稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第十四話 鬼の襲撃(2)

  • 2018.08.26 Sunday
  • 14:41

JUGEMテーマ:自作小説

歳を取ると夢を見なくなるというが、俺も例に漏れずそうなってしまった。
目を閉じれば一瞬だけ暗闇が訪れ、次の瞬間には朝陽が昇っている。
しかも何が悲しいって、目覚ましが鳴る五分前には、手を伸ばしてアラームを止めていることだ。
便利な機能ではあるが、時々うんざりしてしまうことがある。
伊礼誠という男は、一から十まで仕事に染まってしまったのかと思うと、ベッドの上で人生に疑問を感じることがある。
しかし部屋から出て顔を洗い、朝食のテーブルに着く頃にはそんな事さえ忘れてしまっている。
なるほど、俺はすでに魂まで仕事に侵されているらしい。
今までならそれでよかったのだが、今はそうはいかない。
なぜなら息子が出来たからだ。
毎朝早起きして朝食を用意してくれている。
季節によっては陽が昇る前に目を覚まし、飯だけでなく俺のシャツにアイロンまで掛けてくれているのだ。
俺自身が仕事に染まってしまうのは構わない。
しかしまだ中二の息子にそれを付き合わせてしまっていることに罪悪感を覚えていた。
猛は黙々とトーストを頬張り、目玉焼きをかき込み、カップのヨーグルトを平らげ、一口だけコーヒーをすすって「ごちそうさま」と立ち上がった。
食器を流しに運び、自分の部屋へと消えていく。
その数分後には制服に着替えて玄関に向かい、部活で使う大きなスポーツバッグを担いで出て行った。
「気をつけてな。」
首を伸ばして声を掛けると、小さく「行ってきます」と返ってきた。
時計を見ると午前6時半。
テニス部の朝練があるので、いつもこの時間には家を出て行く。
今日はたまたま俺の出勤が早いので顔を合わせた。
しかしいつもは俺が目覚める頃には学校へ向かっているのだ。
夜に食卓を囲うことも無ければ、朝に顔を合わせることすら少ない。
これでは心を開いてくれなくて当然だろう。
しかも女房みたいに世話を焼いてくれることを、どこか当たり前に受け入れてしまっている。
一緒に暮らし始めてもうすぐ二年。
一向に距離が縮まらないのは、全て俺の不甲斐ないさのせいだろう。
《どうにかしないとな。》
この状況を打開したい気持ちはあるのだが、具体策が思いつかずに、ついつい問題を先延ばしにしてしまっている。
少し焦げたトーストにバターを塗り、ガリっと齧りながら新聞を広げた。
その時、コーヒーの横に置いていたスマホが震えた。
見ると結子さんからのメールでこう書いてあった。
『来週の日曜日に猛君とご飯に行く約束をしています。この前の大会で優勝したお祝いです。
前から行きたがっていたステーキ屋さんに連れて行ってあげることになりました。
よかったら伊礼さんも一緒にどうですか?お仕事の都合が付けばで構いません。
もしお父さんが来てくれれば猛君もきっと喜ぶと思います。』
メールの文字を睨んだまま固まる。
まず猛が優勝したなんてことを知らなかった。
毎朝熱心に練習に行っている成果が出たのだろう。
それはとても嬉しいことだが、どうして俺には教えてくれなかったのだろう?
《・・・いや、それはワガママか。話す時間を作っていないのは俺の方なんだから。》
あの子の好物がステーキだということも知らなかった。
言ってくれればいつでも連れて行ってやったのに・・・・なんて思って、またすぐに自戒した。
《行けるなら当然一緒に行きたいさ。でも・・・・・。》
仕事の都合うんぬん以前に、俺が一緒に行ってあの子は喜ぶだろうか?
俺なんかよりも確実に結子さんに懐いているはずだ。
もしかしたら母親のようにさえ思っているかもしれない。
そこへ朝晩たまに顔を合わすだけのオヤジが割り込んで、嫌な顔はしないだろうか?
いったいどう接すればいいのか・・・・しょうじき見当が付かない。
答えの出ない悩みに悩み続けるしかなかった。
サっと朝食を平らげ、洗面所で髪を整え、部屋に戻ってスーツに着替える。
そして玄関で靴べらを握ったところで、《洗い物!》と気づく。
せめて朝飯で使った食器くらい洗っておかないとと思いながら、いつもこうして忘れてしまう。
しかしもう時間がない。
《ああクソ!ほんとに抜けてるな俺は・・・・。》
トントンと靴をならし、うんざりした気分で外へ出る。
マンションの七階にあるこの部屋からは、ドアを出ただけで遠くまで見渡せる。
左手の奥には山が霞み、その少し離れたところに本社のビルが見える。
相変わらず田舎に不似合いなほど大きなビルだ。
そして本社ビルから数キロ離れたところに猛の通っている中学校がある。
ここからではハッキリと見えないが、屋上にある大きな時計はどうにか分かる。
そういえば参観日にも行ったことがない。
あの子が心を開かないのは寂しさの裏返しなのかもしれないが、面と向かって尋ねても本心は語らないだろう。
《せめて結子さんが一緒なら・・・・。》
来週の日曜、どうにかして一緒に飯へ行けないものか。
・・・・無理だろうなと思いつつ、駐車場の車に乗り込んだ。
そしてエンジンを吹かして発進させようとした時、またスマホが震えた。
今度は何だと見てみると、知らない番号からの着信だった。
普段なら無視するが、ふと思い当たることがあって「もしもし?」と通話ボタンを押していた。
『ども、進藤っす。』
「やっぱりか。」
利き腕に電話を持ち替え、「お前どういうつもりだ?」と凄んだ。
「番号を変えたならどうして言わない?まさかバックレるつもりだったのか?」
『まさか。』
「何を笑ってやがる。休みが欲しいからって番号を変えてまで逃げようとしたんじゃないのか?」
『だから違いますって。あ、でもしばらくは出勤出来ないっすから。』
「何を勝手なことを・・・・、」
『それとこの番号は人には教えないで下さい。俺と伊礼さんのホットラインってことで。』
「ホットライン?どういう意味だ?」
『まんまの意味っすよ。もし危ない目に遭ったら連絡下さい。』
「物騒なことを言いいやがる。どうして俺が危ない目に・・・・、」
『カグラですよ。』
「なに?」
『いまカグラと揉めてるんでしょ?』
「そういえばある程度事情を知ってるんだったな。言っとくが余計な詮索はするなよ。いくらお前が優秀な奴でも首が飛ぶぞ。」
『・・・・・・・・。』
「おいどうした?まさかビビったのか?」
優秀と言ってもまだ15歳の子供だ。
猛とほとんど変わらない。
冗談にしては少しキツかったかなと「ただのジョークだ」と笑って見せた。
「それより休みが欲しいならちゃんと申請書を出せ。事情によってはしばらく休ませてやるから。
午後から本社に来てくれれば俺がいるから・・・・・、」
『鬼神川。』
「ん?」
『アイツに注意して下さい。』
急に低いトーンで語りだす。
その声は昨日本社へ来た時と同じほど殺気がこもっていた。
「なあ進藤・・・・ちょっと聞きたいことがあるんだ。とんでもなく馬鹿げた質問だから、もし間違ってたら笑い飛ばしてくれ。」
ウィンドウを下ろし、タバコを咥える。
シュっと火を点けてから、ゆっくりと煙をくゆらせた。
「昨日本社へ来た時、お前は突然いなくなったよな?でもって俺以外誰もお前を見ていないというんだ。
しかも机の上には動物の足跡らしき物が残されていた。お前・・・・もしかして人間じゃないなんてことはないよな?」
我ながらなんて馬鹿なことをと恥ずかしくなる。
しかし胸につっかえた疑問は昨日から消えないままだ。
コイツは言っていた。
自分はお稲荷さんに近い類のものだと。
もしそれが本当なら人に化けられる動物ってことになる。
キツネじゃないならタヌキか、あるいは・・・・猫か。
じっと答えを待つが、進藤は何も答えない。
きっと呆れているのだろう。
「今のは忘れてくれ」と質問を打ち切った。
「それよりも今日はちゃんと本社へ来いよ。無断欠勤なんかしたらそれこそ本当に首になりかねな・・・・、」
『人じゃないっすよ。』
「なに?」
『俺は人間じゃないっす。』
咥えていたタバコの灰がポロリと落ちる。
「・・・・本気で言ってるのか?」
『だって伊礼さんが聞いたんでしょ?』
「なら・・・お前は化けタヌキとか化け猫とか、そういう妖怪みたいなモンってことか?」
『妖怪とは失敬な。レイジュウです。』
「レイジュウ?」
『霊力の霊に、獣って書いて霊獣。不思議な力を宿した生き物ってことです。』
「・・・・・・・。」
『伊礼さん?』
「すまん・・・・どう返していいか分からなくて・・・・、」
『信じようと信じまいと自由です。あ、ちなみに玉木さんも人間じゃないっすから。』
「アイツもか!」
『あの人はなんて言うか・・・・俺たちの守り神みたいな感じっす。』
「守り神?」
『霊獣は霊獣でも、俺みたいな下っ端とは違う位の高い霊獣です。動物からすればまんま神様みたいなもんで。』
「・・・・・・・。」
『ま、その辺は追々話します。今は深く考えないで下さい。』
これは馬鹿にされているのだろうか?
深く考えないで下さいと言われても、真剣に考えることを躊躇ってしまう。
『とにかく鬼神川にはくれぐれも注意して下さい。アイツはバリバリの武闘派っすから。外にいる時はできる限り一人は避けた方がいいっす。』
「物騒なことを。確かにカグラの連中は胡散臭いが、いくらなんでも襲いかかってきたりは・・・・、」
『しますよ。奴らは平気でやります。特に鬼神川って野郎はね。だからとにかく注意してほしいんすよ。もし何かあったらこの番号に掛けて下さい。』
「なんだ?俺がさらわれたりしたらお前が助けに来てくれるってのか。」
苦笑ものである。
これでもかつては探偵をやっていた。
危険な依頼も少なくなかったし、それでも自分の身を守ってきた。
それをたかだか15の子供に心配されようとは。
「気持ちだけ受け取っておくよ。」
苦笑いしながら返すと、『冗談で言ってるんじゃないっすよ』とやや怒り気味だ。
『カグラはアンタらが思ってる以上にヤバい連中なんです。』
「だからって子供に助けられるほど間抜けじゃないさ。」
『いやいや、助けに行くのは俺じゃないっす。』
「お前じゃない?じゃあ誰が助けに来てくれるんだ?」
『実はこの電話、玉木さんの番号なんすよ。』
「彼女の?」
『もしなんかあっても玉木さんなら絶対に助けてくれますから。』
「なあ、彼女はいったい何者なんだ?さっきは人間じゃないとか言ってたが・・・・、」
『だから位の高い霊獣っすよ。俺たちの世界じゃ神獣って呼ばれる偉い神様なんす。』
「神の獣ってか。なんだかもうついていけんな。」
うんざりして首を振る。
コイツはどこまで本気なのだろう?
こんな話を聞かされて、ハイそうですかなどと頷けない。
『さっきも言ったけど、今は深く考えなくていいっすから。時が来れば分かりますよ。』
あっけらかんと言いやがる。
だったら今話せと言いたかったが、多分はぐらかされるだけだろう。
『この番号は玉木さんに繋がるホットラインっす。もし狙われるとしたら伊礼さんが一番確率が高いんで教えたんすよ。』
「俺が?どうして?」
『だって司令塔みたいなモンでしょ?アンタが消えれば後は大したことない連中だから。冴木さんも部長補佐も、カグラにとっちゃ脅威じゃないんすよ。』
「いや、司令塔は俺じゃないぞ。仕切ってるのは草刈だ。」
『あのオッサンはダメっすよ。会長の忠実な犬っていうだけだから。』
「忠犬を全うするのが奴の仕事さ。」
『そんな奴相手にしたって仕方ないっすよ。カグラの連中が警戒してるのは伊礼さんなんすから。
だからくれぐれも注意して下さい。なんかあったらマジで遠慮せず掛けていいっすから。』
そう言い残し、『じゃ』と切りやがった。
「おい!」
すぐにリダイヤルするがまったく出ない。
ホットラインじゃないのかこれは。
《なんなんだまったく・・・・。》
助手席にスマホを投げ、短くなったタバコを灰皿に押し付ける。
まあいい、進藤にはまたあとで電話を掛けよう。
今は仕事に向かわないといけない。
しばらく車を走らせ、靴キングの配送センターへやってくる。
砂利敷きの駐車場に車を止め、入口の守衛に本社の社員証を見せ、倉庫内をうろついていたセンター長に「よう」と手を挙げる。
眠そうな仏頂面が「おはようございます!」と仕事用のスマイルに変わった。
「悪いがしばらく休憩室を使わせてもらうぞ。」
「はい!はい!うかがっております本部長!どうぞお好きなだけ!」
「今はこっちの本部長じゃない。本社の課長だ。」
「や・・・ああ!そうでした!失礼いたしました!!」
そんな直角に腰を曲げなくてもと思うくらい頭を下げている。
靴キングでは現場を仕切る鬼部長として認識されているので、やたらと俺を怖がる奴がいる。
《そんなに厳しくしているつもりはないんだがな。》
何かと厳しい昨今、いつかパワハラだと訴えられるかもしれない。
まあそうなったらそうなったで構わないが。
現場を仕切る者は厳しさが大事だ。
いくら時代が変わろうとも、この事だけは変わらないと思っている。
あと10年もすれば頑固ジジイなんて呼ばれるんだろうなと、休憩室に一番乗りして冴木たちを待った。
時刻は8時ちょうど。
「おはようございます!」とやってきた冴木に、「5分前に来い!」と怒声で返してやった。
「すいません、ちょっと寝坊しちゃって。」
「まったく・・・・俺が若い頃はもっと厳しかったぞ。部屋に入るのと同時に鉄拳が飛んできてだな・・・・、」
「そんなことより課長はまだですか?いつもなら絶対に俺より先に来てるのに。」
サラっと話題を変えやがる。
怒鳴った自分が滑稽に思えて、「ううん」と咳払いで誤魔化した。
「確かに珍しいな。」
「ちょっと電話してみます。」
滅多にないことなので心配そうな顔をしている。
電話を終えた冴木は「寝坊らしいです」と驚いた顔に変わっていた。
「彼女が?」
「かなり疲れてるんだと思います。声に力が無かったですから。」
「だから二、三日くらい休めと言ったのに。」
「まあまあ。それより昨日はあれからどうでした?進藤君には聞いてみたんですか?化け猫ですかって。」
「おお、その事なんだがな・・・・、」
さっき進藤から電話があったことを伝えた。
内容を話すと、冴木は神妙な顔で唇をすぼめていた。
「なんか・・・・どう受け取っていいのか分からない話ですね。」
「俺も呆れてるよ。」
「けど玉木さんが人間じゃないっていうのは、ちょっと分かる気がします。あの人ってどこか人間離れした雰囲気がありますから。」
「だからって神獣とはなあ。俺には信じられん。それよりも鬼神川のことの方が気になるな。」
「ああ、襲い掛かってくるかもってやつですか?」
「まさかとは思うが、万が一ってことも考えられる。玉木によればカグラは密猟が本業らしいからな。
てことは犯罪者集団ってわけだから、どういう手段に出てくるか分からない。もし玉木の話が本当だったらだが。」
「鬼神川さんってけっこうヤバい雰囲気ありますよね。なんかその筋の人みたいな。」
しばらく冴木と話し込む。
そして時計が午前九時を差す頃、「遅れてすいません!」と部長補佐がやって来た。
目の下にクッキリと隈が出来ている。
かなり疲労が溜まっているようだ。
それでも休みを取ろうとしないのは、強い責任感の表れなのだろう。
この日はそれぞれの話を持ち寄って、一時間後には解散となった。
俺はとりあえず本社に戻り、通常業務をこなすことにした。
進藤には午後から会社へ来るようにと言ってあるが、おそらく姿は見せまい。
人には言えない大きな事情を抱えているのだろう。
気になるのは、その事情がカグラと関係があるんじゃなかということだ。
時が来れば分かるなんて意味深なことを言っていたが、出来れば今すぐに教えてほしいものだ。
《本社へ戻る前に進藤の家へ寄ってみるか。》
確か稲松文具が社宅にしているアパートに住んでいるはずだ。
車だとここから30分も掛からない。
ちょっと早いが昼休憩も兼ねて、奴の家に向かってみることにした。
ガラガラの国道を駆け抜け、色々な企業の工場や配送センターが並ぶ工業地帯から抜け出していく。
景色が畑と田んぼに変わり、まっすぐ伸びる道路を進んで、交差点を右折して南に向かった。
そこからしばらく道なりに走り、民家が並ぶ細い道を抜けたところに社宅のアパートがあった。
二年ほど前に建ったばかりの綺麗なアパートで、八つある部屋のうちの半分を稲松文具が借りている。
確か進藤の部屋は二階の一番右だったはずだ。
脇に付いている階段を上がり、部屋の前までやって来る。
チャイムを押してから「俺だ、伊礼だ」と言うが返事はない。
もう一度鳴らしてもやはり返事はなく、どうやら出かけているらしい。
「留守か。」
諦めて引き返そうとした時、ふと人の気配を感じて振り向いた。
「お前はッ・・・・、」
視界を塞ぐほどのガッチリとした巨体、そして鬼が怒り狂っているかのような厳つい顔つき。
突然現れた鬼神川に思わず固まってしまう。
と同時に進藤が言っていたことを思い出した。
《まさか本当に襲いに来たのか!?》
そう思った瞬間、腹に激痛が走った。
漬物石みたいなゴツイ拳がめり込んでいたのだ。
「かは・・・・、」
とても耐えられるパンチじゃなかった・・・・。
膝をつきながらヨダレを垂らしていると、今度は背中に衝撃が走った。
「ぐッ・・・・、」
腹と背中の両方から痛みが押し寄せ、呼吸が苦しくなる。
声を上げることも出来ずに、その場にうずくまるしかなかった。
《本当に襲ってきやがるとは・・・・・。》
予想もしない奇襲に成す術なく打ち倒される。
鬼神川は丸太のような太い腕で俺を持ち上げ、ヒョイと肩に担いだ。
「しばらくお付き合い願います。」
野太い声で言って車の中へ運んでいく。
大型のボックスカーだった。
座席へ押し込まれ、固く手足を縛られる。
・・・・油断した。
今更悔やんでも遅いが、まだ望みはある。
玉木へ繋がるホットライン。
本当に助かるのかどうか怪しいが、ここは賭けてみるしかないだろう。
縛られた手を動かして、どうにかポケットのスマホを握ろうとする。
しかしその時、俺の他にもう一人縛られている人物がいることに気づいた。
《なんで彼女が!》
北川部長補佐がぐったりと横たわっている。
気を失っているのか目を閉じたまま動かない。
《鬼神川め!なんで彼女まで・・・・。》
まったく状況が飲み込めないが、危うい事態なのは確かだ。
やはりここはホットラインに頼るしかないだろう。
もし玉木が来てくれなかったとしても、スマホがあるなら誰かに助けを求められ・・・・、
「つまらん事はせんで下さい。」
助手席から大きな手が伸びてきてスマホを奪われる。
これでは助けを呼ぶことすら出来ない。
やがて車は走り出し、俺たちをどこかへ連れ去っていく。
いったいなぜこんな事になっているのか分からないが、おそらく無事ではすまないだろう。
エンジン音と振動を感じながら、不安に苛まれるしかなかった。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第十三話 鬼の襲撃(1)

