取り残された夏の中へ 第六話 深夜の決闘(2)

  • 2015.07.14 Tuesday
  • 13:00
JUGEMテーマ:自作小説
深夜の公園で、佐野と園田がスパーリングをすることになった。
俺は二人の間に立ち、手を振り上げる。そして「始め!」と合図した。
お互いが拳を構え、小さく身体を揺さぶる。
まず最初に攻撃を仕掛けたのは園田だった。
腹の肉を揺らしながら、右ストレートを繰り出す。
しかしあっさりとかわされ、頬に平手の左フックを食らった。
園田はよろけ、赤くなった頬を押さえる。
いつもならこの程度で戦意を喪失するが、今日の園田は違った。
歯を食いしばり、負けじと反撃に出る。
まずは左ジャブを打ち、それから右ストレートに繋げる。
しかしその動きはあまりにも遅く、しかもフォームもなっていない。
まるで猫叩きのようなパンチを繰り出し、すでに息が上がっている。
佐野は軽くそのパンチを受け流し、今度はボディに平手を打ち込む。
しかし幸いなことに、園田の腹は脂肪で守られている。
拳なら悶絶しているだろうが、平手だとダメージが通りにくい。
だから平気な顔で撃ち返し、次々にパンチを繰り出した。
「ふう・・・・ふう・・・・・。」
顔は茹でダコのように真っ赤になっていて、口からはヨダレが飛び散っている。
足はもつれそうになり、髪が汗でへばりついている。
それでも園田は諦めない。まるでブレーキの壊れた機関車のように、前へ前へと攻めていく。
ここまでアグレッシブな園田を見るのは初めてで、俺は少し感心していた。
昔からこれくらいのアグレッシブさがあれば、少しは自信を付けていたかもしれない。
《こいつ本当に自分を変えたいんだな・・・・・。》
園田の懸命さが伝わってきて、なんだか胸が熱くなる。
最初は怖がっていた友恵も、やがて「頑張れ!」と応援するようになっていた。
「園田君!頑張って!」
友恵の声援を受け、園田はより果敢に前へ出る。
しかし攻撃ばかり意識していては、守りが薄くなる。
パンチはだんだんと大振りになり、もはや子供のぐるぐるパンチのようになっていた。
佐野はサッと身を屈め、園田の左をかわす。
それと同時に右フックを放ち、園田の鼻づらを叩きつけた。
「ぶおッ!」
鼻と口から変な声が漏れ、後ろに倒れる。
「ああ!」
友恵が叫び、痛ましそうな顔をする。
俺は園田の傍に膝をつき、「立てるか?」と尋ねた。
「・・・・・・・・・。」
園田は鼻を押さえていて、指の間から血が流れていた。
「鼻血か。どうする?まだ続けるか?」
そう尋ねると、園田は一瞬だけ迷いを見せた。
しかしすぐに立ち上がり、ファイティングポーズを取った。
「ちょっと見せろ。」
攻撃を受けた場所を調べると、鼻血以外に怪我はない。
「うん。折れてもいないようだし、大丈夫か。でも次にダウンしたら終わりだからな。」
そう警告すると、園田は聞いているのかいないのか分からない顔のまま、佐野を睨んでいた。
俺は手を振り上げ、再会の合図をする。
今度は佐野の方から攻撃をしかけ、積極的にジャブを打ち込んでいった。
園田はまともにそれを受け、ヨロヨロと後退する。
そこへ右ストレートが入り、たまらず顔を押さえる。
ボタボタと鼻血が垂れ、地面に黒い滲みを作っていく。
このままファイティングポーズを取らなければ、スタンディングダウンということになり、園田は負ける。
俺は「どうする?やれるか?」と声を掛けた。
「・・・・・・・・・・。」
「無理なら止めるぞ。」
「・・・・・・・・・・。」
「構えを取らないなら、ここで終わりだ。どうする?」
園田は顔を押さえたまま、何も答えない。
すると友恵が「もういいよ」と言った。
「すごい血が出てる。それに園田君怖がってるみたいだし・・・・・、」
「これは園田が決めることなんだよ。」
「でも戦う気を失くしてるじゃん。止めてあげなよ。」
友恵はハンカチを取り出し、園田の血を拭おうとする。
しかし園田はそれを払い、「まだやれる!」と叫んだ。
「まだ戦うぞ俺は!」
そう言って拳を構え、佐野を睨みつけた。
「もういいって。こだれけ鼻血が出てるのに・・・・。本当に怪我しちゃうよ?」
「でも負けたくないんだ。負けたくない・・・・・。」
「いいじゃん負けたって。ボクシングで負けたからって、別に落ち込まなくても・・・・・、」
「そうじゃない!何でも逃げるのが嫌なんだよ!」
園田は鼻血と共に、涙を垂らして言う。友恵は困り果て、俺の方を振り向いた。
「ねえ、これって続けても大丈夫なの?」
「まあ鼻血だけだし、本人がやるって言ってるし。」
「でもこれ以上は怪我するかもよ?」
「大丈夫だよ。佐野はちゃんと手加減してるから。」
そう言って佐野の方を見ると、「おいデブ」と罵った。
「やるのかやらないのかどっちだよ?」
「やるよ!」
「じゃあ続けるぞ。」
そう言って拳を構え、また殴りかかる。園田は腕を挙げて、必死にブロックした。
「ちょっと・・・・・、」
友恵は止めようとするが、俺は「いいから」と肩を叩いた。
「こんな必死な園田を見るのは初めてだよ。やらせてやろう。」
「そうだけど、別にこれで勝ったからって何も変わらないじゃない。」
「そんなことないよ。勝てば嬉しいもんだよ。」
「でも勝てないでしょ・・・・どう見たって。」
「勝てなくても、最後までやりたいんだよ。本当に危なくなったら止めるから。」
俺は二人の戦いを見つめ、園田の負けん気に、心の中で声援を送った。
きっと園田は勝ちたいんじゃない。自分から負けを認めるのが嫌なんだろう。
そうやって逃げ続けて、ちょっとした事でも怯えるようになって、そんな自分を心底嫌だと思っている。
友恵の言うとおり、こんなスパーで勝ったとしても、別に何かが変わるわけじゃない。
だけど、逃げなかった、自分から負けを認めなかったという事実は、ちゃんと残る。
それはきっと、園田にとって自信になるはずだし、自分を変えるほんの些細なきっかけになるかもしれない。
佐野はそのことをよく分かっているようで、攻撃を続けながらも、ちゃんと手は抜いている。
園田がその気になれば、打ち返せるように手加減している。
二人の戦いはしばらく続き、夏の蒸し暑い空気の中に、汗が滲んでいく。
それは見ている俺も同じで、シャツの背中に、いくつもの汗が流れていった。
園田は時折反撃し、どうにか前に出ようとしている。
佐野は足を止め、それを身体全体で受け止めていた。
体重では園田が勝る分、身体で押せば前に出られる。
しかし何度もパンチを浴びて、進んだり後退したりを繰り返していた。
「ふう・・・・ふう・・・・・。」
泣いているのか怒っているのか分からない顔をしながら、でも決して手は止めない。
もはやパンチとは呼べない攻撃だが、それでも膝をつくのだけは抗っていた。
しかしいくら闘志があっても、スタミナは永遠ではない。
膝をつきたくないと思っても、意志に反して身体は倒れていく。
園田はその場に膝をつき、ぜえぜえと肩で息をした。
二度目のダウン・・・・。園田の負け。スパーリングは終わり。
佐野は構えをといて、額の汗を拭った。
「デブにしてはよく戦ったな。」
「はあ・・・・ふう・・・はあ・・・・・。」
「一発もまともに入ってねえけど、あそこまで攻めてきたのは初めてだ。もっと早く倒れるかと思ったけど、よく頑張ったよ。」
そう言って大きく息をつき、「疲れた・・・・」と漏らした。
「こっちだって酔ってんだ。何度吐きそうになったか・・・・・。」
自分でやると言いだしたクセに、実は参ってるのは佐野も同じだったようだ。
しかしそこまでしても、最後まで園田に付き合ってやった。
青臭い友情を見せられて背中がもぞもぞしてくるが、でも嫌な気分ではなかった。
友恵は「大丈夫?」と、ハンカチで鼻血を拭ってやっている。
淡い紫のハンカチが赤く染まり、かなり血が出ていることが窺えた。
「・・・・・負けた。」
園田はぼそりと言い、残念そうに項垂れる。しかし後悔はしていないようで、涙は見せない。
きっと泣きたい気持ちはあるだろうが、それをグッと堪えて、目を閉じていた。
俺はベンチに置かれた園田のTシャツを掴み、「ほれ」と渡した。
「また蚊に刺されるぞ。」
「ああ・・・・すまん。」
シャツを受け取り、もそもそとそれを着る。そして膝に手をついて、ゆっくりと立ち上がった。
「平気?」
友恵はハンカチを当てたまま尋ねる。園田は「平気だよ」と笑った。
「それよりこれ・・・・ハンカチが汚れて・・・・。」
「いいよ、ハンカチくらい。」
「べ・・・・弁償するから・・・・。」
「だからいいって。」
友恵は笑い、「カッコよかったよ」と褒めた。
「あんなに堂々と戦う園田君、初めて見た。いつもは一発で逃げてたのに、最後まで逃げなかったね。」
「・・・・負けたくなかったから・・・・。ていうか、逃げたくなかったんだ・・・・。」
「うん、すごいジ〜ンときちゃった。もし涼香が見てたら、きっと褒めてるよ。」
「そ、そうかな・・・・・?」
「そうだよ。きっと褒めてくれる。さっきの園田君は男らしかった。見ててハラハラしたけどね。」
「そ、そうか・・・・・男らしかったか・・・・・。」
嬉しそうに頬を緩め、グイっと鼻血を拭う。
せっかく友恵が拭ってくれたのに、そのせいで顔の横まで血が伸びていった。
「なんかスッキリした。負けたけど、悪い気分じゃない・・・・。」
「よかったね。なら戦った意味があったじゃない。」
「そうだな。これで変われるかどうか分かんないけど、でもちょっと自信が持てそうかなって思う。」
園田はニコリと笑い、また鼻血を拭う。
すると佐野が「帰るか」と言った。
「デブの相手して疲れた。」
「お前がやろうって言ったんだろ。」
「もっと早く倒れると思ったんだよ。その後にカッコつけて説教しようと思ったのに・・・・。」
そう言いながら、背中を向けて歩き出す。
「実花にはフラれるわ、デブのせいで疲れるわ、今日は良い事なしだ。家まで送ってけよ。」
佐野は最後までカッコをつけ、シャツをはためかせて歩いて行く。
園田はそれを追いかけ、足がもつれてこけそうになっていた。
「仲良いね、あの二人。」
友恵は羨ましそうに言い、「私にはああいう友達いないなあ」と漏らした。
「昔から引っ越しが多かったから、ああいう幼馴染みたいな友達はいないんだよね。正直羨ましい。」
「でも涼香とは仲良いだろ。高校ん時からずっと友達だし。」
「そう見える?」
「そう見えるって・・・・なんかあったのか?」
「別に何かあるわけじゃないけどさ、涼香には実花ちゃんって幼馴染がいるじゃない?でも私は違うから。」
「幼馴染に憧れてるってことか?」
「そういうこと。それに涼香って女同士になると、ちょっと普段とは違う顔になるんだ。」
「そうなの?」
「まあこれは涼香に限らず、ほとんどの女の人に言えることだけどね。でも涼香はちょっと極端かな。」
「へえ、どんな風に?」
「言えない。バレたら絶対怒るから。」
友恵は肩を竦めて笑い、「私たちも送ってもらお」と歩き出した。
真夜中のスパーリングは終わり、佐野と園田は軽快な足取りで歩いて行く。
友恵の言う通り、俺だってこいつらのことは羨ましい。
昔からずっと一緒にいて、何一つ気を遣うことのない友達。
それがどれほど大切な宝物か、俺はよく知っている。
しかしその宝物はもうない・・・・。
俺は公園を振り返り、二人の戦いを思い出す。
自分を変える為に、果敢に攻める園田。その想いを受け止めるように、真正面から応戦する佐野。
公園を見つめているだけで、フラッシュバックのように蘇る。
そしてそのフラッシュバックは、やがて俺と正也に変わっていく。
かつて、俺と正也もこんな風に戦ったことがある。
誰もいない公園で、グローブも付けずに殴り合ったのだ。
その理由はただ一つ。友恵をめぐってだった。
俺も正也も友恵に惚れていた。
でも俺たちは昔からの親友で、そのせいで友情が壊れることを恐れた。
だから戦った。
ボクシングで決着を着け、勝った方が友恵に告白する。そして負けた方は身を引くというものだった。
俺たちは激しい殴りを演じ、鼻は折れるわ、肋骨も折れるわ、顔中痣だらけのでこぼこになるわで、まるで喧嘩のようになってしまった。
そして殴り合いの末、辛うじて俺が勝った。
正也は友恵のこと諦め、そして俺が告白する権利を得た。
正也には悪いと思ったが、これはお互いが納得の上で戦い、そして決まったことだ。
だから正也は俺の背中を押ししてくれた。
何も気にするなと言って・・・・・。
それから数日後、俺は緊張を抑えながらも、友恵に告白した。そしてフラれた。
とてもショックだったけど、何日も落ち込むほどではなかった。
なぜなら友恵は、正也に気があることを知っていたからだ。
もしかしたらフラれるんじゃないかという心配はあって、だからこそそう落ち込まずにいられた。
それに正也も慰めてくれたし、立ち直るのは早かったのだ。
それからしばらくして、俺はある話を耳にした。
それは友恵が正也に告白したというものだった。
木根と涼香がたまたま話しているのを聞いてしまって、フラれた時以上にショックを受けた。
しかしもっとショックだったのは、正也が友恵をフッたことだ。
『斎藤との約束があるから・・・・・ごめん。』
正也はそう言って、友恵の気持ちを退けた。自分だって友恵のことが好きなクセに、俺との約束を優先させたのだ。
しかしそんなことを言われてフラれた友恵は、納得しなかった。
自分の事が嫌いならともかく、そうでないのにフラれるのが納得いかなかったのだ。
そしてある時、俺は聞いてしまった。友恵が涼香にこう相談しているのを。
『斎藤君がいなきゃ、正也君と付き合えてたのに・・・・・、』
あの一言が、俺と正也の間にヒビを入れた。
もちろん友恵に罪はなく、俺が勝手に傷ついただけだ。
しかし高校生だった俺にとって、これはとてもショックな言葉だった。
想いを寄せている相手から、邪魔者扱いされる。
友恵としては当然の不満も、俺にとっては後頭部からの一撃のように、激しい痛みと衝撃をもたらした。
その日以来、俺は正也とも友恵とも、距離を置くようになった。
そして・・・・・正也との亀裂はだんだんと大きくなり、あるトラブルに発展した。
その延長に、あの貯水塔の事件がある。
夜の公園を見つめながら、俺は昨日の出来事のように思い出し、また胸が重くなった。
じっと立ち尽くし、誰もいない公園を睨んでいると、「何してるの?」と友恵に呼ばれた。
「早く行こ。」
友恵はニコリと笑い、ゆっくりと歩き出す。
俺は公園を一瞥してから、踵を返した。
温い風を受けながら、寄って来る蚊を追い払う。
嫌な思い出はいつでも傍にあって、きっとこの先も離れることはないのだろうと、さらに重い気分になる。
振り返っても何もなく、だけど振り返られずにはいられない、苦い思い出。
いつかこの思い出と別れられる日が来るのだろうかと、深夜の公園を後にした。

