蝶の咲く木 第十九話 二つの繭(1)

  • 2018.01.24 Wednesday
  • 11:08

JUGEMテーマ:自作小説

リアルな記事を書くには、徹底した取材が欠かせない。
妻が家に帰ってから翌日、またあの大木へとやって来た。
すると・・・そこで不思議な光景を見た。
なんと辺りが砂漠に変わって、たくさんのイモムシが蠢いていたのだ。
その景色はすぐ消えたが、幻にしては妙にリアルだった。
《さっき見えた光景はなんだったんだろう・・・。》
あれはただの幻か?それとも・・・・、
《まあいい。分からないことを悩んでも仕方ない。今はやるべきことをやらないと。》
なんとしても絵を見つけ出してやる。
それが終わったら、いったん会社に戻ろう。
河井さんにこの事を話して、何周も連続で特集を組んでもらうのだ。
あの人ならきっと俺の話を信じてくれるだろう。
頭の固い石井さんとは違って、面白ければなんでも取り入れてくれる器の大きな人だから。
腕まくりをして、腰に携えたスコップを握る。
昨日探した時、木の上はくまなく調べた。
ならばあとは根っこしかない。
レンガで囲われた土のどこかに、子供が描いた絵があるはずなのだ。
季節は冬だが、一時間も土を掘り起こしていると、さすがに汗が滲んでくる。
「そういや飲み物を忘れたな・・・・。」
立ち上がって周りを見ると、少し離れた所に自販機があった。
いったん捜索を中止して、一服つけるこにした。
小銭を入れ、お茶を買い、胸ポケットから煙草を取り出す。
ふう〜っと煙を吐きながら、大木を見つめた。
さて、今回のことをどう記事に仕上げようか。
在り来たりな言葉ではダメな気がするし、かといって捻り過ぎても伝わらないだろう。
そもそもが少数の読者しか抱えていないオカルト雑誌なので、果たして俺の筆力でどこまで拡散できるか。
地球を守るという大きな目的もあるが、それと同時に記者としての腕を試されることになる。
《出来れば光る蝶の写真が欲しいけど、強力な磁場のせいでなあ・・・・。》
百聞は一見に如かず。
前代未聞の出来事を伝えるには、活字よりも写真や映像の方が効果的だ。
《どうにかして撮れないもんかな?》
色々悩んだ末、ふと閃くものがあった。
《そうか・・・磁場の影響を受けない物ならいいんだよな。》
デジタル機器は使えない。
ならばフィルムカメラを使えばいいのだ。
《ああ、どうしてこんな事を思いつかなかったんだろう。》
タバコを消し、さっそく近くのスーパーに向かった。
「あったあった。」
手にしたのは使い捨てカメラだ。
こいつなら・・・・と思ったが、《ダメだ》と首を振った。
《夜に撮るわけだから、長時間露光できるカメラじゃないと。》
夜間の撮影は長時間シャッターを開いておく必要がある。
近所で中古カメラを扱っている店があれば、手に入れることは出来るだろう。
しかし最近は個人のカメラ店も減ってきた。
ましてやこんな田舎では、そう簡単に見つかりはしないだろう。
「フィルムは使い捨てカメラのやつを取り出せばいい。けどカメラばっかりはなあ・・・・。」
どうしたもんかと悩んでいると、ふとあることを思い出した。
《そういえばあの爺さんの家、古いカメラがあったな。確か箪笥の上に飾ってあったような。》
拙い記憶を掘り起こし、《間違いない、あれはニコンの一眼レフだった》と頷く。
早速屋敷まで戻り、「お邪魔します」と門を潜った。
しかし玄関には鍵が掛かっている。
どこか入れそうな場所はないか探していると、一階の出窓が開いていた。
縁に足を掛け、よっこらしょっと中に入る。
広い居間にはテレビと布団、それに少し大きめのテーブルと、茶色くすすけた木製の箪笥があった。
その箪笥の上にはマニュアル式の一眼レフカメラが飾られていた。
手に取り、ちゃんと動くか確認してみる。
かなり旧式のカメラではあるが、動きさえすれば綺麗に撮れるはずだ。
「・・・・シャッターは切れるな。絞りも大丈夫だし、レンズも綺麗だ。」
きっと大事にメンテナンスしていたんだろう。
「あとはフィルムさえ入れればバッチリだ。」
使い捨てカメラからフィルムを取り出す為に、どこか暗い場所はないかと探す。
するとトイレがちょうどいい具合に真っ暗だった。
小さな窓はあるものの、光の届きにくい中庭に面しているので、電気さえ点けなければ立派な暗室に変わる。
使い捨てカメラのパッケージを剥がし、本体の接続部の隙間に爪を立てる。
ちょっと力がいるけど、強引に引っ張ると簡単に分離した。
出てきたフィルムは伸びきっているので、つまみを回してカートリッジに巻いていく。
そして先っぽだけを残して、爺さんのカメラに装填した。
巻き上げレバーを回し、二回ほど空シャッターを切れば準備完了だ。
夜になればこいつで光る蝶を撮ってやる。
しかし長時間露光は手持ちでは絶対にブレるので、カメラを固定できる物がないか探してみた。
「写真を趣味にしてたんなら、三脚も持ってるかもしれない。」
居間に戻り、あちこち探していると、テレビの横にあるバッグの中に、年季の入った三脚を見つけた。
他にも撮影機材一式が入っていて、長時間露光用のレリーズまでゲット出来た。
「よし!こいつで本当に準備万端だな。」
人の物を勝手に借りるわけだから、爺さんを思い浮かべて手を合わせた。
《ごめん爺さん、これ借りる。その代わり絶対にヴェヴェの思惑は阻止してみせるからな。》
しばらく黙祷を捧げてから、ゆっくりと目を開けた。
するとその時、居間の奥にある階段の方から、トタトタトタと誰かの足音が聴こえた。
・・・ヒュンと心臓が竦み上がる。
《え?人がいるのか・・・・。》
じっと固まっていると、キッチンで何かが動いたような気がした。
ほんの一瞬であったが、人影らしきものが・・・・。
「誰かいるのか・・・・?」
顔が強張り、拳が硬くなってくる。
別に幽霊が怖いわけじゃない。
恐ろしいのは生きた人間で、空き巣か何かが入ってきたんじゃないかと警戒した。
《老人の一人暮らしだからな、それもこんな大きな屋敷だ。泥棒が入ってもおかしくないよな・・・・。》
足音を殺し、キッチンに向かう。
「誰かいるのか!」
誰かいたら怖いので、とりあえず大声で威嚇する。
しかし・・・・誰もいない。
キッチンには食器棚と冷蔵庫、四角いテーブルと椅子が三つだけだ。
あとはカランと寂しいシンクだけ。
しかしその横には包丁が並んでいて、もし誰かがあれで襲いかかって来たらと思うと・・・・。
《どうする?いったん外へ出ようか・・・?》
空き巣に襲われてはたまったもんじゃない。
何より騒ぎになれば、色々と厄介なことになるだろう。
爺さんがいないこと、勝手に侵入したことなど、警察に聞かれて取材どころではなくなる。
《やっぱり一度外に出よう。》
ゆっくりと後退して、居間へ退避する。
そして出窓へ向かって駆け出すと、後ろからガタンと物音が聴こえた。
「・・・・・・ッ!」
やっぱり誰かいる・・・・。
爺さんはペットを飼っていないので、物音がするってことはそういうことなのだ。
《絶対に空き巣だ・・・・。》
ビビって固まっていると、またガタガタと音がした。
そして・・・・・、
「うおッ・・・・、」
今、はっきりと人の姿が見えた。
キッチンから出てきて、居間を駆け抜ける。
そしてトイレの方へと向かっていった。
「・・・・・・・。」
耳を澄ましていると、トイレのドアが開く音が聴こえた。
古いドアがギイっと鳴って、遠慮がちにパタンと閉じる音が・・・・。
しばらくすると、またドアが開く音・・・・。
《間違いない・・・・人がいる。それも・・・・、》
さっき見えた人影、あれは空き巣ではない。
あれは・・・・・、
また人影が横切る。
とても速いのではっきりとは見えなかったが、でも間違いなくあれは・・・・、
「子供・・・・。」
小学生くらいの男の子だった・・・・。
制服を着て、白い靴下をはいて、男の子にしては長い髪をして・・・・・。
ほんの一瞬だが間違いない。
あれは子供だ。
階段の方から、またトタトタと足音が聴こえた。
パタンと襖を閉じる音が聴こえて、天井からトトトトと足音が響いた。
「・・・・・・・・・。」
今のはなんだろう?
爺さんには孫がいたのか?
そんなこと一言も言ってなかったけど・・・・。
まさか幽霊ということはあるまいし、あの歳で空き巣もないだろう。
「・・・・どこの子だ?」
どこからか勝手に入ってきたのだろうが、いったいどうして?
逃げようと思っていたのに、気がつけば階段へと歩いていた。
相手が子供ならば、こっちが殺されることもあるまい・・・・。
だけどそれ以上に、ただ気になって仕方なかった。
色々と考えた末、二階へ上がってみることにした。
恐怖はある・・・緊張もある・・・・。
足はゆっくりになり、古い階段がギシギシと軋んだ。
《なんだろう・・・なんなんだあの子。制服着てたよな?てことは学校から抜け出してきたのか?》
今日は平日、それも昼前だ。
普通なら学校へ行っているだろう。
《イジメに遭ってて不登校とか?親には言えずに、学校に行ってるフリをしてるとか?
・・・・いやいや、それはないか。そんなの学校から親へ連絡が行くよな。
いや、でもさっき抜け出してきたばかりなら、今頃学校や親が探し回ってたりして・・・・。》
迷いながらも、すでに二階へと上がっていた。
目の前には廊下が伸びていて、すぐ左手に襖がある。
他は普通のドアなので、あの子が入ったのはこの部屋だろう。
《怖いなあもう・・・・。》
引き返したい気持ちはある。
だけど手は襖に掛かっていて、自分の意志に反するように、ゆっくりと開いていった。
「・・・・・・・・。」
首を伸ばして中を覗く。
六畳ほどの広さの部屋には、所狭しと写真が飾ってあった。
壁際には小さな台があって、その上にパソコンがある。
隣には大型のプリンター、そしてインクの空箱。
向かいには額が積み上がっており、ここにも写真が入っている。
他には脱ぎ散らかしたズボンと靴下、そして飲みかけのコーヒー。
そして丸いテーブルの上には、2L版の写真が何枚も散乱していた。
「どこ行ったんだ?」
部屋に入って、グルリと見渡す。
すると丸いテーブルの上、散乱した写真に混じって、くしゃくしゃになった紙が置かれていた。
そいつを手に取り、丁寧に広げてみると・・・・、
「これは・・・・・、」
そこには絵が描かれていた。
子供が描いたような、拙いタッチの絵だ。
おそらくクレヨンかクーピーで描いたのだろう。
あちこちに手で擦れたであろう滲みがあった。
そして右端の方は、ビリビリとちぎったように絵が途切れていた。
「・・・・・・。」
言葉を失くしたまま、その絵に見入る。
絵の内容はとてもファンタジックなもので、やはり子供が描いたのだろうと思う。
空には大きな木が浮かび、根っこの辺りを雲が流れている。
その根っこは、地球らしき丸い物に絡みつき、まるで締め上げるように根を張り巡らしていた。
・・・・ここまではいい。
いかにも子供の夢想らしい、夢のある絵だ。
だが問題は、地球より下にある。
そこには真っ赤な炎が描かれて、大勢の人を焼いていた。
空に向かって手を伸ばし、悲鳴をあげるように大きく口を開けている。
目からは大粒の涙を流して、助けてくれと懇願しているようだ。
炎に焼かれているせいか、どの人間も黒く塗り潰されている。
画面の下いっぱいに悲鳴を上げる人々は、この絵を描いたであろう子供に殺されているわけだ。
「・・・・間違いない、これがなつちゃんの言ってた絵だ。」
真ん中辺りから千切れているし、絵の内容も合っている。
巨木が地球を侵略し、大人たちを焼き殺している。
拙い絵ではあるが、これを描いた子供の怒りがヒシヒシと伝わってきた。
「よっぽど憎んでたんだな・・・・大人のことを。」
最期は変態に殺されたというが、それ以前から親に虐待を受けていた。
周りに助けてくれる人はいなかったのか?
学校は?近所の人は?警察は?児童福祉施設は?
色々と考えたが、親の暴力に怯えている子供が、周囲の大人に告発するのは難しいだろう。
心の隅まで恐怖に支配され、それを乗り越えるほどの精神力を持ち合わせているわけがない。
だからこそこの絵を描き、現実にはあり得ない世界を夢見たのだ。
怖くて残酷な絵ではあるけど、それと同時に胸が締め付けられる。
たった一人の子供の悲鳴が、全てここに詰まっているのだ。
誰か一人でもいいから周りの大人が気づいていれば、事態は変わったかもしれない。
でもそうなならずに、親以上に残酷な大人の手によって、命を絶たれてしまった・・・・。
絵を見ていると、ジワっと目元が緩んできた。
幼い子供がどうしてこんな目に遭わなければいけないのだろう。
大人でも耐え難い苦痛だろうに、どうしてこんな痛みを背負わないといけないのだろう。
大人は子供の守護者であると同時に、子供の天敵でもある。
この子が出会った大人は天敵の方だったようだ。
「可哀想に・・・・。」
また涙が滲んでくる。
しかしいつまでも悲しんでいられない。
思いもよらずお目当ての物が手に入ったのだから。
・・・・しかしなぜ?
「考えられるとすれば一つしかない。さっきの子供だな。」
いったいあの子はどこへ行ったんだろう?
他の部屋も探してみるかと、後ろを振り返った時だった。
「あ・・・・・、」
さっきの子供が目の前にいた。
一瞬肝が消えたが・・・すぐに冷静さを取り戻した。
怯えている暇があるなら、この絵のことを尋ねないと。
「なあ僕、これって君が置いたのかな?」
そう尋ねてから数秒後、俺は再び肝を冷やすことになった。
なぜならその子の首に、いきなり大きな痣が現れたからだ。
制服の半ズボンからは血が流れてきて、白い靴下を汚していく。
それに・・・・なぜかは分からないが、急に顔の形が変わっていった。
左目に痣が出来て、頬骨が歪んでいく。
綺麗だった制服のあちこちが汚れ出して、ズボンから流れる血はさらに多くなっていった。
「・・・・・・・。」
俺は何もしていない・・・・ただ話しかけただけで、指一本触れていない・・・・。
それなのにどうしてこんなに傷だらけに・・・・、
『殺して。』
「え・・・?」
『殺して。』
・・・・声にはエコーがかかっていて、人の物とは思えなかった。
『悪い大人を殺して。』
「・・・・・・・。」
『それとイモムシを。』
「イモムシ・・・・?」
『僕を殺した一番悪い奴。まだ生きてる。』
「・・・もしかして君は・・・・、」
『ヴェヴェは手伝ってくれない。他の子の復讐は手伝うのに、僕だけ・・・・。』
「いや、あの・・・ちょっと待ってくれ。俺からも色々聞きたいことがある・・・・、」
『僕は川にいる。』
「川?」
『骨になって。』
「・・・・・・・・。」
『埋められてる。そいつに。』
「じゃあやっぱり君は・・・・この絵を描いた子なんだな?悪い大人に殺されて・・・・、」
『そいつは○○府の○○市にいる。よく『羽布(ハブ)』って店でお酒を飲んでる。』
「・・・・俺に犯人を殺せってのか?」
『駅の近くのアパートに住んでる。僕だけじゃなくて、他にも殺された子がいる。』
「そんな・・・・、」
『もし殺してくれたら、残りの絵もあげる。』
エコーが強くなっていく。
少年の怒りと悲しみに呼応するように、どこから声が響いているのか分からないほどだ。
『おじさんは悪い大人じゃない。だから子供の国を守って。僕みたいな子たちを・・・・、』
エコーはどんどん強くなり、耳鳴りがしてくる。
そのうち頭まで痛くなってきて、「待ってくれ!」と叫んだ。
「いきなりそんな事言われたって困る!俺は殺人なんて出来ないぞ!!」
『蝶にやってもらって。おじさんから頼んで。』
「なんだって!?」
『仲の良い子がいるでしょ?なつちゃんって子。』
「なんで知ってるんだ!?」
『だってずっと見てたから。僕がいる川からずっと・・・・。』
「見てたからって・・・・まさか君がいる川は、あの大木の傍のやつか?」
『お願い・・・・子供の国を守って・・・・。』
エコーが小さくなっていく・・・・。
すると頭痛が治まり、耳鳴りもやんでいった。
『僕も・・・・蝶になって・・・・子供の国に行きたい・・・・。』
「おい!お前・・・・消えかかってるぞ。」
少年はどんどん薄くなっていく。
まるで空気の中に滲んでいくように。
『僕は自分の星に行きたい。』
そう言い残し、少年は消え去った。
彼が立っていた足元には血が滲んでいて、それもゆっくりと消え去っていく。
今までの出来事が幻だったかのように、あの子の気配はどこにもなくなった。
「・・・・なんなんだいったい・・・・。」
何がどうなっているのか分からなくて、とりあえずタバコを吸いたくなってくる。
それと同時に尿意を催してきた。
今さらビビってきたのだ・・・・。
一階へ下り、電気を点けてトイレに入る。
すると便器の後ろにある、水を貯めるタンクの蓋が開いていた。
「なんだ・・・?」
さっきの子が開けたのだろうか?
中を覗いてみると、縁にビニール袋が引っかかっていた。
その時、「ああ!」と閃いた。
「もしかして・・・・。」
この絵は間違いなくさっきの子が持ってきたものだろう。
「あの子トイレに入ってたな・・・・。あれってここから絵を取り出す為に・・・。」
絵をクシャっと丸めて、ビニール袋に突っ込んでみる。
するとちょうど収まるくらいの大きさだった。
「俺にこの絵を渡す為に現れたんだ・・・・。」
絵を取り出し、じっと眺める。
この一枚に、自分の夢と大人への恨みが詰まっている。
こいつを俺に渡したってことは、あの子はやっぱり・・・・。
「この絵を描いた子か。自分の夢だけを残して。」
ということは幽霊ってことになるが、不思議と恐怖は感じなかった。
それよりも切なさと悲しみが・・・・。
「死んでもなお夢と復讐を望んでるんだな・・・・。可哀想に。」
便器に腰掛け、磁石に引き寄せられるように絵に見入る。
狭いトイレの中、しばらくそのままで過ごしていた。

蝶の咲く木 第十八話 再び大木へ(2)

