蝶の咲く木 第二十九話 泥の中で笑う(1)

  • 2018.02.03 Saturday
  • 11:16

JUGEMテーマ:自作小説

核シェルターっていうのは、その名の通り核兵器から身を護る為にあるはずだ。
だったらどうしてこんなに揺れて・・・・。
私は優馬を抱きながら、彼女と寄り添って恐怖に耐えていた。
・・・さっきから部屋が揺れている・・・。
まるで巨人にでも踏みつけられたみたいに・・・・。
「炸裂したんだ・・・・。」
彼女が呟く。
娘が蝶となって去ってから、さっきまで何も喋らなかった。
石像かと思うほど、表情さえも見せなかった。
それが今、「怖い・・・」と漏らした。
私は天井の隅っこに目をやる。
そこには小さなスピーカーがぶら下がっていた。
数分前、あそこからこんな放送があった。
『基地から約20キロ先に、正体不明の巨大生物が出現しました。こちらに向かっています。
通常兵器での効果が薄い為、核による攻撃を行います。
ここは核シェルターです。核戦争時でも耐えられる造りになっています。ここに避難している限りは安全です。』
そう放送が響いてのち、グラグラと部屋が揺れた。
きっと核ミサイルが落ちたに違いないんだろう・・・・。
私も彼女も、これで終わりにしてくれと願う。
いったいどんな敵が現れたのか知らないけど、こんな状況が続くなんて耐えられない。
こんな所に押し込められて、ただでさえ不安で堪らないのに・・・・。
二人で手を握り合い、一刻も早くこんな状況が終わることを望んでいた。
《正体不明の巨大生物ってなによ!どっかの国と戦争してるんじゃないの?》
去年の夏に見たシン・ゴジラを思い出す。
私はああいうのに興味がないんだけど、夫が大好きなので連れて行かれる羽目になった。
まあ面白かったからいいんだけど、もし・・・もしもあんな生き物が上陸してきたら?
《巨大生物って、まさかああいうのじゃないわよね・・・・。》
映画の中では核を使おうとしてたけど、まさか本当にあんな怪獣みたいなのがやって来たんだろうか?
良くない妄想が加速して、余計に不安になる。
唯一の救いは優馬の存在だ。
腕に抱いたこの子・・・この子がいるおかげで、どうにか冷静さを保っていられる。
《まったく映画じゃあるまいし、いったいなんなのよ。こんな事が現実に起きるなんて冗談じゃない。》
核だの巨大生物だの、そんなのはスクリーンの中だけで充分だ。
核は人間が作ったものだけど、巨大生物ってなに?
いったいどこの世界にそんな非常識なもんが・・・・、
「・・・あれ?もしかして・・・、」
ふと閃くことがあった。
そう、私はつい最近に非常識なことを体験しているのだ。
ていうかついさっきも・・・・。
「子供の国が降りてきたんだ・・・それしか考えられない。」
核シェルターなんてもんに避難させられたもんだから、戦争ということしか頭になかった。
でもきっと違う。
外がおかしなことになってるのは、絶対にアイツのせいだ。
「ヴェヴェ・・・地球を侵略しにきたんだ。」
それなら納得がいく。
核を使ってるのは巨大生物を焼く為だ。
その巨大生物っていうのは、あの巨木のことなんだろう。
《ああ、最悪・・・・これって戦争より悪い状況なんじゃないの?》
誰に問いかけるでもないけど、どうか夢であってほしいと思った。
不安は張り裂けそうで、一言でもいいから喚きたい。
押し殺していた感情も、もう限界に近いから・・・・と、また放送があった。
『一度目の攻撃で巨大生物を駆除できず。二度目の投下を行います。揺れに注意して下さい。』
またやるの?・・・・・と、絶望の中に叩き落とされる。
気がつけば立ち上がっていて、「ふざけんな!」と怒鳴った。
「二度もあんなもん落とすんじゃないわよ!一発で仕留めろ!」
大声で怒鳴ったので、優馬も彼女もビクっと怯えていた。
だけどもう止まらない。
堰を切ったように不安が溢れ出した。
「なんなのよいったい!どうしてこんな目に遭わないといけないの?怖いんだから!ほんと怖いんだから・・・・、」
泣きそうになって、グッと歯を食いしばる。
それでも溢れる感情は止まらない。
子供に聞かせられないような暴言を喚き散らし、「さっさと終わらせてよ!」と座り込んだ。
「外に出たい・・・家に帰りたいの!」
いったいこんな状況がいつまで続くのか?
考えただけでも嫌になってくる。
彼女が慰めるように手を重ねてくるけど、そんなのなんの慰めにもならなかった。
「・・・・・・・。」
いつもと違う私に、優馬が怯えている。
ごめんね・・・と言おうとしても、とてもそんな言葉は出てこない。
怖いのは自分だけじゃないと分かっている。
分かっているけど、悲しいような腹立たしいような気持ちは抑えられなかった。
・・・・その数分後、また部屋が揺れた。
二発目が落とされたんだろう。
核兵器を二度も使わないと倒せないなんて、ほんとにゴジラがやって来たのかなと、本気で考えてしまった。
しばらく揺れが続いてから、またスピーカーが鳴る。
今度はカタコトの日本語だ。
そういえばここは米軍基地だったなと、ぼんやりと思い出した。
「・・・・訛りが強すぎて何言ってんのか分からない。」
放送の内容はハッキリと聞き取れなかった。
でも二つ、耳に届いた単語がある。
チョウ、そしてガ。
この二つだけやけにアクセントが強かった。
《チョウってなによ?ガってなによ?もしかして虫のこと?まさかモスラでも来たんじゃないでしょうね。》
ゴジラの映画を見に言った帰り、夫がこう話していた。
モスラは良い怪獣で、ゴジラから人類を守ってくれると。
だったら攻撃しない方がいいんじゃないか?
・・・・なんて思ってしまって、《もう私も来るところまで来てるな》と笑ってしまった。
こんなおかしな状況の中、夫の妄想癖がうつってしまったらしい。
けどまあ・・・ほんとにモスラなら歓迎だ。
ていうかなんでもいい。
ウルトラマンでもスーパーマンでもいいから、私と優馬を家に帰してくれるなら誰でも・・・・、
・・・なんて思った瞬間、今までにないほど部屋が揺れた。
大きな地鳴りが響き、それと共に大地震のような揺れが・・・・、
「いやああああ!」
彼女がパニックになる。
当たり前だ、私だって叫びたい。
だって部屋の中のものが次々に倒れ、天井や床にはヒビまで走った。
電気まで消えてしまって、暗闇のなかで大地震に耐えているような恐怖だ。
《なんなのよもう!ほんといい加減にして!!》
私、優馬、彼女は団子みたいに身を寄せ合う。
座っていた椅子さえも倒れそうで、「床に!」と彼女の手を引いてしゃがみこんだ。
・・・大きな揺れはまだ続く。
《何?まさかこんな時に南海トラフ?》なんて想像してしまったけど、そうじゃないってことがすぐに分かった。
なぜなら天井から光が射してきたからだ。
停電が直ったのかと思ったけど、そうじゃない。
見上げた頭上、そこには夕暮れの空が広がっていた。
意味が分からない・・・どうして空が見えるんだろう?
だってここは核シェルターで、核戦争にだって耐えられるはずで・・・・、
「燃えてる・・・・。」
彼女が呟く。
放心したような顔で、空に向かって「燃えてる・・・」と。
何が?と思ったけど、すぐにその意味を理解した。
・・・・そう、燃えていたのだ。
空が夕暮れなのは、夕暮れだからじゃない。
燃えているんだ・・・・遠くで巨大な火柱が・・・・。
《あれってキノコ雲?》
直に見たことはないけど、映像でなら何度も見た。
学校の授業で、映画の中で、テレビの中で・・・・・。
空にも届く炎の雲が、空を焼いていたらから赤く染まっていたんだ。
《なにが安全よ・・・・吹き飛んでんじゃない。》
きっと三度目の核が落ちたに違いない。
その衝撃に耐え切れずに、このシェルターは壊れてしまったんだ。
もし次に落ちたらみんな死ぬ。
私も優馬も彼女も・・・・。
ううん、ここに避難している人みんなが死ぬ。
《もう終わりじゃん・・・・。》
足元から力が抜けて、優馬を抱く腕だけがかろうじて力んでいる。
果たしてゴジラはいるのか?それともモスラ?
現実も妄想もごっちゃになって、もうなんでもいいやとばかりに、燃える空を睨んでいた。
すると焼ける空の中に、奇妙なものが見えた。
《ああ・・・・なんてこと。》
どうやら本当にモスラが来たらしい。
だって・・・・赤い空をバックに、とんでもなく大きな蝶が飛んでいたからだ。
あれ?モスラって蝶だっけ?
まあどっちでもいい。
とにかく巨大な虫が空を飛んでいる。
そして・・・・、
「ウソでしょ・・・・。」
遠くに見える核の火柱・・・その中からもう一匹モスラが出てきたのだ。
そいつの周りには、七色のような金色のような銀色のような、不思議な光が満ちていた。
そのせいか知らないけど、核の火柱の中から、まったく燃えることなく現れた。
《ほんとに怪獣が・・・・・。》
もう言葉が出ない。
核爆弾に二匹のモスラ。
ああ・・・どうか夢であってくれれば・・・・、
そう思った瞬間、空から眩い光が走った。
《あ・・・・、》
何もかもが真っ白に染まる。
落ちた・・・・と思った。
四度目の核爆弾が・・・・。
《終わった・・・みんな死んだ・・・・。》
怖いという感情よりも、「ごめん」という思いが勝った。
優馬に、そして夫に。
《ごめん・・・お父さん、優馬を守れなかった。》
何もかも終わる。
きっとこんな風に、世界じゅうに核が落っこちて、全てを焼き払ってしまうのだ。
例え子供の国を倒しても、地球から生き物がいなくなるだろう。
勝者は誰もいなくて、どっちも完全に滅んでしまうのだ。
もう何もかも・・・・・、
・・・・・・
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・あれ?いつまで生きてんだ私は?
光が走ってから10秒くらいは経っているはずだ。
なのに私は生きている。
・・・いや、これって死んでるのか?
核が炸裂した瞬間、私はあの世へ旅立ったのかも・・・・。
そうだ、きっとそうに違いない。
だってほら、真っ白な景色の中に、大きは羽が見える。
まるで天使のように・・・・、
・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・違う。
あれは違う!天使なんかじゃない!
だってあの羽の形は・・・・・、
『子供。』
頭上からエコーのかかった声がする。
不気味で、恐ろしくて、背筋が凍るようなこの声は・・・・、
『ここにも子供がいるのね。』
真っ白に輝く景色の中、うっすらと巨大な蝶のシルエットが浮かんでいる。
そいつは核シェルターに覆いかぶさるようにして、私たちを見下ろしていた。
『ひどい大人たち。子供を犠牲にしてまで核を落とすなんて。』
・・・ゆっくりと光が消えていく。
それと同時に、巨大な蝶の姿が露わになった。
「ヴェヴェ・・・・。」
私たちのすぐ傍に奴の顔がある。
この部屋よりも大きな二つの目、何十メートルもありそうな長い触覚。
全身には針のような毛が生えていて、まるで槍のように太かった。
《なんて大きさ・・・・・。》
羽を広げると、間近では端から端まで見えない。
でも間違いない、こいつはヴェヴェだ。
『可愛い子供、一緒に私の国へ行きましょ。』
そう言って羽から糸を伸ばしてくる。
私は咄嗟に『ダメ!』と庇った。
「この子は渡さないわよ!」
両腕でしっかりと抱いて、背中を向ける。
『大人はいらない。子供だけでいい。』
「この子は私の子よ!」
『大人はみんな死ぬわ。その子を私に預けなさい。』
「ふざけんじゃないわよ!誰が宇宙人に自分の子供を渡すか!」
『私がどうこうしなくても、このままじゃその子は死ぬわ。さっきみたいに核を落とされてね。』
「どうして・・・なんでこんな状況で落とすの?まだ人がいるのに・・・、」
『それが大人じゃない。目的の為なら手段を選ばない。あなたも大人なら分かるでしょ?』
「分かるわけないでしょ!みんながみんな大人がそんなことするわけ・・・・、」
『でも次が来るわ。』
ヴェヴェは空を見上げる。
先ほど落ちた核は、真っ赤な火球をたくわえながら、キノコ雲となって空へと昇っていた。
呆然とそれを見上げていると、また眩い閃光が走って・・・・、
《もうやめて!》
私はどうなってもいい・・・どうかこの子だけは・・・・・。
『大丈夫、その子は死なない。』
目を閉じ、背中を向けた私に、何かが触れてくる。
そいつは腕の中に入り込んで、強引に優馬を奪い取った。
「やめてよ!!」
離れていく優馬に手を伸ばす。
だけどまだ閃光が走っていて、辺りがよく見えない。
「優馬!」
悲鳴みたいな叫びが出て、「返してよ!」と喚いた。
すると「ここ!」と声が響いた。
「ここです!優馬君!!」
彼女の声だ。
私の腕を掴み、「ここ!」と引っ張る。
彼女の手に誘導されて、私はついに優馬を捕まえた。
《絶対離すか!》
掴んでいるのは足だと思う。
その足はどんどん上にのぼって、私から優馬を奪おうとする。
《離さない!ぜったい・・・・、》
私とは別に手が伸びてきて、彼女も一緒に引っ張ってくれる。
光がじょじょにおさまってきたから、だんだんと優馬の姿が見えるようになってきた。
「うそ・・・・。」
我が目を疑う。
優馬は優馬ではなくなりつつあった。
あちこちに白い糸が巻きついて、蝶へと変わろうとしている。
「やめてってば!」
思いっきり糸を引っ張るが、まったくビクともしない。
「お願いやめて!」
きっと私の顔は引きつっているだろう。
怒ってんだか焦ってんだか分からない声が出て、自分でもわけも分からないことを喚いていた。
すると彼女が「亜子を返して!」と叫んだ。
「私の娘を返してよ!!」
・・・そうだった、彼女もまた子供を奪われたんだった。
あれは間違いなくヴェヴェの仕業だろう。
どうやったのか知らないけど、絶対にこいつのせいに決まってる。
「あんた!どうして子供をさらうのよ!子供が大事ならなんでそんなことするの!?」
『ここにいたら死ぬから。子供の国へ連れて行くわ。』
そう言って巨大な羽を広げると、私はまた言葉を失ってしまった。
「あんた・・・頭おかしいんじゃない・・・・。」
ヴェヴェが奪おうとしていたのは、優馬だけじゃなかった。
大きく羽を広げた下には、何十人もの子供が糸に巻かれていた。
「・・・・・・・・。」
呆気に取られたせいで、ほんの一瞬だけ力が抜ける。
彼女が「離さないで!」と叫んだ。
「優馬君が連れて行かれる!」
「・・・・・・・・。」
「子供がいなくなるってめちゃくちゃ辛いのよ!絶対に離しちゃだめ!」
「・・・・・分かってる。分かってるよ・・・・。」
そう、そんなことは分かっている。
だけどもう・・・優馬は・・・・、
『子供はみんな私の仲間。一緒に子供の国へ行きましょう。』
蝶は羽ばたく、突風のような風を巻き起こしながら・・・・。
全ての子供は蝶に変わってしまった。
もちろん優馬も・・・・。
気がつけば、私の他にも叫んでいる人たちがいた。
みんな子供を返せと言っている。
《・・・あいつが壊したんだ、このシェルターを。》
ヴェヴェの羽ばたきは嵐のような風を巻き起こす。
その風に乗って、大きな身体がふわりと浮いた。
「待てよお!」
彼女が追いかけるが、届くわけがない。
「亜子を返して!」
遠ざかるヴェヴェに吠えかかる。
「一度は返してくれたでしょ!なんでまたさらうのよ!」
そう叫ぶと、ヴェヴェは意外な答えを返してきた。
『亜子はさらってないわ。』
「うそ!だって蝶になって・・・・、」
『一度地球へ返した子供はさらってない。』
「じゃあなんで蝶になって飛んでったの!」
『それは蝶じゃない、蛾よ。』
「は・・・?」
『私以外にもう一匹いるでしょ、大きな虫が。』
そう言って、長い触覚をあさっての方へ向ける。
その先にはもう一匹の巨大な虫が飛んでいた。
『あいつが犯人、取り戻したいならあいつに言って。』
「そんな・・・、」
『もうじきまた核が飛んでくる。ここにいる大人はみんな死ぬわ。』
エコーのかかった笑い声を響かせながら、巨体を翻す。
一度、二度とと羽ばたいて、ジェット機よりも早く飛び去ってしまった。
「・・・・・・・・。」
ヴェヴェが飛んだあとには、不思議な色の光が伸びていた。
まるで光芒のように・・・・。
「亜子・・・・。」
彼女は愕然と膝をつく。
私は落ち込む元気さえなくて、ヴェヴェが去った空を睨んでいるだけだった。
《なに・・・なんなのよ・・・。》
いきなり優馬がいなくなってしまった。
せっかくもう一人の優馬が出ていってくれたのに。
希望の後の絶望は、絶望だけよりもよっぽど堪える。
私もへたりこみたかったけど、身体が麻痺したように動かない。
しかし自分の意志に反して、これ以上立っていることが出来なくなった。
なぜなら彼女が「危ない!」と飛びかかってきたからだ。
もう一匹の巨大な蝶が、大きな羽ばたきを起こした。
突風が襲いかかって、子供を返せと叫んでいた親たちの何人かが吹き飛ばされていった。
「・・・・ッ!」
彼女と身を寄せ合い、とにかく近くにある物にしがみつく。
大きな蝶は移動を始めていた。
向かっているのはヴェヴェの残した光芒の先。
追いかけるつもりなんだろうか?
「・・・乗せてって!私も!」
気がつけば叫んでいた。
「お願い!ヴェヴェのいる所まで連れてって!」
優馬を取り戻さないといけない。
呆然としている場合じゃない!
「お願い!あんたモスラか何かでしょ!ヴェヴェと違って良い怪獣なんでしょ?人類を守ってくれるんでしょ!!」
そんなわけないと思いつつ、そんな事であってほしかった。
しかし蝶は聞く耳をもたない。
声が届いているのかいないのか?
・・・いや、きっと無視してるんだろう。
私たちになんか構っていられないという風に、突風を起こしながら飛んでいく。
そしてその時、本日五度目の核が降ってきた。
高い空から光が降ってきて、目を空けていられなくなる。
《今度こそ死んだ・・・・。》
さっき生き延びられたのは、ヴェヴェが子供たちを守ったからだろう。
私たち大人だけだったら、とうに消し炭になっている。
だから次はない・・・・と諦めたんだけど、不幸中の幸運は続いた。
核が炸裂しても、私は死ななかった。
光がおさまり、ゆっくりと目を開けると、その理由は空にあった。
あの巨大な蝶が防いでいたのだ。
羽から不思議な光の粉をばら撒いて、それがバリアの役目を果たしている。
熱も衝撃波もここまで届かない。
不思議な光の粉が、まるで渦潮のようにうねりながら、辺りを包んでいた。
このバリアの外は真っ白で、きっと熱と衝撃波に晒されているんだろう。
「私たちを守ってくれた・・・?」
やっぱりこいつはモスラなのか?と思ったけど、どうも様子が違った。
よくよく見ると、光の粉は風に流されるように、こちらまで飛んできているだけだった。
《そうか・・・衝撃波に押されて・・・・、》
蝶はただ自分の身を守っているだけだった。
爆発の影響で、光の粉がこちらにまで飛んできているようで、だから私たちは無事なだけだった。
《あ、飛び去っていく・・・・。》
空まで伸びるキノコ雲の中を、巨大な蝶が突っ込んでいく。
黒い塊のような煙に紛れて、姿が見えなくなってしまった。
「・・・・・・・。」
蝶が去ったあとも、まだ光の粉は残っていた。
もしこれが消えてしまったら・・・・、
「逃げよ!」
立ち上がり、彼女の手を引く。
私たちのいた部屋はめちゃくちゃだけど、他のシェルターは無事かもしれない。
そう思って逃げ出すと、20メートルくらい先に、小さな蝶が飛んでいるのを見つけた。
「まだ子供が・・・・。」
あの子も子供の国へ行くつもりなんだろう。
だってふわふわと舞いながら空高くに・・・・昇っていかない?
『柚子さん!』
エコーのかかった声が響く。
女の子の声だ。
小さな蝶はこっちへ飛んできて、『柚子さん!』と叫んだ。
『なつです!』
「・・・・え?なつちゃん!?」
なんで?どうして?
そう口を開く前に、なつちゃんの後ろからたくさんの蝶が飛んできた。
そいつらは私にまとわりついて、空へと持ち上げる。
「ちょ、ちょっと!なによ!?」
『避難するんです!鱗粉が消えたらここにも熱がくるから!』
そう言って炎をたくわえるキノコ雲を睨んだ。
『早く逃げないと!円香さんもいますから。』
「旦那が!無事なの!?」
『はい。』
「・・・・・・・・。」
嬉しいのと同時に、どうしようという気持ちになる。
《優馬がさらわれたなんて・・・どう言えばいいんだろう。》
私は夫にこう言った、優馬のことは任せろと。
それがこんな有様で、いったどの面さげて会えばいいのか・・・、
困る私をお構いなしに、なつちゃんは私を運んでいく。
「・・・ちょっと待って!」
後ろを振り返り、「彼女も!」と指差した。
「一緒の部屋に避難してたの。彼女も助けて!」
『分かりました。』
群れの一部が彼女へと向かっていく。
「いやあああ!」と逃げる彼女を捕らえて、空へと運んでいった。
「平気よ、この蝶たちは味方だから!」
そう言っても聞いちゃいない。
パニックで暴れまくっている。
「なつちゃん、ここにいる人みんな助けられない?」
『無理です、もう時間がないから。』
「でも・・・・、」
『そう長くはもちません。見て下さい。』
言われて周りを見ると、光る粉は薄くなっていた。
『これが消えたら終わりです。キノコ雲の中にはまだ火球が残ってるから、一気に熱線が押し寄せます。
そうなったらこの辺りは火の海です。』
「・・・・・・・。」
飛んでいく私たちの眼下には、まだ大勢の人が残っている。
その中には誰かの名前を叫んでいる人もいる。きっと子供をさらわれたんだろう。
・・・あと少しすれば、この人たちはこの世からいなくなる。
そう思うと見ていられなかった。
辛いって気持ちと、私たちだけ助かって申し訳ないっていう思いと・・・・。
なつちゃんたちは急いで飛んでいく。
やがて光る粉のバリアを抜けて、高い空まで昇っていった。
振り返った先には何もない。
空を焼く火柱以外には何も・・・・。
強烈な光を浴びたせいか、今になって目が痛くなってくる。
瞼の裏にさえ、あの強烈な光が滲んでいた。

蝶の咲く木 第二十八話 羽化しない大人(2)

