ヒミズの恋  第二話 笑顔の呪縛(2)

  • 2015.03.24 Tuesday
  • 12:09
JUGEMテーマ:自作小説
お局様がクビになってから二ヶ月後、霜田さんは退職した。寿退社ということもあって、周りは祝福して彼女を送り出した。もちろん、俺はヘコんだままだったけど・・・。
霜田さんがいないなら、こんな所で働いても意味がない。時給だって安いし、仕事も退屈してきた。だからすぐに辞めようと思ったんだけど、気がつけば何年も働いていた。
そして支配人に誘われて社員になり、暇を持て余したホテルで一人フロントに立っていた。
去年辺りからさらに客数が減ったこともあって、今やこのホテルは閑古鳥が鳴いている。しかし新しい事業として始めたスーパー銭湯がヒットして、閉館だけは免れていた。
霜田さんが辞めてから七年、俺は毎日彼女のことを思い出していた。ここのフロントに立つ度に、彼女とお喋りしたことが思い出される。
自分でもいい加減忘れろよと思うのだが、なぜか彼女の笑顔が消えてくれなかった。
そして霜田さんの笑顔に縛られたままさらに半年が経った頃、支配人から辞令が出された。
なんでもスーパー銭湯の店舗を増やすようで、そこのオープニングスタッフとして行ってくれと頼まれたのだ。頑張ってそこで三年働けば、店長にしてやるとも言われた。
俺は二つ返事で引き受けた。それは店長の椅子が欲しかったからではなく、霜田さんの笑顔の呪縛から解き放たれたかったからだ。
このホテルにいる限り、俺はきっと霜田さんのことを忘れられない。だったら・・・新しい場所に移って、新しい人生を始めるしかないと思った。
そして・・・・それから一月後、俺は職場を移った。最初はかなり戸惑ったが、慣れるとなんてことはない仕事だった。
ホテルの業務と銭湯の業務はよく似ていたので、客のあしらいも手慣れたものだ。我ながらここまで接客業が向いているとは思わず、一生ここで働いて、骨を埋めてもいいかなとさえ思った。
だから俺は頑張って働いた。嫌な客にも笑顔で応対し、売上を伸ばす為に色々なイベントも企画した。
その甲斐あってか売上も上場で、俺は二年も経たずに店長へと昇格することが出来た。
あのデブ支配人・・・悪いところだけじゃなく、良いところもちゃんと見ていてくれて、正確に従業員を評価してくれているのだ。
それはとても嬉しいことだし、それに何より本当に嬉しかったのは、霜田さんの呪縛から解放されたことだ。
今は仕事が全てという感じで、プライベートはそっちのけだった。
新しい店舗を増やす計画もあるそうなので、もしそうなったら全ての店のオーナーを任せてもいいとまで言われた。
俺は俄然やる気に燃えていて、休日さえ返上して働いた。その甲斐あってか従業員もよく育ってくれて、まとまりの出来た良い職場になっていった。
しかし・・・・転機は訪れた。ある日曜日の朝、いつものように営業していると、浴室を担当するアルバイトが血の気の引いた顔で駆けて来た。
「店長!浴室で子供さんが倒れました。ピクピクって痙攣して、呼んでも目を覚ましません!」
「・・・・・すぐ行く!」
事務所の椅子から立ち上がり、ドアを開けて浴室に向かう。すると脱衣室の長椅子に小さな子供が寝かされていて、死人のようにダラリと脱力していた。
《これ・・・・・死んでるんじゃないか?》
一目見てそう思った。呼吸は止まり、鼓動さえも刻んでいない。顔は真っ白になっていて、半分開けた瞼から虚ろな目が覗いていた。
頭がパニックになり、固まったように思考が停止する。しかし身体は咄嗟に反応して、子供を跨いで胸に手を当てた。
「・・・・・・人工呼吸・・・・それと心臓マッサージ!」
アルバイトに激を飛ばし、他の社員を呼ぶように言った。それと救急車も呼ぶように伝え、「早く行け!」と怒鳴りつけた。
心臓マッサージを繰り返し、口を当てて息を吹き込んだ。
「おい・・・死ぬな!死ぬなよ!」
