海の向こう側 第六話 過去との和解(2)

  • 2018.05.18 Friday
  • 14:19

JUGEMテーマ:自作小説

いくら警察に犯罪を訴えようとも、当の被害者がそれを否定するならば、罪は成立しない。
やっくんがストーカー容疑で警察に囲まれていたのはつい十数分前のこと。
美知留が110番してからすぐに俺は家を駆け出した。
案の定というべきか、やっくんはすっかり犯罪者として警察に取り囲まれていた。
俺はすぐさま事情を話し、やっくんに罪はないということを訴えた。
そこへ美知留が駆けてきて、あることないことを喚き散らしたもんだから、やっくんの容疑が晴れるまで少々時間がかかってしまった。
俺は必死に違うと訴えているのに、美知留の怒涛の口撃は警察をも狼狽させた。
しかしいくら狼狽えようともそこは法の番人。
美知留の口撃に辟易としながらも、軽くかわしながら俺の話に耳を傾けてくれた。
やっくんはストーカーをしに来たわけではなく、謝罪の為に訪れたこと。
俺も彼の行いを水に流したことを伝えると、ようやく頷いてくれた。
警察から開放されるやっくんを見て、美知留がいきり立つのは予想していた。
放っておけば警官の胸ぐらさえ掴むんじゃないかと思うほどの勢いで詰め寄ったのだ。
だがこのあと予想外の展開を迎えた。
なんと美知留の方が署へ連行される羽目になってしまったのだ。
虚偽の通報で警察を呼んだこと。
あることないことまくし立ててやっくんを犯罪者に仕立て上げようとしたこと。
警官に詰め寄ってこれでもかと罵倒を浴びせまくったこと。
そしてなにより、やっくんに対して手を出してしまったことだ。
パトカーから下ろされ、自由の身となったやっくんは美知留に一瞥をくれた。
その時、ボソっと何かを呟いた。
何を言ったのか聞き取れなかったが、表情やニュアンスからして良い言葉ではなかったはずだ。
美知留はそのことに激怒して、警官を押しのけてやっくんに駆け寄り、数発のビンタを浴びせた。
すぐさま警官が止めに入ったけど、それでも勢いは衰えず、羽交い締めにされながらもキックを連発した。
やっくんはかわすことも防ぐこともせぐ、あえて美知留の攻撃に身を晒していた。
この時、やっくんの顔が薄らと笑っていたのを俺は見逃さなかった。
数人の警官に押さえ込まれ、美知留の攻撃はようやくやんだ。
代わりにまた口撃が始まった。
よくもまあそれだけ連射できるもんだと感心するほどの罵倒は、遂に警察を怒らせた。
警官の一人がやっくんに対し、君が望めば彼女を逮捕できますよと伝えたところ、即その提案に応じたのだ。
『連れてって下さい。ある意味そいつがストーカーですから。』
この言葉を発端に美知留はさらに激しさを増した。
パトカーに押し込まれる際、警官が数人がかりでも手こずるほどだった。
美知留が遠ざかり、現場には静けさが戻る。
聴こえてくるのは波の音だけで、いつの間にやら海は穏やかになっていた。
沖の堤防を超えそうな高波はなりを潜め、白糸のような波が海面を走っているだけ。
嵐のような海は去っていた。
「悪かったな。」
突然やっくんに言われて、「なにが?」と振り返る。
どうして謝るのか分からずにいると、「俺のせいで・・・」と漏らした。
「俺さえここに来おへんかったらこんな事にはならんかったかもな。
みっちゃんには怖い思いさせてもたし、美知留なんてもんを呼び寄せる羽目になってしもたし。」
「誰のせいでもないよ。こうなっちゃった以上はさ。」
やっくんが責任を感じるのは俺へのストーカー行為だけでいいはずだ。
美知留が連行されたのは自分自身の行いのせいなのだから。
もちろんやっくんの謝罪が美知留へ向けられたものではないことくらい分かっている。
こういう時、なんだかわけも分からずに謝りたくなるのは人の心理だ。
「あのさやっくん、さっき何を言おうとしてたんだ?」
「さっきって?」
「ほら、俺の家で。美知留に邪魔されちゃったけどなんか言おうとしてたじゃんか。俺にも事情がどうとか。」
「ああ、あれか。大した事やないけど・・・・、」
そう前置きするということは、大したことがあるんじゃないかと身構えてしまう。
やっくんは海を振り向き、遠い水平線を見つめながら、とても険しい顔をした。
「みっちゃん覚えてるかな?」
唐突に尋ねられ、「なにを?」と怪訝な声が出てしまう。
「ほら、一緒に海を見たこと。」
「海を見たことって・・・・そんなもん学校からでもよく見えてたじゃんか。」
「ちゃうちゃう、教室から見えた海のことちゃうで。」
「じゃあなに?ほかにお前と海を見た記憶なんてないけど?」
「いっぺんだけあんねん。子供の頃に。」
何を言っているのか理解できなかった。
子供の頃なんてまだやっくんと出会っていない。
こいつと知り合ったのは高校からで、それ以前に面識なんてないはずだ。
「ごめん、覚えてないや。お前と二人っきりで海に行ったことなんかあったっけ?」
記憶力は悪い方ではないので、もしそんな事があったのなら覚えていないわけがない。
誰か別の人と勘違いしているんじゃないか?・・・と思ったが、やっくんは「あるんや」と言い切った。
「まだ四歳の頃やった。俺は家族旅行で海に来てて、みっちゃんは親戚に連れて来てもらったって言うてた。」
「親戚に?俺、親戚なんていないけど?」
「え?」
「両親とも一人っ子だから伯父さんとか伯母さんもいないし。もちろん従兄弟も。」
「でもそう言うてたんやで。親戚と一緒に来たって。」
「でもいないもんはいないんだよ。それに四歳の頃に海に行った記憶はないよ。」
「・・・・ウソやん。」
間抜けな顔で口を開けるその表情、ちょっと面白いけど、勘違いは解いておかないといけない。
きっとどこかで記憶違いをしているはずだ。
「それほんとに四歳の頃?」
「間違いない。」
「どこの海?」
「日本海側の砂浜。でもここと違うで。もうちょい西の方や。」
「じゃあ・・・その頃の俺はどんな感じだった?」
「名前はミオや。」
「苗字は?」
「知らん。」
「知らん?どういうことだよ?」
「名前だけ聞いたんや。自分はミオっていうんやって自己紹介してた。でも苗字は聞いてなかったな。」
「じゃあ容姿は?俺と似てるんだろ?」
「似てるかどうかって言われても、四歳の頃やからなあ。面影はあるっぽいけどなんとも言われへん。」
「ミオって名前で、なんとなく俺の面影があるだけか。たったそれだけじゃ俺と同一人物にはならいないだろ。
やっぱりやっくんの勘違いだよ。」
年齢と名前が同じ人間なんて、この国にいったいどれだけいることか。
やっくんは俺と同い年の24。
それだけ生きていれば歳と名前が同じ人間に出会うこともあるだろう。
「やっくんさ、お前ってちょっとばかり思い込みが強いんじゃないか?
たったそれだけのことで俺と同じ人間だなんて言えないよ。」
こいつは大きな思い違いをしている。
それを訂正してあげようと思ったんだけど、ニヤリと笑ってこう反撃してきた。
「他にもあるねん。」
「その子と俺を結びつける物が?」
「そや。実はそのミオっていう子な、男の子みたいな格好しとったけど、実は女の子やったんや。」
嬉しそうに言う。
なにがそんなに嬉しいのか分からないけど。
どうあっても俺を納得させたいんだろうけど、残念ながらそうはいかない。
俺には一撃で反論できる材料があるんだけど、話の腰を折るのはどうかと思って、しばらく拝聴することにした。
「でなでな!その子は女の子が好きなんやて!自分でそう言うてたから間違いないで!」
どんどん笑顔が増していくけど、数秒後にはそれも消えるだろう。
そう思うと少し可哀想な気もした。
「名前も一緒、歳も一緒、でもって女の子やのに男の子みたいな格好しとって、女の子が好き。これもうみっちゃんで間違いないやろ!」
反論など出来まいと人差し指を向けてくるが、俺はそっとその指を下ろさせた。
「それ俺じゃないよ、やっぱり。」
「なんで?これだけ一致しとることがあるのに。」
「だって俺、昔っから男っぽい格好してたわけじゃないから。」
「へ?」
笑顔が凍る。
次の一言でもっと凍るだろうと考えると、やはり可哀想な気がしてきた。
しかし言わないわけにはいかない。
妙な誤解をされたままというのは心地悪いし、変な思い込みからまたストーカーに逆戻りされても困る。
言うべきことはきっちり言うのがお互いの為だろう。
「それと女が恋愛対象になったのは中学からだ。それ以前は男が好きだった・・・ていうかまだ子供だから、特別な目で異性を見ること自体がほとんどなかったよ。」
そう、俺は昔っから今のようだったわけじゃない。
だからやっくんが会ったというミオという子はやはり別人なのだ。
俺が予想していた通り、やっくんの笑顔は一瞬にして崩壊した。
しばらく氷点下の中を裸でいたかのような冷め切った顔に変わり果てる。
そのギャップに少しばかり笑いそうになったが、ここで吹き出すのは失礼だろう。
悲しいとも切ないともつかないその顔を見ていると、ふとこちらから尋ねてしまった。
「とりあえずその子は俺じゃないって誤解は解けたと思うけど、その子とやっくんが言っていた事情って何か関係あるのか?」
気になるのはこの部分だ。
大したことじゃないらしいけど、そう言われると余計に気になるのが人情というもの。
固まったままのやっくんが口を開いてくれるまで、規則的な波音に耳を澄ましていた。
「実は・・・・、」
バツの悪そうな顔で切り出す。
顔が少し引きつっているのは、何か恥ずかしいことでも隠しているのだろうか?
やっくんはまた海に向き直り、指をもじもじさせ始めたんだけど、大きな身体に似合わないその仕草に、ほんのちょっとだけ可愛いと感じてしまった。
決して口に出したりはしないけど。
「約束したんや。」
「なにを?」
「俺が大人になったら、海の向こう側へ連れて行ったるって。」
遠い水平線を見つめながら真剣に語るけど、いまいち意味が分からない。
やっくんはすぐに補足してくれた。