  • 2018.02.02 Friday
  • 10:28

JUGEMテーマ:自作小説

お伽話ではよく人が空を飛ぶ。
箒に跨ったり、魔法の絨毯に乗ったり。
雲のブランコなんてのもある。
幼い頃に見た絵本の世界は作り物で、いかにそれが素晴らしいものであっても、現実に体験するとは思わなかった。
思わなかったが・・・今、俺は空を飛んでいる。
蝶がちが糸で紡いだブランコに乗って。
いや、ハンモックといった方が正しいか。
頭上ではなつちゃんを筆頭に、数十匹の蝶たちが俺たちを運んでいる。
この蝶たち、身体は小さいが、力は人間よりも遥かに上だ。
そいつらが束になれば、人二人を飛ばすことなんて容易いのだろう。
糸で紡いだハンモックに揺られながら、なんともメルヘンな空旅を楽しむ・・・・わけにはいかなかった。
なぜなら眼下に広がる光景は・・・・、
「とんでもないな・・・・。」
瓦礫が散乱しているかと思えば、あたり一面更地になっている所もある。
遠くに見える鉄塔は、灼熱に晒されたかのように、途中から折れ曲がっていた。
「河井さん、これってやっぱり・・・、」
「核のせいだと思う。ほら、あそこに大きな穴が空いてる。」
河井さんの指差した先には、ブラックホールとしか形容しようのない大穴が空いていた。
「きっとあそこに根が刺さってたのよ。だからこの街も核で焼かれたんだと思う。」
「・・・今さらなんですが、放射線の影響は大丈夫なんですかね?」
「どうなんだろう?水爆って放射線はそこまで出ないって聞いたけど・・・、」
二人して不安になっていると、なつちゃんが『大丈夫です』と答えた。
『私たちの周りには強い磁場が出来るから。』
「磁場が出てると大丈夫なの?」
『強力な磁場は核反応の熱でも封じ込めるんですよ。ヴェヴェから聞いた話だけど。』
「そうなんだ・・・なら放射線も?」
『種類によっては防げます。』
「全部は無理なのか・・・。だったらやっぱり被爆するんじゃ・・・、」
『鱗粉があるから平気です。磁場で曲げられなかった放射線は、鱗粉でどうにかなるはずだから・・・と思います。』
「不安だな・・・ほんとに大丈夫なの?」
『ヴェヴェは宇宙を飛んできたんです。宇宙って放射線に晒されるから、鱗粉で身を守ってたってヴェヴェが言ってました。だから多分大丈夫かなって。』
「大丈夫であると願う・・・・。」
よく目を凝らすと、蝶の羽からわずかに鱗粉が撒かれていた。
七色にも見えるし、金にも銀にも見える不思議な色だった。
まあとにかく、被爆の心配はないのだろう・・・多分。
しかし問題は他にも・・・・、
「円香君、ほんとに大丈夫かな?」
河合さんが不安そうに言う。
俺は「さあ・・・・」と自信のない声を返した。
「行ってみないと分からないわよね・・・・。」
俺と河井さんが心配していること、それは犯人のいる街が無事かどうかってことだ。
仮に無事であっても、住民は避難している可能性が高いだろう。
「外国とか核シェルターとかに避難してたら、どうしたらいいんだろう・・・。」
「とにかく行ってみるしかないわね。」
河井さんはバッグからカメラを取り出す。
キヤノンF1という、昔のマニュアル式のカメラだ。
「あの蝶がいたらデジタル機器は使えないからね。こいつでバッチリ犯人の顔を収めてやるわ。」
勇ましく微笑んで、カチャカチャとカメラをいじっている。
それから三時間もの間、俺たちは空の上を揺られっぱなしだった。
なつちゃんいわく、もっと速く飛べるそうだけど、俺たちの身がもたないのであえてゆっくり飛んでいるとのことだった。
「ねえなつちゃん。この前みたいにさ、俺も蝶に変えてくれないかな?そうしたら速く飛んでいけるだろ?」
『やめた方がいいです。』
「どうして?」
『もし自衛隊に見つかったら攻撃されますから。』
「ああ・・・確かに。」
『それにアイツが降りてくるかもしれないし。』
「アイツ?」
『蛾です。イモムシが大人に変わったんですよ。』
それを聞いた俺は、「そう!それだよ!」よ指差した。
「いったい蛾の正体ってなんなの?」
『大人の暴力の象徴です。』
「それが分からないんだよ。あのイモムシは少年を殺した犯人が描きこんだんだろ?じゃあなんでそれが蛾に変わるのさ?」
『子供の国で成長したからですよ。養分を吸って。』
「そういやガシガシ根っこを齧ってたな。」
『あの巨木にはたくさんの栄養が詰まってるんです。なんたって子供の国のエネルギー源だから。』
「じゃあイモムシは勝手に成長しちゃったってことか?」
『本当はあの国に存在しちゃいけないものなんです。あそこは大人は入っちゃダメな世界なのに。』
「あれは大人が描いたものだもんな。そりゃ子供の世界には必要のないもんだよ。」
『そういう意味じゃなくて。』
「じゃあどういう意味?」
『あのイモムシ、大人の魂が宿ってるんです。』
「え?どういうこと?」
『最初はただの絵でした。だけどその絵を元に子供の世界を創る時、強引に大人の魂が入ってきたんです。』
「そうなの!?だってそんなのヴェヴェが許さないんじゃ・・・・。」
『もちろんヴェヴェは駆除しました。けど絵に描かれている以上、完全に消すことができなかったんです。
次から次に涌いてきて、その度にヴェヴェが駆除してきました。』
「じゃあ完全に倒すのは無理ってことか?」
『絵から消すことが出来れば、どうにか出来たかもしれません。
だけどあの絵を書き換えることが出来るのは、あの少年だけだったんです。
あの子、もう成仏しちゃったんですよね?』
「ああ、大仏の手に乗ってな。」
『じゃあもう絵を書き換えることは無理です。』
「絵を燃やすとかシュレッダーに掛けるとかしても無理なの?」
『そんなことしたって再生します。』
「そ、そうなの・・・?」
俺はカバンの中から絵を取り出す。
二枚に分かれていたあの絵、今はテープでくっつけている。
物は試しと、河井さんからライターを借りて燃やしてみた。
すると・・・・、
「マジかよ・・・・。」
燃えることは燃える。
しかし燃えた傍から再生して、瞬く間に元通りになってしまった。
「どうなってんだこれ?」
今度はビリビリに破ってみる。
しかしこれまた元に戻ってしまった。
まるでアメーバが再生するみたいに。
「手品みたいだな。」
『その絵はあの子にしかどうにも出来ないんです。例えヴェヴェでもそれだけは無理だから。』
「でも子供の国はヴェヴェが作ったんだろ?なのに無理なの?」
『無理です。』
「なんで?」
そう尋ねると、なつちゃんはしばらく沈黙してしまった。
「どうしたの?」
『ごめんなさい・・・・。』
「何が?」
『もっと早く話せばよかったって・・・・こんな事になるなら。』
エコーのかかった声が、とても切なく響く。
どうやら彼女は何かを隠しているようだ。
いったい何を秘密にしているのか?・・・尋ねようとしたが、彼女が口を開くまで待った。
『私も意地悪な子供でした。』
「え?」
『あの国にいる子供は、みんな大人を憎んでます。』
「知ってるよ。そういう子が行く場所だ。」
『私は私を殺した大人に復讐しました。それでも憎いって気持ちは消えなかった・・・・・。
もっと生きられたのに、なんであんな奴に殺されなきゃいけないの?って、今でも殺意が湧きます。
だから完全に素直になれなくて・・・・。』
「何を隠してるのか知らないけど、俺はなつちゃんを責めたりしないよ。
大人がみんな子供の敵ってわけじゃない。少なくとも俺は、子供の敵じゃないと思ってる。
子供の悩みを受け止めるのだって大人の仕事さ。」
『分かってます。それでも大人を許せなかった・・・・・。
だけどこんな事態になって、私は後悔してます。それに・・・・、』
「それに?」
『私・・・・もう大人なんですよね。死んだのは子供の時だけど、子供の国で過ごした時間も足すと、今は成人してるはずだから。
そのせいか分からないけど、だんだんと感覚が変わってきたんです。』
「感覚が変わる?」
『子供だった頃と比べて、物の感じ方とか、考え方とかが変わってきた気がするんです。
まだ子供として生きてた頃、どんな感じだったのか、ぼんやりとしてきて・・・・。
思い出すことは出来るんだけど、それってどっか別人のことのように感じるんです。』
それを聞いて、俺はハッとした。
大人と子供、この二つは本当に同じ生き物なのか?
どこか別人のように感じてしまうその気持ちは、痛いほど理解できた。
『自分で気づかないうちに、私はもう子供じゃなくなってたのかもしれません。
・・・・よくよく考えれば、ヴェヴェを裏切ろうとした蝶たちは、私も含めてもう子供じゃなかったのかもって思うんです。
年齢的には成人してない子もいました。だけど大人と子供の違いって、年齢だけじゃありません。
考えた方とか感じ方とか、自分の知らないところでいつの間にか変わってるんです。
まるでイモムシが蝶に変わるみたいに。』
ものすごく同意できる。
けど俺は頷かなかった。
胸の内を語ろうとする彼女の気持ちを、下手な相槌で邪魔したくはなかった。
『私、もう大人なんです・・・きっと。だからもう大人のことは憎めない。
だって私自身が大人なのに、子供のフリして好き放題やってたら・・・それこそ私を殺したような大人と変わらなくなるから。』
声は静かだが、口調は怒りとも悲しみともつかない、複雑な感情が混じっているように思えた。
彼女はひと呼吸おいて続ける。
『悪い大人ばかりじゃない、良い大人だっている。頭では分かってても、心までついていかなかった。
だけど今はちょっとずつ心が追いついてる感じがするんです。
きっと大人になるって、年齢とか身体の成長とかじゃなくて、心が成長するってことなんだって。
だから・・・今なら認めることができる。私たちのやってたことは間違いだったって。』
そう言ったあと、『円香さん』と俺を振り向いた。
『誰だってきっとこうなるんだと思います。嫌でも大人になっていくんだって。
だけどそうならない大人もいるんです。もう充分大人なのに、今でもイモムシのままでいようとしたり、繭から出てこようとしない大人が。』
そう言われてギクリとした。
それ、俺のこと言ってるのかなと。
しかしなつちゃんはこう続ける。
『そういう大人が悪いのかどうか、私には分かりません。でも一つ言えることがあります。』
「なに・・・?」
『子供の殻を盾にして、大人としての責任から逃れようとしているってことです。』
「それは・・・ニートとか引きこもりのことを言ってるの?」
『違います。そんなのその人の人生だから、好きにしたらいいです。それで困ったって自業自得だから。』
「じゃあどういうことさ?」
『他人を傷つける人のことです。』
今までないほど強い口調で言い切る。
『上手くいかないと喚いたり、思い通りにならないと人や物に当たったり。子供なら仕方のないことです。
だけどもう大人になってるクセに、いつまでも子供のフリして、自分のしでかした事から逃げようとする人がいるんです。
誰かが傷ついたって構わないとか、自分がよければそれでいいとか、ちっとも責任を持たないとか。
多分これって誰にでも当てはまることなんだろうけど、その言い訳として、自分はまだ子供だからって逃げる人がいるんです。
自分のせいで人が死んでも、それを言い訳にして許されると思ってる。
例えば・・・・あの少年を殺した大人とか。』
エコーが何重にも響く。
あまりのおぞましさに、全身が泡立ってしまった。
《怒ってるのか・・・・。》
声から激しい怒りが伝わってくる。
この怒りはなつちゃんだけものじゃない。
周りにいる蝶たちも同様に・・・・・。
『円香さん。』
「え?あ・・・はい!」
ビクっと背筋が伸びてしまう。
なつちゃんは怒りに染まるように、目を赤くしていた。
『全てをお話します。』
「す、全て・・・?」
『私は今まで、心のどこかで思っていました。地球が侵略されるのは嫌だけど、子供の国にも消えてほしくないって。』
「うん・・・・。」
『でも大人になったせいか、今は違います。今は・・・地球の方が大事だって思うんです。
だってここには大人も子供いるから。子供を大事にする大人だってたくさんいるから。』
そう言ってから、なつちゃんはポツポツと語りだす。
どうして子供の国が出来たのか。
どのようにして出来ていったのか。
ヴェヴェは何者なのか。
蛾は何者なのか。
そして・・・・川原の傍にそびえる、あの大木の正体を。
全てを聞き終える頃、俺は何も言葉を発することが出来なくなっていた。
俺の隣では河井さんも固まっていた。
カメラをいじっていた手を止めて、まるで石膏のようになっている。
大人と子供、夢と現実。
対になる二つのものが、今回の全ての出来事を引き起こしていた。
絶望したくなるような内容だったが、一つだけ救いもあった。
それは上手く事を運べば、全てを無かったことに出来るかもしれないということだ。
大人と子供を入れ替えれば、そして夢と現実を入れ替えることが出来れば、それは不可能ではない。
なるほど・・・・それを行う為には、確かにあの子を殺した犯人を捕まえる必要がある。
それ以降、なつちゃんは喋らなかった。
なぜなら彼女は後悔していたからだ。
大人になった今、過去を振り返って、子供時代とは違う答えが見えてきたから。
大人と子供では感じ方が違う、考え方も、見え方も、行動も違う。
大人になった彼女の決断は、ある意味では子供の敵に回ることを意味していた。
しかしそれは、結果的に子供を救うことに繋がるはずだ。
自らの過ちを清算するには、罪滅ぼしをするしかない。
それを成し遂げるまで言い訳はしないと、その為に黙っているのだろう。
・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・。
長い沈黙が続いた。
俺も河井さんも口を開かない。
糸で紡いだハンモックに揺られながら、どうか犯人を捕まえらえますようにと願っていた。
・・・やがてなつちゃんが『マズいかも』と呟いた。
『30キロくらい先に戦車がいます。』
「ほんとに?」
『戦闘ヘリも。』
「じゃあ俺たち狙われるんじゃ・・・、」
『戦ってるみたいです。』
「戦う?」
『蝶の群れと。』
「ええ!それヤバいんじゃ・・・・、」
『直進するとマズいから迂回します。』
そう言って左へと旋回し、さらに高度も上げた。
「寒い・・・・。」
上空には冷たい空気が流れていて、身体が震えてくる。
飛び立つ前に調達した防寒着も、まるで役に立たなかった。
見ると河井さんも震えている。
粗相をしたスーツの代わりに、暖かそうなズボンを穿いているのに。
「ちょっと、そんなとこジロジロ見ないでくれる?」
「いや、また粗相をするんじゃないかと・・・、」
「蹴落とそうか?」
「冗談です、すいません。」
「誰のせいでああなったと思ってんだか・・・・。誰にも言わないでよ。」
「もちろんですよ。だけどこの寒さ・・・・ちょっとキツイですね。」
もうちょっと低く飛んでもらえないもんかと、「なつちゃん」と呼びかけた。
すると『アレを見て下さい』と、遠い空を指差した。
「どうしたの?」
『核ミサイルの弾頭が落ちていきます。』
「え!どこ!?」
『すごい遠くに小さな粒が見えるはずです。』
言われて目を凝らすと、確かに何かが飛んでいく様子が見えた。
「あれが核ミサイル・・・・。」
まさかこの目でこんな光景を見るとは思わなかった。
遠い遠い空を落ちていく黒い物体は、きっと巨木の根を焼き払うつもりなのだろう。
俺は空を見渡した。
しかしどこにも根っこのような物はない。
「変だな・・・・。」
あの根っこは山のようにデカイ。
ミサイルがこの目で見えるなら、もっと大きな根っこだって見えるはずなんだけど・・・・、
頭上を見ても、ここら辺の空は根に覆われていない。
ならどうして核ミサイルなんか・・・・、
「・・・・ていうかあれが炸裂したら、ここまで吹き飛ぶんじゃ・・・、」
『大丈夫です。けっこう遠くに向かってるみたいだから。』
「いや、でも核だぞ?遠くで爆発しても、ここまで巻き込まれるんじゃないのか?」
『あの高さなら、爆発するのはもっともっと遠くの方だと思います。
それだけ離れてるなら、熱と放射線は防げるはずです。』
「磁場と鱗粉で?」
『ええ。』
「でも爆風は無理だろ?」
『この距離なら・・・・多分防げるかな。思いっきり羽ばたけば。』
「なんか不安だなあ・・・・・。」
俺と河井さんは身を寄せ合う。
もうじき核が炸裂する。
そう思うと、二人して身を固めるしかなかった。
怖い・・・という感情以外に湧いてこず、気がつけば互いの腕を強く握って、無事を祈っていた。
『あ、光は防げないので直視しないで下さい。できれば目を閉じていた方が・・・・、」
そう忠告されるも、彼女が言い終える前に、眩い閃光が走った。
遠く遠く、遥か彼方の地平線から、怒涛の光が押し寄せる。
『見ないで!』
なつちゃんが叫ぶ前に、俺は目を閉じていた。
こんな光は耐えられない・・・・。
太陽を直視したってこんなに眩しくは・・・・、
しかし襲いかかってくるのは光だけではなかった。
まるで地震がくる前のような、重々しい地鳴りが響いたのだ。
その直後、雷鳴を何重にも重ねたような、腹の底まで震えるような轟音が響いた。
《怖い!》
もうそれ以外に頭になかった。
死にたくないとか、誰か助けてくれとか、そんな感じじゃない。
ただただ怖いという感情だけが・・・・、
しかしまだ終わらない。
突如、周りに凄まじい風が吹き荒れた。
「うおおおお!」
「死ぬうううう!」
河井さんと抱き合い、必死に糸のハンモックにしがみつく。
核爆弾の衝撃波が押し寄せたのだ。
・・・そう思っていたのだが、どうも様子が違った。
強い風は急におさまって、四方八方から獣が鳴いているかのような音が響いてくる。
例えるなら・・・そう、竜巻の中にでもいるような・・・・。
《これ、もしかして・・・・、》
怖い・・・怖いけど、それを堪えて目を開ける。
すると蝶たちが俺と河井さんを囲って、必死に羽ばたいていた。
その羽ばたきは大きな気流を生み、まんま竜巻のように渦巻いていた。
「なつちゃん・・・・。」
頭上を見ると、彼女も羽ばたいている。
『動かさないで下さい。風の壁を作って、衝撃波を防いでるんです。』
目に見えないほど高速で羽ばたいて、これでもかと風を掻き乱している。
人間よりずっと小さな身体をしているのに、どこにあんなパワーが宿っているんだろう・・・なんて、また余計なことを考えてしまった。
「円香君、あれ・・・・。」
河井さんが腕を引く。
彼女が指さした方を見ると、そこには日本人なら歴史の授業で見せられたであろう、あの巨大な雲がそびえていた。
「キノコ雲・・・・。」
地上から全てを吸い上げるような、大きな大きなグレーの塊が昇っている。
《ありゃ雲なんてもんじゃない・・・あそこだけ火山が噴火したみたいだ・・・・。》
空を刺すほどの不気味で巨大な塊。
その周りには、真っ白な輪っか状の雲が掛かっている。
キノコ雲はその輪っかの中を、さらに昇っていった。
目を凝らすと、雲の中に赤く光るものが見える。
恐らく火球だろう。
雲が昇っていくにつれて、その姿がハッキリと見えた。
《まるで太陽だ・・・・。》
地平の向こうに輝く、半円球の火球。
・・・いつだったか、幼い頃に見たテレビでこう言っていた。
あれはそう・・・「たけしの万物創世記」っていう、科学をテーマにした番組だ。
好きでよく見ていたのだが、一度武器の歴史をテーマにやっていた。
その中でもちろん核兵器も登場した。
あの時のナレーションは今でも覚えている。
核が炸裂する映像に、こんな言葉を添えていた。
『人は小さな太陽を生み出せるようになったのだ。』
これは物の例えじゃない。
本当のことなのだ。
核兵器も太陽も原理は同じだ。
核分裂や核融合といった反応を繰り返し、普通の爆弾ではありえないほどのパワーを生み出している。
・・・立ち上るキノコ雲・・・・地平を焼く小さな太陽・・・・。
人が生み出したこの力、果たしてすごい事なのか?それとも恐ろしいことなのか?
俺には後者にしか思えなかった。
《人間が太陽を・・・・。》
規模は違えど、あれは紛うことなき太陽だ・・・・そう思った。
俺も河井さんも言葉を失くす。
知識はある、映像で見たこともある。
しかしそれがなんだ・・・・こうして目の当たりにすると、あんなもん・・・・。
「地球に人が住めなくなる・・・・・。」
巨木を焼き払うのに、あの太陽を幾つも生み出したらどうなるか?
そりゃ地球だって砂漠になるだろう。
「やっぱりダメだ・・・これ以上戦い続けちゃ・・・・、」
いつか見た未来の幻。
あの子は言った。
その幻は悪い方へ転がった、最悪の未来だと。
火球は形を崩しながら、キノコ雲に混じって、赤い火柱と化していく。
天を突く炎の柱。
それは巨木の根よりも恐ろしい、悪魔の微笑みに見えた。

蝶の咲く木 第二十七話 羽化しない大人(1)

  • 2018.02.01 Thursday
  • 14:24

JUGEMテーマ:自作小説

「円香君!円香君!」
誰かが俺を呼んでいる・・・・。
この声は・・・・・、
「円香君!分かる?」
そう、この声は河井さんだ。
「分かる?」
声に続いて、ぼんやりと河井さんの顔が見える。
視界は土砂降りの空のように歪んでいるが、それでもどうにか光は飛び込んでくる。
俺は「ここ・・・天国ですか?」と尋ねた。
「違うよ、病院!野戦病院!」
「は?野戦・・・・・、」
「自衛隊のヘリでここまで運ばれてきたのよ、円香君!あの川原の傍で死にかけてたから。」
「・・・・・ああ、そうだった・・・。どこにも逃げ場がなくて・・・空から戦闘機が落ちてきて・・・・、」
そうだ・・・じょじょに思い出してきた。
俺はあの川原を逃げていたんだ。
坊さんが命懸けで逃がしてくれた。
あのあと、空を覆う巨木に絶望しながら、逃げ場のない街を走っていたんだっけ。
そこに撃墜された戦闘機が落っこちてきて、川の傍で爆発したんだ。
俺はその爆風で飛ばされて・・・・そこから意識がない。
「・・・俺・・・まだ生きてるんですね・・・。」
「そうよ、命に別状はないし、そこまで大きな怪我もしてないってお医者さんが。頭を打って気絶してただけだって。」
「そうですか・・・まだ生きてますか・・・・。」
命が助かったことは嬉しい。
しかし素直に喜べないのは、この地球が絶望的な状況になっているからだ。
「・・・あの巨木は・・・もう地球を侵略しちゃったんですか・・・?空が・・・全部覆われてたから・・・、」
「ううん、軍隊や自衛隊が戦ってる。今はギリギリの所で抑えてるみたい。」
「そうか・・・すごいな・・・あんなデカイもんを抑え込むなんて・・・、」
「核兵器を使ってるからね。普通の武器は効かないけど、核なら燃やせるみたいだから・・・、」
「なんですって!?」
背中にバネが仕掛けられたみたいに、慌てて飛び起きた。
ズキっと背骨が痛んだが、そんな痛みなんて屁でもないほどに焦った。
「ダメですよ核は!あんなもん使ったら人が住めなくなる!」
「そうだけど・・・それしかないじゃない。核兵器に頼るしか方法がないんだから。」
「だって砂漠になっちゃうんですよ!どこもかしこも!」
「ちょっと落ち着いて。さっきまで気絶してたんだから。」
河井さんはまだ寝ているように言うが、俺は無理にでも立ち上がった。
「円香君!」
「俺は見たんです!最悪の未来を!」
「何言ってるの・・・・?」
河井さんはキョトンとする。
心配そうな顔で「頭打ったせいで混乱してるんじゃ・・・」と、頭に触れてきた。
「違います!核兵器を使えばそりゃ燃やせますよ。どんなにデカくても木なんだから。
でもね、奴らは死なないんです!蝶も蛾も殺せないんです!俺たちが滅んじゃうだけなんですよ!」
大声を出すと、頭がクラクラしてきた。
気絶していたせいか、足にも力が入らない。
「いいから座って。」
河井さんは俺の肩を押して、ベッドに座らせる。
そしてあの巨木が出現してから、今に至る状況を手短に説明してくれた。
まず俺は丸一日も寝ていたらしい。
その間にどんどん地球は侵略されて、日本、朝鮮半島、そして中国とロシアと東欧まで、巨大な根が広がっているとのことだった。
このままではヨーロッパやアメリカまで根が降りることは目に見えている。
だから核保有国がミサイルを撃ったのだ。
通常兵器は効かなくても(正確には効くんだけど、相手が大きすぎて効果が出にくい)、核なら焼き払うことが可能だから。
核保有国はとにかく根っこに向けて撃ちまくっているらしい。
やりすぎると地球が死の惑星に変わってしまうが、やらなければ確実に侵略されるので、仕方なしの決断だろう。
核兵器という恐ろしくも強力な武器のおかげで、どうにか根っこの侵略は食い止めている状況だ。
しかし敵はそれだけではなかった。
なんと無数の蝶たちが人を襲っているというのだ。
それも大人ばかり。
炎で焼き払ったり、雷を落としたりと、好き放題しているらしい。
しかし子供だけは攻撃の対象になっていなかった。
子供に対しては、羽から糸を出して、繭のように包んでしまうという。
そうなってしまった子供は、光る蝶に生まれ変わる。
新たな生き物に変わった子供たちは、手当たり次第に大人を殺している・・・というのが、今現在の状況だという。
蝶には通常兵器も効くらしいが、いかんせん数が多くて手こずっているらしい。
人類が勝つか?
それとも子供の国が勝つか?
戦況は五分五分の状況で、いまも各地で核が炸裂しているという。
「これが円香君が寝てた間に起きたこと。」
「・・・・要するに核戦争が起きてるってことなんですね。」
「そう。だから大勢の人が避難してる。核シェルターに避難してる人もいれば、まだ根っこが届いてないオーストラリアとか南米とかに運ばれた人もいる。
アメリカとヨーロッパは戦うのに必死で、難民の受け入れは渋ってるみたい。」
「蝶は?蝶の方はどうなんです?軍隊は負けたりしませんよね?」
「今のところは抑えてるってラジオでは言ってたけど・・・・。でもこっちはこっちで別の敵がいるのよ。」
「別の敵?」
「だってあの蝶、元は人間の子供でしょ?それを撃ち殺すなんて人道に反してるって・・・そう騒ぐ人たちがいるのよ。」
「人権団体ってやつですか?」
「そんなところね。気持ちは分かるけど、もうあれは人間の子供じゃない。手当たり次第に大人を殺しまくってるから、退治するしかないのよ。」
河井さんは苦虫を噛み潰したみたいに言う。
きっと心苦しさを感じているんだろう。
あの蝶が・・・いや、子供の国がどういう場所か知っているから。
あそこは大人のせいで苦しんだ子供たちが行く世界だ。
生前は大人に殺され、蝶に生まれ変わったあとも大人によって殺されるなんて・・・・。
いくら地球を護る為とはいえ、気持ちのいい事ではない。
「どうなるんだろう・・・これから・・・。」
ボソリと呟くと、河井さんは「あ、そうそう!」と何かを思い出した。
「円香君の家族、無事みたいよ。」
「ほ、ほんとですか!?」
「奥さんも息子さんも、核シェルターに避難してるはずよ。」
「よかったあ・・・・。それが一番心配だったんです。」
「円香君の家、近くに自衛愛の駐屯地があったでしょ。それがよかったみたい。
あそこからヘリを飛ばして、街の人のほとんどが米軍の核シェルターに運ばれたって・・・石井さんが言ってた。」
「石井さんが?」
「あの人だって記者だからね。こんな状況になっちゃ経済誌なんてやってられないでしょ。
代わりにとにかく情報を集めて、ラジオに売ったりテレビに売ったりしてるのよ。」
「こんな時まで商売ですか。どんだけ出世欲が強いんだか・・・。」
「だけどご両親の所在は分かってないみたい・・・・。円香君の実家がある街、核兵器が炸裂したから。」
「そんな!」
「あ、でもあれよ!その前に避難しているかもしれないから、まだどうなったか分からないわよ。」
「・・・・・・・。」
「・・・・そういう顔になるよね、家族のことだもん。」
河井さんの慰めはありがたいけど、核が炸裂したなんて聞いたら、とてもじゃないが落ち着いていられない。
「・・・河井さんは?」
「え?」
「河井さんのご家族は・・・・?」
「亡くなったみたい。」
あっけらかんと言う。
まったく表情を変えずに、小さく肩を竦めるだけだった。
「悲しくないんですか?」
「そう見える?」
「すいません、無理してるのかなって・・・・、」
「・・・・・・・・。」
「河井さん?」
「・・・・たぶん親はもう死んでる。妹夫婦もきっと・・・・・、」
表情はそのままだが、声色が変わっていく。
細い首が動いて、ゴクリと喉が鳴った。
「状況が状況だからかもしんないけど、なんか泣けないんだよね・・・あんまり現実感がなくて。」
「河井さん・・・・。」
「そのうち泣くのかもしんないけど、今はなんか・・・色んなもんが麻痺してる感じがする。だってねえ、これだもん。」
そう言って手を向けた先には、大勢の人がベッドに横たわっていた。
《そうか・・・ここ野戦病院なんだよな。》
まさか自分がそんな所に運ばれると葉思わなかった。
落ち着いて周りを見れば、ここもかなりの異常事態だと分かる。
運動会で使うようなテントが幾つも並び、患者の傍を医者や看護師が慌ただしく走っている。
警察もいるし自衛隊の人もいるし、災害現場のニュースでしか見たことのないような光景が広がっていた。
「ここに病院があるってことは、この街はまだ被害に遭ってないってことで・・・・、」
「ここ、会社があった近くよ。外見て。」
河井さんが手を向けた先には、俺の知ってる街並みとは違う光景が広がっていた。
ビルは瓦礫と化し、道路がヒビ割れて、倒れた電柱の線が絡み合っている。
「まさかここにも核が?」
「ううん、ここは蝶が襲ってきたの。幸い撃退出来たみたいで・・・・今は病院として使ってる。」
「もう日本に・・・安全な場所はないんですね・・・・。」
「根が張ってる場所はたくさんあるし、蝶が暴れてる所もある。けどどこもかしこも戦場ってわけじゃないわ。人間だって戦ってるんだから。」
強気に笑って、「さて」と踵を返す。
「どこか行くんですか?」
「取材。」
「は?こんな時に?」
「こんな時だからこそ。」
「河井さんも・・・石井さんみたいに出世したいんですか?」
「言ったでしょ、私はもっと大きな仕事がしたいって。不謹慎かもしんないけど・・・・今がチャンスなの。」
そう言って振り返り、「もし人間側が勝ったら、その時は私は一流のジャーナリスト」と笑った。
「ピューリッツァー賞だって夢じゃないかも。」
「・・・・そうですね、その方が河井さんらしいです。」
俺だって記者だ。三流のオカルト雑誌だけど、河井さんの気持ちは分かる。
こういう非常事態にこそ、記者ってのはある意味輝くんだから。
「俺は不謹慎とは思わないです。だって誰かがこの出来事を記録して、ちゃんと伝えないといけないから。」
河井さんは「ありがと」と頷き、俺のいるテントから出て行った。
「・・・・あ!」
大声で叫ぶと、「なに?」と振り返った。
「あの・・・青いビニールシートがありませんでしたか?」
「ビニールシート?」
「あの中に幽霊の少年の骨が入ってたんですよ!ずっと持ってたのに見当たらないから、気絶してる間にどっかいっちゃったのかなと思って。」
今さらあんな骨が何かの役に立つわけじゃない。
しかし・・・・、
「実は俺も取材に行こうかなと思ってて。」
そう言うと、河井さんは「マジ?」と呆れた。
「死ぬような目に遭ったのに。」
「気になることがあるんですよ。あの少年の幽霊、成仏にする前に謎めいたことを言い残していったんです。それを探ってみようかなって。」
「なに?」
「あの子を殺した奴を捕まえれば、もしかしたらどうにかなるかもって。」
「どうにかって・・・どうなるの?」
「分かりません。でも捕まえてみれば分かるって。」
あの子は大人への意地悪と言ってたけど、まさにその通りだ。
ヒントはありがたいけど、モヤモヤすることこの上ない。
こんな状況なら尚更に。
「もしかしたら無意味に終わるかもしれないけど、やってみようと思うんです。だったらあの骨が役に立つかなって。
遺体は立派な殺人の証拠ですから。」
ベッドから立ち上がり、「河井さん知りませんか?」と尋ねた。
「あの骨、俺と一緒に運ばれて来なかったんですか?だったらあの街に戻らないと・・・、」
「あるよ。」
言い終える前に河井さんは答える。
テントの中に戻ってきて、「亡くなった人の所に」と言った。
「亡くなった人の・・・?」
「亡くなった人は大勢いる。あの子の骨もそこにある。」
クルリと背中を向けて、「こっち」と歩き出した。
俺はフラフラした足取りで、その背中を追う。
テントを出ても負傷者は大勢いて、地面にシーツを敷いて寝かされていた。
その傍では泣いている人もいるし、放心している人もいた。
《ほんとうに戦場みたいになっちまったな・・・・。》
直視するのが辛くて、ただ河井さんの背中だけを見つめる。
彼女の足取りは早く、俺と同じくここにいたくないのかもしれない。
人が苦しむ光景を、これでもかと見せられるのだから。
「円香君。」
急に呼ばれて「はい?」と声が上ずってしまった。
「それ、私も手伝う。」
「え?」
「ていうか手伝わせて。」
足を止め、怖い顔で振り向く。
「もし犯人を捕まえてこの事態が収まるなら、私たちは事件の中心にいたってことになるわ。」
「ええ、一番大事な部分だと思います。」
「ジャーナリストとして、こんなチャンスなことってないじゃない。
上手くいけば侵略は止まって、私たちだけが真実を知ることになる。
それを記事にすれば、君だって一流の記者になれるかも。」
「いやあ・・・俺は今のままで充分で・・・、」
「もうちょっと野心を持ちなさいよ。大きなチャンスが転がってるんだから。」
「・・・河井さん、顔が笑ってますよ。」
「もうね、不謹慎だなんて思わないことにした。こういうことを命懸けでやらなきゃジャーナリストだなんて言えないもん。
私は大きな仕事がしたい。だから手伝うわ、犯人捜し。断ってもついて行くから。」
「・・・河井さんは俺の上司です。命令なら逆らえませんよ。」
そう答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。
しばらく歩いて行くと、黄色と黒の入り混じった立ち入り禁止のロープが張られていた。
その向こうはブルーシートで覆われて、中が見えない。
そして手前には何人かの警官が立っていた。
「あそこですか?」
「そう。こんな状況だからお墓なんて建てられないし、弔ってもあげられない。
だからあの向こうに安置してるの。もし戦いが終わったら、きちんと弔ってあげる為に。」
俺たちは警官に近づき、ここに身内の骨があるのだと伝えた。
警官は案外あっさりと頷いてくれて、シートをめくって「どうぞ」と手を向けた。
「ひどい・・・・。」
シートの向こうには、言葉にしがたい光景が広がっていた。
学校のグラウンドほどの広場に、ぎっしりと亡くなった人たちが敷き詰められている。
手前の方の遺体は、亡くなった人が詰められる銀色の寝袋のような物に入っていた。
しかしその奥は・・・・、
「惨いですね・・・・。」
「遺体を収容する袋が足りないの。上にかぶせる布だって・・・・。」
何百体とある遺体のうち、そのほとんどが剥き出しのまま寝かされている。
そのどれもが目も当てられないような状態だった。
真っ黒に焦げて、胎児のように丸まっている遺体。
上半身がない遺体に、頭しかない遺体もある。
中には骨に少しばかりの肉と内蔵が付いているだけの遺体まで・・・、
「あ、ここで吐いちゃダメよ。」
「・・・大丈夫です。」
「まあ偉そうに言う私も、最初は吐いちゃったんだけどね。」
「あの・・・・遺体の周りにいる人たちは・・・、」
「遺族よ。」
ぎっしりと敷き詰められた遺体の中、悲しみに暮れていたり、呆然と立ち尽くしている人がいる。
足の踏み場がないものだから、中には遺体を踏みつけている人も・・・・。
「なんでこんなことに・・・・。」
「悲しんでる場合じゃないわ。幽霊の子の骨を捜さないと。新しい遺体ほど奥にあるから・・・・、」
「いえ・・・すぐそこにあるみたいです。」
「え?どこ?」
「あそこ・・・あれ子供の骨ですよ。」
俺が指差した先には、小さな骨が丁寧に並べられていた。
どの遺体も入口からは少し離れているのに、あの子の骨だけがすぐ近くにあった。
「なんでだろう?後から入ってきた遺体なのに・・・。」
河井さんが不思議そうに呟くと「あんたらもしかして・・・」と、シートの向こうから警官が顔をのぞかせた。
「その子の親御さん?」
「え?」
「だってここにご家族がいるんでしょ?」
「・・・・はい。俺の息子が。」
嘘だけど仕方あるまい。
他人だとバレたら遺体は渡してもらえないだろうから。
警官は中へ入ってきて、なんとも言えない顔で少年の骨を見つめた。
「その子だけだよ、子供の遺体は。」
「そうなんですか?」
「死んでるのはみんな大人ばっかりだ。」
「あの蝶、大人しか襲わないんですよね?」
「蝶はな。でもこれだけの戦火なんだ。巻き添えになった子供の遺体があってもおかしくないんだが・・・・。
多分あれだな、みんな蝶に変えられちまったんだろうな。あいつら羽から糸を出して、子供を蝶にしちまうから。」
壮年の警官は「可哀想に」と嘆いた。
「あんなもんに変えられるくらいなら、死んだ方がマシだろうに。」
「そんなことは・・・、」
「分かってるよ、不謹慎だって。でも死ぬより辛いことだってあるだろう。あんな化物に変わって、人間を襲うなんてさ。」
「そうですね・・・確かに酷なことだと思います。」
「いったい何がどうなってんだか・・・。」
帽子を脱ぎ、歳の割りには黒々とした髪を撫でる。
眉間に寄った深い皺が、もう勘弁してくれとばかりに嘆いているようだった。
「あの・・・息子の骨を持って行っても?」
「いいけど・・・ここに置いといた方がいいんじゃないか?いや、そりゃ分かるよ、親としては弔ってやりたいって。
でもこんな状況じゃあなあ・・・。」
「そうだけど、せめて近くにいてほしいんです。ダメですか?」
「いいよ、お宅がそうしたいなら。」
「あの・・・じゃあこのまま持って帰っても・・・、」
「ほんとは身元確認しなきゃいけないんだけどね、こんな状況じゃどうしろって話だよ。
遺体盗んで喜ぶ奴もいないだろうし、遺族が引き取りたいならそうしてるよ。」
「ありがとうございます。じゃあ・・・・。」
少年の骨を拾い上げ、両腕に抱きしめる。
「あ、これ。」
警官はどこからかブルーシートを持ってきて、「その子が入ってたやつ」と渡してくれた。
「剥き出しのままじゃ可哀想でしょ。」
「すいません。」
この子はすでに成仏しているが、包む物があるのはありがたい。
警官はそっと手を合わせ、「迎えに来てもらってよかったな」と頷きかけた。
「たった一人の子供の遺体だったからさ。向こうに敷き詰めるのは可哀想だからここに寝かせといだんだけど・・・・親の所へ帰れてよかったよ。」
そう言い残し、警官は出て行った。
俺と河井さんは顔を見合わせ、すぐに外へと駆け出した。
「この子の骨を持って、犯人の所に行きましょう。」
「でも足がないわ、けっこう遠いんでしょ?」
「そうなんですよ。・・・自衛隊がヘリでも飛ばしてくれませんかね?」
「無理よ、戦うので精一杯だもん。けっこう撃墜されて、数も減ってるみたいだし。」
「そっか・・・どうしよう・・・。」
「車くらいならどっかにあるかもしんないけど、道路もめちゃくちゃだしね。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「警察に事情を話して、どうにか移動手段を頼んでみますか?」
「きっと信じてもらえない。」
「でも河井さん、警察にこの子のことを話してくれたんでしょ?石井さんの知り合いの署長に。」
「その警察署があった街はもう吹き飛んでる。」
「核ですか・・・?」
「ええ。ていうかその前に避難させられたのよ。空から根っこが降りてきたから。」
「参ったな・・・・。」
出鼻からくじかれてしまう。
どうにか出来ないものかと困っていると、『円香さん』と小さな声が聴こえた。
「え?」
「ん?」
河井さんがキョトンとする。
「なに?」
「今呼びました?」
「ううん。」
「じゃあさっきの声は・・・、」
『上です。』
今度はさっきよりはっきり聴こえた。
《この声・・・エコーがかかってる。てことは・・・いや、それよりもだ・・・・この声には聞き覚えがある。これはあの子の・・・・、》
『なつです。』
「やっぱり!」
慌てて上を見るが誰もいない。
「あれ?どこ?」
『ステルスを使ってるんです。姿が見えたらみんな怖がるだろうから。』
「なるほど・・・・。ていうかなつちゃんは大丈夫なの?ヴェヴェと戦ってるって聞いたけど・・・・、」
『私は平気です。仲間は大勢死んじゃったけど・・・・。』
悲しそうな声で言ってから、『それより!』と叫ぶ。
『ずっと捜してたんです。円香さんのこと。』
「俺を?どうして?」
『だってその子の骨を持ってるから。それがあればまだどうにか出来るかもしれません。』
「こいつがあればこの異常事態が終わるのか?」
『可能性はあります。私たちが運んであげますから、人気のない場所まで来て下さい。』
「わ、分かった!」
渡りに船とはこのことだ。
事情は飲み込めないが、とにかく移動手段は確保できそうだ。
「というわけです、河井さん!」
そう言って振り向くと「何が?」と首をかしげた。
「何がって・・・・蝶が運んでくれるんですよ!俺たちを。」
「ごめん・・・さっきからなに一人でブツブツ言ってるの?」
「え?聴こえてないんですか、あの子の声。」
「だからなんのこと?」
眉間に皺が寄って、どういうことか説明しろと、目で促してくる。
「と、とにかく行きましょう!歩きながら説明します。」
骨を抱えながら、戦場のような野戦病院を抜けていく。
大人と子供の国の戦い、どちらが勝っても人類に得はない。
それを打開できるなら、例えわずかな希望であってもすがるしかなかった。
病院を抜けた先は瓦礫だらけで、ほとんど人気はない。
足を止め、「実はですね・・・」と説明しようとした時、空から蝶の群れが降りてきた。
「いやああああ!」
河井さんは慌てて逃げ出す。
「大丈夫です!」と腕を掴んで、「あれは味方ですから」と言った。
「あの子たちが犯人のいる所まで連れていってくれるんです!」
「はあ?そんなわけないでしょ!殺されるわよ!」
「大丈夫ですって!あ、ちょっと・・・・河井さん!」
「命あっての仕事よ!円香君も早く逃げて!」
「河井さんってば!」
彼女の背中が遠くに去って行く。
空から降りてきたなつちゃんが、『あの人も行くんですよね?』と尋ねた。
「俺の上司なんだ。どうしても一緒に行きたいそうだから、連れ戻してもらえる?」
『いいですよ。』
蝶の群れが彼女を追いかける。
「いやああああ!死にたくない!!」
「だから味方ですって!その子はなつちゃんっていって、俺たちの味方です!前に話したでしょ!」
「誰か助けてええええええ!」
パニックを起こす河井さんに、蝶の群れが追いついていく。
悲鳴?絶叫?断末魔?
耳を塞ぎたいほどの声が響いてのち、恐怖で失禁した彼女が運ばれてきた。
「大丈夫ですよ、その子たちは味方なんです。実はさっきですね・・・・、」
事情を説明しても聞いちゃいない。
それから数分後、ようやく我を取り戻した彼女に、もう一度説明した。
「そういう大事なことはさっさと言ってよ!」と、恥ずかしそうに粗相の後を隠していた。
・・・・言わずもがな、しばらく彼女は怒ったままだった。