駆け付けた別の社員に指示を出し、人工呼吸をするように怒鳴った。
「頭持ち上げろ!気道を確保するんだ!」
そう叫ぶと、周りで見ていた客たちも手伝い始めた。一人の客が子供の頭を支えて気道を確保し、他の客たちが必死に呼びかけている。
こんなところで子供に死なれたら堪ったもんじゃない。この店の営業がどうなるか分からないし、それに何より後味が悪い。
何としても助けなければと思い、心臓マッサージを繰り返しながら叫んだ。
「誰か医療関係者の人はいませんか!いたら手を貸して下さい!」
すると浴室の方から小柄な男性客が出て来て、「代われ!」と叫んだ。
「救急隊のもんだ!心臓マッサージは俺がやる!あんたらは指示に従って動け!」
「はい・・・お願いします!」
救急隊員の客がいたことは幸運だった。彼は的確な指示を出しながら心肺蘇生を施し、子供はなんとか息を吹き返した。
すると子供の気道の確保していた客が、「伸二!」と呼びかけて安心した顔を浮かべていた。
どうやら彼が父親のようで、心肺の止まった我が子を見て何も出来ずにいたようだ。
そこへ「どいて!」と叫んで一人の女性が駆け込んで来た。地味な服に乾きかけの乱れた髪、そして血の気の引いた引きつった顔をしていた。
彼女は子供の傍に駆け寄り、肩を掴んで名前を叫んでいた。
「伸二!分かる?お母さんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・・。」
子供は虚ろな目を動かし、ダラリと脱力したまま口元を動かしていた。
「伸二!」
女性は子供の手を握り、心が引き裂かれそうなほどの苦悶の表情を浮かべていた。
そして・・・・俺は彼女の顔から目が離せないでいた。子供のことなど頭から吹き飛び、ひたすら彼女の横顔に見入っていた。
《・・・霜田さん・・・。》
伸二と呼びかけるその女性は、ずっと俺の中から消えてくれなかった、あの霜田さんだった。
何という偶然・・・・・・。まさか俺の店で死にかけた子供の母親が、彼女だったなんて・・・。
やがて救急車が駆け付け、子供は担架に乗せて運ばれて行った。霜田さんと彼女の夫も、子供に呼びかけながら後を追い、一緒に救急車に乗って病院へ向かった。
店は一時騒然とし、俺はその後の対応に忙しく追われた。
支配人に報告して指示を仰ぎ、やがて救急隊から連絡を受けた警察までやって来た。
そして警察から、子供があのような状態になった経緯を聞かされた。
なんでも長時間サウナに入ったあと、いきなり水風呂に飛び込んだらしい。そして突然苦しそうに顔を歪め、水風呂から上がった所で胸を押さえて倒れた。
近くにいた客がアルバイトを捕まえ、一緒に脱衣室まで運んだそうだ。
子供は命に別条はなく、しばらく様子を見る為に入院中だという。
父親が子供から目を離していたことが原因なので、こちらに特別な落ち度は無いと言われた。
そしてしっかりと心肺蘇生も施したので、特に問題となることもないだろうとのことだった。
警察は話を終えるとすぐに引き上げたが、客も従業員も妙な興奮状態に陥り、しばらくは騒がしいままだった。
その日・・・俺は家に帰ってから眠れなかった。あの子供が無事かどうか気になったし、初めての出来事に気持ちが昂ったままだったからだ。
それに何より、霜田さんと再会してしまった・・・。向こうは気づいていなかったようだけど、俺は彼女のことが気になって仕方なかった。
眠れないまま朝を迎え、重い身体を引きずって出勤していった。


             *


あの日から二日後、子供の両親が挨拶をしに訪れた。
手には菓子の入った紙袋を提げ、フロントに立つアルバイトに「店長さんはいらっしゃいますか?」と声を掛けたのだ。
俺はアルバイトの子に呼ばれ、両親の待つフロントへ向かった。
そこでしきりに感謝の言葉を述べられ、昨日無事に子供が退院出来たことを告げられた。
そして菓子を持ち上げて渡そうとした時、霜田さんが俺を見て首を傾げた。