  • 2018.08.25 Saturday
  • 13:13

JUGEMテーマ:自作小説

本社の課長というのは激務である。
俺は自分のデスクで消えない疲労と格闘していた。
激しい頭痛を薬で抑える。
このところ寝不足が続いたせいか、瞼まで重く感じる。
何度も目を揉んでいると、「伊礼課長」と呼ばれた。
振り向くと進藤がいて、「ども」と手を挙げた。
「おう。」
頭痛薬のついでに目薬も注す。
瞬きをして眼球じゅうに染みこませ、消えない疲れをどうにか誤魔化そうとした。
「なんかお疲れっすね。10コくらい老けたんじゃないすか?」
「余計なお世話だ。それよりお前、なんで本社なんかに来てるんだ?今日は店に出勤のはずだろう?」
「そうなんすよ、日曜だってのにヤんなっちゃいますよね。」
「まったくな。そのうち日本中か過労で倒れて、誰も働き手がいなくなるさ。」
「日本の終りも近いっすねえ。」
あっけらかんと笑ってやがる。
こっちは半ば本気で言ったのに。
もう一度目薬を注しながら、「そんな世間話をしに来たのか?」と睨みつけた。
「とっとと用を済ませて店に帰ってやれ。箕輪がキレるぞ。」
「いやいや、今日は休みになったもんで。」
「休み?日曜は出勤のはずだろう店長は。」
「ねえ、ヤんなっちゃいますよね。ちなみに課長も強制出勤でしょ?ブラックっすよねウチの会社は。出世するのも考えもんかなあ。」
「管理職なんてどこ行ったって一緒だ。」
ただっ広い本社のオフィスにいるのは俺と数人の部下だけ。
進藤の言う通り、こうも忙しいんじゃ出世も考えものかもしれない。
しかし今俺が忙しいのは仕事のせいだけじゃない。
不正の件の洗い直しと、カグラの調査のせいでもある。
草刈の奴はとにかく人使いが荒いもんで、裏の仕事もこなしながら課長職も手を抜くなと言う。
事が終わったら特別ボーナスを申請してやるつもりだ。
「あ、そういえば今日は部長補佐はいないんすね。あの人も管理職なのに休みっすか?」
「帰国と同時に面倒な仕事に関わることになっちまったからな。無理して倒れられても困るから、今日一日は休んでもらってる。」
「良い身分すねえ。忙しいのなんてみんな一緒なのに。」
唇を尖らせながら愚痴るので、「いいからさっさと要件を言え」と促した。
「何しに本社へ来たんだ?」
「ええっと・・・ちょっと話があって。」
「もしかして出世の件か?」
「いえいえ、そうじゃなくて。ていうかマジで推薦してくれてありがとうございました。おかげで来月から本社の係長っすよ。」
「夢が叶ってよかったな。たぶん数年後にはお前の方が偉くなってる。」
課長といっても俺は臨時、コイツは本社の社員だ。
時期が来れば俺は靴キングに戻り、コイツは本社で出世街道を歩いていくだろう。
しかしそれでいい。
俺にとって靴キングは特別な場所なので、もし正式に本社課長にならないかと誘われても、首を縦に振る気はない。
コイツみたいに実力と野心を兼ね備えた奴が上を目指せばいいだけだ。
「まさか出世祝いの言葉が欲しくて来たわけじゃないだろう。いい加減に何の用か話せ。」
禁煙パイポを口先で揺らしながら睨むと、「実はっすね・・・・」と重い声で切り出した。
「しばらく休みを貰えないかと思いまして。」
「休み?どれくらいだ?」
「さあ。」
「ふざけてるのか?」
「マジで言ってんすよ。どうしても外せない用事が出来ちゃって。」
「・・・あのな、この前昇進が決まったばかりだぞ?そいつがフイになってもいいのか?」
「最悪は仕方ないっすね。」
「仕方ないって・・・あれほど出世したがってた奴が言うセリフとは思えんな。いったい何があった?」
コイツは理由もなくこんな事を言う馬鹿ではない。
おそらく相当な事情があるのだろう。
「家族の誰かが寝たきりになったとかじゃないよな?」
「そういうのじゃないっす。ただまあ・・・・身内のことっちゃ身内のことなんすけど。」
「親の葬式でも出来たか?」
「誰かが亡くなったわけじゃないっすよ。」
「じゃあなんだ?」
「ええっと・・・・下手すると身内が亡くなるかもしれないほど大変な事が起きてんす。」
「なんだそりゃ?もったいぶらずにハッキリ言え。」
「言ってもいいけど絶対に信じてもらえないだろうから。」
「聞いてから判断してやる。宇宙旅行に行くとかならケツを蹴り上げるけどな。」
「近いモンがあるっすね。・・・・アンタら人間からしたら。」
最後の方だけ不気味なほど声に殺気が宿っていた。
しかも・・・・いま一瞬だけ目が光ったような・・・・。
「進藤・・・お前まさかとは思うが・・・・、」
「あ、お稲荷さんじゃないっすよ。」
「お前も例の事件を知ってるのか!?」
「まあちょっと。誰に聞いたかは秘密っすけど。」
「なんてこった。俺だけ蚊帳の外だったのか。」
新人が知っていることを俺が知らなかったとは・・・歳のせいでヤキが回ったか?
「・・・・まだ信じられん。だが部長補佐も冴木も本気で言いやがるんだ。かつてお稲荷さんにさらわれた事があると。」
「俺が休みを欲しいのもそういう類の話っす。」
「ならやっぱりお前も・・・・、」
「お稲荷さんじゃないけど、そういうのに近いモンとだけ言っときますよ。」
また目が光った・・・・。
というより顔そのものが獣のように歪んでいる。
「目薬が足りないらしい・・・・。」
念の為にもう一度目薬を落とす。
しっかりと瞬きを繰り返し、眼球の裏にまで爽快感が走るのを感じてから目を開けた。
「進藤、ちゃんと理由を言わないと休みは・・・・って、ん?どこ行ったアイツ?」
いつの間にかいなくなっている。
立ち上がって周りを見渡すがどこにもいない。
「おい進藤!どこ行った?」
大声で呼んでいると、部下の一人が怪訝な目を向けてきた。
「おい、進藤はどこ行った?」
まだ学生の雰囲気が抜けきらない新入社員に尋ねると、「進藤って誰ですか・・・?」と首を捻っていた。
「誰って・・・さっきまでここにいただろう。」
「ええっと・・・・誰もいなかったっすけど。」
「馬鹿言え!ここで俺と喋ってたろうが。」
おちょくってるのかと思い、机を叩きながら睨みつけるが、「知らないっす・・・」と怯えるだけだった。
「知らないって・・・・そんなはずないだろう!さっきまでここにいたんだぞ。」
「だってほんとに誰もいませんでしたから。」
そう言って隣に座る先輩社員に目を向ける。すると彼女もコクコクと頷いた。
「私も誰も見てません。」
「んな馬鹿な・・・・。そっちのお前は!」
「誰もいなかったと思いますけど・・・・、」
「じゃあお前は!?」
「仕事をしてたので見てません。」
どいつもこいつも進藤を見ていないという。
《俺一人だけがアイツを見てたっていうのか・・・・?》
瞼を押さえ、もしや幻覚だったのではと疑う。
疲れが溜まりすぎて、現実と幻の区別が付かなくなっているのかもしれない。
倒れるように椅子に座り、引き出しの中の栄養ドリンクを流し込む。
空になったビンを叩きつけるように机に置いた時、ふとあることに気づいた。
「なんだこりゃ?」
ビンを叩きつけた横に、何やら不思議なマークがあった。
「これは・・・・何かの足跡か?」
そう大きなモノじゃないので犬か猫か?
というよりどうしてこんなモノが。
「・・・・進藤か?アイツのイタズラか?」
いくら優秀といってもまだ15歳、子供っぽさも健在である。
たまに下らないイタズラをしてくることはあるが・・・・、
「にしちゃ地味なイタズラだよな。いったいなんなんだコレは?」
腕を組みながらムっと考える。
喋っていたはずの進藤がいなくなり、俺以外は誰もその姿を見ていないという。
そして奴が消えたあと、机にこんな足跡みたいな物が。
「まさか進藤の奴も・・・・・。」
ふと嫌な考えが過る。
それを確かめる為に冴木に電話を掛けた。
「・・・おお、俺だ。今大丈夫か?なに・・・・ああ、そういえば張り込み中だったな。何か掴めたか?
ほう、オーナーがカグラの社員ファイルで見た男と似ていると。・・・いやいや、無理はするな。
それが分かっただけでも充分だ。それよりもちょっと聞きたいことがあってな。・・・・ああ、そうだな。じゃあいったん本社へ来てくれ。」
そして電話を切ってから一時間後、冴木が本社へやって来た。
「どうしたんですか?いきなり話があるって・・・・、」
「ちょっと確認したいことがあるんだ。この前にお前と部長補佐が言っていたお稲荷さんに誘拐されたとかいう話なんだがな・・・・、」
この前は誘拐だのお稲荷さんだのと言われて、半ば呆れながら聞いていた。
しかし真面目に話を聞いていると、一つ気になる単語が出てきた。
それは「化け猫」
なんでも部長補佐は「猫神」という位の高い「化け猫」に弟子入りしていたことがあるというのだ。
「なるほどな、お前の話を信じるなら、お稲荷さんだけじゃなくて化け猫も実在すると。」
「ええ。俺は直接は会ったことないんですけど、課長は弟子入りしてたそうですから。」
「しかしなんでまた化け猫の弟子になんか。」
「その辺は詳しく教えてくれないんですよ。友達を助ける為とか言ってましたけど。」
「友達ねえ・・・・。いったいどんな友達を持ってるんだか。」
とにかく化け猫がいるかもしれないという事は分かった。
となると・・・・、
「なあ冴木、お前これどう思う?」
動物の足跡らしき物を指差すと、「変わったオシャレですね」と的外れなことを言った。
「でも可愛いです。伊礼さんってこういうのが趣味だったんですね。」
「馬鹿を言え。こんなモンさっきまで無かったんだ。」
「え?これ自分でやったんじゃないんですか?」
「実はな・・・・、」
俺はついさっきの出来事を話した。
冴木は険しい顔をしながら「なんですかそれ・・・」と怯え出す。
「こんな昼間っからオカルト話とかやめて下さいよ。」
「自分でも信じられないんだよ。しかしアイツを見ていたのはどうも俺だけらしい。しかも気になることを言い残していきやがってな。」
「休みが欲しい理由のことですか?」
「ずいぶん意志ありげな言い方だったよ。しかも一瞬だけ目が光って見えてな。顔まで獣みたいに歪んでいたし。
これはもしやお前らが言っていたお稲荷さんとかその類なんじゃないかと思ったんだ。」
そう言いながらトントンと動物の足跡らしき物を指差す。
冴木は「う〜ん・・・・」と眉を寄せた。
「なんか・・・・アレですね。なんとも言えませんね。」
「だよな・・・。しかしどうも気になってな。」
「だったら進藤君に直接聞けばいいじゃないですか。君は化け猫か何かですかって。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・いま俺のこと馬鹿だと思ったでしょ?」
「まさか。」
「いいや、顔にそう書いてありますよ。俺は真剣に答えてあげたのに・・・・、」
「そういう意味じゃないさ。」
「じゃあどういう意味ですか?」
「今だけじゃなくて常に馬鹿だと思ってる。」
「余計ひどいですよ!」
ショックを受ける冴木を尻目に、スマホから進藤のメモリーを呼び出す。
あいつの素性はきちんと確認してある。
今までに会社の乗っ取り事件が二度もあったものだから、少なくとも本社で出世しそうな奴の素性は草刈が調べ上げている。
進藤の素性に変わったところはなく、ごくごく一般的な家庭に育っている。
両親と姉と自分、そして祖母の五人家族だ。
昔から向上心の強い性格をしていて、勉強でもスポーツでも常に上位をキープしていた。
本当なら有名な進学高校へ進む予定だったが、ネットの就職サイトで稲松文具の募集を見つけたらしい。
向上心に加えて野心も強い進藤は、進学ではなく就職を選ぶことにしたのだった。
実力のみを評価してくれるこの会社なら、若くして成功を収められるのではないかと期待して。
性格にはややクセがあるものの、仕事に対しては真面目で、常に結果を出す男だ。
多少の口の悪さはあるものの、人当たりがいいので周りからは好かれている。
優秀であるという事以外に特に変わって点はないはずだが・・・・。
《本人に直接聞いてみるか。》
あなたは化け猫ですか?なんて冴木のような質問をするわけじゃない。
さっき奴が言っていた休みが欲しい理由についてのことだ。
あの意味ありげな言葉はいったいなんなのか?
それは本人から聞くのが一番早いだろう。
しかし電話を掛けても繋がらなかった。
電源を切っているとか電話に出ないとかではない。
なぜか『現在この番号は使われておりません』とアナウンスが返ってきたのだ。
《どういうことだ?》
まさか解約したのか?それとも番号の変更か?
どちらにせよそれなら俺に教えてくるはずだ。
「どうしたんですか?なんか不思議そうな顔してますけど。」
冴木の方こそ不思議そうな顔で尋ねてくるので、「この番号は使われておりませんだとさ」と肩を竦めてみせた。
「使われておりませんって・・・なんで?」
「さあな。」
「もしかしてお金が払えなくて止められたとか?」
「そんな間抜けな奴じゃないさ。自分から解約したか変更したかのどっちかだ。」
「ええ!ということは・・・・まさかバックレ!?」
「かもな。」
「かあ〜!これだから最近の若いモンは。」
お前に嘆かれちゃ終りだろう。
しかし・・・・気になる。
もしアイツが化け猫だったら・・・・と思うと、草刈に報告することすら躊躇ってしまう。
蛇のように嫌味な笑顔をしながら『過労で頭がやられたか?』とからかわれるのが目に見えている。
いくら話しても相手にしてもらえないだろう。
「ねえ伊礼さん。」
「なんだ?」
「この話・・・・俺たちの中だけにしまっておきません?」
えらく真面目な顔で言う。「どうしてだ?」と尋ねると、「だって・・・・、」と憂いのある表情に変わった。
「こんなの課長に報告したら、余計に不安にさせちゃうだけですから。」
「まあなあ・・・確かに最近の彼女は疲れている。一日と言わず二日三日休んだらどうかと言ったんだが、周りに悪いからの一点張りでな。あれじゃいつか身体を壊すぞ。」
「それが心配なんですよ!課長って周りの為なら平気で無茶しちゃいますからね。もっと自分のこと大事にしてほしいんですけど。」
《お前も人のこと言えないがな》と言いたかったが、喉元で止めた。
「課長があそこまで疲れてるのって、多分俺のせいだと思うんです。」
「どうしてそう思う?」
「そりゃ不正をしたからに決まってるじゃないですか。選挙の時だって応援してくれて、社長になった後だって支えてもらったのに・・・・。
それを裏切っちゃったんだから落ち込むに決まってますよ。冴木君はいつになったらちゃんとした大人になるんだって・・・・俺のせいで心配掛けてるんです。」
なるほど、この二人は似たもの同士らしい。
おそらくだが向こうも同じことを思っているだろう。
ちゃんとしてよ冴木君と。
と同時に自分にも責任を感じているはずだ。
自分がもっとしっかり見ていればこんな事にはならなかったはずだと。
冴木を心配する気持ちと、早く成長してくれと願う気持ちに挟まれて、もどかしさに苛まれているに違いない。
そして冴木自身がそのことをよく分かっている。
彼女の最近の疲れは自分のせいであり、だからこそ誰よりも自分自身を不甲斐なく思っているのだろう。
冴木は昔から彼女に熱を上げていて、彼女はその気持ちをはぐらかしながらも満更ではないはずだ。
なのにこうも男女として距離が縮まらない理由はなぜか?
この二人、根が似ているせいで恋仲に発展しにくいのだろう。
どちらかが遠慮をやめれば変わるだろうが、今は余計な老婆心を働かせている時ではない。
「分かった。じゃあこの話は俺とお前の中だけで止めておこう。」
「お願いします。それよりもこっちの話の方が重要ですよ。」
「タカイデ・ココのオーナーか?」
「ええ。この前にカグラの社員ファイルを見せてくれましたよね。あの時に誰かに似てるなあって思ったんです。
そんで今日張り込みをしてて、オーナーを見た瞬間にピンと来ました。ああ、この人に似てるんだって。」
「じゃあ今すぐ確認してくれ。」
俺たちは草刈のところへ行き、カグラの社員ファイルを確認させてもらった。
パソコンに映し出された男を見て、冴木は「やっぱり間違いないです」と頷いた。
「この管恒雄って人です。」
「ほう、営業部長をやっていたのか。10年前に退職とあるな。」
「でもタカイデ・ココだと畑耕史って名乗ってるんんですよ。」
「偽名か。しかし・・・・気になるな。元カグラの社員がやっているバーで、カマクラ家具の重役たちが賄賂を渡していた。
もしかしたらこの店はその為に存在しているのかもしれない。」
「なるほど。悪いことする為の秘密基地みたいな感じですね。」
感心して頷く冴木だったが、草刈が「小学生みたいな例え方をするな」と言った。
「幾つだお前は。そんなんだからまったく仕事が覚えられないんだよ。」
「ちょっと草刈さん、俺がアホだって言いたいんですか。」
「アホですむならマシだったよ。お前が社長やってる時どんだけ大変だったか。」
そう言いながら胃の辺りをさすっている。
普段はいけ好かない奴だが、これに関しては同情を覚えた。
「とにかく良い情報を掴むことが出来た。もっと詳しく探ればお宝が見つかるかもな。」
ポンと冴木の肩を叩くと、「まあ大したことないですよ」と嬉しそうにニヤけていた。
するとすかさず草刈が「この馬鹿を買いかぶるなよ」と釘を刺してきた。
「バカなのかと思えば力を発揮するが、期待すれば肩透かしのバカを見る。お前みたいな野郎が一番使いにくいんだよ。」
バインダーでバシバシと頭を叩いている。かなり強めに。
社長時代でもケツを蹴飛ばしていたそうなので、この男のサディズムには恐れ入る。
まあ冴木にはこれくらいで丁度いいんだろう。
草刈はそのことをよく分かっているようで、蛇のような眼光で睨みつける。
「冴木よ、ちょっと上手くいってるからって調子に乗るなよ。今のお前は雇われスパイなんだ。
もししょうもないミスでもしてみろ。全身に釘を打ち付けてからドブ川に蹴飛ばしてや・・・・、」
「それじゃ俺はこれで失礼します!」
「おい!勝手に帰るな!」
ペコっと頭を下げ、ササっと走って監査室から出て行った。
よっぽど草刈のことが怖いらしい。
「ほんっとに成長せんなあの野郎は。」
しかめっ面の草刈を「まあまあ」と宥める。
「偶然とはいえ良い情報を掴んでくれた。あとはこっちで調べよう。」
「伊礼よ、アイツはお前が連れて来たんだからな。なんかあっても俺は責任取らんぞ。」
「分かってるさ。」
草刈の言うことはもっともで、冴木はある意味一番使いづらいタイプだ。
だったらどうするか?
言うことを聞くように服従させるのではなく、ある程度自由にさせてやればいい。
例えるなら長い紐をつけた鵜のように。
ほっとけばそれなりの獲物を持って帰って来てくれるはずだ。
この日、俺と草刈で不正の件を洗い直しを行った。
と同時に冴木の獲ってきた獲物も徹底的に調べた。
しかしめぼしい成果は上がらなかった。
何度調べ直しても新しい事実は見つからず、タカイデ・ココのオーナーの素性についても、社員ファイルに書いてある以上のことは分からなかった。
30年前、田舎から大阪へ出てきて、カグラに就職したこと。
コツコツと努力してカグラ本社の営業部長にまで上り詰めたこと。
そして体調不良を理由に10年前に退職したこと。
ちなみに実家は寺をやっていたが、本人が後を継ぐのを嫌がった為に、現在は閉めているらしい。
家族構成は両親と自分だけなので、後継者が途絶えてしまったのだろう。
大きな寺なら本山から住職が派遣されるが、田舎の小さな寺ではそれも難しいのだろう。
坊さんの業界も不況と聞く。
管恒雄はそうした将来を見据えて、カグラへ就職する道を選んだのかもしれない。
しかし自らその道を辞めて、今は会員制の高級バーを営んでいる。
この男がカグラを辞めてから今に至るまでの経緯を調べれば、何か掴めるかもしれない。
タカイデ・ココの調査は冴木と部長補佐に任せ、俺は管恒雄という男を調べてみることにした。
・・・その日の夜、家に帰ってから冴木たちにメールを打った。
『明日の朝8時、靴キングのハリマ配送センター内の休憩室へ集合のこと。』
今まではハリマ販売所へ集まっていたが、これ以上箕輪たちを不安にさせても悪い。
二人から『了解』と返信が来たのを確認してから、ドカっとベッドに寝転んだ。
目を閉じてウトウトしていると、寝室のドアが開いて、一人の少年が顔を覗かせた。
「ご飯どうする?」
「おお、食べる食べる。」
「じゃあ準備してくる。僕と結子さんはもう食べたから。」
「悪いな。」
今年14歳になった義理の息子である猛は、いつもと同じくよそよそしい感じてドアを閉める。
この子は前の事件の時に知り合った子で、色々と事情があって俺が引き取ることになった。
仲良くしようと努力しているのだが、中々心を開いてくれない。
仕事が忙しくて一緒にいる時間が取りづらい・・・というのは言い訳だろう。
自分で引き取ると言ったのだから、この子のことをきちんと考えてやらなければいけない。
いけないのだが・・・・、
《ごめんな、構ってやれなくて。》
今日こそは一緒に晩飯を食おうと思いつつ、いつも帰宅が遅くなってしまう。
一緒に晩飯をつついたのは・・・・確か二ヶ月も前だ。
これじゃ父親失格だなと、重い身体をベッドから起こす。
居間に向かうと、猛がせっせと晩飯を用意してくれていた。
テーブルには湯気の昇る米と味噌汁、そして彩のあるおかず。
チンと鳴った電子レンジから熱燗を取り出し、おちょこと一緒に俺の前に置いた。
「いいよいいよ、あとは自分でやるから。」
猛は何も言わずにテーブルから離れていく。
「ちょっと話さないか?」と笑顔を向けると、無言で時計を指さした。
時刻は午後11時半。「明日学校だから」と言い残し、自分の部屋へと消えていった。
「ダメだなこのままじゃ・・・。」
まったくスキンシップが取れない。これじゃいつまで経っても心を開いてくれないだろう。
手を合わせ、「頂きます」と箸を掴んだ時、茶碗の横に一枚のメモが置いてあることに気づいた。
『毎日遅くまでおつかれさま。仕事が大変なのは分かるけど、たまには猛君と一緒にご飯を食べてあげて下さい。 結子』
メモを手に取りながら《いつも申し訳ない》と謝る。
彼女は竹下結子といって、かつて猛が孤児院にいた時の先生である。
今から半年ほど前、猛が近所のスーパーへ買い物に出かけた時、偶然再会したのだ。
それ以来、ちょくちょく我が家へ来ては、こうして飯を作ってくれたり、猛の世話を焼いたりしてくれている。
それに対してなんのお礼も出来ていないことにも、自分の不甲斐なさを感じていた。
この件が終り、本社の課長からも解放されれば、今よりも少し時間が取れるようになるだろう。
《その時は彼女も誘って三人で飯でも行くか。》
湯気の立つ味噌汁の温かさが、身体の隅々まで染み込んでいった。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第十二話 葛藤の日々(2)