蝶の咲く木 第二十六話 星を覆う羽(2)

  • 2018.01.31 Wednesday
  • 11:50

JUGEMテーマ:自作小説

我が子を・・・・いや、我が子の姿をした子供を抱きながら、私はただ怯えていた。
ワンルームマンションのような狭い部屋の中、見知らぬ家族と一緒に、ただ身を寄せ合っていた。
ここは核シェルター・・・・らしい。
いきなり自衛隊の人が家に来て、在日米軍の基地へ避難させられたのだ。
私だけじゃない。
普段着のお爺ちゃん、OL、土建屋さんっぽいツナギの人。たくさんの人がここへ連れてこられた。
私たちは地下へ続く階段へ案内されて、『あなたはここへ』とか『子供のいる人はこっちへ』と、それぞれに部屋を割り当てられた。
私と優馬が案内されたのは、ワンルームマンションのような部屋。
トイレもシャワーもテレビもあるし、椅子にテーブル、ベッドもあった。
備え付けの小さな棚には、着替えや歯ブラシなど生活用品が入っていた。生理用品や子供用のオムツまである。
いったいここはどこ・・・?と思っていると、後から入ってきた母娘に『ここ核シェルターらしいですよ』と言われたのだ。
『じゃあ本当に核ミサイルが飛んできたの?』
『それがよく分からないんだそうです・・・・。とにかく避難してくれってここへ連れて来られて。』
彼女もまた不安がっていた。
優馬よりちょっと年上の、4歳か5歳くらいの女の子を抱きながら、焦点の合わない虚ろな目をしていた。
・・・それから一時間ほど、私たちはここで身を寄せ合っている。
外の情報を知りたくてテレビを点けるが、どのチャンネルも砂嵐だった。
スマホも繋がらないし、パソコンもラジオもないし、焦りと不安は増すばかり。
優馬がトイレに行きたいというので、一度だけ席を立ったきりで、あとはぼうっと座りっぱなしだ。
《お父さん・・・大丈夫かな?》
もし核ミサイルが飛んで来たなら、あの街はいったいどうなってしまったんだろう?
《核ミサイルってどれくらい爆発するんだろう?やっぱり街くらい吹き飛ばしちゃうのかな・・・・。》
早く逃げろと電話をかけたが、なぜか急に電波が悪くなってしまった。
そういえば核爆弾が爆発したら、電波障害が起きるとニュースでやっていた。
それとも爆発そのものに巻き込まれて、お父さんはもう・・・・、
《怖い・・・・何がどうなってんのよ!》
家族の安否も分からない。
外の状況さえも分からない。
ていうか何が起きているのかさえ分からない。
叫びたい気持ちを抑えながら、「あの・・・」と隣に座る女性に尋ねた。
「娘さん・・・可愛いですね。」
いったい何を言ってるんだろう私は・・・・。
こんな時に他人の子供を褒めてどうする?
だけど沈黙していると不安で堪らないので、何か話しかけなければと思った。
「えらいですね、怯えずにじっとして。」
そう言ってニコっと笑いかけると、サっと目を逸らしてしまった。
「すいません・・・人見知りなんです。」
「そうなんだ。いま幾つですか?」
「来年保育園を卒業で・・・・。」
「じゃあ春には小学校に上がるんですね。」
「・・・今日はランドセルを見に行ってたんです。学校が斡旋してる業者のやつが可愛くなかったから・・・。」
「最近は可愛いやつとか増えてますもんね。私の頃は有無を言わさずコレ!って感じでしたけど。」
笑顔で言うと、「私の時もです」と少しだけ表情が緩んだ。
「ピンクの可愛いやつがあったんですけど、この子が青いのがいいって言って。」
「最近は女の子でも青いのとか背負ってる子いますよね。」
「そうなんです。でも私は女の子らしい方がいいからピンクにしようって言ったんですけど、青がいいって聞かないんです。
そのうち駄々こねちゃって、一緒に行ってた母がもう青でいいじゃないって。」
そう言う彼女の顔はちょっと不機嫌そうで、「分かります」と頷いた。
「ウチの親もそういうとこあるんですよ。この子の靴買う時に母がついて来て、全然私の好みじゃないやつ選んで。
だから結局二足買っちゃったんですよ。」
「ていうか親ってそんなもんですよね。すごい助かる存在だけど、鬱陶しいなって思う方がけっこうあったり。」
「うんうん。」
「でも今は絶対に父と母が必要なんです。私だけじゃなかなか子育ては辛くて・・・・。」
笑顔が消え、暗い顔になる。
「あの・・・失礼ですけどご主人は?」
「別れました。」
「ああ・・・ごめんなさい。」
「普段は優しいんですけど、ちょっとしたことで感情的になる人だったんです。子供が出来てからは特に・・・・。」
「・・・あの、答えたくなかったらいいんですけど、その・・・子供が好きじゃなかったんですか?ご主人。」
「はい。自分自身がちょっと子供っぽい所があって。ちょっとした喧嘩でも癇癪を起こすんです。そういう時は決まって手を挙げられました。」
「ええっと・・・・DVを・・・・ってことですか?」
「・・・・私だけなら我慢できたんです。良い所だってたくさんあるし、普段は優しいし。
それにストレスの溜まる仕事だったから、私が我慢して上手くいくならって。
だけどこの子に手を挙げるのだけは許せなくて・・・・。」
「まさか虐待してたんですか?」
「けっこう酷かったんです。庇う私を押しのけて、グーで殴る時も・・・、」
「はあ!?そんな小さな子に?」
「すごく物音に敏感な人で、この子がコップを落としたり、スプーンをガチャンって音立てただけでもう・・・・、」
「なにそれ!そんなんで小さな子を殴ってたの?」
俄然怒りが湧いてくる。
こんな状況の不安さえも押しのけて、心の隅々まで燃え上がるような感じがした。
「出来る限りこの子を守ろうとしてたんですけど、私だけじゃ限界があって・・・・。」
「そんなの当たり前よ。だって・・・失礼だけど、そんなにその・・・ねえ、喧嘩とか強そうに見えないし。あ、いや、貶してるとかじゃないわよ。」
「大丈夫です。唯一の救いは夫も華奢だったから、そこまで力は強くなかったっていうか・・・、」
「そういう問題じゃないわよ、虐待してる時点で問題なの。警察には?児童相談所とかには行った?」
「いえ・・・・なんかあの時、そういうことが思い浮かばなくて。私がどうにかしなきゃって。」
「きっと追い詰められて冷静に考えられなかったのね。でも自分を責めちゃダメよ。悪いのは全部その男なんだから。
ていうかあなたはえらいわ。身を挺して娘さんを守ろうとしたんだから。」
ポンポンと肩を撫でながら、「まあ私ならぶっ飛ばしてるけど」と目を釣り上げた。
「そういう男はあえて大人しそうな女を選ぶのよ。気の強い女だったら逆にやられちゃうから。」
「でもいい所もあったんです。この子にさえ手を挙げなきゃ・・・・、」
「暴力振るってる時点でNGよ。他のいい所なんて全部チャラ。だから別れたんでしょ?」
そう尋ねると、「虐待も理由の一つですけど・・・」と言いづらそうにした。
「どうしたの?・・・他にも辛いことが?」
「・・・・夫の嫌な所は暴力だけでした。でもそれ以上に我慢のできない所があって・・・・、」
「それ・・・聞いてもいいのかな?言いたくなかったら別に・・・、」
私が言い終える前に、「義父が・・・」と語りだした。
「旦那のお父さん?」
「はい・・・。最初はすごく真面目で良い人だなと思ったんですけど、ある日すごい嫌なものを見ちゃって・・・・。」
「嫌な物?」
「お義父さんは仕事であんまり家にいないから、掃除なんかもちゃんと出来てなくて。
それで近いうちに夫の祖母の法事があるから、家を掃除してほしいって頼まれたんです。」
「お義父さんから?」
「いえ、夫です。」
「なによそんなもん、自分でさせりゃいいのに。」
また苛立ちが湧いてくる。
相手方の実家の掃除なんて、私ならまっぴらごめんだ。
ていうか一緒に住んでないなら、向こうだって敬遠するのが普通だと思う。
「家を掃除する時、夫に言われてたんです。お義父さんの部屋だけはそのままでいいって。法事では使わないからって。」
「まあプライベートな空間だもんね、息子の嫁でも入れたくなかったのかも。」
「だから部屋に入る気はなかったんです。でも掃除機のパックが一杯になっちゃって、夫に替えはないのか聞いたんです。
そしたら父の部屋の横にあるって・・・・。
だから二階へ上がったんですけど、その時にお義父さんの部屋が開いてたんです。」
「じゃあ・・・部屋に入ったの?」
「閉めようと思ってドアに近づいただけだったんですけど・・・その時に中が見えちゃって。その瞬間にもう・・・すごい気持ちの悪いものが・・・、」
心底おぞましそうに言って、自分の腕をさすっている。
「いったい何があったの?まさか死体とかじゃないよね?」
冗談っぽく尋ねたつもりが、彼女は顔色を変えた。
「え?まさかほんとに死体が・・・、」
「さすがに死体はなかったけど、でも犯罪になるような物が・・・・、」
「なに?まさか麻薬とか?」
「違います・・・・。」
「じゃあ何?」
申し訳ないと思いながらも、好奇心が湧いてくる。
死体でもない、麻薬でもない、それでいて犯罪になるような物っていったい・・・。
「もしかして銃とか?」
「いえ・・・、」
「じゃあ・・・・刃物とか?刀とかナイフとか。」
「刀は仏間に飾ってあります。ちゃんと許可は取ってるって言ってました。」
「んん〜・・・・他に持ってて犯罪になるようなもんってあったっけ?」
死体でもない、麻薬でもない、武器でもない。
じゃあいったい・・・・、
「写真が・・・・、」
彼女がポツリと呟く。
「ドアの近くに落ちてたんです・・・・。」
「写真?なんの?」
「子供の・・・・。」
「子供?旦那が子供の頃の?」
「いえ・・・・違う子供です。小学生くらいの男の子の。」
「え?どういうこと・・・?」
「分かりません・・・・分かりませんけど・・・でも多分・・・そういう趣味なんじゃないかなって・・・・、」
彼女はとても言いづらそうにする。
私は少し考えて、「あのさ・・・」と尋ねた。
「それ、どういう写真だったの?」
「どういうって・・・・、」
「だから持ってて犯罪になるような写真ってことでしょ?じゃあつまり・・・・、」
「そうです。その写真には裸の子供が写ってました・・・・。」
「やっぱり・・・・。あ、でもさ、親戚の子供ってことはないのかな?どっかに海水浴とかに行って、たまたま着替えてるみたいな・・・、」
「そういう感じじゃないです。だって裸なのにランドセルを背負って、帽子を被ってるんです。
まっすぐにこっちを向いて、なんだか虚ろな表情の感じで・・・・。」
「・・・・もうアウトね、それ。」
「後ろはどっかの林みたいな感じで、バチっとフラッシュを炊いて撮ったような感じで・・・・、」
顔を歪めながら説明している・・・よほど思い出したくないのだろう。
私は「ごめんね・・・」と腕を撫でた。
「辛いこと聞いちゃって・・・・。」
「私・・・その写真が目に入った瞬間、石みたいに固まっちゃって・・・・。なんか言いようのない気持ち悪さでいっぱいになって・・・、」
「きっと誰だってそうなる。」
「これ、どうしたらいんだろうって考えてると、夫が二階へ上がって来たんです。
何してるんだ?って近づいて来たから、慌てて逃げ出して・・・・、」
「それからどうなったの?まさかまた暴力を・・・?」
「すぐに一階へ降りてきました。それで何事もなかったみたいにテレビを見てて・・・・、」
「なら旦那も動揺してたのかな?まさか自分の父親がそんな写真を持ってるなんて・・・、」
「いえ、知ってたと思います。」
彼女は強く言い切る。
ふうっとひと呼吸置いてから、「帰る時に・・・」と続けた。
「掃除を終えて帰る時に、車の中でこう言ってきたんです。誰にも言うなよって。」
「そりゃそう言うんじゃないの?もちろん悪いことだけど、息子としてはバラされたくないだろうから・・・、」
「私はそうは思いません。あれは絶対に昔から知ってる感じでした。」
「一緒にいてそう感じたの?」
「上手く言えないけど、なんかそう感じたんです。だって初めて知ったんだったら、あんな冷静じゃいられないと思うから。
もうこの事には触れるなって感じのオーラを出してて、それ以来一切話題にしてません。」
「そっか・・・・。旦那の父親がそんな趣味とはね・・・・。」
これは気持ち悪いとかそういうレベルじゃない。
私が彼女の立場なら、間違いなく夫を問い詰める。
もし真実なら「離婚するか?親と縁を切るか?」と迫るだろう。
だってそんなの当たり前だ。
自分自身が幼い子供を抱えているんだから。
身内にそんな奴がいると知ったら、とてもじゃないけど安心出来ない。
いつかこの子もターゲットになるんじゃないかと、気が気じゃなくなるだろう。
《可哀想に・・・・。》
怒りよりも同情の念が湧いてくる。
夫からはDVを受け、その父親は変態ときている。
いったい彼女の抱えていた苦しみはどれほどのものか。
「ちゃんと別れられた?嫌がらせとか受けてない?」
なんだか心配になってきて、「今は大丈夫なのよね?」と、どうか大丈夫と言ってくれと自分に言い聞かせる口調になってしまった。
「そういう男ってさ、相手を自分の所有物みたいに考えてるっていうじゃない。別れたあとも付きまとわれたりとかしてない?」
「一度復縁を迫られました・・・・。でももう一緒になる気なんてなくて・・・・。
あの時は父が代わりに追い返してくれました・・・・。それからは一切連絡はないです。」
「そう、よかった・・・。」
ホッと胸を撫で下ろす。
自分のことでもないのに、自分のことのように嬉しいのは、同じように幼い子供を持つ親だからかもしれない。
しかし安心したらまた不安が戻ってきた。
いったい外の様子はどうなっているのか?
お父さんは無事なのか?
優馬を抱き寄せて、今度は私の方が俯いてしまった。
「あの・・・大丈夫ですか?」
「ごめん・・・実はウチの旦那の安否が分からないの。」
「え?」
「ミサイルが飛んでくるかもしれない街にいたから・・・・、」
「うそ!大丈夫なんですか?」
「だからそれが分からないのよ・・・・。電話は急に切れちゃうし、いきなりこんな所に連れて来られるし・・・・。」
「すいません、なんか私だけ自分のこと話しちゃって・・・・。」
「そういえばあなたのご両親は?」
「分かりません・・・・。」
「ウチも。旦那だけじゃなくて、親がどうなったのかも分からない。」
「ほんとに核ミサイルが飛んできたんですかね・・・?」
「そうじゃないの・・・。じゃなきゃ核シェルターなんかに避難させられないでしょ。」
まさか自分が生きているうちにこんな事が起きるなんて思わなかった。
そりゃ祖父母から戦争の話は聞かされていたけど、どこか他人事のようで、いつも「はいはい」ってな感じで聞き流していた。
それが今・・・・こうして戦争になるかもしれない状況に置かれている。
「もし本当に核ミサイルなら、きっとアメリカが反撃するわよね。そうなったら自衛隊も戦うから、日本も戦争に・・・・・、」
「まだわかりませんよ!」
「でもそれしか考えられないじゃない!」
「だって戦争なんて嫌です!この子だっているのに・・・。」
「それは私も一緒よ!」
さっきまで話していたことが、もう頭から消えかかっていた。
そいつがどんなに酷い男であれ、私はそいつとは関係がない。
いつどうなるか分からない今の状況の方が、よっぽど不安だ。
「怖いね、何かに怯えなきゃいけないって。」
「そうですよ、ほんとに怖いんです。今でもたまに思い出す時があるし・・・・。」
「私の言葉なんて安っぽく聴こえたでしょ?」
「そんなこと・・・・、」
「大した経験もしてないのに、辛い思いをしてきたあなたに何が言えるのって話よ。」
「そんなことないです。こうして話を聞いてもらえてちょっと楽になったっていうか・・・。」
「ほんとに?」
「ほんとです。じゃないとすごく不安なままでした。いきなりこんな所に連れて来られて、これからどうなるんだろうって・・・・。
だから話を聞いてもらえただけで、すごく気が紛れたっていうか。」
「私も一緒。不安だから話しかけたの。私一人ならともかく、子供がいるから余計に不安で・・・、」
「子供がいるから冷静でいられるんだと思います。私は一人の方が怖いです。」
「・・・・確かにそうかも。」
そう・・・一人じゃないんだ。
この子は私の支えであり、そして私が支えてあげなきゃいけない。
例え今は他人に身体を乗っ取られてるとしても。
・・・また沈黙が降りてくる。
何か話したところで、もう不安を紛らわすことは出来ないだろう。
よくよく考えれば、いや・・・よくよく考えなくても、ここは戦争時に避難する場所なのだ。
こんな所へ閉じ込められるってことは、外はやっぱりそういう状況になってるんだろう。
「日本は・・・負けたりしないですよね?」
彼女は希望とも不安ともつかない声で言う。
きっと両方の感情が入り混じっているんだろう。
私は「負けることはないんじゃない」と返した。
「ほんとですか?」
「ていうかどこの国と戦うかによるでしょ。中国とかロシアが相手だったらマズいだろうけど。」
「やっぱりそうですよね・・・・。」
「でも日本が攻撃されたらアメリカだって戦うだろうし、侵略されるとかはないんじゃない。」
「でも戦争って、一対一でやる時代じゃないってテレビで専門家が言ってました。
だからアメリカが戦ったら、ロシアとか中国とかも出てくるんじゃ・・・・。」
「かもね。」
「そうなったら日本はどうなるんだろう・・・・。」
「大丈夫よ、アメリカは強いもん。」
「けど日本が戦場になるかもしれないじゃないですか!」
「・・・・・・・。」
「そうなったら戦争に勝ったって、日本はボロボロですよね?」
「・・・・・・・・。」
「そんなの嫌だ・・・。だって今日ランドセル見に行ってきたばっかりなのに・・・。
せっかく離婚して、ちゃんとこの子のこと育ててあげられると思ったのに・・・。」
ギュっと我が子を抱きしめて、必死に泣くのをこらえている。
彼女の言う通り、子供が支えになっているのだ。
そうでなきゃとうに泣いているんだろう。
「あっちゃん?」
とつぜん優馬が口を開く。
彼女の娘を見つめながら、「そっかあ・・・」と目を伏せていた。
「どうしたの?」
「・・・・・・・。」
優馬は無言のまま顔を近づけてくる。
そしてヒソヒソっと私に耳打ちをした。
「・・・・それほんと?」
「うん。」
「じゃあ・・・この子も・・・・、」
彼女の横顔をじっと睨む。
これは尋ねるべきか?
それとも・・・・、
「あのさ・・・・、」
気がつけば口が動いていた。
どう切り出せばいいのか分からないけど、流れに身を任せるしかない。
「実はウチの子が、その子のこと知ってるみたいなの。」
そう言うと「どこかで会いましたっけ・・・?」と、涙ぐんだ声で聞き返してきた。
「私は初対面なんだけど、この子は知ってるみたいで。」
「・・・・同じ幼稚園とかじゃないですよね。お子さんまだ小さいし。」
「幼稚園じゃない。」
「・・・じゃあどっかの公園で?」
「それも違う。」
「・・・買い物の時にお店でとか?」
「ううん、どれも違ってて・・・・ええっとね・・・・。」
どう尋ねるべきか、言葉に詰まってしまう。
ええい!ここまできたら本当のことを喋るしかなかろう。
「あのね、子供の国って知ってる?」
そう尋ねると、彼女は幽霊にでも出くわしたみたいに、これでもかと目を見開いた。
「いや、あの・・・・実はね、ウチの子・・・・ていうかウチの子であってウチの子じゃないんだけど・・・。
そのね・・・・この子、別人の魂が宿ってるのよ。」
優馬を膝に乗せて、彼女の方へ向けた。
「同じ名前の子供がね、ウチの子に宿っちゃって。それでその子が言うのよ。あなたの娘さんを知ってるって。」
「・・・・・・・・。」
また目を見開く。
それ以上開くと眼球が落ちるんじゃないかと不安になるほどに。
「・・・・子供の国にいたんでしょ?あなたの子。」
思い切ってズバっと尋ねた。
「この子が言うのよ、向こうであっちゃんって子と一緒にいたって。
けどそう長い間一緒にいたわけじゃないから、本人かどうかさっきまで分からなかったって。
その子人見知りだし、いっつも隅の方で一人遊びしてたから、あんまり話したこともないしって・・・。
・・・・あの、ごめんなさい。変なこと聞いちゃって。」
なんだかバツが悪くなって、優馬の頭に目を落とした。
でもこの子は目を逸らさない。
あっちゃんに「そうでしょ?」と尋ねる。
「こっちに戻って来たんでしょ?」
屈託のない子供らしい声だった。
彼女はまだ固まっていたが、あっちゃんは「うん・・・」と頷いた。
「やっぱそうだった。僕のこと覚えてる?」
「うん・・・。」
「一回だけ一緒に遊んだよね?なつちゃんと徳永君とこの兄弟と。」
「カラモネラの優馬君。」
「カラモネロね。」
優太は笑いながらポケモンの名前を訂正する。
「いつ戻って来たの?」
「優馬君がいなくなったあと。」
「そっかあ・・・俺、色々あって別人の身体になっちゃったんだ。ほらこれ。」
そう言って手を広げてみせる。
「いまはあっちゃんより年下だよ。」
可笑しそうにはにかむと、あっちゃんは少しだけ笑みを返した。
「よかったよね、復讐を選ばなくて。」
「お母さんがね、また亜子にもどってきてほしいから、ふくしゅうしないって。」
「それがいいよ。俺のお父さんとお母さんもそうしなかったんだ。あの時あっちゃんいたよね?」
「うん。優馬君ケーキ食べてた。」
「お母さんが作ってくれたやつなんだ。でも俺、もうお父さんもお母さんもいないんだよね。」
ニコっと笑うその顔は、明らかに無理をしている。
「お父さんとお母さんさ、あのあと色々あって喧嘩しちゃって、それで色々あって死んじゃった。」
軽い口調で言っているけど、やはり無理していると伝わってくる。
するとあっちゃんは私を見上げた。
「この人はもう一人の優馬君のお母さん。」
そう説明すると、あっちゃんは小さく頷いた。
「あのね、優馬君の後ろにね、優馬君がいる。」
「なにそれ?」
「小さい優馬君の後ろに、大きい優馬君がいる。」
優馬は後ろを振り返る。
私も後ろを振り返る。
しかしそこには誰もいなかった。
「どこ?」
「そこ。」
あっちゃんはじっと私を見る。・・・いや、正確には私の後ろを見ている。
彼女が見つめていたのは私ではなく、彼女しか見えない誰かを見つめていたようだった。
「俺の後ろに俺がいるの?」
「うん。」
「・・・ああ、それで俺って分かったんだ。」
優馬は恥ずかしそうにはにかむ。
「覚えてる?って言ったって、今の身体じゃ分かるはずないのに。」
「大きい優馬君死にかけてる。」
「え?」
「風邪のときみたいにしんどそう。」
「ほんとに?」
「亜子が死んだ時みたいにそっくり。」
「自分が死んだ時見たの?」
「ヴェヴェにつれて行かれるときに。」
「ああ、そっか・・・。幽体離脱みたいになるもんね、あの時。」
いったいこの二人は何を話しているのか?
私にはついていけない。
しかし子供たちはそんなことお構いなしに話を続ける。
「あっちゃんってなんで子供の国に来たんだっけ?」
「ヴェヴェにつれて行かれたから。」
「でも死ななきゃヴェヴェは来ないじゃん。」
「あのね、お父さんのお母さんが来てね、それでね・・・、」
「亜子!」
彼女が慌てて口を塞ぐ。
顔を真っ赤にしながら優馬を睨んで、「それ以上話しかけないで!」と怒鳴った。
優馬はビクっと怯える。
彼女は立ち上がり、トイレへ駆け込んでいった。
ガチャっと音がしたので、内側から鍵を掛けたようだ。
「なに?いきなり・・・・。」
大人しそうな人が怒るとドキっとする。
優馬が余計なことを聞いてしまったのだろうか?
彼女はそれからずっとトイレに篭りっぱなしで、「ねえ?」とノックしても返事がなかった。
「ごめん・・・ウチの子がいらないこと聞いちゃった?」
「・・・・・・。」
「もしそうなら私が謝る。ごめん・・・。」
「・・・・・・。」
「まだ子供だからさ、許してあげてくれないかな?もう余計なことは喋らせないようにするから。」
「・・・・・・・。」
「ねえ?出て来てくれない?その・・・こっちも不安なのよ。謝るからさ、一緒にいようよ。」
誰だって触れられたくない部分はあって、優馬はそこに触れてしまったのだろう。
だけどこんな非常事態、トイレに篭りっぱなしにならなくてもいいだろう。
「ねえってば。出てきて、一緒にいようよ。」
何度もノックして、何度も呼びかける。
しかし返事はない。
《意地っ張り!》
思わずドアを叩きそうになるけど、グっとこらえる。
《ダメダメ・・・私まで感情的になっちゃ。一番不安なのは子供たちなのに。》
椅子に戻り、はあっとため息をつく。
「あ・・・・、」
また優馬がいきなり口を開く。
今度は何かとドキっとしてしまう。
「どうしたの?」
「蝶。」
「蝶?」
「トイレから。」
そう言ってトイレのドアを指差す。
するとそこには一匹の蝶が舞っていた。
「・・・・・・。」
私は言葉を失くす。
だって・・・あの蝶は・・・・、
「宇宙人モドキ・・・・。」
子供の国にいるはずの蝶が、なぜかこの部屋を飛んでいた。
《優馬君。》
蝶の方から声が響く。
エコーがかかったとても不気味な声だ。
《一緒にいこ。》
ふわふわと舞いながら、優馬の近くへ飛んでくる。
《みんなで子供の国にいこ。》
蝶は踊るように飛んで、優馬の後ろへと手を伸ばした。
そして・・・・、
「え?ちょ・・・・、」
また言葉を失う。
なんと優馬の身体から、見たこともない子供が出てきたのだ。
蝶に誘われれ、幽体離脱でもするかのように・・・。
《これ・・・まさかもう一人の優馬・・・?》
小学校高学年くらいの男の子が、蝶と共に舞い上がる。
彼は幽霊のように薄く透き通っていて、《おばさん》と私を振り返った。
《僕行かなきゃ。》
「ど、どこに・・・・?」
《ヴェヴェのとこ。》
彼の声にもエコーがかかっている。
耳を塞ぎたいほど不気味な声だ・・・・。
蝶は羽から糸を伸ばして、彼を包み込む。
小さな身体が玉繭のように白く染まっていき、そして・・・・、
「あ・・・・、」
彼も光る蝶へと変わってしまった。
二匹の蝶は漂うように部屋を舞う。
そして螺旋のように舞い上がって、天井をすり抜けて消えてしまった。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて立ち上がっても、もうそこには誰もいない。
代わりにガチャリとトイレのドアが開いて、彼女が出てきた。
「・・・・・・。」
外に出てくるなり、フラフラと倒れこむ。
顔は真っ青で、恐ろしい何かに出くわしたかのように、表情に精気がなかった。
「大丈夫!?」
肩を抱きかかえると、「あの子が・・・・、」と呟いた。
「いきなり・・・・チョウチョに変わって・・・、」
「蝶に変わるって・・・。じゃあさっきのってもしかして・・・、」
「亜子が・・・・いなくなっちゃった・・・。せっかく戻って来てくれたのに・・・。また子供の国へ行くって・・・、」
彼女はうずくまり、鼓膜が痛くなるほどの悲鳴を響かせる。
狭い部屋の中に何重にもこだまして、私の頭まで痛くなってくるほどに。
「亜子おおおおおお!!」
「・・・・・・・。」
いったい何がどうなってるのか分からない・・・・。
突然二人の子供が消え、残ったのは・・・、
腕の中で、優馬が「おかあさん」と呟く。
あの子が出ていったことで、ようやく長い眠りから覚めてくれたようだ。
《よかった・・・・死なずにすんだ・・・・。》
心の底からホッとする・・・安堵で泣きそうになる。
それと同時に、わけの分からないことばかりが続いて、別の意味で泣きそうだった。
《分からない・・・分からないよ・・・・何がどうなってるの?誰でもいいから教えて!!》
怯える優馬を抱き、泣き喚く彼女の肩も抱く。
だけど私を抱き寄せてくれる人はいない。
何がなんだか分からない中、せめて私だけは冷静でいないとと、潰れるほど感情を押し殺した。

