・くれるならもらっておくか。」
俺はありがたく猫缶を頂き、前足の爪で器用に開けた。
「これけっこう良いやつじゃないか。自分で買ってきたのか?」
「・・・・ん。」
「そうか・・・なんか悪いな、ごちそうになって。ていうかよく俺を見つけられたな。暗視ゴーグルでも持ってるのか?」
「・・・・ん〜ん。」
「そうだな。ガキがそんなもん持ってるわけないよな。じゃあなんで俺がここにいるのが分かった?」
「・・・・・・ん。」
「鼻?もしかして臭いか?」
「ん。」
「そうか。ずいぶんいい鼻を持ってるんだな。臭いに敏感か?」
そう尋ねると、ガキは「ん」と言いながら、鼻と目、そして耳を指差した。
「ほうほう、目と耳も利くのか。」
「んん。」
「ふんふん、肌と舌も敏感と。お前・・・五感が鋭いんだな。」
「ん?」
「五感だよ五感。目とか鼻とか、そういう感覚器官のことだ。」
「・・・・・・・?」
「お前の歳じゃ、まだ五感って言葉は覚えてないのか。まあいいや。とりあえず猫缶を頂こう。」
俺は植え込みの中から這い出し、手を合わせてから猫缶を頂いた。
上物の猫缶は舌がとろけそうになる。
人間で例えるなら、普段はスーパーの1パック290円の肉しか食っていない奴が、いきなり神戸牛をご馳走されたようなものだ。
舌の上に至福の喜びを感じながら、あっという間に猫缶を平らげた。
「いやあ、旨かった!ごちそうさん。」
そうお礼を言うと、ガキはニコリと笑った。
「あのさ、猫缶を食ってから聞くのもアレなんだけど、どうしてコレを俺に?」
「・・・・・・・・。」
「なんで黙る?何か理由があるんだろ?」
「・・・・・・・・。」
「そんな恥ずかしがらないでいい。ほら、理由を言ってみろ。」
そう言って近づくと、ガキは「ん、ん、ん」と首を振った。
そしてギュッと目を閉じ、せわしなく手を動かして震えだした。
「ああ、すまんすまん。言いたくないなら言わなくていい。ちょっと気になったから聞いただけだ。」
「・・・・・・・・・。」
ガキは目を開け、ポケットからもう一個猫缶を取り出した。
「おいおい、二つもくれるのか?」
「ん。」
「そりゃあ嬉しいけど・・・・お前の財布は大丈夫なのか?」
「?」
「金のことだよ。お小遣いもらってるんだろ?」
「ん〜ん。」
「貰ってないのか?じゃあコレはどうやって買ったんだ?」
「・・・・・・・・。」
「・・・・もしかして、親の財布から金を取ってきたのか?」
「・・・・・!!」
「図星かよ・・・。心配しなくても、誰にも言ったりしないよ。ていうかこの猫缶は貰っていいんだな?」
「ん。」
「よし!それじゃお代わりといこう。」
俺は本日二度目の神戸牛、もとい猫缶を頬張る。
そして舌がとろけそうになるのを感じながら、じっとガキを見つめてみた。
《興味津津で俺を見てるな。しかし表情が分かりにくい。目はランランとしてるけど、いまいち感情が読み取れないな。》
ガキはじっと座ったまま動かない。ただただ俺の食事風景を見つめ、その目に月の光を反射させていた。
猫缶を食べ終えた俺は、「旨かったよ」と礼を言い、「一ついいかな?」と尋ねてみた。
「お前さ・・・もしかして言葉が喋れないのか?」
「・・・・ん〜ん。」
「じゃあなんで『ん』しか言わない?」
「・・・・・・・・・ん。」
「ん、じゃないよ。これは俺の勝手な想像だけど、お前ってもしかして・・・自閉症ってやつか?」
「ん!ん!」
「そうか・・・やっぱりか。昔にお前みたいなガキがいたんだよ。あんまり喋らなくて、いまいち表情ってもんが読み取りにくい。でも頭は良くて、しかも五感が鋭いときている。だからもしかしたらと思ったんだが、当たりだったか。」
「ん・・・んん。」
「うんうん、分かるぞ、お前の悩みは。どうして同級生から嫌われるのか分からないんだな。」
「・・・・・・・・・・。」
「まあ仕方ないさ。自閉症ってのは病気とは違うから、それがお前にとっての普通ってことだ。友達がいなかろうが、上手く喋れなかろうが、それがお前ってもんだ。そうだろ?だからあまり自分を責めるな。」
「・・・・・・・・・?」
「こんな説教はまだ早いか・・・・。まあいいや。これでお前が猫缶をくれた理由が分かった。お前・・・俺と仲良くなりたかったんだろ?」
「ん。」
「そうか。なら俺が友達になってやろう。猫缶をくれたお礼にな。」
「・・・んん。」
「変な所で常識を振りかざすな。物で誰かを釣るのだって、立派な手段なんだ。お前だってそれを狙ってここへやって来たんだろ?」
「?」
「・・・・なんにも考えてなかったか・・・。」
俺は肩を竦めて首を振り、ガキの目をじっと睨んだ。
「いいかガキ。お前は人と違う。でも病気じゃないんだ。」
「・・・・・・んん。」
「まあ最後まで聞け。世の中には色んな奴がいてな、一人として同じ奴なんていない。背負ってるもんだって、みんな人それぞれだ。」
「?」
「俺はお前より遥かに長生きしている。だから今までに色んな奴を見てきた。人間でも動物でも、変わった奴はとにかくたくさんいるんだよ。今はまだ分からないかもしれないが、大人になるにつれて、ちょっとずつ理解してくるだろう。」
「???」
「だから常識に囚われる必要なんてない。別にルールを犯せと言っているわけじゃないが、自分の毛色と違うことを求めても仕方ないってことなんだよ。誰だって分相応、そして向き不向きがある。今は苦しくても、きっといつかお前の道が見つかるだろう。だからここは、遠慮なく俺と友達になればいい。今は理解出来なくても、この言葉を胸にしまっておけ。」
そう言ってカッコをつけると、ガキは退屈そうにあくびをしやがった。