取り残された夏の中へ 第五話 深夜の決闘(1)

  • 2015.07.13 Monday
  • 13:06
JUGEMテーマ:自作小説
深夜のファミレスは客が少ない。
田舎のファミレスともなれば尚更で、俺たちの他には二人の客がいるだけだった。
こんな状態なら、深夜は店を閉めた方がいいと思うのだが、なぜか24時間営業しているところが多い。
どういう理由があってそうしているのかは知らないが、何もない田舎においては、こういう店があるのはホッとするのも事実だ。
店へ来てすでに一時間。
佐野は実花に対しての愚痴を並べ、それでもまだ諦めきれない様子で落ち込んでいた。
友恵は相槌を打ちながら話を聞き、時折慰めの言葉を掛けている。
園田はジュースばかり飲んでいて、十杯目のコーラを淹れに立ち上がった。
そして俺はというと、適当に佐野の話を聞きつつ、タバコを吹かしてばかりいた。
目の前には飲みかけのビールがあり、炭酸の抜けたそのビールを一口流し込んだ。
「ああ・・・・やっぱ遊ばれてただけなんだあ・・・・俺って・・・・。上手くいってるのは、全部幻だったんだ・・・・。」
佐野はもう何十回も同じような愚痴をこぼしていて、追加のビールを頼む。
顔は真っ赤だが、頭は冴えているようで、その口はさらに饒舌になる。
よくここまで口が回るもんだと感心するが、それを辛抱強く聞いてやる友恵も大したものだ。
俺はもうそろそろ帰りたくなってきて、ちらりと腕時計を確認した。
時刻は午前12時半。
いつもならとっくに寝ている時間で、頭が睡魔に侵されていく。
佐野の愚痴を聞きながら、腕を組んでウトウトしていた。
するとガラスの割れる音が聞こえて、ふと顔を上げた。
「おいコラ!何してんだデブ!!」
見ると園田が酔っ払いの親父に絡まれていて、酷く怯えていた。
あんな客はさっきまでいなかったので、新しく入って来たのだろう。
顔は真っ赤で、すでに出来上がっているようだった。
園田は「すいません・・・」と小声で謝るも、頭を小突かれて泣きそうになっていた。
そこへ店員が止めに入るが、酔っ払いの親父はまったく大人しくならない。
「お前な、ジュース持ってんなら前見て歩け!ズボンが濡れちまっただろうが!」
酔っ払いは、じっとりと濡れた又の間を指さした。
「これじゃ漏らしたみたいだろうが!新しいズボン買ってこいやデブ!」
「す・・・すいません・・・・、」
「謝ってすむか馬鹿!パンツも濡れてんだよ!どうすんだよコレよお!」
「あ・・・・あの・・・・弁償を・・・・、」
「当たり前だコラ!ぶくぶく太りやがってコラ!お前がもっと細かったらぶつからなかったんだよ!このデブ!死んで詫びろデブ!」
酔っ払いの暴言は止まらず、園田はノックアウト寸前で、目に涙が溜まっていた。
「ちょっとヒドイよあれ!助けに行こ!」
友恵は立ち上がり、園田の元に駆け寄って行く。
そして臆することなく、酔っ払いに文句を言い始めた。
園田は友恵の後ろに隠れ、ジュースを持ったままオロオロとする。
店員は厨房を振り返り、この状況をどうしたらいいのか、かなり困っているようだった。
「なあ佐野。園田が酔っ払いに絡まれてる。」
「・・・・・・・・・・・。」
「ズボンにジュースをこぼしたらしい。おっさんが漏らしたみたいになってる。」
「・・・・・・・・・・・。」
「佐野?」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・寝てんのか。」
俺はタバコを消し、ゆっくり立ち上がる。
そして酔っ払いの元へ行こうとした時、友恵が短く叫んだ。
「なんだお前!偉そうに・・・・、」
酔っ払いは友恵の髪を掴み、顔に唾を吐きかけた。
さすがにここまでされたら黙っていられない。
俺はすぐに駆け寄り、酔っ払いの手を叩き落とした。
「何してんだおっさん?」
「ああ?」
「ああじゃないよ。人の連れに唾吐きかけたな?」
そう言ってすごむと、酔っ払いは闘志に火が点いたようで、いきなり殴りかかってきた。
しかし俺も一応は元プロ。あっさりとその拳をかわし、酔っ払いを羽交い絞めにした。
「すいません、警察呼んでもらえますか?」
「え?ああ・・・・・はい!」
店員は慌てて奥へ駆けていき、遠巻きに見ていた男に話しかけていた。
《店長かあれ?見てないで警察くらい呼べってんだ。》
暴れる酔っ払いを押さえつけたまま、俺は友恵を振り返った。
「大丈夫か?」
そう声を掛けると、友恵はハンカチで唾を拭っていた。
「・・・・大丈夫。」
「洗った方がいいんじゃないか?トイレに行って来いよ。」
「うん・・・・・。」
「ああ、それと警察が来るから、ちゃんと考えとけよ。」
「考えるって・・・・何を?」
「何をって・・・・このおっさんを訴えるかどうかだよ。髪掴んで唾を吐いたんだから、立派な暴行罪だぞ。」
「いいよ、お金なんて欲しくないし。」
「そっちの訴えるじゃなくて、警察に捕まえてもらうかどうかってこと。」
そう言うと、友恵は「捕まえる・・・?」と眉をしかめた。
「その人を逮捕するってこと?」
「そうだよ。告訴するかどうかってこと。」
「いいよそんなの!大袈裟だし!」
友恵はぶんぶんと首を振り、慌ててトイレに駆け込んで行った。
そこへ店員が戻って来て、「警察呼びました」と震える声で言った。
「どうも。」
俺は頭を下げ、しっかりと酔っ払いを抑え込む。
酔っ払いはまだ暴れていたが、やがて警察がやって来て取り押さえられた。
詳しい状況を尋ねられ、事の経緯を説明する。
そして案の定、「この人どうしますか?」と友恵に尋ねた。
「誰も怪我はしてないみたいだけど、一応暴行事件なんで逮捕は出来ます。」
「ええっと・・・・・・、」
「もし慰謝料を取る気なら、ここで逮捕しといた方がいいですけど。」
「いえいえ、いいです!大したことはないですから。」
「分かりました。じゃあとりあえずこの人は署まで連れて行きますんで。」
そう言って酔っ払いは連行され、店には静けさが戻った。
俺は友恵を振り返り、「災難だったな」と笑いかけた。
「ほんとうに大丈夫か?髪引っ張られてたけど。」
「うん、平気。」
「なんか気の弱そうなおっさんだったよな。酔いが冷めたら、きっと青い顔してるぞ。」
安心させるようにそう言うと、友恵は「ちょっと怖かった・・・」と俯いた。
「ごめんな、もうちょっと早く助けに入ってたらよかったな。」
「ううん、私が勝手に行っただけだから。」
友恵は首を振り、無理に笑顔を作ってみせた。
そして園田に近づいて、「大丈夫?」と顔を覗き込んだ。
「青い顔してるけど・・・・平気?」
「あ・・・・ああ・・・・まあ。」
「怖かったよね、いきなり絡まれて。」
「お・・・・俺が先にぶつかったから・・・・、」
「でもあそこまで怒ることないじゃんね。酔って気が大きくなってたのかな?」
友恵は唇を曲げ、怒りを露わにした。
「あんな風になるなら、お酒なんか飲んでほしくないよね。」
「う・・・・ああ・・・・、」
「私なんか髪引っ張られちゃって、最悪だよほんと。」
「ご・・・・ごめん・・・・・。」
「園田君が謝ることないよ。悪いのはあの人だから。」
そう言って肩を叩き、まだ震えている園田を慰めた。
「とりあえず座ろ。ジュース飲むんだったんでしょ?」
友恵は園田の手からグラスを取り、コーラを注ぐ。そして「ほら?」とそれを渡して、背中を押して席に戻って行った。
俺も席に戻り、まだ寝ている佐野の頭をつついた。
「おい。」
「いいよ、寝かせてあげなよ。」
「でもこいつを慰めに来たんだぞ。」
「寝てるってことは、落ち着いたってことでしょ。」
「酔い潰れただけだろ。さっきまで大変だったってのに。」
タバコを咥え、ボタンを押してビールを頼む。友恵もチューハイを頼み、「飲んで嫌なこと忘れちゃお」と笑った。
しかし園田はまだ震えていて、青い顔をしたままグラスを握っていた。
「お前いつまで怖がってるんだよ。もう酔っ払いはいないぞ。」
「わ・・・・分かってるよ・・・・。」
「だいたい友恵の後ろに隠れてどうするんだよ。どっちかって言ったら、お前が守る側だろ?」
「だから分かってるって!分かってんだ・・・・そんなの・・・・。」
そう言ってジュースを飲み干し、がっくりと項垂れた。
「駄目なんだよ・・・・こういうの・・・・、」
「何が?」
「だから喧嘩とか・・・・。すごく怖くて、足が震えるんだ。頭も真っ白になるし、何をどうしていいのか分からなくなる・・・・。」
「そんなん誰だって一緒だろ。俺だって怖かったぞ。」
「嘘つけ!怖かったら、あんなに冷静でいられるわけないだろ!」
「だってあのおっさん弱そうだったし。」
「それはお前がボクシングやってたからだろ!」
「お前だってやってたろ。そもそもボクシング同好会の集まりじゃないか。」
「で、でも・・・・俺は全然強くなれなかったから・・・・・。」
園田は空になったグラスを見つめ、大きくため息をつく。
顎の肉が震え、この世の終わりみたい顔でポテトを齧った。
「昔っからそうなんだ・・・・・。トラブルがあると、何も出来なくなる・・・・・。涼香が不良に絡まれた時だって、助けてやれなかった。すぐボコボコにされて、ダサいとこ見せて終わりだったんだ・・・・。」
一本ずつポテトを頬張りながら、怒りをぶつけるように噛み潰す。
それを水で流し込み、「こんなんだから俺は・・・・、」とゲップをした。
「こんなんだから、涼香にもフラれたんだ・・・・・。もうちょっと俺に度胸があって、もうちょっと腕っぷしが強くて、もうちょっと痩せてたら・・・・、」
「もうちょっとだらけだな。全部合わせたら、もうちょっとで済まなくなるぞ。」
「うっさいな!揚げ足取るなよ。」
水を飲み干し、ポテトも平らげ、ふうふうと鼻息荒く、顔を赤くする。
「別に喧嘩に強くなりたいわけじゃないんだよ!たださ・・・・何かある度にビクビクするのが嫌なんだ・・・・・。」
「でもお前は元々気が弱いからなあ。仕方ないんじゃないか?」
「元々じゃない!昔は気が強かったんだ!」
「それっていつ頃のことだよ?」
「・・・・・・幼稚園くらい。」
消え入りそうな声で言いながら、また項垂れる。ゆっくりと顔を上げ、「なあ・・・」と友恵を見つめた。
「お・・・・女から見るとさ・・・・俺みたい男ってどう見えるわけ・・・・・?」
いきなり意見を求められて、友恵は困惑する。
「そ、そうだなあ・・・・・。や・・・・優しいなあ・・・・とか?」
「他には?」
「ええっと・・・・大人しいなあ・・・とか?」
「他は?」
「他?ほ・・・・他は・・・・・・食べっぷりがいいなあ・・・・・とか?」
友恵は全ての質問に疑問形で答え、「ごめん・・・・上手く言えない・・・・」と結んだ。
「要するに・・・・俺みたい男は駄目ってことだよな・・・・。」
「そ、そうは言ってないけど・・・・・、」
「じゃあさ、もし俺みたいな男から好きだって言われたらどう思う?」
「ええ!何それ・・・・・。」
「例えばだよ!どう思うわけ?」
「・・・・・・・・・・・。」
友恵は黙り込み、俺の方を見て、「助けて!」と目で合図した。
「いいじゃん、正直に答えてやれば。」
「でも・・・・・、」
「自分から意見聞いてるんだから、答えてやった方がいいと思う。例えへこんでも。」
「そ・・・・そう?」
「そうそう。」
友恵は困惑しながら目を伏せ、「じゃあ・・・・・」と口を開いた。
「その・・・・友達としてなら、園田君みたいな人は嫌いじゃないよ。」
「うん。」
「だけど・・・・・男の人として見た時は、ちょっと頼りないかなって・・・・・・。」
友恵はかなり気を遣っているようで、最後の方は聞き取れないほど小さな声で言った。
しかし園田にはばっちり聞こえていて、「やっぱりか・・・・」と落ち込んだ。
「そうだよな・・・・こんな気の弱いデブは嫌だよな・・・・・。」
「あ、いや!これはあくまで私の意見だからね!他の女の人が同じとは限らないよ!」
友恵は手を振りながら、慌てて否定する。しかしそういったフォローは、逆に相手を傷つけるだけだ。
「いいよ・・・・気を遣ってくれなくても・・・・。」
「だ・・・・だって・・・・・。めちゃくちゃ落ち込んでるから・・・・。」
二人して暗い顔になり、俺たちのテーブルに重い空気が流れる。
そこへさっき頼んだビールとチューハイが運ばれて来て、俺たちの前に置かれた。
その時、店員がビールのグラスを佐野の頭に当ててしまい、「すいません!」と謝った。
「あ、いいですよ、寝てるから大丈夫。」
俺は手を振り、問題ないとアピールする。しかし佐野はむくりと顔を上げて、目の前のビールを掴んだ。
「あれ・・・・俺寝てた?」
そう言いながらビールを煽り、またテーブルに突っ伏した。
「おい佐野。もう帰るか?」
そう尋ねると、「んん〜・・・・」と曖昧な声が返ってきた。
「嫌だ。」
「なんで?」
「帰ってもやる事ねえもん。」
「ここにいてもやる事ないだろ。」
「酒があるだろ。」
「家でも飲めるだろ。」
「外で飲むのがいいの。」
「あ、そ。俺は正直帰りたいんだよ。お前は酔い潰れてるし、他は暗い顔してるし。」
そう言うと、佐野は「暗い顔?」と身を起こした。
「そうだよ。お前が寝てる間に一悶着あってな・・・・・、」
酔っ払いと揉めた事、そして園田と友恵のやり取りを話すと、佐野は真顔になった。
そして眠気覚ましとばかりに、一気にビールを煽った。
「園田はともかく、なんで友恵まで落ち込むんだよ。」
「知らないよ。でも昔から優しい奴だから、園田を不憫に思ってるんじゃないか?」
「不憫ねえ・・・・。それを優しさと言うのかね?」
佐野はグラスのビールを一気に飲み干し、急に立ち上がる。
「おいデブ。」
いきなり呼ばれて、園田はから揚げを摘まむ手を止めた。
「ちょっとスパーリングしようや。」
「はあ?なんでだよ?」
「だって強くなりたいんだろ?だったら戦わなきゃ強くならないだろ。」
「いや、意味分かんねえよ。なんでいきなりお前とスパーするんだよ?」
「だってお前・・・・同好会ん時でも、数えるほどしかスパーしてねえじゃん。試合だってお前だけ出てないんだぜ?」
「それは・・・・俺がボクシングに向いてなかったから・・・・。」
「いいや、違うな。お前はビビってただけだ。だからスパーもしないし、試合にも出なかった。」
「・・・・そうだよ。でも顔殴られるのは誰だって怖いだろ?」
「そんなん言ってたらボクシングなんか出来ないだろ。お前が同好会にいたのは、涼香の為だけかよ?強くなりたいから、ボクシングやってたんじゃないのかよ?」
「す・・・・涼香の為だけだよ!アイツが好きだったから、同好会に入ったんだ。」
「いいや、違うね。なぜならお前は、同好会に入る前から、俺と一緒にジムに通ってた。」
「いや・・・・そうだけど・・・・・、」
「ダイエットの為だとか言ってたけど、本当は強くなりたかったんだろ?違うか?」
佐野は何かが乗り移ったように、キレのある口調で言う。
園田は黙り込み、黙々とから揚げを頬張り始めた。
「お前とは付き合いが長いからな。昔っから悩んでたのは知ってる。」
「・・・・・・・・・・・。」
「別にめっちゃ強くなる必要はないんだよ。ちょっとだけ勇気を持てるようになれば、それが自信に変わるんだ。」
なんだかカッコいいことを言い出し、これまたカッコをつけてテーブルを離れて行く。
「ちょっと便所。その後店を出てスパーだ。」
トイレに行く時までカッコをつけ、上着のシャツをわざとらしくはためかせた。
それを見た友恵は、「佐野君どうしちゃったの?」と尋ねた。
「さあな。酔ってテンションが上がってるんじゃないか?」
「でもさ、スパーリングって殴り合うやつでしょ?ほんとにやる気なの?」
「本気っぽい口調だったよな。まあ応じるかどうかは園田次第だけど。」
そう言って目を向けると、から揚げを手にしたまま固まっていた。
「なあ園田。お前と佐野は付き合いが長いから、きっとお互いのことが分かってるんだろう。だから佐野は、何か思うところがあってああ言ったんじゃないか?」
「・・・・・・・・・・・。」
「これは俺らには分かんないよ。もちろん佐野は本気で殴る気なんてないだろうけど、でもスパーはやるつもりみたいだ。どうするんだ?」
さっきとは違った雰囲気が漂い、また俺たちのテーブルの空気が重くなる。
友恵は「危ないからやめときなよ」と言うが、それが逆に火を点けてしまった。
「友恵は・・・・俺みたいな男は、男として見れないって言ったよな・・・・・。」
どこから声を出しているのかと思うくらい、思いつめた声が響く。友恵はうろたえ、「言ったけど、あれは私の個人的な意見だから・・・」と誤魔化した。
「みんながみんな、園田君のことをそう思うとは限らないよ?」
「いいや、その意見は当たってるよ。だって・・・・・、」
園田は口を噤み、手にしたから揚げを睨む。それを親の仇のように頬張ると、一瞬にして飲み込んでしまった。
「俺・・・・そう言って涼香にフラれたんだ。『あんたのことは嫌いじゃないけど、男としてはちょっと・・・・』って。」
「それは・・・・涼香は気が強いから・・・・・、」
「いいや、きっと実花だって同じことを言うはずだ。女から見れば俺は、気が弱くて汚らしい、脂肪にまみれた豚なんだ。」
「だ、誰もそこまで言ってないよ・・・・。」
「でもきっとそう見えてる!世の中の女には、俺はそう見えてるんだ!」
園田は珍しく怒りを露わにして、テーブルを叩いた。
そこへ佐野が戻って来て、「行くか」と言った。
「おいデブ。今からスパーだ。グローブは無いから、俺は平手で殴る。でもお前は拳でいいぞ。」
「・・・・・いいよ、やってやる・・・・。」
「よし!じゃあ行くか。近所に小さい公園があっただろ。そこでやるぞ。」
佐野は残ったビールを煽り、一人店を出て行く。
園田もから揚げを食べ尽くし、まるでリスみたいに頬を膨らませて立ち上がった。
「ちょっと・・・・殴り合いなんてやめときなよ。」
友恵が諌めると、園田はぶんぶんと首を振った。口の中のから揚げを飲み下し、「俺はやるぞ」と言った。
「良い機会なんだ。俺はこの夏・・・・・変わるぞ。」
自分で言って自分で頷き、伝票を持ってカウンターに向かう。
「あ、いいよ!ここは私が奢るから・・・・・、」
「いいや、女の子に奢らせるわけにはいかない。まずはこういう所から変えていかないと。」
そう言って会計を済ませようとするも、手持ちが足りずに困っていた。
友恵は苦笑いしながら財布を取り出し、会計の全てを払った。
「ご・・・・ごめん・・・・。後で返すから・・・・。」
「いいって。私が奢るって言ったんだから。」
園田はバツが悪そうに目を逸らし、そそくさと店を出て行く。
俺と友恵も後を追いかけ、街灯が灯る駐車場に立った。
「佐野は?」
「あそこ。近くの公園に向かってる。」
暗い夜道を、佐野はシャツをはためかせながら歩いている。
ドラマのワンシーンのような画を、自分で演出していた。
「あいつ酔ってるな。後で恥ずかしくなっても知らんぞ。」
先を行く佐野を追いかけ、すぐ近くの公園までやって来る。
ブランコと滑り台、そして入り口にはゴミ置き場があって、奥には小さな社が立っていた。
「夜の公園って、なんか不気味・・・・・。」
友恵は怯えたように言い、「ほんとにやるの?」と尋ねた。
「殴り合うなんて危ないよ?」
眉をしかめながら、やめるように促す。しかし佐野は首を振った。
「俺は本気ではやらねえよ。そのデブの心意気を試すだけだから。」
「でも怪我とかしたら・・・・・、」
「したっていいんだよ。大怪我じゃなきゃ問題ねえ。」
「だけど・・・・・、」
友恵は納得いかないように食い下がる。すると園田が「友恵、これは男と男の闘いなんだ」と、なぜかTシャツを脱ぎ始めた。
「な・・・なんで脱ぐの?」
「これは決闘なんだ。だから脱ぐ。」
「意味分かんないし・・・・、」
友恵はうんざりしたように首を振り、俺の肘をつついた。
「ほんとに大丈夫なの・・・?」
「まあ・・・・大丈夫だろ。佐野が本気で戦うわけないし、逆に園田は本気で戦っても知れてる。」
「もしもの時は止めてよ。怪我とかする前に。」
「分かってるよ。」
夜中の公園で、二人の男が戦おうとしている。
佐野は屈伸をした後、軽くシャドーをこなしている。
園田もシャドーをするが、動きがぎこちなくて、シャドーなのか阿波踊りなのか分からない不気味なパンチを繰り出していた。
しかも上半身が裸なので、やたらと蚊に襲われている。
「よっし!やるか。」
佐野は公園の中央に立ち、「デブ、準備はいいか?」と尋ねた。
「お・・・・おう・・・・・。」
襲いかかる蚊と戦ったせいで、園田の息はもう上がっていた。
コンディションは最悪、しかもあちこち刺されて、ぼりぼりと掻き毟っている。
「斎藤、合図してくれ。」
佐野が言い、俺は二人の間に立った。
「じゃあ一応確認だけど、佐野は拳は無しな。平手で殴ること。」
「おう。」
「あと急所は当てるなよ。」
「分かってるよ。」
「逆に園田は本気でやっていいから。」
「お、おう・・・・・。」
「かなり息が上がってるな。ちょっと休憩してからにするか?」
「いや・・・・大丈夫だ・・・・。」
「そうか。ならお互い拳を合わせて。」
二人は拳を握り、それをコツンと合わせる。
俺は手を振り上げ、「始め!」と合図した。

