風のない夜 第二話 今日と明日の間(2)

  • 2017.09.03 Sunday
  • 10:09

JUGEMテーマ:自作小説

薄汚れた科学の本に囲まれた部屋で、ぼんやりと昔を思い出す。
お袋が親父を殺したこと。
俺がお袋を殺したこと。
そして虐めを受けて自殺しようとしたこと。
どれも記憶の中で生きている。
楽しかった思い出がないわけではないが、それらを一口で飲み込んでしまうほど、暗い記憶の力は大きい。
しかし暗い記憶があるからこそ、俺は科学者を目指した。
目の前で父を殺され、この手で母を殺し、最後は自分で自分の命を奪おうとした。
自殺、他殺、殺人の目撃。
人が死ぬあらゆる場面に、俺は遭遇したわけだ。
記憶には仄暗い感情が溜まっていて、コブラのように首をもたげる。
いつか俺に噛みつき、再び死の傍へ誘うんじゃないかと、不安でたまらない。
これを回避する方法はただ一つ。
死なない身体を作ること。
そう、不死身の生命だ。
人は脆い。
病気で死ぬし、刺されても死ぬし、殴られても首を絞められても死んでしまう。
酷い時なんか、つまづいて転んだだけで死んでしまう。
しかし金属の身体ならば、そんな事にはならない。
銃で撃たれようが、火事の中に放り込まれようが、エボラやマラリアに感染しようが、無敵のごとく不死と化す。
そんな究極の生命を目指す為、俺は科学者になろうとした。
したが・・・・いかんせん頭が悪かった。
高校はレベルの低い私立へしか行けず、大学は滑り止めを含めた四つも全滅。
ならばと働きながら勉強を続けたが、頭の悪さは治らなかった。
あれは高校生二年の時、担任からこう言われたことがある。
『あのね、勉強が出来る出来ないって、努力だけじゃないんだよ。生まれつきのものもあるから。』
進学クラスを希望したら、そう返されて終わった。
あの時は『今に見とれよ』と思ったが、残念ながら未だに見返すことは出来ていない。
俺は頭が悪い。
勉強が出来ない。
手にした論文は、きっとSF小説のレベルも満たしていないだろう。
でも諦めない。
死なない身体を手に入れたかった。
「先生、科学はなんでも発展させてきました。月へ行ったり、電話を生み出したり。
江戸時代の人間に言うても、何一つ信じてもらえんことばっかりです。
でも今は現実に存在しとるんですよ。それやったらね、不死身の生命だって不可能とは言えませんでしょ?」
短くなったタバコを揉み消しながら、「諦めたらアカンのです」と言った。
「そら忙しい身いやというのは分かります。こんなアホな中年の言うことなんて、真に受けたあないって。
でも俺は本気なんです。もう先生しか頼る人がおらんのですわ。」
膝に手をつき、頭を下げる。
「どうかアドバイスを。たのんます。」
しばらくそのままでいると、「登和さんね・・・」と口を開いた。
「俺がそんなにすごい科学者なら、ここにはいないよ。ノーベル賞の一つや二つでもとって、もっと高い所へ行ってるから。」
「でも先生は俺の命を助けてくれはったやないですか。自殺なんかアカンて。生きるのが辛いから死ぬなんて、人間しかやらへんのやって。」
「それとこれとは話が違う。登和さんがここへ来るのは構わないけど、俺に出来ることは限られてるんだ。」
椅子を回し、「いたいならここにいればいい」と仕事に戻った。
シャカシャカとペンを動かして、ゼミ生の論文を吟味している。
「俺じゃ登和さんの役には立てないよ。」
「ほな誰やったら?」
「NASAにでも行ってみれば?」
「馬鹿にしとるんですか?」
「登和さんが言ってることなんて、現代の技術では実現不可能なんだ。」
「でもこの前先生が貸してくれはった本には、金属をベースに持つ生物がおってもおかしいないって書いてありました。ほなら不死身の生き物かて・・・・、」
「あくまで仮説だよ。読み物としては面白いから、レクリエーションの時に使ったりするくらいでね。
あれにどっぷりハマるなら、小説家の方が向いてると思うよ。」
「先生は科学者やのに、可能性を追求せんのですか?」
「なんでも順序があるから。生き物ってのは炭素をベースにしてるんだ。今の所それ以外の生物は見つかっていない。
もしも登和さんが炭素生命以外の生物を発見したなら、話も変わってくるけどね。」
そう言って「静かにしといて」と釘を刺された。
「もうじき卒業する子たちの論文を見てるんだ。ここにいるのはいいけど、邪魔はしないでくれ。」
「・・・・分かりました。ほなまた来ます。」
「ああ、それと・・・・、」
「はい?」
「さっきも言ったけど、そろそろ日雇いはキツイだろう?」
「今の所はまだ。せやけど60過ぎたらガクっと来るとはよう言われます。」
「もっと早くにガクっと来るよ。家もない、食べ物だって粗末なものばかり。この前だって、蒸し暑い車の中で熱中症になりかけたんだろう?」
「油断してました。でも今は平気です。これに水入れて持ち歩いとるから。」
鞄からペットボトルを出す。ここには公園の水がたんまり入っている。
先生は「そういうことじゃなくてさ・・・」と首を振った。
「前にも言ったけど、いま売店の売り子がいなくてね。事務員が代わりにやってるけど、できれば誰かを雇いたいそうだ。
大した給料じゃないけどさ、日雇いよりかは楽なはずだよ。登和さんさえよければ話を通してあげるけど?」
「ありがたいですけど、接客業ちゅうのは苦手で。」
「ただレジを打つだけだよ。あとは商品の補充とか。」