「もしかして・・・・飯田さん?」
「はい、お久しぶりです。」
笑いながら頭を下げると、霜田さんはパッと弾けた笑顔を見せた。
「ああ!やっぱり飯田さんだった・・・。この前はチラっとした見なかったから分からなかったけど、よくよく考えると似てるなあって思ってたんです。」
そう言って霜田さんはニコリと微笑む。その笑顔は、一緒にあのホテルのフロントに立っていた時とまったく変わらなかった。
「今はこちらにお勤めなんですか?」
「ええ。ていうか、あのホテルと同じ会社なんですよ。ここへ異動になりまして。」
「へえ〜・・・ここってあのホテルがやってる銭湯だったんですか。」
霜田さんは驚いた顔で俺を見つめ、隣に立つ夫に俺のことを説明した。
「なんだか凄い偶然ですね、こういうことってあるんだ。」
「いや・・・僕も驚きましたよ。まさかあの子のお母さんが霜田さんだったなんて。」
「そうですよね、まさかこんな所で会うなんて思いもしませんでした。それもあんな出来事がきっかけで。」
霜田さんはしきりに感激していて、興奮気味に喋っていた。隣に立つ夫をそっちのけで、あのホテルで働いていた時の思い出話に花を咲かせる。
「今は住原っていうんです。子供も二人いるんですよ。」
「そうなんですか?なんだか幸せそうで羨ましいです。」
「飯田さんは?まだご結婚は・・・・、」
「していません。相変わらず女っ気が無くて・・・。ずっと仕事一本って感じです。」
苦笑いを見せながらそう答えると、霜田さんは頷きながら笑っていた。
「分かる気がします。飯田さんって真面目だし、すごく仕事熱心だから。でもきっと誰かがそういう部分を見てるから、必ず良い人が見つかると思いますよ。」
「そうだったらいいんですが・・・・。」
また苦笑いを見せて頷き、じっと霜田さんを見つめた。
《霜田さん・・・・変わってないな。あの時の可愛らしい雰囲気のままだ。》
霜田さんはしばらくお喋りを続けていた。あれやこれやと自分のことを話し、あのホテル時代を懐かしそうに語っていた。
俺はずっと彼女の話を聞いていたかったが、アルバイトの女の子から「すいません・・・クレームが・・・」」と告げられ、表情を引き締めて頷いた。
「すいません・・・ちょっと外しますね。」
頭を下げながら言うと、霜田さんは「いえいえ、すいません!」と申し訳なさそうに手を振った。
「なんだかお仕事の邪魔をしちゃって・・・。今日はただお礼を言いに来ただけなのに。」
そう言って笑いながら夫を見つめ、菓子の入った紙袋を渡して頭を下げた。
「飯田さんのおかげで、あの子が助かりました。本当に何とお礼を言っていいか・・・・。」
「いえいえ、僕も無我夢中で必死でしたから。でも助かってよかったです。」
「ええ、おかげさまで後遺症も残らないみたいなんです。飯田さんが迅速に対応してくれたおかげですよ。」
霜田さんは、昔と寸分違わぬ笑顔で微笑みかける。その笑顔を見た瞬間、俺の中に眠っていた彼女への呪縛が首をもたげた。
「これからちょくちょくここへ来させてもらいますね。今度はキチンと子供から目を離さないように言っておきますから。」
そう言って夫を肘でつつき、頭を下げながら去って行った。
俺は玄関までその姿を見送り、胸にこみ上げる熱いものを抑えながら呟いた。
「・・・昔のまんまだ・・・霜田さん・・・。あの笑顔も・・・・あの喋り方も・・・・。」
駐車場を出て行く彼女の車を見送り、呪縛の蘇った胸を押さえて店に戻った。
その日以来、霜田さんはちょくちょく店に来るようになった。来店する度に笑顔で話しかけてくれて、家族と一緒に楽しそうにしていた。
俺は笑顔で応対していたけど、胸を締め付ける呪縛は残ったままだった。
その呪縛は霜田さんの笑顔を見る度に強くなっていき、とうとう耐えられないほど胸を締め付けるようになった。
やがて仕事にも支障をきたすようになり、俺の評価も下がっていった。
全ての店舗のオーナーにという話は無くなり、今の立場さえ危うくなってきた。