取り残された夏の中へ 第四話 二度目のプロポーズ(2)

  • 2015.07.12 Sunday
  • 11:14
JUGEMテーマ:自作小説
泣いている実花を見て、佐野の表情が変わる。
木根に駆け寄り、いきなり右ストレートで殴りつけた。
硬い音が響き、それと同時に木根が倒れる。
友恵と実花は悲鳴を上げ、涼香は「何やってんの!」と止めに入る。
しかし佐野は涼香を振り払い、木根の胸倉を掴んだ。
そしてもう一発殴りつけ、完全にノックアウトしてしまった。
「ちょっとやめて!」
涼香は佐野を突き飛ばし、木根を抱きかかえる。
そして泣きそうな顔で見つめながら、必死に肩を揺さぶった。
「弘武!」
しかし木根は起きない。佐野のパンチで脳震盪を起こしてるようで、虚ろな表情で脱力していた。
俺は駆け寄り、「動かすな!」と止めた。
「そのまま寝かせとくんだ。」
「でも・・・・・、」
「お前だって経験者なら分かるだろ。脳震盪を起こしてる時は、寝かしといた方が安全だ。」
そう言って木根の頭を抱え、「誰かタオルを持ってないか?」と尋ねた。
すると園田が駆け出し、車から手ぬぐいを取ってきた。
俺はそれを受け取り、木根の頭の下に引いた。
「・・・・・そんなに酷い状態じゃないと思うけど・・・・しばらく様子を見よう。」
「様子って・・・・このまま死んじゃったらどうするの・・・・?」
涼香は泣きそうな顔で言う。俺は「死なないよ」と答えたが、それでも納得しないようだった。
「だって素手で殴られたんだよ?それも思いっきり・・・・・。顎が割れたりとか・・・・それに後遺症とか・・・・・、」
「うん、まあ・・・・顎は割れてるかもな・・・・。だけど後遺症は・・・・まあ心配ないだろ。」
「なんでそんな事言えるのよ!素手で二発もやられたのに!」
「そうだけど、無防備な所にくらったから倒れただけだよ。軽い脳震盪だろうから、しばらく様子を見よう。それでもヤバそうだったら、その時は救急車だ。」
「でも・・・・・、」
涼香は必死に食い下がり、木根の手を握りしめている。
そしてとうとう泣き出してしまい、「ちょっとあんた!」と佐野を振り返った。
「なんでいきなり殴るのよ!?」
「うるせえな。そいつが実花を泣かせたからだ。」
「でも殴ることないじゃない!あんた元プロなんだよ!?自分の拳が凶器って分からないの!?」
「そいつだって経験者だろ。だいたい口が悪過ぎんだよ、木根はよ。女泣かすまで暴言吐くってやり過ぎだろ。それだって立派な暴力だぜ。」
「それは・・・・・・、」
涼香は黙り込み、木根の手を握りしめる。
佐野は面白くなさそうに顔をしかめ、実花の元に膝を着いた。
「なあ・・・・その・・・・婚約してたってマジ・・・?」
珍しく佐野が真面目な声を出す。実花はそれに怯えたのか、佐野から目を逸らした。
「俺さ・・・・恥ずかしながら、お前以外の女と付き合ったことがないから、こういうのが普通かどうか分かんないんだよ。浮気とか、不倫とか、そういうのって普通なのかなって・・・・よく分からないんだ。」
そう言って佐野も目を逸らし、辛そうに頭を掻いた。
すると友恵がすかさず「そんなわけないんじゃん!」と答えた。
「普通婚約してたら他の男と付き合わないよ。」
「俺は実花に聞いてんだよ。」
「私は一般論を言ってるの。婚約中に他の男と付き合うなんて、普通はしないよ。」
「でも実花はしてんじゃん。それってさ、つまり・・・・・俺が遊びってことだよな?」
佐野はさらに辛そうに顔をゆがめ、怒りのはけ口を探した。
拳を手の平に打ちつけ、どうにか気持ちを鎮めようとしている。
「だって・・・・高校ん時からずっと好きなんだよ、コイツのこと・・・・・。それで今でも諦められないから、思いきって告白してさ。それでOKもらって、どんだけ嬉しかったか・・・・。」
何度も拳を打ちつけながら、絞り出すように語る。
がっくりと項垂れ、「やっぱ遊ばれてただけなのか・・・・」と、誰にでもなく呟いた。
「上手くいってると思ってたんだ・・・・・。それでこの先も二人でいたいって思ったから、プロポーズまでしてさ・・・・・。実花は気持ちの整理をさせて欲しいって言うから、俺はずっと返事を待ってた・・・・。でもまさか、もう婚約してたなんて・・・・そんなのあんまりだろうよ・・・・。」
佐野は背中を向け、とぼとぼと車に歩き出す。
そして車の陰に隠れたかと思うと、タバコの煙が立ち昇った。
俺はそれを見つめながら、「なあ?」と園田に問いかけた。
「あいつ実花と付き合ってたんだな?車の中じゃ何も言わなかったけど・・・・・。」
「ああ。みんなには内緒にしといてくれって言うから・・・・。」
「なんで?」
「なんでって・・・・あいつプライド高いじゃん?だから一度フラれた女に、もう一度告白したってのが恥ずかしかったんじゃないのかな?」
「ああ、なるほど・・・・。」
「いや、ほんとの所は知らないよ。でもアイツの性格からしたら、そうなんじゃないかって思っただけだよ。」
「まあお前が一番付き合い長いからな。きっと当たってるよ。」
園田はバツが悪そうに手をさすり、車の方へ戻って行った。
するとそこへ運転代行の車がやって来て、堤防の前に停まった。
中から陽に焼けた中年の男が二人出て来て、木根を探し始める。
しかし木根はまだ倒れていて、涼香の膝の上で眠っている。
俺は代行業者に近づき、適当な理由をつけてキャンセルしようと思った。
しかし涼香は木根を抱えたまま立ち上がり、「ここです」と言った。
「すいません、かなり酔っちゃって・・・・。」
そう言いながら木根を車に乗せてもらい、こちらを振り返った。
「ごめん・・・・今日は帰るね。弘武が心配だし、それに思い出巡りとかする気分になれないから・・・・・。」
涼香は木根の隣に座り、ドアが閉じられる。すると実花が駆け出して、「私も乗せて!」と叫んだ。
ドアを開け、「私も帰る!」と強引に乗り込む。
涼香は困惑したが、実花は出るつもりはないらしい。
俺と涼香の目が合い、俺はいいよという風に手を振った。
《これで青臭い企画も終わりだ。みんな同窓会の延長で浮かれ過ぎてただけだ。》
そう思いながら、さっさと行けという風に目で合図した。
しかし友恵は納得いかないようで、「こんなのズルイよ!」と叫んだ。
「実花ちゃん勝手すぎる!これじゃ佐野君が可哀想だよ!」
その声は確かに実花に届いたはずだが、こちらを振り返ろうとはしない。
身体をよじってドアを閉め、隠れるように頭を低くした。
「ちょっと実花ちゃん!」
友恵は引きとめようとするが、涼香が首を振る。そして後で電話するという風に、ケータイを耳に当てるジェスチャーをした。
車は走り出し、木根、涼香、実花の三人が遠ざかっていく。
思い出巡りなんて青臭い企画の発案者は、大きな爆弾を残したまま去って行った。
「何よそれ・・・・・。なんで勝手に帰っちゃうわけ!?」
友恵は唇を噛み、怒りを露わにする。そしてすぐにスマホを取り出し、誰かに電話を掛けていた。
俺は何とも言えない顔で立ち尽くし、また夜の海に目を向けた。
釣り人が野次馬根性丸出しで見つめていて、俺と目が合うなりサッと逸らした。
《そりゃあ見るよな。俺が逆の立場だったら、絶対に野次馬になってる。》
他人の不幸、他人のトラブルほど心をくすぐるものはない。
しかし自分が当事者ともなれば、どうしてこんな目にと思うはずだ。
俺はこのしょうもない喧嘩の中心にいるわけではないが、無関係というわけではない。
友達が起こした喧嘩ならば、他人から見れば俺も当事者ということになるのだろう。
だから車に戻るまでの間、背中に野次馬の視線が突き刺さっていた。
「実花は帰った。木根と涼香も。」
車にもたれる佐野にそう告げると、何も答えずにタバコを吹かした。
そこへ友恵も戻って来て、「誰も電話に出ない・・・」と愚痴った。
「涼香も実花ちゃんも出ないよ。木根君にも掛けたけど、まだダウンしてるみたい・・・・。」
「だろうな。思いっきり顎に入ってたから。」
「・・・ひどいよね、こんなの。これじゃただ佐野君が傷ついただけじゃない。」
苛立たしそうに言って、スマホをバッグに仕舞う。
そして佐野の傍に行き、「大丈夫?」と尋ねた。
「なんか変な形になっちゃったね・・・せっかく楽しい同窓会だったのに・・・・・。」
「慰めてくれなくていいよ。」
佐野はそう言って、タバコを足元に捨てた。それを踵ですり潰しながら、「いずれ分かることだったんだ・・・」と呟いた。
「別に今日じゃなくてもさ、いつかバレることだろ。だから良かったよ、みんながいる時で。もし二人きりだったら、俺は実花を殴ってたかもしれない。」
「そんな怖いこと言わないでよ・・・・・って言いたいけど、実花ちゃんのやったことを考えると、平手打ちくらいならいいかもって思っちゃう。あれは酷いよ。」
「ああ、ほんとにな。でもまあ・・・・俺が馬鹿だったんだよ。女を見る目がなかったんだ。昔からの友達だから、何でも知ってるつもりだったけど・・・・男女の仲になると、そうもいかないって思い知った。良い勉強になったよ。」
佐野は精一杯の強がりを見せ、またタバコを咥える。
友恵は「佐野君・・・・」と悲しそうな顔をして、ポンと腕を叩いた。
「これからみんなで飲み直しに行こうか?」
「いいよ、気い遣ってくれなくても。」
「そんなんじゃないよ。このまま終わったら、すごく後味が悪いじゃない。だから飲み直しに行こ。私が奢るからさ。」
そう言って、友恵は俺と園田に目配せをする。
園田は「そうだな、それがいいと思う」と頷き、早速車に乗り込んだ。
俺も「そうするか」と言って、佐野の肩を叩いた。
「嫌な気持ちのまま帰っても、どうせ寝れないだろ。今日は飲み明かそう。」
そう言って背中を押すと、佐野は渋々という感じで車に乗り込んだ。
「で?どこに行く?この辺りに深夜でもやってる所なんてないぞ。」
「そうだね・・・・・知ってる店があるんだけど、ちょっとここからじゃ遠いしなあ・・・・・。」
園田と友恵は眉を寄せながら考える。すると佐野が「ファミレスでもいいんじゃねえか」と言った。
「いいの?ファミレスで?」
「だって空いてる店がないなら仕方ないだろ。それに・・・・久しぶりじゃん、こうして集まってファミレスに行くなんて。多分高校以来だぜ?」
「そっか、それもそうだね。」
佐野の言う通り、確かにみんなでファミレスに行くなんて久しぶりだ。
高校の頃はよく行っていたけど、今では飯を作るのが面倒くさい時しか行かなくなってしまった。
「じゃあファミレスでいいか?」
園田が言い、全員が頷く。
車はゆっくりと滑り出し、防波堤から離れて行く。
ルームミラーには街灯に照らされた釣り人が映っていて、暗い海に糸を垂らしていた。
そして何かを釣り上げて、クーラーボックスに入れていた。
「でかいチヌでも掛ったのかな?」
ぽつりとそう呟くと、前の助手席に座る佐野が「さあな」と言いながら、スマホをいじった。
「どうした?お前もあいつらに電話を掛けるつもりか?」
「まさか。ただ余計なもんを消しとこうと思って。」
「余計なもん?」
「ああ。実花の奴がぜんぜん返事を寄こさないから、また近いうちにデートにでも誘って、プロポーズしようと思ってたんだ。その誘いのLINEを送ろうとしたんだけど、返事を聞くのが怖くて送れなかった。だから消そうと思って・・・・。」
そう言いながらスマホを操作し、「危うく二度目のプロポーズをするところだった」と笑った。
「もしそんな事してたら、ピエロもいいとこだよ。傷つくを通りこして笑えるよな。」
自虐的に言いながら、操作を終えてスマホをしまう。
そして頭の後ろで腕を組み、ダッシュボードに足を乗せた。
「とろとろ運転すんなよデブ。夜なんだからもっと飛ばせ。」
「うるさいな。久しぶりに行くから、道を思い出してんだよ。確かこっちにあったはずなんだけど・・・・・、」
「ここ真っ直ぐだ。その先の交差点を左に行きゃガストだし、直進すればサイゼリアがある。」
佐野はいつもの調子に戻り、園田相手にあれこれと指示を出す。
しかしその声はどこか沈んでいて、傷ついた痛みを押し殺しているのが伝わって来た。
「・・・・佐野君、ちょっとだけ元気になってる・・・?」
友恵が小声で尋ねてくるので、「そんなすぐには無理だろ」と返した。
「だよね。実は今さっき涼香からLINEが来たんだ。実花ちゃんのことで・・・・・。」
「マジで・・・?」
俺も声を潜めて聞き返す。すると友恵はそっとスマホを差し出し、液晶を見せつけた。
『ごめんね、急に帰っちゃって。弘武はもう目を覚ましたし、ちょっと顎が痛いって言ってるけど、大きな怪我はしてなさそう。それで・・・実花のことなんだけど、やっぱり結婚は出来ないって。今は誰とも結婚したくないから、婚約も無しにするつもりらしいよ。だからね・・・・ほんと〜に悪いんだけど、佐野にそう伝えてもらえるかな?二回もプロポーズしてもらって悪いけど、やっぱり出来ないって。ほんとにごめんね!今度埋め合わせするから!』
液晶には涼香からのLINEが映されていて、俺は思わず唸った。
「どいつも勝手過ぎるだろ。実花はともかく、涼香もここまでとは・・・・・。」
「実花ちゃんと涼香は昔っからの友達だからね。佐野君には悪いけど、涼香にとっては実花ちゃんや木根君の方が大事だろうし・・・・。」
「いや、それもあるけどさ、これ二回もプロポーズしてもらってって書いてあるぞ・・・・。ということは・・・・・、」
俺は顔を上げ、佐野の後頭部を見つめる。こいつはさっき、プロポーズのメールを消すと言ってなかったか?
「こいつも言ってる事とやってる事が違うな・・・・・。なんかもう・・・・好きにやってくれって感じなんだけど・・・・。」
「まあまあ。急に心の整理なんかつかないよ・・・・・。だから・・・・このLINEのことは、今は言わない方がいいよね・・・・?」
「だな。ていうか俺たちがどうこうしなくてもいいと思うよ・・・・。後は当人同士ってことで・・・・・。」
なんだか面倒臭くなってきて、投げやりに言い捨てる。
友恵は何とも言えない顔で、肩を竦めていた。
他人の恋愛なんて、首を突っ込むだけ疲れるだけだと思い知らされる。
正直なところ、ファミレスなんてキャンセルして、家に帰って眠りたかった・・・。
窓の外を流れる景色を見ながら、やはり同窓会に顔を出したことを後悔する。
昔の友は懐かしい気持ちにさせてくれたが、それと同時に酷く疲れをもたらした。
でもそれは、やっぱり正也のことが原因かもしれない。
以前の俺なら、こういう面倒事だって、青春の一幕としてそれなりに楽しむことが出来ただろうから。
人と距離を置くのが常になってしまうということは、人と関わるのがすごく疲れることになってしまうのと同じだ。
遠くに見える防波堤が、他人から自分の心を守る壁のように思えた。

取り残された夏の中へ 第三話 二度目のプロポーズ(1)