  • 2018.01.23 Tuesday
  • 12:32

JUGEMテーマ:自作小説

夜、妻と二人であの大木へとやって来た。
下から見上げると、枝の隙間から月明かりが漏れていた。
「今日は満月か。これなら懐中電灯はいらなかったな。」
橙色の灯りを消して、月明かりに染まる大木を見つめる。
田舎ってのは余計な光がないから、月や星の光がとても明るく感じる。
後ろでは妻が電話をしている。スマホを片手に「うん、うん」と頷いていた。
「うん、私は全然大丈夫。大したことないから。」
実家に掛けているのだ。
今日も帰れそうにないと、優馬の面倒をお願いしている。
「ごめん、明日には帰るから。今日もう一日だけお願い。・・・・え?うんうん、拓君も大丈夫。はいはい、じゃあお願い。ごめんね。」
電話を切り、俺の隣に並んだ。
「こうして見るとただの木なのにね。立派は立派だけど、不思議な木には思えない。
なのにどうしてあんな不思議なことが起こるんだろう?」
妻の言うことは最もで、俺も頷きを返した。
「とにかく調べてみよう。真鈴ちゃんの言葉が本当なら、この木のどこかに半分に千切れた絵があるんだろ?」
「うん。」
妻は頷き、俺は後ろの屋敷を振り返った。
風情があると言えば風情があるけど、意地悪な言い方をすれば時代に取り残された遺産だ。
ここの爺さんはもういない。
ヴェヴェによって殺されたから。
今のところそれを知るのは俺たちだけだ。
そのうち何日も姿を見せない爺さんを、近所の人たちが不審に思うだろう。
だけどこの屋敷に死体はない。
爺さんは雲海の養分になってしまったのだから。
きっと行方不明として処理されるだろう。
《・・・でもその方がいいかもしれない。人が殺されたなんて知れ渡るよりは・・・・。それも犯人が宇宙人だなんて。》
「お父さん、ボケっとしてないで調べよ。」
「そうだな。二人で探せば見つかるはずだ。」
根を囲っているレンガを越え、大木へ近づく。
「じゃあ俺は上の方を探してみる。」
「私は根っこを掘ってみるわ。スコップも持ってきたし。」
二人で手分けをしながら、この大木のどこかにあるという絵を探していく。
妻はせっせと土を掘り、オケラ一匹見逃すまいといった目をしている。
俺は慣れない木登りに苦戦しながら、どうにか太い枝に足をかけた。
「落ないでよ。」
「平気平気。」
そう言った次の瞬間、足を滑らせてしまった。
根が這う土の上に、ドシンと尻餅をつく。
「痛ッ・・・、」
「ちょっと大丈夫?」
「平気平気・・・・。」
「言ったそばからもう。」
妻に手を引っ張られて「痛てて・・・」と立ち上がる。
「そんな運動神経が鈍い方じゃないんだけどな・・・。」
「代わろうか?」
「いやいや、もし落ちたら大変だ。俺が行く。」
「じゃあお願い、次は気をつけてね。」
太い枝に足をかけるまで、妻にお尻を押してもらう。
《もっぺん落ちたらカッコ悪いからな。慎重に慎重に。》
首を伸ばし、とりあえず近くの枝を探っていく。
とても大きな木なので、枝の一本一本が太い。
その太い枝には幾つものくぼみがあり、中を覗いてみた。
「よく見えないな。」
懐中電灯を照らし、くぼみの中を探す。
《・・・・なさそうだな。》
ならばともう一つ上の枝へ行く。
しっかりと足をかけ、えっちらおっちらと登っていった。
ここまで来るとさすがに高い・・・・。
俺の背丈はとうに越え、下を見ると足が竦んだ。
《カッコつけたはいいものの、高いとこ苦手なんだよな・・・・。》
なるべく下を見ないようにしながら、枝のくぼみを覗いていく。
するとその時、ズボンのポケットがブルブルと震えた。
「もしもし?」と電話に出ると、『どうですか体調は?』と返ってきた。
「おお、松永か。」
『いやあ、すげえ心配しましたよ。死にかけたって聞いた時は。』
「嘘つけ。昨日電話した時笑ってたじゃないか。」
『石井さんも笑ってましたよ。そのまま昇天してくれればよかったのにって。』
「なんちゅう上司だ。ていうか誰も見舞いにすら来てくれないなんて酷いな。」
『だって遠いじゃないっすか。経費なんて降りないから、会いに行くの自腹になるし。』
「いいさ、お前はそういう奴だって分かってる。ていうか今忙しいんだよ。用がないなら切るぞ。」
『え?まさかもう仕事してんすか?もっと休んどきゃいいのに。』
「そう出来ない事情があるんだよ。切るぞ。」
『用ならありますって。あのね、円香さんが入院してる間に、石井さん異動が決まったんすよ。』
「マジか!ついにあの石頭がいなくなってくれるんだな。」
『んでね、次に来る人が河井さんなんです。』
「おおおお!河井さん!戻って来てくれるのか!!」
河井さんとは、月間アトランティスの元編集長だ。
この人がいる間に雑誌の売り上げが黒字に変わった。
それに俺を育ててくれた尊敬する先輩でもある。
「嬉しいニュースだな。でもどうして河井さんみたいなすごい人がまた戻ってくるんだ?
あの人経済誌の方に行ってたろ?どう考えても都落ちじゃないか。」
『あくまで噂ですけど、石井さんが色々画策したらしいっすよ。』
「画策?汚い手でも使ったのか?」
『そういう風な噂があるんすよ。』
「ほんとあの親父だけは・・・・。」
ちょっとした殺意が湧いてくる。
オカルト雑誌を嫌うのは構わないが、だからって河井さんを蹴落そうとするその根性が気に食わない。
本気でぶん殴ってやろうかと、拳が硬くなった。
『怒ってます?』
「かなりな。」
『昨日ね、河井さんと喫煙所で会ったんすよ。古巣に戻るからよろしくって。』
「大歓迎だよ。ついでに石井のオッサンはクビにしちまえばいい。」
『そうなりゃ面白いっすね。そんでしばらく河井さんと話し込んでて、例の蝶の咲く木のことを話したんすよ。』
「おお、河井さんなんか言ってたか?」
『私が戻ったら、それを目玉に特集を組むって。だからバッチリ取材してこいって。』
「さすがは河井さん・・・・ほんと器が大きい・・・・。」
感動に手が震える。
心の中では合唱して拝んでいた。
『円香さんが入院したことも心配してましたよ。見舞いに行く暇はないって言ってましたけど。』
「いいさ、あの人は仕事一筋だからな。ていうかそれ聞いてやる気が出てきた。」
これは朗報だ。
あの人が編集長に戻ってくれるなら、このネタを大々的にやれる。
そうすれば地球にとって未曾有の危機を、世間様に知ってもらうことが出来るはずだ。
「話は分かった。じゃあそろそろ切るな。今ほんとに忙しいから。」
『了解っす。あ、あと俺が頼んでた土産買って来て下さいね。本革のジャケットか、無理なら財布でもいいんで・・・・、』
なにかホザいているが、途中でプチっと切ってやった。
「さて、こりゃ気合入れて探さないとな。」
高い所は怖いけど、ビビってる場合じゃない。
さらに上の枝へ登っていくと、「大丈夫〜?」と声がした。
「平気平気。」
「そっから落ちたらほんとに怪我するよ?どっかから脚立でも持ってこようか?」
「ほんとに平気だって。今いい知らせがあってさ、すごいやる気になってるから・・・、」
そう言いかけた時、妻が「上!」と叫んだ。
「なに?」
「空よ空!」
必死に指差すので、「まさかまた蝶が出たのか!」と見上げた。
しかしそうではなかった。
さっきまで出ていた月が、どこにも見当たらない。
それどころか星さえも・・・・。
「おいこれって・・・・、」
「急に雲が出てきたみたい・・・・。さっきまであんなに星が出てたのに。」
「今日って天気予報は・・・・、」
「一日中晴れよ・・・・、」
俺も妻もゴクリと息を飲む。
《あの雲・・・・もしかしたらあの時と同じものなんじゃ・・・・、》
空から白い竜巻が降りてきた時を思い出す。
あの時もこんな風に、分厚くて不気味な雲が出ていたのだ。
もしまたあの時と同じように、繭の道が降りてきたら・・・・、
「お父さん!いったん降りて!!」
「そうだな・・・・。」
下の枝に足をかけ、ゆっくりと降りていく。
どうにか地面までたどり着いて、妻と並んで空を見上げた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
二人して息を飲む・・・・・。
どうか悪い予感が的中しないでくれと願いながら。
《あの道が降りてくるってことは、ヴェヴェが来る可能性もある。そうなったら俺たちは間違いなく殺される。》
さっさと逃げればいいものを、俺も妻もそれが出来ないほど強ばっていた。
気がつけば若いカップルのように手を握り合う始末だ。
「・・・・・・あ。」
妻が目を見開く。
なぜなら悪い予感が当たってしまったから・・・・。
「来やがった・・・・・。」
分厚い雲がかかった夜空から、白い竜巻が降りてくる。
うねる蛇のように、怒る龍のように。
《ゆっくり降りてくるのがかえって怖いな・・・・。》
まるで空を侵略するかのように、不気味な気配を放っている。
蛇行しながら宙を進み、やがて大木のすぐ傍までやってきた。
白い竜巻はワラワラと糸を伸ばし、大木に絡みついていく。
やがてまん丸い繭のように覆い尽くされて、真珠のごとく輝いた。
俺たちは恐怖に駆られながらも、神秘的なその光景に見入ってしまった。
「綺麗だなあ・・・・。」
「そうだけど・・・もしヴェヴェが出てきたら・・・、」
そう、奴が現れたらお終いだ。
息を飲んで見守っていると、突然繭が弾けた。
パンパンになった風船をつついたように、大きな音を立ててパチンと。
《何が出てくる・・・?》
妻と手を握ったまま、一歩後ずさる。
しかしすぐに不安は消え去った。
「お父さん、あれ・・・・、」
「すごい・・・・・。」
繭が弾けた大木には、数えきれないほどの蝶が咲いていた。
イルミネーションのようにピカピカと輝く蝶が。
あまりにたくさんいるもんだから、まるで輝く葉っぱのようにも見える。
「こんなにたくさん・・・・・。」
一歩前に出ると、妻が「危ないよ!」と手を引っ張った。
「大丈夫だって。ヴェヴェはいないみたいだ。もしあいつがいたらならすぐに分かる。」
奴は異常な殺気を放っている。
ゾワゾワっと背筋が波打つほどの。
「ヴェヴェはいない。殺されたりしないよ。」
「でも・・・・、」
「別にこいつらは悪い奴らじゃない。お母さんも知ってるだろ?」
「知ってるけどさ、こんなにいっぱい群がってたら気味悪いじゃない。」
「そうか?すごく綺麗じゃんか。」
「私は虫が苦手なの。あんまり近づきたくない。」
「虫じゃないって。宇宙人モドキだ。」
妻と言い合っていると、群れの中から一匹の蝶が飛んできた。
「来たあ!」
妻は逃げようとする。
俺は「平気だって」と引き止めた。
「平気じゃないわよ!」
「本物の虫じゃないんだから怖がることないよ。」
『はい、怖がることはないですよ。』
傍へ飛んできた一匹の蝶が、俺たちの間に割って入る。
「いやあ!」
『驚かないで。私です。』
妻は俺の手を振り払って逃げていく。
蝶は『はあ・・・・』とため息をついて、俺を振り返った。
『今日会ったばかりなのに・・・・覚えてないんですかね?』
「いや、俺は覚えてるよ。なつちゃんだろ?」
手を伸ばすと指先にとまってきた。
「死んだと思ってたのに生きてたんだね。よかった。」
『奥さんから話は聞きましたか?』
「ああ。だから大木に隠されてる絵を探しに来たんだ。」
大木に目をやると、何匹かの蝶が辺りを舞っていた。
小さな光が夜を照らす光景は、まるで星のようだった。
「あの子たちはなつちゃんの味方?」
『はい。』
「よくヴェヴェに見つからずに来られたね。」
『ヴェヴェはイモムシ退治に忙しいから。あれがいると大木が台無しになっちゃうんです。』
「妻から聞いた。本当はもっとたくさんの巨木があったけど、イモムシが根っこを齧って枯れちゃったんだろ?」
『そうなんです。ほっといたら子供の国はなくなっちゃうから、ヴェヴェが一生懸命駆除したんですよ。
前はもっとたくさんいて、まさに害虫って感じでした。』
「でも今となっちゃ味方だよな。そのイモムシのおかげで巨木が弱るかもしれないんだから。」
『きっと他にもいると思います。だからヴェヴェは本気で焦ってるんです。』
「俺たちにとってはありがたい事だよ。」
俺は後ろを振り向き、「お〜い」と手を振った。
「この子真鈴ちゃんだよ。怖くないって。」
妻は遠くの物陰からこちらを見ている。
恐る恐る近づいてきて、「真鈴ちゃん?」と呼んだ。
『はい。』
「なんだ・・・・だったら最初からそう言ってよ。めっちゃくちゃビビったじゃない。」
『言う前に逃げ出すから。』
「だって怖かったんだもん。・・・・で、何しにこっちへ来たの?あんなに大勢仲間を引き連れて。」
俺の後ろに隠れながら大木を睨む。
さっきよりも空を舞う蝶が多くなっていた。
『手伝いに来たんです。』
「何をよ?」
『だから絵を探すの。』
「そうなの?じゃあ最初から言ってくれればいいのに。」
『だから言う前に逃げたでしょ。』
「だからごめんって。」
「まあまあ。手伝ってくれるなら早く見つかるじゃん。だってその絵が全ての元凶なんだろ。」
『はい。』
そう、だからこそその絵を探さないといけないのだ。
そもそも子供の国なんていう変てこな世界は、一人の子供の夢想から始まったものだ。
子供の頃、誰だって一度は夢の世界を描いたことがあるだろう。
頭の中だけでは我慢できず、紙の上に描いた子もいるはずだ。
子供の国は、そうやって一枚の画用紙に描かれた絵から始まっている。
もちろん最初はただの絵だった。
しかしそこへヴェヴェが関わってきて、こんな厄介なことになったのだ。
残念ながら、その絵を描いた当の子供はもういない。
頭のおかしな大人によって殺されてしまったからだ。
しかも生前は親から虐待を受けていたというので、なんとも救いのない話だ。
亡くなってしまったその子は可哀想だが、今は同情している場合じゃない。
なぜならヴェヴェが行っている事の全てが、その絵の内容に沿っているからだ。
子供の国、大人への憎悪、蝶への生まれ変わり、そして最後には地球そのものが子供の星に変わってしまう。
一人の子供が夢想した世界は、宇宙人ヴェヴェの手によって、現実のものへと姿を変えつつある。
絵を描いたその子は、親の暴力から逃げ出した時、よくここへ来ていたという。
「なつちゃん、その絵をイモムシに食わせれば、最悪の事態は防げるかもしれないんだよな?」
絵を探す目的を再確認すると、『はい』と頷いた。
『あのイモムシだけは描いた人が別なんです。あれってその子を殺した大人が描いたんですよ。
ヴェヴェはその絵を現実に呼び出しちゃったから、イモムシも一緒に出てきちゃったんです。』
「なるほどなあ。あのイモムシだけはその子の夢の外だったわけだ。」
『あのイモムシをほうっておくと、子供の国は滅んじゃうんですよ。』
「その子を殺した大人の暴力が、地球を救う鍵になるってことか。なんか複雑だな・・・・。」
結局その日は、大木に隠された絵を見つけることは出来なかった。
・・・・次の日、妻は家へと帰っていった。
我が子でありながら、我が子ではない優馬を迎えに行く為に。
・・・翌日、よく晴れた空を見上げながら、俺は一人で大木へ向かった。
その時、大木の周りにおかしけ景色が見えた。
なんと辺り一面砂漠になっていたのだ。
道路も川も屋敷も消えて、乾いた砂だけが広がっている。
そこには大量のイモムシが蠢いて、あちこちに繭を作っていた。
やがて繭を突き破り、禍々しい色をした巨大な蛾が現れた。
そいつは大木へ群がって、瞬く間に木を枯らしてしまう。
・・・・砂のように崩れ去る木。
塵と還るその瞬間、どこからか子供の悲鳴が聴こえた。
まるで殺人鬼にでも出くわしたかのような、耳を塞ぎたくなるような悲鳴が。
・・・・その少し後、景色はいつもと同じに戻った。
《なんなんだ今の・・・・・。》
俺はただ呆然と立ち尽くす。
この時ふと思ったことがある。
地球を狙っているのは、なにもあの巨木だけではないんじゃないか?
あの巨大なイモムシ、奴らもこの星に根付くつもりなんじゃ・・・・。
イモムシを使って子供の国をやっつける。
その方法は本当に正しいんだろうか?
俯き、足元を見つめる。
自分が子供だった頃、この世界はどう見えていただろう?
大人はどんな生き物に映って、子供はどんな生き物だと思っていたのだろう?
必死に頑張ってみるが、リアルにイメージすることが出来ない。
もう子供ではない自分には、子供の感覚を蘇らせることは無理だった。

蝶の咲く木 第十七話 再び大木へ(1)

  • 2018.01.22 Monday
  • 13:38

JUGEMテーマ:自作小説

目が覚めると、そこは病院だった。
俺は死んだのではなかったか?
子供が集まるあの国で、俺は首を落とされたはずなのに・・・・。
首には包帯が巻かれていて、しっかりと繋がっている。
最近の医療はここまで発達しているのか?
・・・いや、いくらなんでも切られた首は繋がらないだろう。
目が覚めて少ししてから医者がやって来た。
どうして俺が病院で寝ているのかを説明してくれたけど、肝心の部分が分からなかった。
《川で溺れていたのは・・・まあいい。でもどうして首がつながって・・・・、》
医者に聴いても答えは貰えないだろう。
信じがたいあの体験は、誰かに相談できるものじゃない。
ただ一人を除いて・・・・。
《屋敷の爺さんに尋ねるか。》
あの人なら、どうして俺が生きているのか説明できるはずだ。
・・・ていうかそもそも、どうして俺はあんな場所へ行かされたんだろう。
爺さんは言っていた。
口で言うよりその目で見た方が早いと。
あんな不可思議な体験をさせてくれたことはありがたいけど、死ぬような危険な場所ならそう言ってほしかった。
《子供の国とやらに行ったはいいものの、あそこの秘密なんて何一つ分からなかったなあ。》
これは一人で悩んで答えが出る問題じゃない。
早いとこあの爺さんに話を聞かないと。
身体は特に問題ない。
こうして首が繋がっているなら、どこへだって行ける。
よっこらしょっとベッドから降りると、腕に何かが引っかかった。
「なんだ?・・・・ああ、点滴。」
右腕に針が刺さっていて、その先には黄色い液体が入った袋がある。
ていうか・・・・オムツまでしてるし・・・・。
「仕方ないな」とナースコールのボタンを掴む。
するとその瞬間、誰かが病室へ駆け込んできた。
「拓!」
「おお、母ちゃん。」
「ああ、よかった!お父さん拓が起きてる!」
母に続き、父も入って来る。
前より腰が悪いのか、えっちらおっちらと歩いていた。
「お父さんがトイレ行くっていうからついてったのよ。足悪くて不安だから。
そうしたら戻って来る前に先生と出くわして、あんたの目が覚めたって。
よかった〜・・・・ねえお父さん?」
「死人みたいな顔してたからな。もうあのままなんじゃないかって心配だったぞ。」
「そうなんだ。ごめん・・・心配かけて。」
二人を見つめながら、ベッドの縁に腰を下ろした。
「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだ。俺って川で溺れてたんだろ?その時にさ、何か変わったことってなかった?
例えば首がチョン切れてたとか。いや、例えばの話だけど・・・・、」
そう言いかけた時、俺の言葉を遮るように看護師が駆け込んできた。
「円香さん!」
かなり慌てている。
いったいどうしたんだろう?
「落ち着いて聞いて下さい。奥さんが・・・・、」
そう言って神妙な口調で喋り出す。
・・・・そして看護師の話を聴いてから数分後、妻が俺と同じ病院へ運ばれてきた。
理由は俺と同じく、川で溺れていたから。
ただし俺の時とは違って、意識はしっかりしている。
妻のベッドに腰かけながら、「何があったんだよ?」と尋ねた。
「ごめんごめん、心配かけちゃって。」
気丈な顔で笑う。
しかし左肩には包帯が巻かれていて、少し痛そうにしていた。
「柚子ちゃん大丈夫?なんで川なんかに・・・・。」
母が尋ねると、「道に迷っちゃって」と答えた。
「考え事してたら、いつの間にか拓君が溺れてたっていう川の傍まで来てたんです。
それでどんな川なんだろうって傍まで行ったら、足を滑らせちゃって。」
笑顔を見せながら答えているけど、ふと俺に真剣な目を寄こす。
《なんだ?なんか伝えようとしてるのか?》
妻はたまにこうやってアイコンタクトを寄越してくる。
特に優馬が傍にいる時は。
子供には聞かれたくない話をする時に、『ちょっと来て』という意味なのだ。
今の状況だと人払いしてくれって意味だろう。
《人に聞かれたらまずい話でもあるってのか?》
何を隠しているのか分からないが、とりあえず両親には退席を願った。
「母ちゃん、悪いんだけどなんか飲み物買って来てくれない?」
「ちゃんとあるわよ。あんたの病室に。」
「俺のじゃなくて柚子の。」
「・・・ああ!そうね、気がつかなくてごめん。」
「それと父ちゃん、俺の病室に戻ってなよ。立ちっぱなしだと辛いだろ?」
「気い遣わんでいい。ちょっとくらい平気だ。」
「でも立ってるの辛そうだから。母ちゃん、悪いけど父ちゃんも・・・・、」
「連れてくわよ。」
二人は病室を出て行く。
俺は同室の患者に「どうも」と頭を下げ、サッとカーテンを引いた。
「で、なに?なんか言いたいことあるんでしょ?」
そう尋ねると、「それはお互い様でしょ」と言われた。
「ん?」
「だってお父さん、子供の国に行ってたんでしょ?」
「ちょ・・・・なんでそれを!?」
「私も行ってたから。」
「はああ!?」
「声が大きい。」
「ごめん・・・・。」
「説明しなくても分かると思うけど、繭の道を通って行ったの。」
「繭の道って・・・まさかあの竜巻みたいな?」
「そう。そこで危うく殺されかけた。ヴェヴェって奴に。」
「ヴェヴェ!そんな・・・・大丈夫だったのか!?」
「だから声が大きいって。」
「ごめん・・・・。」
「大丈夫じゃないならここにいないわよ。」
「そりゃそうだな。でも川で溺れてたんだろ?じゃあてっきりヴェヴェにやられたのかと思ってさ。」
「やられそうになったけど助かった。大きなイモムシのおかげで。」
「イモムシ?」
そう言われて、ふと引っかかるものがあった。
あれは雲海へ落ちる前のこと、巨大なイモムシがチラリと見えたような・・・・。
「色々あったのよ、向こうで。それでね、お父さんにもちゃんと知っててもらわなきゃいけない事があるの。
中には・・・・すごくショックを受けることもある。」
妻は辛そうに顔を歪める。
向こうで相当怖い目に遭ったのだろう。
「分かるよ、その気持ち。あの世界は普通じゃない。俺だって首を落とされてさ、マジで死にそうだったんだ。
なんでか分からないけどこうして生きてるけど。」
「そうね、きっと不思議よね。でもその事に関しては、簡単に話せるような事じゃない。心の準備がいることだから。」
「心の準備?何それ?」
「お父さんにも、私にも。」
「・・・・・・。」
いつになく妻の目が真剣になる。
普段はあまり自分の感情を表に出さないのに。
きっと重大な秘密を伝えるつもりなんだろう。
俺は病室のカーテンを見つめ、ふと冗談を漏らした。
「こんな場所で覚悟のいる話か。まるでガンの告知でもされるみたいだな。」
クスっと笑って目を戻すと、一瞬だが妻の表情が歪んでいた。
「どうした?肩が痛むのか?」
「・・・・ごめん、その・・・、」
「なんだよ。まさか本当にガンの告知でもするつもりか?」
「・・・・・・。」
「おいってば。」
「・・・・いつもは妄想ばかりしてるクセに、こういう時だけ勘がいいよね。」
そう言って俺から目を逸らす。
・・・妻は下らない冗談を言うタイプではない。
しょうもない事を言うとしたら、せいぜい優馬を笑わせる時くらいだ。
「もしかしてだけど・・・俺の身に関わること?」
「うん・・・・。」
「もうじき死ぬとかじゃないよな?」
「・・・・・・・・。」
「まさかほんとにガンなわけ?」
「そうじゃないよ。病気とかそんなんじゃなくて・・・・。」
「じゃあ何?」
「・・・・クローン。」
「ん?」
「お父さん、どうして死ななかったかっていうと、クローンを・・・・、」
そう言いかけて口を止めた。
「ごめん、やっぱこの話は最後で。」
「なんで?気になるじゃんか。」
「・・・・・・。」
「クローンってなに?」
「・・・・・・。」
「なあ。」
「・・・・・・・。」
それから何度聞いても、妻は口を開かなかった。
俺は「んだよ・・・」と腕を組み、パイプ椅子にもたれかかった。
《クローンってなんだ?》
なんの事やらさっぱりと思っていたが、先ほどのイモムシの時と同様、ふと胸に引っかかることがあった。
《そういやつい最近その言葉を聞いたな。あれは確か・・・・・・・、》
屋敷で爺さんと話していた時のことを思い出す。
あの時、爺さんは確かクローンという言葉を使った。
どういう意味で使ったのかというと、子供の国にいる子たちが、再び地球へ戻ってくる方法についてだ。
《確か二通りの方法があるんだっけ。一つは新しい人間として生まれ変わること。もう一つはクローンで元通りの人間に戻ること。
だけどクローンの場合はそう長生きしないって言ってたな。長くて10年、短いと3年って・・・・、》
そこまで思い出した瞬間、その先を考えることが出来なくなってしまった。
「・・・・なあ。」
目を逸らす妻を見つめる。
「俺、一回死んだのか?」
「・・・・・・・。」
「それでクローンになって生き返ったのか?」
「・・・・・・・。」
「もしそうだとしたら、いま生きてることにも説明がつく。だけどそうなると俺は・・・・優馬が大人になる前には死んでるってことだよな?」
妻は黙ったままだ。
いつもは気丈なクセに、膝の上で指をもじもじさせている。
「黙ってるなよ、教えてくれ。」
「それは・・・・・、」
「そうなんだろ?俺は一回死んで、それで生き返ったんだろ?クローンになってさ。」
「・・・・は、半分は・・・・、」
「え?なに?」
「半分は・・・・当たってる。」
「半分ってなに?それしか考えられないじゃんか。」
「その・・・死んではいない。だけど死ぬ一歩手前だった。その時にあの子が助けてくれたから。」
「あの子?あの子って誰?」
「遠野真鈴ちゃん。お父さんが取材しようとしてた子。」
「は?いや、あの子は確かヴェヴェに殺されて・・・・・、」
「真っ二つにされて雲海へ落とされたそうよ。でも運良く木の根に引っかかったんだって。」
「じゃあ死んでないのか?」
「うん。羽から糸を出して、切られた身体をくっ付けたって。」
「そ、そなんで治るのか・・・?」
「人間なら死ぬでしょうね。でもあの子は宇宙人モドキだから。」
「そっか・・・生きてたのか・・・。」
「お父さんが首を切られて雲海へ落とされた時、たまたま真鈴ちゃんがそれを助けたの。
それでね、自分の羽から糸を出して、とりあえず頭を包んだんだって。」
「・・・・・・。」
「それを屋敷のお爺さんに預けたそうなの。お爺さんはさらにそれを自分の糸で包んで、繭の状態にしたそうよ。
そうしてお父さんは生き返ったってわけ。だから頭はオリジナルだけど、首から下は・・・・、」
「じゃあやっぱりクローンなんだな?俺はあと3年から10年しか生きられないってことだろ?」
「真鈴ちゃんが言うには・・・・。」
「やっぱりそうか・・・・死んだはずなのにおかしいと思ったんだ。」
ようやく納得がいった。
今の身体はただのコピーで、元の肉体はもう滅んでいるわけだ。
・・・正直なところ、事実を知ってもそこまでショックじゃなかった。
なぜならいまいちピンとこないから
頭では分かってるんだけど、心までついていかない。
もう少し時間が経てば、泣いたり悲しんだりするのかもしれないが・・・・。
「お爺さん、もういないんだって。」
「え?」
妻が唐突に言う。
「ヴェヴェに殺されちゃったそうよ。勝手に繭の道を作って、お父さんを子供の国へ飛ばしたから。」
「そんな!だって・・・・いや、でもそうか。自分でも言ってたもんな。俺はヴェヴェに殺されるだろうって。
だけどそんな急に・・・・・。まだ助けてもらったお礼も言ってないのに。」
「そうだけど、元はと言えばそのお爺さんのせいじゃない。お父さんが危険な目に遭ったのは。」
「だってそれは俺が知りたいって言ったからなんだよ。なつちゃ・・・真鈴ちゃんが地球を守ってくれって言って、でもその方法が分からなかった。
だから向こうへ飛ばしてくれたんだ。百聞は一見に如かずみたいな感じで。」
「でも実際に死にかけたじゃない。ステルスも見破られて。」
「そういえばヴェヴェがそんな事を言ってたな。ステルスがどうとか・・・・。」
「お爺さん、ステルスっていうのを使って、安全にお父さんを飛ばしたつもりだったのよ。
だけどヴェヴェはそんな甘い奴じゃなかった。私の時だって見破られたし・・・・、」
「ちょっといいか?」
妻の言葉を遮り、身を乗り出す。
「詳しく教えてくれよ。いったい向こうで何があったんだ?知ってること全部教えてくれ!
そうじゃないと俺は真鈴ちゃんとの約束を守れない。」
「それも聞いた。あの大きな木・・・地球に根を張るつもりなんでしょ。」
「そうだよ!もしそんな事になったら・・・・・、」
「それを止める為に、私は向こうへ呼ばれたの。」
「へ?」
「真鈴ちゃんに言われたのよ、円香さんに協力してあげてって。」
「あの子が?」
「真鈴ちゃんが言うには、地球の軍隊だけじゃ勝てないって。そりゃ核ミサイルとかバンバン撃ったら倒せるだろうけど、そんな事したら・・・、」
「放射能で汚染されて、生き物が住めなくなるな。」
「うん、だからあの木がこっちへ来る前に弱らせないといけないんだって。核兵器なんて使わなくても倒せるくらいに。」
「弱らせる?」
「そう、イモムシでね。」
妻はニコリと頷く。
どうやら俺の代わりに、向こうで地球を守る方法を知ったようだ。
「今から話す事の中には、すごくショックなこともある。私だってまだ受け入れることが出来ないこととか・・・。」
「俺がクローンってこと以上にか?」
「きっと自分の事以上に辛いと思う。」
「怖いこと言うな。まさかお母さんもクローンだっていうつもりじゃないよな?」
恐る恐る尋ねると、「違う」と首を振った。
「そうじゃなくて・・・・、」
「いいよ、言ってくれ。自分がクローンだって知ったんだ。それ以上に覚悟のいる話なんてないだろ?」
何でも言ってくれと、ドンと胸を張る。
妻は「落ち着いて聴いてね」と、慎重な口調で語りだした。
子供の国で見聞きしたことを全て、言葉に紡いでいく。
そのどれもが驚くことばかりで、俺は開いた口がふさがらなかった。
だけど一番ショックだったのは・・・・、
「そんな・・・・なんで!?」
自分がクローンだと知った時以上に・・・・いや、そんな事さえどうでもよくなる程のことを聞かされた。
「ショックだよね・・・・私だって真鈴ちゃんにそう教えられた時、なんでよ!って叫んじゃったもん・・・・。」
「当たり前だろ!だってそんな・・・・優馬が・・・・優馬まで・・・・、」
頭を抱え、うずくまるように項垂れる。
「そりゃ確かに去年、優馬は死にかけたけど・・・・でもだからって・・・・そんな理由で助かったなんて・・・、」
確かにこれは覚悟のいる話だった。
いや、覚悟なんてしていたって、受け止め切れるものじゃない。
本当は死ぬ運命にあった者が生きながらえる。
そこには普通ではない秘密が隠されていたのだと、頭を掻きむしるしかなかった。
「優馬に別の子供の魂が・・・・。」
「その子も優馬君って言うの。ほら、去年のクリスマスに囚人が焼け死ぬ事件があったでしょ?
その人の子供の魂が・・・・、」
「なんだよそれ・・・・。」
「このままだと優馬は優馬じゃなくなる。いつか意識を乗っ取られて、もう一人の優馬君に・・・・。」
「んなことあってたまるか!俺たちの子供だぞ!」
「分かってる、だから覚悟がいる話だって言ったのよ。」
「・・・なんてこった。なんで優馬まで巻き込まれなきゃいけないんだ。」
眉間に皺を寄せながら、「なんで・・・」と繰り返す。
俺も妻も、しばらく黙り込むしかなかった。

