稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第四話 あの日のこと(2)

  • 2018.08.16 Thursday
  • 13:21

JUGEMテーマ:自作小説

薄汚れた白い壁、鍵の壊れたロッカー、座っただけでギシギシと軋むパイプ椅子。
カバーが壊れて蛍光灯がむき出しのライト、時間を合わせても次の日には必ず5分遅れている壁掛時計。
ここはハリマ販売所の事務所。
俺がいた頃と何一つ変わっていない光景に、奇妙な安心感を覚えていた。
「懐かしいな・・・・。」
しみじみと眺めていると、箕輪さんが「どうぞ」とお茶を淹れてくれた。
「あ、いや!お構いなく・・・・、」
「私は店の方のいるんで。何か用があれば呼んで下さい。」
ペコリを頭を下げ、事務所から出ていく。
今ここにいるのは俺、伊礼さん、そして北川課長・・・・じゃないや、部長の三人。
昔なら『冴木!さっさと課長にお茶淹れな!』と箕輪さんが怒っていたはずだが、今日は怒号一つなかった。
あの頃はなんて乱暴な先輩かと思っていたけど、いざ怒られないようになると寂しく感じてしまう。
《やっぱりもう昔みたいにはいかないよな。》
俺のしでかした事を考えれば当然だけど、あの頃が懐かしいと思う気持ちも本物だ。
ズズっとお茶をすすりながら、部長と伊礼さんとを交互に見つめた。
《聞いてないよこんなの・・・・。》
店が営業していたのは・・・まあいい。
俺がいない間にシステムが変わっただけなんだから。
けど・・・・、
《どうして部長までここに・・・・。》
これはイカンでしょう、これは。
いま俺が一番顔を会わせたくない人なんだから。
嫌いだから会いたくないんじゃない。
好きだからこそ会いたくなかったのだ。
散々お世話になって、散々迷惑掛けて、それでも支えてくれて、なのに最後は信用を裏切る形になってしまって・・・・。
査問委員会のあの日、鉄みたいな表情で淡々と進行していたのを忘れることは出来ない。
俺は一番大事な人まで傷つけてしまったのだ。
だったらやるべき事は一つしかない!
「かちょ・・・・いや、部長!」
膝をつき、「申し訳ありませんでした!」と頭を床にこすりつける。
「俺は最低なクズ野郎です!たくさんの人を裏切って、その上・・・・かちょ・・・いや、部長の信頼まで踏みにじって!
社長になった後も数え切れないくらい支えてくれたのに・・・それなのに俺って奴あ!」
こうして会えるなんて思っていなかったので、ありきたりな言葉しか出てこないことにもどかしさを覚える。
今日ここで会えると分かっていれば、三日三晩徹夜で謝罪の言葉を考えてきたのに!
「ほんとに・・・・ほんとにすいませんでした!」
許してもらおうなんて思っていない。
ただこうしないと俺自身が納得出来なかった。
会社を去ったあの日から、部長のことを忘れた日は一日たりともないのだ。
いま何をしていて、元気にやっているんだろうかと、そんな事ばかり考えていた。
出来ればもう一度会いたいなんてワガママさえも・・・・、
「冴木君。」
部長の足音がすぐそこまで近づいてくる。
一気に身体が強張って、標本にされた虫みたいに動くことが出来なかった。
「顔を上げて。」
そう言いながら俺の手に触れてくる。
ああ、なんて柔らかくて温かい・・・・なんて思ってる場合じゃない!
こんな時にまで何を妄想しているのか!
「部長!ほんとに・・・ほんとにすいませんでした!」
「それはもう分かったから。お願いだから顔を上げて。」
二度も言われてはそうするしかない。
ここで拒否したらそれこそ失礼である。
「・・・・・・・・。」
ゆっくりと頭を持ち上げ、部長の顔を見つめる。
するとなぜか「ごめんね」と言われた。
「謝らなきゃいけないのは私の方よ。」
「・・・・へ?いや、なんで部長が・・・・、」
「まだ部長じゃないわ。部長補佐。」
「すいません・・・・。」
可笑しそうに笑って、すぐに真顔に戻る。
「確かに冴木君は不正を働いた。それは許されることじゃないわ。」
「はい・・・・。」
「けど私利私欲の為にやったわけじゃないって分かったの。」
そう言って伊礼さんを振り返り、「ですよね?」と同意を求めた。
「ええ。冴木が賄賂を受け取ったことは事実ですが、そこにはどうも裏があるように思いましてね。
査問委員会のあと独自に調査をしてみたんですが・・・・ビンゴでした。」
パチンと指を鳴らす。またキザなことを思ったけど、似合っているから悔しい。
「冴木、俺がかつて探偵だったことは話したよな?」
「はい。すごく優秀だったって。」
「優秀かどうかは知らんが、調べ物をするのは得意だ。
だからお前が会社を去ってから、俺なりに不正の件を調べてみたんだ。
するとちょっとばかしキナ臭い事実を掴んでな。」
「キナ臭い・・・・?」
「お前が賄賂を受け取っていたのはカマクラ家具の重役からだよな?」
「はい。専務の瀞川さんって人です。」
「それと取締役の安志。間違いないな?」
「・・・・はい。」
「実はな、俺の調べによると、この二人はかつてカグラにいたことがあるんだよ。」
「へ?カグラに・・・・?」
「その時は別の名前だったようだ。」
「別の名前って・・・偽名ってことですか。」
「ああ。どちらが本名かは知らんが、カグラにいたことは事実だ。」
「そう・・・・なんですか?けどそれがどうかしたんですか?別に転職するなんて珍しいことじゃないでしょ。」
「まあな。しかし更に調べていくと理屈に合わないことが出てきてな。」
もったいぶった言い方をしながらタバコを咥える。
ガラっと窓を開け、外に向かって煙を飛ばしていた。
「あの、ここ禁煙らしいですよ。」
「いつから?」
「分かりませんけど・・・進藤って奴が言ってました。」
「あの野郎、それならそうと教えろってんだ。」
懐から携帯灰皿を取り出し、ギュギュっともみ消している。
「それでキナ臭い事実っていうのは?」
「ん?ああ・・・実はな、瀞川と安志がカグラの社員だった頃、技術部門にいたんだよ。」
「技術部門・・・・。」
「瀞川はそこの主任、安志はその補佐をしていた。」
「へえ・・・てことはエンジニアだったんですね。」
「ああ、それもかかなり優秀だったらしい。何せ今までにない画期的な技術を生み出しんだからな。」
「画期的な技術ですか。」
興味をそそられ、「どんな技術ですか?」と尋ねた。
すると伊礼さんはニヤリと笑った。
「何が可笑しいんですか?」
「お前がこれを聞いたらどんな顔をするかと思ってな。」
「え?ちょっと待って下さい。俺にも関係する話ってことですか。」
「もちろんだ。その二人が開発した技術の名はプラズマカッター。高品質、高性能、そして量産性に優れる画期的な木材加工技術さ。
こいつのおかげでカグラは売上を伸ばしたんだからな。」
タバコの箱をしまい、代わりに禁煙パイポを咥えている。
そいつを棒付きの飴みたいに弄びながら、ニンマリと俺の顔を見つめた。
「・・・・・・・・。」
「お、いい顔するな。」
嬉しそうに声を上げて笑う。
けど俺は決して笑えない。
だって・・・・だってだって!
「ちょっと待って下さい!」
ガバっと立ち上がって詰め寄る。
「今なんて言いました!?」
「ん?」
「プラズマカッターって言いましたよね!」
「ああ。」
「高品質、高性能、そして量産性に優れるあの!」
「そうだ。」
「それ俺が横流しした技術じゃないですか!」
「そうだな。」
「そうだなって・・・・おかしいでしょそれ!」
そう、これはおかしいのだ。
だって・・・・だってだって!
「お、放心って面してるな。」
「笑い事じゃないですよ!俺は賄賂の見返りとしてその技術の情報を流したんですよ。なのに・・・・、」
「おかしいよなあ。人から教えてもらわなくて元々知ってるのに。いったいなんの為の賄賂なんだか。」
「そうですよ!カグラを辞めてカマクラ家具に行ったなら、その技術は向こうだって知ってるはずです。
なのにどうして賄賂を渡してまでそんなことを・・・・。」
「だから言ったろ、理屈に合わないって。」
「・・・・伊礼さんの調べ間違いとかは?」
「ん?」
「馬鹿にするわけじゃないけど、伊礼さんだって人間でしょ。いくら優秀でも調べ間違いってことがあるんじゃないかと。」
そう言うと呆れたように肩を竦めながら、机の上に置いていた鞄を引き寄せた。
ゴソゴソと中を漁り、「ほれ」とB4サイズくらいの茶封筒を投げ寄こした。
「なんですかこれ?」
「言ったろ、事実を掴んだって。」
「・・・・・・・。」
恐る恐る中を確認してみる。
すると・・・・、
「これは・・・・、」
「カグラの社員ファイルだ。」
「これ・・・・瀞川さんと安志さんのやつですか。」
「ああ。二人のデータをプリントアウトしてきたものだ。」
ザっと目を通してみる。
確かに二人はカグラの社員だったようだ。それも技術部門の。
伊礼さんの言う通り名前も違っている。
瀞川専務は祝田仁(はふりだじん)、安志取締役は大川広志となっている。
プラズマカッターのことも載っている。
今から10年前、高品質、高性能、そして量産性に優れる素晴らしい技術を開発したと。
「ほんとにあの人たちが生み出した技術だったんだ・・・・。」
「これでも俺の間違いと言うか?」
「で、でも!どうして今まで誰も気づかなかったんですか?査問委員会の時はまったくこんな話題は出てこなかったのに。」
「それはカグラの連中がファイルを破棄してたからさ。」
「破棄?」
「本人たちはファイルデータを紛失しただけと言っているがな。けど実際はそうじゃないはずだ。
カグラの連中がそんな間抜けなミスをするわけがない。」
「てことはわざと消していたと。」
「それしか考えられないな。」
「でもどうして?ていうか消えたはずのデータがなんでここに?」
「草刈の奴がファイルのコピーを取っていたからさ。」
「草刈さんが?」
「奴の表向きの肩書きは取締役。しかし裏ではならず者や裏切りに目を光らせ、時には独断で制裁まで加える秘密警察みたいなもんだ。お前も知ってるだろう?」
「ええ、社長選挙の時にも陰で動いてましたから。」
「あいつは正に蛇みたいな男さ。収集できる情報はなんでも収集しようとする。
カグラがウチのグループに入った時、こっそりとそのデータをコピーしてたのさ。」
「コピーってどうやって?カグラの人たちは秘密主義みたいな所があるから、絶対に教えたりしないでしょ?」