  • 2015.07.11 Saturday
  • 09:17
JUGEMテーマ:自作小説
誰もいない深夜の国道を、一台のバンが駆け抜けていく。
周りにあるのはコンビニの灯りと、防犯の為にわざと電気を点けたスーパーだけだ。
民家はどこも眠りにつき、小さな窓から常夜灯の明りがほんのりと漏れている。
園田はでっぷりした体格に似合わず、非常に器用なハンドル捌きを見せる。
国道から川沿いの狭い道に入り、その先にある海岸の防波堤までやって来た。
ここまで来ると、意外なことに人が多い。
夜釣りを楽しむ人たちが、チヌや気の早い太刀魚を狙っているのだ。
園田は防波堤に沿って車を止め、「着いたぞ」とエンジンを切る。
俺たちは真っ暗な闇の中に下りて、ポツポツと点在する街灯を頼りに歩いた。
防波堤の上では、竿を構えた人たちが並んでいる。
首を伸ばしてクーラーボックスを覗くと、大きなチヌが浮いていた。
「すごいな。こんな大物が釣れるんだ。」
そう呟くと、木根が「泥臭いけどな」と言った。
「防波堤から釣れるチヌは、あんまり食えたもんじゃない。海底にとどまってるから、泥を吸いこんでんだよ。」
「そうなのか?でも前に食ったチヌの刺身は美味かったけど・・・・。」
「そりゃ沖で獲れたやつだ。防波堤で釣るチヌは、食う為っていうより、釣るのを楽しむもんなんだよ。引きが強いからな。」
「じゃあ川でいうところのブラックバスみたいな感じか?」
「そんなもんだ。でもチヌは外来種じゃないからな。ブラックバスみたいに他の魚を食い荒したりしねえよ。」
木根はやたらと魚に詳しい。なぜならこいつも釣りが趣味だからだ。
そしてこの場所へ来たのは、ここが木根の思い出の場所だから。
初めてマダイを釣り上げたのが、ここの防波堤なのだ。
「あの時の興奮は忘れられねえなあ・・・・。マジで一メートルくらいある奴でさ。ピカピカ赤く光ってんの。チヌを釣るつもりが、まさかあんな大物が引っ掛かるなんて・・・・・今でも腕の感触が残ってるよ。」
そう言って竿を振る真似をして、実に嬉しそうにしていた。
するとすかさず実花が「なんか思い出巡りの趣旨と違う・・・・」と愚痴った。
「なんでだよ?初のマダイが掛ったんだ。あの時はまだ高校生で、そんなに良い竿は持ってなかった。だからいつ折れるかとヒヤヒヤしながら釣ったんだぜ?」
「だから・・・・そういうのは趣旨とは違うの!それってただの趣味じゃん。みんなで来るような場所じゃないし・・・・、」
「でも思い出の場所ならどこでもいいって言ったじゃねえか。」
「そうだけど・・・・でもなんか違うの!私が考えてたのは、もっと青春を感じるというか、ノスタルジーに浸れるっていうか・・・・・、」
実花はグチグチと言いながら、「釣りなんてどうでもいいよ」と切り捨てた。
木根は「知るかよ」と言い返したが、俺には実花の言いたいことが分かる。
そして木根もまた、実花の言いたいことは理解しているはずだ。
しかし木根は案外恥ずかしがり屋で、自分の思い出をつつかれるなんて苦手だろう。
だからあえてこの場所を選んだのだ。からかわれても痛くも痒くもない、趣味の釣り場を。
俺たちはただ堤防に沿って歩き、寄って来る蚊を叩いた。
実花は「虫よけスプレー持ってくればよかった・・・・」と嘆き、友恵が「私の上着きる?」と自分のカーディガンを振ってみせた。
「いいの?」
「いいよ、下も長袖だから。はい。」
そう言って薄いカーディガンを脱ぎ、実花に羽織らせた。
すると先を行く園田が、なぜか虫よけスプレーを持っていて、自分の腕に吹きつけていた。
「あいつ!自分だけあんな物使ってる!」
涼香があざとく見つけ、「ちょっとそれ貸しな!」と走って行った。
園田はスプレーを奪い取られ、迷惑そうに眉をしかめていた。
「ここはすぐ近くに沼があるからな。虫が多いんだよ。」
木根が言い、「もうそろそろ帰るか」と退屈そうにした。
「え〜・・・・・せっかく来たのに・・・・。」
実花は不機嫌そうに言い、わざとらしく頬を膨らませる。
「だってここはお前の趣旨と違うんだろ?いても意味ねえじゃん。」
「ダメだよ!こういう企画は一発目が肝心なんだから。ここで盛り下がると、次に影響するじゃない。」
「元々盛り上がんねえ企画だろ、こんなもん。30前の大人がやるには痛い遊びだ。」
「まだ30じゃない!あと2年あるんだから!」
「女ってのはどうしてこう歳を気にするかね?2つしか違わないんだから、28も30も一緒じゃねえか。」
「全っ然違うから!男の30はこれからだけど、女の30は峠なの!」
「なんだよ、30過ぎたら死ぬってのか?大げさに喚くな馬鹿。」
木根は冷たく言い捨て、「お前は平安時代の人間かよ?」と笑った。
実花は意味が分からず、「何よそれ?」と睨み返す。
「お前知らねえのか?平安時代の人間はな、30で寿命だったんだよ。食い物も粗末だし、医療だって発達してない。だから30が平均寿命なの。」
馬鹿にするように言って、「お前って勉強だけは出来たけど、昔っから物を知らないよな」と笑った。
「でもアレだぞ。平安時代でも貴族は長生きだったらしい。平民より良い物食ってたからな。お前は家が金持ちだから、心配しなくても30で死なねえ。」
「そういう意味じゃない!30過ぎたら、女は結婚とかが難しくなるから・・・・・、」
「大丈夫だ。お前の家は金持ちだから、逆玉狙ってる男を探せばいいんだよ。それに結婚出来なかったとしても、親の遺産があるから死にはしねえだろ。何を悲観的になってんだよ。」
木根はタバコを咥え、イラついて様子で煙を飛ばした。
「だいたいお前はな、昔っからガキのまんまなんだよ。涼香にべったり甘えて、親の金にもべったり甘えて。何をどう喚いたって、あと2年で30になるんだ。
ちっとは自立して、大人になれってんだよ。そうでなきゃ結婚なんか出来るか。」
今日の木根は、いつにも増して口が悪い。
見かねた友恵が「言い過ぎだよ」と宥め、「気にしちゃダメよ」と実花の頭を撫でた。
「ほら、それ!そういうのがコイツを甘やかすんだ。」
「木根君さ、今日はさすがに口が悪すぎだよ。何かあったの?」
「知るか。」
木根はイライラしたままタバコを吹かし、堤防に向かって煙を飛ばした。
「もういいだろ、ここは。早く次ん所行こうぜ。」
そう言って踵を返し、一人車に戻って行く。
友恵は「どうしたんだろ木根君・・・」と心配そうに言い、まだ実花の頭を撫でていた。
「実花ちゃん、気にしなくていいからね。なんか今日の木根君、機嫌が悪いみたい。」
「・・・・・・・・・・。」
実花は目にいっぱい涙を溜めていて、木根の後ろ姿を睨んでいる。
そして一目散に駆け出して、手にしたバッグを振り上げた。
「この馬鹿!偉そうに言うな!」
バッグを振り回し、背後から思い切り叩きつける。
木根は「何してんだ!?」と怒鳴るが、実花は止まらない。
ブンブンとバッグを振り回し、「結婚なんか誰がするか!」と喚いた。
「私だって結婚出来るわよ!でもしたくないの!婚約したけどしたくないのおおおお!」
実花の怒りはヒートアップして、さらに激しく暴れ回る。そして思いっきり木根を突き飛ばし、沼に落としてしまった。
「おいおい!やめろ!」
俺は咄嗟に駆け出し、実花を止める。
「ここまでやることないだろ!」
「だってコイツが勝手なことばっかり言うから!人の気も知らないで偉そうに・・・・。何が平安時代だよバカヤロー!寿命が短いことくらい知ってるわよ!」
実花は華奢な身体に似合わず、かなり力が強かった。
しかしあまり乱暴に押さえつけることも出来ず、どうしたらいいのか困ってしまった。
するとそこへ友恵もやって来て、「実花ちゃん!」と腕を押さえた。
「こいつけっこう力が強いぞ!気をつけろよ。」
友恵は正面から実花を抱きかかえ、どうにか止めようとする。そして俺に向かって「木根君が溺れてる!」と叫んだ。
「え?溺れて・・・・?」
振り返ると、木根が沼の中でもがいていた。
「やばい!」
咄嗟に駆け出し、草の茂る畦道を下りていく。そして沼に飛び下りると、思いのほか深かった。
腰の辺りまで水に浸かり、泥に足をすくわれそうになる。
「木根!」
手を伸ばして木根の腕を掴み、どうにか引き寄せる。
危うく俺まで倒れそうになりながら、どうにか抱えあげた。
「おい!大丈夫か!?」
木根は泥水で顔を汚しながら、何度も咳き込んだ。
茶色い水を吐き出し、涙目になりながら俺にしがみつく。
「あ・・・・あの馬鹿・・・・・いきなり落としやがって・・・・殺す気かよ・・・・。」
肩で息をしながら、実花の方を睨む。
「とりあえず上がろう。」
木根を連れて沼から上がり、舗装された道に寝かせる。
釣り人たちが何事かと目を向けていて、俺は「すいません、騒いじゃって・・・」と頭を下げた。
「おい・・・・大丈夫か?」
「・・・・くそ・・・・汚ったねえ水を飲んじまった・・・・。病気になったらてめえの責任だからな。」
そう言ってまた実花を睨み、どっと倒れ込んだ。
「何が思い出巡りだよ・・・・・人を沼に落としやがって・・・・。危うく殺人事件だぞこれ・・・・・。」
辛そうに目を閉じ、どうにか呼吸を整えている。そしてゆっくりと身体を起こし、「俺はもう帰るぞ・・・・」と言った。
「こんなもんに付き合ってられるか・・・・。もう同窓会は終わりだ。」
よろけながら立ち上がり、ポケットからスマホを取り出す。
「・・・・・よかった、壊れてない。」
ホッとしたように言って、どこかへ電話を掛けようとしていた。
俺はどうしていいのか分からず、とりあえず実花を振り返る。
するとまだ友恵に押さえられていて、「結婚なんかしたくない!」と喚いていた。
「結婚なんかしたくないの!したくないよお・・・・・・。」
そう言って泣き崩れ、その場にうずくまる。
友恵はおろおろと困り果て、俺に目を向けた。
「斎藤君・・・・これどういうこと?実花ちゃんって・・・・・誰かと結婚するの?」
「ええっと・・・・そう言ってたな。涼香しか知らないって言ってたけど・・・・。」
「そうなんだ・・・・それでこんなこと喚いて・・・・。」
友恵は納得しやように頷き、実花の背中を撫でる。
俺は友恵に近づいて、「何か事情を知ってるのか?」と尋ねた。
「うん・・・・。涼香から相談されてたんだけど、実花ちゃんって一度プロポーズを受けてるらしいの。」
「プロポーズ?結婚相手から?」
「違う。佐野君。」
「はあ?佐野が・・・・・?」
俺はよく事情が飲み込めず、口を開けて固まった。
「佐野君ね、ずっと昔から実花ちゃんのこと好きだったじゃない?」
「知ってるよ、でも一度フラれてるだろ?」
「それって10年くらい前のことでしょ?そうじゃなくて、最近またプロポーズしたのよ。」