蝶の咲く木 第二十五話 星を覆う羽(1)

  • 2018.01.30 Tuesday
  • 14:21

JUGEMテーマ:自作小説

どんな危機的な状況であれ、人の行動が一律であるとは限らない。
大災害の最中、避難する人もいれば、踏みとどまって誰かを助けようとする人もいる。
どの行動が正しいか?というわけではない。
人間には誰だって自分の意志があり、同じ状況を前にしても、取る行動は異なるということだ。
空にとてつもない巨木が現れ、大地を貫き、地球へ根付こうとしている。
それを迎え撃つために、人間は軍隊をもって対処した。・・・・いや、今もしている。
空は真っ赤に焼けて、あちこちに燃え盛る木炭が降ってくる。
それは瞬く間に街を炎で包んだ。
多くの人はすでに避難している。
燃え盛る建物の中に、すでに人はいないだろう。
しかし俺はまだこの街にいた。
それもボロい寺の中に。
本堂には阿弥陀如来が座して、大きな手の平をこちらに向けている。
その前には坊さんが座り、ビニールシートに包まれた骨を、丁寧に並べていた。
「あの・・・・本当にいいんですか?逃げなくて。」
そう尋ねると、「手伝ってもらえますか?」と、骨を並べるように手を向けてきた。
川底から掘り出した骨を、元の形になるように、丁寧に並べていく。
「すいません・・・・こんな時に葬式なんてお願いしちゃって。」
「あなたこそ逃げなくていいんですか?いつここも燃えるか分かりませんよ?」
「いいんです、俺には責任があるから。それにあの子に会わないと。」
「幽霊ですか?ほんとにいるんですか?そんなもの。」
「お坊さんなのに見たことないんですか?」
「私は霊能者ではありませんから。あの世のことなど存じませんな。」
ニコっと笑うその顔は、可愛いお爺ちゃんのようにも見えるし、獰猛な獣のようにも見えた。
だから言っていることが冗談なのか本気なのかも分からない。
これが徳ってやつなのか?・・・・なんて余計なことを考えていると、庭に木炭が降ってきた。
そいつは灯篭に当たり、地面へ落ちてパチっと弾ける。
「顔が青いですぞ。」
「だって怖いですから・・・、」
「なら逃げればいいものを。」
「いや、でも責任がですね・・・・、」
「何度も聞きました。さて・・・・状況が状況ですから、すぐに葬儀を始めましょうか。」
そう言って木魚を叩き、リズミカルにお経を唱え出す。
俺も手を合わせ、目を閉じて黙祷を捧げた。
《頼む!出て来てくれ!このままじゃ地球がやられちまう!》
あの巨木のデカさは桁が違う。
きっとここ以外にも被害が出ているだろう。
日本だけでなく、間違いなく他所の国でも。
《アメリカやロシアは核をぶっぱなすのかな?そうなったら巨木をやっつけても、放射能だらけになっちまうよな。》
一番いい方法は子供の国を消滅させることだ。
だがその手段として核兵器を使われてはたまらない。
・・・・ポクポクポクと木魚の音が響く。
また庭に木炭が落ちてきて、門の下で燃えていた。
《うわあ・・・・逃げたい!》
妻は大丈夫だろうか?優馬は無事だろうか?
親は?河井さんは?ついでに松永は?
こんな時、考えるまでもなく大事な人の顔が浮かんでくる。
もっと話しておけばよかったとか、遊んでおけばよかったとか。
チラリと目を開け、大きな阿弥陀如来を睨む。
本当に仏がいるなら、どうかあの巨木を遠くまで叩き飛ばしてくれと願った。
次々に頭に浮かぶ、家族や同僚や友人の顔。
するとその中に、ふとあの子の顔が浮かんだ。
それも写真のように鮮明に、生々しく・・・・。
恐怖で目を開けると、少年はすぐ目の前に立っていた。
「あ・・・・、」
・・・じっとこちらを見ている。
そしてポケットを漁り、クシャクシャになった紙を取り出した。
『あげる。』
「これは・・・・残りの絵か?」
『うん。』
広げてみると、間違いなくもう半分の絵だった。
空に巨木が浮かび、下の方では大人が焼かれている。
しかしこの前手に入れた絵とは一つだけ違う部分があった。
画面の上の方、巨木の辺りに二匹の虫が描かれている。
一つは蝶だ。
モルフォ蝶のような美しい羽をしている。
そしてもう一つは・・・・、
「これ、もしかして蛾か?」
『悪い奴。』
「え?」
『蝶を追いかけてきた悪い奴。悪い大人。』
「悪い大人・・・・・。」
『子供の国を滅ぼそうとしてる。死んだ後でも子供を追いかけてきて、暴力を振るう悪い大人。』
「・・・・・・・・。」
少年の言う通り、確かにそう見えなくもない。
蝶は背中を向け、蛾から逃げているような感じだ。
「・・・なあ?」
俺はある疑問を抱いていた。
ここに蝶と蛾が描かれているのは・・・まあいい。
きっと何か意味する所はあるんだろうけど、今はもっと気になることがあった。
「イモムシはどこにいるんだ?」
そう、この絵には根っこを齧る巨大なイモムシがいるはずなのだ。
この少年を殺した犯人が、イタズラで書き込んだものだ。
俺の持っている方の絵には描かれていなかったので、てっきりもう一枚の方かと思っていたけど・・・・、
「ここにはイモムシが描かれているはずだろ?もしかして自分で消したのか?」
『蛾になった。』
「なに?」
『繭を作って、サナギになって、大人になったの。それがコイツ。』
そう言って絵に描かれた蛾を指差す。
『大人になったから子供の国を襲ってる。』
「・・・・じゃあさ、こっちの逃げてる蝶はなんなんだ?もしかしてヴェヴェか?」
『うん。』
「それじゃヴェヴェは悪い大人に追いかけられてるってことか?」
『うん。』
「これ、全部君が描いたのか?この蝶も蛾も。」
『違うよ。勝手にそうなったの。』
「なんだって?だってこれは君が描いたものなんだろ?勝手にってどういうことだ?」
『もうその絵は僕のじゃないから。』
「は?」
『僕はもういい・・・・。子供の国はきっとなくなっちゃうし、こうやってお葬式してくれたし。』
少年は初めて笑顔を見せる。
自分の骨を見つめ、『もうなんにも痛くない・・・』と目を閉じた。
「おい・・・、」
『もっと早く・・・お葬式をしてもらってたら、もっと早く天国に行けてたのに・・・・。』
なんとも切なく、それでいて嬉しそうな声で言う。
少年は如来像の方へと歩いて、その大きな手のひらに乗った。
『大仏さんが連れてってくれるって。』
「・・・どこへ?」
『天国。』
「成仏するのか?」
『うん。』
「いや、ちょっと待ってくれ。」
俺も立ち上がり、如来像へと歩いた。
「今逝かれたら困るよ。」
『どうして?』
「だってあの空には巨木が来てるんだ。ほっといたら地球が危ない。君ならあれをどうにか出来るんじゃないのか?」
『無理だよ。もう僕の手の届かない所へ行っちゃったから。』
「それが分かんないんだよ。だってあれは君が描いた世界で・・・・、」
『大丈夫だよ。もう子供の国はなくなるから。』
「それは・・・蛾が滅ぼすからか?」
『うん。』
「・・・まさかとは思うけど、その蛾って地球を襲ったりしないよな?」
これは聞かずにはいられなかった。
俺は今まで二度、ある幻を見ている。
そのどちらにも蛾が出てきた。
あの幻はとても鮮明で、ただの幻覚とは思えない。
何か嫌なことが起こる予知夢のようなものではないのかと、ずっと不安だったのだ。
「あの蛾・・・・地球を砂漠に変えたりしないよな?襲って来たりしないよな?」
どうか違うと言ってほしい。
そうでなければ、子供の国がなくなっても意味がない。
答えを待っていると、少年はこう答えた。
『もし・・・・、』
「もし?」
『悪い方に未来が進んだら、きっとおじさんが見た通りの世界になると思う。』
「どういうことだ?」
『地球が砂漠になるのは、核兵器をたくさん使ったから。ほうっとけば子供の国はなくなるのに、焦って撃っちゃったらそうなる。』
「あれは人間の仕業だってのか?」
『でも蛾は死なない。それに蝶も死なない。』
「どうして?子供の国はなくなるんだろ?だったら蝶だっていなくなるんじゃないのか?」
『ヴェヴェを舐めたらダメだよ。アイツはとっても怖いんだ。悪い宇宙人じゃないけど、良い宇宙人でもないから。』
「怖い奴だってのはよく分かるよ。現に俺だってこんな身体になっちまったんだから。」
今の俺はクローンだ、もって10年の寿命しかない。
その元凶となったのはもちろんヴェヴェ。
奴は子供の味方かもしれないが、命を命とも思わない残酷な所がある。
「じゃあ人間が核兵器を使いまくったら、この星は砂漠に変わって、ヴェヴェと蛾だけが生き残るってのか?」
『うん。』
「そんな・・・・・、」
『大人も子供もいなくなる。でもそれって、ある意味一番いい世界なのかもね。』
「いいわけないだろ!人間が滅ぶってことじゃないか!!」
『それの何が悪いの?』
「なにが悪いのって・・・・、」
『大人も子供もいなかったら、虐待もないし、犯罪で死ぬ子供もいないよ。』
「そりゃ極端すぎだろう!だってみんながみんな不幸な子供じゃないんだぞ!」
俺とこの子では生きてきた道が違う。
親に虐げられ、最後は変態に殺されたこの少年にとっては、大人は悪の象徴なのだろう。
その境遇には同情するし、その気持ちも分かる。
でも大人も子供も消え去るなんてあってはならないことだ。
世の中、子供の天敵になる大人だけじゃない。
子供を護る大人だってたくさんいるのだ。
「なあ、どうにかできないか?どうやったら悪い未来を避けられる?」
どうか良い答えをくれと、返事を待つ。
すると・・・・・、
『あのことを解決すればいけるかも。』
「何か条件があるってのか?」
『僕を殺した犯人を捕まえること。』
「捕まえるって言われても・・・・あのオッサン、証拠となるものは全部燃やしたんだろ?」
『僕の分はね。』
「僕の分はって・・・・じゃあ他の子供の写真は・・・、」
『あるよ。』
「・・・・それを先に言えよ。」
ちょっとイラっとくる。
『ていうか自分が殺した子供の写真は燃やしたんだ。そうじゃない子供の写真は残ってる。』
「え?あのオッサンって君以外にも子供を殺してるのか?」
『うん。』
「・・・・・・・・・。」
『さすがに殺人はバレたらヤバいから、そういう写真だけは捨てたんだ。あのオジサンの子供が。』
「あのオジサンの子供・・・・って、あの子供っぽい青年のことか?」
『あの人はニートで、お父さんしか頼る人がいないんだ。だからお父さんが殺人で捕まらないようにする為に捨てたんだよ。』
「あの青年が・・・・。だってあんなに子供っぽいのに・・・・、」
『おじさんが記者だって名乗ったから、余計なことは言わなかったんだと思う。』
「でもそうだとしたら変だぞ。だってあいつは自分から取材してくれって追いかけてきたんだ。
最初は断ったのに・・・・。本当に隠すつもりならそんな事しないだろ。」
『また来られたら困るから、あえて自分から行ったのかもね。大人ってそういう所はズル賢いから。
あの人は子供っぽいけどもう大人だもん。知恵が回るっていうんでしょ?こういうの。』
「・・・・・・・・。」
『だけどあの人がUFOを見るっていうのは本当だよ。』
「あいつは蛾みたいなUFOだって言ってた。それって君が言っている蛾と関係あるのか?」
『それはきっとヴェヴェだよ。』
「ヴェヴェ?だってあいつは蝶だろ?蛾じゃないんじゃ・・・・、」
『蝶と蛾の区別って曖昧だから。人によっては蝶にも見えるし、蛾にも見えるし。実は決定的な違いってないんだよ。』
「そうなのか?いや、虫には疎くてだな・・・・、」
『とにかく犯人を捕まえれば、蝶も蛾も消えるかもしれない。』
「どうして?今さらそんなことしたって、どうにかなるとは思えないんだけど・・・・。」
『なるかもしれないし、ならないかもしれない。まあ捕まえてみれば分かるよ。』
「そんな曖昧な・・・・、」
『それともう一個教えてあげる。本当は大人に協力するの嫌なんだけど、おじさん良い人そうだから。』
少年は如来の手から飛び降りて、俺の前に立った。
『実はね、もう一人嘘ついてる人がいるんだ。』
「誰?」
『あのお爺さん。』
「お爺さん?それって屋敷の?」
『だっておかしいと思わない?子供の国って20年前にできたのに、あのお爺さんはもっと前に子供の国に行ったって言ってるんだよ。』
「ああ、それは俺も思った。なんでだろうって。」
『あの人はまだ生きてるよ。』
「え?だってヴェヴェに殺されたんじゃ・・・・、」
『ううん、生きてる。だって死んだりしないもん。あの人は人間じゃないから。』
「人間じゃない?・・・・まさかヴェヴェと同じ宇宙人とか?」
『違う。あの人の正体は・・・・・、』
少年はニッコリ笑い、『じゃあ』と如来の手に戻っていく。
『僕もう行くね。』
「おいコラ!どうして謎めいたことを言い残していくんだ?全部喋ってけよ。」
『だって大人は嫌いだもん。意地悪された分は仕返ししないと。』
「俺は何もやってってないだろ。」
『でも大人が嫌いだから。』
クスっと肩を竦め、『バイバイ』と手を振る。
『僕はもう天国に行くから関係ない。』
「こっちは関係あるぞ!」
『せいぜい頑張って。』
「お前なあ・・・・地球が危ないってのに・・・・、」
『全部大人が悪い。僕のせいじゃないよ。』
少年は取り付く島さえ与えてくれない。
やがて如来の手が光り、大きな蓮の花が咲いた。
その蓮は少年をすっぽりと包んでしまう。
そして花びらが開いた時には、もうどこにもいなかった。
「おい!待てよ!!」
俺も手の平に乗っかろうとすると、ベシっと如来に叩き飛ばされた。
「ぐおッ・・・・・、」
立ち上がり、「ちょっと!」と詰め寄る。
「あんた仏様だろう!だったら地球を救うのに手を貸し・・・・、」
・・・・言い終える前にまた叩かれる。
今度は寺の外まで弾き飛ばされ、思いっきりお尻を打ってしまった。
「痛った・・・・・、」
お尻を撫でながら、「ちょっと待てって!」と境内に駆け込む。
すると辺りは真っ赤に燃えていて、如来像にまで火が回っていた。
「な、なんだ・・・?どうしていきなり火が・・・・、」
「何してるんです!」
後ろから腕を引っ張られる。
見ると坊さんが慌てた様子で叫んでいた。
「逃げないと死にますぞ!」
「あの・・・・、」
「もうあの子の魂は逝きました!」
「・・・・見えてたんですか?」
「坊主ですからな。あんたさっきまでこの世とあの世の狭間におったんです。」
「なんですかそれ?」
「あんたが幽霊と会いたいっていうから、私がそうしたんです。でもここまで火が回っては・・・、」
寺のあちこちが赤く染まり、見渡す限り火の海だ。
境内の中を振り返ると、如来像がシッシと手を振っているように見えた。
「あの、いま大仏が・・・・、」
「逃げろと言っとるんです。さあ早く!」
坊さんに引っ張られ、寺の外へと連れ出される。
「待って!」
その手を振り払って、俺は境内へと駆け込んだ。
「危ないですぞ!」
「これ持って行かないと・・・・。」
燃え盛る大仏の前に行き、少年の骨をかき集める。
一部は燃えてしまったが、頭蓋骨や骨盤は残っていた。
そいつをブルーシートに包んで、急いで逃げ出した。
寺は少し山を登った所に立っていて、ここからだと街を一望できる。
俺も坊さんも変わり果てた街並みを前に、ただ言葉を失くすしかなかった。
「ひどいなこりゃ・・・・。」
火の海になっているのは寺だけじゃなかった。
街のあちこちで炎が蠢いている。
しかし一番異様なのは巨木の根っこだ。
スカイツリーよりも遥かに大きくて太い根が、大地を貫いていた。
それも一本や二本ではない。
街を串刺しの刑に処すかのごとく、至る所に根を下ろしている。
空ではまだ戦いが続いていて、続々とやって来る戦闘機が、これでもかとミサイルを撃ち込んでいた。
やがて攻撃ヘリまで飛んできて、根っこに機関砲を浴びせ始めた。
《まるでゴジラとでも戦ってるみたいだ・・・・。》
奮闘する軍隊ではあるが、いかんせん相手が大きすぎる。
空そのものを覆う巨木は、普通の兵器では倒せないだろう。
かといって核兵器を使えばそれこそ地球はおしまいなわけで・・・・。
「お兄さん、あれを。」
坊さんが川の向こうを指差す。
「何があるんです?」と尋ねようとしたが、すぐに「ああ・・・」と理解した。
どこもかしこも燃え盛っているのに、あの大木の周辺だけが燃えていないのだ。
バリアのように繭を張り巡らせ、炎を防いでいる。
「よく燃えないな、あれ・・・・。」
あれが不思議な木だってことは知っている。
なんかよく分からないけど、未知なるパワーかなんかで守っているんだろう。
「あそこまで逃げましょう。」
坊さんと一緒に階段を駆け下りる。
麓には乗り捨てられた車があったが、こんな状況では足の方が速いだろう。
ぜえぜえと息を切らしながら、炎に気をつけて川沿いを走っていく。
少し遠くには真っ赤な橋があって、橋桁の部分が燃えていた。
「どうにか渡れそうですね。」
炎はそう大きくない。
人が歩く部分にも押し寄せているが、走ればなんとかなるだろう。
俺と坊さんは覚悟を決めて、一気に橋を駆け抜けた。
そしてどうにか渡り終えた瞬間、撃墜されたヘリが落ちてきて、橋が崩れてしまった。
「・・・・・・・・。」
あと一瞬遅れていたらとゾッとする。
「ハリウッド映画みたいですな。」
こんな状況で笑う坊さんは、悟りでも開いているのだろうか?
まあいい・・・とにかくあの大木の近くまで逃げないと。
しかし周りは繭によってガードされていて、中に入れそうにない。
「クソ!俺たちも入れてくれよ。」
ふんぬ!と引きちぎろうとしたが、炎さえ防いでしまうほど頑丈な繭は、人の力ではこじ開けられなかった。
・・・このままじゃ死ぬ・・・・。
骨の入ったブルーシートを抱えながら、神でも仏でも悪魔でもいいから、この状況をどうにかしてくれと願った。
「お、またおかしな事が・・・・、」
坊さんが空を見上げる。
落ち着いたその態度にちょっとイラっとしたが、そんな気持ちはすぐに消え去った。
なぜなら・・・・、
「あれは・・・・蝶?」
炎に巻かれる街の中、至る所から小さな光が舞い上がっている。
いや、この街だけじゃない・・・・遠くの空からも無数に押し寄せてきた。
「・・・間違いない、あれは宇宙人モドキの蝶だ。どうして・・・、」
そう問いかけて、「ああ、なるほど・・・」とすぐに気づいた。
「大人は殺して、子供はあの国へ招待するってわけか。」
四方八方から押し寄せる蝶の群れは、オーロラを点描画で描いたかのような、えも言えぬ美しい光景だった。
坊さんは数珠を握りながら、「凄まじい子供の数ですな」と呟いた。
「分かるんですね、あれが子供だって。」
「伊達に坊主はやっておりませんでな。」
「なんの説明にもなってないですけど、今はすごいピンチですよ。あいつらは人を殺すほどの力を持ってるんです。
もしも襲いかかってきたら・・・・、」
そう言いかけた瞬間、蝶の群れの一部が、軍隊へと攻撃を仕掛けた。
稲妻のようにピカピカっと光り、青白い波のような物を放ったのだ。
それは波紋のごとく空に広がっていく。
すると戦闘機や攻撃ヘリは、糸が切れた人形のようにパタパタと墜落していった。
「あれって・・・・、」
何年か前に見たアメリカ版のゴジラ映画を思い出す。
あの時、敵の怪獣がこれと似たような技を使っていた。
「・・・あれ、確か強力な磁気を飛ばしてるんだったな。そのせいで電子機器とかコンピューターがダメになって・・・。」
そういえばあの蝶が傍にいると、スマホもデジカメも使えなくなることを思い出した。
元々強い磁気を放っているので、群れ全体でそれを放出すれば、今みたいに戦闘機やヘリを落とせるのだろう。
「これヤバイぞ・・・・。」
電子機器に頼る現代の兵器では、あの蝶の群れに対抗するのは分が悪い。
かといってアナログな大砲や銃ではもっと勝目がないだろう。
「あ・・・・、」
戦闘機から脱出したパイロットが、パラシュートを背負って降下している。
するとそこへ蝶が群がって、瞬く間に焼き殺してしまった。
「あれだ・・・あいつら人を燃やすんだ・・・・。」
兵器に乗っていれば磁気攻撃、降りれば炎が襲ってくる・・・・なんとも恐ろしい連携だ。
「お坊さん、もう俺たちヤバいかもです・・・。」
そう言って振り向くと、なんと一匹の蝶が坊さんに襲いかかっていた。
パタパタと羽ばたいて、光る鱗粉を飛ばしている。
その鱗粉は坊さんに触れた途端に炎を上げた。
「お坊さん!」
駆け寄ると、老人とは思えないほどの腕力で突き飛ばされた。
「なんで・・・・、」
「逃げなさい・・・どこか・・・安全なとこ・・・・へ・・・、」
蝶はなおも鱗粉を振りまく。
坊さんは藁人形のように燃え盛った。
真っ赤な炎の中、人のシルエットが浮かんでいる。
もうじき死ぬ・・・・彼はそんな中でも、坊主であり続けた。
膝をつき、合掌し、まるでお経でも唱えているかのように、苦しむ素振りを一つも見せない。
その姿を面白がったのか、蝶は必要以上に鱗粉を振りまく。
炎はさらに大きくなって、熱風が俺の頬を撫でた。
『逃げろ。』
ふと坊さんの声が聴こえた気がした。
《わざと蝶を引きつけてるのか・・・・?》
死に間際に合掌する坊さんを面白がって、蝶は俺の方を見ようともしない。
興味の惹かれる物にだけ執着するその姿は、まさに子供だ。
《・・・・・すいません!》
ここで逃げなきゃ坊さんの無駄死にだ。
背中を向け、一目散に駆け出した。
川原沿いの道を走り続け、どこかに安全な場所はないかと探す。
しかしその希望はすぐに打ち砕かれた。
見上げた空はどこまでも巨木に覆われている。
集まってくる蝶も増えている。
もうどこにも逃げ場なんかないし、助かる道なんてない・・・・。
また撃墜された戦闘機が落ちてくる。
爆風が押し寄せ、何メートルも吹き飛ばされる。
今日、この星は終わるのだなと確信した。

蝶の咲く木 第二十四話 子供からの警告(2)