  • 2018.08.24 Friday
  • 11:59

JUGEMテーマ:自作小説

「ごめんなさい!遅れちゃいました!」
月曜の朝9時、慌てて靴キングの配送センターへとやって来た。
事務室の横にある休憩室に駆け込むと、伊礼さんが苦笑いで手を挙げた。
「珍しいですね、遅刻するなんて。」
「ちょっと寝坊しちゃって・・・。」
「ずいぶんお疲れみたいですね。大丈夫ですか?」
そう言って目の下を指さした。
多分クマが出来ているんだろう。
隣にいた冴木君も「大丈夫ですか?」と心配そうだ。
「平気平気。ちょっと寝不足なだけだから。」
君のせいでこんなに心配してるのよって言いたけど、今は胸にしまっておこう。
「遅れてごめんなさい。早速始めましょう。」
傷みの激しいパイプ椅子に座って、二人の話に耳を傾ける。
まずは伊礼さんからだ。
彼は草刈さんと協力しながら、あの不正の件の洗い直しを行っていた。
冴木君がお金を受け取っていた時期や回数。それに賄賂の受け渡し場所になっていた会員制の高級バー「タカイデ・ココ」について。
「再調査を始めて一日しか経ってませんが、一つ目星い情報を掴みましてね。」
「さすが伊礼さん。で・・・・何が分かったんですか?」
「実はタカイデ・ココのオーナーなんですが、元カグラの人間なんですよ。」
「カグラの・・・・?」
「ええ。」
タバコを取り出し、「そういやここも禁煙か」と、顔をしかめながら胸ポケットに戻している。
代わりに禁煙パイポを咥え、口先でユラユラと弄んでいた。
「店の前で張り込みをしてたんですが、中から出てきた人物に見覚えがありましてね。
確かカグラの社員ファイルにあった顔じゃないかと思って確認してみたんです。」
「で・・・・結果は?」
「ビンゴでした。名前は管恒雄(くだつねお)、歳は56。10年までカグラで営業部長をやっていた男です。
冴木にもファイルを見せたんですが、この男がオーナーで間違いないと。なあ?」
「そうです。けど名前は違っていました。あのバーでは畑耕史って名乗ってましたから。」
「ということは偽名を使っていたということ?」
「だと思います。どうしてウソの名前を名乗ってたのか分からないけど。」
「素性がバレるとマズいことでもあったのかな?」
そう呟くと、伊礼さんも「臭いですね」と言った。
「店のオーナーは元カグラの人間。怪しくないって方がウソになる。」
「ですよね。もっと詳しく調べたいなあ。ちなみにお店の中に入っての調査は・・・・、」
冴木君に目を向けると首を振った。
「会員になるか、もしくは会員の人と一緒じゃないと無理なんです。俺が賄賂をもらってた時は、カマクラ家具の人が会員だったから入れてもらえたんです。」
「どうにか入れないかな。」
ボソリと呟くと、「こっそりとなら行けるかも」と言った。
「ほんとに!」
「多分ですけど・・・。」
「どうやって!?」
「店の裏側に通気口があるんですよ。人一人なら通れそうなくらいの。」
「そこを通れば中に入れる?」
「行けると思います。けど気をつけないと見つかるかも。」
「どうして?」
「防犯カメラがあるんですよ。それも至る所に。」
「防犯カメラ・・・・。どうしてバーにそんな物が。」
「分かりません。でも店内のあちこちにあって、俺が接待を受けてたVIPルームにもあるんですよ。だから上手く入り込めたとしても・・・・、」
「カメラに見つかっちゃうわけか・・・・。」
「普通ならね。」
そう言ってニカっと笑う。
「カメラはいっぱいあるけど、どの位置にあるかは全部覚えてますから。」
「ほんと?」
「それに店内にある通気口の位置も覚えてるんです。ここをこう行けばカメラに映らないだろうなってルートは想像つくんですよ。」
「さっすが冴木君!」
思わずバシンと肩を叩く。
「超人的な記憶力は健在ね!」
これこそが彼の特殊能力である。
一度見た景色を写真のように頭に焼き付けることが出来るのだ。
しかも絵が上手いから、頭の中の映像を精密に描き起こすことが出来る。
この特殊能力を買われてスパイをやっていたのだ。
カメラや電子機器が持ち込めない場所でも、彼の能力があればあらゆる情報を盗み出すことが出来るから。
「一度見た光景は絶対に忘れません。なんなら絵に描きましょうか?」
「うん、お願い!」
メモ帳とペンを差し出す。
彼はものの数分で緻密な絵を描き上げた。
「これが俺の知る限りの店内の見取り図です。多分通気口はこう通ってるはずですよ。」
「このバツ印は?」
「カメラの位置です。」
「けっこう多いわね。」
ざっと間取りを見た感じ、入口の奥に受付があって、そのさらに奥には扉がある。
そこを通ると丸いロビーのような部屋になっていて、周囲には六つの部屋が配置されていた。
さらにロビーの中央には地下へ続く階段があるようで、その先は廊下を挟んで四つの部屋に分かれているようだ。
「地下の部屋にはVIPって書かれてるわね。これはもしかして・・・・、」
「そうです。俺が接待を受けてた部屋です。この向かって右側の手前の部屋。」
「どんな感じの部屋なの?」
「まるで高級マンションの一室みたいな感じですよ。照明もテーブルも椅子も全部高そうなやつばっかで、壁の一部は水槽になってるんです。色んな熱帯魚が泳いでましたよ。」
「一階と地下に小さな部屋が一つずつあるけど・・・・これはトイレか何か?」
「上の階のやつはそうです。ロビーの入口近くにあるんですよ。地下にあるのは多分スタッフ用の部屋じゃないかな。VIPルームにはトイレが付いてるから。」
「なるほど・・・・。ていうか防犯カメラって全ての部屋に設置してあるのね。ロビーには二つもあるし。」
「ですね。あと入口と受付、地下の廊下にもあります。」
「かなり厳重ね。それぞれの部屋の上を走ってるの線があるけど・・・これが通気口?」
「そうです。店の裏の通気口から入ると、一階の一番奥の部屋に通じてるはずなんですよ。」
「どうして分かるの?」
「隣が焼肉屋なんですけど、思いっきり臭いが入って来てたからです。」
「なるほど。」
「そこからさらに進むとロビー。だけどどっちもカメラがあるからここからは入れません。」
「なら可能性があるとしたら・・・、」
「はい、トイレです。」
「さすがにここにはカメラはないわけか。」
「ここからなら中に入れると思いますよ。ただ・・・・、」
「ただ?」
「俺も全ての間取りを知ってるわけじゃないです。地下にある小さな部屋も、多分スタッフルームかなって思うだけで。その部屋からオーナーが出て来るのを見たから。」
「じゃあ他にも知らない場所があると?」
「実は地下の廊下の奥なんですけど・・・・、」
そう言ってVIPルームよりさらに奥へ続く廊下を指差す。
「ここに人間くらいの大きな置物があるんですよ。」
「置物?」
「ええ、多分キツネの像だと思うんだけど・・・・。」
上目遣いに腕を組みながら、「言葉では説明しにくいな」と言った。
「じゃあ描いてくれる?」
「了解です。」
再びメモ帳を渡すと、ものの数秒でサラっと描き上げてしまった。
「なにコレ?」
「だから廊下の奥にあった像です。キツネっぽいでしょ?」
「う〜ん・・・・キツネっていうか猫に見えるんだけど。」
冴木君の描いた絵はなんとも不思議なものだった。
大きな耳、尖った鼻、つり上がった目、そんな顔をした動物が台座の上に座っている。
見ようによってはキツネに見えないこともないけど、私にはどちらかというと猫に見える。
「ほら見て。この尻尾ってキツネっていうより猫だよ。細長くてクネクネしてるでしょ?」
「キツネと猫って尻尾の形が違うんですか?」
「全然違うわよ。キツネはイヌ科の動物だから、犬と同じようにもっとフサフサしてる。
けど猫は細いわ。ほら、ライオンやトラだって尻尾は細いでしょ?」
「そうだったかなあ・・・・。」
相変わらず興味のないことに対しては記憶が働きにくいようだ。
覚えてはいるんだろうけど、思い出す気が弱いとまったく出てこない。
「まあとにかく、ここに動物の像があるわけね。でもそれがどうかしたの?ただのインテリアとして置いてるだけなんじゃ・・・・、」
「隠し通路があるかもしれません。」
「隠し通路・・・?」
「だって廊下の奥に大きな動物の像があるんですよ?なんか怪しいじゃないですか。まるで何かを隠してるみたいだなって思うでしょ普通。」
「それは冴木君の感想だと思うけど・・・・、」
「そんなことないです!だって俺、見ましたからね。」
「見るって・・・・何を?」
「なんでか知らないけど、その像がちょっとだけズレてたことがあるんですよ。その時にチラっと階段らしきものが見えたんです。」
「階段・・・・。」
「なんだろうって見てたら、慌ててオーナーがやって来て直してました。これ何?って聞いても全然教えてくれなくて。
もしかしたらさらにまだ地下室があるのかも。」
「だとしたらそこに重要な何かが隠されているかもしれないわね。わざわざ大きな像を置いて隠そうとするくらいだから。」
「でしょ!調べるなら絶対にここですよ。」
そう言って像を指差す。
「あのバーは夜の七時から夜中の二時までしかやってないんです。営業時間外に上手く忍び込めばいけるかもしれません。」
「でも防犯カメラは地下の廊下にもあるのよね?像を動かしたりなんかしたらすぐバレるんじゃない?」
「ええっと・・・・確かに。」
さっきまでの勢いは消えてシュンと項垂れる。
けどかなり良い情報が聞けた。
「どうやって潜入するかは後で考えましょ。じゃあ次は私の番ね。」
バッグから水を取り出し、一口飲んで舌を湿らせる。
「実は昨日ある人と会ってね。協力を取り付けることが出来たの。」
そう言うやいなや、冴木君が「課長!」と身を乗り出してきた。
「ある人ってまさか・・・・例の動物探偵ですか!?」
「ううん、そうじゃないの。家まで行ったんだけど留守だったから・・・・、」
「家!あの男の家に行ったんですか!!」
「そりゃ行くわよ。有川さんは友達だし、それに玉木さんから名刺をもらったしね。だからちょっと相談だけでもと思って・・・・、」
「家・・・・課長が男の家に・・・・。」
プルプル震え出している。何か誤解をしているみたいだ。
「課長お!」
「な・・・なに?」」
おでこが触れそうなほど迫ってくるので、思わず仰け反ってしまった。
「まさかとは思いますが・・・・逆にその男が課長の家に来たことは・・・・、」
「もちろんあるわよ。」
「なんで!どうして!?」
「なんでって・・・友達なんだから当然じゃない。」
「で、でも!課長はマンションで一人暮らしじゃないですか!そこに男なんて入れたら・・・・大変ですよ!」
「あのねえ・・・・有川さんはそんな事する人じゃないから。」
「でもでも!女一人の部屋に行ったら、男なんていつ狼に変わるか・・・・、」
「有川さんが来たのはマンションの方じゃない。実家よ。」
「実家!?」
「今までに何度も来てるわよ。両親や兄さんとも会ってるし。」
「ご、ご両親に挨拶まで・・・・・。てことはウチの会長から気に入られてるってことじゃないですか!」
「気に入るっていうか・・・・会ったのは一度きりだけどね。」
「じゃあ・・・・もうじき結婚するんですね・・・・。」
「え?」
「だって実家に遊びに来て、しかも会長にまで気に入られるなんて・・・・。そんなのもう婚約も同然じゃないですか・・・・。」
やっぱり大きな誤解をしている。
この世の終りみたいな顔で絶望しているけど、今は相手にしている暇がないので放っておこう。
「部長補佐、コイツはほっといて続きを。」
伊礼さんが慣れた様子で手を向ける。
私はコクリと頷いた。
「昨日有川さんのアパートへ行ったんだけど留守だったんです。その代わり祐希さんにバッタリ会っちゃって。」
「ユウキ?・・・・ああ!あのフリーカメラマンの?」
「そうです。祐希さん耳が早いから、冴木君の不正の件も知ってたみたいで。」
「ジャーナリストとしては優秀ですね。その分タチが悪いとも言えるが。」
「興味のある事ならなんでも調べ上げちゃう人ですから。手を貸してもらえないかって頼んでみたんです。」
「じゃあ俺たちがカグラを探っていることも?」
「伝えました。こういう事件を待ってたんだってすごく喜んでましたよ。なんでも今やってる仕事が肌に合わないみたいで。」
「なるほど。まあ彼女の腕は確かだ。力になってくれるならありがたい。」
「でしょ!ただギャラもそれなりに取る人なんで・・・・。これって経費で落とせますよね?」
「俺に聞いてどうするんです?あなたの方が偉いのに。」
「ごめんなさい、なんか自分が偉い立場にいるんだって実感がなくて。」
「いけませんよそれじゃ。あなたならあと2、3年もすりゃ本社の部長になるはずだ。今から意識を変えていかないと。」
「意識を変える?」
どういう意味か分からずに唇をすぼめてしまう。
伊礼さんは「いいですか」と指を立てた。
「現場に出向くのは課長クラスまでです。本社の部長ともなれば大部隊の指揮官のようなものだ。後ろでどっしりと構えて命令を出すもんですよ。」
「もちろん分かってます。けど私は現場も大事にしたい。部長になったからってオフィスに篭るつもりはありません。」
「そうはいかないのが本社の部長って肩書きです。大部隊の長になろうって人が、いちいち下のモンに気を遣ってどうするんです。
自分がやれと言えば、下のモンには何がなんでもやらせる。私が白と言えば黒も白になるんだって思わせるくらいじゃないと。」
「そういう古い体質が嫌いなんです。私が上を目指してるのは、今まで積み上げてきた時代遅れな慣例を覆す為でもありますから。
部長になろうが専務になろうが、独断で物を決める人間にはなるつもりはありません。」
思わず言葉に熱を帯びてしまう。
頬が火照っていくのを感じながら、「すみません・・・」と自分を落ち着かせた。
「最近ちょっと感情的になりやすくなっちゃって。」
「やっぱりお疲れなんですよ。なんならもう一日しっかり休まれたらどうです?」
「周りが頑張ってるのに、私だけ休んでるわけにはいきません。
それに早くこの件を解決して、箕輪さんや栗川さんのように現場で頑張ってる人たちを安心させてあげたいんです。」
また感情がこみ上げそうになったので、話を戻すことにした。
「とにかく祐希さんが力を貸してくれることになりました。これは大きな戦力ですよ。ギャラの方は・・・・私がポケットマネーで払います。」
「いいんですか?あの手のタイプはそれなりにボってくるでしょうに。」
「私が依頼したんだから当然です。会社の経費うんぬんは忘れて下さい。」
「分かりました。じゃあ今日のところはこれでお開きですかね。・・・・まだ何かありますか?」
「いえ、私からは何も。」
そう言って冴木君を振り返ると、まだ暗い顔で俯いていた。
「婚約・・・・課長が・・・・他の男と婚約・・・・。」
これじゃしばらく話にならないだろう。
「冴木君が落ち着いたらタカイデ・ココへどう潜入方法するか考えます。」
「なら俺は一度本社へ戻ります。あまりウロウロしてばかりいると、カグラの連中に怪しまれるかもしれない。」
パイプ椅子から立ち上がりながら、禁煙パイポを懐に戻している。
まだ絶望中の冴木君に「じゃな」と肩を叩き、部屋から出て行った。
「さて・・・・。」
伊礼さんは帰り、冴木君は話が通じない状態。
となれば私のやることは一つ。
スマホを取り出し、昨日送ったメールの返事を確認した。
「まだ来ない・・・・。どうしてるんだろ?」
有川さんは律儀な人なので、一日経ってもメールが返ってこないというのは珍しい。
それだけ仕事が忙しいんだろうか?
もしそうなら動物探偵が上手くいっているわけだから私も嬉しい。
以前に会った時は中々仕事が来ないと悩んでいたから。
《どうしよう・・・・電話してみようかな。》
仕事中なら悪いと思って遠慮していたけど、少し心配になってくる。
たった一日返事がないからって不安がる必要はないはずなのに、こうも気にしているのはまだ彼のことが好きなせいかもしれない。
もうどう頑張っても無理なのに、まだどこかに諦めきれない気持ちが残っているんだろうか。
《私ってけっこう未練たらしい性格なのかな・・・・。》
恋愛に関してはそうウェットは方ではないと思っていたのに、実はその反対なのかもしれない。
・・・・まあとにかく、ここは一度電話をしてみよう。
本当に忙しければ出ないだろうし、そうじゃないなら出てくれるだろうし。
緊張しながら有川さんのメモリーに掛ける。
・・・・二回、三回とコール音が響き、やがて留守番電話サービスに変わってしまった。
メッセージを残そうかどうしようか迷ったけど、決める前に通話を切っていた。
《きっと忙しいんだ。着信を見たら折り返してくれるはず。》
そう自分に言い聞かせ、まだ正気に戻ってくれない冴木君にちょっとだけうんざりした。
《君はいいよね。そうやって感情を表に出すことが出来て。こっちだって君のことで悩んでるのに。》
有川さんに気持ちを惹かれつつ、冴木君のことで気を揉んでいる私は身勝手な女なんだろう。
早く成長して私を支えてよなんて思ったクセに、有川さんのことも同じように心配しているんだから。
けど・・・・これはどちらも恋愛感情なんだろうか?
もしかしたら二人に対して抱いている気持ちはそういった感情じゃなくて、もっと別のモノだったりして。
有川さんは大事な友達で、冴木君は手の掛かる弟みたいな感じで、二人とも強い信念を持ちながらも、不器用だから空回りすることが多い。
そんな二人を心配する自分に酔っているだけなんじゃないだろうか。
《・・・・やめよ。こんなこと考えてたってまた疲れるだけだ。》
冴木君の意識がこっちに戻ってくるまでもう少し時間がかかるだろう。
私は立ち上がり、「いったん本社に戻るね」と言った。
「また後で連絡ちょうだい。」
ポンと肩を叩き、狭い休憩室を後にする。
配送センターの外に出て車に乗り込み、エンジンを掛けようとした。
するとコンコンとノックされて、冴木君が追いかけてきたのかなと振り向いた。
「もう、正気に戻るのよ遅いよ。タカイデ・ココに潜入するにはどうすればいいか考えないといけないのに・・・・、」
ウィンドウを下ろしながらそう言いかけて固まる。
なぜならノックをしてきたのは冴木君ではなかったからだ。
まるでプロレスラーみたいに厳つい体つきをした大男が立っていた。
「鬼神川さん!どうしてこんな所に・・・・、」
言い終える前に口を塞がれてしまう。
私の顔よりも大きな手が伸びてきて、顔全体を覆うように握られてしまった。
その力はまるで万力で、もう少し強く握られたら頭ごと潰されてしまいそうなほどだ。
「ぐッ・・・・・、」
「騒がないで下さい。首から上が潰れたスイカみたいになりますよ。」
「・・・・・・・・。」
その言葉がウソじゃないことは、鬼神川さんの手から伝わってくる。
ほんのちょっと力を入れるだけで、私の頭は彼の言う通りになってしまう・・・・間違いなく。
背中に冷や汗が流れて、悲鳴さえも上げられない。
どうしていきなりこんな事を・・・・、
「悪いが我々と一緒に来て頂く。少しの間・・・・眠っていて下さい。」
そう言って大きな手を離したかと思うと、人差し指を私の顎に当てた。
次の瞬間、その指が動いたのと同時に、頭の中がシェイクされるみたいにクワンクワンと揺れた。
《まずい・・・・・。》
武道をやっていた兄が言っていた。
人間は顎に衝撃を受けると脳が揺さぶられるって。
最初にふわりと気持ち良い感覚がやって来て、その後は身体から力が抜ける。
ひどい時はそのまま意識を失い、しばらく起き上がれないのだと。
私はそのひどい状態になってしまって、ふわりと宙に浮くような感覚に陥った後、意識を失ってしまった。
・・・・・・次に目を開けた時、さっきとはまったく違う場所にいた。
ここは・・・・どこかのマンションの一室だろうか?
明かりは薄暗く、フローリングをほんのりと照らしている。
目の前にはテーブルがあって、高そうなお酒のボトルが置かれていた。
私自身はソファの上に寝かされていて、身体を起こすのと同時にギチギチっと音が鳴った。
どうやら革張りのソファらしい。
ザっと周りを見渡すと、そう広い部屋ではない事に気づいた。
調度品もソファとテーブルだけで、他に目立つ物はほとんどない。
いや、それよりもだ・・・・・ここには窓がない。
代わりに壁面の一部が水槽になっていて、色とりどりの魚たちが泳いでいた。
「あれ?ここってまさか・・・・、」
冴木君から聞いた話が蘇る。
この部屋の特徴、それはタカイデ・ココのVIPルームにそっくりだった。
私が靴キングの配送センターから出て、車に乗ったところで鬼神川さんが現れた。
あの人に気絶させられ、その間にここへ連れて来られたんだろうけど・・・・いったいどうして?
一つハッキリしているのは、私は誘拐されたってことだ。
その証拠に・・・・・、
「やっぱり・・・・ドアが開かない。」
紺色で木目模様のドアにはしっかりと鍵が掛かっていた。
中から開錠することは・・・・無理みたいだ。
「監禁か・・・・・。」
鬼神川さんの目的は分からない。
けどここへ閉じ込められたって事だけは分かる。
ポケットを調べると財布もスマホもなくなっているので、おそらく取り上げられたんだろう。
こんな場所で外と連絡を取ることも出来ない。
今の私に出来ることは、革張りのソファに座ってただ時間が過ぎるのを待つことだけだった。
ここには時計がなく、腕時計も取り上げられていたので、時間さえも分からない。
《辛いなこの状況・・・・。》
・・・一時間か、それとも二時間か・・・・曖昧な感覚のままじっと座り続ける。
ふと見ると水槽の反対側の壁面にもう一つドアがあった。
そういえば冴木君はこうも言っていた。
VIPルームにはトイレがあるって。
特に行きたいわけじゃないけど、とりあえず覗いてみることにした。
取っ手を掴み、ゆっくりと開ける。
そして・・・・悲鳴を上げそうになった。
「なんで・・・・。」
声が震える・・・・思わず口元を覆う。
トイレの中、一人の男性が怪我を負って倒れている。
便器に背中を預けながら、まるでノックアウトされたボクサーのように。
「伊礼さん!」
慌てて肩を揺さぶる。
「しっかりして!ねえ伊礼さん!!」
「・・・・・・・・。」
いくら揺すっても返事はなく、グッタリした様子で私の方へ倒れてきた。
顔には幾つも痣が出来ていて、鼻と口から血を流している。
服装も乱れていて、まるで誰かと格闘した後みたいだ。
「伊礼さん!大丈夫ですか!伊礼さんってば!!」
なんでいきなりこんな事になってるのか分からない。
伊礼さんの名前を叫びながら、グッタリする彼を抱きかかえるしかなかった。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第十一話 葛藤の日々(1)

  • 2018.08.23 Thursday
  • 13:14

JUGEMテーマ:自作小説

目覚まし時計が鳴っている。
頭はボーっとしているけど、勝手に手が伸びてアラームを止めた。
今日は日曜日、時計の針を見て《まだ眠れたな》とあくびを放った。
ベッドから起き上がり、ハンガーに吊るしたスーツに目を向ける。
『本社部長補佐 北川翔子』
約二年前、シンガポールへ転勤になったのと同時に部長補佐の肩書きに代わった。
でもあの頃はシンガポール支社の部長補佐、本社での肩書きは課長だった。
今は海外赴任を終え、日本へ戻って来るのと同時に「本社部長補佐」へと昇進した。
正直なところ、私としてはもう少しシンガポールにいたかった。
英語は喋れるからコミュニケーションは問題ないし、何より仕事のしやすさというのが大きかった。
日本にいる間は色んな所から嫌味を向けられた。
アイツは会長の娘だから出世出来たんだと。
直接言ってくる人はいなかったけど、あちこちからそういう声が聞こえた。
でもこれは我慢できた。
いくらウチが実力主義とはいえ、さすがに20代の若僧が本社の課長になるだなんて、親の七光りと思われても仕方ない。
世間はそういうものだって分からないほど子供じゃないし、時には自分を奮い立たせる燃料になった。
だけどそうじゃない嫌味もあった。
女のクセに・・・・女が偉そうに・・・・。
親の七光りに対する嫌味と違って、こっちはカッと熱くなる怒りが沸いた。
正面から言ってくる人はほとんどいなかったけど、そういう目を向けられた事、オブラートに包んだ嫌味を向けられた事は数知れない。
出世すればするほど、ヒソヒソとそういう声が聴こえてきて、思わず叫びそうになったこともある。
女のクセにという嫌味は男女両方から向けられる嫌味だったので、日本にいる時はとにかく居心地の悪さを感じたものだ。
ウチの会社は一切の差別がないのが売りなんだけど、個人個人からの嫌味だけはどうしようもなかった。
それでも自棄にならずにすんだのは、周りに仲間がいたからだ。
ハリマ販売所。
あそこのスタッフは常に私の味方でいてくれた。
冴木君、箕輪さん、栗川さん。
私がちょくちょくあの店に顔を出していたのは、あそこに居心地の良さを感じていたからだ。
みんなは私が気を遣って顔を出しているんだと勘違いしているけど、実はそうじゃない。
あのお店にいる間は、例え仕事中であっても気張らずにいられる安心感があった。
みんな私のことを慕ってくれたし、媚びようとか取り入ろうなんて打算も一切なかった。
偉くなればなるほどそういう意図をもって接してくる人間もいたので、みんなの素直な優しさにどれほど救われたか分からない。
ハリマ販売所は私にとっての精神的な聖域だった。
だけど本社に戻れば孤軍奮闘で、家に帰る頃には心も体もグッタリしていた。
『このままここにいてもいいのかな・・・・?』
そう考えるようになって、一度会社を離れたこともある。
けどあれやこれやと色んなことがあって、結局ここへ戻ることになってしまった。
日本にいる間は常に陰口や嫌味との戦いだったので、シンガポールへの赴任が決まった時は嬉しかった。
私の思った通り、アジアの経済中心地となりつつある向こうはとてもグローバルで、日本では当たり前の色んな壁を感じることは少なかった。
おかげで目一杯仕事に打ち込むことが出来たし、それなりに成果も残せたので、やりがいだってあった。
出来るならこのままここにいようか・・・・。本気でそう考えたこともある。
好きだった人にはフラれてしまうし、あまつさえタヌキと結婚するなんて言い出した時は、目の前が真っ暗になったりもしたから。
もういっそ日本を離れて、海外で生きていこう・・・・。
そう思っていたんだけど、そうもいかない出来事が起きた。
社長、冴木晴香の不正行為である。
草刈さんからちょくちょく連絡はもらってたんだけど、最初はにわかに信じられなかった。
だってまさかあの冴木君が・・・・・・って。
でもそのまさかは本当のことで、私は査問委員会で彼を追求した。
彼が社長になる時、その背中を後押ししたうちの一人は私だ。
それに社長になったあとも、しばらくは教育係りとして付き添っていた。
その彼が不正を犯したとあってはじっとしていられなかった。
『相手が冴木君だからこそ私が追求したいんです!どうかお願いします。』
渋る草刈さんだったけど、どうにか説得して、あの日彼を追い詰めた。
そして・・・・稲松文具から追い出した。
かつて彼は言っていた。
みんなが安心して働ける職場にしたいと。
いつだって周りのことを一番に考え、時には自分が危険な目に遭ってでも仲間を守ってきた。
だからその言葉はウソじゃないと信じていた。
でも冴木君は稲松文具から追い出され、じゃあその意志を引き継ぐのは誰?って考えた時に、私がやるしかないと決めたのだ。
居心地の良い場所で満足してちゃいけない。
彼の目指した理想は私も期待していたし、心からそうなることを望んでいた。
残念ながら彼は途中で道を間違えてしまったけど、だったら私がその意志を継げばいい。
まだみんなの為に戦っていた頃の冴木君のように。
そう決めた時から、日本へ戻らないといけないと思うようになった。
本社へ戻れば昇進が約束される。
支社ではなく本社の部長補佐。
28歳という若さでこの昇進は異例だった。
上手くいけば30の頃には部長になり、もっと先を目指せるかもしれない。
・・・いや、目指さないといけないのだ。
だって偉くならないと何も変えられないから。
いつか父が亡くなった時、私が後を継いで会長になるだろう。
この会社は代々北川一族が仕切ってきたので、そうなることは間違いない。
でもただそれを待っているだけでは本当に親の七光りになってしまう。
この会社を変えるには私自身に力が必要なのだ。
大きな志を灯しながら、日本へ帰る日が近づいていた。
そして帰国間もない頃になって、伊礼さんから一本の電話があった。
以前の事件で一緒に戦った仲間ではあるけど、彼は靴キングの人間なので、以降は特別な関わりはなかった。
それがわざわざ電話を寄越してくるなんて、いったいなんだろうと、ちょっとだけ不安に駆られた。
もしかしてまた大きな事件でも起きたのかなと。
・・・・それはある意味当たっていた。
『もしもし?突然電話してすみません。実は冴木の犯した不正行為の件についてお話したいことがあるんです。』
ドクンと心臓が飛び跳ねた。
もしかしてまた冴木君が何かしでかしたのかなと。
でも伊礼さんの話はその逆だった。
あの不正行為は冴木君だけのせいではなく、実際はカグラの方に大きな責任があるかもしれないと。
下手をすれば冴木君はただ騙されただけで、カグラの連中はよからぬ事を企んでいるのかもしれないと。
私は直感的に身震いした。
ああ・・・また何か大きな事件が動き出しているんだなと・・・・。
そして帰国してすぐのこと、半年ぶりに冴木君と再会した。
彼は相変わらずで、しっかりしてるのかそうでないのか分からないほど飄々としていた。
私、冴木君、伊礼さん、そして・・・・謎の女性、玉木さん。
ハリマ販売所に集まり、あの不正の件の裏側について話し合った。
事件の真実を求める為に、冴木君は再びスパイに戻ることになり、私は彼の相棒として付き添うことになった。
まったくもって今までどおりの展開に、やっぱり大きな事件が動き出していたんだなと、憂鬱になってしまったものだ。
だけど私以上に憂鬱になっていた人がいた。
箕輪さんだ。
気が強いように見えて、実はすごく繊細な人だと知っていたのに、彼女の恐怖心も考えずにハリマ販売所をアジトのように使ってしまった。
あの日箕輪さんは私たちに向かって叫んだ。
もう危険に巻き込まないでほしいと。
自分はただ平和な日常を過ごしたいだけで、それを壊されるかもしれないという恐怖に追い詰められていた。
本気で叫ぶ彼女を見て、いかに自分がまだまだ未熟であるかを思い知った。
守るべき仲間を、守るべき現場の社員を、知らず知らずのうちに追い込んでいたのだから。
これは大いに反省しないといけない。
ハリマ販売所は箕輪さんにとって大事な居場所であり、自分自身が守ってきた職場でもある。
私の無神経のせいでそれを傷つけてしまうなんて・・・・いくら謝っても足りないだろう。
一番の謝罪は、一刻も早く事件を解決し、安心させてあげることだ。
みんなが安心して働ける職場を作る。
そんな冴木君の意志を引き継ぐ為に戻ってきたのだから。
休みだからって寝ている場合じゃないと、すぐに出かける支度をした。
車に乗り込み、ゆっくりとマンションの駐車場から滑り出す。
今、私は事件解決の為に、ある人物の元へと向かっていた。
本社から少し離れた所に、とある探偵事務所があるのだ。
『有川動物探偵事務所』
あの日玉木さんからもらった名刺を見た時、驚きを通り越して胸の中まで凍りつきそうだった。
《どうしてこの人が有川さんの名刺を・・・・・。》
私がずっと想いを寄せていて、でもフラれてしまって、あまつさえタヌキと結婚すると言い出したその人である。
と同時に、かつてお稲荷さんに誘拐された私を助けてくれた恩人でもあった。
彼は人にはない不思議な力が宿っていて、その力でもってたくさんの動物を助けている。
この私だってお手伝いをしたことがある。
どうして玉木さんが彼の名刺を寄越したのかは分からない。
だけど・・・・嫌な予感がしていた。
有川さんの力が必要となると、これはもう普通の事件ではないということだ。
今までのように会社の乗っ取りといった事件ではなく、もしかしたら人ではない何者かが関わっているかもしれない。
かつて私がお稲荷さんに誘拐された時のように。
《玉木さんは言ってた、人の常識を超えた事件だって。だったらお稲荷さんだとか化け猫だとかが出てくるかもしれない。》
なんて非現実的なって思うけど、この私自身がそういう生き物・・・・と言っていいのかどうか分からないけど、超常的な出来事を体験している。
そもそもが有川さん自身が超常的な力の持ち主なわけで・・・・。
車を走らせながら悶々と考えを巡らせる。
有川さんのアパートまで車で30分ほど。
大きな川沿いの道を駆けながら、ふと窓の外に目をやった。
桜はとうに散ってしまって、代わりに新緑が芽吹いている。
鮮やかなピンクが彩る景色もいいけど、若葉が光を受けて輝くのも美しい。
四月も下旬に差し掛かり、もうすぐゴールデンウィークを迎えようとしている。
月末が土日ということもあり、かなりの大型連休になるだろう。
・・・・ここ最近ゴールデンウィークを楽しんだ記憶がない。
仕事仕事ばかりで、休日を謳歌するなんて発想そのものがなくなりかけていた。
シンガポールにいた頃もずっと働きっぱなしで、周りからもっと休むようにとお説教までされてしまった。
だけど私は仕事が好きなのだ。
もちろんどこかへ遊びに行きたいとか、好きな人とデートしたいとかもある。
けどそういった欲求を軽く抑え込んでしまうほど、今は仕事を楽しく感じていた。
景色を眺めながら川沿いの道を走り、大きな橋を渡る。
少し坂になった土手向こうの道を越え、お昼どきにはよく混むコンビニを通り過ぎ、交差点を左に曲がる。
そこから少し進んで細い路地に入ると、年季の入った木造アパートが見えてくる。
二階へ伸びる階段は錆びだらけで、よく壊れないなと感心するほどだ。
この古いアパートの二階が有川さんの住居兼事務所になっている・・・・はずだ。
《これって前のアパートよりも年季が入ってる・・・・・。》
以前に有川さんが住んでいたアパートにはお邪魔したことがある。
けどこっちへ来るのは初めてだった。
《有川さん大丈夫かな。ちゃんと仕事は取れてるのかな・・・・。》
実力はあるけど、商売は決して上手いとは言えない人なので、ちょっと心配になってくる。
錆びてギシギシ鳴る階段を注意深く上がり、左から二番目のドアの前までやって来る。
『有川動物探偵事務所』
表札の文字を睨み、深呼吸する。
《緊張するなあ・・・・。》
会うのはほぼ一年ぶり。
去年の今頃、彼と会った時に結婚するって話を聞かされた。
私はてっきり前に付き合っていた彼女と寄りを戻したんだと思っていた。
でもそうじゃなかった、なんとタヌキと結婚するなんて言いだしたのだ。
・・・・もちろん普通のタヌキじゃない。
いわるゆ化けタヌキというやつで、いろんな生き物に姿を変えることが出来る。
私もこの目で化ける瞬間を見た。
そのタヌキは普段は人間に化けていて、お世辞抜きで可愛いと思える容姿だった。
性格だってそう悪くないし、なにより有川さんの幼い頃の友達だという。
だから私が結婚に反対する理由なんてないんだけど、あの時は猛反対した。
だってタヌキとだなんて!
私はずっと想いを寄せていて、でも有川さんには彼女がいて、だからフラれてしまったんだけど、その彼女とは別れて、だったら私にもチャンスがあるんじゃないかと期待していた。
それなのにまさかタヌキと結婚するなんて・・・・・。
ていうかタヌキに負けるなんて・・・・・。
私だって動物は好きだ。
犬も猫も飼っている。
でも結婚相手に選ぶなんて考えられない。いくら人間に化けられるとしても!
だからあの時は猛反対したんだけど、有川さんは引かなかった。
『結婚をするなら友達をやめます!』と言う私に向かって、『翔子さんという友達を失いたくありません!』と突き返してきた。
なんて勝手な・・・・と思ったけど、結局認めることになってしまった。
あの時、私はとある猫のことで困っていたんだけど、それを見事に解決してくれたからだ。
動物探偵として私の悩みを解決してくれた報酬として、結婚を認めることにしたのだ。
あの時のことを思い出すと、チャイムを押す手が止まってしまう。
《もしかしたらもう結婚していて、子供だっているかもしれないのよね・・・・。ダメだ!緊張してくる。》
確かに結婚は認めたけど、化けタヌキとの夫婦生活なんて見たくない!
もし子供がいたりしたらそれこそショックだ・・・・・。
だってずっと彼のことを好きでいたのに。なのにそんな光景を見せられたら・・・・・。
「・・・・・ダメダメ!これだって仕事で来てるようなものだもん。余計な感情は捨てなくちゃ。」
ふうっと深呼吸してからチャイムを押す。
「・・・あれ?鳴らない。」
何度押しても音が出ない。
古いアパートだから壊れているのだろうか?
代わりにコンコンとノックをしてみたけど返事はない。
「いないのかな?」
悪いと思ったけど、ドアノブを回して確認してみる。
「鍵が掛かってる・・・・。」
一歩離れてドアを見上げる。
・・・・ちょっとだけホッとしていた。
見たくない光景を見ずにすんだかもしれないって。
「やっぱりいきなり来ても留守だったりするよね。今日会えませんか?ってメールしとこうかな。」
スマホを取り出し、どうしようかと悩む。
その時、誰かが階段を登って来る音が聴こえて、《もしかして帰って来た!?》と緊張が走った。
もし・・・もし化けタヌキの奥さんと手を繋いでたりしたら・・・・。
いや、それこそ有川さんは赤ちゃんを抱いているかも・・・・。
人間と化けタヌキの合いの子だから、頭の上に耳があったり、お尻からシマシマの尻尾が生えてたりして・・・・。
足音はどんどん近づいてくる。
鼓動が跳ね上がるのを感じながら、思い切って振り返ってみた。
すると・・・・、
「あら翔子ちゃん!」
そこには一人の女性が立っていた。
ジーパンにTシャツというラフな格好で、肩からカメラをぶら下げている。
凛々しい目は私を見据えていて、「何してるのこんな所で?」と言った。
この人は御神祐希さん、フリーのカメラマンをやっている人だ。
危ない場所にも取材に行くし、自分で文章を書くこともある。
要するにジャーナリストだ。
前回、前々回の事件の時、とてもお世話になった人でもある。
「どうしたの?お化けにでも出くわしたみたいな顔して。」
可笑しそうにクスっと笑っている。
私は一気に緊張が解けて、その場に座り込みそうになった。
「ちょっとちょっと!どうしたのよ?」
慌てて祐希さんが支えてくれる。
「すいません・・・」と呟くと、「こっちに帰って来てたのね」と言った。
「いつ戻って来たの?」
「つい最近です・・・・。」
「だったら連絡くらいくれればいいのに。」
「ごめんなさい、色々あってバタバタしてて・・・・。」
「顔色悪いわよ。どうせまた働き詰めなんでしょ。」
「まあ・・・・。」
「仕事好きなのは結構だけど、ちゃんと自分も労らなきゃ。病気になったらそれこそ仕事から遠のくんだから。」
「気をつけます・・・。」
確かにここ最近気はが休まることがなかった。
ていうか冴木君の不正の件があってから、いつどんな時でもモヤモヤした感情に支配されていた気がする。
「翔子ちゃんみたいなタイプって、悩み事があったりすると余計に無理するからね。多分だけど・・・・冴木君のことじゃない?」
さすが祐希さん、お見通しだった。
「ニュースで社長を辞任するってやってたから驚いたのよ。彼あれほど頑張ってたのに。
気になって私なりに調べてみたんだけど、どうも賄賂を受け取ってたみたいね。」
「さすがですね、外に漏れないようにしてたはずなのに。」
「そういうのを嗅ぎ回るのが仕事だから。」
そう言って胸を張りながら、「まあ自慢できる事じゃないけど」と肩を竦めた。
「それよりどうして翔子ちゃんがこんな所に?」
「ええっと・・・ちょっと知り合いに会いに来たんです。」
『有川動物探偵事務所』の表札を振り返る。
すると祐希さんは「翔子ちゃんも?」と言った。
「え?まさか祐希さんも?」
「ええ。ちょっと今やってる仕事が一人じゃ手に余りそうでね。」
「祐希さんが手に余るって・・・よっぽど大きな事件でも追いかけてるんですか?」
「んん〜・・・そういうわけじゃなくて、私の専門外っていうか。」
困った顔をしながら「生き物のことなのよね」と言った。
「ある人物から仕事を頼まれたんだけど、私の知識じゃどうにもならなくて。だったら専門家に頼るしかないじゃない。」
「それで有川さんに?」
「ネットで探してたらここがヒットしてね。」
そう言ってトントンと表札を叩いた。
「この彼って、翔子ちゃんがお稲荷さんにさらわれた時の・・・・、」
「そうです。私を助けてくれた人です。」
「私もあの場所にいたからね。よく覚えてるわ。」
そう、祐希さんもあの事件の時に手を貸してくれたのだ。
まさか本当にお稲荷さんがいるなんてって驚いてたっけ。
「私の姉がオカルト雑誌の編集長をやってるんだけど、次の号で未確認生物の特集を組むんだって。
それで手を貸してくれないかって依頼されちゃって。」
「祐希さんってお姉さんがいたんですか?」
「腹違いだけどね。ほんとなら未確認生物の調査なんて絶対に断るんだけど、どうしてもってお願いされちゃって。
身内にそこまで言われたら断るのも心苦しいじゃない。けど・・・・今は後悔してるわ。
ツチノコだのチュパカブラだのの写真を撮って来てくれって言われても、そんなモンどこにいるんだか。」
「実在するかも怪しいですね。」
「まったくね。しかも姉がやってるのは『月間ケダモノ』だなんてわけの分からない雑誌なのよこれが。いったい誰に需要があるんだか。」
「でも面白そう。夢があっていいじゃないですか。私はちょっと興味あるなあ。」
「やめときなさいって。アレを読んだら確実にIQが下がるわ。
しかも日付まで誤報っていうんだから某スポーツ新聞よりも下よ。今からでも断ろうかしら?」
はあっとため息を吐いている。
私は「でもやるんでしょ?」と尋ねた。
「まあねえ。一度受けた依頼は絶対にこなすって決めてるから。」
「それでこそ祐希さん!」
「けど実際問題わたしだけじゃどうしようもないのよ。だからここへ来たってわけ。」
有川さんの部屋を見つめながら、「しかも」と指を立てる。
「ここの彼ってツチノコを飼ってるって噂があるらしいのよ。以前にそういう動画がネットにアップされててね。」
「まさか。」
「ていうかあのお稲荷さんの事件の時・・・・確かツチノコがいたような気がするのよね。翔子ちゃんも見たでしょ?」
「どうだったかなあ・・・・。あの時は色々とぶっ飛んだ事ばかりだったから・・・・。あんまり覚えてないかも。」
「実は私も。だったら実際にこの目で確認するしかないじゃない。
もし彼がツチノコを飼ってたら写真に撮らせてもらうわ。そうすればこんな仕事とはもうオサラバよ。」
「もし飼ってなかったら?」
「彼に頼むしかないわ。未確認生物を見つけてくれないかって。」
「ええ〜・・・さすがにそれは無理なんじゃ・・・・。」
「でもホームページにはこう書いてあったわ。動物に関することならなんでも引き受けます。迷い犬から化け猫の捜索までって。」
「う〜ん・・・・彼なら有り得るかも。」
「でしょ!だからここへ来たんだけど・・・・もしかして留守?」
困った顔で尋ねる。私は「いないみたいです」と答えた。
「そっか。もしいるなら翔子ちゃんがドアの前でじっとしてるはずないもんね。」
「今日会えないかってメールを打とうか迷ってたんです。」
「そうなの!じゃあ打って!すぐ打って!」
目をランランとさせながら手を握ってくる。
こんな祐希さんを見るのは初めてで、《よっぽどこの仕事を早く終わらせたいんだろうなあ》と可笑しくなってしまった。
「分かりました。じゃあ送信しますね。」
メールを打ってから少し待ってみるが、返事はない。
きっと仕事で忙しいんだろう。
「返事がくるまで時間が掛かるかも。」
「そっか・・・・。じゃあそれまで待つわ。」
祐希さんは踵を返し、ギシギシと鳴る階段を降りていく。
「一緒にお茶でも行かない?奢るわよ。」
「ご馳走になるなんて悪いです。自分の分は自分で・・・・、」
「でも昇進したんでしょ?」
「え?」
「本社に戻って来たってことは偉くなったんでしょ?」
「ええっと・・・・ちょっとだけ。」
「じゃあ出世祝いってことで。」
ニコっと笑いながら「ほらほら」と手招きをする。
私は有川さんの部屋を振り返り、少し迷ってから「じゃあお言葉に甘えて」と後をついて行った。
「あ、車替えたんですか?」
「カッコイイでしょ?」
鮮やかな黄色いスポーツカーを自慢そうに叩く。
「これだけが唯一の趣味だから。」
「いいなあ・・・・私も何か趣味を探してみようかな。」
「そうしなさいよ。その方が仕事も捗るから。」
真上にドアが開く本格的なスポーツカーに乗って、有川さんのアパートから離れていく。
車高が低いせいでものすごくスピード感があった。
「ねえ祐希さん。」
「なに?」
「もしお姉さんから頼まれてる仕事が終わったら、次は私がお願いしていいですか?」
「もちろん!なに?また会社の乗っ取りでもあった?それともスパイでもしてほしい?」
ものすごく喜んでいる。
相変わらず危険な仕事が大好きみたいだ。
「実は冴木君の賄賂に関することなんだけど、どうも裏があるみたいで・・・・、」
「きたきたきた!そういうのを待ってたのよ。」
「ちょ、ちょっと!スピード出しすぎですよ!」
「いいのいいの!白バイくらいなら振り切れるから。」
「それが怖いんだけど・・・・。」
シートベルトを握り締めながら、弾丸のように駆け抜けていく景色に恐怖する。
途中で赤いランプを灯らせた車が追いかけてきたけど、あっという間にルームミラーから消えてしまった。
・・・・この日、有川さんから連絡が来ることはなかった。
その代わりに祐希さんが依頼を受けてくれることになった。
『翔子ちゃんと冴木君と私。昔の事件を思い出すわあ。』
危険な仕事だったにも関わらず、うっとりしながら思い出している様子を見て、その逞しさに感心してしまう。
《私もこれほど強くなりたい。そうすれば色んなことで一々悩んだりしないですむのに。》
一生懸命働けば働くほど、色んな悩みにぶつかる。
もしも祐希さんのように笑って乗り越えられるなら、家に帰ってからグッタリ疲れることもなくなるだろう。
《色々心配事はあるけど・・・・一番は冴木君なのよね。社長になったかと思えば不正をしたり、かと思えばただ利用されてただけだったり。
でも根っこは昔のままで、今でも周りのことを一番に考えてる。・・・はあ、なんていうか本当に手のかかる子。
こうして心配したり気を揉んだり・・・・・私がどれだけ気に掛けてるか分かってるのかな。》
あの子には言葉に出来ない魅力というか、人を集める引力みたいなものがある。
私もとうにその毒牙にかかっていて、冴木君の事となると、自分のことを後回しにしてまで手を貸してしまうこともしょっちゅうだ。
《君は前に言ったよね。私のことが好きだって。あの時は曖昧な返事しか出来なかった。
だってずっと弟みたいに思っていて、いきなり男性として見るなんて出来なかったから。》
まだシンガポールに行く前のこと、あの子の気持ちに困惑したことがある。
でも決して嫌な気はしなかった。
嬉しいような恥ずかしいような、でもどう受け止めていいのか分からずに、なんとも言えない気分になったのを覚えている。
《時間がほしいっていう私に向かって、君はこう言ったよね。
もっともっと成長して、男として見てもらえるように頑張りますって。
だったら・・・・早くそうなってよ。立派な男になって、もう一度気持ちを伝えに来てよ。
もういい加減君のことで気を揉むのは疲れてきた。こっちだってしんどいんだから・・・・・。》
仕事は大好きだし、やりたいこと、やらなきゃいけない事もたくさんある。
けど今のままじゃいつか弾け飛んでしまいそうだった。
きっと趣味を見つけたくらいじゃどうにもならない。
多少休んだところで変わらないし、かといって長く休めば他の人に追い抜かれるだけだろう。
《疲れてきたな・・・・。》
居心地のよかったシンガポールは後にするしかなかったし、ずっと好きだった人はタヌキと結婚なんて言い出すし。
・・・・支えてくれる人がほしい・・・・。
その時だけじゃなくて、ずっと傍にいてくれる人が。
頭に冴木君の顔がチラつく。
これは心配しているせいか?
それとも男性として意識し始めているせいか?
それもまた頭が痛くなる悩みの一つだ。
祐希さんと別れたのがお昼過ぎ。
帰宅するのと同時にベッドに寝転ぶと、グッタリした感覚が襲ってきた。
次に目を開けた時には新しい朝陽が昇っていた。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第十話 大事な畑(2)