「プロポーズって・・・・・じゃあ佐野と実花は付き合ってたってことか?」
「そうよ。それでつい最近プロポーズされたの。」
「最近って・・・・いつだよ?」
「一ヶ月くらい前だったかな?」
「そうなの?」
意外なことを聞かされ、ぼりぼりと頭を掻く。そして実花の前に膝をつき、「なあ?」と話しかけた。
「ひょっとしてだけど、お前が結婚嫌がってるのって、佐野からプロポーズされたからか?」
「・・・・・・・・。」
「お前は婚約してんだろ?そのことは佐野は知らないのか?」
「・・・・・・・・。」
「・・・・もしかしてさ、お前が佐野と付き合い始めたのって、婚約してからとかじゃないよな?」
「・・・・・・・・。」
「実花?」
顔を覗きこみ、答えを促す。しかし実花は目を合わせない。
まるで親に叱られた子供のように、バツが悪そうに俯いていた。
すると涼香が戻って来て、「どうしたの?」と尋ねた。
「なんか喚き声が聞こえたけど、さっきから何してんの?」
「いや、実は・・・・・・、」
俺は事の経緯を説明した。涼香は腕を組んで聞いていて、「ああ、なるほど・・・・、」と頷いた。
「まあそりゃ実花が怒るわ。実はさ、今日弘武と喧嘩したんだよね。それで機嫌が悪くて、いつもよりひどいこと言っちゃったんだと思う。」
涼香が言うと、友恵が「そうなの?」と顔を上げた。
「ちょっと結婚に関することでね。ほら、どっちかっていうと、あたしの方が男っぽいじゃん?だからアレコレ勝手に決めていったらさ、向こうが拗ねるわけよ。そんでちょっと喧嘩になったから、強めに言い返したのね。そしたらガキみたいに不貞腐れちゃって。でも今日は同窓会だし、久しぶりに斎藤も来たわけだし、大人しくしてたのよ。それが実花と話してるうちに、イライラしてきちゃったんだろうね。」
「そっか、それであんなに口が悪かったんだ・・・・・。」
「だからまあ・・・・あたしにも責任はあるかなって思うわけよ。アイツの性格知っておきながら、機嫌悪いまま放置してたからさ。それにこっちはこっちで、ちょっと別の相談に乗ってて・・・・・、」
「別の相談?」
「そう。佐野のね。実花に関することで。」
そう言って、涼香は後ろを振り向く。その先には佐野と園田がいて、二人して堤防に座っていた。
「佐野の奴さ、実花が婚約してるの知らないのよ。だからプロポーズなんかしたわけ。それを伝えるべきかどうか迷っちゃって・・・・・。」
「じゃあやっぱり実花ちゃん、それを隠して付き合ってたんだ?」
「ていうか、婚約した後に付き合いだしたみたいね。佐野から相談されて分かったのよ。だからこの件に関しては、実花が悪いわね。」
涼香は膝をつき、実花に何かを話しかけている。
俺は二人に実花を任せ、木根の方へと近づいた。
「おい、本当に帰るのか?」
「当たり前だろ。」
「でもまだ始まったばかりだぞ?」
「同窓会じたいは終わっただろ。それに沼に落とされてパンツまでびしょ濡れだよ。このまま行けるか。」
木根は不貞腐れたように言い、「代行呼んだから帰るよ」と背中を向けた。
「代行?」
「宿舎に車置きっぱなしだからな。こんなんだったら、最初からデブの車で来ればよかった。」
「じゃあ家に戻ってからもういっぺん来いよ。」
「なんでだよ?誰がそんな面倒くさいことするか。」
木根は子供のように不貞腐れ、目も合わせようとしない。俺は一歩近づき「なあ」と話しかけた。
「・・・・・今日涼香と喧嘩したんだって?」
「したよ。付き合ってんだから喧嘩くらいすんだろ。」
「それで機嫌が悪くなって、実花に当たったわけだ。」
「当たってねえよ。正論言っただけだ。」
「でも実花だって結婚するらしいぞ。」
「知ってるよ。話声が聞こえてたから。婚約しときながら、佐野と付き合ってたんだろ?最悪じゃねえか。」
「まあそうだけど・・・・。でも何か事情があるのかもしれないし・・・・・、」
「事情なんかあるか。あいつはガキなんだよ。だからいざ結婚が目に前にぶら下がると、途端にビビったってことだ。そんなんで結婚なんか出来るか。」
「・・・・・あのさ、唐突なんだけど、なんでお前は涼香と喧嘩したの?結婚に関して揉めたって聞いたけど。」
「ああ?アイツが何でもかんでも勝手に決めるからだ。俺の意見なんか聞きゃしねえ。」
「例えばどんな風に?」
「・・・・そうだな。ほら、俺って釣りが趣味だろ?だけど持ってる竿の幾つかを処分しろとか言いだすんだよ。結婚式の金が足りねえから、竿売って金作れとよ。」
「そりゃあひどいな。」
「だろ?そんでもって自分は、結婚後の家具やら何やらで、好きなもん買ってやがる。こっちは大事な物処分するってのに、なんで自分は欲しい物を買うかね?これが結婚っていうなら、はっきり言ってゴメンだな。」
「そうやって言い返して、こっ酷く怒られたのか?」
「アイツも相当口が悪いからな。しかも俺より気が強いときてるから、口じゃ勝てねえよ。」
「腕っ節なら勝てそうな言い方だよな。」
「・・・・どうだろうな?アイツ女のクセに、やたらとボクシングの筋はよかったからな。今でも筋トレは続けてるし・・・・、」
「要するに涼香にビビったんだろ?そんで拗ねたわけだ?」
「悪いかよ?口でも腕力でも敵わない女なんか、男の手に負えねえぞ。」
「でもその分面倒見はいいだろ。俺なんか一度ストーカーを追い払ってもらったからな。」
「あったな、そんな事も・・・・・。」
「そんな気の強い涼香が、自分から好きになったのがお前じゃないか。アイツは昔からモテたけど、みんな断ってただろ。それはお前のことが好きだったからだよ。なのにお前は一度フッたよな?」
「好みじゃなかったんだよ。」
「でも今は付き合ってるじゃないか。それも自分から告白してさ。」
「人の好みは変わるもんだ。」
「・・・・お前から付き合ってほしいって言われた時、涼香はめちゃくちゃ喜んでたらしいぞ。」
そう言った途端、木根の表情が変わった。今まで憮然としていたのに、キツネにつままれたように驚いている。
「・・・・そうなの?」
「ああ。宿舎に行く途中で、園田から聞いたんだ。あの時の涼香は、出会ってから一番嬉しそうな顔してたって。」
「・・・・・アイツが喜んでたってのか?」
「らしいぞ。お前の前じゃ平静を装ってたけど、実は飛び上がらんばかりの喜びようだったらしい。涼香のあんな顔初めて見たって、佐野も言ってたからな。」
「・・・・・・・・・・。」
「まあ・・・・なんだ。独身の身で偉そうなことは言えないけど、涼香は本気でお前のことが好きなんだと思うよ。だから結婚式だってちゃんとした物にしたいんだろうし、その為に竿を売れって言ったんだろう。それに家具を買うのだって、その後の生活を考えての事だろうし・・・・。お前との結婚生活を大事にしたいってことの表れだと思うけど。」
「偉そうに言うな。何も分かってねえくせに。」
木根はばっさりと俺の言葉を切り捨て、道路の先を睨んでいる。
今はどんな言葉をかけても機嫌は治らないだろう。
ノリで始まったこの思い出巡りも、一発目からこけてしまったようだ。
実花の言う通り、こういう企画は一発目が大事で、ここでこけると途端に盛り下がる。
今日はここらでお開きになることは間違いないだろうし、それは俺にとって嬉しいことだった。
なにせいくら考えても、思い出の場所として浮かぶのは、あの貯水塔だけだったからだ。
そんな場所には行きたくないし、だけど他に行く当ても思いつかない。
だからここらで思い出巡りなんて青臭い企画が終わってくれれば、このまま家に帰ることが出来る。
俺は心の底から、この企画がおじゃんになってくれる事を願った。
実花はまだ泣いていて、友恵と涼香に慰められている。
確かに木根の言う通り、実花は少々子供っぽい性格をしているのは事実だ。
しかしその分良い所もあり、場合によっては木根より大人の振舞いを見せる。
だからこの喧嘩は、どっちが良いとか悪いとか、そういう問題じゃない。
単にお互いの子供っぽい部分がぶつかっただけに過ぎないのだ。
俺は欠伸をし、暗い海に目をやる。
釣り人が小ぶりなチヌを釣り上げ、すぐにリリースしていた。
また竿を投げ、次なる獲物を狙う。
釣りは短気な人の方が向くというが、なるほど確かにそうかもしれない。
よく見ればどの釣り人も、同じ場所でじっとはしていない。
忙しなく竿を動かしたり、餌を変えたりしている。
それにちょくちょく場所も移動していて、出来るだけ良いポイントで釣ろうとしているようだ。
しかし俺に釣りの趣味はない。魚は好きだが、わざわざ釣ろうとまでは思わない。
なのにこの堤防にいる釣り人たちは、金と時間をかけてまで、魚を釣る事に楽しみを感じている。
別に食べられる魚じゃなくてもいい。釣り上げるまでに、魚との格闘が楽しめればそれでいいのだ。
そう思った時、もしかしたら恋愛と釣りは、案外似ているかもしれないと気づいた。
悠長で気長な性格だと、おそらく恋愛は上手くいかないだろう。
焦ってはダメだが、同じ場所でじっと糸を垂らしているだけでは、決してどんな相手も掛らない。
だからじっとしているように見えても、実はあれやこれやと忙しなく動いているのだ。
木根も実花も、ここにいる釣り人と同じように、あれこれと忙しなく動いている。
それは佐野だって一緒だ。
一見恋愛に無頓着なように見えて、実花にプロポーズまでしていた。
いや、そう考えると、涼香や園田だって同じだ。
この二人も恋愛に無頓着に見えて、実はそうではない。
よく見ると誰もが忙しなく動いていて、同じ場所で糸を垂らしているわけではない。
それに比べて、この俺はどうか?
昔は人並みに恋愛感情があったはずだが、今ではほとんど消え失せている。
今日、友恵に会って綺麗だと見惚れたが、それ以外の感情は湧いてこなかった。
《俺は・・・・きっとどうでもいいと思ってるんだろうな。こいつらの恋愛のことなんて。誰と誰が結婚しようが、そんなのは俺に関係ない。だからどんな風にこじれたって、心の底ではどうでもいいと思ってる。》
自分でも冷たい奴だと思うが、全てが他人事に思える。
それもこれも、やはり正也の事があったからだ。
友を亡くし、夢に破れ、それ以降は他人に関心を寄せることはなくなった。
例え仲の良かった旧友たちに対しても・・・・・。
気がつけば、俺はみんなから距離を取っていた。
《このままゆっくり離れて、誰にもバレずに帰ろうか・・・・。》
そう思いながらさらに離れて行くと、佐野と園田がこっちに歩いて来た。
そして泣いている実花を見るなり、佐野が血相を変えた。
心配そうに駆け寄り、背中に手を置きながら話しかけている。
友恵と涼香が事情を説明すると、佐野の顔つきが変わった。
まるで鬼のような目になって、木根に駆け寄る。
そしてスッと右手を伸ばし、木根の顎にストレートを見舞った。