「だからこっそりと言ったろう。」
「・・・・ハッキング?」
「想像に任せる。」
「おっかない・・・・。」
「最初は俺一人で調査をしてたんだが、そのうち草刈の方から声を掛けてきてな。何をコソコソやってんだって。」
「怖いですよあの人。目えつけられると後々面倒ですから気をつけて下さい。」
「そうなると困るから事情を話したわけさ。すると奴も興味を持ってな。
アイツも俺と同じで、お前の不正の件には疑問を感じてたみたいだ。徹底的に調べ直してやるって息巻いてたよ。
その時に社員データのことを思い出して持ってきてくれたんだ。」
「なるほど・・・・。」
伊礼さんと草刈さんが調べたのなら間違いはないはずだ。
こうして証拠もあるわけだし。
でもそれはつまり、なんで俺に賄賂を持ちかけたのかってことに繋がる。
なんでだろう?・・・・・分からない・・・・・。
ドスンと椅子に座って、「じゃあ俺はなんの為に・・・・」と頭を抱えた。
「なんの為に危険な橋を渡ったんだか・・・・。」
伊礼さんの言う通り、俺は私利私欲で賄賂を受け取っていたわけじゃない。
そもそも俺はお金なんてどうでもよかったのだ。
重要なのはカマクラ家具に情報を流すことであった。
高級腕時計やリゾートマンションの権利は要らないと断った。
断ったのだが、結局受け取る羽目になってしまった。
『もし事がバレた時、私たちだけが悪者になってしまう。リスクを対等にする為、どうかお納め下さい。』
「あの人」からそう言われて、最終的には賄賂を受け取った。
今思えば詭弁である。
だけどあの時は頷いてしまったのだ。
こういう取引というのはそういうものなのかなと。
・・・・そんなわけないのに!
どう言い訳しようと賄賂を受け取ったことは事実だからどうしようもない。
今の問題はそこではなく、どうして「あの人」はカグラの技術を欲しがっていたのかということだ。
会社を救う為に必要だと言っていたけど、元々その技術は持っていたわけで・・・・。
「冴木。」
伊礼さんがポンと肩を叩く。
「査問委員会の時に言ってたよな。最初に賄賂を持ちかけてきたのは、カマクラ家具の常務である豊川だって。」
「・・・・はい。」
「実は奴についても調べてみたんだが、詳しい事が分からなかった。
カマクラ家具を支えてきた人物の一人ということは間違いないが、それ以上のことが分からない。
ただしお前が奴と頻繁に会っていたことは分かっている。
査問委員会の時に提出した証拠・・・・覚えてるよな?」
そう問われてコクコクと頷いた。
あの時、草刈さんと部長補佐が俺に突きつけた証拠は二つある。
一つはメール、もう一つは音声だ。
さっき伊礼さんも言ったけど、草刈さんは本当に蛇みたいな人なのだ。
俺がお供をつけずにコソコソと出かけていく回数が増えたものだから、監視対象にしていたらしい。
社長まで監視!なんて思うけど、あの人なら充分にやるだろう。
社長専用のパソコンでメールのやり取りをしていたんだけど、いつの間にやら細工を施されて、内容が抜かれてしまっていた。
次に音声だけど、これもいつの間にやら俺の腕時計に盗聴器が仕込まれていたのだ。
今使っているやつではない。
社長時代に身につけていた高いやつだ。
当然こんな物があれば会話は筒抜けである。
ていうか・・・・やっぱり怖いよあの人!
いくらなんでも腕時計に盗聴器って・・・・。
まあとにかく、メールと音声には賄賂の事実を示す証拠が含まれていた。
こんな物を出されては言い逃れなんて出来なくて、遠山の金さんが「やいやいテメエら!この桜吹雪を見忘れたとは言わせねえぞ!」と啖呵を切るお白洲に引っ立てられたようなものである。
「あの証拠の中に、お前が頻繁に豊川に会っていたと思える節があった。
最初に接触してきたのも奴だと思えるものもな。」
「あの人・・・・すごく困ってたみたいなんです。このままじゃカマクラ家具は潰れるって嘆いてたから。」
「それは俺も調べた。確か今の社長・・・葛之葉公子だったか?とんでもないワガママな社長で、会社の金を湯水のように好き勝手に使っているらしいな。」
「ええ・・・。俺が社長になった二ヶ月後くらいに、カマクラ家具でも社長の交代があったそうなんです。
前の社長はすごく優秀だったらしいけど、今度の社長は全然ダメらしくて。
けど前の社長が是非にと押した人だから、誰も反対出来なかったそうなんです。」
「カマクラ家具は社長のワンマン経営だったと聞くからな。その人が押した人物なら社長に据えるしかなかったわけか。」
「誰も社長に逆らえない。けどこのままじゃ会社は潰れてしまう。どうしたらいいか困っていたみたいです。
そんな時にニュースで見た俺のことを思い出したと言ってました。
社員や職場を想う演説をして、みんなに支持されて社長になった俺のニュースを。
それで俺に会って意見を仰ごうと連絡をしてきたんです。
最初はただ話をしていただけなんですけど、何度目かの時にタカイデ・ココってバーに連れて行かれました。
そこで初めて賄賂を渡そうとしてきたんです。
もちろんその時は断りました。だって見返りにカグラの技術を教えてくれって言うから。
しかも豊川さん・・・・いきなりこんな事を言ってきたんです。
お宅には借りがあるだろうって。」
「借り・・・・。昔の事件のことだな?」
「はい・・・・・。」
これは俺が社長になる前に遡る。その時は北川隼人っていう会長の息子が社長だった。
そして俺はその人の元でスパイをやっていたのだ。
ライバル社に潜入し、その技術を盗んでくるというスパイを。
あの時、カマクラ家具と契約していた下請け会社にも潜入した。
そして極秘の技術を盗んだ。
そのせいで下請け会社は潰れ、カマクラ家具は大きな損失を被った。
「豊川さんは言いました。あなたの会社があんな事をしなければ、もう少し余裕があったんだと。
だからあの時の借りを返すという意味でも、どうか協力してくれって・・・・。」
「だからお前は断れなかったんだな。かつて自分がスパイをしたせいで、相手に迷惑を掛けちまったから。」
「みんなが安心して働ける職場をなんて言いながら、俺自身がとんでもないことしてたんです。」
「でもそれはお前の意志じゃない。前社長に命令されてのことだろ。それと潰れたその会社の社員は稲松文具で雇ったじゃないか。
部長補佐が会長に掛け合い、迷惑を掛けてしまった人たちへの救済措置をと頼んだから。」
そう言って俺の女神を振り返ると、神妙な顔で頷いた。
「スパイは冴木君だけがやっていたんじゃありません。あの時・・・・私もその手伝いをしていました。だから何もせずに終わることは出来なかった。」
「冴木はそこをつけ込まれたわけです。こいつは人を傷つけるとか、不幸になるっていうのを嫌うから。
その時のことを持ち出されては断れなかったんでしょう。」
「あれは兄さんが命令してやらせていたことです。それに私も力を貸していたし・・・・。そんなの冴木君だけが背負い込むことじゃないのに・・・・。」
「でもあの時の俺は社長でしたから!みんなに背負わせるわけには・・・・。」
上に立つ者は大きな責任を背負っているのだ。
下の者を巻き込むなんて、そんなのは社長失格である。
まあ賄賂なんてもらってる時点で失格なんだけど・・・・。
「ね、こういう奴ですよ。」
伊礼さんの笑い声が響く。
「いつだって自分じゃなくて周りのことを考えてるんです。まあそこをつけ込まれてあんな事をしちまったわけだが。」
「すいません・・・・。」
「けど安心したよ、お前の魂はまだ死んでいない。これなら俺たちと一緒に戦ってくれるだろう。」
ポンポンと肩を叩いてから、事務所のドアを開ける。
「あの・・・・どっか行くんですか?」
「本社に帰るのさ。仕事があるんでな。」
「俺はどうすれば?」
「休めばいいさ。」
「休むって・・・・?」
「お前の仕事は明日からだ。今日はゆっくり休め。」
そう言って俺と女神をニヤリと見つめた。
「二人きりで話したいこともあるだろ?」
またキザったらしい笑みを向けながら、バタンとドアを閉じた。
《なんなんだったい・・・・。》
わけの分からないことばかりで頭が痛くなってくる。
ふと女神を見ると、「ごめんね」と呟いた。
「また冴木君一人に重荷を背負わせていた。いっつもそう・・・・。」
「え、あ・・・・いやいや!なんでかちょ・・・、いや部長補佐が謝るんですか。俺が勝手にやったことなのに。」
「そんなことないわ。冴木君だけが背負い込むことじゃなかった。スパイのことも、社長としての責任も。
・・・・ねえ?どうしていつも一人で背負い込もうとするの?なんで相談してくれないの?」
「いや、だからそれはみんなを巻き込みたくないからで・・・・、」
「分かってる、君はそういう人だって。だけどどうしようもない時くらい頼ってほしい。私だって力になれるのに。」
「課長・・・・。」
つい昔の呼び方が出てしまう。
そっと手を重ねてきて、「力にならせて」と頷いた。
「きっとこの件には裏があるはず。」
「裏ですか・・・?」
「だってそうじゃない。向こうが元々持っている技術を横流ししたってなんのメリットにもならない。
なのに彼らは賄賂を持ちかけてきた。そこには必ず理由があるはず。」
「俺もそこは気になってるんです。いったい何が目的だったんだろうって。」
「それを探るのが私たちの仕事になるわ。だからこそ伊礼さんは君を呼び戻したの。」
「スパイとしてですか?」
「ええ。でも絶対に冴木君だけ危険な目に遭わせたりしない。今度は私が盾になってでも君を守ってみせるわ。」
そう語る目は覚悟に満ちていて、もし俺が危なくなったら本当に身を挺して守るつもりだろう。
「課長もいつもそうでしたね。周りを守る為なら、自分が傷つくことも厭わなかった。
だから箕輪さんも美樹ちゃんも・・・この店の人はみんな課長のこと尊敬しているんです。」
「じゃあ似た者同士ね、私たち。」
そんな風に言われては頬が緩んでしまう。
互いに手を重ねたまま見つめ合っていると、ガチャっと事務所のドアが開いた。
「ポイントカードの在庫ってどこだったけかな。」
進藤君が入って来るが、俺たちを見て一瞬固まった。
「あ、ええっと・・・・、」
ぎこちない表情で立ち尽くす。
なんか妙な誤解をしているらしい。
俺たちはサっと離れ、苦笑いで誤魔化した。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第三話 あの日のこと(1)