「はあ・・・・。」
「それにあそこにいれば、いつでもここへ来られるだろ?いい事ずくめじゃないか。」
「いや、これ以上先生にご迷惑をかけるわけには。」
「もう掛かってるって。今までにいくら貸してると思ってるの?」
「ほんますんません・・・・。夢が叶ったら、まとめてドーンと返しますさかい。」
頭を下げ、「ほな」と部屋を後にする。
「・・・・50万・・・いや、もっとかな。金さえあればいつでも返すんやけど。」
閉じたドアにもう一度頭を下げる。
あの人がいなければ、俺はもっと早くに死んでいただろう。
例え自殺をしていなくても。
「もうじき60や。焦ってくるなあ。」
分厚い論文を抱えながら、キャンパスへ出る。
今日は良い風が吹いていて、エアコンなしでも汗が出ない。
「そういや台風が来る言うてたな。」
空は薄曇り。
どんよりしているが、雨は来ない。
その代わり、短い髪がなびくほどの風を運んでいた。
「今日の午後には上陸する言うとったな。」
今は午前10時過ぎ。
そして台風の時速は50キロ。
今朝のラジオでは四国にさしかかったばかりと言っていたので、ここへ来るまで時間はかかるまい。
風速は強いが足は速いので、しばらくどこかの建物に籠っていればやり過ごせるだろう。
「ここにおろか。」
大学には幾つも建物がある。
俺は真っ直ぐに売店のある一棟へ向かった。
店の中はエアコンが効いていて、少し肌寒さを覚えるほどだ。
半袖の腕をさすりながら、狭い店内を歩いて行く。
昨日は日雇いの仕事をこなしてきたので、財布はいつもより重い。
この前のように、レジに並ぶ客を羨ましがる必要はないのだ。
「何食おかな?」
ウキウキと品定めをする。
まずは米だろう。
おにぎりを二つ掴む。
非常用に総菜パンを一個。
飲み物はペットボトルの水があるので・・・お茶はやめておこう。
「これちょうだい。」
350円もの大金を払い、外のベンチで頬張った。
「さて、次はどう攻めよか。」
脇に置いた論文はダメだしを喰らった。
科学には根拠が必要。
それは分かっているのだが、根拠を示すだけの知識が俺にはない。
しかしそれでも夢を諦めないのは、頭にこびりつく三つの光景のせい。
殺人、自殺未遂、殺人の目撃。
人生のうち、どれか一つでも体験したら大事なのに、三つも揃うとは中々ないことだろう。
「ここ日本やで?スラム街に住んでるんとちゃうのにな。」
おにぎりを食べ終えたが、まだ満腹にならない。
どうしようかと迷いながらも、非常食のパンに手を伸ばした。
その時、目の前を通りかかった数人の学生が、俺を見てクスクスと笑った。
「きっしょ。」
ボソっとそう呟いたのが聴こえる。
思わずカっとなり、眉間に皺が寄った。
「なんやコラ?」
立ち上がり、睨み付ける。
「人が飯食うとったら可笑しいんかい?」
拳を握って近づくと、慌てて逃げて行った。
「なんじゃいクソガキ!親の金で飯食うとる分際で。」
逃げていく背中に罵声を飛ばす。
追いかけて殴ってやろうかと思ったが、疲れるだけで一円の得にもなりはしない。
悪態をつきながらベンチへ戻った。
「躾のなってないガキやでほんま。」
イライラしながらパンを貪る。
そこへ先生がやって来て、「まだいたの?」と驚いた。
「いつもはすぐ帰るのに。」
「台風が来てますさかい。ちょっと避難していこ思て。」
「浮くよ、そんな格好でキャンパスにいたら。」
「これがいっつもの恰好ですさかい。」
薄汚れたスラックスに、ヨレヨレのシャツ。
足元は穴の開いたサンダルだ。
「最近は大学も厳しくてね。その格好でウロウロしてたら通報されかねないよ。」
「そら俺がおっさんやから?」
「そう。その年でその格好してたら、ホームレスが迷い込んだのかと思われるよ。
でも登和さん、無駄にプライドが高いでしょ?学生に何か言われたら、カッとなるんじゃないかと心配でね。」
「もうすでにひと悶着ありまして。」
笑いながら答えると、「部屋に来なさい」と言われた。
「君に絡まれたら学生が可哀想だ。」
「向こうから喧嘩売ってきたんでっせ?」
「歳を考えなさいって。不良でもあるまいし。」
先生は売店に入り、レジ袋を提げて出てきた。
半透明の袋の向こうには、パンやカップ麺が透けている。
「先生ええ男やのに、なんで結婚しはらへんので?」
「してたよ。」
「昔の話でっしゃろ?」
「出て行かれたんだから仕方ないだろ。だいたい今年で63だよ?誰がこんなジジイと一緒になりがたるもんか。」
背中を向け、やや怒り気味の足取りで歩いて行く。
「気い悪うさせたらすんません。」
「ほんとにね。金は無心するわ、わけの分からない論文は見せられるわ。
挙句の果てに結婚の心配までしてくれる。昔からの付き合いじゃなかったら殴ってるよ。」
「イライラしてるんやったら、一発でも二発でも殴ったって下さい。先生にはお世話になってるんで。」
「それで借金が返ってくるならそうするよ。」
怒りを撒き散らす先生に、「すんません」と頭を下げる。
そして部屋に戻るのと同時に、小雨が降ってきた。
「近づいて来たみたいだね。」
カップ麺にお湯を注ぎながら、上目遣いに見上げている。
「午後には上陸するそうで。」
「けっこう早いんだろ、今回のは?」
「時速50キロくらい言うてましたよ。」
「ふうん、ならすぐ過ぎるな。」
箸を置き、カップ麺の蓋を押さえている。
「ねえ先生。」
「ん?」
「ちょっとその本見せてもらえまへんか?」
俺は机の上の一冊を指さす。