それに何より・・・・もう霜田さんの笑顔を見るのが辛かった。
そして・・・・・あの銭湯を辞めた。支配人には引き留められたが、もっともらしい理由を付けて辞めさせてもらった。
今は深夜のコンビニバイトで食いつなぐ日々で、まったく明日という日が見えずにいた。
一人コンビニのカウンターに立ちながら、雑誌を立ち読みする客を眺める。
「あの時・・・・俺は間違ったのかもな・・・。あのホテルに入らなけりゃ、霜田さんと会うこともなかった。
その方が・・・・もう少しマシな人生を送れていた気がするなあ・・・。」
好きな人が出来るというのは素晴らしいことだ。でも・・・・その恋が上手くいかなかったとき、それは大きく傷つくことになる。
ましてや、何年経っても忘れられないほど好きになるというのは、ほとんど拷問に等しい・・・。
雑誌を立ち読みしていた客が帰り、店には俺一人だけとなる。
おでんの蓋を開け、少なくなった具を足していく。
霜田さんの笑顔は、今でも俺の心を縛りつける。それは特に眠っている時に強烈になる。
だから・・・なるべく寝ないようにしていた。もう苦しむのは嫌だし、あの笑顔を思い出すのも御免だったから・・・。
ふと見た窓ガラスには、死人のような俺の顔が映っていた。
《俺も変わってないな・・・。昔から、こんなふうに覇気のない顔をしていた・・・・。》
おでんの蓋を閉め、静けさが広がる店に一人立つ。
先が見えない。何の光も見えない・・・。
今の俺は、土の中で暮らす、目を持たないモグラのようだった。

ヒミズの恋 第一話 笑顔の呪縛(1)

  • 2015.03.23 Monday
  • 13:18
JUGEMテーマ:自作小説
「ありがとうございました!」
丁寧に頭を下げ、横柄な客の背中を見送る。心の中はその横柄な態度に腹を立てているが、それでも笑顔を見せるのが接客業だ。
「飯田君、だいぶ様になってきたね。」
「ありがとうございます。」
一緒にフロントに立つ暇人主婦のお局様が、先輩風を吹かせて喋りかけてくる。
何かと気に食わない先輩ではあるが、こういうお局を敵に回しても良いことはない。
俺は時計を確認し、「お先に休憩に行かせて頂きます」と頭を下げてバックヤードに向かった。
ロビーからバックヤードへ続くドアを開けると、年下の先輩である霜田さんと鉢合わせした。
「お疲れ様です。」
霜田さんは丁寧な挨拶で頭を下げ、可愛らしい笑顔を向けて来る。
その笑顔を見ただけで、嫌な客だのお局だののことは頭から吹っ切れていく。
「今から休憩ですか?」
「ええ・・・はい。」
「何か引き継ぎはありますか?」
「いや・・・特に。フロントに樋口さんがいるので、何かあったら言ってくると思います。」
「分かりました。それじゃごゆっくり。」
霜田さんは小さく頭を下げ、後ろで括った髪を揺らしてロビーへ出て行った。
「・・・・・・・可愛い。」
本人に聞こえない程度に小さく呟き、しばらく霜田さんの後ろ姿を見送っていた・・・・。


             *


大学を中退し、はや一年になる。しばらくニートという気軽な身分を楽しんでいたが、いい加減親の堪忍袋が限界に達していたので、せめてバイトくらいはしようと思った。
そして今から三カ月前、地元のホテルにアルバイトの応募をして採用となった。
仕事自体はとても簡単で、一ヶ月もしない間に慣れることが出来た。たまに性質の悪い客が来ることを覗けば、今までに経験したバイトで一番楽かもしれない。
しかし、それは飽くまで仕事の内容に関してであって、職場の人間関係はかなりギクシャクしている。
ここで働く人たちは、社員の方が若くて、アルバイトの年齢が高い。先ほどのお局様も、十年以上もいながらアルバイトという御方だ。
まあ主婦だから正社員だなんて考えていないのだろうけど、それでも十年も同じバイトを続けられるとは、いったいどういう神経の持ち主なのだろう?