  • 2018.08.15 Wednesday
  • 13:41

JUGEMテーマ:自作小説

鏡の前でネクタイを締める。
昨日アイロンを掛けておいた真っ白なシャツは、作りたての生クリームのように滑らかな肌触りだ。
ハンガーに掛かっているスーツの上着を取り、なんとも懐かしい気分に浸る。
クリーニングから仕上がってきた俺の戦闘服は、まっさらに輝いて見えた。
ビシっと上着を羽織り、鏡の前で確認する。
スーツに身を包むのは半年ぶり。
そう長い時間離れていたわけじゃないのに、こうも懐かしいのはこいつが俺を待っていたせいかもしれない。
サっと髪型を整え、平社員時代に着けていた腕時計を装着する。
ちなみにこのスーツも平社員時代の物だ。
社長時代に身につけていた物は全て売り払った。
会社に対して迷惑を掛けてしまったので、蓄えは全て献上した。
もちろん賄賂でもらった腕時計も、リゾートマンションの権利も手放した。
残ったのはうだつの上がらない平社員時代の物ばかり。
けど・・・これでいい。
また一から出直そうというのだ。
心身を清める意味でも、初心に返るという意味でも、あの頃の装備品こそが相応しい。
オンボロアパートの我が家を出て、すぐ近くの駐車場へ向かう。
中古の軽自動車はあちこちが傷んでいるが、とりあえず走ることは走る。
これもまた今の俺にはピッタリだ。
ベルトを締め、エンジンを掛け、ゆっくりと滑り出していく。
ここから目的地まで四時間ほど。
まだ夜が明けきらない空は、薄い光が風情のあるグラデーションを描いていた。
・・・・伊礼さんと会ってから今日で一週間目。
俺は再びあの場所へ戻ることにした。
かつてお世話になっていた古巣、ハリマ販売所。
もちろん葛藤はある。この数日は悩みに悩んだ。
不正を犯した俺が戻ってもいいのかとか、今更どんな顔をしてみんなに会えばいいのかとか、悩みだしたらキリがない。
それにスパイだなんて危険な仕事にまた首を突っ込んでもいいのかと、数え切れないほど自問自答を繰り返した。
しかし理屈ではどうにも出来ないほどの熱が疼き、針で心臓をつつかれているみたいに、じっとしていることが出来なくなっていた。
もう決心はしている。
これは自分で選んだ道、これから何が起きようとも後悔はしない。
今、俺は古巣の職場に向かっている。
稲松文具近畿地区 ハリマ販売所。
平社員時代、ずっと勤めていた支店である。
非常に濃い面子ばかり揃っていて、客の来ない日でも退屈しなかった。
散々迷惑を掛けたり、お世話になったりと、俺にとっては忘れられない場所である。
思えば社長になってからというもの、ハリマ販売所の仲間とはほとんど会っていなかった。
まあ当たり前といえば当たり前かもしれない。
大企業の社長が現場の社員と懇意にしすぎるというのも問題だ。
だけど社長の座を追われたあの日、俺はかつての仲間にさえ何も言わずに去ってしまった。
本社のビルを出ていく時、すれ違う全ての社員から冷たい目を向けられた。
あんな目をかつての仲間からも向けられるのかと思うと、あそこへ足を運ぶのが怖くなってしまったのだ。
俺が社長選挙に出る時、一番サポートしてくれた人たちなのに・・・・。
あれこれと考え事をしていると、すっかり時間が経っていた。
途中でサービスエリアに寄り、おにぎりとパンで朝食を済ませ、一服つけてからドライブを再開した。
昇っていく陽がくまなく街を照らし、人々が家から出てきてあちこちに溢れる頃、地元を横断する国道へ差し掛かった。
この道をまっすぐ走り、大きな橋の手前で左に曲がり、道なりに進んでいけば古巣が見えてくる。
こみ上げる緊張を抑えながら、ルームミラーで自分の顔を確認した。かなり強張っている・・・・。
今日は日曜だから店は閉まっているはずだ。
俺を待っているのは伊礼さんだけ。
それでも緊張を覚えるのは、みんなの信頼を裏切ってしまったからだ。
「謝りたいな、みんなに。」
自分の耳にすら届かないほどの声で呟いて、だんだんと迫ってくるハリマ販売所に目を向けた。
俺がいた頃と何も変わっていないようである。
貸ビルの一階に店舗が入っていて、隣には喫茶店がある。
全国に500店舗以上ある中でも、これほどパッとしない店はないだろうってくらいに、とにかくパッとしない店なのだ。
まず狭い。そしてボロい。
セールの時なんて外にワゴンを置かないと商品を陳列出来ないほどショボい店なのだ。
業績も下から数えた方が早く、よくもまあ潰れずにやっているんもんだと、平社員時代は不思議に思っていた。
だけど自分が社長になってみて分かった。
こういう店にはそれなりの存在理由があるんだなと。
どこもかしこも気取った店ではお客さんは入りにくいのだ。
特に文具なんて身近な物を扱っている店は親しみやすさが大事である。
狭くボロいこの店がいつでもギリギリの所で潰れないのは、それなりに必要としている人たちがいるからだ。
それに使えない社員の左遷先という役目もある。
この国ではそう簡単に正社員の首を切ることは出来ない。
俺みたいに不祥事でも起こさない限りは。
かといってやる気も能力もない社員を放っておくわけにはいかない。
首が無理ならこういう店へ飛ばすに限るのである。
事実、俺がここにいた頃もうだつの上がらない店長がいた。
まったく仕事をせず・・・もとい出来ず、もはや置物同然と化していたっけ。
けどそんな店長でもいないよりかはマシで、一応は責任者であるから、何かあった時は上からお叱りを受けるという役目がある。
そもそも俺自身がどうしようもないペンペン草だったからこの店にいたわけで。
狭い駐車場に車を止め、ウィンドウ越しに眺めながら思い出に浸る。
懐かしさは止まることがないけど、ずっと感傷に浸っているわけにもいかない。
今日は日曜、正面はシャッターが降りているので、裏口へ回ることにした。
したのだが・・・・なぜかシャッターが開いていく。
「あれ?今日は休みのはずじゃ・・・・。」
伊礼さんが開けたのかなと思ったが、営業しないのであれば開ける必要はない。
店の前で立ち尽くし、開いていくシャッターの奥を睨んだ。
すると・・・・・、
「あ。」
「あ。」
シャッターの奥から出てきたのは一人の女子社員だった。
般若のようにつり上がった目に、不機嫌そうに曲がった唇。
そして怒っているかのように眉間に皺が寄っていた。
しかし彼女は別に怒っているわけではないのだ。
年中こんな顔をしていて、俺がミスをする度に「冴木い!」とバインダーを飛ばされたものだ。
「お久しぶりです、箕輪さん。」
「・・・・何してんのアンタ?」
眉間の皺が深くなっていく。
怒っているんじゃなくて困っているのだ。
この人の名前は箕輪凛。
平社員時代、俺の先輩だった人だ。
性格はキツいが根は悪い人ではなく、どちらかというと情に脆い所がある。
仕事はいつでもテキパキしていて、実質この店を回している人だ。
俺たちは無言のまま見つめ合う。
予期しない再会にお互いが言葉に詰まってしまう。
すると箕輪さんの後ろからもう一人女子社員が現れた。
「どうしたんですか?さっさと開けないと営業時間が来ちゃう・・・・、」
言いかけてピタリと固まる。
「美樹ちゃんも久しぶり。」
「・・・・・・・・・。」
まるで宇宙人に出くわしたみたいに目を丸くしている。
彼女の名前は栗川美樹。
俺がこの店にいた時の後輩だ。
愛嬌のある可愛い顔をしているが、けっこうズバズバ物を言う子だ。
童顔で小柄な為に、未だにお酒を買う時に年齢を聞かれると言っていたけど、その容姿は相変わらず歳より幼く見える。
最初はバイトとして入社して、俺が会社を去る少し前に正社員になったはずだ。
「二人とも元気そうで良かった。」
こんな適当な言葉しか出てこない自分に、《違うだろ冴木!》と喝を入れた。
この二人は俺が社長になることを応援してくれたのだ。
演説の時にはスピーチまで考えてくれた。
それなのに俺は二人の信頼を裏切ってしまった。
それを詫びずになんとするか。
「箕輪さん、美樹ちゃん。俺・・・・二人に謝らなきゃいけない。せっかく俺を信頼してくれたのに・・・、」
言いかけるのを遮って、箕輪さんが一歩前に出てくる。
「ホントなの?」
「え?」
「他の会社から賄賂を貰ってたって。」
「・・・・・・。」
「私たちも詳しいことは知らない。いくら聞いても上の人たちは教えてくれなかったから。
課長もこの話題になると口を噤むし・・・・・。」
眉間の皺がさらに険しくなっていく。
これが昔なら「冴木のバカタレ!」とバインダーが飛んできただろう。
けど・・・今日はそんな風にはならない。
険しい表情のまま、ただ俺を見つめているだけだ。
「今でも信じられないの。アンタがそんな事するなんて・・・・。」
俯きながら視線を外す。
すると美樹ちゃんも前に出てきて「そうですよ!」と言った。
「だってあの冴木さんですよ!いつまで経ってもボンクラで、バイトの私より仕事が出来なくて、いつだって課長のお尻を追っかけてたあの冴木さんが・・・・・。」
昔の俺を知っている彼女たちは納得出来ないのだろう。
俺が善人だから悪さをするはずがないと思っているんじゃなくて、俺の脳ミソじゃ賄賂だなんて発想に至るわけがないと言いたいのだ。
「私たち今でも信じられないんです。あの冴木さんがそんな事するなんて・・・・。
けど上の人から大まかな事だけ聞かされて、しかもニュースでも稲松文具の社長が辞任するってやってたし・・・・。」
「ごめんね美樹ちゃん。俺が不正をしたことは事実なんだ。だからここを追い出された。」