「聞いちゃいないな・・・。せっかくいい事言ったつもりなのに・・・。」
「ん!ん!」
「なんだ?」
「ん!」
ガキは暗闇の向こうを指差し、そっちへ行きたいという風に足踏みをした。
「ああ、確かそっちは公園だったな。じゃあ一緒に遊ぶか?」
「んん!」
ガキに必要なのはウンチク臭い説教ではなく、一緒に公園で遊ぶことだったらしい。
俺はガキの横に歩き、「行くか?」と尻尾を振った。
「ん!ん!」
「よしよし、しばらく付き合ってやるよ。でもアレだぞ、あんまり長くは無理だからな。」
「・・・・ん。」
「仕方ないだろ。こんな夜中にガキが遊んでたら、誰かが見たら変に思うだろ?だからちょっと遊んだら帰るんだ。家まで送ってやるから。」
「・・・・・・・。」
「そんなしょげた顔するな。俺は毎日ここにいるから、また明日来ればいい。」
そう言って尻尾をガキの手に巻きつけ、そのまま公園へ歩いていった。
夜中の公園はもちろん誰もいない。月夜の中に遊具が佇み、昼間とは違った顔を見せている。
「誰もいない公園ってのは、ちと寂しいもんだよなあ。でも今日は貸し切りだぞ。嬉しいだろ?」
「ん!」
「じゃあとりあえずブランコから行くか。」
そう言ってブランコまで向かった時、ふと思い立った。
《今ここで人間に変化したらどうなるんだろう・・・。やっぱり死ぬのかな?》
以前にカミカゼが言っていた。安易に人前で変化をすると、猫又のルールを犯すことになると。
するとその猫又は死んでしまうらしい。
《・・・・ホントかどうか疑わしいよな。ちょっと試してみるか。》
怖い気持ちはあるが、好奇心の方が勝ってくる。俺はガキの方を振り向き、ニンと笑って見せた。
「おいガキ。俺もお前と同じで、他の奴らとは違うんだ。それを今から見せてやる。」
そう言って尻尾を伸ばし、自分の身体を包んだ。
そして今日覚えたばかりの新しい人間、向井理に変化した・・・・・つもりだった。
「・・・・なんかちょっと違うな・・・・。本物のよりだいぶん背が低くなっちまった。それに裸のままだし・・・。」
不出来な変化に落ち込んでいると、ガキは「んん!」と目を見開いて驚いていた。
「だから言っただろう、俺は普通の猫じゃないって。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・死なないな。人間に見られても平気じゃないか。」
かなりビクビクしていたのに、俺はちゃんと生きている。カミカゼも適当なことを言うんもんだと思い、心の中で笑った。
「よし、それじゃ遊ぶか!」
俺はガキの手を引き、一緒にブランコに乗った。
裸の大人とガキが、深夜の公園で遊んでいる・・・。
警察に見つかれば捕まるのは確実だが、その時は猫になって逃げればいい。
だからガキとの遊具遊びに熱中した。
《人間になって遊ぶのも、なかなか悪くない。》
カミカゼは言っていた。ただ変化して楽しんでいるだけじゃ、いつまで経っても上達しないと。
今ならあの言葉の意味が分かる。なぜなら自分ではない者に化けて遊ぶというのは、思っていたより楽しいからだ。
《物事は楽しくないと上達しないってわけか。別に苦行みたいに練習する必要はないんだよな。》
気がつけば次々と遊具を変え、ガキと一緒になってはしゃいでいた。
時間も忘れて遊び回り、誰もいない公園を二人占めにしていた。
やがて空は白々と明け始め、犬を連れた人間がやって来た。
「いやあ!!変態がいる!」
ババアが大声で叫び、犬を引きずって逃げていく。もうここらへんが潮時だと思い、猫に戻ってから「逃げるぞ!」と走った。
ガキは楽しそうについて来て、あの集会所まで戻って来た。
「楽しい夜だったな。満足したか?」
「んん!」
「よし。じゃあ今日はもう帰って寝ろ。しんどいなら学校なんてサボればいいから。」
「・・・・ん。」
「一日休んだってどうってことはない。それよりお前の親が目を覚ます前に戻らないと。見つかると怒られるぞ。」
俺は歩き出し、「家はどこだ?」と尋ねた。ガキは「ん、ん」と前を歩いて行くので、トコトコと後ろをついて行った。
そうして歩くこと十分ほど。大きなドラッグストアの前に、ベージュ色の三階建てが見えてきた。
ガキはその家の前で立ち止まり、「ん」と指差した。
「ここがお前の家か。ずいぶん良い家だな?」
「ん・・・んん!」
「そうかそうか。なんだか分からんが、楽しそうで何よりだ。」
俺はクルリと踵を返し、ガキを振り返った。
「じゃあな。俺は朝、夕方、夜中とあの牛乳屋にいる。今度は朝か夕方に来い。また一緒に遊んでやるから。」
そう言い残して去ろうとすると、ガキはじっとこちらを見つめていた。
「早く帰って寝ろ。」
「・・・・・・・・・。」
そう言ってもまだこちらを見ていたが、やがてタタッと駆けて家に入って行った。
そして一分もしないうちに出てきて、「ん」と何かを差し出した。
「なんだこれは?」
「ん。」
ガキが差し出したのはお金だった。小さな手の中に、五千円札を一枚握っている。
「また親の金を盗ってきたのか?」
「ん、んん!」
「これで猫缶を買えってか。」
「んん!」
ガキはじっと五千円札を差し出す。ニコニコと笑いながら、受け取るまで帰らないつもりのようだ。
俺は尻尾を振り、ピシャリとその五千円を叩き落とした。
「言い忘れたが、一度友達になったなら物で釣るのはやめろ。」
「?」
「キッカケを作る為に、物で気を引くのは構わない。でもずっと相手に貢いでいたら、それはもう友達とは呼べなくなる。だからこの金は早く財布に戻して来い。」
「・・・・・・・・。」
「ほら、さっさと行け!親に見つかるぞ!」