しかしそんなことはどうでもよくて、俺が気になっているのは、社員の霜田さんのことだ。
歳は二十三で、高校卒業と同時にここへ就職した。
勤務態度は真面目の一言に尽き、礼節も22とは思えないほどしっかりしている。
顔は・・・・まあ美人というわけではない。しかし近くで話していると、顔のことなんか気にならないくらいに可愛いと思える人だ。
いわゆる雰囲気美人というやつだけど、俺はこの人に恋をしている。
何事に対しても礼儀正しく、仕事も一切手を抜かない。そして相手がアルバイトであれ、キチンと敬語で話して気を遣ってくれる優しい人だ。
同僚の男性バイトは他に何人かいるけど、どいつも面食いなので霜田さんには興味が無いらしい。
しかしそれは俺にとって好都合なことで、競争相手がいないということは、恋が成就する確率が高くなるということだ。
短い休憩時間の間、ずっと霜田さんのことを考えていた。以前に付き合っていた自由奔放で身勝手な彼女とは違い、ほんとうに人間の出来た素晴らしい女性だと思う。
だから・・・・・もし、もし霜田さんと付き合うことが出来たら、それはどんなに幸せで楽しいだろう。
二人で手を繋ぎ、色んな場所をデートする。別に映画館でも遊園地でもどこでもいい。霜田さんと二人きりでいられるのなら、どこへ行ったって楽しいに違いないはずだから。
ぼんやり妄想しながらパンを齧っていると、いつの間にか休憩時間が終わっていた。
午後からは客室の担当だから、動きやすいようにフロント用の上着を脱いで、バックヤードを後にした。


             *


客が泊まった後の部屋を掃除し、ベッドメイキングを済ませる。たまに便器の周りを汚物で汚す奴もいるので、トイレのチェックは欠かせない。
「・・・・よし。まあこんなもんでいいだろ。」
本当ならばもう少し丁寧に掃除をしなければいけないのだが、仕事が慣れて来ると手を抜くようになる。
いや、正確には手の抜きどころが分かってくるのだ。後で支配人が部屋をチェックするかもしれないが、あのワンマン経営デブの甘いチェックなら充分にすり抜けられるだろう。
今は閑散期なので、泊まる客は少ない。一通りの客室のチェックを終え、各階のトイレ掃除に移る。
濡れたモップで床を拭き、殺菌剤を噴霧して便器を磨く。型の決まった単純作業は、楽ではあるがすぐに飽きる。
トイレ掃除もそれなりに手を抜き、一通りの仕事を終えてバックヤードに戻った。
冷蔵庫から買い置きのお茶を出してキャップを開け、乾いた喉に流し込む。仕事が終わるまであと二時間・・・・やることがなくて暇なので、駐車場の掃除に向かうことにした。
箒と火鉢と塵取りを持ち、駐車場の植え込みをグルリと見て行く。側溝の蓋の中には毎日のように客の吸殻が落ちていて、本当に日本人はマナーがいいのか疑いたくなるというものだ。
「ポイポイどこへでも捨てやがって・・・・ホテル全部禁煙にすりゃいいんだよ。」
俺はタバコを吸わない。なのに、どうしてタバコを吸わない俺が、タバコを吸う人間の後始末をしなければならないのか?