  • 2018.08.22 Wednesday
  • 11:43

JUGEMテーマ:自作小説

「どもっす。」
進藤君が開店ギリギリにやって来る。
それはいつものことなんだけど、いつもと違うお店の様子に「あれ?」と首を傾げていた。
「今日って箕輪さん出勤でしたっけ?」
いるはずのバイトの子がいなくて、代わりに箕輪さんがいることを不思議がっている。
だから私は説明してあげた。
昨日の夜に一人辞めますって電話があって、もう一人は連絡が繋がらないって。
「マジっすか?」
「マジっす。」
「バックレかよ。キツいなあ〜!」
困った顔で頭を掻いている。
「これじゃ俺が異動したら人がいないじゃないっすか。」
「そうなんです、足りないんです。」
「マジっすかあ。」
ブツブツ言いながら事務所に消えていく。
箕輪さんは全然会話に入ってこなくて、無言のまま仕事をしていた。
朝から何も喋ってくれなくて、挨拶しても知らん顔だった。
《怒ってるよね絶対・・・・。》
すごく気まずい。
だけどこれでよかったのだ。
だってさすがにバイトの子たちまで巻き込んだら可哀想だから。
進藤君が事務所から出てきて、「すぐに新しいバイト取らないとヤバいっすね」と言った。
「俺はいなくなるからいいけど、二人は困るっしょ?」
「はい困ります。すぐに新しい人を寄越してほしいんです。」
「とりあえずバイトが決まるまでは他の店から応援に来てもらうしかないっすね。
あとで伊礼さんに言っときますよ。誰か人を寄越してくれって。」
「お願いします。出来れば冴木さんで。」
「え?あのオジサン?」
ポカンと口を開けている。
だってあれ、仕事出来ない感じの人っしょ?って顔に書いてあった。
「そうなんです。多分役に立たないと思うけど、今は必要だから。」
「いない方がマシじゃないっすか、あれ。」
「そんなことないですよ。冴木さんはずっとこのお店にいて、みんなを守ってくれたこともあるんです。頼りにならないけど頼りになるっていうか。」
「いざとなったら眠った力を発揮するみたいな?」
「そうそう!そんな感じ。」
「んな漫画の主人公じゃあるまいし。」
「・・・無理ですか?進藤君なら伊礼さんにお願いできると思ったんだけど。」
「ていうかあの人って悪いことしてクビになったんでしょ?いくら伊礼さんでも・・・・、」
「出来るよ。」
急に箕輪さんが入ってくる。
モップ片手にやって来て、「バイトでいいなら戻せるってさ」と言った。
「それ伊礼さんが言ってたんすか?」
「そう。その代わり永遠にバイトのまんまだけど。」
「いやあ・・・普通に新しい人を雇った方が無難じゃないっすか。」
「私もそう思う。けどこの子はそうじゃないみたいでさ。」
ギロっと私を睨むので、怖!と思って目を逸らした。
「なんか冴木にご執心みたいで。」
「え?栗川さんってああいうのがタイプなんすか?」
「ち、違いますよ!お金もらったって冴木さんとなんか付き合いたくありません!」
絶対に嫌だ。
私が冴木さんを信用してるのは、あくまで仕事の仲間としてだけなんだから。
「思いっきり否定しましたね。」
可笑しそうに笑う進藤君に、「真面目に話してるんです」と返した。
「詳しいことは言えないけど、もしかしたら大変なことになるかもしれないんです。」
「なんすかそれ?俺が休みの日に特大クレームでもあったんすか?」
「そうじゃないけど・・・・でもきっと大変なことになるんです。」
そう言って今度は私から箕輪さんを睨んでやる。
するとバツの悪そうな顔でそっぽを向いた。
「このままこのお店にいたら進藤君もピンチになるかも。」
「ええ・・・んなヤバいクレームなんですか?」
「だからクレームじゃないってば!とにかく冴木さんを戻してほしいんです。永遠にバイトでもいいからお願いします!」
ペコっと頭を下げると、「まあいいっすけど・・・」と渋々って感じで頷いてくれた。
「でもアレっすよ。俺が出来るのは伊礼さんに頼むことだけっすから。」
「それで充分!だってバイトのままなら戻せるんでしょ?」
箕輪さんを振り返ると、「らしいわよ」と不満そうだ。
「じゃあこれで人手が足りますね!」
「ふん!足引っ張られて余計忙しくなるっての。」
クルっと背中を向けて、イライラオーラを放ちながらモップ掛けをしている。
でも内心は絶対に喜んでるはずだ。
《箕輪さんも素直じゃないからなあ。》
箕輪さんだってほんとは冴木さんに戻って来てほしいのだ。
でもあれやこれやと色んなことを考えすぎて、素直になれないんだと思う。
お店のこととか、冴木さんが不正をしていたこととか。
「じゃあ進藤君、冴木さんのことお願いね。」
「了解っす。」
「あ、それと・・・・、」
「まだなんかあるんすか?」
「うん、こないだの玉木さんって人のことなんだけど・・・・。」
ボソボソっと話しかけたのに、箕輪さんの耳にも届いてしまったみたいだ。
背中を向けてはいるけど、こっちに耳を立てているのがバレバレだった。
《やっぱり気にしてる。》
箕輪さんがこのお店や私を守ろうとしているように、私だってお店と箕輪さんを守りたい。
だからこそ冴木さんが必要だし、今なにが起きてるのか知らないといけない。
「あの玉木さんっていう人、進藤君の知り合いなんでしょ?どういう人か教えてよ。」
そう尋ねると、この前と同じように「ただの知り合いっすよ」と答えた。
「それはもう分かったから、どういう知り合いか教えてほしいの。」
「知り合いは知り合いっすよ。」
なんでもないみたいに誤魔化すけど、それが逆に怪しい。
「んなことよりもう開店っすよ。お客さんも入ってきたし。」
「いらいっしゃいませ」と笑顔で向かっていくけど、腕を掴んで引き戻した。
「ちょっと、なにするんすか?」
「ちょっと事務所で話そ。」
「いやいや、もう仕事が始まってんすから。」
「箕輪さんならちょっとの間くらい一人でも平気だから。ね?」
ニコっと振り返ると、何も言わずに接客へ向かっていった。
これは徹底的に話を聞いてこいってことなんだろう。
「ほらほら行こ。」
事務所に引っ張っていくと、「ダメっすよ!」と手を振りほどいた。
「もう営業時間は始まってるんすから。」
「玉木さんのこと教えてくれたら仕事するから。」
「だからただの知り合いだってさっきから・・・・、」
「どういう知り合い?」
「・・・・店長命令っす。仕事しましょ。」
「あれ?そういう堅苦しいの嫌いじゃなかったっけ?」
惚けながら笑ってみせると、「冗談はいいっすから」と強気だ。
「話すことなんてなんもないんだから。」
「それは話を聞いてから決めるから。」
「・・・・いいんすか?命令に従わないならクビも有り得ますよ?」
「く、クビ・・・・。」
ちょっとだけ怯みそうになったけど、深呼吸して気を取り直す。
箕輪さんみたいな怖い顔で睨んでやった。
「なんで変顔してんすか?」
「変顔じゃないもん!」
「だって泣き笑いみたいな顔してるじゃないっすか。」
「これは怖い顔してるの!どう?ビビったでしょ!」
グイっと詰め寄って「白状しなさい!」とテーブルを叩いた。
バチン!と良い音がしたけど手が痛い・・・・・。
「んな無理して迫力出そうとしなくても。」
「無理なんかしてないもん!本気で怒ってるのよ。どう、怖いでしょ?」
「よっぽど手え痛かったんすね。涙目になってますよ。」
「・・・・・グス。」
手をふーふーしてると、「いったいなにをそんな躍起になってんだか」と呆れられた。
ガラっと窓を開けてタバコを咥える。
「あ!コラ!」
すぐに取り上げて「子供はこんなの吸っちゃダメ!」と注意した。
「お酒とタバコは二十歳になってからだよ!先生とか親に教わったでしょ?」
「いいじゃないっすかちょっとくらい。」
「ダメはものはダメ。だいたいここは禁煙なんだから。」
箱ごとタバコを取り上げて、クシャっとしてからゴミ箱に捨てた。
「あ、人のモンを勝手に・・・・。」
「ブチブチ言わない!今度こんなの吸ってたらお姉さん怒るよ。」
「もう怒ってるじゃないすか。」
「・・・・・・・。」
「はいはい・・・・もう吸いませんよ。」
お手上げみたいにホールドアップする。
うん、大人としてちょっと良いことした気分だ。
ていうかこんなことで喜んでる場合じゃない。
「ねえ教えて!玉木さんってどんな人なの?」
「どうしてあの人のことそんなに気にしてるんすか?」
「だって・・・・、」
前の事件の時のことを思い出す。
何かが大きく変わる時、見慣れない人がこのお店に出入りするようになるのだ。
そういう人は必ず冴木さんと関わりがある。
玉木さんって人がこのお店にやって来た時、冴木さんはいますか?って聞いていた。
私は接客中だったけど、近くにいるので聞こえてしまった。
あの時にピンときた。
これはまた絶対に何かが動き出しているんだって。
「進藤君は言ったよね?玉木さんは悪い人じゃないって。」
「そうっすよ。あの人は良い人なんすよ。」
「私もそう思う。だって悪い人なら冴木さんが知り合いになったりしないから。
だけど普通の人じゃないのも分かるの。なんかこう・・・・上手く言えないけど、独特のオーラっていうか雰囲気っていうか・・・・、」
そう言いかけた時、ガチャリと事務所のドアが開いた。
箕輪さんかなと思ったけど、まったく違う人が入ってきて腰を抜かしそうになった。
「おはよう進藤君。」
なんと玉木さんだった。
私にも「おはようございます」と笑顔を振りまく。
「お、おはようございます・・・・。」
なんでこの人がここに!
しかもパーティーにでも行くみたいに、真っ赤なドレスを着ていた。
今まさに玉木さんの話をしてたところだから余計に驚いてしまう。
それは進藤君も同じようで、「なにしに来たんすか?」と目を丸くしていた。
玉木さんはクスっと首を傾げた。
「何しにってお言葉ね。進藤君こそ今日がなんの日だか忘れてるんじゃない?」
「ええっと・・・なんかありましたっけ?」
焦った顔で目を泳がせている。
彼のこんな表情を見るのは初めてで、ちょっとスマホで撮りそうになってしまった。
「今日は集会の日でしょ。」
「・・・・・あ!」
「全然来ないからボスが怒ってるわよ。早く行ってきなさい。」
そう言って事務所の外に手を向ける。
「でも俺が抜けると二人だけになっちゃうしなあ。今日は土曜だから忙しいだろうし・・・・、」
「私が代わるわ。」
「え?玉木さんが?」
「元稲松グループの社員だからね。会社に迷惑かけたこともあるし、お手伝いくらいしなきゃ。」
「そっすか。じゃあ・・・お言葉に甘えて。」
ロッカーから鞄を取り出して、「これ渡しときます」と私に鍵を預けた。
「栗川さん今日はフルでしょ?」
「そうだけど・・・・、」
「どうしても外せない用事なんすよ。悪いけど先に失礼します。」
「じゃ!」と敬礼して駆け出していく。
「箕輪さんもおつかれっす!」
「え?あ・・・・ちょっと!」
「俺の代わりに玉木さんが出てくれますから。」
「玉木さんって・・・・うそ!いつの間に!!」
口元を押さえながら驚いている。
どうやら勝手に入ってきたみたいだ。
「というわけで今日は私が進藤君の代わりを務めます。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします。」
深々と頭を下げている。
その時に胸元が見えて《うわおっきい!》なんて余計なことで感心してしまった。
「栗川さんでしたよね?」
「え・・・・ああ、はい!」
「出来れば制服を貸して頂きたいのですが。」
そう言って真っ赤なドレスの裾をつまんでいた。
《いったい何がどうなってるの・・・・。》
わけの分からないことばかり増えていく。
私も箕輪さんも呆気に取られるしかなかった。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第九話 大事な畑(1)