  • 2018.01.29 Monday
  • 11:52

JUGEMテーマ:自作小説

新幹線の窓から、外を駆ける景色を眺める。
最近電車に乗ることが多い気がするが、こういう時間の過ごし方は嫌いじゃないので、苦にはならない。
隣りではアイマスクをした河合さんが寝ていて、着いたら起こしてと言われていた。
《珍しいよなあ、この人が遠出の取材に行くなんて。》
河合さんはとにかく人を使うのが上手で、自分はそこまで動かない。
もちろん怠けているわけじゃなくて、なんというか・・・・指揮官タイプの人なのだ。
それがこうして遠くへ取材に行くってことは、これが最後の仕事だからなのだろう。
《・・・まあいい、河合さんがいてくれるなら頼もしいからな。それより家に電話しないと。》
立ち上がり、喫煙ルームへ向かう。
妻に電話を掛け、またあの大木へ向かっていることを伝えた。
「うん、そう。もう新幹線に乗ってる。多分だけど泊りになるかな。
・・・・え?一人で取材は危ないって?また前みたいなことになったらってヤバイって?
平気平気。今度は一人じゃないから。・・・・いやいや、違う。松永じゃない。河合さんと一緒。
ん?そうだよ、女の人。・・・・いやいやいや、無いから。うん、そう・・・部屋だって別々だし。
うんうん、いきなり取材に行くことになったの。・・・うん、また夜に掛けるから・・・・、」
あれこれと妻から疑いを掛けられていると、ふと人の気配を感じた。
見ると河合さんが隣にいた。
タバコを取り出し、白い煙を吹かしている。
「ごめん、もう切るな。うん、また電話する・・・はいはい、ごめんね。」
電話を切り「ふう・・・」と息をつくと、「奥さん?」と聞かれた。
「あ、はい・・・・。」
「まさか円香君が結婚するなんてね、そっちの方がよっぽど超常現象よ。」
「自分でもそう思います。」
「奥さん綺麗な人だったよね、式で会ったきりだけど。」
「ありがとうございます。」
なんと言っていいのか分からず、とりあえず頭を下げる。
「私は結婚はいいかなあ・・・。」
「そ、そうなんですか・・・。」
「でも子供は欲しかった。」
「子供は可愛いです。あの笑顔を見てるだけで、ほんっと仕事の疲れとか吹き飛びますから。」
「そっか、いいなあ。」
「・・・あ、じゃあお先に戻ります。」
今までに見たことのない河井さんの顔を見て、リアクションに困ってしまう。
ここは退散とばかりに逃げようとすると、「ねえ?」と呼び止められた。
「はい?」
「円香君の子供・・・優馬君だっけ?」
「はい。」
「君の妄想を信じるなら、その子には別の子の魂が宿ってるのよね?」
「そうなんです。このままだと本当の優馬が死んじゃうんですよ。」
今朝のことを思い出し、少し胸が締め付けられた。
「けどもう一人の優馬君に罪はありません。悪いのはヴェヴェなんです。けど妻に注意されました。これ以上同情するなって。」
「同情?」
「俺は甘ちゃんだから、情が湧いたら別れが辛くなるって。そうなったら本当の優馬を取り戻すのに支障が出るから。」
「なるほど・・・・えらいわね、奥さん。」
タバコを灰皿に投げ捨て、「ものは相談なんだけど・・・」と神妙な顔になる。
「本物の優馬君が目覚めたら、もう一人の優馬君は死んじゃうわけよね?」
「そう言ってました。だけど・・・・それしか方法がないんですよね。出来れば二人とも助けてあげたいんだけど・・・、」
「私が力になろっか?」
「え?」
「もう一人の優馬君、私が引き取ってもいいよ。」
「・・・・は?」
いったい何を言っているのか分からず、「河井さん?」と聞き返してしまった。
「引き取るも何も・・・その子は死んじゃうわけですけど・・・・、」
「分かってる。だけどさ、もしどうにかして生き延びる方法が見つかったら、私に引き取らせてくれない?」
「いやあ・・・それは・・・どうなんでしょう・・・、」
「だってその子の両親、もうこの世にいないんでしょ?」
「ええ・・・・。」
「じゃあどうにか生き延びたとしても、孤児になっちゃうじゃない。」
「ええ・・・・。」
「じゃあさ、私に面倒見させてよ。」
「いや、そんな簡単に・・・・・、」
「もちろん犬や猫を飼うんじゃないって分かってる。大変なことだってたくさんあるだろうってことも。」
「じゃあなんで・・・・?」
「引き取りたいから、それだけ。」
そう言い残し、ポンと肩を叩いて出ていった。
一瞬だけ振り返り、「まあ君の妄想が本当だったらの話だけど」と、おどけたように肩を竦めて。
それから目的地に着くまでの間、河井さんとの間に会話はなかった。
何を話していいのか分からないし、どう対応していいのかも分からない。
無言で過ぎていく時間が苦痛で、早く着いてくれと願うばかりだった。
・・・・それから三時間後、ようやくあの街の駅に到着し、「うわ田舎」と河井さんの呟きが聴こえた。
「こっちです。」
「歩いて行くの?」
「そう遠くないですから。」
すっかり道は覚えているので、初めて来た時よりもすんなりと到着した。
「ずいぶん細い道ね。」
歩いて来た道を振り返り、そして「立派な木」と大木を見上げた。
「これが蝶の咲く木ってやつ?」
「はい。夜になったら空から繭が降りてくるんですよ。」
「じゃあ夜までどっかで時間潰そ。」
時計を見ると午後一時半。
まだまだ時間はある。
《うわあ・・・どうしよう。この空気で河井さんと何時間も過ごすのか・・・・。》
気まずい・・・という以外の感想が出てこない。
しかし尊敬する上司を相手に、『別々に時間を潰しません?』などと言えない。
結局二人で行動することになり、夜が来るまでずっとファミレスで過ごす羽目になってしまった。
この数時間、他愛ない話で時間を潰してきたが、もう限界だ。
空はじょじょに暗くなり始めていたので、「そろそろ出ませんか?」と指を向けた。
「そうね。」
河井さんは伝票片手にレジに向かい、財布を出そうとした俺の手を退け、領収書ももらわずに外へと歩いていった。
「すいません、ご馳走になって。」
「ん?いいよ。」
また無言のまま二人で歩いていく。
そしてあの大木に着く頃、ちょうど夜が始まろうとしていた。
空は真っ暗に染まり、月と星が輝いている。
「あの空に分厚い雲が出てくるんですよ。そうしたら繭が降りてきます。」
「へえ。」
まったく信じていない様子で空を見上げる。
しかしながら、その冷淡な表情はすぐに一変した。
口を開け、目を見開き、「ちょっと・・・」と後ずさる。
「円香君!空から白い竜巻が・・・・、」
「ええ、あれが繭です。地球と子供の国を繋ぐ道なんですよ。」
「嘘でしょ・・・・円香君の妄想病じゃなかったんだ・・・・。」
やはり俺の話を信じていなかったらしい。
まあ当然だろう。
いい大人がこんな話を信じる方がどうかしている。
繭はグルグルと回りながら降りてきて、いつものごとく大木に絡みつく。
そしていつものごとくその繭が弾け、中から光る蝶の群れが現れた。
「見て見て!あれ!」
河井さんは興奮して俺の腕を叩く。
「ほんとに蝶が咲いているみたいに・・・・。」
枝にとまった蝶たちは、相変わらず言葉にできないほど神秘的だ。
初めてこの光景を見たら、誰だって河井さんと同じリアクションをするだろう。
しかしながら、俺は別の意味で驚いていた。
興奮する河井さんを無視して、「なんで?」と呟いた。
「前より全然少ない。」
この前は全ての枝を埋め尽くすほどいたのに、今日はその10分の1・・・いや、もっと少ない。
指で数えてみると、わずか30匹ほどだ。
《この前は何百匹といたよな・・・なんでだ?》
たんに地球へ来ていないだけなのかと思ったが、ふと嫌な予感が過ぎった。
「すいません、ちょっとここにいて下さい。」
河井さんを残し、大木の真下へ駆けていく。
すると群れの中から二匹の蝶が飛んできた。
『円香拓さん?』
少年の声で、一匹がそう尋ねてくる。
「そうだけど・・・なつちゃんは?」
『なつちゃんは今はこっちに来てません。』
「どうして?」
『ヴェヴェと戦ってるんです。』
「なんだって!?戦うってそんな・・・・殺されるだけだろ!」
『一人じゃありません。何匹かのイモムシと一緒に。』
「イモムシ・・・・それって根っこを齧ってたあの?」
『はい。ヴェヴェはイモムシを駆除しようとしたんですけど、ぜんぜん間に合わなかったんです。
知らない間に根っこのあちこちに涌いてたみたいで。』
「なるほど・・・・そういや一匹とは限らないってなつちゃんも言ってたな。」
『ヴェヴェは僕らやなつちゃんの裏切りに気づいて、僕たちを殺しにかかってきました。
だからなつちゃんがイモムシと一緒にヴェヴェと戦ってるんです。』
それを聞いた途端、「やっぱりか・・・」と頷いてしまった。
「今日は数が少ないから変だと思ったんだよ。」
『殺された仲間もいるし、向こうで戦ってる仲間もいます。けどヴェヴェはすごく強いから、どうなるか分かりません。』
とても悲痛は声色だった。
すると隣にいた蝶も『このままじゃ・・・・』と怯えた様子で口を開いた。
『子供の国がなくなる・・・・。』
そう言ってから『兄ちゃん』と見つめた。
『せっかく怖いお父さんから逃げられたのにね。』
『仕方ないよ・・・だってあれが地球に根を張ったら・・・・、』
まるでお通夜のような低い声で話し合っている。
「・・・・やっぱり君たちも悪い大人のせいで?」
『俺たち虐待を受けてたんです。』
『私も兄ちゃんも死んで、そこにヴェヴェが迎えに来てくれたんです。』
「そうか・・・そうだよな。その姿になるってことは、君たちも大人の暴力のせいで・・・、」
切ない気持ちは増すばかりで、言葉に詰まる。
すると「ちょっとちょっと」と河井さんが背中をつついてきた。
「何がどうなってるの?私にも説明してよ。」
「え?ああ・・・・その、けっこうヤバい状況ってことです。もしヴェヴェがイモムシを駆除してしまったら、それこそ終わりって感じで。」
「地球が侵略されるって話・・・・本当なのね?」
「はい。」
「・・・・・・・・。」
眉間に皺が寄っていき、目が釣り上がっていく。
「マジで地球が危ないわけか・・・・。」
河井さんは怖い顔をしたまま、「どうすんの?」と慌てた。
「これが最後の仕事だと思って、円香君の情熱に付き合ったけど・・・・これえらいことじゃない!」
「ええ、まあ・・・・。」
「そんな適当な返事してる場合じゃないでしょ!」
「俺だってどうにかしたいですよ!でも・・・・、」
でもどうしようもない。
そう・・・どうしようもないのだ。
ないのだが、本当にどうしようもないのなら、多分この蝶たちは俺たちの前に現れなかっただろう。
向こうが大変な状況なのに、わざわざこうして会いに来てくれたということは・・・、
『軍隊の準備をして下さい!』
お兄ちゃんの蝶が言う。
『もしヴェヴェが勝ったら、すぐにでもこっちに根を張りに来ると思います。』
「とうとう迎え撃たなきゃいけないのか・・・。」
『でないと本当に地球がダメになる。』
「みんなに知らせないとな・・・・。どうしよう、俺は今すぐ会社に戻って、記事を書いた方がいいのかな?」
『そうして下さい。それとあの子を捜してほしいんです。』
「あの子?」
『ほら、あの絵を描いた子。』
「・・・おお!あの幽霊の?」
『あの子が全部の鍵を握ってるんです。あの子が子供の世界を望まなかったらこんな事にはならなかったから。』
「いや、それがだな・・・全然現れてくれないんだよ。捜したくてもどこにいるのか・・・、」
『遺体があります。』
「遺体?」
『だって円香さんがなつちゃんに頼んだんでしょ?あの子の遺体を捜してくれって。』
「・・・そうだった!すっかり忘れてた・・・・見つかったのか?」
『この川の下流にあるんです。重機を使わないと掘り起こすのは難しいけど・・・・。
でもあれをちゃんと弔えば、まだどうにかなるかも。』
「そうか・・・じゃあすぐに行く!」
いよいよ地球がヤバイとなっては、じっとしていられない。
とにかく記事を拡散し、それからあの子に会わないと・・・、
『急いで下さい。ヴェヴェが勝とうがイモムシが勝とうが、地球にとって大変なことになるから。』
「え?だってイモムシが勝てば子供の世界は消えるんじゃないの?そうすりゃ地球が侵略されることは・・・・、」
『そうなったらイモムシがやって来るだけです。子供の国を滅ぼしたら、今度は地球が狙われる。』
「マジかよ・・・聞いてないぞ。」
いったいどういうことなのか?・・・と尋ねようとした時、妹の蝶が『兄ちゃん!』と叫んだ。
『もう戻らないと。なつちゃんがやられちゃうかも。』
『分かってる。早く戻って一緒に戦わないとな。』
また空から繭が降りてきて、蝶たちはその中へ飛び込んでいく。
「おい!そっちは大丈夫なんだろうな?全滅とかするなよ!」
そう声を飛ばすと、こんな言葉が返ってきた。
『子供の国とイモムシを同時に消すには、蝶と蛾の両方がいるんです。』
「なんだって?蝶と蛾?」
『蝶は子供からの警告です。悪い大人を滅ぼすぞって意味の。蛾は子供を殺そうとする大人の暴力なんです。
この二匹をどうにかしないと、地球の軍隊だけじゃ・・・・。それこそ核兵器とか撃ちまくらないと倒せない・・・・。』
「おい!コラ待て!なんだその意味ありげな言葉は!?詳しく説明を・・・・、」
空に向かって吠えるも、繭の道は雲の中へと吸い込まれてしまった。
夜空には月と星が戻り、蝶は遠い星へと去ってしまった。
「なんだよそれ?蝶は子供からの警告?蛾は大人の暴力だって?なんで最後にそんなナゾナゾみたいなこと言い残していくんだよ。」
大事なことは最初に言えと思ったが、よくよく考えればあの子たちは子供だ。
しかも向こうの星もヤバイ状況になっている中、上手く話を出来なかったのだろう。
「・・・わけが分からないけど、とにかくヤバイ状況だってことは分かった。」
俺がやるべきことは、この危険をみんなに知らせること。
そしてあの子の遺体を掘り起こすことだ。
「河井さん!」
振り返ると、「へ?」と素っ頓狂な声を出した。
「俺は今からあの子の遺体を掘り起こしてきます。」
「え?・・・あ、ああ!」
「河井さんは会社に戻って、石井さんに掛け合ってもらえませんか?」
「掛け合うって・・・何を?」
「石井のおっさん、人脈だけは持ってたでしょ?それを利用すればこの事を広められるかも・・・・、」
「無理よ。私はアイツに蹴落とされたんだもん。こんなこと掛け合っても、笑いものにされるだけよ。」
「じゃあ河井さんの人脈は?」
「へ?」
「だって会社で言ってたじゃないですか。経済誌にいる間にコネが出来て、だからフリーになるんだって。」
「ああ、あれ・・・。」
「どうしたんです?」
「あれは・・・・その・・・嘘だから。」
「嘘?」
「・・・・ごめん、私辞めるつもりなの。もう地元に引っ込もうかなって・・・、」
「え?なんでですか?フリーになるんじゃないんですか?」
「あれはカッコつけただけで・・・・。だって居場所がないから辞めるなんて・・・・それこそ負けたみたいで嫌だったから・・・・、」
「・・・・・・・・。」
「私・・・円香君が思ってるほど強くないし、優秀でもないわよ。あんな小さな出版社だから編集長なんて出来たけど、他所じゃ使い物にならない。」
「そんなこと・・・・、」
「それに円香君には分からないでしょ?女が一人で身を立てるのがどれだけ大変か・・・・・。
頑張るほど目の敵にされたりして、男だけじゃなくて同性からもさ・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「石井の奴なんかその典型よ。気に食わなかったみたいよ、年下の女に抜かれるのが。」
「・・・・すいません・・・なんか・・・そういうのに疎くて・・・・。」
シュンと目を逸らす河井さんは、俺の知っている河井さんではなかった。
心底悔しそうな顔をしながら、「私が男だったら・・・」と漏らす。
「もっと大きな仕事が出来たかもしれない。女だからって目の仇にされずにさ。・・・でもこれ以上頑張る気になれない。
もう一人で戦うのは疲れたし・・・・田舎に帰ろうかなって・・・・。
でもなんにも無いまま終わるなんて言えないじゃない。だから・・・さっきはあんなことを・・・、」
「あんなこと?」
「子供が欲しいって・・・・、」
「優馬君のことですか?引き取らせてくれって。」
「そんな簡単に子供なんか引き取れないって分かってる。育てる自信もないし・・・・。
どうせ円香君の妄想話なんだから、つい冗談でああ言っただけなんだけど・・・・まさか本当だったなんて。」
シュンとしていた顔が、急に戦人のように鋭い目つきに変わった。
「・・・まだチャンスはあるかな?」
「はい?」
「だからさ、これとんでもないスクープじゃない。私が編集長としてこの記事を成功させたら、まだ大きな仕事への道があるかなって。」
「ありますよ!ありまくりですよ!」
グイっと顔を近づけ、「それに・・・」と続けた。
「俺、新幹線の中で考えてたんです。河井さんが本気なら、もう一人の優馬君を引き取ってもらうこともありかなって。」
「・・・・・・・。」
「あ、でも冗談で言ったなら気にしないで下さい。だって河井さんは仕事一筋の人だから・・・・、」
「引き取る!」
今度は河井さんが顔を近づけてくる。
「だってもう冗談じゃないもん」と鼻息荒くしながら。
「円香君の話は全部本当だった。だったら私だって冗談は言えない。」
「・・・・いいんですか?大きな仕事がしたいんじゃ・・・・、」
「子供が欲しいっていうのも本心だから。優馬君、もし生き延びても帰る家がないんでしょ?」
「・・・・最悪は俺が引き取ろうかなって思ってました。もちろん妻に相談してからですけど・・・、」
「じゃあ奥さんにも許可もらってよ。ね?」
河井さんの目は本気だ。
仕事と子供、両方を本気で欲しがっている。
俺は「分かりました」と頷き、「とにかく今はやるべきことをやりましょ」と言った。
「OK!石井は私のこと嫌ってるだろうけど、こうなったら土下座でもなんでもして、どうにか手を貸してもらうわ。そんで最後は見返してやる!」
「その意気です。それでこそ俺の知ってる河井さんですよ。」
善は急げ、俺と河井さんはすぐに仕事に取り掛かった。
俺はこの街の土建屋さんを回り、川を掘り起こしてくれないかと頼んだ。
ほとんどの所で「アホか」と突っぱねられたが、一か所だけ引き受けてくれる所があった。
ヤクザなのか堅気なのか分からない、いかにもグレーゾーンな人達がいる所ではあったが、俺の熱意が伝わって「いいよ」と頷いてくれた。
・・・・ちなみに熱意は形にして表した。お金という形で。
けっこうな額を下ろしてしまったが、地球を救う為だ、仕方あるまい。
幸いあの子が埋まっているという下流は、川幅が広いおかげでかなりの浅瀬だった。
ショベルカーが作業を始めてからものの数分。
人の骨らしき物が出てきた。
正直怖かった・・・・が、それ以上に「やった!」と興奮してしまった。
最初は細長い一本の骨、きっと腕か足だろう。
次に板のような幅広い骨、これは骨盤だろう。
他にも細かい骨が出てきたが、20年も経っているのでほとんどが崩れていた。
ていうかよくここまで形を保っていてくれたものだ。
川底は石が多く、土に還りにくかったせいかもしれない。
まあとにかく、残った分は全部掘り起こさないといけない。
土建屋のおっちゃんが用意してくれたブルーシートに、掘り出した骨を並べていく。
そして・・・・、
「出た・・・・。」
人の象徴ともいうべき骨、頭蓋骨が出てきた。
頭頂部の一部、そして顎の先が欠けているが、しっかりと形を保っている。
「こいつを弔えば、あの子はまた姿を見せてくれるかもしれない。」
川を掘り起こしてから数時間後、ようやくあの少年の遺体に会うことが出来た。
「もういいだろ」と帰っていく土建屋さんに礼を言う。
《これをどこかの寺に持って行こう。》
丁寧にブルーシートに包んで、肩に担ぐ。
するとその時、電話が鳴って『もしもし!』と河井さんの声がした。
『そっちはどう?骨は見つかった?』
「バッチリですよ!」
『マジで!よかったあ・・・、』
「河井さんの方はどうです?石井のおっさんは・・・・、」
『とっくに退社してたから家まで押し掛けたのよ。『いきなりなんだよ・・・?』ってすごいビックリしてたわ。」
「でしょうね。もう深夜だし。」
『でね・・・・手伝ってくれるって。』
「ほんとに!」
『この仕事が終わったらここを辞めますって伝えたの。その代わり力を貸して下さいって。
そうしたらそこまでしなくても・・・って、なんかカッコつけた表情で引き受けてくれたわよ。』
「さすが河井さん!これでたくさんの人に知ってもらうことが出来るかも。」
『ついでにプリントショップにも行ってきた。円香君が預けてたネガ、ばっちり撮れてたわよ。』
「おお!そいつがあれば記事に臨場感でますよ!」
『もう記事なんて言ってられないわ。今ね、こいつを持って警察に向かってるのよ。』
「警察?」
『石井さんの知り合いに署長やってる人がいるんだって。とりあえずその人に話だけでも聞いてもらえることになったから。
多分信じてもらえないだろうけど、円香君が見つけた子供の骨があれば、なんらかの形で動いてくれると思うわよ。』
「お願いします!俺はこの子の骨を弔ってくれる所を探しますから。」
そう言って通話を切った瞬間、急にスマホが震え出した。
ギュイギュイっと震えてから、警報音のようなものが鳴り響く。
「あれ?これって・・・・、」
確かこの警報は、天災以外の緊急事態に鳴り響くものだ。
例えば・・・ミサイルとかテロとか。
またあの国のミサイル実験か?・・・と思ったが、そうではないようだった。
警報が流れたあと、すぐ画面にこんな文字が。
《日本の領空に国籍不明の飛行物体を確認。屋内へ避難し、テレビかラジオを点けて、今後のニュースに注意して下さい。》
国籍不明・・・どうやらかの国のミサイルではないようだ。
まあいい、とにかくこの子を弔ってくれる所を探さないといけない。
・・・・と、その前に妻に電話を掛けることにした。
なんか色々と疑っていたし、それにけっこうヤバイ状況になってるし。
しばらくのコール音のあと、『もしもし?』と声が返ってきた。
「ごめん夜遅くに。実はさ、ついさっきあの少年の骨を掘り起こしたところで・・・・、」
『なに言ってんのお父さん!』
俺の声を遮り、針のような鋭い叫びが返ってくる。
『早くその街から逃げて!』
「え?なんで?」
『ミサイルが落ちるかもしんないのよ!』
「はあ!?さっきの警報、やっぱミサイルだったのか!?」
『今ニュースでやってんの!正体不明の何かが飛んできたって。ミサイルの可能性が高いって。
しかも落下してくるがその街の近くなのよ!』
「・・・・マジで?」
『いいから早く逃げて!もし核ミサイルだったら全部吹き飛んで・・・・し・・・れな・・・・、』
「おい!どうした?なんか電波悪いぞ?」
『・・・て・・・・し・・・じゃ・・・め・・・、』
「おい!おいってば!」
ザザっと雑音が鳴って、電話は切れてしまう。
「なんだ?電車にでも乗ってるのか?」
切れたスマホを見つめていると、急に電源が落ちてしまった。
というより・・・壊れたのかこれ?
画面が乱れ、うっすらと液晶が消えていった。
「どうなってんだ?」
訝しがっていると、突然空から地鳴りのような爆音が響いた。
「な、なに!?」
見上げると、赤い炎と煙が上がっている。
そして遠くの空からは、空気を揺らすジェット機の音が聴こえた。
「な、なに・・・・?まさかほんとにミサイルが・・・・、」
言いかけた瞬間、また爆音が響く。
真っ赤な炎が上がり、俺のいる所まで風が押し寄せた。
空の一部が黄金色に焼けて、何かの燃えカスのような物が降り注いでくる。
「危なッ・・・・、」
パラパラと降り注ぐ火の雨。
その一つが足元に落ちてきて、コツンと靴先に当たった。
「なんなんだよ・・・・。」
恐る恐る目を近づけると、何かが黒く焦げていた。
「・・・・木炭かこれ?木が燃えたのか?」
足で踏むとクシャっと割れた。
するとまた空から爆音が・・・・、
「なんなんだよいったい!?」
恐怖とパニックと、何がなんだか分からないことへの苛立ち。
「どうなってんだ!ミサイルなのか!!」
空に向かって吠えた時、初めてある状況が頭に浮かんだ。
「あれ?これってまさか・・・・・、」
嫌な予感が過るのと同時に、また爆炎。
ジェット機の音も増えてきて、空はまるで戦争状態だ。
「これ・・・ついに来たんじゃないのか?」
ゴクリと息を飲み、空を凝視する。
ヒュウっと何かが飛ぶ音がして、また空を焼く。
間違いない・・・これはミサイルだ。
おそらく遠くを飛んでいるジェット機が撃っているのだろう。
空を焼く炎はさっきよりも増えて、昼間よりも明るく照らす。
その時、ミサイルが何を焼き払おうとしているのか、ハッキリと見えた。
「巨木・・・・。」
あのとてつもなく大きな木が、この星の空へとやって来た。
爆音に気を取られて気づかなかったが、空一面に分厚い雲が広がっていた。
しかしその雲は、繭の道が降りてくる時のような雲とは少し違う。
大きな何かが大気圏を突き破り、空の状態を変えてしまったが為に、もうもうと雲のようなものが空を覆っている・・・・そんな感じだった。
「・・・・・・・。」
何も言葉が出てこない・・・・。
俺が・・・・もたもたと行動していたせいで、とうとう地球侵略を許してしまったのだ。
ミサイルは何度も巨木の根を焼く。
これでもかとミサイルを撃ち込んでいる。
しかし焼け石に水とはこのことだ。
山脈に匹敵する巨木を焼き払うには、あんな程度じゃダメだ。
それこそ本当に核兵器でも使わない限りは・・・・。
「ごめん・・・お母さん、優馬・・・間に合わなかった。」
ボソっと呟き、空を眺めることしか出来ない。
大きな大きな木は、自衛隊だか在日米軍だかのミサイルを受けても、ほとんどビクともしない。
まるで居直り強盗のように、瞬く間に空を覆っていく。
・・・・遠くで爆炎が上がる・・・・何かが燃えながら落ちていく・・・・。
《撃墜されたのか?》
もはや呼吸さえも忘れそうで、地面を踏んでいる感覚さえ消えていく。
ひたすらに空を侵略していく子供の国。
落とされていく戦闘機。
その時、一瞬だけ眩しく何かが輝いた。
・・・それは幻か?それとも・・・・、
光の中にあるシルエットが浮かんでいる。
それは大きな大きな、とても大きな蝶の羽だった。

蝶の咲く木 第二十三話 子供からの警告(1)