蝶の咲く木 第十六話 これが夢なら(2)

  • 2018.01.21 Sunday
  • 12:15

JUGEMテーマ:自作小説

終わりよければ全て良しというけど、中途半端な終わり方をした時はどうなんだろう?
天国に行くわけでもなく、地獄に落とされるわけでもなく、死後に違う星へ来るというのは、どう受け止めたらいいのか私には分からなかった。
私は今、子供の国という星にいる。
最初は天国かと思ったけど、傍を飛んでいる蝶が話しかけてきて、そうじゃないことを知った。
ていうか蝶が喋った時点で驚きだけど、『あんたも一緒だよ』と言われて、自分の身体を見た。
・・・・私は少しの間だけ気絶した。
あれだけ毛嫌いしていた虫に変わってしまうなんて・・・・。
地獄に落ちた方がマシだったかもしれない。
だけどこれは蝶に似ているけど蝶じゃあない。
正確に言うなら宇宙人モドキらしい。
ヴェヴェっていうこんな姿の宇宙人がいて、そいつとよく似た姿になってしまったというのだ。
いったい何がなんだかサッパリだけど、一つハッキリしていることがある。
もう私は人間じゃないってこと。
私の他にも宇宙人モドキはいる。
蝶みたいにその辺を飛び回っている。
そしてその中に混じってたくさんの子供がいた。
さっきの宇宙人モドキによれば、この子たちは不幸な死に方をした子供らしい。
虐待されたり、変態に殺されたり。
ヴェヴェってやつが、そんな子供たちをここへ連れて来るのだという。
《じゃあなんで私が来たわけ?全然子供じゃないんですけど・・・・。》
子供の国なのに大人が来てもいいのかな・・・・なんて考えながら、周りの景色を見渡した。
とんでもなく大きな木が連なっていて、下には雲海が流れている。
まるで神話のような世界だ。
《なんでこんな所に来ちゃったんだろう。》
忙しなく羽を動かしながら、空を飛ぶのも悪くないもんだなんて、妙に楽しい気持ちになってくる。
もしこれが夢なら、もう少し続いてくれてもいいかなと思った。
《まあじっとしててもどうしようもないもんね。どっか飛んでってみるか。》
せっかく羽を手に入れたのだ。
うじうじ困るくらいなら、ちょっと探索でもしてみよう。
これは夢か幻か?
どっちか分からないけど、全ては私の頭の中で起きている妄想のような気がした。
あの旦那と一緒にいるうちに、私もそういうクセがついてしまったのかもしれない。
まあいいさ、考えようによっては、こんな楽しいアトラクションはないんだから。
夢だろうが妄想だろうが、日常じゃ経験の出来ないことだ。
不倫で憂さ晴らしするよりよっぽど良い。
見上げた空は青く、あの向こうには何もない気がする。
《下へ行ってみるか。》
巨木の根を流れる分厚い雲海、こっちには何かありそうな気がした。
《ワクワクする!こんな気持ち久しぶり。》
童心が蘇ってくる。
まだ子供の頃、男の子たちに混じって、秘密基地やら山を探検したことを思い出す。
あの延長だと思えば・・・・うん、やっぱり楽しいアトラクションだ。
パタパタと羽を動かして、雲海を目指していく。
不思議なもので、空を飛ぶ能力を手に入れると、高い所がまったく怖いと思わなくなっていた。
とんでもなく高い木から飛び立ったのに、恐怖なんて一つもなかった。
《虫みたいな身体なんて嫌だと思ったけど、案外悪くないかも。》
住めば都、慣れれば天国。
虫には虫の良さがあるんだななんて思いながら、どんどん雲海へと近づいていった。
《すご・・・・まるで海みたい。》
木の根を流れる雲海は、日本海の荒波よりも波立っていた。
モコモコと膨れ上がったかと思うと、鳴門の渦潮みたいにうねっている所もある。
《う〜ん・・・近くで見るとちょっと怖いなあ。》
もし流されたりしたら、いったいどうなってしまうんだろう。
飛び込むにはちょっと勇気がいる。
《・・・ま、いっか。どうせ夢か妄想なんだし。死ぬことはないでしょ。》
怖い怖いと思いつつも、雲海へと近づいていく。
そしてあと数メートルいう所まで来た時、どこからか『入っちゃダメ!』と聴こえた。
『そこに飛び込んだら死ぬよ。』
『え?誰?』
キョロキョロ辺りを見渡すと、『ここここ』と後ろから声がした。
『大きな木の根元。根っこが突き出てる場所。』
『・・・・ああ!』
振り向けば、木の根が丘のよう突き出ている場所があった。
そしてその上には・・・・、
『何あれ・・・・?』
まるで電車みたいに大きなイモムシがいる。
大きな牙を動かしながら、ガシガシと木の根を齧っていた。
『・・・・・・。』
また気絶しそうになる・・・・。
だってこんなデカいイモムシ見たことない・・・・。
全身が茶褐色で、鳥よけの目玉みたいな模様がたくさん付いている。
頭からは半透明のオレンジ色の触覚みたいなのが出ていて、気味悪く揺らいでいた。
『こっちに来て。』
イモムシが言う。
私は『無理・・・・』と後ずさった。
あんな大きなイモムシに近づいたら、ひと口で食べられるに決まってる。
いくら妄想の中の出来事だからって、虫に食われるのはゴメンだ。
『じゃ。』
クルっと背中を向けて逃げ出す。
さっきいた枝の上に戻ろう。
すると『待ってよ』と声が追いかけてきた。
『いやあ!来ないで!!』
きっと私を食べる為に追いかけてきたんだろう。
あの大きな身体で、せっせと木を登っているに違いない。
《追いつかれたら殺される!》
右に旋回して、木から離れて行く。
だけど『待ってってば!』と声は追いかけてきた。
《嘘でしょ!まさか空を飛べるっていうの!?》
あの巨大なイモムシに羽があって、私を追いかけて飛んで・・・、
想像しただけでも吐きそうになって、『来ないでよおおおお!』と叫んだ。
『イモムシの餌になんかなりたくない!』
『誰も食べたりなんかしないって!』
『嘘!だったらなんで追いかけてくんのよ!』
『危ないからよ!上に戻ったら殺されるよ!!』
『殺しにきてるのはアンタでしょ!』
『違うってば!上に戻っちゃダメなの!ヴェヴェが来たら殺される!』
『イモムシに食われるくらいなら、宇宙人に殺された方がマシよ!』
『だからあ〜・・・・私はイモムシじゃないってば!』
後ろから迫ってくる気配は、だんだんと距離を縮めてくる。
そして・・・・ポンと私の羽を掴んだ。
『イヤああああああ!食べないでえええええ!』
思いっきり腕を振り回して暴れまくる。
誰か大人しく食われてやるもんか!
『イモムシの分際で・・・・人間を舐めんなよ!』
そう言って暴れまくっていると、『私も人間よ』と返ってきた。
『はあ!?イモムシが人間なわけが・・・・、』
『だからイモムシじゃないって言ってんでしょ!こっち見ろ!』
羽交い絞めにされてから、グイっと頭を振り向かされる。
そこにはいたのは・・・・、
『イヤああああああ・・・・って、あれ?』
『だから言ったでしょ、イモムシじゃないって。』
『私とおんなじ姿・・・・。』
『そうよ。私は元人間、柚子さんと同じ。』
『なんで私の名前知ってんの!?』
『旦那さんから聞いたから。』
『へ?旦那?』
『円香拓さん、オカルト雑誌の記者。あなたの夫でしょ?』
『・・・・・ごめん、全然状況が飲み込めない。』
追いかけて来たのがイモムシじゃなかったことはホっとしてる。
だけど別の意味で頭がこんがらがってきた。
『え?ちょっと待って・・・・なんであんたが旦那のこと知ってるの?』
『取材を受けたから。』
『はい?』
『あの大木の所で取材を受けたの。』
『取材って・・・・まさか・・・・、』
『それと死にそうなになってるのを助けてあげた。ステルスをヴェヴェに見破られて、頭を切り落とされてたわ。
それで雲海へ捨てられたの。私はさっきのイモムシの近くにいたから、急いで助けに行ったわけ。』
『うん、いや・・・ごめん。ほんと話が見えなくて・・・・、』
『頭を切り落とされても即死するわけじゃないわ。だからまだほんの少しだけ生きてた。
私は羽から繭を出して、慌てて円香さんの頭を包んだの。
それを屋敷のお爺さんのとこまで持っていって、あとはあの人に任せたわ。
幸いどうにか助かったみたいでよかったね。』
『・・・・・・そうね。』
思わず頷いてしまったが、何一つ理解出来なかった。
呆然とする私に向かって、『大丈夫?』と見つめてくる。
『大丈夫に見える・・・・?』
『全然。』
『じゃあ聞かないで・・・・。』
『あのね、円香さんはどうにか助かったけど、そこまで長くは生きられない。まずはそれを知ってほしいの。』
『へ?』
『首から下はクローンだから。もって10年、早いと3年で死んじゃう。』
『クローンって・・・・何言ってんの?』
『可哀想だけど仕方ない。あのお爺さんが余計なことするから・・・・。
この星のこと知ってもらおうとしたんだろうけど、ステルスくらいじゃヴェヴェの目は誤魔化せないのに。』
悔しそうに顔を歪めて、辛そうに首を振っている。
『だけど円香さんにいま死なれちゃ困るの。あの人にはこの星のことを記事にしてもらわないと。
それで地球に根を張るのを防いでもらわないといけないから。』
・・・・何度も言う。
さっきからまったく話が見えない。
いったいコイツは何を言っているんだろう?
話が見えないんじゃ質問のしようもないし、ていうか・・・・そろそろ夢から覚めてほしい。
『ごめん、旦那が病院で待ってるんだ。そろそろ起きてもいいかな?』
『気持ちは分かるけど、これは現実だから。』
『そうね、あんた達にとってはね。でもここは私の頭の中でしょ?
昨日から色々あってロクに眠れなくて・・・・車の中で居眠りしてるんでしょ?』
『ううん、ちゃんと起きてる。そもそもあなたをここへ連れて来たのは私だし。』
『はい?あんたが・・・・?』
『円香さんに手を貸してあげてほしいの。一人じゃ無理だろうから。』
『・・・・何を?』
『だからここの巨木が地球に根を張るのを。それを説明する為に連れて来たんだけど、さっきのイモムシが触覚で思いっきりあなたのことを叩き飛ばしちゃったの。
それで上の枝まで行っちゃったってわけ。幸いヴェヴェがいなかったから殺されずにすんだみたいだけど。』
とんでもないことをサラっと言う。
こいつが私をこんな場所へ連れてきた犯人?
もしそうだとするなら、今すぐにでも元の場所へ帰してほしい。
そう言おうとしたら、『ヤバ!』と慌て出した。
『ヴェヴェが来た!』
私の手を引いて、イモムシの方へ飛んでいく。
『ちょっと!』
『ステルス使うからじっとしてて。』
そう言って羽から糸を出し、私たちを包んでいく。まるで繭みたいに。
すると次の瞬間、その繭が弾けて、息が出来なくなっていた。
《え!え!何!?呼吸が出来ない!!》
このままでは死んでしまう・・・・。
どうにかしてよと叫ぼうとしたが、息ができないんじゃ声も出ない。
宇宙人モドキは私の手を引っ張り、どんどんイモムシの方へ連れて行く。
《ちょっと!離して!!》
ジタバタ暴れていると、ふと頭上の景色が目に入った。
《なにあれ・・・・・・。》
私たちによく似た生き物がこっちへ迫っている。
遠く離れているのに、背筋がゾワゾワっとするような、嫌な雰囲気を感じた。
《怖い・・・・。》
素直にそう思った。
あれは私たちに似てるけど、まったく同じじゃあない。
何かこう・・・・私たちが一般人だとするなら、あれは凶悪な犯罪者のような不気味さがあった。
《・・・・もしかしてあれがヴェヴェ?》
なんとなくそう思ったが、きっと間違っていないはずだ。
アイツは私とは違うし、私の手を引っ張ってるコイツとも違う。
枝の上にいたたくさんの宇宙人モドキとも違う気配を放っている。
なんていうかな・・・・とにかく近寄りたくないし、関わりたくないと思うような怖さがあった。
《アレ・・・・絶対に怒ってる。きっと大人の私がここにいるからだ。》
ここは子供の星。
ということは大人はお呼でないはずだ。
どこからか侵入した邪魔者を抹殺する為に、こっちへ迫ってるんだろう。
《怖い!早く逃げて!!》
アレに襲われるくらいなら、イモムシに食われる方がマシかもしれない。
とにかく一刻も早くヴェヴェから離れたかった。
しかし奴は飛ぶのが早く、あっさりと私たちまで追いついた。
《いやあ!》
明らかに怒っている・・・・平然とした表情をしているけど、直視できないほど狂気じみた目をしている。
殺されると思った・・・・今度こそ終わりなんだと。
だけどヴェヴェは私たちの近くで動きを止めた。
グルっと辺りを見渡して、ヒラヒラと触覚を動かしている。
『またステルスか・・・・。』
ボソっとそう呟くのが聴こえた。
顔をしかめ、腕を組み、『どうしようっかなあ』と何かを悩んでいる。
《何を困ってるんだろう?もしかして私たちが見えてないの?》
悩むヴェヴェを置き去りにして、私はどんどん引っ張られていく。
あとちょっとでイモムシへ辿り着く。
きっとこの大きな虫の後ろに隠れるつもりなんだろう。
いくらヴェヴェが怖い奴でも、さすがにこんだけデカい虫には勝てないだろうから。
《早く!》
あれだけ嫌だと思っていたイモムシの傍へ行くことを望んでる。
それくらいにヴェヴェの放つ怖さは異常だった。
《もうちょっと・・・・、》
そう思った瞬間、後ろから羽を掴まれた。
『捕まえ〜た。』
振り向くと、すぐそこにヴェヴェの顔があった。
《・・・・・・・。》
おぞましさと恐怖で声が出なくなる。
元々出ないんだけど、頭の中でさえ悲鳴を上げることが出来なかった。
ヴェヴェの羽は鏡のように光を反射して、私の姿を映し出している。
・・・いや、それだけじゃない。
羽から糸が伸びて、私の腕と足に巻きついていた。
『いやあ!』
今度は叫んだ。
ていうか声が出た・・・・。
さっきまで出なかったのになんで・・・・、
『あなた大人ね?』
そう言ってブチブチっと羽を毟られた。
『痛ッ・・・・、』
『どうやってここへ入り込んだの?』
今度は腕を掴まれる。
その力は万力みたいで、今にも潰れそうなほどだった。
『やめて!千切れる!!』
『質問に答えないなら本当に千切るわよ。』
指を突き刺されて、電気を流されたような痛みが走る。
『いだあああああああッ・・・・・、』
『どうやってここへ入って来たの?』
『そ・・・そこの!そこの宇宙人モドキが・・・・、』
『そこってどこ?』
『だから私の後ろ!手を引っ張ってるそいつ・・・・、』
『誰もいないじゃない。』
『え?そんなこと・・・・、』
言われて振り返ると、本当に誰もいなかった。
ついさっきまで私の手を引っ張ってたのに・・・・。
『あなた嘘ついたわね?』
『違う!ほんとにいたの!嘘じゃないってば!』
『大人は平気で嘘をつくからね。信用できないわ。』
ヴェヴェの目が狂気を帯びて、怒りに染まっていく。
私の腕はグチュっと音を立て、いとも簡単に千切られてしまった。
『ああああああ・・・・、』
『もう一度聞くわね。どうやってここへ入ってきたの?』
今度は頭を掴まれる。
指がこめかみに食い込んで、頭蓋骨が音を立てた。
『いやあ!助けて!!』
『助かりたいなら答えて。』
『だから本当だって!そこのイモムシから声がして、そうしたら私と同じような生き物が出てきたの・・・・。
そいつが自分で言ったのよ!私をここへ連れて来たって!』
ヴェヴェの怪力は私の頭を締め上げる。
あとちょっと力を入れられたら本当に死んでしまうだろう。
『嘘じゃない・・・・お願いだから信じてよ・・・・。』
泣いたのなんて何年ぶりだろう。
この身体、涙は出ないみたいだけど、涙腺があるならきっと泣いている。
結婚して優馬が出来てから、一度も泣いたことなんてなかったのに。
・・・・いや、そんな事はないか。
去年の始め、優馬は喘息の発作で死にかけた。
白目を剥き、痙攣を起こした時は、私の方が生きている心地がしなかった。
幸いどいうにか助かったけど、医者からは奇跡だと言われた。
死んでても全然おかしくない状態だったと。
あの時はさすがに泣いた。
ほんとにもうダメだと思ったから・・・・。
そして今、私自身がダメになろうとしている。
このヴェヴェって奴は、きっと私を殺すに違いない。
何をどう答えても、私の頭はグシャっと握りつぶされて・・・・、
『イモムシ?』
急にヴェヴェの力が緩む。
少しだけ頭が楽になって、ホッと息をついた。
『イモムシって何?』
『え?』
『どこにいるの?』
さっきまでの異常な狂気は消え、代わりにピンと張り詰めた緊張感が漂う。
『どこって・・・・そこにいるじゃない。』
私は丘のような木の根を指差した。
そこにはさっきと同じようにイモムシがいて、ガシガシと根を齧っている。
『・・・・どこ?』
『だからそこ。丘みたいな木の根の所。』
『・・・・・ほんとに?』
『ほんとにって・・・・もしかして見えないの?』
『・・・・・・・。』
ヴェヴェはじっと目を凝らす。
そして鏡みたいな羽を向けて、木の根を映した。
『チクショウ!』
『え!なに・・・・?』
『また涌いてきやがった!』
目に再び狂気が戻ってくる。
そのまま上へと舞い上がり、憎らしそうにイモムシを睨んだ。
《まさか・・・戦う気?》
ヴェヴェの殺気は尋常じゃない。
もし私が人間のままだったら、全身に鳥肌が立っているだろう。
イモムシとヴェヴェの殺し合いなんて見たくない。
きっとしばらく飯が食えなくなる・・・・。
そう思って目を逸らそうとした時、ヴェヴェはくるっと背中を向けた。
そして・・・・、
『あ・・・・・。』
あれだけおっかない奴が、慌てて上の方へと飛び去っていく。
ものすごい速さで逃げるもんだから、瞬く間に見えなくなってしまった。
『・・・・・なんなのいったい?』
ヴェヴェが消えた空を呆然と見つめていると、『大丈夫だった?』と肩を叩かれた。
『ひいッ!』
『私よ私。』
『・・・あんた!』
『危なかったね、大丈夫?』
『大丈夫なわけあるか!一人だけに逃げやがって!』
なんて薄情な奴なのか。
私をここへ連れてきた犯人なら、私を守れっていうんだ。
『危うく殺されるところだったじゃない!』
『ごめん。でも二人とも捕まったらそれこそ終わりだと思って。』
そう言ってイモムシを振り返り、『あの子のおかげで助かったわ』と肩を竦めた。
『あの子がいなかったら、私も柚子さんも殺されてた。』
『あのねえ・・・・こっちは腕を千切られたのよ!のほほんと笑うな!』
『ごめんごめん、でも宇宙人モドキに変わると、腕が千切れたくらいだとそこまで痛くないでしょ?』
『まあ言われてみれば・・・・、』
『人間のままだったらショック死してるよ。』
『そうだけど・・・・そういう問題じゃないでしょ!一人だけ逃げるなんて・・・、』
『だからゴメンってば。すぐ治してあげるから。』
宇宙人モドキは羽から糸を出す。
それを千切れた私の腕に絡めて、『はいこれでよし』と頷いた。
『腕くらいならこれで再生するから。よかったね。』
そう言ってニコッと笑う。
いったい誰のせいでこんな事になったと思っているんだろう。
『あのさ、あんたって・・・・、』
『遠野真鈴。』
『は?』
『私の名前。みんなからはなつって呼ばれてる。柚子さんもそう呼んで。』
私の怒りもよそに、屈託のない顔で微笑む。
もうなんと返事をしていいのか分からない。
ただ一つ言えることは、元の世界に帰りたいということ。
これが夢なら、今すぐ目が覚めてほしかった。

蝶の咲く木 第十五話 これが夢なら(1)