そう言って唸ると、ガキは慌てて戻って行った。
「さて・・・俺もそろそろ帰るか。一晩中遊んで腹が減ったよ。」
ガキが出てこないうちに、サッとその場から立ち去る。
近くの塀に上り、他所の家の庭を越え、ゴミ置き場の路地を抜けて家まで戻ってきた。
そしてトタン屋根にジャンプし、そこから二階のベランダに移る。
出窓の横には猫専用の出入り口があって、そこを通って家に入った。
トコトコと廊下を歩き、俺専用のクッションの上に寝転がる。
疲れた身体はすぐに眠くなり、目を閉じるとあっという間に夢に落ちた。
《楽しい夜だった・・・・。今度は何に化けて一緒に遊んでやろうかな。》
初めて出来た人間の友達を想い、そのまま意識の底へと没頭していく。
夢の中では、完璧な向井理に化けた俺が、あのガキと一緒にブランコに揺られていた。


            *


翌日の朝、俺は猫の集会所に来ていた。
もしかしたらあのガキが来るかと思っていたが、まったく姿を見せなかった。
「まあこの時間なら学校か。夕方には来るだろ。」
そう思って夕方に行くと、またしてもガキは来なかった。
「来ないな・・・・。昨日の今日でさすがに疲れてるか?」
俺は陽が傾くまで待っていたが、それでもガキは来なかった。
今日はもう来ないのだろうと思い、あくびをしてから家路につくことにした。
すると入れ違いでゴンベエがやって来て、「ほ!」と尻尾を上げた。
「よう八兵衛。」
「おお、ゴンベエか。ちょっと聞いてくれよ。昨日人間の友達が出来たんだ。」
「人間の友達・・・・?」
ゴンベエは不思議そうに首を捻るので、昨日の出来事を話してやった。
すると目を閉じて首を振り、「そりゃ残念だったな・・・」と呟いた。
「残念?何がだ?」
「お前の言う友達ってタカシのことだろ?アイツなら今日引っ越して行ったよ。」
「なんだって!引っ越した!?」
「学校でずいぶん酷いイジメに遭っていたそうでな・・・。親が別の学校に入れる為に引っ越したらしいんだよ。」
「それは・・・ホントか?」
「うちのじいさんが言ってるのを聞いたから、多分間違いない。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そんな顔すんなよ。タカシもこの街で思い出が出来てよかっただろ。それより昨日の話の続きなんだけど、メスを理解するにはいったいどうやったら・・・・、」
ゴンベエが喋りかけてくるが、俺は何も聞いちゃいなかった。
頭の中で「ん」というタカシの顔が浮かび、強く胸が締め付けられた。
その日はすぐに集会所を後にして、家に帰ってボケっとしていた。
そして夜中に集会所にやって来ると、今夜はカミカゼだけが来ていた。
「どうした八兵衛?ずいぶん浮かない顔をしているが・・・・。」
カミカゼが心配そうに顔を覗きこんでくる。
俺はあのガキとの一件を話し、妙に気持ちが落ち着かないのだと言った。
するとその途端にカミカゼは表情を変え、「それは本当の話か?」と怖い顔をした。
「嘘を言うわけないだろ。」
「・・・・そうか、本当の話か・・・。だったらマズイな。」
「何がだ?」
「俺は以前に言っただろう。猫又の正体がバレたら死ぬって。」
「ああ、言っていたな。でも俺はちゃんと生きてるぞ。」
そう言って胸を張ると、「そうじゃない」と怒られた。
「死ぬのはお前じゃなくて、変化を見た人間の方なんだよ。」
「なんだって?人間の方?」
「そのタカシという子供・・・・十日以内に死ぬぞ。」
「十日以内に?・・・・・嘘だよな?」
「いいや、本当だ。猫又は決して正体がバレてはいけない。だからそれを目撃した人間は、呪いがかかって死ぬんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そんな顔したって無駄だ。そのタカシという子供は間違いなく死ぬ。・・・・・お前のせいでな。」
カミカゼはそう言い残し、今度は伊藤敦に化けて去っていく。
「今日はいつもとは別のキャバクラへ行く。そこの嬢がコイツのファンなんだ。」
そう言って自分の顔を指差し、「じゃあな」と手を振った。
「・・・・俺のせいで・・・・あのガキが死ぬ・・・・・。」
思いもよらないことを聞かされ、その場から動くことが出来なかった。
しかしすぐに我を取り戻し、慌ててカミカゼを追いかけた。
「おい!何か手はないのか?あのガキを・・・・タカシを救う方法はないのか!?」
そう叫んで前に立ちはだかると、カミカゼは「ある・・・」と答えた。
「でも教えることは出来ない。」
「どうして!?」
「それもまた猫又のルールだからだ。どうやればタカシとやらを助けられるか、自分で答えを見つけ出すんだな。」
「ちょっと待てよ!そんな思わせぶりなことだけ言うなんて卑怯だぞ!」
「卑怯だと?意味が分からないな。元はといえばルールを犯したお前が悪いんだろう?」
「そうだけど・・・・でもちゃんとそのことを教えておいてくれれば・・・・、」
そう言いかけた時、カミカゼは足で俺を蹴り払った。
「おい!何をする!?」
「邪魔だ。俺は今から嬢を落としに行くんだ。タカシとやらのことなんて知ったこっちゃない。」
「でも・・・・、」
「しつこいぞ。自分で犯した過ちだろう。なら自分で尻を拭え。それもまた・・・猫又にとっての成長になる。」
カミカゼはシッシと俺を追い払い、そのまま夜の闇へと消えて行った・・・・・・。
俺はポツンと残され、誰もいない集会所で立ち尽くした。
《俺のせいで・・・・・タカシが死ぬ?そんな馬鹿な・・・・・。》
昨日の夜、俺たちは一緒に公園で遊んだ。
時間が経つのも忘れ、ブランコに乗ったりジャングルジムに登ったりしてはしゃいだ。
