才能と経験

  • 2016.01.22 Friday
  • 14:22
JUGEMテーマ:アート・デザイン
才能と経験。
物事を究めるには、果たしてどちらが大事なんでしょうか。
才能のない人が努力しても無駄だという意見もあるけど、私はそう思いません。
というのも、いったい何を指して無駄と言っているか分からないからです。
例えば漫画家になりたい人がいたとして、でもその人には絵の才能がなかったとしましょう。
この場合、その人がプロの漫画家として成功するのは、とても難しいと思います。
だけど趣味のレベルで満足できるなら、特別に才能は必要ないはずです。
趣味とは自己満足こそが目的ですから、他人から見たら下手な絵でも、本人が満足しているならそれ問題ありません。
最初は何も描けなくても、練習さえすれば誰だって絵は上達します。
プロになって成功するのは難しいというだけで、趣味のレベルでいいなら、努力は無駄にはなりません。
そして長く努力を続けていると、それは経験として自分の身になるから、絵はどんどん上達するはずです。
お金が貰えるレベルじゃなくても、自分が満足できる度合いは高まっていくでしょう。
無意味かそうでないかは、何を目的にして物事に取り組むかだと思います。
プロの漫画家でも趣味は持っているはずで、その趣味が車だった場合、これは車に関しては自己満足のレベルで充分なわけです。
漫画に対しては命懸けでも、車に対しては自分が楽しめる範囲でいいわけですからね。
だからプロになれなかったからといって、全てが無駄になるわけじゃありません。
でも物事を究めたいと思うなら、やはり才能は必要になると思います。
自分だけの世界で満足できるなら才能は必要ではないけど、世の中に認めてもらいたいなら、才能は必要不可欠になるはずです。
才能のない人がいくら努力を積んでも、才能のある人に勝つのは難しいです。
普通の人が一年かけて到達する道を、才能のある人はほんの一カ月足らずで飛び越えていってしまうからです。
もし自分に才能がないと思うなら、無理に才能のある人と戦うべきではないと思います。
勝てない相手に立ち向かえば、いらぬダメージを受けて、趣味として自分の好きなことを続けるのも困難になるからです。
「どうせ自分なんて・・・・・。」
そう思ってしまったら、趣味で絵やスポーツをやっていても、きっと楽しくなくなるでしょう。
何をもって意味のある事とするか?何をもって満足するか?
それは本人にしか決められないので、才能と経験のどちらが大事かは、誰にも決められません。
プロとして仕事をする人。
趣味として楽しむ人。
この二つは相反するものではなく、むしろお互いに支え合っているものです。
誰もが漫画を作る側に回ったら、読む人がいなくなります。
誰もが趣味で満足してしまったら、プロの漫画家はいなくなってしまいます。
これと同じで、才能と経験はお互いに支え合うものだと思っています。
才能がなくても、経験があるなら人より上手くこなせます。
経験がなくても、才能があるなら人より早く上達します。
才能は誰もが持つわけじゃないけど、でも経験を積むことは誰にだって可能です。
でも才能のある人は、才能のない人では出来ないことを成し遂げます。
どちらか一方だけでは、どんな世界も成り立たないでしょう。
才能があって経験を積むのが一番いいけど、でもそんな人はごく僅かのはずです。
才能と経験はどちらも大事。
仕事と趣味が支え合うように、どちらかが欠けると、共倒れになる関係性だと思います。

芸術は一人じゃ出来ない

  • 2016.01.12 Tuesday
  • 13:46
JUGEMテーマ:アート・デザイン
昔の漫画やアニメの絵と、今の絵を比べると、断然今の方が上手くなっていると思います。
漫画の神様である手塚治虫は、画力にコンプレックスがあったそうです。
アイデアやストーリーは一流でも、画力に関しては、アカデミックな修行をしているわけではなかったからです。
手塚治虫は子供の頃から絵が上手くて、昆虫の絵なんか、まるで図鑑の写真かと思うほどです。
でも漫画は一話でたくさんの絵を描かないといけないし、締切だってあります。
だからたっぷり時間を使って描くわけにはいかず、そうなるとアカデミックな理論や技術を習得している人の方が有利なのでしょう。
手塚治虫の絵はとても可愛らしいし、漫画の絵としては最高だと思います。
だけど劇画となると、もっとリアルな描写が求められます。
リアルな絵を描くとなると、それは感性だけでは難しいのでしょう。
ちゃんと美大で勉強するとか、絵の師匠の弟子につくかしないと、破綻のないリアルな絵は描きづらいのかもしれません。
もちろん絶対に美大や絵の師匠が必要とは思いません。
でもやっぱり、劇画調のリアルな絵は、しっかりとした理論や技術が要求されるんだと思います。
ベルセルクの三浦建太郎先生は、圧倒的な画力を持っています。
まるで一枚一枚が絵画のように美しく、そして繊細です。
それに加えて迫力もあるし、描こうと思えば漫画調の可愛らしい絵も描けます。
三浦先生は美大で絵の勉強をしたそうなので、あのような素晴らしい絵が描けるのでしょう。
もちろん生来の才能や、凄まじい努力があってこそのものとは思います。
でも同じ才能、同じ努力をするならば、やはりアカデミックな理論や技術があった方が、リアルな絵が描けるのでしょう。
三浦先生はあるイラストの雑誌で、こう仰っておられました。
「アカデミックな絵と、漫画の絵のすり合わせに苦労した」
これは要するに、美術の絵と漫画の絵は違うということなのでしょう。
でも逆に言えば、すり合わせさえ上手くいけば、あんなに凄い絵が描けるということでもあります。
私は、絵は人類最古の芸術だと思っています。もしこれと並ぶ芸術があるとしたら、それは音楽だけでしょう。
絵は石器時代からあって、長い歴史の間に、大量の理論や技術が構築されています。
ならばその中には、自分一人では到達できない絵の深味があると思っています。
偉大な先人たちが残した、素晴らしい理論や技術がたくさん詰まっているはずです。
私は絵でも写真でも、感性だけで創るというのは嫌いです。
考えるより描けとか、考えるより撮れとか、そういうやり方は好きにはなれません。
そんな事をしていると、自分一人で到達できる場所へしか行けないような気がするからです。
人間なんて、自分一人の力は大したことはないと思っています。
だから偉大な先人が残した知識や技を学ぶこと、そして自分自身が考えながらやることが、自分一人では到達できない場所へ行く、最善の道だと思っています。
私自身は趣味で絵や写真をやっているだけですが、それでも上達したいと思っています。
だから絵の本も読むし、写真集だって幾つも読みました。
私ではない他の誰かの中に、私では生み出すことの出来ない宝が眠っているからです。
芸術は模倣から始まるというけど、芸術は模倣の歴史と言い換えてもいいと思います。
作品を創る時は一人でもいいけど、何もかもが自分一人の中で完結してしまうと、ただ小さくまとまってしまうだけかもしれません。
せっかく芸術を好きになったんだから、自分一人の中だけで完結させるのは、もったいないと思います。

絵柄の変化は喜ぶべきこと

  • 2015.12.23 Wednesday
  • 11:29
JUGEMテーマ:アート・デザイン
絵はずっと続けていると、絵柄が変わってきます。
それはプロでもそうだろうし、趣味で描いている場合だって一緒です。
ずっと同じ絵を描き続けるのは無理で、必ず変化が起きると思います。
特徴的な絵を描く人なら、もちろん一発でその人が描いたと分かります。
だけど隅から隅までずっと同じってわけじゃないはずです。
何十巻も続いている漫画だと、初期と後期では絵柄に変化が出てきます。
それに中には絵柄そのものが変わる人もいます。
絵柄が変わるって、決して悪いことじゃありません。
もう昔のような絵は描けなかったとしても、それは進歩と捉えるべきだと思います。
成長したから絵が変わる。
下手になったわけじゃなくて、上手くなったから変わるんです。
昔は出来なかったことが、上手くなって出来るようになる。
だから最初から上手い人よりも、最初は下手だった人の方が、絵柄の変化が著しいと思います。
絵を描いて、たくさん模写をして、大勢の人の絵を見て、自分の中に無いもの、足りないものが補われ、いつか芽を出すんです。
その時、絵柄が変わったなら、それはちょっとずつ花が開いている証拠だと思います。
同じ場所で足踏みしているわけじゃなくて、変わる力が宿ってきているんです。
昔の方が良かったと言うのは簡単だし、それが正解の時もあるでしょう。
でも先へ進んでいると信じていなければ、きっと成長することはありません。
変化を恐れると、そこで足を止めてしまうからです。
他人にとやかく言われようが、自分の絵はこれだ!と思う方向へ突き進んでいきたいですね。

モノトーンのセンス

  • 2015.12.16 Wednesday
  • 12:54
JUGEMテーマ:ファッション
白と黒。
モノトーンにはカラーにはない魅力があります。
それは絵でも写真でも、そして服でもです。
写真はモノクロに始まり、カラーへと移行いました。
ですがデジカメの時代になっても、モノクロが廃れたわけじゃありません。
カメラ雑誌の写真コンテストには、依然としてモノクロ部門があります。
それに今でもモノクロで撮り続けているカメラマンはいます。
絵の場合だって、水墨画には独特の魅力があります。
私は伊藤若冲が好きなんですが、この人は繊細なタッチで描かれた動物や植物の絵で有名です。
すごく細やかな色使いをする画家だけど、でも水墨画も素晴らしいです。
色を使った繊細なタッチとは違って、空間を活かした柔らかいタッチが魅力です。
白と黒だけの水墨画には、カラーよりも想像力を掻き立てられる場合があります。
服装でも一緒で、白と黒を着こなす人はカッコいいです。
余計な色を使わず、モノトーンのみでカッコよくみせる。
この場合はシルエットが大事だと思います。
これは写真でもそうだけど、モノトーンの場合は造形が強調されます。
色がない分、形がハッキリ見えるからです。
そういう意味では、モノトーンのファッションは形を見せる服装と言い換えてもいいかもしれませんね。
色に頼らない、色に頼れない。
シンプルな中で、造形や余白を活かし、カラーよりも人の目に鮮烈に焼き付ける。
絵でも写真でもファッションでも、白と黒で上手く表現できる人は、高いセンスを持った人だと思います。

絵や音楽に魂が宿るライン

  • 2015.12.15 Tuesday
  • 13:12
JUGEMテーマ:アート・デザイン
絵を描いていていつも思うんですが、ある程度のところまで描くと、絵が形を持つ瞬間があります。
こういう風景を描きたいとか、こういうキャラクターを描きたいとか、そう思いながら描いていると、ふとそれが形になってくるラインがあるんです。
あとは音楽でもこういうことはあるかもしれません。
私は楽器も出来ないし、作曲も出来ないんだけど、でも音が形になって、自分の作りたい音楽になっていく瞬間ってあると思います。
だから作曲をする人とというのは、形になるそのラインを求めて、色んな音を探るはずです。
絵だって同じで、形になるラインを目指して、色んな線を探ります。
こうだと思って描いていても、よっぽど上手くないと思い通りになんかいきません。
でも色んな線を探っていくうちに、ピタリとハマる瞬間があるんです。
音楽をやる人が、理想とする音を探り当てるように、絵の場合でも、理想とする線を見つけ出すことがあるんです。
そしてその線を一本引いただけで、絵はグッと形を持つようになります。
アナログで描くにしても、デジタルで描くにしても、まずは下絵からだから、線を探らないと絵は描けません。
その為にアタリをつけるわけだから、数多くのアタリの中から、絵が形になる線を発見しようとするわけです。
そうすると、今までただの黒い線だったものが、風景やキャラクターとして形を持つ瞬間が訪れます。
その時は、絵を描いていて本当に楽しいです。これがあるからやめらないって感覚になるくらい、嬉しいものです。
臭い言い方かもしれないけど、きっと絵や音楽には、作者の魂が宿る瞬間があるんだと思います。
それはプロアマ関係なく、真剣にやっていればきっと訪れる瞬間なんだと思います。
その瞬間こそが、線や音が形になるラインなんでしょうね。

ゴッホの技

  • 2015.11.20 Friday
  • 13:22
JUGEMテーマ:アート・デザイン
ゴッホは最も好きな画家の一人なんですが、彼の残した功績は大きいです。
作品はもちろんのこと、それと同じくらいに偉大なのはその技法です。
ゴッホのタッチは独特で、短い線を連続的に塗り重ねています。
彼の絵は決して滑らかではなく、まるで立体のように絵具が盛り上がっています。
だから平面の絵が、まるで三次元のように渦をまいて見えるそうです。
それと彼は原色を塗り重ねて絵を描きます。
従来の遠近法は使わずに、色の塗り重ねだけで遠近感や立体感を表現しています。
これは凄い技術で、現代絵画の基礎になっているそうです。
例えば色で遠近感を表す場合、手前を濃く、奥を薄く塗れば、景色に遠近感が出ます。
それに立体感を表す時も、光の当たっている部分は明るく、影の部分を濃く塗れば、立体的に見えます。
しかしゴッホの場合、そういう具合にグラデーションで遠近感や立体感を表現しているわけではありません。
まったく異なる色を塗り重ねて、それらを表現しているのです。
人の肌を塗る場合に、彼はあえて緑や赤を使います。
本来人の肌に無い色ではありますが、それを細かく塗り重ねると、ちゃんと立体感が出てきます。
例えばリンゴを描く場合でも、片面は赤で、片面は緑といった具合に塗っても、上手くやれば立体感を表現出来ます。
原色を塗り重ねて、絵の中に奥行を持たせる。
ゴッホのタッチは適当に描かれたものではなく、しっかりとした理論と技術の塊というわけです。
ゴッホは特定の色が見えない色盲だったという説がありますが、もしかしたらそれが原因であのような描き方になった可能性はあります。
しかし画家にとって最も重要なのは、自分が死んでも作品が残ること。そして評価を得ることです。
そういう意味では、ゴッホは最も成功した画家の一人と言えるはずです。
彼の残した絵には、後世の画家やデザイナーたちに繋がる、偉大な理論と技術が集約されていたってことですね。
やっぱりゴッホは天才だと思います。

芸や作品は裏側を見せない方がいい

  • 2015.11.09 Monday
  • 14:40
JUGEMテーマ:アート・デザイン
表と裏。どんな世界にもあるかもしれませんが、少なくとも芸や作品の裏側は見たくないです。
例えば一流のマジシャンの手品を見る時、種なんて絶対に見破れません。
カメラがアップで手元を映していても、何をどうやっているのかまったく分からないものです。
だけど手品である以上、必ず種はあるはずです。
そしてその種がバレないようにする為に、何度も練習をしているはずです。
でもその練習している風景なんて見たくありません。
手品は種が分からないから面白いんであって、それが分かってしまえば楽しむ事なんて出来ないからです。
それにマジシャンにはいつだってクールにカッコよくいてほしいから、そういう意味でも練習している風景は見たくありません。
それは漫才師やアニメに対してでも一緒です。
舞台裏に漫才師がいたとして、真面目に練習していたとしましょう。
それはすごく応援したくなる光景なんだろうけど、でもそんな光景を見てしまえば、舞台で漫才を披露された時に、素直な気持ちで笑えません。
応援する気持ちが出てしまったら、それは純粋な笑いでないような気がするからです。
それにアニメーターさんがせっせと絵を描いている光景も同じです。
やはり純粋に作品として見たいから、作っている裏側を見てしまうと、素直に作品に入っていけないような気がします。
芸を見せる。作品を見せる。
そういうのって、裏での光景は見せない方がいいと思います。
感動したり発見があったりして面白いかもしれないけど、見る側にとって余計な情報になりかねないからです。
純粋に芸を見る。純粋に作品を見る。
その作家や漫才師の努力を見るんじゃなくて、努力の果てに出来上がったモノを見る。
だからこそ現実から離れて楽しめるんです。
もちろん裏の努力にスポットを当てたドキュメンタリーは面白いです。
でもそれは、ドキュメンタリーが一つの作品だから楽しめるんであって、そのドキュメンタリーを作っている現場を見せられたら萎えると思います。
芸や作品は、それそのモノを素直に見るのが楽しいです。
作り手の努力する姿勢は、全て芸や作品に出ているはずなので、それで充分じゃないかと。
変な例え方かもしれないけど、デパートの屋上とかでやってる仮面ライダーショーとかウルトラマンショーってありますよね。
あれって中にスーツアクターが入っているわけだけど、その人が着ぐるみから出てくるような感じと似ています。
大人は人が入ってるって分かってるからいいんだけど、でも子供は本当にヒーローがいると思って見ているわけです。
もし中に人が入っていると知っていても、やはり心のどこかでヒーローを信じているでしょう。
だからショーが終わって中の人が出てきたら、泣きだす子供が出て来るかもしれません。
本物のヒーローだと思っていたのに、ジッパーを下ろして人が出て来たリしたら、その時点で夢の世界は台無しです。
こういう具合に、あえて裏の部分を見せない方が良い場合もあります。
芸や作品は、それそのモノが顔です。
だからわざわざ裏での練習や作業を見せられてしまうと、どうしても冷めてしまいます。
芸や作品は、モノ自体を純粋に楽しみたいですね。

権威になったら芸術は終わる

  • 2015.10.26 Monday
  • 14:27
JUGEMテーマ:アート・デザイン
芸術で一番大事なのは自由です。
そして自由を残しておくには、決して権威になってはいけないと思っています。
例えば漫画というのは、昔は悪書だとか、読んでると頭が悪くなると言われていました。
これは要するに、漫画なんてバカげた読み物だと思われていたわけです。
でもこれが逆に良かったんでしょうね。
漫画は馬鹿が読むものだと思ってくれていた方が、どんどん馬鹿なことが出来るわけです。
漫画は教育書でもなければ、道徳書でもありません。
人を楽しませるエンターテイメントです。だから文学性だって本来は漫画に必要のないものだと思っています。
ドラゴンボールは今でも人気で、それはきっと教育でも道徳でもなければ、文学でもないからです。
説教臭いこととか煩わしいことが一切なくて、ドラゴンボールの世界には夢や憧れが詰まっています。
大人による押しつけがましさがなく、本当に自由なんです。それはアラレちゃんも一緒だと思います。
鳥山明先生は、私たちのいるこの世界とは別の、すごく夢のある世界を創る天才です。
ドラゴンボールの人気を支えているのは読者であり、決して評論家や大きな賞の権威ではありません。
むしろそんなものは、ドラゴンボールにとってまったく必要のないものです。
なんというか・・・・大人の手垢が付いてないから面白いんですよね。
もちろん鳥山先生は大人だし、出版社で働く人も大人なんだけど、でもドラゴンボールは権威じゃありません。
権威ってどこか息苦しくて、どうしても頭の固い大人の象徴というイメージがしてしまいます。
もしもこの先、文学性において優れた漫画が出てきたとして、そして特例としてノーベル文学賞を獲ったとしましょう。
もしそんな日が来てしまったら、それは漫画にとって最悪の日となるでしょう。
ノーベル文学賞なんて権威中の権威で、そんなものを貰った日には、馬鹿なことが出来なくなります。
逆に頭の固い人達が群がって来て、漫画のことなどよく知りもしないのに、やたらと持て囃すでしょう。
ある種ハイエナみたいな人達が集まってきて、漫画を権威に持ち上げようとするはずです。
でもそうなると漫画の自由は奪われ、馬鹿なことをしたら頭の固い大人から怒られると思います。
それに権威になれば評論家が集まってきて、なぜか畑違いの人間が漫画の評価を下していそうです。
例えるなら、元野球選手の解説者が、なぜか他のスポーツまで解説し、意見しているようなものです。
あれっておかしいですよね、何が「喝!」だよと思ってしまいます。
知りもしないスポーツに向かって「喝!」なんて言ってるあんたの方がよっぽど「喝!」だって話です。
ちょっと話がズレたけど、でも漫画に限らず、権威になってしまうと芸術は終わると思います。
漫画を芸術とするかどうかの議論は置いておき、ここでの芸術とは創作活動という意味です。
例えば国民栄誉賞を辞退する人っているけど、あれって権威が与えられるのが嫌だからだと思います。
ある野球選手が国民栄誉賞を辞退した理由について、「そんなものを貰ったら立ち小便も出来ない」と言ったそうです。
半ば冗談で言ったのかもしれないけど、でも大きな権威を与えられると、自由は無くなるから辞退したんだと思います。
権威を貰って偉くなったら、きっと芸術は終わります。
自由があるから、創作物は面白いんです。

見る力と聴く力

  • 2015.10.21 Wednesday
  • 10:23
JUGEMテーマ:アート・デザイン
絵は目で見ます。音は耳で聴きます。
当たり前のことですが、見る力、聴く力は、誰しもが同じとは限りません。
画家は見る力が強く、音楽家は聴く力が強いと思います。
以前に何かの本で、昔の戦争で音楽家を潜水艦に乗せたと書いてありました。
なぜそんなことをしたかというと、敵の潜水艦の音を聴き分ける為です。
当時は今のようにソナーが発達していなくて、音を聴いて敵艦かどうか判断していたようです。
そこで音楽家ならば聴く力が優れているだろうということで、敵艦かどうかを見分ける為に搭乗させたのです。
するとその音楽家は、いとも簡単に潜水艦の音を聴き分けたそうです。
そして「どうしてこんな簡単な音を聴き分けられないのか?」と疑問に思ったと書いてありました。
聴くことは誰にもでも出来るけど、聴き分けることとなると別です。
私は音楽が好きだけど、素人なので細かい音の違いは分かりません。
もっぱら聴くばっかりなので、ドラムのこの音がどうとか、ギターのこの音がどうとかなんて聴き分けることは出来ません。
でも音を聴いて、それを譜面に書き起こしたり、または耳コピで完璧に弾いてしまう人もいるので、そういう人はただただ尊敬するばかりです。
だけど目にはちょびっとだけ自信があって、絵や写真を見る力はほんの少しはあるかなと思っています。
ほんのちょびっとですけどね。
でもプロの絵描きや漫画家さんの場合は、もっともっと高いレベルで絵を見る力があると思います。
写真家だって写真を見る力は凄いでしょう。
昔に写真の専門学校に通っていたんですが、自分で撮った写真を品評してもらう授業があったんです。
その時に先生に色々と言われて、「俺の写真の何が分かるんだ!」なんて思っていましたが、今見ると確かに先生の言う通りだなと反省することがあります。
「この写真はつまらない」とか「同じような写真ががたくさんあるから、これはいらない」とか言われてヘコんだ記憶があるんですが、今見返すと確かに指摘された通りなんです。
「ああ、確かにこの写真はいらないわ」とか思うんですよ。
生徒よりも先生の方が写真を見る力はあるわけだから、素直に意見を聞いていればよかったなと、今さらながら反省しています。
でも見る力が低いと、それも分からないんですよね。
指摘されても「なんで?」と理解出来ないんです。
だから美術鑑定士の資格を持つ人なんて、美術品に対しては凄まじい観察力と洞察力を持っているんだと思います。
きっと知識だけじゃなくて、モノを見る力が元々備わっているなんでしょうね。
見る力、聴く力があると、今よりもっと芸術が楽しめそうです。
創る力だけじゃなくて、見る力や聴く力だって、芸術には欠かせない要素なんだろうと思います。