  • 2018.01.28 Sunday
  • 14:46

JUGEMテーマ:自作小説

頭に巻いた包帯が崩れている。
激しく寝返りをうったせいだろう。
布団から抜け出すと、見慣れた自宅の天井が目に入った。
「ああ・・・・。」
頭を掻きむしりたい気分だけど、余計に包帯が崩れてしまう。
時計を見ると午前四時で、妻を起こして巻き直してもらうのは申し訳ない。
とりあえずキッチンへ向かい、水を一杯流し込む。
そして洗面所の鏡を見つめながら、慣れない手つきで包帯を巻き直した。
・・・ふと左を見ると、トイレの電気が点いている。
しばらくすると優馬が出てきて、「おはよう」と言った。
「おはよう、早いな。」
「手え洗っていい?」
「おう、すまん。」
蛇口を捻り、短い手を伸ばす。
しかし全然届かないので、よっこらしょっと抱っこしてやった。
濡れた手をタオルでよく拭ったあと、「おじさん」と呼ばれた。
「包帯めちゃくちゃになってるよ。」
「不器用でな。」
「手伝おうか?」
「・・・じゃあ。」
二歳の子供に包帯を巻き直してもらう。
なんとも情けない姿だが、優馬君はかなり器用で、俺より上手く巻いてくれた。
「はい。」
「上手だな。」
「僕ね、家庭科得意だったんだ。」
「ほう。」
「ミシンとか好きだったよ。」
「そうか、将来は仕立て屋だな。」
見慣れた俺の息子・・・・のはずだが、表情にはどこか他人の仕草が混じっている。
今、この子は我が子であって我が子ではない。
中身はまるっきり別人の子供だ。
「君、確か11歳だったよな?」
そう尋ねると、「正確には9歳だけど」と答えた。
「死んでからの年齢も足したら11歳。」
「二年間は向こうで過ごしてたんだよな?」
「何度も説明したじゃん。忘れちゃった?」
「物覚えがな・・・あんまりよくない気がする。これのせいかな?」
頭の包帯を指差すと、「痛かった?」と見上げた。
「いっぱい叩かれて可哀想。」
「いや、俺が悪いんだ。彼の気持ちも考えずに、あれこれ質問しちゃったから。」
怪我をした頭を撫でながら、四日前のことを振り返った。
あの日、俺は徳ちゃんに殺されそうになった。
幸いおばちゃんがたちが助けてくれたけど、その後が大変だった。
俺は救急車で運ばれ、徳ちゃんはパトカーで警察署へ。
俺の怪我は大したことなかったが、徳ちゃんは捕まってしまった。
ただ彼には発達障害があり、障害者手帳も持っていたことから、その日のうちに釈放となった。
俺が罪には問わないで欲しいとお願いしたせいでもあるけど。
《徳ちゃんは被害者だ。悪いのはあの子を育てた親の方だよ。》
包帯をいじりながら、くあっと欠伸をする。
「あ〜あ・・・なんか目が覚めちゃったな。」
ソファに座り、テレビを点ける。
すると優馬君も隣りに座って、能面のような表情で画面を睨んだ。
「なあ?」
「なに?」
「俺、やっぱり10年以内に死ぬの?」
「うん。」
「そうか・・・・。」
「怖い?」
「怖い。でもそれより怖いのは・・・・、」
そう言いかけて、やめた。
これはこの子の前で言うことじゃない。
しかし優馬君はとても敏感で、「ごめんなさい」と言った。
「勝手に優馬君の身体に入って。」
「気にするな。君のせいじゃない。ヴェヴェが悪いんだ。」
「でもこのままじゃ優馬君は死んじゃう。」
「なんとかする。」
「・・・・・・・。」
「どうした?」
「・・・・僕、普通に死んでた方がよかったね。」
「そんなこと言うもんじゃない。」
頭を撫で、肩を抱き寄せた。
「君はなあんにも悪くない。ほんとだぞ。」
こんな慰め、気休めにもならないだろう。
しかし何か言葉を掛けてやらねばと思った。
「君はなんにも気にすることはないんだ。悪いのはヴェヴェだ。」
「でもヴェヴェは子供を助けてるよ。大人からしたら怖い奴かもしれないけど・・・・、」
「そうかな?向こうにいる子供だって、ヴェヴェのことを怖がってるんじゃないか?」
「そうだけど、でも人間の大人よりマシだから。ルールさえ守ってれば、ヴェヴェは酷いことしたりしないから。」
奴のせいで中途半端に生まれ変わってしまったというのに、恨みはないようだ。
《あそこにいる子供たちにとっては、ヴェヴェより人間の大人の方が怖いわけか。》
これと似たような話を、この前テレビで見た。
史上稀に見る大事故を起こしたチェルノブイリ原発。
今、あの場所は野生の楽園に変わっているというのだ。
緑が根付き、多くの野生動物が生息しているという。
どうしてこんな事になっているのか?
チェルノブイリの環境を調査している学者がこう答えていた。
『もちろんまだ放射線の影響はある。それは動物たちにとっても害をもたらすだろう。
しかしここには人間がいない。
野生の生き物にとっては、放射線よりも人間の方が恐ろしいのだろう。』
あれを見た時、なるほどと思った。
あそこが有毒な場所であったとしても、より恐ろしい天敵がいる場所よりはマシなのだなと。
だったら子供の国にいる子供たちも同じかもしれない。
大人が蠢く地球より、ヴェヴェという独裁者に従っていた方が、まだ安心して暮らせるのだろう。
《大人ってのはいつから子供の敵になっちまったんだろうなあ。》
優馬の肩を抱きながら、小さなつむじを見つめる。
この子は人間だ。
そして俺も人間だ。
大人も子供も同じ人間で、その違いは大きさだけ・・・・ではないのだろう。
大人と子供では、世界の見え方が違う。
まだ俺が子供だった頃、確かに今とは違った感覚の中に生きていたはずだ。
それがどんな感覚だったのか、今となっては具体的に思い出すことは難しい。
しかし大人とは違う世界に生きていたような気がする。
いつかどこかで俺は大人になり、子供という殻を捨て去ったのだ。
・・・そう、まるで蝶が羽化し、成虫になるように。
イモムシがサナギになる時、殻の中でドロドロに溶けているという。
似ても似つかない蝶の姿へと変態するには、一度全部崩してしまった方が楽なのだろう。
スープ状に溶けたイモムシだった肉体は、なにもかもが完全に溶けてしまったわけではない。
次なる成長へ備える為、新たな形を成す遺伝子が残っているのだ。
しかし考えようによっては、これはある意味生まれ変わりじゃないのか?
イモムシは一度死に、成虫へと生まれ変わる。
一度の生の中で、二度の誕生を経験している・・・・と考えるのは、あまりに情緒的過ぎるか?
人間は虫のように変態しないから、当然サナギにもならない。
だけど目に見えないどこかで、同じような変化が起きていたとしても、俺は全然おかしいとは思わない。
大人も子供も人間だけど、どこか別の生き物であると感じる。
まだ子供だった俺、そして大人になった今の俺。
これは一本の線で繋がっているのだろうか?
どこがで断絶があって、知らない間に生まれ変わっているのではないか?
・・・俺の妄想癖は相変わらずで、気がつけば優馬君は寝ていた。
子供の寝顔というのはどうしてこんなに可愛いのだろう。
何がなんでも守ってやらなければという気持ちになってくる。
「こんな時間から何してるの?」
後ろから声がして、振り返ると妻がいた。
「いや、包帯が崩れちゃってさ。優馬君に巻き直してもらってたんだ。」
「何それ?」
訝しそうにこっちへやって来て、優馬君の寝顔を覗き込んだ。
「・・・・・・・。」
「どうした?」
「寝てる顔だけ見てると・・・・本物の優馬なんじゃないかって思える。」
「俺も。」
中身が別人でも、寝顔だけは変わらない。
次に目が覚めたとき、元の優馬に戻ってくれていたら・・・なんて願ってしまう。
「もし優馬が復活したら、この子はどうなるんだろうな?」
ボソっと呟くと、妻は「そんなこと考えてどうするの?」と言った。
「だってこの子は肉体を失うんだぞ。だったら死んじまうんじゃ・・・・、」
「そうかもね。」
「冷たいな。なんとも思わないのか?」
「・・・・可哀想とは思うけど、その子は私たちの子供じゃない。ずっとそのままだったら、それこそ私たちの優馬が死ぬんだよ?」
「そうだけど・・・・、」
「父親なら自分の子供の方を心配しないさいよ。」
「心配してるよ。だけど・・・・・、」
「気持ちは分かる。私だってその子が死んじゃうのは可哀想だって思うもん。
だけどその反対側には何が乗っかってるのか考えてよ。」
いつになく強い口調で言う。
優馬君に回した俺の腕を睨み、「あんまりそういう事は・・・・」と口ごもった。
「なんだよ?」
「・・・情が湧くからしない方がいいよ。」
「でも今はこうして生きてるんだぞ?邪険になんて出来ないだろ。」
「だから・・・・そういうことじゃなくてさ、必要以上に可愛がったら、別れる時が辛くなるって言ってるの。」
「そんなこと分かってるよ。でもこの子はまだ子供だ。可愛がって何が悪い?」
ちょっと強めに言い返すと、「その子の面倒をみてるのは私なの」と、優馬君の隣に座った。
「そりゃ口だけならカッコイイこと言えるよ。けどこの子になつかれたら、お父さんが一番辛い思いをするんじゃない?」
「・・・・・・・。」
「私は何がなんでも優馬を取り戻してみせる。例えその子がどうなっても。」
今まで一番強い口調で言う。
その目は本気で、言葉に偽りがないことが伝わってきた。
「代わるよ」と、手で寄こすように言う。
「なんだよ?可愛がるのは嫌なんだろ?」
「あのね、私はお父さんみたいに甘くないの。こんなことしたからって、覚悟が揺らぐわけじゃないから。」
そう言って「いいから」と、俺の腕から優馬君を奪った。
「今日会社に行くんでしょ?」
「ああ。」
「お父さんがお世話になった・・・ええっと・・・、」
「河井さんが戻って来てるんだ。大々的に特集を組んでくれるって。」
「ならチャンスじゃない。これまで取材したことを思いっきり記事にしてよ。
いま地球がヤバいってこと、みんなに知らせてほしい。」
ポンポンと優馬君の頭を撫でながら、「この子のことは私に任せていいから」と頷く。
「まだ怪我してるんだし、もうちょっと寝てなよ。」
「・・・・・・・。」
「気い遣わなくていいから。」
「じゃあ・・・お言葉に甘えて。」
ポンと優馬君を撫でてから、寝室へ戻って行く。
・・・妻は誰よりも俺のことを分かっている。
優馬君を任せろと言ったのは、まさに俺の甘い性格を見抜いているからだ。
もしあの子に情が湧いてしまったら(すでに湧きかけているが)、それこそ俺たちの優馬を取り戻すのに支障をきたす。
甘ちゃんなんだから、これ以上余計なことをするなと言いたかったのだろう。
妻の言うことは正論で、反論の余地もない。
下手に手を出せば余計に負担をかけてしまうだけだ。
だったら俺は俺のやるべきことをやるしかない。
布団に潜り込み、陽が昇るまで寝てから、いつもより早くに出社していった。
会社に着くと、ダッシュで編集部まで駆け込む。
バタンとドアを開けた瞬間、「おっす!」と小柄が女性が手を上げた。
「河井さん!」
仕事をしている彼女のもとへ「おはようございます!」と駆け寄った。
「すいません、色々ご心配かけちゃって。」
「ほんとにねえ、川で死にかけるわ、ニートに殺されかけるわ、とんでもない災難ばっかりね。」
画面から目をそらさずに、「コーヒー」と手を向けてくる。
「ええっと・・・じゃあこれ。」
さっき買った缶コーヒーを渡すと、「ええ〜ブラックじゃない」と愚痴られた。
「あ、じゃあ淹れてきます!」
「いいよこれで。それより・・・・、」
ここでようやく俺の方を向く。
「円香君の話を信じるなら、死ぬだの殺されるだのなんて、問題じゃないくらいの体験をしてきたわけよね?」
「ええ・・・・。」
昨日の夜、河井さんには今までの出来事を全て伝えた。
彼女は『ふんふん』と相槌を打ちながら、『相変わらず病気ねえ』と笑った。
そして『それ記事にしてよ』とOKを出してくれた。
『妄想もそこまでくると立派なもんだわ。とりあえず二週に分けてやって、評判がよかったら何週か続けよ。』
さすがは河井さん、石頭の石井さんだったら『入院して来い、頭の病院にな』と言われて終わりだっただろう。
「あの、写真もあるんです。昨日店に出したから、今日には仕上がってるはずですよ。」
「そ。なら・・・そうね。とりあえず任せるわ。仕上がったら見せて。」
「はい!」
ペコっと頭を下げて、自分のデスクへ向かう。
ギイっと椅子を鳴らしながら、「でも残念でしたね」と話しかけた。
「何が?」
「だって石井のおっさんのせいで、経済誌から戻されてきたんでしょ?」
「耳の早いこと。」
「松永が言ってました。」
「口の軽いこと。」
「でも嬉しいです。またこうして一緒に仕事が出来るなんて。」
「そう言ってくれて嬉しいけど、そう長くはここにいられないんだよね。」
「え?」
思わず固まってしまう。
しばらく口を開けたままでいると、「あ、その顔面白い」と笑われた。
「・・・また異動ですか?」
「ううん。」
「じゃあ・・・辞めるとか?」
「フリーになんの。」
「フリー・・・?」
「だってさあ、頑張って出生しても、こうしてまた古巣に戻されちゃうんだもん。」
「・・・やっぱりショックなんですね。」
「そりゃね。でもいい機会かも。一生宮仕えするより、ここらでフリーになってみよっかなって。
幸い経済誌にいる時、幾つか人脈も出来たし。」
「・・・・・・・。」
「あら、寂しそうな顔。」
そう言ってまた笑う。
俺は自分のパソコンを立ち上げながら、「河井さんも・・・」と呟いた。
「ん?」
「いや、フリーになるのはいいんです。河井さんの人生の事だから。」
「じゃあなんでそんな捨てられて犬みたいな目えしてんの?」
「・・・・つまらないですか?この仕事。」
胸に言いようのない悔しさがこみ上げる。
白紙の画面に文字を打ちながら、「俺は・・・・」と続けた。
「この仕事が好きです。誇りだって持ってるし。」
「ほう。」
「石井みたいなおっさんにどう思われようとなんとも思いません。
けど俺、河井さんのこと尊敬してるんです。だから・・・・もしこの仕事がつまらないって思ってるなら、それはちょっと寂しいかなって。」
この人は俺を育ててくれた人だ。
もしこの人が上司じゃなかったら、この仕事を続けていたかどうか分からない。
「俺、昔っから超常現象だとかUMAだとか、そんなのばっか好きで。よく周りにからかわれてました。
けどここで河井さんに出会って、初めて人に認めてもらえたような気がしたんです。
いつまでもガキっぽい妄想ばっかしてるけど、そんな俺でも頑張ればやっていけるんだって。」
白紙のボードがどんどん文字で埋まっていく。
書くのは元々早い方だけど、今日はいつにも増して早い。
きっと河井さんの言葉にショックを受けているせいだろう。
落書きしながら電話をすると、スラスラ言葉が出てくる感じに似ている。
「松永もこの仕事には真面目じゃないみたいで。ていうか・・・・なんでしょうね?なんか俺だけがこういう事に熱くなってんのかなって。」
子供の頃、周りからよく言われた事がある。
『早く大人になれ』
そう、俺だけが子供の時間が長かった。
周りが彼女だ合コンだとか言っている時でさえ、妄想の世界を追いかけていたのだから。
よくよく考えれば、結婚できたのだって奇跡に近い。
ある意味超常現象だろう。
「いや、いいんです。何が大事かなんて人それぞれですから。けど・・・・俺だけが熱くなって、それで記事書いて、そんなの誰かに伝わるのかなって思って。
・・・・すいません、ただの愚痴です。」
戻ってきたばかりの河井さんに、いったい何を言っているのか?
これこそが子供っぽいと言われる所以だろう。
意識を切り替え、目の前の仕事に集中することにした。
「円香君。」
編集長のデスクから声が飛んでくる
俺はパソコンを睨んだまま「はい」と答えた。
「やっぱブラック買ってきて。」
そう言ってさっきあげた缶コーヒーを揺らす。
「どうも甘いのは苦手だわ。」
「・・・・分かりました。」
立ち上がり、トボトボと廊下の自販機へ向かう。
真っ黒な缶のブラックコーヒーを持って帰ると、河井さんはコートを羽織っていた。
「どっか行くんですか?」
「ん、取材。」
「どこに?」
「円香君の死にかけた川。」
「へ?」
「の大木。」
「い、今からですか?」
「そ、今から。」
小柄なわりに大きな歩幅で歩いてきて、俺の手から缶コーヒーを奪った。
「ここでの最後の仕事になるかもしんないからね。やるからには本気じゃないと。」
「あの・・・・、」
俺の脇を通りすぎ、「早く用意して」と振り向く。
「お、俺も行くんですか?」
「あんたの記事でしょ?行かなくてどうすんの?」
「それはそうですけど・・・・、」
うろたえる俺に向かって、河井さんはクスっと肩を竦めた。
「正直なところ、私はオカルトなんて興味ない。」
「はい。」
「こんな小さな編集部で人生を終えたくない。もっと大きな仕事がしたい。」
「河井さんなら出来ますよ。きっとフリーでも活躍できます。」
「でもだからって、ここでの仕事を適当に考えたことはない。私はどんな仕事でも本気で打ち込んできたつもり。」
「分かってます。だから尊敬してるんですよ。」
「私がオカルト好きかどうか、円香君には関係ないわ。仕事は成果が全てだから。」
「はい・・・・。」
「でも君の持ってる情熱が、私の助けになったのは間違いない。ありがとね。」
そう言う河井さんの顔は、いつもより優しく見えた。
「どんな事でも人それぞれよ。人がどうであろうと、円香君がこの仕事を好きならそれでいいじゃない。」
「それは分かってるんですけど・・・でも一人ってのは辛くて。」
「人間なんて誰だって一人よ。まあとにかく、今度のネタは全力でやんなさい。責任は私が持つから。」
ポンと肩を叩かれて、ちょっと泣きそうになった。
「あんたの情熱がこの編集部を支えてるのよ。これからも頼むわよ。」
いつもの強気な顔に戻って、さっさと外へ歩いて行く。
これは慰めか?
それとも労いか?
どっちか分からないけど、俄然やる気がわいてきた。
「そうだよ・・・俺がやんなくて誰がやるんだ。この記事仕上げて、みんなに地球の危機を知ってもらわないと。」
前を行く上司の背中は小柄だが、大きく見えるのは人としての器のせいだろうか?
頼もしい上司と共に、再びあの大木を目指した。

蝶の咲く木 第二十二話 暴力の連鎖(2)