タカシは楽しそうに笑っていて、俺もそれにつられて笑っていた。
あの時のことを思い出していると、自然に公園へと向かっていた。
昨日遊んだ遊具は、夜の中に佇んでいる。その姿はとても寂しく、誰かに遊んでほしそうに見えた。
俺は滑り台の上に登り、小さな砂場を見つめた。
「俺は・・・・どうすりゃいい?もしこのままタカシが死んだら・・・・・どう責任を取れば・・・・。」
あのガキを勇気づける為、カッコをつけてウンチクを垂れた。
なのにこの俺が死の引き金になるなんて・・・・・こんな滑稽な話はない。
「・・・・・うう・・・ウウウウオオ・・・・・・。」
爪を食い込ませ、牙を剥き出す。安易に猫又のルールを破った自分を呪い、そして悔やんだ。
公園には秋の冷たい風が駆け抜け、昨日の出来事が思い出される。
たかしは「ん」と言いながら笑っていて、その無邪気な笑顔が胸に痛みを与えた。
「ウウウウ・・うう・・・・・ウウオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
月の浮かぶ夜空に遠吠えがこだまする。後悔と怒りの念が、渦を巻くように広がっていった。
「このまま死なせてたまるか!何が猫又のルールだ!そんなもん・・・・そんなもんは知ったこっちゃない!!何が何でも死なせるものか!!」
そう誓ったものの、いったいどうすれば助けられるのか見当もつかない。
きっとカミカゼは何も教えてくれないだろうし、そもそもタカシがどこに引っ越したのかも分からない。
だから・・・・ただひたすら吠えていた。この誓いが消えないように、強い不安に押しつぶされないように、稲妻のように雄叫びを上げていた。
ビリビリと空気が震え、公園の遊具が音を立てて軋んでいた。

猫又 八兵衛  第一話 猫の集会所(1)

  • 2014.12.17 Wednesday
  • 13:46
JUGEMテーマ:自作小説
吾輩は猫である。
ある高名な人間の作家が書いた小説は、このような文句で始まる。
しかしながら、これを書いたのは人間であって猫ではない。
人間と言うのは自分以外の者に成りきり、物語を綴ることが出来るらしい。
もちろんそれは頭の中で成りきるだけであり、姿形まで変えられるわけではない。
しかしながら、猫の中には本当に姿形まで変えてしまう者がいる。
ある時は犬に、ある時は鳥に、そしてまたある時は人間にと、自分にとって都合のよい姿になれる者がいる。
これを化け猫という。
いや・・・・いささかこの表現はよくない。「化け」などと呼んでしまったら、いかにも物の怪の類ではないか。
だからこう言い換えよう。猫又・・・・・と。
猫という生き物は、元々が霊感の強い生き物である。
そして歳を追うごとにその力は増し、ある時を境に、通常では考えられない能力を手にする。
それが化け・・・・いや、猫又である。
化け猫も猫又も、同じ物の怪ではないかと思う者もいるだろう。
残念ながら、その通りである。
いったいこの両者に何の違いがあるのかと問われれば、俺は反論する言葉を持たない。
しかしそれでも、化け猫と呼ばれるのは嫌なのだ。だからどうしても猫又と呼んでほしい。
例えば人間だって、猿の一種である。しかし「おいそこの猿!」などと呼ばれたら、ほとんどの人間が怒るだろう。
だからちゃんと、人間と呼んでほしいはずである。・・・・ん?ちょっと違うか、この例えは。
まあとにかく、俺は猫又である。まだまだ新米ほやほやではあるが、一応変化の術も使える。
鳥だの魚だのと便利な生き物には成れないが、人間程度なら、まあなんとか一応は・・・・というレベルである。
人間に化けるコツは、猿をもっとスタイリッシュにすることである。
後は脳ミソをでかくすればいいだけだから、変化の術としてはそう難しい方ではない。
だからといって、そう簡単に変化をしていいわけでもない。
猫又には掟があって、決して人間にその正体を悟られてはいけないのだ・・・・と、先輩から聞いた。
もしバレると死んでしまうらしいが、本当かどうかは分からない。
いつか試してみたいと思っているのだが、今はまあ・・・・どうでもいい。
なぜなら俺は猫の集会に来ていて、お気に入りの植え込みの中で昼寝中だからだ。
昼寝といってももう夕方であるが、夕寝というのは語呂が悪い。だからとりあえず昼寝中である。
猫にとって、睡眠は極上の時間であると共に、世の中の猥雑から解放される、至福の瞬間でもある。
今風に言えば、ストレスフリーというやつだ。
人間はストレスを失くすために、アレやコレやと金を掛けたり手間を掛けたりするが、猫にそんなものは必要ない。
お気に入りの場所で昼寝さえすれば、厄介なストレスなどたちまち消えてしまう。
それは普通の猫でも猫又でも同じである。
だから俺は寝る。昼寝をして、至高の夢心地へと誘われるのだ。
この耳に猫の集会の声を聞きながら、暖かくも冷たくもない夕日を受けてまどろんでいた・・・・・。


            *


季節は秋。それも冬に近づく晩秋である。
この季節になると、午後四時を過ぎればあっというまに空は暗くなっていく。
ほんのひと時だけ黄金色の夕焼けが訪れるが、後は夜に向かって陽が消えていくだけである。
俺は家の近くの牛乳屋で、植え込みの中にごろりと寝転がっていた。
この牛乳屋には大きな庭があって、すぐ隣が畑になっている。
道も細いから車も通らず、猫を追い回す厄介なガキもいない。
時折聞こえるのは牛乳屋からのテレビの音くらいで、後は平和で静かなものだ。
猫というのは、とにかくこのような場所を好む。