  • 2018.08.21 Tuesday
  • 10:52

JUGEMテーマ:自作小説

お天気の良い日、青空を眺めながら自転車を漕ぐ。
お店に着くと箕輪さんが「おはよう美樹ちゃん」と言った。
「おはようございます。」
今日は遅番、事務所に入ると時計はお昼前を指していて、その隣にあるカレンダーに目をやった。
あと十日ほどで四月も終わる。
今年はお花見に行けなくてちょっと残念だった。
土日祝日もお店を開けることになったから休みが減っちゃったし、優秀な店長が来たからお客さんも増えて忙しくなった。
桜を見たのは家からお店に向かう途中の土手だけで、お花見をしている人たちが羨ましかった。
でも良いこともあった。
私は今までバイトの掛け持ちをしていたんだけど、もうその必要がなくなったから。
こがねの湯ってところで週一でやってたんだけど、先月いっぱいで退社した。
仕事の掛け持ちってすごく疲れるから、どっちかっていうと稲松文具で出勤日が増えた方が楽だ。
ちなみにどうして仕事を掛け持ちしてたかっていうと、お金がいるからだ。
別に結婚するとかじゃない。
彼氏らしき人はいるけど、まだまだ遊んだりしたいから、もっと先でもいいかなと思ってる。
箕輪さんには『出来るうちにしといた方がいいよ』と釘を刺されちゃったけど。
『若いうちなんてあっという間だから』なんて言う箕輪さんだって、まだまだ若いのに。
私の五つ上だから、まだ27のはずだ。
30を超えると厳しくなるっていうのはよく聞くけど、箕輪さんが言うには20代の後半くらいからちょっとずつ変わってくるらしい。
21とか22の時と比べると、明らかにモテにくくなったって言ってたから。
でもその割にはちゃんと彼氏を作ってるし、あれだけしっかりした人なら結婚したってきっと上手くいくはずだ。
ああ・・・でもどうなんだろう。
男の人ってしっかりし過ぎた女性は敬遠するっていうし、でもベタベタ甘えた女の子は嫌だっていう人もいるし。
人によって好みは違うんだろうけど、私の知る限りじゃ、素の状態を見せた方が男の人は傷つくんじゃないかと思ってる。
エッチなビデオをそのまま信じる人もいるっていうくらいだから、きっと間違いなく女性に幻想を抱いているはずだ。
それを分かってるから、しっかり者に見せたり甘えて見せたりしてるんだけど、それはそれで嫌だっていうなら、なんてワガママなんだろうって時々思う。
じゃあ女はどうすりゃいいのさ!って。
「どうしたの?ボーっとして。」
いつの間にか後ろに箕輪さんがいた。
「男の人ってワガママだなあと思って。」
「なにそれ?」
可笑しそうに笑いながらお弁当を取り出している。
そういえばここ何日かは外へ行っていたのに、またお弁当に戻したみたいだ。
やっぱり冴木さんたちがお店に来ていたからだろう。
一昨日に箕輪さんがすごく怒って、それ以来みんなここには来ていない。
あの時なんで怒ってたのか聞いても全然教えてくれなくて、ちょっともどかしい気分だった。
でも箕輪さんが何も教えてくれないってことは、知らない方がいいってことなんだろう。
だってあのメンツで集まってまともな話をしてるわけがないから。
きっとまた裏でスパイとか乗っ取りとかコソコソやってるんだと思う。
そのせいで私も危ない目に遭ったことがあるから、ちょっとだけトラウマだったりする。
でもやっぱり何をやってたのか気になるけど。
「あの日ってすごい音がしましたよね。鉄砲を撃ったみたいにパアン!って。」
「冴木のバカが爆竹なんて持ち込んでたからね。こんなとこで遊ぶなっての。」
「ほんと子供ですね、冴木さん。」
私はクスっと肩をすくめる。そして壁に空いた穴を振り返った。
けっこう深く空いてるみたいで、本当に鉄砲でも撃ったんじゃないかと疑ってる。まさかとは思うけど。
ロッカーに荷物を置いてから、洗面台の鏡で髪を直す。
「そういえば美樹ちゃんさ・・・、」
「はい?」
髪を結いながら振り返ると、「掛け持ちのバイト辞めたんだってね」と言った。
「そうなんですよ。こっちの出勤日が多くなっちゃったから。その分稼げるしもういいかなって。」
「そっか。で・・・・お金は貯まったの?」
「もうちょっとてところです。」
ニコっと返すと、「でもアンタも物好きよね」と笑われた。
「なんで畑なんか飼うわけ?」
「前にも言ったじゃないですか。あの畑は私の大事な思い出なんです。」
「おじいちゃんとおばあちゃんが大事にしてたから?」
「今でも覚えてるんですよ。夏休みになるとお弁当やお茶を届けに行ったこと。」
子供の頃を思い出す。
まだ幼稚園くらいの頃を。
あの時はおじいちゃんもおばあちゃんも元気で、家の隣にある畑で野菜を作ったりしていた。
お昼どきになると、私はお母さんの作ったお弁当と水筒を持って畑に行くのだ。
そして三人で古い井戸の上に座ってお弁当を食べた。
畑には色んな野菜があって、スイカも育てていた。
だからお弁当と一緒にスイカもよく食べた。
全然冷えてないから温いんだけど、それでもすごく美味しくて、丸々一個食べようとしてお腹を壊したこともある。
今となっては良い思い出だ。
だけどおじいちゃんもおばあちゃんももういない。
先におばあちゃんが亡くなって、その一年後におじいちゃんが亡くなった。
二人とも亡くなる何年か前から足の調子が悪かったから、畑を耕すこともなくなった。
だから草がボーボーに茂って、綺麗に手入れしていた頃の面影はもうどこにもない。
それでも畑を見る度に優しかったおじいちゃんとおばあちゃんを思い出す。
私には兄弟がいないから、親が忙しい時はよく遊んでもらった。
どこかへ連れて行ってもらったこともあるし、どんな悩みでも聞いてくれたし。
欲しいオモチャがある時はこっそりお小遣いもくれた。
あとでお母さんに『こんなのいつ買ったの!』と怒られても、優しく私を庇ってくれた。
だから亡くなった時はすごく悲しくて、しばらく畑を見るのが辛かった。
だけど今は違う。
あの畑は私にとって宝物みたいなもので、二人はまだ井戸の上に座って私を待っているような気がする。
お弁当を届けに行ったらそこにいるんじゃないかって。
だけどその畑が今ピンチなのだ!
お父さんもお母さんもあの畑を無くしてしまうつもりでいる。
なんでも固定資産税というのがかかるらしくて、土地をほったらかしにしとくと余計にお金を払わないといけないんだって言っていた。
それなら畑なんて潰して、誰かに貸した方が得だって。
私は猛反対したけど、じゃあ誰がお金を払うんだって逆に怒られてしまった。
『私が払う!』
思わずそう叫んでいて、次の日から副業を探していた。
家から少し離れた所に「こがねの湯」ってスーパー銭湯があって、週一だけどそこでアルバイトを始めたのだ。
友達と遊びに行くのもちょっとだけ減らし、彼氏らしき人とのデートもちょっとだけ減らし、コツコツお金を貯める毎日が始まった。
親からは期限は二年と言われている。
すでに一年ちょっと経ってしまったけど、この分ならあと少しで目標額まで行きそうだった。
これが都会の土地ならとんでもない金額になるんだろうけど、あいにくここは山と田んぼが多い田舎だから、そう高くはない。
それに家族だからってことでけっこう安くしてもらえたし。
だけど自分の土地になったら、次からは私が税金を払わないといけなくなる。
はっきり言ってそっちの方が大変かもしれない。
だから私はこう考えてる。
あの畑を復活させて、近所の人に使ってもらおうって。
ただの空き地よりも、誰かが使う畑にした方が税金は安くなる。
それに畑の使用料を取ることで、払う税金の足しにも出来るし。
《誰が駐車場になんかさせるもんか!》
ビシっと髪を直して、今日も精一杯働くぞとお店に出る。
出勤してから一時間後、箕輪さんが休憩から戻ってきて、代わりにバイトの子がお昼へ行った。
箕輪さんと二人きりになった私は、もう一度この前のことを尋ねてみた。
「ねえ箕輪さん・・・・、」
「ダメ。」
「まだ何も言ってないのに。」
「冴木たちが何をしようとしてるのか知りたいんでしょ?」
どうやら雰囲気で察知されてしまったみたいだ。
でもへこたれずに「知りたいんです」と迫った。
「また大きな事件が動き出してるんですか?」
「さあね。」
「じゃないとあのメンバーで集まってコソコソ話したりしませんよね?」
「迷惑よねほんとに。私たちの関係ないところでやってほしいわ。」
「やっぱり何かあるんですね?」
「アンタが知らなくてもいいことよ。」
「そうですけど・・・・、」
私は気になっていた。
この前やって来た玉木さんって人が。
進藤君の知り合いらいしけど、彼に聞いても詳しく教えてくれなかった。
『心配しなくても悪い人じゃないっすから。』
そんな言い方をされたら逆に気になってしまう。
でも彼は今日お休みで、誰に質問をすることも出来ない。
モヤモヤした気持ちを抱えながら仕事をこなしていくしなかった。
・・・それから数時間後、早番の箕輪さんが上がる時間がやって来た。
五時を指す時計を見て、「ああ〜終わった」と背伸びをしている。
「今日は比較的ヒマだったわね。」
「ですね。進藤君がいないせいかも。」
「彼目当てのお客さんも多いからね。異動になったら一気にお客さんが減るかも。」
「また赤字店に戻っちゃいますね。だって彼みたいな優秀な人が来るとは思えないから。」
私は頬杖を付きながら、「こんなことなら箕輪さんに店長をやってほしかったなあ」と呟いた。
「進藤君はすごく良い子だけど、すぐに異動するって分かってたし。またしょうもない店長が来るくらいなら、絶対に箕輪さんの方がいいですよ。」
そう言って「でも本人さんが決めたことなら仕方ないけど」と俯いた。
「こういうのは自分が決めることですもんね、もしまたポンコツみたいな店長が来ても、二人でお店を守っていきましょうね!」
拳を握って頷きかける。
すると箕輪さんは「ええっと、そのことなんだけど・・・」と口ごもった。
「実はね・・・、」
「はい。」
「次の店長、もう決まってるのよね。」
「そうなんですか!」
思わず身を乗り出し、「だれだれ!?」と問い詰める。
「進藤君みたいな優秀な人?それとも前の店長みたいにポンコツな人?」
「私。」
「へ?」
「来月から私が店長やるの。」
「・・・・・・・。」
思いもしない答えに固まってしまう。
「あ、いいねその顔。面白い。」
パシャっとスマホで撮っている。
私は呪いから解き放たれたみたいに「箕輪さん!」と叫んでいた。
「なんで!だって断ったんじゃないんですか?」
「そうよ、だから進藤君が来たんじゃない。」
「でもでも!じゃあなんで次は箕輪さんなんですか?昇進なんて一度断ったらもう無理なんじゃ・・・・、」
「誰もやりたがらなかったんだって。」
「へ?」
「この店の店長。」
箕輪さんは頭の後ろで腕を組みながら天井を見上げる。椅子の背もたれがギイっと鳴った。
「実は昨日本社の人事課に行ってきたの。」
「はい・・・。」
「無理だろなとは思ったんだけど、やっぱり店長やらせてもらえませんかって頼んだのよ。そうしたらあっさりOkだった。」
「ウソ!一度断ったのに?」
「ねえ、私もビックリだよ。どうお願いしようかって夜遅くまで考えてたのに。けど理由を聞いて納得した。」
「なになに!?」
ズイっと顔を近づけると、「近いってば」と押し戻された。
「さっきも言ったけど誰もやりたがらないのよ。なんでかっていうと、今までの大きな事件は常にこの店が関わってるから。」
「ああ・・・・たしかに。」
「冴木、私、美樹ちゃん、部長補佐・・・あの頃は課長だったけど。それに他にもこの店に関わりのある人がいた。
そのせいで疫病神が集まる場所だって思われてるみたいでね。敬遠されてんのよ。」
「そっかあ・・・」と納得してしまう。
確かにこの店はいつもトラブルだらけだった。
ここ最近は何も起こらないから安心してたけど、これからはどうだろう?
「冴木さんたちがまた動き出してますもんね。今ここの店長になっちゃったら大変かも。」
「だから私がやるの。だってこのまま新しい店長が来なかったら困るでしょ。」
ギシっと椅子から立ち上がって、「奴らの好きにさせるもんか」と、ちょっと怒った感じで呟いた。
「スパイでも事件でもやりたいならやればいい。ただし私たちの関係ないところでね。」
そう言い残して事務所へ消えていく。
それから一分もしないうちに出てきて、バイトの子に「休憩行ってきなよ」と言った。
店には私と箕輪さん二人だけになって、「はいこれ」と渡された。
「なんですかコレ?」
「スタンガン。」
「スタンガンって・・・あのバチバチってなるやつ?」
「昨日街まで行って買ったのよ。」
「ええ!いらないですよこんなの!」
「でも何があるか分からないじゃない。備えあれば憂いなしって言うでしょ。」
「そうかもしれないけど・・・・。」
「スタッフの人数分買ってあるから。それは美樹ちゃんのやつね。あと予備として事務所に一個置いてるから。ロッカーの横の三番目の棚に。」
「・・・・・・・・・。」
いったいこれからどんな危ない事が起きるっていうんだろう・・・・。
思ってたよりも大事になるかもしれない。
ていうか電気がバチバチする物なんて持ちたくない。
想像してたよりも小さくて持ちやすいけど、だからってこんなの・・・・、
「ここのスイッチを押したら電気が走るから。あとは相手に押し付けるだけ。」
「・・・・・・・。」
「そんな顔しないで。もし強盗とかが入って来た時にも役に立つし。」
ポンポンと頭を撫でてくる。
私はスイッチを入れてバチバチっと鳴らしてみた。
「ちょっと!いきなり点けないでよ!」
「ねえ箕輪さん。」
スタンガン置いて立ち上がる。
背の低い私は見上げるように箕輪さんに向き合った。
「やっぱり危ない事が起きてるんですね?」
「違うわよ、もし万が一の時に備えてって意味だから。」
「じゃあどうして一度断った店長をやるんですか?」
「そ、それは・・・やっぱり給料が上がった方が嬉しいなって思ったから。」
手を組んで可愛らしく微笑む。だけどその顔は明らかに動揺していた。
「このお店がまた危険な事に巻き込まれるんでしょ?それを守る為に店長になったんでしょ?」
「ち、違うわよ!そうならない為にあいつらを追い出したんだから。」
笑顔でそう言うけど、どこか無理してるように見える。
私はスタンガンを手に持って、「こんなのじゃ・・・」と呟いた。
「もしまた大きな事件が起きたら、こんなのじゃどうしょうもないと思います。」
「で、でも・・・何もないよりはマシでしょ?」
「・・・・鉄砲。」
「え?」
「この前のパアン!って音、あれやっぱり鉄砲なんでしょ?」
「だから違うって!あれは冴木のバカが爆竹を・・・・、」
「でも壁に穴が空いてたじゃないですか。」
「あれも冴木のせいよ。事務所の傘を振り回して刺さっちゃったの。いい歳こいてなんとか戦隊のマネしててさ。どんだけ子供なんだって笑うっちゃうよね。」
可笑しそうに言うけど、私は真面目な顔で睨んでいた。
「本当のこと言って下さい。」
「言ってるわよ。」
「目が泳いでますよ?」
「最近寝不足だったから・・・・、」
「今月で一人バイトが辞めるけど、どうしてか知ってますか?」
「どうしてって・・・・就職の為でしょ?どっかの会社に決まったっていうから・・・、」
「違います。怖がってたんです。」
「怖い?」
「そうです。冴木さんが戻って来てから、偉い人たちが集まってコソコソ話してましたよね。
あれを見て怖がってたんです。だってウチの会社は二回も大きな事件があったから。バイトの子たちも噂で知ってたんですよ。」
「だからってここで何か起きるわけじゃないんだから。別に怖がる必要なんて・・・・、」
「私が言ったんです。また大きな事件が起きるかもしれないって。その時にこのお店も巻き込まれるかもって。」
箕輪さんの顔から笑顔が消える。
見る見るうちに曇っていって、「アンタが・・・?」と言った。
「なんでそんな脅すようなことを・・・・、」
「だってもし何かあったら私たちだけで守れないから。」
「そ、そんなことないわよ!冴木たちはもう追い出したんだし、私だって店長になるんだし・・・・、」
「戻って来ますよ。」
「え?」
「冴木さんはまた絶対にここへ戻って来ます。」
「・・・なんで言い切れるのよ?」
不安そうにそっぽを向く。
私は知っている。箕輪さんはすごく怖がってることを。
気が強そうに見えるけど、ほんとは私よりも繊細な人なのだ。
だったらこのままじゃいけない。
私たちだけじゃ・・・・。
「ここは冴木さんの畑なんです。」
「畑?」
何を言ってるんだみたいな目で振り向く。
「私と一緒ですよ。大事な場所があって、それを守りたいんです。」
「まさか。あいつは社長にまでなったのよ。こんなちっぽけな店が大事なわけないじゃない。」
「そんなことないです。だって冴木さんは半年も離れていたのに、最初に戻って来たのはここだから。」
「伊礼さんか部長補佐に呼ばれたんでしょ。自分から来たわけないじゃない。」
「でもでも!今までだってずっと私たちを守ってくれたじゃないですか。
私が悪い人に捕まった時だって助けに来てくれた。箕輪さんだってそうでしょ?悪い人に監禁されてた時に冴木さんが来てくれたんでしょ?」
「・・・・そうよ。でも元はといえばアイツが悪いのよ。アイツがスパイなんてしてたから私たちまで・・・・、」
「私は逆だと思う。冴木さんがいたから助かったんだって。」
「・・・・・・・・。」
「箕輪さんだって分かってるはずでしょ?冴木さんはいつだって周りのことが一番なんです。
社長になったのだってそう。みんなが安心して働ける職場にしたいからって。
だから私たちだって応援したんじゃないですか。」
「でも最後は悪い事して追い出されたじゃない。」
眉間に皺を寄せて、イライラした顔で言い返してくる。
でも今日の私は怯んだりしない。
だって私たちだけじゃ無理なんだ。
きっともう大きな事件が動き出していて、その危険から身を守るには私たちだけじゃ・・・・。
「私は冴木さんを信じます。」
「やめときなって。あんなポンコツなんか。」
「不正の件だって絶対に何か理由があるんですよ。そうじゃなきゃあの冴木さんが悪い事するなんて考えられない。」
「偉くなって変わったのよ。人間なんてそんなもんよ。」
「普通の人ならそうかもしれません。だけど冴木さんは普通じゃない。箕輪さんも・・・・ううん、箕輪さんの方がよく知ってるはずです。」
この人は私よりも冴木さんと付き合いが長い。
だからきっとショックを受けてるんだ。
私よりも冴木さんのことを信じていたのに、不正なんてしてたから。
だけどそれでも私は信じたい。
ここは私の第二の畑みたいなもので、いつの間にかすごく大事な居場所になってしまったから。
「教えて下さい。今なにが起きてるんですか?」
スタンガンを握り締めたまま詰め寄る。
こんなの買ってくるなんて絶対に普通じゃない。
だったら隠し事をされた方が不安になるっていうもので、私はともかくバイトの子はもうすでに・・・・、
「あの・・・・、」
事務所のドアから顔だけ出している。
こっそりと様子を伺っていたんだろう。
「あの・・・・今日体調が悪いんで早退していいですか?」
箕輪さんはキっと睨んで、「あと二時間くらいなんだから我慢しな」と言った。
「アンタが帰ったら美樹ちゃん一人になっちゃ・・・・、」
「いいよ帰っても。」
そう言うと慌てて帰り支度をしていた。
そしてお疲れ様も言わずにお店を飛び出していく。
「あ、ちょっと・・・・、」
「いいんです。帰してあげましょ。」
追いかけようとする箕輪さんを引き止めながら、スクーターに乗ろうとしているバイト君に手を振る。
「おつかれさま。」
ニコっと手を振ると、それも無視してあっという間に遠くへ消えてしまった。
箕輪さんは呆然とした目でそれを見ている。
私は心の中で呟いた。明日からもう来ないだろうなって。
進藤君が異動しちゃったら、この店は私と箕輪さん二人だけになってしまう。
そうなったら人手が足りないわけで、だったらやっぱり冴木さんに戻って来てもらうしかない。
「冴木さんはきっと戻って来ます。だから一緒にこのお店を守りましょ。だってここは箕輪さんにとっての畑でもあるんだから。」
ツンツンと袖を引っ張るけど、立ち尽くしたまま振り向こうとしない。
二人並んだまま、陽が落ちていく空を見つめていた。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第八話 私の居場所(2)