「じゃあ・・・・やっぱり賄賂を貰ってたんですか?」
「ああ。」
「そんな・・・・・。」
信じられないという風に首を振る。
美樹ちゃんまで眉間に皺が寄っていった。
二人とも俯いてしまい、特大のクレームを突きつけられた時みたいに、どうしていいのか分からないといった状態で項垂れてしまった。
《やっぱりショックだよな・・・・同じ職場の仲間だった奴が悪さをしてたなんて。》
俺が傷つけたのだ、この二人を。
だからやるべきことは決まっている。
「俺のせいでみんなを傷つけてしまった。申し訳ありません。」
つむじが見えるほど深く頭を下げる。
視界に見える二人の足が、クルリと踵を返した。
そして何も言わないまま店の中へと戻ってしまった。
「箕輪さん、美樹ちゃん。本当なら俺はここへ戻って来られるような奴じゃない。だけど今日ここである人と会う約束が・・・・、」
「ごめん、開店の準備があるから。」
こっちをまったく見ようともせずに作業に取り掛かっている。
二人ともどうしていいか分からないのだろう。
いきなり現れて、いきなり謝って・・・・立場が逆なら俺だって混乱する。
《本当にここへ来てよかったのかな・・・・。》
今日は休みのはずで、二人と顔を合わすことはなかったはずだ。
しかしこうなってしまった以上、俺はただ二人に謝ることしか出来ない。
《伊礼さん、中にいるのかな?でもこの状態じゃ・・・・・。》
二人はきっと俺に足を踏み入れてほしくないだろう。
ないだろうけど、ここまで来た以上、ノコノコと引き返すことは出来ない。
《・・・行くしかないよな。》
小さく深呼吸をしてから、意を決して店に踏み込もうとした。
「どいてよオジサン。」
いきなり声がして振り返る。
そこにはスーツを着た若い男が立っていて、不機嫌そうに俺を睨んでいた。
パっと見はかなり若そうである。
ていうか中学生くらいに見えるけど・・・・、
「聞こえないのオジサン?そこどいてくれよ。」
「・・・・・・・。」
イラっとくる。
まず俺はオジサンではない。25のお兄さんである。
それにどう見ても年下の野郎にタメ口を聞かれるのはカチンとくる。
「あのね君、俺はまだ25だから。」
いきなり怒るのも大人気ないと思い、笑顔で肩を叩く。
「それに年上にはもうちょっと口の利き方ってもんがある・・・・、」
「ああ、進藤君。おはよう。」
箕輪さんが店の中から手を振る。
進藤君なる若者は「ども」と会釈して、俺に一瞥をくれてから店に入っていった。
「ダルいっすね、日曜の出勤って。」
「ほんとにね。でも仕方ないわよ。本社の方針で土日祝も開けろってことになっちゃったから。」
「休みとか大丈夫っすかね?週休二日制が崩れたりしません?」
「う〜ん・・・もう一人くらい増えないと厳しいかもね。バイトは募集してるんだけど全然来ないし。」
「マジかあ〜・・・・。連勤が続くなら転職しよっかなあ。」
ダルそうに背伸びをしながら奥へと消えていく。
・・・・いったいなんだあの野郎は!
これだからゆとりってやつは・・・・・って、俺も立派なゆとり世代だった。
まあいい、あんや奴に構っている場合じゃない。
今日はここで伊礼さんと会わなきゃいけないんだから。
きっと箕輪さんたちは良い顔をしないだろうけど、店の中に入らせてもらおう。
「お邪魔します。」
軽く会釈しながら足を踏み入れると、「オジサン何してんすか?」とさっきの若者が出てきた。
「まだ開店準備中っすよ。もうちょっと待っててくれます?」
「また言いやがったな!オジサンじゃねえ!」
「いいから店の外に出て下さいって。通報しますよ?」
「なあにい〜!さっきから黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって・・・・、」
どうやら本当に口の利き方を知らないらしい。
ここは人生の先輩として一発かましておくべきだろう。
「お前なあ、さっきからちょっと口が悪すぎんじゃないのか・・・・、」
そう言いながら詰め寄ると、箕輪さんが「待って」と止めに入った。
「悪いけど・・・いきなり来られても困るのよ。」
「それは悪いと思ってます。でもこのガキが挑発するから・・・・、」
「それにこんな所で喧嘩されても迷惑だから。」
「・・・・分かりました。」
進藤なる若僧に一瞥をくれ、外へ退散する。
いったいなんなんだ今日は・・・・。
店が開いてるなんて聞いてないし、だいたいこの野郎は誰なんだ?
タバコを咥え、ライターを擦ろうとすると、「ちょっとオジサン」と言われた。
「お前!また言いやがったな!」
「ここ禁煙すよ。」
「店の外だろうが!」
「でもそこウチの駐車場だから。ウチの敷地は禁煙なんすよ。」
「ウチって・・・・ここは貸ビルだろうが。俺がいた頃は吸ってもいいことになってて・・・・、」
「今は禁煙なんすよ。昔のことなんか持ち出されても。」
「マジで・・・・?」
「ていうか俺のいた頃って・・・・オジサンこの店の人だったんすか?」
「・・・・・・・。」
生意気な態度、生意気な口の利き方。
いい加減に我慢の限界が来て、「なあ僕」と肩を叩いた。
「オジサンが誰だか知ってて言ってるのかね?」
満面の笑みで尋ねると、「さあ?」と首をひねった。
「昔のバイトかなんかすか?」
「バイトじゃないんだよ。もっと偉い。」
「じゃあ正社員すか?」
「正社員っちゃあ正社員だったな。けど平じゃないぞ。もっともっとすんごく偉い役職だ。」
「もっともっと偉い役職・・・・。あ、まさかここの店長だったとか!?」
「君の頭の中には、いったいどれだけ平社員と店長の間に階級があることになってんだよ。」
世間知らずとはまさにこの若僧のことだ。
すんごく偉い役職といえば、普通は本社の重役とか社長とかが出てくるはずだろう。
なのに今日日のガキんちょはこれだから。
「いいかい僕。オジサンはね、この会社で会長の次に偉い人だったんだよ。なぜなら俺は半年前まで・・・・、」
「よう冴木。」
後ろから声がする。
「もう来てたのか。随分早いな。」
「伊礼さん!」
白いセダンから颯爽と降りてくる。
「待たせちまったか?」
「いえ、さっき着いた所です。それより・・・・、」
店を振り返り、「日曜なのに営業するんですね」と尋ねた。
「俺がいた頃は土日祝は休みだったのに。」
「つい最近そうなったんだよ。いつでもお客様に利用してもらえるようにってことで。」
「ウチもとうとうそうなっちゃったんですね。時代だなあ。」
しみじみしながら言うと、進藤の野郎が「面倒くさいなあもう」などとホザきやがった。
「今まではずっと休みだったのに。これ考えた奴バカでしょ。」
「まあそう言うな。客商売はお客様に喜んでもらってなんぼだ。」
「でもダルいっすよ。伊礼さん上に抗議して元に戻してくれません?」
ものすご〜くムカつく顔で言いやがる。
「お前なあ・・・・目上の人に向かってなんだその態度は!」
「まあまあ冴木。」
俺とは違って余裕の笑みで受け流す伊礼さんは大人だ。
進藤の方を向き「もうそろそろ慣れたか?」と尋ねる。
「慣れるも何も、こんな仕事を覚えるのに時間が掛かる方がどうかしてるっしょ。」
「さすがだな。入社と同時に店長を任されるだけある。」
「ていうかそろそろ出世させてくれません?俺がここに来てから売上は10倍にアップっすよ?昇進するのに充分な成果でしょ。」
「そうだな。近いウチに上のポストを用意してやる。」
「約束っすよ課長。」
仲良さそうに会話する二人を見ながら、不思議に思うことが二つあった。
《まさかこの小僧が店長だっていうのか?そりゃウチは完全実力主義だけど、こんな中学生みたいな奴が・・・・。
それに伊礼さんのこと課長って呼んでたけど・・・・なんでだ?》
伊礼さんはグループ企業である靴キングの本部長だ。
それがどうして課長だなんて・・・・。
「本社に出向してるんだ。」
「へ?」
「なんで伊礼さんが課長なんだ?って思ってたろ。」
「・・・・また顔に出てましたか。」
「本社の課長ポストが空席になってるんだが、誰がそこに座るかまだ決まってないのさ。その間だけ俺が任されてるってわけだ。」
そう言って胸に着いた小さな名札を弾く。
そこには確かに本社課長の文字が。
「暫定課長さ。近いうちに靴キングに戻る。」
「なるほど・・・・。」
「まあ立ち話もなんだから中に入ろう。」
「はい。あ、でも箕輪さんが・・・・。」
「なんだ?もしかして追い出されたのか?」
「そんなところです。」
「悪いな、俺が先に来てりゃ入れてやったのに。」
「それはいいんですけど・・・・伊礼さんが遅れるなんて珍しいですよね?どこか行ってたんですか?」
「ああ、ちょっと上司のお迎えにな。」
自分が乗ってきた車に顎をしゃくる。
と同時に助手席のドアが開いて、一人の女性が降りてきた。
「あ・・・・・。」
変な声が出たまま動けなくなる。
その人はまっすぐに歩いて来て、俺の手前で足を止めた。
麗しきその容姿は高原に咲く一輪の花、ただそこに立っているだけで空気まで輝いて見える。
容姿端麗、頭脳明晰、この人の為なら例え火の中水の中と心に決めた女神が目の前に・・・・。
「久しぶり、冴木君。」
「・・・・お久しぶりです。北川課長・・・・いえ、北川部長。」
まるで初恋をした中学生のように、心臓がトクンと跳ね上がる。
また顔に出ていたのだろう。
部長は可笑しそうに肩をすくめていた。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第二話 社長を辞めた日(2)