うるさかったり人が多かったりすると、どの猫もそんな場所には近寄らない。
だから静寂と平穏に満たされた場所を求めて、この牛乳屋に集まってくるのだ。
ここは猫の集会所。飼い猫から野良猫まで、多種多様な猫たちが集う憩いの場。
俺はまったりと昼寝を楽しみながら、集まった猫たちの話声に耳を傾けていた。
雑音は嫌いだが、猫同士のおしゃべりを聞くのは楽しい。
素知らぬ顔で背中を向けながら、ピンと耳だけを立てる。
ゴニョゴニョとした話声、ガヤガヤとしたお喋りの声、色んな声が耳に飛び込んできて、頭を中をくすぐっていく。
『隣のシマの松五郎、他所者のオスに負けたらしいぜ』『マジかよ・・・・じゃあボスが交代するのか?』
『ウチのご主人ったら、ほんっとに心配症なの。優しくしてくれるのはいいんだけど、あんまり過保護だとねえ・・・。』
『四丁目のトシさん、昨日亡くなったらしいぜ。』『あの猫も随分歳だったからなあ。で?通夜はいつよ?』
『あそこのお坊さん、この前結婚したんだって。』『ああ、あの鳥大好きなお坊さん?確かコンビニの店長のおばさんと結婚したんでしょ?』
『ねえねえ、今日はリンダは来てないの?ちょっと相談があるんだけど・・・。』『リンダならもう来ないよ。だってこの前引っ越したんだから。』
様々な会話が耳に飛び込み、今日も平和だなとあくびをする。
《そうか・・・トシさんも亡くなったか・・・。猫又まであと一歩だったのに。まあ通夜には煮干しでも持っていってやるか。》
顔馴染みの猫が亡くなるなんて、そう珍しい話ではない。
俺たちは人間と違って、過剰にこの命を保護されているわけではないからだ。
猫の世界には法律も無ければ、人権もない。治安を取り締まる警察もいないし、もちろん自分から病院に行くことだってない。
だからいつだって死ぬし、どこだって死ぬ。
でもそれは、ある意味とても自由なことでもある。
人間というのは、時に法律に縛られ、時に道徳だの倫理観だのに縛られ、死ぬ自由すら与えられないことがある。
だから俺たち猫のように、いつでもどこでも死ねるというのは、この命が自由であることを意味する。
自由こそが猫の象徴、自由こそが猫の特権。自由を声高に叫びながら、その自由に囚われて不自由になるという、矛盾した人間とは違うのだ。
そう思いながらムニャムニャとあくびを噛み殺していると、誰かがペシっと頭を叩いてきた。
「よう八兵衛。」
そう言って頭を叩いてきたのは、十年来の親友であるゴンベエという猫だ。
真っ白でぼさぼさの毛並み、垂れた目に鼻水のついた顔、それに太っているのか痩せているのか分からない、ダラリと垂れた肉。
俺はのそりと立ち上がり、親友の頭を叩き返した。
「ようゴンベエ。相変わらず不細工な面だな。」
「ほっとけ。今にディカプリオみたいにカッコよくなる。」
「ディカプリオか。俺はトビー・マグワイアの方が好きだけどな。」
「スパイダーマンの役者だっけ?」
「そうだよ。あの頼りない顔がいいんだ。日本でいうところの伊藤敦みたいなもんだ。」
「じゃあ八兵衛は伊藤敦になりたいのか?」
「・・・・そうだな。彼も悪くない。」
そう答えると、ゴンベエは「ほ!」と笑った。
「俺は日本の役者なら、向井理がいいな。あんなイケメンになれたら、メスにモテモテだぜ?」
「そうかもしれないけど、、モテるのは人間のメスにだぞ?」
「いいや、そんなことはない。猫のメスだって向井理が好きなんだ。あそこで噂してるじゃないか。」
そう言ってゴンベエが顎をしゃくった先には、数匹のメスがワイワイと盛り上がっていた。
「向井理ってさ、どんな猫が好みかな?」
「さあ?でもあんたみたいなキジトラの猫じゃあ望みは薄いわね。」
「何よ、あんただってばっちい茶色じゃない。」
「はいはい、あんたら二匹はどっちも無理。彼は私みたいなオッドアイが好きなのよ。」
「それどこ情報よ?ていうか毎回オッドアイを自慢するのやめてくれる?左右の目の色が違うからって、体型は斑のデブじゃない。」
「失礼ね!鼻の頭にゴマ模様がついてる奴に言われたくないわ!」
「ちょっと!ゴマって言わないでよ!これは私のチャームポイントなんだから!」
「チャームポイント?ウィークポイントの間違いでしょ?」
「ウィークポイント?何それカッコイイ!」
「あんた馬鹿?ウィークポイントって、日本語で弱点のことよ。どうして嬉しがるのよ。」
メス猫たちの会話は、向井理から鼻のゴマに話題が飛び、遂にはヒートアップし過ぎて喧嘩に発展してしまった。
それを見ていたゴンベエが、「メスってどうしてコロコロ話題を変えるんだろうな?」と不思議がっていた。
「さあな?でも人間のメスも一緒だぞ。さっきまでファッションの話をしていたかと思ったら、次の瞬間にはニンニクについて盛り上がっていたからな。」
「ほ!メスはどの世界でも理解不能な生き物だな。」
「確かにな。でも理解不能だからって敬遠してちゃ、いつまで経ってもメスはゲット出来ない。理解出来ないなら理解出来ないなりに、メスのことを受け入れてやらないと。」
そう言いながら、俺はゴンベエの後ろに目を向けた。するとトコトコとこちらに歩いて来る茶トラのメスがいて、「よ!」と尻尾を上げた。
「あんたらいつも一緒にいるわね。もしかして付き合ってる?」
茶トラのメスはクスクスと笑いながら言い、ポンとゴンベエの頭を叩いた。
「よ!ゴンベエ。」
「・・・お、おう!」
挨拶されたゴンベエは、顔を真っ赤にしながら後ずさる。そして口をパクパク動かし、なぜか前足でブラッシングを始めた。
「ほんとにゴンベエは綺麗好きねえ。その割には毛がボサボサだけど。」