  • 2018.08.20 Monday
  • 11:00

JUGEMテーマ:自作小説

「この馬鹿野郎!!」
事務所に凄まじい怒鳴り声が響く。
伊礼さんだ。
バシン!とテーブルを叩きつけ、まるで人でも刺しそうな目をしながら怒っていた。
「こんな場所でこんなモンを取り出す奴があるか!」
テーブルには拳銃が置かれていて、その隣には弾丸の入ったやつ、ええっと・・・・マガジンだっけ?それも並んでいた。
危ないからってことで、伊礼さんが銃から抜き出したのだ。
「もし当たってたらえらいことだぞ!」
「す、すいません!」
「謝ってすむか!」
「だっていきなり箕輪さんが入ってくるから・・・・、」
「言い訳無用!だいたいなんで俺たちのことを喋っちまうんだ!下手に教えたら危険に巻き込むだけだろうが!」
「つい口が滑って・・・・・、」
「だったらその口縫っとけ!」
あまりの剣幕に冴木はビビリっぱなしだ。
私もちょっと肩を丸くする。
「だいたいお前はいつも隙が多いんだ。社長まで務めた人間なんだからもうちょっと緊張感をもってだな・・・・、」
そこへ北川部長補佐が「まあまあ」と止めに入った。
「少し落ち着いて。」
「これが落ち着いてられますか!」
「冴木君も反省してるはずですから。」
「して当然です。こいつはオモチャじゃないってのに・・・・。」
眉間に皺を寄せながら拳銃を睨んでいる。
20分前くらいのこと、私は危うく撃たれそうになった。
幸い弾は外れたけど、壁には穴が空いている。
あとちょっとズレていたら私の頭があんな風になっていただろう。
そう思うと寒気がしてきた。
やっぱりコイツは疫病神なんだろうか。
シュンと萎れているその姿を見ていると、半年前まで社長だったとは思えないほど情けない。
「すいません箕輪さん・・・・。決して撃つつもりじゃなくて・・・・、」
「分かってるわよ。それよりアンタ本当にスパイに戻っていいの?今まで危険な目に遭ってきたのに。」
「それはそうなんですけど、これが上手くいけば稲松文具に戻してもらえるから・・・・。」
「それだけの理由でやるわけ?」
「俺にとっては大事なことです。またここで働きたいんですよ。前はあんな事になっちゃったけど、次は心を入れ替えて働きます。」
「あの不正ってアンタだけが悪いわけじゃなかったんでしょ?さっきそう話してくれたよね。」
「でも賄賂に応じたのは俺だから。言い訳は出来ません。」
そう答える時だけギュっと表情を引き締めていた。
《なんだ・・・やっぱりこいつは冴木のままなんだ。》
ホッとして笑みがこぼれてしまう。
いつも周りに利用されて、面倒事を押し付けられて、最後には自分一人で抱え込んでしまうのだ。
みんなに迷惑をかけまいと。
今でもそれは変わっていないみたいで、じょうじき嬉しかった。
偉くなって変わってしまったのかなとショックだったけど、冴木は冴木のままで、だからこそ悪い奴らに騙されてしまったのだ。
「ねえ冴木。スパイなんてしなくたって戻って来られるかもよ。」
「へ?」
「実は今月で一人バイトが辞めるのよ。あんた応募してみない?」
「いや、無理でしょそれは。不正をした奴なんか雇ってもらえませんよ。」
「じゃあ本当にスパイに戻ってもいいの?そんなモンまで持ってさ。」
テーブルの拳銃を睨む。
これは護身用としてある人から渡されたと言っていた。
「身を守るのに拳銃が必要なんて・・・・どんだけ危険な仕事なのよ。絶対にやめた方がいいって。」
「分かってます。分かってますけど・・・・、」
「バイトの採用は店長に権限があるのよ。私から進藤君にお願いしてみる。冴木を雇ってあげてほしいって。」
「でも上の人が許しませんよ。」
「じゃあ許してもらえばいいじゃない。今ここで。」
私は伊礼さんに向き直り、「お願いします」と頭を下げた。
「バイトでいいんで冴木を戻してやって下さい。」
そう頼むと、「こりゃまた・・・」と驚いていた。
「このままじゃコイツが可哀想です。なんとかしてあげて下さい。」
「気持ちは分かるがそう簡単にはな。」
「なんでですか?ただのバイトですよ?」
「バイトだろうと立派な従業員だ。それにいつか正社員にならんと生活もままならんだろう。でもそれは難しいぞ。」
「だけど伊礼さんは冴木を戻してあげるつもりだったんでしょ?だったら無理なことはないと思いますけど。」
「あの不正行為の真実を掴めばチャンスはあるだろうさ。カグラはまともな会社じゃないことは分かってる。
向こうにも大きな責任があると証明できれば、冴木の罪は軽くなるだろう。
コイツをきちんと戻してやるには、しばらくスパイとして活動してもらわないといけないんだ。」
「だけど・・・・、」
「ずっとバイトのまんまでいいってんなら俺の権限で可能かもしれない。けどコイツは納得しないぞ。なあ冴木?」
ドンと肘を突かれて、「はい」と頷いていた。
「俺、まだまだこの会社でやりたい事があるんです。もっともっとみんなが働きやすい職場にしたい。
課長や箕輪さんみたいに、周りのことを考えながらも、自分なりに一生懸命頑張ってる人が活躍できる会社にしたいんです。
ほんとなら社長でいる時にやるつもりだったんだけど、なかなかそこまで行けなくて。」
悔しそうにしながら「もっと」と呟く。
「もっと色々出来たはずなんです。一つだけ悔いがあるとしたら、俺を信じてくれた人たちを裏切ってしまったことです。
それを取り戻すには絶対にここへ戻ってこないとダメなんです。そして次は自分の力で上に登っていく。
その時に初めてやりたい事が出来るような気がするから。」
普段はボンクラのクセに、こういう時だけ男らしい顔をするのも以前のままだ。
何がなんでも自分の信念を通そうとする。
死ぬかもしれないほど危険な目に遭ったって、絶対にへこたれない強さを持っている。
きっとこういう部分にみんな惹かれるんだろう。
私も美樹ちゃんも・・・ていうかコイツに関わった人はみんな。
《なによ・・・せっかくアンタのことを思って頼んであげてんのに。》
以前の私なら感情的になって「冴木のクセに!」と怒鳴っていただろう。
けど今は違う。
コイツは私なんかよりずっと逞しいと知ったから。
大きな事件が起こる度に、自分が真っ先に立ってみんなを守ろうとしていたから。
コイツはもう私の助けなんて必要ないのだ。
かつてこの店にいた時、私がフォローしないと発注やレジすらまともに出来なかった。
でも私が思っていたよりずっと器の大きな奴で、その気になればなんでも一人でやってのけてしまうかもしれない。
心のどこかでそれを寂しいと感じていることに、少しだけ苛立ちを感じた。
私はコイツの彼女でもなければ母親でもない。
伊礼さんに頭を下げて親身になっていることに、怒りを通り越して笑いが出てきてしまった。
「あ、あの・・・どうしたんですか?」
クスクス笑う私を不思議そうに見つめている。
でも誰が答えてやるもんか。そうやってずっと不思議がってればいいんだ。
もうここはアンタのいる場所じゃない。
とうの昔に飛び立って、こんな場所じゃ収まらないほど大きくなっている。
それに気づかずにノコノコ戻って来るなんて、笑うに決まってるじゃないか。
無言で立ち上がり、事務所から出て行こうとした。
案の定、冴木は「待って下さい!」と追いかけて来た。
「すいません、箕輪さんが怒るのは当然です。でも俺はこの会社に戻らなきゃいけないんです。例えスパイなんて危険な仕事をしてでも。」
また男らしい顔をしやがる。
普段はボンクラのくせに、こういうギャップがあるから無自覚に人を惹きつけるのだ。
「アンタのせいで乱れた。美容院代払ってよ。」
弾丸が掠めた髪をチョキチョキすると、「もちろんです!」と頷いた。
「じゃあ私は仕事があるから。」
「あ、箕輪さん・・・・、」
なにか言いかけるのを無視してバタンとドアを閉じる。
優秀な店長のおかげで今日も忙しくて、仕事のやりがいを感じられるって幸せだなあと思う。
美樹ちゃんがパタパタ走ってきて、「あっちのお客様に接客いってもらえますか?」と言った。
「うん、すぐ行く。」
書道を始めたいというお客さんに、初心者ならこの筆がオススメですよと営業スマイルを振りまく。
だったらこれ頂戴と言われ、ありがとうございますと極上の笑顔で包装した。
一人、また一人と商品をススメて、絶えることのないお客さんの波に忙しさと充実感を覚える。
・・・・私はこれでいい。
いつものようにここへ来て、せっせと仕事をこなして、暇な時は美樹ちゃんとお喋りして、休日にはちょっと前に出来た彼氏と遊びに行く。
こんな日常が続いてくれるなら、他には何もいらない。
一番怖いのは今の生活が壊れてしまうことだ。
過去にあった大きな事件の時、この日常が崩れかけた。
誰かに平穏を取り上げられるなんて、こんな不幸なことはない。
だから二度とあんな思いはゴメンだ。
ボンクラの冴木は危険な目に遭ってもへこたれないけど、私は違う。
自分が思っていたよりもずっと弱くて、自分が思っていたよりも毎日は幸せなものだと気づいたから。
だから冴木、やっぱりここはアンタの戻って来る場所じゃない。
アンタに悪気がなくても、いつかまた周りを危険に巻き込むだろうから。
ハリマ販売所は変わり者が集まる場所であって、優秀な者が腰を下ろす場所ではないのだ。
アンタはただの変わり者じゃない。
私たちじゃ絶対に手の届かない所まで行ける、大きな器を持った人間だ。
それは今目の前でレジを打っている進藤君も同じだろう。
実は今日の朝礼で大事な報告があった。
『この前本社の人から連絡があって、出世することになっちゃいました。てことでこの店にいるのは今月いっぱいっす。
たった5ヶ月の短い間だったけど、クソお世話になりました!』
某有名漫画の戦うコックさんの真似をしながらそう言った。
予想はしていたけどけっこう早かった。
となるとまたどうしようもない店長が来るなあとか考えたり、日常の心配事は尽きない。
だけどそれでも誰かが誘拐されるとか、人が刺されるとかよりは遥かにマシだ。
こうして毎日普通に働いて、休日には遊びに行って、それ以上望むものなんて何もない。
だからどうかお願いだから、この店に災いが来ませんように!
事務所でコソコソ話している連中・・・・どっか他でやってほしい。
どうしていつもここに集まるんだろう?
冴木、伊礼さん、部長補佐、みんな嫌いじゃないけど、災いを運んでくるのであれば、ここへは来ないでほしいというのが本音だ。
そんなことを考えながら商品を補充していると、「すみません」と声を掛けられた。
振り向くと髪の長い女が立っていて、「どうも」と会釈してきた。
「わたくし玉木と申します。今日は冴木晴香さんはお見えでしょうか?」
小首を傾げながら、女の私から見ても色っぽいと思うほどの雰囲気を醸し出している。
「事務所におりますが・・・・なにか御用でしょうか?」
「お話したいことがあるんです。中へ入ってもよろしいでしょうか?」
「ええっと・・・事務所は関係者以外は立ち入り禁止なので・・・・、」
「いいよ。」
横から進藤君の声が飛んでくる。
「みんな揃ってる。」
「そう。ならお邪魔しますね。」
ニコっと微笑みを残し、事務所へ消えていく。
「・・・・・・・・。」
なんだろう・・・不穏な空気を感じる。
ゴクリと息を飲みながら立ち尽くしていると、美樹ちゃんが「誰ですかさっきの人?」と寄ってきた。
「すごい綺麗な人でしたけど・・・箕輪さんの知り合いですか?」
「ううん、冴木に用があるみたい。」
「あんな美人が冴木さんに!?」
超常現象でも目撃したみたいに驚いている。
「まさか社長時代の秘書とか?」
「さあね、あんまり関わらない方がいいよ。」
「でも気になるじゃないですか。ちょっとお客様も引いてきたし、何話してるのか聴いてこよ。」
「あ、やめなって!」
私の忠告も無視して、ドアに耳を張り付けている。
すると進藤君もやって来て「あの人俺の知り合いなんすよ」と言った。
「危ない人じゃないんで平気っすよ。」
「・・・・私にはそう思えない。」
「嫌いっすか?ああいう人。」
「そうじゃなくてさ、なんか不穏な気配を感じるんだよね。また良くない事が起きそうな気がして。」
「そういやこの会社って何度か事件があったんすよね?」
「うん。どっちも嫌な事件だった。こっちは普通に暮らしてるだけなのに、縛って監禁されたりとかしてさ。」
「それ怖いっすね。大丈夫だったんすか?」
「まあね、冴木が助けてくれたから。」
「へえ、あのオジサンけっこう男気あるんすね。」
感心した様子で頷いている。
確かに普段のアイツからは想像出来ないだろう。
なんたってアホ丸出しなんだから。
「あ、もうじきお昼っすね。先休憩行ってきていいっすよ。」
「じゃあお先に頂きます。」
事務所へ入りたくないので、このまま外へ食べに行こうとした。
けど今日に限って財布もスマホも事務所に置いていることを思い出して、「ああもう!」と舌打ちをした。
さすがに無一文で外をウロウロするのは嫌だ。
仕方ないなあとため息をつきながら事務所へ向かう。
「美樹ちゃん。」
「うわ!」
よっぽど盗み聞きに集中していたんだろう。
声を掛けただけで飛び上がっていた。
「驚きすぎよ。」
「やっぱり箕輪さんも気になるんですね!」
「違うわよ、お昼に行くから財布を取りに来ただけ。」
そう言ってドアを開けようとすると、「待った!」と止められた。
「なによ?」
「今いい所なんです。」
「いい所?」
「なんかすごく真剣な雰囲気なんです。きっと外にバレたらまずい秘密の話をしてるんですよ。」
美樹ちゃんはドアに耳を張り付けてみろとジェスチャーする。
「盗み聞きとか嫌なんだけど。」
「いいからいいから。」
背中を押されて強引に押し付けられる。
《なんなのよもう。》
こっちは面倒事に関わりたくないのに。
下手になんか聴いてしまったら気になるだけだ。
「・・・・・・・・。」
ボソボソっと話し声が聞こえる。
雰囲気からして楽しい会話ではなさそうだ。
「やっぱり私こういうのはちょっと・・・・、」
そう言って耳を離そうとすると、ふと気になる単語が聞こえた。
《その銃で撃って下さい・・・・。》
ボソっとそう言ったのが聞こえた。
今の声は・・・・さっきの玉木さんって人の声だ。
《撃つってなに・・・・?》
一気に緊張が増してくる。
冴木は拳銃を持っていて、それで誰かを撃つってことなんだろうか?
「箕輪さん耳くっ付けすぎ。」
美樹ちゃんが笑うけど、私は「し!」と黙らせた。
《・・・そうです・・・その拳銃で撃って下さい・・・。心配しなくても捕まったりしません・・・。私が保証しますから・・・・。》
《でも・・・・、》
《その銃を渡す時に説明したはずです・・・・。》
困る冴木を玉木さんが説得しているようだ。
私は冴木から聞いた話を思い出す。
あの拳銃は護身用として「ある人」から渡されたものだと。
じゃあその「ある人」っていうのは玉木さんのことなんだろうか?
《私のことは気にしないで下さい。ちゃんと防弾チョッキを身に着けますから。》
《だけどもし狙いが逸れて頭に当たったりしたら・・・・、》
《撃つのは近距離からです。まず外しません。その為にちゃんと射撃の練習もしているでしょう?》
なんか恐ろしいことを言っている。
あの銃は護身用のはずなのに、まさか玉木さんを撃つつもりなんだろうか?
《最悪は頭に当たっても平気です。》
《いやいや、それは死ぬでしょ。》
《こう見えても石頭ですから。》
《そういう問題じゃないと思うけど・・・・、》
撃てという玉木さんと迷う冴木。
二人の押し問答を聞いていると、もう我慢出来なくなった。
ガチャっとドアを開けて事務所に乗り込む。
美樹ちゃんが「ちょっと!」と止めたけど、その手を振り払った。
「アンタは向こうに行ってなさい。」
「なんで!私も気になりますよ!」
「いいから!!」
思いっきり怒鳴ると、ビクっと怯えて「箕輪さん怖い・・・」と後ずさった。
「勤務中でしょ。仕事に戻る。」
「はい・・・・。」
彼女が戻っていくのを見届けると、内側から鍵を掛けた。
いきなり飛び込んできた私にみんなが目を丸くしている。
玉木さんだけを除いて。
「・・・・・・・・・。」
無言で冴木を睨みつける。
その手には拳銃を握っていて、私は強引にそいつを取り上げた。
「あ、ちょっと・・・・、」
冴木は手を伸ばしてくるが、「るっさい!」と叩き落とした。
「あんたらねえ・・・いい加減にしろよ!!」
ナイフみたいに尖った声が出る。
こんなヒステリックな声を出したのは久しぶりだ。
だけどすぐに感情は沈んでいった。
なぜなら手にした拳銃はずしりと重くて、昔に触ったことのある兄のモデルガンとはまったく違った感触だからだ。
これはオモチャなんかじゃなくて、実際に人を殺せる道具なんだと、手を通して伝わってくる。
「なんでいつもウチでやるのよ。」
ここにいる全員を睨む。
「いつもいつも人の店で危ない話ばかりして・・・・そんなに危険なことが好きなら他所でやれよ!」
また尖った声が出る。
冴木が「箕輪さん」と立ち上がって手を向けてきた。
「それ危ないですから。」
「分かってる!私だってこんなモン持ちたくないわよ!」
「じゃあなんで・・・・、」
「怖いからに決まってんでしょ!今までの事件の時だってどれだけ怖かったか!もう絶対にあんな思いは嫌なの!」
「箕輪さん・・・・。」
「あんたらが何やろうと自由よ!でもこっちに迷惑掛けんなよ!なんでアンタらのせいでビクビク怯えなきゃいけないわけ!
こっちはただ普通に暮らしたいだけなのに!毎日ここに来て仕事して、休みには遊びに行ったりしたいだけなのにさ!
アンタらがここで集まって何かしてると、それがいつブチ壊しになるかって、怖くて怖くて堪らないのよ!!」
この拳銃を今すぐどこかに捨ててやりたい。
でも怖くてどうしていいのか分からなくて、持ち上げたまま強張る。
すると横から手を伸びてきて、サッと拳銃を奪われた。
「怖がらせてごめんなさい。」
玉木さんだった。
拳銃をバッグにしまい、「場所を変えましょ」と出て行く。
伊礼さんはバツが悪そうに咳払いし、そそくさと私の脇を通り過ぎる。
部長補佐は「箕輪さん」と呼びかけてきた。
「ごめんね。このお店の人たちの気持ちも考えずに・・・・、」
「出てって下さい。」
私の尊敬する人ではあるけど、今は顔を見る気になれない。
部長補佐は小さく会釈して去って行った。
そして・・・・冴木は傍へやって来てこう言った。
「もう絶対に危ない目に巻き込んだりしません。もし何かあっても必ず俺が守りますから。」
この言葉が嘘じゃないことは知っている。
私も美樹ちゃんも危ないところをコイツに助けられたことがあるから。
でも今は何も言い返せない。
無言のまま立ち尽くしていると、「じゃあ・・・」と出て行った。
入れ替わりに美樹ちゃんが入ってきて、「何があったんですか?」と目を丸くした。
「事務所から怒鳴り声がしてましたけど・・・・冴木さんまた何かやらかしたんですか?」
「いつものことよ、アイツがやらかすなんて。」
「そうですね、だって冴木さんですもん。」
こういう時、美樹ちゃんのあっけらかんとした性格が羨ましい。
私は財布とスマホを掴み、逃げるように店を駆け出した。
少し離れてから振り返ると、いつもと変わらない様子で佇んでいて、平和な日常がそこにあることを実感する。
「絶対に守らないと。」
平穏な日常、大好きな居場所。
これを誰かにブチ壊されるなんて許せない。
もう怯えて過ごすのはやめにしよう。
危険を遠ざけるには逃げてばかりじゃダメで、正面から向き合わないといけない。
「私が店長になれば少しは変わるかも。」
お店を、美樹ちゃんを、スタッフを守るには私が上に立つしかない。
明日、朝一番で本社の人事課へ向かうことにした。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第七話 私の居場所(1)

  • 2018.08.19 Sunday
  • 13:10

JUGEMテーマ:自作小説

『箕輪凛 12月1日より店長を命ずる』
机の引き出しの中、捨てるに捨てられない紙がある。
私をハリマ販売所の店長に任命する通知書だ。
これを受け取ったのは今から五ヶ月前のこと。
冴木が不正を犯し、会社を去ってから一ヶ月後くらいである。
会社のトップが不正を犯したことで、我が稲松文具は大きな混乱にみまわれた。
上の人たちは詳しいことを教えてくれなかったけど、それはいつものこと。
なにか事件が起きる度に箝口令が敷かれるので、現場の社員はただ想像するしかない。
いったい何があったんだろうって。
冴木がこの店にいた頃、まあバカでマヌケで無能でおっちょこちょいで、よくクビにならなもんだと感動すら覚えていたものだ。
だけど社長になると決めて選挙に出た時、こいつに期待してみようかと思った。
どうしようもないボンクラではあるけど、何かを期待してみたくなる素質があったのも事実だから。
そしてあいつは社長になった。
その間、この会社は実に働きやすい職場になった。
ウチは完全実力主義を謳っていて、成果と実力以外は評価の対象にならない。
例えば学歴だとかコネだとか、そういうものでさえ出世とは一切無関係なのだ。
求められるのは結果だけであり、それが行き過ぎて「結果さえ出すなら悪いことしてもいいじゃん」的な輩が上に立つこともあった。
そうなると現場の社員はとにかく息苦しくなる。
時には利用されたり傷つけられたりと、「結果さえ出してりゃ何やっても許されるんかい!」って、会社の看板を蹴っ飛ばしたくなることもあった。
だけど冴木が社長になってからそれは変わった。
アイツは本当に現場のことを大切にしてくれて、みんなが働きやすい環境を実現してくれた。
なんと出世項目に人格まで加えたのである。
そのおかげで周りを思いやる人が上に立つ環境に変わったのだ。
いったいどういう物差しで人格を評価していたのかは分からない。
「下手すると差別になりかねないんじゃ?」って思ったこともあるけど、アイツが社長の頃は一切そういう不満は出なかった。
冴木はみんなから信頼されていた。
よくぞ社長になってくれたと、社長の歌まで作る社員がいたとも聞く。
だからこそショックだった。
あの冴木が不正を犯すだなんて・・・・・。
みんなの信頼は一転して嫌悪に変わった。
やっぱり偉くなると人は変わるもんだなと、あちこちで陰口が絶えなかった。
用事があって本社へ行った時など、冴木の悪口を聴こえないようにするのが難しいほどだった。
みんなから信用されていた冴木でさえ悪さをする。
不正の一件があって以来、上の人たちは大幅な人事の見直しを行った。
もう二度とこんな事件を起こさない為に。
不届き者の洗い出しは、辺鄙なこの店にまで及んだ。
かつてここには楠というオジサン店長がいたのだが、まあ仕事の出来ない人だった。
おまけに極度の怖がりということもあって、客からのクレームを恐れてか事務所に篭っていることも多かった。
そのクセ態度だけは一人前で、コイツが店長じゃいつか店が潰れるんじゃないかと心配だった。
だけどそのポンコツ店長はもういない。
草刈というおっかない重役がこの店にもやって来て、左遷を突きつけていったからだ。
『仕事は出来ない、やろうともしない。おまけに細かいルール違反が山積みになってる。・・・・何しにここへ来てんだお前?』
蛇みたいな鋭い眼光で睨まれて、カエルみたいに竦み上がっていた。
次の日には正式に辞令が出され、今は配送センターの倉庫でバイトの学生たちと一緒に商品の箱詰めをしているはずだ。
使えない店長がいなくなってくれたことは喜ばしいんだけど、一つ問題もあった。
なんとこの店に店長が不在になってしまったのだ。
いくら仕事が出来なかろうが、店長がいなければ責任の所在が明確ではなくなってしまう。
大きなクレームでも入った場合、いったい誰が対応すればいいのか分からないし、上からの命令だって誰が受け取ればいいのかも分からない。
そんな宙ぶらりんな状態が一ヶ月近くも続いた。
『いつになったら新しい店長が来てくれるんでしょうね。』
美樹ちゃんも不安そうに漏らしていた。
そして11月の下旬頃、一通の封筒が届いた。
辞令に関するものだ。
名前は私宛になっていた。
『美樹ちゃん。私もとうとう異動がかかるみたい。』
『ええ〜!嫌ですよ箕輪さんがいなくなるなんて!』
『そりゃ私だってこの店が好きだけどさ、ずっとってわけにはいかないわよ。いつかこういう日が来ると思ってたわ。』
『じゃあ私もついて行きます!』
『子供じゃないんだから・・・・。』
正社員になったのにこういう部分は相変わらずだなと、可愛いような心配なような気持ちになる。
『どれどれ、どこへ飛ばされるんだろう。』
チョキチョキと封を切り、綺麗に折りたたんである真っ白な紙を取り出す。
美樹ちゃんが腕にくっつきながら、ゴクリと息を飲んでいた。
この子、私が異動したら辞めたりしないだろうなと不安になりながら、恐る恐る通知書を拝読した。
『・・・・・・・・・。』
『どこ!どこって書いてあります!?』
『・・・・・・・・・。』
『遠いところ?それとも近く?』
文面を見るのが怖いのか、背中に張り付いて顔を出そうとしない。
『ねえ!箕輪さんってば!』
振り返ると不安いっぱいの目をしながら、グっと口元を噛んでいた。
『ここ。』
『へ?』
『このお店。』
『ここって・・・・ハリマ販売所?』
『うん。』
『でもそれだったらなんで辞令なんか・・・・。』
『変わるのはお店じゃない。肩書き。』
ビシっと通知書を向けると、ビクビクしながら覗き込んでいた。
『箕輪凛・・・・12月1日より・・・・・店長を命ずる!』
ガバっと紙を奪い取って、『店長!』と叫んだ。
『すごいじゃないですか!出世ですよ出世!』
『そうだね。』
『基本給だって上がるし、それに店長手当も付くんでしょ!?』
『そうよ。』
『おめでとう箕輪さん!』
通知書を抱きしめながらピョンピョン飛び跳ねている。
『箕輪さんがこのお店の店長だなんて最高じゃないですか!今まで頑張ってきた甲斐がありましたね!』
美樹ちゃんは自分のことのように喜んでいる。
だけど私は浮かない顔で外を睨んでいた。
『どうしたんですか?』
『んん〜・・・ちょっとね。』
『嬉しくないんですか?店長になれるのに。』
『・・・・そうね、嬉しくないかも。』
『なんで!?』
『上と下の板挟みなんてゴメンだから。』
『そんな・・・・。上の人はともかく、下の人はみんな箕輪さんについて行きますよ!私だってバイトの子だって。』
『そう言ってくれて嬉しいんだけど、どうもね・・・・乗り気になれないっていうか。』
『だからどうして!?』
納得いかない顔で詰め寄る美樹ちゃんに背中を向け、自分のデスクに腰掛ける。
『なんかさ、気が抜けちゃって。』
『気が抜ける?』
『冴木のことがあったから。』
『ああ・・・・・。』
美樹ちゃんも隣に腰掛けながら、憂うようなため息をついた。
『あの人・・・なんで不正なんてしちゃったんでしょうね。』
『さあ?偉くなって変わったんじゃない。』
『でもあの冴木さんですよ!賄賂を受け取ってたって噂だけど、そんな知恵の回る人なのかなって・・・・。』
けっこう酷いことを言う。
顔は可愛いクセに、私より毒を吐く時があるから面白い。
『周りからチヤホヤされて、どこかおかしくなっちゃったんですかね?』
『チヤホヤされて出来るほど甘いもんじゃないでしょ、社長なんて。同族経営の小さな会社とかなら知らないけどさ。』
『じゃあなんで・・・・。』
ショックを受けているのは美樹ちゃんも同じようで、毒を吐きながらも辛そうな顔をしていた。
私は窓の外に目を向けながら、客のいない静かな店内に耳鳴りさえ感じそうだった。
『偉くなるってなんなんだろうね?』
ふと口をついて出た言葉に、なんて青臭いことを言ってるんだろうと恥ずかしくなる。
だけどこれが今一番の悩みだった。
『私の知ってる冴木はさ、少なくとも悪さをするような奴じゃなかった。
役立たずでボンクラで、あまりの無能っぷりにイライラすることもしょっちゅうだったけど、どこか憎めない奴でもあった。
誰かを守る為なら、自分が傷つくことさえ厭わなかったのに。』
『箕輪さん・・・・。』
『私はアイツを信じてた。社長になって、必ずこの会社を良くしてくれるって。その期待通り、みんなが働きやすい会社に変えてくれた。
やっぱりコイツはただのボンクラじゃなかったんだって感心したのに。』
今まで抑えていた愚痴や不満が溢れ出す。
もしも冴木のことをどうでもいい奴だと思っているなら、ここまでショックを受けることはなかっただろう。
だけどそうじゃない。アイツには人から信頼を勝ち取る魅力があった。
だからこそショックなのだ。私も美樹ちゃんも。
『選挙の時みんなで応援してさ、アイツの演説聴いて感動して、この店の全員で投票してさ。社長に決まった時どれほど嬉しかったか。』
『酷いですよね・・・・。みんなの信頼を裏切るなんて。』
『私はこの会社が好きだった。アイツが社長になってからもっと好きになった。でも今は・・・・・。』
美樹ちゃんから通知書を取り、複雑な思いで見つめる。
《冴木のバカ野郎!アンタが悪さなんてしなけりゃ迷わず拝命したのに。》
こんなことなら、あの時応援なんてするんじゃなかった。
役立たずでボンクラのままで、ずっとこの店にいればよかったのだ。
そうすれば悪いことなんて考える暇もないほど、私がコキ使ってやったのに。
だけど過ぎたことはどうにもならなくて、悩むだけ損というものだ。
『やっぱり無理だわ。辞退する。』
『ええええええ!』
美樹ちゃんの悲鳴が響いて、狭い店の中にこだまする。
『辞退って・・・・拒否するってことですよね?』
『そうね。』
『辞令を拒否なんてしたらクビになっちゃいますよ!そんなの絶対にダメです!』
私の手から通知書を奪い、『だったら私がやります!』と叫んだ。
『冴木さんがあんな事になって、その上箕輪さんまでいなくなるんだったら・・・・私が店長をやります!』
冗談ではなく本気で言っているようで、思わず『ぶ!』と笑ってしまった。
『何がおかしいんですか!私は嘘で言ってるわけじゃないですよ。』
『ごめん、そういう意味じゃなくてさ。』
ポンポンと頭を撫でて、『平気だよ』と言った。
『この会社は出世を目指して頑張ってる人ばかりだからさ。昇進を拒否したって他の誰かが手を挙げるだけだから。クビになんかなんないよ。』
『ホントですか・・・・?』
『店舗移動とかだったらなるかもしんないけど、昇進を蹴ったところで誰も困らないもん。』
不安そうにする美樹ちゃんに『平気平気』と宥めつつ、内心では《大丈夫かな・・・・・》と強張っていた。
その日、家に帰ってから死ぬほど悩んだ。
やっぱり拒否はまずいんじゃないか?
グチグチ言ってないで拝命した方がいいんじゃないか?
夜遅くまで悩んで、次の日には眠たい目をこすりながら仕事をするは羽目になってしまった。
そしてその日の夜も悩みに悩み、翌日の朝一番に本社の人事課へと出向いた。
ウチの店から近いのでこういう時は助かる。
けどその分本社の人が来てあれこれ言われることも多いけど。
『お忙しいところをすみません。少しお話があるんですが・・・・、』
昇進を辞退したい旨を伝えると、素っ気ない声で『あっそ』とだけ言われた。
『あの・・・・辞令を拒否するわけですから、なにか処罰とかは・・・・、』
恐る恐る尋ねると、これまた素っ気ない声で『なんで?』と逆質問された。
『ええっと・・・そりゃやっぱり人事の命令を拒否するわけですから・・・、』
『出世したい奴なんていっぱいいるよ。君がやらないなら他の奴が手を挙げるだけだ。』
『・・・・ですよね。』
まんま想像していた通りの答えに拍子抜けしてしまう。
もちろんホッとしたけどさ・・・・。
ハリマ販売所へ戻り、美樹ちゃんにこの事を伝えると『ええ!もったいない〜』と嘆かれた。
『一度断ったら二度とチャンスないですよ!』
『だろうね。』
『箕輪さんはそれでいいんですか?今までこんなに頑張ってきたのに。』
『頑張るっていうか、美樹ちゃんが来るまでは他が使い物にならないから頑張らざるをえなかっただけよ。出世を望んでたわけじゃないから。』
『だけど・・・・、』
『いいのいいのこれで。』
ポンポンと頭を撫でてから、《いいのよねこれで・・・》とちょっとばかし後悔する。
それから数日後、12月1日の朝に新たな店長がやって来た。
名前は進藤歩。
今年の始めまで中学生だった15歳だ。
学歴が出世と関係ないこの会社では、中卒で入社してくる子も珍しくない。
中には常務にまで出世した人もいたほどだ。
『ども。進藤っていいます。』
年相応の幼い喋りで挨拶をした。
私と美樹ちゃんは『よろしくお願いします』と挨拶を返した。
『箕輪凛といいます。』
『栗川美樹です。』
『今日はバイトの子たちは休みなんで、私たち二人だけで・・・・、』
『あ、敬語じゃなくていいっすよ。』
『え?』
『俺って堅苦しいの苦手なんすよ。』
『でも店長なわけですし・・・・、』
『店長ってのもやめて下さい。進藤でいいっすから。』
『はあ・・・・。』
『じゃあそういうことでよろしくっす。』
軽い感じで会釈して事務所へ消えていく。
私は美樹ちゃんと顔を見合わせ、首を振った。
『箕輪さん・・・なんで15歳の子が店長なんですか?』
『入社試験の成績が良かったんだって。歴代一位らしいわよ。』
『すご!』
『それに研修でも飛び抜けて優秀だったって。』
『そんなに優秀なら本社へ配属すればいいのに。』
『本人が希望したらしいよ。ここがいいって。』
『こんな小さなお店を?どうして?』
『さあ?変わり者なんじゃない。』
『なるほど。ここって変わった人ばっかり集まりますもんね。冴木さんとか前の店長とか。』
『ついでに私と美樹ちゃんもね。』
『え?私も!』
心外だという風に驚いているのが可笑しくて、思わず笑ってしまった。
この日からハリマ販売所は新たな体制で臨むことになった。
15歳の店長、進藤歩。
若いというよりまだ子供の彼だったが、噂に違わぬほどの実力者だった。
一日と経たずに仕事を覚えてしまい、翌日からは積極的に赤字解消に乗り出した。
商品の見直し、作業の効率化、無駄な値引きの廃止、赤字覚悟の死に筋在庫の処分。
それに接客の腕前も見事なもので、マニュアルを自作してみんなに配ってくれた。
『分かんないことがあったらなんでも聞いてくれていいっすから。』
特別にイケメンってわけじゃないけど、笑うとなんとも可愛らしい笑顔もお客さんに好評だった。
『箕輪さん、すごい人が来ましたね!』
『ここへ配属されてたった一ヶ月なのに・・・・間違いなく今月は黒字ね。』
『ああいう人を天才っていうんでしょうね。』
『何年後かには取締役になってたりして。』
ハリマ販売所がオープンしてから、ここまで優秀な人が来たのは初めてだろう。
今までは役立たずのポンコツどもに足を引っ張らていたから、素直に嬉しくて嬉しくて。
だけどここまで優秀だと、ハリマ販売所にいるのは長くないだろう。
実力主義のこの会社なら、一年と経たずに大出世するはずだ。
でもそうなると、次は間違いなく使い物にならない店長が飛ばされてくる。
ある意味そういう理由で存在している店でもあるから。
ちなみに私と美樹ちゃんは違う。
元々がここから始まっているので、冴木や前店長のようなポンコツってわけじゃあない。
《またしょうもない店長が来るくらいなら、いっそのこと私がやった方がよかったかな・・・・。》
今になって後悔が膨らむ。
でも自分から辞退したんだから、今後二度と出世のお知らせは来ないだろう。
そう思うとちょっとだけ進藤君に嫉妬が湧いてきた。
もちろん私が悪いのは分かっている。完全な自業自得だって。
それに彼のおかげでこの店は大繁盛で、ちょっとだけみんなの給料も上がったのだ。
だから嫉妬できる筋合いはないんだけど・・・・。
《馬鹿だな私。なんで素直に受けなかったんだろ。》
引き出しの中にしまいこんだ昇進の通知書、こんな物をまだとっている時点で未練タラタラなのだ。
あの時どうして私は断ってしまったのか?
どうして素直に喜ばなかったのか?
後悔は膨らむばかりでうんざりする。
・・・・多分、それはこの男のせいだ。
「おはようございます!」
馬鹿みたいに大きな挨拶をして、「どうも!どうも!」とバイトの子にまで頭を下げている。
冴木晴香・・・・こいつが不正なんてしなかったら、私の心に迷いもなかった。
それなのに何食わぬ顔で戻ってきて、ここ数日は事務所で偉いさんたちとコソコソ話をしている。
北川部長補佐、伊礼課長、このメンバーで集まってまともな話をしているわけがないのだ。
きっとまた私の知らないところで大きな事件が動き出しているに違いない。
そしてこっちのことなんてお構いなしに巻き込んで、不安と心配だけをバラ撒くに決まっている。
以前なら『コラ冴木!』とチョップの一発でもかましたところだが、さすがに前社長にそれをやるのは気が引けてしまう。
だから直接尋ねてやることにした。
今度はいったい何をやらかそうとしているのか。
幸いまだ北川部長補佐と伊礼課長は来ていない。
これならあのボンクラと二人だけで話が出来る。
奴が事務所へ入っていくのを見計らい、サッと椅子から立ち上がった。
「ごめん美樹ちゃん。ちょっと事務所に篭るから。」
「え?あ・・・はい。」
きっと私の顔が強張っていたのだろう。
美樹ちゃんは怯えた様子で「怖・・・」と引いていた。
ドアの前に仁王立ちして、コンコンとノックする。
「箕輪です。ちょっと入っていい?」
「え?いや、今はちょっと・・・・、」
なぜか動揺している。
やっぱり良からぬことが起きているのだ。
また会社の乗っ取りだろうか?
だとしたら私だって知る権利がある。
裏で恐ろしいことが起きているのに、何も知らずに不安だけ抱えて仕事なんか出来るかってんだ。
「入ります。」
「いや!ちょっとタンマ・・・・、」
なんか焦ってるようだけど、無視してドアを開ける。
「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど・・・・、」
そう言いかけて固まった。
「いや、あの・・・・、」
焦る冴木。
サッと後ろに手を回しながら、苦笑いで後ずさる。
「あ、あのですね・・・これはなんというか・・・・、」
「アンタ・・・何持ってんの?」
「いや!だからこれは・・・・、」
「まさか本物じゃないよね、それ。」
冴木は何も答えずに首を振る。
テーブルの上には鉛色をした小さな細長い物が転がっていて、まさかとは思いつつ触れてみる。
「ダメですそれは!」
サッと奪い取って、「これは危ないから」と後ろに隠した。
「それ、やっぱり本物なのね?」
「ち、違うんですよ!これはただのオモチャで、その・・・・今度サバゲーでもしようかなって・・・・、」
「ウソ!さっきの本物なんでしょ?」
ガシっと腕を掴み、後ろに隠している物を引っ張りだす。
そいつはメタリックな銀色に輝いていて、手を握る部分だけが茶色い木で覆われていた。
「拳銃・・・・これ本物なんでしょ?」
「・・・・違います。」
「顔に出てる。」
「ああ!またしても!」
今更慌てても遅い。
この馬鹿は事務所にこんな物騒なモンを持ち込んでいやがった。
ていうかなんで拳銃なんてモンを持ってるのか。
「あんた・・・今度は何に首を突っ込んでるの?」
「え?」
「惚けるな!」
バシンとテーブルを叩くと、「ひえ!」と怯えた。
「どうせまた危ないことに首突っ込んでんでしょ!」
「え、え〜と・・・・伊礼さんから口止めされていまして・・・・、」
「やっぱりか。」
「下手にみんなに知られると、かえって危険というかですね・・・・。」
「あんたさ、正社員として戻って来たわけじゃないんでしょ?」
「え?」
「だってなんにも聞いてないもん。アンタが戻って来るなんて。」
「うう、それは・・・・、」
「当ててやろうか?ここへ戻って来た理由。」
狼狽える冴木に向かって指を突きつける。
まるで私の指がナイフであるかみたいに、引きつった顔で仰け反った。
「あんたがここへ戻ってきたのはスパイとしてでしょ。」
「・・・・違います。」
「だから顔に出てんのよ!」
思わずチョップが出てしまう。
久々なので加減が難しくて、思いっきり鼻面に叩きつけてしまった。
「ぐほッ!」
「あ、ごめん・・・・。」
鼻面を押さえながら倒れていく。
さすがに悪いと思って「大丈夫?」と膝をつくと、「平気です・・・」と立ち上がった。
「ていうか懐かしいなあ・・・箕輪さんの強烈なツッコミ。」
「なんで喜んでんのよ。」
呆れて首を振ると、ふと恐ろしい物が目に入った。
「ちょっと!銃口を向けないでよ!」
「え?あ、すいません!」
慌てて銃を隠そうとするが、次の瞬間パアン!と乾いた音が響いた。
銃口から火が吹き、私の髪が弾かれる。
恐る恐る後ろを振り向くと、壁に穴が空いていた。
「・・・・・・・。」
「す、すいません!わざとじゃないんです!」
ペコペコ必死に謝っている。
私は表情を消して睨みつけた。
「ねえ冴木・・・・、」
「はい!」
「やっぱりアンタがいるとさ・・・・、」
ガシっと顎を掴み、手を振り上げる。
「いっつもロクな目に遭わないのよ!」
「ぎゃふぅ!」
今度は本気でチョップを見舞う。
このどうしようもないボンクラは、鼻面を押さえながら「痛い!でも懐かしい」と笑っていた。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第六話 消えた協力者(2)