「その子な、遠い国へ行きたいって言うてたんや。ここじゃない世界が海の向こうにあるから、大人になったら行きたいって。」
「じゃあ大人になったら、やっくんが遠い国へ連れて行ってやるって約束をしたわけか?」
「海の向こうには知らん国があるってことは知ってたからな。でもそれだけと違う。俺な、その子のこと好きになってしもたんや。」
「ほう、惚れちゃったのか。まだ四歳だったのに。」
「恋に歳は関係ないねん。それにその子は喜んでくれたわけよ。絶対に約束だよって指切りまでしたんやで。ええ話やろ。」
実に誇らしそうな顔で言う。「まるでドラマみたいだな」と返してやった。
「やろ?そうやろ?その子めっちゃ可愛くてさ、性格も優しい感じやった。俺あん時思ったんや、将来はこの子をお嫁さんにするって。」
「子供の頃はよくそういうのあるよな。大人になったら大概忘れるもんだけど。」
俺にも似たような経験はある。まだ五歳か六歳くらいの頃、近所に住んでいた大学生のお兄さんに何度か遊んでもらったことがあるのだ。
今思えば事案になってもおかしくなかったんだろうけど、とても良い人だった。
将来はこのお兄さんのお嫁さんになるなんて思っていたもんで、甘く切ない幼い頃の思い出として胸にしまってある。
ただし思い出は思い出であって、そのお兄さんに再会することがあったとしても、ほぼ100パーセント結婚したいとは思わないだろう。
でもやっくんは違うようだった。
そんな子供の頃の思い出を今でも引きずっているのだ。
その証拠にノスタルジーに浸るような目ではなく、今さっきミオちゃんなる子に出会ったかのようなはにかみを見せた。
「その子と指切りげんまんして、ちょっと一緒に遊んでから別れた。ほんでそれっきりや。せっかく約束したのに、もう会うこともないんやろなあって諦めとったんや。
せやけど奇跡っちゅうのはあるもんやな。なんと高校でまたミオちゃんに会えたんやから。」
ニヤっと笑顔で俺を見る。
一瞬またストーカーの時のような目が戻ってきて、思わず後ずさった。
「これは運命やと思たで。俺はもう嬉しいて嬉しいて!でもみっちゃんは全然俺のこと覚えてなかった。
ショックやったけど、四歳の頃の話やからもう忘れてしもたんかなって。
それやったらこっちから言うてもなんか馬鹿らしいやん?こいつそんな昔のことを覚えとるなんて、キモい男やと思われたあなかった。
子供の頃の約束なんかまだ引きずってるなんて気味悪いとか思われたら嫌やった。
だから高校ん時はずっと気持ちを隠してたんや。」
やっくんは爽やかな笑顔でそう語る。
でも目の奥にイヤらしいというか、気味の悪い光を感じてしまって、もう一歩後ずさった。
「高校を卒業したあと、俺らは会わんようになってしもた。みっちゃん成人式にも来おへんし、同窓会も欠席してたやろ?
せやから気持ちは募る一方やった。たまにSNSで連絡取ることはあっても、やっぱり実際に会いたいやんか。
その気持ちがどんどん膨らんでいって、これはもう気持ちを伝えなアカンと思ったわけや。」
俺は「そうなんだ」と頷きながら、また一歩後ずさる。
やっくんはただ自分の思い出を語っているだけで、それだって俺が尋ねたから教えてくれているだけだ。
なのに俺ときたら勝手に怯えて勝手に気味悪がって、とても酷い奴だと思う。
けど後ろへ下がりたいって気持ちは止まらない。
なぜならやっくんの目の奥にある気味の悪い光は、どんどんと増しているように感じてしまったからだ。
それは単なる誤解かもしれないが、またあんな目に遭ったらどうしようと、嫌なことばかり想像してしまう。
しかもだ・・・・また美知留を頼ろうとしている自分がいた。
あいつが傍にいてくれれば今すぐやっくんを追い払ってくれるのにと。
なんて自分勝手だろうと辟易とする。
パトカーで連れて行かれる姿を見て、自業自得だなんて思っていたくせに・・・・。
「俺は意を決してみっちゃんに会いに行くと決めた。ずっと隠してた気持ちを伝えるんやと。
でもみっちゃんには彼女がおった。美知留とかいうどうしようもない女が。
みっちゃんがレズやってことは知ってたから、彼女がおることは不思議やなかった。ショックはショックやったけど・・・。
でもな、やっぱり諦めきれへんかってん。この気持ちをどうしたらえんやろうってモヤモヤしたままやった。
そうやってモヤモヤしたまま過ごしてると、二人が別れたっちゅうのを知ったわけや。
これは神様が与えてくれたチャンスやと思た!告白するんやったら今しかないと!」
興奮気味にまくし立て、「だからこうして会いに来たわけや」と手を広げておどけた。
「せやけど見事に撃沈。おまけに美知留まで邪魔しに来よって・・・・。ほんま一発くらいブン殴らんと気がすまんであいつ。
俺がどんだけみっちゃんのこと好きやったと思ってんねん。
ちょっと自分が彼女やったからって偉そうに。俺のことキモいとかなんとか馬鹿にしまくりやがって。」
さっきまでの嬉しそうな顔は消えて、人を殺しそうな表情で眉間に皺を寄せる。
そして俺を振り向き、「なあみっちゃん」と近づいてきた。
ゾワっと背筋が波打つ。
脳が指令を下すより早く、条件反射的に手を前に出していた。
「寄るな。」
バリアのように手の平を向ける。
俺が不安そうな顔をしていることにようやく気づいたのか、やっくんはピタリと足を止めた。
ガッチリとした肩を竦ませながら「すまん・・・」と謝った。
「聞かれたから答えただけなんやけど・・・・やっぱ引いたか?」
やっくんまで不安そうな顔をする。
申し訳なさそうに身体を丸めているので、「こっちこそごめん」と謝り返した。
「別に引いたりしてないよ。たださ、やっぱり勘違いは解いておかないとと思って。」
「俺が子供の頃に会ったミオちゃん・・・やっぱ別人なんか?」
「間違いなく別人だよ。だからやっくんが想いを寄せてるのは俺じゃない。昔に会ったミオちゃんにだよ。
てことは俺を好きになるってことは筋違いだろ?」
「まだ信じられへんのやけど・・・・、」
「やっくんが信じようと信じまいとホントのことだから。俺はミオちゃんじゃない、それだけは間違いないから。」
やっくんは納得いかないように「でもなあ」と顔をしかめている。
そんなこと言われたって、こっちの方こそ顔をしかめたいってもんだ。
ここでキッチリと否定しておかないと、こいつは確実にまた迫ってくる。
なんたって四歳の頃の約束をずっと覚えてて、そんな子供の頃に好きになった子をまだ追いかけているなんて・・・・。
人の恋愛観はそれぞれだけど、やっくんの想いに応えるのは俺の役目じゃないことだけは確かだ。
だからこの事だけはハッキリさせておかないといけない。
「やっくんが好きなのはミオちゃんであって、俺じゃないよ。」
ここが一番大事な所であり、そして答えを迷うべき質問でもないはずだ。
さっき語った思い出が本当なら、その気持ちはミオちゃんに向いていないとおかしいのだから。
「俺は別人だ。だから俺を好きになったって意味ないぞ。」
念を押すように問いかける。
こんなの「そうやな」と頷けばすむはずなのに、なぜか迷っていた。
「ほんまに別人?」
しつこい!と突っぱねたかったが、下手に刺激するのはよくない。
なるべく優しく「別人だよ」と返した。
「ほんまにか?」
「ウソついてどうするんだよ?」
「やっぱり俺をキモいと思ってんのかなと思って。ほんまはさっきの話引いたんやろ?」
「だから違うって。ほんとに別人なんだ。」
「そうか・・・ほな俺の勘違いなんか。」
小刻みに小さく頷いている。
「みっちゃんはミオちゃんじゃなかったんやなあ・・・」と悲しそうだけど、俺は嬉しかった。
これでようやく俺への好意は止まってくれる。
俺がもし同性愛者じゃなかったとしても、やっくんと付き合うのは無理だ。
思い込みが激しすぎるし、もしこんな奴と付き合ったりしたら、何をするにも束縛を受けそうだ。
小言で行動を縛ってくる美知留とはまったく違う意味で、俺のことを自分の思う通りにしようとするだろう。
「じゃあ・・・もう帰るな。」
正面を向いたまま後ずさる。
やっくんは「ごめんな」と言った。
「そんな怖がらせてもて。もう追いかけたりせえへんから警戒せんでも大丈夫やで。」
「・・・じゃあ先に帰ってくれないか?やっぱりちょっと不安というか・・・。」
「分かった。」
背中を向けて歩き出すが、どこからか警官がやって来て「もういいですか?」と尋ねていた。
「は?なにが?」
わけが分からずにやっくんは立ち尽くす。
警官は「だって告発するんでしょ?」と聞き返した。
「告発?」
「さっきの女性、あなたに暴行を加えたでしょ?だから連れてったんじゃないですか。」
「・・・・ああ!」
「被害者の方からも調書を取りたいので署まで来てほしいんですよ。」
そう言って顎をしゃくった先には、路肩の茂みにパトカーが停まっていた。
なるほど・・・やっくんに怯えて全然目に入らなかった。
警官がいたならここまで怯える必要もなかった。
「そっちのお友達と話終わったんでしょ?なら一緒に来て頂きたいんですけど。」
「今から?」
「できれば。何かご予定が?」
「特にないですけど・・・・。」
やっくんは「ええっと・・・ほな」と手を挙げる。
「色々迷惑かけてごめんな。もうみっちゃんのことを追いかけたりせえへんから。」
パトカーはゆっくりと遠ざかり、胸の中がスウっとするほどの安心が戻ってきた。
美知留もやっくんも警察へ行ってしまって、俺だけポツンと取り残されたことに不安はない。
ないんだけど、ここまで揉めてしまった元凶は自分のせいなんじゃないかと憂鬱にもなる。
美知留は俺が正義感の強い奴だと言ったけど、実はそうじゃない。
その場その場をどうにか切り抜けようと必死なだけで、それはつまり自己中ってことだ。
この街を離れて時間が経てば、あんなこともあったなと忘れそうな気がする。いや、そうであってほしい。
空はいつの間にか雲が多くなり、海の向こうが霞んでいる。
空と海を隔てる水平線が微睡むように溶けていた。