これも仕事だと言われればお終いだけど、やはりどうにも納得出来なかった。
吸殻拾いを終えて腰を叩いていると、ホテルの入り口にある灰皿で、お局様がケータイを片手にタバコを吹かしていた。
「またサボってやがる・・・・仕事しろってんだよ。」
この時間になると、だいたいお局様はタバコ休憩に入る。休憩といっても本来の休憩時間ではないので、要するにサボっているだけだ。
しかし社員はみんなお局様より若いので、面と向かって注意出来ないでいる。
しっかりしろよとも思うが、実を言うとお局様がサボってくれる方がありがたかったりもする。
なぜなら・・・・・・霜田さんと二人きりになれる時間が出来るからだ。
お局様に会釈をしてホテルに戻ると、案の定フロントには霜田さんがいた。そして俺と目が合うなり、小さく手招きをして「飯田さん」と呼ばれた。
俺は冷静を装いながらも、心の中では《よっしゃ!》とガッツポーズをしていた。
本当なら、この時間は霜田さんとお局様がフロントに入るのだ。しかしお局様がサボっているものだから、代わりに俺が駆り出される。
・・・・・そう、霜田さんと二人きりになれる時間が来るのだ。
俺は嬉しさを噛み殺しながらフロントに駆け寄り、小声で囁いた。
「樋口さん・・・またサボってますね。」
そう言うと霜田さんは困ったように苦笑いし、サッと横にずれた。それはフロントに入れという合図で、小走りに回って霜田さんの横に並んだ。
「・・・・今日はお客さんが少ないですね。」
「梅雨時だから仕方ないです。夏になったら、今の暇が恋しいくらいに忙しくなりますよ。」
「へええ・・・ちょっと想像つかないな。やっぱり海から近いから、海水浴客が多いんですかね?」
「どうだろう・・・・。歳のいった夫婦が多いと思いますよ。ほら、うちって大した設備はないし、ここって元々は国民宿舎だから。」
「ああ、確かに。若い人はもっとオシャレな所に行きますもんね。」
他愛のない会話から入り、次第にお互いの考えていることや、思っていることを話し合う。
この前にどこへ遊びに行ったとか、最近体重が落ちなくて困っているとか、あとは樋口さんのサボり癖についてとか。
「あのね・・・・これは内緒でお願いしますよ?」
「ああ・・・はい。なんですか?」
「樋口さん・・・もしかしたらクビになるかもしれません。」
「マジっすか・・・・?」
「しょっちゅうサボってる所を、支配人に見られているんです。あの人って、見た目はおっとりしてるけど、結構目を光らせて色んなところを見てるんですよ。
だから飯田さんもサボったりしたらダメですよ。客室とかトイレ掃除とか・・・・手を抜いたら全部バレてますから。」
「・・・・・はい。」
なんだか急に気分が滅入ってきて、声に力が無くなってしまった。あの支配人・・・・見てるところはちゃんと見てたのかよ・・・・。
その後もまた他愛の無い話を続けていたが、霜田さんは急に真剣な顔になって尋ねてきた。
「あの・・・聞いてもいいですか?」
「はい?」
「飯田さんって、お幾つなんですか?」
霜田さんは、すごく気を遣った様子で見つめてくる。俺は緊張して目を逸らし、まっすぐに前を向いた。
「ずっと聞きたいと思ってたんですけど、聞かれたら嫌かなと思って・・・・。」
これだ!俺は霜田さんのこういうところが好きなんだ。当たり前のように尋ねていいことを、相手を気遣って口を噤む。そういう部分が、前の彼女には欠落していんだ。
「そんなに気を遣わなくていいですよ。で・・・いくつに見えます?」
「そうですねえ・・・25くらいとか?」
「近いです。今年の五月に24になりました。」
「24ですか。もっと大人っぽく見えるから意外でした。」
そう言ってニコリと笑い、可愛らしい雰囲気がさらに増した。
「なんか前から気になってたんです。飯田さんって、あんまり自分のことは喋らないから。」
「・・・そう・・・ですかね?」
「そうですよ。だからあんまり自分のことを詮索されたくない人なのかなって思ってたんですけど・・・・なんだか気になっちゃって。」
「そんなに気を遣わなくていいですよ。霜田さんは社員さんなんだし、俺より先輩なんだし。」
「いえいえ、そういうのは関係ありません。私って・・・・そういう上下関係を振りかざすのは嫌いなんです。」
そう言って笑う霜田さんは、すごく大人っぽく見えた。可愛いのにしっかりしているその部分が、また俺を惹きつけるのだ。
「気になることがあったらなんでも聞いて下さい。」