実は今日ここへ来てから、ずっと気になっていたのだ。
『オートマタ〜機械人形の世界〜』
先生は本を取り、「はい」と向けてくる。
「これ読ましてもろても?」
「いいけど持って帰っちゃダメだよ。生徒の忘れ物だから。」
「ほなここで読ましてもらいます。」
パイプ椅子に腰掛け、パラパラとページを捲っていった。
そこに書かれていたのは、命のない人形に、いかに命があるように見せかけるかというものだった。
《ゼンマイや機械の仕組みで動く人形か。要するにからくり人形やな。》
本の最初にはこうあった。
『オートマタとは、命ある生き物の真似をする、命を持たない人形のことです。』
命がなくても動く人形、今では珍しくないだろう。
電池一つで動くオモチャはいくらでもある。
あれはいつだったか、息子にせがまれて恐竜ロボットのオモチャを買ってやったことがある。
スイッチを入れると、モーターが動いて歩くのだ。
目も光るし、駆動音が鳴き声のように聴こえる、よく出来た代物だった。
《昔は電池なんてないもんな。そんな時代に人形を動かそう思たら、えらい工夫が必要やったやろな。》
図解には詳しい仕組みが載っている。
しかし素人の俺にはチンプンカンプンだった。
「不死身の命のヒントはあったかい?」
「いや・・・なんや難しいて。」
「登和さん、生物のことはよく勉強してるけど、機械の方はからっきしだろ?」
「ええ、まあ・・・。一応フォークリフトの免許は持ってるんですけど、乗り物とか機械とか、そっちはからっきしですわ。」
「不死の生命体を作ろうと思ったら、生物だけ勉強しても無駄だろうね。
物理や化学の方が重要になるかもしれない。」
「そうなんでっか?」
「それを知らないんじゃ、新しい生命の誕生は難しいだろうね。」
「はあ・・・・。」
先生の言いたいことは分かる。
今までにない生き物を作ろうというのだから、色々と勉強をしておけという意味なんだろう。
俺はパタンと本を閉じた。
「なんや難しいて、よう分かりませんわ。」
「苦手なことも克服しないと、科学を理解するのは無理だよ。英語だって必要になるんだから。」
「それも苦手で・・・・。」
「じゃあ夢は諦めるんだね。」
「それは・・・もうここに来るなって意味で?」
「そうじゃないよ。見果てぬ夢を追うのはいいけど、もっと身体のことを考えないと。
今みたいな生活してたら、還暦まで生きられないかもよ?」
「・・・・・また論文が出来たら持ってきます。」
俺の身を案じてくれるのは嬉しいが、諦める気はない。
頭の中からあの三つの光景が消えない限りは。
「ほな、失礼しました。」
部屋を出ていこうとすると、「それ返しといてくれるかな?」と言われた。
「は?」
「だからオートマタの本。2棟の3階にロボットアニメの同好会があるんだよ。
そこに背の低いメガネを掛けた男子生徒がいるから。」
「お安い御用です。」
「分かってると思うけど、くれぐれも問題を起こさないようにね。
喧嘩なんかしたら、もうここへ出入りできなくなるから。」
「気いつけます。」
頭を下げ、部屋を後にする。
「ええっと・・・・2棟は1棟の向かいやったな。」
売店の前を通りすぎ、5階建ての建物へ入る。
1棟はかなり綺麗なのだが、2棟は壁にヒビが入ったボロだった。
エレベーターもなく、窓ガラスは酷く汚れている。
「陰気な場所やな。」
階段を上がり、3階までやって来る。
廊下を歩きながらキョロキョロしていると、「ロボットアニメ同好会」と書かれた札を見つけた。
「ここか。」
コンコンとノックすると、「はい」と金髪の若い男が顔を出した。
「ああ、すんまへん。これ太刀川先生がここの生徒に返しといてくれいうて。」
「・・・・ああ、はいはい。」
金髪の男は部屋を振り返り、「ツッチ〜!」と呼んだ。
「お前の本返しに来てる人がおるぞ!」
「おお」と声がして、背の低いメガネの男が顔を覗かせた。
「これ、太刀川先生からですわ。」
「ああ、どうもすんません。」
ペコリと頭を下げ、本を受け取る。
「ほな。」
手を挙げ、踵を返す。
すると「あの・・・・」と呼び止められた。
「なんでっか?」
「違てたらすいません。おじさん、先生のとこに出入りしとる登和さんいう人ですか?」
「そやけど・・・なんか用でっか?」
「いや、これ安易に言うてええんかどうか分からんけど・・・・。」
言いづらそうに口ごもる。
興味を引かれ、「気にせんと言うて下さい」と言った。
「あの・・・・怒りませんか?」
「そら聞いてみいへんことには。」
「実はですね・・・おじさんの息子さん・・・俺の友達なんですけど・・・・、」
「え?」
顔が強ばる。
メガネの生徒は身構えた。
「克也らの友達?」
「ええ・・・まあ。」
「そうでっか・・・・・。ほんで、アイツらがどうかしたんで?」
「ちょっとね・・・会いたがってるんですよ、お父さんに。」
「なんでまた・・・・。」
15年前、俺は家庭を持っていた。
いい夫、いい親父でいようと心がけていたが、上手くいかなかった。
理由は一つ、死なない身体の研究の為だ。
仕事以外は全て研究の為に使った。
暇があれば本を読み、気になる学者がいればアポなしで会いに行った。
もちろん追い返されることの方が多かったが。
結婚した時は家庭を大事にしようと決めていたのに、いつの間にか嫁も子供もほったらかしになっていた。
嫁からは『もうちょっと子供らと触れ合ったってえな』と、何度も注意された。