  • 2018.01.20 Saturday
  • 14:31

JUGEMテーマ:自作小説

32年も生きていれば、人に話せないことだってあるものだ。
中学の時に万引きしただとか、高校の時に一度だけクスリをやったとか。
就職一年目の時には、超がつくほど自己中なお局様に、逆美人局を仕掛けたこともある。
友人のイケメンにお金を渡して、お局様にあてがってやった。
その写真をポストに放り込んだ次の日から、お局様は会社に来なくなった。
旦那と大喧嘩して、かなり揉めているらしいと、噂話が好きな上司が語っていた。
さすがにやり過ぎかなとは思ったけど、あのお局様の若手イジメは酷かった。
今なら確実にパワハラで訴えられているだろう。そう考えると、私を含め、若い社員を救ったと言えなくもない。
直近だと、一昨日に浮気相手に会っていた。
今の旦那に不満があるわけではないが、いかんせん妄想好きな子供じみた所がある。
家族は大事にしてくれるし、仕事も真面目にこなしているけど、男としてはどうも物足りない。
人柄は文句無しなので、人生のパートナーとしては最良の相手だけど・・・・。
でもねえ・・・・それでも満足できない部分はあって、それはこれからも変わらないだろう。
だから不満を解消する手は、必然的に外に求めることになる。
ウチの息子は重度の喘息持ちで、頻繁に近所の病院にお世話になっている。
そこに勤める壮年の医者と、少し前からそういう関係になっているのだ。
若くて好みの医者もいたけど、こちとらストレス解消で相手を求めているだけだ。
本気になられても困るというもので、あえて若いのは避けた。
不倫相手に選ぶなら、遊びは遊びと割り切ってくれる人の方がいい。
今付き合っているその医者には家庭があって、本気で私とどうこうなろうなんて考えていない。
だから一昨日の夜も軽く食事をし、近くのホテルでやることだけやって、早々に家に帰ってきた。
少し離れた所にある実家へ向かってから。
「優馬あ!ただいまあ〜!」
今年三歳になる息子は、じいじの膝から飛び跳ねてくる。
ギュっと私の膝に抱きついて、抱っこをねだってきた。
「ごめんねえ、用事で遅くなって。」
よっこらしょっと抱き上げて、実家のじいじとばあばにお礼を言う。
「ごめんね、いつも預かってもらって。」
いつものごとく小言を言われると思った。
ボランティアに励むのもいいが、もっと息子を見てやれと。
息子を預かってもらう際、適当についた嘘だったが、ボランティアといえばボランティアかもしれない。
おじさんの遊び相手をしてやっていると考えれば、じゅうぶんボランティアと言えるのではないかな?
・・・・なんて考えて、それはさすがに無理があるかと、頭から追い払った。
だが今日に限っては小言は飛んでこなかった。
代わりに予想もしない事を聞かされて、優馬を抱いたまま貝になってしまった。
「あんた何やってんの!拓ちゃん病院に運ばれたんだよ!」
ばあばが目を釣り上げながら怒鳴った。
「何度も電話掛けても出ないし、優馬がいるから私たちも病院に行けないし。」
「・・・・・・・・。」
・・・いつ?どこで?なんで?
矢継ぎ早に質問してから、「優馬見てて」と預けた。
「優馬も行く!」
「ダメダメ、発作が出たら困るから。」
ぐずる息子はじいじに抱えられ、「もうちょっとじいじとばあばと一緒に待ってような」と宥められていた。
「ごめん!帰りは明日になるかも。また電話するけど、今日は優馬お願いしていい?」
病院の場所はかなり離れている。
新幹線で4時間ほどといった所だろう。
ばあばは「いいから早く!」と背中を押した。
「ママ〜!」と叫ぶ声に後ろ髪を引かれながら、慌てて車に駆け込んだ。
「何やってんだか・・・・。」
今日は取材で遠くに行くと言っていたが、なぜ川で溺れる?
《ムー大陸の埴輪でも探してたのか?まったく・・・・。》
怒りとも呆れともつかないため息がでてくる。
しかしそれと同時に、さっきまで情事に勤しんでいたことが、急に恥ずかしく思えてきた。
こういう緊急事態、自分の行いというのは、かえって冷静に見えてくるものだ。
《もうそろそろ私も、自分の生活を改めないとな。》
ギアを入れ、急いで隣街の駅まで飛ばした。
ばあばの話によると、命に別状はないとのことだ。
しかし精神的にかなり参っていて、口も利けない状態だという。
そりゃ溺れて死にかけたんだから、ショックはショックだろうけど・・・・、
《頼むから鬱病だとかなんとか神経症になるのだけはやめてよ。優馬の喘息だけで手いっぱいなんだから。》
あの旦那から仕事を取ったら、それこそ子供と変わらない。
家計は私がフルタイムで仕事をすればすむけど、家に帰ってから大きな子供の面倒まで見る自信はない。
片や喘息で片や鬱病でなんて・・・・。
でもだからって見捨てることも出来ない。
心を病んだ人間というのは、傍で力を貸しても立ち直ることが無理な場合がある。
それなのにもし縁を切ってしまったりなんかしたら・・・・。
《しっかりすんのよあんた!ウチの弟みたいにならないでよ!》
数年前、心を病んで命を絶った弟を思い出す。
両親と私と、それに友人までが立ち直るのに力を貸したのに、ある日とつぜん姿を消してしまった。
次に弟と再会したのは警察署で、すでのこの世を旅立った後だった。
犬の散歩をしていた人が、橋の袂で首を吊っているのを見つけたという。
弟とは特別仲が良かったわけではない。
どちらかというと反りが合わず、大人になってからは距離を置いていた。
しかしそれでも、身内に自殺されるというのは言いようもないショックだった。
父も母も私も、それにあの子の友人も、深く悲しむと同時に、自分を責めた。
もっとどうにか出来たんじゃないか?
もっと親身になっていれば・・・・・。
大事な人が亡くなった時、後から考えてしまうのだ。
こうしていたら、ああしていたら・・・・と。
あの時みたいな思いをするのは二度とごめんだ。
駅に着き、切符を買い、自由席の窓際に座る。
空いている椅子があってホッとしながら、会ったらなんて話しかけようかと悩んだ。
「しっかりしろ!」と喝を入れるべきか、「ゆっくり休んで」と優しくするべきか?
答えの出ないまま、窓を流れる夜景を睨んでいた。
4時間ちょっとの旅を終え、在来線に乗り換える。
そこからさらにワンマンのローカル線に揺られて、目的の街までやってきた。
《うわ・・・・田舎。》
小さなホームを出ると何もない。
寂れた商店街のような道が続いていて、寂しく街灯が光っていた。
ロータリーの真ん中に経つ時計は0時前を指している。
ここからどうしたもんかと悩んでいると、幸い近くにタクシーが停っていた。
こんな田舎でも・・・・いや、田舎だからこそ必要になるのか。
白髪の運ちゃんに病院名を伝え、ほぼ暗闇の街を駆け抜けていく。
しばらく走ると、遠くにそこそこ大きな病院が見えてきた。
運ちゃんが言うには、○○市病院と書かれているが、個人の病院だという。
豆知識をありがとう。
小銭のお釣りはいいからと突き返し、慌てて病院へ駆け込んだ。
受付はすでに閉まっており、ご用の方は二階のナースステーションまでと書かれている。
受付の脇にある階段を駆け上がり、でっぷり太った看護師さんに事情を伝えた。
「ああ、はいはい。円香さんね。」
病室まで案内されると、そこは大部屋だった。
怪我は大したことないので、ここでも充分ってことなんだろう。
だけど問題は心の方だ。
口も利けないほどショックを受けているというので、顔を合わせた瞬間、第一声に何を話しかけるかが大事だろう。
看護師さんがシャーっとカーテンをめくると、虚ろな表情をした旦那が横たわっていた。
瞬きさえ忘れそうな顔で、じっと天井を睨んでいる。
傍には旦那の両親がいて、お義母さんが「柚子ちゃん!」と立ち上がった。
「お義母さん、遅くなってすいません。」
ペコリと頭を下げ、「どんな状態ですか?」と尋ねた。
「うん、怪我は大したことないんだけど、ショックで何も返事をしなくて・・・・。
お医者さんが言うには、一時的なものだろうって。時間が経てばちょっとずつ回復するだろうから、様子を見ましょうって。」
「そうなんですか・・・・よかった。」
一過性のものなら、心の病に罹る心配はあるまい。
弟の苦い思い出を振り払って、「お父さん」と呼んだ。
「大丈夫?私が分かる?」
手を握りながら話しかけると、少しだけ眉を動かした。
しかし言葉は返ってこない。
何度話しかけても、虚ろなまま天井を睨んでいるだけだった。
私はお義母さんを振り返り、「何があったんですか?」と尋ねた。
「いちおうウチの母から話は聞いたんですけど、いまいち要領を得なくて。
拓君は仕事でここに来てたんですよね?朝は遠出の取材だから泊まりになるって言ってて。」
「そうなのよ。読者の方からツイッター?メール?とか、インターネットで取材を申し込んだんだって。」
「それは私も聞きました。なんでも蝶の咲く木があるとかで。」
「そんなのあるわけないのに・・・いつまで夢見てるんだか。」
呆れたように息をついて、「でもそれがこの子の仕事だもんねえ」と頷いていた。
「それでね、その木の傍に大きな屋敷があるそうなんだけど、そこのお爺さんが助けてくれたそうなのよ。」
「お爺さんが?」
「拓が川で溺れてるのを引っ張り上げてくれたんですって。それで救急車を呼んで、ここまで付き添ってくれたって。」
「そうなんですか・・・・。そのお爺さんは?」
「私たちが来る前に帰られたみたい。明日ちゃんとお礼に伺わないと。」
「私も行きます。」
その日、私は病院に泊まることになった。
実家に電話して、ばあばとじいじに優馬のことをお願いする。
そして旦那の両親は近くのビジネスホテルへ。
お義父さんの足の調子が悪いので、ゆっくり休めるようにと、そっちへ泊まってもらうことにしたのだ。
そして次の日、医者から詳しい話を聞いた。
本当は昨日に聞きたかったんだけど、大した怪我じゃないからと、担当した医者はすでに帰っていた。
気い利かせて残ってろよ言いたかったが、口には出すまい。
悪い医者ではなかったが、話し方と態度がどうも上から目線の嫌な感じだったので、「どうもお〜」と目だけは笑っていない笑顔で病室から見送った。
そして医者と入れ替わりにやってきたお義母さんたちに、「転院の手続きがあるんで、ワーカーさんが後から来るそうです」と伝えた。
さすがにこの病院だと家から遠すぎる。
いつも優馬がお世話になっている所へ転院できないかお願いしたのだ。
「じゃあすいません、拓君をお願いします。」
私は旦那の着替えやタオルやらを買う為に、近くのいまむらとスーパーへ向かった。
田舎とはいえ、今はどこでも便利な店がある。
年取ったらこういう場所に住むのも悪くないかなあなんて思いながら、必要な物を買い揃えていった。
「しかしまあ・・・川で溺れるなんてねえ。たしかカナヅチじゃないはずだけど。」
去年の夏休みに行ったプールでは、息子の手を引きながら泳いでいた。
だけど川になると変わるもんなのかもしれない。
泳ぎが上手い人でも、海や川では溺れることがあるらしいから。
「医者は一過性のショックだっていうけど、もしそうじゃなかったらどうしよう。
しばらく入院って、実は酷い状態じゃないのかな?もしあのまま治らなかったら・・・・。」
嫌な考えが溢れて、「やめよ」と頭から追い払う。
肉親の自殺というのは、いつまで経っても暗い影を落とすのだなと、悲しいやら恨めしい気持ちになってきた。
・・・自殺っていうのは一番卑怯な逃げ方だと思う。
本人は死んで楽になるかもしれないが、残された者はそれを背負っていかないといけない。
弟がまだ生きるはずだった何十年という時間・・・・それがそっくりそのまま、私や両親や、あの子と仲のよかった友達に圧し掛かってくるのだから。
いつか私が寿命を終え、あの世で会ったなら、一発くらいひっぱたいてやらないと気がすまない。
・・・・まあ実際にそんな時がきたら、怒るどころか泣くだろうけど。
暗い感情を誤魔化そうと、見知らぬ街並みに目を向ける。
「あれ・・・・ここどこ?」
考え事をしていたせいか、さっき曲がるはずだった交差点がルームミラーに映っている。
どこかでUターンしようと思ったが、田舎の道は引き返そうとするドライバーに厳しかった。
「なんで一本道がずっと続いてんのよ!」
道路は広いクセに、決して曲がらせまいと、無意味に先へと誘導される。
しばらく走った後、ナビを見ながらどうにかこうにか迂回して、病院の近くへと戻ってきた。
しかしそこでも道を間違えてしまい、交差点を左に曲がってしまう。
その先には大きな川があって、それに沿うように細い道が続いていた。
・・・またしてもUターンが出来ない・・・・。
少し先に真っ赤な橋が見えてラッキーと思ったが、歩行者専用だった。
「だからあ・・・・もうちょっと引き返しやすいように作っとけっての!」
いつか田舎に住みたいと思った気持ちは、すぐに消え去った。
しかしその時、すぐ先の方に大きな木が現れた。
太い幹にたくさんの枝。
ただでさえ細い道を占領するように、根元はレンガで囲ってある。
「なんでこんな所にこんなデカイ木があんのよ!」
イライラが加速して、思わず舌打ちしてしまう。
「まったく・・・」と呟きながら、大木の脇を抜けようとした。
・・・その時、道路のすぐ近くに大きな屋敷があることに気づいた。
「おお、すごいなこれ・・・・。」
ヒビの入った土壁に、古びた瓦が乗っている。
その上には大木の枝がかかり、さらにその向こうには趣のある屋敷がそびえていた。
少しだけバックして、大木の手前に車を停める。
ドアを開けながら、大木と屋敷を交互に見つめた。
「これって・・・・、」
家を出る前、旦那が言っていたことを思い出す。
『蝶の咲く木ってやつを取材してくる。デカイ屋敷の傍にあるんだと。』
「ここで溺れたんだ・・・。」
大木の向こうにある、大きな川を振り返る。
「きっとあの木に登ろうとでもしたんだろうなあ。それで足滑らせて落っこちたんだ。」
夢のあるオカルト話には目がない人なので、興味の惹かれる物があると、周りが見えなくなるのだ。
木の下はコンクリートで舗装された堤防がある。
斜面になっていて、そのさらに下には小さな堰があった。
きっとここから田んぼとかに水を引いているんだろう。
「でも変ね・・・・あの木から落ちたら、下の堤防にぶつかるはずだと思うんだけど。
いったいどうやって堤防の向こうまで落ちたのか?
・・・謎ではあるけど、考えるだけ損な気がした。
「う〜ん・・・・川に未確認生物でも探しに行ったか?」
もしそうだとしても驚かない。
まあいずれにせよ、ここで溺れたことは間違いなんだろう。
・・・それよりも問題なのは・・・・、
「この屋敷、もしかしたら・・・・、」
旦那は屋敷に住むお爺さんに助けられた。
そして屋敷なんてものはそうそうあるものじゃない。
ここで溺れたのなら、あの屋敷のお爺さんに助けられたってことじゃないのかな。
「どうしよう・・・迷ってるうちに、旦那の命の恩人の家に来ちゃった。」
今日はお義母さんたちと一緒に、ここへお礼に伺う予定だ。
だけどこうして来てしまったわけで・・・・これはどうしたらいい?
私だけで伺うとお義母さんたちに申し訳ないような気がするし、それに菓子折りだって持って来てない。
命の恩人に手ぶらで挨拶は・・・・無いだろうな。
「いったん引き返すか。」
車に乗り込み、ゆっくりと走り出す。
するとその瞬間、目の前を蝶が横切った。
「え?なんで?」
虫に詳しくなんてないけど、冬に蝶が飛んでいないことくらい知っている。
それに・・・・、
「なんか光ってたよね、さっきの・・・・。」
ここで再び旦那から聞いた話を思い出した。
『その木には光る蝶が咲くんだって。ほらこの写真。』
そう言ってツイッターの写真を見せてくれた。
どう見ても何かのイルミネーションに思えたが、まさか本当に・・・?
《旦那ほど夢見がちな性格じゃないんだけどな・・・・でも気になるし。》
川原沿いの道を走り続け、どうにかUターンできる路肩を見つける。
そしてさっきの場所へ引き返すと、大木の枝に蝶がとまっていた。
「やっぱり光ってる・・・・。」
アゲハ蝶のような綺麗な羽をしたその蝶は、中に電球でも仕込んでいるんじゃないかと思うほど、ピカピカと輝いていた。
それと同時に、いつの間にか空模様も変わっていた。
さっきまでは青空だったのに、今は分厚い雲に覆われている。
「今日晴れじゃなかったっけ?」
不思議に思って見上げていると、光る蝶が飛んできた。
「いや、ちょっと・・・・、」
綺麗な蝶だけど、近くに来るのは勘弁してほしい・・・・。
私が触れる虫はテントウムシが限界なのだ。それも目を閉じてちょんと・・・・。
「あっち行って!」
ぶんぶん手を払っても、蝶はそれをすり抜けてくる。
それどころか私の頭にとまってきた。
「いやあ!」
バタバタと頭を叩きまくる。
しかし蝶は離れてくれない。
「ちょっと!ほんと勘弁して!!」
悪寒が止まらず、全身が泡立ってくる。
いっそのこと川に突っ込んででも払い落としてやろうかと思った。
「マジで離れろ!」
虫が頭にとまるなんて堪えられない・・・・。
もうここは覚悟を決めて、叩き潰すしかあるまい。
きっと内蔵とか出てくるんだろうけど、このままくっつかれるよりはマシだ。
拳を握って振り上げる。
そいつを思い切り頭にふり下ろそうとした時、おかしなことに気づいた。
「あれ・・・・手が・・・・、」
振り上げた腕が思うように動かせない。
なぜなら真っ白な糸が幾つも絡みついていたからだ。
その糸は頭の上から来ている。
ということは・・・・、
「ぎゃああああああ!」
蝶の羽から糸が出ていた。
ていうか今も出ている。
ワラワラと伸びてきて、私の全身を包み込んでいった。
「誰か!助けて!!」
怖いのと気持ち悪いのと吐きそうなのとで、とにかく叫びまくった。
しかしそんな事はおかまいなしに、糸は私を包んでいく。
やがて口まで塞がれて、息さえ出来なくなった。
《嫌だ!虫なんかに殺されたくない!》
・・・きっと私は餌にされるのだろう。
いや、もっと最悪なのは卵を産み付けられたりして・・・・、
《なんで・・・・なんで私がこんな目に・・・・、》
息が出来ないのと、虫に食われる恐怖とで、意識が保てなくなる。
身体も力が入らなくなって、地面を踏んでいる感覚さえなくなっていった。
《ああ・・・私・・・・ほんとに死ぬんだ・・・・。嫌だな・・・・。》
人が死ぬ時、走馬灯が見えるというけど、私には何も見えなかった。
頭に浮かんだのはただ一つ。
悔しいということだけだった。
32年生きてきた私の人生・・・・いったいなんだったんだろう。

蝶の咲く木 第十四話 子供の国へ(2)