海の向こう側 第五話 過去との和解(1)

  • 2018.05.17 Thursday
  • 12:03

JUGEMテーマ:自作小説

恥ずかしいという感情は誰にでもあるはずだ。
猫でさえ狩りに失敗すると、前足を舐めて顔を掃除して、さも狩りなんて最初からする気はなかったんですよという具合に恥ずかしさを誤魔化す。
動物学的に証明されているのかどうかは分からないが、少なくとも昔に実家で飼っていた猫はそうだった。
だから何かで失敗した時、恥を感じるのは正常なことである。
しかしながら、恥の元となったその失敗が実に情けないものであったのなら、胸の中を占める恥の割合は何倍にも膨れ上がる。
恥ずかしいという感情と向き合うのは、過去の情けない自分に向き合うという行為だから、今現在は辛い状況に置かれていなくても辛さを伴う。
幸いに俺はいま危険でも過酷でもない状況の中にいた。
ここは住み慣れた俺の家、時代に取り残されたかのような昭和臭漂うボロ家の居間である。
なのに居心地が悪いのは恥を感じているからである。
年季の入ったちゃぶ台には薄茶色の封筒が置かれていて、やっくん曰く、この中には20人の諭吉さんがいるという。
「すまんかった。」
ちゃぶ台の反対側、平に謝るやっくんがいる。
胡座を掻き、両膝に手をつき、つむじが見える角度で頭を垂れている。
「ほんますまんかった。悪かった。」
ガタイがいいものだから、こんな風に頭を下げると、小さな岩が鎮座しているかのように見える。
美知留は白けた目でそれを睨む。
そして擦り傷でジンジンと痛む俺の頬に消毒液を塗ってくれた。
「大丈夫?」
傷に染みて顔をしかめると、「病院に行った方がいいかな」と呟いた。
「そんな大袈裟な怪我じゃないよ。石につまづいただけなんだから。」
「でもものすごい勢いで転んでたじゃん。パンチしようとした瞬間だったからさ。」
そう、やっくんをブっ飛ばそうと意気込んだまではよかったのだ。
しかし足元に潜んでいた石ころという、誰の味方でもない伏兵のせいで盛大に転んでしまった。
ここ最近はつまづいて転ぶだなんてことがなかったので、受身も上手く取れなかった。
勢いのついた俺の身体は前のめりに崩れ、目の前に高速で地面が近づいてきたかと思うと、右の頬に痛みが走った。
幸い大きな怪我は負わなかったが、頬と顎を強打したせいでうずくまる羽目になった。
顔に擦り傷だなんて小学生のとき以来かもしれない。
そういえばこんな痛みだったなんて懐かしんでいるのは、心にそれなりの余裕がある証拠だ。
なぜならやっくんは俺を殺しにきたわけではなかったからだ。
謝罪を表そうと、ちゃぶ台に置かれた封筒を差し出す為に来ていただけなのだ。
まあお金はどうでもいい。俺が恥じているのは別のことだ。
転んだ俺に手を差し伸べながら、やっくんはこう言ったのだ。
『もうみっちゃんにの前には現れへんから安心してくれ。』
こっちへ越してきたばかりではあるが、近々この街から出ていくのだそうだ。
この言葉が聞けただけでもずいぶんと楽になった。もうこいつに怯えなくていいんだなと。
と同時に、相手の話も聞かずに殴りかかったことを恥じた。
しかも石ころにつまづくなんて醜態を晒して、余計に恥じ入った。
ただ美知留はそうはいかないようで、俺の頬の応急処置を終えるや否や、「よく会いに来れたね」と先制パンチを放った。
やっくんは「すまん!」と余計に身を丸くする。
美知留の罵倒は止まらず、「キモい」だとか「だからモテない」だとか「ゴリラ野郎」とか、インターバルを挟むことなく連射された。
やっくんはただただ頭を垂れるばかりで、美知留と目を合わすことすら出来ないでいた。
矢継ぎ早に放たれる言葉の打撃は、ゴリラみたいなこの男でさえ黙らしてしまうのかと、奇妙な新鮮さを覚えた。
なるほど、拳で殴ることに慣れていないのなら、言葉で殴ればよかったのだ。
華奢な美知留がやっくんに引けを取らなかったのは、その口から出てくる罵倒で心を殴っていたからだろう。
だったら俺もと見習いたかったが、あいにく言葉で殴るという経験もほとんどしたことがない。
要するに口喧嘩も弱いということで、美知留の戦い方は真似したくても出来るものではなかった。
しばらく美知留の罵倒を眺めていたが、やっくんは何かに言いたそうに口を開くタイミングを窺っている。
しかし絶え間ない言葉の打撃は一切の反撃の余地を与えてくれない。
吐き出そうとした言葉は口の中に止まったままで、いつか止むであろう美知留の猛攻に耐えるしかなかった。
不思議なもので、あれだけ嫌いだと思っていたやっくんが、少しばかり可哀想に思えてくる。
反撃さえ許されず、一方的に叩かれている光景は好きじゃない。
言いようのない不快さを感じて、「もういいよ」と止めた。
「それ以上責めたら可哀想だ。」
そう言った瞬間、美知留は俺に対して怒りの目を向けた。
何かを言おうと口を開きかけ、でもその言葉はグっと飲み込んで、少し間を置いてからこう切り返してきた。
「こういう男は甘やかしちゃダメだよ。」
努めて穏やかな声色を出すが、隠しきれない怒気が篭っているのは嫌でも伝わってくる。
おそらくだが、さきほど飲み込んだ言葉はこうだろう。
『美緒の為にやってるのにどうしてそんなこと言うの?』
強烈な愛情というのは相手に受け取ってもらえないと憎しみに変わる。
美知留の目に浮かぶ怒りは、私の心情を理解してくれないの?といった、気持ちが届かないことへの不満だろう。
こういう目は付き合っている時に何度も向けられた。
『美緒の為に』『美緒のことを考えて』『美緒が心配だから』
その気持ちは本心だろうけど、ではその気持ちが最終的に向かうのは誰に対してか?
俺か?それとも美知留自身の為か?
たぶん後者なんじゃないだろうかと、いつも感じていた。
美知留は俺の親じゃないし、先生でも保護者でもない。
けどその強烈な愛情に助けられたおかげで、今こうしてやっくんに怯えずに済んでいるのも事実だ。
だから俺も努めて柔らかく返した。
「やっくんも何か言いたいみたいだよ。」
そう返すと、案の定というか「そんなの聞く必要ない」と切り落とされた。
「どうせ自分勝手な言い訳だよ。そもそもこうやって勝手に会いに来たこと自体がおかしい。」
「でもそれは謝罪の為であって、嫌がらせをしに来たわけじゃ・・・・・、」
「それは結果論でしょ?刺されてても全然おかしくなかった。」
毅然と言い切るその態度に、確かに・・・・と思う部分もあった。
あの時、俺は無防備に突っ込んでしまったが、もしやっくんの手に握られていたのがお金ではなく刃物だったら、今頃ここにいないかもしれない。
「美緒はなんにも心配しなくていいから。私が守るって約束したでしょ。」
そう言い切れる強さには憧れるけど、胸に疼く反発感は誤魔化しきれない。
やっくんはやっくんで俺たちの様子を戸惑いながら窺っていて、今がチャンスとばかりに口を開いた。
「みっちゃんには悪いことしてもた。でもちょっと俺にも事情があって・・・・、」
「アンタは黙ってて!」
美知留の怒声がやっくんの言葉を切り落とす。
何も聞かずに最初から突っぱねるその態度に、やっくんはうんざりした様子を見せながらも黙ることはしなかった。
「自分の気持ちだけで突っ走ってみっちゃんを傷つけてしもた。ほんまに悪いと思ってる。でもそれはな・・・、」
「黙ってろって言ってんだろ!」
カミソリみたいな声に俺まで身を竦めた。
しかしもう黙っているのは嫌だった。これ以上やっくんを罵倒したってイジメにしかならない。
確かにこいつはストーカーみたいなことをして俺を怖がらせたけど、今はそれを反省して謝っている。
この街からも去ると言っているんだし、謝罪の気持ちは本物だと信じたい。
見ず知らずの相手なら許しはしなかっただろうけど、高校時代からの友達だ。
せめて伝えたいことくらい聞いてやりたかった。
「何か言いたいことがあるんだろ?聞くよ俺。」
「ちょっと!」
「やっくんは俺に話そうとしてるんだ。何を言いたいのか気になる。」
「だから聞かなくていいってば!」
「なんでそんなに嫌がるんだよ?」
「だって美緒はお人好しでしょ?話を聞くだけのつもりが、いつの間にか気を許したりするかもしれない。
そうしたらコイツはまた絶対にストーカーしてくるよ。」
「でもこの街から出て行くって言ってるんだぞ。そこまでするならもう変な事はしてこないだろ。」
「甘いって。この手のタイプは上っ面だけ良いこと言うのよ。信じたりなんかしたらダメ。」
「だからなんで最初からそう決めつけるんだよ。やっくんは反省してるじゃないか。」
「そう思わせるのが目的なの。だいたい私は美緒を守る為にここにいるんだよ?
そもそも私が助けに来なかったらどうなってたか。」
「その事については感謝してるよ。けどやっくんの話を聞く事とそれは関係ないだろ。」
「関係ない?なんで?」
上唇が上がる。
どうやら「関係ない」というワードが癪に触ったらしい。
「私はしょせん第三者で、ストーカーのことについてはまったく関係ないって言いたいわけ?」
どんどん上がっていく上唇を見るだけで、恐怖と辟易さが増してくる。
俺は「そうじゃないけど・・・」と宥めた。
「どうせこれが最後なんだし、話くらい聞いてあげればいいだろって言いたいだけだよ。」
「じゃあ好きにすれば?でもこの先もし何かあっても私は知らないよ?」
「それは・・・つまり別れるってことか?」
「さあ?好きなように受け取れば。」
怒りが解けることはなく、それどころか立ち上がって家を出て行こうとした。
「おい!」
「話を聞くんでしょ?だったら二人だけで話せばいいじゃない。どうせ私は関係ないんだし。」
「だからそんなこと言ってないだろ。」
「なに?やっぱり二人きりにされるのは怖いの?」
「当たり前だろ。だってもし何かあったら・・・・、」
ゆっくりとやっくんを振り向くと、バツの悪そうな顔で「すまん・・・」と俯いた。
「なんかこんな修羅場みたいな感じになると思ってなくて。ていうかお前らヨリ戻したんやな。」
「アンタが美緒を狙おうとするからね。私が傍にいなきゃ危ないでしょ?」
「・・・・その通りやな。俺は邪魔でしかなかったみたいや。」
膝に手をつきながら立ち上がり、「ほんま悪かったな」と腰を直角に曲げた。
「こんなつもりじゃなかったんや。言い訳でしかないけど。」
「じゃあ喋るなよ。」
美知留は間隙を縫って罵倒を放つ。
何か喋る度に攻撃を食らうのは恐怖だろう。やっくんの身体がいつもより小さく見えた。
「もう帰るわ。」
丸めた背中を向けながら玄関に向かうが、ふと立ち止まり、美知留に一瞥をくれた。
「お前は上手いことやったな。」
「は?」
「みっちゃんとヨリを戻せてよかったやないか。俺がここへ来おへんかったらそれも無理やったな。」
「なにそれ?」
挑発的な態度に触発されて、腕を組みながら詰め寄る。
人でも殺しそうなその目は、横から見ている俺でさえ寒気を覚えた。
しかしやっくんは動じずに返す。
「ある意味俺のおかげやな。」
「はあ?」
「お前はこの状況を喜んでるはずや。ヨリを戻せてさぞ嬉しいやろな。」
「ざけんなよテメエ!」
組んでいた腕を解き、やっくんの胸ぐらを掴み上げる。
見上げるほどの身長差があるのにまったく臆さない度胸は恐れ入るが、やっくんは小さく笑っていた。
「お前はわざと俺を煽ったんと違うか?」
「煽る?」
「アンタみたいなゴリラは美緒とは不釣り合いとか、好意を抱いているだけでもキモいとか、散々言うてくれたやろ。
そうやって煽ることで、俺をここへ引っ越すように仕向けて、いざとなったら自分が登場して助けるつもりやったんやろ?」
小さな笑いは大きな笑みに変わり、見下すような冷笑へと変化していく。
美知留にとってはこんな挑発は耐え難いものだろう。
その言葉も、その視線も、いつ我慢の限界が来てもおかしくないものだ。
自分が見下している男から挑発されるというのは、美知留にとって一番の屈辱である。
怒りと殺気が入り混じった殺伐とした空気が二人の間に流れた。
「安っすいドラマとかでありそうな展開やけど、お前やったらやりかねへんからな。」
「ふ〜ん、で?」
「ただの嫌味や。みっちゃんには悪いことしたと思とるけど、お前のことは反吐が出るほど嫌いやからな。
一発ブン殴ってやらんと気がすまんけど、警察沙汰になった昨日の今日や。手は出せんわな。」
「捕まるのが怖いんだ?」
「当たり前やろ。これ以上罪を重ねたらまともに生きていけへんようになる。
お前みたいな女の為にそんなんなるんはゴメンやからな。」
「じゃあ黙って帰ればいいでしょ。情けない男だなほんと。」
今度は美知留が冷笑を向ける。
やっくんは肩を竦めながら無言の罵倒を受け流した。
「嫌味くらい言わんと気がすまんかったからや。」
「あ、そ。じゃあもう終わったんだから帰れば?」
「言われんでも。」
玄関に向かうやっくんの背中は、先ほど縮こまっていた時よりも大きく見えた。
さっきまで恐縮していたのは、美知留に怯えていたからじゃなくて、謝罪する為に丸くなっていただけなのかもしれない。
そう思うと、目の前に置かれたお金を受け取ってもいいものかどうか、強い迷いが出てきた。
別にお金が欲しいわけじゃない。
ただ謝罪として持ってきた物を突き返すというのは、相手の気持ちを否定するようで躊躇ってしまったのだ。
靴を履く為に腰を下ろしているやっくんの背中を見ていると、どうしようもない哀愁のようなものを感じてしまった。
確かにこいつのしたことは最低だけど、高校以来から知っている仲であるという目で見ると、お金を受け取って「はいさよなら」は自分として納得できなかった。
もし・・・もしも二度とこんなことをしないと誓うなら。
あの頃みたいにゲームや特撮の話で盛り上がるだけの友達としての仲に戻れるのなら。
またチャンスをあげてもいいんじゃないか?
やっくんはさっき何かを言おうとしていた。
俺にも事情がどうとか・・・・。
それさえも聞かずに縁を切ってしまうのは、人として正しい選択なんだろうか?
気がつけばお金を持って立ち上がっていた。
「これ返すよ。」
薄茶色の封筒を突き返すと、今までに見せたことのないような悲しい顔で振り返った。
美知留がすかさず「キモいってさ」と笑う。
「いくら謝罪だからってアンタのお金なんかいらないって。」
美知留の罵りに反応して、やっくんは無気力な表情で封筒を見つめる。
「ていうかお金なんか貰ったら許すってことになるもんね。また会いに来ても言い訳できる。
みっちゃんはお金を受け取ったんやから、前のことは水に流してくれや〜って。」
慣れない関西弁をわざとたどたどしい口調で言うのは、さっき挑発されたお返しか?
やっくんは何も言わずに封筒を掴んだ。
しかし俺はすぐには手放さなかった。
差し出したくせに渡そうとしない俺に、やっくんは不思議そうな目を向けてくる。
「許したくないから返すんじゃない。これを受け取ったらなんか違う気がするんだ。」
やっくんは目を丸くする。
美知留も怪訝な表情で睨んだ。
二つの視線の板挟みの中、強い緊張を抑え込む。
これを言ったら美知留は激怒し、やっくんはまたストーカーに逆戻りするかもしれない。
そういうリスクはあるんだけど、美知留とかやっくんとか、他人を基準にしないで物を言わなきゃいけない時があるはずだと、自分を奮い立たせた。
「もし本当に反省してるなら、もう一度友達になっても・・・・、」
言いかけた瞬間、背後から美知留が叫んだ。
「なに言ってんの!?そんなのダメに決まってんでしょ!」
「うるさい!」
向こうの叫びと被せるように叫び返した。
こんな風に怒鳴ったことは初めてで、狐につままれるとはこういう事を言うんだろうなという顔で、美知留は驚いていた。
それはやっくんも同じで、初めて見る生き物に遭遇したかのような驚きようだった。
奇妙な空気は二人を固まらせるが、それ以上に俺の方が動揺していた。
さっきやっくんに殴りかかった時みたいに、慣れない行いというのは自分自身が一番緊張してしまう。
しかしここで隙を見せてしまうと、再び美知留の猛攻が始まるだろう。
そうなる前にやっくんにお金を突き返した。
「友達だった奴からお金なんてもらえないよ。たとえ謝罪の為だとしても。
その代わり二度と変なことしないでほしい。そう約束してくれるなら友達でいよう。」
目の前に差し出した封筒を、やっくんはすぐには受け取らなかった。
しかしこいつがどう答えようと、これを貰う気にはなれない。
早く受け取ってくれと待っていると、後ろから手が伸びてきた。
「美緒がいらないって言ってるんだから受け取りなよ。」
俺の手から封筒を奪って強引にやっくんに押し付ける。
「もういいでしょ、さっさと帰って。」
引き戸を開け、笑みを浮かべながら外に手を向ける。
勝ち誇ったような顔をしているのは、この場に残るのは自分であり、お前はもう必要ないという優越感なのだろう。
嫌いな相手には一切心を開かないその態度はある意味清々しいものがある。
「・・・ほな。」
封筒を握り締めながら外へ向かうやっくんに、「友達でいいなら会いに来いよ」と投げかけた。
「もうストーカーなんてしないって約束出来るなら友達でいよう。」
一瞬だけ振り返ったやっくんは、頷きとも拒絶ともつかない曖昧な表情を寄越した。
丸めた背中が庭を出ていく。
その背中を見送っていると、後ろから「もしもし?」と美知留の声がした。
「あの人また来たんです。警察署を出てから一時間もしないうちに。今度こそ捕まえてくれますよね?」
険しい顔で通報する姿を見て、どうあってもやっくんを許す気はないんだなと、ちょっとばかりうんざりする。
「さっき出て行ったばっかりで、まだ近くにいると思います。怖いから早く来て下さい!
もし次に何かあったら警察の責任ですよ?」
電話を切ったあと、俺の目を見て嬉しそうに微笑む。
やっくんに迫られた時も怖かったけど、釣り人を助ける時も怖かったけど、今笑っている美知留の目はそれらとは別の意味で怖い。
命の危機とは違った意味で寒気を覚えた。

海の向こう側 第四話 戻って来た彼女(2)