しかし俺は『分かっとる』と生返事ばかりで、真剣に向き合うことはなかった。
ある日の日曜、いつものように気になる学者の元へ出かけようとすると、嫁に呼び止められた。
『あんたはほんまになんもしてくれへん人やな。』
好きなことを追うのは構わない。
でももうちょっと子供を見てやってほしいとと言われた。
キャッチボール、授業参観、悩みの相談など・・・・思えば何一つ親父らしいことはしてやっていなかった。
家にいるのは、風呂か寝ている時くらいだ。
『あの子ら、あんたのこと親やとは思ってへんで。たまに帰ってくる知らんおじさんやと言うてるんや。』
そう言われた時、お袋を殺した瞬間がフラッシュバックした。
『お前なんかいっぺんも親やと思ったことはない。』
俺はそう言ってお袋の首を絞めた。
・・・気がつけば、俺も同じになっていたというわけだ。
見たいものしか見ず、それ以外のことはどうでもいいというような親に。
結果、子供のことはほったらかしになり、全てを嫁に押し付けていた。
嫁は俺の過去を知っている。
親殺しという罪を犯したことを。
それでもいいと一緒になってくれた女なのに、負担ばかりかけていた。
『この際やからハッキリして。自分の夢を追うんか?子供らを大事にするんか?』
いつになく真剣な目だった。
当然だろう、親なのだから。
あの時、俺はなんと答えたか?
『帰ったら話しよ。』
そう言い残し、家を出た。
この時点で、アイツは俺を見限るつもりでいたらしい。
というのも、自身も親のせいで辛い思いをしてきたからだ。
父はロクに家に帰らず、女の家に入り浸り。
母は母で、ギャンブルにはまって借金まみれ。
妹と二人、とにかく辛い子供時代を過ごしていた。
だから俺たちが結婚する時、子供にだけは辛い思いをさせないでおこうと約束したのだ。
しかしながら、俺の体たらくは明らかに約束違反だった。
『子供に寂しい思いをさせる男とは一緒におられへん。』
アイツの過去を考えれば当然だった。
しかしそんな男を選んだのは自分だからと、辛抱強く待ってくれていた。
夜、家に帰ると、出かける時と同じことを問われた。
『朝に聞いたこと、ちゃんと考えた?』
今朝と同じ真剣な目。
どちらかといえば尽くすタイプの女で、我が家は亭主関白だった。
しかしこの時は俺の方が怯んだ。
もし答えを間違えれば、嫁も二人の息子も俺の前から消える。
それを分かった上で、俺はこう答えた。
『他のことやったらなんでも我慢する。でもこれだけはアカンのや。これだけは・・・・。』
俺の過去を知っている嫁は、『気持ちは分かる』と頷いた。
『私はええねん。色々知った上で、アンタを選んだんやから。でも子供らは違う。子供は親を選べへんのやで?』
『身をもって知っとる。』
『それやのに答えは変わらへんの?』
『お前らが大事やないわけと違う。でもこれだけは譲れへんのや。堪忍してくれ。』
膝に手をつき、頭を下げた。
思えば始めて嫁に頭を下げた瞬間だった。
『アンタ親のせいで辛い目に遭うたやんか。それやったらなんであの子らに寂しい思いさせるん?
父親やのに知らんおじさんなんて言われて、情けないと思わへんの?』
『すまん・・・・・。』
頭を下げたまま答える。
脳裏に焼き付く三つの光景。
それは「死」というものに対して、絶対的な恐怖となっていたし、克服しないといけないものだと信じていた。
いつか人は死なないですむ日が来る。
それを家族にも理解してほしかった。
『私はええねん・・・私は。でも傍に父親がおるのに、あんた空気みたいになってんねんで?』
『すまん・・・・。』
『私もアンタも親に恵まれへんかった。一緒になる時、私らの子供にはそんな思いはさせんとこって約束したやんか。』
『お前の言う通りや。』
『ほなちゃんと見たってえな。夢を追うんやったら、あの子らが一人立ちしてからでも出来るがな。
その時は私も手伝どうたる。だから今は我慢して。』
嫁の言葉は怒りと懇願がこもっていた。
口調は穏やかだが、どうか判断を間違わないようにと、刃のような鋭さがあった。
しかしそれでも俺は・・・・、
『すまん・・・・としか言えん。』
『それが答えなんやな?』
『そや。』
『あの子らが寂しい思いしても、それでええ言うんやな?』
『・・・・・・・。』
『本気でそう思てるんやったら、アンタもお義母さんと一緒や。親に恵まれへん痛みを知っとるクセに・・・・。』
嫁は席を立つ。
それから一週間もたたないうちに、二人の息子を連れて出て行った。
後日、嫁のサインと判子が入った離婚届が届いた。
親に恵まれない辛さ、嫁が望んでいた温かい家庭。
そのどちらも知っていたクセに、俺は自分の道を選んだ。
言い訳は出来ず、合わせる顔すらない。
あの日を最後に、家族とは二度と会っていなかった。
きっと俺を恨んでいる。
嫁も息子たちも。
そう思っていたのに、どうして今さら俺に会いたいなんて・・・・。
「あの・・・・やっぱり聞かん方がよかったですか・・・・?」
「いや、そうとちゃうけど・・・・。」
「どうしても会いたい言うとるんですよ。だからおじさんさえよかったら、今すぐ連絡しますけど?」
「ちょっと・・・ちょっと待ってくれ。」
動悸が速くなり、メガネの青年から顔を逸らす。
15年前に捨てた過去。
それがいきなり戻って来ようとしている。
実現しない不死の夢と、背中を向けることしかできなかった家族。
昨日でも今日でも明日でもない、どこでもない狭間に押し込められた気分だった。