  • 2018.01.19 Friday
  • 11:26

JUGEMテーマ:自作小説

自分が別の生き物になるというのは、とても不思議な感覚だ。
個人差はあれど、人間は誰でも同じような姿をしている。
しかしまったく別の生き物に変わるということは、どこのどんな人間とも似つかなくなるということだ。
きっと人が見たら驚くだろうし、何より自分自身で驚いていた。
《蝶ってのはこういう感覚なのか・・・・。》
長くオカルト記者を続けているが、自分自身にこんな現象が起こるとは思わなかった。
空から繭が降りてきて大木を包み、俺自身も繭に包まれて、蝶へと生まれ変わった。
・・・・いや、正確には蝶に似た生き物だ。
ヴェヴェとかいう宇宙人そっくりの・・・・・。
今、俺は子供の国とやらにいる。
繭に包まれた後、気がつけばここへ運ばれていたのだ。
目の前にはたくさんの子供がいて、その隙間を縫うように俺とよく似た生き物が飛んでいる。
《ここは間違いなくなつちゃんが言っていた子供の国だ。てことは、俺は地球から飛び出しちまったってことなのか。》
誰かにこの状況を訪ねたいが、誰なら答えてくれるだろうかと悩んだ。
何せ子供ばかりなので、要領を得た答えは返ってこないだろう。
そこらを飛んでいる蝶もどきに尋ねてもいいが、どうしても億劫になってしまうのは、きっと自然な気持ちのはずだ。
《そういえばなつちゃん、ヴェヴェって奴に連れて行かれたんだよな?それならここに戻ってるかもしれない。》
あの子は言っていた。
ルールを破った子供は雲海の養分にされてしまうと。
彼女の言った通り、確かにこの世界の下には雲海が流れている。
山のように巨大な木の根を、すっぽり覆い尽くすほど分厚い雲海が。
もしそこへ落とされていたとしたら、きっと助からないだろう。
あれは雲海というより、荒れ狂う波に近い迫力がある。
《なつちゃん・・・・まだ生きてるよな?ていうか生きててくれよ。》
彼女の姿を思い浮かべながら、ここにいる子供たちを見渡していく。
しかし・・・・いない。
《あの子はヴェヴェもどきになっていたからな。だったらその辺を飛んでるヴェヴェもどきの中にいるのかもしれない。》
そう思って目を凝らしたが、どいつも大差ない容姿なので分からない。
よくよく見れば違いがあるのかもしれないが、ヒラヒラと舞う群れの中から、彼女を見つけ出すことは難しかった。
こうなりゃヤケだと、思い切り名前を叫んでみることにした。
胸いっぱい息を吸い込んで、ありったけの声を・・・・、
《・・・なんだ?息が出来ない・・・・。》
いくら息を吸い込もうと思っても、胸の中に何も入ってこない。
・・・・というより、今とても大事なことに気づいてしまった。
《俺、さっきから呼吸してない・・・・。》
どうやら宇宙人は息をしなくても大丈夫らしい。
しかしそうなると喋ることすら出来ないわけだが・・・、
『みんな。』
突然頭上から声がした。
見上げると俺と同じような生き物がいた。
枝の先にとまって、イライラしたように羽を動かしている。
《なんだアイツ・・・・俺に似てるけど、なんか違うような・・・・。》
姿形はそこら辺を飛んでいる蝶モドキとそっくりだ。
しかし雰囲気が違う。
なんかこう・・・・背筋が寒くなるといか、直視したくないような狂気を放っていた。
そいつは子供たちや他の蝶モドキに語り掛ける。
どうやらこの中に裏切り者がいるらしく、かなり怒っているようだ。
仲の良かった子がどうとか言っているが、まさかなつちゃんのことか・・・・?
《アイツだけ明らかに雰囲気が違う・・・・。ならアイツがヴェヴェか。》
ヴェヴェは今から抜き打ち検査をすると言った。
羽の鱗粉を全て払い落し、鏡のように反射させる。
俺の隣にいた蝶モドキが、『嘘発見機・・・・』と怯えていた。
《嘘発見器だって?じゃああれを使って裏切り者を探すわけか。》
ヴェヴェは俺たちのいる枝まで降りてきて、一人ずつ子供の名前を呼んでいった。
まず最初に呼ばれたのは、俺の傍にいた蝶モドキだ。
『大地君』と呼ばれて、二匹の蝶モドキが手を繋いで飛んでいった。
《なんだ?呼ばれたのは一人だけなのに。》
不思議に思って見ていると、ヴェヴェはその二匹に何かを話しかけていた。
そして・・・・・、
《なんだありゃあ・・・・・。》
突然ヴェヴェの羽が尖って、ナイフのようになる。
鋭利なその羽は、目の前にいた二匹の蝶モドキを切り裂いた。
《なッ・・・・、》
真横に真っ二つにされて、ヒラヒラと落ちていく。
しかし落ちていく時も手は握ったままで、しっかりロックされた鍵のように、互いに離れることはなかった。
するとヴェヴェは羽をもう一振りして、繋がれたその手まで切り裂いてしまう。
二匹はバラバラになり、枝の上から捨てられてしまった。
まるで枯れ葉のように、ヒラヒラと舞いながら落ちていく。
《なんてことを・・・・、》
あの蝶モドキたちは、かつて人間の子供だったはずだ。
死後にこの星へ来て、ようやく悪い大人の手から逃れられたというのに・・・・・。
《爺さんの言っていた通りだ。あのヴェヴェってやつは恐ろしく残忍だ。どこが子供の味方なもんか。》
雲海へ消えていく、かつて子供だった蝶たち。
その光景に胸が締め付けられる。
『はい次、美緒ちゃん。』
また名前が呼ばれる。
『早く来て。』
ヴェヴェが呼んでも誰も出てこない。
『ほら早く。』
声に苛立ちが出ている。
かなり怒っているようだ。
《怯えてるんだ・・・・。あんな光景を見せられちゃ当たり前だ。》
例えヴェヴェを裏切っていないとしても、素直に奴の前になんて立てないだろう。
まったく出てこようとしない美緒ちゃんに対して、ヴェヴェは『死にたいの?』と呟いた。
『出てこないなら嘘つきってことになるわよ?だって私に知られたくない事があるんでしょ。』
そう言って鋭利な羽をかかげる。
結局美緒ちゃんなる子が出て来ることはなく、ヴェヴェは『悪い子ね』と言った。
そして自分から一匹の蝶モドキの傍へと飛んで行く。
『美緒ちゃん、どうして出てこないの?』
『だって・・・・・、』
ヴェヴェに睨まれ、美緒ちゃんは後ずさる。
『だって私は・・・・・、』
泣きそうな声で呟き、くるりと背中を向けた。
『ごめんなさい!』
羽をはばたき、高い空へ逃げていく。
するとヴェヴェは羽から糸を伸ばして、美緒ちゃんを絡め取ってしまった。
『いやあ!』
幼い声で悲鳴が響く。
必死に逃げようとするが、糸が絡まった羽では逃げ切ることは出来なかった。
だんだんとヴェヴェの方へと引き寄せられていく。
『死にたくない!誰か!』
耳がキンキンするほどの声で叫んでいる。
聴いているこっちが辛くなるような悲鳴だ。
しかし誰も動こうとしない。
助けるどころか、直視することすら避けていた。
ヴェヴェは尖った羽を振り上げる。
その顔は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。
『どうしてルールを守ってくれないの?良い子にしていれば私だってこんな事しなくてすむのに。』
とても切実な声だった。
おそらく嘘ではないのだろう。
なにも好き好んでこんな事をしているわけではないと伝わってきたが、やって良い事と悪い事がある。
美緒ちゃんは怯え切って、もはや悲鳴すら上げられない。
《クソ!黙って見てられるか!》
戦っても勝てないだろうが、見捨てるわけにはいかない。
思い切り『やめろ!』と叫ぼうとしたが、まったく声が出なかった。
《なんで!?他の奴らは叫んだりしてるのに!!》
呼吸が出来ないのでは声も出ない。
なのになぜ他の蝶モドキは声を出せるのか?
・・・・なんて考えている場合じゃない。
声が出ないなら体で止めるしか・・・・、
俺は羽を広げ、ヴェヴェの前に躍り出た。
《やめろ!》
しかし悲しいかな、ヴェヴェの目に躊躇いはない。
振り上げた鋭利な羽は、俺ごと美緒ちゃんを真っ二つにした。
《あ、死んだ・・・・。》
あまりの鋭さに、痛みもなく刃が駆け抜ける。
俺の後ろで美緒ちゃんが『痛だあッ!』と叫んだ。
振り返ると、下半身が皮一枚でぶら下がっていた。
『ほら、動くから。じっとしてれば楽なのに。』
ヴェヴェはそう言って、もう一度羽を振り下ろした。
《もうやめッ・・・・、》
止める暇もなく、刃は美緒ちゃんの真ん中を駆け抜ける。
彼女はついに力を失い、さきほどの蝶モドキと同じように、雲海へと投げ捨てられてしまった。
『お爺ちゃん・・・・・、』
遥か下の方へ消えていく前に、そう呟いたのが聴こえた。
《なんて・・・・なんてことを・・・まだ子供だぞ!》
怒りと悔しさが混じり合って、目が熱くなってくる。
しかしこの身体は涙を流すことが出来そうになかった。
いくら感情的になっても、目元が潤ってこないのだ。
子供たちが消えた雲海を睨んでいると、また悪夢の呼び声が響いた。
『次、ケリー君。』
どうやらまだ続けるつもりらしい・・・・・。
案の定、名前を呼ばれても誰も出てこない。
《こんな事して誰がお前の言うこと聞くもんか・・・・。可哀想に。》
いったい何があったのか知らないが、いくらなんでもこれは酷過ぎる。
ここにはここのルールがあるにしても、こんなやり方で裁く必要はないだろう。
《お前ら逃げろ!こいつに殺されるぞ!!》
しかし誰にも俺の声は届かない。
みんな俯き、小さく震えているだけだった。
《おい!逃げろって!こっちへ飛ぶんだよ!!》
身振りで逃げるように伝える。
ヴェヴェとは反対側の空へ飛んでいき、《来い!》と手招きをした。
《なんでじっとしてる!死んでもいいのか!?》
どうにかこの子たちを助けたかった。
助けたかったが・・・・俺はあまりにも無力だった。
美緒ちゃんの時と同様、一匹の蝶モドキが群れから離れていく。
ヴェヴェはそれを追いかけ、『ケリー君』と呼んだ。
『逃げるってことは、裏切りを認めるってことなのよ。それを分かってるの?』
《馬鹿野郎!お前が怖いから逃げてんだ!!》
ヴェヴェの前に立ちはだかり、どうにか止めようとしがみつく。
だがそれが叶うことはなかった。
これまたさっきと同じく、ヴェヴェは俺ごとケリー君を切り払った。
『あッ・・・・』と悲鳴が響き、三度目の惨殺。
枝の上に落ちたケリー君の亡骸は、雲海へと投げ捨てられた。
《また・・・・・、》
俺も、そして子供や他の蝶モドキも、自分の無力さに嘆くしかなかった。
だがそれと同時に、俺はある事に気づいた。
《なんで俺は生きてるんだ?》
真っ二つに切り裂かれた子供たち。
なのに俺はピンピンしている。
惨殺どころか傷一つ負っていない。
首をひねっていると、ふと目の前から殺気を感じた。
・・・・ヴェヴェが睨んでいる・・・・・不思議そうに目を凝らしながら。
『なんかいるわね。』
『・・・・・・・。』
『見えないけどなんかいる・・・・誰?』
手を伸ばし、俺に触れようとする。
しかしその手が俺を掴むことはなかった。
ヴェヴェはまじまじと自分の手を見つめ、『ねえ?』と仲間を振り返った。
『誰かステルス使ってるの?』
そう尋ねるも、誰も答えない。
俯くばかりで、どうか自分の元へ来ませんようにと願っているようだった。
『誰かステルス使ってるんでしょ?ねえ誰?』
怒りの混じった声で尋ねるが、返事はない。
『・・・・みんな怖がっちゃって。』
クスっと肩を竦め、『いいわ』と前を向いた。
『なら映してあげましょう、この鏡で。』
そう言って羽を広げ、ナイフのような営利な形状から、楕円形の姿見のような形へと変えた。
するとその瞬間、鏡にぼんやりと俺の姿が浮かび上がった。
『やっぱり。』
ニコリと笑ったその顔・・・・まるで死体を引きつらせたような表情で、思わず叫びそうになった。
『ステルスは勝手に使っちゃダメって約束でしょ。何度もそう言ってるのに、ほんとに悪い子は絶えないんだから。』
そう言った次の瞬間、ヴェヴェの羽が眩く光った。
《熱ッ・・・・、》
焼けるような痛みと、身体を揺さぶるような振動が襲い掛かる。
光はどんどん強くなって、思わず目を逸らした。
・・・・と次の瞬間、誰かが肩に触れてきた。
『つかまえ〜た。』
『・・・・・・・・ッ!』
ヴェヴェががっちりと肩を握ってくる。
『痛ッ・・・・・、』
ヴェヴェの怪力に驚くのと同時に、声が出たことに驚いた。
『・・・・あれ?呼吸ができる・・・・。声も・・・・・、』
『どうして?』
驚く俺をよそに、ヴェヴェが顔を近づけてきた。
『どうして大人が混じってるの?』
『あ・・・・いや・・・・、』
『ここは子供しか来ちゃいけない国なのよ。どうやって入って来たの?』
『や・・・・それは・・・・、』
『おまけにステルスまで使うなんて・・・誰に教わったのよ?』
『・・・・・・・、』
どう答えていいのか分からない。
分からないが・・・・分かる事が一つある。
どうやら俺は、生きてここを出られないだろうということだ。
ヴェヴェの目は明らかに怒っていて、肌を刺すような殺気を向けてくる。
少しでも抵抗すれば、怪力でバラバラにされてしまうだろう。
『今から質問するわ。正直に答えなさい。』
そう言って羽の形状を変えて、先ほどのナイフように鋭くなった。
『嘘ついても無駄だから。今までの出来事・・・・見てたんでしょ?』
『・・・俺は・・・自分からここへ来たわけじゃ・・・、』
『質問にだけ答える。』
『あッ・・・・、』
肩にヴェヴェの指が食い込む。
『分かった?』
『ちょッ・・・痛いって!肩が・・・・・、』
『質問にだけ答える。そう言ったわよね?』
肩に食い込んだ指が、関節まで突き刺さる。
ブチブチっと音を立てながら、俺の右肩はむしられてしまった。
『ぎやああああああッ!』
千切られた腕は雲海へ捨てられる。
肩があった場所からは、青緑の液体がドロリと垂れた。
『素直に答えなさい。でなきゃもう片方の腕ももらうわよ。』
今度は左の肩を握られて、指を突き刺された。
『やめろ!やめてくれ!!』
『じゃあまず聞くわね。あなたは誰?』
『・・・お・・・俺は・・・・、』
『シャキっと答える。大人でしょあなた。』
『痛ッ・・・・、』
『あなたは誰?名前は?』
『ま・・・円香拓!オカルト雑誌の記者をやってる!!』
『そう。で、どうやってここへ来たの?』
『い、糸・・・・ていうか繭に包まれて・・・・、』
『繭に・・・・。』
『変な爺さんが出した繭だ!』
『爺さん・・・・それってまさか、あの大木の傍の屋敷の?』
『そうだよ!俺は繭でグルグル巻きにされて、気がついたらここに来てたんだ!』
『ということは、その時に空から竜巻みたいな繭が降りてきたわよね?』
『ああ・・・・大木に絡みついていた・・・・。』
『そう、ありがとう。』
ヴェヴェはニコリと微笑む。
・・・・次の瞬間、営利な羽は俺の首を駆け抜けた。
『あ・・・・、』
叫ぶまもなく俺の頭が落ちていく。
景色が逆さまになって、首のない自分の身体が見えた。
『お・・・お前・・・・、』
いきなり殺すって・・・そりゃあんまりだろう。
そう言いたかったのに、もう声も出ない。
胴体から切り離された頭は、枝の上をコロコロ転がっていく。
そして枝先からポロリと落ちて、雲海へと真っ逆さまに・・・・。
《俺も・・・・あの雲海の・・・・養分になっちまうのか・・・・、》
死を数秒後に迎え、残してきた家族を想う。
喘息持ちの息子は大丈夫だろうか?
妻はシングルマザーになってしまうわけだが、いつか良い人が見つかり、安定して暮らせるだろうか?
もう助からない自分はどうでもいい。
せめて残された家族が幸せに・・・・・・。
バッテリーが減った家電製品のように、俺の意識は途絶えていく。
だがその前に奇妙な物を見た。
遠く眼下にある木の根元、そこに巨大なイモムシがいたのだ。
鋭い牙をしていて、ガシガシと根っこを齧っている。
《なんだあのデカいのは・・・・?》
ああ、俺の人生は最悪だ・・・・。
最後の最後、せめて家族を想いながら逝きたかった。
それがイモムシのことを考えるなんて・・・・。
後悔しても遅く、深い眠りにつくように、俺の意識は消えていく。
全てが真っ暗・・・・もう俺はどこにもいなくなる・・・・。
死を迎えるまでの数秒間は、今までの人生よりも長く思えた。
真っ暗な闇の中で、もう一度自分の人生を繰り返しているような・・・・・。

蝶の咲く木 第十三話 子供の国へ(1)

  • 2018.01.18 Thursday
  • 14:30

JUGEMテーマ:自作小説

エアコンの点いていない部屋で、弟と二人、ドアを叩いていた。
窓は全て閉め切られていて。開けようにも子供の手が届かない場所にある。
冷蔵庫の中には何もなく、砂漠を彷徨っているみたいに喉が乾いた。
外の気温は41度。
今年一番の猛暑だ。
なのに冷房が点いてないわ飲み物はないわ窓から風も入ってこないわでは、まさしくサウナと同じ状態になる。
あれはいつだったか、父と一緒に銭湯に行った時、入っちゃいけないと言われていたサウナに、弟と忍び込んだことがある。
どんな場所かとワクワクしたが、足を踏み入れた瞬間に引き返しそうになった。
サウナに広がる灼熱は、とても子供が耐えられるものではなかった。
息をするのさえ苦しく、どうして大人たちは平気な顔で座っているのかと、本気で驚いたものだ。
どうにか堪えて入ったが、1分と経たずに出てきてしまった。
あの時、あと5分も入っていたら倒れていた自信がある。
幸いサウナはいつでも外へ出られるから助かったけど。
でもここはそうじゃない。
逃げ場のないサウナは、5歳と4歳の子供の命など、簡単に奪ってしまうのだ。
・・・まず最初に倒れたのは弟だった。
「喉乾いた・・・」と言ったきり、何も喋らなくなってしまった。
揺すっても怒鳴っても立ち上がることはなく、二度と起き上がることはなかった。
そして俺自身にも、その瞬間はすぐにやってきた。
ズキズキと頭が痛くなり、足がふらつく。
喉が渇くというより、喉が焼けるような感じになってきて、かつて入ったサウナがフラッシュバックしてきた。
やがて視界もボヤけて、気がつけば目の前に床があった。
弟を振り返ると、こちらにお尻を向けていた。
手を伸ばし、足先に触れながら、俺も弟と同じ場所へ旅立とうとしていた。
・・・しかしその時、ぼやける視界の中に、ピカピカと光る何かが飛んできた。
その瞬間、身体が楽になって、体重すら感じなくなっていた。
『可哀想に。ちょっと部屋を散らかしただけでここまでするなんて。あなたの母親は人間の心を持っていないわね。』
そう語りかけてきたのは蝶だった。
ピカピカと輝いていて、図鑑で見たことのあるモルフォ蝶より綺麗だった。
『でも悲しまないで。あなたは子供の国に行けるのよ。馬鹿な大人がいない楽園なんだから。もちろん弟さんも一緒に。』
二人で手を繋ぎ、蝶に導かれるように、高い空へと昇っていった。
街がミニチュアみたいに見えるほど高く昇って、雲も突き抜けていく。
雲の上は当たり前だけど雲一つなくて、その先は少しだけ暗くなっていた。
蝶はどんどん飛んでいく。
それに引っ張られて、俺も弟も空を超えていった。
・・・・やがて宇宙にまで飛び出して、遠い所で燃える太陽が見えた。
すごく離れているはずなのに、あまりの眩しさに目を開けていられなかった。
弟と一緒に目を逸らした先には月が見えた。
地球にいる時よりもハッキリ見えて、表面のでこぼこが妙にリアルだった。
蝶は太陽に背を向け、月の方へ飛んでいく。
『お月様に行くの?』
弟が尋ねる。
俺は『分からない』と答えた。
すると蝶が振り返って、『月までは行かないわ』と答えた。
『月と地球の真ん中くらいまで行くの。そこに子供の国があるのよ。』
『子供の国って何?』
弟が不思議そうに尋ねる。
蝶は『行けば分かるわ』と答えた。
宇宙は蛍みたいに星が輝いていて、そのたくさんの光でも埋まらないほど真っ暗だった。
綺麗な景色だけど、不安の方が大きかった。
いったいどこへ行くんだろうという怖さと、足元さえないただっ広い宇宙の恐さ。
弟の手を握り締め、『家に帰りたい』と呟いた。
『お父さんの所に帰りたい。』
それは弟も同じだったようで、『お父さんの家に連れて行って』と言った。
しかし蝶は『ダメよ』と首を振った。
『あなたのお父さんもお母さんも、子供の命をなんとも思っていない悪魔なの。戻ったらまた酷い目に遭うわ。』
『でも前のお父さんは優しいもん。』
『新しいお父さんはすごく殴るから嫌い。』
『残念だけど、前のお父さんはもう新しい家族がいるの。それにあなた達が会いに行ったら、お母さんが怒るだけよ。
キイ〜ってヒステリーを起こして、いつもみたいにブたれるわよ?それでもいいの?』
そう言われて、俺も弟も首を振った。
そしてなんでそのことを知ってるんだろうと、不思議に思った。
振り返れば地球が見える・・・・。
宝石みたいに青くて、すごく綺麗だった。
この時、俺も弟も感じていた。
もう二度とあそこには戻れないのだと。
なぜなら子供心に知っていたからだ。
俺たちはもう死んでしまったのだと。
この蝶は天使か何かで、俺たちを迎えに来たんだと。
・・・といことは、今から俺たちが行く場所は天国ということになる。
なぜなら今まで何も悪いことはしていないので、地獄へ行くはずがないと思っていたからだ。
天国のことは詳しく知らなかったが、なんとなくのイメージで、悪い場所ではないと期待していた。
できれば前のお父さんの家に戻りたかったけど、それが無理なら、もう天国へ行くしかない。
今のお父さんとお母さんの家にいたら、いつ今日みたいな目に遭うか分からない。
ちょっとしたことで叩かれて、ちょっとしてことでご飯を抜きにされる。
今日だって、俺と弟が遊んでいたオモチャをお母さんが踏んづけて、それで怒られた。
『クソガキ!部屋を散らかすな!』
そう言って一発ずつ叩かれてから、『お前ら見てるとアイツを思い出す』と、思い切り蹴られた。
『アイツに渡すのが癪だったから引き取ったけど、ほんと邪魔。死ねクソガキ!』
お母さんは元々怖い性格だったけど、新しいお父さんと結婚してから、余計に怖くなった。
だって新しいお父さんはお母さんよりも怖くて、お母さんでさえたまに叩かれているからだ。
俺たちが何かしでかすと、まずお母さんが叩かれる。
その次に俺たちを蹴ったり殴ったりするのだ。
だからお母さんは自分が叩かれるのが怖くて、前のお父さんと結婚している時より、もっともっと俺たちを叩くようになった。
俺も弟も、いつだってあの家から逃げ出したかった。
だけどそれは無理で、二人共出かける場合は、俺たちは閉じ込められるのだ。
いつもならエアコンか扇風機を掛けてくれるけど、俺たちが何かしでかした時は何も点けない。
だから冬は寒いし、夏は暑い。
窓だって閉め切ってしまうし、辛くて大変なのだ。
しかも今日は冷蔵庫の中が空っぽで、外の気温は41度。
5歳と4歳の子供が長時間そんな部屋に閉じ込められていたら、死なない方がおかしい。
あの家に戻れば、また今日と同じことが繰り返される。
そう思うと・・・・やっぱり天国へ行くことは悪くないように思った。
『お兄ちゃん、天国ってどんなとこ?』
『天使とか神様がいるんだよ。よく知らないけど、多分そう。』
『お父さんもいる?』
『お父さんは生きてるからいないよ。天国は死んだ人が行くところだから。』
『じゃあ天国に行ったら、もうお父さんに会えないの?』
『会えないけど、あの家に戻らなくてもいい。僕はその方が嬉しい。』
『ゲームある?』
『さあ。』
『コロコロは?』
『分からない。』
弟が気にするのはもっぱらオモチャやゲームのことだった。
すると蝶が振り向き、『あるわよ』と言った。
『DSもPSPもあるわ。漫画も絵本もある。お菓子もオモチャもあるわ。
子供が好きなものはなんでもあるの。すごく楽しい所よ。』
それを聞いた弟はとても喜んだ。
俺だって嬉しかった。
広い広い宇宙・・・・弟と手を繋ぎ、地球に手を振った。
これから天国に行く。
意地悪な大人がいない子供だけの国へ。
だけど・・・決して悪いものではないと思っていたその世界は、俺と弟が期待していたものと違うと知るのに、そう時間はかからなかった。
・・・・はっきり言おう。
ここは地獄だ。
見てくれは天国に似ているが、やっていることは地獄そのものだ。
俺がここへ来てから11年が経つ。
地球にいた頃と合わせると16歳、弟は15歳だ。
11年、俺たちはこの場所で過ごして、目を塞ぎたくなるような出来事をたくさん見てきた。
それどころか、俺たち自身がそういった出来事に手を貸してきた。
ここへ集められた子供は、意地悪な大人によって殺された魂だ。
時にその子たちの一部は復讐に走る。
本人の意志でそうなることもあれば、会いにやって来た親が復讐を選ぶ場合もある。
割合としてはやや本人が望む場合が多い。
いくら子供といえど、大人に受けた酷い仕打ちは、決して許すことの出来ない怒りとなって燃え続けるからだ。
俺と弟だってそんな子供たちの一部だ。
かつて俺たちを死に追いやった憎き母、その元凶となった新しい父。
だから俺たちは復讐をした。
・・・あの時はクリスマスで、俺たちの本当のお父さんがここへやって来た。
お父さんは優しいから、復讐はやめてくれと言った。
そんなことしたって、お前たちが生き返るわけじゃないし、お前たちに汚れてほしくないからと。
だけどお父さんの反対を押し切って、俺たちは復讐を選んだ。
後からヴェヴェに聞いた話では、母も新しい父も、悲鳴を上げながら死んでいったらしい。
母は丸焦げにされ、父は電気で焼かれた。
二人共この世の終わりみたいな表情で、ただただ苦しみながら死んでいったと。
あの時は胸がスウっとしたものだ。
ただその代償として、俺たちは人間として生まれ変わることが出来なくなってしまった。
父がここを去る時、とても悲しい顔をしていたのを覚えている。
うっすらと泣いていたかもしれない。
あれ以来、俺たちはヴェヴェの仲間入りをして、何度も復讐を手伝ってきた。
それがいい事だなんて思わなかったけど、ヴェヴェには逆らえないので仕方ない。
もし怒らせたりなんかしたら最後、例え子供でも雲海の養分にされてしまうのだ。
ここにいる以上、黙ってヴェヴェに従うしかなかった。
そしてここへ来る人はみんな、大人も子供も良い思いはしない。
復讐を選べば、子供は二度と地球へ戻れない。
そして復讐を選ばなかった場合も、幸せになるとは限らない。
いつか地球へは戻れるけど、その時はすでに別人になっている。
ここへやって来る親は、まずそれを受け入れることが出来ないのだ。
せっかく亡くなった我が子に会ったのに、もう二度と同じ姿で会えないなんて、認めるわけにはいかないからだ。
だからどうか同じ姿で返してくれと願う。
その場合はクローンでの復活になるんだけど、それだともって10年、早いと3年くらいで死んでしまう。
ウェウェは10年は生きられるって言うけど、実際はそこまで生きられないことの方が多い。
親としては、せっかく戻ってきた我が子と、すぐにお別れしなきゃいけなくなる。
その結果、夫婦の仲が悪くなったり、鬱病みたいになったりして、ここへ来る時よりも重いショックを受けることになる。
だからここは天国なんかじゃない。
大人も子供も不幸にする、天国に似た地獄なのだ。
だけどヴェヴェはここの神様みたいなものだから、嫌々でも従うしかない。
ないんだけど・・・・最近はそうもいかなくなってきた。
なぜなら巨木を支える雲海の養分が少なくなってきたからだ。
このままだといつか雲海が消え、木は枯れ果ててしまう。
この星はバラバラに散って、宇宙の藻屑になってしまうのだ。
そうならない為には、巨木の養分を保つしかない。
その最も手っ取り早い方法は、地球に根を張ることだ。
ここは月と地球の中間にあるけど、月に行った所で何もない。
見ている分には綺麗だけど、生き物が住める場所じゃない。
かといって、ここから生命の住める星まで飛ぶには、距離がありすぎる・・・・とヴェヴェは言っていた。
2万光年くらい先に土と水と空気が存在する惑星があるらしいんだけど、そこまで飛ぶには養分が足りなさすぎる。
だったら行くべき場所は一つ、地球しかない。
かつて俺たちが酷い目に遭ったあの星だけが、この巨木を支えることが出来るのだ。
だけどそれは、地球を乗っ取るのと同じことだ。
俺たちがいる子供の国はとても大きく、もし地球に降り立ったら、半分近く覆い尽くしてしまうだろう。
しかも根はとても大きいので、あちこちの大地に大穴を空けて、その下に流れるマントルまで届く。
そんな植物が根付いたら、地球はえらい事になる。
あちこちで災害が起きて、あちこちで人や動物が死ぬ。
そしていつかは地球の養分を吸い付くし、死の星に変えてしまうはずだ。
そんな大変なことになったら、もう大人がどうとか子供がどうとか言っていられない。
ここにいる子供たちは大人に恨みを持ってるけど、そんなレベルの話じゃなくなってしまう。
・・・・だからこれ以上ヴェヴェにはついて行けない。
俺も弟も、ヴェヴェもどきになってしまった他の子供たちの一部も、ヴェヴェを裏切ることに決めたのだ。
表面上は従うフリをしているけど、本気で従う気はもうない。
この巨木が地球に根を張るのを防ぐ為、どうしたらいいか真剣に悩んだ。
残念ながら、俺たちだけでヴェヴェを止めるのは無理だ。
それなら地球の人たちにこの事実に気づいてもらうしかない。
『子供の国っていう変な星があって、その星が地球を狙ってますよ!!』
たくさんの人にそう知ってもらえれば、この巨木が地球へやって来た時に、軍隊が迎え撃ってくれるかもしれない。
そりゃほっといても迎え撃つだろうけど、あらかじめ知っておけば戦いの準備ができるはずだ。
まず俺たちが最初にやるべき事は、どうにかして地球の人たちにここの存在に気づいてもらうことだ。
ここにいる子供の親たちはこの世界のことを知ってるけど、人に話したところで信じてもらえないだろう。
ありえない事を信じてもらうには、同時にたくさんの人に伝えなきゃいけない。
そうすれば個人の妄想だって馬鹿にされずにすむはずだから。
一気にたくさんの人に伝える手段は色々ある。
まずはネットだ。
これほど手軽に世間に物を言える道具はない。
だけどネットは信憑性が薄いし、どこの誰が発信しているか分からないので、あんまり良い手じゃないだろう。
となるとテレビかラジオが新聞になる。
影響力を考えるならダントツでテレビ、次に新聞だろう。
ラジオも悪くないけど、どうせならテレビの方がいい。
だけどこんなオカルトじみた話、テレビがちゃんと扱ってくれるか分からない。
仮にもし扱ってくれても、単なるオカルト番組で終わる可能性が大だ。
となると新聞か?・・・・と考えたけど、これも難しそうだ。
だって新聞はテレビより頭が固いから、きっとこんな話を扱ってくれないだろう。
じゃあラジオか・・・・と考えたけど、なんとなくテレビと同じ扱いになりそうな気がした。
やっぱりオカルト扱いで終わるんじゃないのかなあ・・・・と。
俺たちは散々悩んだ。
いったいどうやってたくさんの人に伝えればいいんだろうって。
なかなか良い答えが出ずに困っていると、去年にヴェヴェもどきになったなつちゃんがこう言った。
『悩んでばかりいても仕方ないから、ツイッターとかインスタでもいいから伝えてみない?』
なつちゃんは一昨年に地球へ戻った時、あの大木の写真を撮っていた。
ちょうど蝶が咲く瞬間の写真を。
こんなのヴェヴェに見つかったらめちゃくちゃ怒られるけど、なつちゃんは上手く隠していた。
雲海近くの根元、龍の鱗みたいな大きな樹皮の割れ目に、デジカメを隠しておいたのだ。
どうやってこんなの手に入れたのか聞いたら、前にここへやって来た大人が忘れていった物だと答えた。
ほんとはそういう物だってヴェヴェに報告しないといけないんだけど、なつちゃんは自分の持ち物にしていたわけだ。
なつちゃんは蝶の咲く木が写ったデジカメを持って、地球へと降りていった。
『繭の道』という不思議な道を通って。
白い竜巻みたいな感じの道で、ものすごい速さで地球まで行くことが出来る。
当然のことながら、これだってヴェヴェの許可なしに使っちゃいけない。
ていうか基本的にはヴェヴェしか使えない。
だけどなつちゃんはヴェヴェのお気に入りで、ここへ来て一年足らずで親友レベルになっていた。
『なつは私とよく似てるわ。パっと見は優しそうだけど、実はすっごい残忍。ここへ来てからもずっと復讐の事を考えてたもんね。
だけど自分と同じ子供には優しいわ。みんななつをお姉ちゃんみたいに思ってる。
だからここでは私がみんなのお母さん、なつがお姉さんね。』
そういう感じですごく気に入られていたので、なつちゃんだけは特別に繭の道を使ってもいいことになっていた。
・・・もしも誰かがこの写真に興味を持ってくれれば、色んな所に拡散してくれるかもしれない。
真剣にこの話を信じて、それを世の中に広めてくれる人。
そんな人が現れるのを待ったのだ。
そして・・・・そんな人が現れた。
ツイッターに写真を上げてから四ヶ月後、自称オカルト雑誌の記者が連絡を取ってきた。
オカルト雑誌って・・・・・って最初は思ったけど、なつちゃんはその人に会ってみることにした。
今のところ何の希望もないので、とりあえずすがってみる事にしたわけだ。
『じゃあみんな、記者さんに会いに地球へ行って来る。でもヴェヴェには内緒ね。
私がどこにいるか聞かれたら、バレないように誤魔化して。』
今日の朝、そう言い残して出て行った。
果たしてなつちゃんは上手くやっているのか?
記者は記事にしてくれるのか?
いっぱい不安はあるけど、今は待つしかない。
なるべくいつも通りに振舞っていないと、いつヴェヴェに疑われるか分からない。
幸い昼に会ったきりで、なつちゃんがどこにいるかは聞かれなかったけど、アイツは勘が鋭いから侮れないのだ。
『みんな。』
いきなり後ろから声がした。
ビクっと振り返ると、ヴェヴェが一つ上の枝にとまっていた。
いつもと同じように、狂気を感じる笑顔をしている。
・・・・いや、なんかいつもより狂気じみてるような・・・・、
『最近ね、ここのルールを守らない子が増えてるみたい。』
そう言ってジロリとみんなを見渡す。
『ルールを守らない子は悪い子よ。そんなの意地悪な大人と変わらないわ。みんなの迷惑になっちゃう。』
笑顔の狂気が増していく・・・。
俺は悪い予感がして、弟と目を合わせた。
『実は今日も一人そういう子がいたわ。地球へ行って、ここの秘密をバラそうとしたの。
私と仲良しの子だったから余計に悲しい・・・・。
可哀想だけど、そういう子には「め!」ってしなきゃダメなの。』
笑顔が消え、狂気だけが残る。
俺も弟も、なつちゃんが無事ではないことを悟った。
『これ以上こんな事が増えたら、ここはダメになっちゃう。そうなるとたくさんの子供が居場所を無くすわ。
だからね、今日は抜き打ち検査をしようと思うの。』
そう言って羽を振動させ、鱗粉を全て振り落とした。
透明になった羽は、鏡のように辺りの景色を反射した。
『お兄ちゃん、あれ・・・・、』
弟が不安そうに呟く。
俺も引きつった顔で頷いた。
『嘘発見器だ・・・・・。』
鏡のようになったヴェヴェの羽は、相手の頭の中を映し出すことができる。
いくら嘘をついても、あの羽の前では無意味だ。
あれは何年か前、まったくルールを守らない子供がいた。
注意すると反省するのだが、すぐに悪さをしてしまう。
なのであの羽を使って、本当に更生するつもりがあるのか映し出したのだ。
・・・・結果は黒。
その子は嘘を見破られ、雲海に溶かされてしまった。
『あれを使うってことは、ヴェヴェは本気で怒ってるんだ。』
ヴェヴェは俺たちの所まで舞い降りて、『一人ずつ調べていくわ』と言った。
『名前を呼ばれた子は前まで出て来て。そして私の質問に素直に答えること。もし嘘ついたってバレるんだから。』
再び笑顔に戻って、鏡の羽を広げる。
『じゃあまずは大地君から。』
そう言って俺の弟に指を差す。
『お兄ちゃん・・・・、』
『・・・・・・。』
弟が手を伸ばしてくる。
俺はその手を掴み、二人でヴェヴェの前に立った。
・・・・もう逃げることは出来ない・・・・。
嘘で誤魔化すことも・・・・・。
だからって弟を一人にさせたくない。
どうせ死ぬなら二人で・・・・・、
『お兄ちゃんも一緒?・・・・まあいいわ、じゃあ二人に質問。あなたたちはルールを破ったことがある?
私を裏切ろうとしたことは?あるいは悪い子と手を組んで、悪いことを企んだことはあるかしら?』
ヴェヴェの視線は槍みたいに尖ってて、すでに俺たちの胸を貫いている。
『お兄ちゃん・・・・・助けて・・・・、』
『・・・・・・・・。』
弟は泣いている。
なのに俺はダメな兄貴で、何もしてやれない。
せめて最後までこの手を握ってやるくらいしか・・・・。
11年前、あのサウナのような部屋にいた時のことを思い出す。
目の前にいるヴェヴェが、俺たちを閉じ込めた母と重なって見えた。