取り残された夏の中へ 第二話 思い出巡り(2)

  • 2015.07.10 Friday
  • 12:40
JUGEMテーマ:自作小説
国民宿舎に到着すると、一人の女が手を振った。
「みんな!久しぶり!」
頭に結ったお団子を揺らしながら、長いスカートを翻して走って来る。
実花が「友恵!」と叫び、出迎えるように両手を広げた。
二人は手を取り合い、「久しぶり!」とはしゃぐ。そこへ涼香も加わって、「あんたまた綺麗になったね」と褒めた。
「やっぱ前の男と別れて正解だったね。今の方がイキイキしてる。」
「うん、もう縛られることもないからね。今の方が楽しい。」
お団子頭の女、美好友恵は、弾んだ笑顔でそう言った。
そして俺と目が合うなり「ああ!」と驚いた。
「斎藤君が来てる!」
そう言って俺の方へ走って来て、「来てくれたんだ!」と腕を叩いた。
「きっと来ないと思ってたよ!よかった来てくれて。」
「ああ、まあ・・・・木根がしつこく誘うからな。」
「そっかあ。木根君のおかげかあ。やっぱ口が悪いだけじゃないよね、木根君は。さすが涼香が選ぶだけある。」
友恵は嬉しそうに俺の腕を叩き、屈託の無い顔で微笑む。
そして俺はというと、10年ぶりに会う友恵に、完全に見惚れていた。
綺麗になったとは聞いていたけど、まさかこれほどとは思わなかった。
昔から美人な顔立ちだったけど、今ではさらに磨きがかかり、冗談抜きで女優として通用するほどじゃないかと思った。
「な?だから言っただろ、すっげえ綺麗になってるって。」
木根が背中を小突き、「惚れ直しただろ?」と小声で言う。
俺はその言葉を無視して、「ほんとに久しぶりだよな」と友恵に笑いかけた。
「そうだよ。だって斎藤君ぜんぜん同窓会に来ないんだもん。もしかしたら、もう一生会えないかもって思ってた。」
「そんな大げさな。」
「でも今回も来るつもりじゃなかったんでしょ?」
「ちょうどこっちに帰って来てたんだ。明日には戻らないといけないけど。」
「そっか。仕事忙しいんだね。」
そう言って友恵は、またニコリと笑う。俺は相変わらず見惚れたままで、木根に後頭部を小突かれた。
「こんなとこでニヤニヤしてんな。まだたっぷり時間はあるんだから、酔わせてお持ち帰りすればいいんだよ。」
木根こそニヤニヤした顔で言い、涼香から「いらんこと吹き込むな」と叩かれていた。
「おい、もう入ろうぜ。デブが腹へって死にそうだとよ。」
佐野が言い、一人で中へ入って行く。俺たちも続き、広い宴会場へと通された。
どうやら予約が入っているのは俺たちだけらしく、レストランの方にまばらに宿泊客がいるだけだった。
座敷に座り、タバコを出して一服つけようとする。
すると横から手が伸びてきて、ライターの火が灯った。
誰かと思って見ると、それは友恵だった。
「ああ、ごめん。」
「まだタバコ吸うんだ?」
「まあストレスとか色々あるから。でもなんで友恵はライター持ってるんだ?お前も吸い始めた?」
「ううん、これ木根君の。なんか知らないけどサービスしてやれって。」
「サービスって・・・。なんのサービスだよ。」
煙を吐きながら木根を見つめると、拳に親指を挟んで、『アレ』のサインを出していた。
そしてまた涼香に叩かれ、それを見て実花が笑う。
園田は「料理はまだ?」と不機嫌そうに言い、佐野はタバコを吹かしながらスマホをいじっていた。
俺はしばらく友恵と喋り、10年ぶりに会う緊張が、じょじょにほぐれていった。
そこへ料理と酒が並べられ、なぜか園田が乾杯の音頭を取って、同窓会が始まった。
みんな思い思いに喋り始め、仕事のこと、恋愛のこと、そして悩みや不安、将来への願望に花が咲く。
だけど同窓会の一番の話題といえば、やっぱり思い出話だ。
誰からともなく高校時代の話題が始まり、思い出に花が咲いていく。
俺と正也がボクシング同好会を立ち上げ、細々と活動していたこと。
学校に練習出来る場所がないので、公園のジャングルジムに布団を巻きつけ、サンドバッグ代わりにして叩いていた。
しかしジャングルジムを占拠してしまっているので、誰かが市役所に通報し、公園での練習は出来なくなった。
どうしようかと困っている所で出会ったのが、実花だった。
実花の家は金持ちで、彼女のお父さんが大の格闘技好きだった。
だから空いたガレージを練習場として貸してくれることになった。
ついでにサンドバッグも買ってもらい、グローブやヘッドギアまで用意してくれた。
するとそこへ木根と涼香が加わることになった。
実花と涼香は小学生の時からの友人で、ガレージで練習する俺たちのことを話したのだ。
そこへ涼香の友達だった木根も、興味本位で参加した。
人数は増えたものの、誰もが初心者なので、本格的な練習など出来ない。
誰か経験者はいないかと探していると、別のクラスにボクシングジムに通っている奴がいると知った。
それが佐野と園田だった。
佐野は本格的にボクシングをやっていて、プロのライセンスを持っていた。園田はダイエットの為に習っていて、腕前の方は・・・・まあ何とも言うまい。
二人は幼い頃からの友人で、その性格も体格も対照的だった。
早速声を掛けると、佐野は冷たい態度だった。ジムで本格的にやっている自分にとって、俺たちのボクシングごっこには付き合えないという態度だった。
しかし園田は違った。涼香に一目惚れしてしまって、即ボクシング同好会に入会となった。
そして涼香の頼みを受けて佐野を説得し、強引にボクシング同好会に引き入れた。
経験者が入ることで、練習は少しだけ本格的になる。
パンチの打ち方や防ぎ方、それにフットワークなど、佐野は丁寧に教えてくれた。
同好会はいよいよそれらしくなってきて、いつかはアマチュアの大会に出場することが目標になった。
この頃は真剣に汗を流し、ボクシングに打ち込んだ。
負けん気の強い涼香は女でありながら上達したし、実花はマネージャーの役を買ってでた。
するとそこへ一人の女がやって来て、「私も入れてくれない?」と言った。
それが友恵だった。
友恵は別の高校に通っていて、毎朝電車で通学していた。
しかしその美貌ゆえに、よく痴漢に遭っていた。
だから自分の身を守る為に、何か護身術をやりたいと思っていたのだ。
そしてたまたま俺たちが練習している光景を見て、声を掛けてきた。
俺たちは喜んで友恵を歓迎し、同好会は全員で8人になった。
この頃から、同好会は少しずつ変わり始めた。
ボクシングの練習は真面目にやっているのだが、それと同時に皆で遊びに行くことが多くなった。
まあ高校生の男女が8人も集まったのだから、当然といえば当然だ。
見張り役の教師もおらず、俺たちはボクシングを楽しむのと同時に、人並の青春を謳歌した。
佐野は実花にフラれ、園田は涼香にフラれ、そして俺は友恵にフラれた。
でも逆に、涼香は木根にフラれ、友恵は正也にフラれ、実花は俺にフラれた。
狭い付き合いの中でフッたりフラれたり、よくあれで同好会を維持できたもんだと、みんなで笑い合った。
そして友恵は「実は正也君が目当てで同好会に入ったんだよね」と告白したが、誰もが分かっていることなので、「そんなの知ってるよ!」と突っ込まれていた。
みんなで遊びに行ったり、誰かを好きになったり、それに念願のアマチュアボクシング大会でボロ負けしたりと、思い出話は終わらない。
6時頃から始まった同窓会は、気がつけば10時過ぎになっていた。
それでも話題は尽きない。
涼香が不良グループに絡まれた時、園田がカッコつけて戦ったら、すぐにボコボコにされたこと。
代わりに佐野が戦って、どうにか不良を叩きのめした。しかしそのせいで警察に怒られて、ジムを破門になったこと。
仕返しにジムのガラスにペンキを塗ったら、後日損害賠償を請求されたこと。
修学旅行先でたまたま友恵と出くわして、男連中で彼女の学校の泊っているホテルに行ったら、それがバレて家に強制送還されたこと。
俺がバイト先の女からストーカーされていた時、涼香が殴り飛ばして追い払ったこと。
実花がテストで一位になった時、お祝いにみんなで飲みに行ったら、学校にバレて停学処分になったこと。
線路に落ちた婆さんを助けたら、その人がえらい金持ちで、めちゃくちゃ豪華な夕飯をご馳走してもらったこと。
後にその婆さんがヤクザの組長の妻だと分かって、「リアル極妻じゃん!」と、皆で青い顔をして震えたこと。
男連中で初キャバクラに行こうとしたら、たまたま友恵に見つかってしまい、それが涼香と実花にもバレて、女性陣からしばらくシカトされたこと。
どれもこれも苦い思い出だが、今となっては宝物のように輝く思い出だ。
この日、俺は完全に高校の頃に戻っていた。
退屈な日常など忘れて、あの日にタイムスリップしたかのように、皆とはしゃいでいた。
楽しく、心地よく、泣きそうになるくらい懐かしい時間。
・・・・もし・・・・もしこの場所に正也がいたら、きっともっと楽しかったに違いない・・・・。
だけどそればかりは叶わない願いだ。
正也はもうこの世におらず、何をどうやっても会うことは出来ない。
そう思うと、ふと暗い気持ちになり、饒舌に喋っていた口が大人しくなった。
周りはまだ盛り上がっているが、木根がすかさず俺の変化に気づいた。
吸っていたタバコを消し、「便所」と言って立ち上がる。
そして俺に目配せをして、ついて来いと顎をしゃくった。
木根は口は悪いが思いやりがある。それは分かっているのだが、今は放っておいてほしかった。
しかし木根は手招きをして、さっさと来いと合図する。
俺は仕方なしに立ち上がり、宴会場を出て行った。
木根は宿舎の玄関を抜けて、海の見える干潟に立つ。
俺は後を追い、浮かない顔で隣に立った。
「夜の海って不気味だよな。昼間とは全然違うよ。」
木根はそう言って、「あの時の貯水塔は、もっと不気味だった」と呟いた。
「正也の馬鹿は、そんな不気味な中に飛び込んで溺れちまった。助けたかったけど、飛び込んだら二重災難になることは目に見えてた。」
「・・・・・・・・・。」
「友達っつっても、命を懸けて助けるなんて、なんな簡単に出来るもんじゃないよな。映画やドラマじゃないんだ。肉親でもない限り、命張って助けるのは無理がある。でも・・・・今でも時々思うよ。あの時なんで助けに入らなかったんだろうって。」
木根の声は重く、暗い海に吸い込まれていく。俺は無表情のまま聞いていて、言葉を発することが出来なかった。
「みんな後悔してんだ。あんな場所に肝試しに行ったこと。それに正也を助けられなかったこと。だけどアイツのことをタブーにすると、余計にしんどくなる。だから笑って話すしかないんだよ。嫌な思い出だから、笑顔で話題にするしかねえんだ。」
木根の声は相変わらず重く、懺悔のようにも聞こえるし、俺に対する説教のようにも聞こえた。そしてポケットからタバコを出し、それを咥えたまま弄ぶ。
「お前だけだよ、未だに正也をタブーにしてんのは。だから俺たちにも会おうとしなかった。アイツが死んだのは誰のせいでもないのに、自分一人で抱え込んで。・・・・アホかよお前は。」
「・・・・・・・・・・・。」
「言いたいことは分かるぜ。お前が煽ったからアイツが飛び込んだんだ。でも普通さ、あんな煽りを真に受けると思うか?この暗い海より不気味な所だぜ?飛び込む方がどうかしてんだ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「アイツの親父さんだって、俺たちを責めなかった。あの馬鹿が悪いんだって、誰も責めたりしなかった。だから気に病むなって言ってくれたろ。」
「・・・・・・そうだな。」
「それでも辛いってんなら、こっちに帰ってくりゃいいじゃねえか。下手に逃げ回ってるより、見知った街で、見知った顔と暮らした方が、多分楽になるぜ。」
「・・・・・・ああ。」
素っ気ない返事を返し、木根の言葉を受け流す。
こいつの言うことはもっともで、何一つ間違っちゃいない。
だけどそれでも、「はいそうですか」と頷くことは出来ない。
なぜなら正也が貯水塔に飛び込んだのは、俺が煽ったせいだけではないからだ。
もっと別の、大きな理由がある。だけどそれは、俺しか知らない事だ。
だから言わない。今後も誰にも言うつもりはない。もし喋ってしまうと、俺たちの中に一人だけ、とても傷つく奴が出てくる事になるから・・・。
木根はタバコを吹かし、空へ煙を飛ばす。
俺は黙ったまま隣に立ち、無表情のまま海を睨んでいた。
さっきまでの楽しい気持ちはどこへやら?
今は夜の海のように、不気味で暗い感情が波寄せていた。
するとそこへ実花が現れて、俺たちの背中をどんと押した。
木根は顔をしかめ、「どうした酔っぱらい?」と煙を飛ばした。
「あのね、今から思い出巡りをしようかって事になったの!」
「は?なんだそれ?」
「せっかくみんなで集まったんだから、懐かしい場所を巡ろうよってこと。」
「懐かしい場所を巡るって・・・・もう夜だぞ?」」
「でも次はいつみんなで集まれるか分かんないんだよ?」
「じゃあ明日でもいいだろ。」
「ダメだよ。だって斎藤君は明日帰っちゃうんだから。」
実花はそう言って、「ねえ?」と俺に首を傾げた。
「顔が真っ赤だな。相当酔ってるだろお前・・・・。」
「ん〜ん、全然。」
実花は可笑しそうに笑い、「園田君が車出すから」と言った。
「園田が?なんで?」
「だってお酒飲んでないから。ずっと食べてばっかだったし。」
「ああ、そうだったな。」
「だから斎藤君も行こうよ。みんなで思い出の場所を回るの。それぞれ一人一人のね。」
「ん?一人一人の・・・・?」
「そう。だって誰だって一つくらい思い出の場所があるでしょ?それを回るの。」
「でも思い出の場所が遠かったら?」
「それは却下で。」
「なんか曖昧だな・・・・・。」
俺は苦笑いしながら頭を掻き、木根を振り返った。
「・・・・・・行く?」
「どっちでもいいよ。それよりお前は大丈夫なの?明日向こうに戻るんだろ?」
「仕事は明後日からだから、明日中に戻れればいいよ。」
「そうか。じゃあ・・・・行くか?」
木根がそう言うと、実花は手を叩いて喜んだ。
「じゃあすぐに駐車場に集合ね!あ、それとお会計終わったから、後でお金払ってよ!」
実花は嬉しそうに走って行き、「行くって!」とみんなに叫んでいた。
俺は海を振り返り、暗い波を見つめる。
俺にとっての思い出の場所。それはたった一つしかない。
正也が亡くなった、あの貯水塔だ。
しかしこれは良い思い出ではなく、出来れば封印したい思い出だ。
だからもちろん行き先として考えることなど出来ない。
どこか適当な場所でも挙げて、思い出巡りとやらを、難なく終わらせようと思った。
「面倒臭い酔っぱらいどもだよな。明日の朝になるまでは、高校時代のままでいるつもりだぜ。」
そう愚痴る木根の顔は、満更でもなさそうだった。
「まあたまにはこういうのも楽しいか。お前も暗い顔してないで、今日くらい浮かれろよ。そんで友恵を持ち帰ってだな・・・・・、」
木根は俺の背中を押しながら、女を落とすアドバイスを授ける。
しかし今の俺には、そんな話はどうでもよかった。
・・・思い出巡り・・・・・。
一人一人の思い出の場所を巡るという、何とも青臭い企画。同窓会でもなければ、誰もやろとは言い出さないだろう。
俺は必死に考える。無難に終わらせることの出来る思い出の場所を。
しかし無難な場所が思い出として残るわけもなく、頭に浮かんで来るのは、やはりあの貯水塔だけだった。
記憶の中にそびえる、天を突くような白い貯水塔。
それは目を閉じなくても、写真のように鮮明に浮かぶ場所だった。