 

風のない夜 第一話 今日と明日の間(1)

  • 2017.09.02 Saturday
  • 08:59

JUGEMテーマ:自作小説

夏の夜、車の中でパソコンを叩いていた。
エアコンは壊れていて、窓を全開に涼を取る。
しかし風がない。
車内は嫌味なほど蒸し返り、呼吸をするのも辛いほどだ。
たまりかねて外へ出る。
目の前には川が流れているのだが、鬱蒼とした木々のせいで見えない。
「風がないと外へ出ても変わらんな。」
背中にはじっとりと汗が滲み、ツンと鼻をつく。
自分でも臭うほどなのだから、誰かが傍にいたら、明らかなスメハラだろう。
暑く不快な夏など、さっさと去ってくれないかと願う。
車に戻り、再びパソコンを叩き始めた。
俺が何をしているかというと、ある論文を纏めているのだ。
「不死身の命は実現可能なんや。間違いなく。」
一心不乱に論文を仕上げていく。
しかし夏の熱気はじょじょに体力を奪っていき、キーボードを叩く手が止まった。
「暑い・・・・涼みに行こ。」
車を走らせ、近所のスーパーに向かう。
今日は盆前ということもあって、駐車場は満杯に近かった。
グルグルっと車を走らせて、ようやく空きを見つける。
街灯の傍なので、開けっぱなしの窓から羽虫が入ってきた。
パッパとそれを払って、すぐに店の中に駆け込んだ。
「ああ、涼し・・・・。」
外の熱気が嘘のようだ。
一気に汗が乾いていく。
酷く喉が渇いているが、財布の中には21円しかない。
一番安いジュースさえ買えず、レジに並ぶ客を羨ましく思った。
「くそが・・・・。」
涼は取った。
あとは喉の渇きをどうにかしないと。
店を出て、近くの公園まで歩いていく。
夜の公園は誰もおらず、街灯だけが虚しく光っていた。
俺は水道へ近づき、めいいっぱい蛇口を捻った。
しばらく温い水が出る。
というより半分お湯だ。
「早よ冷たあなってくれ。」
イジイジしながら待つ。
手を触れ、少し冷えてきたことを確認すると、飢えた犬のように貪った。
「飲むには温いな・・・・。」
口の中は温度の変化に鈍感だ。
少々の冷たさでは、この熱気を癒してはくれない。
しかし贅沢は言うまい。
これも自分の選んだ道。
不死身の命を実現させる為、仕事や家族まで手放したのだから。
「見とけよ・・・・俺は夢を叶える・・・・世の中ひっくり返したるど。」
体力は尽きかけても、闘志だけは尽きない。
俺にはやることがある。
人生を懸けてでも、果たさないといけない使命が・・・・・。