蝶の咲く木 第十二話 空に届く繭(2)

  • 2018.01.17 Wednesday
  • 13:01

JUGEMテーマ:自作小説

夜が来る。
星も月もなく、冬にしては湿った風が吹いている。
昼間は晴れていたのに、日が落ちてから雲が出てきたようだ。
俺は屋敷の外に出て、真っ暗な空を見上げる。
後から爺さんも現れて、「嫌な風だな・・・」と呟いた。
「一雨きそうだ。」
「天気予想では晴れだったんですけどね。」
興味もなさそうに頷く爺さん。
俺の鞄を見つめ、「ほんとになあ・・・」と言った。
「あの蝶が写ってるなんて・・・・。」
信じられないといった様子で、諦めの混じったため息をついている。
「だから言ったでしょ。ほんとに撮ったって。」
ポンと鞄を叩くと、「ああ」と頷いた。
「自分から姿を見せるなんて・・・・。」
「でも大丈夫なんですか?クリスマスでもないのに現れるなんてルール違反なんでしょ?」
「奴に見つかったらどうなるか・・・・。可愛い姿をしちゃいるが、根は残忍でな。」
「どうしても伝えたいことがあるんでしょうね。でなきゃわざわざ危険を犯さないだろうから。」
俺は先ほどまでの爺さんとの会話を思い出す。
強引に屋敷に押しかけ、パソコンでメモリーカードの写真を復旧させた。
消されて間もなかったおかげで、あの奇妙な生き物の写真は無事に復活してくれた。
液晶に映し出される写真を見た爺さんは、開いた口が塞がらないといった様子で、俺とパソコンを交互に見つめていた。
・・・・それから夜にまるまでの間、爺さんは色々と話を聞かせてくれた。
あの大木には本当に蝶が咲くこと。
そこに集まる蝶は死んだ子供の魂であること。
そしてクリスマスの日、この大木を通じて、親子が再会できることを。
話を聞いている間、『別の星』だの『復讐』だの『生まれ変わり』だの、理解しがたい言葉がポンポン出てきた。
俺は必死にメモを取りながら、『話が進まなんだろうが!』と怒られるほど質問を繰り返した。
そして全ての話を聞き終える頃、外はとっぷり暗くなっていた。
取材した結論から言うと、爺さんの話はまったく信じられなかった。
熱心に質問したものの、あまりにぶっ飛びすぎていて、オカルト好きの俺としても『それはちょっと・・・』とツッコミたくなるほどだ。
『だが真実だ。あんたの話から察するに、今日あの大木で落ち合う人物は、昼間見た蝶と同一人物だ。
夜になれば来ると言ったんだろう?ならば論より証拠、実際に会った方が早い。』
確かに・・・百聞は一見に如かずだ。
大木に目をやると、特別な変化は起きていない。
昼間と同様、葉のない枝を伸ばしているだけだ。
《ほんとに来るのか・・・・?》
緊張と期待が入り混じった不思議な気分になる。
「・・・お!」
爺さんが指を差す。
その先には一匹の蝶が浮かんでいた。
まるでLEDのように輝きながら、枝の先にとまっている。
「マジか・・・・。」
驚きながらもカメラを向ける。
ファインダーを覗き、シャッターを切ろうとした瞬間、いきなり目の前が真っ白になった。
「・・・・・ッ!」
思わず目を背ける。
太陽を直視したように、しばらく何も見えなくなった。
《目の前に飛んできやがった・・・・。》
瞬きを繰り返し、涙を拭う。
と次の瞬間、ツンツンと肘をつつかれた。
爺さんか?と思い、まだホワイトアウトから戻れない目を向ける。
するとそこにはぼんやりと子供のような輪郭が映っていた。
・・・・もしやと思い、思いっきり目をこすって、光の余韻を追い払う。
ようやく見えるようになってきた目に飛び込んできたのは、まっすぐにこちらを見る少女だった。
長い髪を後ろで縛り、気の強そうな目を向けている。
背丈は俺の胸くらい。
だが威圧的な視線のせいか、それとも人とは違った雰囲気のせいか、実際よりも大きく感じた。
「・・・もしかして・・・・真鈴ちゃん?」
恐る恐る尋ねる。
少女は『はい』と頷いた。
『あのツイッターの写真を撮った遠野真鈴です。』
「・・・・・どうも。」
『みんなからは「なつ」って呼ばれてるので、そう呼んで下さい。』
「ええ・・・・。」
どう返していいのか分からず、爺さんに助けを求める。
「な?」
「な?って・・・・・、」
「だから言っただろ?あの蝶があんたの待ち合わせしていた人物だって。」
「でも・・・・、」
「信じられんのなら証拠を見せてもらえばいい。」
そう言ってなつちゃんに目を向けると、要領を得たように頷いた。
『眩しいのでまっすぐに見ない方がいいですよ。』
幼さの残る声で忠告してから、閃光のように輝いた。
「ちょッ・・・・・、」
さっきと同じように目を逸らす。
・・・次の瞬間。
俺の頭にあの奇妙な生き物がとまっていた。
「・・・マジか。」
『マジです。』
頭の上から笑い声が響く。
もう一度ピカリと光って、また少女の姿に戻った。
『来てくれてありがとう。』
ごきちない感じで会釈をして、少しはにかんでいる。
『昼間にお会いしましたよね?』
「・・・・じゃあやっぱりあれが・・・・、」
『はい。』
・・・さて、どうするか?
彼女に会ったらぶつけるはずだった幾つもの質問。
それらは無意味なものと化した。
何百、何千と質問をぶつけるより、たった一回のさっきの変身で、俺は答えを得てしまったのだから。
この子は本当に人間ではなく、あの大木には本当に蝶が咲く。
これを松永に話してやったら、間違いなく鼻で笑われるだろう。
「・・・なつちゃんに聞きたいことがたくさんあったんだけど、もうどうでもよくなった。」
『じゃあ取材は無しですか?』
「まさか。新しい質問がいっぱい浮かんできた。録音しても?」
そう言ってスマホを向けると、『あ、それ無理です』と言われた。
「録音は困る?」
『そうじゃなくて、私の周りにいると電子機器が使えなくなるんです。』
「なんで?」
『強力な磁場が出来るんです。だからスマホもカメラもパソコンも使えませんよ。』
「どれ・・・・、」
なんでも疑ってかかるのが記者というもの。
試しにデジカメを向けると、とりあえず液晶は映る。
しかしいくらシャッターを押しても反応しなかった。
スマホも起動はするが、一切の機能が使えない。
『ね?』
「なるほど・・・磁場のせいでね。でも昼間はデジカメを使えたけど?」
『夜の方が強い磁場が出るんです。』
「ほう・・・・。」
なぜこの子がいると強力な磁場が発生するのか?
気にはなるが、今尋ねるべき質問ではない。
俺はポケットからメモ帳とペンを取り出し、「記録しても?」と尋ねた。
『はい。』
「さっきお爺さんから聞いたんだけど、子供だけで勝手に地球へ来ちゃいけないんだって?」
『そうです。』
「それでもなつちゃんは会いに来た。その理由は何かな?」
聞きたいことは山ほどあれど、これを聞かないことには始まらない。
なつちゃんはしばらく黙り込み、居合の一撃でも繰り出すかのように、迫力だけをみなぎらせた。
「なつちゃん?」
『・・・・壊してほしいんです。』
「何を?」
『子供の国を。』
「それって亡くなった子供が集まる遠い星のことかな?」
『そうです。』
「どうして?お爺さんの話だと、あそこはそう悪い場所に思えないけど?
むしろ不幸な目に遭った子供を救う、一種の天国のように思えるんだけど。」
『そうだけど、あそこはもう限界なんです。』
「限界?」
『あれって実は星じゃないから。ヴェヴェは星だって言ってるけど、絶対に違う。』
「ヴェヴェって誰?」
『私たちを連れていった蝶みたいな生き物です。ここは子供の為の星よって言ってくれたけど、実は違うんです。
だってヴェヴェが他の子に話してるのをこっそり聞いちゃったから・・・・、』
「何を聞いたの?」
『・・・・もうじき地球に根を張るって。』
「根?」
『私たちがいる世界は、大きな木がいっぱい繋がってるんです。普段はその木の枝の上で暮らしています。
だけど栄養がないといつか木が枯れるから、不思議な雲海に根を張ってるんです。』
「それもお爺さんから聞いた。山みたいな大きな木を乗せてる雲海があるんだろ?」
『はい。その雲海のおかげで木は栄養を保ってるんです。
だけどもう雲海の栄養がなくなってきて、どこかに根を張らないといけないらしくて。』
「それがこの地球ってわけ?」
『ヴェヴェたちがこっそり話してるのを聞きました。』
「ごめん、ヴェヴェ「たち」ってことは、他にも仲間がいるわけ?」
『本物の宇宙人はヴェヴェだけです。他のは元々人間の子供だった「もどき」みたいな感じです。』
「もどき・・・・ね。ならそこにいる子供は、いつかはヴェヴェって生き物になっちゃうわけだ?」
『復讐を選んだらそうなります。もう二度と人間に生まれ変わることは出来なくて、ヴェヴェに変わっちゃうんです。
ヴェヴェはそうやって仲間を増やしてるから・・・・。
それで私も復讐を選んだからヴェヴェになっちゃって、ヴェヴェだけが行っていい木まで飛んでいったんです。
そうしたらそこで、みんながコソコソ話してるのを聞いたんです。』
「なるほど。」
『あの世界の木はすごく大きいんです。山脈みたいに繋がってて、根っこだけで地球の三分の一を覆うくらいあるんです。
もしそんな木が地球に根を張ったら・・・・、』
「大変なことになるだろうね。」
『地球がおかしくなっちゃう。どうにかしなきゃって思って・・・・、』
「俺に会いに来たと。」
『去年のクリスマス、私はお父さんとお母さんに会いに行ったんです。この大木へ来てって伝える為に。
その時にこの大木の写真を撮って帰りました。本当はダメなんだけど、ヴェヴェの目を盗んで。』
「でも電子機器は使えないんだろ?だったらどうやって写真を?」
『あの時はまだ私はヴェヴェもどきになってなかったから。』
「なるほど。」
『ただ綺麗だったから撮っただけなんだけど、後から役にたちました。
ヴェヴェが地球を狙ってることを伝える為に、誰かにここへ来てもらいたかったから。
だからツイッターに・・・・、』
「あげた写真を見て、俺が来たってわけだな。」
『円香さんの他にも、この場所を教えて下さいって人はいました。でも学生さんだったりからかい半分だったりしたから断ったんです。』
「俺を選んでくれたのは、俺が雑誌の記者だからってわけだな?なつちゃんの話を雑誌に載せてくれると思って。」
『これほどうってつけの人はいないと思いました。だって興味を示すのは遊び半分の人ばっかりだし、新聞やまともな雑誌じゃ相手にしてくれないし。
だけどオカルト雑誌の記者さんならちょうどいいかなって。』
「褒め言葉として受け取っておくよ。」
『きっと近いうちに、あの大木が根を張りに来るはずです。それをどうにか阻止してほしいんです。』
「もちろんそうしたいけど、だったらもっと詳しく話を聞かなきゃいけない。」
俺はこれみよがしにペンを回す。
はっきり言って、この子の話を鵜呑みになんて出来ない。
確かに常識を超えた存在ではあるが、インデペンデンスデイみたいに地球の危機が訪れるなんて、はいそうですかと頷くことは無理だ。
それに・・・・まだ子供である。
本人いわく、人間だった時と死んでからの年齢を合わせると23だそうだが、見た目は完全に子供だ。
喋り方は大人びてはいるが、所々にあどけなさを感じる。
いったいどこまで真に受けていいものか・・・・。
『信じてませんね?』
あっさりと心を見透かされる。
「読心術か?」と尋ねると、『だって信じてなさそうな顔してるから』と言われた。
「ごめん、記者ってのは色々疑ってかからなきゃいけないんだ。なつちゃんを馬鹿にしてるわけじゃないよ。」
『本当なんです、信じて下さい。』
「うん。だから今から質問をさせてほし・・・・・、」
そう言いかけた時、なつちゃんは『ヤバ!』と叫んだ。
「どうした?」
『ヴェヴェが来る!』
「え?」
なつちゃんは慌てて空を見上げる。
その瞬間、太陽が間近に迫ってきたような、強烈な閃光が走った。
「うおッ・・・・・、」
焼けるように目が痛い・・・・。
瞼を閉じ、うずくまって顔を押さえた。
『円香さん!お願いします!!どうか地球に根を張らせないで下さい!』
「お願いしますって言われても・・・どうやって阻止したらいい!?」
『ごめんなさい、私はもう・・・・・、』
諦め、絶望、暗い感情が宿った声が耳にかすむ。
『ルールを破った者は雲海の養分になっちゃうんです。だからもう会えません。』
「会えないって・・・死ぬのか?」
『はい。』
「・・・・・・・・・。」
『もう死んでるけど、本当の意味で死にます。魂も身体もなくなるんです。』
「そんな・・・・、」
『全ての秘密は蝶の咲く木にあります。ここから空に届くほどの繭が・・・・・、』
そう言いかけて、なつちゃんの声は消えた。
「おい!この大木がなんだ!?繭ってどういうことだ!」
まだ眩い目を開けて、どうにか前を向く。
しかしもうなつちゃんはいなかった。
傍にいるのは爺さんだけで、「あの子は!」と尋ねた。
「どこ行った!?」
「連れて行かれた・・・・。」
「そのヴェヴェってやつにか?」
「ああ・・・・もう戻って来られん。」
「死ぬって言ってたけど・・・・本当に?」
「ああ。」
「ああって・・・・そんな簡単に言うなよ!まだ子供だぞあの子!」
「分かっとるわ。だがどうにもならん。連れて行かれちまった以上、こっちから手を出すことは出来んのだから。」
「・・・・なんてこった。」
空を見上げると、さっきの強烈な光はどこにもない。
その代わり、雲が晴れて星たちが輝いている。
爺さんは大木へ近づき、「可哀想に・・・」と呟いた。
「せめて地球で死にたかったろうに。」
「・・・・どうすりゃいい?」
「ん?」
「ん?じゃないよ。あの子が言ってたこと、本当なのか?地球に根を張るって。」
「儂に聞かれても。」
「でも爺さん、昔に行ったことあるんだろ?子供の国に。」
俺は思い出す。
屋敷で爺さんから聞いた話を。
あの時、爺さんはこう言っていた。
『儂もかつて子供の国にいたんだ。だが復讐は選ばなかった。だからこうして戻って来ることが出来たんだ。』
もしそれが本当なら、子供の世界のことを知っているのはこの爺さんだけだ。
「なあ、もっと詳しく話を聞かせてくれないか?ブッ飛んだことばかりで頭がついていかない。」
「構わんが・・・・あんた一人でどうにか出来ることじゃないぞ。」
「でも話を聞くのが記者の仕事だ。」
「だから話すのは構わん。でもだからってどうにかなると思うのは思い上がりで・・・・、」
辛そうな顔をしながら、ごにょごにょと口ごもる。
「爺さん、あんたまだ隠してることがあるな?」
「・・・・・・・・。」
「屋敷で話を聞いてた時、あんたはこう言った。生まれ変わって地球へ戻って来た子供は記憶を失うって。
人格も肉体も思考も、何もかも新しい人間に変わるんだって。
なのにあんたは前世の記憶を持ってる。どうしてだ?」
「・・・・・・・。」
「クローンを使えばそのまま生き返ることが出来るけど、その場合は長生きしないんだよな?
でもあんたは爺さんになるまで生きてる。どうしてなんだ?」
「それは・・・・、」
「屋敷じゃ何度聞いてもはぐらかしたよな?クローンだけど偶然長生きしてる稀な例だとか言ってさ。
それ本当のことなのか?実は他に秘密があるんだろ?」
この爺さんは何かを隠している。
そう思ったのは記者の勘なんてカッコイイものじゃない。
ただ単純に、爺さんは自分の話になると口篭るからだ。
「人には聞かれたくない話か?」
「聞かれたくないというより、話せないといった方が正しいな。」
「喋るとまずいことでも?」
「殺される。」
「そりゃ穏やかじゃないな。誰に?」
「ヴェヴェに。」
「またそいつか・・・・。」
「おっかない奴なんだ。子供を愛する気持ちは本物だが、根っこが残忍だし獰猛だ。口封じの為なら殺人だって厭わない。」
「じゃあ秘密を喋ったら爺さんも殺されるわけか。」
「・・・・・・・。」
急に爺さんの表情が変わる。
自信のなさそうな顔で俯いていたのに、肚を括った戦人みたいに俺を見据えた。
「儂は今年で91だ。」
「そんなに?もっと若いのかと思ってた。」
「もう充分生きた。」
「まさか秘密を喋って死ぬつもりか?」
「・・・・もう辛くなってきた。長年ここで亡くなった子供と会う親を見てきたが、誰ひとり幸せになどなっとらん。
去年もここで壮絶な夫婦喧嘩があってな。激高した旦那が嫁の腹を殴っとった。多分お腹の子は・・・・、」
そこまで言って口を閉じる。
辛そうにするその目は、ここにはいない誰かに向けられているように感じた。
「墓場まで持ってこうかと思っとったが、それもなあ・・・・。」
俺を振り向き、「このままくたばったら、あの世で閻魔さんに怒られそうだ」と笑った。
「なあ爺さん、喋って本当に死ぬなら別に・・・・、」
「なに甘いこと言うとる。あんた記者だろ?真実を聞き出すことを恐れてどうする。」
「でも人の命が掛かってるなんて・・・俺そんな真面目な記事書いてるわけじゃないし・・・、」
「オカルト雑誌だろうとなんだろうと、記者は記者だ。命懸けで取材せい。」
急に怖い顔になり、喝を入れられる。
爺さんは大木を指差し、そのまま空へと向けた。
「いいか?じっと見とれ。」
「何が起きるんだ?」
「百聞は一見に如かず。その目で見た方が早い。」
何をするつもりか知らないが、爺さんの目は真剣だ。
歳寄りのクセに猛獣みたいな迫力が伝わってくる。
《なんなんだよ・・・・。》
怖い半分、興味半分。
言われた通り爺さんの指先を見ていると、闇夜の中にキラリと何かが光った。
《なんだ?》
閃光というには頼りなく、点滅というには短すぎる。
そんな光が指先から漏れている。
その光はどんどん空へ飛びていき、蝶の羽ばたきのように、宙を踊っているように見えた。
《もしかして・・・・・、》
一つ閃くものがあった。
いつかこんな光を見たことがある。
あれは子供の頃、近所の川にテグスが掛けられていた。
川鵜が鮎を食べてしまうからと、対岸までテグスを伸ばして、鳥よけの銀紙みたいな物を括りつけていたのだ。
あの時、太陽の光を受けたテグスが、今のように輝いていた。
《糸か?指から糸が・・・・、》
おそらく・・・・いや、きっと糸が光っているのだ。
星の灯りを受けて、あの時のテグスのように。
その糸は遥か高くへ昇っていき、夜空に吸い込まれるように消えていった。
そして次の瞬間、俺は我が目を疑った。
なんと糸の消えた夜空から、真っ白な竜巻が降りてきたのだ。
グルグルと渦を巻き、何かに引き寄せられるように地上へ迫ってくる。
「おい爺さん!」
「黙って見とれ!」
そんなこと言われてもたじろいでしまう。
まるで鳴門海峡の渦潮が迫ってくるような、えも言えぬ不気味で恐ろしい光景だった。
しかし渦が降りてくるにつれ、それが竜巻ではないことが分かった。
「・・・・なんだあれ?」
大きな大きな白い渦は、大木へめがけて降りてくる。
間近にそれが迫った時、ようやくその正体に気づいた。
「糸?いや・・・・これって・・・、」
「繭だ。」
爺さんの言う通り、空から降りてきたのは繭だった。
白い竜巻に見えたものは、糸が渦巻いているものだった。
大木まで降りてきた繭は、枝の先まですっぽりと覆い隠してしまう。
「行って来い。」
「え?」
「いいから。」
ドンと背中を押されて、真っ白に巻き上げられた大木へ突き飛ばされる。
すると・・・・、
「うおッ・・・・、」
なんと大木から糸が伸びてきて、グルグル巻きにされてしまった。
叫ぼうにも口が開かず、身動き一つ取れない。
呼吸さえ出来なくなって、《あ、死ぬ》と力が抜けてしまった。
《これ死ぬ・・・・ダメだもう・・・・、》
緊縛された上に呼吸を封じられる・・・・死以外に待っているものはないだろう。
子供の頃、ポケットに突っ込んだバッタが、どうして瀕死になっていたのかよく分かる。
死ぬことへのストレスは、命のロウソクをこれでもかと早めてしまうのだ。
《なんだよこれ・・・・ここで終わりなんて・・・・、》
怖いやら呆気ないやら情けないやら、家族に別れすら告げられないなんて、最悪の死に方だろう。
今までの俺の人生はなんだったのかと笑えてきた。
意識が朦朧としてくる・・・・。
どこかへ猛スピードで運ばれて行くような感じだった・・・・。
《俺、あの世へ逝っちまうんだな。》
行きつく先は天国か地獄か?
今日、俺はここで命を終えるのだ・・・・・。
と思ったが、なぜか突然息ができるようになった。
手足も自由に動いて、気がつけば糸がほどけていた。
「なんでいきなり・・・?」
呆然としていると、ふと子供のはしゃぎ声が耳をくすぐった。
顔を上げると大勢の子供たちが遊んでいる。
走り回ったり、ゲームをしたり。
「・・・・・・・・。」
俺は言葉を失う。
たくさん子供がいたからじゃない。
子供が遊んでいるその場所・・・・・というより、今俺が立っているこの場所は・・・・、
「枝の上?」
とてつもなく巨大な木があって、その枝の上に俺がいる。
下は雲海のように雲が流れていて、所々から根っこが覗いていた。
そんな光景が遥か地平の彼方まで続いている。
今までに見たこともないような神秘的な光景が、延々と続いていたのだ。
「なるほど・・・・。」
ボリボリと頭を掻きながら、ボソリと呟いた。
「天国へ来ちゃったよ。」