  • 2018.08.18 Saturday
  • 10:54

JUGEMテーマ:自作小説

一日が過ぎるのは早い。
伊礼さんからもらった休日はあっという間に過ぎてしまった。
今日からまた稲松文具で働くのだ。
昨日と同じようにネクタイを締め、スーツにシュバっと腕を通した。
「・・・・よっしゃ!」
パンパンと頬を叩き、オンボロの軽自動車を走らせる。
今日は朝から雨。
こんな天気じゃ寝起きと共にテンションも下がるってもんだが、ハリマ販売所へ着く頃には多少気持ちが高揚していた。
《今日からまたスパイ開始だ!気を引き締めなくちゃな。》
グっと胸を張りながら店の自動ドアを潜る。
「おはようございます!」
ビシっと敬礼しながら挨拶する。
しかし何の返事も返ってこなかった。
それどころか電気も点いておらず、箕輪さんも美樹ちゃんもいない。
「あれ?なんで?」
時計を見ると午前10時。
開店は9時なので、とうに来ているはずだが・・・・。
「おかしいな。昨日の夜にここへ来いって伊礼さんから連絡があったんだけど。」
外へ出て裏手へ回ってみる。
「車がない。てことはやっぱりまだ誰も来てないのか。」
さて、どうしたもんか。
俺はもうここの店員ではないわけで、勝手にお邪魔するっていうのはよろしくない気もする。
・・・いや、誰もいないならなんで自動ドアが開いたんだろう?
シャッターだって開いていたし。
「事務所を覗いてみるか。」
再び店に戻り、コンコンとドアをノックした。
「すいません。誰かいますか?」
返事はない。
ノブを回してみると、ゆっくりとドアが開いた。
《やっぱ誰かいるのか?》
ほんの少しだけ顔を覗かせながら、「すいませ〜ん・・・」と小声で尋ねる。
「冴木です。今日ここで人と合う予定がありまして・・・・、」
そう言いかけて、ふとある人物が目に入った。
こちらに背中を向けてノートパソコンを叩いている。
長い黒髪、背筋の伸びたまっすぐな姿勢。
ただそこにいるだけで醸し出されるミステリアスな雰囲気。
顔は見えないが、この雰囲気には覚えがあった。
「あなたは・・・・、」
俺が尋ねる前に、その人は立ち上がった。
「おはようございます。冴木前社長。」
「やっぱり玉木さん!」
なぜこの人がここに?
今は行方をくらましているはずじゃないのか?
「ええ、そうです。」
「へ?」
「顔に出ていました。玉木は姿を消したはずじゃないのかと。」
恥ずかしくなってちょっとだけ赤面する。
「ううん!」と咳払いしてから「どうしてあなたがここに?」と尋ねた。
「ていうか心配してたんですよ、カグラの人たちに酷い目に遭わされたんじゃないかって。」
「行方をくらますのは得意なんです。カグラの方たちがいくら頑張っても私は見つけられないでしょう。」
「そ、そうなんですか・・・・。」
妙に説得力がある。思わずコクコクと頷いてしまった。
「今日ここへ来たのはある人に呼ばれたからです。」
「ある人?」
「ハリマ販売所の店長、進藤歩。」
「あ、あの子と知り合いなんですか!?」
「ええ。」
なんとも妖艶な笑みで頷く。これはもしかして・・・・、
「し、失礼ですが・・・・、」
「はい?」
「若いツバメを囲っているとかではないですよね・・・・?」
「まさか。」
クスクスと笑いながら速攻で否定する。
「なんていうか・・・・そうですね、身内のようなものです。」
「身内?まさかお子さんとか?」
「子供ではありません。ただ身内とだけ言っておきます。」
顔は笑っているけど、それ以上は踏み込むなというオーラが出ていた。
「あの子からお店の鍵を借りてお邪魔していたんです。」
「な、なるほど・・・・。ちなみに進藤君はどこに?」
「今日はお休みです。」
「そうですか。ていうか店に誰もいないから変だなあと思ってたんですよ。何か聞いてます?」
「今日は臨時休業だそうですよ。あの子からそう連絡がありました。」
「臨時休業?またどうして?」
「シフトのミスらしいです。」
「シフトのミス?」
「全員の休みが重なってしまったと。」
「それで臨時休業してもいいのか・・・・。」
超絶ホワイトもいいところだ。
もし正社員として戻って来られたら、ここへ配属願いを出そう。
「おはよう冴木君。」
いきなり後ろから声がして、ポンと肩を叩かれる。
俺は振り向きざまに「おはようございます!」と頭を下げた。
恭しく頭を上げると、そこには高原に咲く一輪の花が。
「か、課長は今日も麗しく、冴木晴香は感無量です!」
「冴木君はいつもと相変わらずね。」
なんと爽やかで凛とした笑顔か・・・・。
外の雨も一瞬で吹き飛んでしまいそうだ。
朝から課長と挨拶を交わせる・・・・それだけで充分ここに戻ってきた価値がある。
麗しきその佇まいに見とれていると、「ねえ冴木君」と呼ばれた。
「は、はい!なんでございましょう!?」
「あの・・・こちらの方はもしかして・・・・、」
「ええ、玉木千里さんです。」
「やっぱり!」
キョトンとしている。まあそうなるだろう。
事情を話すと「そうだったの」と頷いた。
「初めまして。本社部長補佐の北川翔子と申します。」
ペコリと頭を下げると、玉木さんも「こちらこそ」と微笑みを返した。
「部長補佐の噂は聞いています。お若いのにとても優秀な方だと。」
「いえ、そんな・・・・、」
「先の件では本社にも多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。お詫び致します。」
そう言って深くお辞儀する。
課長は黙ったまま彼女を見つめていた。
「・・・・・・・。」
眉間にどんどん皺が寄っていく。怒っているんだろうか?きっと怒っているんだろうな。
あんな不正を犯しておいて自分だけ姿をくらましたから。
「課長!全ては俺のせいです!」
二人の間に割って入り、「玉木さんは何も悪くありません」と言った。
「俺が話を持ちかけたんです。無理にお願いしただけなんですよ。
それに姿を消さないとカグラの人たちに何をされるか分からなかったから・・・・、」
必死に弁明するが、俺の方など見ちゃいない。
それどころか玉木さんに詰め寄って睨みつけていた。
「あ、あの!課長・・・・、」
「失礼ですが、以前にどこかでお会いしたことがありますか?」
いったい何を言っているんだろう?
以前に会うも何も、同じグループの社員なんだから・・・・、
「同じグループであってもウチは大きいわ。顔を合わせたことのない人はたくさんいる。」
また顔に出ていたみたいだ。
「玉木さんのことは社員ファイルの写真でしか見たことがない。けど・・・・どこかで会ったような気がするのよ。」
そう言って彼女に視線を戻す。
すると玉木さんは「どこかですれ違ったのかもしれません」と答えた。
「私も用があって本社へ行くことはありましたから。廊下かどこかですれ違って、その時に顔を覚えられていたのでは?」
「だけどあなたとは初めてじゃない気がするんです。すれ違う程度とかそんなんじゃなくて。」
「私は初めてお会いしました。」
「そうですか・・・。なら私の思い違いなのかな?」
「部長補佐はとても優秀な方ですから、きっと記憶力も良いのでしょう。一瞬すれ違っただけの私を覚えていたのかもしれません。」
悩む課長、飄々と答える玉木さん。
そこへ伊礼さんがやって来て、「よう」と手を上げた。
「どうだ冴木?昨日はよく休めたか?」
「お陰様で。」
「そりゃよかった。今日からバリバリ働いてもらうからな。」
「もちろんです。」
「それより・・・・なんで店に誰もいないんだ?」
不思議そうに言ってから、「お前なんか聞いてるか?」と口元を曲げた。
「臨時休業だそうです。」
「臨時休業?どうして?」
「全員の休みが重なったらしくて。」
「なんだそりゃ?」
眉を寄せながら唇を尖らせる。
そしてようやく場違いな人間が一人いることに気づいた。
「ア、アンタはッ・・・・、」
目を見開いて驚いている。
ズカズカと詰め寄って、「今までどこにいた!?」と怒鳴った。
「当事者のクセして一人だけ逃げやがって!」
「ちょっと伊礼さん!落ち着いて!」
「冴木!コイツが逃げたせいでお前一人で背負い込むことになったんだぞ。」
「でもそれは俺が話を持ちかけたからなんです!それに逃げないとカグラの人から何をされるか分からなかったから。」
「だとしてもだな、コイツにだって責任はあるんだ。何の追求もせずに見過ごすことは出来んぞ。」
怖い顔をしながら「おい」と玉木さんに向き直る。
「アンタ今までどこにいた?なんでこんな場所にいる?」
「それは俺から話し・・・・、」
「お前にゃ聞いてない!本人から話を聞きたいんだ!」
「でもそんなに怒ってちゃ玉木さんだって話せませんよ!もうちょっと落ち着いて・・・・、」
「冴木君。」
課長が俺たちの間に割って入る。
「私も伊礼さんと同じ気持ちよ。」
「か、課長も・・・・?」
「当然じゃない。どうして君だけが責められなきゃいけないの?玉木さんがどういう理由で君に協力したのかは分からない。だけど手を貸した以上は共犯なのよ。」
「そうですけど・・・・・、」
「それに私は知りたい。カグラの人間でありながら、なぜ冴木君に手を貸したのか。それが分かれば何かが見えてくるかも。」
「何かって・・・・なんですか?」
「カグラの内部のことよ。玉木さんは私たちより遥かに詳しいはず。だから・・・お話を聞かせて頂けますよね?」
強気な目で尋ねると、玉木さんは「もちろんお答えします」と頷いた。
「今まで姿をくらましていたのは身を守る為です。だけどもうその必要もなくなりました。」
「どういうことですか?」
「進藤君から連絡をもらったんです。伊礼さん、北川部長補佐、そして前社長の冴木さんが、店に集まってコソコソ話をしていると。」
そう答えると、伊礼さんが「お喋りな野郎め」と舌打ちをした。
「どうして簡単に内部の情報を漏らす。今度会ったらお灸を据えてやらんと。」
「あの子はあの子なりにこの会社を心配しているんですよ。
そしてあなた達がここへ集まった理由・・・それは不正の件に違いないと考えたそうです。」
「進藤君もあの件のことを知ってるんですか?」
「ええ。」
「でもあれって上から情報封鎖されてるはずですよね?誰がどう絡んだとか、詳しい情報は分からないようになってるはずだけど・・・・、」
課長に目を向けると、「そうよ」と頷いた。
「下手に情報を伝えれば、現場の社員を不安にさせてしまう。だから箝口令が敷かれていたんだけど・・・・一人だけ行き届いていない人がいたわ。」
玉木さんを見据え、「あなたが進藤君に?」と尋ねる。
「そうです。なんたって当事者の一人ですから。」
「なるほど。進藤君が入社したのは不正の件があった後だけど、あなたと繋がりがあったなら詳しい事情を知っていたとしてもおかしくないわ。」
「その通りです。だからこそあの子は私に伝えて来たんですよ。ここへ来ればカグラに復讐できるかもしれないと。」
「復讐?」
穏便ではない言葉が出てきて、緊張感と共に興味を引かれる。
「玉木さん・・・あなたはカグラに恨みを持ってるんですか?」
そう尋ねると、「恨みというより怒りです」と答えた。
「私個人が特に何かをされたわけではありません。」
「じゃあなんで怒りを?」
自分のことでもないのに怒りを感じるなんて、何か深い事情があるはずだ。
玉木さんは背中を向け、椅子に腰を下ろす。
カチカチっとマウスを動かし、「これを見て下さい」とノートパソコンを向けた。
「これは・・・・何かのサイトですか?」
「ええ、希少動物を販売するサイトです。」
「希少動物・・・・って絶滅危惧種みたいな?」
「絶滅危惧種ではありません。」
「じゃあどんな動物を?」
「普通ではありえないような特別な動物です。」
そんなこと言われたってどんな動物か想像もつかない。
「まさか恐竜の生き残りとか?」
「違います。」
「じゃあ・・・・ネッシーとか。」
「あ、それは近いですね。」
「いや、冗談で言ったんですけど・・・・、」
「現実には存在しないはずの動物・・・・という意味では近いんです。」
「要するに未確認生物みたいな感じの?」
「そうですね、ある意味では未確認生物です。けど図鑑にも載っています。」
「じゃあ未確認じゃないじゃないですか。」
「姿形の問題ではありません。その動物が備えている能力のことです。」
「能力?」
「ええ。」
「どんな風に?」
「・・・・・・・。」
「玉木さん?」
「今はまだお教え出来ません。問題はそのような動物を捕獲し、高値で販売する組織があるということです。」
「要するに密猟みたいなもんですか?」
「そうです。それがこのサイトです。」
「けどそんな事してたらすぐに警察に捕まるんじゃ?こんなサイトまであるんだからバレるのは時間の問題でしょ?」
「いえ、このサイトは普通ではアクセスできないものなんです。普通の人には・・・・。」
「それは・・・ハッカーとかじゃないと見つけることが出来ないって意味ですか?」
「・・・・・・・。」
「なんでちょいちょい黙るんですか?」
「このサイト・・・・ある組織が運営しているんですが・・・・、」
「ええ。」
「代表者の名前は鬼神川周五郎といいます。」
「へ?鬼神川・・・・。」
「インパクトのある名前でしょう?」
ニコリと妖艶な笑みを向けてくる。
今一瞬だけ目が光ったような気がしたけど・・・・気のせいだよな?
「あの・・・まさかとは思いますけど・・・・、」
「そのまさかです。希少種を密猟し、販売している組織・・・・それはカグラです。」
「・・・・・・・。」
今度はこっちが黙り込んでしまう。
だってそれはつまりその・・・・、
「カグラが犯罪組織ということですか?」
俺に代わって課長が尋ねる。
「カグラが密猟を行っているということですか?」
「ええ。」
「そんなまさか・・・・。」
課長も信じられないのだろう。
強ばった顔でサイトを睨みつけていた。
「いったいなんの為にそんなことを?カグラは立派に儲けている会社なのに。犯罪に手を染めるメリットなんてないと思いますけど。」
「あるんです。というよりこっちが本業ですから。」
「元々が密猟組織ってことですか?」
「ええ。」
「そんな・・・。カグラがウチのグループに入る時、当然きちんと調べました。けどそんな情報はいっさい出て来ませんでしたよ。」
「悪さをしている組織です。そういう情報は上手く隠していますから。」
「お言葉ですが、ウチはそう甘い会社じゃありません。犯罪行為をしているのなら、何かしらの情報を掴むことは出来るはずです。」
「人の起こす罪ならそうかもしれません。しかし・・・彼らは人では捕まえられない。」
「人では無理って・・・・じゃあいったいカグラの人たちは何者だっていうんですか?」
課長の顔が険しくなっていく。
玉木さんは涼やかな笑みでそれを受け流し、パタンとパソコンを閉じた。
「北川部長補佐。」
「なんですか?」
「あなたはご存知のはずです。」
「だから何を?」
「この世には人ならざる者たちが蠢いていることを。」
「人ならざる・・・?」
「今から約一年半前、あなたは誘拐されたことがあるはずです。」
そう尋ねられた課長は、「なんで・・・・、」と目を見開いた。
「なんで知ってるんですか!?」
「犯人は大柄の男。しかもそいつは人間ではなかった。」
「だからどうして知ってるんですか!あれはごく一部の人しか知らない出来事なのに・・・・、」
見る見る表情が曇って、俺を振り向く。
「課長・・・それって確か・・・・、」
「ええ、お稲荷さんの事件よ。あの時君もいたでしょ?」
そう、俺も覚えている。
社長になってまだ間もない頃、課長が誘拐されたという知らせが舞い込んできた。
血の気が引く思いで現場の神社に駆けつけると、そこには人じゃない生き物がいたのだ。
「あの出来事・・・俺の中では封印していたんです。あまりに現実離れしてたから。」
「私もよ。問題はどうして玉木さんがそれを知っているのかってことよ。」
あの現実離れしたファンタジーな事件は、当事者であるごく一部の者たちしか知らない。
玉木さんがそれを知っているということは、あの時の誰かが教えたのだ。
「玉木さん。あなたはいったい誰からその話を聞いたんですか?」
課長が詰め寄る。
すると伊礼さんが「ちょっと待ってくれ」と止めた。
「俺にはなんのことだかさっぱり分からん。」
ボリボリと頭を掻きながら、「いったいなんの話だ?」と不機嫌そうに眉を寄せた。
「誘拐だとかお稲荷さんだとか、まったく話が見えん。」
「ごめんなさい・・・あの出来事は伊礼さんにも話してなかったから。」
「ずいぶん冷たいですね部長補佐。社長選挙を一緒に戦った仲なのに。」
「だってあれは・・・・ねえ?」
「そうですよ。あんなの人に話したって信じてもられませんから。」
UFOを見たというのなら信じてくれる人はいるだろう。
しかしUFOに乗ったとなると、途端に笑い話になってしまう。
現実離れし過ぎた出来事というのは、某スポーツ新聞のように、日付以外は誤報と受け取られてしまうだろう。
「冴木、説明しろ」と迫ってくるけど、どう説明していいのか俺にも分からない。
それは課長も一緒で、困った顔で腕を組むしかなかった。
「すみませんが私はこれで。」
玉木さんはパソコンを持って立ち上がる。
「もう帰るんですか?」
「今日は顔合わせをしに来ただけですので。」
首をかしげて微笑むその姿はやっぱり妖艶だ。
けど・・・・なんだろう?
ただ美人とか色っぽいでは説明のつかない、なんとも言えない怪しげな気配を放っている。
「それでは」と言い残し、事務所から出て行こうとした。
「待て!」
伊礼さんがドアを押さえる。
「意味ありげなことばっかり言いやがって。こっちは聞きたいことが山ほどあるんだ。」
「いずれお話します。」
「今言えばいいだろう。」
「今教えたら混乱するだけでしょう。あなた方が追いかけようとしている者たちは人の常識を超えていますから。」
「そんなこと言って逃げようだって通らんぞ。せめて不正のことについては話してもらわんと納得出来ん。」
ドアの前に仁王立ちして、なんとしても帰さないつもりだ。
正直なところ、俺ももっと話を聞きたい。
どうして俺に手を貸したのか?
カグラが密猟組織ってどういうことなのか?
人の常識を超えるっていったい・・・・。
また顔に出ていたんだろう。
玉木さんは「焦ってはダメです」と言った。
「急がば回れ。真実を知るには時間が必要です。・・・・カグラの調査はあなた達だけでは難しいかもしれない。」
挑発的な物言いに、「舐めてくれる」と伊礼さんが噛み付いた。
「こちとらただのサラリーマンってわけじゃなくてな。」
「知っています。あなたはかつて探偵をやっていらしたんでしょう?」
「ほう、よく知ってるな。カグラの連中に話したことはないはずなのに。実はアンタも同業者ってわけじゃないだろうな?」
「私は違います。」
「私は?」
顔をしかめる伊礼さんに、そっと名刺を差し出した。
「なんだこりゃ?アンタの名刺なんていらんぞ。」
「私のではありません。」
「じゃあ誰のモンだ?」
「・・・人ではない物を調べるのが得意な探偵です。」
ニコっと笑いながら受け取るように促す。
伊礼さんは渋い顔をしながら奪い取った。
「動物探偵・・・有川悠一?」
「動物に関することならどんな依頼でも受けてくれます。行方不明になった飼い犬から、誘拐されたゾウガメの捜索、時には化け猫の相談に乗ったり。」
「ふざけてるのか?」
若干キレそうになる伊礼さん。
ポイっと名刺を投げ捨てる。
そいつは課長の足元にヒラヒラと落ちていった。
「人ではない者を追い詰めるには、人にはない力を持った者が必要です。あの子ならきっとあなた達の力になってくれるはず。」
「そうかい。あんたはずいぶん変わり者なようだが、その知り合いも変わり者とはな。まさかアンタの男か?」
「いえ、弟子のようなものです。」
一瞬だけ表情を和らげて、クスっと肩を竦める。
「それでは失礼。」
ガチャっとドアを開け、足音もなく出て行く。
「おい!待て!」
伊礼さんは慌てて追いかけて行ったけど、俺はそれどころじゃなかった。
なぜなら・・・・、
「課長・・・・その名刺の人ってまさか・・・、」
さっきの名刺を拾って、目からビームでも出るんじゃないかってほどの眼力で睨んでいる。
それもそのはずだろう。
だってこの人は課長の想い人なのだ。
「この人って動物と話せるっていうあの人ですよね?」
「・・・・・・・。」
「課長がお稲荷さんに誘拐された時も助けてくれたあの・・・・。」
「・・・・・・・。」
課長は何も答えない。
不安と心配が入りじまった目をしながら、手の中で名刺を弄んでいた。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第五話 消えた協力者(1)