          *

目の前に白髪の男が座っている。
難しい顔をしながら、俺の論文を読んでいる。
ここは理工系の大学・・・・の教授室。
所狭しと並んだ本は、年季の入った樹木のように、あちこち傷んでいた。
「どうでっか?」
息を飲みながら尋ねる。
先生は「面白いけど・・・」と論文を置いた。
「登和さん。何度も言ってるけど、科学には根拠が必要だよ。
よく出来た話だと思うけど、何一つ根拠がない。これは論文とは言わないんだよ。」
そう言って分厚い紙の束を突き返した。
「でも先生は言うてはったやないですか。金属の殻を持つ貝がおるって。」
「ウロコフネタマガイね。あれは身体の一部が金属というだけであって、何から何まで金属で出来てるわけじゃないんだよ。」
「でも金属の鱗を持つ生き物がおるっちゅうことですよね?」
「非常に特殊な生き物だよ。今のところ、この貝以外に金属の鱗を持つ生き物は見つかっていないから。」
「それやったらね、外からは見えへん部分に、金属の骨とか持つ生き物がおるとは考えられませんか?」
「考えにくいね、とても。骨・・・つまり内骨格が金属なんかで出来ていたら、重くて動けたもんじゃないよ。
ウロコフネタマガイはとても小さな貝で、だからこそ金属の鱗を持っていても泳げるんだよ。
それに非常にデリケートな生き物で、飼育下ではほとんど死滅してしまう。
鱗が金属だから、環境を整えてやらないと錆びてしまうんだよ。」
「錆び・・・・ですか?」
思いもよらないことを聞かされる。
金属が錆びるのは当然だが、しかし・・・・、
「難しい顔してるね。」
「不死身っちゅうわけにはいかんのですね、金属の身体も。」
「あのね、もしも登和さんが全て金属で出来ていたとしようよ。
そうなったらね、さっきも言ったけど、重くて動くことができないんだよ。
それに風や雨で錆びるだろうね。」
「ああ・・・・・。」
「登和さんの論文にある通り、そりゃあ衝撃や熱には強いだろうさ。
だけど動くことは出来ないし、風雨で錆びて死ぬ可能性もある。
だったらさ、そんなの不死身の生き物とは言えないよ。」
「ほな・・・・また勉強し直します。」
ダメだしを食らった論文を抱え、一礼する。
そのまま出ていこうとすると、「登和さん」と呼ばれた。
「はい?」
「今年いくつだっけ?」
「54です。」
「相変わらず日雇い?」
「はあ、そうですけど。」
「そろそろ体力的にキツいんじゃないか?」
「昔っから身体には自信があるんで。風邪も中学の時以来ひいてないし。」
「そういうことじゃなくてさ・・・・。」
先生はタバコを咥える。
「ほんとは禁煙中だけど・・・」と言いながら、俺にも向けてきた。
「・・・・頂きます。」
向かいに座り直し、「どうも」と火を点けてもらう。
「実は俺も禁煙中なんですわ。」
「そうなの?」
「金が無のうて。」
「それは禁煙とは言わないよ。」
小さく笑われて、ふっと煙を飛ばされる。
「あの・・・・また説教で?」
「そう、説教。もういい加減諦めなって。不死の命の夢は。」
「でもね先生、これが実現したら、えらいことやと思いませんか?」
「ノーベル賞どころじゃないだろうね。」
「でしょ?ほならね、どこまでも可能性は追求するべきやと思うんですわ。」
そう・・・可能性があるなら諦めてはいけない。
続けてさえいれば、いつか光が射すのだ。
「登和さん。」
「はい。」
「人はいつか死ぬんだよ。それは避けられない。」
「だからそれをどうにかしたいんですわ。」
「そりゃ君の生い立ちには同情するよ?でもだからってね、死なない身体なんて無理だから。」
「俺は死にとうないんですわ。何がなんでも。」
そう、俺は死ねない。死にたくないのだ。
だからこそ不死身の生命を誕生させたい。
そうすれば無敵の人間が出来上がって・・・・・。