蝶の咲く木 第十一話 空に届く繭(1)

  • 2018.01.16 Tuesday
  • 12:03

JUGEMテーマ:自作小説

日本の街並みはどこも似たようなものが多い。
同じ店が増え、同じデザインの建物が並び、昔からそこにあった風情はなくなりつつある。
俺の会社がある街もそうだ。
ありふれた中核都市になってしまって、かつて城下町だった風情は絶滅しかけている。
あと10年もすれば、都道府県を47で分ける意味あがあるのか分からいないほど、旅行に行っても感動しなくなるかもしれない。
俺は全てが同じというのは嫌だ。
個性ある街並みが好きだ。
だから今日、ここへ取材に来られたことを感謝していた。
「いい場所じゃないか。」
人間ではないという少女に合う為に、新幹線と特急を乗り継いで、遠路はるばるやってきた。
降り立った駅は無人、電車はワンマン。
自動改札すらないこの状況に感動すら覚えた。
駅から出ると、新しい物と古い物が入り混じった景色が広がっていた。
駅周辺はそこそこ建物があるものの、遠くには民家や田んぼが並んでいる。
その向こうには背の低い山が連なり、やや右の方にいっとう高い山がそびえていた。
事前の調べによると、あの山へ向かう手前に川があるらしい。
かつては木蓮がたくさん咲いていたことから、木蓮川と呼ばれている。
その川の傍に、件の大木があるという。
少女によれば、大木の近くには古くから続く屋敷があるそうなので、すぐに分かるとのことだった。
とりあえず売店で飴を買い、口の中に放り込む。
駅は無人なのに売店には人がいるとは、なかなか面白い。
もっとこういう場所が増えれば、遠くへ出かけるのも面白くなるだろう。
コロコロと飴を転がしながら、目的の場所へ向かっていく。
ここもかつては城下町だったそうだが、その面影はしっかりと残っていた。
古びた木造の家屋、土壁の建物もある。
歌人の記念館に、かつて領主だった大名の菩提寺。
大通りから分岐する路地には、そのまま時代劇の撮影で使えるんじゃないかという風情が漂っていた。
「いい場所だな。」
仕事で来たことさえ忘れそうになる。
気持ちよく歩き続けていると、暢気な後輩からラインが届いた。
《その街って革が名産らしいっすよ。後で金払うんで、よさげなレザーの財布とかあったら買ってきてくれません?》
無礼極まりない内容だ。
いったいどっちが先輩だと思っているのか?
《もし見つけたらな。なかったら塩饅頭でも買って来てやるよ。》
すぐさま《それいらないっす》などと失礼な返信が来る。
せっかく気持ちよく散歩していたのになんという奴か。
・・・と思ったが、散歩気分で歩いている俺も大概だろう。
交通費だけでも4万を越す。取材は夜からなので、宿だって予約してある。気持ち良さなど吹き飛んでしまった。
財布を押さえ、どうか経費として落としてくれますようにと願う。
駅を振り返ると、ロータリーの中央に立つ大きな時計が、午後一時を指していた。
夜になるまでしばらくあるが、とりあえず約束の場所まで行ってみることにした。
途中までは大きな道が通っているので、ここを真っ直ぐ進めばいい。
10分ほどかけて歩くと、コンビニが建つ交差点が出てきた。
その向こうには大きな橋。
下には木蓮川が流れている。
一級河川に指定されているので、かなり大きな川だ。
それを挟んだ向こうの町並みは、こちらよりも城下町の風情が強い。
「たしかここを右だったな。」
橋の手前、川原沿いの細い道に入っていく。
視線を先にやると、すぼんでいく道の向こうに、例の大木らしき影が見えた。
「あれか。」
遠景を一枚と、ミラーレスの一眼でシャッターを切る。
画像を確認しながら、少し歩いてまた一枚。
その時、細い道の向こうから車がやってきて、路肩ギリギリまで身を寄せた。
俺の胸元くらいまである堤防に背を預け、車が通り過ぎるのを待つ。
「もうちょっと幅を広めればいいのに。」
思わず愚痴が出てしまう。
しかし向かいには歴史のありそうな木造家屋が並んでいる。
道路の拡張工事をしないのは、景観を守る為だろう。
風情が大事などと言いながら、俺自身も便利を望んでいることに気づかされる。
住みやすさと景観は別物。
旅先で景色を楽しめるのは、自分がその土地の者ではないからだろう。
人間ってのはいい加減なものだと自嘲しながら、大木へと近づいていった。
途中、川の方を振り向くと、さっきとは別の橋が見えた。
橋桁は真っ赤に塗られていて、まるで神社の鳥居を思わせる。
大きさはさほどでもなく、どうやら歩行者の為のものらしい。
川向こうまで伸びる橋の先には、自転車を漕ぐ爺さんがいた。
あの橋からならいい画が撮れそうだと思い、行ってみることにした。
中ほどまで歩き、そこから件の大木にレンズを向ける。
距離が近くなった分、先ほどとは違った画になる。
ズームレンズを最大まで伸ばし、圧縮効果(被写体と背景の距離が近くなる効果)で木を際立たせようと思った。
標準ズームなので大して望遠は望めないが、ボケ味は増すので引きの写真とは違った良さが出る。
液晶に映し出された大木は、枝の先までハッキリと見えた。
レンズ越しに観察していると、枝に一枚の葉がぶら下がっていることに気づいた。
今は冬、葉は落としているはずなのに・・・・と、不思議に思う。
とりあえずシャッターを切り、画像を拡大してみた。
「・・・・ん?これ葉っぱじゃないな。」
遠目だと葉に見えた物体が、実はまったく違うものだった。
「・・・・蝶かこれ?」
黒地の優雅な羽の根元に、白い模様が入っている。
おそらくクロアゲハだ。
しかしなぜ今の季節に?
この蝶がいるのは春から初秋にかけてだ。
冬にはまず見ない。
「まさかあの木から咲いたとか?」
あり得ないと思いながらも、疑ってしまう。
もう一度レンズを向け、蝶を確認してみる。
だがもうどこにもいなかった。
飛び立ってしまったのか?
「冬でも桜が咲くことはあるし、虫だって季節外れの奴がいるのかもな。」
カメラを下ろし、橋を降りようと戻っていく。
するとその時、目の前を何かが掠めていった。
「あ・・・・・、」
先ほどのクロアゲハが飛んでいた。
ふわふわと舞うその姿は、まるで空を踊っているかのよう。
蝶は俺の頭上へと舞い上がり、頭の上にとまった。
「・・・・・・・。」
言葉を失ったまま立ち尽くす。
普通、蝶は生きた人間には止まらない。
蝶がとまるのは死んだ人間だけと言われるほどだ。
それほど警戒心が強い虫が、あっさりと人の頭に座るなど、ちょっと考えられなかった。
人は恐れないわ、冬に飛んでいるわ。
なんとも珍しい奴だと思い、そっと手を伸ばした。
逃げる様子はない。
指先が触れても動じないし、つついてもじっとしている。
ふわふわと揺れる羽が指先を掠めた。
「なんだコイツ・・・・。」
そう弱っている風でもないので、飛び立つ元気がないわけでもないだろう。
面白いので写真に撮ろうと、カメラを向けた。
レンズをこっちに向けて、頭の上に運んでいく。
《逃げないでくれよ。》
心で呟き、シャッターに置いた指に力を籠める。
ミレーレス特有の、機械音だが電子音だか分からないような「カシュ!」という音が響く。
実際はレフレクターが無いのでただの電子音なのだが、機械式の音に似せるならもっとリアルにしてくれよと思うのは、俺がカメラマニアだからか?
カメラに愚痴をこぼしつつ、撮った写真を確認する。
そして・・・・液晶に映し出された蝶を見て、思わず「うおッ・・・」と叫んでしまった。
「なんじゃこりゃ?」
カメラに写ったのは蝶ではなかった。
羽は蝶そのものだが、身体が違う。
蝶は昆虫なので脚が六本ある。
しかし写真に写っている生き物は四本しかない。
しかも人間の手足によく似た形をしていて、やたらと細長い。
胴体も人間にそっくりだが、これも細長かった。
顔は人と虫を混ぜたような感じで、宇宙人のグレイのように目が大きい。
また人間の耳に当たる部分から、長い触覚のような物が生えていた。
見れば見るほど不思議な生き物で、カメラを持つ手が震えてくる。
「・・・・・・。」
無言のまま目を動かし、頭の方に視線をやる。
羽が動いているのがチラリと見えた。
・・・・どうしようか迷ったが、勇気を出して摑まえてみることにした。
そっと手を伸ばす・・・・。
するとその瞬間、奇妙な生き物は宙へ舞い上がった。
そして俺の手からカメラを奪い、慣れた手つきで弄りだす。
《え?なんでカメラを・・・・・、》
オカルト好きな俺だが、こういったものが現実に存在するとは思っていなかった。
ただ妄想が好きなだけで、夢の話を膨らませたいだけなのだ。
こいつは新種の生き物か?
それとも・・・・あの大木から咲いてきたとか?
巡る思考は答えを出せず、奇妙な生き物から目が離せない。
カメラを弄って何をしているのか?・・・・と思ったが、まさかと気づいた。
「おい!返せ!!」
手を伸ばすと、向こうから放り投げてきた。
慌てて落っこちそうになったけど、どうにか掴む。
「消したんじゃないだろうな!」
急いで確認すると、案の定だった。
さっきの写真がどこにもない。
その前に撮った枝にぶら下がっている写真も。
「お前なんてこと・・・・こんなスクープなのに・・・、」
こんな生き物に会えるチャンスなんてまずない。
もう一度カメラを向けると、いつの前にか消えていた。
「どこだ!?」
キョッロキョロ見渡すがどこにもいない。
「なんだったんだ今の・・・・・。」
しばらく捜し回ったが見つけられなかった。
あの奇妙な生き物はどこへ消えたのか?
「・・・・・・・・。」
俺は大木へと走った。
少女が言っていた通り、大木の向かいに大きな屋敷がある。
手前には白壁があって、屋敷を囲うように伸びていた。
「すごいな・・・・。」
江戸時代の豪農を思わせるような佇まいだ。
実際にこの土地の有力者が住んでいたのだろう。
こういう歴史ある建物は好きだが、今は見入っている場合ではない。
屋敷に背中を向け、道路の脇に立つ大木を見上げた。
・・・なんとも荘厳な木だった。
無数に伸びる枝は、下から見上げると空を覆い尽くしてしまう。
屋敷の方にも伸びていて、壁の向こうまで届いていた。
幹はどっしりと太く、俺が腕を回しても全然足りないだろう。
それに表面に刻まれた樹皮のでこぼこは、生き物の鱗のようにさえ見える。
根元の周囲はレンガに囲まれ、ここを通る車から守っていた。
そのせいで、ただでさえ細い道が余計に狭くなっている。
それでも撤去されないのは、個人の持ち物だからか?
それとも地元の人たちから大事にされているからか?
どちらにせよ、この大木には守るだけの価値があると感じた。
本当に蝶が咲くかどうかは分からないが、見ていて落ち着く雰囲気がある。
例えるなら、子供の頃、親の背中に守られていたような安心感があった。
しかしツイッターにあった写真のように、今は光っていない。
イルミネーション用のライトも装飾されていないし、あれはクリスマスだけのイベントなのだろうか?
「あいつここにいたんだよな。」
さっきの奇妙な生き物がいた場所を見上げる。
しかし特に変わった様子はない。
ただまっすぐ枝が伸びているだけだ。
ポンポンと木を叩き、数歩離れて眺める。
するとその時、「何しとんじゃ?」と後ろから声がした。
振り返ると腰の曲がった爺さんが立っていた。
チェックのポロシャツに、いい具合に色あせたジーンズ。
年の割りに派手な格好をしている。
「ポンポン叩かんでくれるか?」
「え?」
「その木、ウチのもんだ。」
「・・・ああ!お爺ちゃんの持ち物ですか。」
すいませんと頭を下げ、「立派だったものでつい」と笑う。
「すごい木ですね、これ。ずっと見ていたくなりますよ。」
営業スマイルを作って、怪しい者ではないと愛想を振りまく。
「思わず見とれちゃって。」
「・・・・・・。」
爺さんは何も言わずに睨んでくる。
俺は無言で圧力を掛けてくるタイプが苦手だ。
これなら石井さんのように文句を言ってくれる方がやりやすい。
「あの・・・・すいません、失礼でしたか?」
木を叩いたことを詫びると、「生き物だ」と言った。
「はい?」
「木だって生きとる。叩かれたら嫌だろ。」
「そうですね・・・すいません。」
相当怒っているようだ。
そんなに大事なら屋敷の庭に植え直すとかすればいいのにと思ったが、移動させるには大きすぎるのだろう。
これ以上ここにいても睨まれるだけ。
軽く会釈を残し、退散することにした。
「夜だろ?」
「え?」
「夜、ここに用事があるんだろ?」
唐突なことを言われ、「あの・・・・」と聞き返す。
「どうしてその事を?」
「この木に用がある人間はみんなそうだ。」
「みんな?」
「あんた・・・・子供さんを亡くしたんじゃないのか?」
「いえいえ!ちゃんと元気ですよ。」
「元気?じゃあなんでここへ来た?」
「なんでって・・・・、」
「そもそも今日はクリスマスじゃない。来ても意味ないんだがなあ。」
・・・・この爺さんは何を言っているんだ?
退散しようと思っていたが、こんな意味ありげなことを言われてはそうはいかない。
俺は名刺を取り出し、サっと差し出した。
「すいません、わたくしこういう者なんですが。」
「月刊アトランティス 円香拓・・・・。あんたなんかの記者さんか?」
「はい!宇宙人や幽霊や古代文明やオーパーツなんかを扱う雑誌です。」
「なんじゃそりゃ?」
「いわゆるオカルト雑誌です。超常現象とか未知の生物とか、そういった夢のある話をお届けする雑誌なんですよ。」
「夢のある雑誌?怪しげな雑誌の間違いじゃないのか?」
怪訝な顔で名刺を弄っている。
しかしこういう対応は慣れっこだ。
笑顔で迎えてくれる人の方が少ないし、時には名刺を突き返されることもある。
いちいち気にしていてはキリがない。
「実はですね、今日ここで人と会う約束をしていまして。」
また営業スマイルを振り撒く。
媚びを売ろうと手揉みも加えた。
「待ち合わせは夜なんですが、ちょっと下見に来た次第なんです。」
「下見?なんの?」
「夜にここで取材させて頂くんですよ。」
「誰に?」
「それはちょっと・・・・。個人情報なので。」
「それじゃあんたは待ち合わせの為だけにこの大木へ来たってのか?」
「ええ。」
努めてニコっと頷く。
すると爺さんは途端に冷めた顔をして、「なんじゃ」と名刺を突き返してきた。
「それならそうと早く言え。心配して損しちまっただろうが。」
「心配?」
「てっきり亡くなった子供に会いに来たのかと思ったんだ。
だが会えるのは夜だし、しかもクリスマスだけ。今来ても意味ないぞと言おうと思って出てきたんだが・・・・出て来て損したわい。」
背中を向け、腰が曲がっているとは思えないほどの速さでスタスタ去っていく。
「あ、ちょっとッ・・・・、」
爺さんは屋敷の門を潜ろうとしている。
慌てて引き止めて、「取材を!」と頼んだ。
「夜まで時間があるんです。その間まで是非お話を聞かせて下さい!」
「話って・・・なんの?」
「あの大木のですよ!さっき亡くなった子供がどうとか言ってたでしょ?あれどういう意味なんですか?」
「知らん。」
「知らんって・・・・自分で言ってたじゃないですか。」
「怪しげな雑誌の記者に答えることなんぞない!手え離せ!」
「どうか取材を!」
「警察呼ぶぞ!」
「取材費も出しますから!少ないけど・・・・、」
「そんなもんいらん。お前に話すことなんぞ何もないわ!」
意外と腕力のある爺さんは、あっさりと俺の手を振りほどく。
この世代は歳取っても元気だななんて、どうでもいいことを考えてしまった。
「とっとと帰れ。」
「あ!ちょっと・・・・、」
門を潜り、俺を締め出すように扉を閉じて行く。
このままでは話を聞けずに終わってしまう。
この爺さんは特別な秘密を知っているに違いない。断じて逃がすわけにはいかなかった。
どうにかして気を引けないものかと悩んでいると、ふとこんな言葉が出てきた。
「変な蝶を見たんです!」
怒鳴るようにそう叫ぶと、ピタリと爺さんの動きが止まった。
「さっきね、そこの木にぶら下がってたんですよ。最初は蝶かと思ったんですけど、よく見ると違うんです。」
門に足を踏み入れ、少しだけ扉を押し開ける。
爺さんは抵抗する様子もなく、だが受け入れる様子もないまま、視線で威圧してきた。
「すいません・・・あの・・・・出ます。」
一歩下がり、ギリギリ門の外に出る。
「最初は蝶かと思ったんですが、こいつで撮った画像を見てびっくりしました。」
首からぶら下げたカメラを見せる。
爺さんの表情が一段と険しくなった。
「画像を見てみたら、蝶とはまったく違った生き物でした。
羽は蝶なんだけど、身体が違うんです。なんていうか・・・・人間と宇宙人と虫をミックスさせたような姿でした。」
「・・・・・・・・。」
「ええっとですね・・・・アメリカの映画で「アビス」ってやつがあるんですけど、ラストで宇宙人が出てくるんですよ。
なんか妖精みたいな可愛らしい感じの。強いて言うならあれに似ていました。」
おそらく知らないだろうが、これ以外に適当な言葉が思い浮かばない。
案の定、爺さんは表情を変えなかった。
「新種の虫って可能性もあるけど、でもねえ・・・・そういう感じでもなさそうだったし。
せっかく写真に撮ったのに消されちゃうし。」
残念な顔をしながらカメラを見つめると、「消された?」と尋ねてきた。
「ええ、これ取られちゃって。ポチポチいじってるなあって思ってたら、画像を消してやがったんです。」
「そうか。ならもう写真は残っていないわけだな?」
なぜか安心した表情に変わる。
やっぱり・・・この爺さんは何かを知っているのだ!
「そうなんですよ・・・・。あ、でも復旧かければ復活するかもしれないけど。」
「復旧?」
「デジカメの写真って、パソコンで復旧できるんですよ。かなり高い確率で蘇るんです。」
「なんと・・・・、」
神妙に唸る爺さん。
めまぐるしく変わる表情の奥には、人には聞かれたくない秘密があるに違いない。
ならばここは、一にも二にも押すしかないだろう。
「今ね、俺パソコンを持ってるんです。このバッグに。」
年季の入った茶色い肩掛け鞄を叩く。
「もしよかったらお爺ちゃんも見ませんか?あんな珍しい生き物初めてですよ。絶対にテンションあがりますから。」
爺さんの顔がさらに強ばっていく。
心が揺れているようだ。
あと一発かませば落ちるかもしれない。
「さっきの変な生き物とあの大木、何か関係があるのかもしれない。だってあの大木って蝶が咲くって噂があるんでしょ?」
スマホをいじり、ツイッターにある例の写真を見せた。
すると爺さん、「なんで・・・・」と青ざめた。
「なんで写真なんかあるんだ!」
叫びというより、怒声に近い感じでスマホを奪い取る。
漫画みたいにブルブルと震え出し、スマホを持つ手も痙攣したみたいに落ち着きがなかった。
もはや青ざめるよいうより、血の気が引いているといった方が正しい。
何に怯えているのか分からないが、その顔は幽霊にでも出くわしたみたいに引きつっていた。

蝶の咲く木 第十話 燃える蝶(2)