  • 2018.08.17 Friday
  • 12:23

JUGEMテーマ:自作小説

好きな人と食事をするなら、ランチではなくディナーがいい。
値の張るホテルのレストランで、夜景を見ながらワイングラスを鳴らすのだ。
運ばれてくる洒落た料理を知った風に解説しながら、分かりもしないワインの味だって批評してみせよう。
ボロが出ることなんて気にしちゃいけない。
こういうのはカッコが大事なのだ。
酒が入り、美しい夜景の風情も手伝って、俺たちは普段とは違う顔で言葉を交わす。
そう、二人の未来についてだ。
理屈は要らない、例え夢物語でもロマンを語ってみせよう。
俺たちを結ぶ愛、そいつは永遠のものだと誓いを立て、そっと婚約指輪を取り出して・・・・、
「冴木君!」
「え?・・・・あ、なんでしょう!」
「どうしたの?ぼうっと窓の外を見つめて。」
「夜景を見ていたんですよ。宝石のような夜景をね。」
「夜景?今はお昼だけど?」
「このワイン、シャルルド・ホンドボーの1950年物ですね。まるで高原に咲く一輪の花のような涼やかな香りだ。」
「それ昆布茶だよ。あとそんなワインないと思うけど。」
「このヒレ肉と野菜のソテー、口の中に優しい味が広がる。ワインにぴったりだ。」
「それはスタミナ炒めよ。どっちかっていうと辛口の。」
「今日、僕は人生でもっとも素晴らしい日を過ごしている。この夜を境に、僕とあなたの歴史が変わるんだ。」
「・・・・・・・。」
ドラマかなんかの主人公のように、カッコをつけて景色を見つめる。
かちょ・・・・いや、部長補佐はクスっと肩を竦めた。
「相変わらずだね、冴木君は。」
「・・・・え?」
「たまに一人で遠い世界に行っちゃうところ。」
「・・・・またやってましたか。」
「うん、全開でね。」
可笑しそうに笑って、鯖の味噌煮をつついている。
《なんてこった!嬉しさのあまり妄想の世界に浸ってたのか・・・・。》
つくづくこのクセは治らない。
ここはハリマ販売所の近くにある定食屋。
俺はもぐもぐとジャパニーズソテーを頬張った。
「この半年、私も冴木君のことを考えてたわ。」
「かちょ・・・いや、部長補佐も俺のことを・・・・。」
感極まってウルウルくる。
口の端からソテーの切れ端が落ちていった。
「課長でいいよ。」
「え?」
「だって部長補佐って呼びにくいでしょ。今まで通り課長でいいよ。」
「いやいや!そういうわけにはいきませんよ。だって俺、また一緒に仕事をするわけなんですから。部長補佐は部長補佐って呼ばないと。」
「でも呼びにくいでしょそれ。私も課長って呼ばれる方がシックリくるし。」
「いやあ、でもなあ〜・・・・課長より偉いのに課長って呼ぶのはちょっと。それに今の課長は伊礼さんだし。」
「なら名前で呼んで。」
「え?」
「肩書きで呼ぶのが嫌なら名前で呼んでよ。」
「な、な、名前でッ・・・・・、」
口の端から昆布茶が滴り落ちる。
そんな・・・名前だなんてそんな・・・・。
《おいおい・・・・名前って・・・いいのかそんな。だっていきなり翔子って呼んでってそんな・・・・。》
これはもう付き合っているも同然じゃなかろうか。
・・・・いや、違うか。ここで妄想に浸るとまた失敗する。
別に名前で読んだからって恋人ってわけじゃないんだから。
だけど確実に俺たちの距離は縮まっている。
だって名前だなんて・・・・・。
俺は咳払いをして、「じゃあ・・・・」と背筋を伸ばした。
「しょ・・・・翔子。」
言った!言ってしまった!
俺の頬はチークしたみたいに赤くなっているだろう。
部長補佐も恥ずかしいのかキョトンとしていた。
「そ、その・・・・翔子も俺のことを考えてくれてたなんて・・・・明日死んでもいいよ。」
目を合わせるのが恥ずかしく、田んぼと電柱が続く景色に目を向ける。
しかし俺の中では百万ドルの夜景に変換されていた。
「・・・・・・・・・。」
翔子は黙ったまま俺を見つめている。
カップルが距離が縮めるには呼び捨てが効果的だそうだが、なるほど・・・・それは当たっている。
だって翔子はずっと俺のことを見つめて・・・・、
「冴木君。」
「俺のことも名前で呼んでくれ、翔子。」
彼女の方を振り向くと、なぜか眉間に皺を寄せていた。
恥ずかしいのを誤魔化しているのだろうか?
「あのね、冴木君・・・・。」
「なんだい翔子?」
「確かに名前で呼んでって言ったけど・・・・、」
「うん。」
「いきなり下の名前を呼び捨てっていうのかどうかと思うわ。」
「え?」
「いいのよ、どうしても冴木君がそう呼びたいなら。ただ周りの人からどう思われるか心配で。」
「し、心配というのは・・・・?」
「だってこれからまた一緒に仕事をするのよ。そりゃ君はまだ正式に戻ってきたわけじゃないけど、立場が上の人に向かって呼び捨てっていうのはちょっと。」
「あ!いや、これはその・・・・、」
「社長まで務めた人なのに、そんな常識もないのかって周りに思われるが心配なのよ。せめてさん付けにした方がいいと思うわ。」
「そ、そうですよね!いきなり呼び捨てなんて生意気でしたよね!いや〜、俺はすぐ調子に乗っちゃうから!」
冷や汗が出てくる。
距離が縮まるどころか遠のくところだった。
「私は全然平気なのよ。けど君のことを周りの人に誤解されたくないの。いくらグローバルだって言ったって、日本はまだまだ縦社会だから。
冴木君はすごく良い子なのに、変な誤解をされるなんて嫌だから。」
「か、課長・・・・・。」
腹を立てているんじゃなくて、俺を案じての事だったなんて・・・・。
課長、やっぱりあなたは女神です!
あなたの為なら例え火の中水の中・・・・、
「・・・に飛び込む前に、ご飯食べちゃいましょ。」
サラっと心を読まれて、さっきとは別の意味で恥かしくなる。
ガツガツとスタミナ炒めをかき込み、グビグビと昆布茶を流し込んだ。
外へ出ると少し湿った風が吹いていた。
遠くには薄暗い雲が流れていて、こりゃ一雨来るかもしれない。
「あ、あの・・・・、」
「ありがとうね、ご馳走になっちゃって。」
「いいんですよ!部長補佐の為なら高級レストランだって予約しますから!」
ドンと胸を張ると、「またその呼び方に戻っちゃうの?」と笑われた。
「あ、ええっと・・・そうですね、じゃあなんて呼ぼうかな・・・・。」
「いいよ、冴木君の好きな呼び方で。」
「・・・・・じゃあ、やっぱり課長で・・・・。」
「うん、私もその方がしっくりくる。」
ニコっと微笑みながら、空を見て「降るかもね」と呟いた。
「天気予報だと晴れって言ってたんですけどね。アテになんないなあもう。」
「自然のことだから仕方ないよ。」
「じゃ、じゃあ・・・送っていきますよ!雨の中課長を歩かせるわけにはいかないですから!」
助手席のドアを開け、「どうぞ!」と手を向ける。
「・・・・・・・・・。」
「いや、その・・・・心配しなくて大丈夫ですよ!送り狼になったりしませんから、はい!」
「ううん、そうじゃなくて・・・・・、」
「あ!もしどうしても不安ならタクシー呼びますから!男、冴木晴香に任せて下さい!」
スマホを開き、「ええっと・・・・タクシーの番号はっと・・・」と検索した。
すると横から手が伸びてきて、「待って」と言われた。
「もう少し一緒にいない?」
「へ?」
「こうして久しぶりに会ったんだもん。」
「え、あ、・・・・、」
「それにまだまだ聞きたいことがあるでしょ?カマクラ家具の事とか、これから私たちがどんな仕事をするのかとか。」
「はい!それはもう・・・ええ!」
「じゃあもう少し一緒にいよう。」
なんか知らんがラッキーな展開になった!
「ささ、どうぞ」と車に招き入れ、適当に走らせて行く。
行き先などどこでもいい!
課長と一緒にいる・・・・それこそが大事なのだ。
とりあえず国道へ向かい、大きな橋を越えて、小さな峠も越えていく。
その先は道なりになっていて、こいつをまっすぐ行けば海の見える道へ出るのだ。
行き先はどこでもいいなんて思いながら、ちゃっかり場所を選んでいる俺は中々大したものだろう。
「ねえ冴木君、会社を離れていた半年はどうだった?」
ニコっと尋ねてくるので、「そうですねえ」とニコっと返した。
「バイトを転々としてました。」
「へえ、どんなバイトをやってたの?」
「色んなのやりましたよ。良い経験です。」
「伊礼さんから聞いたよ、桃太郎やってたんだったね。」
「正確には赤鬼ですけどね。思いっきり脳天を叩かれちゃって。」
「ふふふ、でも楽しそう。私も一度そういうのやってみたいな。」
「そ、それは是非!課長なら何度斬られても惜しくありません!なんなら真剣でも!」
「それ捕まっちゃうよ。」
楽しそうに笑ってくれている・・・・冴木晴香、感無量!
「この半年の間、色んなことやってたんだね。」
「そうなんですよ。その日暮らしの仕事ばっかで。」
「どこかへ就職しようとは思わなかったの?」
「それは考えました。けど・・・・なんでしょうね?なんか違うんですよ。一応面接を受けたこともあるんだけど、自分から断りの電話を入れちゃって。」
「・・・・やっぱり稲松文具に戻りたかった?」
急に真剣な顔をするので、ちょっとドキっとする。
「どうでしょうね・・・・」と言葉を濁しながらも、本心は顔に出てしまっていた。
「やっぱり戻って来たかったんだね。」
「ええっと・・・・まあ。」
「一人で辛い気持ちを抱えたまま我慢してたんだもんね。ごめん、気づいてあげられなくて・・・・。」
「いやいや!そんなの気にしないで下さい!単に身勝手でバカなだけですから、ははははは!」
引きつった顔で笑いを返す。
俺のことなんかでこんな顔をしてほしくない!
「あの・・・」と話題を切り替えた。
「課長はどうでしたか?シンガポールは大変でしたか?」
「そうだね、今までとは違った環境だから戸惑うこともたくさんあったわ。でもその分楽しかった。
海外赴任って初めてだから色んなことが新鮮だったなあ。」
色々と思い出しているのだろう。
その顔は楽しそうで、俺はホッとた。
やっぱり課長にはこういう顔でいてほしいから。
「海外に出てみて色んなことが分かったの。日本とはまったく違った文化や風習、人間っだってそう。
仕事は大変だったけど、その分自由っていうのかな。おかげですごく仕事にやりがいを感じた。」
「向こうはグローバルですもんね。課長みたいな大きな器の人にはピッタリですよ!」
「私はあの国が大好きになった。けど日本が悪いっていうわけじゃないのよ。
それぞれの国に良い所も悪い所もあって、そういうのを多様性っていうんだと思う。その大切さっていうのを肌で感じたわ。
だけどなんでもかんでも一色に塗りつぶす必要はないと思う。
みんな違っていて、違ったまま上手く繋がることが出来たらそれが一番良いのよ。実際はとても難しいことだけど。」
「ははあ・・・なるほど。さすがはアレですね・・・・その・・・国際人ですね!」
なんか上手く言葉が出てこなくてバカみたいな言い方になってしまった。
課長も可笑しそうに笑う。
「シンガポールに赴任したのは冴木君が社長になって三ヶ月後だから、約一年半向こうにいたことになるわ。
ほんとはもっと近くで君を支えてあげたかったんだけど。」
「いえいえ!課長には自分の仕事があったわけですから!そんな気を遣わないで下さい。
ていうかその分草刈さんに死ぬほど鍛えられましたから・・・ええ。」
当時のことを思い返してもゾッとする・・・・。
スパルタまっしぐらの教育法に、ほんのちょっとだけ社長を辞めようかななんて考えたりもしたものだ。
「でもそれは冴木君を思ってのことよ。草刈さんは君を応援してたから。」
「ええ、分かってます。」
他愛ない話を続けていると、海の見える国道に差し掛かった。
分厚い雲が流れてきたせいで、せっかくの海が沈んで見える。
晴れてればめちゃくちゃ綺麗なのに。
「あの・・・課長。」
「なに?」
「俺たちの仕事って、具体的に何をするのか聞いてもいいですか?」
もっと他愛ない話を続けていたいけどそうもいかない。
危険な事や面倒な事にも関わるだろうから、仕事の内容はしっかりと把握しておきたかった。
課長は「まだ闘志が衰えてなくて安心した」と微笑む。
「やる気満々の気迫が伝わってくるわ。」
「もちろんですよ!半端じゃ出来ませんからね。それで・・・俺たちは何をするんですか?またどこかに潜入調査するとか?」
「調べるのはカグラとカマクラ家具。この二つの会社・・・ライバルではあるんだけど、それ以外の繋がりがあるんじゃないかと思うのよ。」
「繋がりですか・・・・。」
「ほら、瀞川さんと安志さんて元々はカグラの人でしょ。けど10年前に辞めて、カマクラ家具に入社したのが約一年半前よ。」
「かなり間が空いてますね。その間何をやっていたのかは・・・・、」
「分からないわ。ただ分かっていることは、二人が入社したのはカマクラ家具の社長が交代したのとほぼ同じ時期ってことよ。」
「社長の交代と同じ・・・?」
「以前の社長は九ノ尾吉音(ここのおきつね)っていう女性よ。体調を崩して引退したと聞いてるわ。
そしてその人が次期社長に押した人物が葛之葉公子。」
「確か湯水のように金を使う人ですよね?」
「そうよ。そしてこの人・・・・素性がよく分からないの。」
「分からない?」
「突然表舞台に出てきた人なのよ。それ以前にカマクラ家具にこんな人はいなかったみたい。
一応伊礼さんも調べてくれたんだけど、詳しいことは分からずじまい。
分かってるのは前社長の引退と同時に現れたということだけよ。」
「なんか胡散臭い感じですね。それで・・・その人が社長になった時期と、瀞川さんと安志さんがカマクラ家具にやってきた時期が同じだと?」
「ええ。これってただの偶然じゃないと思うわ。必ず何かあるはず。」
「一番考えられるのは、二人が持っていたプラズマカッターの技術が欲しかったんじゃないですか?」
「そう考えるのが妥当なんだけど、だったらどうしてカマクラ家具は君に賄賂を持ちかけたのかって疑問が残るわ。」
「結局そこに辿り着くわけか・・・・。」
「彼らが求めたのは技術じゃない。もっと別の何かよ。けど今の所は見当も付かないわ。」
困った顔で首を振り、頬杖を付きながら海を眺めている。
「あの・・・そういえばなんですけど。」
「なに?」
「今の稲松文具の社長って誰なんですか?」
「会長が兼任してるわ。」
「またですか・・・・。」
「誰も成りたがらないのよ。最近とにかく色んな事件があったでしょ?兄さんが会社を乗っ取ろうとしたり、パラサイトと呼ばれる怪人が会社を乗っ取ろうとしたり。」
「どっちも大変な事件でしたね。」
「その度に会社は大混乱。だからみんな警戒してるのよ。そのうちまた大きな事件が起こるんじゃないかって。」
「社長なんて立場になっちゃったら、その時に大変な思いをするから敬遠してるってことですか?」
「だと思う。」
「まさかまた選挙で決めたりとかは・・・・、」
「会長ならあり得るかも。」
「俺、もし稲松文具に戻れたとしても、次は立候補しません。度を超えた飛び級は身を破滅させるって学びましたから。」
そう答えると、課長は「確かに地道に登って行くのが一番かもしれないわ」と言った。
「トップを維持するには経験もいるし、人脈だって必要になるわ。でもそういうことが学べただけでも社長になった意味はあったんじゃないかな。」
「そう思います。良い勉強になりました。」
俺はまだまだ社長だなんて器じゃない。
ひのきの棒でラスボスとは戦えないのだ。
地道に装備とレベルを上げていく・・・・時間はかかるけど、そういう王道こそが一番の近道なんだ。
「あ、あともう一つ聞きたいことが。」
「いいよ、なんでも聞いて。」
「カグラにいた玉木千里さんって人なんですけど・・・・、」
「玉木・・・・ああ!君にカグラの秘密技術を教えてくれた人ね。」
ポンと手を打ちながら弾けた笑顔になる。
可愛いなあ・・・・。
いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「鬼神川副社長、すごい怒ってましたよね。」
「そりゃ社内の大事な技術を外に漏らしたんだもん。怒って当然よ。」
「制裁を加えるとかおっかないこと言ってたけど・・・・彼女は大丈夫なのかな。」
玉木さんと知り合ったのは偶然だ。
月に一回、各会社の社長や重役が集まる会議があるんだけど、その時にカグラのメンバーの一人として来ていたのだ。
普通は社長や重役以外が来ることはないんだけど、あの時は各会社の技術交流というテーマだったので、エンジニアの彼女も同席していた。
すごく綺麗な人で、知的というか神秘的というか、どこかミステリアスな雰囲気をまとった人だった。
言われなければ誰もエンジニアとは思わない感じの人で、俺もてっきり社長秘書かなにかだと勘違いしていた。
そして会議の休憩中、トイレに立った時に廊下ですれ違ったのだ。
玉木さんは両手で書類の束を抱えていて、よく前が見えていなかったのだろう。
正面から俺にぶつかって盛大に書類をぶちまけていた。
『ごめんなさい!』
必死に謝りながら書類を拾っているのを、俺も手伝った。
『すいません!社長にこんな事をさせてしまって・・・・、』
『気にしないで下さい。俺もちゃんと前を見ていなかったから。』
『はい、どうぞ』と書類を渡すと、ミステリアスな雰囲気を全開にしながら『ありがとう』と微笑んでいた。
『もうすぐお昼ですね。ぶつかったお詫びとしてランチをご馳走させて頂けませんか?』
ずいぶん変わったことを言う人だなと思った。
いくら謝罪の為とはいえ、グループ企業の社員が社長にランチをご馳走だなんて・・・・。
俺は一瞬だけこう考えた。
もしかして色仕掛けで取り入ろうとしている?と。
しかしどうもそういう感じに見受けられなかったので、『いいですよ』と頷いた。
一応言っておくが、もちろん俺にだって他意はない。
いくら神秘的で綺麗な女性だろうと、俺の女神は課長ただ一人なのだ!
その日は玉木さんと二人でランチを食べ、仕事のことや他愛ない世間話をして終わった。
しかしその数日後、今度はたまたま寄ったレストランでばったり出くわしてしまったのだ。
『この前は大変失礼いたしました。』
丁寧にお辞儀をしてくるので、俺も『いえいえ』とお辞儀を返した。
『偶然ですね、こんな所で玉木さんに会うなんて。』
『ここのレストランにはよく来るんです。幻の鯖のソテーが美味しくて。』
『へえ、そんなのがあるんですか。』
『それにシャルルド・ホンドボーの1950年物のワインがよく合うんです。』
『詳しいんですね。もしかしてワイン通で?』
『そんな大層なものじゃありません。ちょっと嗜む程度ですから。』
知的で神秘的な雰囲気は相変わらずで、謙虚な姿勢と相まってよりミステリアスさを増していた。
『あの・・・今日はお一人で?』
そう尋ねられて『ええ』と頷いた。
『仕事中は食事でさえ人と合うことが多いですからね。休日には一人で食べるようにしているんです。』
『そうなんですか。大きな会社のトップって、人並みならない苦労があるんでしょうね。』
『自分で選んだ道から文句は言えません。でもちょっと息抜きしたいなあって時はあります。それより・・・・玉木さんもお一人で?』
『はい。私も仕事中以外は一人でいることが多いんです。昔から群れるのが苦手な性分で。』
やや首を傾げながら微笑むその仕草に、こりゃモテるだろうなと確信した。
もちろん俺は課長以外に心を動かされたりはしないけど。
『それじゃ失礼します。』
おそらくほとんどの男はイチコロなんじゃないかって微笑みを残し、自分のテーブルへ戻って行く。
『あの。』
『はい?』
『よかったらご一緒しませんか?』
『私とですか?』
『だってこの前はご馳走になっちゃったから。』
『あれはぶつかったお詫びですから当然のことで・・・・、』
『社長が社員に奢られっぱなしというわけにはいきません。ここはご馳走させて下さい。』
『・・・・・・・・・。』
玉木さんは少しだけ迷う表情を見せた。
さっきと同じように首をかしげ、頬杖をつきながら俺を見つめる・・・・というよりは凝視する。
その姿はとても妖艶で、モテるどころかほとんどの男が膝をついてプレゼントを贈るんじゃないかってほどだった。
と同時になんとなくこう感じた。
《なんだろう・・・・動物に例えると猫みたいな人だな。》
ミステリアスな雰囲気、一人を好む性分、柔和だけど気の強そう目、優しいけど決して人に媚びないであろう気迫みたいなもの。
人間の世話にはならず、自分だけで逞しく生きていく猫・・・・そういう表現が一番しっくり来る人だった。
『なら・・・・ご馳走になろうかしら。』
その日も一緒に食事をして、玉木さんオススメの幻の鯖のソテーを食べた。
シャルルド・ホンドボーの1950年物のワインを飲みながら。
彼女と話をしたのはこの二回だけだけど、それでも強く印象に残るほど、普通の人とは違う何かを感じさせる人だった。
あの時のことを思い出しながら、「心配なんですよ」と呟いた。
「カグラの人たちって本気でおっかないところがあるでしょ?玉木さんは無事なのかなって。」
緩やかなカーブにハンドルを切りながら、雲の隙間から照らす光に目を細める。
「課長、彼女はどうなったんですか?まさか酷い目に遭ったりとかは・・・・、」
「いなくなったの。」
「え?」
「査問委員会のあったあの日、忽然と姿を消してしまったそうよ。」
「姿を消すって・・・・まさか・・・・、」
「酷い目に遭わされたわけじゃないと思うわ。だって鬼神川さんが『そっちに行っていないか?』って電話してきたから。
きっとどこかへ逃げたのよ。あのままカグラに残っていたら何をされるか分からないもの。」
「それがいいです。鬼神川さん、マジでおっかないほど怒ってましたからね。冗談抜きで拷問でもするんじゃないかって不安でしたよ。」
「否定出来ないのが怖いところね。」
苦笑いしながら肩を竦めている。
「冴木君はカマクラ家具から技術の横流し求められた時、彼女に話を持ちかけたんでしょ?」
「ええ。カグラの機密情報は本社の社長でさえ開示してもらえませんからね。
だから多分無理だろうとは思いつつも、玉木さんに相談したんです。」
「で、彼女はOKしてくれたと。」
「ほとんど迷うことなくね。見返りだって求めようとしてこなかったし。」
「見返りも無しにか・・・・。玉木さんの行動も謎ね。」
「彼女の素性は把握してるんですか?」
「草刈さんがコピーしていた社員ファイルのおかげで、大まかなことは分かってるわ。
入社したのは三年ほど前、腕の良いエンジニアだって評判だったみたい。
でも特に変わった所はなかった。けどなんの見返りもなしに危ない橋を渡るなんて・・・・何が目的だったんだろう?」
納得いかない様子で眉をひそめている。
確かに玉木さんの行動は謎だ。
ただの気まぐれか?それとも何か理由があってのことか?
ミステリアス過ぎてその真意は計りかねる。
「とにかく無事だといいけど。」
今はまだ分からないことが多すぎる。
けどなんとなく感じていることがある。
きっと今回もまた大きな事件に発展するってことだ。
これまでと同様、俺たちの知らない所で、良からぬことを企む奴らが動いている。
今はまだハッキリと姿が見えない影たちが、コソコソと暗躍しているはずだ。
果たして今回は無事で済むだろうか。
不安なのは俺だけではないようで、課長の横顔もまだ見えぬ影に憂いているようだった。

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