茶トラのメスはまたクスクスと笑い、俺の方に目を向けた。
「こんちは。」
「ああ、こんちは。ハルはいっつも元気だな。」
「そうよ。元気こそがアタシの取り柄。アタシから元気を取ったら、残るのはこの美貌くらい?」
「まあ・・・確かにお前は美猫だよ。なあゴンベエ?」
「ほ!・・・・うんうん!ハルは美猫だ、間違いない。猫の世界にミスユニバースがあったら、きっと三位か五位にはなると思うぜ。」
「なんなのよ、その微妙な例えは。一位間違いなしって言いなさいよ。」
「いや・・・だって一位だとおべっかになるかなって。だから適当なところで妥協してだな・・・・。」
「あはは!変な気の使い方。やっぱりゴンベエは変わってるね。」
ハルは可笑しそうに笑い、ゴンベエはさらに顔を赤くする。
《お前らのやり取りは毎回変わらんな。いったいいつになったらゴンベエの恋は進展するのやら・・・。》
メスは理解不能だと言ったゴンベエだが、その理解不能なメスに惹かれるのがオスである。
ゴンベエの恋はまだまだ進展しそうにないが、これはこれで見ていて微笑ましい。
俺は二匹から距離を取り、離れた植え込みの中に寝転んだ。
「ハルはゴンベエの気持ちには気づいていない。でもその方がいい。下手に気持ちが伝わると、かえって恋は成就しなくなるからな。」
恋愛の極意は、自分の気持ちを相手に伝えるタイミングにある。
間を外せば失敗するし、逆に間を合わせればすんなり落ちる。
ゴンベエはまだまだそのタイミングを掴めないだろうが、とりあえず親友の恋は応援してやろうと思う。
まあ思うだけで、特にこれといった手助けはしないのだが・・・。
植え込みに寝転んで、またウトウトと眠くなってくる。おおきなあくびを放ち、腕枕をして目を閉じた。
するとまたペシペシと頭を叩かれたので、顔を上げてゴンベエを睨みつけた。
「おいゴンベエ。俺は昼寝の邪魔をされるのが一番嫌いなんだ。お前なら知ってるだろう?」
そう言ってギロリと視線を飛ばすと、そこにいたのはゴンベエではなかった。
「・・・・・誰だ、このガキんちょは?」
俺の頭を叩いたのは、手に棒きれをもった少年であった。
《人間の子供・・・?珍しいな、この道を通るなんて。》
少年は綺麗に磨かれたランドセルを背負っていて、小さな目でじっと俺を睨んでいた。
そして恐る恐る棒きれを伸ばし、鼻の頭をツンツンと突いてきた。
昼寝を邪魔された俺は、立ち上がって威嚇をした。牙をむき出し、短く唸る。
すると少年は慌てて逃げて行った。投げ捨てられた棒きれが植え込みの上に刺さり、ぶらりと揺れてから落ちて行く。
少年は振り返ってこちらを見つめていたが、もう一度唸ると駆け足で逃げ去った。
「なんだあのガキは・・・。あんな奴この辺にいたか?」
少年が逃げた方を睨んでいると、後ろから「タカシだな」と声がした。
「ゴンベエ、お前あのガキを知ってるのか?」
「ほ!ありゃ俺んちの隣の子供だぜ。引っ込み思案な奴で、ほとんど友達がいないんだ。」
「そうなのか?」
「とにかく内気なんだよ。あれは間違いなく学校で苛められてるな。」
「・・・・・イジメか。」
俺はぼそりと呟き、少年が消えた先を睨んだ。
《確かに気の弱そうな顔をしていた。ここを通ったのは、イジメっ子と同じ道を帰りたくなかったからか?》
イジメ・・・・という言葉に、俺は敏感に反応した。
なぜなら、この俺もかつて酷いイジメに遭ったからだ。それも人間と猫の両方から。
だからもしあのタカシなる少年がイジメに遭っているのだとしたら、少なからず同情を覚える。
「イジメってのは辛いんだ・・・。寄ってたかって自分を否定されるからな。」
「そういや八兵衛もイジメられた経験があるんだよな?」
「ああ、まだこの街に来る前にな。酷い飼い主だったよ。それに他の猫どもも気に食わない奴らだった。まあ二十年以上も前のことだから、猫どもは全員くたばってるだろうが・・・。」
「ほ!猫又様にも重い過去があるわけだ。もしかして・・・タカシを助けてやろうとか思ってるか?」
「さあな。でも次に会ったら、頭を撫でるくらいは我慢ししてやるさ。
それでイジメがなくなるわけじゃないけど、少しは気が紛れるかもしれない。」
「う〜ん・・・イジメの経験がない俺には分からんな。そんなに辛いもんか?」
「ああ、辛いね。もし機会があるなら、俺をイジメた飼い主のケツを食い千切ってやりたいよ。」
「そりゃおっかない。猫又に目をつけられたりしたら、それこそ無事じゃ済まないな。」
「笑いながら言うなよ。もし機会があったらの話で、こっちから復讐に行こうなんて微塵も思ってないから。」
「ホントかよ?猫又になった今なら、その気になれば楽に勝てるだろうに。」
「楽に勝てるからしないんだよ。今はあの飼い主より俺の方が上だ。だから心の中で見下して、いつも馬鹿にしてやってるよ。」
「お前・・・・案外根暗だな。」
ゴンベエは馬鹿にしたように言い、そのままトコトコと歩いて行ってしまった。
「もう帰るのか?」
「もうじき晩メシなんだ。ウチのご主人はじいちゃんばあちゃんの老人だからな。夜の八時には寝てる。だからその前にとっとと俺の餌を済ませるのが日課なんだ。」
「そりゃ知ってるけど・・・でもいいのか?ハルとはまだほとんど話してないじゃないか。」
そう尋ねると、ゴンベエはクイっと顎をしゃくった。その先には向井理の話で盛り上がっていたメスたちがいて、その中にハルも加わっていた。
「私は向井理より、伊藤敦の方がいい!ああいうタイプって、なんだか守ってあげたくなっちゃうから。」
メスたちはワイワイと盛り上がり、まだ二転三転と話題が転がっていた。
伊藤敦から猫缶へ話が変わり、今はなぜか好きな肉球の形について盛り上がっている。