  • 2018.01.15 Monday
  • 11:23

JUGEMテーマ:自作小説

噛み殺したはずのあくびが節操もなく戻ってくる。
顎が痛くなるほど口を開け、目をしばたいた。
低血圧のせいで、朝はいつも呪いにかかったような気分だ。
手足は重く、頭はなかなか目覚めてくれない。
今布団に転がったら、自分の力で起きることは不可能だろう。
特に冬はキツい。
二月の寒い朝は、いつでも俺を地獄へ突き落とそうとする。
それでも朝食をねじ込み、モソモソとスーツに腕を通す。
仕事に向かうべく、玄関で靴を履いていた。
そこへ今年二歳になる息子が、丁寧に見送りに来てくれた。
目が合うとニコリと笑ってくれる。
「じゃあな。」
頭を撫で、頬をプニプニと引っ張る。
奥から妻が出てきて、「バイバイ〜って」と息子の手を揺らした。
俺も手を振り返し、玄関の引き戸を開けて、名残惜しく家を後にした。
少し歩いてから立ち止まる。
振り返った我が家は、去年に買った中古住宅だ。
二階建てではあるが、実質一階建てに等しいほど二階は狭い。
六畳の部屋が一つあるだけで、申し訳程度のベランダが付いているだけ。
妻はもっぱら一階の縁側に洗濯物を干している。
到底満足できる家ではないが、マンションのように隣人に気を遣わないでいいのはありがたい。
それに息子が喘息持ちで、以前に住んでいたマンションからでは病院まで遠いのだ。
しかしここからなら徒歩でも行ける。
俺の通勤時間は長くなったが、電車で睡眠を取れると思えば悪くない。
「子供が大きくなる前に、もっと良い家に住めるようにしないとな。」
やりがいのない仕事も、子供の為だと思えばやる気が湧いてくる。
駅へ向かい、足りない分の睡眠を電車で補給してから、勤め先の出版社へ向かった。
通行人を避けながら、見慣れた景色に目を向ける。
辺鄙な地方都市だが、見栄えだけは良くしようとしているのか、やたらと店が増えてきた。
飲食店、アパレルショップ、三階建ての大きな電器屋に、スーパー銭湯や保険会社のビルもある。
節操のないほどあれこれと並ぶ建物は、見てくれだけでも都会に似せようとする、涙ぐましい努力の結晶かもしれない。
しかし残念ながらそこまで人口は増えていない。
20万人を超える中核都市ではあるが、今時こんな街はどこにでもあるだろう。
都会を装う田舎の街並みを尻目に、コンビニに立ち寄る。
飴をレジへ持っていき、店を出るなり口に放り込んだ。
以前は喫煙者だったが、息子が喘息持ちなのでやめた。
その際に飴を代替え品に選んだのだが、この習慣は今でも続いている。
会社へ着き、同僚に軽く挨拶して、上司の元へ駆け寄った。
「石井さん、昨日の件考えてくれました?」
そう尋ねると、面倒くさそうに手を振られた。
「あんな企画通るか。」
「どうして?けっこう面白いと思うけど。」
「どこが?蝶の咲く木ってなんだよ?」
「分かりません。それを調べるのが面白いんじゃないですか。」
「しかも情報源がツイッターときてる。信憑性もクソもないぞ。」
「元々そういう雑誌じゃないですか。アトランティスなんて馬鹿げた名前してんです。馬鹿なことやんないと読者も喜びませんよ。」
「そりゃウチの部はオカルト雑誌だがな。だからってなんでもいいってわけじゃないぞ。
どうせなら去年の暮れに話題になった、刑務所で焼け死んだ囚人をネタにしてくれよ。」
「あんなまともな事件を扱ってどうするんですか?オカルト雑誌の名が泣きますよ。」
「いやいや、まともとは言えんぞ。刑務所という外から隔離された特殊な状況で、人が丸焦げになってんだ。
部屋には鍵が掛かってたっていうし、同室の受刑者もそれは証言してる。」
「どうせ同じ部屋の誰かがやったんでしょ。刑務所ってイジメが多いって聞くし、その延長で焼き殺したんじゃないですか?」
「だが監視カメラの映像だと、受刑者は突然燃え上がったんだ。なんの前触れもなくな。
しかも燃えたのはそいつだけで、他の一切に火は燃え移っていない。寝ていた布団すら綺麗なままだったとさ。」
「知ってますよ。でもねえ・・・・どこまで信用していいのか。公務員って自分たちの不祥事は隠したがるでしょ?
もしも刑務所内で殺人なんか起きたら大問題ですよ。その燃え死んだ人、きっと他殺ですよ。
それを隠蔽する為に、警察が偽の映像をでっち上げたんです、きっと。」
「そんな面倒なことするか?いくらなんでもバレるだろ。」
「いやあ、分かりませんよ。刑務所なんて外の人間は立ち入れないでしょ。
いくらでも誤魔化すことが出来るんじゃないですか?
だいたい人が一人焼け死んだのに、一つも燃え広がってないってのがおかしいじゃないですか。
すぐに消し止めたとしても、布団くらいは焦げてるはずでしょ?」
「だから良いネタになるんだろうが。その謎をオカルトっぽく仕立て上げてくれよ。
そうすりゃウチの読者は喜ぶんだ。お前そういうの得意なんだから。」
「出来れば遠慮したいんですが・・・・。」
「どうして?絶対に読者は喜ぶぞ。」
「俺ね、あんまりそういったネタは扱いたくないんです。だって暗いじゃないですか、人が一人亡くなってるのに。
それよりも夢のあるようなネタをですね・・・・、」
「夢より人の不幸が売れるんだ。不謹慎だって分かってたって、読みたがるのが人間ってもんだよ。
お前は何年雑誌作りにやってんだ?」
ペンを向けられ、馬鹿にしたような目で睨まれる。
「今度のネタはこれでいってくれ。とにかく面白くしてくれりゃいいから。
UFOだろうが宇宙人だろうが幽霊だろうが超能力者だろうが、なんでも結びつけてさ、人間の仕業じゃない風に仕立てるんだ。
妄想大好きなお前ならきっと出来る。」
「はあ・・・・。」
「なんたってウチに勤めて10年、一切この部署から移動してないんだからな。
せめてここではしっかり仕事してくれよ。」
遠まわしに無能と罵られる。
まあ慣れっこではあるが、腹が立たないといえば嘘になる。
「分かりました」と睨みつけ、不機嫌に自分のデスクへ向かった。
無言のままパソコンを開き、真っ白なワードの画面を睨みつける。
《なんでもいいってんならそうしてやるよ。妄想だけで書き散らしてやる。》
仕上がった記事が悪くても俺のせいじゃない。
頭に浮かんでくる適当な言葉を、適当な考えで仕上げていった。
すると隣に座っていた松永という後輩が、「また怒ってんすか?」と苦笑した。
「週に一回は石井さんと喧嘩してますよね。」
「したくてやってんじゃないよ。」
「疲れないっすか、毎回毎回。」
「疲れる。」
「あの人この部署から出たがってますからね。ここに異動が決まった時、マジで辞めようか悩んだらしいっすよ。」
「辞めちまえばよかったのに。」
「それに近いようなことを本人の前で口にするから揉めんすよ。円香さんっていま幾つでしたっけ?」
「29。」
「じゃあ歳の割りには子供っぽいすよね。もちっと上手くやればいいのに。」
「25にもなってアニメのTシャツ着てる奴に言われたくねえよ。」
鬱陶しい隣人を無視して、カタカタとキーボードを叩く。
あの石頭の言う通り、俺は妄想だけは得意だ。
好きに書いていいのなら、いくらでも筆は進む。
仕上がりの出来は保証しないが。
「お!これかあ。」
松永がスマホに向かって頷いている。
またアニメでも見てるのかと思ったら、「ほら」と俺の肩を叩いてきた。
「なに?」
不機嫌に睨むと、「これでしょ?例のやつ」と言った。
「さっき言ってたやつ、ツイッターが情報源とかいう。」
「・・・・・おお!そうそう、これこれ。」
松永が見ていたのは、俺がネタにしようと思っていたツイートだった。
蝶の写真をアイコンにしていて、短い文字でこう書いてある。
《○○県○○市に流れる木蓮川という傍の大木には蝶が咲きます。とても綺麗ですよ。》
そう書かれた文の下には、インスタグラムへのリンクが貼ってある。
ここを踏むと、ツイートにある通り、蝶の咲く木の写真が出てくるのだ。
四方八方へ枝を伸ばした大きな木に、LEDのライトと思われる装飾が施してある。
撮影したのは夜のようで、真っ暗な空をバックに、木の至る所が輝いていた。
《去年のクリスマスに撮りました。》
写真の下にはそう書かれている。
大木に輝く光は、蝶によく似ている。
ふわふわと羽ばたき、今にも飛び立ちそうだ。
「けっこう綺麗っすね。」
「だろ?クリスマスってのがまたいいんだよ。」
「でもどう見てもイルミネーションでしょ、これ?」
「分かってるよ。だけど夢があるじゃないか。こういうのをもっと記事にするべきなんだよ。
クリスマスに咲く光の蝶。子供が喜ぶぞ。」
「オカルト雑誌を子供が読むかなあ?」
「俺は読んでた。ムー大陸とかオーパーツとか好きでさ。寝る前に色々想像してたんだ。」
「今もやってそうっすね。」
「たまにな。さすがに子供が出来てから減ったけど。」
「やっぱ大人になるもんすか?子供が出来たら。」
「喘息持ちなんだよ、うちの子。」
「ああ、そういや前に言ってましたね。」
「けっこう酷くてさ。落ち着いてる時はいいんだけど、酷い時は救急車呼んだりさ。
寝てる時になることもあるから、油断できないんだよ。」
「へえ、大変すね。」
他人事丸出しの感じで言って、スマホの写真に見入っている。
「これ、もっと近い場所なら行ってもいいんすけどね。○○県はちょっと遠いっすよ。」
「クリスマスってのがロマンチックだよな。俺も嫁さんと子供と一緒に行きたいよ。」
興味はあるが、没になったネタの話をしてもしょうがない。
妄想を膨らませながら、丸焦げになった囚人の記事を仕上げていった。
その時、松永がふとこんなことを呟いた。
「可哀想っすね、その人。」
「ん?」
「今書いてる記事、あの囚人のやつでしょ?刑務所で丸焦げになってた。」
「ああ。」
「ネットでもすげえ話題になってましたよ。あれ、結局事故ってことになったんすよね?」
「俺は他殺と睨んでる。」
「その可能性は薄いでしょ。だって外から人が入れるような場所じゃないし、同じ部屋の囚人がやったならすぐバレますよ。
だから自殺じゃないかって俺は思ってるんす。」
「焼身自殺か。何か訴えたいことでもあったのかな?刑務所内でイジメを受けてたとか。」
「あとは冤罪とかね。でもなあ・・・・なにもクリスマスに死ななくてもいいのに。」
「意外と増えるらしいぞ、自殺。」
「そうなんすか?」
「楽しいイベントがある時ほど増えるらしい。どん底まで落っこちた自分に、余計に絶望するんだと。」
「じゃあやっぱり可哀想っすね、その人。」
そう言いながら、「こっちはすげえロマンがあるのに」とスマホを睨む。
「片や人が死んで、片やお伽話みたいな綺麗な木。クリスマスでも色々っすね。」
しみじみと感慨を噛み締めて、勝手に頷いている。
いい加減仕事しろと言おうと思ったが、あることを思いついて、俺の手も止まった。
「・・・・・・・。」
「どうしたんすか?」
「そうだよ、どっちもクリスマスなんだ。それも去年の。」
「ねえ、クリスマスっていっても色々っすよ。楽しんでるカップルもいれば、一人寂しく過ごす奴もいますから。」
松永の感想はもっともで、クリスマスだからといって、誰もが同じような時間を過ごすわけじゃあない。
俺だって二十歳で初めて彼女が出来るまで、ロマンあるクリスマスなど過ごしたことはなかった。
だが今はそんなことどうでもいい。
パソコンの画面に向き直り、一心不乱にキーボードを叩いた。
執筆速度には自信があるので、ものの数分で記事を仕上げる。
それを石井さんのデスクに持っていくと、「なんだこりゃ?」と顔をしかめられた。
「さっき頼まれた記事です。」
「んなこた分かってる。なんでお前がネタにしたがってた蝶が出て来るんだ?」
そう言ってプリントアウトした記事を叩いた。
「このネタは没って言ったろ?」
「はい。でもなんでも結びつけていいと言われたので。」
「だから自分がやりたかったネタをねじ込んだのか?」
「それ、どっちも去年のクリスマスのことなんです。だったら下手にUFOだの幽霊だのを絡めるより、そっちの方がリアリティがあると思いまして。」
「リアリティねえ・・・・。」
渋い顔をしながら、どしたもんかといった顔で記事を読み返している。
俺が書いた記事の内容はこうだ。
《クリスマスになると、人々の魂が蝶になって戻ってくるという木がある。
もし運良く蝶が咲く瞬間に出くわせば、亡くなってしまった親しい人物に会えるという。
この木がある土地には、古来から言い伝えがあり、イスラエルから渡ってきた十支族のうちの一つが、古代文明を築いたというのだ。
他説もある。シュメール人の末裔が暮らしていたのではないかとも言われているのだ。
シュメール人といえば、当時では考えられないほど高度な文明を持ち、いつの間にか歴史から姿を消した謎の民族である。
この民族はやたらと目が大きく、あまりの知能の高さから、宇宙からやってきたのではないかという説もあるほどだ。
そんな言い伝えがあるこの土地には、間違いなく不思議な力が宿っている。
実は去年のクリスマス、この木に蝶が咲くのと同じ頃に、ある事件が起きた。
○○刑務所で起きた囚人の焼死である。
警察は事故死と処理したが、詳しい説明は行っていない。
ここから先は筆者の推察だが、囚人の死と蝶の咲く木は、なんらかの関係があるのではないか。
蝶の咲く木の情報源となったツイートには、去年のクリスマスに撮影したと書かれていた。
そして囚人の謎の焼死も去年のクリスマスだ。
果たしてこれは偶然だろうか?
同じ年の同じクリスマスに、このような出来事が重なるものだろうか?
焼死した囚人はとても不思議な死に方をしている。
燃えたのは本人だけで、他の一切に火は燃え移っていないのである。
哀れな骸となって発見された囚人は、布団の中で丸くなっていた。
もし布団の中で燃えたのならば、どうして焦げ跡すら残らないのか?
外部で殺害され、再び部屋へ戻されたという可能性もあるが、刑務所という特殊な状況では、その可能性は限りなくゼロに近いだろう。
我々の常識を超えた不思議な力が働いたと考えるのが妥当ではないだろうか。
蝶の咲く木は死者を呼び寄せる未知の力を秘めている。
ならばその逆も可能かもしれない。
人の魂を呼び寄せることが出来るのだから、人の魂を奪うことも可能なのではないか?
もしそうだとするなら、あの囚人は・・・・・と考えてしまう。
全ては筆者の推察であり、想像の域は出ていない。
しかし偶然に重なった出来事とも考えにくい。
月間アトランティスは、今後数回に渡ってこの真実を追い求めていきたいと思う。》
我ながらいい出来栄えだ。
「どうですか?」と胸を張る。
石井さんは苦虫を噛み潰したように、「お前は・・・」と口を開いた。
「どうして10年もここに閉じ込められてるのかよく分かる。」
「妄想が得意なもので。」
「そうだな。ここに閉じ込めておく以外に方法がない。他の部署へ移ったら、お茶くみくらいしか仕事がなさそうだ。」
俺の記事を丁寧に折りたたみ、紙飛行機を作る。
そいつをヒュっとゴミ箱に投げた。
「没ですか?」
「いいや、お前と同じ妄想病を抱えた奴が読むにはちょうどいい。」
「お言葉ですが、読者を馬鹿にするような言い方は慎まれた方がいいかと。」
「・・・・そうだな。なんでもネットの時代だ。どこからどう漏れるか分からん。」
そう言って松永を睨む。
スマホをいじっていた彼は、ギョッとした様子でこちらを見た。
「好きなように書けと言ったのは俺だ。これでいけ。」
「ありがとうございます!」
ガバっと頭を下げ、「つきましては・・・」と上目遣いになる。
「取材に行かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「取材?」
「件のツイートをした方にアポを取ろうかと。」
「バカ言え。妄想の記事に裏付けなんかいるか。」
「でもさっきはこのネタで行けと。」
「記事を許可しただけだ。どうしても取材したいなら自腹でやるんだな。」
「・・・・いちおう領収書はもらってきます。自分で経理に出してきますんで。」
「天引きされるだけだぞ?」
鼻で笑って、シッシと追い払われる。
自分のデスクに戻る途中、「バイトならクビに出来たのに」と嫌味が飛んできた。
「またやっちゃいましたね。」
椅子に座るなり松永がからかってくる。
「そうやって正面からぶつかるから揉めるんすよ。」
「あのオヤジはこの仕事を馬鹿にしてる。」
「え?円香さん本気でやってたんすか?」
「お前は違うのか?」
「いやあ・・・・怠けてるわけじゃないっすけど、本気でやる仕事でもないかなって。」
「うん、俺も適当だ。オカルトじみた話は好きだけど、働くのは嫌いなんだ。独身だったらあのオヤジを蹴飛ばして辞めてるかもな。」
石井さんはイライラした様子でタバコを吹かしている。
ああやって焦るのも、早くこの部署から出たいからだ。
とにかく数字を上げて、元いた経済誌に戻りたがっている。
なぜならこの出版社で唯一花のある仕事だから。
しかし記事のOKはもらうことが出来た。
あとはとにかく夢のある形に仕上げたい。
その為には取材は欠かせないだろう。
「なあ松永、さっきのツイッターの人にDM送ってくれないか?」
「会うんすか?」
「うん、実際に話を聞いてみたい。」
「ならツイッターでやりゃいいじゃないですか。」
「そいつで取材やれってか?」
「会いに行く手間も省けるし、経費だって掛からないっすよ。前の部署でゲームの攻略本作ってた時、そうやって取材してましたから。」
「なるほど・・・・それならいちいち領収書もいらないな。」
「でしょ?ネットの取材がダメだなんて、年寄りの考えっすよ。獄中の人を取材する時だって、手紙でやり取りとかあるし。」
「俺はダメだなんて言ってないぞ。便利そうだからそうする。」
いいことを教えてもらったと、早速DMを送ってもらう。
時代は変わったのだ、こんな便利なツールを使わない手はない。
そもそも俺たちの書いてる記事は、真実かどうかは重要ではない。
どれだけ読者に夢を与えられるかどうかが大事なのだ。
そういう意味では、石井さんが言ったように裏付けを取る必要はない。
だが稀に向こうから会いたいと言ってくることがある。
記事を読み、わざわざ電話を掛けてくるのだ。
直接会いたいと言ってくるのは、若い人が多い。
特に学生だ。
若者にとっては、友達に自慢できる良いイベントなのだろう。
これがタチの悪いおっさんやおばはんになると、取材費と称して手の平を向けてくることがある。
相手が有名人ならともかく、どこの誰だか分からない相手に、いちいち金を払う余裕などない。
会う際は注意が必要だ。
「なあ松永、もし向こうから会いたいって言ってきたら、金は払えないってちゃんと伝えてくれ・・・・、」
そう言いかけた時、松永は「早ッ!」と叫んだ。
「何が?」
「ツイッターでいいんで取材に答えてくれませんかって言ったら、会って話したいって。」
「マジか?」
「出来れば家まで来てほしいって。」
「どこ住み?」
「ええっと・・・ちょっと聞いてみます。」
ポチポチいじって、また「早ッ!」と叫んだ。
「こいつすぐ返してくるな・・・・。2秒くらいで返ってきましたよ。」
「暇なのかな?」
「暇でも早すぎでしょ。ええっと・・・・ああ、けっこう近いみたいっすよ。」
「どこ?」
「○○町の小学校の近くらしいっす。」
「おお、近いな。こっから車で20分くらいだ。」
またえらく近くに住んでたもんだと、ちょっと感動する。
北海道だの沖縄だのと言われたら、財布の心配をしないといけないところだった。
松永は「また来た」と画面を睨む。
「もし会ってくれるなら、小学校の傍まで来てくれたら迎えに行きますって。」
「じゃあ決まりだな。予定の良い日を聞いてくれ。」
「いつなら予定が空いてますかっと・・・・・・て、早ッ!1秒かかってないすよこいつ。」
真剣な目で睨みながら、「すげえな」と唸っている。
「返信の達人っすよ。どうやって打ってんだか。」
「きっと器用なんだよ。」
「そういうレベルじゃないでしょ。指の動きの限界を超えてると思うんすけど・・・・。」
「で、いつならいいって?」
「特に予定はないので、そちらの都合で構いませんって。」
「そうなの?だって仕事とか学校とかは?」
「さあ?主婦なんじゃないすか?」
「だったら逆に都合つきいくいだろ。子供とかいたら大変だぞ。」
「じゃあ子供のいない主婦なんじゃないっすか?」
「だからっていつでも空いてるわけないだろ。」
返信はすぐにくるし、予定はないという。
これはもしかして・・・・、
「子供か?」
「え?でもだったら学校があるんじゃ・・・・、」
「登校拒否とかさ。」
「ああ、なるほど。」
「だとしたら俺も気持ちがわかるんだよ。俺さ、昔っから妄想好きの子供だったから、学校でも浮いててさ。
ちょっとしたイジメに遭ってて。」
「すげえ想像つきます。会社が会社なら、大人になってからもイジメられてそうですもんね。」
「自分でもそう思う。ちょっとその人に聞いてみてくれないか?もしかして子供ですかって。」
「いいっすけど、子供だとまずいんすか?」
「だってお前、もし子供だったら親に許可取らないといけないだろ?知らないおっさんが会いにいったら通報もんだよ。」
「オカルト雑誌のおっさんが来たら、確かにそうなりますね。」
「自分でおっさん言うのはいいけど、4つ下のやつにおっさんとは言われたくない。いいから聞いてくれ。」
松永はまたメッセージを打つ。
しかし今度は「早ッ!」とは言わなかった。
「どうした?まだ返ってこないのか?」
「おかしいっすね、さっきまですぐだったのに。便所かな?」
画面を睨みつつ、しばらく待つ。
すると数分後にこんな返信が・・・・・。
「おいこれ・・・・。」
「あ〜・・・・こいつヤバイっすね。」
俺も松永も眉を寄せる。
なぜならこんな返信が来たからだ。
《私は子供じゃありません。大人でもありません。そもそも人間でもありません。》
顔を見合わせ、二人してしかめっ面になる。
「これ痛い感じの奴っすね。どうします?」
「う〜ん・・・どうしよう?」
「もうちょっと踏み込んでみますか?」
「そうだな。だったら何者なんですかって聞いてくれ。あと名前と歳も。」
「了解っす・・・・・って、今度は早ッ!」
打つのとほぼ同時に返信がくる。
たしかにこれは早すぎる。
「これ、人が打つにしては・・・・、」
「ねえ?きっとあれっすよ。あらかじめ文章を用意してるんすよ。」
「そんなこと無理だろ。何質問してくるか分からないのに、なんで先に用意できるんだよ?」
「確かに。」
アホなやり取りをしながら、返ってきた文字を睨む。
《人間だった者とだけ言っておきます。名前は遠野真鈴。下はまりんって読みます。人間だった頃の歳は13歳です。》
13歳・・・これが本当なら子供なわけだが・・・・、
「松永、なら今は何歳ですかって?聞いてくれ。」
「え?まだ踏み込んすか?」
「だって気になるだろ?」
「やめといた方がいいんじゃないっすか?こういうのオッサンが成りすましてる可能性もあるし。」
「かもしれないけど、だったら追求すればボロが出るかもしれないだろ?」
「んじゃちょっと意地悪な聞き方してみますか?」
「どう聞くかは任せる。」
おそらくはただの頭の痛い奴だろう。
しかし興味がそそられるのも事実で、この人物のことを詳しく知りたかった。
松永はポチポチとスマホをいじる。
返信はすぐに来ないようで、興味津々に待った。
「なんて送ったんだ?」
そう尋ねると、ニヤっと画面を見せつけた。
《直接会って詳しく話を聞きたいのですが、その前に確認しなければならないことがあります。
もしあなたが嘘をつかない人なら、取材協力費として50万をお支払い致します。
しかし虚をつかれた場合は一切の報酬をお支払い致しません。
また我々の職務を妨害したとみなして、法的措置も辞さない場合があります。
あなたが信用に足る人物であるかどうかを確かめる為、今からの質問に正直にお答え下さい。
あなたの年齢は幾つですか?
男性ですか?女性ですか?
人間ではないとのことですが、今までに精神科に罹られたことは?》
なんともいえない文章を見せられて、「お前なあ・・・」と呆れる。
「ちょっとどころの意地悪じゃないだろ?こんなもん脅しと一緒だぞ。」
「だからいいんじゃないっすか。もし少女に成りすましのオッサンだったら乗ってこないでしょ。」
「・・・・もし本当に13歳の女の子だったら?その50万は誰が払うんだよ?」
「そりゃ円香さんでしょ。」
「なんで俺なんだよ!」
「そんな心配しなくても。どうせ頭のイカレタ奴のイタズラですって。」
無神経に笑うその顔、一発ぶん殴ってやりたくなる。
「お!返ってきた。」
俺の怒りもよそに「ほらほら!」と喜んでいる。
「やっぱ頭のおかしな奴ですよ。」
「どれ・・・・、」
画面を覗き込むと、そこにはこうあった。
《本当に人間ではありません。名前も年齢も全て真実です。人間だった頃は中学一年でした。性別は女です。
本当はもっと詳しく話したいんだけど、それが出来ない事情があるんです。
もし私を取材して嘘だと思うなら、訴えてもらっても構いません。
私は嘘なんてついてないし、会ってもらえるなら正直になんでも話します。
お金もいりません。私の話を聞いてもらえるならそれで充分です。》
意地でもその設定を変えるつもりはないらしい。
松永の意地悪にも乗ってこないし、こりゃあどうしたもんか・・・。
「お、また返信が・・・、」
「見せろ!」
スマホを奪う。
そこにはほんの少しの追加情報と、落ち合う場所の変更があった。
《ちなみに人間でなくなってからの年齢は10歳です。合わせると23なので、今はもう大人です。
色々と私のことを疑っているみたいなので、合う場所を変更させて下さい。
待ち合わせは○○県○○市に流れる木蓮川。その傍にある大木まで来て下さい。》
待ち合わせ場所の変更は構わない・・・・だがその場所は蝶の咲くあの木ではないのか?
「これ、やっぱイタズラですよ。もうほっときましょ。」
スマホを返せと手を向ける松永。
だが俺は「ちょっと待て」と止めた。
「また返信が・・・・。」
画面を睨むと、どれどれと松永も覗き込んできた。
《あなたの名前を教えて下さい。》
無論と思い、円香拓と返信する。怪しげな雑誌を作っている編集者の肩書きも添えて。
《分かりました。じゃあなるべく近いうちに待ち合わせ場所まで来て下さい。
ちなみに私が人間だった頃、みんなからは「なつ」と呼ばれていました。
真鈴(まりん)って名前が海っぽいからそんなあだ名になりました。
あともう一つ。
これは絶対に他言無用でお願いしたいのですが、私は恨んでる人間に復讐をしたことがあります。
自分の手でやったわけじゃないけど、そうしてほしいとお願いしたのは私です。
まだ私が人間だった頃、私に酷いことをした人がいたんです。
人間じゃなくなって10年経ってからも、その人を恨む気持ちは消えませんでした。
私が復讐を選んだせいで、その人は死にました。
直接この目で見ていないけど、きっと丸焦げになったと思います。
ツイッターで話せるのはここまでです。
もっと詳しい話は実際に会ってからにしましょう。
日にちはいつでもいいです。
ただし時間は夜になってからでお願いします。
蝶の咲く木で待っていますね。》

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