            *****

俺の頭には、いつでも焼きついて離れない光景が三つある。
一つはお袋が親父を殺したこと。
二つは俺がお袋を殺したこと。
三つは自殺未遂だ。
俺のお袋は相当なクズで、対して親父は聖人君子だった。
どうしてこの二人がくっついたのか、今でも不思議なほどだ。
親父曰く、昔は良い女だったらしいのだが、俺が物心ついた頃には、クズに成り果てていた。
家庭内暴力は男の専売特許と思われがちだが、それは違う。
俺のお袋はまさに「暴君」だった。
思い出すだけでも反吐が出るほどに。
人を叩くのが好きなクズだった。
罵るのも好きだった。
仕事、家事、子育てはずべて親父がこなした。
まあいい、そういう家庭もあるだろう。
問題は、お袋の支配欲は底なしということだった。
俺には手を挙げはしなかったが、親父はしょっちゅうぶたれていた。
それもほんの些細なことで。
やれ便座を下ろしてないだの、ドアを閉める音がうるさいだの。
どれもこれもただの言いがかりで、子供が癇癪を起こしているかのようだった。
自分では何もしない・・・・いや、できないクズのクセに、女王様気取りのお山の大将。
それでも親父はお袋に逆らわなかった。
怖がっているわけではない。
聖人君子の性格が災いしてのことだ。
『人は信じるもんやで』
親父の口癖だったが、人の信を踏み台にしか思わない人間もいるということを、俺はお袋を見て学んだ。
やがて俺が中学に上がる頃、親父はしょっちゅう顔を腫らすようになった。
見かねて一度だけ止めに入ったが、お袋は余計にヒステリーを起こし、なぜか親父がぶたれていた。
さすがの聖人君子も、この状態がおかしなものであると気づき始めたらしく、離婚を切り出した。
早期退職で退職金を受け取り、それを手切れ金として渡すから、別れてくれと言ったのだ。
まだ景気が良い時代だったから、それなりの金だった。
お袋はグチグチ言いながらも、金の魔力に負けたのか、離婚を前向きに考えていた。
しかし親父の次の一言で豹変した。
『達治は俺が育てる。親権は譲ってもらうで。』
この一言でなぜかキレた。
『私から何もかも奪うつもりか!?』
わけの分からない奇声だった。
生まれてこの方、お袋に育てられたことなど一度もない。
この目にしてきたのは、親父に対する暴力だけ。
なのになぜ俺を欲しがるのか?
親父は『お前に達治を見るのは無理や』と突っぱねた。
さらにキレたお袋は、何かにとり憑かれたように喚きだした。
近くにあった灰皿を掴み、何度も親父を殴って・・・・。
俺は恐怖で動けなかった。
生来争いごとが苦手だった親父は、抵抗もできずに撲殺された。
すでに事切れた親父・・・・なのにお袋は、虫でも叩き潰すかのごとく、何度も灰皿を振り下ろした。
そしてふと我に返ったのか、俺を見てこう言った。
『今からこれどっかに捨てに行こ。』
恐怖で動けなかった俺だが、パチンと頭の中で何かが切れた。
『誰にも言うたらアカンで。アンタが不幸になる。お母さんはええけど、アンタを守りたいんや。』
どうしよもないクズ・・・・切れた頭の中で、さらにブチっと音がした。
気がつけば、お袋の手から灰皿を奪っていた。
そして今度は俺が・・・・、
『やめて達治!なんでお母さんにひどいことすんの!!』
『酷いことしたんはお前じゃろうがあああああ!!』
何度も灰皿を振り下ろし、最後は首を絞めた。
いや・・・その前に殴ったのだ。
親父が味わっていた苦しみを、このクズにも味あわせてやろうと思って・・・・。
呻くお袋・・・・中学に上がったばかりの俺だったが、キレたら子供でもそれなりの力が出るものだと、後になってふと思った。
顔の形が変わるほど殴り続け、最後は首を絞めた。
『やめて・・・・。』
それが最後の言葉だった。
そのセリフ、何度親父が口にしたことか。
その度に嬉しそうに殴っていたクズは、どこのどいつか?
『死ねやお前。』
殺意が数倍に沸いた。
俺に全てを与えてくれたのは親父だった。
飯も、服も、遊びも、話し相手も。
その全てだった親父を奪ったのがお袋だ。
『お前を親やと思ったことなんかいっぺんもないわ。』
体重をかけて、殺すつもりで首を絞めた。
ものの数分でお袋はこの世を去った。
当然のことながら、俺は警察に捕まった。
未成年による犯行、目の前で父を殺されての逆上、そしてあのクズのどうしようもない悪行。
色んなことが重なって、実刑は下らなかった。
それどころか、俺の家庭内の事情が明るみになったことで、同情の目を向けてくれる人もいた。
しかし・・・・それは大人からのもの。
同年代の子供はなかなかに残酷だった。
父方の祖父母にもらわれた俺は、新たな学校へ通うことになった。
そこで待っていたのは過酷なイジメ。
今のようにインターネットなんてないが、噂はどうにでも広まる。
転校初日から俺の犯した罪はバレていて、不良どもが絡んできた。
最初は簡単なからかいだったが、そういったイタズラに歯止めが効かないのが子供というもの。
特に思春期の中学生は残酷だ。
どんな学校にもいちびった奴はいて、不良に乗っかって俺を虐める奴らが現れた。
さらに女も敵に回った。
『お母さんを殺すなんて可哀想』
そう呟いた女子に、俺は食ってかかった。
『知ったことぬかすなや!お前が俺の家の何を知っとんじゃ!』
その女子、俺とは反対に、親父の暴力に悩まされていたらしい。