「・・・メスは理解不能・・・でもないか。単にお喋り好きなだけだ。それが理解出来ないうちは、ゴンベエもまだまだ若僧よな。」
そう言って振り向くと、もうゴンベエはいなくなっていた。
俺は奴の家がある方を向き、くあっとあくびを漏らした。
「あとちょっと寝たら帰るか。俺もそろそろ腹が減ってきた。」
植え込みの中に寝転がり、腕枕をして眠りにつく。少し肌寒く感じたが、眠れば気にならないので問題ない。
俺はもう一度あくびをして、あのタカシという少年を思い出しながら夢に落ちていった。


            *


秋夜の寒空に、煌々と輝く満月が浮かんでいる。
夜だというのに、これでもかと自分を主張し、青白い光を解き放っている。
俺は屋根の上に座り、犬でもないのに遠吠えをした。
するとムクムクと尻尾が伸びてきて、グルリと身体を包んだ。
しばらくそのままの状態でいると、身体がムクムクと形を変え始めた。
肉球の代わりに指紋が出来て、全身の毛が消えて白い肌が露わになる。
そして二足歩行が可能なほど足は大きくなり、手の先は五つの指に分かれていった。
「・・・・よし!変化完了。」
身体に巻きつけた尻尾をほどくと、俺は人間に変わっていた。
凛々しくも整った顔立ち。スラリと伸びた足に、引き締まったモデルのような体型。
誰もが羨むほどのイケメンが、今ここに立っていた。
「・・・・まあまあかな。本人には及ばないけど、でもけっこう似てるよな?」
俺が変化したのは、今日の夕方にメスたちが話題にしていたあの俳優だ。
「初めて化けた人間にしては上出来だ。あと数回練習すれば、本人と見分けがつかなくなるくらい上手くできるはずだ。」
俺は人気俳優の気持ちに成りきり、月夜に向かってポーズを取った。
「悪くない。これなら明日の集会で、メスたちの気を惹けるな。」
猫又の最大の武器は、他者に変化出来ることにある。
だからこの技を駆使すれば、大抵のメスは落ちてしまうのだ。
「やっぱり人間も猫も、カッコイイ男には弱いもんだ。でもどう間違っても、伊藤敦にだけは化けたらダメだな。ハルの奴も伊藤敦が好きだと言っていたから、下手すればゴンベエの想い猫を横取りすることになる。」
ゴンベエは十年来の親友だ。ならば色恋のトラブルで余計な喧嘩はしたくない。
正直俺だってハルは良いメスだと思うが、ゴンベエが想いを寄せている以上は手が出せない。
奴との友情を壊すくらいなら、お気に入りのメスくらい我慢してやる。
「さて、向井理にも無事化けられたわけだし、猫に戻って散歩でも行くか。」
俺は再び尻尾にくるまり、元の姿に戻った。
屋根の上で大きく背伸びをし、適当にブラッシングをしてから出掛ける。
まず最初に向かうのは、あの牛乳屋だ。
猫の集会は一日に三回あって、朝、夕方、夜中の三部に分かれる。
朝に集まるのは、主に野良猫。夕方は飼い猫と野良猫の半々。そして夜中には、ちょっと変わった猫たちが集まる。
それはどういう猫かというと、俺と同じ猫又である。
夜中の集会に集まる猫又は、全部で五匹。
ベテランから新人までいて、俺のような新米はベテランに教えを乞うこともある。
だから夜中の集会は絶対に欠かせない。
猫又としてより成長する為に、先輩方のありがたいお説教を聞きに行くのだ。
俺は屋根伝いに家を飛び越え、ヒラリと塀に飛び降りた。
そして細い路地をトコトコと歩き、あの牛乳屋へ向かった。
「よう八兵衛。今夜は月が綺麗だな。」
そう言って挨拶をしてきたのは、最年長の猫又、チョンマゲである。
真っ白な身体に、頭の上にだけ黒い模様がある。だからチョンマゲだ。
挨拶をされた俺は、「こんな所で告白されても困る」と返した。
「俺はノンケだし、オスに好きだと言われても何とも思わない。」
そう言うと、チョンマゲは「なんだそれ?」と首を捻った。
「知らないのか?月が綺麗ですねっていうのは、英語に置き換えるとアイラブユーって意味なんだ。」
「ああ、夏目漱石だな。でもあれはちょっと無理があるだろ。」
「そんなことないさ。あの時代にアイラブユーにピッタリハマる言葉なんてないんだから、夏目漱石の語感は大したもんだ。」
「お前はけっこう詩人だよなあ。」
「チョンマゲの感性が鈍いだけだ。猫又としては一流でも、感性は二流ときてる。」
「言ってくれるじゃないか。俺はこれでも絵画を集めるのが趣味なんだぜ。」
「へえ、どんな絵画を?」
「ええっと・・・なんだっけ?ゴッホ・・・とか、あとはくりむ・・・くりむ・・・、」
「クリームシチュー?」
「違うよ。なんかこう・・・・アレだよ。あの時代にアレしたアノの画家だ。」
「チョンマゲ、一回MRIを撮ってもらった方がいい。きっと脳ミソの皺が減ってるはずだから。」
俺は適当に挨拶を済ませ、尻尾を振って後にする。チョンマゲはまだぶつぶつ言っていて、「そうだ!クリムトだ!」と叫んでいた。
「好きな画家なら、名前くらい覚えとけよ。」
そう言いながらチョンマゲを見つめていると、「へい!」と声を掛けられた。
「おお、ヘチョコ。今日も相変わらず毛がハゲハゲだな。」
「ノミにやられたんだよ。前より禿げてる。」
「そうか。いっそのこと完全に禿げて、スフィンクスにでもなったらどうだ?」
「スフィンクス?ああ!あのエジプトの猫か?」
「そうそう。まったく毛がないあの猫だ。」
「いいよな、ああいうの。ちょっと考えてみようかな。」
「お前なら似合うよ。もう頭と尻尾にしか毛が残ってないんだから、きっと違和感はないはずだ。」
「・・・・そうだな、そうするか!じゃあちょっと猫用の床屋に行って来るわ。」