  • 2018.05.16 Wednesday
  • 10:59

JUGEMテーマ:自作小説

日本海側の空は変わりやすい。
朝に家を出た時は風の強い曇り空だったのに、いつの間にか陽射しが降り注ぐようになっていた。
風の強さは変わらないままだけど、空が青く変わるというだけで気持ちも変わってくる。
美知留の長い髪が風になびいて、俺の顔にかかる。
けどそのままにしておいた。
視界は悪いが今はそれでいい。
金輪際顔を合わせたくないかつての友達が目の前に立っているからだ。
俺たちは警察署の前で睨み合っていた。
こっちが睨む分にはともかく、どうして向こうに怒りを剥きだして睨む権利があるのだろうか?
警察署へ来て一時間、俺と美知留は再び事情聴取を受けた。
その後、警察はやっくんに対する処罰を事務的な口調で述べた。
無罪放免にするつもりはないが、刑務所へ送るのも無理だということ。
つまり書類送検が精一杯ということだ。
しかもこの書類送検というやつは不起訴になることも多いらしい。
要するになんのペナルティもないまま終わる可能性もあるということだ。
また接近禁止令のようなものも出せないと言った。
繰り返し嫌がらせをしてくるならともかく、初犯ではこれ以上の罰は無理だという。
美知留は烈火のごとく抗議した。
こいつはずっと美緒をストーカーするチャンスを狙っていたし、これからもきっとそうするはずだと。
そんな軽い罪で終わらせるんじゃなくて、せめて一年くらいは刑務所へブチ込んでほしいと。
これでもかと上唇を上げながら、下手すると警官に掴みかかるんじゃないかというほどの勢いを見せた。
隣にいた婦警がどうどうと宥めていたけど、美知留はまったく納得しない。
こんなのおかしいと机を叩き、弁護士がどうのとか民事で訴えてやるとか喚き出して、俺の方がヒヤヒヤものだった。
しかしそれでも警察の対応は変わらなかった。
再び同じような行為に及んできた場合はちゃんとした罪に問える。
今回はここまでしか出来ないと、申し訳なさそうに言った。
美知留は話にならないとばかりに呆れていた。
そんな悠長なことを言っていたら、次は殺されたり乱暴されたりするかもしれない。
今すぐ美知留に近づかないようにしてくれと。
俺の為に熱くなってくれる美知留はとても頼もしかった。
きっと俺はここまで言えない。
心では叫んでいても、警察相手に強く抗議する度胸はない。
美知留は俺に代わってそれをやってくれるけど、だからって相手が頷いてくれるわけじゃあない。
だから被害届を取り下げることにした。
下手に刺激して怒らせる方が怖かったからだ。
もちろん美知留は反対したが、それでも俺は頷かなかった。
結局、やっくんは警察から開放されて自由の身となったのだ。
今こうして睨み合っているのは、お互いに良くない感情に満たされているからである。
俺は別れた彼女と一緒に、やっくんはかつて友達だった俺を失い、たった一人の怒りをぶつけながら。
「お前らのせいで前科モンになるとこやったわ。」
開口一番がこれである。
もしここが警察署の前じゃなかったら刺しに来てるんじゃないだろうか。
それほど敵意に満ちた目だった。
美知留は怯むことなくその視線を押し返している。
次に下手なことしたら刺すのは私の方だと言わんばかりの恐ろしい目だった。
嫌な感情のぶつかり合いは肌を通して伝わってくるもので、寒気がして空に目をやった。
青い空は美しいけど、できれば曇っていてくれた方がよかった。
晴天をバックに際立つ桜さえも不安の塊に見えるのは、景色と感情のバランスの陰影が濃くなっているせいだろう。
暗い気持ちの時、暗い景色の方が嫌な感情を吸い取ってくれるものだ。
俺はもうここにいたくなくて、美知留の袖を引っ張った。
「行こう。」
重く進み始めた足取りに、美知留の足音もついてくる。
振り返すことはすまい。
やっくんが嫌いだなんだと思う以前に、こういう状況になってしまったことが悲しい。
桜にも青空にも目を向けないように注意を払いながら、蜘蛛の巣のように広がる憂鬱を押し殺した。
無言のまま海岸線まで歩いた時、美知留が後ろを振り返った。
やっくんがついて来ていないか警戒しているんだろう。
俺の手を握り、「私が守るからね」と頷いた。
「絶対に守るから。あんな奴に美緒を傷つけさせたりしない。」
力強いその言葉は嬉しいけど、今は微笑むこともできずに相槌を打つのが精一杯だった。
「守るからね。その代わり私の傍から離れちゃダメだよ?」
自分の傍にいろという意思確認は、やっくんを警戒する言葉以上に力強いのはなぜだろう?
それは俺を想ってか?
それとも傍から離したくないという独占欲の表れか?
もし後者だとしたならば、今は美知留の力強さに安心を感じても、またいずれ小言の多い母親のように鬱陶しく思い、別れを切り出してしまうかもしれない。
未来の感情がどうなるか分からないけど、そういう不安は確かにあった。
しかし口には出さず、「今から職場に行っていいか?」と尋ねた。
「今日か明日で退職させてもらおうと思うんだ。」
「なんで?」
「なんでって、地元へ帰る為に決まってるだろ。」
「え?でも私と一緒にここで住んでくれるんじゃないの?」
「・・・・ごめん。さっきは頷いたけど、もうここにいる理由はないから。」
「ちょっと待って。じゃあ私とヨリを戻す気もないってこと?」
手を握ったまま立ち止まる。
グっとその手を引っ張られたのは、自分の目を見て話せということなのだろう。
俺は正面を向き、「そうとは言ってない」と答えた。
「美知留はすごい逞しくて本当に助かったよ。俺って自分で思うほど強い人間じゃなかったんだなって分かった。」
「じゃあやっぱり私が必要だよね?」
「・・・うん。でもこの街にはいたくないんだ。」
「それはやっくんがいるから?」
「いなくてもだな。こっちでの仕事がなくなる以上、もうここにいる意味もないし。」
「美緒は地元に帰りたくても、私は嫌なの。」
「じゃあ他のところにする?」
「どっか別の場所で住むってこと?」
「うん。まずは一度地元に帰ってから、新しく住む場所を決めるってのはどうかな?」
「嫌。」
「なんで?」
「だって私は地元に帰りたくないから。」
強い拒絶だった。
声色は穏やかだけど圧迫感がある。
ここまで嫌がるということはそれなりの理由があるはずだ。
尋ねてもいいのかどうか迷うところだけど、これからまた一緒にいるというのならとりあえず尋ねておいた方がいいだろう。
「向こうでなんかあった?」
「まあ色々。」
「言いたくないならいいけどさ。」
「こっちで一緒に住むって約束するなら教えてもいいよ。」
「いや・・・・ならいいかな。」
「そんな地元に帰りたいの?」
「一度はな。ちょっとゆっくりしたいっていうか。その後ならどっか別の場所で住んでもいいんだけど。」
美知留に何があったのか知りたい気持ちはある。
しかしその代償がここに住むってことなら特別に聞きたいとは思わない。
じっと俺を見つめる美知留から目を逸らし、一度だけ海を振り返ってからまた歩き出した。
後ろをトコトコついてくる美知留の足音は気持ちを和ませてくれた。
傍に誰かいるっていうだけで、こうも不安が解消されるんだなと、一人ではないことのありがたさが身に染みた。
まあとにかく、今から職場へ向かおう。
海の向こうから流れてきた雲が一瞬だけ日光を遮り、足元に伸びる影を薄くする。
そいつに視線を落としていると、「ちょっと!」と袖を引っ張られた。
「どうした?」
「あれヤバいんじゃない?」
美知留が指さした先には、沖の方まで伸びる堤防が続いている。
その中腹辺りに釣り人がいた。
テトラポッドの上に立ち、強風に煽られながら、迫り来る高波から身を守ろうとしていた。
確かにあれはヤバい。
釣り人のいる場所より沖の堤防では、堤防そのものを超えそうなほその高波が打ち付けている。
もしあのレベルの波が襲ってきたらひとたまりもないだろう。
テトラポッドの隙間に落ちたりなんかしたら、それこそ助からない。
あの巨大な撒き菱のような物体の下には、小さな水流が幾つも渦巻いている。
そこへ落ちたら最後、自力で脱出するのはほぼ不可能だし、助けることすら難しい。
釣り人は堤防へと上がろうとしているが、足元までせり上がってくる波のせいで上手くいかないようであった。
中腰になり、竿まで手放してテトラにしがみついている。
「警察呼ばないと!」
美知留はスマホを取り出す。
こいつも少々焦っているようで、「待って、こういう時は119の方がいいのかな?」と俺を振り返った。
「どうなんだろう?」
「レスキューとか呼んだ方がいいのかな?」
「警察と消防とどっちも呼んでみるか?」
「あ、そうしよ!」
美知留が電話を掛けている間、俺は釣り人を観察した。
遠くてはっきり見えづらいが、たぶん年配の男性だろう。
あと一メートルも進めば堤防に戻れるんだけど、その一メートル先へ進むことを、足元までせり上がる波が邪魔していた。
そういえば職場の人から聞いたことがある。
何年か前にここで波にさらわれた人がいることを。
その日は快晴で、波は比較的穏やかだったそうだ。
しかし油断していたのか、背中を向けた瞬間に大きな波が来た。
目撃していた人がすぐに110番したそうだけど、救助が来る頃にはその釣り人の姿は消えていたという。
結局見つけることが出来ずに捜索は打ち切られたらしい。
あの時は無関心に聞いていたけど、いざ似たような状況に出くわすとそうはいかない。
美知留がどこへ電話を掛けていいのか分からないように、俺もすぐに行動を起こすことが出来なかった。
このまま放っておけば目の前で不幸な事故が起きてしまう。
もしそうなったらしばらくはブルーな気持ちを引きずるだろう。
ここを離れて地元へ帰ったとしてもだ。
それだけはなんとしても避けたかった。
せっかくここを離れて一息つこうと思っていた矢先、赤の他人のことで余計な心労を背負いたくない。
これは人助けじゃない。
自分の心を守る為だ。
海岸線を駆け、沖まで伸びる堤防へ足を踏み入れる。
手前にはフェンスが張ってあるけど、猿みたいによじ登った。
美知留が「何してんの!」と叫んで追いかけてくる。
「危ないよ!」と言いながら自分もフェンスを越えてきた。
足には自信があるので美知留に捕まる前に釣り人の元まで駆けつけたのだが、ここからが問題だった。