  • 2018.08.14 Tuesday
  • 12:29

JUGEMテーマ:自作小説

話は半年前に遡る。
社長になって一年と四ヶ月目の俺は、今までにない大きな局面を迎えていた。
「それでは冴木社長に対する査問委員会を開きます。」
社長室の隣、縦長のテーブルがズラリと並ぶ広間に、稲松文具、及びそのグループ会社の重役が顔を揃えていた。
ざっと30人はいるだろうか、誰もが険しい表情をしながら、一番奥に座る俺に視線を向けていた。
ここにいるのは完全実力主義の中で勝者の椅子を勝ち取った猛者たちである。
故に誰もが歴戦の兵士のように凄みのある目をしていた。
しかしそんな中、一人だけ心配そうな目を向ける者がいた。
その人の名は北川翔子。
歳は27で、この場では俺の次に若い。
この若さでシンガポール支社の部長補佐、本社での肩書きは課長である。
いくらウチが実力主義といえど、異例の若さでの出世だった。
しかも稲松文具会長の実の娘であり、ゆくゆくはこの会社のトップを任されるであろう人だ。
そんなすごい人が俺に心配そうな目を向けている。
親が会長だから若くして出世したたんだろうと嫌味を向けられても、気丈な表情を崩さない人なのに。
《課長・・・・そんな目で見ないで下さい。あなたにまでそんな顔をされたら俺は・・・・、》
北川課長は俺の女神である。
いや、大袈裟でもなんでもなくホントに。
だってこの人がいたから平社員時代も退屈な仕事を我慢してたし、この人がいたから頑張って出世しようと誓ったのだ。
平社員時代の俺はどうしようもない役立たずのペンペン草で、対して課長は才色兼備の高嶺の花だった。
麗しき美貌はいつでも俺の心を鷲掴みにし、颯爽と仕事をこなすその様はまさに憧れだった。
もうね、この人の為なら例え火の中水の中って感じで、冗談抜きで命を懸けても良い人だ。
俺は社長として、そして課長はいつか会長になって、二人でこの会社を支えたいなんて夢見ていたのだ。
ていうか仕事だけの関係だけじゃなく、生涯のパートナーになってほしいと願っていた。
もし課長と結ばれるのなら、俺の持っているものは何もかも差し出してもいい。
だって俺にとってはまごうことなき女神だから!
ああ課長・・・・俺はきっとあなたの為に生まれてきたに違いない。
身も心も全てあなたに捧げる為に、俺はこうして生を受けたんだと確信しています。
それが・・・・それなのに・・・・。
《どうしてそんな悲しい顔をしているんですか?俺の・・・俺なんかの為にそんな顔しないで下さい。
他の誰に嫌われても、あなたにだけは笑っていてほしいのに。》
こんな顔をしている課長なんて見たくなくて、視線を避けるように明後日の方を向いた。
「それでは始めます。北川課長、お願いします。」
まるで蛇のような目つきをした男、草刈取締役が手を向ける。
「・・・・・・・。」
課長は一瞬だけ迷っているような表情を見せたけど、すぐに気を引き締めてこう言った。
「冴木社長、あなたには株式会社カマクラ家具との贈賄の疑惑が上がっています。
また我が社のグループ企業であるカグラの内部情報を流したとして、背任行為の疑惑も上がっています。」
よく通る声で書類を読み上げる。
まるで判決を受ける被告人みたいな気分になった。
ていうか被告人となんら変わりないか。ここが法廷ではないというだけで。
「今から二ヶ月前、八月の中旬頃に、あなたはカマクラ家具の専務、瀞川真澄(とろかわますみ)と密会を行っていますね?
場所は隣街の姫道市、なぎさ商店街の地下一階にある『タカイデ・ココ』という会員制の高級バー。
そこで1000万円相当の腕時計と、リゾートマンションの一室の権利を譲り受けたとの報告が上がっています。
間違いありませんか?」
とても険しい目で俺を睨む。
その表情にはもう悲しみも不安もなく、尋問する刑事のごとく、突き刺す針のような鋭さがあった。
どうか嘘をつかずに、素直に答えてほしい。
暗にそう言われているような気がして、居心地悪く俯いてしまった。
「私どもの調べによると、冴木社長は頻繁にタカイデ・ココに足を運ばれていたそうですね。
そして必ずと言っていいほど、カマクラ家具の社員が付き添っていたはずです。
八月には専務の瀞川氏、その少し前には常務の豊川氏、またつい最近も取締役の安志氏と合っていたはずです。
冴木社長、あなたは豊川氏と安志氏からも、なんらかの金品を受け取っていたのではありませんか?」
眼光は鋭さを増し、俺を射抜く。
目を逸らしてもプレッシャーを感じるほどで、無言のまま窓の方へと目をやった。
高いビルの最上階からは町が一望できる。
世界に名だたる大企業のクセに、地方都市のベッドタウンのような田舎に本社を構えているものだから、全ての建物が小さく見える。
「冴木社長、間違いはありませんか?」
課長の声が耳を揺さぶる。
俺は無言を貫き、ただ窓の外に視線を投げ続けていた。
すると取締役の草刈さんが「社長」と立ち上がった。
「何もお答えにならないということは、やましい事があったと受け取ってよろしいんですね?」
監査役でもある草刈さんは、脅すような口調で俺の答えを促す。
一年と四ヶ月前、平社員から社長になった俺を、一から徹底的に鍛え上げてくれたのは彼だった。
怒号、叱責は当たり前で、時にはケツを蹴飛ばされることもあった。俺、社長なのに・・・・。
しかもそれもこれも全て俺を想ってのことである。
右も左も分からない若僧がどうにか社長としてやっていけるようにと、俺以上のプレッシャーを抱えながら指導してくれた。
課長からの追求も苦しいが、草刈さんからの追求も同じだ。
二人して今まで俺を支えてくれたのに・・・・こんな結果になってしまうなんて。
「社長、これはいつものようにあなたのケツを蹴っ飛ばして終わるようなことじゃありません。
どうか真摯にお答え下さい。そうでなけれな我々はあなたを・・・・、」
「あなたを刑事告発しなければならない。」
ガタイの良い男が草刈さんの言葉を横取りする。
まるでプロレスラーみたいな肉体をしていて、スーツははち切れんばかりにパツンパツンだ。
上背もあるものだから、ただ座っているだけでも存在感がある。
おまけにその顔はどう見てもその筋の方と勘違いしてしまうほどで、鬼が人に化けてるんじゃないかってくらいおっかない。
この男の名は鬼神川周五郎。
我が社のグループ企業、カグラの副社長である。
「冴木社長、あなたはカマクラ家具の人間から金品を貰うのと引き換えに、カグラの内部情報を流していましたね。」
おっかない顔がさらにおっかなく歪んで、課長の時とは別の意味で目を逸らした。
「我々の調査によれば、冴木社長は金品を受け取る見返りとして、カグラが保有している独自の木材加工技術を横流ししていたはずだ。
こいつを使えば生産能力が大幅にアップするという代物です。
高性能、高品質、そして量産性。全てを備えた我社独自の技術であり、決して外に持ち出すことが許されない機密事項です。
カグラの社内でも技術の中核を知る人物は限られているというのに。
それをあなたが知っているということは、カグラの中にも不届者がいたということ。
おかげでこっちもユダのあぶり出しをしなければならなくなった。
すでに犯人は特定済で、それなりの制裁を与えるつもりです。
あなたが大事な情報を横流ししたせいで、我が社は創業始まって以来、初めてカマクラ家具に遅れを取ることになったのですから。」
「・・・・・・・。」
「何も答えるつもりがないなら結構。すでに証拠は掴んでいます。」
鬼神川副社長はゆっくりと立ち上がる。
パツパツのスーツの襟元を正しながら「忠告しておきます」と言った。
「いくらあなたが本社の社長であれ、我々はタダで済ますつもありはありません。
カグラは稲松グループの一員ではありますが、あなた方の傘下というわけではありませんので。」
鬼のような視線で稲松文具の面々を睨みつける。
その圧倒的な迫力の前に、本社の重役たちでさえ何も言うことが出来なかった。
「北川課長。」
「え?あ・・・・はい!」
突然名前を呼ばれて、ほんの一瞬狼狽えていた。
しかしすぐに「なんでしょうか?」と気を取り直した。
「あなたの父上にお伝え下さい。我々はその男を刑事告発すると。」
「いや!でもまだ査問委員会は始まったばかりで・・・・、」
「これ以上は無用です。我々は独自の調査で証拠を掴んでいますので。」
「ではそれを提出して下さい。でなければ査問委員会の意味が無・・・・、」
「拒否させて頂く。」
「拒否ってそんな・・・・、」
「本社の社長がこんな不正をしでかしたのです。その部下であるあなた方を信用しろというのですか?」
「待って下さい!その言い方だと私たちが社長と共犯であるかのように聞こえます。」
キっと目を吊り上げながら言い返すが、鬼神川は軽く受け流した。
「そうは言っていない。ただ・・・・その男は選挙によって選ばれたのですよ。
一年四ヶ月前、稲松グループを挙げて行った選挙で。
ということは本社のみならず、グループ企業のカグラ、そして靴キングからも支持されて今の地位がある。
要するに稲松グループの総意によっそこに座っているわけです。
あの時、その男は随分と気前の良い演説をしていたこと、あなたも忘れたわけではないでしょう?」
「それは・・・もちろん覚えています。」
そう言って再び悲しそうな目を見せた。
俺を振り向きながら「冴木く・・・・いや、冴木社長は・・・」と、かつての呼び方をしてしまったことを訂正する。
「この会社の未来を変えようとしました。一切の差別をしないこの会社にも欠点があったから。
それはあまりに行き過ぎた実力主義のせいです。
出世の為なら平気で人を傷つけたり、時には若い社員を弄んだり・・・・そういうことをする人もいましたから。
だから成果だけで人を見るのではなく、人格も評価に加えると公約しました。
能力と人格、それを兼ね備えた者が上に立てば、みんなが安心して仕事ができる職場になるからと。」
そう、社長選挙の演説の時、確かに俺はそう叫んだ。
あの時は私利私欲のことしか頭にない輩が上に立っていて、そのせいで大勢の人が傷ついたのだ。
俺が尊敬する人や、現場の大切な仲間まで。
当時のことを思い出すと、今の俺はあの頃とは変わってしまったのだろうかと、社長の肩書きが途端に重く感じられた。
「あの時、私も彼に賭けてみようと思いました。おっちょこちょいだしよくミスはるすし、いつまで経っても仕事は上達しないし・・・・。
だけどいざとなれば身を挺してでも誰かを守る気概があって、決して人を傷つけるような事だけはしませんでした。
それどころか自分が辛い思いをして済むなら、率先してその道を選んでいた。
そんな冴木君だったから、私も彼を信じてみようと・・・・。」
俯いた横顔は悲しいというより、残念といった印象だった。
書類を置き、忙しなく指を動かしながら手を組み、一度目を逸らしてから、すぐにこちらを振り返った。
「冴木君。」
かつて俺が部下だった時のような目を向けながら、「お願いだから何か言ってほしい」と、切ない声を響かせた。
「証拠を掴んでるのは鬼神川さんだけじゃない。私たちも君が不正をしたという証拠を・・・・、」
そう言って草刈さんに目を向けると、険しい顔で眉を寄せた。
「シンガポールにいる間、草刈さんから何度も連絡をもらったわ。冴木君が不正を働いているかもしれないって。
最初は信じられなかったけど、報告を聞く度に君を信用するのが難しくなっていった。
冴木君も知ってる通り、草刈さんはとても優秀な人よ。彼が掴んだ証拠なら間違いないはず。
けど一方的に決め付けるなんて出来ない。
だから正直に答えてほしい。違うなら違うと言ってほしいし、そうじゃないならせめて君の口から真実を・・・・。」
責めるでもなく、怒るでもなく、懇願するようなそのセリフは、俺にとって最も辛いものだった。
課長をここまで心配させてしまうだなんて、俺はどうしようもないクソ野郎だ。
「もう茶番はけっこう。」
鬼神川副社長は無表情に首を振る。
「沈黙を貫くということは、この期に及んで保身の事しか考えておられないのだろう。
それならばこちらもそれなりの対応をするまで。
まずはあなたを刑事告発する。そして・・・・カグラは稲松グループから抜けさせてもらう。」
いきなりとんでもないことを言い出して、周りがガヤガヤとどよめきだす。
「みなさんもご存知の通り、カグラの年間売上は6000億以上。昨年は特に好調で、過去最高の7000億を達成いたしました。
しかし残念なことに、今年はそうもいかないでしょう。ライバル社であるカマクラ家具がグングンと数字を伸ばしているようですから。
対してカグラは現時点ですでに平均を下回りそうな勢いです。
それもこれも全ては冴木社長のせい。その男がカグラの技術を横流しさえしなければこんな事にはならなかった。」
ここが法治国家じゃなければ、今すぐ刺してくるんじゃないかってくらいおっかない目をしていた。
けど・・・当然だろう。会社の生命線ともいえる大事な技術をライバル社に渡してしまったのだから。
ていうかこの先夜道を歩くのが怖いな・・・・。
「我々はもう稲松文具という会社を信用できない。長年かけて積み上げてきた大切な技術を外に売り渡すなど・・・・。」
まるで石みたいな拳に血管が浮かぶ。心情としては今すぐにでも俺を殺したいくらいだろう。
「北川課長、あなたの父上である会長に伝えておいて下さい。我々は本気で怒っていることを。」
そう言い残し、岩みたいにゴツイ背中を見せつけながら会議室を出て行こうとした。
「待って下さい。」
もはや沈黙を貫くことは出来ない。
サッと立ち上がり、会議室にいる皆を見渡した。
「申し訳ありませんでした。」
深々と頭を下げる。
課長が「冴木君・・・」と呟いた。
「先ほど北川課長が読み上げた内容、全て事実です。」
ゆっくりと顔を上げると、最初に課長の姿が目に入った。
液体窒素で氷漬けにされたみたいに、微動だにすることも出来ずに立ち尽くしていた。
そんな課長を見るのが辛くて、すぐに鬼神川に視線を移した。
「鬼神川副社長。不正は全て私の私利私欲で行ったことです。煮るなり焼くなり好きにして頂いて構いません。
その代わり稲松文具そのもに対する信頼はどうか崩さないでほしい。
カグラは大事なグループの一員です。もし抜けられたりしたら、その損失は計り知れない。」
「あなたのせいで我が社はすでに計り知れない損失を被っています。
そもそも稲松文具の信頼を落としたくないのであれば、どうしてこのような行為をなさったのか?」
「・・・・全ては俺の不甲斐なさです。カッコつけたこと言って社長になっておきながら、いざ大きな力を持つと初心を忘れてしまった。
どんな罰でも受ける所存です。ですから責任は全て私一人に。どうか稲松文具を離れないでほしい。」
もう一度頭を下げる。
しばらく沈黙が支配していたが、重たい足音が響いて、ガチャリとドアが開いた。
「冴木社長、この場で返事は致しかねます。ウチの社長とも話し合わなければなりませんので。
ここに残るかどうかはそれから決める。いいですね?」
「はい。」
「それと・・・・今の言葉は忘れないで下さい。」
今までで一番殺気の篭った声で言われて、思わず背筋が波打った。
「責任は全て私一人にと仰った。それはつまり、稲松文具を守る為なら自分はどうなろうと構わないと解釈しますよ。」
「もちろんです。」
さっきの言葉に嘘はない。
例え刑務所にブチ込まれようが、最悪は刺されることになったとしても、稲松文具が守れるならそれでいい。
なぜならこの会社を守るということは、俺を信じて投票してくれた人たちを守ることでもあるからだ。
そして・・・北川課長。俺の女神たるこの人も傷つけてしまう。
こんな俺みたいなペンペン草のせいで、高原に咲く一輪の花が枯れてしまうなんてあってはならない。
「・・・ではこれで失礼いたします。」
鬼神川副社長を筆頭にカグラの重役が引き上げていく。
会議室には重苦しい空気だけが残り、俺に視線が集まった。
「・・・俺はみなさんを裏切りました。多くの方に支えられてここまで来たのに、その信頼を踏みにじるような事をしてしまった。」
厳つい重役たちを見渡していく。
誰もが複雑な表情をしていて、草刈さんに至ってはこちらを見ようともしない。
そして・・・課長。
氷漬けになったまま動かず、魂だけが遠くへ飛んでいってしまったかのようだ。
「課長・・・・すいません。あなたの信用も裏切ってしまった。あんなに信じてくれたのに・・・、」
課長は俺が言い終える前に首を振った。
「信じてたのに・・・・。」
抑揚のない声で言いながら、「では査問委員会を続けます」と険しい表情に変わった。
「冴木社長、もう一度確認しますが、不正を行ったことに間違いはありませんか?」
「はい。」
「分かりました。ではこちらで調査した詳細を読み上げます。その後質問に移りますので、必ず真実を述べて下さい。」
「約束します。」
「まず八月の密会の件ですが、あなたはカマクラ家具の瀞川専務から金品を受け取りましたね。
その見返りとして、カグラの機密情報であるプラズマカッターの技術を横流しして・・・・、」
淡々と俺の罪状が読み上げられる。
その全てに偽りはなく、全ての質問にYESと答えた。
そして・・・・俺は社長の座を追われることとなった。同時に稲松文具という会社からも。
会議室を出ていく時、課長は一度もこちらを振り返らなかった。
俺が不正を認めた後、最初から最後まで鉄の表情を崩すこともなかった。
そう、俺は何もかも裏切ってしまったのだ。
会社も、仲間も、そして最も大切な人さえも。
一番高い所から真っ逆さまに転落し、何もかも失った瞬間だった。