取り残された夏の中へ 第一話 思い出巡り(1)

  • 2015.07.09 Thursday
  • 10:57
JUGEMテーマ:自作小説
セミが騒ぎ出す頃、実家へ一本の電話を掛けた。
「うん・・・・うんうん。そう、来週帰るから。だから部屋使うから、悪いけど荷物だけどかしといて。うん、はいはい、それじゃ。」
母との電話を切り、スマホを机に投げ出す。
薄手のジャケットを脱ぎ、そのままベッドに倒れ込んだ。
シャツには汗が滲んでいて、このままベッドで寝てしまったら、汗の臭いが移ってしまうだろう。
それは分かっているのだが、疲れた身体を起こす気にはなれない。
瞼は抗えないほど重く、目を閉じるとすぐにでも寝てしまいそうだった。
「ダメだ。シャワーくらい浴びないと。」
身体を捻り、どうにかベッドから身体を引き剥がす。
重力というやつは、一日中同じというわけではない。
出社前と帰宅後では、身体にかかる重力は何倍にも変化する。
特に睡魔が襲って来る時など、普段よりも100倍ほどは重力が増しているだろう。
身体にかかる重さとは、物理的なものだけが原因ではないのだ。
疲労、ストレス、悩み、倦怠感・・・・数えきれないほどの要因が、自分の身体を重く、そして縛り上げていく。
どうにかバスルームまで辿り着き、熱いシャワーを頭から掛ける。
もうもうと湯気が昇り、狭いバスルームに充満していく。
立ち込める湯気の中に、一日分の疲れが滲んでいくようで、少しだけ身体が楽になる。
このままずっと暖かい湯に包まれていたいと思うが、そうもいかない。
蛇口をひねり、シャワーを止める。
バスタオルで身体を拭きながら、ふと鏡に映った自分の身体を見た。
「・・・・弛んだな。昔とはえらい違いだ。」
腹の肉を掴み、グイっと引っ張ってみる。
呼びもしないのに群がってきた贅肉は、なんだか気分を重くさせた。
高校時代はボクシングで鍛えていて、大学へ進んでからはジムに通い始めた。
あの頃は本気でボクサーを目指していて、世界チャンピオンになることを夢見ていた。
どうにかプロテストには受かったものの、その後が過酷だった。
ボクシングの一勝一敗はとても重く、デビューして三連敗もすれば、ジムは目を掛けてくれなくなる。
だから辞めた。世界チャンピオンになるという夢は、ただの憧れに過ぎないのだと自覚した。
ずっとミットを持ってくれたトレーナーからは、「才能はあるけど、性格が向いていない」とハッキリ言われた。
ボクシングは殴り合うスポーツだ。だからいかに才能があろうとも、気性が向いていないのであれば、リングでは何の力も発揮できない。
あれ以来、特に夢というのを持ったことがなく、無難に大学を卒業して、無難にフリーターの道を歩いた。
今はアパレル業界で働いているが、それもアルバイトからの拾い上げだ。
だから大した出世も望めず、店長より上に行くのは難しいと自覚している。
どう頑張っても、せいぜい田舎の地区を統括する、グループ店長が関の山だろう。
今年で28歳。先の見えた仕事に、張りのない日常。
彼女はいるものの、マンネリが続いて、ほとんど顔を合わせていない。
知り合いから「他の男と歩いてるのを見たぞ」と告げられたが、特に何も思わなかった。
彼女が嫌いというわけではないが、張りのないこの日常のように、特に強い愛情があるわけではなかった。
そんなものは付き合い始めて半年ほどで消え去り、惰性で四年も付き合っているだけだ。
決して良いとは言い難いこの現状。しかしだからといって、何かに向かって手を伸ばすような向上心は持ち合わせていない。
別に今の人生が嫌というわけではなく、ただなんとなく退屈しているだけだった。
だから久々の連休に、実家に帰ろうと思った。
気晴らしになるかどうかは分からないが、退屈な中で連休を消化するよりはマシだろう。
熱いシャワーは疲れを取るだけでなく、妙に頭まで冴えさせる。
下らない考えを隅へ追いやり、寝間着に着替えてベッドに腰掛けた。
一杯だけビールを飲み、電気を消してベッドに倒れる。
しかし蒸し暑さが襲って来て、エアコンのスイッチを入れていないことに気づく。
面倒くさいと思いながらも、どうにか身体を起こし、リモコンを掴んだ。
その時、机の上のスマホが震えて、着信を知らせた。
液晶には『木根弘武』と表示されていて、少しだけ眉をしかめた。
「もしもし?」と電話に出ると、『おうおう、久しぶり』と返って来た。
『最近全然連絡ないけど、どうしたよ?元気にしてんのか?』
「まあまあかな。」
『そうか。今電話大丈夫か?』
「ああ、もう寝る所だったけど。」
『そりゃすまん。実は同窓会をしようと思ってな。』
「同窓会?」
『おう。今月の27日なんだけど、お前どう?出られそう?』
「27日か。ちょうどそっちに帰るんだけど、その日までいるかどうかは何とも言えないな。」
『ああ、今は四国だっけ?』
「そう。全国チェーンだから、どこでも飛ばされるよ。」
そう答えると、木根は『大変だな』と笑った。
『まだ独身だっけ?結婚すりゃちっとは転勤もマシになるんじゃないの?』
「どうだろうな。あんまり関係ないような気もするけど。」
『へえ。そういうのって、会社は気を遣ってくれないもんなんだ?』
「子供がいれば多少は違うかもしれないけど、今の所そういう予定はないよ。」
『でも彼女がいただろ?あのサバみたいな顔した女。』
「サバって・・・・・お前相変わらず口が悪いな。」
木根はゲラゲラと笑い、しかしすぐに真面目な声に戻って『お前さ・・・・』と切り出した。
『たまにはこっちに戻って来いよ。前の同窓会だって来なかっただろ?』
「あれはクラスの同窓会だろ?お前だって行かなかったんじゃないのか?」
『そうじゃなくて、俺らの同窓会だよ。ボクシング同好会の。』
そう言って、木根は少し間を置いた。電話の向こうで、口の悪さとは裏腹の、柔和な顔が困っている様子が浮かんだ。
『お前が人付き合いが悪いのは知ってるけど、昔の友達まで邪険にすることないだろ。』
「いや、邪険にしてないよ。ただ帰るのが面倒臭くて・・・・・、」
『分かってるよ。でもな、俺が言いたいのは、たまにはみんなで集まりたいじゃんかって事だよ。お前ってさ、まだ正也のこと引きずってるだろ?』
いきなり聞きたくない名前を出され、「そんなことないよ」と口調が荒くなる。
『いや、あるだろ。あいつが死んだのは、お前のせいじゃないんだからな。正也の親父さんだってそう言ってくれたじゃん。』
「・・・・・・・・。」
『みんなと顔を合わせづらいのは分かるけど、誰もお前のことは責めてないんだからな。それは分かってくれよ。』
「ああ・・・・まあ・・・・。」
『とにかくまた電話するわ。どっちにしろこっちに帰る予定なんだろ?』
「来週には帰るよ。」
『じゃあそん時また電話するわ。また昔みたいにみんなで顔合わせて、酒でも飲もうや。』
木根は『じゃあな』と言って電話を切ろうとする。しかし『あ、そうそう』とわざとらしく続けた。
『友恵も来るから。楽しみにしとけよ。』
「楽しみにしとけって・・・・なんでだよ?」
『だって昔好きだった女に会えるんだぞ?ちょっとワクワクするだろ?』
「いや、でも今は彼女がいるし・・・・・、」
少々困りながらそう答えると、『お前は馬鹿かよ』と返された。
『お前な・・・友恵に会ったら絶対に惚れ直すぞ。』
「なんで?」
『あいつ今めちゃくちゃ綺麗になってるからな。しかも半年前に彼氏と別れてフリーだから。お前もう一度あいつにアタックしてみろよ。』
「いやいや、俺フラれたし。」
苦笑いで返すと、『あれから何年経ってると思ってんだよ』と怒られた。
『あの時は・・・・確か17だったろ?で、今は28だ。もう11年も経ってるんだぜ?そんな昔にフラれたことなんか、無いに等しいだろ。』
「なんだよその理屈。11年経ったら、フラれたことが時効になるのか?」
『なるなる。だから絶対に同窓会来いよ。あんなサバ女なんかさっさと別れちまえ。』
「お前な、いい加減にしろよ・・・・・。」
少し怒りながら返すと、『じゃあまた電話すっから』と切られた。
俺は呆れながら電話を置き、ベッドに倒れ込む。
大して広くない部屋には、蒸し暑い空気が溜まっていて、すぐにエアコンを掛けた。
木根が強引なのは毎度のことで、それは昔から変わらない。
あの強引さの裏には、俺のことを心配してくれている優しやがあることは分かっている。
しかしそれでも、昔の友人に会うのは気が引けた。
木根とは今でもたまに電話をする仲だが、他の奴らはそれすらないほど疎遠になっている。
「久しぶりだしな・・・・・みんなで飲むのも悪くないか。」
ぼそりとそう呟くも、すぐに嫌な感情が首をもたげてくる。
俺は昔、友人を死なせてしまったことがあるの。
塔田正也。
中学の時からの親友で、同じ高校に進み、二人でボクシング同好会を立ち上げた。
やがて仲間が増え、その中に木根や友恵もいた。
俺は思い出す。11年前の、あの夏の出来事を・・・・・。
肝試しと称して、白くそびえる貯水塔に行った時の事を・・・・。
シャワーの熱はまだ身体を火照らせていて、エアコンの冷気が効き始めるまで、眠れそうにない。
俺は目を開けたまま、瞼の裏に11年前の夏を蘇らせた。
それはとても辛い記憶で、身体の熱が治まってからも、しばらく眠ることが出来なかった。