「手を伸ばして!」と差し伸べるが、釣り人は首を振った。
「あんたまで落ちる!」
釣り人は恰幅のいいおじさんだった。
一見しただけで俺の倍くらい体重がありそうだ。
一人でこれを引っ張っても引き寄せられるのは俺の方だろう。
そこへ美知留が追いついてきて、おじさんのしがみつくテトラポッドに足を掛けようとした。
「何してんだよ!」
慌てて引き止めると「私がやる!」と叫んだ。
「美緒は戻ってて!」
「一人で引っ張れるわけないだろ!」
「でもこの人助けないと美緒は納得しないでしょ!いいから戻ってて!」
無茶を言う。
おじさんは美知留に向かって「こっち来るな!」と追い払った。
「あんたまで危ないぞ!」
「おじさんの為じゃなくて美緒の為にやってんの!」
強気に言い放ち、微塵の恐怖も見せることなくテトラポッドに飛び移る。
「押すから戻って!」
おじさんを後ろから押して堤防へ戻そうとしている。
俺は再び「掴んで!」と手を伸ばした。
大きな手が俺の手をガッチリと掴む。
そいつを力いっぱい両手で引っ張って、どうにか堤防まで引き揚げた。
と同時に美知留も堤防へジャンプする。
こんな状況でよくジャンプなんか出来るもんだと感心していると、さっきまで二人が立っていた場所に波が押し寄せた。
真っ白なアメーバのようにテトラポッドを覆い、引きずり込まれるように海へ戻っていく。
「行こう!」
海岸へ向かって走り出すと、また高波が打ち付けてきた。
堤防を超えるほどではなかったけど、全身がずぶ濡れになるほど飛沫が降ってきた。
心臓が悲鳴を上げそうなほど鼓動して、走る足に力が入りづらくなる。
命からがらフェンスを越えて、どうにか安全な場所まで逃げ切った。
振り返ると今までで一番の波が来て、軽々と堤防を超えていた。
せり上がる白波は怪物のようで、うねる水音は獣の咆哮のよう。
もう一度同じことをやれと言われても二度と出来ない。
自分でも気づかないうちにへたりこんでいた。
「助かった!ありがとう!ありがとう・・・」とおじさんが強く瞼を閉じながら叫ぶ。
俺の手を握り、美知留の肩を叩き、何度もありがとうを口にした。
命の危機を切り抜けた安堵、目の前で人が死ぬ光景を見ずにすんだ安堵。
俺も美知留もぐったりと項垂れ、ついさっきまでの状況を思い出して、青くなるしかなかった。
それから数分後、パトカーと救急隊が到着した。
おじさんは「またお前か!」と警官に怒鳴られて、こってりと絞られていた。
救助隊はというと、全員が無事であると知って、ホッとした顔で引きあげていった。
「怖かったね」と美知留が笑う。
俺も釣られて笑ったが、さっきまでいた堤防を振り返ると、釣られ笑いも消えてしまった。
うねる波は無作法に暴れまわって、何度も堤防に突撃している。
もし今もあの場所に立っていたら・・・・そう思わずにはいられなかった。
このまま職場に行ったところでまともに話が出来そうにいない。
美知留と共にいったん家へと帰ることにした。
「怖かったね。」
そう言いながら笑う美知留の肝っぷりには感心するしかない。
俺なんてまだ足が少し震えているというのに。
小柄な人ほど気が強いというが、それは華奢な美知留にも当てはまるのかもしれない。
俺だってそう大きな方じゃないけど、心も体も特別に強いわけではないのはどうしてだろう?
俺に美知留ほどの度胸があればやっくんに怯えすにすんだだろうし、俺にやっくんほどのガタイがあれば美知留に守られずにすんだだろう。
心と体、どちらか一つでもいいから強いというのは、生きていく上で大きな武器になるはずだ。
そのどちらも持たない俺は、果たしてどんな武器があるだろう?
勉強もスポーツも並で、芸事に秀でているわけでもない。
通信簿は小学一年生から中学卒業まで平均してオール3だった。
高校の頃はゲームや特撮にハマって学業が疎かなものだったから、普通より下に転げ落ちてしまったけど。
もし自分にも何か武器があれば・・・・と思いながら、海岸線から遠ざかっていく。
振り返るとまだ波は荒れていて、先ほど立っていた堤防が遠くに霞んでいる。
ここからでも高波が見えるほどなのに、よくもまああのおじさんはあんな場所で釣りをしていたもんだと呆れてしまう。
ああいうのは度胸があるとは言わないだろう。
釣りという目的の為、本来は避けるであろう危険に足を突っ込むのは無謀なだけだ。
戦場カメラマンはファインダーを覗いている時は恐怖を感じないらしいけど、どんな事でも熱中してしまうと危機感が衰えてしまうのかもしれない。
前を歩く美知留の背中は、俺より小柄なのにある意味で大きく見える。
この背中を見ていると、今よりも強くなりたいと願うようになっていた。
もしもやっくんが現れたとしても、一人で撃退できるほどの強さがほしい。
肉体的には叶わなくても、精神的に強くなれば、きっとそれは叶うはずだ。
家までの帰り道、美知留はさっきのおじさんに対して不満を漏らし続けた。
美緒が走っていったから咄嗟に追いかけたけど、そうでなきゃあそこまでして助けようとは思わなかった。
そしていつかまたやるはずだと言った。
ああいうタイプは懲りないから、危ない目に遭ったことも忘れ、誰かに助けてもらった恩も忘れ、また同じような馬鹿を繰り返すのだと。
もし次に今日と同じ光景に出くわしたとしても、助ける必要はないとも言った。
今度やってても絶対に美緒には教えないからねと、おどけた表情で手を握ってきた。
「美緒は正義感が強いね。」
いきなりそんなことを言われて「どこが?」と返す。
「なんか漫画に出てくる主人公みたいなところがあるよ。正義のパワーで突っ走るみたいな。」
「さっきのはあのおじさんの為じゃない。目の前で人に死なれたら嫌だからああしただけだ。」
「じゃあ逃げればよかったのに。」
「逃げるって・・・・なんで?」
「見たくない光景なら見なきゃいいってこと。なんでもわざわざ正面から向き合う必要ないんだよ?」
「それは分かってるけど、なんか後ろ髪を引かれる思いがするんだ。あのまま放っておいて何かあったらどうしようって・・・家に帰っても落ち着かくなる。
それこそ次の日のニュースで『海で釣り人が亡くなりました』なんて流れたら超絶ブルーだよ。」
「じゃあニュースも見なきゃいいじゃない。特に困ることないんだし。」
「でも政治の事とか海外の出来事とかやってるから。」
「そういうの興味あったっけ?」
「それほど。でもなんとなく見ちゃう。」
「じゃあ見なきゃいいじゃない。嫌な光景も嫌なニュースも。
正義の為に燃えるのはカッコいいと思うけど、そのせいで美緒が危険な目に遭う方が嫌だな。」
「好きでやってるわけじゃないよ。でもどうしても正面向いて直視しちゃうんだ。なんでだろう?」
「もしかして変身とか出来ると思ってる?正義のパワーで。」
頭でも撫でそうな勢いで馬鹿にしてくるが、嬉しそうなその顔は俺を見下している証拠だろう。
いざとなったら変身ヒーローのようなありえない展開でどうにか事態を打開出来ると思い込んでいる、幼い子供を見るような目だ。
その視線の奥には、美緒には私がいないと駄目だねといった、過保護な愛情を暗に感じさせるものがあった。
少し腹立たしいけど、俺はきっちりと反論できるだろうか?
もちろん変身ヒーローを夢見る年頃ではないけど、心のどこかで今の自分にはない力を求めているのも事実だ。
そもそもそうでなければ、この街へ来ることもなかっただろう。
新しい人生を切り開きたいなんて、自分探しにガンジス川へ行くのと何も変わらない。
いや、ガンジス川へ行く方が遥かに価値があるか。
日本とは違った環境の中、平和な国で親に守られながら育ってきた自分の甘さを痛感出来るかもしれないから。
美知留はとうとう俺の頭を撫で始めた。
悩む俺を見つめて嬉しそうなのは、やっぱり私が必要でしょ?といった満足感と優越感に安心しているからだろうか。
頭を撫でる手を振り払いたいけど、そう出来ないのは今は美知留にいてほしいという気持ちの方が強いからだ。
嫌々ながらも頭に掛かる手をそのままに、家まで戻ってきた。
そして俺はまた美知留の後ろに隠れるという醜態を取る羽目になってしまった。
なぜなら家の前にやっくんがいたからだ。
俺たちに気づくなりこちらへ近づいてくる。
ポケットに手を入れたままなのは武器を隠しているからか?
あの手にはナイフが握られて・・・・と考えてしまう。
「逃げよう!」
美知留の手を引き、家から逃げ出そうとした。
しかし「大丈夫」と言って自分からやっくんへ向かっていく。
華奢な背中は怒りを宿し、顔を見なくても上唇が上がっているであろうことが分かる。
その足取りに微塵の恐怖もなく、むしろ相手を押し返してやろうという気迫さえ感じられた。
美知留の気迫に圧されてか、やっくんは途中で足を止めた。
そしてポケットに入れていた手をゆっくり抜こうとした。
もしあの手にナイフが握られていたら・・・・、
ついさっき自分が死ぬかもしれないことを顧みずに、死の危険に晒されていた釣り人を助けたばかりだ。
そのせいでなんて無謀なことをしたんだろうと青ざめた。
なのにあの瞬間の感情が舞い戻ってくる。
目の前で人が死んだら?
もし・・・もし美知留に何かあったらと・・・。
頭の中がバーストするほど熱くなり、と同時に身体は氷みたいに冷えていく。
足元から地面を踏んでいる感覚が消え、重力に引っ張られていることさえも忘れそうなほど体重を感じなくなり、寄声を発しながら手を振り上げて駆け出していた。
完全にポケットから出たやっくんの手には、やはり何かが握られていた。
昨日の今日どころか、さっきのさっきでまたストーカー行為である。
ならば再びここへ来たのは、自分勝手な欲望を満たす為か、もしくは逆恨みによるお礼参りしかない。
攻撃される前に攻撃をしないと殺されてしまうぞ!・・・・と、煮えたぎりそうな頭の中で警報が鳴っていた。
「美緒!」
美知留が俺を制止しようとするのを押しのけ、正面からやっくんに飛びかかる。
殴り方なんて知らないけど、思い切り拳を固めて振り抜く。
この一撃でブっ飛ばしてやるくらいの勢いで突っ込んだのだが、慣れない行為は成功率が低いものだ。
渾身の一撃はやっくんのせいでもなく俺のせいでもなく、足元の石ころという単純極まりない伏兵のせいで不発に終わってしまった。