  • 2018.01.27 Saturday
  • 13:27

JUGEMテーマ:自作小説

取材をするなら落ち着ける場所がいい。
喫茶店とかファミレスとか。
しかしながら、今俺たちがいる場所はガヤガヤとうるさかった。
ここは飲み屋の「羽布」
あの厳ついおばちゃんが切り盛りしている店だ。
俺がいた時よりも客は増えていて、中には立ち飲みしている者もいた。
《もうちょっと静かな場所の方がいいんだけどなあ。》
俺と青年は厨房の奥にある、こじんまりとした休憩所で向かい合っていた。
背もたれのないパイプ椅子に、端っこが掛けたガラスのテーブル。
俺は番茶を、青年はコーラを飲みながら、レバニラ炒めをつついていた。
厨房からおばちゃんが顔を出し、「徳ちゃん、ご飯は?」と尋ねた。
「あ、さっきカレー食べたからいいです。」
「そっちのあんちゃんは?」
「あ、じゃあおにぎりを。」
おばちゃんは頷き、ものの二分ほどでおにぎりを持ってきてくれた。
「どうも。」
「300円ね。」
「お金取るんですか?」
「当たり前だろ。あ、徳ちゃんはいいからね。」
むう・・・・油断した自分が情けない。
はむはむっとおにぎりを頬張り、番茶で流し込んだ。
「君・・・・名前は?」
「菱井徳久です。」
「ずいぶんあのおばちゃんに可愛がられてるね。親戚か何か?」
「いえ、父の知り合いなんです。僕が小さい頃から面倒みてもらって。育ての母っていっても過言じゃないです。」
「もしかして・・・お母さんいなかったの?」
「いましたけど、家を出て行きました。ていうかおばちゃんが追い出したって感じですけど。」
「ほう・・・なんかあったの?」
「すごい手をあげる母だったんです。」
「手をあげるって・・・叩かれてたったこと?」
「はい。父は泊まりの仕事が多くて、家にいないことが多かったんです。
それでお母さんはあんまり子供が好きじゃなかったみたいで、僕はしょっちゅう叩かれたり蹴られてりしてました。」
「そりゃ可哀想に。」
「お父さんがいる時は大人しいんですけど、二人だけになると・・・・、」
「う〜ん・・・なるほど。お父さんには言わなかったの?」
「言ったらもっと殴るって脅されて・・・・。」
「じゃあずっと我慢してたんだ。」
「小5くらいまでは我慢してました。でもとうとう我慢できなくなって・・・・、」
「誰かに助けを求めた?」
「叩かれるとか蹴られるとかは我慢できたんです。あの人はずる賢いから、あんまり強くやると痕が残るじゃないですか。
だから怪我しない程度に加減してたんです。だけどご飯を食べさせてもらえないのが辛くて・・・・。」
「空腹には勝てなかったわけだ。」
「それでここへ逃げてきたんです。お金はお父さんから借りて払うから、なんでもいいから食べさせてほしいって。
その時におばちゃんが色々心配してくれて。あの時はおっちゃんもいたから・・・、」
「おっちゃん?」
「おばちゃんの旦那さんです。」
「ああ、なるほど。今はじゃあ・・・、」
「四年くらい前に亡くなりました。病気で。」
「そっか。で・・・おばちゃんのおかげで虐待が発覚したってことかな?」
「お父さんに電話してくれたんです。アンタ子供にご飯も食べさせてないってどういうこと?って。
そうしたらお父さんもビックリしたみたいで。それでお父さんがあの人を問い詰めたんだけど、シラをきるばっかりでした。」
「認めなかったわけだ?虐待を。」
「お父さんとあの人とすごい喧嘩になりました。あの人はものすごい喚いて、悪いのはこのガキとアンタだって。」
「修羅場になったわけだ。」
「アンタが家空けてばっかりだから、私一人で面倒見なきゃいけないって。遊びにも行けないって怒って。
元々子供は欲しくなかったみたいだし、それに僕は変わった子供だったし。」
「変わった子供?」
「大人になってから分かったんだけど、上手く人と話せない障害があるんです。」
「発達障害ってやつか?」
「そうですそうです。あれも種類があって、僕はとにかく話すのが下手だったんです。
言いたいことも伝わらないし、相手が言ってることも上手く理解できなかったり。」
「でも今はちゃんと話してるじゃないか。」
「短い時間だったら平気なんです。あと喋るテーマとか内容が決まってれば。」
「ああ、そういうこと。」
「でも自由に話せって言われると無理です。なんか会話がズレてくるんですよ。
あの人はずっと僕と一緒にいたわけだから、きっとイライラが溜まってたんだと思います。」
さっきから母親をあの人呼ばわりしている。
かなりの恨みと憎しみがあるのだろう。
「僕だって好きでこんな風に生まれたわけじゃない。だいたい子供が嫌いならなんで産んだんだろうって・・・・。」
「それは考えても仕方ないよ。こうして生まれちゃったんだから。」
「アイツの血が流れてるってだけで嫌なんです。あのクズみたいな母親が・・・・どっかで死んでればいい。」
「でもオヤジさんだって家を空けることが多かったんだろ?言っとくけどさ、子育てって辛いもんだぞ。
ウチにも小さい息子がいるけど、育児は両方がちゃんとやらないと。」
「だからってイライラしてたら子供叩いてもいいのかよ!飯食わせなくてもいいのかよ!!」
青年は急に怒りだす。
「ちょっと落ち着け・・・・」と宥めようとしたが、噴出した怒りは止まらない。
「そんなん夫婦の問題だろうが!なんで子供に当たるんだよ!!」
「だから落ち着けって。何も君が悪いなんて言ってるわけじゃ・・・・、」
「散々暴力振るって、でも自分はバレたくないからって脅しまでかけて・・・・ふざけんなよあのババア!
出てく時だって自分が被害者みたいな顔しやがって!アイツが僕をイジメたんだ!アイツが僕を叩いてたんだよ!」
「分かった!わかったらちょっと冷静にだな・・・・、」
「ちょっとでも自分が辛いと被害者ぶるくせに、自分の子供は好きにしていいと思ってる!
あんや奴は子供産んじゃダメなんだよ!虐待してる親なんかみんな殺すべきなんだ!!」
「頼むから落ち着けって・・・・、」
「僕が何したんだよ!自分から発達障害になったわけじゃないのに!なんにも悪いことしてないのに、なんで叩くんだよ!」
「・・・・・ダメだなこりゃ。」
この怒りは止まらない。
さっきまでの淡々とした表情が嘘のように、人でも殺しそうな形相に変わっていた。
「一番の被害者は子供だろ!なのに夫婦がどうとかとかどうでもいいんだよ!!
なんで大人が子供を叩くんだよ!なんで親が自分の子供を虐めるんだよ!!」
「そうだな・・・・一番の被害者は君だよ。それは間違いない。」
この青年の言う通り、一番の被害者は子供だ。
彼の両親がどんな仲で、どんな力関係だったのかは、俺には分からない。
しかし例え夫婦仲が険悪だったとしても、そのはけ口として、子供を虐待する理由にはならないはずだ。
最悪は夫婦は縁を切ればすむ。
しかし親子はそうはいかない。
青年は拳でテーブルを叩きつけている。
やり場のない怒りを燃やすように・・・・・。
このテーブルの端っこが掛けているのは、このせいなのかもしれない。
やがて厨房からおばちゃんが出て来て、「徳ちゃん!」と止めた。
「また手え怪我するから!」
おばちゃんに羽交い絞めにされてもまったく止まらない。
叫び、暴れ、椅子を蹴り飛ばしている。
「ちょっとアンタも手伝って!」
「は、はい!」
そう言って立ち上がったはいいものの、徳ちゃんのパワーは凄かった。
俺より細身のはずなのに、おばちゃんと二人がかりでもなかなか押さえ込めない。
《人間ってキレるとここまで力が出るんだな・・・・。》
人は普段、自分の身体を傷つけないように、筋力をセーブしているという。
怒りはそのセーブを簡単に解いてしまうのだろう。
おばちゃんが「誰か!」と叫び、いいガタイをした土方のおっちゃんが「またか」とやってきた。
三人がかりで押さえつけ、ようやく落ち着きを取り戻した。
「・・・・・・・。」
徳ちゃんは泣いている。
うずくまり、まるで子供みたいな声で・・・・。
「あんた何か余計なこと言った?」
おばちゃんがギロリと睨む。
俺は「虐待のことに触れた瞬間に・・・・」と話した。
「ダメだよその話は。この子はすごく辛い思いしてんだから。」
「聞きました、かなり酷い母親だったみたいで。」
「ありゃ酷いなんてもんじゃないよ。徳ちゃん優しいから、あんな母親でもオブラートに包んで話すのさ。
ほんとはもっともっとね・・・・ほんとうにどうしようもない女だったよ。」
そう言って「もうちょっと早く気づいてあげてれば・・・」と徳ちゃんを見つめた。
「口じゃ言えないようなことだってされてるんだよ、この子は。そのせいか知らないけど、心が子供の頃で止まっちまってるんだ。」
「それで子供っぽいんですね。ちなみに今は幾つで?」
「26。」
《俺の三つ下か・・・・。ほとんど同い年じゃないか。》
若者若者と呼んでいたが、子供っぽさのせいで幼く見えていただけだった。
外見だけでは歳は分からないものだ。
徳ちゃんはグスグスと泣いて、頭を抱えて何やら呟き始めた。
「どうした?」
顔を近づけると、おばちゃんがこう言った。
「いつもこうなんだよ。ああやってパニックになったあとは、うずくまってブツブツ唱えるんだ。」
「唱える?何を?」
「子供の国、子供の国って。」
「子供の国!?」
「徳ちゃんは絵が好きでね。母親に虐待されてた時、絵を描くことだけが一番の楽しみだったんだよ。」
「へえ・・・・ちなみにどんな絵で?」
「色々さ。ウルトラマンとか車とか、子供が好きそうな絵だよ。」
「なるほど・・・絵を描くことで現実逃避してたんですかね?」
「きっとね。あんな辛い目に遭ってたんだ。ここじゃない遠い世界へ行きたかったのかもねえ。
その証拠に自分だけの夢の国を描いてたこともあるから。」
「夢の国ですか?」
「なんかね、大きな木がいっぱい生えてる絵だったよ。それが空に浮かんでるんだ。」
「それほんとですか!?」
思わず詰め寄ると、「なんだいいきなり?」と訝しがられた。
「いや、すいません・・・・。その絵のこと、もうちょっと詳しく教えてもらえますか?」
「下の方に地球みたいなのが描いてあったよ。そんで大きな木は雲に乗って、地球から離れていくような感じだったね。」
「なるほど・・・・。じゃあ地球よりさらに下の方に、炎に焼かれる人とか描かれていませんでしたか?」
「は?」
「真っ黒に塗りつぶされた人たちが、炎に焼かれているんです。そういう絵が描かれていませんでしたか?」
そう尋ねると、怖い目で睨まれた。
その顔は猛獣のようで、思わず後ずさってしまう。
「あんた・・・・、」
「は、はい・・・・。」
「徳ちゃんを馬鹿にしてるのかい?」
「え?」
「この子がそんな絵を描くわけないだろ。性根の優しい子なんだよ。そんな人が焼け死ぬだなんてもん描くわけない!」
思いっきり怒鳴られて、「すいません・・・」と頭を下げた。
「記者だかなんだか知らないけど、徳ちゃんを傷つけるようなこと書いたら許さないよ。」
「申し訳ない・・・・。」
やはりこのおばちゃんには逆らえない。
しかし・・・・引き下がるわけにもいかない!
ここへ来て急展開だ。
何がどうなっているのか分からないが、とても重要な何かを、この青年は握っているはずだ。
「その絵ってまだありますか?」
そう尋ねると、「いいや」と首を振った。
「あの母親が破いちまったんだよ、徳ちゃんの目の前で。あの絵を徳ちゃんが気に入ってるって知ってながらさ。」
「そりゃ酷い。」
「そういうことする奴だったんだよ、あの女は。旦那がどうとか関係ない。誰と結婚しても同じようなことしてたはずさ。
なんたって根っから腐ってたからね。大した女でもないクセに、どっかの王族か貴族みたいに勘違いしてるような態度だったし。
思い出すだけでもムカムカしてくるよ。ねえ徳ちゃん?」
おばちゃんが尋ねても、相変わらず頭を抱えているだけだ。
「子供の国、子供の国・・・・」と、ひたすら念仏のように唱えている。
《なんかここへ来てガラっと状況が変わってきたな。》
この徳ちゃんという青年、絶対に大きな秘密を隠しているに違いない。
彼の横に膝をつき、「なあ?」と背中に手を置いた。
「君・・・・20年ほど前からUFOみたいな光を見るって言ってたよな?」
そう尋ねても泣いているだけ。
しかし少しだけこちらに目を向けたので、声は届いているようだ。
「それ詳しく教えてくれないか?どんな感じの光で、どんな風に見えるんだ?」
徳ちゃんはヒックヒックと泣きながら、「ふわっと・・・・」と答えた。
「ふわっとした感じ・・・・・。」
「もうちょい具体的に。」
「ぼんやりして・・・・ふわふわした感じです・・・・。それでフラフラ動く・・・・。」
「なるほど。じゃあさ、もしも生き物に例えるとしたら、何が一番近いかな?」
「生き物?UFOなのに・・・・・?」
「例えばだよ例えば。なんでもいいんだ、君がこれだって思う生き物で。」
徳ちゃんは困った顔で考える。
眉間に皺が寄り、グスっと泣いてしゃっくりが出る。
それでも質問に答えようと、「強いて言うなら・・・」と呟いた。
「うん、強いて言うなら?」
「・・・・ガ、かな。」
「ガ?ガってあの虫の?」
「うん・・・。」
「蝶じゃなくて、蛾に近いと思ったの?」
「強いて言うなら・・・・。」
「蝶には似てないか?」
「蝶っていうより蛾の方が近い感じ・・・・・。上手く言えないけど・・・・、」
「そうか・・・いや、ありがとう。」
とりあえず徳ちゃんを立たせ、椅子に座らせる。
「ほら」とコーラを差し出すと、口いっぱいに頬張っていた。
「ちょっと落ち着いたか?」
「すいません・・・・カッとなって・・・・、」
「いいんだよ、誰だって触れられたくない部分はある。俺の聴き方が無神経だった、ごめんな。」
そう謝ると、「ほんとだよ」とおばちゃんに睨まれた。
「記者だかなんだか知らないけど、人のプライベートはずかずか踏み込むもんじゃないんだよ。
誰だって心に傷くらいあるんだから。」
「すいません。ええっと・・・じゃあもう君のお母さんの話は終わりにしよう。
代わりにUFOの話を聞かせてほしいんだ。ていうかその為の取材だからね。」
徳ちゃんは「はい・・・」と頷き、コーラのお代わりを要求していた。
「大丈夫かい徳ちゃん?なんならおばちゃんがこの記者を追い返そうか?」
「ううん、平気。」
「嫌なことは嫌って言えばいいんだからね。今度嫌なこと聞いてきたら蹴飛ばしてやんな。」
おばちゃんはコーラのお代わりを置き、俺に一瞥をくれてから去っていった。
「ふう・・・なんともいえない迫力のある人だな。」
「昔からああなんですよ。でもすごく優しい人なんです。」
「分かるよ。口は悪いけど悪い人じゃない。」
人の本性なんて見た目じゃ分からない。
言動が悪くても、根っこが優しい人はたくさんいるのだ。
というより、あまりに紳士ぶったり淑女ぶったりしている奴の方が、腹の中では何を考えているか分からない。
まあとにかく、本来聞くべきことを取材しないと。
「なあ徳ちゃん。そのUFOのことなんだけど、蛾みたいに見えるんだよな?」
「強いて言うならですけど・・・・。」
「いつもどの時間帯に見るの?」
「夜です。空が暗くなってから。」
「毎日見る?」
「毎日じゃないです。だいたい週に一回見るか見ないかだけど、たま〜に毎日見ることもあります。」
「色はどんな感じ?」
「んん〜っと・・・・青白い感じです。でもたまに赤くなったりもするし、真っ白に光ることもあります。」
「じゃあ形は?蛾みたいに見えるってことは、虫に近い形なのかな?」
「ちょっと似てるかもしれません。いかにもUFOって感じの形じゃないと思います。
なんかこう・・・羽に似たような物が二つあって、だけど完全に虫の形でもないし・・・・、」
「虫に近い形だけど、虫とは言えないような形ってことだな?」
「ええ。」
「どれくらいの距離で見える?かなり離れてるかな?それともけっこう近い?」
「けっこう遠いと思います。雲が浮かんでるくらいの高さかなって。」
「具体的だな。なにか根拠が?」
「だってそのUFOの光で、雲が光ってたから。月明かりを受けた時の雲みたいに。」
「なるほど・・・・。20年前くらいから見るようになったって言ってたけど、急に?」
「はい。窓から外を見てたら、ふわふわって飛ぶ不思議な光があって。」
「それ、他にも知ってる人はいる?」
そう尋ねると、「それが・・・」と神妙な顔になった。
「その・・・、」
「どうした?」
「お父さんは見えないって言うんです。」
「そうなの?じゃあその・・・お母さんは?」
「言ってません。どうぜ馬鹿にして叩かれたりするから。」
「そうか・・・・。じゃあ友達とかには教えなかったの?UFOが見えるって。」
「ほとんど友達いなかったんです。今もですけど・・・、」
「ああ、そうか・・・すまん。」
「でも学校の子に教えたことはあります。」
「ほう、クラスメートにってことだな?で、どうだった?他の子たちは見えるっていったか?」
「・・・・・・・・・。」
「どうした?なんで黙る?」
「・・・いや、あの・・・・、」
「もしかしてまた余計なこと聞いたか?それなら謝るけど・・・・、」
「いや、そうじゃないんです。そうじゃなくて・・・・、」
コーラの入ったコップを握りしめ、シュンと目を逸らす。
言いたくない言葉を飲み込むように、グっとコーラを流しんこんでいた。
「聞かれたくないことがある?」
また激高させてしまったら、多分おばちゃんにブッ飛ばされるだろう。
そうならないように、努めて柔らかい口調で尋ねた。
「いや、いいんだよ。どうしても言いたくないなら。そりゃこんなに遠慮してちゃ記者として失格だけど、俺は誰かを傷つけてまで何かを聞き出そうとは思わないから。
まあそのせいで万年平社員なんだけど。」
肩を竦めておどけると、徳ちゃんは「記事にしないなら」と顔を上げた。
「今から言うこと、秘密にしといてくれるなら・・・、」
「いいよ、約束する。」
「じゃあ、あの・・・・、」
コーラを置いて、切腹でもする武士のごとく背筋を伸ばした。
「クラスメートのほとんどは、何も見えないって言ったんです。お前ウソついただろってからかわれたりして。
だけど一人だけ見えるって子がいて・・・・、」
「ほう、君の他にもいたのか。」
「その子・・・男の子なんですけど、女の子みたいに可愛い顔してるんです。
それでですね・・・その子はちょっとだけ僕と仲が良くなって、UFOのこと色々話し合ったんですよ。
あの光はなんなんだろうって。」
「うん。」
「そうしたらその・・・・その子もですね、悪い大人から嫌なことをされたことがあるって・・・・、」
「まさかその子も虐待を受けてたのか?」
「いえ、違います。虐待じゃないんです。その・・・学校の帰り道で、嫌な目に遭ったことがあるみたいで・・・、」
「嫌な目?どんな?」
「・・・・さっきも言ったけど、すごく可愛い顔してる子なんですよ。だからですね、たぶんそのせいだと思うんだけど・・・・、」
そこまで言って、ごにょごにょと口籠る。
小さな声なのでハッキリと聴こえないが、一つけだけ聞き取れた言葉があった。
『脱がされた』
確かにそう聴こえた。
徳ちゃんは目を伏せ、またコーラを飲む。
「これ、その子には絶対に言わないでほしいって言われてたんですけど・・・・、」
「なるほどね、なんとなく言いたいことは分かった。要するにその子は、おかしな趣味を持った大人に目をつけられたってことだな?」
「はい・・・・。」
「ただ脱がされただけ?他に酷いことは?」
「写真を撮られたって言ってました。あと・・・・ここを触るようにって言われたって。」
そう言って自分の股間を指さす。
「すごい怖かったって言ってました。怖すぎて誰にも言えないから、なんにも無かったんだって自分に言い聞かせたって。」
「UFOのことを話してるうちに、お互いに大人のせいで嫌な目に遭ってるって分かったわけか。」
「それでその時に思ったんです。あのUFOって、辛い目に遭ってる子供にしか見えないのかなって。」
いったん間を置き、ふうと呼吸してから先を続けた。
「僕とその子だけがUFOを見てたんです。これって・・・・、」
「悪い大人のせいで苦しんでる子供にだけ見えるものだと?」
「だってそれしか共通点がないから。」
「まあ・・・・確かにそうだな。」
話を聞く限りでは、徳ちゃんの言うUFOが本当にUFOなのかどうなのか分からない。
しかし俺にはある一つの疑惑があった。
大人から傷つけられた子供にしか見えないUFO・・・・これはますます怪しい。
その光の正体、やっぱりアイツなのでは?
「なあ徳ちゃん?」
声色を変えて尋ねると、「はい」と怯えた表情をした。
「UFOを見たってその友達、紹介してくれるかな?」
「それは無理です。」
「どうして?俺に秘密を喋ったことがバレるから?」
「いや、そうじゃなくて・・・、」
「じゃあ何?」
「だってその子・・・・もうこの世にいないですから。」
「え?亡くなったってこと?」
「はい。事故に遭って。」
「そうか・・・いや、ごめん。辛いこと聞いて。」
「いいんです。けっこう昔の話だし。それにそこまで仲が良かったわけでもないし。」
そう言ってから、暗い顔で俯いた。
「どうした?」
「いえ・・・・、」
「まだ隠してることが?」
「・・・・・・・。」
「徳ちゃん?」
「あの・・・・、」
「うん。」
「その子のこと・・・・その・・・帰り道でイヤらしいことした大人って・・・・、」
「うん。」
「・・・・僕のお父さんです。」
「・・・え?」
素っ頓狂な声が出てしまった・・・・。
徳ちゃんのお父さんが?なぜ?
・・・と思ったが、ありえなくないか。
だってあの人は・・・・、
「僕のお父さん・・・・部屋に隠してる写真とかあって・・・・。」
「写真?」
「その・・・・僕が中学生くらいの時に、お父さんの部屋を漁ったんです。」
「漁る?どうして?」
「お小遣いが欲しくて・・・。あんまり貰えなかったから。」
「ああ、なるほど。いや、俺にも経験があるよ。ゲーゼン行くのに親の財布から千円抜いたことがある。
その日のうちにバレて親父にぶっ飛ばされたけど。」
冗談っぽく言って肩を竦めるが、徳ちゃんは笑わない。
じっと手元を見つめながら、「その時に・・・」と続けた。
「机の下に大きな引き出しがあるじゃないですか。一番下の段のやつ。」
「・・・ああ、はいはい。分かるよ。」
「そこにたくさん本が入ってて、その本の隙間に挟んであったんです。その・・・・裸の男の子の写真が。」
「マジで・・・?」
「それも一人や二人じゃなくて、けっこうな数の男の子の写真がありました。そのウチの一枚が・・・・・、」
「UFOを見た子だった?」
「はい・・・・。」
「てことは、その子を酷い目に遭わせていたのは・・・・・、」
「僕のお父さん・・・・だと思います。」
消え入りそうな声で言って、「ごめんなさい」と俯く。
「いやいや、君が謝ることじゃないよ。」
「こんなの誰にも言えなくて・・・・・、」
「辛かったんじゃない?一人でそんなの抱え込むなんて。」
「・・・・お母さんのことがあったから、お父さんだけは信用したかったんです。なのに・・・すごい裏切られた気分で・・・、」
「そりゃそうだよ。その・・・・ちなみにだけど、君はお父さんからはその・・・、」
「何もされていません。僕の前ではすごく良い父親なんです。
厳しいし怖いけど、でも大事に育ててくれましたから。僕、ニートだから今でも迷惑かけてるし・・・・、」
「そうか・・・なるほどなあ。」
残ったお茶をすすりながら、「う〜ん・・・」としかめっ面になってしまった。
《あのオヤジ、マジで変態だったわけか。となると・・・・、》
俺は身を乗り出し、「なあ?」と尋ねた。
「その写真、まだあるか?」
「分かりません。あれ見た瞬間にすごい気持ち悪くて・・・それから父の部屋には入ってないですから。」
「その・・・一つ頼みがあるんだけどさ。」
背筋を伸ばし、ううんと咳払いする。
彼にとっては辛いお願いだろうが、これは彼にしか出来ない事だ。
「その写真・・・見せてもらうことって出来ないかな?」
「え?」
「家から取って来てほしいんだ。」
「どうしてですか?だってこの話は記事にしないんでしょ?だったら・・・・、」
徳ちゃんの顔色が変わっていく。
またさっきのように暴れるつもりだろうか?
俺は慌てて「いやいや!」と手を振った。
「実はね、俺の知り合いにも辛い目に遭った子供がいるんだよ。」
「そうなんですか?」
「それで・・・・その子が言うには、犯人の特徴が君のお父さんそっくりなんだよ。」
「・・・それってつまり・・・・、」
「うん、その写真の中に、その子が写ってる物があるかもしれない。」
「・・・・・・・・。」
「俺はね、その子にこう言われたんだ。犯人に復讐してほしいって。」
「復讐?」
また徳ちゃんの顔色が変わる。
眉間に皺が寄り、拳を硬く握った。
「犯人はまだ捕まっていない。だからその子はとても悔しがってるんだ。だからね、その・・・・もしも君のお父さんが犯人なら、それを放っておくことは出来ない。
それを確認する為に、その写真を見せてほし・・・・・、」
そう言いかけた時、眉間にガツンと痛みが走った。
「お、お前ええええええ!」
目の前から大声が聴こえる。
俺は頭を押さえながら、何があったのかと顔を上げた。
その瞬間、今度は鼻面に衝撃が走った。
「ぐおッ・・・・、」
背もたれのない椅子なので、そのまま後ろに倒れる。
硬い床で思いっきり後頭部を打ってしまい、うずくまりながら悶絶した。
「なんだよお前!UFOの話って言っただろ!」
うずくまる俺に、徳ちゃんの蹴りが飛んでくる。
靴先がみぞおちに入って、声にならない悲鳴が出た。
《息がッ・・・・・、》
後頭部の痛みに、呼吸の出来ない苦しみ・・・・。
それでも徳ちゃんの罵声がやむことはない。
倒れる俺に向かって「この嘘つき!」とまた蹴りが・・・・、
「そんなの聞いてどうすんだよ!お前も俺を苦しめるのか!?」
雨あられと彼の足が飛んでくる。
もうどこを守っていいのか分からないくらいに・・・・。
《ちょッ・・・・殺す気かこいつ・・・・、》
やめろと叫ぼうとしても声が出ない。
俺は何も出来ずに、彼の暴力と罵声に晒されるだけだった。
「お前ふざけんなよ!ほんとは記者じゃないんだろ!警察なんだろ!!」
悲鳴に近い罵声が耳を貫く。
何がなんだか分からなくなって、俺はただ怯えることしか出来ない。
「なんで僕を辛い目に遭わそうとするんだよ!そんなのバレたらお父さんまでいなくなる!
そうなったら僕は死ぬ!全部失うんだああああ!!」
怒号というか雄叫びというか、まあとにかく凄まじい叫び声だ。
チラリと目を向けてみると、なんと彼はガラスのテーブルを持ち上げ、俺に向かって叩きつけようとしていた。
《まじかコイツ・・・・、》
あんなもんで殴られたら死んでしまう。
逃げようと必死にもがくが、痛みと呼吸困難のせいで上手く動けない。
《頼む!誰か助けて・・・・、》
怖い・・・・その感情しかなかった。
抵抗できない状態で、死ぬかもしれない暴力に晒されるというのは・・・ただただ恐怖しか生まれなかった。
《死にたくない!こんな奴に殺されたくない!》
・・・・その願いが通じたのか、「やめろ!」と複数の男の声が聴こえた。
「何してんだお前!」
ガヤガヤと騒がしくなり、「うううがああああああ!」と徳ちゃんの絶叫が聴こえる。
「手え押さえろ!」
「その箸取り上げろ!刺してくるぞ!」
徳ちゃんの悲鳴、男たちの罵声、色んな声が入り混じる中、「大丈夫かい!」とおばちゃんの声がした。
「しっかりしな!」
頭におばちゃんの手が触れている。
目を向けると、その手は赤く滲んでいた。
「ちょっと!誰か救急車!頭怪我してる!!」
・・・どうやらあの血は俺の物らしい。
徳ちゃんは男たちに取り押さえられ、ガッチリと床に踏み伏せられた。
一人がケータイを取り出し、救急車を呼んでいる。
その間も徳ちゃんは叫び続け、鬼の形相で俺を睨んでいた。
「お前が悪い!お前が悪い!お前が悪い!」
決して自分のせいではないと主張して、ただただ俺に憎悪をぶつけている。
その顔はさっきまでの彼とはまるで別人だった。
まるで悪魔にでも取り憑かれたかのように、心の根っこまで歪んでしまったかのように、目を合わせるのもおっかないほどの形相だった。
・・・そういえばいつか本だかテレビだかで見た気がする。
虐待は連鎖すると。
幼い頃に受けた暴力は、自分が大人になってから、別の者に向けられるというのだ。
俺は大人から虐待を受けた経験はない。
ないが・・・その気持ちは分かるような気がした。
イジメを受けた子供は、転校をキッカケにイジメっ子に転身することがあるという。
それはきっと、自分自身がイジメの対象になりたくないからだろう。
俺自身、子供時代に軽くイジメを受けていた。
あの時の惨めさと悔しさといったら、言葉で言い表せないものだ。
だったら虐待も同じではないだろうか?
大人になり、親に対抗できる腕力がついてからも、心に疼く傷が癒えるわけではないだろう。
その傷の痛みを鎮めるには、自分自身が暴力者となり、痛みと同化する以外にないのかもしれない。
徳ちゃんの母親がどういった人間なのか、詳しくは分からない。
しかし今の彼の形相を見ている限り、きっとこんな顔をしながら我が子を叩いていたんじゃないかと思う。
《大人でも怖いと思うんだ。これが子供なら・・・・・。》
想像しただけで背筋が寒くなった。
抵抗もできず、助けてくれる人もおらず、圧倒的な強者の腕力に屈する恐怖。
それは痛みであるし、屈辱であるし、何より心に暗い影を落とす刃である。
子は親を選べない。
生まれてみるまでどんな親か分からないというのは、実はけっこうな賭けなのではないだろうか。
・・・やがて救急車の音が聴こえてきた。
それと同時にパトカーのサイレンらしき音まで。
彼はまだ目の前で吠えている。
鬼のように、悪魔のように・・・・。
彼はついさっきまで俺を殺そうとしていた。
なのに彼を憎むことが出来ないのは、彼自身もまた被害者だからだ。
彼の内に宿る暴力は、親が与えたものだ。
今頃彼の母親は、虐待のことなんて忘れて、素知らぬ顔で過ごしているのだろうか?
小児性愛車の父親は、息子がショックを受けたことを知っているのだろうか?
・・・憎むべきは彼の親。
あれだけ暴行を受けても、徳ちゃんを憎いとは思えない。ただ可哀想で・・・・。
悪魔の形相をしている彼の方が、俺よりよっぽど痛がっているように見えた。

蝶の咲く木 第二十一話 暴力の連鎖(1)

  • 2018.01.26 Friday
  • 12:35

JUGEMテーマ:自作小説

俺は電車オタクではないが、電車に揺られるのは好きである。
じっと座りながら、駆け抜ける景色を眺めるのは気持ちのいいものだ。
向かうは○○府の○○市。
ここにあの少年を殺した殺人犯がいるらしい。
場所は「羽布(ハブ)」という飲み屋。
スマホで検索をかけると、駅から近い場所にあった。
ゴトゴトと揺られる旅を終え、乗り換えの電車に駆け込む。
そして20分ほど揺られてから、目的の街まで到着した。
「大木がある街よりは都会だな。」
大都市○○府の中心から外れた街ではあるが、そこそこ大きなビルが立ち並んでいた。
目の前には車の多い通りがある。
その向こうにはごちゃごちゃと店が並んでいて、地元の人間でもなければ、どこに何があるかなんて分からないほど雑然としていた。
そんな雑居ビルの上には高速道路が通っている。
高架下の向こうには商店街があって、その中程に殺人犯行きつけの店があるのだ。
目的地へ行くのは容易い。
しかしここで問題が一つ・・・・。
《犯人の容姿を聞いてないんだよなあ。》
もっとも大事なことを聞きそびれていた。
今朝妻に電話したら、『ほんと抜けてる』と呆れられた。
そんなこと言われたって仕方ないではないか。
あの少年の幽霊を呼び出し、どんな奴か教えてというわけにはいかないのだから。
まあ・・・どうにかなるだろう。
信号を渡り、雑居ビルを越え、高架下の遠くへ伸びる商店街へと入った。
今日は休日なのにあまり人がいない。
ていうか廃れているといった方が正しいか。
駅のすぐ近くに大型の家電量販店と、大型のショッピングモールあったので、地元の人はそっちへ行くんだろう。
大手の店がこういう街へ出てくると、個人商店はことごとく淘汰されてしまう。
それでもまだ大型店が残っているうちはいい。
儲けが出ないからとそれらの店が撤退した時、ここはある意味焼け野原に変わるだろう。
廃れた商店街を見つめながら、かつてここが賑わっていた時、どんな風だったんだろうと思いを馳せた。
「・・・・・あ、さっきの店か・・・・。」
ボヤっとするのが俺の悪いクセ。
目的の店を通り過ぎてしまった。
ドアの上に大きく「羽布」と看板が出ている。
「さて、殺人犯は来てるかな?」
ドアに手を掛けるが、いくら引っ張っても開かない。
なんで?と思っていると、準備中という看板が掛かっていた。
「なんだよ?もう夕方の五時だぞ。まだ開店しないのかよ。」
少し離れて店を睨む。
ボロい木造の壁をトタンで補修している。
ドアのガラスはすすけていて、中を見ることは出来ない。
まさか潰れている?・・・と思ったが、そうでもなさそうだった。
一人の中年女が向こうから歩いて来て、ガチャガチャとドアを開けたのだ。
「あの・・・・、」
声をかけると、「なに?」と睨まれた。
見るからに柄の悪そうな女で、きょう日にヒョウ柄のジャケットを羽織っている。
これで頭が紫色なら、道頓堀でワイワイ騒いでいるおばちゃんそのものだ。
「すいません、もう営業始まりますか?」
そう尋ねると、「あんた誰?」と威圧的だ。
「誰って・・・飲みに来た客ですけど。」
「そうなの?じゃあ入って。」
「お邪魔します・・・。」
えも言えぬ迫力のあるおばちゃんで、自然と遜ってしまった。
おばちゃんは店の奥へ行き、パチっと電気を点けた。
薄橙の灯りが店内を照らして、昭和の飲み屋のような風情を醸し出す。
「どこでも好きなとこ座って。」
「あ、はい・・・。」
「あ、テーブル席はダメ。そこ常連さんが使うから。カウンターに座って。」
《どこでもいいって言ったクセに・・・・。》
いそいそと狭いカウンター席に座ると、「準備するから待ってて」と、厨房の奥へ引っ込んでしまった。
何やらガチャガチャ音が聴こえる。
一人で切り盛りしているのだろうか?
椅子を回し、狭い店内をじっくりと眺めた。
天井には行灯みたいなデザインをしたライトがあって、暖かいオレンジの光を放っている。
カウンター席は全部で五つ、その後ろには狭い通路があって、三つテーブル席が並んでいた。
家で使うような家庭的なクロスが掛けられていて、所々シミで汚れている。
《いかにも常連しか来なさそうなとこだな。酒も升に入って出てきたりして。》
スマホを取り出し、パシャっと一枚いただく。
おばちゃんはまだガチャガチャと音を立てていて、いつになったら出てくるのだろうと、厨房へ首を伸ばした。
「あの・・・・もしかして一見さんはお断りみたいな感じですか、ここ。」
「あええ!?」
「いや、常連さんが多そうな店だから・・・・、」
「流行ってないって言いたいの!?」
「そうじゃないですけど・・・・、」
「嫌なら他行きな!」
「だからそうじゃないんですけど・・・・。」
イライラしているのか、それとも元々こういう性格なのか。
話しかけても怒られるだけのようなので、黙っておくことにした。
それから数分後、ようやく注文を取ってくれた。
ビールとナスの田楽を頼み、一人もくもくと酒を舐める。
《誰も来ないな。これじゃただ飲みに来ただけだよ。》
今日は殺人犯は来ないのだろうか?
気がつけばビールは三杯目に突入し、肴も空になってしまった。
《ここへ来て一時間半か・・・・。もうちょっと待ってみるかな。》
それから更に時間を潰すこと30分、ようやく二人のおじさんが入ってきた。
いかにも土建屋みたいな格好で、おばちゃんと親しく話している。
続いて黒いジャンバーを羽織った爺さん、スーツを来た中年の男が三人と、そこそこ客が増えてきた。
《この中に犯人がいるのかな?》
あまりジロジロ見てもアレなので、横目でチラチラと確認する。
しかしそれっぽい奴はいなさそうで、どうしたものかと困ってしまった。
そもそも殺人犯に会ったことなどないので、それっぽい奴というのもただのイメージでしかないけど。
《あなたは殺人犯ですか?なんて尋ねるわけにもいかないしなあ・・・・これじゃほんとに飲みに来ただけで終わっちまう。》
少々焦りが出てくる。
しばらく酒を舐めていると、また新たな客がやって来た。
今度は若い男だ。
いや、若いっていうか子供っぽいといった方が正しい。
大人ではあるけど、顔立ちも雰囲気も幼いというか。
それにとても中性的な顔立ちをしている。
若干の無精ヒゲがあるので男だと分かるが、それを剃って女装すれば、女でも通りそうなほどだ。
おばちゃんは「いらっしゃい」と笑顔で迎える。
《初めて笑った顔見たな。知り合いか?》
ニコニコしながら「いつものでいい?」と尋ねている。
「あ、今日はカレーで。」
「何か付けようか?」
「じゃあハンバーグを。」
おばちゃんは笑顔のまま厨房へ消えていく。
そして若い男は俺から一つ離れたカウンター席に座った。
スマホを取り出し、何やら熱心に見ている。
ラインでもやっているのだろうかと、それとなく覗き込んでみると、ヤフーキッズを見ていた。
《なんだこいつ・・・・。》
カレーにハンバーグは乗せるわ、スマホでヤフーキッズは見るわ。
それに加えてこの中性的な童顔。
まるっきり子供じゃないかと、興味をそそられてしまった。
やがてハンバーグカレーが運ばれてきて、「熱いから気をつけて」とおばちゃんの愛想付きだ。
「ちょっと冷ましてあるけどね、食べられると思うよ。」
「うん。」
スプーンを持ち、少しだけ口を付けてから、すぐに水を飲んでいた。
「あ、まだ熱かった?」
「ちょっと。」
「団扇持って来ようか?」
「平気。」
「水足しとくね。氷は?」
「いい。」
愛想よく気遣うおばちゃんと、素っ気ない若者。
これじゃまるで親子の会話だ。
ていうか本当に親子なんじゃ・・・・と思ったが、そうではないとすぐに分かった。
「お父さんどう?仕事忙しい。」
「泊まりが多い。」
「新しいお母さんは慣れた?」
「まだ結婚してないよ。付き合ってるだけ。」
「なんだ、まだなの?タモっちゃんもいい加減にしないと、誰も嫁に来てくれなくなるよ。」
「誰でもいいよ僕は。最初の奴に比べたら。」
「そうだね・・・ありゃ酷かった。血の繋がった親子のクセに。」
急に切ない顔を見せるおばちゃんと、相変わらず淡々としている若者。
さらに興味を惹かれて耳を立てていると、その気配をおばちゃんに察知されてしまった。
「盗み聴きしてんじゃないよアンタ。」
「え?」
「じっとこっちの話聴いてただろ?」
「あ、いや・・・・聴こえるもんだからつい。」
「常連さんの邪魔するなら帰ってくれよ。」
「いやいや、そんな・・・・、」
怒ったおばちゃんの顔は猛牛のようで、余計な反論はやめた方がいいだろう。
「あと一杯やったら帰ってよ。」
「え?もう閉店ですか?」
「違うよ、ウチは長居する店じゃないって言ってんの。他にも馴染みの客が来るんだから、いつまでも居座らちゃ困るんだよ。」
《なるほど、やっぱり一見さんはお断りと。》
仕方ない、ここは一旦外へ出よう。
何もここで待っていなくても、外から張り込んでいればいいだけだ。
それっぽい奴が来たら声を掛けてみるか。
勘定を済ませ、店の外でウロウロする。
夕方よりも人が多くなっているのは、この商店街に飲み屋が多いせいだろう。
至る所に看板が灯っている。
タバコを点け、少し離れた場所から店を見つめる。
するとさっきの若者が出てきた。
おばちゃんはご丁寧にも見送りに出ている。
「これ、明日のおかずにでもして。」
「うん。」
白いビニール袋を受け取って、若者は店を後にした。
顔立ちも雰囲気も幼いと思ったが、歩き方まで幼さを感じる。
なんというか・・・・小学生くらいの男の子が、学校帰りにフラフラとしている足取りだ。
まっすぐ歩けるクセに歩かない。
どこかに面白いものはないかと、道草のネタを探している・・・・そんな感じがした。
「最近流行りの発達障害ってやつかな?」
見知らぬ青年がどんな病気や障害を抱えていようと知ったことではない。
ないのだが・・・・なんとなく見入ってしまうのは、年相応ではない動きと雰囲気が、新鮮なものだと感じてしまうからだろう。
まあいい、あんな青年に構っても仕方ない。
携帯灰皿にタバコを押し付け、店を振り向く。
すると・・・・、
「おうッ・・・・・、」
思わず飛び上がりそうになる。
なぜなら目の前に幽霊の少年がいたからだ。
「あの・・・・また何か伝えたいことが?」
死者の便りはまだ終わらないらしい。
気持ちのいいものではないが、せっかく来てくれたのを邪険にするのは申し訳ない。
「今日は何を伝えに来たんだ?・・・いや!ていうか俺からも聞きたいことがあるんだ。
ここへ来たはいいけど、その殺人犯がどんな奴か聞いてなかった。出来れば特徴を教えてほし・・・・、」
そう言い終える前に、少年は商店街の先を指差した。
「え?なに?」
《・・・・・・・。》
「え?まさか・・・・あの青年?」
《殺して。》
「あいつが犯人なんだな?」
《殺して、お願い。》
「・・・・とりあえず後をつけてみる。気になるなら君も一緒に来い。」
遠くに見える青年の背中を追いかける。
彼は商店街から出て、雑居ビルとは反対の方へと歩いて行った。
大きな道路が通っているが、こちらは駅前の通りとは違って閑散としている。
商店も減っていき、代わりにマンションや民家が増えてきた。
遠くには学校らしき建物も見える。
その後ろは山になっていて、上の方に送電線鉄塔が建っていた。
《この辺りは住宅街か。さっきの場所とは全然雰囲気が違うな。》
同じ街であっても、通り一つ挟んだだけで、ガラリと雰囲気が変わるのはよくあることだ。
ここに立ち並ぶマンションや民家のどこかに、彼の家はあるのだろうか。
気づかれないように距離を取って尾けていく。
大きな道はまっすぐ続いており、今振り返られたら、身を隠すのは難しい。
しかし青年はまったく振り向かない。
スマホ片手に、子供のような足取りで歩いていくだけだった。
そのまま尾行すること10分弱、青年は一軒の民家の前で立ち止まった。
俺は近くのマンションの植え込みに身を寄せた。
完全に隠れられるほどスペースがないので、スマホをいじって尾行を誤魔化す。
《あれがあいつの家か?》
やや赤みがかった瓦をした、どこにでもありそうな二階建ての家だ。
青年は門を潜り、ドアに鍵を差し込み、家の中へと消えていった。
「・・・・・・・・。」
植え込みから出て、周りを警戒しながら、その家へと近づいた。
ふと見上げると、二階の窓に人影が映った。
《ヤバッ!》
咄嗟にしゃがみ、壁に身を隠す。
・・・ちょっとだけ顔を出し、二階の窓を見上げる。
すでに人影はなく、部屋にいるのかどうかも分からなかった。
「家を突き止めたのはいいけど、これからどうしよう?」
俺は探偵でもなければ警察でもないので、捜査の仕方なんてまったく知らない。
・・・であれば、記者という肩書きを使うしかないだろう。
財布には名刺が入っている。
ここにはバッチリとオカルト雑誌の名前が印刷されているので、『この辺りでUFOの目撃例があったんですよ』なんて取材を申し込んでみよう。
アホなやり方だとは思うが、効果はてきめんなのだ。
普段の取材でも、UFOやUMAを追いかけていると言うと、大抵の人は面白がって応じてくれる。
多分あの若者も乗ってくるだろう。
名刺を取り出し、ふうっと息をつく。
玄関の前に立って、「すいませ〜ん」とチャイムを押した。
すぐにトトトと足音が近づいてきて、ガチャリとドアが開いた。
「はい?」
先ほどの青年が顔を出す。
俺は「どうも」と営業スマイルを振りまいた。
「実はわたくし、こういう者なんですが・・・、」
名刺を渡すと、特に表情を変えることなく見つめていた。
「月間アトランティスという雑誌の記者なんです。
今UFOの取材をしていまして、この辺りで目撃例があったんですよ。
それで他にも目撃者がいないかと探している最中でありまして。」
努めて笑顔で語りかけると、「見てません」とアッサリした回答だ。
「本当に?夜とかに不思議な光を見たとかありませんか?」
「ないです。」
「じゃあそういう噂を聞いたとかは?」
「ないです。」
「そうですか・・・・。じゃあ・・・、」
「ないです。お答えすることはありません。」
そう言って名刺を突き返された。
踵を返し、家の中へと消えてしまう。
「あ、ちょっと・・・・、」
バタンとドアが閉じられて、足音が遠ざかっていく。
《取り付く島もなかったな。》
まったくなんの興味も示さなかった。
こういったオカルト的なものを嫌っているのだろうか。
どうしたもんかと困っていると、後ろから「誰だ?」と声がした。
「へ?」
振り向くと、青いツナギを着た男が立っていた。
日に焼けた顔、ポツポツと目立つ白髪。
いかにも中年のオヤジといった風貌で、その目は敵意に満ちていた。
「あんた誰?」
「えっと・・・・この家の方で?」
「だとしたらなんだよ?」
「いや、実はわたくしこういう者でして。」
先ほど突き返された名刺を差し出す。
オヤジは「月間アトランティスう?」と訝しがった。
「はい。いわるゆオカルト雑誌でして。」
「あんた記者さん?」
「そうです。実はこの辺りでUFOの目撃例があったので、お話を伺えないかと・・・、」
そう言いかけた時、「帰れ!」と怒鳴られた。
「こっちは泊まりの仕事から帰って来たんだ。そんなもんに付き合ってられるか。」
ドンと俺を突き飛ばし、家の中へ消えてしまった。
「あ、ちょっと・・・・、」
また取り付く島もなかった。
「今のは青年の親父かな?」
じっと家を見上げ、「どうしよう・・・」と困る。
あの若者は本当に殺人犯なのか?
もしそうだとしたら、この家には証拠となる物が隠されているかもしれない。
どうにかして中に入れないか考えていると、《殺して》と声がした。
隣を見ると少年の幽霊が立っていた。
どうやらついて来たようだ。
「なあ?本当にあの若者が犯人で間違いないんだよな?」
《あいつが僕を殺した。》
「本当に?」
《本当。》
「本当の本当に間違いないんだな?あの青年が・・・・、」
《本当。》
「・・・・なあ、ちなみに君が殺されたのっていつ頃の話?」
《20年前。》
「20年・・・・けっこうたってるな。」
《復讐して、早く。》
「いや、それはちゃんと調べてからだな・・・・、」
《復讐して。お願い・・・・。》
そう言い残し、少年は消え去った。
俺は犯人の家を振り返り、グっと唇を噛み締めた。
「俺だけじゃこれ以上調べるのは無理か・・・・。」
・・・昨日、妻と話してから一日が経とうとしている。
もう悩む時間は終わった。
《無駄足だったな・・・・。こんな事なら最初から復讐を選んでおけばよかったのかも。》
踵を返し、家から離れる。
街灯を見つめながら、俺もとうとう人殺しになってしまうのかと、悲しいやら情けない気持ちになってきた。
ぼんやりとあれこれ考えながら、トボトボと夜道を歩いていく。
優馬のこと、子供の国のこと、ヴェヴェのこと、爺さんのこと、そしてあの少年のこと。
とりとめもなく、ここ数日に起きた出来事が、冴えない頭の中を流れていった。
・・・・・・。
・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・あれ?
ふと足が立ち止まる。
「これおかしいよな・・・・。」
おぼろげな頭で考えていた、色んな出来事。
その中に一つ、矛盾していることがあった。
「あの少年が亡くなったのは20年前・・・てことは子供の国はその後に誕生したことになる。」
子供の星は少年の絵が元になっている。
少年が死んですぐに子供の国が出来たとしても、その歴史は20年しかない。
あの屋敷の爺さんも、かつて子供の国へ行ったことがあると言っていた。そしてクローンとして蘇ったのだ。
しかしあの少年が亡くなったのは20年前。
・・・・・なんで?
《子供の国が出来たのは20年前。でも爺さんから20歳引いても子供にはならない。
てことはつまり・・・・どういうことだ?》
腕を組み、眉間に皺を寄せる。
・・・ていうか、そもそもどうしてあの少年は爺さんの家に現れたのだろう?
もちろん絵を渡す為なのだろうが、じゃあどうしてその絵があの屋敷にあったんだろう?
あの少年は孫でもなければ親戚でもない。
じゃあどうしてあの爺さんの家に?
再び悩んでしまう。
すると突然「あの・・・・」と声を掛けられた。
ビクっと振り向くと、さっきの青年が立っていた。
「すいません・・・・驚かせちゃって。」
「いや、いいんだけど・・・・どうしたの?」
「実は・・・・見たことあるんです。」
「ん?何を・・・?」
「UFO。」
「へ?」
「見たことがあるんです。ていうか・・・・しょっちゅう見てる感じです。」
「・・・・マジで?」
「まだ幼稚園くらいの頃からだから、もう20年くらい前からずっと見てます。夜になると。」
「20年・・・・、」
「さっきは素っ気ない態度とっちゃったけど、でも・・・・すいません。人見知りなんです、僕。
僕もずっとUFOみたいな光のことが気になってて、誰かに話したかったんです。
その・・・取材とかするんだったら、今からでも話を聞いてもらえますか?」
淡々とした口調は相変わらずだが、声には熱が篭っている・・・・ような気がした。
その目はまっすぐで、童顔と相まって子供に見つめられているような気分だ。
「・・・・いいよ、取材に応じてくれるならこっちも嬉しい。」
「場所変えよう」と歩き出すと、青年はトコトコとついて来た。
頼りない足音が、本物の子供のように思えた。