            *


「おお!斎藤君!久しぶり!」
愛嬌のある丸い顔をした女が、俺に手を振る。
淡い花柄のワンピースを翻しながら駆け寄って来て、「よかった・・・来てくれたんだ」と涙ぐんだ。
「高校出て以来だから、10年ぶりくらいだよ。ちゃんと私のこと覚えてるよね?」
そう言って丸い顔を微笑ませ、俺の肩を叩いた。
「忘れるわけないだろ。」
「よかったあ・・・・。ねえみんな!ちゃんと私のこと覚えててくれたよ!めっちゃ不安だった。」
丸顔の女、伊藤実花は、嬉しそうに後ろを振り向く。そこには木根を含めて、四人の男女がいた。
「みんな集まるの久しぶり!ねえ?」
実花は木根に笑いかけ、続いてその隣の女にも笑いかけた。
「ちゃんと来たね。すっぽかすかと思ってたけど。」
そう言って肩を竦ませたのは、気の強そうな顔をした、ジャケットを羽織った女だった。
「前の同窓会も、その前も来なかったからね。もう二度と会うこと無いと思ってた。」
ジャケットを羽織った女、三十木涼香はニコリと笑う。
そして「あんたがしつこく誘った甲斐があったね」と、肘で木根をつついた。
「こうでもしなきゃ、こいつは来ないからな。下手すりゃ二度と会うことも無くなるよ。」
「だね。でもまあ・・・学生ん時の友達なんて、そんなもんじゃないの?それぞれ自分の生活があるんだし、昔みたいにはいかないよ。」
「分かってるよ。だから同窓会をすんだろが。」
木根は唇を尖らせ、「来てくれて何よりだ」と笑った。
すると木根の後ろにいた小太りの男が、「こっち来いよ」と俺に手を振った。
「離れた場所でポツンと立ってんじゃねえよ。」
小太りの男、園田栄吉は、二重顎をたるませながら笑った。
「今日は良い店予約したんだぜ。」
そう言って周りを見渡し、褒めてくれと言わんばかりに胸を張った。
「どこが良い店よ?国民宿舎の宴会場じゃない。」
涼香は不機嫌そうに言い、「予算はあったんだから、もっと良い店選んでよ」と愚痴った。
「なんでだよ?あそこ揚げ物美味しいだろ?」
「揚げ物って・・・・。せっかくの同窓会よ?ただの飲み会じゃないんだから。」
涼香は不機嫌そうに言い、「そう言ってやるなよ」と木根が宥めた。
「このデブは味より量なんだよ。あそこは量だけは多いからな。だから選んだんだろ?」
肩を竦ませ、馬鹿にしたように言う。
園田は面白くなさそうな顔をしながら、「とっとと別れろお前ら」と罵った。
涼香は「あ、怒った?」と笑い、木根は「お前もいい加減女くらい作れよ」と茶化した。
「お前って涼香に惚れてたもんな。嫉妬する気持ちは分かるけど、今んところ別れる気はないぞ。」
「はあ?なんだよお前・・・・勝ち誇りやがって・・・・。」
園田はさらに不機嫌になり、憮然とした顔で二重顎を震わせた。
「しょうもないこと言うんじゃないよ。ほんとに口が悪い・・・・。」
涼香は木根の頭を叩き、「機嫌直しなよ」と園田に笑いかけた。
園田は相変わらず憮然としたままで、それを見て小柄な長髪の男が笑った。
「このデブは僻みっぽいから。まだ涼香にフラれたこと根に持ってんの。」
小柄な男、佐野英嗣は、そう言って園田の肩を叩いた。
「今でも愚痴ってんだよ、涼香にフラれたこと。」
「そうなの?」
涼香が聞き返すと、佐野は「お前の写真でオナニーもしてんだ」と続けた。
「お、お前・・・・・、」
園田は顔を真っ赤にするが、佐野は「気にすんなよ。男なら好きな女でオナニーくらいすんだろ」と笑い飛ばした。
園田は顔を真っ赤にしたまま、恐る恐る涼香を振り返る。
二人の目が合い、お互いに気不味そうな顔で沈黙した。
「ま・・・まあ・・・・男ってそういうもんでしょ。別に怒んないけど、なんか・・・・聞きたい話じゃないよね。」
そう言って「余計な事を言うな」という目で佐野を睨んだ。
妙な空気が流れ、しばらく誰も口を開かなくなる。
するとその沈黙に耐えかねたように、「もういいから!早く行こうよ」と実花が言った。
「だな。デブのオナニーなんざどうでもいい。」
木根はまた毒を吐き、ポケットから車の鍵を取り出した。
「俺とデブの車で行くから。好きな方に乗れよ。」
そう言って歩き出し、車を止めてあるスーパーまで向かう。
園田はチラチラと涼香を見て、バツが悪そうなまま歩いて行った。
俺もその後に続き、なんだか懐かしい空気に、少しだけ頬が緩んでいた。
久しぶりの地元、久しぶりの友達。どれも懐かしい気分にさせてくれて、ほんのひと時だけ退屈を忘れさせてくれる。
連休は明日で終わりだが、もう少しここにいたいと思った。
見慣れた景色を歩きながら、前を行く木根たちを見つめる。
木根は涼香と喋っていて、彼女相手にも口の悪さは変わらない。
しかし涼香は怒らない。木根の口の悪さは昔からなので、軽く流して相槌を打っている。
この二人が付き合い始めたのは三年ほど前だが、友達としての付き合いは11年以上になる。
だから彼氏彼女の仲になったからといって、お互いに気取るわけでもない。
そういう関係はすごく羨ましくいと思ったし、この先も上手くいってほしいと、本気で願った。
そんな事を考えていると、実花が「暗い顔してる」と寄って来た。
「久しぶりにみんなで会ったんだよ?楽しくない?」
「いや、懐かしくてさ。しみじみしてた。」
「そっか。嫌々来たんじゃないかと思って、すごく心配してた。」
愛嬌のある顔をニコリと笑わせ、前を行く二人を見つめる。
「あのね、涼香が言ってたんだけど、もしかしたら結婚するかもって。」
「木根と?」
「うん。だってダラダラ付き合ったって仕方ないから、ケジメをつけないとって。」
「涼香がそう言ったの?」
「そう。これって男のセリフだよね?結婚したら、絶対に涼香が主導権握ると思う。」
「そっか。あの二人も結婚するのか。」
「まだはっきり決まったわけじゃないけどね。でも多分そうなるって。」
実花は嬉しそうに言い、「涼香のウェディングドレスとか見物だね」と笑った。
そしてすぐに真顔に戻り、「実はね・・・・、」と切り出した。
「これはまだ涼香にしか言ってないんだけど・・・・・、」
そう前置きしてから、俺の顔を見上げて言った。
「私も結婚するの。」
「ほんとに?」
「うん。職場の人だけどね。来年の春くらい。」
「おめでとう。お前なら絶対に良いお嫁さんになれるよ。」
俺は素直な気持ちでそう言った。
しかし実花は浮かない顔のまま、黙って俯いてしまった。
「どうした?」
「あの・・・・・、」
小さく口を動かし、短い髪を揺らしている。何かを言いたそうにしているが、喉につっかえて言葉が出てこないようだった。
「ごめん、何か気に触ること言った?」
心配になって尋ねると、実花は急に泣き出した。
俺の後ろに隠れ、他の奴らに顔を見られないように泣いている。
「おい。大丈夫か?」
「いいから歩いて。泣いてるってバレルるから・・・・。」
「ああ・・・・。」
背中に実花をくっ付けたまま、しばらく歩く。近くの公園を通り抜ける時、木立からうるさいほどセミの声が響いて来た。
回りの音は掻き消され、セミの音だけが耳に入って来る。
すると実花は、喉につっかえた言葉を吐き出した。
「・・・・結婚したくない・・・。」
「え?」
「・・・・結婚なんかしたくない・・・。まだ自分のやりたい事とかあるし、誰かに縛られるなんて絶対イヤ・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
何と言っていいか分からず、ただ黙っているしか出来なかった。
実花は「結婚したくない・・・・」と繰り返し、セミの声がうるさい公園を抜けるまで、背中に隠れて泣いていた。
そして大きく鼻をすすり、「ごめんね・・・・、」と謝る。目は赤くなっていて、泣いていたのがバレバレの顔だった。
「いや、別にいいけどさ・・・・。でも結婚が嫌っていっても、もう婚約してるんだろ?」
「うん・・・・。向こうの親にも挨拶に言ったし、日取りも決まってる。」
「そうか。でも結婚するのが嫌なら、どうして婚約なんかしたんだ?」
「だって・・・・婚約するまで、専業主婦やってくれなんて言われなかったから・・・・。」
「専業主婦・・・・。それは相手の男がそう言ったの?」
「違う。向こうの両親・・・・。女は家庭に入るもんだって、未だに信じてる・・・・。だから結婚したら、絶対に仕事は辞めてもらうって。」
「そりゃあ・・・・・俺からは何とも・・・・。」
「そうだよね・・・。ごめんね、こんなこと愚痴って。でも・・・・なんだかしんどくなっちゃって・・・・。」
実花はまた涙を溜め、ハンカチで拭った。
「その・・・・良いアドバイスが出来なくてごめん・・・・。」
「ううん、いいの。なんか久しぶりにみんなで集まったら、急にすごく懐かしくなっちゃって。一日でいいから、またあの頃に戻れたらなあ〜なんて、そんな風に考えちゃって・・・。」
もう一度涙を拭い、ニコリと笑った。
「せっかくの同窓会なんだから、辛気臭い話は駄目だよね。今のは忘れて。」
そう言って俺の腕を叩き、前を行く涼香の元へ走って行った。
「木根と涼香が結婚か。それに実花も・・・・。」
前を歩く三人の背中を見つめながら、なんだか自分とは縁のない話のように思えた。
別に結婚願望がないわけではないが、今はリアルに考えることが出来ない。
今の彼女と結婚する未来は想像出来ず、これは近いうちに別れるんだろうなと、悲しいような楽なような気持ちになる。
ぼんやりそんな事を考えながら歩いて行くと、スーパーの駐車場に着いた。
涼香と実花は木根の車に乗り、俺と佐野は園田の車に乗った。
プップ!とクラクションを鳴らし、木根の車が先に出て行く。
園田はまだ憮然としていて、不機嫌そうにハンドルを捌いた。
「機嫌直せよ。」
佐野が言うと、「お前がいらんこと言うからだろ!」と怒鳴った。
「なんで女の前でオナニーとか言うんだよ?余計嫌われるだろうが。」
「あ、元々嫌われてるって自覚はあるんだな?」
「そりゃまあ・・・フラれたからな。男として好かれてないのは分かってるよ。でもあんなこと言ったら、友達としても嫌われるだろ。」
「そんなことないだろ。高校ん時からの付き合いなんだ。あの程度で嫌うかよ。」
「そ、そうかな・・・・?」
「そうだよ。知らんけど。」
神経質な園田に、適当で飄々としている佐野。
この二人も相変わらずだなと思い、また懐かしくなる。
すると佐野が、ルームミラー越しに俺を見つめた。
「お前は最近どうなんだ?こうして顔を合わせるのは10年ぶりだけど、あんま変わってないな。」
「まあな。童顔だし、子供の頃から変わってないと思う。」
「いや、そういうことじゃなくて、高校の時から雰囲気があんま変わってないなと思って。なんかお前だけ学生のまま止まってるみたいだぞ?」
「それは垢抜けてないってことか?」
「垢抜けてないっていうより、成長してないって方が正しいかもしれない。」
「ああ、そうかもしれない。」
「きっとアレだろ?正也のことだろ?」
「・・・・・・・・・・。」
聞きたくない名前を出され、しばらく黙りこむ。しかし佐野は気を使う様子もなく、淡々と続けた。
「あいつもバカだよな?なんで貯水塔の中なんか飛び込むかね?俺だったら100万もらっても嫌だけどなあ。」
そう言って頭の後ろで腕を組み、ダッシュボードの上に足を乗せた。
「あんな真っ暗で深くて、夜の海よりも不気味な場所なのに、よく飛び込んだもんだ。」
「・・・・・・・・・・。」
「肝試しで命を落とす奴がいるかってんだ。おかげでみんなが友達を一人失ったんだ。どんだけ迷惑かけたのか、あの野郎は天国で自覚してんのかね?」
「あれは・・・・俺のせいで・・・・・、」
「いや、お前は関係ないだろ。勇気があるなら飛び込んでみろって言われて、実際に飛び込むバカが悪いんだよ。幼稚園児じゃないんだから、飛び込んだら死ぬってことくらい分かるだろ。」
佐野はあっさりと俺の言葉を切り捨て、赤信号を睨む。
木根の車は先に行ってしまい、苛立たしそうに舌打ちをした。
「とろとろ運転すんなデブ。」
「じゃあお前が車出せばよかっただろ。」
「車検中だよ。代替えのボロイ車が気に入らないんだ。」
「じゃあ黙って乗ってろチビ。」
高校の時と何一つ変わらないやり取りを聞きながら、俺はふと思い出したことがあった。
園田が鈴音に惚れていたのは昔からだが、佐野にも好きな女がいたはずだ。
そしてその女とは、確か実花だったはずだ。
俺はそのことを思い出し、少し躊躇いながら、「なあ・・・・、」と切り出した。
「お前ってさ、確か実花のことが好きだったよな?」
「おお、それがどうした?」
「いや・・・・お前はその・・・・未練はないのかなと思って。」
「んん?未練かあ・・・・どうだろうな。」
佐野はわざとらしく言い、これまたわざとらしく天井を仰いだ。
「俺が撃沈されたのは、このデブより前だからなあ。もう10年以上も経ってるから、未練はないんじゃないか?」
「ないんじゃないかって・・・自分のことだろ?」
「自分のことだからって、一から十まで分かるかよ。」
「そりゃそうかもしれないけど・・・。」
「でもまあ・・・・どっかにそういう気持ちは残ってるかもな。もしチャンスがあるなら、もう一度告白するかもしれない。」
「そうか。」
それを聞いて、俺は余計なことは言うまいと思った。
実花は婚約していて、来年の春に結婚する。しかし結婚したくないと泣き出すほど、結婚について悩んでいた。
余計なことを言えば実花を傷つけると思い、この話題は終わりにした。
それから他愛のない話を続け、三十分ほどで予定の場所につく。
ここは海の傍に立つ国民宿舎で、中にレストランが入っている。
宴会場を予約すれば、レストランのシェフが腕を振るってくれるのだが、園田の言うとおり揚げ物しか美味しくないのだ。
せっかく海の傍にあるんだから、もっと海の幸を活かせばいいと思うのだが、なぜか揚げ物が豊富に揃っている。それも鳥や豚の揚げ物だ。
園田は広い駐車場に車を止め、先に着いていた木根が手を挙げた。
「ようデブ。遅い運転だな。」
「さっきからうるさいよお前。前より痩せたんだからな。」
園田は腹の肉を掴み、「二キロ痩せたんだ」と自慢げに言う。
しかし誰も聞いておらず、宿舎の入り口まで歩いて行った。
するとそこには一人の女が立っていて、俺たちを見るなり、笑顔で手を振った。

新しい小説

  • 2015.07.08 Wednesday
  • 11:57
JUGEMテーマ:自作小説
明日から新しい小説を載せます。
タイトルは「取り残された夏の中へ」という小説です。
友人を死なせてしまった主人公の、記憶と思い出を巡る話です。
よかったら読んでやって下さい。

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