笑顔で答えると、霜田さんは嬉しそうに笑った。その顔が可愛くいて、胸に言いようのない熱さが込み上げてくる。
「・・・じゃあ、ここへ来る前は何をされていたんですか?大学生とか?」
「いえ・・・大学は中退したんです。サボりまくったせいで二年も留年しちゃって、もういいやってなって辞めました。」
「そういうものなんですか?」
「・・・・そういうものです・・・多分。」
霜田さんは「ははあ・・・」と声を漏らして頷き、ホテルに戻ってくる樋口さんを目で追っていた。
「私は大学へ行かなかったから、いまいちどういう場所か分からないんです。友達からはよく学校の話を聞かされるけど、自分が行ったことがないからピンとこなくて。」
「別に無理して行くような場所じゃないですよ。ていうか、勉強するつもりがないなら、行っても時間の無駄ですよ。
大学生になるとほとんどの奴が馬鹿になって、思春期の中学生くらいに逆戻りしちゃんです。
俺はあのアホなノリについていけなくて、しょっちゅう学校をサボってました。こんなことなら、大学なんて行かなきゃよかったって思って。」
「後悔してるんですか?」
「・・・・ううん・・・まあ・・ねえ・・・・。」
指でチョットだけと合図して見せると、霜田さんは可笑しそうに笑っていた。
俺はずっとその笑顔が見たくて、何かと話題を振っては笑わせていた。
《なんて幸せな時間だろう・・・・・。ずっとこんな時間が続くなら、休み無しで出勤したっていいや・・・。》
誰にもバレないように幸せを噛み殺していると、お局様が「代わるよ」と戻ってきた。
「ああ・・・はい。それじゃ・・・。」
サボるならずっとサボっていればいいものを、こういうタイミングの悪い時に戻ってきやがる。
心の中で思い切り舌打ちをしながら、作り笑顔を見せてフロントを後にした。
今日の出勤を終えれば三連休がやってくる。俺は気合いを入れて退屈な時間を耐え抜き、霜田さんに手を振ってホテルを後にした。


             *


三日の連休が空け、若干休みボケした頭で出勤した。バックヤードのロッカーから箒と塵取りを取り出し、駐車場の掃除に取りかかった。
「また吸殻がいっぱいだ・・・。ちゃんと灰皿に捨てろよ、まったく・・・。」
一人愚痴りながら掃除を終えると、ホテルの入り口でお局様がサボっていた。すれ違いざまに会釈を送ると、不機嫌そうな顔で睨まれた。
「飯田君。」
「はい?」
声のトーンが低い・・・・。これはかなり怒っているようだ・・・。
俺はお局様の神経を逆撫でしないように畏まり、俯き加減で向かい合った。
「あんたさ・・・私のことチクった?」
「・・・・え?チクるって・・・・何がですか?」
「だから、たまにここでサボってること。」
「・・・・・・・いえ。」
何がたまにだよ!毎日のようにサボってやがるクセに!
そう言いたい気持ちをグッと堪え、「何かあったんですか?」と上目遣いに尋ねた。
するとお局様は、さらに不機嫌そうな顔になって煙を吹かした。
「支配人のクソデブからクビだって言われたのよ。あいつマジで腹が立つ・・・普通十年も働いた人間を、タバコでサボってるからってクビにするかねえ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
俺は思った。十年働いて余計な知恵をつけ、さらにお局の地位まで獲得したからクビになるんじゃないかと。
だって・・・社員より仕事が出来ないクセに、社員より偉そうに振舞うアルバイトなんて、経営者にとっては邪魔者以外の何者でもないだろうから。
しかしそんな思いはオクビにも出さず、適当に笑顔で誤魔化してその場を後にしようとした。
「あ、飯田君。」
まだ何かあるのかよ・・・。足を止めて振り返り、また作り笑顔を見せた。
「なんですか?」
「あんたさ・・・・霜田のこと好きでしょ?」
「は?」
「は?じゃくなて、霜田に惚れてるでしょって言ってんの。言っとくけど、あんたの顔見てたら全部バレバレだから。
私が休憩に行くのをいいことに、嬉しそうに霜田とフロントに入っちゃって・・・・。」
「・・・・はあ・・・。」
お局様は嫌みたらしく口元を歪め、ヤンキーのように下品な態度でタバコを消した。
「言っとくけど、あの子彼氏いるから。付き合って四カ月のラブラブな彼氏が。だからいくら努力したって無駄よ。」
「・・・・・・いや、別に霜田さんのことが好きなわけじゃ・・・・。」
引きつった笑顔で反論すると、お局様は満足そうにホテルへ戻っていった。