すぐに母に手を上げるし、時には娘にも。
その子の事情を知っていた周りの女子は、途端に敵に回った。
となれば多勢に無勢というもので、クラスに俺の味方は一人もいなくなった。
しかもその時の担任もこれまたクズで、生徒に混じってイジメを仕掛けてくる始末。
『母親を殺すような奴こそクズです』
あのクズによく似た陰険なババアだった。
・・・・ある時、学校の帰り道で、不良どもが待ち伏せをしていた。
最初は金を要求されたが、奴らが満足するだけの金額を、俺は持っていなかった。
『ちょっと来いや。』
人気のない所へ引っ張られて、家から取ってこいと脅された。
その瞬間、親父のことがフラッシュバックした。
《抵抗せえへんかったら、いつまでも虐められる。最後は殺されるかも・・・・。》
俺は『誰が持ってくるか』と突っぱねた。
いきりたつ不良。
ここで一発かましておくべきだと、目の前の奴の胸ぐらを掴んだ。
しかし・・・・それがいけなかった。
『なんやお前?』
すごまれ、次の瞬間には頬に痛みが走った。
次に腹、鼻面と続き、雨あられと踏みつけられた。
その日を境に、イジメは激しさを増した。
不良が、その取り巻きが、女子の一部が、徹底的に俺をいじめ抜いた。
拳、蹴り、言葉の暴力、机の上の花瓶や、泥だらけの靴。
ばあちゃんが作ってくれた弁当はゴミ箱へ。
教科書は落書きされて、ノートは燃やされる。
もちろん金も要求された。
そして担任はあのクズに似たババア。
俺を助けるなどあり得ない。
この時の俺は、お袋に殴られる親父と同じ状態になっていた。
《なんでや・・・・なんで俺がこんな目に遭わなアカンねん・・・・。》
全てはあのお袋のせい。
もう一度殺してやりたくなったが、死人を殺すことは出来ない。
もうどうしようもなく追い詰められて、自殺を考えた。
《どうせこのままやったら殺されるんやし・・・・。》
誰かに殺られるくらいだったら、自ら死のうと決めた。
じいちゃんとばあちゃんには迷惑を掛けたくないので、家では出来ない。
拙い文章で遺言を残し、ロープ片手に学校へ向かった。
『ただでは死なへん。自殺と復讐と両方やったるねん。』
ポケットには俺をいじめた奴らの名前を書いた、メモ帳が入っている。
生徒だけでなく、あの担任も。
その日は日曜、今ほど学内への出入りが厳しくない時代なので、教師の目を盗んで入ることは簡単だった。
自分の教室へ行き、グランドを見下ろす。
サッカー部と陸上部が練習をしていて、そこには俺をいじめた奴らが数人混じっている。
『見とけよお前ら。』
俺がここで死ねば、必ず大きな問題になる。
ポケットの手帳には、自殺へ追い込んだ奴らの名前が書かれているのだから。
新聞やテレビで流れるかなと、期待を込めながら準備を進めた。
黒板の横には、数学などで使う大きな三角定規がぶら下がったフックがある。
俺は定規を外し、そこにロープを結んだ。
椅子の上に立ち、先っぽに作っておいた輪っかを、しっかりと首に掛けた。
『確か動脈の辺りやったな。』
以前に見たサスペンスドラマの知識、それを思い出して、確実に死ねる場所にロープを引っ掛ける。
あとは椅子さえ蹴飛ばせば完了だ。
『死んだらどうなるんやろ・・・・親父に会えるかな?』
いつだって聖人君子だった親父。
そのせいで抵抗することもなく殺されたわけだが、そのおかげで天国へ行っているはずだ。
俺は天国へ行けるだろうか?
それともお袋を殺してしまったのだから、あのクズと同じ地獄へ行くんだろうか?
こればっかりは死んでみたいと分からなかった。
『細かいこと考えるのやめよ。死ぬ気が失せる。』
ここまで来たのだから、迷いはダメだ。
この命をもって、俺をいじめた奴らに復讐しないと。
余計な考えを振り払い、ふうっと息をつく。
不思議と怖さはなかった。
きっと人生に絶望していたからだろう。
いや・・・もしかしたら、命の尊さに気づいていなかっただけかもしれない。
理由はどうあれ、俺は俺のことを殺そうとしていた。
しかし・・・・、
『何やってんだ?』
急に誰かがやってくる。
ガラガラとドアを開け、教室へ踏み込んできた。
『登和君?』
メガネを掛けた若い男だった。
死のうと思っていた思考が、一瞬で停止する。
向こうもギョッと固まっていた。
『・・・・ダメだよ自殺は。』
『・・・・・・・。』
『ちょっと話しよ、な?』
削がれた気概は、そう簡単には復活しない。
死のうと思っていたのに、人に話しかけられただけで死ねなくなっていた。
『俺でよかったら相談に乗るから。』
男はフックに引っ掛けたロープを外す。
俺を見るその目は、どこか親父に似ていた。
『誰にも言わない。心配するな。』
何を・・・・?と思った。
自殺しようとしていたことか?
それともイジメのことか?
首にロープを巻いたまま、ポケットのメモ帳を押さえていた。

 

新しい小説

  • 2017.09.01 Friday
  • 09:14

JUGEMテーマ:自作小説

明日から新しい小説を載せます。

「風のない夜」という小説です。

叶わない夢を抱えて、家族まで捨てて、15年も車で寝泊まりしているおじさんの話です。

よかったら読んでやって下さい。

 

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