海の向こう側 第三話 戻って来た彼女(1)

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 14:22

JUGEMテーマ:自作小説

桜が彩る公園を歩いていく。
バックには海が広がっていて、隣を歩く元カノが「綺麗な場所だね」と言った。
「すごいいい所に住んでるじゃない。」
「景色は最高だよ。でも便利ではないんだよなあ。」
「まあなんもないもんね。私も最初に着いた時すごい田舎って思ったし。」
海から近い公園の遊歩道は、ただ歩くだけでも癒される。
もちろん今日が快晴だからであって、天候の悪い日はとてもじゃないけど散歩なんてできない。
強い潮風が直撃するものだから、景色を楽しむ余裕などないのだ。
日本海側は天気が荒れやすく、今日みたいにスッキリした空は珍しい。
俺たちはいつの間にか手を繋いで、桜並木に見入っていた。
別れた彼女なのにこうも自然に手をつないでいるのは、ヨリを戻したからじゃない。
俺がさっきまで怖い目に遭っていたからだ。
友達だと思っていた奴からストーカーされて、家の中で子犬のように怯えていた。
美知留が来てくれたおかげで少しは落ち着いたけど、まだ恐怖が消え去ったわけじゃない。
胸を乱す不安は身体に伝わり、伸ばした手は美知留の方から握り締めてくれた。
「怖かったね、ほんとに。」
ふとそう言われてちょっと泣きそうになる。
「大丈夫?」とハンカチで目元を拭われて、余計に泣きそうになった。
「助かった・・・美知留が来てくれて。」
「だって心配だったからさ。あいつ美緒に会いに行くっていうし、止めてもきかないし。
だったら刑務所にでもブチこんでやろうと思って警察に行ったのね。」
「美知留も酷いことされたんだろ?ビンタされたって。」
「そうそう。先に手え出したのは私だから、最初は警察に行かなかったんだけどね。
でもこのままほっといたら美緒が危ないんじゃないかと思ってさ。
それで昨日警察に行ったわけ。残念ながらあいつ逮捕されなかったみたいだけど。」
小さな舌打ちが聴こえる。
「てっきり私をストーカーしてると思ったら、ターゲットは美緒だったなんて。
最初から知ってればもっと早くどうにか出来たかもしれないのに。」
そう語る横顔は本気で怒っていた。
美知留は感情的になると上唇が上がる。
拗ねてるみたいなその顔は、実は怒りが極限に達している証拠だ。
俺も何度かこんな顔を向けられたことがある。
約束をすっぽかしてしまった時とか、浮気を疑われた時とか。
けど今日の美知留はその時以上に怒っていた。
「あのゴリラ、タダじゃおかない。」
俺たちはいま警察署に向かっている。
やっくんをどうにかしてもらう為に。
『逮捕は無理でも接近禁止くらいにはしてもらえるかもしれないよ?』
美知留にそう説得されてのことだった。
俺の本心としては警察には行きたくなかった。
なぜなら後から何をされるか分からないからだ。
もし警察があいつを捕まえたとしても、長く刑務所になんか入ったりしないだろう。
俺を襲ったとか怪我をさせたとかならともかく、そうじゃないなら書類送検とかで終わるんじゃないだろうか。
接近禁止令が出たとしても、物理的に近づけないようになるわけじゃない。
捕まることを覚悟の上ならいくらでも俺に近づいて来られる。
あんなゴリラみたいな男に腕力で来られたら太刀打ちできない。
さっき抱きつかれた時だって素直に離れてくれたからよかったけど、そうじゃないなら抵抗出来なかっただろう。
俺は自分でもそう弱くない方だと思っていた。
なのにいざこの身に危険が迫ると、自分で思うほど強いわけじゃないんだと思い知った。
さっきのことを思い出すとまた怯えが戻ってきて、足取りさえ重くなった。
それに気づいた美知留は「大丈夫?」と顔を覗き込んできた。
「まだ怖い?」
「正直・・・・。」
「ちょっとどこかで落ち着こうか?」
「いや・・・・大丈夫。」
大きく深呼吸をして足を進める。
嫌な気持ちを少しでも振り払おうと、遠くまで伸びる桜並木を見つめた。
・・・・いや、こういう時は桜よりも海の方がいいかもしれない。
美知留の手を引き、「海岸の方に行ってもいいか?」と尋ねた。
「美緒が落ち着く場所ならどこでも」と頷いて、二人で海が見える傍まで行く。
近づくにつれて波音が聴こえてきて、潮の香りが鼻をくすぐった。
なんだか一気に気持ちがほぐれてきて、海の力は偉大だと痛感する。
けどそんな気持ちも一瞬で打ち砕かれた。
ふと人の気配を感じて振り向くと、すぐそこにやっくんが立っていたのだ。
心臓が居場所を失くすように飛び跳ねる。
美知留の手を握り締め、すぐさま後ろに隠れた。
なんでまた会いにきたんだろうか・・・・。
ポケットに手を突っ込んでいるけど・・・・まさか殺しに来たとか?
あの中にはナイフが入っていて、自分の思い通りにならない相手をその手で消してしまおうとか・・・、
「なんなんだよテメエ!」
美知留が怒鳴る。
俺を隠すように立ちはだかって、「また蹴り飛ばされたいのか?」と殺気を振りまいた。
「言っとくけどちょっとでも美緒に近づいたらマジで許さないからな。」
華奢なクセに俺より気が強い。
普段は温厚なんだけど怒ると別人のようになる。
俺はただ怖くてやっくんを見ないようにしていた。
いま、俺を守ってくれる人は美知留しかいない。
華奢なこの背中が誰よりも逞しく見えた。
「すまん!ほんま悪かった!」
やっくんの野太い声が響いて身を竦める。
謝ってるみたいだけど許す気などない。
とにかく一刻も早く目の前から立ち去ってほしい。
そうでないなら俺がこの場から駆け出したい。
駆け出したいんだけど、美緒の背中から飛び出すのが怖くて、じっと身を潜めるしかなかった。
「警察を・・・・、」
しかし俺より先に美知留が電話を掛けていた。
話しぶりから察するに、俺と同じく警察へ掛けてくれたらしい。
やっくんは慌てて立ち上がり、「違うんや!」と叫んだ。
なにが違うのか分からないけど、理由など聞きたくない。
一秒でも早く目の前から消えてくれたらそれでいい。
慌てるやっくんに気勢を増した美知留が詰め寄る。
その剣幕に負けてか、滑稽なほどガニ股で逃げ出した。
彼の背中が遠ざかるほどに安堵がこみあげて、美知留の背中にくっついたままズルズルと崩れ落ちた。
「・・・・・なんなんだよあいつ。」
美知留に追い返されたくせになんでこんなにすぐ現れるのか?
ストーカーってのは自己中の塊だと聞くけど、あいつもそうなのかもしれない。
俺に嫌われるのが怖くて、俺の気持ちなどお構いなしに謝罪に来たのだろう。
でもその行為は相手の心情を考えない身勝手な行いだ。
本当に美知留がいてくれてよかったと思う。
・・・・それから数分後、二台のパトカーが海岸へ走ってきた。
降りてきた警官たちに美知留が事の経緯を説明した。
俺は青ざめた顔をしていたのだろう。
パトカーの中で落ち着きを取り戻すのに時間を要した。
それからさらに30分後、やっくんもパトカーに乗る羽目になった。
先に警察署へ来ていた俺たちとは別の部屋で話を聞いているという。
美知留が「今すぐ逮捕して!」と叫んだが、向こうは向こうでストーカー行為を否定しているらしく、俺たちはしばらく警察署ですごす羽目となった。
それからさらに二時間後、とりあえずやっくんは署に泊まっていくことになった。
いきなりに抱きつかれたことを話すと、警察の目の色が変わり、やっくんに対する危険度を引き上げた為だ。
俺と美知留はまた明日ここへ来て、事情を話すことになると言われた。
とりあえずパトカーで送ってもらい、美知留に付き添われながら家に入った。
見慣れた居間に戻っても落ち着きは取り戻せず、恐怖と興奮とが入り混じった妙な昂ぶりに襲わた。
美知留はずっと傍にいてくれて、しきりに何かを話しかけてくる。
俺は内容もよく理解しないまま相槌を打っていた。
多分慰めたり励ましたりしてくれているんだろう。
手を握ったまま身を預け、そのあとは気を紛らわす為に酒を飲んで意識をなくしてしまった。
次に目を開けた時は布団の中で、顔が二つの乳房に挟まれていた。
一瞬どういう状況か分からなかったけど、すぐに昨日のことを思い出し、俺の為に泊まっていってくれたんだと理解する。
互いに服を来ているので、そういう行為に及んだということはなさそうである。
安心するのでしばらくこのままでいたいけど、別れた彼女にこれ以上甘えるのはよくない。
そっと布団を抜け出して洗面所に向かった。
鏡に映った顔はひどいもので、腫れぼったい目に疲れた表情。
髪もボサボサでこれはイカンと思いながら、とりあえず顔だけ洗った。
それからシャワーを浴び、服を着替え、簡単な朝食を用意した。
布団を覗き込むと美知留の寝息が聴こえて、もう少し寝かせといてあげようと足音を殺した。
・・・・さて、今日はまた警察に行かないといけない。
出来れば朝に来てほしいとのことだった。
それは俺も賛成で、こんな面倒事はとっとと処理してしまいたい。
そして警察をあとにしたならば、職場へ行って退職日を早めてもらおう。
どうせあと数日の勤務、店そのものが潰れるのだ。
事情を話せば頷いてくれるはずだ。
そのあとはさっさとここを引き払い、とりあえず地元に戻ろう。
万が一やっくんが追いかけてきても、実家ならば家族を頼ることが出来る。
自分の人生を変えようと始めた一年前の決断は、なんとも後味の悪い形で終わりを迎えることになってしまった。
しかしまあ年月が過ぎればいい思い出だと笑える・・・・はずもないだろうな。
これはそういう類の悩みじゃないのだから。
テレビを点け、美知留を起こさないように音量を小さくしていると、「おはよう」と声がした。
布団からもそもそと這い出て抱きついてくる。
「大丈夫?よく眠れた?」
「お陰様で。」
「昨日は大変だったねえ。今日警察に行ったら散々あいつの悪口言ってやらないとね。すぐに出て来られないように。」
「そう出来ればいいけど無理だろうな。あれくらいじゃ刑務所になんか行かないよ。警察もブチ込むのは難しいみたいなこと言ってたし。」
「税金でご飯食べてるんだから、こういう時くらい国民の言うこと聞いてほしいよね。」
首に回した腕を解きながら「顔洗いたいんだけどいい?」と尋ねてくる。
「そこのドアは入ったら洗面所がある。風呂場もあるからシャワーも使っていいよ。」
「ありがと。」
ドアの向こうに消えてからすぐにシャワーの音が響いた。
「俺のでよかったら使って」とバスタオルと着替えを置いた。
「ごめん、ありがと」という声を背中で聞きながら、謝らなきゃいけないのはこっちだと戒めた。
なぜなら俺と美知留が別れたのは、俺が振ったからだ。
美知留はとても優しいし気が利くけど、当時の俺にとってはそれが重荷になっていた。
ことあるごとに俺のすることに助言をくれて、すぐに手伝おうとしてくれるのだが、その優しさは母親からの小言のように小さなストレスとなって鬱積し始めていた。
まるで思春期の子供が反発するかのように、俺は美知留の気遣いに対して良い顔を見せなくなった。
決定的だったのは、地元を離れ、ここへ引っ越すと決めた時のことだ。
仕事を辞め、別の土地で新たな人生を始めようとした俺の決断は、美知留にとっては無謀な冒険にしか映らなかったようで、開口一番に反撃を食らってしまった。
『美緒は気が強そうに見えるけどそうじゃないんだよね。なんかあったら一人じゃ何も出来ないよ。私の傍にいた方がいい。』
あの時はまたもや母親ナイズの小言かと敬遠したが、今思えば正しかったのかもしれない。
俺は俺が思うほど強くもなく、そして計画的でもしっかり者でもなかった。
新しく始めたチャレンジは一年で終わりを迎え、旧友をストーカーと見抜けずに簡単に家の中に上げる無謀さ。
なるほど、美知留が心配していたように、俺は脇が甘いのかもしれない。
風呂場から出てきた美知留が向かいに座る。
冷めた目玉焼きに口をつけながら、「戻ってくるんでしょ?」と尋ねた。
「ここにいたらまたアイツに何されるか分からないもんね。」
「そのつもり。ていうか今月いっぱいで帰るつもりだったんだ。」
「そうなの!」
わざとらしいほどの驚きで目を開く。
俺を見つめたまま器用に目玉焼きを切り、口へと運びながら「なんかあったの?」と尋ねた。
「いま行ってる職場がなくなっちゃうんだよ。」
「へえ、そうなんだ。あんまりお客さん来なかったの?」
「最初はよかったんだけど、肝心の料理がいまいちでさ。いくら愛想よくしたって物が悪いんじゃしょうがないよ。」
「てことは料理が美味しかったら長続きしたってこと?」
「多分な。」
食パンに目玉焼きを挟み、マヨネーズをかけて頬張る。
美知留は「太るよ」と笑った。
「あいにくいくら食べても太らないんだ。」
「知ってる。私と付き合ってる時もばくばくカロリー高そうなの食べてたもんね。」
羨ましそうなその目つきは、太りにくい体質である俺への嫌味だろう。
少しだけ上唇が上がったのを見逃さなかった。
それから他愛ない話を続け、朝食の後片付けを終えてから「じゃあいこっか」と美知留に手を引っ張られた。
「今日もこうして握っててあげるからね。」
「ありがとう。」
二人して家を出ると、外は少しばかり曇っていた。
風も強く、桜の花びらが宙に吸い込まれるように枝から離れていった。
昨日と同じように海岸線を歩いていると、高い波が防波堤に打ち付けて、大きな音を響かせた。
美知留は「こっちの海って荒いよね」と言う。
「真っ白な波が起きまくってる。ちょっと怖いくらい。」
「瀬戸内とは違うからな。向こうの海が穏やかすぎるんだよ。」
「でも見てると飽きないね。動きがあった方が面白い。」
握った手を揺らしながら、嬉しそうに俺を引っ張っていく。
風はどんどん桜の花びらを奪っていって、そのうちの一部が海へと落ちていく。
海は怒っているかのように白波をうねらせて、瞬く間に花びらを飲み込んでしまった。
美知留の言う通り、確かに海にも動きが必要かもしれない。
平穏な水面よりも、怒り狂ったようなこの海を眺めている方が、どうしてか心が落ち着いてくる。
それはきっと、強い潮風と強い潮の香りと、そしてなにより怪物みたいな波音が余計な不安を消してくれるからだろう。
孤独で悩むより、雑踏の喧騒にまぎれていた方が落ち着くのと似ているかもしれない。
美知留は強い足取りで歩き、ずんずん俺を引っ張っていく。
しかし俺はいつの間にかその足取りについて行けなくなっていた。
警察署へ近づくにつれて、何かに引っ張られるように前に進めなくなってしまったのだ。
「どうしたの?」
不安気に振り返る美知留に何も答えられず、荒れる海へ視線を投げた。
「大丈夫?」
「もういいよ。やっくんのことは。」
「でも警察の人から来いって言われてるんだよ?」
「そうだけど・・・もう関わりたくない。」
「まだ怖い?」
「なんていうか、もうじきここともオサラバするんだなって思ったら、この一年のこととかどうでもよくなってきてさ。
やっくんだってさすがに地元じゃ派手なこと出来ないだろうから、今すぐ帰って全部忘れたいなあって。」
友達ではなくなった友達だった奴、おそらく二度と来ないだろう白波のうねる海岸線。
モヤモヤとかき乱される胸の内は、だんだんと帰郷の想いを強くさせていった。
美知留は手を離し、俺の正面に立つ。
「こっちで一緒に住まない?」
いきなりなことを言われて返事に窮する。
一緒にってことは、ヨリを戻したいってことなんだろう。
でもなぜ?とか、どうしてこっちに住みたいのか?とか、そこら辺が理解できなくて何も答えられなかった。
美知留は手を伸ばしてくる。
そして俺の頬を挟んでキスをした。
「まだ美緒のことが好き。」
「・・・・・・・・。」
「それと地元に戻りたくない。だから一緒にこっちで住もう。あのゴリラが来たら私が守ってあげるから。」
冗談を言っている顔じゃなかった。
表情も声も本気で、となると適当な返事は返せない。
返せないはずなんだけど、思考や感情を飛び越えて、身体が勝手に動く。
脳が決断を下す前に「いいよ」と頷いていた。