蝶の咲く木 第二十話 二つの繭(2)

  • 2018.01.25 Thursday
  • 13:18

JUGEMテーマ:自作小説

夜、晴れていた空が様相を変えた。
どこからか分厚い雲が出てきて、一気に月と星を隠してしまう。
まるで冥界のような空だけど、そこから一筋の竜巻が降りてきた。
そいつは川原の傍の大木を覆い、大きな繭に変わる。
その繭がパチンと弾けると、枝いっぱいに光る蝶が咲いていた。
「昨日より多いな・・・・。」
所狭しと輝く蝶は、一匹、また一匹と空へ舞う。
その中から一匹の蝶がこっちへ飛んできて、俺の指先にとまった。
『こんばんわ。』
なつちゃんだ。
俺も「こんばんわ」と返し、「実は・・・」と興奮気味に切り出した。
「実はさ、これを見てほしいんだけど・・・・。」
バッグの中からあの絵を取り出す。
するとなつちゃんは『どこで見つけたの!?』と、悲鳴に近い声を上げた。
「うん、それがさ・・・・、」
俺は今日あった出来事を話した。
爺さんの屋敷に侵入した時に、不思議な子供に出会ったことを。
なつちゃんは『そっか・・・・』と頷き、川の方を振り返った。
『あの子、この川に埋められてたんだ・・・・。』
「まだ確認はしてないけどね。でも俺たちのやり取りを見てたっていうから、きっとこの川だと思うよ。」
『それに復讐を望んでるなんてね・・・・。死んでも許せない怒りは、私にもよく分かる。』
なつちゃんも復讐を選んだ子供だ。
ヴェヴェに頼んで、自分を殺した大人を燃やし尽くした。
そのせいでこんな蝶みたいな宇宙人モドキになってしまったわけだが・・・・。
『円香さんはどうするの?やるの?復讐。』
そう問われて、「え?」と聞き返した。
『だって頼まれたんでしょ?復讐。その見返りとしてこの絵を渡してくれたんじゃないの?』
「いや・・・俺は人殺しなんて出来ないよ。」
『じゃあ私たちが代わりにやってあげようか?』
「は?」
『人一人殺すくらいわけないよ。』
「いやいや、何を物騒なこと言って・・・・・、」
『今の私にはそれくらいの力はあるし、それに悪い大人なんて許せないし。』
「・・・・なつちゃんもまだ大人を憎んでるの?」
『うん。』
「そうか・・・・。」
複雑な気持ちになる。
復讐をしたからといって、気分が晴れるわけではないようだ。
『円香さんがやりたくないなら、私がやってもいい。他の子だってきっと手伝ってくれるし。』
そう言って蝶の咲く木を振り返った。
『あそこにいるみんなだって、憎い大人たちに復讐したんだもん。みんな協力してくれるわ。』
「あ、いや・・・だとしてもな、殺人っていうのはちょっと・・・・、」
『私たちはもう人間じゃない。だから法律なんて気にしなくていいのよ。』
「君たちはそうかもしれないけど、直接に相談を受けた俺としてだな・・・・復讐を頼むのはちょっと・・・・、」
『そいつを殺したって円香さんのせいじゃないわ。私たちがやれば警察にだってバレないし。』
「うん、いや、だからそういうことじゃなくてさ。俺の気持ち的な問題というか・・・・、」
『迷うことないじゃない。もしかしたら千切られたもう半分の絵もくれるかもしれないし。』
「・・・・この絵をイモムシに食わせれば、最悪の事態は防げるんだよな?」
『うん、巨木が地球に根を張るのは難しくなるはず。』
「子供の国はあの絵が元になってるわけだもんな。そいつを悪い大人の描いたイモムシに食わせれば、夢は力を失うってことだよな?」
『そう。』
「そうすれば地球の軍隊でも充分に勝てるってわけだ。核兵器とか化学兵器とか、恐ろしい武器を使わなくても。」
『上手くいけば、地球へ来る前に枯れ果ててくれるかも。』
「そうなってくれると一番いいんだけど・・・。でもさ、一つ気になることもあるんだよ。」
『なに?』
「その子を殺した奴を殺しちゃったら、そのイモムシも消えちゃうんじゃないかって・・・。」
『・・・・・?どういうこと?』
「だってそのイモムシは犯人が描いたんだろう?じゃあそいつが死んだらイモムシもいなくなるんじゃないかなって。」
『それはない。』
「どうして?」
『だってその子は死んだけど、子供の世界は消えてないから。』
「ああ、そうか・・・・。」
『そんなの気にすることなく復讐したらいいんです。それがその子への弔いにもなるし。』
「いや、でもなあ・・・・やっぱり殺人なんて・・・・、」
『じゃあ場所だけ教えて下えて。そうすれば私たちが殺してきますから。』
さっきから恐ろしいことをサラっと連発する。
なつちゃんはとても良い子だと思うけど、少しだけその考えが揺らぎそうになる。
「君たちが大人を恨んでるのはよく分かる。だけどね、そんな殺す殺すって言ってると、本当の殺人鬼みたいになっちゃうよ。」
『もう人間やめてるから。きっと鬼より強いと思いますよ。』
「だからそういう問題じゃなくって・・・・、」
これ以上話しても埓が明かない。
とりあえずいったん話題を逸らすことにした。
「ちょっと写真を撮りたいんだ。」
そう言って爺さんのカメラを掲げると、『無理ですよ』と言われた。
『私たちから強い磁場が出てるから。』
「これ旧式のフィルムカメラなんだ。磁気の影響はないよ。」
『そうなんですか?じゃあどうぞ。』
ニコっと手を向けるので、早速撮影した。
三脚を立て、カメラを乗せ、レリーズを装着する。
カメラを大木に向け、光る蝶たちにピントを合わせた。
「けっこう光ってるからなあ・・・二分・・・いや、一分くらいでいけるかな。」
レリーズを押してシャッターを開きっぱなしにする。
不安だったので、シャッター速度を変えて何枚か撮影した。
「君も撮らせてもらっていいかな?」
『いいですよ。』
レンズを向け、彼女のアップも撮影した。
『ついでに人間にも変態しましょうか?』
「・・・そうだな。お願いできる?」
彼女は羽から糸を出し、繭で自分を包む。
その繭から人間の手が突き出てきて、少女の姿のなつちゃんが現れた。
「その姿になると光らないんだね。ちょっと光量が足りないから木の下で撮ろう。」
蝶の咲く木をバックに、人間モードのなつちゃんもフィルムに収めた。
これで記事の為の写真はバッチリだ。
『撮影はもういいですか?』
「うん、ありがとう。」
『じゃあ復讐しに行きましょ。』
「いや、だからそれは・・・・、」
『復讐すれば残りの絵だって手に入るかもしれません。そうすれば地球を守れるんですよ?』
「そうだけどさ・・・・、」
『そんな悪い大人に同情するより、地球のことを考えないと。
そうしないと、その絵に描いてることが現実になっちゃいます。』
そう言って絵の中で焼かれる大人たちを指差した。
『あの巨木が地球に根を張れば、実際にこうなっちゃうんですよ。大人はきっとみんな・・・、』
「だろうね。それを阻止するにはやっぱり・・・・、」
『復讐しかないです。』
「・・・・・・・・。」
『怖いですか?』
「怖いっていうか嫌なんだ。自分が殺人犯になるなんて。」
『殺すのは私たちだから、円香さんが気に病むことないですよ。』
「でも場所を教えたら君たちは殺しに行くじゃないか。だったら俺も共犯だよ。」
そう、やっぱり俺には人殺しなんて出来ない。
その犯人がどうこうとかじゃなくて、殺人なんて罪を背負いたくないのだ。
例え警察に捕まらなかったとしても、罪は罪として残るだろう。自分の中にずっと・・・・。
《どうしたらいいんだろう?なつちゃんはやる気満々だし、復讐すれば残りの絵だって手に入るかもだし・・・・。
でもなあ、やっぱり人殺しってのは・・・・。》
川を見つめながら、しばらく悩む。
一番良い方法はなんなのだろうかと。
「・・・・なあ。」
『はい。』
「俺、とりあえずそいつに会って来るよ。」
『本当に犯人か確かめるってことですか?でも死人ってまず嘘はつかないですよ。その子がそう言うんなら、きっとそいつが犯人なんですよ。』
「かもしれないけど、実際に自分の目で確かめたいんだ。どんな奴なのかって。
それでもしそいつが犯人だとしたら・・・・、」
『したら?自主でもすすめるんですか?』
「・・・・どうにか証拠を見つけて、警察につき出す。」
『証拠を・・・・。』
「あの子の話によれば、そいつは他にも子供を殺してるらしいから。だったら調べれば何か出てくるかも・・・・、」
『それじゃ遅いです。モタモタしてる間に地球は侵略されちゃいますよ。』
「だけど自分の目で確かめたいんだ。それでね、俺がそいつに会いに行ってる間に、君には別の仕事を頼みたい。」
『なんですか?』
「その子の遺体を捜してやってほしいんだ。」
そう言って夜の川に目を向けた。
「あの子はここに眠ってるはずだ。」
『見つけて弔ってあげるんですか?』
「ああ。それに遺体が見つかれば殺人の証拠になる。」
『いいですけど・・・・。』
「けど?」
『復讐はした方がいいと思います。じゃないと犠牲になった子供たちが報われないから。』
「・・・とにかくそいつに会ってみるよ。話はそれからだ。」
結局その日はこれで解散となった。
「明日から忙しくなるな。とりあえずあの子が言っていた場所に行って、殺人犯に会ってみるか。」
車を駆り、ビジネスホテルまで戻っていく。
田舎の暗い夜道は、考え事をするのにピッタリだ。
《面倒なことになってきたなあ・・・・。そりゃなつちゃんの言う通り、地球のことを考えるなら今すぐ復讐した方がいいんだろうけど。
それでもなあ・・・・やっぱり殺人っていうのはなあ。》
人殺しなどまっぴらゴメンだ。
例えそれで地球が救えるとしても、俺には難しい・・・・。
《ホテルに戻ったらお母さんに電話してみるか。優馬のことも気になるし。》
安いビジネスホテルの部屋にたどり着き、どっとベッドに横たわる。
目を閉じると眠ってしまいそうだったので、上体だけ起こしてスマホを掴んだ。
「・・・・ああ、もしもし?お母さん?」
電話が繋がるなり、『どうだった?』と尋ねてくるので、今日起きた全ての出来事を話した。
『マジ!絵見つかったの?』
「うん、本人が渡してくれた。復讐との交換条件で。」
『そっかあ・・・。なんかもうアレだね、全然驚かないよ、幽霊とか聞いても。』
「そりゃまあ宇宙人にも会ってるしな。」
『で、どうすんの?やるの?復讐。』
「まさか。とりあえず犯人に会ってこの目で確かめる。どんな奴なのか。」
『ええ〜!やめときなって、危ないよ。』
「怖いのは怖いけどさ、どんな奴かくらいは直接確かめたいんだよ。」
『でも殺人犯なんだよ?しかも何人も殺してるんでしょ。』
妻は絶対に反対のようで、『あとはなつちゃんたちに任せればいいじゃん』と言った。
『そんな何人も子供を殺したような奴、天罰が下って当たり前よ。』
「天罰なのか、これ?」
『そうでしょ、他に何があるのよ?』
「神様のやることなら仕方ないかなって思えるけど、相手は元人間の宇宙人モドキだぞ。それも子供の。殺人を頼むなんて出来ないよ。』
きっと同意してくれるだろうと思ったのに、妻は復讐に賛成のようだ。
その理由は単純明快だった。
『殺人犯の命と、地球の運命とどっちが大事なのよ?』
「それはなつちゃんにも言われた。」
『別にお父さんが手を下すわけじゃないんだからいいじゃない。警察にだって絶対にバレないし。場所教えてあげなよ。』
「でもそれだと俺まで共犯にだな・・・・、」
『意気地なし。』
「は?」
『自分が汚れたくないからって、逃げてちゃダメでしょ。そいつが死ぬだけでどれだけの人が救われると思ってるの?』
「いや、でも殺人だぞ?意気地なしとかそういうことじゃ・・・・、」
『じゃあ私にそいつの居場所を教えて。私からなつちゃんに伝えるから。それならいいでしょ。』
「でもそんな事したら今度はお母さんが殺人の手助けをすることにだな・・・・、」
『私はそんなの気にしない。だって地球の運命が掛かってるんだから。
それに子を持つ親として、子供を何人も殺した奴なんて絶対に許せないし。お父さんもそうでしょ?』
「そりゃそうだよ。でもな・・・・、」
『だから復讐してもらいなよ、なつちゃんに。』
妻の言うことはもっともだが、俺はまだ迷っていた。
「とにかくそいつに会うよ。それよりさ、優馬はどうだ?いつもと変わらないか?」
『ああ、そのこと・・・・、』
急に声のトーンが下がる。
さっきまでの勢いはどこへやら、『聞いてよちょっと・・・』と重くなった。
「何かあったのか?」
『あの子ね、やっぱり優馬じゃないみたい。』
「マジか・・・・。」
『優馬に直接尋ねたの。最初は誤魔化してたんだけど、なつちゃんから聞いたって言ったら素直に答えた。
やっぱり別の子供なんだって。例の焼け死んだ囚人の。』
「じゃあやっぱり俺たちの優馬は・・・・、」
『今は身体を乗っ取られてる状態。あ、でも完全に意識が消滅したわけじゃないから安心して。』
「・・・どういうことだ?」
『ちょっとだけ優馬の精神が残ってるそうなのよ。』
「そうなのか?」
『優馬君が言うには、今は眠ってる状態だって。自分が優馬の身体から抜ければ、きっと目覚めるだろうって。』
「ほんとかよ!じゃあ生き返るんだな!?」
『生き返るも何も、まだ死んでないから。なんていうか・・・仮死状態みたいな感じなんだと思うよ。』
「いや、それ聞いてホッとしたよ。そうかあ・・・・生きてたかあ・・・・。」
『だけど問題もあるって。』
「え?」
『あまりに長いこと優馬に宿ってると、いずれは完全に死んじゃうだろうって。』
「そんな!」
『自分が出ていけば助かるけど、出て行く方法が分からないって。だからどうにも出来ないって・・・・。』
「何言ってんだよ!だってあれは優馬の身体だぞ。他人の子供なんて・・・・、」
せっかく命を繋いだ我が子だ。
その命が消えるのを見過ごすことなんて出来るわけがない。
「なんでもいいんだ。何か方法はないのか?」
スマホを握り締めながら、強い口調で尋ねる。
すると妻は『一つだけ・・・・』と言った。
「ん?方法があるのか?」
『優馬君が言うには、あの巨木が地球に根を張ればって・・・・、』
「へ?どういうこと?」
『だから地球が侵略されれば、優馬は消えずにすむってこと。』
「なんで!?」
『なんでって・・・・巨木が地球に根を張れば、地球全体が子供の国になるからよ。
そうすれば子供は辛い目に遭わずにすむから。ヴェヴェに従っている限りは、死んだり傷ついたりすることもないって・・・。』
「それは要するに、優馬と地球を天秤に掛けろってことか?」
『そう・・・・なるよね。』
「・・・・・・・・。」
俺も妻も何も黙り込む。
言うまでもなく、自分の子供は大事だ。
どうあっても蘇ってほしい。
しかしその代償が地球とは・・・・、
『もし侵略されたら私たち大人は殺される。』
「ああ・・・・。」
『優馬は復活しても、もう会うことは出来ない。』
「分かってる。それはいいんだよ、俺たちの命で優馬が助かるなら安いもんだ。そうだろ?」
『それで助かるっていうなら、今すぐ差し出してもいい。だけど・・・・、』
「それじゃすまないんだよな・・・・。全部の大人の命と引き換えになる。そうすりゃ親を失う子供も大勢でてくるよな。」
さすがにこれは迷う。
自分の子供でもないのに、大勢の人たちに命を差し出せとは言えない・・・・。
だけど優馬には戻ってきてほしいわけで、いったいどうすればいいのか?
『あのねお父さん・・・・、』
妻の声がさらに重くなる。
俺は座り直し、「うん」と身構えた。
『優馬のこと、諦めよう。』
「・・・・・・・・。」
『私たちの子供の為だけに、地球を台無しにするなんて出来ない。たくさんの人が死ぬなんて・・・・。』
「・・・・・うん。」
『今日一日中考えてた。どっちを選べばいんだろうって。でもやっぱり・・・・うん、諦めるしかないのかなって。』
声は淡々としていて、感情を押し殺しているのが分かる。
妻がそうしているのに、俺だけ感情的になるわけにはいかない。
割れそうなほど電話を握り締めたまま、じっと耳を傾けていた。
『お父さんは?考える時間が欲しい?』
「・・・・いや、悔しいけど・・・・。」
しょうがないわけがないというのが本音だけど、言葉にすれば、気持ちまで引っ張られてしまいそうだった。
だから俺も押し殺すしかない。
感情も本音も。
「ごめんな、そんなこと一人で悩ませて。辛かっただろ?」
『いいよ、お父さんにはお父さんのやることがあったんだから。そのおかげで絵の半分が手に入ったんだし。』
「うん・・・・。」
『だからさ、迷うことないよ。復讐しよ。それで全部終わるなら、これ以上誰も苦しむことないんだから。』
「・・・・誰もってことはないよ。だってあの星の子供たちは・・・・、」
『それも仕方ないよ。割り切るしかないことでしょ?』
「・・・・今日会ったあの子さ、死んでも自分の夢は手放してなかったんだ。
それでさ、こう言うわけ。復讐を果たして、自分も子供の国に行きたいって。
あの子が俺を頼ってきたのは、自分も向こうへ行きたいからなんだよ。
それを潰すことになるんだなって思うと、けっこう複雑でさ。」
死んでもなお抱いている夢は、半端なものではないだろう。
幽霊になってまで、誰かにメッセージを伝えたかったのだから。
妻の言う『仕方ない』は、実に大人の意見だと思う。
俺はその答えに対して、「そうだな」と頷けばいいわけだが、素直にそう出来ないのは、俺が甘いからか?
妻に比べてまだまだ子供っぽく、あの子たちに感情移入し過ぎているのだろうか?
『いいよ、考えて。』
妻が言う。『一日あげるから』と。
『お父さんにも時間がいるでしょ?』
「時間をかけたって、出てくる答えは変わらないよ。子供の星を潰すしかない。」
『でも自分を納得させる時間は必要でしょ。だから明日また電話する。それでいい?』
「・・・・うん。ごめん。」
『謝ることじゃないって。それにさ、地球を守ったって、私たちにはまだ問題が残ってる。』
「優馬のことだな。どう向き合えばいいんだろう?」
『それも時間が必要だと思う。今はまだこうすればいいなんて言えないよ。』
それからの俺たちは、電話を握り締めたまま無言だった。
やがて妻の方から『もう切るね』と言った。
『明日その犯人に会いに行くんでしょ?』
「ああ。」
『止めても聞かないよね。』
「そう決めたから。」
『じゃあそれも含めて自分を納得させてきなよ。きっと会ったって何も変わらないだろうけど、やっぱり時間は必要だから。』
「悩んでみるよ、精一杯。」
頷きを返し、「それじゃ」と電話を切った。
ベッドに寝転び、噴出してくる疲れとストレスに、頭がどうにかなりそうだった。
《今日一日であまりにも色んなことがありすぎた。頭も心もついていかないよ。》
疲れた・・・・しんどい・・・・。
目を閉じると余計に辛くなってきて、睡魔さえも簡単に退けた。
妻がくれた一日という時間、これは答えを出す為の時間ではない。
すでに出ている答えに対して、自分を納得させる為の時間だ。
だったらさっさと復讐を選べばいいんだろうけど、それが出来ない俺は、妻の言う通り意気地なしなのかもしれない。
一服つけ、シャワーを浴び、悶々と悩む。
ふと窓を見ると、ポツポツと街の灯りが灯っていた。
ここは都会ではないけど、夜になればそこそこ輝きが感じ取れるのだなと、感慨深く見つめた。
景色に情緒を重ね合わせると、幾分楽になるのは不思議だ。
理屈を打ち消すにはイメージに限る。
向き合わなければいけない問題に対して、いつでも理詰めで考えていると、頭より先に心が参ってしまうから。
それを癒してくれる街灯りの情緒は、今の俺にとって最高の精神安定剤かもしれない。
・・・・だがそれもすぐに打ち砕かれた。
今、俺は窓から目が離せないでいた。
なぜならあの少年が窓の外に立っていたからだ。
突然現れた幽霊・・・・若干の恐怖はある。
それでもお祓いをしたいと思わないのは、この子の背負った辛い過去を知っているからだろう。
「ごめんな、まだ迷ってるんだ。君の気持ちは分かるけど、俺には勇気がない。人を殺す勇気が・・・・。」
言い訳は彼の胸には届かないだろう。
しかし黙っていると、俺の方が辛くなる。
少年は一つ頷き、パンと手を叩いた。
・・・・すると次の瞬間、目の前の景色が砂漠に変わった。
《これは・・・あの時と同じだ。》
昨日大木で見た幻が蘇る。
全てが砂漠に変わり、そして繭から蛾が出てくるあの光景に・・・・。
しかし今度の幻は少し違う。
何もかもが砂漠に変わった後に、二つの繭があった。
どちらも真っ白で、蚕が紡ぐ玉繭に似ている。
そして・・・・羽化が始まった。
両方同時に虫の脚が飛び出してくる。
切り裂かれた繭の中から、ゆっくりと大きな羽が出てきた。
一つは奇妙な柄をした羽だ。
こいつは蛾の羽だろう。この前見た奴と同じだ。
しかしもう一つは・・・・なんと綺麗な!
青?緑?
どちらともつかない綺麗な羽が、繭の中から飛び出した。
それは宝石のようにキラキラと輝き、羽が動く度に鱗粉が舞い散った。
例えるなら・・・そう、モルフォ蝶ってやつだ。
そう虫に詳しくない俺だが、一度だけテレビの特集で見たことがある。
構造色という特殊な色を輝かせるこの蝶は、虫が嫌いな人でも見入ってしまうほど美しい。
蛾も蝶も、繭の中から完全に姿を現す。
蛾の羽はやはり奇妙で、木星の表面を思わせるような、不思議な柄だ。
対して蝶の方は、青とも緑ともつかない煌く羽を持っている。
例えるならオーロラのような羽だ。
二匹は正面から向き合って、敵意とも好意ともつかないような、言いようのない気配をぶつけ合っている。
やがて触覚が触れ合った。
蛾は平べったい櫛のような触覚。
蝶は細長く、先っぽに米粒みたいな丸みのある触覚だ。
その二つが触れ合った瞬間、幻は消え去った。
景色は元に戻り、あの少年もいなくなっている。
「・・・・・・・・・。」
今のはいったいなんだったのか?
考えようとしたが、やめた。
今の俺の頭ではパンクするだけだ。
立ち上がり、窓際から景色を見下ろす。
小さな光が点在する街の中に、ふと二つの繭が見えた・・・・ような気がした。
どうやらさっきの幻が、目の裏にくっついているらしい。
瞬きをしても消えず、目を閉じても消えてくれない。
「何を伝えたかったんだ、君は?」
さっきの光景はあの少年からのメッセージだろう。
その意味するところは分からないけど、とても重要なものであることは間違いないはずだ。
目の裏に焼き付いた二つの繭。
そいつが消えるまで、街の景色と重ねていた。
イメージが・・・・頭を蝕んでいく・・・・凄まじい不快感が次の朝まで続いた。

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