       *****


伊礼さんと二人、ベンチに座りながらビールを飲む。
昼前から酒っていうのはなかなか悪くない。
こんな晴天のお花見日和、働いてばかりじゃ損するってもんだ。
けど俺はともかく伊礼さんまでとは・・・・。
「あの、いいんですか・・・・こんな時間からお酒なんか飲んで。まだ仕事中なんでしょ?」
「今日はもう終わりだ。」
「終わりってまだ昼前ですよ。」
怪訝な目を向けると、グイっとビールを煽ってから美味そうに息をついた。
「今日の仕事はお前を連れて帰ることだ。だからもう終わりだ。」
「いやいや!誰もスパイをやるなんて言ってませんよ。」
社長になる前のこと、俺はあの会社で非合法な仕事をしていた。
そのせいで他の会社を潰したこともあるし、恨みを買って刺されたこともある。それも二回も。
ていうか社長選挙の時だってスパイをさせられたのだ。
ここにいる伊礼さんのせいで・・・・・。
俺はもうあんな仕事はごめんだ。
人にはない変わった才能を持っているからって、そいつを利用してスパイだなんて・・・・、
「なあ冴木。」
ややカッコをつけながらビールの缶を傾ける。
元々がカッコイイ人なのでこういう仕草が様になるのが悔しいところだ。
「お前このままでいいのか?」
「いいのかって・・・。それは俺が決めることじゃないですよ。不正をしたんだから会社を追われて当然です。
むしろ刑務所行きにならずに済んだだけでもありがたいくらいですから。」
あの時の鬼神川副社長の怒りは尋常ではなかった。
冗談抜きで夜道で刺されることも覚悟していたくらいだ。
けど会長がどうにか説得してくれて、カグラ側は溜飲を下げてくれた。
・・・これは俺の勝手な想像だけど、おそらく課長が動いてくれたに違いないと思っている。
カグラの人たちは本気でおっかない面があるので、刺されるっていうのはマジで冗談ではないのだ。
このままでは俺は殺されるかもしれない。
それを心配した課長が、会長に掛け合ってくれたんだと思っている。
でないと会長自らが俺の為にカグラを説得をしてくれたとは考えにくいのだ。
可愛い愛娘の頼みでもない限りは、重たい腰を上げたりはしない人だから。
「俺はこうして生きている。今はそれだけで充分です。」
そう、充分なのだ。俺にはもうあそこへ戻る資格なんか無・・・・・・、
「嘘だな。」
伊礼さんは缶を握ったままビシっと指を向けてくる。
「嘘なんかじゃありませんよ。俺はマジで言って・・・・、」
「顔に出てる。」
「・・・・ああ!しまったあああああ!!」
「気持ちを悟られやすいのは相変わらずだな。」
可笑しそうに笑いながら、ゴミ箱へビール缶を投げ捨てる。
けっこう離れていたのに、カランカランと音を立てながら綺麗に収まっていった。
「なあ冴木、俺は今でもお前を信じているよ。」
キザったらしい笑みを消して、真顔で正面を見つめる。
騒がしい花見客たちの声が、伊礼さんの真顔とのギャップで、一瞬だけ遠い世界のように感じた。
「確かにお前は不正を働いた。皆の信頼を裏切ったんだ。」
「そうですよ。俺は悪いことをしたんです。なのに今更戻りたいなんて・・・・、」
「けど私利私欲の為じゃなかったんだろう?」
「え?」
「お前は私腹を肥やす為に不正を働くような男じゃない。社長選挙の時に一緒に戦ったんだ、よく知ってるさ。」
「・・・・・・・・。」
「あの時・・・俺もアイツもお前を信じていた。だからこそ最後まで戦い抜くことが出来たんだ。
社長になったからって悪さをするような奴なら、アイツだって元々協力はしなかっただろうさ。」
またキザったらしい笑みを向けてくる。
俺は何も言えずに花見客を眺めていた。
さっきから伊礼さんが言っているアイツとは、俺がもっとも尊敬する人のことである。
二年前の社長選挙の時、真っ先に俺にコンタクトを取ってきて、一緒に戦わないかと誘ってくれた人だ。
ちなみにその人は死人だった。
だけど親父さんの建てた会社、そして会社の仲間を想うあまり、死してなおこの世に留まり続けていた。
自分が臓器を提供した子供の肉体を借りて。
一緒にいたのは短い間だったけど、今までに過ごしたどんな時間よりも勉強になったし、色んなことを教わった。
そして・・・・俺が社長になる姿を見る前に、この世を去ってしまった。
元々が死人だった。この世にいられる時間は限られていた。
それは分かっているんだけど、せめて俺が社長になるまではこの世にいてほしかった。
あの時のことを思い出し、グっと唇を噛んでいると、伊礼さんはゆっくりと立ち上がった。
「さ、仕事はもう終わりだ。」
うんと背伸びをしながら、「どっか飲みにでも行くか?」と言った。
「奢ってやるぞ。」
「いえ・・・そういう気分じゃないんで・・・・。」
「そうか。なら来週の日曜、ハリマ販売所へ来い。」
「ハリマ販売所へ?」
「お前の古巣だ。懐かしいだろ?」
そう言い残し、「じゃあな」と背中を向ける。
俺は迷っていた・・・・再びスパイなんて仕事に戻ってもいいのか。
もちろんやりたくなんてない。
絶対に危険な目に遭うに決まってるし、何よりまた誰かを傷つけることになる。
だけど・・・・、
「あの!」
気がつけば立ち上がり、叫んでいた。
伊礼さんはこれを予想していたかのように、驚く素振りも見せずに振り返った。
「課長は・・・・どうしてますか?」
脳から指令が出るよりも速く、一番胸に引っかかっていることを尋ねていた。
するとこれまた予想していたかのように、クスっと肩を竦めながらこう答えた。
「元気にしてるさ。」
「そうですか・・・・。」
ホッとする。
もしまだ俺のせいでショックを受けたままなら、今すぐ川に飛び込んであの世へでも旅立とうかと考えていた。
「近々帰ってくるんだ。本社の部長としてな。」
「すごいな・・・また出世するんだ。」
選挙で一足飛びに出世した俺とは違い、課長は自分の実力で着実に上への階段を登っている。
やはりあの人は高原に咲く一輪の花、地べたを這いずるペンペン草の俺とはわけが違う。
「もう課長って呼べなくなるんだな。いや、その前に会うこともないんだろうけど・・・・、」
「だろうな、今のままじゃ。」
伊礼さんは呆れたように眉をしかめる。
「彼女は戦ってるよ。お前が逃げ続けてる間もな。」
「逃げるって・・・・俺は追い出されたんですよ?逃げるも何もないじゃないですか。」
「でもまだくすぶってるんだろう?胸の中で熱いものが。」
「臭いこと言いますね。俺はアニメの熱血主人公じゃないですよ。」
「どうかな?俺にはそう見えるが。」
おどけたように肩を竦めながら、クルリと踵を返す。
「いつまでもくすぶったままだと、いつか胸の炎も消えちまうだろう。
そうなったら最後、大事な人も手の届かない所へ行っちまうぞ。」
背中越しにヒラヒラと手を振りながら、悠々とした足取りで去っていく。
相変わらずキザで強引な人だと思いながら、その背中が遠ざかるのを見つめていた。
「・・・・どうしよ、俺。」
迷いを抱えながら満開の桜を眺める。
さっきまでとは違って、花見を楽しみたいとは思えなくなっていた。
晴天の空の下、優雅に桜を楽しむのは素晴らしい休日になるだろう。
だけど今は休息を求める気持ちより、この身を焦がすほどの熱い衝動が・・・・。
胸の中にくすぶるわずかな火が、伊礼さんのせいで燃え上がろうとしていた。