そして二、三分してから駐車場に出て来て、歳に合わないオシャレな軽四を駆って去って行った。
「・・・なんだあのババア・・・・偉そうに言いやがって・・・。」
お局様の去った道を睨みつけ、モヤモヤとした気分でホテルに戻る。そしてバックヤードでフロント用の上着を羽織り、髪型を整えているところに霜田さんが現れた。
「ああ、飯田さん。聞きました?」
そう言って頬を紅潮させ、小走りに寄って来る。
「・・・・この前言ったこと・・・本当になっちゃいました。樋口さん、今日支配人からクビを言い渡されたんです。
本当はあと一カ月働けるのに、怒った顔のまま出て行っちゃったんですよ・・・。」
霜田さんは周りの気配を窺いながら、口元に手を当てて呟いた。
「知ってますよ、さっき駐車場で会いましたから。なんかすごく嫌味なことを言われましたよ。」
笑顔でそう言うと、霜田さんは「嫌味?どんな嫌味ですか?」と目を動かした。
「・・・・別に大したことじゃないです。きっと誰かに八つ当たりしたかっただけでしょう。」
「・・・そっかあ、なんだか大変でしたね。傷ついたりしてませんか?」
「全然ですよ。もう辞めた人に何を言われようが関係ないですから。」
「そっか・・・ならよかった。」
優しい霜田さんは、安心したようにニッコリと笑う。その笑顔を見て、俺はあることを確信した。
《霜田さん・・・絶対に俺に気がある!だって他の奴にはここまでの笑顔は見せないからな。》
そう思うとなんだかニヤけてきて、胸の中が熱くなった。そしてその勢いに任せて、思い切ってどこかに誘おうかとまで考え始めた。
しかし霜田さんは、俺とは反対に真剣な顔になった。それはとても憂いのある顔で、何か心配事を抱えているようだった。
「どうしたんですか?顔が暗いですよ?」
そう尋ねると、霜田さんはまた周りの気配を窺いながら、そっと顔を寄せてきた。
「・・・・あの、実は・・・・私もここを辞めるんです・・・・。」
「え?霜田さんも?」
素っ頓狂な顔で尋ねると、霜田さんは小さく笑って頷いた。
「今の彼と結婚することにしたんです。お互いまだ若いから、親には反対されたんですけどね。でも何とか説得して、結婚の許しが出ました。」
「・・・へええ・・・・二十三で結婚かあ・・・・凄いですね。」
自分の声が、自分ではないどこかから出ているような気がする。霜田さんの笑顔が急に憎たらしく思えてきて、「客室行って来ます」とその場を後にした。
ロッカーからクイックルとコロコロを取り出し、それを抱えて階段を上がる。そして無心に部屋の掃除を終え、重たい気分のまま業務をこなした。
霜田さんと二人でフロントに入った時も、何を喋ったのか覚えていない。きっとどこそこの店のラーメンが上手いとか、そんな他愛の無い話だろう。
でも・・・たった一つだけ、ハッキリと覚えていることがある。それはとても嬉しい言葉で、それと同時にとても聞きたくない言葉でもあった。
『今だから言いますけど、私って飯田さんみたいな人がタイプなんです。もう少し早く出会えてたら、きっと好きになってました。』
あの時・・・俺は何て返事をしたのだろう?素直に喜んだのか?それとも作り笑顔で聞き流したのか?
どちらにしたって、霜田さんが結婚をすることに変わりはないのだから、思い出したところで何の意味もないけれど・・・。
その日の夜、俺は家に帰ってからたくさんオナニーをした。
妄想の相手はもちろん霜田さんで、俺たちは恋人という設定だ。そしてその設定で満足のいくまでイッた後は、霜田さんを犯すことを妄想した。
それに飽きると、また恋人の設定に戻ってオナニーをする。
こうして嫌というくらいにオナニーをしておけば、きっと霜田さんのことを忘れられるはずだと思った。
だって・・・今までに失恋した時は、たいていこれで忘れることが出来たから・・・・。
無理をしたせいで股間がヒリヒリ痛んだが、心の方はちょっとだけ楽になった。
でも次の日に霜田さんと会った時、また胸が苦しくなった。あれだけ幸せを感じられた笑顔は、今となっては苦痛の種でしかなかった・・・。

新しい小説

  • 2015.03.22 Sunday
  • 12:48
JUGEMテーマ:自作小説
明日から新しい小説を載せます。
タイトルは「ヒミズの恋」という小説です。
そう長くはない小説ですが、よかったら読んでやって下さい。

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