「そんなもんないよ。やるなら自分で剃らないと。」
そう言ってもヘチョコは聞いておらず、ササッ走って消えてしまった。
「・・・・今日はこれだけか?お間抜けな奴らしか来てないじゃないか。」
チョンマゲとヘチョコは良い奴だが、ちょっと抜けてる所があるから会話が噛み合わない。
これ以上ここにいても意味がないと思い、早々に別の場所に行くことにした。
すると俺と入れ違いに、真っ黒な逞しい猫がやってきた。
俺の三倍はある大きな顔に、ガッシリとした身体でノシノシと歩いて来る。
「おお、やっとマトモな奴が来てくれた。おい!カミカゼ!」
そう叫ぶと、カミカゼは「む・・・」と目を向けた。
「八兵衛か。お前は毎日ここへ来ているな・・・。」
「まあな。先輩方のありがたいお話を聞こうと思ったんだけど、今日はチョンマゲとヘチョコしかいないんだ。」
「あいつらは暇だからな。時間潰しに来てるだけだ。」
「じゃあ俺も同類か?」
「俺から言わせれば、お前はアイツら以下だ。なんたって、まだ猫又になって十年しか経っていないんだからな。」
「確かに俺が一番の若手だ。ヘチョコは今年で九十だし、チョンマゲに至っては江戸時代の初期から生きてる。」
「そうだ。だからいくら抜けてるように見えても、お前よりは遥かに猫又として格上だ。もちろんこの俺もな。」
そう言ってカミカゼはニコリと笑った。
「カミカゼは今年で八十五だっけ?」
「ああ・・・。」
「飼い主が神風特攻隊に召集されたから、カミカゼって名乗ってるんだよな?」
「そうだ。まあ俺の主人は戦場へは行かなかったがな。」
「飛行機の操縦が覚えられなくて、パイロットから外されたんだろ?」
「不器用な人だったからな・・・。でもそのおかげで戦場に行かずに済んだ。」
「人間万事塞翁が馬ってやつだな。」
「・・・前から言おうと思っていたが、そのクセは治らないのか?」
「ん?どのクセ?」
「やたらと難しい言葉を使ったり、詩的な表現をしたり・・・・。聞いてるこっちにとっちゃ、たまに鼻につくんだよ。」
「気をつけるよ。」
俺は尻尾を振って笑い、「そんなことより見てほしいものがあるんだ」と言った。
「今日新しい人間に変化出来るようになったんだ。なかなか良い出来なんで、ちょっとチェックしてくれないか?」
「・・・・やってみろ。」
カミカゼの前で、先ほど変化したイケメンになってみる。
するとその途端に、「く・・・」と笑われた。
「どうした?何かおかしな所があるか?」
「いや・・・おかしいも何も・・・・。お前裸じゃないか。」
「・・・・ん?ああ、確かに・・・・。」
「確かに・・・じゃない。服まで再現しないと、どうやってそれで街を歩く気だ?」
「いいじゃないか、街を歩かなくたって。」
「・・・・まだまだ新米だな。自分で変化して楽しんでるだけじゃ、決してそれ以上は上達しない。せいぜい猫のメスを落とすのがいいところだ。」
「じゃあどうすればいい?」
「練習だ。今日みたいな満月の日は、術を使うのに向いている。だからこんな場所へ来る暇があるなら、もっと練習するんだな。」
そう言ってカミカゼは完璧な向井理に変化した。しかも服まで再現している・・・。
「これがキャリアの差ってやつだ。ヘチョコもチョンマゲも、俺と同じくらいに上手く変化する。間抜けだと見下す暇があるなら、もっと自分を鍛えることだな。」
「分かったよ。じゃあこれからもっと練習してみる。」
「その心意気だ。じゃあ俺はちょっと飲みに行ってくる。」
「キャバクラか?」
「ああ。この姿で行けば、きっとモテモテ間違いなしだからな。」
カミカゼはそう言い残し、夜の街へと消えていった。
「練習か・・・・嫌いな言葉だな。」
そう呟いて振り返ると、チョンマゲもいなくなっていた。
「今日はこれでお終いか・・・。ムクゲもモミアゲも来ないようだし、どっか別の場所に行くか。」
猫の集会所を後にして、夜の中へと歩き出す。するとふと物音に気付いて、ピンと耳を立ててみた。
《この足音は・・・確か昼間のガキだ。こんな夜中に何してるんだ?》
俺は植え込みの中に身を隠し、じっと息を殺した。
ガキの足音はだんだんと近づいてきて、やがて月明かりに照らされてその姿を現した。
そして集会所の真ん中までやって来ると、ポケットに手を入れてゴソゴソと何かを漁り始めた。
いったい何を取り出すんだろうと見ていると、ポケットから出てきたのは猫缶だった。
《猫の餌・・・?なんであんな物を・・・。》
不思議に思って見ていると、ガキは猫缶を手にしたままこちらに歩いてきた。
そして植え込みの中に隠れる俺に向かって、「ん」と猫缶を差し出した。
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・ん。」
「・・・・・なぜ分かった?」
俺はしっかりと植え込みの中に隠れていたはずだ。それなのにこのガキは、迷うことなく俺を見つけやがった。
人間がこんな夜中に隠れる猫を見つけ出すなど、ちょっと普通では考えられない。
いくら月明かりがあろうとも、猫と人間とでは目の感度が違うのだから。
俺は黙ったままガキを見つめる。そしてガキも黙ったまま俺を見つめる。
そしてまた「ん」と言って、猫缶を差し出してきた。
俺もガキも、睨むようにお互いを見つめる。
月からの青い光が、俺たちに強い影を投げかけていた。

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< April 2019 >>

GA

にほんブログ村

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM