稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第二十四話 時間がない(2)

  • 2016.05.15 Sunday
  • 12:29
JUGEMテーマ:自作小説
病院の待合室で、重い空気に包まれる。
手を組み、目の前を睨みながら加藤社長の無事を願った。
隣では課長も暗い顔をしていて、膝の手元に目を落としている。
加藤社長が病院へ運ばれてから一時間。
集中治療室で治療を受け、今は個室で様子を見ている状態だ。
俺と課長は暗い顔のまま加藤社長の無事を願う。
だけど一番落ち着かないのは・・・・伊礼さんだ。
目の前をそわそわと歩き、歯がゆそうに舌打ちをしている。
「なんで俺が入れないんだ・・・・どうしてあの婆さんが・・・・、」
そう言ってゴミ箱を蹴り飛ばした。
加藤社長が病院へ運ばれてから、すぐに伊礼さんとあの怪人がやってきた。靴キング!の婆さんの顔に変わって・・・・。
あの怪人は加藤社長の義母だから、今は傍で様子を見ている。
だけど一番傍にいなきゃいけないのは、目の前でそわそわしている伊礼さんだ。
この人が加藤社長の一番の理解者で、誰よりも絆の深い親友だ。
それなのに、こんな時に傍にいられない。
親族以外は面会出来ないと、医者に追い出されてしまったから。
《悔しいだろうな、伊礼さん・・・・。一番傍にいなきゃいけない時にいられないなんて・・・。しかもその代わりにあの怪人が付き添ってる。これ・・・危ないよな。》
今日の演説で、あの怪人の汚いやり方を思い知った。
白川常務の愛人になりすまし、その写真をスライドショーで流す。
きっと常務は選挙どころじゃない。今の地位だって危うくなるはずだ。
しかもその混乱を利用して、俺の演説まで中止に追い込もうとした。
そんな危ない奴が、加藤社長の傍にいる。
伊礼さんだけじゃなくて、俺だって気が気じゃない。
自分が追い出されたのはともかく、せめてあの怪人も病室から連れ出したかった。
『他人にウロチョロされると迷惑よ!早く出て行って!』
そうやってヒステリックに喚き、俺たちを追い出した。
もちろんそんなの演技なんだけど、でもあの怪人は人を騙すのが上手い。
だから本当に悲しんでいるように見せかけて、俺たちを追い払った。
伊礼さんは何度もため息をつき、俺の隣に座った。
ガリガリと頭を掻きむしって、「俺がもっと注意しておけば・・・」と悔しがった。
「加藤の奴・・・最近よく意識が遠のくって言ってたんだ。今日の朝だって、まるで貧血みたいにフラフラしてた。なのに・・・俺はどうしてずっと傍にいなかったのか・・・・、」
そう言って自分を責めるように歯を食いしばった。
「それは仕方ないですよ。だって伊礼さんはあの怪人を捜してたんだから・・・・、」
「んなこたあ分かってる!俺が言いたいのは、注意が抜けてたってことだ!あの怪人のことばかりに気を取られて、加藤のことをちゃんと見てなかった・・・・。
もっとちゃんと注意してれば、今日の演説だって棄権させるなり何なり出来たんだ。なのに・・・・、」
「朝から体調が悪かったって本当ですか?」
「ああ・・・・。今日だけじゃない。最近多いんだよ、辛そうにしていることが。でもあいつは我慢強いから、決して自分からは言わない。
大丈夫大丈夫って笑ってるだけで、無理してんだよ・・・・。」
「加藤社長・・・・周りを不安にさせたくなかったんでしょうね。ただでさえ子供の姿で無理してるから。」
「あいつは昔っからそうなんだ。自分のことより周りのこと。その為に散々傷ついたのを忘れたのかよ・・・・。」
伊礼さんは「どうしょうもねえよ、あいつ・・・」と目を閉じた。
「自分のことより、周りのこと・・・・・。」
それを聞いて、あの人こそが本社の社長に相応しいと思った。
俺だって人の為に無茶をすることはあるけど、でもやっぱり不器用っていうか、上手くいかないことの方が多い。
でも加藤社長なら、きっと上手くやれる。
みんなの上に立って、稲松文具を今よりもっと良い会社にしてくれるはずだ。
《もし俺が社長になったら、すぐにあなたにその椅子を譲ります。だからどうか無事に戻って来て下さい。》
伊礼さんと二人で、願うように目を閉じる。
すると課長が「あの・・・・」と口を開いた。
「その・・・こんな時に申し訳ないんだけど・・・・、」
そう言って、「あなた達はどういう関係なの?」と尋ねた。
「冴木君も伊礼さんも、まるでお互いのことをよく知っているみたい・・・・・・・。」
課長は俺の目を見つめ、「君はもしかして、また誰かに利用されているんじゃ・・・」と心配した。
「前の事件の時、君は兄さんに利用されていた。そのせいで背中を刺されて死にかけた・・・。だから不安なの、またあの時みたいになったらどうしようって・・・・。」
そう言って俯き、不安そうに手を組んだ。
「冴木君は周りの人たちが大事だって言うけど、それは私だって同じ。君だけがみんなを心配してるんじゃない。みんなだって君のこと心配してるのよ。」
「・・・・・・・・・・。」
「だから・・・・何か隠してることがあるなら教えてほしい。私だって大切な人が傷つくのは嫌だから。私の知らない所で、また君が危険な目に遭ってるとしたら・・・、」
不安そうに口を噤み、目を閉じる。膝に置いた手をギュッと握りしめて。
「お願いだから、一人で危険な道へ突っ走らないで。だって君は、火が点いたらいつだって無茶をするから・・・・。」
課長の不安は、その暗い表情からよく伝わってくる。
箕輪さんが俺のことを心配してくれるように、課長だって心配してくれている。
それはとても嬉しいことだけど、でも同時に申し訳なかった。
《みんなの言う通り、俺は迷惑ばっかりかけてんだな・・・・。箕輪さんも課長も本気で俺を心配してくれてる。だったらこれ以上不安にさせるのは・・・・、》
俺は顔を上げ、伊礼さんの方を向いた。
「あの・・・・課長に俺たちのことを話していいですか?」
そう尋ねると、目を動かして睨んだ。
「課長は信頼できる人です。だからベラベラ秘密を喋ったりしないし、それに誰かを傷つけるようなことだって絶対にしません。だから・・・・話していいですか?」
伊礼さんの目を見つめ返しながら、返事を待つ。
すると「ああ・・・・」と頷いた。
「こうなっちまった以上、何もかも隠すことは出来ないだろう・・・・。いや、むしろ本当のことを話して、協力者を増やした方がいいかもしれない。」
そう言って「冴木、お前から話してくれ」と頷いた。
「お前が彼女を信頼しているように、彼女もお前もことを信頼しているはずだ。だからお前から話してやってくれ。」
「分かりました。」
コクリと頷き、課長の方を振り返る。
課長はまだ不安そうな表情をしていて、じっと俺を見つめていた。
「あの・・・今から話すことは・・・・、」
「分かってる。誰にも言わない。」
「・・・・実は、加藤社長は本当の子供じゃないんです。見た目は子供だけど、中身は違ってて・・・・・、」
加藤社長のこと、怪人のこと、会社の乗っ取りのこと、そして・・・・また俺がスパイをしていたこと。
ここ数日間に起きたことを、全て話した。
課長は表情を変えずに、黙って俺の話を聞いていた。
だけど俺がまたスパイをやっていると聞いた時だけ、ほんのわずかに眉が動いた。
「・・・これがこの数日間に起きたことの全てです。」
そう言って課長から目を逸らし、目の前の自販機を睨んだ。
「加藤社長は一度死んでるんです。でも子供の姿を借りて戻ってきた。なんでそうなったのかは、誰にも分かりません。
腎臓を移植したらそうなったらしいけど、その原因は分からない。でも・・・・今はそんなことは重要じゃなくて、加藤社長が危ないってことなんです。」
ちょっとだけ目を伏せ、自分の足元を見る。
安物の革靴の汚れを睨みながら、「あの人・・・こう呟いてたんです」と続けた。
「もう時間が無いって。」
「時間?」
課長が首を傾げる。俺は「はい」と頷いた。
「担架で運ばれる時、確かにそう言ってたんです。それってきっと、もうすぐこの世からいなくなるってことなんじゃないかと・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「あの人、すごく真面目な人なんですよ。いつだって周りのことを考えてて、どうやったら良い会社になるか?どうやったらみんなが働きやすい職場になるかを考えてる人なんです。
なのにあんな怪人に会社を乗っ取られて、きっと許せなかったんだと思います。親父さんが必死に頑張って立てた会社を・・・・・。」
課長の目を見つめながら、加藤社長の顔を思い浮かべる。
「だから戻って来たんだと思います。あんな怪人に好きにさせない為に、子供の姿を借りて・・・・。だけどそれは、きっと長くはもたない。
だって本当はもう死んでるから・・・・。俺、神様がいるかどうかは分かんないけど、でももしいたとしたら、加藤社長にちょっとだけ時間を与えてくれたんじゃないかって・・・・。
みんなを守る為に、ほんの少しだけこの世に戻してくれたんじゃないかって・・・・そう思ってるんです。」
きっと信じてもらえないだろうなと思いながら、それでも素直に話した。
すると課長は「そっか・・・」と頷いた。
「やっぱり君は、また厄介な事に関わってたんだね。」
「あの・・・今の話、信じてくれるんですか?」
「実は私も疑ってたんだよね、加藤社長って本当に子供なのかなって。」
「そうなんですか?」
「だってどう見ても子供の貫禄じゃないもの。そりゃあ知能だけなら大人並の子供はいるかもしれない。
でもあの落ち着きようと貫禄は、絶対に子供のものじゃないわ。でもまさか、一度亡くなった人だなんて思わなかったけど。」
そう言って小さく微笑み、「伊礼さん」と呼んだ。
「よかったら私も協力させて下さい。あなた達のやろうとしていることに。」
伊礼さんは顔を上げ、「あんた本気か?」と尋ねた。
「冴木の話・・・・本気で信じるのか?」
「はい。」
「怪人や会社の乗っ取りの事はともかく、加藤のことをそう簡単に信じるのか?死人が生き返ったなんて・・・、」
「信じます。だって冴木君、嘘はつきませんから。」
そう言って俺に笑いかけ、「私は彼を信頼してるんです」と頷いた。
「この子は不器用だし、おっちょこちょいなこともしょっちゅうです。だけどいつだって真っ直ぐで、嘘をついたりはしません。
だから冴木君がそう言うなら、それは本当のことなんだと思います。」
課長は「ね?」と俺に笑いかける。
「ええっと・・・どうなんでしょう?嘘くらいはつくかも・・・、」
「でもそれは人を傷つけるような嘘じゃないでしょ?遅刻の言い訳とか、箕輪さんに怒られるのが嫌だからとか。」
「まあ・・・そうですね・・・。」
「君は人を傷つけるような嘘をつく子じゃない。だから私も箕輪さんも、君のことを信頼してるのよ。」
「み、箕輪さんもですか・・・・?」
「もちろん。彼女ね、君のいない時にちょくちょく褒めてるのよ。」
「意外だ・・・・あの人が俺を褒めるなんて・・・・、」
「本人の前では絶対に言わないって言ってたけどね。」
「出来れば直接褒めてほしいんだけど・・・・。」
頭を掻きながら照れていると、「いい友達だな」と伊礼さんが言った。
「お前にも信頼できる友達がいるんだな。」
「はい。だって俺は、課長の為なら火の中水の中・・・・、」
「何度も聴いたよ。」
伊礼さんは可笑しそうに笑い、「北川課長」と見つめた。
「本当に俺たちに協力してくれるのか?」
「もちろんです。あの怪人、このまま放っておくわけにはいかないでしょう?」
「あんたは本社の課長だ。ならある程度のことは・・・・、」
「知っています。香川部長のことも、それに会社乗っ取りのことも。」
「そうか・・・なら話は早いな。」
「香川部長は本社の方でも警戒していたんです。通称パラサイト・・・会社を荒らすことからそんな名前が付いたって。
それをどうにかしようと、白川常務にお願いしました。そうしたら・・・・、」
「返り討ちに遭ったってわけだ?」
「演説中にあんなスライドショーを流すなんて・・・・あれじゃ選挙どころじゃありません。下手をすれば、会社にいられなくなるかも・・・・。」
「そういうことをする奴さ、あの怪人は。」
「香川部長がパラサイトと呼ばれていることは知っていました。だけど怪人と呼ばれていると知ったのは、今日の朝なんです。」
課長は髪を揺らしながら、自分の手元を見つめた。
「白川常務と草刈取締役が、香川部長のことを色々調べていたんです。そしてコロコロと顔を変えて、どこにでも潜り込む怪人であることを突き止めました。
今日は演説があるから、間違いなく何かを仕掛けてくる。そう思って、厳重に見張っていたんです。だけど・・・・、」
「警備をすり抜け、あんな映像を流した。」
「実は今日の朝から怪しい人が本社に出入りしていたんです。」
「怪しい人?」
「トイレの補修工事の業者だって名乗ってました。怪しいと思って管理課に確認を取ったんですけど、補修工事を依頼した覚えなんてないって。」
「顔を変えて潜入してきたわけだ。」
「その時点ですぐに追い出すことも出来たんですけど、草刈取締役が放っておくように言ったんです。」
「・・・それは・・・わざと泳がせて証拠を掴む為か?」
「そうです。じっと見張っていれば、いつかボロを出すだろうって。だけどそう上手くはいかなかった。あの怪人・・・・囮を用意してたんです。」
「囮?」
伊礼さんは顔をしかめる。
だけど俺には心当たりがあって、「もしかして・・・・」と尋ねた。
「演説の前に、庭で草刈って奴と女の人が揉めてたんですよ。その女の人、写真で見た怪人の顔にそっくりでした。」
「聞いてるわ。人違いだったって。」
「あれって今思えば、怪人が用意した罠だったんですね。かつて自分が成りすました顔に似た人間を、囮に使ったってことでしょう?」
「そうよ。あの怪人、実在する人間の顔を真似ることもあるみたいでね。今日は演説だから、外からも関係者が来てたのよ。
その中にたまたま以前に顔を真似た女性がいた。だからそれを利用することを思いついたんだと思う。」
「わざと草刈取締役と鉢合わせするように仕組んだんでしょうね。」
「多分ね。上手いこと言って、その女の人に庭を歩かせたんじゃないかな?それを草刈さんが見つけて・・・・。」
「ならもしあの女の人が来なかったら、捕まえることが出来たってことですか?」
「それは分からない。けどあの怪人のことだから、きっと他の手を打ったと思う。それに・・・・、」
「それに?」
「途中で見失っちゃったのよ。あれだけ厳重に見張ってたのに、いつのまにか見失った。でもまさか、スクリーンにあんな映像を流すなんて思わないじゃない?
だから映写室までは捜さなかったの。」
「なるほど・・・・なんて狡猾な奴だ。」
「早く手を打たないと、次は何を仕掛けて来るか分からない。だから私も協力するわ。」
課長は俺と伊礼さんを交互に見つめ、「あんな怪人の好きになんかさせないわ」と頷いた。
伊礼さんは「そうだな」と頷き返し、「よし!」と言いながら立ち上がった。
「冴木、俺は靴キング!に戻る。」
「え?でも加藤社長は・・・・、」
「ここにいても無駄だ。」
「だけどあの怪人が傍にいるんですよ。目を離すのは危険なんじゃ・・・・、」
「奴は加藤を利用しようとしている。だから助けることはあっても、危害を加えることはないさ。」
「そうかなあ・・・・何をしでかすか分からないと思うけど・・・・。」
「奴は馬鹿じゃない。自分にとって損になることはしないさ。」
そう言って俺の肩を叩き、「冴木、ここからが本番だぞ」と睨んだ。
「あの怪人が本気で何かを仕掛けてくるとしたら、それは選挙の当日だ。」
「でしょうね。その為に演説を妨害したんでしょうから。」
「奴は必ず何かを仕掛けてくる。だけどその時こそ、奴の尻尾を掴めるんだ。」
俺の肩を掴み、「でもその為には準備が必要だ」と言った。
「あいつはこっちから追いかけても、多分捕まえられない。だから向こうから近づいて来た時に捕まえるしかないんだ。」
「分かります・・・・すごく狡賢い奴だから。」
「あいつが本気で動くのは選挙の当日だ。その日までに、何としてもあいつの動きを知る必要がある。そして何か細工を仕掛けてきた瞬間に取り押さえるんだ。」
「でもまた罠を用意してるかも・・・・。」
「ああ、必ず何かの罠を張ってるだろう。だから奴の動きを探る必要がある。選挙は明後日だから、すでに何らかの準備はしてるはずだ。俺はそれを探る。」
そう言ってまた肩を叩き、「お前たちには、あいつ自身の動きに注意してもらいたい」と頷きかけた。
「これからどう動くのか?それを注意深く見ていてほしいんだ。お前と・・・・北川課長で。」
伊礼さんは課長の方を向き、「あんたとコイツを信用する」と言った。
「俺と加藤のように、あんたとコイツもお互いを信頼してる。それほど心強い仲間はいない。」
「伊礼さん・・・・。」
課長は立ち上がり、「任せて下さい」と微笑んだ。
「冴木君と一緒に、必ず怪人を追い詰めてやります。私たちを信じていて下さい。」
「頼む。」
伊礼さんも微笑みを返し、「それじゃ」と去っていく。
しかし途中で足を止め、課長の前に戻って来た。
「北川課長、いつかの非礼をお詫びする。」
そう言って頭を下げた。
「非礼・・・・ってなんのことですか?」
「あなたが靴キング!へ来られた時、大変失礼な態度を取ってしまった。申し訳ない。」
「いえいえ!そんな・・・・、」
「あの怪人の手前、俺は道化を演じるしかなかった。敵であることがバレないように。」
「分かってます。だから気にしていませんよ。」
「奴が散々にあなたを罵っても、それを止めることすら出来なかった。きっと一番触れられたくないことだったろうに・・・・。」
また頭を下げ、「すまなかった」と謝る。
課長は「いいんですよ、そんなの」と首を振る。「顔を上げて下さい」と言って、伊礼さんに笑いかけた。
「あなたが謝る必要なんてありません。それに・・・私もあなたの事を誤解していましたから。」
「誤解?」
「かなり無茶をする人だって噂が流れてたんです。恫喝じみたやり方で部下をコキ使うって。」
「厳しく声を上げることもありますよ。現場を任される者としてはね。」
「でもそれは、人を育てる為だったり、会社のことを思ってのことでしょう?だから謝るのは私の方です。噂なんか信じちゃって・・・・ごめんなさい。」
課長もペコリと頭を下げる。
伊礼さんは肩を竦め、「ほんとに真面目な人だ」と笑った。
「あなたはどこか加藤に似ていますよ。」
「私が?」
「今度の選挙、あなたも立候補すればよかったのに。」
「いえ、私は・・・・・、」
「分かっています、会社を辞めるんでしょう?」
「前から考えていたことなんです。だから選挙が終わったら、もうこの会社には・・・・、」
「あなたの人生だから、あなたの思うようにすればいい。だけど・・・・もったいない。」
伊礼さんはそう言って厳しい目をした。
「地位があり、居場所があり、そして自分を慕ってくれる仲間がいる。みんなが欲しがるものを、あなたは持ってる。それを捨てるというんだから、ずいぶん贅沢な話だ。」
「私はそんなつもりじゃ・・・・、」
「分かっています。あなたはまだ若いから、外の世界に憧れを抱いている。でもそれでいい。一度外に出て、過去の自分を振り返ってみるといい。
いかに自分が幸せだったか気づくはずですよ。」
「だから・・・そういうことじゃ・・・・、」
「違和感があるんでしょう?このままここにいてもいいのか?外の世界には、まだ見ぬ何かがあるんじゃないか?
でもね、あなたが思うほど世界は広くないんですよ。なぜなら・・・本当に大切なものは、いつだって傍にあるんですから。」
そう言って俺の方を見て、「な?」と笑いかけた。
「え?あ・・・はい・・・・。」
「冴木、いつまでもグズグズしてると、大切な人を他の奴に奪われるかもしれないぞ。」
「それ・・・・いつも思ってます。」
「前に教えただろう?女にモテる秘訣を。」
「・・・・・・なんでしたっけ?」
首を傾げて尋ねると、「信頼だよ」と指をさされた。
「お前はもうそれを持ってる。だから後はお前次第だ。いつまでも遠慮してると、大切な人がどこかへ消えてしまうかもしれないぞ。」
伊礼さんは「じゃあな」と手を振り、病院を後にした。
「あの人・・・・カッコいいけど、ちょっとキザったらしい所があるよな。いや、良い人なんだけどさ・・・・。」
去りゆく伊礼さんの背中を見つめながら、「課長!」と呼ぶ。
「え?・・・・ああ、何・・・?」
「やりましょう!あの怪人をブッ飛ばすんです!」
「そうだね。あんな自分勝手な奴の為に、私たちの会社をどうこうさせるわけにはいかない。」
「でも課長、もうすぐ辞めるんでしょう?」
「そうだけど、今はまだこの会社の人間だから。それに私が辞めた後でも、みんなが安心して働けるような場所であってほしいから。」
「だったら残ればいいのに・・・・、」
「ん?何か言った?」
「いえいえ!何でも・・・・・。」
慌てて手を振り、《こんなんだから俺はダメなんだよなあ・・・》と項垂れた。
「冴木君、私たちも行こう。ハリマ販売所に戻って、これからのことを話し合わなくちゃ。」
「販売所に戻るんですか?本社じゃなくて?」
「だって本社では迂闊に動けないじゃない。どこに怪人の手が伸びてるか分からないんだから。」
「ああ、そっか。」
「それと君の店には仲間がいるでしょ?」
「もしかして・・・・箕輪さんたちにも手伝ってもらうんですか?」
「もちろん。だってその方がいいでしょ?何も知らないまま心配させるよりかは。」
そう言って俺の背中を押し、「早く行こ!」と歩き出した。
《課長・・・ちょっとだけ元気が出て来たみたいだな。この人って、意外とこういう逆境でこそ力が出るのかも。》
課長に背中を押されながら、病院を後にする。
車に乗り込む前、一度だけ振り返って加藤社長を思い浮かべた。
《俺・・・絶対にあの怪人をやっつけますからね!その時まで消えちゃダメですよ。》
加藤社長の命がいつまでもつのかは分からない。でもそう長くはないんだろうなという気がした。
これは神様が与えてくれた、ほんのわずかな時間。怪人を倒す為の、あの世に行くまでの執行猶予みたいなもんだ。
《きっと加藤社長は神様に気に入られているんだな。でも俺にだって神様がいる、課長という女神が。》
課長が傍にいる限り、俺は挫けない。だって課長は、俺にとって勝利の女神なんだから。
この人が傍にいてくれるなら、何でも出来るような気がした。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第二十三話 時間がない(1)

  • 2016.05.14 Saturday
  • 08:19
JUGEMテーマ:自作小説
大勢の前で喋るなんて、小学校の作文の表彰式以来だ。
あの時も上手く喋ることが出来なくて、みんなに笑われた。
だけど今はあの時とは違う。
この演説には選挙が懸っているし、俺は絶対に社長になると決めたからだ。
ていうか、ならなくちゃいけない。
下らない奴が偉くなって、一生懸命頑張ってる人が辛い思いをしない為に。
真剣に働いている人が、悪い奴に利用されない為に。
そして何より・・・・・俺と課長の明るい未来の為に!
一つ息をついて、気持ちを落ち着かせる。
頭に浮かべたスピーチを、「え〜・・・」と引きつった声で喋り始めた。
その瞬間、ドッと笑いが起きた。
あまりに声が引きつったもんだから、変な呻き声みたいになってしまったのだ。
「緊張し過ぎ!」
「ちゃんと喋れよ!」
笑いと一緒にヤジが飛んできて、重役のおっさんも鼻で笑っている。
《くっそ〜・・・・出だしからつまづいた。》
悔しくなって黙り込むと、ふと課長の顔が目に入った。
最前列の席で、真っ直ぐに俺を見ている。
《・・・そうだよ。みんなが聴いてると思うから緊張するんだ。だから独り言だと思って喋ればいいんだ。ていうか、課長に語り掛けるつもりで・・・・。》
気を取り直し、「あの〜・・・」と喋り出す。
またヤジが飛んできたが、気にせずに続けた。
「わたくし、冴木晴香は、恐ろしく無能な社員です。」
そう言うと、またドッと笑いが起きた。
「商品の場所は覚えないわ、発注書は間違いだらけだわ、遅刻はするわ怠けてばかりいるわ、それにクレームの客にキレそうになるわで、いい所なんて一つもありません。」
会場が爆笑に包まれ、「よく今までクビにならなかったな!」と突っ込まれる。
「要領も悪いし、勘違いも多いし、人も話も聞いてないし。」
「ある意味すごいぞ兄ちゃん!」
また爆笑・・・・・。
「見た目からして頼りなさそうだし、基本的にはボンクラです。私のいる店には四人の従業員がいるけど、私と店長は役に立ちません。」
「だはははははは!」
「だから女性の従業員二人で回しているようなもので、特にセールの時なんかは殺意を覚えるほどです。」
そう喋りながら、《これ箕輪さんの愚痴じゃないか!》と突っ込んだ。
「まあ何をやらせても駄目な男で、一か月目のアルバイトに仕事を助けられる始末です。」
「いよ!ダメ社員の鑑!」
「私はすごく怖がりなのに、冴木さんが電柱の陰から出て来た時は、ほんとうにビックリしました。本物の変質者だと思って、危うく通報するところでした。」
そう喋りながら、《今度は美樹ちゃんの愚痴だよ!》と突っ込んだ。
「こんなボンクラがいるせいで、ハリマ販売所の箕輪凛、栗川美樹は本当に大変な思いをしています。
店長も役に立たないので、冴木ともどもクビにして、新しいスタッフを寄こして欲しいです。」
「がははははは!だーっはははははは!!」
「この会社が実力主義である限り、こいつは何年勤めても出世は出来ないでしょう。いっそのこと、本社の庭の草むしりでもやらせておけばいいと思います。」
「おいおい兄ちゃん!そのスピーチ考えたの誰だ?ただの悪口じゃねえか!」
会場はもはや爆笑の嵐で、みんな腹を抱えている。
でも俺は気にせずに続けた。
「散々愚痴ってしまいましたが、ウチの店はそれくらい大変ってことです。以上、箕輪凛、栗川美樹による冴木晴香の紹介でした。」
そこでいったん区切ると、「終わっちゃったよ!」とさらに笑いが起きた。
最前列の重役も、プルプル震えながら笑いを我慢している。
タコのおっさんなんか、呆れたように首を振っていた。
でも俺はやめない。まだスピーチは終わってないし、それに・・・課長が見ているから。
真剣な目で俺を見て、俺の言葉に耳を傾けてくれているから。
「冗談はさておき、ハリマ販売所の仲間として、冴木晴香を本気で推薦します。
こいつはさっき言ったように、どうしようもないボンクラです。だけどそれでもいい所はあって、決して誰かを傷つけたりしないということです。」
水を飲み、乾いた口を湿らす。緊張はとうに消えて、今はスピーチを伝えることだけに集中していた。
「稲松文具はとても良い会社です。年齢、性別、学歴、出身、そういったもので差別を受けることがないからです。
純粋に実力だけを評価して、優れた者を上に立たせてくれます。だから現場の社員だって、素直に上の人間を認めることが出来ます。
だけどその分、あまりに実力だけに偏って、人間性というものが少しおろそかになっていると思います。」
噛まないようにゆっくり喋りながら、頭の原稿を読み返す。
会場の笑いは少しずつ収まり、みんな真剣な顔で演説を聞き出した。
「稲松文具は完全な実力主義で、それはとてもいいことだと思います。一切の差別がないこの会社は、これからも実力主義であり続けてほしいです。
だけど何をもって実力とするのか?それをもう少し考えてほしいのです。」
会場の笑いはどんどん鎮まり、やがてシンと静かになる。
「成果のみを実力とするなら、例え悪人でも社長になれるということになってしまいます。
極端な話、連続殺人犯だって、こんな大きな会社の社長になれるかもしれないということです。もしそうなったら、皆さんは安心して仕事が出来ますか?
成果だけを評価して、人間性なんてまったく見なくて、ただ売り上げや利益だけを追求するような会社になってしまったら、そこで働こうと思いますか?」
会場の静まり返った空気の中、みんなを見渡してから続ける。
「冴木晴香はどうしようもないボンクラで、何にも仕事なんて出来ません。だけど決して悪い奴じゃなくて、大切な人の為なら命だって懸けるような奴です。
自分が死ぬかもしれない危険があっても、それを顧みずに誰かを助けようとします。
だから私たちハリマ販売所の一同は、冴木晴香を社長に推薦します。ボンクラだけど、人としては信用出来るこの男なら、社長の器に相応しいと思うからです。」
また水を飲み、ふうっと息をつく。
少しだけ緊張がぶり返してきたけど、それよりもスピーチへの集中力が勝る。
「稲松文具には仕事の出来る人がたくさんいます。しかも実力主義だから、上に立つ人たちはみんな優秀です。
だけどその優秀の尺度は、あくまで成果だけです。もちろん人間的に素晴らしいと思える人だっています。
いつもウチの販売所に顔を出してくれる北川課長は、仕事も人間性も、尊敬に値する人です。」
そう言って課長の方を見ると、まったく表情を変えずに俺を見つめていた。
『大丈夫、ちゃんと聴いてる。』
その目はそう言っているような気がした。
「冴木は仕事は出来ないけど、人としてはこれ以上ないくらいに素晴らしいものを持っています。だから一人くらいは、そういう人間が上に立ってもいいと思います。
成果だけではなく、人間性だって実力と評価するなら、冴木は間違いなく候補者の中で一番優秀な奴です。
彼が上に立ってくれるなら、きっとみんなが安心して働ける会社になると思います。私たちハリマ販売所のスタッフは、心からそう信じています。」
箕輪さんと美樹ちゃんが作ってくれたスピーチを喋り終え、大きく息をつく。
会場はまだ静まり返っていて、みんなが俺のことを見つめていた。
「あの・・・・・、」
俯きながら口を開き、「分かると思うけど、今のは俺の考えたスピーチじゃありません」と言った。
「俺の店の仲間が考えてくれました。あの人たちにはいつだって迷惑をかけて、足を引っ張っています。よく怒られるし、たまにシバかれたりもします。」
会場から少しだけ笑いが起きて、でもすぐに静まり返る。
「正直なところ、俺は社長の器だなんて思ってません。きっとここにいる誰よりも仕事が出来ないだろうし、要領だって悪いと思います。
ほんとに・・・・よく今までクビにならなかったなって、自分でも不思議に思うくらいです。」
クスクスと笑いが起きるけど、もうヤジは飛んでこない。
最前列の重役たちはむっつりした顔をしているけど、でも課長だけは小さく頷いてくれた。
「そんな俺みたいなボンクラが今までやってこれたのは、助けてくれる人たちがいたからです。
いっつも怒られて、いっつも怒鳴られて、でもありがたい事に見捨てられなかったんんです。
なんだかんだ言って助けてくれるし、いつだって仲良くしてくれます。俺・・・ミスなんてしっちゅうだけど、それでもフォローしてくれる優しい先輩や後輩がいて・・・・、」
そこで課長を見つめ、「本社の偉い人だって、いつも気にかけてくれて・・・」と頷いた。
「こんなどうしようもない奴なのに、どうしてみんな助けてくれるんだろうって・・・・いっつも不思議なんです。
最近でも他の会社の偉い人から、すごく良くしてもらって・・・・。その人が言うには、俺には可能性があるらしいんだけど、でも自分じゃ分かりません。」
会場を見渡し、グラスに残った水を一気に飲み干した。
わずかな緊張を流し込み、今言うべきことだけを思い浮かべる。
「最近、俺の回りで色々と傷ついている人達がいます。不安になったり、酷いことを言われたり、それに・・・自分の大切なものが奪われてしまうんじゃないかって。
でもその人たちは、誰よりも真剣に頑張っています。能力もあって、やる気もあって、俺なんか全然足元にも及ばないような人達です。
なのに・・・・そういう人達が苦しんで、悪いことを企む奴が得をしてるんです。」
課長を見つめると、少しだけ唇を噛んで眉を寄せていた。
俺は頷き、最後まで演説を続ける。
「仕事は一人じゃ出来ません。青臭いかもしれないけど・・・・でも助け合いがないと出来ないんです。
自分のことだけを考えたり、自分の利益だけを求めたり・・・・そういうことをしていると、本当に評価されるべき人が、ただ辛い思いをしてしまいます。
勝手なことをして、何でも自分中心に考えて、周りのことなんかお構いなしに・・・・・。
そんな奴がいるから、能力もあって、真剣に頑張ってる人達が報われないんです。だってそういう人達こそが、本当は上に立つべきなのに!」
なんだか熱くなってきて、グラスに残った水滴を飲み干す。
上着を脱ぎ、ネクタイを緩め、「俺は!」と叫んだ。
「俺は社長になっても!給料は今のままでいいです!庭の草むしりだってやるし、雑用でコキ使ってもらったって構わない!
だけどその代わり、人事には口を出させて下さい!悪いことを考えてる奴とか、平気で人を裏切ったりする奴とか、そういう奴が上に立てないようにしたいんです!
だってそうでしょ!この会社が本当に実力主義だっていうなら、どうして能力のある人間が苦しんでるんです!
誰よりも頑張って、誰よりも会社のことを考えて・・・・誰よりも周りのことを考えて・・・それに加えて優秀なのに・・・・、」
加藤社長、それに課長のことを思い浮かべ、喚くように言った。
「みんなの上に立つべき人が、意地の悪い奴の為に苦しんでいる!
こんなの間違ってる!そんなの全然実力主義なんかじゃない!ただ身勝手な奴だけが上に立てる、クソみてえな場所だ!」
怒鳴るように喚き散らし、「はあ・・・はあ・・・」と肩を揺らす。
「俺が社長になったら、まずやるべきことは決まっています。評価の中に、人間性だって加える。
そうすれば、悪い奴は上から排除されて、本当に凄い人達が上に立てる。彼が社長になって、そして・・・・俺の一番大切な人が会長になれる。
そうすれば、きっと今より気持ちよく仕事が出来るはずです。辛いことやしんどい事はゼロにはならないけど、でもそれは仕方がない。だって仕事なんだから。
でも背負わなくてもいいものを背負ったり、味あわなくてもいい苦しみを味わったり、そういうのを失くしたいんです。だから俺を・・・・社長にして下さい!お願いします!」
台に手を付き、頭を下げる。
会場は静まり返っているけど、でも俺はずっと頭を下げていた。
するとパチパチと拍手の音が聴こえて、ゆっくりと顔を上げた。
「・・・・・・・・・。」
静まり返った会場の中で、課長が拍手をしている。
真っ直ぐに俺を見て、小さく頷きながら・・・・・。
するとだんだんと拍手の数が増えてきて、やがて会場全体から拍手の波が押し寄せた。
最前列に座っていた重役たちも、褒めているのか怒っているのか分からないような顔で拍手してくれた。
ちなみにタコのおっさんは、顔を真っ赤にしていた。
沸騰するほど真っ赤にしながら、目を潤ませて拍手している。
《なんだよあのおっさん・・・意外と良い奴じゃんか。》
涙にむせぶタコのおっさんに、親指を立てる。
「ぶぐッ・・・・・まだこんな熱い若者がいたとは・・・・・えふッ!」
おっさんはピンクのハンカチを取り出し、おいおいと泣いていた。
俺は頭を下げ、手を振りながら壇上を降りる。
足を止めて振り返ると、課長と目が合った。
《課長・・・ビシッと決めてやりましたよ。もし俺が社長になったら、ゆくゆくは二人でこの会社を・・・・、》
妄想に浸っていると、《お時間ですので早く出て下さい》とアナウンスに言われた。
俺はそそくさと会場を出て、「はあ〜・・・・」と息をついた。
「なんか終わった途端に緊張が・・・・。俺、よく最後まで喋れたな。」
演説なんて大仕事を終え、どっと疲れる。
タバコが吸いたい気分になって、外へ向かって歩き出した。
すると誰かが「よう!」と言って、足を叩いてきた。
「見事な演説だったな。」
「加藤社長!」
「ウケるかスベるかのどっちかだと思ってたけど、まさかみんなを感動させちまうなんてなあ。やっぱりお前を信じて間違いじゃなかった。」
そう言って嬉しそうに笑い、「バン!」と撃った。
「いえ、あれは箕輪さんと美樹ちゃんが考えてくれたもんだから・・・・、」
「でも後半はお前の言葉だろ?」
「まあ・・・・なんていうか、咄嗟に出て来ちゃったんですよね。今思うと、けっこうだいそれた事言っちゃったなあって恥ずかしいんですけど。」
「心配するな、元々恥の塊なんだから。」
そう言ってバシバシと俺の足を叩く。
「あの・・・ところで怪人は方はどうなったんです?やっぱり見つからなかったんですか?」
「まあな。すでに伊礼が捜してくれてたんだけど、それらしい奴は見つけられなかったとさ。」
「そっか・・・・もう逃げられた後か・・・・。」
「ここで捕まえれば、小細工の証拠だって見つかったかもしれないのに・・・・。」
「じゃあもう・・・婆さんの顔に戻って、靴キング!に帰ってるとか?」
「かもな。だから俺と伊礼は靴キング!の方に戻る。何かあったら連絡してくれ。」
「分かりました。」
加藤社長は手を振って去って行く。
あの人がどんな演説をしたのか興味があるけど、でもそれは後で見られる。
本社へ来られない社員の為に、会社のパソコンで映像を流してるはずだから。
「でもそうなると、常務の恥ずかしいスライドショーも全国の店に流れたことになるよな?あの人・・・・これからどうなるんだろう?」
可哀想だとは思うけど、でも自業自得な気もする。
あの人は散々女子社員を利用して、最後は自分が利用された終わったんだから。
「因果応報ってやつか。俺も日々の行いには気をつけないとな。」
加藤社長の小さな背中を見送りながら、「俺も店に帰ろ」と歩き出した。
「箕輪さんと美樹ちゃんにお礼を言わないと。」
一仕事終えて、ご機嫌な気持ちで会社を後にする。
その時、何かが倒れる音が聴こえて、「ん?」と振り返った。
「・・・か・・・加藤社長!」
「・・・・・・・・・・・・。」
廊下の先で、加藤社長がグッタリと倒れている。
俺はすぐに駆け寄り、「しっかりして下さい!」と抱えた。
「どうしたんですか!加藤社長!?」
「・・・・・・・・・・。」
「これヤバイ・・・・、」
顔は真っ青で、唇が震えている。全身が小さく痙攣していて、半開きの目が真っ白になっていた。
「早く・・・・早く病院に!」
スマホを取り出し、119を押そうとする。
すると会場から人が出て来て、こちらに歩いてきた。
気絶した加藤社長を抱える俺を見て、誰もが足を止める。
するとその後ろから、「みんなどうしたの?」と課長が出て来た。
「何を立ち止まって・・・・・、」
そう言いかけて、すぐに俺たちに気づいた。
「課長!加藤社長が・・・・、」
俺が言い終える前に、こっちに駆け寄る。「加藤社長!」と軽く頬を叩き、何度も呼びかけた。
「何があったの冴木君?」
「分かりません!いきなり倒れたんです!」
「とにかくすぐに救急車!それと誰か担架を持って来て!」
課長が怒号を飛ばし、何人かが医務室の方へと走って行く。
その間にも加藤社長の痙攣は酷くなり、まるで電気を流されているみたいにガクガクと震えた。
俺はすぐに救急車を呼び、課長は何度も名前を呼びかける。
やがて医務室から担架が運ばれてきて、常駐している医者も一緒にやって来た。
「ちょっと見せて!」
医者は加藤社長の様子を見て、すぐに顔を歪めた。
「これ危ないな・・・・早く病院に運ばないと。」
それを聞いた課長が、「なら私の車で近くの病院に・・・」と言った。
「無理だ。何かが原因でショック症状が起きてる。これは救急医療のやってる所じゃないと・・・・、」
医者は悲痛な顔で「とにかく医務室へ」と叫ぶ。
加藤社長は担架に乗せられ、ガクガクと震えながら運ばれていった。
その時、かすかにこう呟いたのが聴こえた。
「もう・・・・時間が・・・・・、」
「時間?」
そう呟いたのが聴こえて、眉を寄せた。
加藤社長は医務室へ運ばれて行き、周りはざわざわとどよめいている。
「いったい何があったの?」
課長が心配そうに尋ねて、俺は「分かりません」と答えることしか出来なかった。
「いきなり倒れて、それでガクガク震え出して・・・・、」
「先生は何かのショック症状って言ってたよね?もしかして・・・加藤社長って何かのアレルギーがあったのかな?」
「分かりませんけど・・・・でも無事でいてほしい。せっかく演説をして、これからが本番なのに・・・・。」
運ばれて行く加藤社長を見つめながら、去り際に言ったことを思い出す。
『もう・・・・時間が・・・・・』
これがいったい何を意味しているのか、なんとなく分かるような気がした。
《加藤社長・・・・あなたの魂は、まだ向こうへ行っちゃダメですよ。せめてあの怪人を倒すまでは・・・・。》
本当なら、あの人はもう死んでいる。
でも何の因果か知らないけど、またこうして戻って来た。加藤猛という子供の姿を借りて。
それはきっと、大切なものを守る為だと思う。
親父さんが必死に頑張って築き上げた会社を、あの怪人から守る為に。
拳を握りながら、どうか無事でいて下さいと願った。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第二十二話 失脚(2)

  • 2016.05.13 Friday
  • 13:04
JUGEMテーマ:自作小説
本社の庭で、一人の男と一人の女が揉めていた。
男の方は草刈という本社の取締役。
そして女の方は怪人・・・・・のはずだった。
だったんだけど、俺はその顔に違和感を覚えた。
怖がる女を無視して、じっと顔を見つめる。
そして「これ、違う・・・」と呟いた。
「あんた・・・・怪人じゃないな。」
「は?」
「俺が写真で見た女は、二重瞼だった。でもあんたは一重だ。」
「な・・・何を言ってんの?」
「それにほくろの位置も違う。顔に幾つかほくろがあるけど、俺が記憶してる位置と全然違う。」
女の顔は、パッと見は写真の女と瓜二つだ。でもよくよく見てみると、細かい部分が違っていた。
「う〜ん・・・・また顔を変えたってことも考えられるけど、どうもなあ・・・・・なんか違う気がする。
どうせ顔を変えるなら、まったく別の顔になるだろうし・・・・。」
まじまじと女の顔を見つめていると、彼女のケータイが鳴った。
「あ!」
女はすぐに電話に出て、「もしもし!」と言った。
「ちょっと今困ってるの。助けてくれない?」
そう言って誰かと話し、「うんうん、そう・・・」と頷く。
「・・・・分かった。」
最後に大きく頷き、「はい」と草刈にケータイを押し付けた。
「私のことを誰と勘違いしてるのか知らないけど、でも私はあんたなんか知らない。」
「まだ誤魔化す気か?」
「嘘だと思うなら電話に出てみなさいよ。」
「・・・・・・・・・・。」
女は強気な目で睨む。草刈は顔をしかめながら、「もしもし?」と耳に電話を当てた。
「・・・・え?ああ・・・はいはい。・・・・ああ!そうですか、ええ・・・・・。」
さっきまで強気だった顔が、見る見るうちに萎えていく。最後は「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げ、女に電話を返した。
「あの・・・・失礼いたしました。」
「私が誰だか分かった?」
「ウチの株主の娘さんとは知らず・・・・・失礼なことをいたしました。申し訳ありません。」
深く頭を下げ、「無礼をお詫びいたします」と謝った。
「今日は選挙の演説があるから、父の代わりに私が聴きに来たんです。投票は出来ないけど、次期社長候補を見て来いって言われて。それがいきなりこんな事されるなんて・・・・、」
「申し訳ありません。」
「何度言っても信じてくれないし、電話を掛けようとすると腕を掴まれるし・・・・最悪。」
女は「もう帰る」と言って、そのまま去ってしまう。
警官が呼び止めても、無視して行ってしまった。
「・・・・・・・・・・・。」
草刈は悔しそうな顔で彼女の背中を睨む。そして警官に向かって、「いつまでいるんだ?」と舌打ちをした。
「もう用は終わっただろう?さっさと帰れ。」
そう言って背中を向け、スタスタと歩いていく。途中で振り返り、「冴木、お前はクビだ」と言った。
「もう来なくていい。」
「いや、選挙があるんで。」
「出なくていいよ。」
「あんたに言われる筋合いはありません。」
「俺は取締役だ。人事権を持ってる。」
「だから?」
「何?」
「俺は選挙に立候補したんです。だからこれから演説に行かなきゃいけないんです。」
「お前なんか出たって通るか。」
「もし通ったら、あんたみたいなのは真っ先にクビにしてやるよ。そっちこそ覚えとけ。」
ガードマンを押しのけ、草刈とは反対側に歩いていく。
後ろから「冴木!このままですむと思うなよ!」と聞こえたが、「うるせえよ」と呟いて無視した。
「なんなんだよまったく・・・・せっかく気分転換に出たのに、逆に腹たっちまった。」
イライラしながら会社に戻り、「でもおかげで緊張が消えた」と頷いた。
「もうそろそろ俺の時間だろ。箕輪さんと美樹ちゃんが考えてくれたスピーチ、ばっちり決めなくちゃな。」
頭の中のスピーチを読み返しながら、廊下を歩いていく。
すると目の前から加藤社長が走って来て、「冴木!」と叫んだ。
「ああ、加藤社長。そろそろ俺の番ですよね?」
「馬鹿!それどころじゃないんだよ!」
そう言って引きつった顔をした。
「はあ・・・はあ・・・・、」
「えらい疲れてますね?どうしたんです?」
「お前を捜してたんだよ・・・・どこほっつき歩いてたんだよまったく・・・・。」
「ああ、すいません・・・ちょっと色々と・・・・、」
「いいからとにかく来い。」
俺の手を掴んで、一目散に走り出す。
そして演説の会場まで連れて行くと、「あれを見ろ」と指さした。
「あれ?」
「壇上のスクリーンだ。あそこに写ってるもん・・・・よく見ろ。」
そう言われて、俺は大きなスクリーンを睨んだ。
そこには一人の女が映っていて、カメラ目線で笑いかけている。
「あ!あの女って・・・・、」
「例の愛人だ・・・・。」
「なんであの人がスクリーンに・・・・、」
「分からない・・・。でも白川常務が演説をしてる途中に、急に流れ始めたんだ。」
「流れる?」
「スライドショーだよ!次々に写真が流れていって、常務の情事が映ってる。」
加藤社長の言うとおり、スクリーンの映像は次々に切り替わっていった。
愛人の顔、どこかのホテルの部屋、そして・・・・バスローブ姿の白川常務。
他にも二人でキスをしている場面や、裸で抱き合う場面。
白川常務の免許やカードまで映し出されて、最後は情事に及んでいる映像まで流れた。
「これ・・・・いったい・・・・、」
驚きながら見つめていると、そのスクリーンの前で佇む男がいた。
「常務・・・・。」
白川常務は放心しきった顔で、後ろのスクリーンを見上げている。
会場に集まった社員がざわざわとざわめき、女子社員からは悲鳴が上がっていた。
「なんなんですかこれ?いったいどうなって・・・・、」
ざわめく会場を見渡しながら、延々と繰り返されるスライドショーを見つめる。
するとさっきの草刈って男が壇上に駆け込んできて、常務の腕を引っ張った。
「中止!演説は中止だ!」
そう叫んで、「誰かこれを止めろ!」と言った。
白川常務は放心したまま草刈に引きずられ、壇上から姿を消す。
スクリーンの映像もすぐに消されたが、会場のざわめきは消えなかった。
あちこちで「なんだこれ?」とか「キモい」とか声がして、女子社員の悲鳴が増していく。
「加藤社長・・・・これっていったい・・・・、」
「決まってるだろ、香川の婆さんだよ。」
「あの怪人が・・・・・?」
「てっきり俺の時に何かを仕掛けてくると思ったのに、常務の時にやりやがった。」
「・・・・・・・・・・。」
「俺を持ち上げるんじゃなくて、対抗馬を叩き落としたんだ。常務の愛人になって、あんな写真を流すことで・・・・。」
「そんな・・・演説中にこんなことを・・・・、」
「やるんだよ、あの婆さんは。前にも言ったけど、人をいたぶるのが大好きだからな。しかもやり方が汚い。」
「マジか・・・・あの怪人・・・・。」
「呑気に呟いてる場合じゃないぞ。」
加藤社長は俺を見上げ、「次のターゲットはお前だ」と言った。
「最も強力な対抗馬は潰した。なら次に狙うのは・・・・お前だよ、冴木。」
不安そうに眉を寄せて、「ダークホースは試合を狂わせるからな」と言った。
「一番の敵を潰した後は、不確定要素の排除だ。あの婆さんはとにかく慎重だから、ちょっとでもリスクがあると、それを潰そうとする。」
「俺・・・・けっこうヤバイ状態ってことですか?」
「だって偽の記事でお前を潰そうとしてたんだぞ。それが失敗に終わったから、必ず次の手を打って来るはずだ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「冴木・・・・お前、あの婆さんに接触してないだろうな?」
真剣な目でそう聞かれて、「実は・・・・」と答えた。
「さっきそれらしき人に会ったんです。」
「本当か!?どこで?」
「会社の庭です。さっき常務を引っ張って行った男と揉めてて、それを俺が止めたんです。」
「そうか・・・・やっぱりここへ忍び込んでやがったか・・・・。」
「あ、でも・・・・、」
「でも?」
「なんか違うなあって感じがしたんです。」
「違う?何が?」
「俺、一度あの婆さんに会ってるわけですよ。クレーム付けたに来た時に。でもね、なんかあの人とは雰囲気が違うなあと思って・・・・。」
そう答えると、「お前は雰囲気まで記憶出来るのか?」と尋ねられた。
「お前は雰囲気だけで同一人物かどうか見抜くことが出来るのか?」
「う〜ん・・・見抜くっていうより、なんか違うなあって感じたとしか。」
「ただの勘か?」
「まあそうですね。だけどさっきのが本物の怪人だったら、誰かに見つかる様なヘマはしないと思うんです。
もっと上手く忍び込んで、誰にも見つからずに逃げて行くと思うんだけど・・・・・。」
さっき会った女を思い出し、「やっぱ違いますよ、あれ」と頷いた。
「根拠はないけど、でも絶対に違うと思う。」
「・・・・・そうか。」
加藤社長も頷き、「お前の勘が正しいとするなら・・・」とスクリーンを睨んだ。
「怪人はまだ近くに潜んでる可能性がある。」
「ですね。白川常務をもっと追い詰めようとしてるかも。」
「あの婆さんを放っておくと、何をしでかすか分からない。もう選挙どころじゃなくなるぞ・・・・・。」
「そうですかね?あの婆さんは加藤社長が当選しないと困るから、選挙を潰しに来たわけじゃないと思うんですけど・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「きっと何が何でも選挙はやると思うんですよ。これって会長の肝入りだし、そうしないと新しい社長も決まらないし。」
「・・・・・・・・・。」
「だけどまあ・・・・演説は中止になるかもしれないですね。みんなさっきの映像で混乱して、演説なんて耳に入らないでしょうから。」
「・・・・・・・・・。」
「でもまあいいんじゃないですか?残りは俺一人だけだったわけだし、ほとんど演説は終わったみたいなもんでしょ?
せっかくスピーチを考えてくれた箕輪さんと美樹ちゃんには悪いけど。」
そう言いながら頭を掻くと、「お前・・・」と睨まれた。
「お前・・・いいこと言うな。」
「え?」
「そうだよ・・・・お前の言う通りだよ・・・・。」
「だってあの二人、けっこう真面目にスピーチを考えてくれましたからね。俺だって何度も練習したわけだし、やっぱ出来ることならバシっと決めたかったっていうか・・・・、」
「違う!そうじゃなくて・・・・、」
加藤社長は壇上を睨み、「これもあの婆さんの罠なんだ」と言った。
「あいつは白川常務を潰すだけじゃなくて、お前に演説をさせないことも目的だったんだ。」
「はい?」
「だってさっきも言っただろ?一番の敵を潰した後は、不確定要素の排除だって。あの婆さんは、白川常務の恥ずかしい映像を流すことで、お前の演説も中止に追い込んだんだ。」
「まさか。俺の演説なんか中止にしたって、なんのメリットも・・・・、」
「あるよ。だってお前は、やる時はやる男だからな。普段はボンクラでも、いざとなれば別人みたいに変わる。あの婆さん・・・・きっとそれを見抜いてたんだ。」
そう言って一歩前に歩き、人が入り乱れる壇上を見つめた。
「そもそもお前が一番最後ってのがおかしいと思ったんだ。なんでお前がトリなのか・・・・俺も不思議に思ってた。」
「たまたま・・・・じゃなかったってことですか?」
「多分な。きっとあの婆さんが仕組んだに違いない。一番最後に回しておけば、さっきの映像を流した後で、お前の演説も中止に追い込めるからな。」
「・・・・・・・・・・・。」
「みんな知らないんだよ・・・・お前が秘めてる大きな可能性を。ていうかお前自身も気づいてない。
だけど俺や祐希、それに・・・・あの婆さんは気づいてる。キッカケさえあれば、お前は大きく化けるって。
稲松文具の社長になれるほどの、大きな器だってな。」
そう言って振り向き、「だから俺はお前を信じる」と頷いた。
「お前には演説をやってもらわなきゃいけない。香川の婆さんは俺と伊礼が捜し出す。」
加藤社長は駆け出し「伊礼の所へ行って来る」と言った。
「お前は壇上へ上がれ!そしてみんなの前で演説をするんだ!お前の仲間が考えてくれたスピーチを、お前の口から言ってやれ!」
そう言って人混みを掻き分け、どこかへ消えていった。
「加藤社長・・・・・。」
彼の小さな背中を見送り、壇上に目をやる。
そこでは大勢の人がごった返していて、怒号が飛び交っていた。
「誰がこんな映像流しやがった!」
「知らないよ!ていうか演説の責任者は誰だよ!?会長に知れたらタダじゃすまないぞ!」
「北川課長だ!」
「北川課長!?どこにいるんだ!」
「だから知らないって!」
「とにかく中止!演説は中止だ!」
最前列で座っていた重役たちが、壇上で喚いている。
だけど集まった社員たちは治まらない。さっきよりもどよめきが増し、「どうなってんだ?」とか「あの映像何?」と叫んでいた。
壇上の重役は「いったんここから出るんだ!」と促すが、誰も出て行こうとしない。
怒ったり困ったり、中には笑って楽しんでる奴もいた。ていうか・・・・楽しんでる奴がほとんどだな。
だってある意味こんなお祭り騒ぎはないんだから。
特に男性社員は「ざまあ見ろ」とか「やっぱただの女たらしだ」とか、散々に罵っている。
重役たちは「出て行かないならつまみ出すぞ!」と言い、「やれるもんならやってみろ!」と男性社員が怒鳴る。
会場は怒号の嵐になり、みんな何を言ってるのか分からない。
「・・・・演説・・・・まだ俺が残ってる・・・・。このまま終わらせてたまるか。」
怒号の飛び交う中を駆け抜け、壇上に向かう。
「すんません!ちょっと通して!」
人の波を掻き分けながら、壇上へと駆け上がる。
「なんだ君は!?」
でっぷり太った重役のおっさんが、「演説は中止だぞ!」と詰め寄って来た。
「さっさとここから出るんだ!」
「出ません!」
「何い?」
「だって俺も候補者だから!まだ俺の演説は終わってないんです!」
「だから中止だと言ってるだろうが!」
「中止はしません!続けます!」
「お前にそれを決める権限などない!」
「あんたにだってねえよ!これは会長が始めた選挙だ!あの人が中止って言わない限り、誰も中止になんか出来ないんだよ!」
「選挙の話じゃない!演説を中止と言って・・・・、」
「うるせえ!引っ込んでろデブ親父!」
「な・・・デブ親父!貴様あ〜・・・・・、」
おっさんは顔を真っ赤にしながら掴みかかって来る。
でもその時「やらせてやれよ!」と声がした。
「まだそいつが残ってんだろ!喋らせてやれ!」
「俺は聞きたいぞ!」
「さっきの女たらしよりいい話するんじゃないのお!?」
会場からヤジが飛び、おっさんはプルプルと震え出す。
「お、お前らあ・・・・・、」
茹ダコみたいに真っ赤になりながら「さっき言った奴ら全員クビだ!」と叫んだ。
「お前もお前も!そこのお前もクビだ!」
そう喚いて、「ついでにお前も!」と俺を指さした。
「冴木晴香!お前のことは知ってるぞ!」
「あ、そう。」
「どうしようもないボンクラだと聞いている!クソの役にも立たんとな。」
「まあ当たってる。」
「お前・・・・前の事件で会長に気に入られてるからって、調子に乗ってるんだろう?言っとくがな、ウチは完全実力主義だ。いくら会長に気に入られようが、出世など絶対に・・・、」
「いいからどけよタコ。」
「た・・・タコだと!」
もはや沸騰寸前のおっさんを押しのけ、スピーチ台の上に立つ。
すると「そいつを引きずりおろせ!」とおっさんが叫んだ。
周りにいた重役の取り巻きが、俺に掴みかかる。
「放せこの野郎!」
一人を投げ飛ばすと、後ろから別の奴が掴みかかってきた。
他にもワラワラと群がってきて、俺は壇上から引きずり降ろされそうになる。
「くっそ!放せ!俺は演説をするんだよ!」
会場からは「やらせてやれよお!」と声が飛ぶが、さすがにここまで助けに来てくれる奴はいない。
抵抗も虚しく、ついに壇上から引きずり降ろされた。
「そいつはもうクビだ。庭のゴミ箱にでも捨てておけ。」
おっさんはそう言って、「ふん」と鼻を鳴らす。
俺はズルズルと引きずられ、会場の出口へ運ばれた。
「放せよコラ!俺は演説をするんだ!まだ俺の番が残ってんだよ!」
俺を掴む連中をガシガシ蹴りながら、どうにか抵抗する。
だけど多勢に無勢で、俺は会場から放り出されそうになった。
しかしその時、「待って下さい!」と声がした。
「まだ演説は終わりません!」
そう言って会場の入り口から現れたのは課長だった。
颯爽と中に入って来て、「冴木君を放しなさい!」と睨んだ。
「演説は続けます。だから彼に喋らせてあげて下さい。」
俺を掴む取り巻き連中を睨み、キッと目を釣り上げる。
するとさっきのおっさんが「何を言ってるんだ!」と怒鳴った。
「こんな事態になって演説など出来るか!」
「いいえ、中止にはしません。」
「会場は混乱してる。とても演説など出来る状況じゃない。」
「この演説の責任者は私です。中止か続行かは私が決めます。」
「責任者だからこそ、君の方から中止命令を出してもらいたい。そのボンクラ・・・・私の言うことなどまったく聞かんのでな。」
そう言って顔を真っ赤にしたまま、「クビにしただけでは足りん男だ」と吐き捨てた。
「だいたいいくら会長の娘だからって、何でも言う事を聞くと思ったら大間違いだぞ。」
「・・・・・・・・・。」
「どうせ君は来月で辞めるんだろう?だったらもう気を遣う必要もない。君がこの件の責任者だと言うのなら、ちゃんと責任を取ってもらわにゃならん。
そこの男と一緒に、今すぐここから出て行ったらどうかね?」
おっさんは勝ち誇ったように言う。そして「さっさとその男を摘まみ出せ」と怒鳴った。
しかし課長は「待ってって言ってるでしょう!」壇上に上がり、おっさんの前まで詰め寄った。
「会長の命令です。」
「何?」
「演説は決して中止にするなと、会長から命令が出ているんです。」
「なに・・・・会長から・・・・?」
「先ほどまで会長に会っていたんです。その時にこの騒ぎが耳に入ったものだから、すぐにこう進言しました。
候補者には演説をする権利がある。だから決して中止にはしないで下さいと。」
「いや、しかしこの状態では・・・・、」
「この件の責任者は私です。そして会長から、何があっても演説を続けるように言われました。」
「む・・・うう・・・・、」
「私は責任者として、演説の続行を命令します。だから彼にも喋らせてあげて下さい。」
課長は怯むことなくビシっと言う。
その姿はとても凛としていて、俺はなんだか誇らしくなった。
「課長!」
俺を掴んでいた連中を振りほどき、壇上まで駆け上がる。
「課長、俺は・・・・、」
「分かってる。君がそういう目をしてる時は、必ず何かをやってくれる時だって。だから・・・・期待してる、君の演説。」
そう言ってニコリと微笑み、スピーチ台に手を向けた。
俺は頷き、台の上に上がる。
おっさんは顔を真っ赤にしながら怒っていたけど、さすがに会長の命令とあれば逆らえない。
「え〜・・・ううん!あ、あ〜・・・・・、」
コンコンとマイクを叩き、乾いた唇を舐める。
広い会場に集まったみんなの視線が、俺だけに向けられる。
緊張はあるけど、でもそれ以上にやる気が湧いてくる。
せっかく課長が与えてくれたチャンス、無駄にするわけにはいかない!
箕輪さんと美樹ちゃんが考えてくれたスピーチを、「あの〜・・・」と引きつった声で始めた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第二十一話 失脚(1)

  • 2016.05.12 Thursday
  • 12:42
JUGEMテーマ:自作小説
レストラン喫茶「うみねこ」
今日、そこで祐希さんの弟子だった意地汚い野郎に会った。
課長を晒し者にする記事を書くなんて・・・・俺は絶対のそんなことは許さない。
だから祐希さん仕込みの柔道で、しっかりと絞め落としてやった。
「まったく・・・・世の中にはとんでもない奴がいるもんだ。でっち上げの記事で人を傷つけようなんて。」
イライラしながら、腕時計を確認する。
時刻は午後3時45分。
俺は本社の控室の中で、お腹を押さえてウロウロしていた。
ここには選挙に出る候補者たちが集まっていて、重い空気が流れていた。
誰もがむっつりした顔で腕を組み、瞑想のように目を閉じている。
ウロウロしているのは俺一人だけで、みんな選挙の演説に向けて集中していた。
《やばい・・・・めちゃくちゃ緊張してきた。》
控室から出て、トイレに駆け込む。
本社に来てから四回もトイレに駆け込んでいて、キリキリと引きつるお腹を押さえた。
「ああ〜・・・こういうの苦手なんだよなあ・・・。スピーチは頭に入ってるけど、上手く喋る自信が・・・・。」
俺は人見知りってわけじゃないし、対人関係が苦手なわけでもない。
でもこういう大きな舞台で喋るのは、ほとんど経験がない。
「みんなの前で喋るなんて、小学生の時の作文で表彰されて以来だもんなあ・・・。ああ・・・噛んだりとかしたらどうしよう・・。」
何度も何度もスピーチを唱え、絶対に間違えないように繰り返す。
トイレの鏡に向かって、「俺は出来る子だ!」と暗示をかけた。
「昔っからそう言われてきたんだ。俺はやれば出来る子だって。だからきっと上手く喋れる・・・。」
加藤社長のアドバイスを思い出し、「どうせ誰も聴いてないんだ」と呟いた。
「俺の話なんて誰も聴いてない。だから緊張しなくたって平気さ。独り言を喋るのと同じなんだから。」
鏡に向かってそう喋りかけるが、その顔はピクピクと引きつっていた。
トップバッターはカグラの副社長で、その次が伊礼さん。
三番目に加藤社長と来て、四番目にカグラの社長。
そして五番目に白川常務で、なぜか俺が最後になっている。
「なんで俺がトリなんだよ・・・・三番目とか四番目とか、地味な順番にしてくれればいいのに。」
どうしてこんな順番になったのかは知らないけど、でも一番最後というのは緊張する。
「大丈夫、俺は出来る子。ネットで落としたクソ難いゲームだって、一回全滅だけでクリアしたんだ。きっとやれば出来る!」
しっかりと暗示をかけて、バチン!と頬を叩く。
「よっしゃ!よっしゃ!」と言いながら拳を握り、勇ましくトイレを出た。
すると誰かとぶつかって、「痛ッ・・・」と転びそうになった。
「ちょっとアンタ!どこ見て・・・・、」
そう言いながら振り返ると、「痛たた・・・」と足を押さえて倒れる女性がいた。
「ぬ・・ぬう・・・ぬあああああああ!」
俺は頭を抱えて絶叫し、「大丈夫ですかああああ!!」と駆け寄った。
「課長!すいません!」
「ううん、大丈夫だから・・・・、」
「ああ!俺ってばなんてことを・・・・。課長に怪我を負わせるなんて・・・、」
「そんな大袈裟な・・・。怪我なんてしてないから平気よ。」
「万死だ!俺は万死に値する!」
「だから大袈裟だってば・・・・、」
「病院!今すぐ病院行きましょう!レントゲンとかMRIとか、それに血液検査とか脈拍とか!どこか異常がないか検査を・・・・、」
「だからあ・・・・大したことないってば!」
課長は立ち上がり、「ただ転んだだけよ」と笑って見せた。
「いいえ!何かあってからじゃ遅いんです!今すぐ病院へ行きましょう!」
「だから平気だって・・・・・あ!ちょっと・・・・、」
俺は課長を抱きかかえ、「誰か救急車を!」と叫んだ。
「課長の命が懸ってるんだ!」
「ちょっと!恥ずかしいからやめて!」
「恥ずかしがってちゃ命は救えない!課長の為なら、俺は火の中水の中・・・・、」
そう叫びながら走っていると、また誰かとぶつかった。
「痛ッ・・・・、」
まるで岩にぶつかったみたいな衝撃を受けて倒れる。
だけど課長だけは守ろうと、身を挺して受け止めた。
「ぐほあッ!」
「冴木君!大丈夫!?」
「か・・・・課長・・・・ご無事ですか・・・・?」
「私は平気だって。それより君の方こそ・・・・、」
課長は俺に手を伸ばして心配してくれる。
しかしその手を遮るように、「大丈夫ですか?」とゴツイ手が割って入った。
「すみません。気づかなくて。」
そう言ってゴツイ手で俺を掴み、片手でヒョイと持ち上げた。
「お怪我は?」
「あ・・・いえ・・・、」
「北川課長は?」
「あ・・・いえ!私も平気です・・・・。」
「それはよかった。」
俺を助けたのは、まるでゴリラみたいに厳つい男だった。
スーツがはち切れそうなほどパンパンになっていて、顔は岩みたいにでこぼこしてる。
だけど目はとてもキラキラしていて、どっちかっていうと優しそうな印象だ。
ゴツイ男は俺を下ろし、「冴木さんですね?」と尋ねた。
「ええっと・・・はい。」
「先ほど控室でお会いしましたね。」
「そ、そうですね・・・・。」
「わたくし、カグラ副社長の鬼神川周五郎と申します。」
「は・・・はあ・・・なんとも凄いお名前で・・・・。」
「選挙の演説、わたくしが最初に務めさせていただきます。どうぞよろしく。」
そう言って深々と頭を下げ、「では・・・」と去って行った。
「な・・・なんか凄い人だな。まるで山の不動みたいだ。」
鬼神川副社長は、防弾チョッキよりも頑丈そうな背中を見せつけながら去っていく。
すると課長が「凄い迫力でしょ?」と笑った。
「あ、課長!お怪我は!?」
「だから平気だってば。」
「何かあったら困ります!すぐに病院へ・・・・、」
「またさっきみたいなことしたら怒るよ?」
「え・・・・?」
「すっごく恥ずかしかったんだから。」
「・・・・・ごめんなさい・・・つい慌てて。」
シュンと項垂れると、「ほら」と俺の手を取って立たせてくれた。
《や・・・柔らかい手・・・・。三日は絶対に洗わないぞ!》
感動しながら自分の手を見つめていると、「さっきの人がカグラの副社長よ」と言った。
「ええ、知ってます・・・・。さっき控室で見ましたから。」
「あそこの会社は、なんだか迫力のある人が揃ってるのよ。」
「みんなマッチョなんですか?」
「そうじゃなくて、その・・・・・なんて言うのかな?どこか人間離れしてるっていうか・・・・普通の雰囲気じゃないっていうか・・・・、」
「お化けみたいな感じとか?」
「う〜ん・・・・口で言うのは難しいなあ・・・。でもやっぱり変わってるの。だけど良い人達ばかりだから、心配しなくても平気なんだけどね。」
そう言って「冴木君は一番最後だったよね?」と微笑んだ。
「はい!でも緊張しちゃって・・・・、」
「仕方ないよ、選挙の演説なんて初めてなんだから。」
「俺、絶対に途中で噛んじゃいます・・・・・。もしそうなったら、せめて笑ってやって下さい!」
「そんな後ろ向きにならないで。いつもみたいにのほほんと喋ればいいんだから。」
「いつもみたいっていうのが難しいんですよ・・・・・。」
「そうかもしれないけど、でもみんなの前で喋るなんて滅多にないことよ。良い経験だと思って楽しめばいいのよ。」
ポンと俺の肩を叩いて、「私もちゃんと聴いてるからね」と微笑んだ。
「か・・・課長も・・・・?」
「もちろん。だって冴木君の会社に対する思いが聴けるわけでしょ?私、楽しみにしてるの。だから失敗してもいいから、最後まで頑張って。」
そう言ってまた微笑み、「私は会長に用があるから、それじゃ」と去って行った。
「か・・・・課長も聴く・・・・。そうか、そうだよな・・・・全社員の前で演説なんだから、課長だって聴いてくれるんだ。」
去りゆく課長の背中を見つめながら、「よっしゃ!」と気合を入れ直す。
すると誰かにポンポンと足を叩かれて、「気合入ってるな」と言われた。
「加藤社長・・・・俺、やりますよ!だって課長が聴いてくれるんですから。」
「お前ってほんとにあの女のことになると目の色変わるよなあ。」
「だって俺の女神ですからね。もしくは天使。」
「ベタ惚れだな。」
加藤社長は可笑しそうに笑って、「すぐに順番が回ってくるさ」と言った。
「一人の持ち時間は五分。多分カグラの連中はすぐに終わるだろうから、お前に回って来るまで20分前後ってところだ。」
「大丈夫です!課長が勇気をくれましたから!」
「意気込むのはいいけど、本当の目的を忘れるなよ?俺たちが倒すべき相手は・・・、」
「分かってますよ、怪人でしょ?」
「さっきから香川の婆さんに連絡が取れないんだ。きっと顔を変えてコソコソ動き回ってるに違いない。」
「それも大丈夫!俺は絶対に社長になってみせます!そうすりゃ怪人なんて、一本背負いで樺太まで飛ばしてやりますよ。」
「なんか不安だなあ・・・・自分で言っといてなんだけど、ほんとにお前を信じてもいいのか・・・・、」
加藤社長は大きなため息をつく。すると控室から伊礼さんが出て来て、「もう俺の番だ」と言った。
「カグラの副社長、挨拶だけして終わりやがった。奴らほんとに野心がないもんだ。」
「そっか。」
「俺もすぐに切り上げる。そうしたら加藤・・・・お前の番だ。」
「俺が演説する時、多分香川の婆さんが動くと思う。今は白川常務に有利だから、どうにか巻き返しを図ろうとするだろうからな。」
「心配しなくても、俺がちゃんと注意しとくさ。お前は演説に専念してくれ。」
「ああ。」
二人は頷き合って、「それじゃちょっと行ってくるわ」と伊礼さんは去って行った。
「あいつは俺を社長にしたがってる。お前じゃなくてな。」
「分かってます。伊礼さん、加藤社長のことを信じてるんですよ。あなたならいい会社にしてくれるはずだって。」
「あいつも香川の婆さんを倒すことだけが目的じゃないのかもな。」
「あの人って熱いですよね。クールなように見えるけど、でもなんか・・・・熱い感じがします。」
去りゆく伊礼さんを見つめながら、「あ、またお腹が・・・」と押さえた。
「俺・・・ちょっと外の空気を吸って来ます。」
「おいおい、大丈夫か?」
「すっごい緊張してるんですよ。みんなの前で喋るなんて、小学校の時以来だから・・・。」
「壇上でウンコ漏らすなよ。」
「しませんよそんなこと。でも・・・このままじゃそうなるかも・・・、」
お腹を押さえながら、エレベーターに向かう。
加藤社長が「遅れるなよ〜」と笑った。


            *


「はあ〜・・・・やっぱダメだ。すっごい緊張する。口の中が乾いてきた・・・・。」
外のベンチでお茶を飲みながら、「ふう・・・」と息をつく。
お腹のギュルギュルは治まったものの、緊張はまだ収まらない。
一人ベンチに座りながら、本社の大きな庭を眺めた。
ここは遊歩道になっていて、外部の人間でも入ることが出来る。
近くには小さな公園もあって、よく親子連れが遊んでいる。
庭の奥には通路が伸びていて、その先は階段になっていた。
そこから先は本社の入り口に繋がるので、関係者のみの立ち入りになっている。だから厳ついガードマンたちが目を光らせていた。
俺はお茶を飲み干し、近くのゴミ箱に投げる。
タバコが吸いたくなってきたけど、あいにく禁煙中で持っていない。
「・・・・買いに行くか。」
近所にコンビニがあるので、そっちに向かって歩き出す。
遊歩道を親子連れが通っていき、風船を持ちながらはしゃいでいた。
「俺もいつか親になるのかなあ・・・・。お嫁さんはもちろん課長がいいな。子供は一姫二太郎で、そんで俺と課長で会社を支えて・・・・、」
妄想病が始まって、課長との夢のような生活を思い浮かべる。
あの笑顔が毎日俺に向けられる。子供が出来たら、俺と子供だけに向けられる。
それはきっと幸せな家庭だと思うし、もう何もいらないってくらいに天国だと思う。
でも・・・・本当にそんな未来が来るのか、ちょっと分からない。
社長になればそういう夢も可能だろうけど、さすがに今のままのボンクラ社員じゃ、子供どころか課長さえ養えないから。
「やっぱアレだな・・・・男は出世してこそだよ、うん。稼いでなんぼだもん、男は。」
ブツブツ言いながら、遊歩道を抜けていく。
するとその時、遠くから誰かの怒鳴り声が聞こえた。
「なんだ?」
振り返ると、俺のいる反対側の歩道で誰かが怒鳴っていた。
一人は男、もう一人は女だ。
怒鳴っているのは女の方で、男は肩を竦めて首を振っている。
「なんだ?痴話喧嘩か?」
興味を惹かれて、コソコソと近づく。そして木陰に身を隠しながら、その様子を見つめた。
「・・・・・・・・あ!」
俺は思わず声を上げた。
じっと目を凝らし、「あいつ確か・・・」と息を飲む。
「あの女・・・・・あれって写真の女じゃないか。」
レストラン喫茶「うみねこ」で、加藤社長から見せられた写真を思い出す。
あの時見た五枚の写真の中に、あの女と同じ顔の奴がいた。
「・・・・まったく同じだ。髪型は違うけど、顔は一緒だ。」
女はとても綺麗で、まるでモデルみたいに美人だった。
ちょっと面長で、鼻がシュッと高い。
唇は厚めだけど、でもすごく色っぽい感じで綺麗だ。
目は気が強そうに吊り上がっているけど、垂れた眉毛に愛嬌がある。
「あの写真と同じ女ってことは・・・・あいつが怪人ってことだよな?」
自由自在に顔を変える、怪人二十面相。
そいつがどうしてここにいるのか、ちょっと考えた。
「あいつはあのクレーマーの婆さんと同じ人間だ。てことは、加藤社長の演説の手伝いに来たのかな?」
そう思ったが、「いや、それは違うか」と首を振った。
「もしそうなら、わざわざ顔を変えて来る必要がないもんな。ならどうして別の顔になって・・・・、」
じっと様子を見つめていると、女は男の脛を蹴飛ばした。
男は痛そうに膝をつき、「てめえ!」と叫ぶ。
そして女に飛びかかって、首根っこを押さえつけた。そのまま拳を振り上げ、今にも殴ろうとしている。
「やばい!」
俺は咄嗟に駆け出し、「おいやめろ!」と止めに入った。
「手え出すんじゃないよ。」
そう言って男の拳を掴むと、「なんだお前」と膝蹴りを入れられた。
「ぐほッ・・・・、」
「邪魔するなガキ。」
髪の毛を掴まれ、力任せに投げられる。
しかし祐希さん仕込みの柔道のおかげで、咄嗟に受け身を取った。
そしてくるりと一回転して立ち上がり、後ろから掴みかかった。
「この野郎!」
「なんだガキ!?引っ込んでろ!」
男は振り向きざまに殴りかかって来るが、一瞬早く俺の内股が決まった。
男は宙を舞って地面に叩きつけられ、「へばッ!」と悲鳴を上げた。
「いきなり殴りやがってこの野郎!」
「げほッ・・・・おまえ・・・・俺が誰だか分かってんのか・・・・、」
「知らねえよテメエなんか!」
「お・・・俺は本社の取締役だぞ・・・・。」
「へ?取締役?」
「草刈だ・・・・。」
「草刈って・・・・なんだ?あんた芝生の清掃員か何か?」
「ウチの社員のクセに、重役の名前も知らないのかよ・・・・。」
そう言ってげほげほとせき込み、「くっそ・・・」と苦しそうにする。
すると女が「もう警察呼ぶ!」とケータイを取り出した。
「なんなのよアンタ!いきなり絡んできて・・・・バカじゃないの!」
そう言って顔を引きつらせ、「もしもし?警察ですか?」と通報した。
《な・・・なんなんだ?》
状況が飲み込めず、「あの・・・」と男を振り向く。
「ウチの重役って・・・・ほんとですか?」
「本当だ・・・。草刈狩生・・・・取締役だ。」
「へ、へえ・・・・そうなんだ・・・・・。」
冷や汗をダラダラ流しながら、「さて、演説に行かなきゃ」と立ち上がる。
「じゃ、俺はこれで。」
「待て待て・・・・逃げるな貴様・・・・。」
草刈なる男は、まだ苦しそうにして立ち上がる。そして俺の前まで来て、「お前・・・・冴木晴香だろ?」と睨んだ。
「そう呼ばれることもあります。でもあなたを投げたのは冴木ではありません。」
「はあ?」
「さっきのは・・・・そう!なんか別人が乗り移ったんですよ。だから俺の意志じゃないっていうか・・・・・、」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・すいません・・・俺が投げました。」
ペコリと頭を下げると、バチン!と叩かれた。
「痛ッ!」
「お前・・・・クビになりたいか?」
「だ、だって!女の人を殴ろうとしてたから・・・・。」
「バカ!こいつはスパイなんだよ!」
「す、スパイ・・・・・?」
「そうだ。こいつは怪人と呼ばれる詐欺師で、会社に寄生する虫なんだよ。」
「・・・・・・・・・・。」
「いいか冴木。俺たちが何も知らないと思ったら大間違いだ。お前がコソコソと靴キング!の連中と接触してること、それに白川常務をスパイしていたことも知ってるんだぞ。」
「・・・・覚えがありません・・・。」
「目を逸らすな。」
顎を掴まれ、グイッと正面を向かされる。
「お前だって知ってるはずだろ?怪人のことを。」
「さ・・・・さあ?」
「とぼけても無駄だ。今日の昼、「うみねこ」って喫茶店で加藤と会ってただろう?」
「そ、そうだったかな・・・・?」
「お前の行動は逐一監視してるんだ。誤魔化そうなんて思うなよ。」
怖い目で睨まれて、また目を逸らした。
「お前はそこで聞いたはずだ。怪人二十面相のことを。」
「・・・・・・・・・。」
「靴キング!の香川って婆さんのことだ。あいつは自在に顔を変え、どこにでも潜り込む。そして会社に寄生しては、養分を吸い取るんだよ。」
「・・・・・・・・・。」
「そして・・・・今目の前にいるこの女が、その怪人だ。こいつは顔を変え、本社に潜入しようとしてやがった。それを俺が止めようとしてたところなんだよ!」
顎を掴まれ、ガクガクと揺さぶられる。
俺はその手を払い、「あー!あー!知ってますよ!」と言い返した。
「俺だって気づいてましたよ!その女が怪人だって!」
「だったらなんで邪魔した!?」
「だって殴りかかろうとしてたからですよ。」
「こっちは蹴られたんだ。殴ってでも大人しくさせるしかないだろうが!」
「咄嗟のことだから仕方ないでしょ!俺・・・・悪くないっす!」
腕を組んでそっぽを向くと、「貴様あ〜・・・」と睨まれた。
本社の重役は怖いけど、でも俺が社長になればすむ話だ。
だから無視を決め込んだ。
すると遠巻きに見ていたガードマンたちが、「何かあったんですか?」と近づいて来た。
「おいお前ら。そこの女を拘束しろ。それとこっちのボンクラも。」
そう言って俺の足を蹴り、「お前・・・・タダですむと思うなよ?」と睨んだ。
重役の命令とあって、ガードマンたちは俺と女を取り押さえる。
女は「やめてよ!」と抵抗し、「誰かあ〜!」と叫んだ。
遊歩道を歩いていた人たちが、何事かと目を向ける。
草刈は「見るな見るな」と言って、シッシと手を振った。
そこへ遠くからパトカーの音が聴こえてきて、遊歩道の中へ入って来た。
三台のパトカーから警官が降りてきて、「こっちこっち!」と女が手招きをする。
「この男です!」
そう言って草刈を指さし、「早く捕まえて!」と喚いた。
警官たちは「何があったんですか?」と俺たちを見渡す。
「こっちの男がいきなり絡んできたの。それで私の手を掴んで、どこかに連れて行こうとしたんです!」
警官は草刈を見つめて、「あんた・・・確か稲松文具の?」と尋ねた。
「ああ、ここの人間だ。」
「何があったか詳しく教えてもらえますか?」
「断る。」
「断るって・・・・・、」
「答える義務はない。」
「いや、こっちは通報を受けて来たんですよ。だから話を聞かないと状況が分かりません。」
「話すことなんてない。そこの女が勝手に喚いているだけだ。」
そう言って、「その女もウチの会社の人間だ」と続けた。
「仕事の話でちょっと揉めてな。それでまあ・・・ヒステリーを起こしただけだ。何も問題はない。」
強気に警官を突っぱね、「ご苦労さん、もう帰っていいよ」と手を振った。
警官たちは顔を見合わせ、困ったように唇をすぼめる。
稲松文具は世界に名だたる大企業で、しかもずっとこの街に根付いている。
だから当然地元の議員や警察とも親しいから、警官たちはおいそれと手が出せないみたいだった。
女は「そんなの嘘よ!早く捕まえてよ!」と喚き、警官はさらに困った顔になる。
唇をすぼめ、眉間に皺を寄せ、どうしたものかと仲間と顔を見合わせている。
だけど俺は、警官たちとは別の意味で唇をすぼめていた。眉間に皺を寄せ、じっと女の顔を見つめる。
「な・・・何よ?」
「・・・・・・・・・・。」
「じろじろ見ないでよ、気持ち悪い・・・・。」
怖がる女を無視して、じっと顔を見る。そして「これ、違う・・・」と呟いた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第二十話 宣戦布告(2)

  • 2016.05.11 Wednesday
  • 12:57
JUGEMテーマ:自作小説
レストラン喫茶「うみねこ」
ちょっとシャレた外観を見上げながら、カランコロンと鐘を鳴らして店に入った。
「おう冴木!こっちこっち!」
奥の席に加藤社長が座っていて、その隣に一人の女性がいた。
俺はその女性を見るなり、「祐希さん!」と叫んだ。
「よ、元気してる?」
ハツラツとした声でそう言って、俺に手を振る。
「どうしたんですかこんな所で。」
笑顔で駆け寄ると、「ちょっと仕事でね」と笑った。
祐希さんは後ろで束ねた髪を揺らしながら、「まさかまたこうして会うなんてね」と微笑んだ。
「それはこっちのセリフですよ。前の事件の時はお世話になっちゃって。」
「いいのよ、あれもある意味仕事だから。」
この人は御神祐希さんといって、かつて俺と一緒にスパイをしていた人だ。
本業はフリーのカメラマンで、かなり怪しげな仕事でも引き受ける。
とてもクールな美人だけど、でもサバサバとして気取らない性格だった。
オシャレをすればもっと美人なんだろうけど、仕事一筋でいつも動きやすい恰好をしている。
今日だって細くて白いジーンズに、地味なTシャツだった。
でもすごくスタイルが良くて、思わず見入ってしまう。
「どうしたの?欲情して。」
「え?いやいや!違いますよ!」
「私今年で43よ?よかったら歳の差恋愛でもしてみる?」
「いやいや・・・だからそういう目で見てたわけじゃなくて・・・・、」
「冗談よ。」
可笑しそうに笑いながら、ポンと俺のおでこを叩く。
「とりあえず座りましょ。昼ご飯は?」
「まだです。」
「加藤社長が奢ってくれるって。ステーキでも頼んじゃえば?」
「じゃあそうします。ええっと・・・特上サーロインステーキを二つと・・・・、」
「若いわねえ。」
可笑しそうに笑う祐希さんを尻目に、運ばれてきた分厚いステーキを頬張る。
むっちゃくっちゃと肉を噛みながら、「ほへへひょうはほんはひょうひで?」と尋ねた。
「飲み込んでからにしなさい。行儀が悪いから。」
「ふひはへん。」
一枚目をペロリと平らげ、二枚目に取り掛かる。
すると加藤社長が「ウチの重役のことだ」と言った。
「前に話した香川部長のこと、覚えてるか?」
「ははわふほう?」
「総務部長の婆さんだ。靴キング!を私物化してる。」
「はあはあ!ほほへへはふ。」
「実はな・・・・あの婆さんにはもう一つ通り名があることが分かったんだ。」
「ほほひは?」
「あの婆さんの通り名はパラサイト。会社を乗っ取って、養分を吸い尽くしちまうんだ。」
「ひっへはふ。ほんへもはいはふふでふね。」
「ああ、とんでもない奴だ。でもな、もう一つ通り名があることが分かった。それは・・・・怪人だ。」
そう言われて、「はいいん・・・」と肉を食べるのを止めた。
「いいから先に食え。」
「はひ。」
もっちゃくっちゃとステーキを押し込み、水で流し込む。
ふうっと一息ついてから、「怪人ってなんですか?」と尋ねた。
「まさか人でもさらって食べちゃうんですか?」
「いや、そうじゃない。二十面相って意味だ。」
「二十面相?」
「怪人二十面相。要するに、自由自在に顔を変えられるってことだ。」
そう言ってテーブルの上に数枚の写真を並べた。
「ここに五枚の写真がある。」
「全部女の人ですね。」
「いや、男も混じってる。この右のやつ。」
「ああ、ほんとだ。」
「でもって、こっちの二枚はお前も知ってるはずの顔だ。」
加藤社長は、左側の二枚をとんとんと叩く。
俺はじっと見つめながら、「・・・ああ!この人・・・」と叫んだ。
「この左の写真の人、これ例の愛人じゃないですか!」
「そうだ。お前が見失ったあの愛人だ。」
そう言って、今度は隣の写真を指さした。
「でもって、こっちの写真に写ってるのが香川の婆さんだ。」
「・・・・ああ!こっちはあのクレーマーの・・・、」
「ゴキブリの足な。」
「えらい怒ってたなあ・・・あの時。」
「ただのイタズラだけどな。」
「この婆さん、すっごい意地悪そうな顔ですよね?昼ドラとかで、嫁をイジメる姑みたいな。」
「実際に若い女をイジメるのが好きなんだ。」
「課長もやられたんですよね・・・この人に。」
「ああ。相当傷ついたはずだ。なんたって人の心を抉るのが趣味だからな。嫌味を言わせたら右に出る奴はいない。」
「くそう・・・・課長の心を傷つけるなんて・・・・。極刑に値する罪だぞ。」
憎きババアを睨みながら、「いつか課長の無念を晴らしてやるからな」と宣戦布告した。
「彼女の為に熱くなるのはいいけど、他の写真も見てくれ。」
そう言われて、残りの三枚の写真を突きつけられた。
「ん〜・・・どれも知らない顔ですね。」
三枚の写真には、左から若い女、おばちゃん、そして男が写っている。
若い女はとても美人で、モデルみたいに綺麗だった。
真ん中のおばちゃんは、この前会った情報通のおばちゃんに似ている。
別人だけど、いかにもその辺にいそうな感じのおばちゃんだった。
最後の男の写真は、何とも言えない地味な顔をしていた。
コーヒーをたっぷり水で薄めたほどの地味さで、もはや味があるのか無いのか分からないほどだ。
「これ、誰ですか?」
知らない三人の顔を見つめながら尋ねると、「全部同一人物だよ」と言われた。
「同一人物?この三人が?」
「違う、三人じゃない。この五枚の写真全てがだ。」
「・・・・・・はあ!?」
「例の愛人、香川の婆さん、そしてこっちの三人。全部同じ人間なんだよ。」
「だ・・・だって・・・・これ全然違う人じゃないですか!」
「顔はな。でも中身は一緒だ。」
「一緒って・・・どう見ても別人ですよこれ!」
五枚の写真を見比べながら、「これ、ホントに同じ人間なんですか・・・?」と眉を寄せた。
すると祐希さんが「本当よ」と答えた。
「通称パラサイト。でもそれ以前は怪人と呼ばれていたわ。」
「二十面相ってことですか・・・・?」
「そう。年齢も性別も一切不明。名前だって分からないし、素顔だって誰も知らない。」
「そんな奴が実際に・・・・、」
「信じられないでしょうけど、こいつには顔を変える技能があるみたいね。」
「技能・・・・ですか?」
「ええ。特殊メイクや化粧を駆使して、まったく別の顔に変わってしまうの。整形とは違うから、短時間で変えることが可能よ。それも何度でも。」
「でもここまで変わるもんなのかな?いくらなんでも変わり過ぎなんじゃ・・・・。」
五枚の写真を摘まみ、「う〜ん・・・」と唸る。
でも祐希さんは「本当のことよ」と言った。
「実はね、私の弟子がその怪人を取材したことがあるのよ。」
そう言われて、「弟子?」と聞き返した。
「こう見えてもキャリアは長いのよ、私。元々は出版社で働いていたんだけど、けっこう早い時期に独立してね。
でも一人で仕事をこなすのは大変だったから、助手を雇ったのよ。そしてその子は今、フリーのジャーナリストをやってるわ。」
「フリージャーナリスト。なんかカッコいいですね。」
「響きはね。でも実際はそんな華々しいものじゃないわ。仕事によっては危険も伴うし、汚い事にだって手を染める。」
「う〜ん・・・・そう言われると嫌な人間のような・・・・、」
「ジャーナリストっていうのは、畏まってちゃ出来ない仕事なのよ。時には相手の痛くない腹まで探って、記事のネタにすることだってある。」
「それって芸能人のゴシップ記事みたいな感じのことですか?」
「そんなもんね。でもその子がやってるのは芸能記者じゃないわ。主に社会や経済の記事を書いてる。」
「ふう〜ん・・・・。で、そのお弟子さんが怪人に会ったことがあると?」
「実はね、その子に怪人から仕事の依頼が来たのよ。」
「依頼?」
「ええ。私の回りをウロチョロしてる奴がいるから、そいつを探ってくれって。そして社会から抹殺するような記事をでっち上げてくれって。」
「そ・・・それってまさか・・・・嘘の記事で相手を潰すってことですか?」
「そうよ。そしてその標的になっていたのが・・・・・君よ。」
祐希さんはビシッと俺を指さす。あまりにビシッと伸ばすものだから、俺の鼻にブスッと突き刺さった。
「痛ッ!」
「ああ、ごめん。わざとじゃないのよ。」
「いや、いいですけど・・・・。でもどういうことですか?なんで俺が嘘の記事で潰されなきゃいけないのか・・・・、」
そう尋ねると、祐希さんはテーブルの写真を摘まんだ。
「こっちの愛人と、こっちのお婆さん。同一人物だって説明したわよね?」
「ええ・・・・。」
「そして君はこっちの愛人をスパイしようとしていた。それはつまり、靴キング!の総務部長である香川をスパイしようとしていたってことよ。」
「・・・・・・ああ!」
「君は上手く尾行していたつもりなんでしょうけど、気配まで完全に殺せなかったようね。
香川は誰かの視線を感じ、それを怪しんだってわけ。そしてこう思った。これはきっと、本社が送り込んだスパイだって。」
「す、スパイ・・・・。当たってる。」
「もうすぐ選挙が近いから、誰もがお互いの腹を探ろうとしているわ。あわよくば弱みを握ろうとね。」
「それ、俺がやろうとしてたことです・・・・。」
「要するに、君の思惑は相手に筒抜けだったってこと。危険を感じた香川は、昔に知り合ったフリージャーナリストを使ってスパイを消すことにした。」
「なるほど・・・・それで祐希さんの弟子に仕事を依頼したのか。」
「私の弟子はすぐに君に辿り着いたわ。そしてもう君を抹殺する為の記事は出来上がっていた。」
「ま、マジで・・・・?」
「マジよ。」
「でも俺なんか抹殺って・・・どう抹殺するんですか?まさか本当に殺すわけでもないですよね?」
「さっきも言ったけど、でっち上げの記事を書くのよ。」
「いや、俺ってただの一般庶民ですよ?偉くもないし、有名でもないし。抹殺されるようなもんなんて持ってないんだけど・・・・、」
「ある。」
「え?」
「あるじゃない。君の一番大切なものが。」
祐希さんは真っ直ぐな目で見つめる。俺は首を捻り、「もしかして・・・この記憶力とか?」と尋ねた。
「違う。もっと大切なもの。」
「もっと大切?・・・・・最近ネットオークションで落とした、昔のレアゲーとか・・・・、」
「馬鹿ね、そうじゃないわよ。君が命を懸けてもいいって思えるくらいに大切なもの。それは何?」
「俺の・・・命を懸けても・・・・、」
そう言われて、また首を傾げた。でもすぐに「ぬあああああ!」と思い当たった。
「ま・・・・まさか・・・・、」
「そう、そのまさかよ。」
「もしかして・・・・・そんな・・・・、」
「君にとって一番大切なもの。・・・・いいえ、一番大切な人ね。」
「き・・・・北川課長・・・・・。」
震えながら答えると、祐希さんは頷いた。
「確かに君は、社会的に抹殺されるようなものなんて持っていない。でも翔子ちゃんはどうかしら?彼女は稲松文具の一人娘で、しかも前回の事件に大きく関わっている。」
「・・・・・・・・・・・。」
「君とは違って、彼女は失うものがたくさんあるのよ。だって・・・・前の事件の首謀者は、彼女の兄なんだから。」
「そう・・・ですね。課長にとって一番触れられたくない部分のはずです。」
「それを面白おかしく記事にされたらどうなるかしら?ある程度の事実を交えつつ、それを誇張して書く。」
「・・・・・・・・・・。」
「翔子ちゃんはあの若さで本社の課長。しかもとびきりの美貌を持ってる。そんな稲松文具の一人娘が、嘘の記事で世間の好奇に晒される。きっとみんな食いつくわ。
もしそんな事になれば、彼女は深く傷つく。今でもかなり参ってるのに、これ以上負担が増えたら、最悪は・・・・、」
俺は「言わないで下さい!」と祐希さんの言葉を遮った。
「それ以上先は・・・・言わないで下さい。」
「そうね。君ならそうやって、何が何でも彼女を庇う。自分はいくら打たれても平気だけど、翔子ちゃんをターゲットにされたらお手上げのはずよ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「きっと香川は強請りをかけてくるわ。偽の記事をでっち上げられたくなければ、私に協力しろって。お前の記憶力を生かして、逆に本社をスパイしてやれってね。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「それを断るなら、翔子ちゃんが世間の晒し者にされる。それはつまり、冴木君だって大きく傷つくはずよ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「あの怪人は人の心を踏みにじることに長けてる。心をへし折ってしまえば、もう二度と刃向おうとは思わなくなるからね。」
祐希さんは感情のない口調でそう言った。
その怪人とやらがどういう奴なのかを伝える為に、わざとそういう風に言ったんだと思う。
でも俺は、逆に心に火が点いていた。
だって・・・・課長は前の事件で苦しんで、今だってたくさんのものを背負って頑張ってる。
それを知りながら、あえて心の傷を利用しようなんて・・・・・。
「祐希さん。」
顔を上げ、五枚の写真を見つめる。
「この怪人・・・・俺が倒します。」
そう言うと、祐希さんは少しだけ眉を動かした。
「前の事件の時もそうでした。一人が勝手な真似をして、どんどん周りの人間が傷ついていく。俺、そういうの嫌なんです。」
写真を手に取り、全員の顔をしっかりと焼き付ける。
輪郭、目の色、唇の形、体形、鼻の大きさ、全てを事細かに焼き付けて、しっかりと記憶に刻み込んだ。
「こいつは卑怯な奴です。コロコロ顔を変えて、絶対に自分の正体をバラさない。そうやって誰からも逃げて、自分勝手なことばかりしてる奴です。
そんな奴・・・・ただそこにいるだけで、誰かを傷つける。俺、そういうのはもう見たくないんです。」
写真を置き、祐希さんの目を見つめる。
「だから俺、もう一度戦いますよ。また前みたいに刺されるかもしれないけど、それでもいい。課長も箕輪さんも、それに他のみんなだって、俺にとって大切な人なんです。
それを・・・・こんな卑しくて汚い奴に壊されたくない。この俺が、逆にこいつの心をへし折ってやりますよ。」
頭に焼き付けた写真を睨みながら、さらに心に火が灯る。
すると祐希さんは「ね?」と加藤社長に笑いかけた。
「いつもと違う顔になったでしょ?」
「・・・・ああ。まるで別人みたいだ。あのボンクラの冴木とは思えない目をしてる。」
「彼はやる時はやる男なのよ。まるで変身ヒーローみたいにね。」
祐希さんは肩を竦めて笑う。そして俺の目を見つめ返し、「でも覚悟はいるわよ?」と尋ねた。
「こいつはある意味前の敵より厄介よ。」
「分かってます。」
「君は強い人間だからいいかもしれないけど、周りはそうはいかない。もし仕留めそこなったら、君の大切な人が二度と立ち直れないくらいに傷つくかも。」
「心をへし折るってことですか?」
「怪人は相手を手玉に取る。そして良いように操って、地獄に叩き落とすのよ。そこから這い上がれる人間は少ない。
みんながみんな、君や加藤社長のように強いわけじゃないからね。」
「大丈夫です。俺がみんなを守りますから。だからその・・・・俺、本気で選挙に挑もうかなって。」
そう答えると、祐希さんと加藤社長は「?」と眉を寄せた。
「だってそうでしょ?いくら悪い奴を倒したって、また現れるんです。だったら俺が社長になって、悪い奴が上に立てないようにしてやりますよ。
そうすれば、みんなが安心して仕事が出来るでしょ?」
ニコッと笑いながら言うと、二人とも目を点にして固まった。
「あの・・・・やっぱだいそれてますかね、俺が社長なんて。」
苦笑いしながら言うと、「お前さ・・・・」と加藤社長が呟いた。
「アホだアホだと思ってたけど、正真正銘のアホだな。」
「そ、そうですか・・・・?一応選挙に出るんだから、本気で挑もうかなって思ったんですけど・・・・やっぱり無理ですかね?」
「いや、俺はお前に期待したい。」
「え?」
「あのな、世の中には良いアホと悪いアホがいるんだ。香川の婆さんは悪いアホだけど、お前は良いアホだ。」
「それ、褒めてるんですか?」
「アホは偉大だよ。だってアホに勝てるのはアホしかしないんだから。」
そう言って指鉄砲を向け、「社長はお前に譲るよ」と撃った。
「俺が社長にならなくても、お前がなってくれれば問題ない。俺はお前のサポートに回る。」
「は?え?」
「俺なんかより、きっとお前の方が良い社長になれる。だから力になるよ。」
「いや、でも・・・・、」
「別に俺は本社の社長になるのが目的じゃない。ただ香川の婆さんを倒したいだけだ。でも多分・・・・俺と伊礼だけじゃ限界がある。
だからお前がやってくれ。俺たちの弾丸になって、あの婆さんを撃ち抜いてほしいんだ。」
また指鉄砲を向け、「頼むぞ」と笑う。
俺は「ええっと・・・」と困りながら、祐希さんの方を見た。
「これ、どうしたらいいんですかね?」
「どうしたらって、自分で言ったんでしょ、社長になるって。だったら責任を持てばいいのよ。」
「責任って・・・・、」
「君は社長になる。そしてみんなを守ればいい。私だって力を貸すわ。」
祐希さんも指鉄砲を向け、「君を込めて鉄砲を撃ったらどうなるのか、私も見てみたいわ」と笑いながら。
「なんか・・・アレですね。自分で言っといてアレなんですけど、俺、けっこうデカイことぶちまけちゃいました?」
二人は「かなりね」と頷き、バン!と撃つ。
するとその時、カランコロンとドアが鳴って、誰かが入って来た。
「すいません先生、遅くなっちゃって。」
そう言いながら入って来たのは、イケメンな若い男だった。しかも・・・・俺の知っている人だ。
祐希さんが立ち上がり、その人に手を振る。
「紹介するわ。私のかつての弟子、風間守君。」
「どうも。意地汚いフリージャーナリストです。」
そう言って頭を下げたのは、あのオシャレな喫茶店のマスターだった。
「あ、これはこれは冴木君。この前はどうも。」
「・・・・・・・・・・。」
「女の子とすっごい喧嘩してたね。もしかして痴話喧嘩?」
「・・・・・いえ。」
「分かってるって。だって君、北川翔子のことが好きなんだろ?とっくに調べは付いてるよ。」
マスターは肩を揺らして笑いながら、「よろしく」と手を握る。
俺は立ち上がり、「あの・・・ちょっといいっすか?」と尋ねた。
「何?」
「あんた・・・・課長を世間の晒し者にしようとしてたって・・・・マジ?」
「マジマジ。だってそれが俺の仕事だもん。」
「・・・・・・・・・・。」
「でもねえ、記事を出す前にたまたま先生に見つかっちゃって。もしそれをばら撒くなら、私があんたを地獄に落とすわよって脅されて。」
「・・・・・・・・・・。」
「ほら?君も知ってると思うけど、先生って柔道の選手だったから。俺、危うく絞め落とされそうになっちゃってさ。」
ヘラヘラ笑いながら言って、「残念だったなあ・・・・アレ良い出来だったのに」と悔しそうにした。
「絶対にウケると思うんだけどなあ。ねえ先生、実名は伏せるから、やっぱりアレ掲載させてくれませんかね?」
嫌らしい笑みを浮かべながら、祐希さんに尋ねる。
俺はこいつの胸倉をガシっと掴んで、「おい」と睨んだ。
「実は俺も祐希さんの弟子なんだ。」
「え?そうなの?」
「ただし・・・・柔道の方のな。」
そう言って祐希さんに目をやると、肩を竦めて頷いた。
・・・・次の瞬間、マスターの身体が宙を舞った。
祐希さん仕込みの内股で、このどうしようもないクソ野郎を床に叩きつけた。
綺麗に回転しながら落ちていったマスターは、「ぐへッ!」とヨダレをまき散らした。
「こ・・・ごほッ・・・・・。おま・・・・いきなり何を・・・・・、」
「黙れこの野郎!この俺がきっちり絞め落としてやる!」
首に腕を回し、胴体に足を絡ませ、がっちりと絞め技を極める。
「く・・・・くふゅッ!・・・た・・・・たすけ・・・・て・・・・。」
マスターはブクブクと泡を吹きながら、白目を剥いて昇天していった。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第十九話 宣戦布告(1)

  • 2016.05.10 Tuesday
  • 12:55
JUGEMテーマ:自作小説
稲松文具は世界に名だたる大企業だ。
その大企業の社長を、選挙で決めることになった。
最初は他人事だと思っていたけど、まさか俺まで立候補することになるとは思わなかった。
人生は分からないものだと言うけれど、まさにその通りだと思う。
今歩いているほんの先さえも見えないほど、何がどうなるか分からない。
良い方へ転ぶこともあれば、悪い方へ転ぶこともある。
でも進んでみなけりゃ始まらないわけで、俺はとにかく選挙に出なくちゃいけない。
だってそうしないと、愛しい女神と結ばれることは出来ないから・・・・・。
社長選挙まであと二日。
俺はそわそわしながら店の中を歩き回り、「うう〜ん・・・」と唸っていた。
「全然ダメだ・・・・何にも情報が掴めない。」
そわそわそわそわしながら唸っていると、「うるさい」と箕輪さんに怒られた。
「子供じゃないんだからウロチョロすんな。」
「だってもうすぐ選挙だから・・・・。」
「どうせあんたなんか落ちるって。悩む必要なんかないでしょ。」
「いや、そういうことじゃなくて・・・・・、」
「じゃあどういうこと?」
「言えません。」
「どうせ危ない事に首突っ込んでるんでしょ?」
箕輪さんは「ふん」と鼻を鳴らし、発注書に目を戻した。
「言っとくけど、こっちにまでとばっちりが来るのはゴメンよ。」
「大丈夫です。みんなには迷惑かけませんから。」
「前はすごく迷惑がかかったんだけど?」
「だって前は元々危ない仕事だったから。でも今回は平気です。」
「あんたの言うことなんて当てにならないのよ。また刺されても知らないわよ?」
そう言ってカリカリと発注書を直している。俺が間違えたやつを。
でも意識は俺の方に向いてるみたいで、「ああ、もう!」と書き間違いをしていた。
そこへ美樹ちゃんが帰って来て、「本社はすごい盛り上がってますよ〜!」と言った。
「なんかもう選挙一色って感じ。」
ワクワクしながら席につき、「私は誰に入れようかなあ」と宙を見上げた。
「あの女たらしは絶対に無しとして、他に有力なのはやっぱり加藤君かなあ。でも伊礼さんっていう人もカッコよかったし・・・、」
指に手を当てながら、「あ、冴木さんいたんですか?」と驚く。
「てっきり本社の方へ行ったと思ってたのに。」
「行ったけど帰って来た。だってやることないし。」
「まあそうですよね。」
「ていうかさ、美樹ちゃんは俺に入れてくれないの?」
「ええっと・・・・冴木さんがいるのに気づかなくて・・・・ごめんなさい。」
「別に謝らなくてもいいけど・・・。」
「大丈夫!私、絶対に冴木さんに入れますから!」
「ホントに?」
「大丈夫ですってば!この販売所のみんなは、冴木さんに入れますから。ねえ箕輪さん?」
「え?ああ・・・・そうね。0票だったら可哀想だし、お情けで入れてあげてもいいわ。」
「店長だって冴木さんに入れますよね?」
そう言われた店長は、げっそりした顔で「僕は棄権する・・・」と答えた。
「そんなのダメです。同じ店の仲間なんだから、冴木さんに入れてあげないと可哀想です。」
「今はそれどころじゃないんだよ・・・・。昨日から嫁さんが帰って来なくて・・・・。」
店長は暗い顔でスマホをいじっていて、「全然出てくれない・・・」と嘆いた。
「じゃあ私が店長の分も入れておきますね。冴木さんの名前で。」
美樹ちゃんは笑顔でそう言って、「よかったですね、冴木さん!」とガッツポーズをした。
「ええっと・・・とりあえずありがとう。」
どう答えていいのか分からなくて、苦笑いで返した。
その時、スマホの着信が鳴って、「ちょっとごめん」と電話に出た。
箕輪さんが「仕事中はマナーモード」と怖い顔で睨んできたので、そそくさと店を出た。
「箕輪さん・・・最近いつもよりイライラしてるな・・・。」
ぶるっと肩を震わせながら、「もしもし?」と電話に出る。
『よう冴木!』
「ああ、加藤社長。お疲れ様です。」
『疲れるほど働いてないよ。』
「俺もです。だからお疲れ様って挨拶が、いつもピンと来なくて・・・・、」
『お前はもうちょっと働けよ。』
笑いながらそう言われて、『で、スパイの方はどうだ?』と聞かれた。
『何か分かったか?』
「いえ・・・まったく。」
『なんだよ。選挙は二日後だぞ?なのに何も分かってないのか?』
「す・・・・すいません。」
『せっかく伊礼が愛人の名前と住所を調べてくれたのに。』
「だって・・・・その人もうその住所にいなかったから・・・・、」
『なんだって!いない!?』
「はい。全然マンションに出入りしてる様子がないから、近所の情報通っぽいおばちゃんに尋ねてみたんです。そしたらついこの前出て行ったみたいよって。」
『その情報は確かなのか?』
「確かだと思います。だっていかにも情報通っぽいおばちゃんでしたから。」
『どうせアレだろ?近所のゴミ捨て場の掃除とかしてるおばちゃんだろ?』
「まあそんな感じです。」
『そんなもん信じるってお前・・・・、」
「す、すいません・・・・・、」
『ていうか、そういうのはさっさと報告しろよ。なんで黙ってたんだ?』
「だって選挙のことで頭がいっぱいで。」
『選挙で?どうして?』
「いや、だって俺も候補者だから、もし万が一社長になったらどうなるのかなあと思って。
なんか意外と当選したりとかして、そんで課長と二人で、この会社で色々と頑張って・・・・、」
『また妄想病か。こんな状況で大した奴だよお前は。』
加藤社長は可笑しそうに笑って、『まあ知ってたけどな』と言った。
「え?」
『だから愛人が消えたの。』
「そうなんですか!?」
『だって近所の情報通っぽいおばちゃんが言ってたから。』
「・・・・・・・・・・・。」
『冗談だよ。ホントは伊礼が調べてくれたんだ。アイツは腕利きの探偵だったからな。』
「だったら最初から伊礼さんに頼めばよかったんじゃ・・・・。」
『まあそうなんだけど、お前にも期待してたからさ。その超人的な記憶力で、何かを掴んでくれるんじゃないかと。』
嘘なのか本気なのか分からない口調で言って、『まあとにかく・・・』と続けた。
『あの愛人の行方は分からなくなった。』
「ならもう調べようがないですね。白川常務の弱みを握るのは無理っぽいですよ。」
『そうなるのはマズイなあ・・・。あの色男、ここ2、3日で急に巻き返しを図ってきたから。』
「なんか女子社員全員にご飯をご馳走したみたいですね。有給を増やしたり、臨時手当を出したり。」
『これが本物の選挙なら、確実に公職選挙法違反だよ。ずるいよなあ、やり方が。』
「さっき本社に行ったら、常務が手を振るだけで女子社員が喜んでましたよ。」
『俺の票がごっそり持っていかれそうだ。』
「あ、でも男性社員からは全然人気ないですよ。むしろ嫌われてるって感じで。」
『稲松文具は実力主義だから、女子社員でも良いポストに就いてる奴が多い。ていうか実力以外では差別しないから、社員の男女比がほぼ5:5だ。
男から嫌われても、女に気に入られるなら票としてはデカイよ。』
悔しそうにそう言って、『だけどこっちだって黙って見てるわけじゃない』と息巻いた。
『冴木、お前今からちょっと出られるか?』
「平気ですけど、加藤社長は大丈夫なんですか?今日は選挙の前演説なんじゃ。」
『それは夕方から。ていうかお前も出るだろ?』
「そうなんですよ。でも何を喋っていいのか分からないから、箕輪さんと美樹ちゃんに考えてもらったんです。そのスピーチを覚えなきゃいけなくて。」
『お前なら一瞬で覚えられるだろ?』
「それがそうでもなくて・・・・、」
『なんで?超人的な記憶力の持ち主なのに。』
「だって大勢の前で演説しなきゃいけないんですよ。スピーチは頭に入ってても、上手く喋れるかどうか・・・、」
『ああ、なるほど。そういう意味か。』
納得したように笑って、『んなもん適当でいいんだよ』と言われた。
『どうせ誰もお前の演説なんか聴いてないから。』
「そんな!ひどい・・・・」
『落ち込むなよ。それくらいの感覚で喋ればいいってことだ。みんなが聴いてると思うから緊張する。だったら誰も聴いてないって思えば、ちょっとは楽になるだろ?』
「ああ!確かに・・・・、」
『カメラみたいに何でも記憶しちまうんだから、あとは楽に喋ればいいだけだ。気取った演説よりも、きっとその方が受けがいいと思うぜ。』
加藤社長にそう言われて、俺は「そっかあ」と納得した。
「誰も俺の話なんて聴いてない。そう思えば、一人で喋ってるのと同じですもんね。」
『そういうこと。どうせ気取った真似なんて似合わないんだし、いつもみたいに天然ぶりを発揮しろよ。きっと笑いが取れるぞ。』
「いや、ウケを狙ってるわけじゃ・・・・、」
『まあとにかくちょっと来い。』
「いいですけど、どこにですか?」
『レストラン喫茶の「うみねこ」ってあるだろ?』
「うみねこ?・・・・・ああ、はいはい!知ってます。あのスーパーの近くの。」
『そうそう。そこで待ってるから早く来いよ。』
そう言って電話を切られた。
「何の用だろう?どうせ選挙に関わることなんだろうけど、またスパイをしろとかじゃないよな?もしそうなら、今度は断らないと・・・・。」
危険な仕事はもうゴメンだし、何より周りに心配を掛けたくない。
だってこれ以上箕輪さんがイライラしたら、いつシバかれるか分からないから。
スマホをポケットにしまいながら、店に戻る。
すると中に入った途端に「あんた間違いが多すぎんのよ!このアンポンタン!」と発注書のバインダーが飛んできた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第十八話 二十面相(2)

  • 2016.05.09 Monday
  • 11:36
JUGEMテーマ:自作小説
日課の社員いびりを終えて、爽やかな気持ちになる。
これから幸せになるであろう、美男美女の若いカップル。
その幸せに水を差すのは、なんとも愉快だった。
笑いを噛み殺しながら、爽快な気分でエレベーターに乗る。
すると「待って待って!」と一人の男が走って来て、閉まりかけたドアを押し開けた。
「あら伊礼君。おはよう。」
「どうも。」
軽く頭を下げ、「ふう〜・・・」とネクタイを緩めている。
「またやらかしたんですか?」
緩めたネクタイに指を掛けながら、苦笑いで私を見る。
「ずっと見てたけど、ちょっとイジメ過ぎじゃないですか?」
「そう?ただの挨拶よ。」
「今月に入って、もう三人辞めてます。彼女で四人目になるでしょうね。」
「五人よ、あの彼も辞めるだろうから。」
「あんまり下の人間をイジメないで下さい。」
「あんなのイジメたうちに入らないわよ。だって私の時代はねえ・・・・、」
「それはもう何度も聴きました。」
「最近の子は打たれ弱いわね。あんなのでよく生きていけるわ。」
「あれに耐えたら強い方ですよ。」
「きっと世の中が甘くなってるのね。二十年後には日本が滅びてるわ。」
「おほほ」と笑いながら言うと、伊礼君は肩を竦めた。
チン!と音が鳴り、「じゃあ俺はここで」と降りていく。
「あ、伊礼君。」
「何ですか?」
「選挙の方は順調?」
「おかげさまで。」
「違うわよ、あなたの事じゃない。加藤社長のこと。」
閉まりかけたドアを押し開け、私も降りる。
「本社には相当根回しをしてるけど、でもそれだけじゃ不十分。君がちゃんと支えてあげてね。」
「言われなくても。」
「警戒すべき敵は本社の白川常務だけ。彼さえどうにか出来れば、私たちの勝ちよ。」
「分かってますって。」
「カグラの連中は一筋縄じゃいかない相手だけど、今回は敵にはならないわ。多分本社の社長の椅子は狙ってないだろうから。」
「俺たちにとっては幸運ですよね。」
「あそこはある意味本社よりも厄介な連中が揃ってるからね。まあいずれは従わせてやるけど。」
「いやあ・・・あそこは手え出さない方がいいんじゃ・・・・、」
「何言ってるの。もし加藤君が社長になったら、私たちが頂点に座るのよ?グループ会社をコントロール出来なくてどうするの?」
「んん〜・・・頂点は無理じゃないかなあ。だって会長がいるし。」
「もうお年よ。いずれ引退なさるわ。」
「まあとにかく、加藤社長は全力で支えます。ご心配には及びませんよ。」
伊礼君は肩を竦めて微笑み、「それじゃ選挙の準備があるんで」と背中を向けた。
「ねえ伊礼君?」
「はい。」
「一番最後に立候補したあの子・・・・・ええっと・・・・、」
「冴木晴香ですか?」
「あの子・・・・前回の事件の時に活躍したのよね?」
「そう聞いています。詳しいことは知らないけど。」
「取るに足らない相手だと思うけど、一応注意はしておいてね。」
「香川さんらしくないですね、あんなダークホースを恐れてるんですか?」
「万が一ってことがあるじゃない?何でも超人的な記憶力の持ち主って聞くし、前回の事件で会長の覚えも良いっていうし。」
「まあ一応は気をつけときます。でもきっと取りこし苦労ですよ。」
「そうだといいけど・・・・。」
なんだか嫌な予感を抱いて、「とにかくお願いね」と手を振った。
エレベーターに戻り、最上階まで昇る。そして10人も秘書がいる部屋を通り抜け、自分の部屋へと入った。
「・・・何かねえ・・・・周りでウロチョロ動いている気がするのよ・・・・。」
社長室よりも何倍も大きな部屋を歩きながら、高価な調度品を見渡す。
何億もする絵画に、希少動物の毛皮の絨毯。それに私の何倍もある象牙や、とにかく値段の張る机や美術品。
それらを見渡しながら、「まだまだ足りない」と呟いた。
「こんなもんじゃ食い足りないわ。もっと・・・・もっと欲しい。例え人が血を流しても、希少動物が絶滅しても、誰かの幸せを破壊してでも・・・・私はもっと欲しい。」
特注で作らせた何千万もする椅子に座り、大きなシャンデリアを見上げる。
「いくら手に入れても満足なんて出来ない。私は・・・・死ぬまで欲望に忠実でいるわ。そして欲しいものは手に入れる。
その為にも、あのガキには社長になってもらわないと困る。せっかく孤児院から拾って来てんだから、死ぬまで私に尽くしてもらわないと。」
目を閉じ、頭の中に自分の楽園を思い浮かべる。
そこにはこことは比べものにならないほどの贅沢が詰まっていて、その楽園を大勢の人間が支えている。
いや、人間だけじゃない。
私以外の全ての生き物が、血を流しながら私の楽園を支えている。
「欲しい物を手に入れただけじゃ満足出来ない。私が幸せになる度に、誰かが不幸にならないと・・・・。」
欲しいものを手に入れ、幸せになる。
そしてその過程で不幸な人間が生まれれば、私はより幸せになれる。
私が喜ぶ何よりの幸せは、私が上に登って、他の人間が落ちていく様を見ること。
その時に、ほんの一瞬だけ欲望が満たされるから・・・・。
しかしまたすぐに飢え、乾き、同じことを繰り返す。
こうやって上に登っていけば、いつか私だけが幸せになれる。
私以外の全ては血を流して不幸にまみれ、ただ私の楽園を支えるだけの礎になる。
「・・・・まあ妄想ね。実現はしないわ。でもその妄想に近づけることは出来る。せめてこの目に映る世界だけなら、私だけが幸せになれるはずだわ。」
高価な調度品を見渡しながら、「その為にも・・・・」と胸を押さえる。
「どうにも消えないこの嫌な感じ・・・・いったい誰が私の邪魔をしようとしてるの?今日別れたあの男?それともダークホースの冴木晴香?」
じっと目を瞑りながら、この不安の根源を探り出す。
あれこれと敵に回りそうな人間を思い浮かべていると、ふと一人の男の顔がよぎった。
「鞍馬真治・・・・・・。」
それはかつて靴キング!いた、一人の若い社員だった。
この会社の創業者の息子で、亡くなった父の後を継ぎ、社長となった。
しかし経営難に陥り、やむなく外部から新たな経営者を求めることにした。
その時にこの会社へ入って来たのが三人。
専務の佐藤豊、常務の岸井徳英、そして本部長の伊礼誠。
このうち佐藤と岸井は他社からの引き抜きで、その優れた手腕で経営を立て直した。
しかし伊礼だけは事情が違い、彼は元々探偵をしていた。
かなり羽振りがよかったそうだが、ある浮気調査の時にヘマを踏んでしまい、ヤクザに追いかけ回されることになった。
そこを靴キング!の初代社長、鞍馬庄吉に助けられ、どうにか難を逃れた。
鞍馬庄吉に恩のある伊礼は、この会社の危機を救う為、わざわざ探偵業を廃してやって来た。
彼は有能な探偵だったこともあり、今の仕事でもかなりの力を発揮した。
仕事柄危険なことには慣れていて、厄介なクレームにも冷静に対処する。
また交渉事にも強く、ヤクザまがいの恫喝をしてくる相手にも、怯むことなく応対した。
時には相手の弱みを探り、いらぬ企てをする輩を追放したこともある。
その話に尾ひれがつき、とにかく怒らせたら怖いという目で見られていた。
恫喝じみたやり方で無理難題を吹きかけるなんて言われているが、私の知る限りそんなことは一度もない。
彼が怒るのは、良からぬ企てで会社を貶めようとする輩に対してだけである。
この三人を迎え入れたことで、靴キング!は無事に経営を立て直すことが出来た。
しかしまだまだ安心できる状況ではなく、競合他社との差別化を図る為に、更なる飛躍を求めようとした。
そこで鞍馬真治が先頭に立ち、精力的に自社商品の開発に取り組んだ。
この時、鞍馬は靴キング!の社長から退くことになる。
『俺は経営よりも物作りがしたい。机の前に座っているよりも、現場で腕を振るいたい。』
外から招いた三人に絶対的な信頼を置いていた鞍馬は、社長の椅子を降りて企画部長の座に就いた。
率先して現場にも立ち、自社の商品を精力的に販売していった。
業績は確実に伸びていったが、それでもまだまだ他社との差別化は図れなかった。
鞍馬真治は『もっと新商品の開発を!』と叫んだが、経営陣はそれを受け入れなかった。
新しい商品を開発するよりも、経営コストを削減するべきだと反論したのだ。
鞍馬真治は必死に新商品開発の重要性を説いた。
商売の基本は物作りであり、コストの削減はそれを阻害すると。
しかし当時の靴キング!は、業績こそ伸びていたものの、そこまでの急成長をしているわけではなかった。
あまりに商品開発にコストを掛け過ぎると、それがコケた時の痛手の方が大きいと踏んだのだ。
この時、鞍馬の最も信頼していた伊礼までもが反対した。
今はコストの削減を優先するべきだと。
鞍馬真治はそれでも食ってかかったが、当時の彼はもう社長ではない。
経営陣の中には加わっておらず、自らそうした手前では、元の椅子に戻ることも出来なかった。
当時の社長は、古株の政井兼という男で、保守的な考えの持ち主だった。
彼は鞍馬真治の熱意を退け、大幅なコスト削減に着手した。
現場で働く従業員の給与カット、商品に使用する素材の見直し、そしてリストラ。
この政策は功を奏し、靴キング!はさらに業績を伸ばすことになる。
それを実感した鞍馬は、もう経営には口を挟まなくなった。
自分は企画部長という役職に専念し、現場でも精力的に腕を振るった。
しかしそれでも度々経営陣と衝突した。
従業員の給与カットや、商品の劣悪化、それに何よりリストラである。
もっと現場の人間や商品を大事にするべきだと主張したが、それを煙たがられて降格されてしまった。
この時の彼は怒りは凄まじく、ストライキを起こす勢いで猛抗議したが、何の意味もなかった。
彼の父が立てたこの会社は、すでに自分の手から離れてしまっていたのだから。
この時、鞍馬は『社長の椅子に残っておけば・・・』と後悔したが、時すでに遅し。
自分はいつクビになってもおかしくない、現場の一社員に成り下がっていた。
そんな彼の悔しさとは裏腹に、会社は業績を伸ばしていった。
そして・・・・ある転機が訪れる。
販路拡大の為に、とあるスポーツメーカーと契約したのだ。
スポーツシューズの市場にも参加したいということで、大手メーカーとライセンス契約を結んだ。
そしてその大手スポーツメーカーで総務部長を務めていたのが、この私だ。
最近業績を伸ばしている靴キング!なる社名は耳にしたことがあるので、資料に目を通してみた。
その時、まだまだこの会社は伸びると確信した。
『ここでなら、もっと欲しいものが手に入る・・・・。会社が成長すればするほど、私はもっと・・・・・。』
そう思って、すぐさま契約を結ぶことにした。
その時の条件はとてもシンプルなもの。
私を靴キング!の重役として迎え入れること。ポストは現在と同じ総務部長が望ましい。
当時、私のいた大手スポーツメーカーは、ほぼ私の手の内にあった。
社内で私に反対出来る者などおらず、また靴キング!の方も二つ返事で条件を飲んでくれた。
大手メーカーの重役が我が社に来てくれるなら、一石二鳥だと言って・・・・・。
契約は無事に終わり、私はこの会社へやって来た。
最初は愛想よく、しかしじょじょに牙を見せつつ、邪魔を相手を牽制していった。
実力のある人材は多かったが、身内同士の闘争に慣れている者は少なかった。
だから誰もが私の牙に抗えず、この会社を去るか、もしくは大人しく服従するしかなかった。
まあそれがこの会社を選んだ理由の一つでもあるんだけど・・・・・。
どうせ乗っ取るなら、乗っ取りやすい組織の方がいい。
私の改革は着々と進み、もはや専務や常務でさえも私に逆らうことは出来なかった。
しかしそんな中、三人だけ敵がいた。
一人は当時の社長である政井兼。保守の中の保守という感じの男で、石よりも固い頭をしていた。
私は彼を罠に嵌め、家庭を崩壊寸前まで追い込んで、とうとう自分から辞表を提出させた。
残った敵は二人。
一人は本部長の伊礼誠。
飄々としているように見えながら、中々侮れない男だった。
彼だけが唯一私の本性を見抜いていて、うまくその牙をかわしていた。
そして彼の友人ともいうべき男、鞍馬真治。
馬鹿みたいに愚直で、とにかく現場を愛し過ぎた男だった。
鞍馬と伊礼は手を組み、どうにか私に対抗しようとした。
しかし所詮は尻の青い若僧。
伊礼の方はまだ賢さがあったが、鞍馬はただ愚直に突っ込んでくるだけ。
『あんたは自分のことだけを考えてる!もっと現場を大切にしろ!』
青臭い怒りをまき散らしながら、どうにか私を追い出そうとしていた。
私は彼の青臭い情熱を面白く思い、普通に潰すのはつまらないと思った。
だから外堀を埋めるように、じわじわと嬲っていった。
彼を慕う同僚、後輩、多くの現場の人間。
それに開発の部署にも彼を慕う者が大勢いたから、そいつらの抹殺から始めた。
時にリストラをし、時に徹底的にイジメ抜き、時に家庭にまで攻撃の手を伸ばした。
そうすると、一人、また一人と彼の仲間は去っていった。
中には私に寝返る者もいて、鞍馬はただ孤独に追い込まれていった。
ここでようやく伊礼が態度を変えた。
賢い彼は、私に逆らうのはデメリットしかないと理解し、鞍馬を説得した。
もうあの女に逆らうのはよせ・・・・と。
すると鞍馬は、『お前も寝返ったのか!』と激高した。
そしてそのまま会社を飛び出し・・・・・事故を起こした。
彼の乗った車はガードレールを突き破り、急な斜面へ転落していった。
何度も車体が回転したようで、ほぼ原形を留めていなかった。
鞍馬真治は即死。
頭と心臓を強く打ち、発見された時には酷い有様だったと聞いた。
しかし生前にドナー登録をしていたので、無傷で残った腎臓が使われることになった。
移植相手は小学四年生の少年。
名前を加藤猛といい、両親は事故で他界していた。
加藤は腎臓を患っていて、移植をしなければ数年も生きられない状態だった。
そんな彼に鞍馬の腎臓がもたらされ、今も元気に生きている。
私は加藤を孤児院から引き取り、自分の養子とした。
あの鞍馬の腎臓で生き永らえた子・・・・それを傀儡として操ることで、死後も彼を苦しめることが出来る。
そう思うと幸せな気持ちになってきて、今も大切に育てている。
もっとも面倒を見ているのは雇われ家政婦だが。
加藤はとても頭がよく、年の割には心も大人びている。
鞍馬の腎臓をもらったせいか、ふとした時に彼の面影さえ感じさせることもあった。
私は鞍馬と加藤の顔を思い浮かべ、「まさかねえ・・・・」と呟いた。
「あのガキに鞍馬の魂が宿ってるとでもいうのかしら?・・・・バカバカしい、いくら何でもそれは・・・・、」
そうは思いながらも、やはりあの男の顔がちらつく。
胸に渦巻く不安の中に、どうしてもあの男の顔が浮かぶ。
「・・・・・いや、あり得ないわ。アイツは死んだ。死人が生き返るはずがないんだから。」
椅子から立ち上がり、高価な調度品を眺める。
広い部屋の中を歩き回って、指を噛みながら考えた。
「分からない・・・・どうしても不安が消えない・・・。それに何度もあの男の顔が浮かんでくるし・・・・。まさか私、呪われてる?」
半ば冗談で、半ば本気でそう言って、窓の外を見つめた。
立ち並ぶビルを睨みながら、「まあいいわ」と指を噛むのをやめる。
「分からないことを考えても仕方がない。今は・・・・回りでウロチョロ動いてる奴をどうにかしましょ。」
昨日から、誰かにつけられている気配を感じる。
おそらく社長の選挙に絡むことだろう。私は「敵もスパイを送り込んできたか」と受話器を持ち上げた。
「あ、もしもし?私だけど。」
電話の相手はフリーのジャーナリストで、金さえ払えばどんな仕事でも引き受けてくれる。
私は「ちょっとお願いしたことがあるんだけど・・・」と切り出し、受話器の紐を弄びながら用件を伝えた。
「それ相応の報酬は払うわ。稲松文具の本社を調べてちょうだい。どうも私にネズミがまとわりついてるみたいで・・・・、」
昨日から感じている尾行の気配のことを伝え、何か分かり次第連絡を寄こすように言った。
電話を切り、「まったく・・・」と椅子に座る。
「敵が多いのも困りものだわ。まあそれを潰すのが楽しいんだけど。」
時計を見ると、ちょうどお昼時。
車を用意させ、軽く食事を済ませてから、自宅のマンションに戻った。
部屋に入ると化粧を落とし、素顔に戻る。
その素顔に指を食い込ませ、ベリベリと肌を剥がした。
「私も本社の中へ入り込んだ方がいいわね。白川常務の弱みは握ったわけだし、次は・・・・・冴木晴香、お前よ。」
食い込ませた指を一気に振り下ろし、顔の半分を剥ぎ取る。
その下からは、驚くほど地味な女の顔が出て来た。
何の特徴もなく、誰の記憶にも残らないような地味な顔。
そして・・・・地味であるがゆえに、どんな顔にだってなれる便利な顔が。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第十七話 二十面相(1)

  • 2016.05.08 Sunday
  • 11:30
JUGEMテーマ:自作小説
顔とういのは、人を識別する最も重要な部分である。
他人の顔を見て自分の親だと思う人間はいないし、恋人の顔を見て、それが誰だか分からないという人間もいない。
人が人を見る時、それは顔で判断しているのだ。
顔が変われば全てが変わる。
体形、性格、癖、仕草、そんなものは人間を決定づける重要なものではなく、顔こそがその人を表している。
だから顔さえ変われば、何もかもが変わる。
次の日から、いや・・・・ほんの一時間後にでも、まったく別の人間に生まれ変わることが出来るのだ。
私は化粧を落とし、素顔に戻る。
素顔といっても本当の顔ではないのだが、それでも今はこれが私の素顔だ。
目はパッチリ大きく、そしてちょっと気の強そうな切れ長。
しかしどこか愛嬌もあって、気の強さの中に可愛らしさもある。
鼻はやや低く、丸みを帯びている。
唇は薄く、口そのものも小さい。
輪郭は少し面長だが、これも丸みがあって棘がない。
自分の素顔を鏡で見つめ、「ちょっと皺が増えたかな」と口元を撫でた。
「まあいい。メイクでいくらでも誤魔化せる。」
すっぴんの肌をポンポンと叩き、ベッドに戻る。
そこには壮年のダンディーな男が寝ていて、こちらに背中を向けていた。
「・・・・・・・・・・。」
私は彼の顔を覗き込み、頬に寝息を感じた。
ゆっくりとベッドに入って抱きつくと、「んん・・・」と言いながら腕を回してきた。
そのまま胸を掴み、ゆっくりと動かす。
私もキスをしながら、その腕を掴んだ。
そしてゆっくりと下の方へと誘うと、「勘弁してくれ・・・」と呟いた。
「疲れてるんだ・・・・。」
「昨日散々やったものね。」
「若い頃は一晩中でも問題なかったのに、今じゃこの様だ。年は取りたくないな。」
「でも年の割には体力がある。それに若い人にはない腕だってあるし。」
「セックスは技じゃなくて体力だよ。仕事だって同じだ。」
そう言って身体を起こし、バスルームに向かう。
「最近忙しそうね。」
「選挙が近いからな。」
「金曜だっけ?」
「ああ、四日後に迫ってる。テレビを見る暇もないよ。」
「その割にはやる事やってるけどね。」
私もベッドから降り、背中に抱きついた。
彼は私の頭を撫でながら、おでこにキスをした。
「やる事やらないと、仕事をする気も起きんだろ?」
「あなたにとって、女と会うのは仕事の為?」
「当然。男にとって一番のエネルギー源は何だか知ってるかい?」
「さあ?何?」
「性欲だよ。それが衰えれば全てが衰える。」
「なら女と情事に勤しむのは、エネルギーが衰えていないかの確認ってわけね?」
「それもある。」
「それも?じゃあ他には?」
「純粋に女が好き。それだけさ。」
そう言って唇を重ね、バスルームへ消えていった。
シャワーの音が聴こえ、私はベッドに戻る。
そして彼のバッグを漁り、分厚い財布を取り出した。
「ねえ?」
バスルームに向かって尋ねると、「何だ?」と返ってくる。
「今日いつもより多めに貰っていい?」
「構わん。」
「じゃあお言葉に甘えて。」
分厚い財布から、半分ほども札束を抜く。
それを自分の財布に仕舞うと、下着を穿いて自分の写真を撮った。
スマホを向け、パシャリと一枚。
次は部屋の中も一枚。彼のバッグの中も一枚。財布の中の免許証も一枚。
そして・・・・彼が出てきたところも一枚。
「お前ほんとに写真が好きだな?」
彼は笑いながら、冷蔵庫のミネラルウオーターを呷る。
「あなたが教えてくれたのよ。」
「やってみると楽しいもんだろ?」
「記録を付けるっていうのがね。なんだか思い出が増えるみたいで嬉しいの。」
「スナップこそ一番の写真だよ。何気ない光景が、時間と共に価値が増す。写真の本当の意味は記録だからな。」
「そうね。頭に焼き付けた景色だって、時間と共に色褪せる。でも写真に撮っておけば、いつまでも綺麗なままよ。」
そう言って彼と腕を組み、「笑って」とキスをした。
「また撮るのか?」
「いいじゃない。思い出を増やしたいの。」
「あのな、言っておくがこれは遊びだぞ。本気になられても・・・・、」
「分かってる。だからこその写真よ。何年か経って、写真を見ながら思い出に浸りたい。だってその時、あなたはもう私の傍にいないでしょ?」
「その時は別の男を引っかけてるだろ?俺なんかいなくても・・・・、」
「いいから笑って、ほら。」
ニコリと微笑みかけ、彼の笑顔を誘う。
「仕方ない奴だな。」
渋々という顔で笑いながら、小さな笑顔を作る。そして私の肩を抱き、頬を寄せ合った。
私はパシャリと一枚撮り、今度は「こっち向いて」とキスをしながらシャッターを押した。
「見せてくれ。」
彼がスマホを奪い、「ははは!」と笑う。
「まるで初めて彼女が出来た中学生みたいだ。」
そう言って私にスマホを向け、「青臭い感じがたまらない」と笑った。
「まるで学生のプリクラみたいになっちゃったわね。」
「シールにでもして貼っとくか?」
冗談交じりに言いながら、私にスマホを返す。
残ったミネラルウオーターを一気に呷り、素早くスーツに着替える。
私は微笑み、彼の手からネクタイを奪った。
「締めてあげる。」
「ああ。」
ゆっくりと首に手を回していると、「分かってると思うが・・・・」と口を開いた。
「その写真で思い出に浸るのは自由だ。しかし決して・・・・、」
「もちろん分かってる。誰にも見せたりしない。」
「ならいい。」
「でももし裏切ったら?」
悪戯っぽくそう尋ねると、彼は笑顔を消してこう答えた。
「・・・・死んでもらう。」
「・・・・・・・・・・・。」
「俺を裏切って、地獄に落ちていった女は多い。君も下らないことは考えるなよ。」
目に殺気が宿り、ハンターのように私を射抜く。
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・冗談。」
彼は殺気を宿したまま笑顔に戻る。
私はネクタイを締め終え、ニコリと微笑みを返した。
「もうじき選挙がある。必ず社長になってみせる。」
「ええ。」
「強力な対抗馬もいるが、絶対に社長の椅子は譲らない。」
「あなたならきっとなれるわ。」
「だから悪いんだが・・・・君とはもうこれで・・・・、」
そう言いかけた口に、そっと指を当てた。
「それも分かってる。でも言わないで。」
「・・・・・・・・・。」
「どうせ今日が最後だろうなって思ってた。だからいつもより多めに貰ったのよ。」
「物分かりのいい女は好きだよ。選挙さえなければ、もう少し長く遊んでいたかった。」
彼は私の顎をつかみ、そのまま引き寄せる。
そして唇を重ね、熱いほど舌を絡ませた。
私もそれに応えるように、ねっとりと舌を絡ませる。
そして口を離すと、ツッと唾液が伸びていった。
彼はバッグの中から財布を取り出し、「ずいぶん抜いたな?」と笑う。
「だって最後だもの。」
「ん。」
半分抜いてもまだ分厚い財布を掴みながら、私の方へ差し出す。
「・・・・いいの?」
「構わん。」
「じゃあ・・・・・。」
私は残った札束を抜き取り、「ありがとう」と抱いた。
「楽しい時間だったよ。もう会うこともないだろうが・・・・元気でな。」
「あなたも。」
最後に軽いキスを交わし、彼は出て行く。
一度だけこっちを振り返り、小さな微笑みを寄こしながら。
パタンとドアが閉じられ、部屋に静けさが広まる。
私はバスルームの鏡の前に立ち、じっと自分の顔を見つめた。
「・・・ふふ・・・ふふふふ・・・・・。」
ポンポンと自分の頬を叩き、ガリっと掻きむしる。
すると頬の一部が削がれ、その下から別の顔が現れた。
「さて、私も仕事に行かなきゃ。」
彼に貰った札束を抱きながら、鏡の中の自分に笑いかけた。


            *


「おはようございます。」
会社に着くなり、若い社員が並んで出迎えた。
誰もが役者にでもなれそうな良い男ばかりで、私は「みんなご苦労様ねえ」と微笑んだ。
「気持ちいいものね、若くて元気のある男の子に出迎えられるのは。」
ゆっくりとベンツから降りると、「お持ちします」ととびきり良い男が私のバッグを預かった。
「ありがとう。」
そう言いながら「年取ると車から降りるのも大変だわ」と、彼の肩に手を回した。
「ごめんなさいねえ・・・こんなお婆ちゃんに好かれても嬉しくないだろうけど。」
「いえ・・・・そんなことは・・・・、」
「あなたもうじき結婚するそうね。式には行けないけど、御祝儀は弾んであげるから。」
しっかりと肩に掴まりながら、寄り添うように歩く。
別の若い男がドアを開け、笑顔のまま頭を下げた。
私は「ありがとう」と微笑みを返し、会社の中に入る。
すると今度は女子社員が一列に整列して、「おはようございます」と頭を下げた。
「お疲れ様です、香川部長。」
まるで合唱団のようにそう叫んで、ゆっくりと顔を上げる。
私は「おはよう」と返し、列の端に立つ女子社員を見つめた。
「彼女でしょ?結婚相手。」
肩に掴まった男にそう尋ねると、俯きがちに「はい・・・」と呟いた。
「とっても可愛い子じゃない。それに優しそう。」
「あ、ありがとうございます・・・・。」
「きっと良いお嫁さんになるわ。」
「はい・・・・・。」
私は彼の手を引きながら、その女子社員の方へと近づく。
「おはよう。」
「お・・・・おはようございます!」
慌てて頭を下げ、頬を真っ赤にしながら表情を強張らせた。
「うんうん、美男美女のいいカップルだわ。」
二人を見比べ、「お似合いねえ」と笑った。
「良い男には良い女が、良い女には良い男がつくものだわ。」
彼の手を握りながら、「ねえ?」と微笑みかける。
「あ・・・・ありがとうございます。」
「そんなに恐縮しなくていいのよ、ほんとの事を言っただけだから。」
「あ・・・はい・・・。」
彼もまた、彼女と同じように顔を強張らせる。
私は「じゃあ行きましょ」と彼の肩に手を回した。
「ごめんなさいねえ。この年になると、エレベーターまで歩くのも一苦労で。」
そう言って彼女に笑いかけると、「いえ・・・」と俯いた。
「もうすぐ結婚する男が、こんなお婆ちゃんをエスコートしなきゃいけないなんて・・・・きっと腹が立つでしょうね。」
「と、とんでもありません!」
「いいのよ、顔に書いてあるもの。」
「・・・・・・・・・・・。」
「ご祝儀は弾んであげるから。大目に見てちょうだいね。」
「あ・・・いえ・・・・。」
彼女は俯いたまま、言葉を失くしてしまう。
まるで石のように固まり、小さく肩が震えていた。
「そんなに怖がらなくていいのに・・・・いったい私の何が怖いのかしら、ねえ?」
また彼に笑いかけ、「それじゃ行きましょ」と歩き出す。
「あ、そうそう。」
足を止め、石になった彼女を振り返る。
「あなた・・・・ちょっと化粧が濃いんじゃない?」
そう言うと、ビクッと肩を竦ませた。
「靴キング!の本社社員ともあろう者が、そんなケバイお化粧をするのは・・・・ちょっとねえ。」
「す・・・すみません・・・・。」
「それに安っぽい香水の匂いが鼻につく。もし来客があったら、きっと常識を疑われるわよ。」
「申し訳ありません・・・・。」
「それにちょっと声が小さいんじゃないかしら?そんな声で仕事をしていたら、あなたの話を聞き取る方はさぞ大変ね。」
「・・・・すみません。」
「もうじきこんな良い男のお嫁さんになるんだから、もうちょっと常識を持って・・・・・ね?」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・返事がないけど、どうしたの?」
「いえ・・・・・、」
「私のことが嫌い?」
「そんな・・・・、」
「朝から口うるさい婆さんにグチグチ言われて、気を曲げちゃったかしら?」
「と、とんでもありません・・・・。ただ・・・ちょっと体調が優れなくて・・・・、」
「あら?体調不良?ダメよお〜、そんなんじゃ。良い大人が体調管理くらいできないと。」
「・・・・気をつけます。」
「もし子供が出来たらどうするの?子育てに休む暇なんてないのよ?」
「すみません・・・・。」
「家事だって一緒。男の出世を支えるのは妻の役目なんだから、あなたがしっかりしてないと。」
「・・・・・・・・・・。」
「また返事がない?そんなに体調が悪いの?」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・ああ!私が彼にエスコートしてもらってるのが気に食わないのね。ごめんなさいねえ・・・・気分を悪くさせちゃって。」
満面の笑みでそう言いながら、「でもほら、私はお婆ちゃんだから」と皺だらけの顔を叩いた。
「一人で歩いてて、もし転んで怪我でもしたら大変だから。あなたみたいないてもいなくてもいいような一社員と違って、私はこれでも重役だから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「代わりが利かないのよ、私の場合。・・・・あなたとは違って。」
そう言って「おほほほ」と笑い、「あらごめんなさい、口が悪かったわね」と彼女の頭を撫でた。
「年寄りの戯言と思って聞き流してちょうだい。それじゃ。」
彼の手を引き、エレベーターに向かって歩き出す。
「あ、そうそう。」
また足を止め、「さっきからずっと思ってたんだけど・・・」と顔をしかめた。
「あなた・・・・やっぱり彼とは不釣り合いだわ。結婚は考え直した方がいいんじゃないかしら?」
そう言って笑いかけると、彼女は顔を真っ赤にして私を睨んだ。
「あら、大変。熱でもあるんじゃない?」
「・・・・・・・・・・。」
「今日はもう早退した方がいいわ。私が許すから、家に帰って休みなさい。」
「・・・・・・・・・・。」
「目も真っ赤で、なんだか泣きそうに潤んでるし。よっぽど体調が悪いのね。無理しちゃダメよ。」
「・・・・・・・・・・。」
「仕事は男に任せておけばいいの。ほら、あなたは早く帰りなさい。ますます目が潤んでるから。」
心配そうに眉を寄せながら、「それじゃ行きましょ」と彼の手を引いた。
エレベーターの前まで来ると、「ここでいいわ」と手を離す。
「・・・・・・・・・・。」
「どうしたのあなたまで?もしかして体調が悪い?」
「いえ・・・・・。」
「ダメよお〜、こんなことで気を曲げてちゃ。そんなんじゃ出世出来ないわよ?」
「はい・・・・・。」
「女なんかまた見つければいいけど、仕事はそうはいかないんだから。自分の道・・・・閉ざすようなことしちゃダメ。」
そう言って彼の頬を包み、「んん〜」っとキスをした。
「ちょ・・・ちょっと!何を・・・・、」
「ただの挨拶よ。欧米じゃ普通でしょ?」
「ここは日本です!」
「今はグローバルの時代よ。そんなんで怒ってたら、いつか出世の道が途切れちゃうわよ?」
私は笑顔を消し、射抜くような視線を向ける。
彼はたじろぎ、「失礼します・・・」と逃げるように去って行った。
その向こうでは彼女が固まっていて、悔しさと怒りに震えていた。目を潤ませ、顔は茹でたように赤くなっている。
「あんたねえええ!」
そう叫んでこちらへ走り出したが、すぐに警備員に取り押さえられえる。
彼が割って入るが、同じように警備員に取り押さえられ、その場に組み伏せらていた。
私はそれを見つめながら、ちょいちょいと手を振る。
警備員は頷き、二人を抱えて外へ連れ出して行った。
「・・・・・ガキね。」
笑いを噛み殺しながら、エレベーターに乗る。
すると「待って待って!」と一人の男が走って来て、閉まりかけたドアを強引に押し開けた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第十六話 父の墓参り(2)

  • 2016.05.07 Saturday
  • 11:43
JUGEMテーマ:自作小説
冴木の描いた絵の中に、とても気になる部分が一つだけあった。
だから俺はもう一度絵を描かせた。その気になる部分を拡大するように言って。
冴木は眉を寄せながら、凄まじい速さで絵を仕上げる。
相変わらず凄い腕前だと感心しながら、「どれどれ」と覗き込んだ。
そこには女と腕を組んで歩く、白川常務の姿があった。
「・・・・・・おお!見ろ伊礼、やっぱり俺の言った通りじゃないか。」
バシバシと肩を叩くと、伊礼は「冴木い〜・・・」と怒りを滲ませた。
「お前・・・・何がちゃんと尾行してただ!全然違う場所にいるじゃないか!」
バン!とテーブルを叩き、顔を近づける。
冴木は「あれ?おかしいな・・・」と頭を掻いた。
「俺、ちゃんと見てたんですよ。」
「ちゃんと見てたんなら、なんでこっちにあの男がいるんだ!?」
「知りませんよ!」
「なんでお前が怒ってる!」
「だってちゃんと尾行しましたもん!俺、間違ってないです!」
そう言って偉そうにふんぞり返り、「嫌ならスパイをクビにして下さい」と開き直った。
「お、お前なあ・・・・・・、」
伊礼は今にもブチ切れそうになっていて、「まあまあ」と宥めた。
「そう怒ってやるな。」
「これが怒らずにいられるか!」
「こいつは記憶力は抜群だけど、集中力が散漫なんだよ。だからこういう間違いだってある。」
「普通間違えないだろう!」
「まあまあ・・・その辺は冴木だからってことで。な?」
そう言って笑いかけると、冴木は「それ、フォローなんですか・・・」と顔をしかめた。
「もちろん。だってお前もさっき言ってたじゃないか。自分は白川常務に警戒されているって。」
「それがどうかしたんですか?」
「いいか冴木。白川常務は、お前の超人的な記憶力を恐れてるんだよ。だからお前が近くへ来ないようにしてる。」
「本社に行った時も、ゴツイ男に守られてましたからね。でもこの日は休日ですよ?」
「休日こそ危ないじゃないか。油断してるとどこから情報を盗まれるか分からない。だからこうして替え玉を用意してたんだろう。」
俺は中央の男を指さし、「お前は別の男を白川常務と思い込んでたんだよ」と言った。
「この男はカメラを持ってる。服装はジャケットにスラックス。頭には帽子だ。」
「そうです。だからそれが白川常務だと思って尾行したんですよ。」
「そうだな。でもこっちの本物の常務も、まったく同じ格好をしている。」
拡大された常務の絵を見て、「まんま一緒だ」と言った。
「中央のこの男は、服装は常務と一緒だ。だけど背中を向けてる。お前・・・・顔まで確認しなかったんじゃないか?」
「だって前に回り込んだらバレるじゃないですか。」
「なるほど、お前なりにちゃんと考えてたんだな。偉いぞ。」
そう言って頭を撫でてやると、「なんか腹立つな・・・・」と怒った。
「お前はパーキングに車を停めて、30秒の間常務を見失った。きっとその時に替え玉とすり替えたんだろう。」
「まさか。そんなちょっとの時間で・・・・。」
「30秒あれば充分だ。だって意外と長いもんだぞ、30秒ってのは。カップ麺が出来上がるまでの六分の一の時間だ。」
「例えが分かりにくいですよ。」
「お前の言う通り、きっと白川常務はお前を警戒してるんだろう。これ以上のスパイは困難だな。」
「え?なら・・・・俺はもうお役御免ってことで・・・・、」
「自由の身だ。」
「ほんとですか!よかったあ・・・・。」
冴木は嬉しそうにホッとする。「また危険な目に遭ったらどうしようって不安だった・・・」と呟きながら。
「じゃ、俺はもう用無しですよね?」
「そういうことになるな。」
「ならこれで帰ります。どうもお疲れさまでした。」
そう言って頭を下げ、逃げるように駆け出す。
しかし途中で足を止め、「あの・・・・あっちの件は大丈夫なんでしょうか・・・?」と尋ねた。
「何がだ?」
「だからその・・・・課長を引き止める件の方は・・・・、」
「ああ、すでに手は打っといた。きっとすぐには辞めないさ。」
「そ、そうですか・・・・よかったあ・・・・・。」
「ついでにお前の気持ちも伝えておいてやったぞ。」
そう答えると、「はい?」と首を傾げた。
「お、俺の気持ち・・・・・?」
「だって北川課長が好きなんだろう?だからラブレターを出しといてやった。」
「ら・・・・らぶ・・・・れたー・・・・・。」
冴木は口を開けて固まる。
俺はニコッと笑ってみせた。
「お前の想いのたけを書いておいた。きっと彼女は悩みに悩み、辞めるのを引き延ばすはずだ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「まあちょっとヘビーな内容なんで、もしかしたらストーカーみたいになっちゃったかもしれないけどな。
あなたがいなくなるなら、生きてる意味はありませんってな感じにしたから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「なあに、心配するな。お前は元々変な奴なんだから、大して気にすることないさ。」
そう言いながら笑い飛ばすと、「あんた何してくれてんだよおおおお!」と詰め寄ってきた。
「ラブレターって何だ!ストーカーってなんだ!ていうかお前は何なんだ!」
「痛いな、放せよ。」
「おぶッ!」
バチンと鼻づらを叩き、「まあ落ち着け」と宥める。
「いいか冴木、お前は常務になる男だ。」
そう言って顔を近づけると、「な・・・何言って・・・」と睨んだ。
「約束しただろ?俺が社長になったら、お前を常務にしてやるって。」
「そ・・・・それだよ!それも確認したかったんだ!」
冴木はダラダラと鼻血を流しながら、「スパイをやめても常務にしてくれるのか?」と睨んだ。
「俺が社長になったらな。」
「そうか・・・・ならもうスパイなんてやらない。人の腹をゴソゴソ探るなんて、もうまっぴらだ。」
「そうだな。でももし俺が社長になれなかったら、お前はきっとクビになるぞ。」
「え?」
鼻血を垂れ流したまま、冴木は石みたいに固まる。
「俺が負けるってことは、おそらく白川常務が社長になってるってことだ。そうなればお前・・・・真っ先にクビだよ?」
「な・・・なんで!?」
「だって自分で言ってただろ?俺は白川常務に警戒されてるって。だったらそんな奴を置いとくはずがないだろう。」
「で、でも!俺はただの一社員なのに・・・・、」
「スパイという前科がある。」
「それは自分の意志じゃ・・・・、」
「自分の意志かどうかは関係ない。スパイをしたかどうかが重要なんだ。」
「そんな・・・・、」
冴木は膝をつき、「そんなんじゃ俺・・・・」と項垂れた。
「俺・・・・課長と付き合えない・・・・。気持ち悪いラブレターを出した、ただの変態になっちゃうだけじゃないか・・・・・。」
悲しそうに俯き、鼻血がぽたぽたと垂れていく。
俺はティッシュを丸めて、「ほらよ」と鼻に突っ込んでやった。
「ふごッ・・・・、」
「そんなに落ち込むな。俺が社長になればすむ話だ。」
「でもそうならなかったら・・・・ふごッ!」
「そうだな。今のままじゃ厳しい。前評判は俺に分があるが、向こうも巻き返しを図るだろうからな。」
鼻に詰め込んだティッシュをピンと弾き、「しっかり詰まったな?」と確認する。
「お・・・おかげさまで・・・・・、」
「よし!なら次の仕事だ。」
そう言って常務が拡大された絵を掴み、「よく見ろ」と言った。
「ここに常務が描かれてる。」
「見れば分かるよ・・・・。」
「じゃあその隣には誰がいる?」
「だ・・・・誰って・・・・?」
「常務と腕を組んで歩いてる女がいるだろう。」
「ええっと・・・・いますね。」
「これはお前の見た記憶だ。だからよく頭の中を確かめろ。」
「確かめろって・・・・何を?」
「この女だ。彼女はきっと常務の愛人だ。」
「あ・・・・愛人?」
冴木はゴクリと息を飲み、記憶を掘り起こすように眉を寄せた。
「・・・・・ああ!確かに女の人と歩いてる!それもとびきりの美人と・・・・、」
「お前の描いた絵、見事な美人だ。」
「彼女が・・・・常務の愛人。」
「そうだ。」
「なんかエロい響きだな・・・・・。」
「常務は独身だ。だから悪いことしてるわけじゃないぞ。」
「そう・・・ですね。ていうか、あの人ほんとに女にモテるんだなあ。」
羨ましそうに呟き、「俺はたった一人の女性にさえ振り向いてもらえないのに・・・」と嘆いた。
「冴木よ、女は数じゃないぞ。」
「分かってます・・・・。でも俺がもっと男らしかったら・・・・、」
「無いモノを求めるな。それよりも仕事をしろ。」
冴木の前に絵を近づけ、「この女をスパイするんだ」と言った。
「この女って・・・愛人を?」
「ああ。」
「でもどこの誰だか分からないんですよ?どうやってスパイを・・・・、」
「俺たちが調べる。」
「え?」
「愛人ってことは、きっと頻繁に会ってるはずだ。だから見張ってさえいれば、すぐに調べることが出来るはずだ。」
「そんな簡単にいくかな・・・・?」
「あの常務は無類の女好きと聞く。実際にお前に尾行されている時でも、こうして愛人に会ってるわけだし。」
「あの・・・・そもそも愛人じゃなかったら?」
「ん?まあ・・・・その時はその時だ。」
「そんないい加減な・・・・・、」
「選挙まであと五日しかない。ゴタゴタ言ってる暇はないんだよ。」
ペシペシと冴木の足を叩き、「まあ明日中には愛人の居場所を突き止めるさ」と言った。
「こう見えても、伊礼は昔探偵やってたんだから。な?」
「ん?まあ・・・古い話だ。」
「今だって腕は衰えていない。俺の右腕として活躍してくれてるからな。」
「お前の親父には恩があるからな。俺の力が役に立つなら、協力は惜しまないよ。」
「うんうん、良い友を持った。」
俺は冴木を振り返り、「そういうわけで、明日中には愛人の居場所を突き止める」と言った。
「あとはお前の超人的な記憶力でもって、その愛人から情報を収集してくれ。もしかしたら、白川常務の弱みになるようなものが見つかるかもしれない。」
「また・・・・スパイっすか・・・・。」
「嫌なのは分かるけど、その先に北川課長との明るい未来が・・・・・、」
「やります!」
冴木は力強く頷く。目に力を込め、「課長の為なら、例え火の中水の中・・・」と拳を握った。
「じゃあ行ってくれ。火の中水の中に。」
「行きますとも!だってこのままじゃ俺、気持ち悪いラブレターを出した変態で終わっちゃいますから。」
「まあ元々変態みたいなもんだけど、余計に変態とは思われたくないよな。お前の恋が上手くいくよう願ってるよ。」
俺も拳を握り、「頑張ろうぜ」とコツンと合わせる。
「じゃあ仕事の話はもうおしまい。ビールでも飲めよ。」
「頂きます!」
冴木は冷蔵庫のビールをガブガブ飲み干し、ビジネスホテルの硬いベッドでいびきをかいた。
俺と伊礼は顔を見合わせ、この憐れながらも憎めない男に期待を抱いた。

稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜 第十五話 父の墓参り(1)

  • 2016.05.06 Friday
  • 10:12
JUGEMテーマ:自作小説
雨に濡れる墓地ってのは、あまり気持ちのいいものじゃない。
ただでさえ辛気臭い場所なのに、余計に気が滅入りそうになる。
隣には俺と同じように暗い顔をした伊礼が立っていて、大きな傘を差していた。
俺が濡れないように気を遣いながら、歩幅を合わせて歩く。
シトシトと濡れる墓地を通り抜け、備え付けのバケツを手に取る。
水道の蛇口を捻り、バケツに水を溜めていった。
「今日は雨だ。別に水を掛けなくても・・・・、」
伊礼が言いかけたのを遮って、「これはそういうもんじゃないんだよ」と蛇口を止めた。
「水を掛けるってのは、お参りした時にはやらなくちゃいけないんだ。それが弔いの気持ちだから。」
そう言って柄杓を取り、また墓地を歩き始めた。
そして隅に立つ立派な墓の前まで来ると、「親父・・・」と頭を下げた。
「悪いな、正月には参れなくて。」
杓子に水を汲み、墓にかける。
ここにはお袋も眠っていて、「まあ二人なら寂しくないか」と呟いた。
「親父が先に逝って、お袋がその後に倒れて、俺だけが残っちまった。本当なら俺もそっちへ逝くはずだったのに、まだこうして生きてるよ。」
そう言って笑いかけ、また水を掛ける。
「何の因果かこうして生き延びてる・・・・。あの時は本当に死んだと思ったのに、気がつけばほら・・・・・このナリだ。」
小さな身体を見せつけ、「もう何度も見てるから飽きたか?」と笑った。
「まさか子供になって生き返るなんてなあ・・・・いったい誰が想像するよ?」
俺は右の腎臓を撫でながら、「ここだけが前と一緒なんだ」と言った。
「気紛れにドナーに登録してたら、俺の腎臓が使われることになった。他の部分は使い物にならなかったけど、ここだけ綺麗に残ってたみたいでな。
こんな俺でも、誰かの命を救えるんなら悪くないよな。」
子供になった自分の手を見つめながら、小さな指を握った。
「でもまさか・・・・意識や記憶まで俺になっちまうなんてなあ・・・・。こんなことって本当にあるんだな。事が終わったらどっかのテレビにでも投稿しようか?」
冗談を言いながら、「もうすぐだよ」と真顔に戻る。
「もうすぐあの婆さんを倒せる。最悪倒すのは無理でも、会社から追い払ってみせるよ。あんな寄生虫みたいな奴に、親父の立てた会社を潰させてたまるかってんだ。」
墓を見つめながら、伊礼に手を出す。
俺の手に数珠と線香が置かれ、「火を点けるよ」とライターを取り出した。
膝をついて屈み、俺の線香に火を灯す。
湿気が強くてなかなか点かなかったが、四回目にようやく線香の煙が立った。
それを墓の前に差し、持って来た花も活ける。
墓には親父とお袋、そして・・・・俺も入っていることになっている。
だからもう一本線香を立て、数珠を鳴らしながら手を合わせた。
《あの会社は必ず守る。それが終わったら、多分俺もそっちへ逝くと思う。もう時間が・・・・あまり残されていないんだ。》
最近は、一日のうちに何度も意識が朦朧とする。
まるで魂が抜けるように、フワッと意識が遠くなるのだ・・・・。
《でも大丈夫。きっとあの会社は守るから。親父の夢と努力・・・・誰にも潰させないから。》
目を閉じたまま、ただ自分の想いを伝える。
社長選挙まであと五日。
俺は必ず当選し、本社の社長の椅子に座ってみせる。
それ以外にあの寄生虫を追い出す手段がないから・・・・。
雨の中、いつまでも黙祷を捧げる。
伊礼は無言のまま、ずっと傘を差してくれていた。


            *


足をぶらぶらさせながら、アニメ番組に見入る。
敵の放ったビームが主人公の額を貫き、中身を飛び散らしながら絶命していった。
「最近のは過激だなあ。いくら深夜だからって、アニメとは思えないくらいリアルだよな?」
そう言って後ろを振り返ると、伊礼と冴木が頭を突き合わせていた。
テーブルに目を落とし、難しい顔で唸っている。
「なあ冴木・・・・スパイ出来たのはこれだけか?」
伊礼が何とも言えない表情で、テーブルの上の紙を見る。
そこには絵が描かれていて、「収集出来た情報はたったこれだけか・・・」と嘆いていた。
「お前・・・こんなもん何の役にも立たんぞ。」
そう言ってヒラヒラと紙を振り、またテーブルに戻す。
冴木は「だって・・・」と顔をしかめ、その紙を摘まんだ。
「まだスパイを始めて四日目ですよ。そんなにたくさんの情報なんて無理ですよ。」
「そういうことじゃなくてだな・・・・もっと他に調べることがあるだろう。」
「でも意外とガードが固くて・・・・。俺、思うんですけど、きっと白川常務って俺のこと警戒してると思うんです。」
「あの男がお前を?それはないだろう。」
「でも普通はあんなにガードが固くありませんよ。何気ない用事を装って本社に行ったら、俺を見るなりガタイのいい男たちに守られてましたからね。」
「まさか・・・・、」
「だってあの人は俺の特殊な才能を知ってますから。きっと情報を盗まれたら困ると思ってるんですよ。」
「しかし相手は本社の常務だぞ?お前みたいなボンクラの一社員をだな・・・・、」
「・・・・・・・・・。」
「いや、言葉が悪かったな。謝る。」
伊礼は小さく咳払いをして、「しかしそれでも・・・」と冴木から絵を奪った。
「おい加藤、お前もちゃんと見ろ。」
「見てるよ、アニメを。」
「馬鹿、こっちの絵を見ろ。」
「もう見たよ。何度見たって変わりゃしないだろ。」
「そんなことは分かってる。俺が言いたいのは、こいつが予想以上に使い物にならないってことだ。」
そう言って俺の目の前で紙をヒラヒラさせた。
そこにはカメラを構えた男が描かれていて、街角にレンズを向けていた。
立ち並ぶビル、行き交う人々、空はよく晴れていて、ゆっくりと雲が流れて行く様子が伝わってくる。
「上手い絵だ。今からでも画家になれるんじゃないか?」
「あのな・・・冗談言ってる場合じゃ・・・・、」
「だって仕方ないじゃんか。冴木の言う通り、相手のガードが固いんだろ?」
「本社の常務が、こんな使い物にならない社員を警戒するか。」
「そうとは言えないぞ。冴木は光るモノを持ってる。ただそれを開化させるキッカケがないだけで、ポテンシャルは高いと思うけどなあ。」
アニメから目を逸らして、絵を受け取る。
「これ、あの常務の休日だっけ?」
そう尋ねると、「そうです」と答えた。
「あの人カメラが趣味みたいなんです。」
「ふう〜ん・・・・これは隣街だったな?」
「駅の近くですよ。一昨日の光景です。」
「選挙が近いってのに呑気だねえ。よっぽど自信があるんだな。」
「パシャパシャ撮ってましたよ。別に綺麗な景色でもないのに。」
「スナップ写真でやつだな。何てことない日常の風景を撮るやつだよ。」
「俺なら綺麗な景色とかの方がいいけど・・・・、」
「好みは人それぞれだ。」
紙を持ち上げながら、「しかし上手く描けてるなあ」と感心した。
「これ、鉛筆画か?」
「そうです。」
「色が無い方が、かえって色々と分かりやすいんだなあ。」
「街や人の造形が目立ちますからね。」
「まるでモノクロ写真みたいだ。お前の腕は大したもんだよ。」
まじまじと絵を見つめながら、その出来栄えに感心する。
遠くを歩く人の靴や、画面の端っこに走り去る車のナンバーまで緻密に描かれている。
中央では一人の男がカメラを構え、こちらに背中を向けていた。
頭には帽子を被り、ジャケットにスラックスという出で立ちだ。
まるで休日に我が子を撮るお父さんみたいに見えて、ちょっとしんみりした。
《そういえば親父もカメラが好きだったなあ・・・・・。仕事が忙しくなってからは、ほとんど撮ってなかったけど。》
まだ俺が子供の頃、親父はよく写真を撮りに行っていた。
メインはスナップ写真で、よく撮影について行ったものだった。
俺は写真なんて興味なかったけど、一緒に行けばアイスだのジュースだのを買ってもらえる。
そして俺が嬉しそうに食べているところを、パシャッと撮っていた。
《あの頃の写真・・・・どこ行っちまったんだろうなあ・・・・・。引っ越した時に失くしちまったのかな?》
昔に思いを馳せながら、じっと絵を見つめる。
「・・・・・・・・・・。」
俺は絵を持ったまま、険しい顔で固まった。
伊礼が「どうした?」と尋ねて、「何か気になるもんが描いてあるのか?」と覗き込んだ。
「・・・・・・・・・・。」
「どこ見てんだ?」
「・・・・・違う。」
「違う?何が?」
「これ・・・・違うぞ。」
俺は絵の真ん中を指さし、「これはあの男じゃない」と言った。
「これに描かれてるこの男、白川常務じゃないぞ。」
「なんだって?」
伊礼は顔を近づけ、「・・・・背中を向けてるから分からん」と言った。
「おい冴木。」
伊礼に呼ばれて、冷蔵庫を漁っていた冴木が振り返る。
「え?・・・ああ、はい。」
「こんな時にビールなんか飲むな。」
「すいません・・・冷蔵庫にあったもんだからつい。」
「お前・・・これは間違いなく白川常務なんだよな?」
「ええっと・・・そうですよ。本社から出てきたところを尾行しましたから。」
「本社から?この日は休日じゃなかったのか?」
「だから会社から出て来て、家に帰って行ったんです。」
「そこまで尾行したのか?」
「はい、車で。」
「で?その後は?」
「常務も車で出て来て、そのまま国道の方に向かいました。それで高速に乗って、その駅まで行ったんです。」
「その間ずっと尾行してたのか?」
「はい。目は良い方なんで。」
「駅についた後は?」
「近くのコインパーキングに停めてました。俺は見つからないようにする為に、別の所に停めたんです。そんで常務を尾行してたら、駅の前で写真を撮り始めて。」
「なら一から十までこの男から目を離していないということだな?」
「はい。あ、でも別のパーキングに停める時に、ちょっとだけ見失ったかな?」
「どれくらいの間?」
「ほんの30秒くらいですよ。」
そう言ってゴクゴクとビールを煽り、「それは間違いなく白川常務です」と頷いた。
「だってずっと尾行してたんですから。目を離したのだって30秒ほどだし。」
「そうか・・・・お前の言う事を信じるなら、これは間違いなくあの男ということになるが・・・・。」
伊礼は困った顔で絵を睨む。そして「なあ加藤、どうしてこれがあの男じゃないと思ったんだ?」と尋ねた。
「この絵だと、こちらに背中を向けている。顔が見えないのにどうして別人だと分かる?」
「いや、分かるよ。」
「だからどうして?」
「だって・・・・別の場所に描かれてるもん、あの男。」
そう言って画面の右端を指さした。
「これは・・・・・商店街?」
「・・・の入り口だな。たくさんの人が出入りしてるけど、一人だけジャケットを羽織った男がいるだろう?」
「こっちに向かって歩いてるな。でも小さくて顔が見えん。」
「俺はハッキリ見えるぞ。まさかお前・・・・もう老眼が始まって・・・・、」
「人をジジイみたいに言うな。」
伊礼は俺の手から絵を奪い取り、テーブルに叩きつけた。
「おい冴木!」
「あ・・・はい!」
「加藤が言うには、中央の男は白川常務じゃないそうだ。」
「はあ・・・・・。」
「でもって、この右端に小さく描かれている男が常務だと言う。」
「いやあ〜・・・・それはないでしょ。だって俺、ずっと尾行してたのに。」
冴木はビールを煽りながら、伊礼の前に座った。
「ちゃんとあの時の記憶を描いたんですよ。間違ってるはずがありません。」
「・・・・・なら、この右端の部分を拡大して描いてれないか?商店街の入り口の所だ。」
トントンと指を叩くと、冴木は「分かりました」と描き始めた。
その手際は凄まじく、ほんの数分で精密な絵を描き上げてしまった。
俺は「やっぱりすごいな」と感心し、「どれどれ」と覗き込んだ。
そこには女と腕を組んで歩く、白川常務の姿があった。

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