海の向こう側 第二話 懐かしい友達(2)

  • 2018.05.14 Monday
  • 11:48

JUGEMテーマ:自作小説

テトラポッドに腰を下ろし、友達と二人で海を眺める。
服が若干タバコ臭いのはやっくんに抱きつかれたせいだろう。
クンクンと袖にうつったニコチン臭を気にしていると、「さっきはすまん」と謝られた。
「いきなり抱きついて。」
「ほんとだよ。ちょっとマジでビビった。」
数分前のことを思い出し、なんとも言えない気分になる。
俺はしばらく固まっていたけど、『離れてくれる?』と威圧気味に言った。
やっくんは素直に離れてくれたけど、そうじゃなかったら突き飛ばして逃げていただろう。
「すまんな。」
疲れた横顔を見せながら、疲労を追い払うかのように顔をこすっていた。
俺は迷った。
警察に捕まったこと・・・尋ねてもいいのかどうか。
何もしていないと言っていたけど、何もないなら警察が来るはずがない。
たとえ誤認逮捕だったとしても何かしらの事情があるはずだ。
その事情をやっくんは知っているはずで、でも『言いたあない』と首を振っていた。
やっぱり美知留に関係することなのか?
聞きたいようで聞きたくない。
このまま黙っていれば、やっくんの方から口を開いてくれるかもと思い、無言で海を眺めていた。
「・・・・帰るわ。」
急に立ち上がって、トボトボと歩き出す。
その背中は哀愁に満ちていて、『早く引き止めろ!』と叫んでいるようだった。
なので俺は無視した。
言いたいことがあるなら自分から言えばいい。
そもそもここへ来たのだって、俺に会いに来たからだろう。
警察に捕まって、釈放されて、でも越したばかりで見知った人間がいないから、古い友達を尋ねてきたのだ。
やっくんの背中は語る。
『話を聞いてくれ』と。
俺は目を逸らし、テトラポッドから立ち上がって、いつもとは違う道から帰ることにした。
そして数分後、家に戻ってくるとやっくんが玄関前にいた。
「おお」と手を上げながら近づいてくる。
「どうしたの?」
怪訝な目を向けるが怯まない。
ややバツの悪そうな顔をしながら、「帰っても話す相手おらんから」と言った。
「いや、いるでしょ。電話するなりすれば。」
「こういう時は直接誰かと話したいやん?」
「じゃあさっき話せばよかったじゃん・・・・。」
面倒くさいなあと思いながら、「どうぞ」と手を向ける。
「え?」
「話したいことがあるんだろ?どうぞ。」
「ここ表やん。」
「人に聞かれたらマズい話なのか?」
「あんまり聞かれたあないかな。」
「じゃあ場所変えようか。さっきの海岸沿いにアスレチックのある広場があるから。
あそこ誰も来ないからなんでも話せるよ。」
「でも外やん。」
「外でいいじゃん。」
「俺は屋内の方が・・・・、」
「じゃあちょっと離れた所に喫茶店あるから行こう。お客さん少ない店だから人に聞かれる心配もないし。」
「でもマスターとかおるやん?」
「客の話なんか興味ないと思うけど。」
「みっちゃん家で話しを・・・・、」
「それは無理。悪いけど。」
「・・・・さっき抱きついたから?」
「うん。」
「すまん・・・・。」
「別に謝らなくていいよ。ちょっとビックリしただけだから。けどまあ・・・・家で二人っきりってのはちょっと。」
「信用失くしてもたな。」
「これでも一応女なんで・・・・。」
ていうかなんで抱きついてきたんだろうって不思議だけど、もし俺に惚れてるとかだったらイヤなので聞かないでおくことにした。
あいにく俺の恋愛対象は女性で、やっくんをそういう目で見ることは出来ない。
「じゃあ俺ん家で話しよか?」
「もっと怖いんだけど。」
「ほな・・・・、」
「ここでいいじゃん。」
狭い庭に手を向ける。
車が一台停められるほどのスペースだけど、立ち話するだけなんだから問題ない。
「どうぞ」と手を向けると、「実はな・・・」と切り出した。
「ストーカーしてたのは事実や。」
「やっぱり・・・。」
「でも今日捕まったのはそのことと違うんや。」
「他にも犯罪してたのか?」
「傷害でな。」
「誰か怪我させたのか?」
「美知留を。」
「は!?」
「あ、いや!違うで!襲いかかったとかじゃないで。」
「じゃあなんで?」
「俺を馬鹿にするから・・・、」
「なんか言われたのか?」
「美知留な・・・・俺のこと笑いよってん。」
「笑う?」
「・・・・正直に言うわ、実はな・・・、」
正面から俺を睨み、「好きやってん」と言う。
「美知留が?」
「違う、みっちゃんが。」
「は!?」
「俺がストーカーしてたんは美知留やない。みっちゃんなんや。」
「・・・・・・・・。」
背筋が波打つとはこのことだ。
みっちゃんが好きやってんに加えて、俺へのストーカーをしていたなんて言われたら、目の前にいる友達が急に怖く見えてきた。
だってそうなるとさっき抱きついてきたのも、つまりはそういう事というわけで・・・、
「引いた?」
「かなり・・・。」
ちょっとずつ玄関へ下がっていく。
いつでも家の中に逃げられるように。
やっくんは俺を追いかけることはせず、じっとその場に立ち尽くしていた。
言わなきゃよかったみたいに後悔しながら。
「俺はみっちゃんが好きやった。」
「・・・・・・。」
「でも美知留と付き合ってたから我慢してたわけや。」
「それで・・・・?」
「一年前に美知留と別れたやん?だから俺にもチャンスがあるかなって。」
「ないよ・・・。ていうかなんで別れたこと知ってんの?まさかその頃からストーカーをしてたんじゃ・・・、」
「そや。」
「怖いよお前・・・・。」
もはや信用出来ない・・・・。
まさかターゲットにされていたのは俺の方だったなんて・・・・。
「俺が美知留をつけ回してたんは、みっちゃんがどこに行ったか知りたかったからや。
でもあいつは教えてくれへんかった。
あんたみたいな汚い顔の男に美緒はもったいないって。」
「そうやって俺の居場所を調べてるうちに、ホームページを見つけたわけか?」
「そや。」
「最悪・・・・・。」
ネット時代とは怖いものだ。
どこからどう個人情報が漏れるか分からない。
頭では分かっていたけど、まさか自分の身に降りかかるなんて想像もしなかった。
昨日こいつを家に上げた無防備さを実感し、また背筋が波打った。
「美知留はな、俺がみっちゃんに近づくのがイヤやったみたいや。」
「俺もイヤだよ・・・・。」
「でも俺はとうとう居場所を突き止めた。それを美知留に伝えたら、会いに行くなんて絶対に許さへんって。」
「俺も同じことを言うよ。」
「そんでな・・・笑いよってん。俺のこと。」
「馬鹿にされたってことか?」
「まずみっちゃんはレズやから無理やって。それは俺も分かってることやからしゃあないなって思った。高校ん時から女の子好きやったもんな?」
「友達だからカミングアウトしたんだぞ。もう友達と思えないけど。」
「すまん・・・。でもな、そのあと美知留は笑いよってん。キモいとかお前じゃ無理とか。
でも俺は本気やってん。高校ん時からみっちゃん好きやったから。」
「そんな前から?」
「気持ちを隠すの大変やったわ。気づかれたら友達じゃなくなるかもしれへんから。
せやけどずっと我慢するのはしんどくて、こうして会いに来たわけや。」
自分の気持ちを吐き出したせいか、さっきよりもサッパリした顔をしている。
その笑顔に腹が立つのは、こいつが抱えていたモヤモヤを、俺の心に転嫁されてしまったせいだろう。
「あのさ、お前の気持ちは分かったけどなんで捕まったの?そこんとこ全然説明できてないんだけど。」
「美知留のせいや。」
「悪口以外にもなんかされたのか?」
「さっきも言うたけど、俺は美知留を叩いたんや。こうしてな。」
手のひらを向け、ビュンと振る。
「ビンタしたってことか?」
「そや。」
「それ暴力だろ。お前みたいなガタイしたやつが女の子に手えあげるなんて怪我させるぞ。」
「いや、最初に手えだしてきたんはあいつやねん。
俺のこと笑って馬鹿にしたあと、頭を叩いてきよったからな。」
「美知留なら・・・・あり得るか。」
「なにがなんでもみっちゃんに会いに行く言うたら、必死に引き止めよってな。途中で手え出してきたわけや。
最初は頭を叩かれて、次は足を蹴られてな。その次はカバンで叩いてきよった。」
「それでつい反撃したと?」
「身を守る為にな。正当防衛やで。」
「だから警察は釈放してくれたのか?」
「・・・すまん、正確に言うと逮捕はされてないんや。」
「どういうこと?」
「今頃になって美知留が警察に訴えて、それで俺ん所に話を聞きに来てただけでな。
とりあえず署まで来てくれる?言われて、そこで事情を話したわけや。
ほな向こうの警察に確認取ってくれて、それから一時間後に帰ってもええでと言われた。」
「なら正当防衛成立と?」
「ということやろうな。詳しいは分からんけどこうして帰ってきたわけやし。」
おどけて手を広げてみせる。
「あいつは手え出してきよったけど、それはええねん。シバこう思たら簡単やからな。まあやらんけど。
俺が一番ムカついたんは馬鹿にされたことや。
自分はみっちゃんと付き合ってたからって、俺のこと見下す目えしてた。」
「美知留はちょっと男嫌いな所があるんだよ。特にやっくんみたいな男臭い感じの男を。」
「なんか事情があんのか?」
「いや、生理的な問題で特に理由はないらしいけど。」
「だから俺のことみっちゃんから遠ざけようとしてたんやな。ほんま食えん女やで。」
お前も大概だろと言いたかったけど、刺激するようなことは言わないでおこう。
何をされるか分かったもんじゃない。
ていうか・・・・俺はショックだった。
高校の時の友達が・・・まさかこんな奴だったなんて。
俺に惚れてるのはまあいい。付き合う気なんてないけど、誰を好きになるかはこいつの問題だから。
一番の問題はストーカー気質ってことだ。
こればっかりはどうしても頂けない。
「あのさやっくん。悪いけど俺はお前とは付き合わないよ。」
「・・・・・・・。」
「ていうか友達も無理っぽい。だって怖いもん。」
「・・・・俺、やっぱ言わん方がよかったかな?気持ちは胸にしまったままの方がよかったか?」
「それは問題じゃない。ストーカー体質なのが怖いんだよ。」
玄関を開け、やっくんを睨みながら中へ入る。
背中だけは見せまいと、常に正面を向けながら。
「悪いけどさ、もう来ないでくれよ。」
「・・・・・・・。」
「はっきり言って怖い。美知留だってつけ回されて可哀想だし。お前に同情なんて出来ないよ。」
やっくんは何か言おうとしてたけど、それを聞く前に引き戸を閉めた。
すぐに鍵を掛け、居間に駆け込む。
窓の鍵も確認し、トイレの窓もキチっと閉めた。
そしてスマホを握り締め、美知留に電話を掛けた。
しかし繋がらず、今度は美知留の友達に掛けた。
「・・・・・・あ、もしもし?」
突然の電話にビックリしているようだったが、やっくん絡みのことだと伝えると、すぐに食いついてきた。
「実はさっきさ・・・」と経緯を話す。
すぐに美知留に確認を取ってくれるとのことで、しばらく連絡を待つことになった。
俺は気分を落ち着けようと、キッチンへコーヒーを淹れに行く。
そして居間に戻ってふと窓に目をやると、せっかく淹れたコーヒーを落として悲鳴を上げた。
窓の向こうに人影が映っていたのだ。
磨硝子なので細かくは見えないが、確実にやっくんだと分かる。
窓に張り付いて中の様子を窺おうとしている。
こんなのもう恐怖でしかない。
外へ逃げ出そうと玄関に駆けるが、待て待てと自分を諌めた。
今出たらどうなるか分からない。
逃げても追いかけられるだろうし、下手すると家の中に入って来かねない。
どうしようかと怯えていると、玄関のガラスにやっくんが映った。
こちらも磨硝子ではあるが、中を窺おうとしている様子は分かる。
そしてガラスが割れそうな勢いでノックをしてきた。
家中に響くその音は、実際よりも大きく聴こえて、足を震えさせた。
「みっちゃん!まだ話してないことがあんねん!開けてくれ!」
ドアに手を掛け、力任せにこじ開けようとしている。
こいつは見た目がゴリラなだけじゃなく、腕力もゴリラのように逞しい。
ボロいこの家のドアが破壊されるのは時間の問題だろう。
はっきり言おう、俺は泣きそうだった。
ここまで来ては友達などではない。
この身に何をしでかすか分からない犯罪者である。
俺は迷わず警察を呼ぶことにした。
プッシュする指が震えるけど、これは友達だったやつを警察に突き出すのを躊躇っているからじゃない。
警察が到着するまでの間、この家のボロい引き戸がもってくれるか不安だったからだ。
ひどく揺れる指は何度も押し間違いをする。
数字を押しては消し、どうにか落ち着けと自分に言い聞かせていると、誰かから電話がかかってきた。
表示を見ると美知留の友達からで、折り返しで掛けてきたのだろう。
しかし今はそんな電話を受け取っている場合じゃない。
着信を切り、また110番に掛けようとした。
しかしその時、ふとあることに気づいた。
いつの間にやらノックの音がやんでいたのである。
磨硝子に映っていたやっくんの影もない。
諦めてくれたのか・・・・・と、息を飲んで様子を窺う。
目を凝らし、磨硝子を睨んでいると、また人影が近づいてきた。
心臓が竦み上がり、やはり110番すべきだと震える指を動かした。
しかしそこでまた美知留の友達から着信があった。
すぐに切ろうと思ったのだが、とにかく今は恐怖を和らげたい。
警察を呼ぶのが先だってことは分かってるけど、気がつけば「もしもし?」と電話に出ていた。
「ごめん、今すごいヤバイことになってるんだよ!やっくんが完全にストーカー化して家のドアを叩いてるんだ!
怖いよマジで!家ん中に入って来られたら何されるか分かんな・・・・え?美知留が?」
美知留がこっちへ来ていると聞かされて、なんで?と固まる。
その時、トントンとノックが響いて、またもや背筋が波打った。
引き攣りながら振り返ると、磨硝子の向こうに人影が映っていた。
だがそれはやっくんではない。
もっと小柄で華奢なシルエットだった。
「美緒!大丈夫?」
女の声が響く。
それも聞き覚えのある声だ。
「もうあのゴリラいないよ。安心して。」
「・・・・・・・・。」
俺はスマホを握り締めたまま、恐る恐る玄関へと近づいた。
「大丈夫大丈夫、もう平気だから。」
柔らかい声色で語りかけられて、すぐに鍵を開けた。
ガラっと引き戸を開けると、そこには美知留が立っていた。
周りを見渡すとやっくんはいなくなっていた。
それでも不安で、美知留の手を握って「あいつは?」と尋ねた。
「もういないよ、追い払ったから。」
「マジで?ほんとに?」
「ほんとほんと。」
「ほんとにいない?」
「ほんとだって。大丈夫。」
「・・・・・よかったあ。」
美知留の腕に抱きつくようにして崩れ落ちる。
華奢な腕が伸びてきて、ギュっと俺の頭を抱きしめた。
「よしよし、もう平気平気。」
やっくんがいなくなってくれたこと、なぜか分からないけど美知留が来てくれたこと。
ポンポンと頭を撫でられながら「助かった・・・」と呟いた。

海の向こう側 第一話 懐かしい友達(1)

  • 2018.05.13 Sunday
  • 11:00

JUGEMテーマ:自作小説

瀬戸内で育ったものだから、穏やかな海しか知らなかった。
いつも見ていたあの海は、潮が引けば干潟になって、空と海が溶けていく水平線がとても綺麗だった。
当時付き合っていた彼女を連れて、ベンチに座りながら臭いセリフをかましたこともある。
あの時は自分でも最高の言葉を、最高のシチュエーションで放ったつもりだったけど、いま思い返すと紛う事なき黒歴史だ。
まあそれはいいとして、いま俺が眺めているのは瀬戸内の海とは似ても似つかない荒波だ。
ここは日本海、山陰地方のとある県の海岸だ。
ここへ越してきた時、真っ白にうねる白波を見て少し怖かった。
さすがに一年も見続けていると慣れてくるけど、それでも風の強い日は恐怖を覚える。
沖まで伸びる防波堤には怪物のような高波が打ち付け、軽々とそれを超えていく。
たまに堤防の先っぽの方で釣りをしている人がいるけど、俺からしたら信じられない。
釣りと見せかけて自殺しに来ているんじゃないかと疑っている。
まあそれもそれとして、最初は怖いと思った荒波の海も、今では恐怖と同時に愛着が沸いていた。
家が海岸のすぐ向こうにあるものだから、毎朝窓から海を眺めるのが日課になっていた。
天気の良い日はこうして海岸まで歩く。
四月の頭、日中はポカポカと暖かいけど、早朝はまだ冷える。
冷たい空気は心地よく身を引き締めてくれて、今日も一日乗り切ろうかという元気が沸いてくる。
犬でも飼えばもっと心地よく散歩できるんだろうけど、あいにく不精なもので動物の世話を続ける自信はない。
「まあいいか。ここにいるのもあとちょっとだし。」
四月が終わり、新緑が彩る頃、俺はまた瀬戸内の海が見える地元へ帰る。
その時、向こうの海はどう見えるだろう?
穏やかな海だなあと落ち着くか?
それとも平凡で退屈な海だと飽きてしまうのか?
こればっかりは実際に海を眺めないと分からない。
くあっとあくびを放ちながら、うねる白波をあとにした。