稲松文具店〜燃える平社員と動物探偵〜 第一話 社長を辞めた日(1)

  • 2018.08.13 Monday
  • 10:37

JUGEMテーマ:自作小説

うららかな春の日曜。
降り続いた雨にも負けず、桜は見事に花を咲かせている。
休日に満開ともなれば、そこらじゅうに花見客が殺到するものだ。
特に行楽地ともなれば大群のように押し寄せる。
あちこちから響く楽しそうな声。
家族連れが、カップルが、友達同士のグループが、この日を待っていたかのようにこぞってはしゃいでいる。
うん、まあ・・・それはいい。俺もこういうノリは大好きだ。
だけど悲しいかな、今は仕事中で、みんなと同じように桜を楽しむことが出来ない。
汗水たらしながら楽しそうな花見客の声を聴くっていうのは、けっこう拷問に近いものがある。
ていうか俺の周りには特にはしゃぐ声が多い。
なぜなら・・・・、
「レン君がんばれ〜!」
小さな子供の声援が飛ぶ。
俺はその子に向かって「うるさいガキは食べちまうぞ!!」と金棒を振りかざした。
「ぎゃああああああ!」
泣きじゃくりながらお母さんにしがみつく幼児。
それでも「オラ!食っちまうぞ!」と脅していると、横っ面に衝撃が走った。
「ごはあッ・・・、」
「キイ!ウキキ〜!」
桃太郎のコスプレをしたニホンザルが、勇ましくオモチャの刀を振りかざす。
俺は頬を押さえながら「誰だ貴様は!」と睨みつけた。
「キキ!ウキイイ〜!」
「ぐは!」
今度は眉間に突き刺される。
あまりのダメージに思わず倒れ込んだ。
「ガンバレ〜!」
さっきまで泣いていた幼児が、拳を握って応援している。
桃太郎に扮したサルは、まるでその言葉が分かっているかのように「キイ!」と手を振った。
「キキ!ウキイ!」
高らかに刀を掲げると、舞台の袖から三匹のお供が現れた。
犬に扮したサル、キジに扮したサル、そしてただのサルである。
「キイキキ!キキ〜!」
何か喚いているが、何を言っているのか分からない。
ていうか桃太郎も三匹のお供もサルってどうなんだろう。
せめて犬くらいは本物を使えばいいのに。
頭が良いんだから仕込めば芸くらいは覚えるはずだ・・・・と思ったけど、よくよく考えたらそうはいかない。
なぜならこれはニホンザルの演劇なのだから。
登場人物は全員サルが演じることになっている。
赤鬼の俺だけを除いて。
「キキキイ〜!ウキイ!」
桃太郎がゆっくりと刀を回し始める。
眠狂四郎の必殺技、円月殺法のパクリである。
俺は金棒を振りかざし、「桃太郎!覚悟おおおお!」と飛びかかった。
・・・・まず最初に言っておきたいことがある。
円月殺法とは、ゆっくりと刀を回すことによって挑発し、焦って斬りかかってきた相手を仕留める技だ。
要するにカウンター技である。
事前の段取りでは、まず俺が飛びかかり、間一髪で桃太郎がそれをかわす。
そして袈裟懸けに一閃して鬼を倒すことになっていた。
何度も練習したし、本番前のリハーサルでも確認した。
しかし・・・・・、
「キキイ!」
なぜか三匹のお供が飛びかかってくる。
犬に扮したサルに頭を掴まれ、キジに扮したサルに足に噛み付かれ、サルに扮したサルに体当たりをかまされた。
「ぐはあッ!」
盛大に倒れこむ俺、しかもサルたちにガッチリと手足を押さえつけられて、身動きさえ取れなくなってしまった。
「キイ!キキイ〜!」
刀を振りかざした桃太郎が近づいてくる。
その目は演劇とは思えないほど殺気に満ちていた。
「ちょ、ちょっとタンマ!」
太陽の光を受け、ダンボールにアルミを巻いた刀がギラリと光る。
「レン君いけえ〜!」
先ほどの幼児が身を乗り出して叫ぶ。
桃太郎は高く飛び上がり、佐々木小次郎と対決した宮本武蔵のごとく太陽の光を背負った。
「キイイイイ!」
「やめろおおお!」
脳天に衝撃が走る・・・・そいつは俺の身体をまっすぐに突き抜けて、股間まで貫通していった。
「ぎゃああああ・・・・、」
ゆっくりと気を失っていく・・・・・。
視界がブラックアウトしていく中、勝ち名乗りをあげる桃太郎の声が響いていた。