写真と印象 利便性と作品性

  • 2015.09.17 Thursday
  • 12:57
JUGEMテーマ:アート・デザイン
最近のデジカメには、アートフィルターという機能が付いている機種があります。
どういう機能かというと、全体に柔らかい印象を持たせるソフトフィルターや、逆に色のメリハリを利かせたポップカラーなど。
それに画面の周辺光量を落としてノスタルジックに見せるトイカメラモードや、淡い色でこれまたノスタルジックを誘うモードなんかもあります。
それに赤や青など一部の色だけ表現するモード、また水彩画風に滲ませるモードなど、多様なフィルターがあります。
私の使っているフジフィルムのコンデジでも、アートフィルターを搭載しています。
フィルターを変えるだけでまったく違う印象になるので、撮る楽しさは何倍にも増します。
最近はよく神社を撮っているのですが、このアートフィルターが大活躍してくれます。
トイカメラモードで撮ると、ちょっと不気味な雰囲気に写ったり、ソフトフィルターで撮ると幻想的に写ったり。
そうすることで、神社の良さが引き立つんです。
そして撮る楽しさも増します。
昔はいちいちレンズにフィルターを付けないといけませんでした。
特にフィルムカメラの時代だと、後から容易に編集も出来ないから、撮影時の苦労は大変だったんです。
もちろんフィルムにはフィルムの良さがあるけど、コストや利便性を考えると、デジカメの功績は大きいです。
だけどデジタルの時代になって、写真がだんだんと絵に近づいているような気がします。
アートフィルターはカメラ内で編集をかけて加工しています。
だから人間の目で見たものとは違った写りになるわけです。
本来写真とは、目の前の景色を正確に描写するものでした。
どんな写実画よりも正確に、どんな画家よりも早く描写してくれます。
正確に記録し、それを残したり伝えたりする。それが写真です。
でも今の時代、それだけでは満足できない部分もあります。
当たり前に写真が撮れる時代になると、写実性では満たされないんです。
西洋で写実主義から印象派の時代へ突入したように、写真も写実から印象へ変わる時代へ入っているのかもしれません。
目の前の現実よりも、頭の中のイメージ。
もっと正確に言うなら、自分が目にした光景を元に、自分の頭の中に浮かび上がった世界。
見た目通りのものではなく、見た目から受けたイメージを写す。そういう時代になっているのかもしれません。
写真は撮り方次第で、人間の目では見られないような画に仕上げることも出来ます。
それはフィルムの時代からそうでした。
しかしその為には、わざわざフィルターをレンズに装着したり、レンズそのものを変えたり、またはそれなりの撮影技術が求められるものでした。
絞りを設定してボケを活かしたり、わざとシャッタースピードを遅くしてブラしてみたり。
だけどアートフィルターのように、より印象派に近い状態にするのは難しかったのです。
今はボタン一つで、様々な表現効果が得られます。
そうやって写真と絵の境界線が曖昧になっていくと、写真だけじゃなくて絵だって変わります。
写真を絵のように加工して使うのは、現代の漫画では珍しくないでしょう。
そのうち人物から何から、全て写真からのトレースになるかもしれません。
そしてもっと時代が進むと、写真を元にCGを作りだし、それを使って漫画を作ることだって出来るかもしれません。
今だってCGを用いたアニメの映像がありますから、漫画だってまったく絵を描かずに作れるようになる可能性はあります。
作業効率という面からいくと、これは大革命になると思います。
仕上げるまでの過程は楽になり、肉体的にも精神的にも負担が減ります。
それにアシスタントだって必要なくなるから、経済面でもお得です。
しかし表現方法として見た場合、それが良いことなのかどうかは分かりません。
そもそも絵を描くこと自体が楽しい人にとっては、CGだけで漫画作成なんて嫌な時代でしょう。
もっともっと時代が進めば、そのうち人間が希望の条件を伝えるだけで、パソコンが漫画も音楽もCGも作ってくれる時代が来るかもしれません。
そして仕上がりを見せて、「ここはこうして」と注文を出せば、そのように修正してくれたり。
誰もが漫画家やミュージシャン、それに小説家や写真家になれる時代です。
だけどそうなると、その道で飯を食うことは不可能になるでしょう。
誰もが思い通りに作品を創れるなら、生み出された作品の価値は低くなります。
世の中には人間の数と同じだけの作品が溢れ、しかもみんな自分が創ることだけに没頭してしまいます。
そうなると、誰も他人の作品に目を向けようとはしないし、お金を払って買おうともしないでしょう。
利便性を追求し過ぎると、逆に商業性が失われて、結果的には本当に良い作品が世に出ることは少なくなりそうです。
もし本当に良い作品があっても、その他多くの作品の中に埋もれてしまったり。
作品性と利便性って、もしかしたら両立しないものなのかもしれません。

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