          *


「お疲れさまでした。」
仕事を終え、適当に頭を下げながら職場を出る。
振り返れば年季の入った民家が建っていて、遅番の人たちがせっせと仕込みをしていることだろう。
「古民家再生っていっても、テレビとかで紹介してるみたいに上手くいかないよな。」
今月の半ば、この職場は潰れる。
古民家を活かして飯屋をやっていたんだけど、客足はかんばしくない。
最初の頃はもの珍しさにやって来る人もいた。
外観の雰囲気は悪くないからだ。
古いというのはレトロということでもあり、ちょっとばかしの改装でそれっぽい雰囲気を生み出すことができる。
でも肝心の料理がいまいちとなれば、固定客がつかないのは当然である。
「一年か・・・もっといるつもりだったのに。」
地方再生、過疎化の防止。
言葉で言うのは簡単だけど、実際は難しい。
遠くに横たわる日本海を見つめながら、坂道を下りていった。
なんとなく海岸沿いの道を歩きたくなって、テトラポッドが見える場所までやってくる。
海と反対側には南洋の植物が生えていて、その向こうにはゴルフ場になりそこねた広い緑地があった。
こういうのもまた、地方を盛り上げようとして失敗した遺産である。
今はなぜだか大きな池を作り、遊歩道とアスレチックをこしらえて、日曜の憩いの場的な形に生まれ変わっている。
人がいるのをほぼ見たことはないけど。
去年の始め、自分の人生を変えようと、何か新しいことにチャレンジしようと考えた。
近所に古民家を利用した宿泊施設があって、その隣には地方再生を支援するNPO法人の団体があった。
これだ!と思って、その団体の扉を叩いたところ、ここを紹介されたのだった。
『過疎化が進む中、若い人にたくさん来てもらおうって企画なんです。』
紹介してくれたおばちゃんはそう言っていた。
やる気満々の俺は早速その話に乗ったわけだ。
場所はコンビニもほとんどない田舎、家は無償で提供、ただしボロい古民家。
仕事はこれまた古民家を再利用した飯屋さん。
最低でも一年は住んでほしいと頼まれ、その気満々で来たんだけど、最低期限の一年で切り上げることになってしまったのはなんだか悲しい。
俺の新しいチャレンジはここで終了なのか?
せっかく元の仕事を辞めてまで来た意味はあったのか?
歳は24、まだまだ若いといわれる年齢だけど、油断していればアラサーなんてあっという間だろう。
『まだまだ若いから』と20代を謳歌していた俺の姉貴は、アラサーを半ばに泣きっ面を隠しながら連敗中の婚活に挑んでいる。
このままフラフラしていれば、俺も姉貴と同様に泣くことになるかもしれない。
結婚は考えていないけど、さすがに仕事を探すのはキツくなるだろうから。
「あ〜あ、こんなんだったら無駄なことしなきゃよかった。」
若気の至りは恐ろしい。
地元に帰ったらまた就活の始まりだ。
うんざりした気持ちを引きずりながら、海の見える道を歩いていく。
そして平屋のボロい家まで戻ってきた時、一人の男が玄関前に立っていた。
「・・・・・ん?」
見覚えのある横顔に思わず駆け寄る。
「やっくん!」
「・・・おお!」
角ばった顔に似合わないアシンメトリーの男が手を挙げる。
「久しぶり!」
バシンと肩を叩くと、「そやな」と頷いた。
懐かしい友達の顔を見て、ちょっとばかし興奮する。
「いきなり来てなに?」
笑顔でまた肩を叩く。
やっくんは「実はな・・・」と気恥ずかしそうにした。
「俺もこっちに住むことになってん。」
「マジ!なんでえ?」
「みっちゃんと一緒。」
「一緒?え・・・じゃあNPOの?」
「そうそう、こっちでしばらく住むことにな。」
「マジかあ!」
また肩を叩く。
「とりあえず上がって」とボロい引き戸を開けた。
やっくんは「お邪魔」と言いながら、踵のへこんだ靴を脱ぐ。
狭い居間に案内すると、「田舎あ〜」と声を上げた。
「三日前にこの町に来た時も思たけど、ほんま田舎やな。」
時代に取り残された昭和丸出しの家の中を見て、何度も「田舎あ〜」と叫ぶ。
「まあまあ、座って。」
「おお。」
興味津々に眺めながら、昭和のお父さんがひっくり返しそうなちゃぶ台の前に腰を下ろす。
冷蔵庫に埋蔵されたいつのだか分からない缶コーヒーを差し出すと、「おお」と即行で飲み始めた。
「ここタバコは?」
「いいけど窓開けてくれる?」
「おお。」
ガラっと窓を開け、サッシに腰掛け、ふうっと煙を吹かしてから携帯灰皿に灰を落としている。
俺はちゃぶ台の前に座りながら、しばらく彼のことを眺めた。
高校以来の懐かしい友達なので、さっきはつい興奮してしまった。
たま〜にSNSで連絡は取り合っていたけど、会うのは数年ぶりなのでちょっと緊張してしまう。
まあ数年ぶりに会ってもすぐに分かる顔の濃さは相変わらずで、高校時代のあだ名だった「PK」を思い出す。
ちなみにPKとはゴリラ型ロボットの名前である。
ゾイドという動物とか恐竜型のロボットのオモチャがあって、その中にアイアンコングというゴリラ型ロボットがいたのだ。
そしてその派生系ロボットにアイアンコングPKというやたらと強い奴がいた。
やっくんはゴリラみたいな濃い顔に、アメフトでもやってそうな良いガタイをしている。
しかもやたらと喧嘩が強かったもので、ゾイド好きの友達から「PK」と名付けられたのだ。
本人もかなり気に入っていた。
「なあ?」
「ん?」
話しかけると素っ気ない声で返事をした。
「やっくんも古民家に住むの?」
「いや、マンション。」
「へえ、いいじゃん。でもこの辺にマンションなんてあったっけ?」
「駅から南にあるんや。マンションいうてもアパートと大差ない感じのとこやけど。」
「・・・・ああ!あのクリーム色の三階建てのやつ?」
「そうそう。」
「ふ〜ん、で・・・どんな仕事するの?」
「いや、仕事やないねん。」
「じゃあボランティア?」
「みたいなもんや。」
「やっくんがボランティアか。想像できない。」
「ちょっと色々思う事とかあってな。もう24やし、なんか始めるんやったら今かなと思って。」
「じゃあ俺と一緒じゃん。」
「そやねん。住む場所も近いし、久しぶりやから会いたいと思ってな。」
「連絡くらいくれたらよかったのに。」
「・・・・そやな。」
急に暗い声になる。
なんかあったのかと思ったけど、数年ぶりに会った友達の詮索をするのはいかがなものか。
ここは他愛ない話題を振るべきだろう。
「どんなボランティアするの?」
「海の掃除。」
「それってゴミ拾いとか?」
「そんな感じやな。」
「・・・・・・・・。」
「なんや?」
「それ、わざわざ引っ越してまでやることなのかなと思って。地元の川とかでもいいんじゃない?」
「あかん。環境が変わることに意味があんねん。」
「・・・あのさ、もしかして個人的に来ただけ?」
「え?」
「NPOの紹介でさ、わざわざ海のゴミ拾いする為だけにこんな所まで引っ越してくるわけないじゃん。
やっくんが個人的に来たかっただけなんじゃないの?」
「・・・・まあな。」
「なんでウソうつくんだよ・・・。」
意味不明なウソをつく理由ってなんだろうと呆れてしまう。
「そもそもさ、俺がここにいるって教えたっけ?」
「フェイスブックに載せてるやん。」
「いやいや、あれ地元の住所だから。こっち来てから変えてないし。」
「そうやったっけ?」
「誰かから聞いた?」
「聞いたっていうか・・・調べたっていうか。」
「?」
「いや、みっちゃんがホームページに載ってんや。とある食いもん屋のホームページに。」
「それってもしかしてレストランうみねこじゃ・・・、」
「そう、それ。」
「・・・・・・・。」
「どうした?ジトっとした目えして。」
「あのさ、まさかとは思うけど・・・・、」
「うん。」
「いや、いい・・・・。」
「なに?」
「いいって。」
「気になるやん。言うてえや。」
「・・・・ストーカー?」
「は?」
やっくんの顔色が変わる。
「なんでみっちゃんをストーカーせなあかんねん」と、苛立たしそうに煙を吹かしながら。
「いやいや、俺じゃなくてさ・・・・、」
「おお。」
「美知留の。」
「・・・・・・・。」
険しい顔のまま黙り込む。
部屋の中に煙を飛ばすのはやめてほしい・・・・。
ちなみに美知留とは俺の元カノである。
海辺のベンチに座りながらくっさいセリフをかましてしまった前の彼女だ。
「実はさ、美知留の友達から何回か相談があってさ。」
「おお。」
「ゴリラっぽい男が後をついて来たり、家の前で待ち伏せしてたりって。」
「・・・・・・。」
「特徴を聞いたらまさか・・・と思う部分があったからさ。
確認しようかと思ったけど、でもほんとにそうだったらなんか嫌じゃん?
だから聞かなかったんだけど・・・・、」
ゴニョゴニョ口ごもりながら、それでも先を続けた。
「そんで一回だけ美知留からも連絡があってさ。
前に美緒から見せてもらった卒アルの中に、ストーカーとよく似た人がいたって。
だから確かめてくれないかって。」
俺は思い出す。
美知留が送ってきたストーカーを隠し撮りした写真を。
画像が暗かったので分かりづらかったけど、やっくんによく似ていた。
ただ断言できるほどのものじゃなく、その時は「分からない」と返した。
それとなく本人に確認してくれないかと頼まれたんだけど、俺は断った。
どうして別れた彼女の為に、昔の友達を疑うことをしないといけないのか。
だから俺はウソを返した。
「やっくんじゃないよ」と。
美知留は納得していなかったみたいだけど、最後は「無理頼んでごめんね」と言った。
半年ほど前の話で、それ以来美知留とは連絡を取っていない。
いないんだけど、彼女の友達からはそれ以降も相談がくることがあった。
「やっぱりあれ美緒ちゃんの友達なんじゃない?」と。
しつこいので無視していると、そのうち連絡は来なくなった。
忘れようとしていた出来事なんだけど、こうしてやっくん本人を目の前にすると、嫌でも思い出してしまった。
「違ってたら悪いんだけど、やっくん・・・・美知留のことストーカーしてた?」
尋ねると間があった。
やっくんは高校を出てからは関東へ行っていたので、顔を合わせる機会はなかった。
けど何かの用事で地元へ戻ってきた時、たまたま俺と美知留を見て彼女のことを知った可能性はある。
ストーカーってのは一方的な好意の押し付けで、面識がなくても起こり得る。
だから・・・不安になるんだけど・・・・、
「なんのことか分からん。」
タバコをもみ消しながら立ち上がる。
口をへの字に曲げ、眉間に皺を寄せながら俺を睨んだ。
「美知留ちゃんって子、みっちゃんの元カノやろ?」
「うん。」
「フェイスブックに載ってたから知ってるのは知ってるわ。ていうかみっちゃんからもLINEで直に聞いたし。」
「言ったっけ?」
「言うた。彼女ができたって。そんでフェイスブックにも載ってたから、ああ・・・この子が美知留ちゃんなんやなっていうのは知ってる。」
「うん。」
「でもそれだけやで。なんで俺がストーカー扱いやねん。」
玄関に向かい、靴を履きながら振り返る。
「俺はな、ただ昔の友達に会いに来ただけや。いきなり来て邪魔やったんなら帰るわ。」
これみよがしに怒ってる雰囲気を撒き散らし、わざとらしいほど強く引き戸を閉める。
ボロイ家なんだから丁寧にしてほしいのに。
まあもうじきこの家も出ていくけど。
ただそれよりも・・・・、
「なんで美知留と別れたこと知ってるんだろ?言った覚えないのに。」
彼女のことをフェイスブックに上げたのは付き合っていた当時の話だ。
それに別れたことをやっくんに報告した覚えもない。
ということは・・・、
「マジでストーカー?美知留をつけてるうちに俺たちが別れてることに気づいたとか?
・・・でもそれならここまで来ないよな。別れてるって知ってるなら、もう俺は関係ないんだし。
・・・・謎だな。」
色々と考えるけど分からない。
しばらく考え続けたけど、そのうち面倒くさくなった。
自分の身に火の粉が降りかからない限りはほうっておこう。
・・・・次の日、仕事は休みだったけど職場へ行った。
もうじき無くなるこの仕事場、たったの一年ではあったけど愛着はある。
残り少ない数日の付き合いなので、顔を出そうと思ったのだ。
「お疲れっす。」
差し入れのジュースを置いてちょっとだけ仕事を手伝う。
すると同僚からこんな話を聞かされた。
「今朝駅近くのマンションに警察が来てね、最近越してきた人が逮捕されたんだって。」
「逮捕!なんで?」
「さあ?そこに住んでる人から聞いただけだから。」
「マジか。」
「こんな平和な町で警察に捕まる人がいるなんてね。地元の人たち、けっこうショックなんじゃないかな。」
「でも地元の人じゃないんでしょ?捕まったの。」
「うん、最近越してきた人だから。なんか濃い顔したゴリラっぽい男の人らしいよ。」
それを聞いた瞬間、ヒュンと心臓が飛び跳ねた。
昨日の今日のことだ、やっくんを思い浮かべないわけがない。
「あの、ちょっと用事ができたんで帰ります。」
適当に理由をつけ、職場を出る。
嫌な感情がグニャグニャと広がって、顔を上げることが出来なかった。
《やっぱやっくんのことかな?あいつしかいないよな。もしそうなら何したんだろう?美知留に何かあったら俺のせいでもあるのかな・・・・。》
ブツブツ言いながら歩いていると、下に向けた視線に赤い靴が飛び込んできた。
恐る恐る顔を上げると、そこにはやっくんがいた。
「・・・・・・・。」
無言のまま俺を睨んでいる。
何か言いたそうに口を開こうとするが、唇を縫い付けられたみたいに言葉が出ないようだった。
「やっくん・・・もしかしてなんだけど・・・、」
「俺はなんもしてない。」
「・・・・・・・。」
「さっきまで警察におってな。」
「やっぱ捕まってたの?」
「そや。でもほら、もう釈放された。」
笑いながら手を広げてみせるけど、その顔は明らかに無理をしていた。
よく見ると薄っらと涙が浮かんでいるような感じもする。
「もしかして・・・・美知留のこと?」
恐る恐る尋ねる・・・・でもやっくんは首を振った。
「言いたあない。」
「てことは言えないことしたの?」
「違う、俺はなんもしてへん。」
「じゃあなんで捕まったんだよ?釈放されたってことは誤認逮捕だったんだろうけど、勘違いされるようなことがあったんだろ?」
「・・・・・・。」
「別に責めてるわけじゃないよ。ただ気になっちゃって。」
肩をすくめ、わざとらしくおどけてみせる。
やっくんは目を逸らし、今日は比較的穏やかな日本海に目を向けた。
それから数秒後、なぜかいきなり抱きついてきた。
「・・・・・・・・。」
ビクっとする・・・突然のことで固まる・・・ちょっとしたパニックになる。
ハグってレベルじゃない、抱擁ってくらいに強く抱きしめられた。
今日に限ってブラを着けていなかったことを後悔した。

新しい小説

  • 2018.05.12 Saturday
  • 09:59

JUGEMテーマ:自作小説

明日から新しい小説を載せます。

「海の向こう側」というタイトルです。

よければ読んでやって下さい。

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