          *


「みんなお疲れさん。」
頭の薄くなったサル似の中年オヤジが、サルたちにバナナを配っている。
どいつも「ウキイ!」と嬉しそうに受け取って、器用に皮を剥いてからムシャムシャと頬張っていた。
「はい君も。」
「いりませんよ!」
差し出されたバナナを払いのける。
サル似のオヤジは「美味しいのに」と自分で食い始めた。
美味い不味いの問題じゃない。
ギャラがバナナであることに納得出来ないのだ。
だいたいさっきの展開はおかしいじゃないか。
本当なら俺が飛びかかって、レン君がサッとかわして、でもって反撃(寸止めで)を食らって倒れる予定だったはずだ。
《クソ・・・・まだ脳天と股間が・・・・。》
ヨロヨロと立ち上がり、舞台の袖から逃げていく。
ここは川沿いの広場、あちこちに花見客が押し寄せている。
カップルはイチャつき、酔っ払いは大声で何かを叫んでいる。
喧騒を尻目に人ごみを掻き分け、公衆便所へと駆け込んだ。
「うわあ・・・思いっきりタンコブになってる・・・・。」
鏡を見ると額の一部が腫れ上がっていた。まさかこの歳でタンコブを作る羽目になるとは。
ため息をつきながら便所を出ると、「冴木君」と呼ばれた。
「お疲れさん。」
振り返ると青鬼が立っていた。
この人は時任さん。
定年退職を機にバイクで日本一周をしている人だ。
その手には二つの茶封筒を持っていて、「ほい」とそのうちの一つを差し出してきた。
「これは?」
「ギャラだよ。」
「ギャラって・・・バナナじゃないんですか?」
「そんなわけないでしょ。僕たちサルじゃないんだから。」
「てっきりバナナかと思ってました。」
ありがたくギャラを頂く。
中身を確認すると・・・・まあそこそこの額が入っていた。
「いいんですかね、こんなに貰っちゃって。」
「儲かってるらしいからね、あのサル軍団。それに冴木君がんばってたから、団長が奮発してくれたのかもよ。」
「だったら嬉しいっすね。」
赤鬼と青鬼、二人ならんで封筒の中身を数える。
近くを通りかかったカップルが「何あれ」と笑っていった。
「はあ・・・こんなバイトするんじゃなかったな。」
サルにどつかれるわ、人からは笑われるわ・・・・面白そうなバイトだから応募したけど、今になって後悔する。
大きくため息をついていると、「まあまあ」と時任さんに肩を叩かれた。
「若いウチはなんでも経験だよ。」
「そうっすね・・・。」
「ジュースでも奢ってあげるから元気出しなって。」
赤鬼と青鬼、二人ならんでジュースを飲む。
近くを通りかかった子供たちが「ダッセ」と笑っていった。
「ぐう・・・・おのれガキども!」
「まあまあ、そうイラつかないで。」
「イラつきますよ!せっかくの花見日和にこんな恰好して仕事なんて・・・・。はあ・・・俺の人生こんなはすじゃなかったのに。」
そう、俺の人生はこんなはずではなかった。
なぜならほんの半年前まで、俺はとある大企業の社長だったのだ。
その名は稲松文具。
高品質高性能な物から、ユニークでバラエティに富んだ文具を作っている。
そのシェアは世界中に及び、近年では家具を作っている『カグラ』というグループ会社もかなり伸びてきている。
他にも靴を作っている会社もあったりと、人々の生活に身近な企業だ。
稲松文具は完全な実力主義であり、成果を上げた者だけが出世できる仕組みだ。
そこには一切の差別はない。
学歴、年齢、性別、人種、国籍、そういったものは出世には一切影響せず、常に成果だけを見るのだ。
ある意味もっとも平等な仕組みであり、そしてもっとも過酷な仕組みでもある。
成果を出せる者は優遇されるけど、そうでない者は一瞬で転がり落ちてしまう。
いつだって実力と成果だけを求める仕組みであるがゆえに、世界に名だたる企業にまで成長したのだ。
俺はそんなすごい会社の社長だった。
ほんの半年前までは、大きな本社ビルの最上階から、会社全体の指揮を取っていたのだ。
それが今では猿回しのバイトである。それも単発の。
明日からまた新しい仕事を探さないといけない。
人生晴れの日ばかりじゃないって言うけど、さすがにこの落差は・・・・かなりへこむ。
「またため息ついてるね。」
時任さんは「そんな若いのによくないよ」と言った。
「今からそんなんじゃ、この先いつでもため息ばっかりになる。まだ若いんだからもっと前向いてないと。」
「それは分かってるんですけど・・・・色々あってやる気が出ないっていうか。」
「まあ僕も偉そうなことは言えないんだけどね。少し前までバイクで旅に出ようなんて思いもしなかったから。
仕事も定年を迎え、妻にも先立たれ、この先どうすればいいんだろうって落ち込んでたからさ。」
「え?奥さん・・・・亡くなってるんですか?」
「けっこう前にね。けどある若者との出会いで、こんなんじゃいけないって思うようになったんだ。
その子は自分の人生に一生懸命でね。この僕にも生きる勇気と力を与えてくれたんだよ。」
「へえ・・・なんか良い話っすね、それ。」
「もしそれがなかったら、こんな恰好をすることもなかったろうね。」
そう言って可笑しそうに青鬼なった自分を見つめる。
「旅の途中で面白そうなバイトを募集してたからさ。思い切って応募してみたんだけどやってよかったよ。」
随分嬉しそうに言うので、「あれが面白いって・・・冗談でしょう?」と顔をしかめた。
「いやいや、本当だよ。旅に出なかったらこんな経験をすることもなかったからね。
この歳になってもまだまだ色んなことが楽しいと思えるんだ。とっくに還暦は過ぎちゃってるけど、死ぬまでにはまだまだ時間があるからさ。
それまでは思いっきり楽しみたいじゃない。」
「ははあ・・・ポジティブっすね。」
この世代のパワーとバイタリティは恐ろしい。
さすがは日本経済を支えてきただけある。
「でもアレなんだよね、僕青鬼やるの初めてじゃないんだ。」
「そうなんすか?」
「でもってサルと一緒に桃太郎をやるのも初めてじゃない。」
「ええ!あの・・・今までどんな経験してきたんですか。」
チャレンジ精神が旺盛な人だというのは分かるけど、まさかこんな仕事が初めてじゃないとは・・・・。
呆れるような顔をしている俺に向かって、時任さんはクスっと肩を竦めた。
「もっと言うなら、桃太郎役のレン君と一緒に舞台をやるのも初めてじゃないんだ。」
「ま、まさか・・・前は猿回しの仕事をしてたとか?」
「違う違う。僕に勇気を与えてくれたその子と一緒に、幼稚園で演劇をしたことがあるんだよ。
まあ細かい事情は省くけど、そういうこともあってここのバイトに応募したわけさ。」
時任さんは一気にジュースを飲み干し、カコンとゴミ箱へ投げ入れた。
「それじゃ僕は午後の部もあるから。冴木君は午前中だけだよね?」
「ええ。」
「僕はこれが終わったらまた旅に出るよ。いつかまたどこかで会えたらいいね。」
背中越しに手を振りながら去っていく。
一見すると普通のおじさんなのに、なかなか面白い経歴の持ち主だ。
掘り下げればもっと色々聞けたかもしれないが、あいにく今は自分のことで手一杯だった。
《人生は経験か・・・。そういう意味なら俺だって負けてないんだけどな。
普通に生きてりゃあんな大企業の社長になるなんて有り得ないんだから。》
冴木晴香、25歳。
今から二年近く前、ある出来事がきっかけで、平社員からいきなり社長へと昇進した。
俺ほどの若さでこんな経験をした奴はそうはいるまい。
本当なら今でも高いビルの上から指揮を取っていたはずだ。
けど・・・・それを失ってしまったのは俺自身のせいなのだ。
最初はみんなが働きやすい職場をと思って頑張っていたんだけど、人間ってやつは権力を持つとどうにも変わってしまうらしい。
社長という肩書き、会社を左右できるほどの権限、そして見たこともないような大金。
それまでの俺とは無縁だったものが一気に押し寄せて、いとも簡単に初心を見失ってしまった。
その結果、今はこんな田舎の行楽地で赤鬼の恰好をしている。
はあ・・・これをため息つかずしてなんとする。
けど何もかも諦めたわけじゃない。
もしもう一度チャンスがあるなら、俺はまたあの会社に戻りたい。
そして再び上を目指して戦ってみたい。
実力だけを評価し、その他一切の差別がないあの会社で。
クルクルパーマのカツラを取って、ポイと隣に投げ捨てる。
虎のパンツからタバコを取り出し、空に向かって輪っかの煙をくゆらせた。
二つ、三つと、頭の中を空っぽにしながら幾つも輪っかを作っていく。
子供が感心しながら見つめていたので、輪っかの中にさらに小さな輪っかを作って飛ばしてやると、声をあげて喜んでいた。
「もっともっと!」とせがんでくるが、「大人は忙しいの」と立ち上がる。
代わりに鬼のカツラをくれてやると、嬉しそうにどこかへ走っていった。
「子供は無邪気でいいよなあ。」
トボトボと舞台の袖へと戻り、さっさと着替えをすませて帰ろうとした。
けど虎のパンツの中からウルフルズの着信音が響いて、「もしもし?」と電話を耳に当てた。
掛けてきたのはどうせ親父かお袋に決まっている。
もうじき法事があるもんだから、帰って来いとうるさいのだ。
あいにくこちとらそれほど暇じゃないので、「悪いけど帰れないよ」と答えた。
死んでから30年以上もたった親戚の法事なんて知るものか。
「こっちも忙しいからさ。悪いけどそっちには帰れな・・・・、」
『なんだ?稲松文具に戻って来たくないのか?』
「・・・・・ッ!」
慌ててスマホを耳から離す。
稲松文具・・・・?いや、それよりも今の声は・・・・。
喉を鳴らしながら液晶を確認してみる。
それは親父でもお袋でもなかった。
『伊礼誠』
思わず「伊礼さん!」と叫んでいた。
この人は稲松文具にいる時にお世話になった人だ。
グループ会社の『靴キング』という所で本部長をやっている。
そもそもこの人がいなければ社長になろうとはしなかっただろう。
ゴクリと息を飲みながら「なんで急に・・・」と呟いた。
稲松文具を追われてから半年、今になってどうして電話なんか・・・・。
訝しく思いながらも、「お久しぶりです!」と頭を下げた。
『半年ぶりだな。元気にしてるか?』
やや笑みを含んだ声だった。
俺は「ええっと・・・ぼちぼちですかね」と返した。
『ぼちぼちか。なら新しい仕事が見つかったってことだな?』
「今は赤鬼やってます。さっき桃太郎に成敗されたばかりで。」
『なんだそりゃ?』
苦笑いが返ってくる。『ほんとに相変わらずだな』と呆れられた。
『どこ行ってもお前は普通じゃいられないようだな。』
「俺は普通に生きてるつもりなんですけどね。なんだろう・・・どっかズレてるんですかね?」
『自覚してない時点で大いにズレてる。まあそれがお前の面白いところだがな。』
可笑しそうに笑われたあと、『なあ』と神妙な声に変わった。
『そろそろ戻って来ないか?』
「え?戻るってどういう・・・・、」
『だから稲松文具にだよ。どうせその日暮らしの生活してるんだろう?』
「いやいや、ちゃんと仕事してますよ。桃太郎に成敗されたりとか。」
『お前をきちんと雇ってくれる所なんてそうそうあるとは思えん。この先ずっとうだつの上がらないままでいいのか?』
「そりゃ戻れるなら戻りたいですけどね。けどもう無理でしょ。』
そう、無理なのだ。
なんたって俺は追い出されたのだから。
下手すれば刑務所へ行きかねないほどの失態を犯してしまったのだ。
ただ社長になった経緯が特殊だったこと、そして悪意のない失態だったこともあって、告発しない代わりに追放という処分だけで免れたのだ。
今更ノコノコと戻ったって、すぐに追い出されるに決まっている。
「伊礼さん、話は嬉しいけどすぐには無理です。」
『だろうな。普通に戻ることは無理だろうさ。』
「普通にって・・・・普通じゃない戻り方とかあるんですか?」
スマホを握る手に力が篭る。
もし・・・もしも本当に戻れるのなら、今すぐにでも赤鬼のメイクを落として会社に駆けつける。
「教えて下さい!どうやったら戻れるんですか!?」
『ほお、闘志はまだ衰えてないようだな。』
「当然ですよ!まだまだあの会社でやりたい事があったんです。もう一度チャンスがあるなら是非!」
電話越しに頭を下げる。
腰が直角になるほどそうしていると、ふと視界の中に誰かの足が飛び込んできた。
高そうな革靴だけど、側面にそれを台無しにするほどカッコ悪いロゴが入っている。
「靴キング・・・・。」
稲松文具のグループ会社であり、今電話している伊礼さんが本部長を務めている所だ。
まさか・・・と思いつつ、ゆっくりと顔を上げる。
「よう。」
「伊礼さん・・・・。」
鋭い眼光をした渋い男が立っている。
ジロリと俺を睨んで「良い恰好してるじゃないか」と肩を竦めた。
「あの・・・なんでいきなりこんな所に?」
「ん?まあ・・・・ちょっと手伝って欲しい仕事があってな。」
視線を逸らしながら、ポリポリと頭を掻いている。
「もう鬼退治は終わったんだろ?」
そう言ってサルたちがいる舞台に顎をしゃくった。
「なら今度はこっちの鬼退治を手伝ってほしいんだ。」
「鬼退治?」
わけが分からずに首を傾げると、「ああ、すまん。鬼はお前の方だな」と笑った。
「いや、そんなこと聞いてるんじゃなくてですね・・・・、」
「分かってるさ、なんで今更って思ってるんだろう?会社になんか戻れるわけがないって。」
「ええ・・・・もうあそこに俺の居場所はありませんから。」
「なら俺が個人的に雇うさ。」
「伊礼さんが?」
「ちょっと厄介な仕事に関わっててな。色々と大変なんだ。だが上手くいけばお前を戻してやれるかもしれん。」
「・・・・・・・・。」
「どうした?浮かない顔して。」
「その・・・・厄介な仕事というのが引っかかりまして・・・・。」
嫌な予感がする・・・・・。
伊礼さんの言う通り、普通にあの会社に戻ることは出来ないだろう。
だけど一つだけそれが可能な道がある。
あるんだけど、でもそれは・・・・、
「伊礼さん、俺はもう面倒な仕事に関わる気は・・・・、」
言いかける俺の顎をギュっと掴む。
「ひゃ、ひゃにふふんでふか!」
「冴木、お前に頼みがある。」
鋭い眼光がさらに鋭くなる。
俺は「ひひゃだ・・・」と首を振った。
「俺の仕事を手伝ってくれ。お前の力が要るんだよ。・・・・スパイとしてな。」
「ひゃ・・・ひゃっはり〜!」
予想はしていたけど、直に言われると余計にショックを受ける。
顎を掴まれたままヘナへナと崩れ落ちた。

新しい小説

  • 2018.08.12 Sunday
  • 13:11

JUGEMテーマ:自作小説

明日から新しい小説を載せます。

稲松文具店シリーズです。

三部作で書くつもりで、一部が出来たので載せます。

拙い小説ですが、よかったら読んでやって下さい。

前作は「稲松文具店〜ボンクラ社員と小さな社長〜」

前々作は「稲松文具店」です。

よければそちらも読んでやって下さい。

 

 

 

 

   冴木晴香(主人公)

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